第4話 後編 2


70―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今、フレンズいち… 孤独でデンジャーな逃亡者、女豹やねん…」


東京の片隅で…無職だったり、あるいはそれに限りなく近いフレンズたちが

身を寄せ居合い、つつましくも楽しく暮らしていた安アパート「フレンズ下宿」。

そのささやかな楽園の暮らしは…だが、数週間前。突然に終わりを告げていた。

総務省と公安委員会の執行、そして装備公安部を名乗る部隊による襲撃で、

フレンズ下宿にいたフレンズたちの大半は、いずこかへと連行されてしまっていた。

その魔手を、からくも逃げ延びたヒョウ、ワオキツネザル、ハクビシンだったが…

彼女たちにも、フレンズ下宿強制執行のさいに仲間を殺されていた装備保安部、

装安の捜査の手は、確実に伸びて…いた。

ワオキツネザルは、有力者フレンズ、アリツカゲラに保護されていたが――

ヒョウ、そしてその手をヒトの血に染めたハクビシンは、都会の闇に…隠れ。

そして。他の在留フレンズたちにも次第に危機が迫る――そんな世界の、どこかで。




だいかん よる

70-2

東急東横線の、その駅。坂の多いその街には、駅前には、高級住宅、ブティックや

レストランなどが立ち並んでいた。

週末の、その夜。帰路につく人々や買い物客で混雑するその駅前。

そこから坂を少し下った、ほの暗い路地の一角に。坂道の途中にある猫の額ほどの

空き地に。小ぶりな屋台が…あった。

夜闇の中、電球の明かりをもらすその屋台には数脚の丸椅子が並び、そして。

屋台の軒先には、ぽつんと、遠くからも目を引く赤い提灯に ごはん と書かれた

提灯が赤く、まだ秋の匂いを残す11月の夜風に揺れていた。

「……。アレだお、矢羅尾」「……ああ、間違いないな。指令書にあったとおりだ」

その屋台を、暗がりからじっと伺っていた二人の男が――

どちらも吊るしのスーツ姿。片方の背の高い男はコートを、もう片方の小太りで

背の低いほうは労務者風のジャンパーを羽織って…じっと、その屋台を注視する。

「…フレンズ、いや、アニマル…か。ジャガーのやっている、ごはんの屋台だ」

「…どうも、そのアニマルっていう呼び方はしっくり来ないお。なんか嫌だお…」

「…仕方ないだろ。もう常識的に考えて…それ、装安の奴らの前で言うなよ」




やるお

70-3

その二人の男たちは、ぶつぶつと何事かを話したのち、

「…今日は、対象の偵察と調査、いわゆる“探り”だ。キョドるなよ、矢琉央」

「…うう、せっかく公務員になれたと思ったのにまたパシリとか泣けてくるお…」

「しかたねーだろ。…必死で応募した装安が、まさかあんなDQNの巣窟とはな」

「…セルリアンと戦うヒーローになりたくって装安に入ったのに…ひどいお。

 なんで、あこがれのフレンズをこんな風にだます仕事しなきゃならないんだお」

「泣き言行っても始まらねえだろ、常識的に考えて。…よし、いくぞ」

二人の男は――

総務省直属、装備公安部捜査課の隊員、矢羅宇と矢琉央の二人は、ちょうど客足が

途絶えて、店主のフレンズ以外は誰もいなくなったその屋台へと…向かう。

彼らの任務は…現在も逃亡を続ける被疑者、元警備二課の双葉巡査。

その男と関係があるとされる、アニマルのジャガーを監視し…不審な点が見つかり

しだい、装安本部へ通告。“任意聴取”を行い、“抵抗あり”の場合は即座に、

危険な肉食頂点アニマルのジャガーを捕獲、連行するというもの、だった。

…だが。元…否、現行フレンズマニアの二人の足取りは…重い。




じゃが

70-4

「……。やっぱりやめよう、矢羅宇。…このまま帰って、谷岡たちに殴られても…」

「まあ、待てって。今日は客のふりをして、話をするだけ――」

その二人が。装安の捜査員二人が、ごはん屋台の暖簾、その奥をのぞき込むと。

「…あっ、いらっしゃい! お客さんたちは、初めてだね」

ぱあっと。夜の片隅、電球で照らされた屋台の奥に…そこにだけ、7月の太陽の光が

差し込んだような、そこにヒマワリの花がとつぜん咲いたような笑顔が…あった。

「…ひ…! ど、どどど、ど」「…落ち着け。その、まだ食事とか出来る?」

「うん。まだぜんぜん、大丈夫だよ。今日はまだ麺も、ごはんもあるからね」

その笑顔に。フレンズの、ジャガーの笑みに――

矢琉央のほうは、完全に挙動不審になり。彼はまだ冷静な矢羅宇の手で、無理やりに

丸椅子に押さえつけられ、座らされていた。

「…やっ、や、矢羅宇… ここ、こんな美人だなんて聞いてないお…!!11!?」

「…捜査資料の写真とは別人だな… だが、間違いない。頭髪の模様が…うん」

二人の男が、お互いにしか聞こえない声でブツブツいう、その前で。

屋台の主、ジャガーは?と目細め、ほほ笑みながら。




じゃが

70-5

「ごめんね、すぐ片付けるから。飲み物、何がいいか決まったら言ってね」

調理台からでてきたジャガーは、つけ台に残っていた前の客の皿とグラスを

手際良く片付けると、二人の客と付け台のあいだに細腕を伸ばして…布巾で、

つけ台をささっとキレイにして、またもとの調理台に戻る。

「…!!1!1!? …ふぉわぁああ… いま、いま…! めっちゃいい匂いしたお…」

「…ああ。さすがの俺もクラっと来た。…こいつは強敵だな」

つけ台を拭いたジャガー、男たちに身を寄せたそのしなやかな身体から夜風に

匂った、それは…種の違うオスすらも、ほんの数秒で魅了してしまって…いた。

「…あ、あああ。あれが、お日様の匂い、ってやつだお、きっと。もうチンチン痛いお」

「…ドンキで売ってるような香水だが…体臭と完璧にマリアージュしてるな」

「? どうしたの、お客さん。もしかして…お腹でも痛いの…?」

「!! な、なんでもないお…!」

「すまん。じゃあ…とりあえず生…ああ、そうか。ビールを二本」

「はーい。ちょっと待ってねえ。…お料理は、そこの板に書いてあるのが

 いつでも出来る、ごはんメニュー。おすすめは、ねえ… 見える?」




びーる

70-6

ジャガーは、屋台の柱で夜風に揺れているメニューを男たちに見せてから。

つけ台の上にある説いた、そこに乗ったいくつものカゴとボウルを…手にとって、

またあの、そこに花が咲いたような笑顔で、それを。

「今日はいいネギとカブ、あとしいたけ、しめじ。お魚はサンマとイシガレイ。

 お肉は、鶏と豚スペアリブかな。おまかせでいいんだったら、すぐ出来るよ」

…何かの、魔法の言葉のようだった。

食材を並べられただけなのに、二人の男はすっかり幸せの波動に飲まれて――

「……。…矢羅宇、俺もうここに住むお」

完全にヘヴン状態に陥った小小太りの男の足を、相棒が見えない場所で蹴って。

「…じゃあ、お姉さんにおまかせで。魚から出してもらえるかな」

「うん、ありがと。…あっ、おまかせお料理も、値段はそっちのメニューと同じ。

 全品、380円だけど…よかった? …そう、じゃあ待ってね」

二人の男は、水で冷やされていた瓶ビールをキリンのグラスに手酌し、さえない

乾杯をして…グビリ、それを傾ける。その間にも…

ゴーッと、調理台でガスコンロが火を吹く音が響き、そこに鉄鍋が乗る。




つぶ

70-7

鉄鍋が焼けるあいだに、ジャガーはオガ炭の焼台に風を送ってパチパチと熾火を

爆ぜさせ、周囲に炭の焼ける匂いを漂わせる。

…女子が、可愛い女の子が。フレンズが料理をしている――

その奇跡じみた光景に、おもわず二人の男が目を見張っていると…その視線に

気づいたジャガーが、ニコッと猫目の笑みを返して。

「はじめてのお客さんだから。これ、サービスのお通しね」

11月の夜風の中、白い半袖シャツ姿のジャガー。その…何かの果物をそこに

隠しているような、きれいな形の大きな胸に…男二人は、まんまと視線誘導される。

その視線をさえぎるように、戸板に置かれた小鉢。それを取ってみると…

「あんまり数がなかったから、メニューに書かなかったの。つぶ貝ね」

小鉢の中には、小ぶりなつぶ貝が、三つ。出汁で煮られたそれが、つやっと飴色に

電球の光を吸って、男たちの口につばを湧かせていた。

「……。…! うまい。これうまいお…!」

「…いい仕事だ。辛めの出汁でさっと煮てある…山椒が隠し味か」

二人の男が、爪楊枝をせっせと動かし、ボソボソ喋り。そしてすぐ無口になって…




かれい

70-8

あっというまに巻き貝をカラだけにして…気づくと、瓶ビールが二本とも死んで

