第6話 シノSide:第一の寵姫「ワン」

 シノは、ヒチリが連れてきた小間使いの少女に手伝われながら衣装を着替えた。

 彼女は監禁されている間に、はだけ、破れかけた薄い夜着ははぎとられ、奴隷市場の客たちが目を留めるような扇情的な衣装を身につけるよう強要されていた。ここでヒチリが運んできた衣装箱からどんな服が取り出されるのか不安でもあったが、なにより、夜の街にひらめく踊り子の衣装に似たものをまとわされた屈辱に耐えるのに必死だった。

 だが、ヒチリが少年らしいいたずらっぽい笑顔で、これなら安心でしょうと言わんばかりに見せたそれは、上質の絹で織られた、地味でありながらも品のよいグレイッシュグリーンのドレスだった。

 新しい衣装が与えられたことに、シノのおとめらしい好奇心が一瞬ゆらめいた。白い手を伸ばし、ヒチリの手からドレスを受け取ると、彼女はそれをからだに当ててみた。くすんだ金色の華麗な彫刻の施された姿見の前に立つ。そのドレスは、どんな贅を尽くしたドレスよりも、シノの黒髪と黒い目を美しく見せていた。

 小間使いが衣装を着るのを手伝った後、宝石箱を持ってきた。開けると、深い緑色が美しいエメラルドの耳飾りが現われた。

「これをシノ様にと、御前様がおっしゃいました」

 少女は感情のこもらない硬質な響きの声でつぶやいた。シノはどうしたらよいかと問いかけるようにヒチリの方を見る。彼はあわい栗色の髪をさっと整えてからうなずいた。

「……わかりました」

 シノは目を軽く閉じると、ちょっと割符紋に触れてリュウに詫び、屈辱に耐えた。それは、彼女が婚約してからこれまで、リュウから婚約の品として受け取った真珠の耳飾りしかつけたことがないからであった。そして婚礼の式でも身につけていたその耳飾りは、夜着とともにはぎとられないように、王宮襲撃の夜、とっさにリュウに預けたままである。あの耳飾りのことを思うと、虜囚の女王の心は、嵐の波間に浮かぶ小舟のように揺れに揺れた。

「シノ様、よくお似合いですよ」

 ヒチリがほっと感嘆のため息をもらした。灰緑色のドレス同様に、地の奥深く悠久の美が結晶化した緑色の宝石は、シノの美しく高貴な王族の威厳を頌えるかのようだった。

「ドレスも御前様のお見立てです。御前様は後宮の皆様方のご衣装もそれぞれにお届けになりますが、シノ様のお美しさにかなう御方がいらっしゃるかどうか……」

 ヒチリの言葉に、シノは顔を曇らせた。自分の麗しさを引き立たせる衣装を、昨日今日出会った人物が完璧に見立てることが出来るとは信じられなかったのだ。彼女は、オーボイストを初めて見たとき、どこかで会った気がすると思った既視感をたぐり寄せようとしたが、ついに記憶の果てまでたどっても、彼の血の気のない冷たい顔を見つけることは出来なかった。

 扉の向こうで衣擦れの音がした。小間使いの少女ははっとした顔で下がる。ヒチリが驚いたように小声で叫んだ。

「ワン様!?」

「女王様を私の部屋にお呼びするわけにはいかないから、私が出向くことにしたの。後宮の廊下を歩くのも運動になっていいわ」

 小柄な桃色の巻き髪を肩に垂らした貴婦人が、扇で顔を隠しながら現われた。深紅のドレス、白い地にライラックの花が描かれた扇、ざくろ石の耳飾り。

 扇の向こうで、薔薇色の大きな瞳が笑いかけた。

「女王様、お初にお目にかかります。光栄ですわ。私が御前様の後宮第一の寵姫『ワン』です」

「……もはや女王ではありません」

「あら」

 貴婦人は扇を閉じた。笑顔をシノに向けてはいるが、少し肥り気味と言えなくもないその肉付きのいい顔に、彼女の真意を伝える表情は見えない。

「それではなんとお呼びいたしましょう」

「シノで結構です」

「それでは、シノ様。ヒチリに後ほど後宮を案内してもらいます。ここを王宮とお思いになってごゆるりとなさってくださいね」

 シノはじっとワンの瞳を見つめた。ワンは、十代後半のうら若い女性で、童女のような無邪気な笑顔をたたえている。そこにシノを陥れようという悪意は見えない。彼女は鍵の質問をぶつけた。

「オーボイスト殿が大切にしている形見のことを、なにか知っていますか」

「いいえ」

 ワンはコロコロと鈴のような笑い声を立てながら出ていった。

「なにも、なあんにも知りませんわ」


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売られた花嫁の紅涙 猫野みずき @nekono-mizuki

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