2.朋香の事情
朋香が父親の工場である、若園製作所で働き始めたのは致し方ない事情からだった。
つい半年ほど前、大学を卒業して四年勤めた会社を辞めたから。
別に会社に不満があったわけじゃない。
いまどきブラック企業でもなく、残業は程々、休日出勤も滅多にない。
給料もまあ不満がない程度には出ていたし、ボーナスだってあった。
会社自体には不満はなかったが、同じ会社で二つ年上の彼氏、
亮平は前日と同じスーツにネクタイで、一目でなにがあったのか察しがつく。
「誤解だ」
終業後、誤解を解きたいとなぜか三人できたコーヒーショップ。
向かい合う朋香の正面に座る亮平に、隣に座る桃子は手を握ってべったりとくっついている。
これで誤解もなにもないだろう。
「俺は淡島を送っていっただけ、で」
「泊まったんだよね」
「終電なくなってたから!
でも、泊まっただけでなにも!」
「へー」
焦ってる亮平が白々しくて、ずずっと冷たいアイスコーヒーを飲むとあたまがさらに冷えた。
「亮平くーん。
今日も桃子のおうちにお泊まりする?」
「ちょっ、桃子、黙ってろ」
張り付く桃子を引き剥がしてみせる亮平だが、あきらかに鼻の下が延びている。
桃子がちらりと勝ち誇った視線を投げてきて、完全に気持ちが醒めた。
こんな、男のことしかあたまにない女に引っかかる亮平も亮平だと思うし、そんな亮平を好きだった自分も莫迦だと思う。
「あー、はいはい。
おふたりでお幸せにねー」
「待て、話はまだ」
亮平はまだなにか云いたげだが、つまらない云い訳をこれ以上聞く気もなくて、無視して店を出る。
翌朝、出社と同時に、上司に退職願を出した。
亮平にも桃子にも、顔を合わせるのが嫌になるほど、嫌気が差していたから。
同僚は亮平が悪いんだから朋香が辞めることはないと止めてくれたが、聞かなかった。
考えなしで辞めたことは後悔しないでもないが、あのままふたりと同じ空気を吸っているのはやはり自分には我慢できなかったので、これでよかったのだと思う。
すぐに就職活動は始めたが、なかなか見つからない。
三ヶ月ほど過ごした頃、父親がとうとう痺れを切らした。
「おまえ、仕事は決まらないのか」
「あー、うん」
少しずつ減っていく貯金に焦りも出始めている。
こんなことならあんなつまらないことで辞めなきゃよかった、そんな後悔があたまを掠める。
「それなら俺の秘書でもしろ」
「は?」
わけがわからなくてまじまじと父親の顔を見ると、苦笑いされた。
「おまえ、秘書検定二級だっけ?
持ってただろ。
小遣い程度には給料も出してやる」
「あー」
きっと、父なりに気を使ってくれてるんだと思う。
亮平とはそろそろ結婚とか考えていて、家族に紹介していた。
さらには仕事が決まらないことへの焦り。
素直に口には出さないが、父の気持ちが嬉しかった。
「わかったー」
それ以来、朋香は父親で若園製作所社長の、明夫の秘書のまねごとをしているのだ。
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