第9話 決死の防衛戦
その男はひどく困惑していた。友人とバーで飲んだ帰りに人恋しくなり、通りにある店へと足を踏み入れた途端に意識を失い、次に目覚めたときには物が全く存在しないだだっ広い空間にいた。
「Wo… Wo ist hier?(ここはどこだ?)」
男は必死で辺りを見回し出口を探した。しかし出口はおろかドアの一つも見つからない。男は絶望のあまりその場にしゃがみこんでしまった。
ーーーWarum ist das so…?(どうしてこんなことに?)
思い返してみても罰が当たるようなことは何も思い当たらない。ファストフード店と風俗店が隣合わせで建っていることで有名な繁華街で酒を楽しんでいただけだ。
何時間が経っただろうか。疲れることも眠くなることもない中放心していると、突如光る物体がものすごい速さで近づいてきた。男が目を凝らしてそれを見ているうちにもどんどん接近してくる。
「やっと見つけましたよー。どうして動き回っちゃうんですかねー、人間って。」
男の目の前までやってきた発光体はギョッとして固まる男をよそに話し始めた。
「聞きたくないなら聞かなくてもいいんですけどね、こちらで勝手に処理してしまいますよー?まずあなたには別の世界に移動して貰います。それ以降はあなたの思うままに行動してください。もちろん僕からのプレゼントも用意してますよ?」
「Wer bist du?(お前は誰だ?)」
「ああ、ちゃんと言葉も向こうのが話せるようにしておきますので安心してくださいね。では頑張ってきてください。」
「おい!質問に答え…」
自分の声が不自然なほど機械じみたものに聞こえ、再び意識が遠のいた。薄れゆく視界の端では光る物体が楽しそうに笑っているように見えた。
「…とまぁこれがやつがこちらへ来たときに話していた内容です。結局やつは自分の名前さえもまったく私達に話そうとせず、能力が何なのかもわからぬのです。」
ニースが水の国のギフター、ハースについて話してくれるというので何か弱点でもあるのかと思い聞いていたオウロはガッカリした。ハースという名は跡継ぎのいないニースが自分の死後国を治めて欲しいという願いを込めて与えたものだそうだ、程度の情報しか得られず、今も着々と侵攻してきているジャガルタへの対策会議は一向に進む気配がなかった。
すると一行が城に到着したときに案内をした初老の男が息を切らせて部屋へ駆け込んできた。
「王!敵襲です!今はなんとか守備隊だけで凌いでおりますが突破されるのは時間の問題!至急本隊を招集して街への侵入を防ぐよう命令してくださいませ!」
その言葉に会議に参加していた大臣達の間にも緊張が走る。ギフター不在の今本隊をけしかけたところで返り討ちに遭うのは目に見えている。
「兵達を急ぎ招集して敵のいる門前に配置せよ!」
「ニース様!雑兵ではギフターの進軍を防ぎきれませぬ!ここは街を捨ててどこかへ逃げた方がよいのでは…」
「それはならぬ!王たる者、民草を見捨てて逃げることなどできぬ!それに私には考えがある。ウィルツよ、私の言う通りに配置するのだ。」
進言を退けられた一人の大臣はすごすごと引き下がり、代わりにウィルツと呼ばれた男が前へ進み出た。ウィルツは兵を率いて最前線で戦う将軍であり、兵士を用いることに関して右に出る者はいなかった。
ニースの作戦はこうだ。オウロの話から推測するにハースの能力はおそらく魔法に関するもの。そこで城にいる魔術師を総動員して魔力の供給を図り、その魔力を利用してオウロが魔法障壁を展開してハースの攻撃から城壁を防御。その間に弓や投石を利用して歩兵を攻撃、撃退するというものだった。
「オウロ殿、どうか許してくだされ… ですが今回ばかりは国の一大事なのです。どうか協力してくださらぬか?」
「何を水臭いことをおっしゃるのです!ニース様の助けが無ければ私もカイリもとっくの昔に捕まっていたでしょう。これは神があなたへ恩返しをする機会をくれたのでしょう。」
