Chap6-2


 まりあは目を見開いた。胸を一瞬刺されたような冷たさがあった。


「そんなことが……でき、るんですか」

「できる。女神の化身であるお前のほうが理解しているはずだが?」


 まりあは頭を振った。

 意思を消す、という言葉が脳に反響する。


 赤い目――長い、黒の睫毛。浅黒い色の肌。

 燃えるような双眸で一心に見つめてくる青年。


「……どうやって……」

「あれがつくられた《始原の地》へ行き、剣を打ち直す。ヘルディンがあれを生み出したときのように行い、を消して純粋な剣として生まれ変わらせる」


 何も特別なことではないというような口調でレヴィアタンは言う。

 まりあは呆然とした。


(アレスさんの人格を、消すってこと……?)


 そう理解したとたん、全身から血の気がひいた。

 それは、アレスという青年を消す――殺す、ということに等しいのではないか。


 ラヴェンデルが思案げに言った。


「ふむ。そのほうがいいかもしれんな。未熟な《闇月の乙女》に、自我の強すぎる剣とあっては面倒な組み合わせだ」

「ま、待ってください! でもそれじゃアレスさんの意思は……アレスさんは生きているのに――」


 まりあはとっさにそう反論していた。

 だがそれを聞いて、ラヴェンデルが眉をひそめた。


「何を言っているのだ。そんな生ぬるいことを言っているから、道具の暴走を許したのだろう」


 まりあは言葉に詰まった。無意識に視線が落ちた。


「あれは人の姿を模すが、あくまで道具だ。お前の武具に過ぎず、我々と同じ存在ではない。そしてお前はあの道具に自らの力を示せなかった。認められず、従えることができなかった」


 当然の帰結、純然たる事実として《夜魔王》は言う。


 力を示せなかった――認められなかった。

 その言葉がまりあを打ちのめした。


「そ、んなの……っ!」


 誰も何も、教えてくれなかった。

 アレスに力を示せだなんて、何の説明チュートリアルもなかった。

 ――その一方で頭のどこかが理解した。


 


 ただ《闇月の乙女》というだけで初対面のときから自分に優しく、常に付き従い、力となって護ろうとしてくれたアレス。

 とても強大な力を持つ黒剣アレス

 その彼に、なぜ《闇月の乙女》という設定だけで受け入れてもらえると思ったのか。


「従えられないのなら面倒な人格ごと消したほうがましだ。お前が、二度と体の自由を奪われたくないのならな」


 諭すでもなく、ただ淡々と《夜魔王》は教える。

 取り返しのつかぬ後悔の分だけ、まりあは揺らいだ。

 二人の指摘は的を射ているように思えた。


 ――アレスが人の姿をしているから。

 優しかったから。

 だから、同じ人間として接した。


 昏木まりあという現代人からすれば、同じ人間の姿をしているものを道具として見なすことなどできなかった。

 だが、その態度こそが誤りで、ひいてはヘレミアスたちに危害を加える原因となったなら――。


(……アレスさんが、ただの剣になってくれたほうが……いいの?)


 その考えを、正面から見据える。

 人格を消し、ただの剣にする。

 

 だがおそろしさが先立ち、ためらいばかりで想像もできない。


「他に……方法は?」

「現状のままあれを完璧に従える方法か? 無い。いい加減考えを改めたらどうだ」


 玉座の《夜魔王》は開いた足に肘を乗せ、軽く指を組んで前に乗り出すような姿勢になった。

 異なる二つの色の瞳は、冷徹にまりあを睥睨する。


「あれもいやだこれもいやだと、散々抗ってどうなった? 話し合いとやらにしてもお前が言い出したことだ。その結果、どうなった?」


 まりあはびくりと肩を強ばらせた。

 内臓が引きつるような恐怖を思い出す。


「過ちから学べ。繰り返すな。無意味に抗って無謀に走れば、最も下策な方法より更に悪い結果が待つ。とるべき方法の中から最善を選べ」


 夜と闇を統べる王は、力を持った啓示のごとく告げた。

 その言葉は重く、まりあの迷いと弱さを頭から打ち砕き、決断を促す。


(とるべき方法の、中から……)


 その言葉は生々しく、息苦しいほど胸に迫った。


 ――定められた選択肢。

 世界ゲームの中では、そこにある選択肢がすべてで、その中から選ばなければ先へ進めない。


 現実の世界であっても、選んでそこに止まるか前へ進むかでしかない。

 決めなければならないと頭ではわかっていた。


 それでも心はまだ躊躇している。


女神ヘルディンは……なんで、アレスに意思なんて持たせたの……?)


