第2話 古(いにしえ)の戦士

 荒地の向こう、森の中。

 アザミ野の外れ、白輝山脈よりの地に広がる広葉樹林。もうすでに、落とすべき葉もない森でした。

 寒々とした薄闇をかすかに染めて、炎が踊りました。光戦の民は、今夜はここで野営して、明日はさらに南を目指します。

 金の髪の二人は、武装も解かずにあたりを見張っていました。三人は、美しい声で歌を歌いながら、食事の仕度をはじめていました。

 白銀の髪の一人は、拾ってきた薪をゆっくりと焚き火にくべながら、もう一人の銀髪の仲間に目をやりました。

「なにか、気になることがあるのか? シルヴァ」

 シルヴァと呼ばれた銀髪の青年は、獲物を見つけた獣のように微動だにせず、日暮れとともに暗くなる風景の中に立っていました。

 彼もまた、武装を解いてはおらず、長身に負けないだけの長さの槍を地に立てていました。

「先ほどから感じる。兄者、何者かが我らを追っている」

 金髪の一人も、言葉をそろえました。

「かすかではありますが……。私も邪気を感じます。アルヴェ」

 その言葉を聞いても、アルヴェと呼ばれた青年は動じる様子もなく、枯れ枝をぽきりと折って火にくべました。

「あぁ、その者なら私も感じた。先ほど川辺から我らを見ていた。土鬼つちおにではない。人間か……小人だと思うが」

 シルヴァは、ゆっくりと槍を伏せると、緊張を解いた面持ちで火に近寄りました。

「知っていたのか? 兄者は人が悪い」

 アルヴェは、たぐいまれなる美しい顔に微笑みを浮かべて、やや不機嫌な弟の顔を見ました。

『たぐいまれ』という表現は、この場合、ふさわしくはなかったでしょう。なぜなら、この光戦の民の兄弟は、百年の時を隔てて生まれたにもかかわらず、まったく同じ顔をしていたからです。


 二人とその仲間たちは、白く輝ける山々の向こう、隠里かくれざとに住んでおりますが、時々こうして旅に出て、今となっては姿を激減させつつある土鬼どもを狩りだしていました。

 輝ける天空の騎士――オリオン――が、夜空を一晩かけて駆け抜ける冬の頃、彼らの心は悲しみに包まれて奥深く沈み、そして復讐の熱く燃える炎によって、再び高揚こうようしてくるのです。

 金の時代が過ぎ、そして銀の時代も過ぎました。今、世界は鉛の時代を迎えようとしていました。光は弱まり、魔法は絶えました。光と闇の戦いは、すでに遠い過去の伝承にしか過ぎません。

 天空での戦いに負け、大地の果てに落とされた冥王は、泥から土鬼を作り出し、大地に悪行をなしました。それを打ち破るために、天空より神の使徒が遣わされました。

 光と闇の戦いに遣わされた神の使徒――のちに人間が『光戦の民』と呼ぶ人々です。

 古の時代、現の大地にて、再び激しい戦いが繰り広げられました。多くの勲、悲劇の後に訪れたのは、光戦の民の華々しい勝利でした。

 大地は光と生命あふれるところとなり、彼らはこの地にそのまま残り、人間たちに天空の文化を伝えました。

 しかし、勝利も栄光もその後の繁栄も、彼らに安らぎは与えませんでした。彼らは長い戦いにより傷つき、心癒されることはなかったのです。

 光戦の民は、神より戦い以外の使命を与えられておらず、また、死に至るまで悲しみを忘れ去ることができない種族だったからです。

 やがて、彼らは現の大地に倦み、癒しを求めて神の住まう天空の世界へと旅立っていくようになりました。

 光戦の民が繁栄を極めた時代は、このようにして去りました。

 多くの仲間たちが翼船つばさふねに乗り、天空の故郷へと向かっても、アルヴェとシルヴァは、ここに留まりました。

 なぜならば、この地には、彼らの母の仇である土鬼どもが、まだ残されていたからです。母を殺された恨みを、彼らは忘れることはありませんでした。

 二人はひっそりと隠れ里に住み、この時期になると、土鬼を狩るために旅に出ました。時には恐れ山の向こうの湖まで、時には北方のわびしの荒地までと、遠出をする年もありました。

