第30話 昔のトラック・メイカー?

 トラックメイカーと言うのかプロデューサーと呼ばれるのか、はたまたクリエイターとか、アーティストとか。呼び名は時々、場合場合でさまざまだけれど……クラブミュージックを作る人々の存在がクラブ文化の発展に必須であるのは言わずもがなである。あたりまえの話だが、DJだけいてもかけるクラブミュージックがないのならパーティは行えないのだから。


 そして、今のダンスミュージックの主流は何かといえば、シンセサイザーやサンプラーなどの電子機器、あるいはそれらの機能をコンピュータでシミュレートしたデスク・トップ・ミュージックDTMソフトなどでつくる音楽である。


 中でも、今、もっとも多いのはコンピュータにキーボードやドラムパッドなどをつなげて、オールインワン的に音楽作成をしている人たちだと思われる。


 が、単体のシンセサイザー、ドラムマシン、サンプラーなどを駆使して、あるいはそれらを同期させたりしながらの昔からの電子音楽の作り方を続けている人たちもいるし、SuperColliernaderなど音をプログラムするようなソフトで音楽を作る人や、チップ・チューンなど呼ばれる8ビット時代のゲーム音楽的なダンスミュージックの分野では、メインに用いられる機器はゲームボーイであったりもして……


 気づけば、ジョルジオ・モロダーあたりのエレクトリックディスコミュージックから見て、もう40年になろうかという電子楽器でのダンスミュージック。その歴史の紆余曲折そのままに、電子ダンス音楽は、川のごとく、様々な流れにわかれ、それがまとまり、また別れ、相互に入り組んでからまって、様々な音楽の果実の成る、なんとも豊穣な大地を作り出しているのであった。


 また、同じこの40年、しくも電子楽器ほぼ同期するような発展を示した、世界に広がる電子ネットワークインターネットにより、音楽を届けるにも、見つけるにも、音楽に国境は果てしなく少なくなった。昔では考えられないくらいに様々な国のアーティストが、気軽に世界に音を届けられるようになっているのだ。


 皮肉抜きで——筆者は、音楽にとって、少なくともダンスミュージックについて、今は素晴らしい時代と思う。もちろん、かつての、地域ごとに独自の音楽が、その地域の伝統楽器で作られたような時代に比べて、音楽の世界は平板化してつまらなくなったと思う人もいるだろうし、それも一概に間違いとは言わないが……かつてはほんの小さな地域や、あるいは個人のベットルームより外には広がらなかったと思われる音楽が、世界中に共有され評価されるような時代になったのだ。様々な、ニッチな音楽が、ネットでいくらでも発展できるようになったのだ。この可能性を否定するのは誰にもできないと筆者は思う。まあ、もちろん、そう言う音楽の好き嫌いはあるともうけどね……


 ともかく、現在は、世界に通用するような音楽が、デスクトップのパソコンで個人でも気軽に作られるようになり、それをネットにアップロードするだけで世界に広がる可能性がある時代なのだ。才能と、そして運があれば、それがたちまちに実現するような世の中となっているのであった。 


 でも、それ故に、その簡易さゆえに、日本初のアーティストといったものの難しさもまた出てきているのかもしれない……


   *


「日本の電子音楽で世界で有名になったのはなんといってもYMO——イエローマジックオーケストラね」


 そろそろ深夜に近づこうかというアナ宅。クラブに行く前のしばしの三人の歓談のはずが、少し長引いているようだった。


 というか、語り出したアナがどうにも止まらないという感じなのであったが、ミーネとキッカも普段だれも教えてくれないような日本のトラックメイカーの話をとても興味深く聞いているようだった。


「日本のテクノの開祖なんですよね……」


「坂本教授のいたグループだね」


 さすがに伝説的なグループYMOのことは二人も知っていたようであるが、


「……ううん。YMOは当時テクノ・ポップと呼ばれていて、名前が紛らわしんだけど、実は今言われるダンスミュージックのテクノとは少し違うの。テクノという名前がついているけれど、テクノ・ポップという言葉は日本の中だけで流通した言葉で、世界的には当時、そういった電子音楽はエレクトロとよばれたそうよ」


「テクノという名前がついているけどテクノじゃない……?」


「いえ、今の基準でYMOをテクノミュージックかって問われたら、音的に、そうだって答える人も多いかもしれない。そう言う意味ではYMOをテクノと呼ぶのは間違いじゃない。……でもYMOは今のダンスミュージックの歴史とは別のところにいたし、作り出す直接の元になったグループでもない——ここは忘れちゃいけないところね。今のダンスミュージックは、ニューヨークやシカゴ、デトロイトのアンダーグラウンドゲイディスコなどで黒人音楽のなかで生まれ、それがイギリスに広がった時点で世界に広がった……これは前にも言ったね」