いた。男たちは、追加のビールを注文して…またボソボソと。

「…矢羅宇。俺、このフレンズさんと結婚するお」

「…落ち着け。このジャガー…さんは、監視対象だ。…それに、このフレンズは

 もう男がいるって。だから俺たちが捜査に来たのに、忘れたのか」

「……。そうだったお。もう夢も希望もないお、吊るお…」

男たちが、勝手に盛り上がって勝手に落ち込んでいるそこに。

先ほどから、コンロの火の上で水と油が高温ではじける音が続いていたのが、止み。

「はい、お魚ひとつめ。イシカレイの清蒸ね」

二つの皿が、男たちの前のつけ台に並ぶ。ジャガーがそれを置いたときの、手を

伸ばしたときの脇と、乳房の丸みの線に男たちは視線誘導され…その目が、皿に。

…平皿には、鉄鍋の中で水と油が蒸したカレイの切り身が乗って。

飾り包丁を入れた身の上に、鮮やかな白と緑の刻みネギが。その上から、赤い色の

タレがさっとかけてある…ひと皿だった。

男たちが割り箸を取ると同時に、その皿から、予想外の匂いが…鼻をくすぐる。




天ぷら

70-9

「…中華かと思ったら。マサラの香りだ、この赤いのは辣油じゃなくてパプリカか」

「……! んほおお! この魚、うまいお! ホックホクで、オツユたっぷりで」

「下味もしっかりつけてある… このタレは香りと、ネギを魚に絡めるためか…」

男たちはブツブツ言いながら、だが、カレイの身を箸でほぐし、口に運び…

そして、だんだんと、自分たちでも気づかないうちに上機嫌になってきた男二人は

お互いのグラスにビールを注ぎ、瓶ビールをおかわりし。

…カレイが、皿の上で骨だけになった頃合いで。

「ごめんね、先に聞けばよかった。おふたりとも、きのこ大丈夫? …よかったー」

次に出てきた皿には、竹で編んだ平かごが。その上に、天ぷら盛りが乗っていた。

「しいたけとしめじ、あとかぼちゃの天ぷらね。味は付いてるけど…はい、これ」

ジャガーは、天ぷら盛りの皿二つのあいだに、紅葉おろしをポン酢に浸した小鉢も

置いて、また…呆然としているような二人の男に、ニコッとほほ笑む。

「シメでごはん、食べるんだったら言ってね。麺とビリヤニ、どっちも出来るから」

…客に、話しかけているだけなのに――





みるち

70-10

…どうしてこの女(ひと)は、フレンズは…こんなに幸せそうに笑うのだろう。

男二人は、何か…もう記憶の奥底に埋葬してしまったはずの、青春の苦い、だが

忘れられないあの切なさ、甘さが自分の奥底からにじみ出してくるのを感じ…

「…ううう、矢羅宇。こんな美人をコマしてる男…そいつをタイーホしたいお」

「…落ち着け。そのために、俺たちはこのフレンズさんを内偵… …ほお。

 この天ぷら、衣が…違うな。天ぷら粉じゃない、このモッチリした食べごたえ…」

今度は、そのうめくような声を聞きつけ、けも耳も上機嫌に動かしたジャガーが。

「それはねえ… ミルチ・バジって、こっちじゃあまり聞かないでしょ。

 ひよこ豆の粉を使って、衣をつくるんだ。インドとかね、あっちのお料理で…」

ジャガーは、歌うように言いながら。またコンロの火の上で、景気のいい音を立て

ながら鉄鍋をあやつる。

二人の男は、初めて味わう揚げ物のうま味にうめきながら、

「…衣に塩と、かすかにカレーが入ってる。これが嫌いなやつはいないだろ…」

「この出汁つけても美味いお! 醤油かと思ったら、タマリだお、これ」





さんま

70-11

すっかり、二人の男は上機嫌で。ビールも、一人四本目に突入し…

天ぷらに舌鼓を打っているそこに、今度はオガ炭の熾火で、今まで時間をかけて

じっくりあぶった旬の秋刀魚が、太くていいのが、一人一本、どんと出される。

…それまでの皿の、意外性がある旨さのあとで。

この、塩をふって焼いただけのサンマは…男たちの深いところに、刺さる。

「…たまらんな、これは。さっきのカレイもいいが…ちっ、日本酒が欲しいな」

「…俺は白い熱いごはんが欲しいお。…うう、クオリティ高いおこの屋台…」

「ごめんねー。そうだね、もう寒いから…今度から日本酒も置いておくね」

サンマが、骨だけになるのを見計らったように――

鉄鍋の中で炒められていた、豚のスペアリブの皿がつけ台に並ぶ。

…見た目、香辛料で真っ黒で涙が出そうなほどの辛味に見えたが…だがそれは、

指でとってかじってみると…さわやかな酸味と甘み、肉の脂が口の中にあふれる。

「…やられた。黒酢としょうが、花椒か。…よだれ鶏の、スペアリブ版だったな」

「……。俺、もうこの駅チカに引っ越すをお。三度々々、ここで食べるお…」

男たちは、もう任務をすっかり忘れ去って…




びり

70-12

…そして。もうシメはいらないかな、というくらいに満たされた男たちは、だが。

「…じゃあ、そのビリヤニってやつを二人前」

「はいよー。今日はご飯があまっちゃって。大盛り無料にするけど、どうする?」

…そして。再び、コンロの上で鉄鍋が高らかに鳴り響いて。

…男たちの見ている前で。鉄鍋の中で、油と、ニンニクに生姜、おなじみの具材が

ぶつ切りの鶏もも肉といっしょに炒められると、そこにマサラ風味のスープが

注がれて…炒め煮にされる。

…夜の駅裏通りに、坂道の街に…そこだけ異空間のような、舌と胃をねじる

エスニックな香りが広がってゆく。そのただ中で、男たちは…ただ、幸せで。

「…これねえ。本場のビリヤニとはちょっと違うんだよね… 本当は、煮たお米を

 スープの中に入れてね… そもそも、お米が普通のごはんだし、ね…っと」

ジャガーが、その細腕で鮮やかに大きな鉄鍋をあやつり、お玉で具材と、次第に

白いごはんがスープの赤色に染まっていくのを、子供のような目で見つめていた。

…大盛りのチキンビリヤニ。その辛い炒め煮のごはんも…うまかった。

男二人は、モッモッと、無言でそれをレンゲで口に運んで――完食。




じゃが

70-13

「……。ふう。食ったな… お姉さん、ごちそうさま。お勘定を」

「…えっ。もう帰るのかお? …でも、もう鼻からビールとごはんが出そうだお」

「ありがとー。ええと、二人別べつ? あ、いっしょならねえ…えっと」

あれだけ飲み食いして、二人合わせて5320円だった。

「ごめん、お姉さん。領収書を… ああ、名前は無しで。…うまかったよ」

「ありがと。…お客さんたち、たくさん食べるね。作りがいあったよー」

ジャガーからお釣りと、領収書を受け取った背の高いほう、矢羅宇捜査員は。

「…お姉さん、それだけ料理うまくて美人だから。彼氏さんがうらやましいよ」

…さらっと。だが…彼らがここに来た目的の、いわゆる…コナをかけた。

その言葉に――ジャガーの笑みに、ヒスイ色のきらめきが踊っていた瞳に。

「……。ありがと。…最近、会ってないけどね」

ジャガーの目が、ふっ…と。路地のコンクリを見、輝きを失い…だが。

「男の人は、みんなお仕事たいへんだものね。…お兄さんたちも、おつかれさま」

――この女(ひと)は、無理に笑っている。…それを悟った、二人の男に。

「でも、彼…ちゃんと電話はくれるから。やさしいから…」





70-14

ジャガーは、夜風の中に…自分に言い聞かせるような声で、低く言っていた。

その空気に飲まれ、涙目になった矢琉央捜査員が何か言おうとしたのを、

「…そうなんだ。がんばってね、お姉さん。応援してるよ。じゃあ、また…」

矢羅宇捜査員は、相棒の矢琉央を引きずるようにして…ごはん屋台をあとにする。

「…ありがとー! またね、お客さん! 日本酒…熱燗、用意しておくから…」

その二人を、精一杯の笑みを浮かべたジャガーの明るい声が、追ってきた。


――二人の装安捜査員は。人通りのない暗がりに身を潜め、タブレットを起動。

「…矢羅宇。あんないいフレンズさんを連行なんて…俺には出来ないお。

 でも、でも…鮫島たちにまかせたら、あのDQN連中何をしでかすか…怖いお…」

「…仕方ないだろ。今日は終了だ。レポートは俺がやる。…明日も調査あるからな。

 …警備二課のトップが懇意にしていた小料理屋、アルパカの「ほだか」だ――」


だが彼女たちは愛のため 戦いしか知らないヒトのため 涙で渡るフレンズ道

「セルリアン大壊嘯」が喜びも悲しみも飲み込み死だけを歌うまで――あとあと230日……





71―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… よそ様の店の鉄板にこっちが馴染んできた少女やねん」


