Chap3-4
――だいたいのことは話し合いで解決する。
そんな日本人的平和主義はまりあの身にも否応なしに染みついている。
だが今回の行動の理由はそれだけではなかった。
ただ、知っているからだ。
いまパラディスに攻め込もうとしている相手、その軍を指揮しているであろう人物のことを。
しかし話し合いで解決する、と伝えたときのグラーフの反応は顕著だった。
耳を疑うと言わんばかりの狼狽を見せ、頑なに引き留めてきた。
まりあはこれが遠回しな自殺行為でも度の過ぎた英雄的行為でもないことを必死に説明し、絶対に死なないことを約束してようやくグラーフたちを引き下がらせた。
命に危険が及ぶようなことがあればすぐに飛び出す、全員で盾になるなどという脅しめいた条件つきで。
まりあとしても自己犠牲をするつもりは毛頭なかった。
楽観とも自信ともわからぬ感情があった。
緊張――あとには少しの期待さえあった。
まりあは夜の城パラディスから一歩踏み出した。
空から降りてきた光の集団はパラディスの正面に布陣している。
いきなり襲撃してこないことも、自分の考えが正しい――敵の指揮官は好戦的ではない――を立証しているように思えた。
まりあは一人歩いてゆく。
城の周りは青い草原だった。冷涼とした風に揺れ、背の高い草の合間からほの青い光が泡のように立ち上っている。
水中のようにも錯覚する光景だった。
その青い夜の中、白い光の集団はあまりにもまばゆかった。
夜を退けようとするかのような光に包まれ、天高く旗がなびいている。
白地に黄金で描かれた太陽は目を灼くような強さで、まりあは思わず顔を歪めた。
まばゆい光を放つ塊の中に、重厚な鉄の鎧を着た兵士たちが見えた。
その腰には剣があり、手には槍や盾がある。
弓を持つ者もいる。
鋭利な刃のきらめきや磨かれた厚い盾の輝きが目を射た。
まりあは一瞬立ち竦んだ。
漠然と抱いていた楽観に冷水を浴びせかけられたように感じた。
これはもはや戦争の一場面だった。
この武装の、この数の騎士たちに襲われたらひとたまりもない――。
まりあは文字通り丸腰だった。いかなる鎧も武器も持っていない。
頼りになるアレスもいない。
(大丈夫……、大丈夫)
自分にそう言い聞かせて、着慣れぬ黒と紫のドレスを引きずりながら歩く。
それに、これは所詮ゲームの世界のことだ。
現代日本に生きる昏木まりあの生死とは、関係ない――はずだ。
「――止まれ!!」
敵意に満ちた叫びがまりあの足を止めた。
無数の刃の煌めきと甲冑のたてる物音が響く。
数多の槍の矛先は一斉に前へ向けられ、盾は隣りあう兵の身を守るように堅く構えられている。
その背後には、同じく鎧を着けた馬に乗った騎兵たちが並んでいる。
堅牢な城塞が突如目の前に現れたかのようだった。
まりあは息を呑んだ。
立ち尽くし、自分の速すぎる鼓動の音を聞きながら戦闘態勢をとる光の軍団を見ていた。
――いきなり攻撃をしかけてきたりということはない。
大きく息を吸って、現実では一度も出したこともないような大声で叫んだ。
「私は戦うつもりはありません! あなたたちの指揮官と話がしたい!」
武装していないことを示すために両手を上げる。
緊張しながら、じっと相手の反応を待つ。
だが答えはなかった。
青に染まった草が揺れ、小さな銀光が風になぶられて槍を構える騎士たちのもとへ流されていく。
聞こえていないはずはない。
まりあはもう少し待った後、再び息を吸い込んだ。
「話がしたいんです! あなたたちと、戦いたくありません!!」
全身の力を振り絞って叫び、相手の反応を待った。
無視されてしまったらすべてが台無しになる――焦りと不安が募る。
息苦しく長く感じられる時間がすぎて、騎兵が二つに割れた。
前方の歩兵も割れる。
その道から、馬を操って一人の騎士が進み出る。
まりあの心臓は大きく跳ねた。鼓動がとたんに激しくなる。
金の馬鎧をした天馬の上に、白金の鎧をまとった騎士がいた。
足、腰、胴、両腕を
胴鎧の表面には加護と祝福を意味する古代文字が彫られ、金色に発光し浮き上がっていた。
腰回りを覆う鎧の下からは白いコートを思わせる長い裙が伸びている。
きらびやかな剣帯と共に腰に下げられているのは、黄金に惜しみなく宝石が象眼された鞘を持つ剣だった。
ただ一人にのみ帯剣を許されたもの――宝剣《イルシオン》。
他の兵より一回りも二回りも大きく見え、一点の太陽のように見えるのは決してその外見のせいだけではなかった。
白金の騎兵はゆっくりとまりあのほうへ馬を進める。
槍を構えた歩兵や他の騎兵たちは動かず、だが緊張が高まって一触即発の空気に染まってゆくのがまりあにもわかった。
騎士は一定の距離まで近づいて止まる。
