Chap3-2


 ――狭い。


 思うように寝返りが打てず、まりあは急に眠りから引き剥がされた。


(ん、んん……?)


 身動ぎしようとしてもできない。やがて、額に淡く温かな気配を感じて顔を上げた。


 そして石化した。


 すぐ側に、作り物かと疑うほど長く艶やかな睫毛があった。

 横に流れる黒い前髪の間から閉ざされた瞼が見え、まわりに淡い陰ができている。


 彫像かと見紛うほど高く長い鼻も陰を孕み、完璧な形の唇からかすかに聞こえる呼吸と吐息が、まりあの顔にかかった。

 引き締まって逞しさをも感じさせる輪郭を、月精が戯れてほのかに光らせている。


 ――《夜魔王》レヴィアタン。


 その強烈な美貌が、至近距離にあった。


(う、っわぁあああああああああああ!!?)


 まりあは内心で絶叫し、はじめて自分の状況に気付いた。

 身動ぎできないのは、レヴィアタンの両腕にがっちりと抱え込まれているせいだった。


(なんで!? どうして!? どうなってんの!!?)


 意識を疑い、状況を疑い、記憶を疑った。

 必死に記憶をたどる。確か眠る前にはレヴィアタンに背を向けていたはずで、しかも距離もこんなに近くなかったはずで、つまり、いまとは真逆の体勢にいたはずだった。


 こんな抱き枕みたいに抱え込まれて、自分より遥かに広い両肩の間に引き寄せられて、衣越しに胸の熱さを思い知らされるような状況には――断じてなかったはずだ。


(れ、れれ冷静に……ここれ夢だし現実違うし、所詮ゲームのキャラだし……!!)


 高速で自分にそう言い聞かせる。

 だが頭で言い聞かせれば言い聞かせるほど、身動きもとれないほどのレヴィアタンの腕の強さ、否応なしに触れてしまう体の逞しさと温度を感じ――


(や、やっぱり無理――!! うわああああ!!)


 異性に対するまともな耐性がないの感覚が悲鳴をあげた。


 心臓が暴れ馬のように跳ね回っている。

 部屋の中はしんと静まりかえっているせいで自分の鼓動とレヴィアタンのかすかな寝息ばかりが聞こえ、耐えがたいほど恥ずかしかった。


 うつむいて堪え、一人で大いに消耗し、疲弊し――そのせいで、動揺するだけの力がなくなっていった。


(いったい何なんだこの男は!!)


 なかば八つ当たりと自棄が半々になった気持ちがわいてきて、顔を上げた。

 今度はうっすらと浮かぶ喉仏や艶めかしい鎖骨までが見えて、違う方向から羞恥心に大打撃を受けた。

 が、これもなんとか耐えた。


(……普通に眠れてる、ってことは……大丈夫、なのかな)


