Chap2-4
(早く出なきゃ……!!)
もう誰にも会いませんようにと祈る。
しかしそれを嘲笑うかのように、前方に現れた新手に見覚えがあった。
際立って屈強な男性。ヴァレンティア以上に見慣れた容貌。
それでいてはじめて目にするような錯覚をも抱くほど、鮮やかで現実の質量を持った人物。
(エルネスト……!!)
王と聖女を護る近衛隊、その隊長たる美丈夫の男だった。
背に何人もの騎士を率いている。
肩につく程の金髪は上半分がまとめられている。やや太めで凜々しい眉、目や鼻の彫りは深く、唇は薄い。
端整だが逞しい顔の左頬の下に瑕があり、それが絶妙な武人らしい荒さを与えていた。
生来の恵まれた体格――堂々たる長身に、素晴らしく広い肩や腕が筋肉で盛り上がっている。
だが素質以上に、本人のたゆまぬ努力によって素晴らしい武人となったのをまりあは知っている。
まりあを睨む目は深みのある茶色で、敵を前にした無比の戦士の眼差しだった。ヴァレンティアと同じ、和解や友好など望むべくもない現実を突きつけてくる。
唇を引き結び、まりあは素早く視線を走らせる。
(逃げられる場所……!!)
戻ることもできず、そのまま直進しても近衛隊と衝突する。
エルネストたちと戦うわけにはいかない。
前方に、左へ逸れる階段が見えた。まりあは全力疾走した。
エルネストたちに向かって走り、手前で左へ折れる。上へ伸びる階段を駆け上った。
険しい怒号が背後で聞こえた。近衛騎士たちが追ってくる。
まりあは走りながらイグレシアの構造を思い浮かべた。
この階段の続く先は上層――礼拝堂や聖女の居住区で、更に上へ行けばイグレシアの頂上へ出ることができる。
最初の計画とは違うが、屋上まで行って脱出するしかない。
「――道を塞げ!」
すぐ後ろでラヴェンデルが叫び、まりあは振り向いた。
「追っ手を妨害しろ! 天井でも壁でもいい、壊せ!」
ラヴェンデルが速度を上げ、まりあを追い抜く。
追ってくる騎士たちの姿が見えた。エルネストが先頭だった。
精悍な体は思いも寄らぬ俊敏さと速さを秘めている。
まりあは頭上を見た。右手に握っていた剣を両手に握り直す。
再びアレスに祈って、天井に向かって薙いだ。
剣は黒い鎌鼬のようなものを放ち、白い天井に直撃する。
巨大な亀裂がはしり、たちまち崩落した。
階段を塞ぐ。
段を上りきると、開けた廊下に出る。
(屋上へ出るには《祈りの間》の奥に行くから……)
まりあは再び先頭に立ち、西側通路へ方向を変え、走った。
(アウグストと鉢合わせしませんように……っ!!)
――攻略対象の中で最も気に入っていたキャラにいまだけは会いたくない。
やがて、白い両開きの扉が見えてきた。
扉の上には、入る者に日光を投げかけるかのように放射状の線が彫刻されていた。
まりあは扉を開け放ち、中に飛び込んだ。
とたん、天井が抜けるように高くなり、まぶしいほどの光が広がる。
《祈りの間》は白い光に満ちた空間で、その柱や祭壇は金で装飾されていた。
奥の祭壇の上には巨大な女性の像があった。
その長い髪も瞳も肌も衣装も一切が純白。目は閉じられ、傷一つない両手は長い杖を携えている。
長いドレスの裾は朝日に輝いた水のように台座の上からこぼれていた。
光の女神《リデル》の精緻な似姿。
だが模倣された女神の裾元に、模倣ではない人影を見つけ、まりあは怯んだ。
白く長い衣装と黄金の髪に覆われた背は跪き、女神に向かって一心に祈っている――。
アウグスト――違う。
