Chap3-3


 右往左往したり、部屋を見つけてはこっそり覗き込んだりしながら、まりあはだいぶ歩いた。


 夜と闇の城――というのは真実だが、とても《魔物たちの巣窟》とか《瘴気のうずまく穢れた場所》などとは思えない。

 ゲーム内での言われようとずいぶん違う。


 首を傾げていると、通路の向こうに突然、二つの角を持つ羊の頭部だけが見えて悲鳴をあげそうになった。

 やがて、その姿が浮かび上がった。


「《闇月の乙女》、いかがいたしましたか」

「こ、こんに……こんばんは! えっと……」


 先ほども会った山羊の頭に人間の男性の体を持った《闇の眷属》だとわかり、まりあはどぎまぎした。


「失礼、申し遅れました。私はグラーフと申します。どうなさいました?」

「いえ、少し息抜きをしようと……歩き回っていました」


 まりあが気まずく言うと、グラーフは喉の奥で笑ったようだった。


「他の部屋に興味がおありでしたらご案内します。あなたが突然お姿を見せたのでは、ほかの者たちが恐縮してしまいますので……」

「えっ……あ、ああ! すいません、勝手に他の部屋を覗きました……!」


 まりあは慌てた。

 ――おそるおそるいくつかの部屋を覗いたが人の姿がなかったので、無人かと思った。それで気が大きくなって、ゲーム内のように好き勝手に部屋を覗き込んでしまったのだ。


 だが、ちゃんと住人がいて、いきなり侵入してきたまりあにびっくりして隠れてしまった、などというのでは猛烈に申し訳ない。

 羞恥で窒息しそうになる。


「いえ。パラディスは王とあなたのものです、遠慮なさる必要はありませんが」


 グラーフは控えめに笑う。

 まりあは気恥ずかしさで顔を赤くしつつ、この《闇の眷属》に好感を抱いた。

 悪魔めいた外見とは裏腹に、だいぶ紳士的な人物らしい。


(……いまのところ、良い人が多いなぁ……)


 まりあは内心で首を傾げた。

《月精》やこちらの空気が、聖女たちにとっては毒――ということ以外に、《闇の眷属》を敵視する理由が見当たらない。


 ――それはつまり、そんな状態で自分プレイヤーは彼らを討伐、全滅させていたということだ。

 それがいくら架空ゲームの出来事であったとしても。


 まりあはグラーフから目を逸らした。


「気分を変えたいということでしたら、少し外の空気に触れてみてはいかがでしょう。月精の回復にも役立つかと思われます」


 グラーフの気遣いに、まりあはますます後ろめたい気持ちでうなずいた。




 山羊頭の《闇の眷属》が案内してくれたのは、最上階の部屋にあるバルコニーだった。

 大きな出窓の手すりは銀色の彫刻で、満月や三日月を思わせる優美な意匠が描かれている。

 バルコニーに立つと、パラディスの周囲が一望できた。


「うわぁ……!」

 まりあは感嘆の声をもらした。

 黒馬に乗って空を駆けたときとはまた異なる眺めだった。


 より大地に近い視点であるためか、大地は青いヴェールに包まれ、影は漆黒の色をして、その微妙な色合いや、淡い光の瞬きがよく見えた。

 まるで地上にもう一つ夜空があるかのような光景だ。


 目を上げれば、地上よりも更に多く遍く星々の光に彩られた空が見える。

 肌に触れる外気は涼やかで軽く、静けさは耳によく馴染んで、甘い眠りを誘う。


「では、私はこれで失礼いたします。後ほど王の寝所にお戻りください。王に寂しい思いをさせたとあっては私が罰せられてしまいます」


 グラーフはどことなくいたずらめいた口調で言って優雅に一礼して去ってゆく。


(王の寝所……寂しい思い……)


 まりあは遅れて言葉の意味に気づき、衝撃を受ける。

 つられてレヴィアタンの狼藉をも思い出した。

 ぷるぷると震えがくるのを手を握ってしばらく耐え、ふうっと息を吐いて自分を落ち着かせた。


 広い部屋には他に誰もいない。

 だが失態を演じた後なので、しつこく確認してしまった。


 その後で、バルコニーの手すりにもたれてぼんやりと風景を眺めた。

 虫や小鳥のさえずりともわからぬ、かすかな生き物の声が聞こえてくる。

 自然の声の心地よさに優しくまどろみながら、空を見上げた。深い夜を感じさせる天がある。


 突然、その濃紺の夜空に白い亀裂が入った。


(……え?)


