Chap5-4
レヴィアタンも、ラヴェンデルたちもすぐには答えなかった。
蒼と紫の目は探るようにまりあを見つめ、射る。
重い沈黙がまりあにのし掛かった。
ぐっと息を止めて耐え、そのままレヴィアタンを見つめていると、夜と闇の王は不敵に笑った。
「確かにお前の言う通りだ。理論上は、原始の均衡を再現できる条件が揃っている」
まりあは目を瞠った。
レヴィアタンの言葉は、重い雲間から射し込む光のように希望をもたらす。
胸に熱がこみあげ、ぐっと手を握った。深く息を吸う。
「なら、私はそれを目指します。戦わなくて済むように、完璧な均衡までもっていきます」
再び、束の間の沈黙が降りた。
だが今度それを破ったのは、《夜魔王》ではなかった。
「どこまで寝ぼけているのだお前は。本当に意味を理解して言っているのか?」
険しく眉をつり上げ、鋭い口調でラヴェンデルが言う。
「均衡とは、完全な対等の上に成り立つものだ。互いの戦力、《月精》の量、王の力、何より《闇月の乙女》の力が満ちていてこそはじめて成り立つ」
まりあははっと息を呑んだ。
「愚弟が奴らの王に劣っているとは思わん。だがお前はどうなのだ、《闇月の乙女》」
《夜魔王》の右目と同じ、妖しく高貴な紫の両眼がまりあを射る。
グラーフたちは口を閉ざし、無言で同調するようにまりあに目を向けていた。
「愚弟がお前の力不足を補うにも限度がある。お前が奴らの狂母と同等か上回る力量を持っていなければ、均衡などというものは戯れ言に過ぎん」
その指摘は、まりあを強く打ちのめした。
――《陽光の聖女》と同等の力量があるのか。
ある、とは言えなかった。
礼拝堂での惨敗。アレスに護られるだけだった。
あの失態をラヴェンデルは間近で見ていたし、最後はラヴェンデルの機転で逃れられたようなものだ。
いまはラヴェンデルの教えによって幾分かはましになっていても、それで十分とは言えない。
まりあは自分の両手を見た。
(この《闇月の乙女》って……何レベル……?)
そもそもどんなステータスなのか、どんな
すべてのルートを解放後にはじめて出現した、謎のラスボスだったのだ。
だがそれだけの出現条件と、ヘルディンの化身ということから素質が劣っているとは思えない。
一方、《陽光の聖女》は自分のプレイデータ――その能力は
高い防御力、豊富な補助魔法に加え、瀕死から全回復させる回復魔法まであって、決して負けない。
それと同等になるということは、向こうの防御と回復を上回る攻撃力が必要になる――。
そこまで考えて、まりあは息を止めた。
頭を振る。
(違う……、戦うわけじゃない!)
目的を違えるなと強く自分に言い聞かせ、ラヴェンデルを見た。
「……《陽光の聖女》側は基本的に決定打に欠きます。持久戦に向いていますが、もともと向こうは防衛のほうが得意なんです」
ラヴェンデルは白い眉間に皺を作った。
だが紫の唇から辛辣な反論が出てこないところを見ると、少し考えこんでいるらしかった。
「そう考えたら、こちらから攻め込むのは不利になるともいえます」
「……それゆえに、現状維持ということか?」
今度はレヴィアタンが言った。
まりあが目を向けると、玉座の《夜魔王》はやや前屈みになり、長い指を緩く組んでいた。
「だが現状維持ということは、我々にとっては緩慢な滅亡を意味する。境界は歪み、流入する《光精》の作用によって《永夜界》は蝕まれていく。それをどうするつもりだ」
レヴィアタンの蒼いほうの目が冷たくまりあを射る。
まりあは無意識に目線を下げ、唇の下に人差し指を当てて考え込んだ。
二つの世界を隔てる境界がこちら側に寄っていて歪んでいる――ということだろう。
まりあは顔を上げた。
「境界面ってどうやって決まるんですか」
「互いの合意によるか、戦力の勝っているほうが、境界を相手側に押し曲げる」
その答えが、まりあの頭に火花となって散った。
「合意……じゃあ、向こうが納得してくれたら、境界を戻すことができるってことですか?」
ラヴェンデルが、グラーフたちが驚愕する。
蒼紫の《夜魔王》だけが、色の違う両眼に好奇心をちらつかせてまりあを見ている。
「理論上は、可能だ」
「!! それって、話し合いで境界を戻してもらうことが可能ってことですよね!?」
「何度も同じことを言わせるな」
皮肉めいた答えにも、まりあの高揚は削がれなかった。
(それでいいじゃん……!!)
