第5話「ジルとアーヴィス」
冒険者時代に限定するなれば、魔王討伐を達成したジルが一生かかっても忘れられない悲痛な思い出は2つあると云われている。
ひとつは幼少の頃、魔物の毒によって失われた唯一の家族であった実の妹の死を機に治癒術士を志して邁進していたジルが冒険者になってからようやく
『どうして俺なんだよ……なんでだよッ!?お前は俺に今更剣士へ転職しろとでも言いたいのか!!』
その場にいた仲間を始め、それを見守っていた世界各国の王族の面々も、直視を躊躇わせる程に歪められた彼の顔と、手にして掲げた瞬間に光り輝いた聖剣を投げ飛ばした時の言葉が今も強く印象に残っていると口を並べる。
もうひとつは現在彼と同居している少女、アーヴィスとの出会いに深く関わっている。
彼女はかつて魔王が拠点としている地に最も近い場所にあるエーデ村で両親と共に生活をしていた。
先の理由で頻繁に魔王軍から襲撃を受けていたが、周囲の王国の援助もあって苦しくもなんとか存えて続けていたエーデ村のその存在に終止符が打たれたのは皮肉にも魔王討伐と同日だった。
ジルを筆頭に周囲の戦力が魔王に集結したという理由もあるが、魔王の側近サルーダベイヒがエーデ村に直接攻撃を仕掛けていたということが決定打だろう。
その側近は魔王討伐後の足で英雄たちにより駆逐されたものの、人々への脅威性を鑑みればそれは魔王すら凌駕するものであり、事実サルーダベイヒの口内から飛散した毒は一瞬にして村人の全滅に至らせた。
正確には唯一の生存者を除いてだが。
エーデ村の悲惨な状態を目にしたジルは物音一つないシンとした村から僅かに聞こえる虫のような息の音を感じ取り、両親と思われる男女に覆い被ぶされた小さな女の子を見つける。
その子だけが辛うじて生き残っていたのだが、極微量にも関わらず庇った両親から付着して侵された毒により生命の維持は困難な状況にあった。
少女はジルやマスター・プリーストのローデンの懸命な治癒によって一命を取り留めたが完治には至らず、その子が大人になるまでは毎日専用のキュアを施さないと解毒できない後遺症を患う。
そんな経緯があり、ジルはその時の少女アーヴィスを引き取ることとなる。
もちろん仲間の中にはそんなことまで背負い込む必要は無いとジルの決断に説得を試みる者も少なくなかったが、彼にとってその時のアーヴィスがかつて失った妹とどうしても被ってしまい、結果的に聞く耳を持たなかった。
そして、ジルにとっての忘れ難い悲痛な思い出とはアーヴィスを助けるときに必死に彼女から訴えられた言葉にあった。
『……ろして、わたしを、ころして……ください。ぉとうさん、と……おかぁ、さんといっしょにてんごくに……いかせ、て』
当時5~6歳だったアーヴィスはその幼さにも関わらず、常に魔王軍の脅威に晒されていたエーデ村の中で既に死の概念を理解していた。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「ただいまアーヴィス、今帰った」
先日、仲間と呑みに行ったことで同居人の機嫌を損ねていたジルは、この日は治療院の勤務を終えると直行して帰路についていた。
いや、直行と言ってしまうと語弊があるかもしれない。それはジルが同僚であるローデンの愛妻へのご機嫌取りの秘策を真似て、帰り道にその同居人へ甘いお菓子を買うために少し寄り道をしたからだ。
「……ジル、今日は早かった」
サルーダベイヒの大惨害やエーデ村の悲劇とも呼ばれるあの惨劇により、今ではこそ心の傷も少しづつ癒えつつあるとはいえ、大きなトラウマを負ったアーヴィスは感情表現に乏しく、言葉数が少ないという弊害を患っていた。
「おいおい、遅く帰ったのは昨日だけだったじゃないか。まだムクれているのか?……まあそんなお前もこれをみたら少しは機嫌も直るだろう」
そう言うとジルは手に持っていた包みを渡す。