 再生の女神リデルと対をなす、破壊の女神ヘルディン。


 最初から剣に意思などなかったらこんなことにはならなかったはずだ。


 あるいは、アレスがつくられた場所に行けば、少しは何かわかるだろうか――。

 まりあは鈍く顔を上げた。


「……その、《始原の地》に、行ってみたいです。決めるのは、それからにしたい……」

「行くのなら決めてしまえばよかろうに」


 ラヴェンデルが不機嫌な顔で言ったが、《夜魔王》はあっさりと答えた。


「いいだろう。《始原の地》の近くまでは同行してやるが、中にはお前とあの道具しか入れない。中に入るにはあの道具が必要で、先へ行けるのはお前だけだ。いいな?」


 まりあは半ば無意識に頷いた。頭の中で、消す/消さないという二つの選択が谺していた。




 一人、玉座の間を後にすると、まりあはすぐにアレスの姿を見つけた。

 紅い目もまたすぐにまりあを見つけ、唇が物言いたげに開き、閉ざされた。

 まりあは目を背けた。


(――ずっとそこにいたの?)


 部屋の外で待っていたときのように。

 怒鳴られても振り払われても、彼はこうして自分を追うのだろうか。

 初めて会ったときから変わらぬ態度で――。


 両扉の向こうで交わしたやりとりと怒りのせいでアレスをまともに見ることができない。

 実際に姿を見たら、なおさら心が揺らぐ。


「……どうして、何も言わないの」


 つぶやいて、のろのろと顔を上げた。

 アレスがかすかに目を瞠っている。

 繊細で微妙な反応――それは、どうあっても同じ人間のものだった。


 アレスの目はまりあの他には何も映さない。

 端整な顔に、かすかな困惑が浮かぶ。

 まりあの言葉の意味がわからないというような表情だった。


 その反応はまりあを苛立たせ、もどかしくさせた。


「ねえ、私怒ってるよ。ものすごく怒ってる。アレスが私の体を使って、ヘレミアスたちを傷つけたから。どれだけ酷いことしたのかわかってるの?」


 意図した以上に、声に棘が滲んだ。


 アレスは黙っている。

 気まずさや罪悪感を感じている様子はない。

 まりあを見つめたまま少し考えているような顔をした。

 瞬きもせず、その唇が開いた。


「ヘレミアス……あなたは、あれらのことを知っていたのですか?」


 抑えた声だった。まりあは強く青年を睨んだ。


「聞いたことに答えて! 誤魔化さないで!」


 怒りで声が強まる。


 それでもなお、アレスは整った顔を崩さなかった。

 ふいに、その紅い瞳が冷たく光った。


「――どれだけ酷いことか? 私にはわかりません。光の凶徒どもは例外なく一切が殲滅対象です」


 まりあは言葉を失った。

 頭の芯から急に熱が引いてゆく。既視感があった。


「あなたの命を待たずに動き、あなたに不快感を与えてしまったことは謝罪します。如何様にも罰を受けます」


 その言葉に嘘や保身の響きはなかった。

 ある種の真摯ささえあった。


 まりあは立ち尽くした。

 そうではない――不快感を覚えたなどという問題ではない。


 だがアレスは以前の会話でも、同じ答えを返していた。

《光の眷属》たちに対するまったくの拒絶。変わらない。

 それを、自分は聞いていた。


「ちが……!!」


 喉に塊が詰まったようになり、そう短く叫んで途切れた。

 奥歯を噛みしめ、アレスを睨む。


「またあんなことをするようなら……」


 ――また繰り返すなら、人格を消す。


 そう叫びそうになった。

 だがそれはという意味でしかなかった。


 まりあは奥歯を噛む。

 そんなことを言いたいのではない。

 だがどうやったら伝わるのか。


「――っもういい!!」


 断ち切るように言い捨て、まりあは走った。

 アレスから逃げた。


(やっぱり、だめなの……!?)


 アレスにはまったく伝わっていない。

 あの凍てつく目、拒絶には付け入る隙がない。


 ――また、同じ過ちを繰り返すかもしれない。


 そのおそれと不安が、巨大な影となって降りかかってくる。

 またヘレミアスやヴァレンティアを傷つけるようなことがあったら。

 そして、アウグストを傷つけるようなことがあったら――。


『従えられないのなら、面倒な人格ごと消したほうがましだ。お前が、二度と体の自由を奪われたくないのならな』


《夜魔王》の言葉が耳の奥で反響していた。

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