第2話 少女

 クラウディオの家は王宮から少し離れた場所にある。

 このエンバールには王宮の周りを庶民の家で固めた、いわゆる城下町と呼ばれる場所がある。城下町は中流階級の人たちが住むエリア。その外側は貧民街だ。王宮と言ったって王が住んでいるわけではない。戦争が起きる前、まだここが支配される前にあった王政時代の遺産だ。だから城下町というよりも繁華街といった方がいいのかもしれない。

 クラウディオはヘンドリックと別れて帰路に着いた。ヘンドリックは渋々研究所に向かうようだ。手伝えるものなら手伝いたいのだが、そういう余裕はない。

 彼の家は城下町、つまり中流階級の人々の住宅地にあり、そこそこ広い。ただ、国境に向かって伸びる一本道が近くにあるため旅の者たちが度々通る、そんなところだった。

「ん?」

 クラウディオが思わずそんな声を漏らしてしまったのは無理もない。玄関ドアの下にいたのは長い絹糸のような金色の髪、同じ色の長い睫毛、真っ白な肌をした幼い少女だった。少女はその長く綺麗な睫毛を閉じ、その華奢な肩が上下に僅かに動いていた。すうすう、という寝息が聞こえる。

「寝てる……?」

 クラウディオはとっさに辺りを見渡した。もう辺りは暗い。人通りはなく、いるとしたらクラウディオか、この少女くらいだ。

「おーい、あのぉ……すみません」

 ぽんぽんと肩を叩いて起こそうとしたのだが、全く起きる気配はない。

「参ったなぁ」

 困った。でも、するべきことは一つしか思いつかない。

「いきなり目を覚まさないでくれよ……」

 クラウディオはこの少女を運ぶべく彼女の前に膝をついた。そしてどう運べばいいのかしばらく思索して、意識がない彼女を運ぶのにはお姫様抱っこが一番だと考える。彼女はまるで空気のように軽かった。研究所勤めでろくに運動なんかしていないクラウディオでも容易に持ち上がるほどに。

 一階のソファまで運び、彼女に毛布を掛けた。それでも起きなかった。

 それにこの少女は、何か他の者とは違う気がする。それが何なのかは表現しかねるが、その人間からかけ離れたような存在のような、つまりこの少女はヒトではないのかもしれない。そんな風に思ったのだ。

 魔法が普通にある国だ。ヒトではないものを見たことがないわけではなかったし、驚きはしない。

 ただ、この目の前で寝息を立てている彼女がとても綺麗で美しかったから、そう思っただけだ。

「……ッ」

 クラウディオが少し驚いてしまったのは、目を覚ました彼女に見惚(みと)れていただけではない。反応が遅れた、それだけ。

「ここは……?」

 それは小さく透き通るような声だった。

「あ、あぁ。ここはエンバールの首都、ステファノスの城下町。そして俺の家だ」

 声が思わず上ずった。

「エンバール……?」

「覚えている? 家の前に眠り込んでいたこと」

「ステファノス……」

 その様子は普通ではなかった。開かれた青い瞳には薄っすらと恐怖が垣間見える。

「……らなくちゃ」

「へ?」

「帰らなくちゃ……みんなが死んじゃう。帰らなくちゃ……帰らなくちゃ……帰らなくちゃ」

 ぶつぶつとその言葉のみ繰り返す彼女はただならぬ様子。

「えっ、おい。大丈夫か」

「……イヤっ!」

 彼女の肩に毛布をかけようとしたら、払いのけられた。

「ぐふっ」

「ひやぁっ! すみませんっ」

 驚いたのもそうだった。だが、払いのけた瞬間に我に帰った彼女の怯えるような瞳が真っ直ぐ自分を射抜くのは辛い。

「ごめん、ごめん。大丈夫だから……そんな目で見ないでくれ」

「ご、ごめんなさい」

 ショックなんて受けてないぞ……本当に受けてなんかない、クラウディオは自尊心が傷つかない方法を取る。

「お、お、落ち着いた後でいいから。本当に落ち着いた後でいいから……。ちょっとココアでも注いでくるよ。じゃ、奥にいるから」

 動揺を隠すようにクラウディオはその場から離れようとした。すると彼女は――。

「すみません。貴方の恩義にお礼も言わず、名前も言いませんでした。私の名前はヴィーラ。魔法国の出身です」

「あぁ。そんなことはいいんだけど、僕の名前はクラウディオ。出身は――」

 そう言いかけてやめた。

 どうしたのです、とヴィーラが覗き込んでいたのだが、クラウディオは答えなかった。

「生まれは知らない。育ちはエンバール……だと思う」

「そうなのです?」

「あぁ、多分。それよりココアでも出そう。あったまるし、気分が落ち着くだろ」

 強引に話を変えた、自分でもそう思う。

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