第15話 老婆
かなりの長い時間、アルヴェは押し黙っていました。
老婆の話が真実ならば、巣穴にあった花の謎も説明がつきます。あの花は、おそらく村人の誰かが、仲間の死を悼んで捧げたものなのでしょう。
老婆は再び新しい藁束を取り、奥でパンパンたたき始めました。
「悪いことはいわん。もう、あの子のことは捨てておいたほうがいい。わしも、あの子に本当の仇の話などせんしな。ジッタがあの子を仕込みたいといってきておる。あの子は、そのうち両親と同じ道をあゆむだろうて。そうしたら、今よりはまともな稼ぎもできるしな」
確かに、この家は村の中でも特に貧乏そうでした。両親が死んで、稼ぎというものがなくなったからでした。
しかし、盗賊とは、なんとスミアには似合わない仕事なのでしょう。だからといって、今のひどい生活を続けさせるわけにも行きません。
「私は身請けの品を渡したはずだ。あの子は連れて行く」
アルヴェの言葉に、老婆は手を止め、目をしばつかせ、首を突き出しました。
「まじか? 光戦の民が寝ぼけたこというんでない!」
老婆は、力いっぱい藁をたたきました。
スミアは大事な働き手です。それに、土鬼を殲滅されるのも困ります。村が成り立ちません。
それに光戦の民とスミアは、まったくつりあいません。
「わしらのことはかまわんでくれ! だいたいあんたら、仇じゃないか!」
「確かに私は、あの子の仇にちがいない。だが、両親を誤って殺してしまった以上、あの子に対しての責任もある。それに、土鬼は妹の仇でもあるのだろう? あの子の望みどおり、土鬼を討ち、仇を取らせてあげるのだ」
アルヴェはそう言うと、老婆の近くまで歩みよりました。
「あの子は復讐を糧に生きてきた。そして、この村が土鬼なしでは成り立たぬことを知って、悩んでいる。土鬼とともに生きる道を選ぶか? 土鬼を狩って生きる道をえらぶか? その選択は、あの子が復讐をやり遂げた時に、おのずと答えがでるはずだ」
老婆は、まじまじとアルヴェの顔を見つめました。
わざと薄汚れてはいますが、人とは違う、煌く美しさがありました。
光戦の民たちの時代は、老婆が少女の時、やはり年寄りたちの話で聞いた、遠い過去のものでした。
十二年に一度、アザミ野を通る光戦の民がいる……。
たったそれだけの言葉に頼り、スミアは冬の原野へと、家を飛び出したのです。
復讐という名のもとで、自分の生き方を見つけるために。
一瞬光戦の民の言い分に飲まれそうになって、老婆は口をもぐもぐさせながら、あわてて首を横に振りました。
「だめだ、だめだ! 人生なんて、そんな選べるもんじゃねぇ! あの子の人生は、ここで生きて、ここで死ぬことだ。わしらが代々そうだったようにな。あんたらみたいな、死ぬことのないやつらにとやかくされる筋合いはないよ!」
「ただいま! 帰ったよ!」
スミアの声が響きました。外はもう薄暗いようです。
重そうな桶を戸口に置く少女のか細い姿が、逆光で浮き上がって見えました。
しばし睨みあっていた老婆とアルヴェでしたが、空気は一気に変わりました。
老婆はすたすたと歩み寄り、スミアの仕事ぶりを腰に手を当て確認しました。
「このトンマ! 何で水が半分しかないんだいっ!」
「……いや、途中まではちゃんと満杯だったけれど……」
情けなさそうなスミアの声に、老婆はフンと鼻で答えました。
「魚の金はどうしたい? え! それだけかい! おまえ、ちゃんと真面目に働いたのかい? え?」
老婆がすごんでスミアに近寄ると、スミアは小さな声で謝りました。
「は、働いたよ……。でも、これしかもらえなかったんだ。ごめんなさい……」
また叩かれるとスミアは思ったのでしょう。老婆を手で制しながら、スミアは壁伝いに逃げました。
アルヴェは、スミアの姿を見て胸が痛みました。
この寒い日に、服はすっかり水だらけで、裾が凍りついています。その上、転んだのか、服も顔も真黒で泥だらけです。差し出した手は、アカギレが進んで血だらけでした。
まるで本当に土鬼のようでした。
「ばかもん! そんな汚い格好で、汚い家をこれ以上汚すんじゃねぇ!」
アルヴェの横までたどり着いた時、スミアはもう逃げ場を失って、目をつぶり、肩をすくめました。
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、もう許せねぇ! こののろま! お前なんか、もう家になんか置いておけねぇ!」
老婆は大きな声でわめき散らすと、叩き棒を投げ捨てました。
「え?」
スミアは小さな声をあげ、目を開きました。アルヴェも驚いて老婆を見つめました。
「ああ、もう! 気が利かない子だよ! まったく。どうしてこんなにオバカに育てちまったんだろ? ほら、さっさと出ていきな! よそ者さん、あんたもだ! 我が家はお客をもてなすゆとりなどないんだからね!」
「ばあちゃん……?」
曲がった腰に手を当てて立っている老婆の背中に、スミアは小さく声をかけました。
「お前みたいな、トンマで、ばかで、気が利かない子に、ばあちゃんなんて呼ばれたくもないよ! さっさと出ていけ! どこかで野たれ死んじまっても、わしゃ知らん!」
呆然としているスミアの肩に、アルヴェがそっと手を乗せました。
老婆がそうだったように、人生は変わるものではないのかも知れません。でも、試してみることもいいかもしれません。
貧乏は、老婆の若さを奪い、清らかな心を蝕みました。嫌だと泣きながら、親に叩かれ罵られて大人になりました。いつか、誰かが助けてくれることを夢にみて、そしてやがて夢も見なくなりました。
現実だけが、老婆の前にありました。お互い人を出し抜かなければ、この世界は生きてはいけないのでした。老婆は鍛えられました。
しかし、どういうわけでしょう? 急に、老婆は自分と違う人生がスミアの前には広がっていると思いたくなったのでした。
スミアは光戦の民と出会うという幸運に恵まれたのですから。
「確かに預かった。この子は幸せになるから、安心するがよい」
アルヴェはそう言うと、まだ何が起きたのかわからないスミアの肩を抱くようにして戸口に向かいました。
家を出る瞬間、スミアはふりかえりました。しかし老婆は、再び背中を向けていました。
「ばあちゃん……ありがとう……」
スミアの言葉と同時に、扉がばたんと閉まりました。
後は暗闇だけが残りました。
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