第3話 アナ先輩登場

 水音ミーネに手を振りながら、彼女のいるテーブルに向かってくる美人。それは青山青波せいざんあおな——通称アナ、水音の大学のゼミの先輩にして、筋金入りのクラバー……パーティピープルとゼミでも噂の人物。黄歌キッカと相談しても、きっと自分は思いきることができないと思って呼んでおいた、ミーネの秘密兵器であった。


「ごめん、少し待たせたかな」


「いいえ」


 その秘密兵器は、うまく煮詰まったところというか、話が程よく盛り上がった、ちょうど良いタイミングでの登場。明らかに何かやってくれそうなオーラを漂わせた美女の到着であった。


「この人は……」

「——紹介するね。こちらが青山青波せいざんあなさん。私の憧れの先輩よ」

「ど……どうもはじめまして」


 初対面の相手に少し萎縮するキッカ。というか、また顔が少し赤くなっている? 女の子相手に? まあ、それはおいといて、


「こんにちわ」


 しなやかな身のこなしで椅子を引いて、二人の斜め向かいに腰掛けるアナ。その様子を嬉しそうに眺めながら、ミーネはにっこりと微笑み言う。


「アナさん、今日はわざわざありがとうございます」

「え、ミーネ、先輩をわざわざ呼び出したの? それって失礼……」

「いえ、この後に渋谷で用事あるからちょうど良かったわ——って、時間調整に使ってるみたいでこちらこそごめんなさい」


 アナは、ちょっと申し訳なさそうな顔になるが、


「いえ、いえ——私の相談のためにわざわざここまでやって来てもらって……学校で聞けばよかったのですが……」 

「この間、ゼミの後に時間が取れなくて、こちらこそ申し訳なかったわ。どっちにしても、この辺に来る用事あったからちょうどよかったわよ……」


「はい。そう言ってもらえればありがたいです」


 対面の二人に交互に目配せをしながら言う。


「それに、学校じゃあんまり気分出ないよね。クラブの話が聞きたいんだよね。学舎ってそういう場所じゃないっていうか、クラブは日常の延長とは違ったものでありたいっていうか、——そんなふうに思って…」


「そういうものなのでしょうか」


 聞いたのはキッカ。アナの登場で、なんか突然クラブに興味が出てきたかのように見える彼女であった。ミーネからだと、クラブの件は話半分で聞いていた模様だが、カッコ良い先輩の話は食いるように聞き耳を立てる現金な後輩であった。


 そして、


「あっ、もちろん、単なるあたしのこだわりだから気にしないで。別にどこでクラブの話をしても良いのだけど、せっかくそういうことに興味持った人と話すのに学校よりも外の方が良いかなって。その方が効果的かなって」


 アナが言うと、


「私も今日あたり表参道近辺に来たいと思っていたので、——その場所がここなのは全然問題ないのですが……なんかアナさん——誘う気満々な気が」


 いきなりグイグイ来てる感じのアナに戸惑いながらミーネが答える。


 そして、


「あら、その気で来たのではなくて?」


 別の意味に取られそうなほど色っぽい表情で言うアナに、


「……その気です!」


 今度こたえたのはキッカ。どうも、別の意味でも大丈夫といった感じの様子の彼女。


「——え?」


「——?」


 唐突に上がったキッカのテンションに戸惑う残りの二人であったが、


「いえ……なんでもない続けて——ください」


「あっ、まあ……」


「え、そうね……」


 あまり気にしていると話が進まないかなと思って話を続ける二人。

 

「……クラブにとても興味あるのですが、思いきれなくて。なんか優柔不断ですみません。わざわざ相談にのってもらっているのに」


「悩んでいるから相談してるのだから優柔不断っぽくても当たり前で、——ちょっとからかってしまってごめんなさい。もちろん無理強いする気はない……いえ、そもそもそんな大袈裟な話ではないだけれど。クラブ行くなんて」


「そうかもしれませんが、なんか、どうも実態がつかめなくて。怖いって……のともちょっと違うのですが、何処に、どうやって行ったら良いのか検討つかない感じで」

「あ、そうかもね。一口にクラブっていっても色々あって、何がクラブなのかって分かりにくくなってしまっているかも」


「そうなんです! ネットで色々情報あさったんですけど、人によって言うこと全然違って……」


「うん、それ……もし興味あれば説明するけれど、クラブという言葉が歴史的経緯で持つことになった意味の複雑さがそんな混乱を招いているのかもしれないわね」

「歴史的……意味ですか? なんか難しそうな……」


「あら、そこ誤解しないでね——クラブ行くのに、その歴史を知る必要が絶対にあるってわけではないのだけれど……知ってた方が自分にあったクラブを見つけることができるようになると思うわってこと。そのくらいの意味よ」


 難しそうな話になるのかなと思ったけれど、意外と単純な話なのかなと少し安心したミーネ。


 しかし、


「は、はい。そういうことなら一安心ですけど……なぜですか、歴史を知れば見つけれるようになるのは?」


 やはり、歴史的意味という言葉が気になり更に問うミーネ。


「——ちゃんと話すと長くなるのだけれど、簡単に言えば、日本にクラブは大きく二種類ある。その歴史を知ればクラブというものの全体像の見通しがつくと思うわ」


 アナが答えるが、


「二つ……ですか?」


 まだその言葉は謎めいている。

 二つとは何? 疑問符が顔に浮かび出ているミーネにアナは言う。


「そう。細かい話ぬきにして、ザクっと言えばだけどね」


「はい」


「で、ザクっと言えば、それは……日本にクラブと呼ばれる踊ってお酒を飲む場所ができたときにクラブと呼ばれた場所と、そのときにはクラブと呼ばれていなかったけれどその後クラブという名前に包含された場所。同じクラブでも大きくこのふたつがあると思えば良いわ」


