6.結婚は突然に
「は?」
「は?」
「は?」
「え?」
朋香からは見えないが、同じ一音だけを仲良く発し、固まっている男三人はきっと、間抜けな顔をしているに違いない。
朋香自身、なにを云われたのか理解できない。
ただひとり、押部は嬉しくてたまらないのか、にこにこと笑っている。
「ですから。
お嬢さんと僕の結婚が条件です」
……契約続行が私との結婚ってなに?
いまだに固まってる三人を無視して押部がさらに続ける。
「この条件がのめない場合は、いままでのお話は全てなかったことに。
当初の予定通り、若園製作所との契約は打ち切りということで」
「なんで私の結婚が条件なんですか!」
一番はじめに状況を理解した朋香が押部にくってかかるが、涼しい顔で笑われた。
「もう決まったことですので」
いや、なんで決まったの?
会社の大事な取り引き、そんなことで決めていいの?
「と、朋香。
落ち着け」
落ち着けと云いつつ、渇いたのどを潤そうと湯飲みを握った明夫の手は、中身がこぼれないか心配になるほど震えている。
西井にはいまだに状況が把握できない、というより把握することをあたまが拒否しているのか、宙に視線を泳がせている。
そっと服を引かれた気がして下を見ると、俯いたまま有森が小さな声で呟いた。
「朋香ちゃん。
こんなむちゃくちゃな条件、聞くことないから。
おじさんたちはおじさんたちでなんとかする」
「有森さん……」
有森とは朋香が生まれる前から家族ぐるみのつきあいだった。
もちろん、朋香も小さい頃から可愛がってもらっている。
父ですらまだ動揺している中、普段は口少ない有森からの言葉に、朋香は少しだけ冷静になった。
……私がこの男と結婚しなければ、有森さんたちは大変なことになる。
なんとかするといったって、開発一筋で人付き合いが苦手な有森に、すぐ次の就職先が見つかるとも思えない。
自分だってなかなか決まらずに、父の手伝いをしているくらいだ。
工場のおじさん、おばさんにはたくさんお世話になった。
去年入社した田中くんは彼女に赤ちゃんができて、結婚するんだと云っていた。
私がこの男と結婚さえすれば、全てが丸く収まる。
「わかりました。
あなたと結婚します」
「朋香?」
「朋香ちゃん?」
「朋香さん?」
明夫と西井はいまだにおろおろしていたが、有森は朋香の袖を引いて、それはいけないと静かに首を振ってくれた。
そんな有森を制して、朋香は僅かに笑って頷き返した。
「それでは契約書です」
目の前に置かれたのは婚姻届。
すでに夫の名前には押部尚一郎の名前が記載してある。
渡されたペンで、朋香は妻の欄に自分の名前を記入した。
促されて明夫も保証人の欄に記入する。
「ありがとうございます。
では、仕事関係の書類につきましては、改めて作らせていただきます。
ああ、本日は実家に帰られてかまいませんよ。
明日、改めてご挨拶かたがた迎えに参ります」
男というのはほんとに頼りにならないと思う。
明夫と西井はいまだに現実が受け入れられてないのか、ぼーっとしている。
ただひとり、有森は朋香にすまなそうな顔を見せ、心を痛ませた。
「では、また明日。
僕の朋香」
部屋を出る際、尚一郎に抱き寄せられた。
ちゅっ、唇にふれた柔らかいもの。
「あんたとなんかただの契約婚で、形だけなんだからー!」
「はいはい」
余裕で笑って手を振る尚一郎に腹が立つ。
勢いで決めて後悔することが多い人生だったが、これが一番の後悔かもしれない。
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