Chap2-5


 一瞬、凍てつく無言が生じた。


 硬直を破ったのは黒の青年のほうだった。

 半身を引いたかと思うと、全身の力を乗せ、一閃する。


 白の青年は瞬時に杖を向け、半円状の光の壁を展開した。


 相反する二者の力が接触した瞬間、爆発音が轟き、《祈りの間》が揺れた。


 スティシアの壁はアレスの一閃を防いだ。

 アレスは素早く剣を引き、二撃目を振り下ろす。

 光の半円は、亀裂の入った箇所から再び砕け散る――。


 まりあは衝撃にあおられながらも超常の力がぶつかりあう光景に目を奪われていた。


 だから――気付かなかった。


 一言も発さず、武器もなく、無防備な白のドレスをまとった聖女が静かに両手を持ち上げるのを。


 両掌は上を向き、恵みの雨を受けようとする者の手に似ていた。その掌に集まるのは空中から現れた光の雨だった。

《陽光の聖女》は光を集めた掌をゆっくりと近づけ――閉じ込めるように、祈りの形に指を組んだ。


 次の瞬間、まりあの体の周りで光の粒子が瞬く。

 かすかな光はたちまち鎖を編み、まりあを囲んだ。

 ふいに目眩がまりあを襲った。ふらつき、その場に膝をつく。


 体に震えがはしった。

 突然、小さな針を無数に押しつけられるような痛みを感じた。

 喉の奥で悲鳴をあげる。


(な、に……っ!?)


 なんとか足に力を入れ、立ち上がる。

 だが必要以上に力を要して、不快な熱が肌を苛んだ。

 全身が重い。鉛の海でもがいているかのようだった。


 ――体力の低下。目眩、鈍化。力の低下。光の鎖のエフェクト。


 まりあはその症状――をよく知っていた。

 なぜなら主人公プレイヤーとして好んで使っていたものだったから。


(攻撃・防御ダウンの弱体魔法デバフ……!)


 顔を上げると、アレスもまた光の鎖に囲まれているのが見えた。


『壊すことしか知らぬ愚かな刃物よ。暴力で相手を攻撃することがすべてではないのです。忘れたのですか?』


 スティシアが冷ややかに言い放つ。

 そして白い杖を持ち上げた。先端にはめこまれた大きな宝石が輝き、闇を照らす灯台にのごとく光を放射する。


 杖から放たれた光は巨大な刃となって闇を――アレスを薙ぎ払った。


 まりあはそれを減速再生のように見つめ、全身から血の気が引いた。

 ――杖から放射される光、薙ぎ払い攻撃。

 これもある特定の条件を満たしたときのみ習得する、《陽光の聖女》の数少ない攻撃系の大技。


 アレスは白い壁に激突する。

 その体から血飛沫のかわりに黒い霧が飛散し、そのまま崩れ落ちた。


「アレス……っ!!」


 まりあは呼び、駆け寄る。


 無言の聖女はまりあに向かって手を伸ばす。

 再び光の鎖が現れ、まりあの足を絡め取った。

 ――更に能力低下デバフ


『わ、たしの月に……触れるなっ!!』


 紅い瞳を怒りに燃やし、アレスが立ち上がろうとする。

 だがまりあの目の前で、再び光の放射がアレスを薙ぎ払った。

 膝をつくこともできず、青年は床に崩れ落ちる。


「やめて!!」


 まりあの視界は赤く染まり、全身から吐き気がするほどの怒りが噴き出した。

 ――既視感。どうしようもない嫌悪感と憎悪がこみあげる。


 不足した攻撃スキルを補うため、敵の能力を徹底的に低下させ、力ずくでたたみかける。全回復魔法を惜しみなく使う――それは、プレイヤー/まりあのやり方そのものだった。


 激しい怒りを振り払うように、アレスのもとへ走る。

 このまま攻撃され続けたらアレスが危ない。


 アレスの側で屈み、膝をつくその体を支えた。そうしながら《陽光の聖女》を睨んだ。


 聖女は汗一つかかず無表情にまりあを見つめ、スティシアは悠然と聖女に歩み寄り、まりあとアレスに敵意の眼差しを向ける。


 ――どちらも、大技を連発したときの疲労は一切見られない。

 スキルを使うと消費するはずの精神力をほとんど消費していない。

 精神力の最大値がそれほど高い、ということだ。


 まりあは右手を突き出した。

 激しい怒りと攻撃の意図は、黒い竜巻の魔法となって聖女に迫る。


 聖女は動かない――手を持ち上げようとさえしない。


 直撃する。黒い竜巻は爆発し、煙幕を張る。


 煙が薄れてゆき、聖女の姿が見えた。

 だがその身には傷一つなかった。防御魔法さえ展開していない――素の防御数値ステータスで受けたのだ、とまりあは直感した。


 背に、寒気に似た確信がはしった。


 これが『太陽と月の乙女』というゲームの世界であり――《陽光の聖女》が、プレイヤー/まりあであったものだとしたら。


(私の……レベル99カンストデータ!!)


