Chap1-3


 まりあは絶句する。

 ――自分で封じたはずの《夜魔王》。悪の根源とされている最強のボス敵。


「あっ、あのですね! 《夜魔王》って人はその、悪……よくない人として見なされているというか。瘴気をまき散らす本人と言われていて……」

「……おい。お前、本当にどうした? 何を言っているのだ? 瘴気などと蔑んでいるのは狂信者どもだ。適合できなかった光の狂信徒どもにとっては毒なのは当然ではないか。《夜魔王》が間に立って月精を広めなければ、我々《夜の子ら》は長く生きていられぬ。力を使うこともできん」


 ラヴェンデルは疑念と不快をまぜたような顔でまりあを見る。

 アレスも端整な顔の中で訝しむようにわずかに眉が動いたのをまりあは見た。

 二人の反応は、まりあのほうがおかしいと言わんばかりだった。


(《月精》って……、瘴気のこと、こっちの住人はそう呼ぶんだ。ってことは、《光の子ら》の光精と同じようなもの……?)


 ゲーム本編に、《光精》というものがあった。

 いわく、聖女側の世界――光に満ちた天上界を満たす空気のようなもので、創世の女神リデルの力の残滓、それが《光の子ら》の奇跡の源にもなるのだという。


 プレイヤーキャラである《陽光の聖女》は強い光精の持ち主で、周囲に清浄な空気を振りまいていたというような描写があった。


 その一方、《汚れた者たち》と呼ぶ敵側――つまりラヴェンデルたちの世界は、汚れた空気・瘴気で満ちているとされていた。


 まりあは黙りこんで額に手を当てた。


(何なの、これ……! やけにリアルだし、敵のボスの封印を解けって……そんなことしたら、だいぶまずいことになるんじゃ……)


 たとえそれがゲームや夢の中であったとしても、この妙な生々しさがためらわせる。

『太陽と月の乙女』をしっかりプレイしていたからこそ、最強のボスである《夜魔王》の力や影響力の大きさはわかっている。


 夢であるはずなのに緊張していると、ふいに目眩を覚えた。

 膝から突然力が抜け、崩れ落ちる。

 だが寸前で、後ろから腰を抱き留められた。びくともしない強い腕――。


「《闇月の乙女》! どうなさいました……!」


 アレスの端整な顔が覗き込んでくる。

 焦った表情をしても、美形だとこんなに様になるのか――まりあはぼんやりと見つめた。体にうまく力が入らない。


(あ、あれ……やばい?)


 頭を揺さぶられているような感覚。

 視界がぐらぐらする。目眩など、そうそう起こすような体質ではない。

 なのに突然全身にだるさを感じている。アレスに抱き留められるがままだった。


 ラヴェンデルが近寄ってまりあの顔をのぞきこみ、眉根を寄せた。


「……だから言ったであろうが。《夜魔王》が囚われているいま、《夜の子》らに月精を与えられるのはお前しかおらんのだ」


 言うことを聞かないからだと言わんばかりの口調だった。

 まりあが問い返そうとするとアレスの胸に引き寄せられて、声を失った。

 目を白黒させるまりあの代わりに、アレスがラヴェンデルを睨んだ。


「私の女神から力を奪うな」

「……それは我々に死ねと言っているも同義だが?」

「《闇月の乙女》から奪うことは許さない」


 子供が玩具を奪われまいとするかのように強く抱きしめられて、まりあは余計に目が回った。

 ――黒衣の下の、大きな胸。広い肩。強い腕。

 いやでも男性の体であることを意識させられる。動悸が激しくなり、顔から火を噴きそうになる。


(う、うう……! ゆ、夢とわかっていても刺激が強すぎる……!)


 異性にこんなふうに抱きしめられた経験などない。

 ましてそれが、三次元には存在しないような美貌の青年になら尚更だ。


 ありえない僥倖にほんの少し惜しいような気もしながら、まりあは理性と良識のほうへ全力で舵を切った。

 力を振り絞ってアレスの腕から身を起こし、なんとか離れる。


「じょ、状況がよくわからないんだけど……、つまり《夜魔王》の代わりに、私から体力みたいなものが奪われている、ってことですか?」

「体力ならいいがな。お前、記憶の混濁があるのか? まだ完全に覚醒しきっていないようだが」


 まりあは一瞬黙った。

 ――覚醒しきっていないどころか、全力で寝ているに違いない。

 この状況は自分の脳がつくりだした夢のようなものなのだから。


 だが夢にしてもラヴェンデルの言葉に不穏なものを感じた。


「体力ならいいが、ってどういう……」


 おそるおそる聞くと、ラヴェンデルは心底呆れたような、疑うような眼差しを向けた。

 愚かな質問を延々と聞かされているというような顔だった。


「《月精》は我が女神ヘルディンの身より溢れ、闇夜のすべてに降り注ぐ恩寵。《闇の眷属》すべての根源となる力です。《闇月の乙女》、あなたがその身に宿す力です」


 ラヴェンデルの代わりに、アレスが真摯な表情で答えた。

 まりあは忙しなく瞬きをする。少し考えて、思い至る。


(聖女が強い《光精》を持ってるのと同じで、《闇月の乙女》ってやつも似たようなものがあるってこと……? 《闇月の乙女》はヘルディンの化身……?)


