第14話 ひとまずの別れ

 陽の長い晩秋とはいえ、夕暮れから夕闇へとあたりが変わった頃、ナミとジェニファーは蒼穹高校の校舎の門の前に立っていた。まだ分かれたくない。一緒にいたい。という名残惜しさが満々に感じられる二人の様子であった。

 しかし、短期留学中のジェニファーは来週にはアメリカに帰る。日本にいる週末は今回が最後になり、ホストの家族が今晩は宴を開いてくれるということで、彼女はそろそろ帰らないといけない時間なのだった、


「あ、来た」


 なので、ここでお別れであった。校舎の前に止まるタクシー2台。

 今日はイベント会社の支払いで移動にタクシーが使える。インターンで参加のナミも午後8時を超えたら帰宅に使って良いといわれていたので、遠慮なく使わせてもらう二人であった。

 校庭に出て、すぐにあたりに鳴り響いたのが午後8時を告げる鐘の音。その後すぐに、ジェニファーがこの来日でよく使っていたという配車アプリで呼んでくれた車が到着。

 いつかまた再開と、それまでのあいだ連絡取り合ったり、仮想世界VRで合うことを約束した二人はそれぞれの車に乗り込むのであった。


「どこまで行きましょうか」


 ナミ以外は無人の車内に、男性の声が鳴り響く。初老を思わせる渋く良い声であった。

「二駅先で、近くに公園のある……」

 ナミは誰もいない空間に向かって自分の家の場所を告げる。

 すると、

「かしこまりました」

 静かなモーター音を立てながら走り出すタクシー。

 そう、この車は無人、自動操縦で運用されているのであった。

 この時代、人が運転するタクシーはVIPの送迎など特別な用途では存続していたものの、実用性や経済性から考えて通常の使用ではまず使われないような状態となっていたのだった。

 またネットワーク化してトラフィック分析などもなされ、効率的に運用される。また、街を流しているタクシーを拾うというよりは、使用者がアプリケーションから位置情報とともに呼び出すという使い方が主流になっているため、配車も随分と効率化されている。などなどのイノベーションが重なり、タクシーは今の料金に比べると随分と安く使えるような交通手段となっているのだった。

 そもそも、ちょっと未来のこの時代、自家用車にしても、自分専用の車両を保有してという人は都会ではかなり少なくなって来ていた。大抵の人は会員となりシェアした車両をつかうという形態での車であった。今でも、このようなレンタカーの形態はいまでも運転者の車の使用頻度によっては十分に経済的な領域に入りつつあるが、近くにそのようなサービス用の拠点がないばあいは使えないだとか、自家用車で家から直接でかける簡易さに対抗できない。

 しかし、自動操縦が普通となって、車が指定時間に家の前まで来てくれるようになり、使用後は任意の場所で放置しても勝手に帰っていくとなっては? 毎日、一日中車に乗りずくめの人か、趣味的に車に乗って自らで運転するのを楽しんでいる、ステイタスのため高級な車にのっている、のような人たちででもなければ車を所有するめりっとというのはほとんどなくなっている状態だった。

 でも、すると——タクシーと自家用車の違いとは何だろう?

 そんな疑問も湧いてくる。

 どちらも、同じように呼び出して、必要な場所までやって来て、自動で目的地まで連れていく。

 もちろんこの二つで、全く同じものが提供できているるわけではない。

 例えば、自動操縦で行ける場所の限界がある。この時代、自動操縦技術は、画像認識による車のAI操作だけでも人間を上回るような運転を実現できていた。だが、やはりそれだけでは、最後は人による判断が必要となることがあり、そして何か起きた時の人間以外の誰に責任をもたせるかという問題もある。

 なので、完全自動操縦は、大都市や幹線道路などではほぼ100%実現されていたが、地方の過疎地などでなくても、中規模都市の郊外の生活道路でもまだ対応できていない場所も多い。ならば、そのような場合はやはりタクシーでなく自家用車の出番となるのだった。

 人が運転している、いや運転に責任を持つという建前がいる。実態は、自動操縦のほうがよっぽど確実に安全運転をしてくれるのだと思うが、万にひとつのトラブルの際に人間がその回避を行うことが必要。そのために運転手が乗る自家用車というものはまだまだなくなりはしないのだった。


 とはいえ、ナミの住むような東京近郊のベッドタウンなど、いち早く自動操縦のインフラが望まれ、また実現した場所である。彼女はこのままずっと自動操縦のタクシーだけで自宅に戻れるのであった。学校から、数キロ離れた自宅に向けて、いつもはバスの乗り継ぎが良くても四、五十分はかかる道のりが、半分くらいの時間で帰ることができる。おまけにただ座っていれば。

「はあ、疲れたな」

 面白かったが、なんだかんだでいろいろと歩きまわって疲れた一日であった。緊張の糸というか、興奮していた心が一気にしぼんたならば、

「……寝ないようにしないと」

 今にも寝てしまいそうなナミであった。

 そう、たかだか、二、三十分。寝てもあっという間についてしまう。自動操縦のタクシーには目的地を伝えているので、ついたら彼女の呼吸や心音などのバイオメトリクスから寝ていると気づいたAIが音声で優しく起こしてくれるのではないか。それでもいつまでも寝ていたら目覚ましのベル鳴らされてしまうかもしれないけど。

 ともかく、良い気持ちでひと仕事終えて、達成感と疲労感のカクテルという、これ以上はない睡眠薬が体に染み込んたナミは、

「ぐー……すー……すー」

 あっさりと眠り始めてしまったのだった。


 もしここで彼女が起きていたならば、この後の事態は、もしかしたら少しは違うものとなっていたのかもしれないのだが。


------------------------------------------------------------

今回の用語解説

「自家用車」

 もし、車の自動操縦が実現したとするならは、自分が車を所有した時とタクシーなどに乗るときの本質的な差はどんどんと少なくなっていくのだと思われます。

 現在は、この二つには大きな違いがあります。自分で運転、もしくは家族が運転するのが自家用車ですが、専門の運転手などが運転するのがタクシー。その定義はこれ異常はなく明確に分かれていて、またこの分離によりできた需要——他人にテンポラリーで車を運転してもらいたい——を満たすべく、ビジネスが大きな市場となっています。(あ、あと偉い人が自分専用の車を専用の運転手に運転してもらうというビジネスの形態もありますが、これは規模的にこの二つに比べると小さいので簡単のため考えないこととします)

 ところがもし車の運転がほとんど自動操縦になるような未来を想定した場合、タクシーなど他人に運転してまらう場合と、自分で運転する場合の境界が限りなくなくなっていきます。なにせ、どちらも自動運転なのだから。すると、ビジネスとしてもこの二つは交じり合うというか、レンタカーというビジネス形態——のかわりに希望に応じて時間で車を貸し出す——や車をシェアするビジネスなどと混じりあい……

 となると、もっとも合理的なのは、全てが自動操縦の車を時間単位でシェアする形態になるのではないかと思います。もちろん、自分で車を操縦する楽しみを得たい人も多いだろうし、ステイタスとして高級車に乗りたい人も多いでしょうが——結局そういう用途でも車がシェアされる方が合理的(手動操縦機能ある車をシェアしたり、高級車のシェアがステイタスとなるように思えます)となり、——もし自家用車的な市場が残るのだとしたら、それは技術の未熟よりも、法制度が追いつかないとか人間の感情が許容できない領域がのこったため。そんな風になる気がします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Autonomous SystemーASハイスクール 時野マモ @plus8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る