 目の前の男の顔がおそろしく整っていて妙に色気があるなどといった情報をつとめて頭から締め出しつつ、状況を確認する。


 まりあが《陽光の聖女》を動かしていたとき、どうやらトゥルーエンドらしいこのルートではレヴィアタンの力を大幅に削いだ後に《螺旋牢》に封印した。

 他のルートにはなかった方法だった。

 解かれない限りは永遠に眠っているような状態になる――というような説明があった。たぶん、レヴィアタンはかなり消耗しているはずだ。


 まりあは目を伏せた。

 意識はいまだ昏木まりあのままで、感覚も自分の体そのものだった。

 夢ではないらしい。

 ――本当に、『太陽と月の乙女』の世界に入り込んでしまったというのだろうか。


 謎めいたトゥルーエンドの演出、意識を失って目が覚めたら《闇月の乙女》なんてキャラになった。

 夢にしては、あまりにも状況が連続している。現実と同じように。


 ――こちらを見上げていた顔を思い出す。自分であって自分ではない、《陽光の聖女》の顔。


 思い出したとたん、背がぞくっとした。

 だが耳の側で低くかすれた声がして、まりあの意識を引き戻した。

 声の主を見上げる。濃く長い睫毛に縁取られた瞼が、わずかに揺れた。


 ゆっくりと幕が上がるように――目が開かれる。

 まりあは息を忘れた。


 ――紫と蒼の異色眼オッドアイ


 右はどこか妖花を思わせる高貴にして孤高の紫。

 左はこの《永夜界》の夜を一滴閉じ込めたかのような深い蒼だった。


 異なる二色はそれ自体が魔法のようにまりあの注意を奪い、他を見えなくさせる。

《夜魔王》レヴィアタン――同じ世界の存在としていまはじめてまみえていた。


「お前が」


 異色の双眸を持つ《夜魔王》は瞬きもせずまりあを見つめた。その声は少しかすれて、体の底を震わせるほど低く艶めかしかった。


「――《闇月の乙女》か」


 その言葉にまりあははっとした。

 魔性のものに魅入られた感覚がわずかに薄れ、正気や羞恥心が一気に戻った。

 色々な意味で人外の、ほとんど見知らぬ男にベッドの中で抱きしめられている――。


(わ、わああああああああ――!!)


 悲鳴さえ声にならなかった。

 いややっぱりこんなのは夢だ、そうだそうに違いない、いくら目の前のこの男が呼吸をしていて体温があって髪の毛の一本一本がきわめて緻密で肌に落ちる影が生々しいとしても、自分がこんな状況になるわけが――。




 ……そういえばこれ乙女ゲームだった、と頭の遠くで妙に冷静な声がした。




(違っ! そういう! 問題じゃ! ない!!!)


 動揺しうつむいて激しく瞬きをする。

 心臓の音が大きすぎて、相手に聞こえてしまうのではと冷や汗が出そうになる。


(と、とにかくおおおおお落ち着いて……!!)


 レヴィアタンも目が醒めたのだから離してくれるだろう。

 相手とて驚いているに違いないので、何事もなかったかのような顔をするのだ。

 大事にならないようにするべきで、それが社会人のたしなみ、大人の優しさというものである。

 ――なけなしの理性と勇気と自棄を総動員して、まりあはそう自分を奮い立たせた。


 そして。


「……なかなか甘い」


 耳元で、低い声と吐息が笑った。

 首と肩の間を男の呼気がくすぐる。

 それから深く息を吸う音が聞こえた。――肌を嗅ごうとするかのように。


「……っ!!」


 まりあの悲鳴が喉で詰まり、反射的に一瞬首を引っ込めてしまった。

 それから、慌てて男の腕の中で上半身を反らす。

 腕は離れてくれなかった。


(何で!?)


 かつてない大混乱の後、段々男の笑いに腹が立ってきた。

 ――こちらはこんなにも大打撃を受けているのになぜこの男はこんなにも楽しげで余裕綽々なのか。


「ちょっと!!」


 ようやく怒りの声をあげ、両手をわずかに動かし、男の体を突き放そうとする。

 だが抱え込まれた上に悲しいほど力の差があった。


「離して!」


 いい加減本気で怒る――そう抗議しようとしたとき、体を抱きしめる腕が少し重くなった。

 腕がわずかに弛むと、ゆったりとした呼吸が聞こえてきた。


(……は?)


 おそるおそる見上げると、異色の双眼は眠りの瞼に覆い隠され、唇は閉じられ、先ほどまでの悪ふざけなどなかったかのように安らかな寝息をたてている。


(この状況で寝るか!? 私の話を無視か!?)


