第16話 にほんごってむずかしい

「アリス! アリス!」


 妖精の名前を叫びながら部屋の戸を開ける!

 すると。


『あははは! これで終わりだぁ!』

『やめて! 姉さん!』

『いかん! ミナモ君! 君のお姉さんはもうっ――』


「ボリボリ……」


 アリスは座布団の上に寝っ転がりながら、彼女にとっては枕にもなりえる大きさのおかきを頬張っていた。


「……アリスー?」

「待ってください! マスター! 今いい所なんです!」


 ……こっちの生まれて直に一週間。

 ファンタジーは自堕落な現代にかぶれてしまった。


 運よくアリスが見ていたアニメはBパートの終盤だったようで、数分後にはアリスはテレビ画面から俺へと向き直ってくれた。


「それで、マスターどうしました?」

「いや、実はな? 今ナツがおつかいに出て言ったんだが、このメモを落としたいったらしいんだ」


 俺はきょとんと首を傾げるアリスに先程拾ったメモを渡す。

 彼女はメモを受け取ると新聞を読むかのように広げ――。


「こ、これはっ!」


 と、大仰に口にしたのだが……。


「……なんて書いてるんですか?」


 途端に呆けた声色で、そうのたまった。


「ダイコン! ニンジン! ハム、コショウ! だ」

「えっ、えっと、その……だってへたくそで読めなかったんですよぉ」

「へたくそって……そこまで読めないほどか?」


 俺はナツの書いたメモをもう一度見た。

 ……確かにへたくそな字だが、そこまで読めない程じゃない。

 流石に、字を習い始めたばかりの女の子の書いたこれを、へたくそと言ってやるのはかわいそうな気がしたんだが……。


「ん?」

「な、なんですか?」


 この時、俺は直感的に彼女達の――そして、アリスの態度を変だと感じた。


「……なあ、アリス?」

「なんでしょう……マスター?」

「君、最初にガチャを引いた時のこと覚えてる?」

「え? マスターが、ガチャを引いて……アイテムの説明をみんなで読んだ時のことですか?」


 俺はこくりと頷いた。


「あの時、ナツもお前も?」

「あー……そう、デスネ」

「なのになんで、アリスは今更日本語を勉強してるんだ?」


 この質問の後、アリスの顔からは滝のような汗が噴き出した。


「そ、ソレハデスネ……ナントイウカ」

「お前ら! ていうかアリス! お前ひょっとしてあの時の紙に書いてある文字以外読めないんじゃないのか!」


 俺達二人だけの間に、ズガーンと雷が鳴った。



「なるほどな。道理でおかしいと思ってたんだよ」

「うぅ……すみません」


 アリスによると、あの時のガチャの紙はいわば神によって特別に施された用紙で、書かれた内容が誰であれわかる仕様になていたらしい。

 だから、仮に字が読めない者が見てもわかったのだ。


 よって、あの紙から目線をあげてみれば一転。

 アリスとナツは周りに書いてある文字の一切合切がわからなかったらしい。


「お前、そんなんでよく今日まで普通に生きてたな。ていうか気付かなかったよ」

「いやぁ……極力文字とは距離を置いていたので」


「でも、テレビ見れてんじゃん」

「テレビはその、リモコンはボタンの色でどこをどうすればいいか覚えたので。今は記号もあってわかりやすいですし? それに音声は勉強しなくても理解できたので……その」


 急にしょんぼりしてみせるアリス。

 ただでさえ小さい体がより一層小さくなっていくので、俺は何も言えなくなってしまった。


 思えば、右も左もわからない世界に来て、最初に文字を勉強しようと思えるナツの方がすごいのだ。

 アリスは唯一自分がわかる言葉。

 それを垂れ流してくれるテレビという娯楽、特にアニメに癒しや、安息を求めていたのかもしれない。


 そうだ。よくよく考えれば、俺だって日本に転生してこれたからいいものの、本当に異世界に転生していたら知らない国の文化や文字を一から学ぶことになっていたのだ。


 そんな途方のなさを思えば、たった一週間。

 文字や文化の勉強をサボって、サブカル娯楽に心の安らぎを求めたこの妖精さんをしかれるはずもなかった。


「もう、いいさ。けど、これからは一緒に勉強していこうな?」


 人形のようなちんまりした頭を、俺は指先で撫でる。


「俺も手伝ってやるからさ」


 すると、アリスは花を咲かせたような笑顔を俺へと向けてくれた。

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