ヒトとフレンズの幸せな関係、幸せな時間は…謎の怪物、セルリアンの出現と跋扈、

そしてヒトびとの様々な思惑によって――ゆっくり、だが確実に変わり始めていた。

首都東京をセルリアン災害から守り、戦い続けていたハンターたちと、フレンズ。

警視庁の警備二課が、政争に巻き込まれて無実の罪で、ほぼ全員が拘束され…

市井のフレンズたちへの風当たりも次第に強くなる、そんな中。

「フレンズ下宿」に住んでいたフレンズたちは、装備公安部、通称、装安の部隊に

よって連行され――その魔手をからくも逃れたヒョウたちにも、探索の手は執拗に

伸びて…いた。

都会の闇に潜んだヒョウ、ハクビシン、そして元ハンターのフレンズたち。

隊員を何人も殺傷された装安の捜査が、彼女たちを狙う中…

静かに、つつましく暮らすフレンズたちにも…ヒトの悪意は静かに忍び寄っていた。





71-2

11月の乾いた、冷たい夜風が吹く東京。気の早い冬のような、その夜。

中央線、四ツ谷駅から荒木町のほうへ。市ヶ谷方面にむかうと…

一通の路地の両側に飲食店がずらり並ぶ、昔ながらの歓楽街が…ある。

週末のその夜でも、昭和が香るようなその路地には、人通りはまばらで…だが。

「…やっぱり、気が進まないお。…フレンズさんたちをスパイするなんて…」

「…仕方ないだろ。俺たちこの歳で、せっかく国家公務員にもぐり込めたんだぞ。

 今さら無職に戻るとかありえないだろ、常識的に考えて…店は、こっちだな」

二人の男が。片方は背が高く、スーツにビジネスコート。もう片方は背が低くて

小太り、吊るしのスーツに労務者風のジャンパー。

その二人の男は…

総務省の装備公安部、捜査課の男たち――矢琉央隊員と矢羅宇隊員の二人は。

「…今日の内偵は、フレンズ、アルパカのやっている小料理屋『ほだか』だ。

 その店はハンター、警備二課のトップ、若屋参事官が足しげく通っていた…

 俺たちは、客のふりをして店を内偵。アルパカの交流関係を洗う。いいな?」

「うう、フレンズさんをダマして調べるとか…気が重いお、料理も味わえないお」





71-3

「…それでいいんだ。昨日のジャガーの屋台は…思わず、食いすぎたからな」

矢羅宇は、スマフォで目的地の店『ほだか』を探し…そして。

「…あったぞ。あの赤のれんの店だ。明かり看板、ほだか、って出てる」

「なんか、明かりはついてるけど建物が古いっていうか…大丈夫かお?」

矢琉央は、赤いのれん、すりガラスと木枠の引き戸からぼんやりと漏れている

店内の明かりに、うさんくさそうに目を細め…

「…ちょwおまw 看板に 最新カラオケ レーザーディスク って書いてあるお。

 最近の若い子には通じないお。…てか、どんなババアがやってる店だお…?」

「だから、フレンズのアルパカだって。…いくぞ」

矢羅宇は、年季の入った引き戸に手をかけて。…だが、意外と。カラカラと

軽やかな音を立てて引き戸は動いて――その奥、蛍光灯が暖かく照らす店内の

たたきが、並ぶテーブルと椅子が。…無人の店内が男たちの目に映る。

…他の客は居ない。好都合だった。…店主のフレンズの姿は…まだ見えない。

「…なんか、昭和っぽいお。きっと壁に、ラップに包んだ色紙が飾ってあるお」

「……。すみません、お店やってますか」 矢羅宇が声をかけると、





71-4

「……。ふわ、あらあ。いらっしゃあい。…お店はちゃんとやってるゆぉ」

店のカウンター席、その向かいの料理台の奥から。

…なにか、耳を…そのもっと奥を、羽毛でくすぐられるような。

やわらかく、ゆるい声が。だが、よく通る女の声が――フレンズの声が、して。

…スイ、と。洗い場の下に身をかがめていたフレンズが、

「ごめんにぇ。ちょっと漬物をかんまわしていてねぇ。…はい、はいはい」

カウンターの向こうで、蛇口から水を流す音。

ここ、小料理屋『ほだか』の店主フレンズ、アルカパが立ち上がって。

「いらっしゃあい。お客さんたち、初めてだよねぇ。はいって、入ってぇ」

……。二人の男、ほだかの客となった矢琉央と矢羅宇は。…無言で。

後ろ手に引き戸を閉め、店の中へ。和風の、定食屋、といった雰囲気のしつらえが

された店内は、蛍光灯の明かりで白く照らされ…空気は、ほどよく暖かく。

「テーブルにする? カウンターでも、どっちでもいいよぅ。座って、すわってぇ」

店の女将、アルパカのほほ笑みと、羽毛で耳を撫でられるような声に…二人は。

やはり、無言で。上着を脱いで。カウンターに、腰を下ろす。





71-5

…ヒトの手の手沢、料理の匂い、タバコの煙、こぼれた酒、ホコリ。

それらを丁寧に、何十年も拭っていった布巾が磨いた、あめ色をしたカウンターの

つけ台を前に、二人の男は…アルパカの笑みと、瞳に飲まれて…無言で。

「いらっしゃぁい。…お飲み物はなんにする? ああ、そうそう。ごめんにぇ。

 うち、生ビールはやってないんだゆぉね。あれー、うちみたいなお店だと

 回転悪くってねえ、すぐにビールがすえちゃうから。瓶ビールしかないんだあ」

女将のアルパカは。目のさめるような白さの割烹着を身にまとった、その下に着た

柿の実色の着物の襟元で男たちの目を引きながら、アルパカは――

…すいと。二人の前に、熱いおしぼりを置いて…ほほ笑み、洗い場に戻る。

「あっちの看板が、地酒。んしょ、こっちの看板が今日のおすすめだから」

…男たちの鼻孔に、かすかに開いた口に、舌に。

…かすかな…なにか。仁丹のような…シナモンのような…ハッとするが、追おうと

すると店の空気の中に消えてしまう、そんなアルパカの匂いが…香った。

「……。矢羅宇。俺、ここん家の子になるお。…あの人が俺のママだお」

「……。落ち着け。…俺もだがな」





71-6

…店に入って、30秒足らずで。完全に、二人の男はアルパカに呑まれて…いた。

「…畜生。警備二課のトップは、まさかこのアルパカさんを…許せんお…」

「…まだわからん。それを調べるのが俺たちの任務だろう。…まず、注文だ」

先に、平常心を取り戻した矢羅宇捜査員は――

「じゃあ、飲み物は…女将のおすすめの地酒を、ふたつ。最初は冷やがいいな」

「あいよぅ。じゃあ、ちょっと待ってててにぇ」

注文を受けたアルパカは、ちょこちょこ歩いて料理台に戻ると。…こまごまと、

まな板と包丁、器と菜箸が動く音をさせてから。二人の男の前に、もどる。

「さきに、これねぇ。…あっ、これは“お通し”じゃなくてえ。サービスだから。

 最近ねえ、商工会からねえ。外国のお客さんも増えるから、お通しはナシで、

 って。トラブルのもとだからって、回覧板回ってきてねえ」

…楽しそうに。何か、歌うように。よく話す女将のアルパカは、二人の前に割り箸と

小鉢が三つ連なった器を置いてゆく。

…その器の中には。真っ黒い、ひじきの煮つけ。真ん中は鮮やかな黄色、かぼちゃの

煮付け。もうひとつは、卯の花。オカラだった。





71-7

「…矢羅宇、なんか地味だお。…おふくろの味ってやつかお?」

「…まあ、サービスだからな。…店がこれだからな、まあ適当に…」

二人の男がボソボソ話すそこに、女将は白木の枡と、その中にグラスを置くと。

「じゃあねえ… 今日のおすすめはねぇ」

何のラベルも張られてない緑の一升瓶を傾け、アルパカは二人の前の盛切りに

透き通った冷酒を注いでゆく。ふわり、トゲのまったくない甘みが鼻をくすぐる。

「関谷さんの、ほうらいせん。それの、可(べし)っていう純米なんだゆぉ」

ふたつの盛切りを、見事な手際で表面張力いっぱいまで注いで。

…アルパカが料理台に戻ると、二人の捜査員は互いの顔を見合わせ…

「じゃあ、まずは」「乾杯だお。…日本酒とか、どんだけぶりだお」

指を酒で濡らし、二人はグラスを唇に運び… ……。無言。また、グラスを傾ける。

