Prologue2


(は~……やっぱり最高……!!)


 昏木まりあはローテーブルに突っ伏し、スマホを持っていない左手でテーブルをばしばし叩いた。

 耳からイヤホンを抜き、スマホをテーブルに置く。

 手よりも大きな液晶画面の中で、『太陽と月の乙女』のエンドロールが流れていた。


(……はあ)


 頬をテーブルにつけると、ひんやりとした感触が心地良かった。

 顔が熱いのは、暖房が効いてきたからというだけではない。


 夢中になってスマホを見ていたせいで少し頭痛がした。

 ラグの上でたびたび姿勢を変えたが、体の節々が痛んだ。

 ふと置き時計を見ると、間もなく日付が変わろうとしていた。


(もうこんな時間!?)


 帰宅したのが二一時近くで、それから夕飯もとらずに夢中になっていた。

 どうりで頭痛がするはずで、それに空腹も感じた。

 立ち上がって伸びをすると、二六歳の体とは思えないほど至るところが軋んだ。


(いてて。あー、ごはん面倒くさい……)


 のろのろと冷凍庫をあけ、小分けで冷凍しておいたシチューをレンジに放り込んであたためボタンを押す。

 解凍が終わってもわずかにまだ冷たいシチューを気もそぞろに完食し、おざなりに片付けてからまたもテーブルに戻り、スマホを手に取った。

 ホーム画面を見る。


 ――その背景に、美々しい金髪の男性キャラクターがいた。

 自分で壁紙に設定しておきながら、まりあはちょっとどきっとしてしまった。

 ふう、と誰にともなく誤魔化すようにため息をつく。

 左手で頬杖をつきつつ、目はトップ画面いっぱいに映る彼――《聖王》アウグストに吸い寄せられる。


 きらきらとハイライトが入った、華々しい金髪。

 その金髪は真っ直ぐで長く、理知的で穏やかな瞳は快晴を思わせる青色で、目の縁を囲む睫毛は長く、光を佩いたように描かれていた。

 高くまっすぐな鼻筋。薄く形の良い唇が、慈愛を湛えた笑みを浮かべている。


 画面には胸から上までが映っているが、その襟や肩からマントが垂れ、白を基調とした服と、金の縁取りや鮮やかな宝石をちりばめた装飾が見える。

 まさに、というにふさわしい容貌だった。


 胸から上までしか映ってない彼が、実は背丈にも恵まれていることをまりあは知っている。

 この表情は王の彼で、本当は結構活発で茶目っ気も持っていることも。


 数週間前に出会って、うっかり熱中してしまったスマホゲーム『太陽と月の乙女』。

 アウグストはそのメインキャラクターだった。


 まりあはしばらく画面に見入り、それから急に気恥ずかしくなってテーブルに突っ伏した。


(やっぱりアウグスト最高……!!)


 この数週間、暇な時間はほぼずっとスマホに向き合い、仕事中もずっと頭の中が『太陽と月の乙女』一色で、帰宅すれば即プレイして夕飯の時間を逃す、寝る時間が遅くなるということを繰り返していた。


(はあ。まさかこの年になって乙女ゲーにハマるとは……)


 まりあの、一般人的な感覚がそう言った。

 昏木まりあは、特別オタクという人種でもなければリアルが充実しているキラキラ系のどちらでもない。

 これといった趣味もなく、漫画や小説やアニメはそこそこ嗜む程度で、学生の頃はいくつか有名タイトルのゲームをプレイしていた、というぐらいだった。


 そしてこれまで遊んできたゲームはどれも王道の、ありふれたロールプレイングゲームやシミュレーションばかりだ。

 こういった女性向けに特化した恋愛ゲーム――いわゆる乙女ゲーム、にはあまり手を出したことがなかった。


 それが、である。

 まさか二六にもなって、うっかりはまってしまった。

 暇つぶしにスマホゲームでもやってみようかと思い立ち、アプリストアを覗きに行ったら、たまたまこの『太陽と月の乙女』のアイコンが目に入ったのだ。

 人気アプリとして表示されていた。


 アプリの説明ページを見る限りは簡単そうであったし、スクリーンショットで載っているキャラクターの立ち絵なども好みだったので、そのままダウンロードしたのだ。

 はじめたとたんどんどん引き込まれ、あっという間に没頭した。

 以来、毎日この世界に入り浸りだった。


 アウグストとの大団円を迎えてエンドロールが終わると、再びゲームのトップ画面に戻った。

 まばゆい空を思わせる薄青の背景に、輝く太陽が浮かび――『太陽と月の乙女』というタイトルロゴが画面の中央に刻まれる。


 スタートするにはタップしてください、の文字が点滅している。まりあはイヤホンを着け直してタップし、ふと疑問に思った。


(このタイトルはどういう意味なんだろ? 《太陽》はわかるけど……月は?)


