《通天閣から、メアリ・ポピンズ》


「お嬢さん」

梅雨の晴れ間、梅田の高層ビル街に初夏の光が弾ける。カンペキなナンパ日和。ターゲットはレモンイエローのスーツに身を包んだ、シャギーのセミロングのオ・ト・ナなタイプ。俺はイタリア製の少々暑苦しいブルーブラックのサマースーツの肩で、彼女の前に割り込む。

夕暮れのラッシュの人込みの中の強引な出会いにしては爽快な笑顔で彼女は俺を見上げる。

「茶屋真智子さんですね。私、こういうものですが」

俺は今朝刷り上がった名刺の一枚目をスマートな仕草でデビューさせた。

「輝谷(かがや)調査事務所・・・?探偵さんってこと?名前が面白いわね。万松寺現太郎(ばんしょうじ げんたろう)?」

「わー!やめてくれ本名をフルで読むのは」

頭を両手で抱え込む俺に、彼女は少しきつくにらむように目くばせし、近くのカフェに僕を誘い、自分から用件に入ってくれた。

「で、探偵さんがどういった御用?」

俺は一応お約束の咳払いをひとつ入れて、

「実はさる方より貴女の素行調査を依頼されまして」

「・・・浮気調査でしょ?」

(この女、侮れねーな)と思いながらテーブルに十数枚の様々な種類の紙片を並べた。

「電車の切符、街頭で配られる飲み屋のドリンク券、宗教の勧誘チラシ、そういったものを読んでる本の栞にするくせがありますね。しかもラブホテルの割引チケットまでとは」

「で、あなたは私を尾行しながら用済みになった栞代わりのそれらを全部ごみ箱から漁ってきたわけね。・・・そのオシャレなスーツで」

「そんなワケで貴女のここ2,3日の行動、全部お見通しなんです」

俺は毎朝鏡で練習する最高にダンディな顔で笑いかけた。

「・・・ねぇ、何か、変じゃない?」

「何がですか? お姫様」

「自分から名乗る探偵サンなんて、聞いたことないし、依頼主より先に尾行の結果を尾行される当事者に知らせてくるってのは・・・何?」

「ナンパです」

うっとりとした目で彼女の目を見つめる。

「貴方は私に業務放棄させるほどの魅力に満ちている。そうだなぁ、一度デートしてくれたら、この情報ご依頼主には内緒にしちゃおうかなぁ・・・なんてことまで企んでるんですが」

彼女はカシスソーダを噴き出しそうになる。

「もう、なんてインチキな探偵なの? あなたってば」

そんな時も、すかさずブランド物のハンカチでさっと口元を押さえる仕草も何と優雅な。

「気に入ったわ。あなた、期待以上に噂通りのキャラクターね。今回の番組にぴったり」

へ?番組?

「私、テレビNANIWAのディレクターです。職業までリサーチが行き届かないとは素晴らしくド素人探偵サンだけど。まぁ・・・確かに私も2,3日は素性がバレないように局には近寄らなかったけどね。あなたに仕事を依頼したのはウチの番組のADです。ラブホテルに同行したのも放送作家の一人」

