第3話「財務担当の役人、エベンス」


 グレンダリア王国に昔から存在する大治療院は建物や組織としての規模は大きいものの、以前は薬師などが薬草を用いて怪我や病気を治すといったことを中心とした存在であり、基本的には魔物との戦闘で起きた毒の治療は冒険者自身が現地で解毒するのが当たり前だった。


 しかし今から10年ほど前、魔王討伐の凱旋で国王に謁見した英雄ジルは、その際にグレンダリア大治療院へ毒払いを専門とした治癒術チームを発足させてほしいと懇願した。


 現在彼自身が勤める治療院の一角に専門の毒払いチームチームアンチドートが出来たのはそのような経緯によるものだった。



「気持ち悪い……」


 お腹を擦りながら治療院に出勤してきたジルはグロッキーで到底今から元気よく働こうとするような者の顔ではない。


「どうしたジル。辛そうじゃないか」


 先に治療院へ出勤していたローデンは挨拶がてらジルに声を掛けた。


「奢りに釣られて昨日は飲み過ぎたらしい、特に最後のシメのダリアン汁は余計だった。その上、家に帰った後はアーヴィスからチマチマと嫌味を言われてな」


 アーヴィスとは、ある事情でジルが冒険者時代の終わり頃に冒険先の現地から引き取った少女であり、今は同じ家で生活を共にしている。


「アイツは言葉数は少ない癖に、言い始めたらグチグチとしつこいからなぁ。ローデン、お前のところも似たようなもんだろう?」


「俺はちゃんと帰りに嫁へ土産を買っていったからな。その点は抜かりない」


 要するに自宅に晩御飯が準備されていたにも拘らず、外で呑んできたことへの説教。


「お前はご機嫌取りが上手いからな、是非ご教授願おう」


「そのうちな。それよりエベンスが皆を集めているぞ、さっそく昨日の追加注文に不満があるらしいな」


「あぁ……家でも職場でもグチグチグチグチ、耳が痛いぜ」




 出勤したその足で会議室へ入ったジルとローデンだったが、部屋を見る限り彼らが最後だったようだ。


「ようやく来たか、ジル。―――それでは皆聞いてくれ!今現在この治療院は大赤字だ。そしてその赤字の殆どがこの専門チームによるものだ!」


 財務処理の一切を預かる国の役人であるエベンスは机を強く2度叩き、大声で叫んだ。


「ただでさえ今月は節約月間だというのに、昨日の追加注文はなんだ?特大の赤魔石が5つ、青が13、その他諸々数え上げたらキリがない!」


「ならばいっそのこと数えなければ良いと思わないか?ローデン」


 ジルがそっとローデンに小声で言うが、エベンスがギッと彼らを睨みつける。


「聞こえているぞ、ジル!これもお前たちが自分の財布じゃないからって好き勝手やっている所為だ!諸君らは全く私の話を聞かないし、経営悪化で国の大臣たちには毎日ドヤされるし、少しは胃の痛い私の身にもなってくれ!」


「俺の治癒術でその胃の痛みをとってやろうか?」


「そんな術式があればこっちから教えて欲しいくらいだ!」


「あるのか?ジル」


「いや、ない」


 エベンスの沸点は最高潮を来たし、ジルの悪ふざけにローデンも呆れ顔だった。


「ああ!また話が逸れた、兎にも角にも今は無駄の削減を徹底してくれ!こんな状況がずっと続けばチーム存続も危ういものと思え!」


 発言の度にバンバンと机を叩く強さが増していくエベンス。



「それよりもこの人に私が王女じゃないと、ちゃんと言って下さらないかしら、エベンス」


 いきなりにもティナが空気を読まずにジルを指差してそう言った。


「えっ?いや、今は……」


「瞬時にしてこの空気をぶった切ったわ。ティナは流石ね」


 ローデンとジルの間に顔を埋めるようにして苦笑を溢すヘルミナ。


「ねえ、エベンス。私は姫じゃありませんわよね?」


「あっ、はい。エリーゼさ―――ティナ様は決して王女殿下ではありません」


「いや……今、エリーゼ様って言いかけただろ。そもそもティナみたいな小娘に様付けすらおかしいじゃねえか」


「いや、私はそんなこと言っていない。エリーゼ―――通りに新しく出来た店が評判だと言いかけたかもしれない」


 第2王女誕生を記念して出来た商店街は確かに通称へ王女の名が使われているが、流石にその言い訳には無理があった。


「無理するなエベンス、また胃が痛くなるぞ」


「……」


「まあそれより、ですが。お父さ―――国王様はこの毒払いチームチームアンチドートには特別寛容にございます。少しの赤字くらいは民の命だと思えば決して無駄なものじゃありません」


「ティナ、お前もお父様って言いかけてんじゃねえか……というよりも諸々ボロを出し過ぎだ、自分の身元を隠す気ないだろ……」


「エ―――ティナ様、国王様はそうであるとしましても、実際に大臣からは色々と苦言を申されておりまして……それに赤字は少しではなく相当なものでして……」


「大丈夫よエベンス、貴方ならきっとやれるわ」


「そう言われましても……」


 もはやジルの突っ込みを気にしていない2人のやり取りにローデンとヘルミナは肩をすくめる。


「流石のエベンスもやり辛そうね」


「全く哀れだ」



 会議の流れはティナの気儘から既に寸断されていたが、セーバーの入室にてそれは完全に中断へと変わる。


「近隣の村に魔物が大量発生した模様、こちらにも続々と負傷者が運ばれてきます!!」


「了解だモルト!すぐに行く。ローデンは2番、3番はヘルミナ、ティナは4番で先に受け入れ準備をしておいてくれ」


「わかった」


「OK、ジル」


「承知しましたっ!!」


 先に他の3人が会議室から駆け出したあと、ジルは取り残されたエベンスに声を掛けた。


「―――それからエベンス。今後は俺たちも節約を心掛ける……多少はな」


「多少じゃない、徹底だ。……頼んだぞジル」

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