第14話 土鬼(つちおに)
シルヴァは、木によりかかるようにして休んでいました。
乾いた冷たい風が、やせた畑の枯れ麦の穂を揺らして、大地に文様を描き出していましたが、木立の中はさほど強くは風もきません。
軽く閉ざされた瞳の横を、風は銀髪をかすかに揺らして、通り過ぎていくだけでした。
光戦の民は、時折このようにして体を休めることがありました。
馬や荷物を見張れる程度に注意は払っていても、心はこの地にはありませんでした。天空の故郷に心だけを飛ばし、憩うことができたのです。
『……ビショップを6』
光戦の民の言葉でうわごとのように、シルヴァは言いました。
『……あぁ、そこだ! そこでビショップをあきらめて、クィーンでナイトを取っておけば……』
悔しそうにシルヴァはつぶやくと、目を開けました。
すでに日が傾いていました。
畑の中に蠢く影を見つけて、シルヴァは目を凝らしました。
人……ではありません。似てはいますが、もっと獣に近い生き物です。
三つ、四つ……五つの影が、冬枯れの畑をあさっていました。土鬼でした。
シルヴァは弓を取ると、すかさず矢を放ちました。
ぎゃああ! という悲鳴とともに、一匹の土鬼が畑に倒れました。
他の土鬼たちはその様子をみて、慌てふためき逃げ出しました。しかし、しっかりと野菜だけは放さずに、両手に抱えて走っていきました。
シルヴァは木立の影に回り、彼らの逃げ道を先回りし、弓を再び構えました。
空気を引き裂く矢が、野菜を抱えた土鬼を射殺しました。
他の土鬼はあわてて進路を変え、逃げ惑いましたが、一匹だけは倒れた土鬼によりそって、何度かゆすったりしていました。
そして、仲間が死んでしまったことに気が付くと、仲間の抱えていた野菜を奪うようにして取り上げて、他の仲間の後を追いました。
シルヴァは、逃げ遅れてしまった土鬼の前に、身を翻して立ちはだかり弓をひきました。土鬼の足は止まりました。
シルヴァの矢は、土鬼の額につきつけられていて、放たれるのを待つだけでした。
その瞬間、土鬼と目が合いました。
ハシバミの大きな瞳。驚いたような表情。
シルヴァは、思わず弓を下ろしました。
「スミア?」
土鬼の少女は、その言葉に一瞬戸惑いを見せましたが、潰えかけた命を無駄にするはずはありません。
野菜を抱えたまま、仲間を追って走り去りました。
「スミア!」
シルヴァは再び叫びましたが、少女は止まることはありませんでした。
間違いありません。あれは、スミアです。
シルヴァは弓と短剣だけの軽装で、荷物も馬も置き去りにして、スミアの後を追いました。
なぜ、スミアが土鬼とともに行動しているのでしょう?
シルヴァの頭の中は、混乱していました。
スミアが土鬼の何かを探っているにしても、あまりにも奇妙でした。
何度も土鬼を射殺すチャンスはありましたが、シルヴァはそれよりも後をつけることを優先しました。
けはいを消し去り、見つからないように細心の注意を払いながら、シルヴァは土鬼を追いました。彼らは、土鬼の巣へと逃げ帰るはずでした。
彼らは、おそらく頻繁に畑を荒らしているのでしょう。あのような実りの薄い畑でも、食うに困れば頼ることとなるのでしょう。
彼らの姿は森に消えました。何度も見逃しそうになりながらも、シルヴァは、彼らの巣穴までたどりつきました。
森を抜けた向こう、起伏のとんだ荒地にそれはありました。
十二年前、焼き払った巣穴と、ほぼ同じような形態でした。土鬼たちは、その穴の中に姿を消しました。
大きな穴は出入り口で、小さな穴は空気穴です。
「生き残った土鬼は、ここに巣穴を作り直したのか……」
シルヴァは、悔しそうにつぶやきました。
まさか、十二年前の失策の証拠を、自ら見つけるとは思ってもみなかったのです。
巣穴には、何匹土鬼がいるのでしょう? 出入口の距離、空気穴の数を数えて、シルヴァは、五十匹前後と把握しました。
真っ向勝負では、多勢に無勢です。
どちらにしても、一人ではどうしようもありません。巣穴を見つけただけでも、充分な収穫でした。
それにしても、スミア……。
あの子はいったい何を考えて、土鬼とともにいるのでしょう? 今頃、アルヴェと一緒にいるとばかり思っていましたが。
その時です。
穴からスミアが顔を出しました。
彼女はあたりを見回して、穴から這いずり出てきました。
先ほどより、さらに汚い格好をしています。あれでは土鬼と間違えても……いえ、土鬼そのものです。
彼女は何かを探るように、巣穴の周りをそろりと歩き回っています。その範囲はだんだん大きくなり、やがてシルヴァのひそんでいた木陰の近くまでやってきました。
シルヴァの横を、スミアが通り過ぎようとした時に、彼は飛び出してスミアの腕を捕まえました。
「スミア、何をしている? こんなところで……」
ささやくような小さな声で、シルヴァは詰問しました。
スミアは、飛び上がらんばかりに驚いて、びっくりするほどの大きな声で悲鳴をあげました。
ハシバミ色の瞳が恐怖に染まり、シルヴァを動揺させました。
彼は思わず手を離してしまいました。
スミアは、おぞましい土鬼語を叫びなから、シルヴァの前から逃げ出しました。
「お、おい! スミア!」
呼び止めるシルヴァの頬を、土鬼の矢がかすりました。
気が付くと、武装した土鬼たちが穴から這い出して弓を射かけていました。
二つある入り口の両方から、屈強な土鬼戦士たちが雄たけびをあげながら、次から次へと飛び出してくるのです。
この巣穴は、常に厳戒態勢で敵に警戒しているのでした。とても戦える状態ではありません。
シルヴァには、あと数本の矢と短剣のみしかありませんでした。短剣は、光の魔力で燃えるように赤く輝いていました。土鬼どもが、今だに闇の僕であることの証拠でした。
迫り来る土鬼たちの軍勢に、走り去るスミアの小さな後ろ姿が、吸い込まれるように消えていきました。ハシバミの瞳の代わりに、真っ赤な邪悪な瞳が迫ってきました。
後ろ髪を引かれる思いで、シルヴァは仕方がなく逃げ出しました。
雨嵐のような矢の攻撃は、しばらく絶えることがありませんでした。
地の利も、向こうが上でした。
シルヴァは、先回りして隠れていた土鬼の戦士と、小さな短剣で何度も刃を合わせる羽目に陥りました。そのたびに、赤く燃える短剣は、鬼どもの黒い血で染まりました。
それにしても、しつこすぎます。
シルヴァは木立に隠れ、土穴に逃れを繰り返しながら、必死の思いで土鬼どもを振り切りました。
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