第10話「ミアの想い」

『アーヴィスには私が付きます』


 アーヴィスが研修の一環で本院のこのチームに来ると知った時、セーバーのミアはチームリーダである中級治癒術士であるデイジーへ名乗り出たのは理由があった。



 配属というものは、本人にとって儘ならないのが常である。英雄ジルを尊敬し、彼と共に命を助けたいとグレンダリア治療院で働く者が多い中で、セーバーであるミア・ストロノーフは特にその気持ちが強かった。


 しかし、ジルが所属するチームアンチトードはこの大きな治療院の小さな一角であり、いざ、そのチームで働けるかどうかとなると、限りなく可能性は低く、財務担当の役人であるエベンスが事務長を兼任していることから、一切の人事権を持つ彼の采配で全てが決まってしまう。


 ジルが『エベンスの人を見る目だけは秀逸』と言うように、彼の人事における采配には抜かりはない。セーバー一人にしてもミアではなく、毒を持つ魔物の知識の有する元冒険者のモルトをチームアンチドートに配属させたのは誰もが異を唱えることのできない最も合理的な理由からである。


 だからと言って、彼を慕うミアがその想いを簡単に捨てきることができるわけではなく、現在の自身の仕事をないがしろにすることは決してないが、彼女の抱く想いは時が経つにつれより一層増していた。


 ミアがジルの被保護者であるアーヴィスに入れ込むのは、そのような経緯からであった。



「ミア、ここには何て書けばいい?」


「そこは、、、経過記録を書く場所だから、まだ書く必要はないのですよ」


 ミアの返答の間には間があったのを、何か別のことを考えているのだと思ったアーヴィスは少し覗き込むようにして彼女に言葉を返す。


「わかった。……ミア、怒ってる」


 何でもやらす、経験を積ます、実践させるをモットーにしているデイジーと、先ずは学ばせることに重きを置くミアとは、こと指導におけるやり方は真逆であり、何度も彼女たちはアーヴィスへの対応の是非を言い合っていた。


 特にこの治療記録など、まだまだ学ぶべきことが山ほどあるアーヴィスにやらせる必要なんて全くないと思っているミアは、何事も経験と丸投げしたデイジーに苦言を呈していた。


 しかし、そんな中でも何事も本気で取り組み、みるみる内に吸収して、正解に近い行動を能動的に行うアーヴィスを見てより複雑な気持ちを抱いていた。


「怒るワケないじゃないですか。……怒れるワケないですよ。……でもね、アーヴィス、確かにデイジーのやり方や早く一人前になりたいっていうアーヴィスの気持ちも間違いではないってことくらいは私もわかっていますが―――」


「人の命を左右する場面においては、より慎重にならなければいけないってこともアーヴィスには知ってもらいたいんです。……だから、アーヴィス、仕事が終わって宿舎に帰ったら、今夜いつでも良いですから、私の部屋に来てもらえませんか?」


 ミアの真剣な眼差しをジッと見つめながら聞いていたアーヴィスはコクリと頷いた。




「アーヴィス、今日はずっと本院だったよね? どうだったっ? 美味しいお菓子を貰ったから私の部屋でお話ししようよっ」


 お風呂上がりのアーヴィスを宿舎の中で見つけたティナは彼女に駆け寄って、その両腕を掴み楽しそうにブンブンと楽しそうに振るが、腕の動きと同じようにアーヴィスの首もフルフル振られていた。


