第4話 冬の朝

 暖かい朝です。春がきたのでしょうか?

 スミアは、いったい何があったのかよく覚えていませんでした。

 日差しが布越しに柔らかく照らします。起き上がると、頭が殴られたように痛みました。

 天幕が、冬の日差しと寒さからスミアを守っていました。

 スミアが被っていたものは、いつもの汚くて重い毛布ではありません。滑らかなさわり心地の薄い布が、スミアを包んでいました。

 ささくれだった指で触ると引っ掛けてしまいそうで、スミアは恐る恐る布をよけました。

 頭をさすりながら、天幕から外に顔を出すと、凍りつきそうな冷たい風が額をなでていきました。

 痛む頭には、むしろ気持ちがよいほどでした。


 スミアの知っている冬の朝は、いつも辛いものでした。

 起きて最初にすることは、寒さで震えること。そして、凍えそうな体に鞭打って、両手に桶を持ち、村を出て、凍った川から水を汲むことでした。

 しかし、この朝は違っていました。

 鋭角に差し込む木漏れ日に、朝靄あさもやがゆらゆらと煌いていました。そのもやに、輝くばかりの人々の影が躍っていて、スミアの口を開けさせたままにしました。

 ため息も凍るような冷たい朝なのに、スミアの血は沸き立つように熱く体を回っていました。

 光戦の民たちは、火を囲んでお茶を飲んでいました。

 とうに朝食は取り終えたようで、もう武装をしている者までいました。

 金髪の仲間と銀髪の兄弟は、笑いあうこともなく、なにやら深刻な話を交わしているようでしたが、スミアに天の言葉はまったくわかりませんでした。

 やがて、金髪の五人は馬に乗り、どこかへと行ってしまいました。森に馬の蹄音が木霊して、やがて消えていきました。

 スミアはなにやら不安な気分に襲われていました。


 残された兄弟は、天幕からひょっこりと顔を出している少女に気がつきました。

「気分はどう?」

 いたずらっぽくシルヴァがたずねました。

 アルヴェと同じ金のサークレットが、朝日にきらりと輝きました。

 サークレットにはめられた石の色が、シルヴァのほうがやや冷たい青でした。アルヴェの色はやや緑がかった暖かい青で、それはスミアに対する態度を反映しているかのようでした。

「最高だよ!」

 ハシバミ色の目をギョロつかせて、スミアは外に出てきました。

 足元は、ややふらりとしています。いかに上等な果実酒でも、酒を飲んだことのない少女にはきつすぎました。

 シルヴァは、もっていたボトルの栓を片手で上手に開け、銀製のタンブラーを取り出すと、金色の液体を注ぎました。

 目の前に、タンブラーが差し出されました。かすかなミントの香りがしました。

 再びスミアはシルヴァを睨みましたが、彼は朗らかに笑って言いました。

「毒ではないし、酒でもないぞ」

 

 シルヴァがくれたさっぱりとした飲み物が効いたのでしょうか? 二日酔いをものともせず、スミアは朝食を無我夢中で食べていました。

 その様子を、アルヴェは興味深く見ていました。

 このあたりは、かつて大食らいの小人の流れを組む種族が住んでいました。少女は小柄なわりによく食べるので、もしかしたら、小人とも関係のある民なのかも知れません。

 人間は、他の種族との混血が可能なのです。

 大河の向こうの王国には、かつて光戦の民と契りを交わした王がいました。ですから、世代を積んだ今でさえ、人間の王は、光戦の民の血をわずかに受け継いでおりました。

 しかし、人間にとっては輝かしいことであっても、光戦の民にとっては喜ばしからぬことでした。人間との交わりは、不死を捨て、天空へ帰る道を閉ざすことでもあったからです。

 黄金の時代の終わりの年に生まれたアルヴェには、人間の王のもとへと去っていった落陽の乙女のことすらも、昨日のことのように最近のことでした。

 これは、アルヴェたち光戦の民にとって、まったくの悲劇でした。

 同胞を捨てていく乙女に、アルヴェはその道の愚かさを何度も説いたものでした。しかし、彼女は悲しそうに首をふるだけでした。

 彼女は王の死後も長い時を生き続け、人間同様に老いさらばえて死にました。

 なぜ、彼女が老いて死ぬ道を選んだのか? それは、アルヴェにとっては不思議でたまらないことでした。

 それからすでに、五百年の時が流れていました。


「名前を聞きそびれたな」

 下品にさえ見える少女ですが、一生懸命食べる様子は、アルヴェには生命力にあふれてさえ見えました。

「あたし? あたしはスミアっていうんだ。妹はゴアで、ばあちゃんは……」

 アルヴェの質問に、少女は口をもぐもぐさせたまま答えました。

「いや、君の名前だけで結構……」

 横からシルヴァが止めました。まるでおしゃべりな小人のように、親戚一同教えられてはかないません。

 すすってお茶を飲みながら、スミアは聞きました。

「ところで……他の人たちはどうしちゃったの?」

「ああ……先にアルフェイムに行った。我々は君に借りを返さなければならないからね。土鬼どもを殲滅してから、我々は残された楽園に向かい、また再び合流することになっている」

 さらりとアルヴェが言いました。

 スミアは、突然むせてごほごほと咳をしました。昨夜の抜刀ばっとう騒ぎを思い出したのです。

 いくら酔っていたとはいえ、光戦の民にお願い事をするには愚かが過ぎました。

「あ、あたしのせい? 仲間は怒っちゃったの? 借りとか何とか騒いだから。……ごほ……八人でも土鬼狩りは厳しいのに。あの、援軍はくるの?」

 アルヴェは、スミアの背中をさすりながら、微笑みました。

「スミアは思い違いをしているよ。我々の時代は過ぎ去り、多くの仲間はもう遠くへ去って行った。我々には、もう援軍などはないのだよ。援軍がいるほどのこともない」

 光戦の民は戦いのために現の大地に降り立った人々です。戦いはすでに終わって、千年以上の年月が過ぎ去りました。

「それに、仲間と別れたのも、君のせいではない。我々兄弟は、土鬼を滅ぼすのが使命なのだ。我々は彼らに深い恨みを持っている。スミア、それは君と同じだ。復讐という意味で、我々は同志だ」

 むせたおかげでハシバミの瞳に涙を浮かべながら、スミアはアルヴェの瞳を見上げました。

 人間ではない瞳。夕闇に銀の星がキラキラと輝くようで、とても綺麗でした。超越した者の瞳でした。


 十二年前の土鬼襲撃時の恐ろしい記憶、その後の悲惨な生活を、スミアはあたりまえのように受け入れてきました。しかし、土鬼どもへの復讐を忘れたことはありませんでした。むしろ、それを糧に生きてきました。

 でも……。

 スミアは、アルヴェの『同志』と言ってくれた言葉がうれしいと思ったと同時に、なぜか重過ぎて恥ずかしく思われたのでした。

 しんみりとなった空気を引き裂くように、不要なものから片付けはじめていたシルヴァが叫びました。

「すでに日は高くなった! 我々はのんびりなどしていられない」

 十二年前の土鬼狩りが不完全であったといわれては、シルヴァの気分も収まりがつかないのでしょう。その声に、アルヴェも立ち上がりました。

「弟はかなり乗り気だよ。我らは共に土鬼を狩ろう」

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