第8話 野外パーティでRave On!

 現在のクラブカルチャー成立において野外パーティというものの果たした役割は非常に大きい。


 今のダンス——クラブカルチャーとそれ以前のダンスカルチャーの違いは、野外ダンスパーティがあったかなかったかで分けてさえよいと個人的には思えるくらいである。


 もちろん、現在のクラブミュージックの|祖《オリジン』といえるのはシカゴのウェアハウスやニューヨークのパラダイス・ガレージなどのゲイディスコとそこでかかっていた音楽であることは議論の余地もなく、それは野外などもってのほか、地下アンダーグラウンド中の地下のシーンであった。


 だが、その音楽、ハウス・ミュージックが全世界的に広がるきっかけとなったのはイギリスの一大野外パーティムーブメント、セカンド・サマー・オブ・ラブであった。


 少数者マイノリティーの地下の音楽であったはずのクラブ・ミュージックが、地表オーバー・グラウンドに出てくるとき、それが文字通り野外でのパーティという形をとった。


 もちろん、セカンド・サマー・オブ・ラブのムーブメントにおいても、パーティはすべて野外で行われたわけではなく、基本はクラブなどでのパーティであったであろうが、今までダンスカルチャーにはなかった野外で踊るという開放感の導入。これはそのあとのその文化の発展に大きな影響を与えた。


 外で皆で踊り、世界と交わる。踊っている間は空の下、宇宙の下、全てが仲間。そんな考えが、今のダンスカルチャーを大きく変えた。そのアイデンティティーと言っても良い。


 そんな、もう30年も経った昔の話は、皆もう忘れてしまったかもしれない。でも、そうであればこそ——意識しないのに、その時の感覚が今のクラブカルチャーに色濃く残っていることこそが、むしろ本物の証明となるのではないか。


 そして、野外で踊るというのは——それが今にまで残るというのは、クラブカルチャーというものがどういうものであるのか。その本質を知る、重要で得難い体験であると言える。


 そう、気づけば、二十年を超える長年の歴史を持つに日本の野外パーティの歴史は現在進行形で今も脈々と作られ続けているのである。それは、この日本においてダンスカルチャーの本質の一つを、体験することができるということなのだ。


 最初はごく限られた一部の人のもので、ちょっと歴史の流れが違えば、消えてしまってもおかしくなかった日本における野外パーティ。それは、今や、日本のダンスカルチャーにおいて欠くことのできない重要なピースとなっている。その最初、1990年代も半ば近くなって、日本で、RAVE——馬鹿騒ぎ——と呼ばれたクラブミュージックで踊る野外パーティが始まってから今まで続く、他では得難い素晴らしい体験である。


 思い返せば、その頃。日本でのRAVE——野外パーティの始まりの頃。本場のイギリスで警察などにより規制を受け(注1)だいぶ沈静化した野外パーティが、地球の反対の東洋の島でその意思がつがれて行ったのは随分と面白いタイミングであった。


 もちろん、その頃には野外パーティのムーブメントは、日本だけでなく世界中に広がり、インドのゴア(注2)に代表されるように世界中のあちこちで聖地ができていったのであるが、その中で、人口密度も多く決して野外のパーティに向いているとはいえない日本という国土に根付いていったのは興味深い。


 いや、実は、日本には、先進国としては珍しく、西欧では消えてしまっていた、夏に全国あちこちで大規模な祭りを行う伝統がずっと残っていた。町内の盆踊りのようなものなから、何十万人も人を集めて、何日も野外で踊り狂う祭りまで、その総数はもう誰も把握できないほどの祭り大国——RAVE大国であった。


 その意味では、日本で野外ダンスパーティが隆盛となるのは不思議なことではないのかもしれない。


 しかし、とはいえ、いくら日本人が踊り好きな国民であると言っても、新規なものは、なかなか受け入れられるものではない。


 というか、野外でよくわからない連中が、よくわからない音楽をかけて踊っている姿を見て、それが新しい文化と言われても、流石に素直に受け入れられるものではないだろう。


 実際、日本でのRAVEの最初の頃は社会に白眼視されるような新奇な若者の風俗として世間に捕らえられた。


 山の中や、海辺、場合によっては深夜の公園などで無許可で行われた野外ダンスミュージックパーティは、騒音問題などもはらみ、当時の写真週刊誌に面白おかしく若者の迷惑行為みたいに取り上げられたりもした。明らかに社会の異物として取り扱わられていたのだった。


 もし、日本に置けるRAVEカルチャーが、そのような非合法な文化のままであれば、同じように違法RAVEが乱立のあとに規制を受けたイギリスの例の通り、このR文化は消滅していって行ったかもしれない……


 しかし、1990年頃から日本に根付き始めていたクラブカルチャーは、90年代の半ばともなれば、野外で大規模で合法なパーティが行えるほどの広がりをすでに果たしていたのだった。