「…うまい。甘い、甘いが…いやみがまるでない、力強いが…やさしい酒だ」

「…! めっちゃうまいお、これ! 甘くて、ぐいぐい飲めるお…!」

二人は、気づくとグラスを干し、飲みきって。枡の酒を、グラスに移し…飲んで。

「…枡の木の香りが酒に移って…これはいいな。…いい店だ」





71-8

唸るように矢羅宇が言い、ため息を付いて。割り箸で、サービスの小鉢をつつく。

「……。…やられたな…」「矢羅宇、どうしたんだお」

「…ひじき、完璧な仕事だ。出汁と白醤油、油揚げのうま味がからんで…舌が喜ぶ」

「…! うわ、このカボチャ! なんかお菓子みたいだお! ホクホクだお」

「…カボチャは出汁と塩だけで炊いてあるな。…だが。ヤバイのは、この卯の花だ。

 刻んだ鶏皮、人参といっしょに煮てあるが。鶏皮が旨すぎて、目が覚める…」

「…鶏皮なんて臭いイメージしかないお。も、もしかして。この店も当たりかお?」

二人の男は、!と!!を、交互に口にしながら。小鉢をつつき。

冷や酒で舌を洗って、その豊穣さに息を吐いて。

「…女将さん。地酒、同じものを。あと…今日のおすすめを――」

新しい枡とグラスに、ニコニコ顔のアルパカが酒を注ぐ横で。

矢琉央は恋を知った少年のような顔で。矢羅宇は看板を見、

「…舞茸の天ぷら。あと… ほう、ハモが。もう冬も近いのに」

「ああ、それねえ。ハモって言うと夏のいめえじ、あるけどにぇ。本当はねえ、

 11月の今ごろがいちばん脂が乗ってて、おいしいんだゆぉ。どうする」





71-9

「じゃあ、ハモを。あと、漬物盛り合わせももらおうかな」

「はいよー。まっててにぇ、揚げ油温めるから、先に漬物出すねえ」

女将は、ふんわりした髪からのぞいている、少し眠そうな目をにっこり細め。

二人の男は、アルパカが料理台に戻ったのを見計らって… こそこそと。

「…矢羅宇。俺、やっぱりここん家の子になる。アルパカママに甘えて生きるお」

「…落ち着け。…どこかのタイミングで、警備二課のことを聞き出さないとな…」

…などと、話しているうちに。二杯目の地酒も、枡を濡らすだけになり――

「女将さん。今度は熱燗の地酒を… おすすめで、ふたつ」

「あいよう。じゃあにぇ…梅乃宿があるから。二合半(こなから)で出すねぇ」

アルパカが、二人のあいだに漬け物の鉢を出す。

そこには… 女将の割烹着のように鮮やかな白の、カブの切り身。

それを彩るように、紫のナス、赤い人参、緑のキュウリが。ぬか漬けの盛り合わせ。

「……。やばいぞ、矢琉央。早く仕事の話をすまさないと… 店に呑まれる」

「……。俺、ぬか漬けが美味しいと思ったの初めてだお。…おかあさん…」

二人は、ポリポリ歯ごたえを楽しめる健康を噛み締め…





71-10

そこに。錫のちろりで温められた熱燗が。

「さきに、天ぷら出すからにぇ。お塩でも、お汁でもどっちでも美味しいゆぉ」

男二人が、大ぶりで古風なちろりからお多大のぐい呑に酌をして…飲む。

「…いい酒だ。熱燗でも、尖る匂いも味もない。ただひたすらに…心地いい」

「…腹の底から熱くなるお。…日本酒って、こんなにウマいものだったんかお」

…ほうっと、男たちの腹と胸の奥でわだかまっていたもろもろが、熱燗で溶かされ、

吐息になって霧散するころに…料理が来る。

「あいよぅ。舞茸と、ハモの天ぷらだゆぉ。紅葉おろし足りなかったら言ってねえ」

二人の前に並んだのは、平皿の和紙の上に並んだ、黄金色の天ぷら盛り合わせ。

二人はそれを口に… …無言。また口に運び、

「…サクサクだお。ジャガーさんとこの天ぷらもうまかったけど、あっちは

 モッチモチで。こっちは…ふわふわ、サクサク… アルパカさんみたいだお…」

「…マジか、このハモ。銀座でもここまでのはそうそう出ないぞ。

 骨切りが完璧…1寸に三十本、だ。この舌触り、皮まで刃が届いてるな。

 しかも、皮に大葉を貼り付けて揚げてある。…これで500円? 嘘だろう」





71-11

…二人の男が感嘆し、すっかり料理と酒で幸せ世界の住人にされている、そこに。

「はあい、ハモのお吸い物だゆぉ。ごめんねえ、今日はバカマツタケなくってぇ」

雅な、だがプラスチックの椀が出る。そのフタを開けると…透き通った汁の中に

小菊の花のように白く、丸くなった湯引きのハモの身が、三つ。そこに三つ葉の飾り。

「…最高だろ、これ。この汁…梅茶漬けの風味か、そこにハモか。…やられたな」

「…俺、ジャガーさんじゃなくってアルパカさんと結婚するお。浮気な男だお」

――そうして。

その小料理屋『ほだか』で、二人の装安捜査員は。

…予想外のうまい酒、うまい料理に夢見心地で。女将のアルパカと談笑し。

「最近はねえ。なんだか、フレンズっていうだけで冷たい目で見られるような

 ふんいきの世間だけど。まあ、ヒトはいろいろ大変だからにぇ。仕方ないよう」

「…セルリアン惨禍は、どんどんひどくなっていっていますしね。そういえば…」

熱燗で、顔が赤くなっていた矢羅宇は――だが。さりげなく。

「このお店、市ヶ谷も近いし…自衛隊のお客さんとか、けっこう来るんじゃない?」

…ここに来た本当の目的を、さり気なく…探る。





71-12

アルパカは、陽に干したばかりの布団を思わせる温かい笑みのまま、

「…そうねえ。最近、来ないんだけど。前は、ハンタさんのお客さんが、にぇ。

 うちに飲みに来てくれてたんだけど… 最近は、忙しいみたいで――

 しばらく来れないから、って。若屋さんとこの代書屋さんが、前来てねえ」

「……。そうなんですか。若屋さん。…あれー、どこかで会ったような…」

「警察の、警備二課だっけぇ? そこの隊長さん。…いいお客さんで、ねえ」

「その人の代書屋…行政書士さん? ああ、その関係かな。聞いた名前だと思った」

「うん、フレンズのねえ。ギンギツネさんが代書屋さんなんだゆぉ。

 若屋さん、フレンズ思いのいいヒトでねえ…女の人にモテそうなんだけどねえ」

…そうですか、と。

矢羅宇は――ボイスレコーダーが仕込まれた上着のかくしを手で撫でて。

「じゃあ、今夜は若屋さんに乾杯で。熱燗同じものと、若屋さんの好物を」

「はいよぅ。じゃあ…湯豆腐、出すからにぇ。ちょっと時間かかるよぉ…」

にこにこ顔のアルパカが、いそいそと調理場に戻った…

そして――二人とアルパカは、飲み、歓談し…時間は、気づけは夜10時過ぎ。





71-13

「…ありがとうねぇ。またよろしくねぇ。うちは、夜11時までだけど…」

お勘定は、二人で飲み食いして8千円ちょうど。

「若屋さんがこんど来たら、お二人のことも話しておくからにぇ」

…ありがとうございましたー、と。後ろ髪引く、温かな声。

すりガラスの引き戸の外まで、女将のアルパカは二人を見送ってくれて――

…そして。坂道と、階段の多い街。四谷の夜を、冷たい夜風の中を捜査員たちは

暗がりに隠れるようにして…歩く。手にしたタブレットが人魂のように光り、

「…若屋参事官、フレンズの法律屋を使っていたのか。ギンギツネ、だったな」

「…知ってるお…ギンギツネさん、フレンズマニアのあいだじゃ有名だお…

 弁護士の、キタキツネとペアで…新宿高田馬場の格ゲー界隈じゃ、伝説の二人だお。

 …うう。あのフレンズさんたちを…外道の鮫島、谷岡たちに知らせる気かお…?」

「……。まだ調査は残ってる。明日は台東区の山谷、ドヤ街のフレンズたちだ…」


シリアスに君を見つめていたら 運命が派手に騒ぎ出す …ざわめく街の奥底で。

「セルリアン大壊嘯」が全球凍結よりも完全に、地球を死で包むまで――あと229日……





72―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 一個五十円の焼きおにを売りまくってる少女やねん」


