第24話 昔話です(1995年Club Shapani @ Sendai)

(今回はちょっと過去の話。ミーネのバイト先の店長の昔話から始まります)


 それは、1990年代半ば仙台市。ちょっと前、東北初の政令指定都市となった同市。それに伴って急激な発展を続けるその市街地。その中でも、再開発のまっただ中となっていた、仙台駅東側の地区でのことであった。


 かつては寺院の集まった地域であったその付近は、再開発にともなって、真新しいビルと空き地と、まだ移転していない墓地が入り交じる、無秩序で不思議な光景となっていた。発展途中の街の持つ不思議な風景、その時にしかない街の情景であった。去りゆく街並みの寂しさと、生まれ出る街並みのエネルギーが同居した、なんともエモイ風景と言えばその雰囲気がつたわるだろうか?


 その場所。地元民には駅の裏側と呼ばれていた、東側、海側も、そのまま少し先に進めば、後に楽天イーグルスの本拠地となる宮城球場、しだれ桜で有名な榴ヶ岡公園など、市の古くからの名所も現れるが、この再開発中の駅前はあくまでも殺風景。特に夜ともなれば、とても百万都市の玄関口とは思えないような人気の無さであった。


 そのうえ、ビルよりも先に道路が整備されたから、煌々と照らす街灯の光の下、誰も歩いている者もいない広い歩道は、ここは、まるで人類が突然消えてしまった地球なのではといった光景。そんなふうに考えれば、背中にすっとした寒気が走って、少し気味悪くもあるけれど、なんかその感じた非日常感が楽しくなくもない?


 とか、考えているのは——新寺あらじこずえ。そう、ミーネのバイト先の店長の若き頃であった。


「……みんな来てるかな?」


 ただ、この静けさが引き起こす感情は楽しさだけではない。


 それは……不安。 


 彼女が駅を降りて、線路に平行して延びる道沿いに進むのは南。そのあたりは、再開発エリアの中でも比較的開発が先に進み、いろんな飲食店がすでに開店、周りに出来始めたマンションからの客も集まり、この当時の仙台駅のこっち側にしては、それなりに賑わいのある地域である。


 しかし、もう2時間。いや、せめて1時間前であれば、それなりにまだ人通りもあり、ここまで寂しい感じではなかっただろうけど……


 でも、もう真夜中、すでに十二時近くだ。夜の早い地方都市であれば、終電も終バスもすでに発車済み。ならば、世を徹した繁華街というわけでないこの通りには、人の行き来も絶え——そんな夜の街を一人歩くと、もしかして……この先にも誰もいないのでは不安になる新寺こずえ。20歳の時であった。


 それはもう二十年以上も前のことだ。今では、こずえは、たいていのことには動じない。


 結婚もし子供も育て、仕事でも立派な店長。この二十年で公私ともに様々な経験をした。もし今の彼女が、この時、この道を歩いていたら、そんな迷いなど感じなかったかもしれない。いつのまにか不惑の歳も越え、自分自身を信じられるようになっている。


 しかし、まだこの時はそうではない。


 つまりこずえは自分に自信がない。この人気のない夜の街では——自分を認めてくれる人のいない世界では……自分が消えてしまうのではないかと感じられてしまうのだった。


 誰にも見られることのない自分は、闇に溶けて消えてしまうのでは。自分は世界に認められずその中に居所を失ってしまっているのでは? 


 そんなことをつい思ってしまうような寂しい夜の闇だった。


 こずえは、誰もいない通りを見つめていると、胸の奥がちょっと締め付けられるような、嫌な感覚を感じてしまう。


 ああ、自分はとても無価値な人間なのではないか。


 この寂しい闇に、ただ一人あるだけでは何も価値を作り出せぬ今の自分を思い知らされる。


 それを恐れる……というより——畏れる。


 この夜の道を歩いていると、そんな感情に押しつぶされてしまいそうになるのだった。


 もっと言えば、こずえは、今日、本当は、この先向かっている場所に自分の居場所がないのかもしれぬと心配になっているのだった。


 それを夜の孤独の不安に仮託しているのだった。


 自分が、誰にも相手されず、楽しめず、いないも同然となってフロアの隅でポツンとしてしまっている。そんな風になってしまったらどうしようか? 夜の闇の不安に、自分の本当の不安を塗り籠めて、自分で自分を騙している。


 こずえは、自分が価値が、その場所・・・・であるのだろうかと不安でたまらないのだった。


 しかし……


 結局、彼女は、そんな不安に足を止めたりはしない。


 自分のあいまいな感情——不安など、この後への期待に比べれば極々小さなもの。そう、今、感じている不安なんて、初めてその・・中に入った時の——境界を飛び越えた時の不安に比べれば、全然たいしたものではない。


 だから、こずえは進む。


 静かな夜の通りをしばらく進み、現れた広い幹線道路を過ぎた先。


 道路沿いの24時間営業のファミレスの奥。


 古ぼけたマンションや戸建てが立ち並ぶ、古くからの住宅街への入りかけの場所に、電灯の暖かい光に照らされて浮かび上がる重々しい木の扉。


 入り口で、一瞬、こずえは息を飲み込む。


 何度も入ったこの中。とっくに来慣れたこの場所のはずなのだが、なぜか来る度に、入る度に少し緊張してしまう。


 天使をかたどった金色のドアノブを睨めながら、彼女の手は一瞬止まる。押し込むが、重い扉は簡単には開かない。しかし、途中でドアはすっと軽くなり、


「ようこそ」


 中から、ドアを開けるのを手伝ってくれた、満面の笑みでほほえむ女性に迎えられ、こずえその夜の目的地仙台に最初にできたと言われるクラブ——Shapaniに入るのであった。


 Club Shapani、それは仙台の初期クラブシーンを語るには絶対に無視できないクラブだ。


 そこが、できたのは、確か1990年頃。


 閉まったのは1996年、いや1997年であったか?


