Chap4-4


 まりあは顔の熱を必死に冷まして、顔を上げた。

 そして目を丸くする青年に向かって、心から言った。


「ありがとう、ございます」


 アレスは艶やかな睫毛を瞬かせた。

 どうして礼を言われるのかわからない、というような顔だった。


 それが、彼は本当になんのわだかまりもなく自分に優しくしてくれているのだと裏付けるようで、まりあは唇を綻ばせた。


 アレスも優しい微笑を浮かべた。


「礼には及びませんが、少しでもあなたの役に立てたならよかったです。ですが、休息はしっかりとってください」


 はい、とまりあは素直にうなずいた。


 それからふと思い出して、袖の中をあさった。

 ころんと出てきたものを掌に乗せる。


 それは小さな、美しい紙の包みたちだった。

 色も形も様々で、薄紫で淡い星のような光が散りばめられた丸い包みや、藍色と紅の濃淡をなす三角の包みなど色味は妖艶だが形が可愛らしい。

 丸くねじられた包みの両端を引っ張って開けると、中に紫の宝石を思わせる球体があった。


 アレスが不思議そうに見つめた。


「それは?」

「ラヴェンデルさんがくれたんです」


 これをもらったときのことを思い出し、まりあは小さく噴き出した。


『もう疲れただと!? なんと貧弱な! しっかりしろ、集中しなおせ!! 怠惰は愚弟だけで十分だ!! ――ええい、これでも食らえ!!』


 疲労と眠気で限界を迎えつつあったまりあを見て、ラヴェンデルは怒りながら、レースの袖を振った。

 するとその広い袖の中から宝石のような菓子が降り注いだのだった。

 ――いったいどこにこんな大量の菓子を隠し持っていたのかという驚きと、厳しい言葉とは真逆の、菓子を与えるという行動への驚きで、疲れは一時吹き飛んだ。


 それに、ラヴェンデルは意外にも途中で投げ出したりしなかった。

 怒ってはいても、むしろ魔法に対してまったく素人である自分相手に、よく根気強く接してくれていると思う。


「アレスさんも、お一つどうですか」

「……私は結構です」


 アレスは穏やかに言った。

 まりあはうなずいて、窓辺に座った。

 足元がふわふわして、アレスと顔を合わせるのが少し恥ずかしかった。


 薄紫の飴を一つ口に入れてみた。

 包み紙もそのまま捨ててしまうのが勿体ないほど美しい。

 品の良い甘さと心地良い冷たさが舌に広がる。

 それが疲れを癒やし、頭も解してくれるようだった。


(……アウグストとの休戦の約束、いつまで有効なんだろ)


 ぼんやりとそんな考えが浮かんだ。

 とにかくあの場を切り抜けるのに必死で、具体的にいつまで、ということまで確認していなかった。

 ゲームに出てきた本来の《光滴の杯》イベントを思い返してみても、期限に関することは出てこなかった。

 ――だが、永久なんてものではなかったのは確かだった。


(いきなり休戦終わり、なんてことになったらすごく困る)


 一番まずいのは、そのときに自分が何の対策も持っていないということだ。

 最低でも、《闇の眷属》たちを説得するなどして先走らないようにしておく必要がある。

 この《永夜界》、そして《闇の眷属》たちの王はレヴィアタンだ。《闇の眷属》たちを抑えるにはたぶんレヴィアタンを説得するのが一番いい。


 だがそうわかっていても、まりあは王の間を再訪できずにいた。


 レヴィアタンは一見すると思ったより話し合いができそうな相手だった。

 だが声を荒らげずとも、力を振るわずとも、あの色の違う目や低い声で叱咤されるとすくんでしまう。

 暴力を振るわぬ分、余計に手強い相手だった。


(……ゲームの世界なら、もうちょっと優しくてもいいのにな~……)


 大人げなくそんなふうにぐずついていた。

 ――とはいえ、アレスだけは間違いなく自分によくしてくれるので、希望がないわけではない。


 溜息をついて窓の外をぼんやりと眺める。

《永夜界》はその名が示すとおり、一日のすべてが夜だ。

 時間の経過によって明暗の変化こそあるものの、空が白むということはない。

《陽光の聖女》たちがいる《天上界》が一日中明るさに満たされているのとはちょうど真逆だ。


 いま、まりあが眺めている空もやはり夜だった。

 だが記憶の中にある《永夜界》の空より明るく、夜空が透き通るような青さを帯びていたから、昼に相当する時間のように思った。


 その明るい夜の中を、ふいに暗黒の流星が過ぎっていった。


(何……?)