そう言うとオウロはウィルツとともに部屋を出ていった。それに続いてニースや大臣達も部屋を出る。ただ待機しているだけであったレン、ワーテラ、メイアの三人は侍女に連れられ、地下の小部屋へと向かった。
「なぁ、レン。俺達も外に出て敵を倒しに行こうぜ!村の人達の仇討ちをする絶好の機会だぞ!」
「やめてよワーテラ!私達じゃ一人も倒せないでやられるだけよ!それよりもみんなの無事を祈りましょう。いいわね?もうバカなことを考えるのはやめて。」
「なんだよ年上ぶってさ!同い年のくせに!」
「ワーテラが変なこと言うからでしょ!」
ふん!とそっぽを向く二人。レンはオロオロするばかりであった。
「喧嘩しないでよー…」
一応の仲裁に入ったレンの言葉は地下室に虚しく響くだけであった。
三人が地下室に連れてこられてからかなりの時間が経過した。見張りをしている侍女は緊張した面持ちであったが、絶賛喧嘩中のワーテラとメイア、それに一人で地下室の物資を漁るのに飽きたレンはいつしか眠ってしまっていた。
レンはまたしても不思議な夢を見ていた。今度のは今の自分の状況を上から見るような視点だ。ただ一つ違うのは自分の前に血を流し倒れる男がいること。体にはいくつもの刺し傷があり、返り血に染まったのであろうレンの顔は赤くぬらぬらと光っていた。夢の中でメイアが悲鳴を上げた。それと同時に現実世界でも悲鳴が聞こえ、レンは飛び起きた。急いでメイアの方を確認するも寝ぼけまなこをこすっているだけである。
「こいつらの首を持ち帰れば俺も…」
そのとき地下室の扉が勢いよく開けられ、武装した兵士が入ってきた。部屋の外では見張りをしていた侍女が体を貫かれ絶命していた。
レンは確信した。この男は夢の中で見た男であり、自分が見ていた夢とは現実で起こることだったのだと。
「レンってのはどいつだ?殺すのはそのガキだけでいいって話だったが…」
兵士は三人との距離をじりじりと詰めてくる。ワーテラやメイアをジロジロと見て首を捻り、そしてレンの方を向いた。
「黒髪はこいつだけか。残念だったな、恨むなよ。」
兵士は剣を振り上げた。しかしそこで動作が止まる。激痛に襲われた兵士が足元を見ると、己の足には地面に貫通するほど深くナイフが突き刺さっていた。この世の悲鳴と思えないほどの絶叫が狭い室内に響き渡る。その間にも兵士の体に生えるナイフの数は増えていき、最後のナイフが眉間に刺さったとき、完全に声は途切れ兵士は事切れた。
事態が飲み込めないワーテラとメイアが恐る恐るレンの方を見る。レンは泣いていた。泣きながら拳を壁に叩きつけ、まるで実際に刺したかのような不快な感触を拭い去ろうとすること以外何も考えられないかのように見えた。
「みんな!無事!?」
オウロが地下室へ駆け込んできたのはそのすぐあとだった。
「レン、まさか… いいえ、今はそんなことはどうでもいいの。早くここから逃げましょう!魔法障壁が破られて敵が流れ込んできたわ。今はニース様とウィルツさんがが食い止めているけれどいつまで持つか…」
「おばさん!レンが変なんだ!そこの男がいきなり死んでから…」
「ええ、わかっているわ。それを治すためにも早くここから抜け出しましょう。」
オウロの魔法で王城内に侵入してきた数人の兵士を倒しつつ四人はどうにか外へと抜けることができた。レンは相変わらず錯乱から醒めなかったので、オウロが眠らせてワーテラが背負っていた。
城の外は地獄へと姿を変えつつあった。守備兵の攻撃をかいくぐり侵入した敵の軍勢が火を放ったのであろう、遠くの方では火の手が上がっていた。
「ここももう危ないわね…」
そう呟くオウロは背後に現れた兵士に気づくのがほんの少し遅れ、その顔に剣が振り下ろされた。
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