第21話 水鏡

 現の大地は、一見、天空と同じように広く、果てなく見えました。

 土鬼の巣穴から、やや離れたところに崖があり、その裏側は、ゴツゴツとした岩が続く荒地でした。

 そのはるか向こう、白く輝ける山々が雪を頂いてそそり立ち、頂上に翼ある船が下り立つのです。

 さらに山を越えた向こうには、光の隠れ里がありました。その地には、まだ旅立つ前の光戦の民が、ひっそり暮らしているのです。

 崖の表側には、小さな川が流れており、荒れた地をほんのすこしだけ潤していました。森や林が点在していました。

 小川はやがてアザミ川に集まり、枯れはてた冬のアザミ野をゆるりと流れます。そしてさらに、大河へと流れでて、最後は大海原へと流れ出るのです。

 長い間、アルヴェとシルヴァはこの地を旅しました。

 土鬼を根絶やしにすることが目的でしたが、彼らは繁殖力が高く、土の中に篭ってしまうので、なかなか絶滅しないのです。

 母を死に至らしめた土鬼という種を滅ぼすまで、二人は彼らを狩り続けるのです。

 


 土鬼もばかではありませんでした。

 崖の上からは、巣穴の様子を探ることは可能でも、正確な弓での攻撃には、やや距離がありすぎました。木立のほうからでは、視界に難がありました。

 身を隠す場所も少なく、二匹の見張りを同時に倒して巣穴に火を放つのも難しいことでした。土鬼は攻められない工夫を学んだのです。

 アルヴェの計画はこうでした。

 明け方、日が昇るか昇らないかの時間帯が、土鬼が一番手薄になり、しかも全員が巣穴に戻っているはずでした。攻撃はその時間を狙います。

 弓矢を使いこなせる光戦の民たちが、同時に矢を放ち、見張りを射殺します。

「シルヴァが木立のほうから一人、私が崖のほうから一人、そしてスミアは見張りがいなくなったところで、巣穴に火を放つ……が……」

 アルヴェは、心配そうにスミアを見つめました。

「崖からは距離がありすぎて、外す可能性もある。そうしたら、君はかなり危険な目にあうだろう」

 木立側からは、崖側の入り口の見張りを射ることはできません。

 シルヴァが援護をするために木立を出たとしても、見張りを殺されたことに気が付いた土鬼に、後ろから狙われるだけです。アルヴェがさらに攻撃を仕掛けたとしても、スミアは見つかり、殺されてしまうかも知れません。

