第5話 日曜午後のハウスミュージック

 ハウス・ミュージック。現在のクラブミュージックの祖であり——誤解を恐れずに言えば——その全てがその中にあると言ってしまえさえする存在である。


 日本にハウス・ミュージックが入ってきた当初『電子楽器シンセサイザーつかってハウスでできるからハウス・ミュージックでしょ』とかいった誤解をしていた人も多いこの音楽ジャンルであるが、その名称は、1970年代後半アメリカのシカゴのゲイ・ディスコ「ウェアハウス」で始まったことに由来する。つまり、その場所——シカゴで、ニューヨークからやって来た男、”ゴットファーザー・オブ・ハウス”であるフランキー・ナックルズが作ったり、ミックスした楽曲が「(ウェア)ハウス・ミュージック」として地元で呼ばれ話題になったことがハウスミュージックの——また誤解を恐れずに少々乱暴にいうならば、現在のクラブミュージック全てのみなもとなのである。


 その後、ニューヨークのゲイ・ディスコ「パラダイス・ガレージ(注1)」などに逆輸入されたハウスミュージックはアメリカのアンダーグランド・ダンスシーンに浸透。そして、1980年代の終わりにはイギリスの大ダンスムーブメント——セカンド・サマー・オブ・ラブ(注2)——に合わせ世界中でブレイク。その後も、様々な派生する音楽ジャンルを発生させながら、現在のクラブカルチャーそのものを作り出したアルファにしてオメガな存在であるとさえ言えるのである。


 今、『クラブ』と言われて想像できるような音楽は、ヒップホップやロック、ジャズなどの——それ以前からあったクラブ的カルチャーに由来するものを除けば、まずはこの音楽——ハウスミュージックの一族であると言い切っても良い。誕生から随分と時が経ち、同じ音楽と思えないほどに形態が違っているものであっても、広義のハウス・ミュージックとは、そんな、クラブの歴史そのものと言い切ってしまって良いほどの存在なのである。


 とはいえ、今ジャンルとして「ハウス・ミュージック」として呼ばれるものは、ックラブミュージック全体からすればある一部の分野であることは間違いない。オリジナルのハウスミュージックに近いもの、フィラデルフィア・ソウルやディスコミュージックにラテン音楽のリズムを融合することにより誕生した、4拍子に3拍子がまざるようなグルーブ感のある音楽をハウスミュージックとされることが多い。テクノ、ジャングル、UKガラージなどとハウスから派生していった音楽は沢山あるが、その派生について行くことのなかったコアの部分が今の「ハウス・ミュージック」としてあるのだと考えられる。そういう意味では、今ハウス・ミュージックを聞くということはクラブミュージックの1ジャンルを聞いているに過ぎない——それだけでは全体像をとらえることはできない——と言える。


 しかし、逆に、ハウス・ミュージックが現在のクラブカルチャーの根源となるその姿を残したものとなったことは——ある意味幸運である。我々は、それを聞けば、その音に浸るパーティに行きさえすれば、その歴史に始まりにまた立ち会うことができているということなのだから。


   *


「——というわけで二十年続くハウスミュージックパーティ、SundayAfternoon、どうかしら?」


 メインのダンスフロアに入り踊り始めて、あっという間に二時間くらいが経過していた三人だった。


「気づけばあっという間で……」


「楽しい……」


「うん。良かった」


 二人の反応にニコリとなるアナ。

 

「音とかうるさくなかった? クラブ初めての人だと音量に驚いたりするかもしれないけど」


「あ、最初はびっくりしたんですけど……」


「そういやいつの間にか気にならなくなった」


「それは良かった。音楽以前の話で、どうしても大きな音は苦手な人っているからね」


「確かに音が大きくてびっくりしたけど、うるさいって感じではなかったです」


「あんな大きなスピーカーなら、こんな音出るのかなって……」


 まあ、スピーカーは大きければ良いと言うわけではないが、大きいならば、特に低音において能力が高まるのが道理である。クラブに行ったことのなかったミーネとキッカにとって、このクラブcontactの誇る高さ3メートルを軽く超える大型メインスピーカーは今までの音に対する彼女らの常識を覆すような衝撃的な体験となっていたのだった。さっき別のフロアのスピーカーを『大きい』と言ったときに見せたアオの微妙な表情の意味を、やっと理解するミーネとキッカであった。


