Chap4-6
(な、んで――)
目の前で起こった事態に、まりあの頭はついていけなかった。
なぜ、どこで間違えたのか。
一瞬自分がすべてに置き去りにされているように感じた。
セーブもロードも選択肢もない不可逆の世界で、《闇月の乙女》という設定に振り回されている。
だがその設定さえはぎ取られたら、昏木まりあにはなんの特別な力もないと思い知らされる。
(……なんで……)
何のために自分はここにいるのか。
本来の《
「他の奴らを起こしにいくぞ。まだ寝ぼけている連中も多いからな」
『御意――』
ゼクスと呼ばれた煙が、風に吹き流されるようにレヴィアタンに吸い寄せられていく。
レヴィアタンは身を翻した。
もうまりあを一瞥すらしない。ただ戦いに向け、自分の目的のために淡々と行動している。
(待って……)
まりあはその背に向け、声をかけようとする。
だが《闇の眷属》たちに囲まれた《夜魔王》の姿は遠く、威圧感を放ち、半端な力では引き止めることさえできないと伝えてくる。
――足を止めさせたところで、何度同じことを訴えても翻意させることはできそうになかった。
どうしたらいいのか、なぜわかってもらえないのか。
もどかしくいっそすべてを投げ出して、叫びたくなる。
「構うことはありません」
ふいに、アレスが言った。
まりあは顔を上げる。抱きよせられたまま、すぐ側に端整な青年の顔があって、その褐色の頬のなめらかさまで鮮やかに見えて狼狽した。
「《光の眷属》であろうが、《夜魔王》たちであろうが関係ありません。すべて拒んでいいのです。あなたの意にそぐわぬものなど捨ててしまえばいい。私はずっとあなたの側におります」
まりあは息を呑んだ。
そして心を見透かされたような言葉に頬が熱くなる。
だがアレスは胸が苦しくなるほど真摯で、決して皮肉や軽蔑で発した言葉ではないとわかった。
そのあまりのひたむきさに、その瞳の真っ直ぐさに、まりあは一瞬くらっとした。
「あ、ありがとうございます……」
そう言うのが、精一杯だった。
アレスの言葉は胸に甘く温かく響く――だが一方で、頭の芯をすっと冷たくした。
「私、拒んでるわけじゃ……」
彼には、すべてを拒んでいるように見えるのだろうか。
意にそぐわないからと拒絶しているように見えるのだろうか。
そんなつもりなどなかったのに、アレスにはそう見えていたのか――。
まりあは自分の行動を振り返った。
すべて、ただアウグストたちと戦いたくない、傷つけたくないという一心で、レヴィアタンたちのこともそんなに蔑ろにした覚えはない。
アウグストのためなら《闇の眷属》を傷つけていいなどとは思っていない。
(でも……そっか。私、いやだとしか言ってないんだ)
レヴィアタンを助け出したのもラヴェンデルに強く言われて自分にも必要だったからだし、戦うこと、妃になることに関してはすべて拒否した。
到底受け入れられないものだったからだ。
だがこうした自分の言動を受け入れられないのは、相手にとっても同じことなのだ。
レヴィアタンが言った通りだった。
それに、何もかもいやと反発しては周りとやっていけない――そんなことは、大人になってから十分に理解していたはずなのに。
何かを通したいなら、他の部分で譲歩しなければならない。
(……譲れない、のは)
アウグストたちと戦うことは絶対に回避する。
そこは決して譲れない。
なら、それ以外で何かを諦めて、受け入れなければならない。
《闇の眷属》全体に攻撃を思い留まらせるため――とくに、王たるレヴィアタンに留まらせるために。
まりあは強く唇を引き結び、息を止めて全身から力を奮い起こした。
「……ありがとです、アレスさん」
そっとつぶやき、アレスの体を優しく押し返した。
そして、黒馬にまたがった《夜魔王》を睨む。
「待って!! 話があります!!」
レヴィアタンは馬の手綱を握ったまま、顔だけをまりあに向けた。
長々と話を聞くつもりなどないとその全てが示している。