 まりあは目をこすって、黒い流星を凝視した。

 青い夜空の向こう側へ、その暗黒の弧は瞬く間に遠ざかってゆく。


 この『太陽と月の乙女』の世界において、どんな色の彗星があろうと別に不思議なことではない。

 ここはまったくの異世界であり、魔法も異形も存在するのだ。


 再び夜空の中で動くものがあった。

 今度は夜の遥か高いところから、星の欠片が降るかのように小さな白い点が落下してくる。

 その先は、黒い彗星の進む先と重なる――。


 とたん、まりあは胸騒ぎを覚えた。


 あの小さな白光は、アウグストたちが降りてきたときの光に似ているのではないか。


(そんなはずは……!)


 ――アウグストが休戦の約束を破るなどとは思えない。あの光は彼ではない。

 だが聖王たるアウグストの命に違反して侵入してきた誰か、という可能性はないか。


 そしてそれを、《夜魔王》たるレヴィアタンは察知しているのか。


「《闇月の乙女》――?」


 アレスの怪訝そうな声に答えず、まりあは部屋を飛び出す。

 レヴィアタンがいるはずの王の間を目指した。


 道順をうろ覚えなせいで少し迷いながら、重厚な両開きの扉にたどりつく。

 扉を思い切り両手で押す。だが開かない。

 まりあは拳で扉をたたき、声を張りあげた。


「レヴィアタンさん! そこにいますか!? 話があります!!」


 いつの間にかついてきたアレスが、開かぬ扉に顔をしかめる。

 まりあが再び声をかけようとすると、冷たく分厚い石の扉はゆっくりと内側に向かって開いていった。

 その中に飛び込む。玉座には人がいた。


「レヴィア――」


 反射的にまりあはそう呼びかけた。

 だが玉座にいたのは長身に異色の双眼を持つ王ではなく、もっと小柄な、紫の双眸に、抜けるような白い肌をした少女だった。

 ラヴェンデルは驚くまりあの顔を見、顔をしかめた。


「何をしているのだ、闇月。あやつはもう行ったぞ。さっさと追え」

「行った!? どこに!? 何があったんですか!? 休戦はまだ解かれてないですよね!?」


 小さな王姉は怪訝そうな顔をして答えた。


「西のメテオア遺跡だ。追いかけるなら早くしろ」


 そう聞いたとたん、まりあの脳内に火花が散った。

 あの黒い流星はレヴィアタンだったのだ。

 そして先日、玉座の頭上に展開されていた風景――まるで映画のように映し出されていたそれ。


 青い色調で統一されたかのような、山を背にした青の湖、荒涼とした紫色の砂漠、朽ちた列柱が並び、かつて城が存在したことを思わせる廃墟、背の高い草が生い茂る向こうに岩山と洞穴……。


 レヴィアタンたちが見ていたその風景の意味を、突然理解した。


(――魔公爵たちの封じられた場所!!)


 まりあがかつて《陽光の聖女プレイヤー》として、《夜魔王》の重臣であり強大な力を持つ魔公爵たちを封じた場所だった。


 まりあが解放した《夜魔王》とその側近は、その封印地点の風景を見ていた。

 そして《陽光の聖女》側と思われる光と、レヴィアタンたちは同じ場所に集まろうとしている。


 まりあは青ざめた。


「――っ追いかけます! 馬を貸してください!!」


 ラヴェンデルの答えを待たずに玉座の間を飛び出し、走る。

 激しい動悸がして耳の奥で脈動の音が聞こえた。


(バカ! バカ!! なんでもっと早くに気づかなかったの……っ!!)


 まりあは自分の鈍さを呪い、何も教えなかった《夜魔王》に怒った。

 休戦――その間、レヴィアタンたちがなどと思い込んでいた。


『お前は俺たちの月。お前が俺を目覚めさせたのは反撃のため、今度こそ完全なる勝利をおさめるためだ。それがたとえお前の意図とは違っても、もはやそうする以外に道はない』


 冷厳な声が脳裏に蘇り、まりあは奥歯を噛んだ。屋上へと駆け上る。

 屋上には既に一体の黒馬が待機していた。

 美々しい鞍も装着し、主を待って手綱が垂れている。


 ほとんど足音を立てずについてきていたアレスが、ふいに姿を消した。

 顔を向ける間もなく、腕に、足に、胴に、胸に、夜のような艶を放つ鎧が現れてまりあを包んだ。


 まりあは馬の背に飛び乗った。

 とたん、空駆ける黒馬は一度上体を振り上げ、天を駆け上っていく。

 手綱を握って振り落とされぬようにしながら、まりあは空を見渡した。


(西の、メテオア遺跡……!!)


