第18話 悲嘆
スミアは、天幕に入ったとたん、そのまま倒れて泣き出しました。
被れるものはすべて被り、声が外に漏れないようにして、大きな声で泣きました。声を潜めたくても、それは無理でした。
今までの人生で、一番うれしいことと、悲しいことを、一気に経験してしまったのです。
ひとたび頭が落ちつくと、スミアはアルヴェのすべてを思い出しました。
初めてあった川辺。初めて聞いた声。馬に乗せてもらったこと。そして……。
サファイアの輝きを思い浮かべたとたんに、再び悲しみが襲ってきました。スミアは再び嗚咽を漏らしました。
泣いたり、思い出したり、泣いたり、思い出したり……。
そうして一晩中泣きつづけて、朝を迎えてしまいました。
日がかなり高くなっても、スミアは天幕から出てきませんでした。
夕食も食べなかったのですから、おなかをすかせているはずなのですが、用意した朝食の香りすら、スミアを目覚めさせないようでした。
二人の光戦の民は、気長に焚火の側で待っていました。
『アルヴェ……。聞きたいことがある』
シルヴァが、不機嫌そうに言いました。
『何だ?』
『私の服のボタンはどこへ行ったのだ?』
アルヴェは、シルヴァのはだけた胸に気が付きました。
珍しく短気を起こして、自分でも思ってもみなかった行動をとってしまったことを思い出し、アルヴェは苦笑しました。
『さて……どこで無くしたものやら……』
恋心に応えることはできなくても、老婆との約束は果たさなくてはなりません。
スミアを幸せにすることは、親を誤って殺してしまったことへの償いでもありました。
突然厳しい顔をして、シルヴァが立ち上がりました。
「スミア! どこへ行く?」
天幕からこっそり外にでたスミアは、その声に打たれて跳ね上がりました。
光戦の民たちに気がつかれないようにしたつもりでしたが、光戦の民の鋭い感覚をごまかすことはできませんでした。
こそこそした様子に、スミアが土鬼に化したのでは? という疑問から、シルヴァは走りより、乱暴にスミアの肩を掴むとこちらを向かせました。
緊迫したシルヴァの顔が、スミアの顔を見たとたん、ゆるみました。さらに思わず笑い出してしまいました。
「わ、わ、笑わないでよ! あ、あたしは困っているんだから! あまり良く見えなくて……」
スミアの顔は、目が見えないほどに脹れ上がっていました。
「泣いたな」
シルヴァはいたずらっぽく聞きました。
「な! 泣いてなんかいないよ! む、虫だよ! 虫に刺されたんだ!」
この冬に、虫がぶんぶん飛ぶでしょうか? シルヴァはさらに笑いました。
火の側でアルヴェが立ち上がった様子が、スミアのかすんだ目にもわかりました。
「おいで、目を冷やしたほうが、早く脹れがひく」
その声に、スミアはそっぽを向き、唇をかみしめました。
「まったく世話が焼ける。目が見えないと、自分の足で歩けないとでもいうのかい?」
その様子を見て、シルヴァがいきなりスミアを抱き上げました。
あまりに突然で、しかも何か物でも担ぐように、適当な抱き上げ方でしたので、スミアはばたばた暴れました。
「や、やめろ! あたしは歩けるってば!」
「いや、歩けない」
シルヴァは、笑いながらスミアを焚火の側まで運びました。
悲しみは、時として人の目を曇らせて、人の歩みを滞らせます。
「でもね……。人間はいつか、悲しみを乗り越えていけるものなのだよ。スミア」
シルヴァは、ぽつりとつぶやきました。
スミアは、しかめっ面のまま、アルヴェの横にちょこんと座りました。
「何が食べたい?」
「何も食べたくない!」
アルヴェのやさしい言葉に、スミアはとげある言葉で応えました。
しかし、とたんにおなかが鳴って、それが嘘だと証明してしまいました。スミアは真っ赤になって、あわてておなかを抑えました。
なぜ、人間は悲嘆に暮れて死ぬことができないのでしょう?
こんなに悲しい思いをしても、時間になればおなかが減って、飢えて死ぬことすらできません。
こんなに恥ずかしい思いをするなら、この場で死んでしまいたい。スミアは心からそう思いました。
アルヴェは、いつもと変わらぬやさしい微笑をたたえていました。
その慈愛に満ちた微笑を見て、スミアは、はっきりわかりました。
悲しい思いをしたのは、私だけなんだ。
一人で悲しみ、一人で泣いて、一人でむくれている。
すべては、自分の一人芝居。
まぶたの奥が、また熱くなってきました。
「ほら、これで目を冷やしなさい」
差し出された冷たい布を、スミアは受け取りました。布の冷たさが、胸をきゅんと締め付けました。
「うん……ありがと……」
再びにじんできた涙を、スミアは布で抑えました。
ひんやりして気持ちがいい……。目に布をあてて、スミアは天を仰ぎました。
……嫌われているわけじゃないんだもの。
……こんなに大事にされているんだもの。
あたしには、贅沢すぎるじゃない。
そう思いながらも、スミアの涙は止まりませんでした。
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