ふわっとトラックメイカー!(2018.6.9 Audio Two feat. Qrion)

第29話 トラック・メイカーって何?

 週末。土曜日の夜。渋谷から少し離れたアナの家にまたおじゃましているミーネとキッカであった。


 女三人寄れば姦しいなどと言うが、その通りの騒がしさ。静かな住宅街の中で暖かい光を窓から漏らしながら、ひっそりと佇む瀟洒な家の中は、実は結構なにぎやかさなのであった。


 中でも特にうるさいのは、


「ミーネ、次の料理まだ?」


「ちょっと、まってよ、キッカもう食べちゃったの?」


「へへ。ミーネのトマトパスタおいしいからね」


「おいしい……それは、嬉しいけど、作ったの三人前だよね」


「大盛りだと思えば、二人前だよ」


「……というか、全部食べたの?」


「全部じゃないよ」


「確かにあたしも、ちょっと食べたけど。ほんのちょっとだけど……」


「アナさん……その食欲魔神ちょっと食い止めておいてもらえません。このままじゃアナさんの家の食材全部食い尽くされますよ」


「いえ……週末は親が旅行に出かけてるので、悪くなる前に食べきってもらった方が助かるのだけれど……」


「でも、だめですよ。キッカを甘やかしちゃ。そのうち皿まで食べ出しますよ!」


「さすがに皿は食わないよ。毒までは食べるかもしれないけど」


「誰の料理が毒ですって……って……そんなに食べたら毒だって言おうと思ったんだけど」


「じゃあ、いいじゃん。毒で結構! 皿まで食べなきゃ良いんでしょ」


 毒を食らわば、なんとやらだが、


「そういう意味じゃなく……」


「ああ、そういえば皿といったらこれはどうかな」


「ん? アナさんそれは何ですか?」


「何といわれれば、堅い平べったいパン……だけど、こうやって……」


 テーブルのうえに大きめのナプキンを敷いて、その上にパンを置くアナ。


「ミーネさん、この上に料理乗せちゃって」


「は、はい」


 ミーネは作り終わったちょうどチキンのハーブ炒めをフライパンごともってきて、パンの上によそう。


「……パンを皿にしたんですね」


「そう。あとで味のしみたパンを食べるという楽しみもできる」


「おお、本当に『皿まで」だね!」


 皿まで食べてお得といった表情のキッカ。


「うん。でも実は、このパンを皿にすることが、その警句の真意にかかわってくるらしいね」


「え?」


「毒を食らわば、なんとかの話ですか?」


「そう。あたしも、聞いた話なので本当かどうかわからないけど、『毒を食らわば皿まで』って言葉、中性ヨーロッパで堅くて食べれなくなったようなパンを皿代わりに使っていたからできたものらしいね」


「へ? 中世人なんで皿使わないの?」


「たぶんだけど、昔のヨーロッパって陶器とかまだないし、森林も伐採しつくしてった聞くから、堅くなったパンが一番皿に経済的だったのかもしれないかなって思う。王族とかは銀の皿とか使ってたかもしれないけど……」


「……なんだか、今のヨーロッパのすてきな食器からは考えられないですね」


 雑貨屋でバイトして、数々の綺麗なヨーロッパ食器を見ているミーネにとって、いくら千年以上も前の話とはいっても、ちょっと信じられないことのようだった。


「今は日本の誇る伝統のひとつである磁器ができるようになったのだって、江戸時代あたりからで、それまでは中国や当時の朝鮮でしかできなかったのだから……ヨーロッパが陶器の食器を作れるようになるのはさらに後のことね……」


「なるほど……アナさんはなんでも詳しいですね」


 歴史をひもとかれて、すっきりと納得しながら、クラブカルチャー以外にも博識のアナ先輩に感心するミーネ。


 そして、


「でもいいな。ヨーロッパ中世」


「「へ?」」


 なんだかうらやましそうな表情のキッカ。


「だって、食べれる皿使って料理盛りつけるんでしょ。食事の後にパンの皿を食べれる喜びもあって……」


「いえ、中世のそれは堅いパンでそんなおいしいものでもなく、あと皿につかったパンを食べるのは不作法とされ……え」


「キッカ!」


「中世のはわからないけど……アナさん用意してくれたパンはおいしいよね」


 って、盛りつけるや否や、すでに料理を食べて皿のパンまで食べ終わるキッカなのであった。


   *


 というわけで、今は夜の10時過ぎ。


 土曜の夜とはいえ、体型も気になる年頃の、うら若き乙女が大食いするには少々遅い時間である。


 でも、


「だいたい腹ごしらえはすんだかな? 今日も一晩中クラブに行くので、途中でお腹がすくとつらいから」


「はい。大丈夫です」


「食べれるだけは食べたので、あとは酒飲んでエネルギー補給します」


 今週も夜クラの予定の三人は、これから朝にむけての食事をたっぷりととっておいたということだった。


「それじゃ、あとはちょっとお茶でも飲んだら、出かけようと思うのだけれど良いかな」


「はい。もちろん。今日行くのは先月も行ったAudio Twoですよね」


 うなずくアナ。


「でも……」


「先月とはちょっと趣向が違うんですね」


「そう」


「ライブとかもあるんだよね」


「そう」


 月一でCircus Tokyoで行われているOkadadaとWild PartyによるパーティAudio Two、それは二人のレジデント固定DJ以外にゲストがジョインするのが基本となっている。