「ごめん、今から行くとこがあるから」


「えー、残念。何か振られるジルの気持ちがちょっとわかっちゃうかも」


 そして自分を離れてトコトコと歩き出すアーヴィスの小さな背中を見ながら、ティナは『一体何の用事があるのだろうか?』と首を傾げながら眺めていた。



 3階のある部屋に辿り着いたアーヴィスがコンコンとノックをすると、数秒もしないうちにその扉は開かれた。


「いらっしゃいアーヴィス。わざわざ来てくれてありがとうございます」


「うん。ちゃんとミアと約束したから」


「嬉しいです。―――私はアーヴィスにどうしても見てもらいたいものがあったから」


 そう言いながらアーヴィスを部屋の奥に通したミアは、事前に準備していたコップを渡す。


「ちょっと、まだ熱いかもですけど。アーヴィスには冷ましておいた方が良いかと思いまして先に入れておいたんです」


 美味しそうな香りに釣られて、それが何なのかもわからないまま、つい啜ってしまったアーヴィスが感嘆の声を漏らす。


「おいしい。チョコレート。……ミアの見せたいものってこれ?」


「ああっ、違います違います、これはただの私の趣味でして、、、見せたかったのはこっち」


 そう言ってミアが本棚から取り出したのは、表紙には何も書かれていたい使い古された一冊のノートだった。


 飲みかけのコップを一旦テーブルに置いて、改めて受け取ったノートを見るアーヴィス。


「……名前がいっぱい書いてある」


「この方たちの名前は、私が治療院で働き出してから、私が関わった中で亡くなった人たちの名前なんです」


 ミアの言葉にほんの少しビクッとなった際にそのノートがアーヴィスの手から滑り落ちそうになったが、慌ててギュッと力を入れてそれを握る。


「このドノバンって言う方は、私が治療の順番を入れ替えるようにもっと強く進言していれば助かっていたかもしれない方です。このビーナっていう駆け出しの魔術師の女の子は、治療にあたった治癒術士が未熟なのに自信家の人で、私が他の―――ジルみたいな他の人を呼んできてたら多分助かってました」


 尻すぼみに声のトーンが落ちていっているのに自覚したミアは、アーヴィスからそのノートを取って一度パタリと閉じて言葉を続けた。


「アーヴィスはグレンダリアの厄災ってしっていますか?」


 その言葉を聞いたことはあるが、内容をよく把握していなかったアーヴィスは静かに首を振る。


「確か、私が9つくらいの時でしたね。グレンダリア周辺にいきなり大勢の魔物が表れて、国の兵士だけでは応戦できず、国中の皆が対応に追われた戦いでした。聖剣には選ばれていたみたいですが、まだ英雄と呼ばれていなかったジルも偶然グレンダリアにいて、剣士として最前線で戦ってこれでもって言うくらいに疲れ果てた後なのに、必死で倒れている皆を治癒していました」


「私の周りにも倒れている人がいっぱいいて、色んな治癒術士の人に助けを求めたけど手一杯だって怒鳴られて、私は泣きそうになって、それでも助けを呼ばなくちゃって、つい一番大変そうだったジルを呼んだんです」


『ありがとう。キミのおかげでこの人の命は助かったんだよ』


「声を出すのも苦しそうだったジルがそう言ってくれて、私も人の命を助ける仕事をしたいって思いました」


「結局、その戦いでは大勢の人が亡くなって、私の両親も死んじゃったんですけどね。でもその時に誓った私の夢はずっと変わらなかった。孤児院で小さい子のお世話もしなくちゃいけなかったから、治癒術士になることは叶わなかったけど、この通りセーバーになることはできました」


「私は治癒術は使えないけど、あの時ジルが言ってくれたのは『そんな私の行動でも人の命は常に左右される』ってことなんです」


「だから私がアーヴィスにどうしても伝えたかったのは、慎重になるのは決して臆病になることじゃない、ただガムシャラに前に進むのではなくて、後悔しないようにしっかり考えて一歩ずつ前に進んで欲しいってことなんです」


「ただ未来だけを見るんじゃなくて、今できる自分の最善をちゃんと考えて欲しいんです。って……プリーストになれなくて、セーバーとしてもまだまだ未熟な私が言っても説得力はないかも、、、なんですけどねっ!」


 しんみりさせ過ぎてしまったことを気にして、最後はあからさまに語尾を強めておどけたミアだったが、アーヴィスにはしっかりその想いは伝わっていただろう。


 ミアの手をギュッと握りしめるアーヴィス。


「ミアはすごい。絶対に間違っていないから」


 少ない言葉でも、彼女の強い気持ちが返ってきたのがわかったミアはホッとしたように微笑んだ―――刹那、宿舎のロビーから悲鳴のような声がミアの部屋にも聞こえてきた。



「だれかっ!誰かすぐ来てっ!!前の道で人が倒れている、足が真っ黒になってる!!」



 その声に顔を突き合わせたミアとアーヴィスは慌てて部屋を飛び出した。

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