 どちらにしても長命であったとはいえないそのクラブのオープン期間中にいろいろな伝説を残した場所だ。


 広さは十数人も踊れば一杯になってしまうようなフロアの、いわゆる小箱に分類されるような場所であったが、サウンドシステムも当時の音響としては相当よい。強烈なフラッシュライトや前が見えなくなるほどに焚かれたスモーク。腹一杯になるくらい甘いインセンスの匂いが漂い、その中でゲイの、店員兼ヴォーグダンサーたちが踊る。


 奥のラウンジでは、着飾ったクラバーの間を皮にラメの衣装の女性が通り抜けていく。その、店長の奥さんだと聞く、長身の女性の周りでは、体にぴったりとくっついた白ずくめのシャツとタイツの男性ダンサーが横に立ち、そのままフロアに向かい踊り出す。


 するとソファーに座っていた黒人も立ちがり、後を追う。


 彼の名はウィリー・ニンジャ。


 ニューヨークのヴォーギング・ダンスシーンの重鎮。その当時にすでで伝説的な存在となっていた彼が、なぜか日本の東北の小さなクラブに、まるで住み込んでいるかのように、数ヶ月の間、毎日居座っていたのだった。


 その後、アメリカに帰ってからしばらくして、エイズで死亡したと聞くが、この時はまだその動きにその影響が感じられない。


 漆黒の、大きくしなやかな体をくねらせて、もの凄いスピードで複雑なポージングを決めていく。


 それは、うねる波のようであった。作り出すグルーブが、フロアを巻き込みその渦の中に取り込んでいった。


 人々は踊った。


 叫び声をあげた。


 フラッシュライトが世界の一瞬、一瞬を切り取った。


 一瞬、一瞬が奇跡だった。


 この場所、Club Shapani。


 日本のクラブ創世記に一瞬だけあり得た奇跡の場所の一つであった。


 始まりの時にあり得た、エネルギーと夢に満ちた場所。


 きっと、東京や大阪なんかの大都市だけでなく、日本のあちらこちらにそんな場所がこの時代あったのだと思うが……。


 club lonlyのヒットととも日本全国のクラブツアーをしたジョイ・コードウェルが日本おベストクラブとインタビューで答えたこの場所。


 ——Shapani。


 昔の、酔い時代のニューヨークの小箱を思わせると来日アーティストに表されたその場所。


 その夜は、——ふけて、深く音が体にしみこめば、世界は波のように漂う。


 ミラーボールが回り、フロアが回転し、かかっていたのはCarl CraigがミックスしたMaurizionのDominaであったか?


 まるで楽しい夢の中であるかのように世界は優しくフロアの人々を包み込みながら……音が止まる。


 そして、


「え、青山せいざんさん、東京行くの?」

 

 それはパーティが終わった後の近くのロイホでの会話であった。


 Shapaniは毎晩午前3時で終わるため、始発までの間、この頃のこずえと仲間たちは、こうやっていつもファミレスでだべっているのだった。青山——もちろん当時仙台にいたアナの母親であった。その彼女が、仙台から東京に転勤になるというのであった。


「会社、東京が本社だから、いつかするかもしれないとは思っていたけれど、急に決まって……」


「え、ショックだ」


「うん。私も仙台が今おもしろいところだったんだけど」


「さみしくなるなあ……」


「でも、まだみんな残っているじゃない」


 うなずく、一緒のテーブルを囲む、クラブ仲間たち。


 すると、こずえの顔に少し笑みが戻り、


「Shapaniもあるし……」


「うん」


 ついさっきまでパーティをやっていたクラブの方向に振り向きながら、こずえもまたうなずくのであった。


   *


「でも店長はその後、東京に出てきたんですよね」


 で、時はまた現代に戻り、終わりかけの雑貨屋で、店の片づけをしながら、話をしている店長——新寺こずえ——とミーネであった。


 青山青波アナの母親が、店長の昔の知り合いとわかり、いったい何処で知り合ったのかと尋ねたら、思わず興味深い仙台クラブシーンの創世記の話をきくことになったのだが、


「当時もう仙台の会社で働き始めてたんだけど、なんか出ていってみたくなって……やめて東京にきちゃったというわけ……ちょうどShapaniも閉まっちゃったし……すると青山さんのことがなんか思い出されて……」


 店長が東京に行ったのは、アナの母親を追いかけ見たかったという理由も明らかにあったのだろう。


「その青山さん……アナ先輩のお母さんに連絡を取ってみなかったんですか」


「そうね。今ならSNSとかあるし、メールアドレスとかもあるから、なんとかかんとか連絡取れたりするものだけれど、当時は一度電話番号とかのやりとりとぎれると、もう偶然でもないと会うこともなくて……」


 もしかしたら東京のクラブで会うなんてこともあり得たのかもしれないが、たまたま機会が無く、そのうちに20代半ばで母親となった店長はクラブに足を運ぶこともなくなって、そのまま現在に至る。


 ならば、


「……店長、青山さん……先輩のお母さんに会ってみたくないですか?」


「え、それはもちろんだけれど……青山さんも、いきなり私が押し掛けても迷惑じゃないかしら……」


「いえ、そんなことはないと……アナ先輩のお母さんならと勝手に思うのですが……もっと良い方法があります」


「良い……方法?」


「はい。良い方法です。それは……」


 ミーネは、満面の笑みを浮かべながら、


「店長もBody&Soulに来週行きましょう!」


 と言うのであった。

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