まりあは、兜を見つめた。
その下にある顔を見たかった。
するとそれを聞き届けたかのように、騎士は籠手に覆われた手を持ち上げて兜に触れる。そしてゆっくりと持ち上げた。
長い、光を集めたかのような金髪がこぼれて広がる。
同じ金の、驚くほど長い睫毛が持ち上がった。
――雲一つない晴天のような青の瞳。
磨き抜かれたサファイアを思わせる双眸が、まりあを見た。
その瞬間、まりあの全身は粟立った。
胸が詰まって、声が出ない。
目の奥まで熱くなって溢れそうになり、慌てて手で拭った。
肌の上に躍る微妙な陰影――青い瞳の中の光は、彼が自分と同じ世界に、いまここに存在することの証だった。
「――アウグスト」
溢れる思いのまま、まりあはその名を呼んでいた。
《聖王》アウグスト。
『太陽と月の乙女』で、まりあが最も愛したキャラクターだった。
彼専用のセーブデータを作ってイベントを何度も見返した。
はじめてアウグストとのエンディングを迎えたときはしばらく仕事が手につかなかった。
――彼は、他のどのルートでも《夜魔王》レヴィアタンと相討ちになって命を落としてしまう。
それは《聖王》として、《光の眷属》を護るための決断だった。
残されたキャラクターは悲しみと憤りの中で、ラヴェンデル率いる《闇の眷属》の残党を全滅させる。
アウグスト以外のキャラクターと聖女は、アウグストの犠牲の上に平和な世界を生きていた。
まりあはそれが悲しかった。
アウグストルートを最後まで残しておいたために、何度も彼の犠牲と死を見た。
それが、アウグストルートでようやく救われた。
彼を生き長らえさせることができ、大きな感動でしばらく現実感を失っていたほどだ。
夢に出てきてくれたときは嬉しくて、同時に夢からさめてしまったときは本気で落ち込んだ。
『太陽と月の乙女』に夢中になったのは、アウグストの存在がかなり大きかった。
その最愛のアウグストがいま、目の前にいる。
滑らかだが力強い輪郭、名画のように高い鼻筋、涼やかで形の良い唇。
彫りの深い目元や高い鼻の側にわずかな影が落ちて、やや太めの眉には意思の強さと優しさが滲む。
二十半ばに見えるが、屈託なく笑えば少年の顔に、厳しい表情をすれば生まれ持っての王の顔になることを知っている。
――いまアウグストに、ゲームの中で見せてくれたような優しい眼差しと声を向けられたら決壊してしまうかもしれないとさえ思った。
だが鮮烈な存在感と質量を持つ現実のアウグストは、見たこともない目でまりあを睥睨している。
「私に話とは何だ。今更何を言う?」
馬から下りることさえもなく、碧眼の《聖王》は言う。
一切の隙を見せない威圧的な声は、風や周りの音がまじり、周囲に広がった。
瞬きの間、状況も忘れてまりあはかすかに震えた。
別人のように厳しい声でも、確かに何度も聞いた声だった。
喉が詰まってうまく言葉が出てこない。
夢であるなら、いっそこのまま止まってほしいとさえ思った。
だがアウグストはまりあの沈黙に眉をひそめ、疑念を強く滲ませた。
「――時間稼ぎか? 我々を欺くつもりか」
「ち、違う……っ!」
まりあは弾かれたように頭を振った。
――ゲームのように選択肢を選ぶまで場面が止まるなどということはなかった。
時間は絶えず進み、相手の反応も変化する。
そのことを痛烈に体感し、震えるほどの感動をかろうじて抑えて言うべき言葉を口にした。
「……私は、あなたたちと戦うつもりはありません。攻め込むのは、やめてくれませんか」
なんとか絞り出した言葉は少し裏返り、情けないほどに昏木まりあのものだった。
アウグストは一瞬目を瞠ったかと思うと、一層冷ややかに目を細めてまりあを見下ろした。
「何を言うかと思えば――。イグレシアに攻め込み、レヴィアタンの封印を解いて奪っておきながら……戦うつもりはないと?」
「! そ、それは……《夜魔王》がいないと、その、私が死ぬし他のみんなも困るんです! あなたたちと戦うつもりでそうしたわけじゃ……!」
「戯れ事を。聞くに堪えぬ」
アウグストの声は鋭利な刃のように会話を断ち切った。
凍てつく響きはまりあを打ちのめす。
空色の瞳が影を濃くしてまりあを見下ろした。
静かに、だが強い怒りがそこにあった。
「何よりも、お前は我が光に害をなそうとした。決して許しはしない」
まりあは頬をはたかれたように感じた。
我が光。《陽光の聖女》。かっと頭が熱くなった。
「違う! あれは……っ!」
――あれは、自分のデータだった。かつて自分の分身だった。
我が光と優しく呼びかけてもらったのは自分で、聖女を傷つけた敵に本気で怒る彼を見て心をくすぐられてしまう側だった。
決して、こんなふうに強い怒りを向けられる側ではなかった。
(違う、のに……!!)
