《キミトボク、トワノユメ》


次の日、俺は夕夢を預かっている伯父の家を訪ねた。はっきり言って芦屋のど真ん中。伯父のほうは仕事で留守だったが、父親の兄の妻にしては若々しい叔母が話に応じてくれた。

「そうですか・・・透和君が夕夢を探して大阪へ」

「俺は、透和君は夕夢と双子として生まれて、すぐ亡くなったと聞いていますが」

「あの子達の母親は体が弱くて、透和君だけが里子に出されたんです。当時は夫はまだ独身でしたし、でもあの子のご両親も交通事故で亡くなって、夕夢だけをうちで引き取ることになった時に夫が古道具屋で買ってあの子にプレゼントしたのが、トワでした。彼女はあの人形の顔を見るなり『この子はトワ』と当たり前のように呼んだんです。驚きました。この子の兄の名が透和で、離れ離れになったのはあの子が物心つかない頃だと聞いてましたから」

若く心優しい叔母は、彼女の姪の体に起きている奇妙な症状を何の抵抗もなく認めた。

「夕夢のご両親が亡くなったのはもう8年も昔のことなんです。その時から夕夢は10歳のままです。人間の心は大きな衝撃を受けると身体に様々な、とても信じられないような心因性反応を現すものなのです。あの子は両親を失ったショックで・・・」

「さすが、結婚前のご職業が総合病院の看護師さんというだけありますね」

「私、子供を産めない体なんです。夕夢は私の大事な娘です」

彼女はレースのカーテンがなびく窓を背に、和やかに微笑んだ。


あのカニ女社長が夕夢を狙う理由は何か? どこかで彼女の不老の噂を聞きつけ興味を持ったのか? その不老の秘密を自社製品か、或いは自分の若さを(今更)保つ為の研究に使うのか?


異常に長く眠り続ける夕夢を病院に見舞うと、透和がベッドのすぐ隣で、眼に深い隈を作り、彼女を看護するというより監視している。俺に気づくと、ホッとした顔で力無く片手を上げた。

「不思議だな。寝顔見てると解るんだ。間違いない、こいつは妹だって。血筋ってのかな」

「少し休めよ、代わってやるから」

と勧めると、「すまん」と一言言って、コトリと眠り込んでしまった。

夕夢の枕元、トワが雨水の跡で泣いてるように汚れた顔で座っている。俺は部屋の隅にアルコールを見つけ、ガーゼに染み込ませてトワの顔を拭った・・・ちょっと待て!白塗りメイクが剥がれて、・・・おい、この顔。透和だ。

おいお前、何で透和と同じ顔なんだ?

『バレたか』

トワは決まり悪そうに笑った。

『メイクに隠れた顔が、僕の使命を継ぐ者・・・僕の代わりに夕夢を託すべき者の顔に変わるんだ。いよいよ、時が来たんだ。彼女が僕を必要としなくなる時が』

トワは透和の顔のまま語り続ける。

『僕は、正確には人形じゃない。自分で動くことができないだけで、魂を持っている一種の生命体だ』

夕夢の成長を止めてるのもお前の力か?

『子供は守りやすいんだ。行動範囲が狭いし、操るにも意外と小回りもきくし・・・ただ、夕夢、最近睡眠時間が異常に長くなってる。シシュンキって言うのかな? 体が変化する時期だし。成長を止めるには無理が来てる。でも彼女が大人になっちゃったら、僕には夕夢を守りきれない。今の姿かたちが、限界なんだ』

俺は、夕夢のことは、頼りないけどあの兄貴に任せて、一緒に伯父さんに預けるのが彼女の為だと思うなぁ。

『本当に夕夢にとっての幸せはそういう結末だろうか? ・・・ねぇ、幸せは人それぞれの形があって、夕夢のハッピーエンドがどういうものなのか、現太郎、あんたに言えるかい?』

・・・そんな鋭いツッコミ入れられても困るけど・・・トワ、ハッピーエンドの後は決してエンドじゃない。彼女が自分で選んで生きていく人生がずっと続くんだ。

『解った。今は運命に従う』

そう言って一つ瞬きをしたら、トワの顔はいつもの白塗りに戻っていた。硬いビスクの変わらない筈の表情が、月の光でいつもより柔らかく見える。

・・・トワ、お前、どこから来たんだ?

『月・・・だったらいいなぁ』

願望じゃなくて事実を尋ねたんだ。

『覚えてないよ。そんなこと。・・・でも覚えていたかったなぁ。僕にも故郷や、親との小さい頃の記憶があったのなら』

いつから生きているのかも解らないのか?

