Chap3-7


 まりあはアレスやラヴェンデルたちと共に屋上へ向かった。

 パラディスの屋上へ出ると冷涼で甘い夜風が吹き抜け、頭上には満天の星空が広がった。


 その星の下、夜の城の頂に《夜魔王》は立っていた。


 はっと目を惹くほどの長身、広い背中に重厚な色の裾の長い衣装を身に纏っていた。

《夜魔王》はゆっくりと右腕を持ち上げ、水平に伸ばす。大きな手を開く。

 とたん、青と紫に輝く巨大な魔法陣が飛び出した。


 二色に輝く光は何重にも円と六芒星と古代文字を描き、どこからともなく砂粒のような銀の光が吸い寄せられてくる。

 銀光を貪欲に吸い込み、魔法陣は胎動するように輝きを増していった。


 そして周囲の光を吸い尽くしたあと、空高く舞い上がった。

 パラディスの真上で滞空する。

 次の瞬間、妖しく紫に輝く雷を無数に放出した。

 雷は城を覆うように何度も降り注ぐ。


 やがてそれが止むと、パラディスを薄紫の膜が覆った。


「こんなものか」


 艶めかしく、通りのよい低音が響く。

《夜魔王》は振り向き、呆然とするまりあと目を合わせた。

 その唇が不敵に微笑する。


「――ようやく会えたな、《闇月の乙女》」


 闇に棲む者たちの長、紫と蒼の異色の双眼を持つ王は言った。

 たったいま行使した力の名残なのか、紫を宿す右眼が妖しく輝き揺らめいている。

 その輝きはまりあの視線を抗いがたく引きつけ、絡め取る。


 まりあが言葉を返せずにいると、《夜魔王》レヴィアタンは周囲を見回した。


「手間をかけた。少々寝過ごしたか」

「――無事のご帰還、なによりと存じます。我らが王よ」


 グラーフと《闇の眷属》たちが跪き、頭を垂れる。

 声には抑えきれぬ歓喜と感嘆が滲んでいた。


「この埋め合わせはする。――姉上もお元気そうで何よりです」

「お元気そうで、ではないわバカ者め。お前が呑気に寝ている間、私がどれだけ苦労したと……!!」

「まあ、いいではないですか。姉上もたまには俺の代わりに面倒ごとを引き受けてください」

「雑用のように言うでない!! この期に及んでもお前は悠長すぎる……!!」


 ラヴェンデルは高い声で噛みつく。

 外見上は年齢も身長もほとんど倍近く違う相手に咆える様子は、不思議な光景だった。

 一方のレヴィアタンはまったく堪えた様子がない。

 まりあは意外に思った。


(……レヴィアタンってお姉ちゃんに対してこういう感じなんだ)