何も思い悩むことはない。
だが、レヴィアタンは呆れまじりの息をついた。
「お前は底抜けの愚か者か、よほど己に自信があるのかどちらだ。有利な状況にあって自分たちの領域を広げている奴らが、なぜその領域をわざわざ狭める。それも敵のために」
「や、やってみなければわからないと思います!!」
まりあは必死に食い下がった。
(アウグストたちは悪い人じゃないし、むしろいい人たちばっかりだったし!!)
話し合いの余地はまだある。
少なくともまりあにとっては、いま目の前にいるレヴィアタンたちよりもよほど馴染みのある人物たちだった。
平和のための話し合いなら、きっと応じてくれる――。
ラヴェンデルは苦り切った顔をした。
「愚弟。仮にもお前の妃がこんな寝言をほざいていてなぜ諫めない」
「いいではないですか。度を超した楽観は狂気と同じです。失敗してこいつが絶望や慟哭することがあれば、俺にとっては甘美さが増すというものでしょう」
「!? ちょ、ちょっと……っ!!」
聞き捨てならない反応をされ、まりあは思わず割り込んだ。
レヴィアタンは泰然とし、まりあが失敗することを疑わず、あたかも寛容に許してやろうとでもいうような態度だった。
その腹立たしいほど端整で涼やかな顔に向かって、まりあは闘志を燃やした。
(絶対に! 話し合いでどうにかしてやる!!)
決意して睨むも、レヴィアタンは涼しい顔を崩さない。
「それはいいとして、話し合いとやらをどこで行うつもりだ? そんなことが実現すればの話だが」
「えっ……それは、普通に……」
「《
まりあは唖然とした。とっさに言い返そうとすると、遮られた。
「お前は俺たちを虚仮にしているのか? 奴らにどれだけ苦渋を舐めさせられたと思っている」
レヴィアタンは無感動な目でまりあを見た。その表情はまりあの軽率な発言を責めていた。
「――かといって向こう側にも行かせない。わざわざ殺されに行くようなものだからな」
「な……っ、じゃあ、どっちも駄目ってことですか!? どうしろっていうんですか!!」
「それを含めて考えるべきだろうが。もともと馬鹿げたことをやろうとしてるのはお前だ。万一に備え、形勢の有利不利が生じにくい地で行うのが妥当だ。そんな場所があればの話だがな」
冷ややかに突きつけられ、まりあはレヴィアタンを睨んだ。
(ただ嫌がらせしてるだけか!?)
《天上界》も《永夜界》も駄目となれば実質不可能も同然だ。
更に腹立たしいのは、レヴィアタンの理屈に少し納得してしまうことだった。
自棄になりそうなところを寸前で堪え、まりあは口元に手をやって考えこんだ。
(《天上界》でもなく《永夜界》でもないところ……?)
そんなところあるわけがない、と怒りに集中を乱される。
自分が
ほとんどが《天上界》だったが、終盤では《永夜界》も登場した。
この異世界《ヴィヴロス》は、創世の双子神が現しているように光を象徴する《天上界》と闇を象徴する《永夜界》に二極化された世界なのだ。
対極な両者が争うように創られた世界――。
(……あれ?)
何かが引っかかった。
慌てて考えをたどり直す。
二極化した世界――光と闇――争い――戦闘。
ハルピュイアたちの姿がよぎり、まりあの脳裏に天啓が閃いた。
「――っ
突然の大声にグラーフやラヴェンデルが驚く。
まりあはレヴィアタンを見てまくしたてた。
「ここでも向こうでもない狭間の空間があるはず!! そこでいいんじゃないですか!?」
それは皮肉にも無数の戦闘をこなしてきた空間だった。
《天上界》でも《永夜界》でもない、いわゆる経験値稼ぎのためにもうけられた場所だ。
《天上界》は女神リデルと聖王に守護され、平穏と安寧に満ちた世界だった。
経験値を稼げるような戦闘――手ごろな敵との戦闘――がそこで何度も行われるというのは世界観に反するということだったのだろう。
作中では《世界の狭間》と呼ばれる空間がもうけられ、戦闘によるレベル上げはそこで行うことができた。
《世界の狭間》はゲームを一定段階まで進行していくと、メニュー画面から飛ぶことができる。
ゲーム内ではこんな説明をされていた――。
「……《天上界》と《永夜界》の狭間にあって、どちらからも迷い人が後を絶たない……」
「迷い込んだら最後。そこでは《光の眷属》も《闇の眷属》も等しく加護を受けられず、ただ己の力のみが頼りとなる」
まりあの言葉を、レヴィアタンが引き取った。