「はい、セカンド・サマー・オブ・ラブですよね」


「そう。日本でクラブミュージックが広まる、作り出されるようになったのはその後、主にイギリス経由でクラブミュージックが輸入されるようになった後ね」


「じゃあ……日本でクラブミュージックが作り出されるようになったのはその後のことなんですね……」


「まあ、そうね。日本からのクラブミュージック発信みたいなことが本格化したのは、その後だいぶかかったみたい。それって当時の音楽の流通の仕方の問題もあったようだけど」


「音楽の流通の仕方ですか?」


 ミーネは、アナが何を言おうとしているか検討もつかないような顔。


「当時クラブミュージックって、ヴァイナルで流通したの。この間、ここに来たとき、DJ体験してみたでしょ。その時ヴァイナル……アナログレコードでもあたしがやってみせたと思うけど……」


「はい。テンポ……でなくピッチ合わせるの難しそうでしたが、デジタルでのミックスとは違う独特の感じでしたね」


「そう。今となっては、そういうアナログの味も求めたりして使われるヴァイナルレコードだけど、その頃ってクラブで使えるのはそれ・・しかなかったみたい」


「それ? ヴァイナルってことですか?」


「そう。その頃というか、1990年代いっぱいくらいは、DJをしようと思ったら、自動的にヴァイナルでやるしかなったらしい」


「え? その頃ってまだコンピュータとかスマホでで音楽聴くような時代ではなかったかもしれませんが、CDとか無かったんですか?」


「いえ、CDはあった。というよりも、世の中にはCDしかなくなっていた。クラブ界隈以外では……」


「……? なんだかよく分かんなくなった。CDはあったけど、DJはCDじゃできなかった?」


「正確に言うと、できないことはないけどすごくやりにくかったが正解ね。ピッチを変えることのできるCDプレイヤーは1990年代半ばには現れ始めてたけど、まだ操作性のレベルが低くて、DJたちはまだヴァイナルでプレイすることを好んだそうよ。なにしろ、その方が良いプレイができるから。ヴァイナルでのプレイにプラスして使われることなんかはないわけでもなかったけど」


「……つまりヴァイナルでないとうまくDJプレイができなかったということでしょうか。その頃は?」


「そういうこと……らしい。もちろん、あたしも親に聞いて知っているだけなので、実際を見たことがあるわけではないけれど、当時は今のクラブには当然あるというかそっちが主流のCDJなんかは置いてなくて、アナログターンテーブルだけがDjブースにあることがほとんどだったらしいね」


「でも……」


 なんかまだしっくりこないような顔をしているミーネ。


「なにかしら?」


「流通の仕方の問題で、日本初の音楽が遅れたようにアナさんはいってたと思いますが……」


「そうね」


「ヴァイナルが主流なんだったら……」


「ヴァイナルで作っちゃえばいいよね。日本発の音楽」


「そうね……今から思えば、そう思うだろうけど。さっき言ったよね」


「「??」」


「CDしかなくなってたって」


「「??」」


「……当時の日本にはなくなってたのよ。1980年代半ばに発売された後、急速に世の中に広まったCDのせいで、クラブミュージックを発信するための必須のアイテムの一つであったヴァイナルを作る工場が日本からほとんどきえてしまってたってこと」


「え、なんでですか。ヴァイナルレコードって今も結構売ってますよね」


「ほしい人がいるのに作るところがなくなってたのおかしくね?」


「まあ、実は結構ヴァイナルが復権してたり、海外へヴァイナルの発注が簡単にできるようになっている今から見ればおかしくおもえるかもしれないけど、当時、というか実は今でもだけど、日本で1社しかないヴァイナル作れる工場に発注するか、ネットもろくにない時代に、多大な手間とリスクをかけて海外に発注するしかないような状態だったそうよ」


「……昔の方がアナログレコード作るとこ多かったのだと思ってました」


「そうだよね。昔っぽいもんねレコードって」


「うん。1980年代半ばまではヴァイナルってまだ普通に家庭にあるような状態だったんだけど、その後急速にCDが普及して、日本にクラブミュージックが1990年頃には普通の店にはCDばかりが置いてあるような状態だったみたい。当時の日本はなんでも変わるのが早くて、古いものがあっという間に新しいものに変わるような時代だったってことらしいけど……ともかく、あっという間にヴァイナル——アナログレコードがなくなっていったので、日本ではCDをつくる工場しかなくなってしまった状態だったそうよ」


「当時、クラブミュージックはヴァイナルでしかDJできなかったのに、日本にはそれをつくるところがなかったと言うことですね」


「それじゃ、日本発の音楽はできないよね……」


 頷くアナ。


「そう。逆に、CDが広まるのが遅れた海外ではヴァイナル作る工場が残っていて、クラブミュージックはヴァイナル中心に広がっていった……そういうのから日本は取り残されたのね」


「早く発展しすぎたのがあだになったのですね」


「いや、そういうの発展といわないかもね……結局クラブミュージックでは遅れになってしまってるし」


「でも……全くないってわけじゃなく。当時、頑張って、日本に残っているヴァイナル工場に作ってもらったり、海外で作ってもらったりしていたりして日本発のクラブミュージックを頑張った人たちもいるけれど……そもそも完成品のヴァイナルをやりとりしていると言う時点で実は日本はビハインドをうけてたのよね」