『あーんまり昔だったから忘れた。けど代々僕を大事にしてくれた人の記憶は残ってる・・・でも』

トワは立てかけた人形が傾くように夕夢の頬にちょこんと倒れこんだ。

『夕夢を、心から愛してる。こんな気持ち、初めてなんだ。夢の中で、キスした。夢の中で抱き締めた。あの子が両親を失ってからずっと守ってきた。彼女の心にも僕しかいない』

映画「禁じられた遊び」のあの小さな少年と少女のように息をひそめて二人は互いに肩を寄せ合い守り合ってきたのだ。

『一緒に大人になれたらどんなにいいだろう。一緒に年をとって、結ばれて、家族を作って、その時僕はお父さんになって家族を守るんだ・・・でも僕は、この世界では人形、なんだね。この陶製の小さな掌では、大人になった夕夢も、自分の子供達も守ることはできない』

ばーか、ガキのクセに。俺だってまだそんな平穏な生活を手に入れる自信ねぇよ。

俺は夕夢に頬ずりラブラブ状態のトワの額をデコピンしその硬さに超絶後悔した。石頭め。


3日後、病院から輝谷のアニキの事務所に電話が入った。優秀な電話番の俺が0.29秒でキャッチし「はい、こちら輝谷社会学調査事務所・・・」まで言ったところで、

「現太郎、トワがさらわれたの!眼が覚めたらいないの!」

「透和は?そこにいるのか?」

黙り込む夕夢。

「わかった。今すぐ病院へ行く、動くな」

電話を切って、アニキ譲りのミニクーパーに乗り込んだ。考えられるのは、カニ軍団がトワと透和をさらったパターン。・・・連れ去るには絶好の状態の夕夢を置いて、か? 襲撃があったとすれば軍団は、透和をまず倒し、無抵抗の夕夢をさらう・・・違う! 透和がトワをさらったのだ。ターゲットは夕夢じゃない。

しかし、何が理由で・・・。


俺はミニクーパーが悲鳴を上げそうな速度でまずレイナ・ペルラ化粧品の本社に向かった。走り出てきた副社長は社長は留守だとシラを切ったが、蜜子があの後付き人そしてこきつかってる元黒子軍団の境遇でツツくと、ため息をつきながら奥の書庫から初代の会社のパンフレットを取り出してきた。1頁目、会社創始の挨拶の写真、今のカニ顔からは想像できない美少女の腕には・・・トワ!

「あの人形は社長が幼少時に所有していたもの。お父様の会社の倒産で泣く泣く手放した思い出の品でございます。TV出演の前調査段階で偶然現在の所有者を知り、夕夢さんに交渉し断られ、諦め切れずとうとうこんな手段に」

成程、あのカニばばぁのターゲットはトワ。

待てよ、あいつの名前は代々着ける本人が知らないままトワ、なんだ。だとしたら。

「桜宮社長の出身は? 大阪じゃないんだろ?」

「はい・・・三重県の伊勢の方の・・・」

俺の頭の中に江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』が浮かんだ。M県、I湾、T市・・・。

「鳥羽(とば)だ!」

そう、あの周辺、伊勢湾に散らばった群島の一つにこの 会社が出資し、今春にオープンした遊園地がある。思い出の地で再会したいという、乙女心の成れの果てだろう。


続いて病院に着くと夕夢の病室が騒がしい。

「どうしたんですか?患者に何か」

「どーしたもこーしたも前代未聞やわぁ」

数人の医者や看護婦に囲まれ、小さな小児科のベッドから足をはみ出して横たわる夕夢の体に、明らかに急激な異変が起きている。ギシギシ音を立てる関節、内臓のうねる音、がくがくんと鼓動とともに伸縮する筋肉。

成長が・・・始まった。トワの封印が解けて。

俺は痛みに耐えきれず暴れ回る彼女をやっと抱き上げる。

「こら無茶すんな、みんな早よ止めさせるんや」

「うるせえ! 今、彼女を救えるただ一人のところへ俺が連れてく。誰も邪魔すんな!」

腕の中の夕夢が薄目を開けて俺を見る。息も絶え絶えに言う。

「現太郎、私、もう一度・・・トワに会いたい」

「任せとけ。俺はお前とトワの間を絶対に引き裂かない」

ミニクーパーの助手席に夕夢を横たえながら、俺の胸はぎゅっと痛んだ。

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