第35話 音楽は壁を越えます

 第二次世界大戦後、世界は、西と東の二つの陣営に別れ、冷戦と呼ばれる状態となった。アメリカとソ連という二大スーパーパワーを中心として、自由主義経済陣営と社会主義経済陣営が別れ睨み合ったその冷たい戦争は、局地戦は度々あったものの、全面的な世界戦争になることはないまま、ソ連の崩壊まで続いたのだった。


 ところで、この冷戦は、一般にはソ連——ソビエト連邦の経済的破綻によるものと言われる。社会主義が失敗であったのか、はたまたソ連型の統制とノルマ型の国家制度が悪かったのかは判然としないが、兎にも角にも、崩壊した東ヨーロッパ経済の中、民意の奔出を国家が抑えきれないまま、それはベルリンの壁の崩壊を導くまでに至ったとされる。


 つまり——冷戦を制したのは経済であった。それは間違いなく言えるだろう。


 しかし、その経済戦争以外で、西と東では別の戦いも起きていたと言われることもある。


 それは、文化であった。


 西側の自由主義に伴う芸術やエンターテイメント。それは当時、鉄のカーテンと呼ばれた検問をすりぬけて、あるいは非合法に東にやってきた西側の文化。思想や映画や文学や音楽などは、現状の体制からの脱却を夢見る若者の象徴となる——ロックなどもそうであったと言われる。


 もちろん、音楽の力を過信してはいけない。音楽そのものが世界を変えた——音楽の力が世界を変えたとまでいうのは、さすがに言い過ぎであろう。


 素晴らしい音楽を聴けば、敵同士が一緒に心を通い合わせ、つまらない争いなどが無くなると思うのは、あまりに幼い考えであろう。


 この世界はそんな甘くない場所なのである。もっと殺伐として荒々しい。過酷な現実の前では、たやすく手折られる花のように弱々しいものである。


 しかし人は花の美しさに感動し、それが踏みにじられた後でも心にそれを咲かすことのできる動物である。日々の生活ではついつい理想よりも現実が重視されるとしても、理想は心の中にある——その花が音楽であることもあるのだ。


 ベルリンの壁崩壊に至る経緯の中で、それ・・を心の中にあるものから現実にすべく、人々の変革への意欲を支えたのだとすれば、音楽は。理想をのせる強靭な媒体メディアであったのであろう。


 では、その求めたものとは? 理想とはなにか?


 筆者は、——それは、第二次大戦後、通信や交通手段の発達により世界が結びついて生まれていった、同じ地球を生きる仲間としての感覚。同じ文化を共有する一つの民族としての感覚ではないか? それは、多分、最初は「若者」という民族として世界に生れ広がっていったのではないか? と思う。


 世界を一つとして、その同じ地球に生きる人類として共通の文化を生きる感覚が、一部のエリートや理知者以外の一般にまで、下手をしたら人類史上初めて芽生えた1950年代、その新しい感覚により生まれた新しい民族「若者」が自らの音楽として選んだ国はロックであったのだった。


 そのまま、その新たな民族「若者」は、歳を取り、もはや若者とはいえない歳になり、あるものはそのままそのロックにとどまり、あるものは去るがその国は続いていく。その中にいくつもの州ができながら。新たな「若者」を育てながら。その民族は世界に広まり……


 その中で、新たに生まれた音楽。クラブミュージック。


 1990年代に、そのライフスタイルとともに、世界中に広まった新たな民族とその音楽。


 日本でも、最初はその新たな音楽は大きくは受け入れられることはなかったが、気づけば、もう三十年に渡るクラブミュージックの歴史の中で、その文化が、民族がしっかりと日本の中に根付いた。


 そう、文化ごと日本の中に溶け込んで、文化による音楽を阻む壁を乗り越えたのだった。


 そして、そう・・なった後の日本において、逆に世界にそれ・・を文化の壁を超えて届けようとしているQrionのライブ……


 今夜の熱狂を思い出し、もうすっかる朝になった線路沿いの風景をぼんやりとなあgmeながらミーネが言う。


「アナさんの話のように、文化を乗り越えて、同じ音楽で感動することができるって……」


「考えてみれば感動的だよね」


「ええ、互いに、時には対立しているような国の隔たりを越えて、同じ音楽で踊ることができる……そんな時代がいつの間にか世界の中にできていたというわけね。それってとても感動的なことだとあたしも思う」


「音楽が文化の壁を越える助けになったのでしょうか」


「でも、アナさんは、音楽が世の中を変える力は無いって言ってなかったけ?」


「ええ、確かにそうは言ったけど、それは、音楽だけでは……と思って」


「音楽もその力を持つということでしょうか?」


 首肯しながらアナが言う。


「音楽だけで世界を変えようとしたって砂上の楼閣を作るようなもの。でも、その音楽の感動を支えるしっかりとした土台が人々の心の中にできたのならば、逆に、音楽はその人々の心を支える土台となる」


「それってもう? 例えば……僕の……」


 言葉を止めて自分の心の中を覗く様に下を向くキッカ。


「もうわかってるでしょ?」


 そんなのは当たり前のことだろうとでも言いたげに、CircusTokyoから出てくる人々の姿を見るアナ。そしてミーナが抜群の笑顔を浮かべながら、


「はい。私はまだまだクラブ初心者ですが、この音楽が自分の支えになっているように思えます」


「うん。僕もそうだよ」


「なら、もう答えは決まっている。そして……その心がつながる先は……」


 と言いながら、空を見るアナ。


「「空?」」


 それはこの世界全てとつながる。音楽もまたその下に生きる者すべての心を揺らすとするとアナは言いたいのだろうか? だか、彼女は、その意味を明確に語らないまま。


 しかし、3人ともとても楽しく満足した様子の笑顔を浮かべ、朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込みながらあるき出したのだった。


 その・・空の下を。

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