俺が呆然としている間に彼女は高級ブランドのブリーフケースから企画書を一冊取り出す。

「桜宮薫子(さくらのみや くんこ)ってご存知? 表向き自然派化粧品会社の女社長だけど、実態はこのキタ周辺の中小企業ほとんどを裏で牛耳ってるの」

企画書の冒頭ページにはカニ系顔の厚化粧のオバハンが、顔に不釣り合いな、大きなウェーブのブロンド碧眼の人形を抱き微笑む写真。

「ビスク・ドール? 結構年代物だな」

「さすが横浜出身ね。確かに、あなたのセンスは一見あの新世界界隈の空気に近いけど、やっぱり横浜っ子の匂いは抜けないものね」

この女の嗅覚は侮れない。俺が関西弁を話さないのとハマのセンスを捨てないのは、22歳のガキながらも俺なりのこだわりなのだ。

「俺のこともすっかり調べ上げられてるんだ」

「だってあの界隈で有名よ。ド派手なファッションで遊び回ってるタレント並みにオカシな"探偵助手"って」

「はいはい、俺はウチの事務所の広報部門&助手担当なんです。あとは所長兼探偵一人のコンパクトな会社ですけどね」

そう、本物の探偵は俺みたいにチャラチャラ顔と名前を表に出さない。俺は資料集めや聞き込み、尾行(この3つはそう得意ではない)と、事務所の掃除とお茶入れ(この2つはかなり自信がある)等の担当である。そんなこんなでこの事務所に雇われ5年、小吾郎所長に突然「・・・まぁ、お前のやり方でやって見ろ」と、苦笑いで初仕事を任され、俺なりに燃えていたのだが・・・そういう、ことだったわけか。ま、小吾郎アニキの判断は正しかったわけだ。

「つまり俺があんたんとこの番組で、このタラバガニみたいなオバハンの依頼を、テレビでショー形式で公開捜査するってワケね」

「せめてマツバガニ程度にしてあげて。噂によるとその方が本人は怒らないらしいから」

「タラバとマツバの何がどう違うんですか?」

「他人の価値観は放っといて、どう、OK?」

少し身を乗り出してスーツの胸元の陰に谷間を覗かす。計算だか何だかどっちでもいいけど、こんなサービス受けちゃ、お断りは出来ないでしょ。普通。

「いーですよ。やりましょう。そんなこったと思いましたよ。俺に本格的な探偵業の依頼なんてどう考えてもありえないもの。TV局の裏側なんてそう見られるもんじゃないしね。その代わり、出演料はずんでちょーだいね、衣装、凝りますから」

「了解。今回はあなたの推理力より派手なキャラクターに期待してるんだから」

茶屋ディレクターはそう言ってヒマワリのような笑顔で握手の右手を差し出した。


「何でも、そのクンコ社長っていうオバハンが大事にしてる人形は本来姉妹の人形らしくて、その片割れを探すっていう企画でさ、ある程度の下調べや下準備はしておいて、番組中におらがそれを発見するっていうストーリーで」

「その後人形同士の再会を囲んで感動のラストシーンいうわけか。お涙頂戴ものにしては中の下いうところやな」

堺筋にある雑居ビル5階一番奥の部屋。薄暗い事務所のまた一番奥で、年代物のマホガニーの上に両足を上げ、小吾郎のアニキはキャメルの煙を細くくゆらせた。

「まぁ、探偵万松寺現太郎のデビューのお仕事には、うってつけやないか?」

「アニキ! 俺をどーゆー路線の探偵で売り込むつもりなんざんすか!」

「所長と呼ばんか! あとウチはタレント事務所やあらへんぞ!」

輝谷調査事務所3代目所長、輝谷小吾郎はコテコテの大阪弁で怒鳴った。30代半ば、かなりポイント高い顔とはアンバランスだ。

「・・・あ、タレントいうたら、蜜子が近々帰ってくるらしいで」

「ミツコが?」

俺は小吾郎アニキのどでかいマホガニーの机を飛び越した。自分が犬だったら尻尾を思いっきり振りたい気分。

「次に撮影の単発ドラマが、こっちのTV局で制作されてるんやて」

「ああマイハニー・ミツコ[V:9829] ところで今回はどんなコスチュームで登場するんだ?」

「さぁ・・・あいつは毎回私生活まで役に憑依されるからなー。里帰りされても兄の俺でもわからんことがあるな」

蜜子は小吾郎の妹だ。この兄妹は、世の裏街道を生きるのはもったいない美形の血筋で、ここに俺が引き取られた日に一目惚れ。彼女は俺の女神だ。俺と同じ歳で、高校を卒業すると同時に女優を目指し、東京へ自分を売込みに行ってしまった。彼女の才能は本物だったらしく、すぐ事務所も決まり、仕事は殺到した。

