第20話 判定
土鬼の巣穴の裏側に回って、三日が過ぎていました。川辺の洞窟に馬を隠し、土鬼たちの隙を探る毎日でした。
ここへ来る道、スミアはシルヴァの馬に乗せてもらいました。
どうしても、アルヴェの馬に乗る気にはなれませんでした。
馬から落ちそうになって、彼の腕に抱かれたり、胸にすがったりしてしまったら、また泣き出してしまいそうでした。
シルヴァの馬は、アルヴェの馬よりも小柄で、スミアには不安定でこころもとなく感じられました。
見上げるシルヴァの服には、胸のボタンがひとつ失われていて、スミアを切なくさせるのでした。
巣穴の探索も、常にスミアとシルヴァが組み、アルヴェは単独でした。スミアが、断固として、その組方を主張したのです。
午前と午後に別れて、彼らは交互に土鬼の巣を見張りました。
崖の上から、土鬼の巣穴が見えました。
遠すぎてスミアにはわかりませんでしたが、光戦の民の目をもつシルヴァには、前回の巣穴よりも小規模で、土鬼が数を減らしていることが見て取れました。
槍を持った兵士が二人、二ヵ所ある出入り口を見張っていました。
隙はまったくありませんでした。
「十二年前と同じ方法が、通用するのか疑問だ。やつらには、考える頭はあるようだ。思う心はもたないくせに……」
「心? 土鬼には心がないの?」
「やつらが持てる心は、邪心のみだ」
はっきりと言い切るシルヴァの言葉に、スミアは一抹の違和感を覚えました。
シルヴァの瞳には、冷たい憎しみの炎が蒼く燃えています。そして、アルヴェの瞳にも、深い悲しみが沈んでいるのです。
同じ復讐という目的をもちながら、スミアには、二人との間に壁を感じることが多々あるのです。同志という言葉が重く思われるのです。
なぜかはわかりません。
わかっていることはただひとつ、土鬼は村に報復をした。それが、邪心が起こした行為であるならば、自分もたいした違いはないのだということでした。
母を知らないスミアには、悲しみよりも憎しみだけが日々募り、復讐だけが生きる糧でした。それは邪心かもしれません。
光戦の民の心はわかりません。
光の中で、弓なりに絞られてゆく彼らの瞳に、いったい何が見えているのかもわかりません。
長い年月が刻んだ記憶も、悲しみに裏打ちされた孤高さも、スミアには理解しがたいものでした。
――光戦の民は、君の気持ちに応えることは、けしてない。
声色は優しくても、凍りつきそうな冷たいアルヴェの言葉が、スミアの心に突き刺さっていました。
光戦の民は、人間とは違う。人間は、汚い。よくわかっていることでした。
サークレットを外し、泥まみれになっていても、アルヴェは美しく、人間ではなく光戦の民でした。
それならそれで、なぜ優しくしてくれるのだろう? 蔑みの目で見てくれたほうが、ずっと楽になれるのに。
けして変わることのないアルヴェの優しさに、スミアは余計に辛くなるのです。
光戦の民のような目をもたず、巣穴の偵察には何も役には立たないスミアでしたが、それでもシルヴァについてきたのは、アルヴェと二人きりになりたくはなかったからでした。
まったく同じ顔をしていながら、どこか冷たい印象をもつシルヴァのほうが、今のスミアには心地よく感じるほどでした。
「スミア、ここにきたことは過去にある?」
ぼんやりとしていたスミアに、何を思ったのか、シルヴァが突然聞きました。
「? いいや、こっちはきたことがないよ」
おかしな質問に面食らって、スミアはあわてて答えました。
「……そう。それなら、いい」
シルヴァは、土鬼の動向を鋭い目で観察しながら、言いました。
彼には心を読まれてしまうのです。また、何かからかわれるのかと思っていたのに、シルヴァの質問は、そこで途切れてしまいました。
おかしなシルヴァ……。
スミアは、次に何を言われるのかといぶかしみながら、しばらく光戦の民の顔を見つめていました。
午後からは、アルヴェが巣穴の担当でした。シルヴァとスミアは、洞窟で留守番です。
アルヴェは出掛けにスミアに微笑みましたが、スミアはうつむいて見送りました。
あの日以来、やはり、どうしてもスミアはアルヴェを避けてしまいます。彼は、相変わらず優しいままでした。
恋という感情は、なんてわがままなものなのでしょう? もう、あきらめるしかない恋なのに、恋心はスミアを捕まえて放してはくれないのでした。
しかし、恋は少女を美しく成長させるものでした。
もしも、ここに人間の男性がいたとしたら、大きなハシバミの瞳に愁いを帯びさせた少女を見たとたん、きっと恋に落ちるでしょう。
光戦の民であるところのシルヴァでさえ、スミアの変貌振りには目を見張るほどなのですから。
しかし、彼はスミアのもうひとつの顔も知っていました。
今、この洞窟に、スミアとシルヴァは二人きりでした。
乾いた冷たい風が、時折洞窟の入り口にあたって、ひゅるりと音を立てています。直接風に触れたら、刃のように凍りついてしまいそうな冷たさでした。
日はまだ高く、あたりを白く照らしています。アルヴェが帰ってくるには、まだしばしの時間があるでしょう。
シルヴァは心を決めました。
光の中、しなやかな獣の瞳のように、狩人の瞳は、きつく絞られていきました。
彼は、腰から短剣を抜くと、スミアのほうへとそっと近寄りました。
洞窟の入り口に腰を下ろして、届かぬ恋と知りながらも、愛する人に思いを馳せる……。それが今のスミアでした。
膝を抱えて、遠くを見つめています。何度もため息で細い肩が揺れました。
そのか細い首筋に、冷たい刃物が当てられました。
「シルヴァ?」
スミアは、何の躊躇もなく、ふりむきました。
ひんやりとした刃の感触が、スミアの熱い思いをさましてくれるかのようでした。
凍りついたような表情をあっという間に崩して、シルヴァは微笑みました。
「君の短剣は、土鬼の物だ。私にはどうも好きになれない。この剣を使うといい」
差し出された剣には、文様が彫られていました。光戦の民の文字で、スミアには読めないものでした。
「この剣は、光戦の民が作ったものだ。土鬼が近づくと、光の魔法で、刃が炎のように燃え上がる」
そう言いながら、シルヴァはスミアの手に、その短剣を握らせました。
刃は、本来の美しい輝きをもっていました。暗い闇に触れることなく、短剣は燃えることはありませんでした。
シルヴァは、不思議な感覚を覚えていました。
「ありがとう……シルヴァ」
血を試されたとも気が付かずに、スミアは素直に微笑みました。
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