 アレスは形のよい眉をひそめた。


「あなたは目覚めたばかりでまだ本来の力を発揮しておられません……その状態で、他の者たちに月精を与えるのは危険です。あなたの慈悲が、夜の闇ほど深くあろうとも……」

「……えーと、私、そんなつもりなくて、わけがわからないんですが……つまり、その、どうなるんですかね?」

「わかりきったこと。お前の月精は否応なしに我々が貰うことになるし、それでお前がぼけたまま月精が尽きればそれまでだ。消える、死ぬ、好きな解釈をするがよかろう。もっとも、奴らが再度攻めてきて殺されるほうが先かもしれんがな」


 ラヴェンデルがあまりにあっさりと答えたので、まりあの頭はすぐにはついていかなかった。

 消える。死ぬ。殺される。


 それは冷たく硬い、石のような言葉だった。

 所詮これは自分の脳がつくりだした幻――だがその理性の声を責めるように、ずきりと肩に痛みがはしった。


 手をやったときに感じた、生々しく濡れる感覚――矢に穿たれた傷から滲む血の感触。

 まりあの背にぞっと冷たいものがはしった。


「――《闇月の乙女》は死なせません。私が護る」

「間抜けめ。我々が一人残らず死に絶え、《闇月の乙女》だけが残った世界に何の意味がある?」


 冷たく頑ななアレスの声に、ラヴェンデルも劣らぬ冷ややかさで応じる。

 まりあは目眩を覚えて、軽く頭を振った。

 ――やはりこれは夢だ、そうに違いない。

 だがそうだとしても、死ぬのも怪我をするのもいやだ。殺されるなど論外だった。


「じゃあ……どうすれば?」

「だから、決まりきったことだ! 《夜魔王》を解放しろ! お前の生死のみならず、《闇の眷属》全体の問題だ!! あやつがいなければこのまま滅亡の道をたどる!!」


 まりあはひどい頭痛を覚えた。

 ラヴェンデルの言葉のせいなのか、それとも月精とやらが奪われ続けているからなのかはわからない。


(攻め込まれて殺されないため、月精ってやつが尽きて死なないため――とにかく《夜魔王》を解放しろってこと――?)


 元聖女プレイヤーであるからか、苦労して封印した敵の首領を自分で解放するなどということは抵抗があった。


(でも……、夢であっても、痛い思いをするのも、死ぬのも嫌……!)


 ――これは所詮夢だ。それもゲームの。

 なら自分のために《夜魔王》を解き放ってもいいのではないか。

 たとえ大事になったとしても、夢は夢でームはゲームにすぎない。


 まりあは顔を上げて、ラヴェンデルを見る。


「わかりました。レヴィアタンさんを助けに行きたいと思います」

「……なんだその呼び方は。ともかく、決まったなら早く行くぞ。無駄な会話で時間を浪費したし、そのぶんだとお主の月精もさほどもたんないだろうしな」


 年若い少女の外見をした王姉は、もの言いたげにまりあを一瞥した。


「それで、一応確認しておくが……我が愚弟がどこに囚われているかわかっているのか?」


 まりあははっとした。それから自然と緊張して、抑えた声になった。


「《イグレシア》神殿の……螺旋牢、ですよね」


 そうだ、とラヴェンデルは言葉少なに肯定した。

 血の気が感じられない頬が強ばっている。


 ――《イグレシア》神殿。


 まりあは、その場所のことをよく知っている。

 プレイヤーの拠点であり、ゲームの主な舞台であり、聖女とその騎士たちの住まう城だったからだ。


 アレスがかすかに顔をしかめた。


「あまり賛成できません。この戦力で敵の本拠地に乗り込むのは危険です」

「この状況は既にどう転じても我々にとって滅亡の危機しかないのだ。故郷にいようが、敵の本拠地に乗り込もうが同じことではないか。それに正面から戦いを仕掛けに行くわけでもない」


 ラヴェンデルが不快げに反論する。

 だが平和な国の一般人であるまりあも、内心ではアレスの言葉に賛成した。


 たとえゲームであっても、いつも“優等生”、“良い子”な選択肢を選んできて、危険なもの、他キャラクターにちょっとでもネガティブな反応をされるのを無意識におそれていた。その心が怯んでいる。


 だが刻一刻と体から力が抜けていく感覚も、肩の痛みも待ってはくれない。

 何かをしなければ――ここでいずれかの選択肢を選ばなければ次の場面にはいけないのだ。


『敵の本拠地に乗り込みますか?』


 まりあには、そんな質問が見える気がした。

 そして画面いっぱいに、はい/いいえが上下に並んだ選択肢。


(……ああもう。夢ならせめて、もっと楽しくていい思いをさせてくれたらいいのに!)


 まりあは半ば自棄気味に、心の中の選択肢を決定した。


「――行きます。とにかく《夜魔王》さんを解放して、その後にまた考えたいです」


 ようやくのことで言うと、ラヴェンデルははじめからそうしろ、と尊大に言った。

 まりあはアレスを振り向く。

 青年はわずかに渋るような表情を見せたが、すぐにうなずいた。


「あなたの望みのままに」

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