無言で続きを促され、まりあは手を握った。
無感動な蒼と紫の双眼を睨んで、息を吸った。
「私――レヴィアタンさんの、妃になります!!」
叩きつけるように叫んだ。
その直後の《夜魔王》の顔はちょっとした見物だった。
完全に不意を衝かれて無防備に驚いた顔。
まりあは一瞬胸の空く思いがした。
だが後ろから腕をつかまれた。
振り向くと、紅い目を大きく揺らすアレスがいた。
「何を仰るのですか……!!」
まりあは口を開きかけたが、蹄の音が近づいてきて顔を戻した。
黒馬に騎乗した《夜魔王》がゆっくりと近づく。
その面には、好戦的な微笑が浮かんでいた。
「なぜ心変わりをした?」
「――権利のために義務を果たせと言うのはもっともです。でも、できることとできないことがあります。私にできるのは、戦いを避けて《闇の眷属》を護る努力と、あなたの妃になることぐらいです!」
馬上にあることで余計に目線が高い《夜魔王》を見上げ、強く訴える。
「戦って相手を全滅させる方法は絶対にだめです。それ以外の方法でなんとかします。――だから、私の言うこと聞いてください!」
「なるほど。
「寝ぼけてないし、贄でもないです!!」
まりあは勢いだけで言い返した。
――贄。
漠然としていた考えを真正面から指摘されて少し怯む。
だが、もう言葉を引っ込めることはできない。
(それぐらい何だ!! 大したことじゃないじゃん!!)
贄などというが、まさか頭からばりばりと食べられたりするわけではないだろう――。
(……た、食べられたりしないよね?)
いまさら一抹の不安が胸に差した。
妃の役目とは何か、具体的に聞いてからのほうがよかったのではないかと、隅においやられていた理性がささやく。
「よかろう。いまからお前は俺の妃だ」
《夜魔王》は喉の奥で笑い、至極あっさりと承諾した。
そして馬から少し身を乗り出したかと思うと、右腕でまりあの身をさらった。
「ちょ……っ!?」
「一度帰るぞ」
まりあを持ち上げて体の前で横抱きにし、馬をそのまま繰る。まりあは落ちそうになって慌ててレヴィアタンの胸元をつかんだ。
「お、下ろしてください!! 自分の馬で帰ります!」
「ではその手を離して自分で飛び降りるがいい」
「――!!」
うぐ、とまりあは黙った。
胸をつかんでいた手を離し、本当に飛び降りてやろうとする。
だがレヴィアタンの馬はとくに大きく、アレスなしに飛び降りるには地面までが高すぎた。
それを見透かしたようにレヴィアタンがいっそう抱き寄せてきて、まりあの喉は奇声を発した。
(こ、この男は――!!)
生来の悲しき運動神経と日頃の運動不足で、飛び降りる力も勇気もない自分が悔しかった。
ふいに、手足と胴に軽い衝撃があった。
目をやると、夜のように輝く鎧が身を包んでいる。
「アレスさん……?」
青年の姿は既にない。
だがいままでまったく重さを感じさせなかったアレスの鎧が、いまは少し重たく、きつかった。
レヴィアタンに密着する体を隔てる。
「やかましい道具だな」
《夜魔王》はまりあの身を包む鎧を冷めた目で見下ろした。
まりあは目を丸くし、レヴィアタンと自分の鎧とに視線を右往左往させる。
だがレヴィアタンの馬が上体を振り上げたかと思うと一気に空を駆け上りはじめた。
まりあは一瞬慌てたが鎧のおかげなのかすぐに体勢を立て直し、レヴィアタンにしがみつかずに済んだ。
にも拘わらずレヴィアタンの片腕はなおも体を抱き寄せたままで、だがいまそれを振り払うことは難しかった。
(う、ううう……!!)
強引な行動とは裏腹に手は慣れていて乱暴さはなく、何か抗いがたいものがあった。
抗いがたい――心地よさのようなもの、とは断じて認めたくない感覚だった。
《夜魔王》とその新たな妃を乗せて黒馬は夜を疾走する。
その後を、《闇の眷属》たちが追っていった。
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