南溟の洋上に、突如として出現した島々。のちに「ジャパリパーク」と呼ばれる

その島々には、サンドスターと名付けられた未知の物質が充満していた。

島には地球上の、極地から熱帯までの様々の自然が再現され、そしてそこに――

ヒトの少女の姿を模して生まれた種々様々のアニマルガールたちがいた。

彼女たちは「フレンズ」と名付けられ、島々を管理開発する団体、

財団法人ジャパリパーク振興会と政府の主導で、島から日本へ、世界各国へと

連れ出され、一時期の彼女っタイはアイドルとして絶大な人気を得ていた。

…だが。最初は、ジャパリパークにしかいなかった未知の怪物、セルリアン。

その怪物が、パークの外。世界各地の都市に出現し始めて…全ては、変わった。

ヒトの叡智、武装が…銃火器はもちろん、核兵器すら無効化、吸収するセルリアン。

人類は文明を失い、滅亡――その危機を救ったのは…フレンズたちだった。



かこ


72-2

生まれつき、ヒトに対して無償の慈愛と好意を持つフレンズの少女たち。

セルリアンに対して有効な打撃を与えられる彼女たちの力を借りて、人類は

ギリギリのタイミングでセルリアン対策を確立…出来たかに、見えていた。

…だが。人類は、ヒトは――フレンズの慈愛を…資源のひとつとして、認識する。

日本、東京――

フレンズ研究の第一人者だった遥カコ博士が、ジャパリパーク振興会内部で

虚偽の研究結果を捏造した疑惑をかけられ、その後…博士は失踪。

それとほぼ同時に、フレンズと共同してセルリアン対策を行っていた警視庁の

ハンター、警備二課は、サボタージュと特定外国組織との内通の被疑をかけられ

ハンターのフレンズ、ヒトの隊員ともども逮捕、拘置されてしまっていた。

警備二課に変わって、セルリアン対策の英雄として登場したのが――

総務省の外局として公安委員会の協力の下、設立された「装備公安部」だった。

通称、装安は…セルリアン対策と同時に、不法在留のフレンズたちを捜査、

拘束する権限も与えられており… そして、現在。「フレンズ下宿」にいた

フレンズたちは、その大半が装安に強制連行されてしまって…いた。



泪橋


72-3

その魔手をからくも逃れた、下宿の住人――

ヒョウ、ワオキツネザル、ハクビシンたちは…装安の隊員たちを殺傷した嫌疑を

かけられ、装安からも、警察からも追われる身となって…いた。

フレンズの有力者、アリツカゲラにかくまわれたワオキツネザル以外は…

ヒョウも、ハクビシンも。都会の闇に潜み隠れ、逃げ続けていた…だが。

彼女たちにも、装安の捜査の手は…静かに、だが確実に伸びていた。


東京、荒川区。南千住駅。JRと地下鉄、つくばエクスプレスの三つの路線が

交わるその駅の南口から、吉野通りへ。にぎやかな駅前通りをぬけ、高層ビルを

のぞむ大通りをしばらく進むと…泪橋の交差点に出る。

…もはや、川に橋がかかっていたころの面影はない。川はすべて暗渠を流れ、

橋は地名にしか残っていない…その交差点を越えると。その街は、ある。

…11月にしては、いい天気だった。上着の前を開けたくなるような陽気だった。

「…なんだか、急に街の空気が変わった気がするお…」

「…泪橋交差点で明治通りを超えると。ここからがいわゆる“山谷”のドヤ街だ」



やる


72-4

通りを進む二人の男は、吊るしのスーツ姿。片方はコートを羽織り、もう片方の

背の低い小太りの男は、ジャンパーを引っ掛けていた。

彼らは、装備公安部。装安の捜査課、矢羅宇隊員と矢琉央隊員の二人だった。

いわゆる、山谷地区の通りに入り、進む二人の目には…青空に浮かぶスカイツリーが

映り、そしてその鼻には…

「…なんだかもう。駅裏の臭いっていうか、立ち小便の臭いがしてきたお…」

「…これでも昔よりだいぶマシに、常識的になったんだぞ。…あんまり周りを見るな」

二人は、住宅と商店の並びを、古びた、昭和の香る簡易宿泊所の看板をいくつも

通り過ぎ、目的の場所まで、進む。平日だと言うのに、街路の端には空き箱を

テーブルにして酒盛りをする男たち、道ばたに布団を敷いて寝る老人、そして大きな

バックパックを背負った外国人旅行者たち。

「…ほんとうに、こんなところにフレンズさんたちがいるのかお…?」

「…フレンズだって、全員が在留カードと戸籍を持っているわけじゃない。

 前の、フレンズブームの頃には密輸入みたいに連れてこられて…そのまま街に

 放り出されたり、逃げ出したフレンズたちもいるからな… …こっちだ」



いろは


72-5

二人の装安捜査員は、労務者の男たちが皆、何かの目印か合図のように帽子を

かぶっている通りを部外者の足取りで抜けてゆき、そして。

ときおり立ち止まって、周囲の目を避けるようにして捜査用タブレットを見る。

「…この先だ。商店街のアーケードがある。そこにフレンズたちが集まっている、

 ということなんだが。…フレンズのふんいきが、まるでしないんだが」

「…おっ。また『あしたのジョー』のポスターがあったお。さすが聖地だお」

「…ジョーの舞台になった街だからな。像やパネルがあるが…シャッター街の

 聖地ってのも寂しいもんだ。…よし、商店街は次の角だな」

二人は、乾いた小便の臭い、何かの食べ物と酒の匂い、そして垢じみた服の臭いが

ときおり、忘れたころにふっと臭う街路を進んで――

“いろは会ショップメイト”という名のアーケード商店街を見つけ、そこに入る。

「…やっぱりローム・シャーのおっさんと外人さんしかいないお。こんなところに、

 フレンズさんが本当にいるのかお? 捜査課のデータはいい加減だお」

「…ここに、不法在留フレンズの顔役がいる、って情報なんだが」

ふと。二人の男が。何かの匂いに…



こぶら


72-6

何かの料理。ソースの焦げた匂いに顔を上げたとき。だった。

「――…………」

…最初は、外国人の旅行者、若い女性だと思った。金色の長い髪を、パーカーの

フードで包んだ少女… いや、違う。矢羅宇、矢琉央が同時にハッとしたとき。

「ん? どうした。おまえたち、この街の者でも旅行者でもないな」

その少女の背後で、彼女の背丈と同じくらいの長さのある太ましい尻尾が動き、

毒蛇のように少女の背後で鎌首をもたげる。

彼女は…フレンズだった。キングコブラの、フレンズ。

ハッとするほどの美少女、二人の男より高い長身。くたびれたジャージを着、

ヘップを足に引っ掛けたそのフレンズは…切れ長の目で、二人を見つめる。

「…! わ、わわ! や、矢羅宇…! いきなりよそ者だってバレたお…!?」

「…お、おお、落ち着け。――あ、あの。僕たちフレンズマニアで、その」

なんとか取り繕おうとした矢羅宇に。キングコブラは…涼しい笑みで。

「ああ、そうだったのか。フフ、運がいいな君たちは。私はキングコブラ。

 ちょうど今、オフなんだ。私がここのアーケードを案内してやってもいいぞ」



こぶら


72-7

なびく金髪よりも若干濃い、金の色の瞳が二人の男を捕らえて…笑みで細くなる。

「…あわ、わわ、や、矢羅宇ぉ… い、いきなりこんな美少女のフレンズが、がが。

 向こうから気軽に話しかけてきたお、これはなにかの罠だお、ハマって死ぬお」

「…落ち着け。俺たちヴァーチャル世代には、こういうリアルの突発イベントは

 鬼門だが…大丈夫だ、常識で考えて俺たちに恋愛イベントは発生しない、つまり」

「? なにをぶつぶつ言っているんだい」

「い、いえ、その。えーと、キングコブラさん。お会いできて光栄です…! その。

 お写真と、サインいただいてもよろしいですか…?」

「うん? ああ…少し恥ずかしいが。まあ、客人の頼みとあっては――いいぞ」

…あっ、意外とこのフレンズ、ちょろい。

あっさり言いくるめた相手に気づかれないよう、ホッとしながら…矢羅宇は捜査用

タブレットのカメラで、キングコブラと矢琉央を並べて記念撮影しながら…

…その画像データ、キングコブラの瞳孔の画像をデータと参照、解析。

(…在留フレンズ、キングコブラ。間違いない…不法在留じゃないな――)