 もっと傲慢で居丈高な感じかと思っていたが、意外に違うらしい。

 ちょっと可愛いかもしれない――と思ったが、すぐに寝台で狼藉をはたらかれたことを思い出して考え直した。


 レヴィアタンは悠然と歩いて距離を詰める。

 側まで来るとその長身のみならず存在感の大きさをまざまざと感じ、まりあは息を呑んだ。


 背はアレスとほぼ同じぐらいだろう。

 まりあが見上げると、蒼と紫の眼を持つ王はふっと微笑した。

 少し挑発的で、大いに蠱惑的な笑みだった。

 その手が持ち上がり、ごく自然にまりあの顎に触れた。


 頭を垂れた花の香りを嗅ごうとするかのように、顎を持ち上げて顔を近づける――。


「死ね」


 内臓に響くような低音と鋭い金属音に、まりあは目を見開いた。

 顎に触れていた手が消え、黒い裙が翻る。

 レヴィアタンは数歩後退していた。


 まりあの前に、アレスの背中があった。


「――私の女神に触るな」


 アレスはその両手に漆黒の長剣を構えていた。

 長大な刃の鋭利なきらめきがまりあの目を射る。


 レヴィアタンは一度瞬きをしたかと思うと、その唇に冷たい笑みを浮かべた。


「お前の? いつから武具ごときが《闇月の乙女》を所有できるようになった」

「――女神は私だけのものだ。創世のときからずっと」

「好きに喚け。だがは俺のものだ。お前が《闇月の乙女》の所有物ならそれに従え」

「……私から女神を奪おうとするなら、王であろうと斬る」


 アレスの声が戦意を帯び、剣を構え直すのが見えてまりあは慌てた。


「ちょ、ちょっと待ってアレスさん!! 落ち着いて!! 斬るのはだめ!!」

「――許してください、我が女神。この男は私からあなたを奪おうとしている……」

「い、いやいやそんなことないです!! 誤解だから!!」


 まりあは必死に言い募る。

 ――とんでもない美形二人から奪われるという状況は身悶えしてしまう状況だが、この険悪さは喜ぶどころではなかった。


 アレスはまりあを振り向き、苦しげな顔をした。


「誤解? ではあなたはこの男を許すというのですか? あなたに、不当に触れようとしたことを?」


 明らかに不服を表す口調だった。

 まりあは言葉に詰まり、動揺した。

 ――不当に触れようとしたこと。

 あまりに自然で手慣れていたから、顎を持ち上げられてレヴィアタンが顔を近づけてくることに反応できなかった。


 だが、いま考えてみれば――レヴィアタンはまたも狼藉をはたらこうとしていたのではないか。


 見知らぬ人間に、いきなり唇を重ねてくるというような……。


(う、うわああああああ!!)


 衝撃と羞恥が遅れてきた。

 アレスが間に入ってくれなければ危うく大惨事になっていたかもしれない。

 抵抗できなかった自分が信じられなかった。


(い、いやいやそんなことは……いくらなんでも!! きっと勘違い……!!)


 今度は相手も寝ぼけていない。、いくらなんでもそんな狼藉はしないだろう。

 自分の勘違い、思い込みかもしれない。

 ただの悪ふざけに違いない。

 まりあのなけなしの理性がそうささやく。


「ふ、不当に触るのはよくない……っ!! ですけど!! 暴力もよくないので!! 剣をおさめてください!!」

「……あなたがそれを望むなら」


 アレスは不満の響きを隠さず、だがまりあの言葉を聞き入れて、手にしていた長剣を闇の粒子にして消した。


「ずいぶん使い勝手の悪そうな剣だな。ちゃんと躾けておけ」

「な……っ! そもそもあなたが変な……い、いやがらせみたいなことしようとするから……っ」

「いやがらせ? 俺のものに触れようとすることの何がいけない」


 からかうでもなくただ訝しげに言われ、まりあは一瞬絶句した。


「な、なん……っ、俺のものじゃないです!!」

「俺のものだ。お前は《闇月の乙女》で、俺たちの月であると同時に王の妃だろう」


 まりあはぴたっと動きを止めた。さも当然と言わんばかりの口調だった。


(……は?)


 妃。


 王の。

 その単語の意味をたっぷり数秒考え、だがどうあっても他に意味を見出せず、驚愕した。


(し……知らないぞそんな設定!?)


《夜魔王》の妃とか、それが《闇月の乙女》であるなどという設定はゲーム本編で一度も出てこなかった。

 そもそも、《闇月の乙女》などという存在がそれまで出てこなかった――。


 だがそこではたと気づく。


 ――この『太陽と月の乙女』はどうやら光と闇の勢力が常に対比されるようにできている。《陽光の聖女》がいれば《闇月の乙女》がいる、といったように。


 形式上とはいえ、《聖王》の第一の妃が《陽光の聖女》という制度があった。


 となると、《聖王》の対極が《夜魔王》であり、《陽光の聖女》の対は《闇月の乙女》という構造からして、《夜魔王》の妃が《闇月の乙女》であるという制度があってもおかしくない。


(……って、納得してどうする!?)


 自分の頭に浮かんだ推測に自分で混乱するまりあの横で、アレスが顔をしかめた。


「……ただの、習わしです。何の意味もない」

「《闇月の乙女》の所有物になるという習わしに従い続けているお前が何を言う」


 吐き捨てたアレスに、レヴィアタンは即座に切り返す。


「ともかく、俺が動けん間に光の凶徒どもを追い払ったのは見事だった。かつてない奇抜な手段を用いたらしいな。さすが俺たちの待ち望んだ月だ」


《夜魔王》はまりあ本人の反応など気にした様子もなく、満足げにうなずく。


「俺が完全に力を取り戻すにはもう少しかかるが、その間に他の準備をしておけばいい」


 まりあはふいに意識を引き戻され、瞬いた。


「……準備?」

「戦の準備だ。まだ囚われている者も多い。それも解放してやらねばならん」


 レヴィアタンは不敵に笑い、晴れやかな声で言う。

 まりあがその意味を理解するまでわずかに間が空いた。


「い、戦って! だめです!! せっかくなんとか休戦してもらったのに――」

「ああ、お前一人で休戦まで持ち込んだのは見事だ。時間を稼いだのだろう? 俺は動けるようになったし、奴らには心ゆくまで報復してやる。お前も思うさま力をふるいたいだろう」