「む、これはエリーゼ通りの水まんじゅう……でも、こんなミエミエな作戦では傷ついた私の心は到底―――」
「口端から涎が垂らしている小娘が何を言う」
それを見逃して、更に平伏するほどジルも素直な人間ではなかった。
ジルが食卓につくと、既にテーブルの上にはいつも以上に手の込んだ夕食が準備されており、彼は何かの祝い事だろうかと怪訝な目でそれを見つめていた。
「やけに豪勢だな」
「昨日食べなかった分、そして今日の分。ちゃんと食べてもらうから」
昨日の胃もたれが未だ解消していない彼だったが、この量の夕食がアーヴィスからのペナルティだと悟ったジルは、勘弁してほしいとは決して言えない。
「では、いただくとしようか」
「めしあがれ」
気合を入れて完食を目指したジルだったが、8割ほどの消化に成功したものの、彼の胃のキャパシティは物理的に限界を超えており、それを精神的にどうこうするのには無理があった。
「ジルはよく食べた……だから許す」
アーヴィスのその言葉に含まれているのが、夕食を完食できなかったことなのか、昨日のことなのかは分からないが、思いの外彼女が寛容だったことにジルは安堵する。
「じゃあ、アーヴィス。動くのも億劫になるほど腹が膨れてしまったから、俺が牛になってしまう前に今日の分のキュアを掛けておくとするか」
これは彼らの日課であり、アーヴィスが大人になるまでそれを一日でも怠ってしまうと幼少の頃に受けたサルーダベイヒの猛毒が彼女の体を蝕んでしまい、それを抑え込むために決して欠かしてはならないことであった。
「……」
しかし、ジルが棚の上に常備してある緑の魔石を手に取ろうとすると、アーヴィスは自分の手でそれを掴み取り、彼をジッと見つめた。
「どうしたアーヴィス?」
「……」
彼女が口を開かないのはそれを言えないのではなく、言うべき言葉を探しているという様子を感じ取ったジルは急かすことなく彼女を待つ。
「……ジル、見て欲しい」
暫し静寂が過ぎたあと、アーヴィスは魔石を自分の胸に押し当てた。
「―――――
彼女自身の詠唱により穏やかな緑の光がアーヴィスの胸へ照らされるさまを目の当たりにしたジルはこれでもか、と言わんばかりにその瞳を開らいていた。
「……い、何時からなんだっ?」
「ひと月ほど前」
「念願のっ、プリーストにっ、なれた、っんだろッ?」
語尾が詰まるほど感極まる彼の言葉に、アーヴィスはコクリと頷く。
「治癒術士協会にも既に入会している」
感情表現に乏しい彼女であったからこそ、10年以上も日々の生活を共にしているジルへそれを悟られなかったのだろう。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ!?」
「……」
アーヴィスはほんの少しだけ顔を伏せた。
「ジルが心配しそうだったから……でも昨日ちゃんと言おうと思った」
昨日のことを必要以上に拗ねていたことや今日に残されていた豪勢な食事など、色々なことが一気に繋がったジルは深い深いため息をつく。
「そういう事だったのか……昨日は本当に申し訳ないことをしたっ」
アーヴィスはふるふると首を振る。
「でもっ、俺が何を心配するって言うんだ?これからはアーヴィスが自分自身で自分の体を救えるんだぞっ!こんなに素晴らしいことは無いじゃないか!」
「うん、ジル。今まで本当にありがとう。これからは自分でやれる。だから、もうジルに負担を掛けなくてもよくなった」
彼女の言葉回しにジルは少しだけ不安が過る。
そして彼は昨日の為に準備されていたご馳走の本来の意味を知る。
「……だから、だから私はこの家を出て行こうと思う」
「えっ―――」
およそ十年に渡る彼女との生活に終止符が打たれたのは、余りにも唐突だった。
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