「えっ、それってクラブには本当のクラブと偽物のクラブがあるってことかな?」


「あっ、それだめよキッカさん」


 突然会話に入ってきたキッカの言葉はアオにダメ出しをされる。


「だめ……?」


「それは何故ですか?」

 

 なんでダメなのかよくわからないキッカとミーネであった。


「うん、クラブを本物とか偽物とか言ってはだめ。一般論として、もちろん、あるものの正当性を押し出してそれ以外を排除するのは絶対やってはいけないことだと思うけど——特にクラブはやってはだめ。というか、そもそも、本物とか偽物のとかの定義もクラブにおいてはとても難しいというか、意味がないというか……」


「……? もちろん何かを偽物の扱いするのは、それが好きな人にとってはムッと来ちゃうかなっての、私にもにもわかります」


「でも、クラブに本物とか偽物とか意味がないっていうのはどういう意味でしょう?」


 追加で説明されても、やはりまだよくわからないキッカとミーネ。


「ああ、それ、ちゃんと説明すれば長くなっちゃうけど、簡単には、クラブミュージックとその取り巻く文化の成り立ちによるって思ってくれると良いわ」


「文化の成り立ち?」


「…………?」


「うん。やっぱり、理解するには歴史を知るべきということになるのだけれど……クラブという、ダンスミュージックを核にした文化ができたのは日本では1990年前後。それは突然そんなものが忽然と無から現れたのではなくて、それ以前のいろんな文化を基礎として誕生した。まずはそれを理解して」


「いろんな……文化……?」


「音楽の流行はやりのことですか」


「もちろん音楽が中心だけど、それだけじゃないわ。うん、文化っていっても、あまり大袈裟に考えることはないけど——クラブというものは、それ以前のダンスミュージックやダンスカルチャーはもちろんのこと、ロックとかジャズとかの他の音楽、ファッションや政治や哲学、ライフスタイル、テクノロジーなど様々な社会の動きの合わさった特異点として誕生した。——この説明でわかるかな?」


「はい……だいたい」


 と言いながら困った顔でミーネをチラ見するキッカ。どうやらだいたいでもわかっているか怪しいが、 


「正直、ちゃんとわかっているのか自信無いですけど……クラブという文化は、いろんな音楽や芸術や社会状況が合わさって生まれたということ? ですか?」


 ミーネの方はだいたい・・・・は大丈夫そう。


「うん。そう。クラブというのは、いろんな文化の混合フュージョンの結果できたものだと思って。そして、クラブは、その誕生の後もさらに様々な音楽やライフスタイル、思想、テクノロジーをさらにミックスしながら発展した物で、——その入れ物であるクラブという場所も、様々な背景と歴史のある場所と場所が入り交じった物であって……」


「あっ、なんとなく、わかったような気がします! クラブというのは、常に他の文化と混じりあって進化した場所ということですよね」


「そう! だから、本物とか偽物とか、……そもそもそういう概念で語ることじたいがクラブに対してはナンセンスなんだということ——だってその時は偽物と思ったものでもすぐに本物に、クラブという文化の一部になるのだから。本物とか偽物とかの概念でクラブを語ることはふさわしくないってことよ」


「……なるほど……でも……」


「でも——?」


「そしたら——どうやって、クラブというものが何なのかを理解したらいいのですか? クラブというものに本物がないとすると、何を元に本物……じゃなくて本質? を考えたら良いのか」


「うん、それは——良く言うじゃない? 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ……って」


「あ、それで……歴史なんですね!」


「それは、アナさんがさっき言ってた、歴史的意味ということですか?」


「そう! クラブみたいな、一見分かりやすそうで、ちゃんと考えると定義が曖昧な概念を理解するには、歴史をたどるのが一番。そしてそれを知ることが、クラブを知ることになるって思うわ——つまり、クラブを知るには、その歴史を、歴史の当事者が見るようにたどれば良いってことよ」


「…………でも」


「どうやって……?」


 なんだか、ちょっとだけ疑問の表情になった、ミーネとキッカ。


「あれ? その顔は歴史をたどるといっても、どうやってたどれば良いかって思ってるって顔ね?」


「はい、実はクラブの歴史なんかもネットで調べてみようとしたんですけど、いろんな用語がいっぱい出てきてどこから取り付けば良いかもよくわからなくて……」


 と、困ったような表情で言うミーネ。


「ああ、もちろん、その辺は、言葉で説明してもよいのだけれど……やっぱりクラブ行っちゃうのが一番よね。百聞は一見にしかずというか、クラブって理解すると言うよりは体験するものだと思うし……」


「え、でも……」


「ん、ミーネさんどうかした?」


「体験するって行っても、歴史ですよね……」


「そうです、それってクラブの過去を体験するってことですか?」


「ははーん、なるほど……二人はこう思っている。今の世にはタイムマシンもないのに、どうやって過去に戻って、それ・・を体験するのか? ——って」


 同時に首肯するミーネとキッカ。 


「ふふ、あたたちはちょっとだけ勘違いしてるわね」


「え、なんですか? 勘違いですか?」


 ミーネが勘違いと言われても良くわからないといった表情。


「あるのよ……」


「ある?」


 キッカも、同じく得心いなない感じの様子。

 しかし、アナは、そんな二人に、さも知っていて当然のことのように言う。


「それはね……タイムマシンは——あるの!」


 ——と。

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