Chapter 3:パラディス攻防戦――休戦協定

Chap3-1


 まりあが黒剣アレスを抱えて漆黒の馬に飛び乗ると、馬はそれだけで心得たように空を駆け出した。


 剣を片手で抱え、もう一方の手で手綱を握り、姿勢を低くしてしがみつく。

 顔だけで振り向くと、同じく馬上のラヴェンデルが見えた。

 顔色は蒼白を通り越して紙のような色になり、《夜魔王》を封じた石を必死に抱えている。

 ――あの状況を打破するために無理矢理力を使ってくれたのだとわかる。


 馬は空を駆け、イグレシアから遠ざかってゆく。

 空中に浮かぶ神殿は瞬く間に小さくなっていったが、そこから小さな、白い点が次々と現れた。まりあは息を呑む。


(追っ手……!)


 騎士たちに違いなかった。

 あるいはその中に、ヴァレンティアやヘレミアスがいるのかもしれない。

 ――《陽光の聖女》とスティシアも。


 まりあは前に向き直った。


「急いで……!!」


 焦燥に急き立てられるまま馬に叫ぶ。従順な黒馬は動じず、無心に駆ける。


 やがて、境界が見えた。

 昼と夜の接触面――光の世界と闇の世界の境界。

 こちら側へ来るときにこじあけた穴はとうになく、どこにも綻びは見えない。


 まりあはもう一度だけ振り向く。

 ラヴェンデルはもはや声を出す気力もないようで、やっとのことで馬の背によりかかっていた。

 その後方で、追っ手の白い点の群れが次第に大きくなる。


 境界面はすぐそこに迫っていた。

 半透明の壁の向こうに、深い夜がある。


 まりあはアレスを左腕に抱えたまま、右手を突き出した。


(開け……っ!!)


 境界を睨み、焦燥と苛立ちをぶつける。

 掌に小さな、紫と黒のまじった雷が生じ、飛び出した。

 衝突する。

 見えない壁はわずかに波紋を描いただけだった。


 まりあはこんな危機の最中でもたついている自分に焦り、ひどく腹が立った。指先に力をこめる。

 ようやくそれに答えるかのように雷が勢いを増し、轟音をたてた。


 壁が震え、焼け焦げたような小さな傷口が開く。

 まりあは馬を急かし、綻びに飛び込んだ。

 すぐに振り向いて、ラヴェンデルも続いていることを確かめる。


 ラヴェンデルの馬の尾の先で、穴は即座に閉じた。

 閉じてゆく壁の向こうに追っ手の姿が一瞬見えた。


 ――壁に阻まれて諦めてくれたらいい。

 まりあはそう祈り、両腕で剣を抱え直した。

 震える息を吐く。


 夜の世界は静かだった。風がひんやりと心地良く、空気が澄んでいる。


 薄青の光と底の見えぬ闇に満ちた世界は、すべてのものを等しく包み隠してくれる。

 ――今はそれが安らぎを与えてくれた。


 やがて漆黒の大地にそびえる巨大な城が見えた。

 夜の城《パラディス》は、静かに主の帰還を迎えた。


 黒馬はパラディスの屋上に降り立つと、力尽きたように突然姿を消した。

 まりあは屋上に放り出された。

 慌てて腕に抱えたアレスを確かめる。砕ける、欠けるなどといった状態にはなっていなかった。


 だがすぐ側でどさりと落ちる音が続いて振り向く。

 ラヴェンデルもまた馬から落下し、倒れていた。

 一抱えの結晶を大事に抱えている。


 ふいに、その結晶から艶やかな黒い光が飛び出した。

 黒い光は爆ぜるように膨張し、人を象る。

 長身の《夜魔王》が現れ、その身が横たわる。

 ラヴェンデルが這って近づいた。


「いい加減、起きろ。手の、かかる……ばか者め」


 弟の半分ほどしかない小さな姉は、力なくそう言ってくずおれた。

 弟の大きな肩を枕にするようにもたれ、意識を失う。


 その姿に、まりあは胸が詰まった。

 ――《夜魔王》とその姉。二人に、こんな一面があるなど知らなかった。


(……運んであげなきゃ)