 亀裂は、巨大な円の形をしていた。

 その円の内側にもう一回り小さな円が現れ、更に円周の内側に沿って文字が現れる。

 ――優美な蔦を思わせる、女神の言葉をあらわす古代文字。


 まりあは硬直した。


 円は瞬く間に巨大な光の魔法陣になった。

 そこから小さな光が次々と降ってくる。

 夜の傷口から火の粉が溢れてくる――。

 星の光よりもなおまばゆい、この夜の世界には不自然なほど白く輝く影。


 まりあはようやくその意味を理解した。

 部屋を飛び出す。パラディスの一番高いところ、屋上へ向かった。


 息を荒げながらたどりつき、空にもっとも近い場所から見上げる。

 巨大な魔法陣は、黒い背景の中でより鮮やかに見える。

 ――そして落ちてくる火の粉の正体も。


 強い輝きの中に、翼を持つ白馬たちが見える。みな、その背に主を乗せている。

 主は純白の衣と鉄の鎧に身を包み、鋭く輝く槍や盾を手にしていた。


 ――《光の眷属》。光の騎士たち。


 まりあの全身から血の気がひいていった。

 追っ手――ようやく、そう理解した。


 パラディスに戻ったことで振り払ったと思っていた。

 だが向こうは態勢を整え、大軍で来るつもりだったのだ。

 もはや逃亡者と追っ手という状況ではなくなる。


 局所的な雪のように光は降り続ける。

 その数は瞬く間に絶望的なものになっていく。


 光に包まれた騎士たちが長く吐き出された後で、ひときわ強く黄金の光を放つものがゆっくりと現れ出た。


(あ、れは……!)


 まりあの全身は総毛立った。

 遠くで瞬く惑星の中に、自ら光を放つ恒星が一つだけ現れたかのような強い輝き。

 そのまばゆさに吸い寄せられるように一歩踏み出す。


「――《闇月の乙女》!!」


 背後からの鋭い呼び声がまりあの足を縫い止めた。振り向くと、グラーフが立っていた。


「早くお逃げください! 王も麗姫も、あなたの剣もお運びしています!」

「え……!?」


 まりあは混乱する。だがグラーフは半眼を険しくして続けた。


「……王はまだ力のすべてを取り戻しておられません。このパラディスも無防備なままです。あれだけの敵を迎え撃つだけの力はない……。この美しい城を忌まわしい光の蛮族どもに蹂躙されるのは許しがたいかもしれませんが、王と《闇月の乙女》さえ生き延びてくだされば必ず奪還できます。ですから、いまはどうかお逃げください」