「ありがとうございます! キングコブラさん!」



あーけーど


72-8

「うむ、これくらいならいつでも…。それで、案内はどうする?」

「あっ、そのっ。ありがとうございます、ネットで、このアーケードにたくさん、

 フレンズさんたちがいるって情報を見つけて、僕たち。…本当なんですかね?」

「ああ。この街は何かと便利だからな。私のほかにも、10人くらいが住んでる。

 …ああ、そうだ。今日は顔役のアライさんたちが店を出しているぞ」

――行ってみるか? にこやかな顔で、親指をクイっとやったキングコブラに。

「はっ、はいっ! ありがとーございます!」「…お、おっ、お…大丈夫かお…」

なんと言うか、もう逃げられない空気だった。

二人の男は、捜査員たちは…嬉しそうに鎌首をもたげるキングコブラの尻尾、

その先端に睨まれたようになって…アーケードを奥へ、奥へと連行される。

…と、いっても。進んだのは数十メートル。閉じたシャッターをいくつか…

…そこに。さっきのキングコブラとの遭遇地点からも見えていた人だかりが

見えて…いた。キングコブラは、二人を連れてそちらに。

「…や、矢羅宇。こいつ、さっき顔役の…なんだっけ? 言ってたお」

「…たぶん、アライグマだ。聞いたことがある…」



あらいさん


72-9

ヒソヒソ話す二人の前で、キングコブラは蝟集している労務者の男たち、

バックパッカーの外国人たちの間を、何ごとかにこやかに話しながらすり抜けて。

「…アライさん、フェネック! お客人を連れてきてやったぞ」

キングコブラは、人混みが取り囲んでいた屋台の前で…舞台の役者のように、

晴れがましそうに…言って。二人の男を手招きする。

「…屋台があるお。料理の匂いはここかお」「…静かに。いた、あれが――」

その屋台、アーケードの中でも天幕の屋根と「やきそば」の垂れ幕を下げ、

大きな、真っ黒な鉄板をどん!とひろげて、そこから香ばしい煙と料理の湯気を

立ち上らせている、その屋台の奥に…

「いらっしゃい!なのだ! おや。初めて見る顔なのだ、二人とも…」

小柄な少女。人でいうとJS高学年くらいか。そしてそれはヒトではななく…

「…はじめまして、なのだ! 私はアライさんなのだ! よろしくなのだ!!」

ぱん!と。彼女がしゃべるたびに、空気が揺れるような、よく通る声。

フレンズのアライグマが、両手を頭上にやって手を振り…笑う。

「なにか食べていくのか? 飲み物は、お酒とコーラ、サービスのお水なのだ」


あらい



72-10

…一時も、黙って、じっとしていない。快活なフレンズの少女だった。

そのアライグマの前の鉄板では、片方で焼きそばのこんもりした山。その横では、

ねぎまにした豚串がずらり並べられて湯気を立て… ぶつ切りにされた焼きイカ、

ウィンナー、そしてハンバーグらしきものも所狭しと焼かれ、並ぶ。

「…や、矢羅宇。どうするんだお…?」

「…とりあえず客に紛れる。俺が注文して…その間に、お前は写真を取れ」

捜査員二人が、おどおどしながらも。屋台を囲む客が、日本語や、聞き取れない

外国語でフレンズのアライグマに何かを告げ、鉄板の上で焼かれていた料理が

紙のトレイや器、串ごと客に差し出され…アライグマの小さな、だが器用そうな

手が小銭を受け取り、そして

「ありがとうなのだ!」と。アライグマの、何の陰もない笑顔と声が、料理と小銭の

行き来があるたびににっこりはじける、そこに。

「…えっと。二つづつで…豚串と、焼きイカ。あとそのハンバーグ…あ、スパムだ。

 それと飲み物は… チューハイを二つ。えっと、値段は…」

「料理はぜんぶ100円なのだ。チューハイも100円。まいどありなのだ」



ふぇねっく


72-11

アライさんが答えるあいだにも、屋台を囲んでいたほかの客たちが注文し、

料理と小銭を交換し。

アライグマは、早回しの動画のようにこまごまと働き続け…

矢羅宇が500円玉を出したところを、矢琉央が捜査用のスマフォで写真に撮る。

…その頃になって、ようやく二人の捜査員は――気づく。

この屋台は、鉄板焼の店の横に…もうひとつ、露天の店が出ていた。

そちらは、隣の鉄板に比べると全体的に白い…日用雑貨、古道具などの店だった。

…そして。アライグマと同じくらいの大きさの、小柄なフレンズが。

「あいよー。チューハイのお客さーん。はい、お初サービスで大盛りだよー」

…こちらは、そういうバラの花のような。白と、ピンクの色を織り合わせたような

小柄なフレンズ…酒のプラカップを受け取った矢羅宇は、それを相棒に渡し…

タブレットで検索。そのフレンズが、フェネックだということを突き止める。

そのフェネックは。屋台で飲み物の注文が入ると、隣の雑貨屋からいそいそと

動いて、屋台の陰で…俺とお前となペットボトル焼酎と炭酸水で、チューハイを

つくり。コーラを注いで。同じくらい、無料の水をカップに入れて…客に渡す。



すぱむ


72-12

二人の捜査員は、屋台を少し離れて…手に酒と、料理の紙皿を持ったまま。

「…あれ、矢羅宇。この料理、意外とまともだお。…てか、うまくね?お?お?」

「…味付けは濃いが。これは場所柄だな。…値段の割には、いいじゃないか」

矢羅宇は、先にイカと豚串を食べ、スパムを相棒に渡して。

「…アライグマとフェネック。不法在留フレンズの顔役、だ…

 アライグマは密入国、フェネックは密輸されて…逃げ出した、経歴だな。

 …入管か装安に見つかったら、面倒なことになる…って、俺たちかクソぁ」

タブレットを見、ボソボソ言った相棒に…チューハイでもう顔の赤い矢琉央は、

「えっ…そ、そんな。あんな健気に働いてるフレンズさんを…強制連行する気かお」

「…そいつは、俺たちの仕事じゃない。入管か警察、装安機動課の仕事だ…

 俺たちの仕事は、ここにいる不法在留、および不穏フレンズを調べ… …??」

「そ、そんなー! あのアライさんたち、もし装安に捕まったら…

 “シリンダー”爆弾の中身にされるお、その前にDQNの鮫島たちに… …??」

…二人の男は、同時に…“それ”に、気づいた。

アライさんの屋台には、もうひとり…いた。



ひょう


72-13

…それも、フレンズだった。屋台とシャッターの合間で、石油缶に腰を下ろして

座り、その背をこちらに向けているフレンズは…

古着屋感満タンのオーバーオールを着た、白いシャツ姿。タオルを頭に巻いて、

ひまわり色の髪とけも耳、模様を隠していたが…その背中、お尻には。

「…………」 黙って、何かの手仕事をするその背中で。まだら模様のある、

太ましくて長い、肉食のネコ科特有の尻尾が…肩のほうへ曲げられていた。

「…や、矢羅宇…」「…落ち着け。…まさか、ジャガーさん? …違う――」

その二人の前、屋台を囲む客たちの前で…

そのフレンズが、動いた。石油缶から腰を上げ、振り返った。

「…っしゃ。ほーい、おにぎり、でけたでー。今焼くから、ちょい待ちやー」

そのフレンズの足元には、ごはんを炊いていた大きな鍋。そしてその手には、

大きなまな板に、几帳面に並べられた…真っ白い、いくつもの塩むすび。

…ざわっと。おおお、と。常連らしい客たちから笑いと歓声がわく。

そのフレンズ。どうやら、せっせとおにぎりを握っていたらしいそのフレンズは。

…大型ネコ科フレンズ、肉食頂点の一角。ヒョウは――



ふぉっさ


72-14

「今日はもう、お米がしまいや。焼きおにはこれで店じまい、早いもん勝ちやでー」

快活な声で言い、ヒョウは自分の前の鉄板に慣れた手付きで、油を引き…

…だが。声のわりには…なにか、生気のない…そんな顔のヒョウは。

焼けた鉄板に、塩むすびを並べて…数十個の焼きおにぎりを、つくる。

その前で。どうやら、この焼きおにを目当てにしていた男たち、観光客、そして。

「私も焼きおに。三つもらおうかな」「二つで十分やで。わかりーや」

「焼きおに、こっちも二つね。ふふーん」「フォッサ、最近商売はどないや」

「わー、いい匂い。私もいっこちょうだい」「オセロット、あんた寝起きかいな」

男たちに混じって、この街住まいのフレンズたちが…

キングコブラ。自動車工のようなつなぎを着たフォッサ。寒そうにどてらの前を

かきあわせたオセロット、その他にも…フレンズたちが集まっていた。

そのフレンズたちと、ヒョウは挨拶を交わし。関西弁が、やさしく空気をかき混ぜる。

…ヒョウの話す関西弁は、不思議と…この場所の空気に…自然と、馴染んで溶ける。

…だが。二人の装安の男は――それどころではなかった。

じり、じり、と後ろに下がって。



ひょう


72-15

焼きおにに集まる客、フレンズから距離をとった二人は。

「…! 矢羅宇! あ、あれ! あのフレンズさんは、あれ…!」

「…落ち着け。間違いない、あれはヒョウ、装安の指名手配リストのトップだ。

 …みどり荘第四の事件で装安隊員五人を殺傷したフレンズの、一人…」

「…あ、あわわ、ど、どうするお? ま、まさか、あんな大物がここに…」

「…なるほど。顔役のアライさんの世話になっていたのか。いい手だ…」

「…で、でも、あんな美人でおっぱいデカいフレンズさんが人殺しなんて…

 お、俺には信じられないお… きっと何かの間違いか、事情が――」

「…だが、現場に残った装安の死体は現実だ。…あいつら、フレンズたちを、

 確保するときに輪姦そうとして残ったらしいが…理由はどうあれ、全滅だ」

「…う、ううう。どうすればいいんだお… ま、まさか。矢羅宇…

 ヒョウさんを見つけたって、本部に…鮫島や谷岡に通報する気かお…?」

「…それが正しい社会人、正しい国家公務員、正しい装安隊員のあり方だろうな。

 常識的に考えて。…だが――気になる。あのヒョウ、どうして…」

矢羅宇隊員の目が…人混みの向こうのヒョウを見る。





72-16

「…あのヒョウ、どうして。こんなドヤ街にいるんだ? その気になれば…

 有力フレンズの、アリツカゲラや、妹のクロヒョウの所に逃げられるはず…」

「…わ、わからないお。…なにか、理由があるんだお… うう…

 …俺は…もう嫌だお、フレンズさんたちを売り飛ばして食う飯なんて美味くないお」

「…もう食っちまったよ。何度も。あきらめろ、これはヨモツヘグイなのさ――」

自嘲気味に言い捨てた矢羅宇だった、が…その目には。

…困惑の色が残ったまま、人混みの向こうのヒョウを見て…いた。

「…あのヒョウ、あの目… まるで絶滅種フレンズじゃないか。あの瞳…」

矢羅宇が見つめるヒョウ、その瞳からは…光が、きらめきが消えていた。

「…なぜだ。…くそ、嫌な予感しかしねえ」「…や、矢羅宇ぉ…俺は…嫌だお…」

――そこに。装安の男たちのが気づかないうちに…アーケードの通りを。

一台の真っ黒なリムジンが。この場にそぐわない高級車が音もなく滑ってきていた…


闇が怖くてどうする アイツらが怖くてどうする 前に進むには…前ってどっちだ?

「セルリアン大壊嘯」が地球上からヒトの全てを飲み込み食らうまで――あと228日……





73―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 飛ばしの携帯欲しさに日銭を稼いでいる少女やねん」


東京、荒川区南千住。そのにある“山谷”の市街。いわゆる…ドヤ街。

商店街のアーケードはシャッター街と貸しつつあるその街も、いまだに安価な

宿泊施設やドミトリーが軒を連ね――日雇い労働者やバックパッカー、そして。

いろいろあって、このドヤ街に流れつたフレンズたちの、ささやかな楽園だった。

…そのドヤ街を調査しに来た、総務省の外局、装備公安部の捜査員、二人。

矢羅宇捜査員と矢琉央捜査員は、不法在留フレンズの顔役、アライグマの屋台で…

ぐうぜん、そこで働いていた指名手配のフレンズを発見する。

――「みどり荘第四」事件で、装安隊員5名を殺傷した容疑のフレンズの一人。

フレンズの、ヒョウ。頂点肉食で、最も危険なフレンズとして装安、警視庁、

入管からも指名手配されているフレンズが…アライグマの屋台に、いた。

矢羅宇と矢琉央は…だが。ためらってしまって、いた。



やる


73-2

二人の男が見る、指名手配の危険レベル・猛獣のフレンズ、ヒョウは――

「焼きおに、いま焼いてるぶんで全部やでー。早いもん勝ちやー」

オーバーオールに白いシャツ、頭にはタオル巻きで。

アライグマの屋台で、鉄板の一角を借りて、そこで。

…焼きおにぎりを売っていた。

屋台には、アライグマの鉄板焼きと酒に男たち、外国人の旅行者たちが集まり…

ヒョウの方にも客が、ドヤ街に住むフレンズたちが輪を作っていた。

「甘いタレの焼きおにがいいんやったら、先に言ってなー。今日はサービスや」

…ヒョウは。少し眠そうな、だがこの場の空気には妙に馴染む関西弁で話し、

客やフレンズと談笑し…いっこ50円の焼きおにぎりを紙や、パックに詰めて売る。

「焼きおに、あと10こやでー。…え? ああ、こっちは予約のぶんや、すまへんな」

…そのヒョウに、隣の鉄板で忙しく、ちんまい手を働かせていたアライグマが。

「さすがヒョウ、すごいのだ。いつも完売なのだ。アライさんも負けないのだ!」

「いやー。ふぇすてぃばるのときに行列作ってただけのことはあるねえ。すごいよー」

屋台のお酒を作ったり、日用雑貨を売っていたりしたフェネックも笑う。



りむじん


73-3

…そのヒョウを。二人の捜査員は…

「や、矢羅宇…どうするんだお、このこと…本部に通報、するのかお…?」

「…それが正しい社会人、正しい公務員、正しい装安隊員だ。…だが、な」

…気になる。矢羅宇捜査員は、人混みの陰でタブレットを操作し、

「…あのヒョウ、新世紀警備保障の絶滅フレンズみたいじゃないか。

 …目に光が、ない。…なにがあった…? 畜生、知りたくねえぞ常識で考えて」

「お、俺は嫌だお…。ここで、平和に楽しく暮らしているフレンズさんたちを…

 本部に、DQNの鮫島や谷岡に知らせるなんて… あんな、連中に――

 フレンズさんたちを権力と暴力で、無理やり……するような最低の奴らには…」

「…落ち着け。俺たちもその最低の奴らだぞ。同じ国家公務員… …っ!?」

矢羅宇捜査員が気づき、ギクッとしたときには――

もう、遅かった。

彼らの背後に、アライさんの屋台の人混みの傍らに…音もなく滑ってきた高級車が、

磨いた黒曜石のような、漆黒の艶を放つリムジンが。やはり音もなく停車していた。

矢羅宇と矢琉央、二人は。…その、明らかにカタギではない車に…青くなる。



あらい


73-4

「…!? な、なんだお、この…見るからにヤバそうな車だお?」

「…マイバッハのSクラス・リムジンだ。…まずい、全く音がしなかった…」

その巨大なリムジンと、屋台の混雑の間に挟まれた形になった二人の捜査員は。

「…に、逃げるお…! ぜったいヤクザとかだお、ゲームで見たことあるお」

「…落ち着け。ここの客に紛れていれば…たぶん。…しかし、なんで。こんな…」

…こんな、さびれまくったドヤ街のフレンズ屋台に、超高級車が?