 まりあはアレスを抱え、よろめきながら立ち上がった。

 空を仰ぐ。少なくともいまは、追っ手の姿も見えない。


 突如慌ただしい足音が聞こえ、はっと顔を戻した。

 城へ戻る扉が勢いよく開け放たれ、複数の影が飛び出す。

 その先頭にいる者の姿を見て、まりあは目を見開いた。


「我らが王よ……!!」


 渋い低音で声をあげたのは、山羊の頭をした男性だった。

 白の毛に覆われた頭部の中で眠たげな目は離れ、鼻と口は細長い顔の下部にあり、顎には髭が生えている。

 頭部には後ろに反った形の角が対になって生えていた。

 首から下は人間の男性で黒を基調とした衣装に身を包んでいる。


 神話の悪魔めいた異形の後ろに、更に半獣半人の異形たちが続いた。

 長い髪で胸だけを隠した艶めかしい女――そのへそから下は大蛇の姿をしていた。

 緑色の蜥蜴の頭部を持ち、体は人間の男をした異形。


 悪夢から抜け出てきたような異形の行列だった。

 ――夜と月の世界に住まう、《闇の眷属》たち。

 彼らはレヴィアタンとラヴェンデルの側で、跪く。


「ああ、我らが夜の王……! 偉大なる闇の衣の主よ!」

「おいたわしや……」


 悲痛に満ちた声が口々にささやく。

 山羊頭の男性が一度目元を震わせたかと思うと、言った。

「王はお戻りになられた。ただちに傷を癒やしていただく」


 山羊頭の男性が小柄な王姉を恭しく抱き上げると、その他の者たちが壊れものに触れるかのようにレヴィアタンの体を丁重に持ち上げた。

 まりあが立ち尽くしていると、山羊頭の男性が目を向けた。


「《闇月の乙女》よ、よくぞお戻りになられました。ご自分で歩けますか?」


 悪魔めいた姿とは裏腹に丁寧な口調だった。

 まりあは戸惑いながらうなずく。

 アレスを両腕に抱え直し、重い体を引きずって《闇の眷属》たちの後についていった。




 レヴィアタンとラヴェンデルは、一面が夜の空であるかのような不思議な部屋に運び入れられた。

 広い部屋には黒と藍色が揺らぎ、淡い銀の光がいくつも瞬いている。


 中央に漆黒の天蓋を持つ大きな寝台があった。

 寝具も同じく黒い絹のような艶を放っていた。

 四隅の柱代わりに、わずかに透けて藍色のまじる黒い水晶のようなものが立っている。


 レヴィアタンの身が恭しくそこに横たえられ、その右隣にラヴェンデルの小柄な体が下ろされた。

 大きな寝台はそれでもなお余白があった。


 山羊頭の男性はまりあを見た。


「《闇月の乙女》もこちらでお休みください」


 そう言って彼が示したのは、レヴィアタンの左隣だった。

 まりあは怯んだ。


「い、いやいや……! その、他の部屋で! せ、狭いところとかソファでもいいので!!」

「何を仰います。王と麗姫にはいまあなたの力が必要です。あなたの慈悲なる《月精》が」


 山羊頭の彼はわずかに顔をしかめたようで、丁寧ながら強い口調で言った。


(……ってそれ物理的に近くないとだめなやつ!?)


 まりあは狼狽えた。


「あなたのお力も、この場では回復しやすいはず。どうぞ、王と麗姫のお側を離れることのなきように……」


 山羊頭の男性も他の《闇の眷属》たちも深く頭を垂れる。

 まりあは慌てて聞いた。


「あの、アレスさんは! この剣も、ここにいれば治るんですか? どこか他に、この剣を治してくれるところがあるなら……!」


 山羊頭の男性は、まどろむような目を少し見開いた。


「その剣はあなたの武器、あなたの力ですから……。御身の側で、月精を与えられることが回復に繋がることかと存じます」

「……そう、ですか」


 まりあはわずかに安堵した。何か別の難しい方法が必要と言われたら呆然としていた。


 では、と山羊頭の男性が言い、滑らかに一礼した。

 他の者たちもそれにならう。

 その丁重さはまりあをひどく気後れさせた。


 山羊頭の《闇の眷属》は言った。


「我らの月。慈しみ深き夜の女王よ――我々はずっとあなたを待っていました」




《闇の眷属》たちが礼儀正しく退室した後で、まりあは夜色の部屋の中に立ち尽くした。

 現代の感覚からすればだいぶ暗いはずだが、不思議と目が慣れている。


(待っていた……と言われても)