 全回復魔法。敵の能力を大幅に下げるデバフ。

 それはレベルの最大値カウントストップに達したときにはじめて習得されるものだった。


 まりあは周回し、全攻略キャラとのエンディングを迎えた。

 すでにレベルは上限に達していた。

 ラスボスとの戦いに楽に勝利できるのは無論、能力値は極限まで伸び、もとより高い防御は大半の攻撃をダメージゼロ、もしくは一程度に抑えられる。


 ――そのカンストキャラが、いまは別の《何か》として目の前にいる。


 自分の力をそのまま奪われたことへの怒り――その力を利用してアレスを傷つけられた憤りがまりあを震わせた。


 スティシアが杖を構え、更にアレスを攻撃しようとする。

 まりあは妨害しようととっさに手を突き出し、だが矛先を変えた。聖女を狙う。

 デバフや回復スキルを使ってくるキャラは、最優先で行動不能にしなければならない。


(当たれ……!!)


 あるだけの怒りと攻撃の意思をこめた。

 逆巻く黒い風が掌から飛び出し、荒れ狂いながら聖女に襲いかかる。


 聖女は回避しなかった。

 だが直撃の刹那、白の青年が割り込むのが見えた。


 爆発が礼拝堂を揺るがす。

 すぐに、杖を手にしたスティシアの長身が見えた。背に主を庇い、刺すような侮蔑と憎悪の目でまりあを睥睨していた。


 まりあの背がぞっと冷たくなった。


『塵一つ残さず消えなさい』


 冷厳な宣告と同時、スティシアは優雅とさえいえる動きで杖を大きく払った。

 巨大な光の弧が何重にも現れ、まりあに迫る。


 聖女の持つ数少ない大型の攻撃スキル――多段ヒットする《刃なす光》。


 ラスボスさえ葬ることができる、強大な魔法。

 まりあは竦んだ。

 このスキルの威力は誰よりもよく知っていた。外すようなものでもないことも。


(うそ……)


 ――こんなところで、呆気なく終わるのか。

 致死攻撃が至近距離に迫って、まりあはただそんなことを思った。まるであらかじめ負けの確定している強制イベントのようだった。


 まりあの視界は白い光の爆発に支配された。

 轟音が一時的に耳を麻痺させる。

 衝撃が体を突き抜けていった。


 ――ゲームこことこうなるのか。


 意識の遠くでそんなことを思った。

 しかし衝撃は過ぎ去り、複数回被弾ヒットするはずが一度しかなかった。それも直撃したにもかかわらず何の痛みもない。


 まりあは顔を上げ、凍りついた。


 ぼろ布のように焦げて破れた黒衣が目の前にあった。

 黒剣《アレス》はその長身でまりあの前に立ちふさがり、全身のあらゆるところに火を押しつけられたかような傷を負い、衣は焦げてささくれ、黒煙をあげていた。


 破れた黒衣からのぞく褐色の肌は、切り傷や火傷でひどく汚されていた。

 血は流れない。

 前を見つめる横顔に、その頬に、鉱石に生じるような大きな亀裂があった。


 まりあは声を発することができなかった。

 全身が震えた。


 アレスがその身を呈して庇ってくれた――盾となり、多段攻撃をすべてその身で受けたのだ。


 やがてその長身の輪郭が揺らぎ、薄れる。

 黒い霧が色濃く立ち上り、青年の体が霧散する。

 その霧の中から、床に突き刺さる漆黒の剣が現れた。

 黒曜石を思わせる刀身は無数の亀裂に蝕まれ、闇色の柄も侵食されている。


 ――砕け散らずにいるのが不思議なほど、ひどく傷ついた姿だった。


 まりあは目の奥に火のような痛みを感じた。

 スティシアが、もう一度杖を振るおうとする。


「やめ……!」


 まりあは叫び、ひどく傷ついた黒剣に手を伸ばす。

 これ以上攻撃を受けたらアレスが砕けてしまう――。


 だが次の瞬間、迫り来る光とアレスの間に漆黒の竜巻が発生した。

 吹き荒ぶ風は周囲のものを巻き込み、天井を突き破る。まりあの力でもアレスの力でもなかった。


「――飛べ!!」

 ラヴェンデルの叫びが風の音にまじった。黒と紫に包まれた小柄な身が、竜巻に吸い寄せられ、天井に空いた大穴の向こうへ消える。


 まりあは黒剣を両腕で抱えた。剣はその身に反しておそろしく軽かった。

 少しでも力を入れてしまえば砕けてしまいそうだった。


 天井の突破口を見上げ、床を蹴る。

 ――飛ぶ。

 ただそのことだけに意識を向けた。


 その意思に応えるようにまりあの体は浮き、竜巻に匿われながら舞い上がる。

 馬の嘶きが聞こえた。空駆ける黒馬がすぐ側まで来ているようだった。


 大穴の向こうへ逃れる寸前、まりあは不可視の力に引きずられて地上へ目を向けた。


 そこには、同じようにこちらを見上げる自分の顔が――《陽光の聖女》の顔があった。



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