 1995年に富士急ハイランドで行われたNatural High!! を皮切りに、次の年同じ富士山の日本ランド(当時)で行われたRAINBOW 2000など合法の大規模野外パーティが始まる。


 この流れは、フジロックやサマソニなど現在までに繋がる大規模野外フェスの発展へとつながっていくのだが、もっと重要なのは、大規模な野外フェス以外にも、キャンプ場や公共の公園などでのオールナイトの音楽イベントが次々に許可され開催されていったことだ。


 高い山は裾野も広くなければならない。大規模野外フェスが華やかに行われる文化の基盤として、他の大小様々なパーティが行われている。それが現在の日本の野外パーティ文化カルチャー、そんな文化を包含するクラブシーンの隆盛を支えているのだと考える。


 そして、そんな現在は百花繚乱のパーティの中でも独特の個性をもって存在するのが、藤沢市営施設である江の島サムエル・コッキング苑で行われるSunset Loungeであると言えるかもしれない。


 21世紀に入り、野外ダンスカルチャーが一般化していくにっしたがって、江ノ島の周りの湘南の海岸では、海の家などが無秩序に始める様々な野外パーティが問題化していく。騒音や集う若者のマナーの悪さで、ついには音楽をかけることが全面禁止となった海岸も多いなか、Sunset Loungeを開催するFreedomSunset Productionは、江ノ島の頂上で島の緑の向こうに海や湘南の街並みを見渡せるという絶好のシチュエーションの公営施設で長年にわたり年に2回のパーティを開催し続けている。


 これは、現代日本における奇跡の一つとまでいっても過言ではない。単発のパーティでなく、ずっと続く、次の日本の伝統として、江ノ島という都市近傍の行楽地で文化を作り続けているのだから。


 そして、今日も、その新しい伝統にぞっこんになった者が二人……


   *


「……うわ、海の空の下でお酒を飲むのがこんな気持ち良いなんて」


「あ、それはそうだけど、帰りがあるから飲みすぎないでね……」


「はい……ヒック」


 すでにダメだな。こりゃ、帰りは自分が要介護かなと思いながらキッカを見るミーネであった。


 とはいえ、ミーネ自身も彼女にしては結構飲んでいる。


「キッカの持ってきたお酒おいしいね」


「へへ。いちごウィスキー意外な美味しさでしょ」


「紅茶ウォッカもおいいわよ。キッカさんこういうの結構つくるの?」


「はい。親がたまに作ってたんで、お酒飲めるようになったので真似してつくって見てるんです」


「そういや、このあいだのクラブ——コンタクトでもレモン焼酎とかうってたね。のまなかったけど」


「ふふ……あれはもう真似して作成中。でもまだちょっと完成までに時間かかりそうで今日は持ってこれなかったんだ……他にもルバーブジンとか、コーヒー焼酎とか……残念だな……」


「全部……持ってこなくてもよかったわよ」


 三人が座るビニールシートの敷物の上、すでに五本の水筒が並べられている。なみなみと酒が詰められた。キッカ作成の果実酒の他にも、同じく酒好きの親の秘蔵のワインとかプレミアものの芋焼酎とか日本酒とか。今日の段階で、三人で飲むにはすでに十分すぎる酒量であった。


「……ううん、次は全部持ってきたい」


「「……」」


 まったく人の話を聞いてないキッカであった。


「……少し会場内見ようか」


「あ、はい……」


 こりゃ、一度酒を抜かせた方が良いかなって思ったアナが言う。


「「…………!」」


「どうかしました?」


「いえ……」


 ところが、すかさず両手に酒のコップを持って立ち上がるキッカであった。


「……行きましょうか」


 こりゃダメだと思いながらも、とりあえずはせっかくの絶景を紹介しないと、せっかくここに来たのにもったいないと会場内をぐるりと歩き出すアナであった。


「いきなり腰落ち着けちゃったから、見てませんでしたが……周りがぐるっと海ですね! 島だから当たり前ですが」


 あらためて、あたりの風景を眺め興奮気味のミーネ。


 バスケットコートほどあるような広いウッドデッキ。その端まで歩けば、その先は一面の海。そのきらめく波をぼんやり眺めているだけでも心地よい。ほろ酔い気分でドープな音楽もかかり、


「今演奏してるのはcolorful house bandね」


 ミーネがちらりとステージの方に目をやったのを見て説明するアナ。


「青山のHachiってクラブで定期的にライブをやってるバンドだそうよ」


「良い感じですね」


 DJにベース、ギター、サンプラーでつくるグルーブにMCが入り盛り上げていく。ガンガン踊り倒すようなサウンドではないが、この海辺の絶好のシチュエーションの中、酒を片手に聴いていると最高な気分であった。