 太陽は《陽光の聖女》、つまり主人公プレイヤーのことだろう。

 となるとアイコンにも太陽と月が描かれていることだし、主人公の対となるもの――月に相当するものがありそうに思えた。

 だが、ほぼすべてのエンディングを見てもいまだにそういった要素がない。


(この次に出てくるのかな……?)


 まりあはそう思いながら、セーブデータ画面を開いた。

『太陽と月の乙女』は簡単なRPGとシミュレーションとノベルゲームが合わさったようなつくりだ。


 プレイヤー/主人公は、基本的にステータスを上げ、選択肢をこなしていくことで、複数いる攻略キャラクターのいずれかとエンディングを迎えることができる。

 ステータスは、聖女としての修行や、ほぼボタン連打で終わる戦闘などでレベルを上げれば上昇する。

 また一度エンディングを迎えると、ステータスは引き継ぐことができる。


 セーブデータ欄の一番上は最新のものだった。

 周回済みでステータスを引き継いであり、とにかく本編を進めるためのデータである。二番目、三番目以降の欄はもう一度見たいお気に入りシーンなどの手前になっている。


 セーブした日付の下に、章タイトルと主人公のレベルが表示されている。

 スタートからエンディングまではいくつかの章で区切られていた。

 一番上のデータはレベル99。上限値。いわゆるカンストだった。すべてのスキルを習得しているし、装備品やアイテムはどれも一級品で固められている。


 今度は一番上のデータに触れ、ロードし終えると、架空の世界が液晶の画面いっぱいに広がる。

 左右にアーチ状の白い柱がいくつも並び、同じくアーチを描いた高い天井――はめこまれたステンドグラスが光を投げかける礼拝堂があった。

 奥に見えるのは女神《リデル》の似姿。


 輝ける礼拝堂を背景に、もっとまばゆい金髪の男性の上半身が現れる。

《聖王》アウグスト。

 ――つい先ほども個別ルートを見返した、まりあの最愛のキャラクターだった。


 そのアウグストの立ち絵の下に会話ウインドウが表示され、その中に台詞テキストが現れる。


『準備は良いか?』


 アウグストの台詞だ。それから、はい/いいえの選択肢が現れた。

 ゲームの終盤によく見られる最終決戦前の、この先に進めばもう戻れない、といった意味だ。

 ラスボス戦は既に何度もこなしたが、今回は少し意味が違い、念のため確認しておくことにした。


 画面端にあるメニューをスライドで引っ張り出し、《編成》を選ぶ。

 すると、戦闘に出るメンバーが表示された。画面が四つのステータス画面に分割される。


 左上から《聖王》アウグスト、その右隣に《近衛隊長》エルネスト、左下に《神官》ヘレミアス、右下に《騎士》ヴァレンティアとなっている。

 特にヴァレンティアを加入させられるのは珍しい。おそらくだけだ。

 聖女プレイヤーも含め、すべてが準備万端だ。万一にでも負けることのほうが難しい。

 まりあは『はい』を選ぶ。


『では行こう、世界に平和と安寧をもたらすために――』


 深みのある青年の声で読み上げられる。

 イヤホンでそれをまざまざと聞いたまりあは、思わず身もだえしそうになった。


(相変わらず声優さんがいいなぁ……!)