…地廻りのヤクザの塵代集めや、因縁つけにはみえない車過ぎた。

…そして。周囲の日雇いの男たちも、旅行者たちも。その異質な高級車の出現にも

まったく我関せずで。なにか、回収のリヤカーでも来たかのような空気で。

…そこに。車に気づいたアライさんが、

「あっ! 音羽の旦那さんなのだ! いらっしゃいなのだー!」

二人の捜査員が、え?と、アライグマの屈託のない声と笑顔に目を奪われたとき。

――やはり、音もなくリムジンの後部座席が…開いた。

…そこから。スウっと車内の冷たく正常な空気が流れ出すと、それといっしょに。

「…………」 ぬうっと。巨大な影が、シャッター街に降り立った。



おかぴ


73-5

「…ひ、ひいい!? 男塾の悪役みたいな巨漢の外道がでてくるおおお!?」

「…お、落ち着け… で、でけえ… ……? な……? フレンズ……??」

二人の捜査員の前に、のしっと。目がブレる違和感があるほどの太さ、長さの足。

白黒縞模様のタイツの、ふくよかで美しい脚、太ももが現れ。

「…………」 ゆっくり、音もなく。フレンズが、リムジンから降り立った。

茶色いチョッキ。白黒縞のオペラグローブ、ネクタイ。その下の…大きな両胸。

白と茶色の模様の髪、けも耳。…豊満な、セクシーそのものの体躯の上に乗った、

勝ち気な少女のような、かわいらしい顔――そして…

「…で、でけえ…いろいろ、でけえ…」「え…? 何メートルあるんだお…」

「…………」

フレンズのオカピは。無言で…眼の前の、眼下の。戦慄している男を見る。

…身長は、おそらく2メートルを越えている。だが、よくある巨体の、バランスの

崩れはまったくない…可愛らしいフレンズの姿そのまま。だが…見上げる巨体。

そのオカピは。無害そうな二人の捜査員に目を細め、笑い。そして。

「…………」 やはり無言で、リムジンの後部座席へ手を伸ばす。



あらふぇね


73-6

そのオカピに、いざなわれるようにして降りてきたのは――

「……。やあ、相変わらずいい繁盛をしているね。アライさん」

…降りてきた一人の男。最初、オカピの手がつまみ上げたようにも見えた。

…仕立ての良いスーツを着た、壮年の男。…オカピと比べると、半分くらいしか

ないようにも見える…矢琉央よりも背の低い、痩せた男が降りてきた。

…その男に。屋台に群がっていた労務者たちは帽子を脱いだり、道を開けたりして

無言の敬意を表し、そして。集まっていたフレンズたちは。

「親分さんじゃない。こんにちは、今日はどうしたのさー」

「オカピー、おはよー。わー、いつみてもおっきい。肩でお昼寝したーい」

…その、明らかに怪しい男に。だがフレンズたちはにこやかに話しかける。

アライグマとフェネックも笑みを浮かべながら、だが。屋台の仕事は続けたまま。

「音羽の旦那さん、おひさしぶりなのだ! 今日はどうしたのだ?」

「オカピも、おひさー。…旦那、集金のお話だったら。私とあっちでしよっかー」

巨大なオカピを付き従わせた、小柄な男は。客が開けた道を通って進み。

「いや、今日は仕事じゃないよ。ちょっと寄りたくなってねえ」



おかぴ


73-7

その男は、高級そうなスーツに鉄板焼きの煙がしみるのも構わず目を細め。

「…アライさん、豚串と烏賊下足、酒をもらおうか。…うちの医者には内緒だよ」

「かしこまりなのだ! オカピもなにか食べるのだ」

…数千万ほどする高級車から降りてきた男は。1本百円、1杯百円の串と酒を

アライグマから受け取り、目を細め。…彼が連れるオカピは、やはり無言で。

「…………」 だが、はにかむ少女のような顔で男を見、数度うなずきあうと…

やはり、恥ずかしそうに。大きな手で、焼きそばを指さした。

アライグマに五百円玉を渡し、焼きそばのパックと割り箸を受け取ったオカピは…

彼女を連れる男と、目だけで、頷きだけで数度やり取りをして。

…はずかしそうに、だがうれしそうに。無言で、もさもさと焼きそばを食べる。

――それを。その光景を…つい、見入っていた二人の捜査員は。

「……。…はっ、いかん。…あのフレンズはオカピだ。視線誘導、抜群だな…」

「…たぶんあの子、きらりんより、豊音おもちよりでっかいお。…眼福だお」

「…アライグマ、音羽の旦那と言ってたな。たしか…聞いたことがある」

矢羅宇は、人混みに隠れてタブレットを操作、



てきや


73-8

「……。そうだ、間違いない。音羽にある「吉田興行」の会長、ビッグボスだ。

 …表向きは芸能、興行のプロモーター。イベント会場の手配や屋台を仕切る

 手配師ってやつだ。…裏では何をやってることか――

 …東京の、神農系の屋台でアイツの息がかかってない香具師はいないって話だ」

「…難しい話がでたお。…つまり、ヤクザの親分なのかお」

「…難しい問題だ。そうとも言えるし違うとも言える、もっとヤバイとも言える。

 …あの男は、フレンズマニアという噂があったが。本当だったな、あのオカピ…

 去年あった“フレンズふぇすてぃばる”“フレンズがーでん”も、あの男の

 協力がなかったら開催できなかった、公安の反対で潰されてたって話だ…」

「…なんだ。じゃああのおっさん、俺たちの同志かお?」

「…そんな簡単な話だったら。世界はもっと平和だったろうよ――」

二人の捜査員は…ボソボソ、話し。…そのどヤクザに見つからないよう、後退を…

…だが。同時に。ぽふ、どすっ、と。

「…あ~。ごめんなさあい」「…う~。すみませえん。ぶつかっちゃったあ」

二人の捜査員は、背後から二人のフレンズに衝突されて…足止めされる。



なまけもの


73-9

…最初はフレンズに見えなかった。ふたりとも、けも耳がない。

長袖の上着、その奇妙に伸びた両袖を引きずるようにして、のたり、もそりと

歩く二人のフレンズは、ぶつかった捜査員たちに謝って…また、のたり。

「…な、なんだお? あのフレンズさん?たちは…」

「…まて、たしか――…あった。ナマケモノ、だ。フタユビと、ミツユビの…

 だが、おかしいな。彼女たちは不法滞在じゃあない。れっきとした…」

矢羅宇がタブレットを覗き込むその前で。連れ立つナマケモノたちは。

「…おはよー、アライさーん」「…おはよー、フェネック。ねー、ヒョウさーん」

鉄板をのぞき込むように、体をぐらぐら揺らす二人に。

「おはよーさん、ってもう夕方やで。ふーちゃん、みっちゃん」

「えー。すっごく、急いできたのに」「ねー。靴も履かずに急いできたのに」

残り少ないおにぎりを焼いていたヒョウは、やれやれ、と笑いながら。

「はい、予約ぶん。ひとり2こづつ、甘ダレ焼きおにや。百万円づつやで」

「わー。たかーい。げどー、おにー」「わー。ありがとー、おなかぺこぺこー」

…ヒョウは、ナマケモノたちから100円玉を受け取り、焼きおにを渡し。



ひょう


73-10

「…よっしゃ。アライさん、うちのほうはこれでカンバンやで。洗い物、しよっか」

「助かるのだ!」「さすがヒョウさんだねー」

和気あいあいと話すフレンズたちに、先ほどのリムジンの男も――

蔓野十四章、吉田工業のビッグボスも。やすい焼酎で顔をほころばせながら。

「ヒョウさん、こんな屋台じゃなかったらもう、蔵が建てられますよ。

 …あなたもつらい理由がお有りでしょうが…まずはここで、ほとぼりを、ね」

…ヒョウは。その男の言葉に。小さくお辞儀して「おおきに」とだけ答える。

「大丈夫なのだ。このアライさんに任せておくのだ!」

「そうだよー。…今はつらくても、きっと晴れの日が来るからさあ」

アライグマ、フェネックに笑顔と声をかけられ…ヒョウは。

「…おおきに。…こんなうちをかくまってくれただけでもありがたいのに…」

「困ったときはお互い様なのだ! たのしーも、困難も群れで分け合うのだ」

「もう、ヒョウさんは私たちの家族だからねー。アライさんにお任せだよー」

「…ねー、ヒョウー。焼きおに、もうなーい?」「まだたべたーい」

「……。寝てばっかりなのにどれだけ食うねん。…はは、わかったわ。明日は…」



おとば


73-11

和やかに談笑するフレンズたち。その中でも、止まらず商売の手を動かし、

客たちに鉄板焼きを渡し、小銭と交換し続けるアライグマに。蔓野は、

「…アライさんにはかないませんな。私がフレンズさん界隈の興行で大きな顔が

 できるのも、あなたのおかげだ。…あの性根腐れの極道、マーゲイですらも、

 アライさんには頭が上がらない。これからも、よろしくおねがいしますよ」

「? なんのことなのだ? アライさんは、みんなと友だちなだけなのだ」

…かないませんな。手に持っていた串をオカピに渡した、蔓野は。

――不意に。ゆっくりと振り返って。

「お兄さんがた。お役目、ご苦労さんです」

…それまで。とつぜん現れたナマケモノたちのテンポに呑まれ、撤退するチャンスを

失っていた二人の装安捜査員に向き直り、まっすぐ…言っていた。

「…!? な……あ、んた…」「あ、わわわ、矢羅宇ぉ…ば、バレてたお…!」

「…お静かに。お兄さんがたをどうこうする気は、ありませんからな。

 …あなたたちもお勤めだ。ここのことを、いろいろ上に知らせなきゃならない。

 …お互い、つらい家業ですな。トゲが百舌鳥に言ったセリフではありませんが」