「完成品だとダメなんですか?」


「完成品以外になにかあるの? アナログレコードで?」


「ダブプレートというのがあるのね」


「ダブプレート?」


「なんすか? それ?」


「普通ヴァイナル——アナログレコードで作ることをプレスするって言うけど、これって音楽を凹凸に変換した金型を作って、それで塩化ビニールに押し付けて作るからプレスするっていうのね」


「封筒に蝋で封をする時に、金型で印するみたいな感じでしょうか」


「おお、さすがミーネはおしゃれなの知ってるね。僕は、牛に焼印押すのくらいしか想像つかなかったよ」


「あ……」


「どしたの?」


 今は、おしゃれな都会人気取っているミーネだが、田舎育ちでよく近くの牧場に遊びに行っていたので、今時牛に焼印なんて押さないとは知っていたが、


「……いえなんでもない」


 あえて墓穴を掘るような話はしないでおく。


「……話続けてもいいか?」


 アナが不思議そうな顔で二人に問い、


「あ、はい」


「もちろん」


 頷くのを見て、


「……で、塩化ビニールにプレスするのが普通のヴァイナル……つまりビニール版あんだけど、これだと金型作ったりのコストがかさむので少量では作れないので、アセテートというもっと柔らかい素材を直接削って作るダブプレートと言うものが少量生産での音楽の流通のために存在してたの」


「削るんですか?」


「そう。金型作らなくて良いから、少量作るときはこの方が安くできたらしい」


「なんで、少量つくるの?」


「少数にまず伝えたいときよ。具体的には、何十枚とか、下手したら何枚とかだけ作ったダブプレートを自分の曲をかけて欲しいDJに配る。するとそのDJがかけてくれて曲がクラブで有名になればそのままちゃんとしたヴァイナルを作ってもっと広くいろんな人に届けるし、あまり受けなければそのままお蔵入りにさせて次の新しい曲をダブプレートにする。そんな感じで当時のイギリスとかのクラブミュージックはヴァイナルのプレス時間——これは数ヶ月から年単位でかかることもある——に影響されない素早いシーンの発展、音楽のイノベーションが可能になっていたということ。比べて……」


「日本にはなかったんですね。ダブプレートを作る場所とか……」


「ヴァイナル作るところもなかったんだよね」


「そうね。今では日本でも本ダブプレート作れるところあったり、そもそもそういう少数に届けたければ音楽ファイルで渡せばいいだけだから何も問題ないんだけど……ヴァイナル中心のクラブミュージックが全盛のころには、実は日本はかあんり不利な状態にあって、基本的には海外発のヴァイナルをかけることが日本のクラブシーンとなってしまっていたってのは間違いなくあるそうよ。そもそも、クラブ文化を受け入れて日も浅く、日本のオリジナリティーを出せるところまでシーンが発展してなかったってところもあったかもということだけど」


「でも、すると、当時、日本人の……トラックメイカーってその時言ったのかはわかりませんが、クラブミュージックを作る人というのはいなかったんですか?」


「いえ、そんなことはない。フランキー・ナックルズとかと一緒にハウスミュージックを作ってたトミイエ・サトシ、ヨーロッパで大受けしたテクノのケン・イシイやススム・ヨコタ。寺田創一のアイドル歌謡のハウスリミックスがニューヨークで大受けしたり、国籍は韓国だけど日本で育ってニューヨークでディーライトというグループに入って全米4位の大ヒットを飛ばしたり、ちょっとトラックメイカー文脈から離れるけどソウル・トゥ・ソウルという当時大売れしたグループが作り出したグラウンド・ビートという有名なリズムがあるのだけれど実はこれを作り出したのは、そのドラマーであった屋敷豪太であったり……」


「結構いろいろな人いますね」


「なんだ、結構活躍してるじゃない日本人」


「今言ったのは、クラブシーンの始まりのころの人ばっかりだけど、その後いろんなジャンルで世界で活躍する日本人は続いた。その後の時代のドラムンベースのMAKOTOとか。でも、これらは全部海外での・・の活躍なの。日本にいては活躍も広がりも限界があり、海外に移住までしたかは人それぞれだけど、みんな海外発でこそ、世界に音を届けられる存在になれた……そういう時代だったそうよ」


「……でも今は? ってことですよね」


「アナさんのいつもの話の流れだと、この後の話がまだあるよね。今までがきっと逆振りで……」


「……う」


 図星のアナであったが、


「あっ!」


 それよりも、


「アナさん……気づけばこんな時間ですよ!」


「うわ、もう12時ちかくじゃ!」


「……ごめんなさい。話こんでたら、時間が随分とたって……もうでかけましょう」


 このまま話し込んでいては、せっかくの今日のパーティのメイン時間に間に合わない。


 というわけで、アナの話の続きはクラブに行ってからおいおいとなり、三人は今日の目的地CircusTokyoにへと向かうのであった。まさか、前回のAudioTwoとは全然誓う光景がそこに広がっているとはその時は気づかずに……

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