 この『太陽と月の乙女』はフルボイスだ。

 すべてのキャラクターに声優が割り当てられている。

 声優にさほど詳しくもないまりあからしても、とてもキャラクターに合っていると感じた。

 イヤホンで聴いているからか――きわめてリアルで、本当に耳元でささやかれているような気分になった。


(う……)


 思わず頬が熱くなった。

 職場の仲間たちには絶対に言えない。

 二六なのに彼氏が二年いないなどと言って焦る人種と、二六年いなくてもゲームで毎日が楽しい自分とでは住む世界が違いすぎる。

 だが楽しいのだから、いいのだ。誰にも迷惑はかけていない。


 まりあは手で顔に風を送りつつ、スマホの画面に意識を向けた。

 ――攻略可能キャラはすべて攻略したし、どのキャラとも恋愛しない共通エンドというものも見た。

 選択肢選びを失敗して迎えるバッドエンドも見た。

 思いつく限りのエンディングはすべて制覇したはずだった。


 だが、ネットで検索してみると、どうやらもう一つエンディングがあるらしいと知った。


(……トゥルーエンド)


 すべての個別エンディングなどを迎えると、物語そのものの本当の結末が解放される――いわゆるトゥルーエンドと言われるものが現れるゲームもある。

 つまり、いま自分が進めているルートがそれに当たると思われる。


(もしかして、タイトルの《月》はそこで回収される?)


 場面は切り替わり、アウグストの立ち絵と輝く礼拝堂の背景は消え――閃光に画面が染まる。


 やがて反転する。


 突如として、深い闇色に染まる。

 暗い画面の中を落ちてゆく。

 その中で、か細く白い砂粒のように散っているのは星の光だ。

 次第に幾重もの薄いカーテンのような雲が現れ、突き抜ける。


 ――そうして、闇の世界が見えてくる。


 常に深い夜に包まれた大地に、漆黒の巨城が浮かび上がる。

 背の高い尖った屋根を持つ、峻厳な山のようなシルエットは《闇の眷属》の本拠地であり、《夜魔王》の居城だった。


 夜を更に落ちて、魔の城へ向かってゆく。


 そして突然、画面の中央が明るくなった。まりあは目を瞠った。

 明けることのない夜、《闇の眷属》の世界とうたわれる漆黒の空に、冴え冴えとした白銀の光が――巨大な満月が浮かんでいる。


 青白く銀色で、かと思えば黄金の光をも帯びる妖艶な天体。


 まりあの心臓ははねた。

 いままでこんな演出は一度もなかった。

 これほど完璧な満月が見える演出は一度もなかった。


 ――そもそも闇の世界は永遠の夜に包まれていて、光などほとんどないとされていた。

 だがいま魔王城の尖塔も、巨大な城の輪郭も淡い白銀を帯びてはっきりと見える。


 まりあの操る主人公とその仲間であり友であり恋人であるキャラクターたちは敵の本拠地へ降り立つ。


 敵の本拠地といっても、このルートでは、敵の首領である《夜魔王》は後半の激闘イベントの末に既に封印している。

 根城に残っているのは、《夜魔王》ほどではないが強大な力を持つ魔王の姉と、残った仲間だ。


 この『太陽と月の乙女』は恋愛ファンタジーでありながら妙にこだわるところがあって、どのルートであってもが前提になっている。

《夜魔王》を倒したり封印するだけでは不十分らしい。


 つまりこの城にたてこもっている残党と最後の戦いをして、勝てばエンディングだ。


 場面は切り替わり、昏い城の中が映される。

 主人公の世界はいつも光に満ちて昼時の明るさが常であったから、こちらの世界はいっそう暗く感じる。


 城の中に侵入すると、《闇の眷属》と遭遇エンカウントした。画面が切り替わり、暗い王城を背景に、敵の姿が現れる。

 巨大な獅子の体を持ち、尾は蠍という怪物だった。


(お。珍しい敵だ)