「先月がむしろ特殊だったのね。OkadadaとWild PartyのふたりだけでやるAudio Twoはむしろ珍しいので、ある意味貴重でお得だったのだけど……」


「今日はゲストもでるんですよね」


「ええ、それもライブも二人あるし、北海道出身のトラックメイカーを集めたスペシャル企画みたい……」


「北海道? トラックメイカー?」


 いや、さすがに北海道の意味はキッカでも知っているだろうけど、


「トラックメイカーって何ですか」


「ああ、そうね……曲を作る人って思えば間違いないけど……厳密にはバックトラックを作る人って意味で……」


 ミーネもトラックメイカーの意味はわからなかったようだ。


「バックトラック? ……そもそもトラックってなんですか?」


「トラックって……例えば、陸上競技でトラックって言うでしょ?」


「百メートルとかで白線で区切られた自分の走るところ?」


「そう。横に何人も並んで、よーいドンで走り出す、白線で区切られた自分の走るところ……それがトラック」


「……? 音楽と陸上が関係あるんですか?」


「それは……見てもらった方が早いかもね」


 アナが、立ち上がり部屋の隅に行き、前もこの三人でいじったDJ機器やPCの電源を入れ始める。


「ほら、この画面見て」


「あ、音楽作るソフトですよね。私のMACにも入っていて一度立ち上げたことはあるんですが、使い方わからなくてそのまま放ってあります」


「それはたぶんガレージバンドというソフトかな? そのソフトも、無料なのにいろいろできるソフトだけど……クラブ系の音楽作るのならもっと違うソフト使われること多いかな……例えば……」


 前回のDJ体験の時はラップトップのモニターだけでプレイしたのだけれど、今回は外部モニターも使い、立ち上がったソフトの画面がよく見えるようにしていた。


「Albelton Liveこれが、クラブ音楽系では今一番よく使われているソフトかな……」


「あ、確かに陸上競技のトラックっぽいの出てきた」


 キッカの言うとおり。画面は、陸上競技の競争路のように横に延びる線で区切られている。


「このトラック……区切られたそれぞれに、陸上競技では走者がいるのと同じようにがスタートするのを待っているって思って」


「音の走者ランナー?」


「まあ、そんなものかな……見てて」


 アナがマウスを操作して、画面のトラックの一つに、波のような絵柄が貼られる。


「これをコピーして……」


 そして、その絵柄を何回かコピーして、一つの区切りトラックを同じ絵柄で一杯にするアナ。


「これで聞いてみましょう」


 プレイボタンをクリック。スピーカーからは同じベースのフレーズが繰り返し流れてくる。


「今、張り付けた音が流れているのでしょうか」


「そうね……じゃあ次のランナーも……」


 アナは、別のトラックに別の波形を読み込んで張り付ける。


「なんかピアノきた」


「次は……」


「壮大な感じの弦楽器ですね」


「そして……」


「お、ドラム入ってくると……」


「踊りたくなりますね」


「……どうかしら? これで一応トラックっぽく格好はついたかな……」


「いえ……一応じゃなくて、格好良いです」


「アナさん、すげえ。曲も作れる!」


「……そんな、大げさなもんじゃ無いわよ。別の人が作ったフレーズを適当に重ねただけだから……でも、こんなでも曲っぽくなるのは、現代の音楽ソフトすごい、文明の利器とはいえるかもね……」


「でも、なんかこれ好きです。クラブで聞いてみたりしたいかも」


「……ほんと、適当に作っただけだから、あんまりほめられても恐縮しちゃうけど……ともかく、トラックの作り方なんとなく理解できた?」


「はい、なんとなく」


「ソフトで音をペタペタと貼ってくんだね」


「……もちろん、トラックの作り方は他にもいろいろあるし、フレーズ作ったり、音響をいじったり、他にもいろいろあるのだけれど、まずは、こういうやり方もあるってことをまずは思ってもらえればよいわ」


「「はい」」


「で、これで完成したトラックだけど、本来はこれ単体で聞くものでなく伴奏——バックトラックということで、曲の完成の為には、もう一つメインのトラックがあってラップとか歌とかが入るわけで、その伴奏を作る人をトラックメイカーと言ってたんだけど、今では意味が拡大して、バックトラック目的でないインスト曲を作る人も、ラップや歌が入った完成した曲を作る人も——トラックメイカーと呼んだりするようになってるようね……本当はミュージック・プロデューサーとかクリエイターとかアレンジャーと呼んだ方が良い場合も、トラックメイカーと呼ばれることが多いかも……」


「うう、なんだかカタカナ文字が多くて混乱する」


「……まあ、あまり細かいことは気にしないで、曲を作る人がトラックメイカーって思えばよいかな……なんだかいろいろ説明した結果がそんなんで申し訳ないけど」


「私も、ちゃんと理解できているかわからないですけど……でも、順を追って説明聞いてから曲を作る人がトラックメイカーと言われた方が納得感があります。ただ曲を作る人がそうだとか言われただけだと、なんか意味が曖昧でもやもやしたままだったと思います」


「そう言ってもらうとうれしいけど……ともかく、トラックメイカーのことがわかったところで、今日のイベントの話に戻りたいところだけど……もうちょっと、脱線して話をして良い?」


「はい? もちろん構わないですが……」


「……アナさんの脱線は勉強になるからね」


「それじゃ……」


 アナは、なぜか少し神妙な顔つきになりながら言うのだった。


「今日のイベントのテーマ、北海道のトラックメイカーの前に、日本のトラックメイカーの話をちょっとしても良いかな」


 ——と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る