全身を震わせた感動は、一気に身を焼く怒りと嫉妬に変わった。
ここにいるのに、同じ現実にいるはずなのに――アウグストとの時間は、自分であって自分ではない何かにそのまま奪われている。
まりあははじめて《陽光の聖女》に心底怒り、憎んだ。いますぐ消えてほしいとさえ思った。
「違う? 何が違うと言う」
一度も向けられたことのない軽蔑に満ちた声がまりあの胸を刺す。
痛みが目の奥から溢れそうになり、うつむいて耐えた。
「――私、は、《陽光の聖女》を殺そうとはしてません。それに、深手を負ったのはこっちです。聖女がこちらを攻撃してきた」
「愚かな。聖女は敵から身を護ろうとしただけではないか」
冷たく整然とした声に、まりあは声を詰まらせた。
悲しいほどに、アウグストの反応は頑なで現実的だった。
「……やはりか」
ふいにアウグストが言って、青い目を横に向けた。
まりあがはっと顔を上げてその視線を追うと、周りの草むらに《闇の眷属》たちの姿が見えた。
「私を誘き出し、奇襲を狙ったか」
「!! ち、違う!! そんなつもりじゃない!!」
ざあっと血の気が引き、まりあは必死に言い募る。
だがアウグストは馬首を巡らせた。
「時間を無駄にした――」
そうつぶやき、氷片のような目でまりあを一瞥する。
「静かに定めを受け入れるがいい。我々はお前達とは違う。必要以上の苦しみは与えぬ」
アウグストは背を向けた。その後ろ姿が、翻る金の髪がすべてを断ち切る。
「待って!!」
まりあは踏み出す。とたん、爪先をかすめるように光る矢が突き刺さった。
息を呑む。
顔を上げると、アウグストの向こうに槍と盾を構えた兵と弓兵が見えた。
碧眼の王は振り向かず、自軍へ戻っていく。
――《陽光の聖女》の陣営へ。
「待って! アウグスト! 待って……っ!!」
手を伸ばす。
届かない。
遠い。
行ってしまう――。
“聖王の背は、懇願をはねつける。王であるアウグストを止められるものはなかった。
聖女は、女神リデルに祈った。
このまま行かせていいはずはない、何か方法があるはず――。”
――あのときもアウグストを引き止めようとして、手を握って画面の向こうを見つめた。だがいまは祈るべきリデルも、アウグストを振り向かせる聖女の声も姿もない。
その背がただ遠ざかるにつれ、まりあは冷たい絶望に苛まれた。
視界が歪む。
(どうして……!!)
泣き叫びたかった。こんなことがあっていいはずがなかった。
だが周囲のざわつきを否応にも肌で感じ、無理矢理意識を引き戻される。
控えていた《闇の眷属》たちが、グラーフたちが飛び出そうとしている。
こちらに駆け寄ってくるようにも、アウグストを急襲しようとしているようにも見える。
光の騎士たちは即座に戦闘態勢をとり、まりあと《闇の眷属》たちに狙いを定めた。
――アウグストが自軍に戻れば、それが戦闘開始の合図になる。
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