「その前の人はちょっとしか聞けなかったけど……」


 都内を早めに出たつもりでも、なんだかんだで江ノ島に着くまでは結構な時間がかかって、ライブの前のDJクボタタケシは最後の30分ちょっとしか聞けなかったのが少し残念そうなキッカ。


 さまざまな種類の音楽を太いビートに乗せて繋げていくクボタタケシのプレイはアナ的にももっと聞きたい感じのようであった。


 でも、


「クボタタケシさんは、この後もクラブ行ってるとまたどこかで聴くことができると思うから、今日はまずは残りを楽しみましょ」


「はい……こりゃ確かにたまらんわ……」


 潮風に顔を撫でられ気分良くなりながら、持っていたプラスチックのコップの片方を飲み干すキッカ。


 それを、大丈夫かなと思いながら眺めながらも、自分もついついクイッと酒を飲んでしまうミーネ。


 ウッドデッキの端の手すりに体を預け前方を眺めれば、この後の夕焼けを予想させるような遠く広がる海と、右手に伸びる海岸、湘南の街。空を鳥が飛び、下を見れば波が光る。


 キッカにだまされたと思って飲んでみろと言われ、飲んでみた日本酒が、何の抵抗もなく、すっと体の中に入ってくる。このあいだゼミのコンパで連れていかれた居酒屋で飲んだ日本酒はなんかアルコール臭くて、ウッとくるような感じがしてきつかったのだが、今日はとても美味しく感じる。それは野外効果なのか、それともキッカの持ってきた日本酒が……


「へへ。その日本酒限定製造でなかなか手に入らないんだよ。なんか地元の秋田でもう手に入らなくて都内の方が出回ってるとか言うは話があるくらい……たまたま酒屋にならんだところをゲットして……」


 どうも相当良いものを持ち込んだキッカのようであった。


「……でその酒蔵は先代を継いだ今の社長がいろいろな醸造技術を取り入れて……」


 そして酒の話が始まると止まらないキッカであった。


 でも、ちょっとうざい感じもしないでもない彼女のうんちく話も、潮風にあたり聞いていれば抵抗なくすっと心に入ってきて、3人は、そのままたわいもない話をずっと続けるうちに、


「あ、ライブの人変わったね……」


 いつの間にか、Inner Scienceにライブアクトが変わる。きらびやかな音色のエレクトロニックミュージックが、そろそろ日も落ち始めてきた風景にマッチして心地よい。


 3人は、また座り、さらに酒を飲みながら、流れる音に身を任せる。


「子供達も随分来てるんですね……」


 ステージの前のデッキで思う存分暴れる子供達の姿を見ながらミーネが言う。


「外人も多いし、ほんといろんな人来てるね」


 広いウッドデッキいっぱいの雑多な人々を見ながらキッカが改めて驚いたかのように言う。


「親子二代どころか三代目の赤ん坊がくるくらいまでに歴史ができてきた日本のクラブカルチャーの歴史。日本人ばかりでなく、いろんな国の人が集まるそんな文化になってきたその縮図が、ここで見られる感じね。これどう思う?」


「なんか……」


 ミーネは自分が今思った感情をうまく言い表す言葉が見つからないのだが、


「いいですね」


 その笑顔が言葉よりも雄弁に彼女の気持ちを語るのであった。


「あ、夕焼け!」


 そして、気づけば、いつのまにか赤くなっていく空。


「そろそろ踊りましょうか!」


 3人はステージの真ん前、ライブからDJに変わったフロアのど真ん中に進んでいく。今、夕焼けを背に回すスピンのは、大ベテラン、Kaoru Inoueであった。


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「用語解説」


(注1)イギリスでの規制:

 イギリスで、非合法の野外パーティ(RAVE)があちらこちらで開かれて、大規模化するに従い、日本と同じような島国のイギリスであれば、狭い土地の中で、その騒音問題や治安悪化が大きな社会問題になったことによりクリミナル・ジャスティス・ビルという4拍以上のビートの連続がある音楽を野外でかけてはいけないという法案の提出、そしてその実行がなされる。このあとイギリスではRAVEは野外よりも巨大な会場での合法的なものが主体となっていく。


(注2)インドのゴア:

 発祥のイギリスでは、規制により野外パーティは下火になっていくが、一度火がついた野外RAVEカルチャーはそのまま世界中に飛び火していった。それは日本も含め、様々な国の様々な文化の中に融合されていくのだが、その中で欧米人が多く集う規制の緩い場所としてインド東海岸のゴアが野外パーティの中心地として世界的にもその影響力を強めていく。そこでかけられた音楽はトランスと呼ばれたハウスよりの派生音楽であるが、幻惑性の高い音色やメロディーの多用に特徴があるそのトランスは発生地の名をとってゴア、もしくはサイケデリック・トランスなどとも呼ばれた。その音は、2000年近辺の野外パーティなどにおいては、ほぼどのパーティもゴアがかかっているといっても良いほどの主流であった。

 

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