仕事の合間には里帰りしてくるのだが、困ったことに彼女はその時の役柄に憑りつかれたまま姿を見せるのだ。衣装・小物・仕草・化粧。それだけで女は完璧に別人になる。大阪弁で挨拶されて初めて妹と気づくと小吾郎は言うが、俺には絶対彼女を見抜く自信がある。


小馬鹿にされたような形でとはいえ初仕事と、マイハニーとの再会の為に勢力は付けておかなきゃ。俺はジャンジャン横丁の行きつけのホルモン焼き屋に行き、盛り合わせ3人前とライス大盛、ビール大ジョッキを注文した。

「クーッ! やっぱウマいねえ。最高っすよ。おっちゃん、俺、ここでメシ食わしてもらう度にしみじみ思うんだ。あのさ、生きてるもんはやっぱ生きてるモンを食べなきゃ本当に元気になれないものですねぇ・・・って」

「現太郎、そーゆーの何つーか知っとるけ?」

れろれろのオヤジが割り込んでくる。

「おお、わし教養あるで知っとるで。そーゆーんはそれ、その、焼肉定食いうんやろ」

「アホ! 弱肉強食言うんや」

シラフでは絶対笑えないジョークで狭い店は大賑わいになる。

「しかし、現ちゃんもすっかりこの街の人種に染まったなぁ。あとは大阪弁をマスターしてくれれば完璧なんやけどなぁ」

「おっちゃん・・・嬉しいが俺はあくまで横浜生まれ。ハマにこだわる俺のこのこだわりこそ大阪カタギだと思ってくりぃ!」

「おう! かっこええぞ! 現ちゃん万歳!」

俺は上機嫌で店を出、口笛なんぞ吹きながら、づぼらやのフグの看板の下を通り過ぎた。

夕立でも落ちてきそうな空だなぁ、と通天閣を見上げたその時である。

ひゅーーーーー

そんなマンガみたいな音が本当にするものだとは俺はその瞬間まで知らなかった。近づいてくる風音に、反射的に、それを受け止めてしまった。ばさっ

夕立の代わりに落ちてきたのは・・・子供!何だ何だ、若い身空で飛び降り自殺か?

「いや~ん、髪の毛ぐしゃぐしゃ。トワ、あなたの方は大丈夫?」

もじゃもじゃの黒髪を右手で掻き上げるが左手にはしっかりと何か抱えている。銀色の衣装をまとった、ピエロのビスク・ドール?

「お見事! ナイス・キャッチ、ありがとうございました。一応近くに着地できるように狙いはしたけど」

オレンジ色の木綿のエプロンドレスの少女。

「き・・・ききききききみ、まさか通天閣から?」

「はい、展望台であなたを発見して」

だだだだだって、それにしてはそれほどのGを感じなかったぞ。

「初めましてと。私、長崎夕夢(ゆめ)と申します。この子はトワ、トワイライトのトワと覚えてね」

「はぁ。私は万松寺現太郎でございます」

「今、大阪見物中で、展望台からこのトワがあなたを見つけたの。近々私達がお世話になる人だから、ご挨拶しておくように、今すぐあなたを目掛けて飛びなさいって」

そ、そんな無茶な、少女の妄想でそこまで。

「妄想じゃなく私はトワが一緒にいれば絶対に危険な目には合わないんです。この待ちがあのキュートなビリケン様に守られているようにね。じゃ本日はこの辺でごきげんよう」

お嬢様言葉のメアリ・ポピンズは、シュタンと俺の腕から軽々と飛び降り、大きな琥珀色の瞳を思い切り垂れ目にした笑顔で、ぺこりとお辞儀をすると人形をしっかり抱いたまま天王寺動物園の方に走り去った。振り向きざま、もう一本の視線を感じる。冷たい・・・氷色の。


あれ、さっき俺、心読まれなかったっけ?

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