第3話 少女
土鬼とは、闇の世界に囚われ、かつて闇の冥王の僕として現の大地にはびこっていた生き物です。悪行をなすための結束力が強く、数も無数で、光と闇との戦いでは、光戦の民たちを大いに苦しめました。
特徴は一定ではなく、様々でした。
大きな者も、小さな者もます。さらに、牙が時々唇を突き破ってはえている者もいました。
しかし、土鬼どもは血が黒いため、すべて肌がどす黒いのでした。髪は暗褐色か黒で、なぜか目だけは真っ赤でした。
確かに数は激減しましたが、闇の冥王が滅びた今でさえ、彼らは悪行を繰り返し、生きた肉を食らい、薄暗い土の中に住むのでした。
がつがつがつ……と、卑しく食べる少女のさまは、まるで土鬼のようです。肌の色も薄汚れていて汚く、髪も土の色です。闇にとらわれている者ではないにしろ、光戦の民にとっては好ましからぬ風貌でした。
金髪の光戦の民たちは、嫌悪感をあらわにして、アルヴェとシルヴァはあきれ果てて、じっとその様子を見ていました。
パンを喉に詰まらせた少女に、水を差し出したのはシルヴァでした。
彼のほうが、より不信感をいだいていると感じていたスミアは、水を飲んだあと、タンブラーを持ったまま、不思議そうにしてハシバミの瞳を見開きました。
「毒ではない。ただの水だ」
不機嫌そうに、シルヴァはタンブラーを少女の手から引き抜きました。
むっとしてスミアが言いました。
「! そんなこと、思ってなんかいない!」
やさしそうな瞳がアルヴェ、ちょっと怖そうに見ているのがシルヴァ。
一目では見極めにくいこの兄弟たちを、スミアはスミアなりの方法で、すでに見分けることができました。
ですから、水をくれたのがシルヴァだったことに、すこし驚いて、すこしうれしかったのです。その驚きが誤解されてしまったことに、スミアは唇をかみしめ、食事を止めてしまいました。
空腹が収まったあとにスミアの心を占めたのは、なんとも居心地の悪い疎外感でした。
「そろそろ話を聞こう。君の名前は? どこの者だ?」
アルヴェが話を切り出しました。
「なぜ、我らのあとを追っている?」
シルヴァが付け足しました。
スミアはちょっとうつむきました。
「だって……あんたたちのせいだ。あんたたちに借りを返してもらうんだ」
「? 意味がわからないな」
さすがのアルヴェの瞳も曇りました。
「あんたたちは、あたしに借りを返すんだ! 施しなんかじゃごまかされない! きっちりさせてもらうんだ!」
「だから……さっぱりわけがわからない」
支離滅裂なスミアの言葉に、アルヴェは眉を寄せました。
ここしばらくは、人間との接点を持っていません。たかが十数年ほどしか生きていない少女に、借りなどあろうはずもありません。
興奮気味な少女に、シルヴァが再びタンブラーを差し出しました。スミアは一気に飲み干すと、少し赤い顔をしてシルヴァを睨みました。
「毒ではないぞ」
シルヴァが言いました。
スミアはあたりを見回しました。
光戦の民たちが興味深げにスミアを観察し、天の言葉でなにやら語り合っています。
あまりいいことを言われている気はしません。高貴な雰囲気を漂わせる光戦の民とはいえ、笑い声は人間と同じものでした。見下されているに違いありません。
スミアの胸の奥に、なにやらもやもやとした熱い物が上がってきました。頭がくらくらして目が定まらず、光戦の民たちの笑い顔が何重にも見えて、その上踊って見えました。
「汚い物を見るような目で、あたしを見るな! あんたらなんか、みんな敵だ!」
スミアはいきなり腹を立てて立ち上がると、腰から短剣を抜きました。それは、なにやら土鬼の武器にも似た黒い鉄製の剣でした。
光戦の民たちは一斉に静まると、スミアの言葉とは正反対に、スミアをにらみつけました。
突然の少女の行動に、アルヴェは面食らいました。
まさか、そのような大胆なことをするとは思いもよらなかったのです。しかも、少女を火のそばに招きいれたのは、他でもない自分でした。
アルヴェはむりやりスミアを座らせ、手から短剣をもぎ取りました。