 ――この状況で。人を抱えたままで。抗議も受けておきながら。


 眠る《夜魔王》の輪郭が淡く明滅し、月精をたえず吸収していることをうかがわせる。

 月精が優しく照らしているからか、それがあまりにも純粋な寝顔だったので、まりあは怒気を削がれてしまった。


 それでも不平不満と頬の熱さを感じながら、まりあは口をへの字に曲げた。


 ――仮にも常識ある大人としては、ここで無防備にさらされている顎に一撃入れたり、膝蹴りしたり、そういった露骨な反撃に出るわけにはいかない。だが、


(……油性マジックほしい)


 せめて額に「肉」とか「変態」とか大きく書いてやりたいと強く思った。

 まりあはもぞもぞと身動ぎをして、体を反転させた。

 寝台の端に、漆黒の長剣が静かに横たわっている。《夜魔王》と同じく、その輪郭が淡い銀光に包まれている。

 亀裂が減っているのがわかった。


(……よかった)


 まりあは手を伸ばして触れようとした。 

 が、体を拘束する腕にふいに力がこもって小さく悲鳴をあげた。

 引き寄せられ、激しく瞬きする。


 一体何事かと思って顔だけ振り向くと、元凶たる男はすやすやと寝ていた。

 狸寝入りではないかと思ったが、どうやら本当に寝ていて無意識の動作らしい。


(こっ……こやつ!)


 顔がどうしようもなく熱くなるのが悔しかった。

 翻弄されるものかとあえて無視し、意地になって手を伸ばしてアレスに触れた。

 表面にそっと触れると、涼やかな感触がかえってくる。

 静かに横たわる剣は、まりあの右隣の《夜魔王》とは大違いだった。


(アレスは、いい子だな……)


 しんみりとそんなことを思った。

 常に丁重で優しく、本当に身を挺して自分を護ってくれた――。


 それから、まりあは苦戦しながらレヴィアタンの腕を抜け出した。

 寝台から脱出する。


 そうして、すっかり長身の男に隠れてしまっている少女に目を向けた。

 小柄な王姉は右端で体を丸めていた。ちょうどレヴィアタンと背中合わせになるような恰好で眠っている。

 その寝顔は人形のように白く静かだったが、安らかな寝息は聞こえた。

 それに少し安堵しつつ、まりあは腕組みをして対照的な姉弟を見つめた。


(……どう見ても姉弟って感じじゃないよなぁ)


 二人の外見は、まるきり年の離れた兄妹だった。


 まりあはそっと息をついた。

 体は少しだるいが、すっかり目が覚めてしまった。

 ――もうベッドに戻る気にはならない。レヴィアタンの狼藉のせいで尚更だ。


 しばらく迷い、三人の様子を確認しつつ扉まで後退する。

 穏やかな寝息をたてる二人と一振りを、淡い月精が包んでいる。離れても異変は見られない。


 まりあはそっと部屋を出た。

 部屋の外に出ても、廊下は薄暗かった。壁に銀色の淡い灯りが点々と続いていたが、どことなく真夜中を思わせる闇が漂っている。


 だが、いまのまりあには不思議とそれがよくなじんだ。

 暗く人気ひとけのない廊下というのは怪談にでも出てきそうな光景だが、この静けさと冷たさが心地良い。


 暗いといっても問題なく周囲が見えるし、ほの明るい照明は、蛍のような愛らしささえ感じられ、穏やかな空気が漂う。


(……ちょっと探険してみようかな)


『太陽と月の乙女』本編では、《永夜界》に来るのはボス戦のみで《決戦の間》以外には行けなかった。

 しかしまりあの目の前にはいま、広大な夜の城《パラディス》が広がっている。

 見えない壁に阻まれていたり、背景の一部でそこへ行くことはできないということもない。


 まりあの中にむくむくと好奇心がわいてきた。

 一応背後を振り向き、アレスたちのいる部屋を確認してから歩きはじめる。

 一通り探索したあとで、ここへ戻ってくればいいだろう。


(マップ表示ほしい)


 ゲーム本編では、地図が画面右上に小さく半透明で描かれていたのだ。

 だがこの三次元の世界では、そんな便利なものはないらしかった。

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