「なるほど。《光精》も《月精》も等しく弱い狭間の場所なら有利不利もない……」
まりあは何度もうなずく。これなら、と弾んだ気持ちになった。
蒼と紫の目の王は喉の奥で笑った。
「お前、自分が何を言っているかわかっているか? 《狭間》は確かに平等だが、どちらにとっても不利な場所という意味でしかない」
まりあは眉をひそめたが、ラヴェンデルの苦い声に振り向いた。
「《世界の狭間》は月精がない。戦闘になれば回復の術がない我々のほうがより危険を負う。そんなところに、話し合いとやらのために行くだと? お前は自殺願望でもあるのか?」
「い、いやそんなんじゃなくて、ですね……!!」
自分にとっては単に経験値稼ぎの場所でしかなかったが、ゲーム内の
「この世界の生い立ちや赤子でも知っているような道理を知らぬかと思えば、《世界の狭間》のことは知っている、か――」
レヴィアタンが言った。夜の蒼と妖花を思わせる紫がまりあを捉える。
「お前は何者だ?」
突然だった。
その言葉は、ふいに体の中心を叩くような衝撃をまりあに与えた。
《闇月の乙女》という設定を突き抜け、その奥――昏木まりあを視られたような錯覚。
《夜魔王》の目が見ている。
まりあはかっと頬を赤くし、とっさに顔を隠そうと手で庇った。
取り繕えなかった。
だが、うんざりしたようなラヴェンデルの声がまりあを救った。
「戯れている場合か! もっと真剣に――」
「まあ一概に戯れ言とも言えませんよ、姉上。刻印がありますから、《世界の狭間》に行っても必ず呼び戻せます。逆に敵にはありませんから、その点では優位に立っています」
「それだけでは不確かだし、危険性のわりに見返りが少ないではないか……!!」
姉弟の会話が交わされる間に、まりあは少し落ち着きを取り戻す。
手の下ではまだ頬が熱かった。
沈黙を守っていた山羊頭の《闇の眷属》が、おずおずと口を開いた。
「王よ、口を挟むことをお許しください。仮にいまのお話通りにことを運ぶことになったとして敵は乗ってくるでしょうか? まして《世界の狭間》を舞台に選ぶとなると……」
「普通なら歯牙にもかけんだろうな。だがそこの闇月はそれでもと言っているようだ」
レヴィアタンが皮肉るような一瞥を投げてきて、まりあはむかっとした。
(ことをややこしくしてるのはあんたでしょうがー!!)
心の中で怒りの叫びをあげたとき、突然、レヴィアタンが鋭い眼光を帯びた。
まりあはぎくりとする。
一瞬遅れてラヴェンデルもまた顔を険しくし、周囲を警戒するように見る。
唐突な反応にまりあが戸惑うと、レヴィアタンは頭上に目を向け、何かを払うように右手を軽く振った。頭上に半透明の映像が現れる。
まりあははっとした。
――《魔公爵》たちの封じられていた場所を次々と映したときと同じく、どこかが映し出されている。
その風景は、上下に大きく揺れていた。
動いている。
それから大きな布を打ち鳴らすような音――羽ばたきの音が聞こえた。
空を飛んでいる何かの視界のようだった。
「また奴らか?」
頭上の光景を睨みながら、ラヴェンデルが言う。
「そうでもない――」
レヴィアタンは短く答え、何かの視界を眺めた。
(え、《天上界》からまた誰か来たってこと!?)
まりあだけが、レヴィアタンたちと頭上の風景とを忙しなく見比べる。
左手にほのかな重みを感じて、はっと目を落とす。
黒の手甲と指輪が妖しい赤の光を放っていた。
――自分を使え、と訴えかけてくるようだった。
まりあはなだめるように右手で覆いながら、顔を上げる。
映し出される風景の中に、やがて答えが現れた。
深い蒼の夜に、星よりもまばゆい、白い炎を思わせる輝きが現れる。
近づくにつれ、その輪郭が露わになった。
(鳥……!?)
夜の世界に不釣り合いな強い光は、翼を広げた鳥の形をしていた。
見える限り、他に仲間はいないようだった。
その背に誰かを乗せている様子でもない。
風景が激しく振動した。
甲高い獣の声が響く。視点の主が威嚇しているらしかった。
「良い、通せ」
レヴィアタンが短く命じると、離れたところにいるはずの獣はぴたりと沈黙した。
激しい揺れはおさまり、ただ白い鳥を映している。
近づいて併走しているのか、映像はより大きくはっきりと見えた。
輝く鳥の向かう先には、漆黒の巨城があった。
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