 まりあはちょっと目を瞠った。

 このモブは遭遇率が低く、倒すとレアアイテムを落としてくれる。

 だが相応に手強く、レベルが低いうちは逃げの一択、同等でも苦戦するような敵だ。

 ――しかしいまの聖女まりあの敵ではなかった。


 単純に殴るだけでも倒せるが、前衛の《聖王》たちに守られながらまりあはスキルを発動させた。

《聖戒の鎖》というスキルが発動し、画面に光の鎖が現れて敵を縛りつける。

 そして『攻撃力・防御力低下』という説明が点滅した。


 更に味方の攻撃力を底上げする魔法もかけておく。アウグストたちの剣が白い光に包まれた。

 最後には《刃なす光》という一つだけ毛色の違うスキルを選択した。


 とたん、鋭い刃を思わせる光が画面に乱舞し、敵が獣の雄叫びをあげてダメージを受けたことを表す効果音のあと、消失した。

《勝利》の文字が躍る。


《刃なす光》は聖女が持つ唯一の、攻撃系の大技だ。

 いかなる敵もこれで一撃だった。ステータスを上げきってしまうとこんな大技も余裕をもって連発できた。

 まりあは性格的に弱体化魔法を愛用したが、その後にこんな大技を使わなくともだいたいは一撃で敵が沈む。


『太陽と月の乙女』はなぜかスキルが豊富だ。

 とはいえ補助魔法はあまり必要性がない。レベルが低めのときにお世話になるぐらいである。

 が、低レベル時代に頼りにしていたこともあって、まりあはカンストしても補助魔法を使うのが癖になっていた。連発できる余裕もある。


 その後も何度か敵の残党と遭遇したが、すべて殲滅して進んだ。

 目指すはマップの最奥、かつて《夜魔王》がいた玉座だ。

 いまは王姉がそこにいる。


 やがていかにもといった、巨大で重厚な両開きの扉が画面いっぱいに映った。

 硬く閉ざされたその巨大な扉を背に、《聖王》アウグストの立ち絵が現れる。


『この先に、《闇月の乙女》がいる。準備はよいか?』


 緊迫した声に、これまでと同じように条件反射で『はい』を選択してしまった。それから慌てて画面を見た。

 ――アウグストの台詞が違う。

 それは、いままでなら警告するキャラクターこそ違ったものの、内容は


『この先に、がいる。準備はいいか』


 という同一のものだった。

 ――この先からはラスボスとの戦闘、イベント、そしてエンディングまで一直線で、この先に進んでもいいか、という確認のメッセージ。

 ラスボスは王姉ラヴェンデルであったはずだ。


《闇月の乙女》などという単語は、いまはじめて見る。


 だが戻ることはできず、アウグストの立ち絵が消え、背景だった扉が拡大される。

 ゆっくりと、内側に向かって開く。

 どこか地鳴りにも似たサウンドエフェクトが響く。


 玉座の間は、外とは違う藍色の闇に満ちていた。

 深く昏い、けれどどこか海の底のようにも宇宙のようにも見える青の中、発光する微生物、あるいは遠い惑星の光にも似たかすかなきらめきが散っている。


 その先に玉座があった。

 ――いままでなら、そこには華奢な少女ラスボスがいるはずだった。

 だがいま、そこにいるのは見知らぬ人物だった。

 少女の外見をした王姉ラヴェンデルではない。もっとすらっとした、成人のシルエットだ。


 アウグストたちはもちろん、敵の《闇の眷属》側のキャラクターもすべて知っているまりあにも見覚えがなかった。

 ――ここにきて初めて見るキャラクターだった。


 玉座に腰掛けたその体の、上半身は暗い影に覆われていて見えない。

 どこか喪服を思わせる漆黒のドレスは、裾へ向かって紫や蒼に揺らめき、淡い光がちりばめられている。

 腰の部分に後ろから包むような銀の帯状のものがあり、そこから仄蒼い薄衣が垂れていた。

 それがまるで、の足元に夜が映し出されているかのように見えた。


 玉座の人物はゆっくりと立ち上がった。


(これが、《闇月の乙女》……?)


 まりあは画面を食い入るように見つめる。

 この《闇月の乙女》らしき人物――おそらくは女性キャラクター――は何者なのか。


 その瞬間、の足元に巨大な魔法陣が青白く浮かび上がった。

 画面に文字が浮かび上がる。最後の戦いであることを示す演出。


 “《闇月の乙女》を倒し、世に平和の光をもたらせ――”


 画面中央に白く浮かんだその文字が消えると、魔法陣の光がひときわ強くなる。

 月に似たその光は、立ち上がった黒いドレスの女性の顔を照らす。


 まりあの息が止まった。


 その女性の顔、

 突如現れた《闇月の乙女》というラスボスの顔は、




(私……!?)




 そうして一度も見たこともない、強烈なエフェクトが生じる――に、目が眩んだ。

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