「そんなこと望んでないです!! やめてください! 報復とか要らない!!」


 まりあが必死に否定すると、異眼の《夜魔王》は眉根を寄せた。


「どういうことだ?」

「た、戦いは駄目です! そんなことする必要、全然ないし……! なにかあっても、できるかぎり話し合いでなんとかするんです!!」


 まりあが言うと、ラヴェンデルやグラーフが、そしてアレスさえもが驚いたような顔をした。

 蒼と紫の王は瞬く。


「寝ぼけているのか、闇月。目は開いているようだが」

「寝ぼけてません!」

「では気でも触れたか。笑えぬ戯れ事はよせ」


 レヴィアタンは冷徹に一蹴する。

 低く胸に響く声にはそれだけで力があった。 

 まりあは自分を奮い立たせ、食い下がった。


「あの、アウグストは悪い人じゃないんです! むしろ戦いを好まないし、人の話を聞こうとしてくれますから……! いまはちょっと、すれ違いというか誤解があるだけで……」


 舌をもつれさせながら説明する。レヴィアタンたちはすぐには否定しなかった。聞いてくれたものとまりあは一瞬錯覚した。


 ――だがレヴィアタンの目が細くなり、冷ややかに見下ろした。


「本当に正気を失ったか? 我ら《闇の眷属》と《光の眷属》とは決して相容れぬ定め。創世のころからの変わらぬ真理だ」

「――っそんなの……!」

「奴らを殲滅し、我らの夜が世界のすべてを覆わぬ限り真の平和も安寧もない」


 レヴィアタンは強固に言う。疑う余地のない、真理を語る者のような声だった。

 まりあの脳裏に、『太陽と月の乙女』の設定がよぎった。


 光と闇。二つの相反する種族。永い戦いを続けてきた彼ら。

 よくある話、よくある世界観だと思っていた。ゲームをやっているときは気にも留めなかった。


「――そうしなければ、奴らが俺たちを滅ぼす。この大いなる夜を払い、《闇の眷属》を一人残らず消し去ろうとする」


 まりあは息を呑んだ。横頬を張り飛ばされたような衝撃だった。

 レヴィアタンの言葉は事実だった。


 ――聖女陣営プレイヤーはどの結末であっても必ず敵を全滅させていた。

 それは望むエンディングのためのただの通過点、条件にすぎなかった。


「しっかりしろ、《闇月の乙女》。お前は我らの月、《闇の眷属》を照らす標だ。お前が照らす者たちすべてを導くのが定めだ」

「――っ知らない!! 私は《闇月の乙女》なんかじゃない!」


 まりあは叫んだ。その叫びに自分自身が驚く。

 だが、爆発した感情は消せなかった。


 ――《闇月の乙女》などというキャラクターは知らない。


 なのにお前はいきなりそんな人物だとされて、役目を求められ叱咤されて、愛着のあったアウグストたちと戦えなどと言われる。

 そんなものを受け入れられるわけがない。

 自分の足元に目を落としながらまくしたてる。


「わ、私は別にアウグストたちが嫌いとかじゃないし、戦ってどうこうしたいとか思わない! 世界がどうとか言われてもわからないし……っ」


 様々な感情が入り乱れてうまく言葉にならない。

 ただ、自分を押し流そうとする何かに抗いたかった。


 他に声を発する者はなく、耳に痛いほどの沈黙が生じた。

 ラヴェンデルの、アレスの、グラーフたちの視線を感じた。


「……なら、なぜおれを解放した?」


 まりあは顔を跳ね上げた。

《夜魔王》は色の違う目を共に冷たく光らせ、まりあを睥睨していた。


「俺を助けるということ自体、奴らへの反撃の意思に他ならない」

「そ、れは……っそうしないと私が死ぬしみんなが困るって……ラヴェンデルさんに教えられて!」


 まりあは思わずラヴェンデルを見た。

 だが小柄な王姉もまた、弟と同じような目でまりあを見ていた。理解に苦しむと言わんばかりの顔。


 まりあの頬は熱くなった。これでは責任をなすりつけようとしているかのようだ。


「奴らを根絶しない限り、結果は変わらん。戦う気がないなどというのは我らの滅亡、自殺を望むも同じ。そうであればおれを解放したりせず、ただ死を待っていればよかっただろうが」