純潔をあらわす白のドレスは後ろ側の裾が長く、床に広がっている。
背に流れるのは多くの《光の子》らと同じ――だがもっと強く輝く金色の髪。
その髪を飾る、サファイアに似た宝石と白い翼を模した金細工のあるティアラ。
ほっそりとした背は横に置いていた杖をとってゆっくりと立ち上がる。
その杖が、女神像と同じ形をしていることに気付く。
まりあは愕然とした。
(《陽光の聖女》――)
本来の
まりあがどのキャラクターよりも長く一緒にいて――この世界の自分そのものであったはずのキャラクター。
聖女は振り向く。
その顔が見える。
そして、目が合った。
一瞬世界が大きく揺れた。
まりあはふらつき、かろうじて踏み止まる。
だが潮が引いていくに似て、全身から血の気がひいていった。
「私――」
口から、呆然とその言葉が転がり落ちた。
女神《リデル》と同じ杖を持ち、輝く白のドレスを身に纏い、美しい装飾を身につける女。
しかしその顔は、まりあが二六年ずっと付き合ってきた人間のものだった。
昏木まりあが、《陽光の聖女》の恰好をしてそこに立っている。
だがまりあの意識も顔もは聖女と向き合う側にあって、《闇月の乙女》というキャラクターの中にいる。
自分の顔だけコラージュされたようなキャラクターに吐き気を覚えた。
「……あんたは、誰」
聖女の恰好をした自分に向かってうめく。
だが、相手は答えない。
向こうの昏木まりあはこちらを見て驚くでもなく、表情も変えず、同じ目で見つめ返してくる。
――ゲームの中の、既に組まれたイベントの一つにすぎないかのように。
主人公/聖女は、自分の身長にも比する白い杖を掲げる。
極めて純度の高い水晶のようなものが埋め込まれたその先端から、強い光が放たれた。
強烈な光は聖女の周りを囲む巨大な球体となり、急速に肥大化する。
外へ向かって膨張し、まりあとラヴェンデルを押し潰そうとする。
「――っ応戦しろ!!」
ラヴェンデルが叫び、《夜魔王》を閉じ込めた石を抱きながらもう片方の手を突き出す。
まりあも焦って黒剣を構えた。
ラヴェンデルの手から放たれた黒い雷が、まりあの振るった黒剣から漆黒の衝撃波が飛んで光の壁に衝突する。
だが壁はわずかに波紋が生じて一瞬止まっただけで、更に膨張を続けた。
(《
まりあは焦り、再び剣を振るおうとする。
だが構え直した瞬間に、籠手が溶けた。
たちまち鎧のすべてが溶けて剣に吸収される。
黒剣は明らかに大きくなり、元の大きさを取り戻す。
そして一閃する。
鮮やかな漆黒の弧が幾重にも生まれ、迫り来る光の壁を捉えた。
衝突――轟音。
まりあの腕に、肩に、体に、電流のような反動が抜けていった。
ふいに、隣に真紅の闇が揺らめいた。
紅い輝きを孕んだ闇は、黒衣の青年の姿になる。
だが人の姿をとったアレスは、その体がうっすらと透けていた。
アレスは《陽光の聖女》を睨み、彫りの深い目元を歪めた。
紅の双眸に背の凍るような敵意と憎悪が滲む。
『相変わらずな――』
突然穏やかな青年の声が響いた。
まりあは弾かれたように顔を向け、アレスと同じものを見る。
真白き杖を持った《陽光の聖女》――その横に、もう一つ影が陽炎のごとく揺らめいていた。
傍らの聖女よりも背が高く、細身の男性だった。
聖女に劣らぬほど、裾や袖の長い純白の衣に身を包んでいる。
滑らかな輪郭や真っ直ぐで繊細な鼻筋、静穏な微笑を浮かべる唇。
まりあは目を瞠る。
彼のことを知っていた。
(光杖《スティシア》……!)