 三人がいるのは、フロアから出たすぐの廊下。壁際に狭い作り付けのテーブルがあり、その前には椅子が並べられている。ここは、踊り疲れた人たちが一時休む場所であるが、奥の天井にはちゃんとしたスピーカーが吊り下げられ、良い音でフロアと同じ音楽が流れてくる。


 アナは一度スピーカーをちらっと見てから、向き直って言う。


「……他はどうだったかな」


「これがクラブミュージックだったんですね——もっと電子音がボワボワしているっようなもの想像してました正直」


「こういうのハウスミュージックって言うのか……」


 踊っている途中、アナにちょくちょくと曲の質問をして、知識を仕入れていた残りの二人であった。


「ああ、もちろん電子音がボワボワ行っているようなものもクラブユージックだし、その真贋や優劣を語るのは意味ないけれど、今日のような音楽はありだったかな?」


「「はい」」


 満面の笑みで答えるミーネとキッカ。

 それを見て、アナもにっこりとなりながら言う。


「あと、かかっていた曲の全部が厳密な意味でのハウスミュージックではないけれど、ミックスを通じて感じられるグループのりはこれこそハウスミュージックって感じだったわ。DJさすがだったわ」


 まだクラブミュージックの楽しみ方が良くわからないながらも、強烈なビートにのって艶っぽいグルーヴの続くハウス・ミュージックの連続にかなり楽しくなっていたミーネとキッカは、アナの言葉にただ首肯する。


 そして、フロアで耳打ちで聞いていた話であったが、


「DJはToshiyuki Goto——ゴトウ・トシユキさんでしたっけ……この後もDJはあの人が一人でやるのでしょうか」


 大音響の中で聞き違えていたらと、ミーネが確かめるように言う。


「そのようよ。今日はメインフロアは全部ゴトウさんがやるみたい」


「え、朝までずっと一人なんですか?」


 キッカがそんなに長くDJを一人がやってるのかとびっくりした様子。


「朝まで……?」


「だって、クラブって夜ずっとやっているもんじゃないの?」


「ああ、ごめんなさい……僕、最初に説明してなかったよね」


「「……?」」


「このパーティ、SundayAfternoonは名前の通り、日曜の午後に行われるパーティってことで——今日の夜の11時までに終わるのよ」


「え、そうなんですか」


 少し意外そうな口調のミーネ。今日はなし崩し的にクラブデビューとなってしまったが、途中で明日の月曜午前はもともと大学の講義をとってないのに気づいて、どうせならこのまま夜ずっといるのも良いかもって思い始めてた彼女であった。なんかその方がクラブ体験って感じがするし。


「あ、そうなんですか(まずいな)」


 こちらは、それならもう一時間もないんだから、急いでもっと酒飲まなきゃと、とっさに思ってしまうキッカ。


「……もっと長くいたい感じかな?」


 理由は違えど二人の残念そうな顔をみてアナが言う。


「「……はい」」


 やはり理由は違えど、同じ返事をする二人。


「でも、ちょっと休んだ今の自分をよく見直してみたらどうかな」


「……?」


「ちょっと立って見ようかミーネさん」


「はい……?」


 椅子から降りて、ちょっと立ち上がるミーネ。


「あれ……」


 ちょっとぐらつくミーネ。そしてどっと感じる疲れ。


「……音楽かかって高揚して踊っていると、意外に疲労忘れちゃうものなのよね」


「ん、あれ……あたしも……」


 キッカがぐらついたのは酒量が少し影響しているかもしれない。


「長時間踊るのに慣れてないと、つい踊り過ぎちゃうから。今日は、始めてなんだし、もうちょっとだけ踊って帰るくらいがちょうど良いかもしれないわよ」


 まだちょっとよろけながら首肯するミーネとキッカ。


 それに頷きかえしながらアナが言う。


「でもまあ、そりゃ疲れるわ。結構一生懸命踊ってたもんね。二人とも」


「あ……あんなんで良かったんでしょうか」


「確かにミーネは腕振ってただけだものね」


「なに言ってるの、キッカなんて足踏みしてたたけじゃないの」


「……う、確かに……踊り得意じゃなくて……」


「いえ、二人とも楽しそうに踊っているのがわかって、とても素敵だったと思うわ」


「そうで……」


「しょうか……?」


 自信なさげなミーネとキッカ。なんとなく勢いで踊り始めてしまったものの、実はどんでもない醜態を晒していたのではと不安になる二人であった。


「そうよ。だいたい、他の人たちだって、思い思いで、適当な踊りだったでしょ」


「は、はい。それは——動画で見たピョンピョンと跳ねてるダンスみたいなの踊ってる人たちもいましたけれど、ただ体揺らしているだけの人とか、ずっと頭回してるだけの人とか……」