意外にあっけなく座り込んだものの、スミアが激しく暴れるので、アルヴェは押さえつけていなければなりませんでした。
この小隊を統べるのは彼でした。
年齢のない顔ですが、時はやはり彼らの上をも通り過ぎます。アルヴェは仲間の中で一番年長だったのです。アルヴェの言葉に、仲間たちは不満げな声を上げながらも、各々の天幕に戻っていきました。
アルヴェが制しなければ、スミアは彼らの剣にかかって死んだでしょう。
「我々が敵で、借りがあるとはどういうことだ?」
アルヴェの質問に、少女は下品にもつばを吐きました。
「ばあちゃんから聞いた。あんたらが十二年前、ここを通った時、村近くの土鬼のアジトを襲撃したって……」
それは本当でした。
アザミ野近くの土鬼どもが、ここしばらく、アルフェイムの方面まで足を伸ばし、かの地の木々を切り倒して、そこを住まいにしようとたくらんでいたのです。
もちろん、アルヴェとシルヴァたちは土鬼を見つけたら必ず攻撃するのですが、アルフェイムは兄弟にとっては聖地でしたから、その激しさは度を越していました。
住まいの穴に火を投げ入れて燻りだし、出てきた土鬼は女子供かまわずにすべて首を切り落し、山積みにしました。屍を焼いた火は、天にも上る勢いで五日間燃えつづけました。
「すると、やはりおまえは土鬼の子か?」
シルヴァが言いました。
「ふざけんな!」
スミアはそう怒鳴ったとたん、今度は急に泣き出しました。
「確かにあたしの村の近くには、たくさんの土鬼がいたのさ。やつらの言葉をよく聞いているから、ちょっとなまっていると言われれば、そうかも知れない。だってあたし、やつらの攻撃の声とか、退却の声とかくらいなら、聞き分けることができるんだ」
急に目つきが厳しくなって、スミアは怒鳴りました。
「だからって、あいつらと一緒にするな! あいつらは……あいつらは
「土鬼を憎むなら、なぜ? 我らは同志ではあっても、敵ではあるまい」
アルヴェが冷静に話を聞く中、スミアは汚い手のままで彼の服を掴み、グスリと鼻をかみました。
「あんたらは土鬼を討ち損じたのさ! そしてさっさと行ってしまったんだ! あたしらの村に、禍だけを残してね」
スミアは自嘲的に乾いた笑い声を上げました。
泣いたと思ったら、今度はいきなり高笑いです。さすがに面食らったアルヴェの後ろで、シルヴァが槍を突き出し、少女の高笑いを止めさせました。
「我らは土鬼を討ち漏らしたりはしない。人間の村に禍を残したりもしない」
ハシバミ色の目は据わっていました。スミアはシルヴァを睨みました。
「あんたたちが去っていったあと、土鬼らは復讐と称して、あたしらの村を襲った。あんたたちのせいで、あたしら、とんでもないとばっちりを受けたのさ!」
今までは、土鬼どもが大々的に村を襲うことなどなかったのです。互いに距離をとり、それぞれを牽制し合って生きていたのです。
悲しい思い出に耐えられなくなったのか、少女は再び泣き出しました。なぜか舌がもつれていました。
「両親は殺され、あらしの双子の妹はさらわれて生きたまま食われたんら! あらしは、じいちゃんとばあちゃんに育てられたけど、親と妹の恨みを忘れたことなんかなかった。あらたたちは、十二年前の借りを返すんら! あらしに協力して、土鬼を殺すんら!……」
そこまで言うと、スミアはアルヴェによりかかるようにして倒れて、そのまま眠ってしまいました。
その様子をおかしそうに見る弟の視線に、アルヴェは気が付きました。
「シルヴァ?」
「あぁ? すまん。果実酒を飲ませてしまった。落ちつかせようと思ったが、逆効果だったようだ」
シルヴァは、愉快そうにそう言うと、槍を横に置き、自分のタンブラーの果実酒を飲み干しました。言葉とは裏腹に、すこしもすまなくは思っていないようです。
やれやれとばかり、アルヴェはスミアを担いで、野営用の天幕に運びました。
ぼろきれのように汚い少女は、ぽきりと折って火にくべた枯れ枝のようにやせこけていて、紙切れのように軽く感じられました。
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