 そして十二年に一度、決まってアザミ野の向こう、かつて光戦の民たちが築いた王国の跡であるアルフェイムへと出かけ、今は誰もいなくなった彼の地にて、亡くなった者たちを悼む祭りを行うのでした。

 今回の旅は、その途中でした。



 鼻の頭を泥だらけにしながらも、スミアは藪の中から光戦の民を観察していました。

 光戦の民を見るのは、今日が初めてでした。でも、スミアの目的は彼らを見ることではありません。

 どうにかして、あの者たちを自分の目的のため、思い通りにすること。

 その方法は……。実は何もありませんでした。

 こうして光戦の民に出会うことさえも、十二年に一度、この時期に彼らがアザミ野を通るという、古くからの言い伝えにすがっただけの、奇跡的出会いでした。本当のことをいうと、彼らに会うことばかりを考えて、その後のことを考えていなかったのです。

「弱ったなぁ……。もう……」

 藪の中でスミアは小さくつぶやきました。

 それにまるで答えるかのように、おなかがグルルウ……と音を立てました。その音はとても大きく響いたようで、光戦の民たちは一斉にこちらを向きました。

 しまった! と思っても、おなかの音はやみません。縮こまって藪の中に身を潜めても無駄でした。

 光戦の民たちの剣が抜かれ、かしゃかしゃと音がしました。目をふさいで歯を食いしばっていても、光戦の民たちに緊張が走っていることがわかりました。

 それなのに、まるであざけ笑うように、おなかの音は鳴り続けました。

 無理もありません。

 スミアはこの五日間、わずかな乾パンと水だけで過ごしていたのですから。

 それに比べて、旅の口糧こうりょうとはいえ、光戦の民の食べ物はなんと立派なことなのでしょう。こんがりと香るパン、甘い果実、そして干し肉もありました。

 それが焚火であぶられて、おいしそうな香りとなって、スミアのもとまで流れてきたのですから。


『君は誰だ?』

 聞いたこともないような滑らかな声が、スミアの耳に響きました。

 あま言葉ことのはと呼ばれる天空の言語で、意味はまったくわかりませんでした。

 薪をくべていた光戦の民が立ち上がり、こちらを凝視する六人の間を割って、スミアが隠れている藪に近寄りました。

 そして、今度はスミアにもわかる言葉で話しかけました。

「我々は、空腹で困っている者に施すこともできるのだよ。君が闇に仕える者でなければ……ね」

 スミアは恐る恐る目を開け、顔を上げました。

 この世に、このような美しい人がいるなんて……。間違いなく、あの川辺で見た銀髪の光戦の民でした。

 とても長い旅をしているとは思えません。疲れもない穏やかな表情に一点の汚れもなく、白銀の髪は真直ぐで綺麗に梳ってありました。そして美しい額には、金製のサークレットがはめられていました。

 スミアはパチパチ瞬きして、ごしごし目をこすりました。

 その美しい人が二重に見えたのです。おかげで、顔はますます泥まみれになりました。

 やさしい言葉と表情に相反して、美しい青年は抜き身の剣を持っていました。そして、その人の影は武装し、もう少し厳しい顔をして、槍を構えていました。


 アルヴェもシルヴァも少女が闇に属する者であれば、すぐに切り捨てるつもりでした。彼らは、まだ少女の正体を見極めたわけではありません。

「あ、あたしは土鬼なんかじゃないよ! ばかにすんな!」

 スミアは少しむっとして、大きな声で怒鳴りました。

「土鬼なまりだ」

 アルヴェの後ろで、槍を構えていたシルヴァがつぶやきました。

「それに! あんたらに施してもらうほど、腹なんか空いていないっ!」

 そう叫んだとたん、スミアのおなかは今までにないほどの大きな音を立てました。

 後ろで様子見していた光戦の民たちが、その音を聞いて、くすくす笑い出しました。この薄汚い少女がたいした存在ではないと判断したようです。そして何事もなかったかのように、各々のやりかけていたことを再開しました。

 スミアは汚れた顔を真っ赤にして、黙りこくってしまいました。

 その様子を見て、アルヴェも他の光戦の民同様、スミアへの緊張をほどき、微笑みました。

「そのような闇の者は見たことがないよ。さあ、こちらへおいで。まずは、君のおなかをおとなしくさせよう。それから話をきこうじゃないか」

 アルヴェは剣を納めると、スミアを焚火の側へといざないました。

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