 その思考を察してか、黒馬は迷うこともく西へ走り出した。

 風のように走る。

 だがそれでもまりあには遅く感じられ、早く、早くと焦りに苛まれた。


 眼下で流れてゆく風景を見る間もなく、やがて大きな爆発音が空気を震わせた。

 覆うもののないまりあの頬や首にかすかな振動を伝える。


 次の瞬間、前方に光の柱が立ち上る。

 しかしそれを紫の稲妻と黒い柱が塗りつぶした。

 黒い柱のほうがずっと巨大で、光のすべてを飲み込む。


 まりあはぎゅっと胃が引き絞られるような感覚に襲われた。

 黒馬は轟音の源へ向かい、黒い柱の根元へ降下していく。


 地上の光景が、まりあの目に飛び込んだ。


 それは青い平原の中にある、朽ちた神殿跡のように見えた。

 列柱は半ばから折れ、互いに寄りかかり合い、屋根は既になく、床も崩れて草に覆われている。

 その廃墟を背にして白く輝く騎士たちが剣を構えていた。


 先頭の青年に見覚えがあった。


(ヴァレンティア……!!)


 輝く剣を構え、鉄の鎧に身を包み、大きく三つ編みにされた金色の髪が背に流れている。

 繊細さを感じさせる美貌は険しく歪み、エメラルドの双眼は周囲の光のせいか色濃く沈んでいた。


 ヴァレンティアの背後には負傷したらしい騎士たちが控え、互いを庇い合っている。

 ヴァレンティアもまた、鎧にはいくつも傷とひびがあり、腕や足にも傷を負っていた。

 翡翠の双眸が睨む先に、黒の集団がいた。


 半身は獣、もう半身は人間といったような異形の他に二足歩行する大型の獣といった異形もいた。


 その先頭に、夜の衣をまとったかのような長身の男の姿があった。

 背後の異形に比べるとただの人間にすぎず、だが背に率いる異形の何よりも大きく見えた。


 ――否。男は徒人ではなくなっていた。

 頭部に、それまでなかったはずの一対の角が生えている。

 雄々しく精悍で、象牙のような滑らかな色に、優雅な湾曲と威圧的で鋭い先端――。


 まりあは内臓が強ばるような緊張に襲われた。

《夜魔王》の象徴たる角を取り戻している――それはレヴィアタンが力を取り戻していることを意味していた。

 螺旋牢に封印するときには消えていたものだった。


 どちらが優勢かは火を見るより明らかだった。

 まりあの目に映る光景は、まるで物語の中の魔王と勇者そのものだった。


「――行け! 私が殿を務める……!!」


 ヴァレンティアが背の仲間に叫ぶ。

《夜魔王》を睨んだまま一歩も引かず、剣を構えた手に力をこめる。


《夜魔王》レヴィアタンは無傷だった。

 その右手を無造作に持ち上げる。掌から、妖艶な紫の光が弾ける。


 まりあはひゅっと息を詰まらせ、だが同時に手綱を離していた。

 右手に、冷たく硬質な感触を感じていた。


 レヴィアタンの手から黒と紫の雷が放たれる。


 浮遊感、落ちる空、まりあの視界は急速に迫る土と草に埋め尽くされる――。


 轟音と衝撃。


 束の間、まりあの視界は完全な闇に閉ざされた。

 だが目を開けると舞い上がった土と草が降り、夜の世界が見えた。


 左手には大地の感触。左膝を土について右足を立てている。

 右手には漆黒の剣を持ち、地に突き立てている。


 その剣に裂かれて、《夜魔王》の力の名残である黒の霧と雷の残光がまりあの横を流れていった。


 ヴァレンティアが息を呑む音が聞こえる。


(間に、合った……)


 崩れ落ちてしまいそうなほどの安堵が全身を巡った。


「――何の真似だ」

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