「手の平を宙に突き出すだけの人もいたね。ただずっと歩いているだけの人も……」


ちゃんとは・・・・・踊ってないよう見えた? その人たち?」


「いえ」


「なんか楽しそうで良かった」


「……きっとあなたたちもそう見えているわよ——そしたら……」


「「そしたら?」


「——あなたたちは、もう、パーティを作り上げるのに必要欠くべからざる存在に、すでになっているってことなのよ。今日のパーティは、DJやスタッフだけが作り上げているのではなく、全てが混ざったもの。そして、それらを足した以上のものなのよ。あなたたちは、この現代に一瞬だけ起きる奇跡に立ち会えただけではない。その奇跡を作ったと言うことなんだから」


「「……」」」


 褒められていて嬉しいが、ちょっと持ち上げられすぎの感じがしてしまい、戸惑い、黙り込んでしまうミーネとキッカ。だって今日がクラブ初めての自分たちが、この場に必要欠くべからざる人物で、奇跡を作り上げたとまで言われているのだから。


「ふふ。じゃあ、今日はビギナーズラックということにしときましょ」


 彼女たちの表情からとまどいを読み取ったアナは言う。


「それとも、そうじゃないことを証明したいかな?」


「それって……」


「アナさんと……」


「また、私と一緒にクラブ行ってくれるかな?」


 にっこりと微笑むアナ。


 それに、


「「はい!」」


 もちろん、即答の二人。


 そして、これが、このあと一緒に様々クラブ文化をふわっと満喫する、末恐ろしくも、後に業界を席巻したりしたりもしないのだが、とても素敵で楽しい三人組の誕生の瞬間なのであった。


 さて、この三人、次はどこに行くのかな?


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「用語解説」

(注1)パラダイス・ガレージ:

 ニューヨークにあったディスコ。メインDJはラリー・レヴァンで現在のクラブ文化の源流をなす需要な場所の一つだが、詳細はまた別の機会に。シカゴのウェアハウスでのハウスミュージック誕生以前から、のちのクラブ文化に繋がるような独特の空気感をもった音楽を選んでかけられていたそうだ。というか、このクラブを雰囲気フィールをシカゴに持ち込んでハウス・ミュージックを誕生させたのがフランキー・ナックルズであったと言うことだ。ウェア・ハウスからハウス・ミュージックという音楽ジャンルが誕生したように、パラダイス・ガレージからもGARAGEと呼ばれるジャンルができたが、これは後年同一の名前の中に複数のジャンルが混合してしまって少々混乱させる呼び名となってしまっている(この件も別の機会に)


(注2)セカンド・サマー・オブ・ラブ:

 2回目・・・の「愛の夏」。1回目は1960年代にアメリカを中心に世界中の若者に影響し、ウッドストック野外コンサートで頂点を迎えたと言うヒッピー/フラワームーブメントの時代のことになるが、その2回目。1980年代後半のイギリスで、1回目と同じように、音楽を聞きながら、踊り、互いに思いやり感動を分け合うような友愛に満ちた世界を作り出そう——踊っているときくらいはそう思いたいなのだったのかもしれないが——という大ムーブメントのことである。野外で行う無許可の野外パーティ(RAVE:馬鹿騒ぎ)に代表される社会現象となるが、ドラッグなどの問題もあり治安維持側から問題視されイギリスにおけるこのムーブメントそのものは1990年代始めに、少なくとも野外パーティは規制により大く沈静化させられる。しかし、この2回目の「愛」はそこで途絶えることはなかった。日本でも、1990年代後半にはあちらこちらで野外パーティが開かれるようになったように、世界中に広がり、もちろんイギリス含め各地で今もその精神が継続してパーティの中に溶け込んでいるのだと思う。

 




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