《闇月の乙女》というのはたいそうなキャラクターらしい。

 主人公である《陽光の聖女》の対となるものと考えられるし、どうやら本当の結末トゥルーエンドのラスボスでもある。


 しかしその中身といえば、現代日本に生きる平凡な社会人、昏木まりあだった。


 まりあはとりたてて頭がいいわけでもなく、容姿や運動神経が優れているわけでもない。

 いわゆる普通、平均という言葉が服を着て歩いているようなものだ。

 ――恋愛経験も乏しいというおまけもつく。


 ゲームの中でどんなに持ち上げられようが大仰に褒めそやされようが、所詮それは主人公というキャラクターに対してであり、自分自身ではないという思いがあった。

 なのにゲームの中でその主人公になってしまったら、こうもいたたまれない気持ちになるらしい。


 腕の中の冷たい感触に目を落とす。

 ――ひどく傷ついた黒の剣。

 寝台には、なんとか助け出した《夜魔王》と無理をして倒れたその姉が横たわっている。


 まりあの気持ちは沈んだ。

 この《闇月の乙女》の体に力が秘められていても、中身が昏木まりあではまともに生かせない――そんな気がする。


(ごめんね、アレスさん、ラヴェンデルさん……)


 たぶん、中身が昏木まりあでなければ、彼らはこんなふうに傷つかなくて済んだはずだ。

 重い溜息をついて、寝台に近づいていく。


(……これぐらいは……やらないと)


 まともに男性と付き合ったことがないのに、文字通り二次元級の美形の隣に寝る――などというのは正気では無理だ。

 だが、横たわる姉弟やアレスを見れば、自分のちっぽけな羞恥心と天秤にかけるまでもない。


 レヴィアタンの左隣に慎重に潜り込む。

 寝台が広いため、そこまで密着せずに済むのが幸いだった。

 可能な限り距離をとり、レヴィアタンに背を向けて体の前に黒の長剣を置き、横たわった。


 レヴィアタンとラヴェンデルのかすかな呼吸を聞きながら、まりあは暗闇をぼんやりと眺めた。

 顔の横に置いた自分の手が、うっすらと銀色に光る。その輪郭から小さな光が立ち上っていく。

 水底から泡が浮かんでゆくように、《闇月の乙女》の体から現れた淡い光は、ひび割れた黒剣へ、そしてまりあの背後の《夜魔王》とその姉へ吸い込まれていく。


(……これが《月精》?)


 まりあは泡のように宙を漂う銀の光を見つめた。

 そうして月精が抜けていったからか、体が一際だるくなった。

 瞼が一気に重くなる。


(……夢の中で寝たら……)


 意識がゆらゆらとたゆたう。

 ――寝ているから夢を見る。これは夢の世界だ。

 その夢の世界でも眠ったら、どうなるのだろう。


(……次に……目を、開けたら……)


 目が覚めて、現実に戻っているのかもしれない。

 二六年間付き合ってきた自分、地味で平凡で、『その他大勢』の典型例みたいな昏木まりあに。


 いつもと同じように、寝ぼけ眼で起きて、顔を洗って、おざなりに化粧水をつけ、時間があったら朝食を食べて、化粧と身支度をして仕事へいく。

 二年も彼氏がいないと嘆くきらきらした同僚や気の良い主婦のパートさんたちのいる仕事場に。


 命の危険はおろか、怪我なんてするはずもない平和な日常に。

 その安全な日常こそが正しいのだろう。


(……でも……)


 この夢の先をもう少し見ていたい。

 アレスがちゃんと治るまで、ラヴェンデルが回復してくれるまで、そしてレヴィアタンが目を覚ますまで。


 かなうなら、会ってみたいキャラが……。


 波にさらわれてゆくように、まりあの意識は遠のいていった。

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