 グラーフは切々と訴える。それでようやく、まりあの頭は状況を理解しはじめた。

 ――あの大軍を迎え撃つ力はない。ならば逃げるしかない。


 グラーフの言葉は真理だった。

 だがそれでもまりあは、自分の親しんだ彼らが、自分の絶対の味方であった騎士たちが襲ってくるという状況に、どこか信じられずにいた。


 それにあの恒星のように一つだけ輝く光。あれはきっと――。


「《闇月の乙女》、さあお早く!」


 グラーフの声がまりあの思考を遮る。

 まりあは強く急かされるがまま屋上から下りた。

 正面衝突するよりは、全員で逃げたほうがいいことは確かだった。


 山羊頭の《闇の眷属》はほとんど足音を立てずに走り、暗い階段を駆け下りていく。

 広大な城を把握していないまりあには、どこを目指しているのかもわからない。

 だがずっと下へ向かっているのはわかった。


 やがて地下の層まで到達する。

 もとより控えめだった照明がさらに絞られ、地下は暗闇にあった。

 だがそれでも不思議とまりあの目には見えていた。


 グラーフの先導で細長い通路の入り口まで来て、立ち止まる。グラーフはまりあに振り向いた。


「この通路を使って地下からお逃げください。王も麗姫も、配下の者がお運びして先に行っております。地上は奴らの目に付きやすいので、しばらくは身を潜めてください」


 グラーフはそう言って、まりあに先を譲る。そこではじめてまりあは不安を覚えた。


「あの……、グラーフさんは? 一緒に来てくれますよね? それとも別々に逃げるんですか?」


 礼儀正しい《闇の眷属》は、一瞬黙った。

 そして険しかった目元は、もとの眠たげな目に戻る。――他の感情を覆い隠すように。


「……王と《闇月の乙女》が安全な距離に到達するまで、敵をここに引きつけておきます。他に何名か戦えるものがいますから、最低限の時間は稼げるでしょう」


 いたって穏やかな声で、グラーフは言った。

 ただ雑用をこなすのだと言うような口調だった。

 だがその意味するところを知って、まりあは戦慄した。


「だ、だめです! 一緒に逃げましょう! いまのままじゃまともに戦えないんでしょう!? 《夜魔王》もラヴェンデルさんもいないのに……!」


 ラヴェンデルやレヴィアタン抜きに、あの大軍に対してまともに足止めなどできるはずがない。

 しかしグラーフはなおも落ち着いた口調で続けた。


「だからこそです。犠牲は最小限に抑えたほうがいい。王とあなたさえいれば、《闇の眷属》たちは何度でも再起できます。あなたたちを護ることが、我々の勝利に繋がるのです」


 まりあは絶句した。

 ――我々。そこに、グラーフ自身の命は含まれていない。

 グラーフたちはいまここで犠牲になって、《夜魔王》と自分を逃がそうとしている。


(う、うそでしょ……!!)


 ゲームのみならず、アニメや漫画でも何度か見たことのある展開だった。

 主人公や大事な仲間を逃すために、他の仲間が敵を足止めする、盾となる。

 ――主人公たちは逃れられるが、盾となった仲間は命を落とす。


 架空の中でさえ、まりあにとってそれなりに辛い出来事だった。

 それが現実で起こりかけている。しかも、グラーフの言葉は正しいとわかっていた。


 ――《夜魔王》は、その名が示すとおり《夜の眷属》の長であり要だ。

 強大な力を持つ一方、《夜魔王》さえ封じてしまえば戦力を大幅に削ぐことができる。

 その彼を、誰が封じたのかと言えば……。


(う、わ……)


 まりあは目眩を覚えた。

 こうしていま危機に陥って、グラーフたちが犠牲になろうとしている――それは自分プレイヤーが引き起こした状況だった。


「――さあ、お早く」


 そんなことも知らず、グラーフはただ《闇月の乙女》を逃がそうとする。

 まりあは息苦しさに喘いだ。

 ぐらぐらと揺れる頭の中で、ここでグラーフと別れたら多分二度と会えないということだけがわかっていた。

 恐怖によく似た確信だった。


 そして夜空を裂いて現れた無数の光――あの中にあった、ひときわ輝く黄金の光の正体。

 敵が本気でこちらを潰しに来ている証拠だ。

 なのに――。


(……会って、みたい)


 胸の中で、小さくそうつぶやく声があった。

 こんな状況なのに、そう思ったら胸をかきむしりたくなるほどだった。

 まりあは手を握りしめ、グラーフを見た。


「……私は行きません」

「! 何を……」

「グラーフさんたちだけ残して行くことはできません。たぶん……私がいたほうが、足止めはできると思います」


 無意識にそう答えた後で、まりあは内心で自分の言葉に驚いた。

 だがグラーフはその答えに少しうなった。


「《闇月の乙女》のお力が強大であることに疑いの余地はありません。しかし、万一ということがあります。それに大局で見た場合、いまここで浪費させてしまうよりは……」

「い、いえ、その……」


 まりあは束の間口ごもる――そもそも魔法なんてものをどうやって使うのかわからないし、アレスも側にいない。

 第一、戦うつもりなどないのだ。


「と、ともかく!! 私に任せてくれませんか? グラーフさんたちも戦わなくていいです! 安全な場所に隠れていてください!!」


 慌てて言うと、グラーフは驚いたような顔をした。そのあと、強い覚悟の滲む声で言った。


「私たちの月よ……その慈悲だけで、私たちは十分です。あなたと王のために戦って散るのなら本望――」

「だ、だめです!! 散るのは絶対にだめ!! と、とにかくここは私に任せてくれませんか!! お願いします!! なんとかするので……っ!!」


 まりあは全力で否定した。たぶん何かを大いに勘違いされている。

 グラーフの顔にようやく、少しの困惑と不安がよぎった。


「しかし……、それならばどうするおつもりですか? 敵はかなりの戦力を投入してきているようですが……いくら《闇月の乙女》とはいえお一人で戦場に出るなどとは」


 まりあは頭を振った。――向こうがかなりの大軍勢で来ていることはわかっている。

 そんなところにのこのこと一人で戦いに行くつもりなどなかった。


「戦わずに解決します。は……で」


 精一杯厳しい顔をして言ったが、グラーフは悪い冗談でも聞かされたかのような顔をした。

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