「大丈夫だよ! あたし、アルヴェを信じているから」

 そう言って、スミアは真っ赤になりました。

 そのような意味ではなかったのですが、まるで告白のようにもとれる発言に思えてしまったのです。

「そ、それにさぁ! あ、そうだ! あたしって意外に強いんだよ! つ、土鬼の戦士くらい、ちょろいもんさ!」

 それを聞いて、アルヴェは苦笑しました。

 シルヴァも思わず笑って言いました。

「では、試してみるか?」


 アルヴェが巣穴を探りに行っている午後、スミアとシルヴァは、剣の手合わせをしました。

 岩と岩の間に、長い時間をかけて砂がたまり、土と化した場所が、二人の稽古場として使われました。

 冬だというのに、きつい日差しが照り付けて、岩を熱く熱します。

 ほんの少し動いただけで、スミアは汗だくになりました。それに比べて、シルヴァのほうは、汗のひとつもかいていないようです。

 激しく切り込んだスミアを、ひらりとかわして岩の上に立ち、冷たい風を浴びて微笑んでいます。

 打ちそびれたスミアのほうは、無様にも土の上にばったりと倒れ、頭の上から光戦の民の笑い声を聞くばかりでした。

「たいした腕だよ。君を鍛えるよりも、アルヴェが矢を外さないように、神に祈ったほうが利口だな」

 その言葉に、スミアは腹を立てて、猛然とシルヴァに突進していきました。

 しかし、あっという間に、剣はシルヴァの手に奪い取られていて、スミアは後ろ手に押さえつけられていました。

 力の差は、歴然としていました。

 しかも、シルヴァは剣よりも槍の達人で、槍の手合わせだったならば、もっとひどい目にあったことでしょう。

 腕を放されて、地面にぺたんと座り込むと、スミアはむくれてしまいました。

 シルヴァは、ひらりと岩の上から飛び降りると、涼しい顔をして言いました。

「手合わせの相手が兄者だったら、君は負けてもそのようなひどい顔はしないだろうね」

 カーッと頭に血が昇るのがわかりました。

 スミアはあわてて立ち上がると、やけくそになって否定しました。

「そ、そ、そんなことない! あ、あたしは、これでも公平なんだから!」

 アルヴェと同じ顔がそこにありました。

 ただし、シルヴァは、アルヴェがけして見せないようなクスクス笑いを見せています。

「でも、アルヴェは君を気に入っているよ。そうでなければ、わざわざここまで君を連れてはこない。だって、その腕ならばかえってお荷物だしね」

 心を読まれて笑われていることが恥ずかしくなって、スミアは汗を拭きました。

 流れ落ちる汗を手でぬぐうと、ますます泥だらけの顔になりました。

「あ、あたしは熱い! 川辺で顔を洗ってくる!」

 そう言うと、頭から湯気を出しながら、スミアはくるりと後ろを向きました。

 数歩歩いたところで、シルヴァが呼び止めました。

「スミア!」

 ふりかえると、突然、剣が降ってきました。あわてて受け取ると、スミアは叫びました。

「あ、危ないじゃないか! 剣を投げるなんて!」

 シルヴァは逆光を浴びながら笑いました。

「確かに危ないからね。剣は常に持っていたほうがいい」

 シルヴァの言う通りでした。

 ここは土鬼の巣の近く。そして彼らも、常にあたりを警戒しているのです。

 川辺に向かうスミアに、シルヴァの言葉がさらに続きました。

「スミア、戦おうと思うな! 君の腕ではね。その剣の刃が、燃えるように赤く光ったら、すぐに逃げることだ」



 スミアは岩の上を飛ぶようにして、川原まで降りてきました。

 そこはほんの小さな流れで、アザミ川の支流にあたります。そしてアザミ川の流れも、やがて偉大なる河の大きな流れに飲み込まれていくのです。

 その流れの下流に、人間の築いた王国があり、現の大地に住む人々は、この国の豊かな政治の恩恵を受けているのでした。

 しかし、スミアの村のように恩恵を受けられず、廃れていくところもあるのです。

 光戦の民たちが去り、土鬼が数を減らしていく中で、寂れていく村。

 スミアは、その汚れた流れに乗って生きるのは嫌でした。

 かつて光戦の民と、血を交わらせた人間がいる国。光戦の民の血を引く王が治める国。

 王国とは、どんな国なんだろう? 

 その国に生まれ育ったら、少しはアルヴェにふさわしい女性になれたのでしょうか? 光戦の民と近くなれるのでしょうか?

 あまりの未練がましさに、スミアは思わず笑ってしまいました。それでも彼女は顔を上げて、川の流れの果てに目をやりました。

 人々が豊かに暮らす国に、スミアはこの清らかな流れにのって、行ってみたいと思いました。


 冷たい透き通った水は、白く輝ける山々の恵みでした。

 この水は、山の反対側にも流れ出し、光の隠れ里も潤しているのでしょう。

 スミアは両手で水をすくい、一口飲んで喉を潤しました。そして、ぱしゃぱしゃ顔を洗いました。

 泥にまみれ、汗に汚れた顔は、きれいに清められました。

 静かな流れに、自分の姿が映りました。

 褐色の肌をもっているものの、光戦の民の服を着たスミアの姿は、これが自分だとは信じられないほど、美しく見えました。

 唇は濡れて艶やかで、水を汲む手も滑らかでした。

 光戦の民とともにあることで、癒されていく自分がいました。村の呪縛が、少しずつスミアを解き放っているのです。

 スミアはそれを実感していました。


 アルヴェは……少しは気に入ってくれているのだろうか?

 少しは……近くにいてもいいだろうか?


 その時でした。

 水の揺らめきの中に、かつてのスミアの姿が映りました。

 スミアは思わず目を見開きました。水の中の美しいスミアも、汚れたスミアも、同時にハシバミの瞳を見開いていました。

 汚い汚れた顔。醜悪な顔でした。

 見たくはない、忘れてしまい過去の自分の顔……。本当の自分の姿。

スミアは再び汗ばみました。

 土鬼によってもたらされた物で、育てられた自分。それはどんなにきれいに装っても、消すことのできない事実でした。

 嫌だ! 嫌だ! 嫌!

 スミアは思わず水面を叩きました。

 水面は、あっという間に乱されて、スミアの姿を消し去りました。

 突然、がさがさっという音が、背後に響きました。

 スミアはあわてて飛びあがり、剣を抜くと、構えてあたりを見回しました。

 風ではない何かが、川辺の藪を揺らしていました。

 抜き身の剣は、光を受けてキラキラと輝き、燃えることはありませんでした。

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