聖女の最大の武器で、その力を何倍にも増幅させる意思持つ杖――。
アレスが人の姿をとれるように、スティシアも人を模せる。
『久しいですね、アレス。ああ、ようやくあなたの愛しい穢れと会えたのですか』
『その恥知らずな口を閉じろ! 欺瞞の狂徒どもが……!!』
半透明のアレスの輪郭が揺らぎ、小さな雷を発生させる。
まりあは二人の青年を見た。
聖女の傍らにいる青年は、その白と金の色合いも、すべてアレスと対をなすかのようだった。
『別れの挨拶をしなくてよろしいのですか? 最初にあの穢れが消えたときは、挨拶をする暇さえなかったでしょう?』
スティシアは穏やかに微笑し、優雅な声で言う。
突然、まりあの手の中から剣が消えた。
『――我が月よ、下がってください!』
その叫びが聞こえたかと思うと、黒衣の青年が輪郭を強くし、宙を飛ぶ。
そして白の青年とその傍らの聖女に斬りかかった。
「アレスさん……っ!?」
落雷のような轟音にかき消された。まりあはとっさに顔を庇った。衝撃の突風でよろめく。
なんとか前を向くと、漆黒が舞うのが見えた。
空中のアレスが、剣を振り下ろしていた。
スティシアは左手を突き出すだけで完全にそれを止めている。
まりあは、スティシアの周りに防御壁があるのを見てとった。
――《陽光の聖女》は攻撃スキルが乏しいかわりに、補助や治癒スキルが豊富だ。
戦闘では決定力こそ欠けるものの、鉄壁の防御で敵の攻撃を受けきり、万一受けきれなくとも治癒魔法で立て直すことができる。
光杖《スティシア》は、その象徴ですらあった。
アレスはスティシアの防壁をそのまま破ろうとする。
剣と防壁の衝突面から、小さな闇色の雷が無数に発生していた。
『――我が刃、貴様らごときに防ぐことはできぬ』
アレスの声が低く凍てつく響きを帯びた。
剣を握る右腕がもう一度大きく振りかぶられ――肩まで、黒い雷の茨に包まれる。
そして再び振り下ろされた。
凄まじい轟音と衝撃――礼拝堂が大きく揺れた。
巨大なガラスが砕け散るような高い音が続く。
アレスの刃はスティシアの防壁を粉砕し、目を瞠った白の青年を薙ぎ払う。
スティシアはまともに吹き飛び、背中から祭壇に叩きつけられた。
祭壇の一部が壊れ、だがスティシアはすかさず体勢を立て直す。
黒の青年は巨大な漆黒の剣を両手に握り直した。
『もう二度と私の月を殺させはしない――お前はここで砕け散れ』
冷徹な宣告とともに、全身で闇の剣を振り下ろした。
白の青年はとっさに腕を突き出し、再び光の壁をまとう。
だが雷をまとった闇の剣は、その壁を切り裂いた。
その中の青年を漆黒の刃が捉えた。
まりあは喉の奥で悲鳴を詰まらせた。
(嘘……!?)
止める間もなかった。目の前の光景は濁されることも暗転することもない。
スティシアがアレスに斬られた――その恐怖と衝撃が頭を痺れさせ、体を震わせる。
赤眼の青年は眉一つ動かさない。
たったいま人の姿をしたものを斬ったことにいかなる感情を動かされた様子もなく、剣を軽く振り、身を翻す。
青年の姿に擬した死神――そんな錯覚が、まりあの現実感を揺るがす。
そのまま、アレスは《陽光の聖女》に剣を向ける。
まりあの息が止まった。
私の女神と呼びかけた女と同じ顔の《陽光の聖女》に剣を向けても、アレスは無表情だった。
《陽光の聖女》も頬一つ動かさなかった。
アレスが軽く床を蹴った。
宙に浮かび上がり、黒衣が翼のように翻って踊る。
「――待って……っ!!」
まりあの喉はかすれた叫びをあげ、駆け出す。だが遠い。遅い。
まりあを護ると言ったアレスが、その手の雷をまとう黒剣が、まりあと同じ顔の聖女を薙ぎ払った。
花嫁衣装に似た白い衣が鮮血に染まる――まりあはその未来を幻視した。
聖女の体が崩れ落ち、美しい死神は音もなく地に下りる。
まりあはただ立ち尽くした。
目の前の光景を頭が拒否する。
死のような静寂が満ちた。
だが、聖女はゆっくりと体を起こした。
その右手は胸に当てられ、白い光を放っている。
わずかに見えた衣の破れが、瞬く間に修復された。
一滴の血の痕もない。
アレスがかすかに目元を歪める。
瓦礫が動く音が響き、まりあは振り向く。
今度はスティシアが立ち上がっていた。
――まともにアレスの剣に貫かれたはずの体で、胸を押さえている。
その体に、周囲から聖女のものと同じ光が集まっていった。
光は細い糸となってスティシアの体を繭で包む。
そしてまばゆい光を放ちながら羽化させ、飛散した。
消えた繭の中から、傷一つなく、衣のほつれすら見当たらないスティシアが現れた。
光の糸が集まるエフェクトの回復系魔法。
まりあは瞬時に理解した。
(全回復魔法――)
どんな局面からも立て直せる、いわゆる壊れ性能のスキルだ。
習得する条件はただ一つ。
『我が光に手を出しましたね……穢れの分際で』
スティシアの声は一段と低くなり、両眼は熾火のような光を放ってアレスを睥睨する。
もう微笑は浮かんでいない。
白い両手が軽く開くと輝く光が集い、長身の青年と同じ長さの杖が現れた。
アレスは黒の剣を握り、スティシアは白の杖を手に対峙する。
『羽虫のように湧く。だが何度湧こうと同じことだ』
『――では羽虫はどちらか思い知らせてあげましょうか』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます