【きみを、探してる。探し求めている。】
「遅い!スープ冷めちゃったじゃないの」
勝手口のドアを開けるなり絵里世(えりぜ)の怒鳴り声。
「ごっめーん。ちょっと、頼まれごとしちゃって」
うちの分のライ麦パンの袋をキッチンのテーブルに放り出し、急いで一個を手にした。ああ、朝ご飯の時間ももったいない。うーん、移動は自転車を使おう。大急ぎで今日の計画を練りながら、パンをかじる。あ、そうだ。
「謝りついでに、ごめんね織笛(おるふぇ)。今日工場の仕事代わって」
向かいの席で新聞を読んでいた織笛、びっくりして顔を上げる。
「えー? 何だよ、またさぼるのかい?」
「お願い! 今日中に片づけなきゃならない大問題があって」
両手をパチンと重ねて織笛を拝む。
「・・・まぁ、僕達は頼哉には逆らえないからなー」
言いながら織笛は僕の肩越しに窓を見遣った。
「頼哉、お客さんだよ。赤毛の可愛い女の子」
「見えるの?」
あやが見えるのは僕だけかと思ったのに。
「僕は、目が良いからね・・・依頼主は、あの子だろ?」
織笛は視力のことと、勘違いしている。
「頼哉の好みのタイプだもの、ね」
絵里世までクスクス笑ってる。織笛と同じ笑顔して。
「お兄さんもお姉さんも、頼哉さんには随分甘いのね」
坂道を石畳すれすれに、歩くように滑りながら、あやは振り向く。煉瓦の壁に赤毛がキラキラと映える。
「あの家出は僕が稼ぎ手だからね。織笛は楽器職人で、たいてい家の中で研究ばかり。絵里世は家事で忙しいし。・・・あ、あの二人は双子なんだ。そっくりでしょ?」
「パンの配達と、普段は工場でも働いてるって・・・辛くないの?」
「だって、好きなんだもの。パンの甘い匂いも、自転車で走る朝の風も、工場の歯車の黄音も、コンピュータのキーボードをたたくリズムも、木炭の匂いも。パンの配達先の子供達のあいさつの声や、一緒に働いている工員さんの汗も。とってもすてきだよ。僕だけじゃない。この街の人々はみんな働くことを楽しんでいるんだ」
「すてきね」
あやは、僕の前に舞い降りて、にこっと笑う。
「ね、あたしのこと、本当に全然怖くないの?」
「どうして? ・・・ぜーんぜん怖くはないよ。あやちゃんは可愛いし」
あや、大きな溜息をつく。
「あなた・・・何者なの? 何か、ずーっと年上に見える」
「見ての通りだよ」
彼女の小さな体を見下ろしながら、僕は肩をすくめてみせた。
「ちがう! あたしよりっていう意味じゃなくて! 見かけよりっていう意味。幽霊のあたしより、よっぽど凄い存在に見える」
「見ての、通りだけど」
あやは、ばら色の頬を膨らませて見せる。こんな表情見てると、とても幽霊には見えないけど。
「ライヤって名前、歌を奏でる『竪琴』の意味? 『大嘘つき』のこと?」
「僕は、楽神オルフェウスから名前をもらったんだよ」
「やっぱり『大嘘つき』なんだわ」
あやがぼそっと言ったのが何だかとてもおかしくって、僕は噴き出してしまった。
パン屋さんの軒先に預けてる自転車を引っ張り出そうとしていると、窓からおばさんが顔を出した。
「まぁ頼哉ちゃん、かわいいお嬢さんを連れているね。おや?お嬢さん、どこかで会ったね。・・・なんていう名前だっけ」
「え? 本当?」
ってことは、あやはこの街の最近の住人なんだ。意外と簡単にわかっちゃいそうだね。
「迷子なんです。あやちゃんっていうんだ。どこの子かご存知ないですか?」
「ああ、そう、あやちゃんだね。だけど・・・うちのお客さんだったかね。・・・どこの子だかはねぇ・・・」
あやは、自転車の荷台に腰掛けるふりをして、黙って笑ってる。まるで他人事みたいに、ね。
「みんな、あたしが見えているのね。さっき織笛さんも絵里世さんもそうみたいだったし、何だかうれしいなぁ」
荷台の上のあやの幻影にさっきから街中の人が笑いかけてくる。始めの十人くらいは、僕はその度に自転車を止めて、話しかけた。だが、誰もがあやを見かけたことはあっても彼女の身の上を知らない。
「ねぇ・・・難しい顔して何考えてるの・・・? どこへ行くの?」
難しい顔は誰のせいだを思ってるんだろう? 急な上り坂で自転車を押している僕のしかめっつらに、あやは不満気味である。
「・・・クスの樹先生のぉ、ところだよぉ。彼はぁ、樹齢二千年だからねぇ、街一番のぉ、物識りなんだぁ。あれ?」
振り向くと、荷台にあやの姿がない。待てよ・・・。協力しに来たんじゃなくて・・・ただのひやかしだったって?
「ちぇ、時間が無いんだから、遊ぶなよ! 僕の歌の魔法の有効期限は午前零時なんだぞ! それまでに謎が解けなくても知らないぞ!」
・・・と、空に向かってつぶやいてみても。パズルを解きかけのまま放っておけないのは、本当は僕の方なんだけど。
ざざぁああ・・・さらさらさら・・・
ざざぁああ・・・さらさらさら・・・
ナゴノーラ広場に風が走って行く。丘の上の大きな大きな広場に、雲の影が流れる。
クスの樹先生は風と仲が良い。いつも豪快な声で風と歌を歌っている。少し古い発音の歌だけど、意味はだいたいこういうことだ。
『わしはただ見ているだけ この場所でこの街を
風が無ければ動くこともできん
身を守るために逃げることもできん
切られもせず 燃されもせず
"見守る"という言葉があるが
ただ見ておっただけで
守ったことになるのじゃろうか』
彩鳥市が生まれる前からここにいて、この街を見守り続けてる。彼は、気の遠くなるほど長い時間の流れに、身を委ねてきたのだ・・・ごつごつした、黒い幹を両手で触れるとき、いつも僕は思う。彼ならば本当に"見守る"力を持っているはずだと。
「おや、頼哉かい? ・・・ほう、あやに会ったのか」
先生は幹に触れている手から直接僕の心を読むのだ。
「先生なら、あやを見たことがあるでしょう? 街の子供はみんなここで遊ぶもの。まだ生きてた時、あやだって遊びに来てたはずだよ」
「わしはここから見える風景しか知らぬが、あの子のことは良く知っておる。何百年も昔から子供のままの姿でこの広場に現れるよ。風に乗り風と戯れ、広場の花や草に手で触れて色を着けていく。・・・なぁ頼哉。もしあの子が幽霊なら、あの子は随分前に死んだはずじゃ。しかし、現在の市民でさえ、誰もがあの子を知っておるようじゃ。総ての人の心にあの子は息づいておる。この街の何もかもにあの子の気配がある。これはどういうことかのぅ」
そうだね・・・なぜだろう。あやの死の時期は調べる程に、増々わからなくなっていくのに・・・段々あやの本当の心に近付くような気がする。
「案外似た者同士、引かれ合っているのかもしれんの」
「それ僕のこと?」
きょとん、として彼の梢を見上げると、彼はざざざざと枝を揺すって笑った。
「ほれ、あやが呼んでおるよ。もうしばらく、遊んでおやり・・・」
いつのまにか一番高い枝先に座っていたあやが、ふわりと飛び立つ。えーっ。先生まで"ぐる"だったのぉ!
慌てて自転車で追いかけた。空色のドレスのあやは、高いビルを飛び越え、擦り抜け、すいすい、街の上空を横切る。こっちは道沿いにしか走れないんだぞぉ!
緩い放物線を描きながら、あやは街外れの公園墓地へと降りて行く。門の前に自転車を止め、当然僕も後に続く。
墓地なんてと皆気味悪がるけど、僕は平気。むしろ居心地が良くて、僕はよくここに散歩に来る。ここに葬られている魂は皆、幸せに満ち足りて息を引き取った人ばかりだったことを僕は知っている。
・・・ああ、やっぱり、あやに似た気配がある。南風のような、蜜のような、あの柔らかな気配、とても、とても、微かだけれど。
「ここだ・・・」
気配を追ってたどり着いたのは・・・古い、小さな、黒い石でできたお墓。表面のほとんどをつるばらが覆い隠し真冬だというのに、七つの小さな花が虹の七色を着けて開いている。トゲに気をつかいながら、そっとつるを外していくと・・・
『AYAKA ROTII』の名に添えて彫られた、俯く紫苑の花。あぁこれは市長の血筋の紋章・・・そして没年は・・・彩鳥暦元年・・・!
「市長さん!ちょっとちょっと」
市役所の一階にある市長室に窓から飛び込む。仏頂面の市長はデスクから顔も上げず、羽根ペンを持つ手も止めずに、いつも通り挨拶代わりにこう言う。
「頼哉・・・いつも言ってるだろ? 一応、面会は玄関から、秘書を通してくれないかい?」
「そんな事言ってる場合じゃないよ!ねぇ、『とりい あやか』は何者?」
あやの名前に鳥居市長の右手が止まる。銀縁の眼鏡と八の字髭がトレードマークの顔を上げる。目が、心持いつもより大きく見開かれて。
「何故その名前を知っているんだ?」
「本人から教わったんだけど」
「そんな、馬鹿な・・・」
市長の言葉はそこで止まった。僕の後ろの・・・さっき入ってきた窓に、カタン、風が当たる。あやがガラス越し、ほほ笑みながら手を振っている。
「ほら、ね」
「あ・・・あれは・・・彩香!」
市長、椅子を後ろにひっくりかえして立ち上がる。いつもまじめくさってる彼の、こんなうろたえたところを見るのは初めて。結構おもしろいけど、今はあやを追っかける方が先だ。コロコロ笑い声を上げながらまた飛び去って行くあやを、追いかけて再び窓を飛び越えた。
ヒントになる場所にいつも現れる。あやは、すべて知ってるんだ。何考えてるんだ・・・あやの奴・・・。ホント、遊ばれてるとしか思えないよぉ。
角を曲がるたびごとにあやがいる。瑠璃色の髪を靡かせ、踊ってるあや。緑の髪を震わせ、泣いているあや。紅玉色(ルビイ)の瞳でほほえむあや・・・そして、いつからか、ひとつの歌が耳の奥に響いている。どのあやも同じ歌をくちずさんでいる。
『歌の翼に憧れ乗せて 思い忍ぶガンジス 遥かの彼方
麗し花園に月は照り映む 夜の女神は君を誘う』『歌の翼に』
同じ歌を同じ声で歌う、たくさんの、様々なあやたち。細い声が共鳴し、不思議な音波が生まれる。僕は船酔いのような目舞いを感じた。
・・・色彩都市のすべてが、多分、この子の味方なんだ。
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