 吐き捨てるレヴィアタンに、まりあは言葉を失った。

 ――頭のどこかで、こうなることは予想できたはずだという声がした。


《夜魔王》を解放するということ。

 ――世界の敵と言われた、戦の火種を放ったも同然だった。


 これは夢、これはただのゲーム。そう考えてなし崩しにしたことの結果だった。


「私は……、死にたくないし、戦いたくもないんです!!」


 ただ感情のままにそう叫ぶ。


「……目を開けることも閉じることもいやということか。お前は一体、何がしたい」


《夜魔王》の言葉は、まりあの胸を穿つ。


「俺たちでさえお前の考えを理解できんというのに、お前の姿勢や行動を敵が理解して応じてくれるとでも思うのか。ただ話し合う? 誰がそんな戯言を信じる。たとえ話し合ったとしてどう解決する」

「……それは……」


 まりあは言い淀んだ。

 ――アウグストの態度。

 温厚で名君とされる彼にさえ、普通の話し合いはほとんど不可能だった。


「……でも……っ!」


 まりあは抗う。

 戦って相手を滅ぼすなどということは、とうてい受け入れられない。

 知らず、味方を求めて周囲を見回した。


 ラヴェンデル――弟に同意するというように、黙り込んでまりあを見つめている。

 グラーフ――沈黙し、眠たげな表情からは何も読み取れない。人の言葉を解さぬ無垢な獣といわんばかりの顔をしている。


 そしてアレスも、人間離れした端整な顔からはいかなる感情も読み取らせず、ただまりあを見つめていた。

 疑念や軽蔑はなく、同時にこれまでまりあは何も言わなかったかのように変わらない。


 ――同意を示してくれる者がいない。

 それはまりあの足元を揺るがし、ひどく不安にさせた。


 焦り、もがくように言葉を探すうち、《夜魔王》の浅いため息が聞こえた。

 更にまりあに近づく。

 まりあは反射的に後じさる。レヴィアタンがわずかに身を屈めた。


 背と膝裏にいきなり腕を差し入れられて持ち上げられ、まりあは悲鳴をあげた。


「――私の月に触るな!!」

「引っ込んでいろ、道具」


 まりあはそのままレヴィアタンの広い肩に担がれた。

 その状態で歩き出され、まりあは顔を真っ赤にして足をばたつかせた。


「やっ、ちょ、ちょっと! やだ! 下ろして!!」

「お前には休息が必要だ。光精が頭に回って毒されているのかもしれん」

「お、おかしくなんかなってない!! 下ろして! 下ろしてってば!! ら、ラヴェンデルさん! 何か言ってください!!」

「……今回は愚弟に理がある。おとなしく頭を冷やせ、《闇月の乙女》」


 ラヴェンデルは呆れたように言って、犬でも追い払うように手を振った。

 その隣で、グラーフが深くうなずいている。

 アレスはいまにもレヴィアタンに斬りかかりそうだったが、まりあが抱えられているせいで攻めあぐねているようだった。

 整った顔を歪め、一人担いでなお悠然と歩くレヴィアタンの後を追う。


「お前は俺たちの月。お前が俺を目覚めさせたのは反撃のため、今度こそ完全なる勝利をおさめるためだ。《闇の眷属》のためにな。たとえお前の意図とは違っても、もはやそうする以外に道はない。己の定めを受け入れろ」

「そんな……そんなことない!!」

「では勝手にしろ。あくまでお前が話し合いとやらに固執するなら、それもよかろう」


 レヴィアタンは興醒めしたような声で応じながらも、腕は強くまりあを抱え、抵抗もアレスの抗議もものともせず進んでいく。


(なんでこうなるの……!?)


 この状況とそれ以外のすべてに対しての、まりあの魂の叫びだった。

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