やたい


73-12

「…じゃあ。どうして、俺たちに声を。…あんたなら、俺たちを消すくらい…」

「お兄さんがたを消しても、どうせすぐ次が来る。しかも、もっとたちの悪いのがね。

 …上に報告するな、と言える義理はこちらには、娑婆にもありませんが」

安い焼酎を舐めた、ビッグボスは。

「…不思議なもんですな。ヒトじゃなく、フレンズさんたちの中にだけ“人情”が

 まだある。…素敵な場所とは思いませんか、ここは。この娑婆っていうやつは」

…矢羅宇は。完全にブルっている矢琉央の前に立つようにして…

「…俺たちが報告しなくても、ここのフレンズさんたちが装安に知られるのは

 時間の問題です、常識的に考えて。このパラダイスは…有限だ。蔓野さん。

 俺たちの任務と同じくらい、あなたの力も…無力ですよ。世界の選択の前には」

「ふふふ。面白い。いい肚の顔だ。装安やめたら、うちに来ませんか。お二人」

…立場も、権力も、何もかも違う男たち。だが。――フレンズ好きは同じ。


欲望だけが渦巻く世界で 大事なものを探す… そのために必要なものは“勇気”。

「セルリアン大壊嘯」は牙を研ぐ。その貪欲な顎が全てを飲み込むまで――あと228日……





74―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 恋しい男に電話の一つも満足にできへん少女やねん」


東京、荒川区南千住。そのにある“山谷”の市街。いわゆる…ドヤ街。

その一角にある、半ばシャッター街とかしたアーケード。そこには、大都会から

はみ出したり、あるいは自分の意志でこのドヤ街に住み着いたヒトびとが、いる。

そして、その中には…同じように文明社会からはみ出した、あるいはやはり

自分の意志でこのスラムじみた街を住処としたフレンズたちの姿もあった。

――だが。そんなささやかな楽園にも、ヒトの世界の意志は、悪意は迫る。

総務省の外局、装備公安部。通称、装安。

その装安の捜査員、矢羅宇と矢琉央は、山谷のドヤ街に潜む不法在留のフレンズを

調査するその任務中、偶然にも、最重要指名手配フレンズのヒョウを発見する。

…本部に連絡するべきか、迷っていたフレンズマニアの二人の捜査員。

彼らの前には、別の危険人物。香具師の元締め、蔓野十四章が現れていた。




やる

74-2

降ろされたシャッターが墓石のように並ぶアーケード街。

そこに音もなく現れた超高級車から降り立った大手興行プロモーター、

「吉田興行」の会長、蔓野は…

二人の装安捜査員、矢羅宇と矢琉央に。

「…あなた方に話しても、どうなることでもない。そんな話を…独り言をしますよ。

 …お二人のお仲間、装安の隊員五人を殺したのは、あそこで焼きおにを売って

 いるヒョウさんじゃあ、ない。…もっとも、犯人がフレンズなのは変わりませんが」

「!? なん…だと…。蔓野さん、あんたなんでそんなことを?」

「…この街にあのヒョウさんが流れ着いたときに、アライさんたちが世話を

 しましてね。そのときに、何があったか話してくれたのですよ。私はまた聞きです」

「えっ。じゃ、じゃあ。あのヒョウさんは、無実の罪で指名手配されてるのかお?」

「えっ、え? じゃあ、機動班の五人を殺したのは…誰なんだお?」

「…あなた方が指名手配している三人のフレンズ、そのうちの一人とだけ言って

 おきましょうか。…まあ、抵抗せざるを得ない状況だったわけですが――」

「……。装安でもウワサになってます。殺された五人は、あのヒョウさんたちを…」




もとじめ

74-3

矢羅宇捜査員は、少し迷ったように周囲を見てから…話し出す。

「確保した、その場で…暴行しようとして…殺された、と。遺体は、ズボンどころか

 パンツ降ろした状態で発見されていた。…先に、警視庁の警官たちにその現場を

 抑えられちまったんで、装安はかなり神経質になって情報を隠蔽していますが」

「えっえ? それ、ぼ…暴行って。ま、まさか…れ、れれれ、レイ…」

情報を知らなかった矢琉央が挙動不審になる。矢羅宇をそれに構わず、

「だが。うちの隊員の死体が五つあったのは、確かです。そしてその現場に…

 あのヒョウさんが…いたことも。重要参考人としてでも我々は彼女を連行――」

矢羅宇がそこまで言ったとき…だった。

「……ガサ入れだーッ!!」 …と。

アーケード街の出口から、男の吠えるような声が響いて。

「なっ!?」「ウソ、今日?聞いてないよ?」「これはまずいのだ」「まずいねー」

アライグマの鉄板屋台を取り囲んでいた、ヒトとフレンズの輪がざわっと揺れた。

その中に混ざっていた、矢羅宇と矢琉央も、

「な、なにい? まさか…」「や、矢羅宇、まだ俺たち報告してないはずだお?」




ふぉっさ

74-4

うろたえるその二人に――蔓野の、ゾッとするほど冷たい視線が一瞬、向いたが。

「……。これは。お二人の通報では、ないようですな」

好々爺の顔に戻った蔓野は、溜息つくように言って。彼の傍らに神社の巨木のように

控えていた背の高いフレンズ、オカピの手にそっと、触れる。

「…………」 オカピは何も言わず、ほほ笑み…小さくうなずいた。

そこに。大きな尻尾を左右に振り、ものすごい速度でフォッサが走ってくる。

「…たいへんだ! 今日のガサ入れ、警察や機動隊じゃないよ!

 見たこともない、真っ黒い大きな車が何台も! 出てきた奴らも真っ黒で――」

その声に。二人の装安捜査員は、血の気の引いた顔を見合わせる。

「…ど、どういうことだお?」「…通報があったか。他の部署が勇み足したか、な」

その二人に、蔓野は少しも慌てていない声で、

「やはり、お二人の仕業ではないようだ。潜入捜査員がまだいる現場に踏みこむ

 官憲はおりますまい。あるいは、あなたたちは使い捨てレベルで… 失礼」

「…いえ、正解かもですよ。蔓野さん、あなたは逃げたほうがいい。

 あなたは下手に身柄を押さえられると、別件乗せられて勾留されますよ」




リムジン

74-5

――ご心配なく。あっさり、言ってのけた蔓野は。

「先ほどのお話、覚えておいてくださいよ。その仕事が嫌になったら、私の事務所に

 遊びに来てください。…フレンズさんたちのお話でもしましょう」

それだけ言うと。彼の横に控えていたオカピの、誰よりも大きな体が…動いた。

「…………」 ひょい、と。

小柄とはいえ、大人の蔓野の体を。オカピは軽々、赤ん坊でも抱くようにして。

いわゆる、お姫様抱っこをすると――やはり音もなくドアが開いたリムジンの

後部座席に、オカピは。彼女の主である蔓野をうやうやしく収め、座らせ…

リムジンの後部座席ドアが閉まると――だが、オカピは。

「…………」 主といっしょに、乗ってはいなかった。

ガサ入れ、の声に。アーケードに、アライさんの屋台に集っていたこの町の住人は、

労務者や元労務者、バックパーッカーたちは、勝手知ったる、という風で。

慣れた足取りでバラバラと逃げ出し、シャッターの隙間の路地へと消えてゆく。

それに取り残された形になったフレンズたちは、

「私たちも逃げたほうがいいかな」「いわゆる、フレンズ狩りってやつかにゃあ」




あらふぇね

74-6

あまり緊迫感のない声で、キングコブラ、オセロットが顔を見合わせる。

「あー。ここはいいナワバリだったのに。残念なのだ」

「仕方ないね、アライさーん。私たちもずらかろうか。お店は捨てていくしか無いね」

アライグマとフェネックも、何か慣れた感じで逃げ準備をする―― …その傍らで。

「……! ま、まさか。う、うちがおるから…うちのせいで、あいつら…」

ばさりと、頭からタオルを外したヒョウが。

ヒョウは唇を、わなわなと恐怖に、そして…自分でも意識できないほど深く、暗く、

そして真っ黒い憤怒に…身を震わせ、目の輝きを失っていた。

そのヒョウの着ていたオーバーオール、お尻のあたりを、彼女の半分ほどしかない

フェネックがバシバシ叩いて、ヒョウをはっと正気に戻させる。

「しっかりしなよー、ヒョウ。…あんた、ここで捕まっちゃ駄目なんだろう」

「う…うん、でも…うち… うちのせいで、あいつらここに――」

「関係ないさー。逃げなよ、ヒョウ。あんた、惚れた男に会うんだろ」

「…!! そ、そうや、うちは――」「恋人に会うんだよ。それがヒトでもね」

そのヒョウの手をつかんで、フェネックはビニール袋を手渡した。




ふぇねっく

74-7

…そのビニール袋の中には、ジャンク品。…だが、まだ使えるガラケーが3つ、

そのバッテリーと充電器、そして…輪ゴムで丸めた雑多なお札が入っていた。

「…!? フェネック、これは…!」

「言ったろー。うちを手伝ってくれたら、ちゃんとおかねは払うってさー。

 …ヒョウ、あんたが欲しがってた飛ばしの携帯さあね。さ、これ持って…行きな」

「あ、あ…! お…おおきに、フェネック…! お金まで、こんな…」

「いいから。そっちの路地をまっすぐ…ええと、オセロット。案内おねー」

フェネックは、この場に迫ってくる装甲された無数のブーツ、そして大型SUVの

タイヤ音に大きな耳をピクピク動かしながら。

「ヒョウ、その電話は1回使ったら捨てなよ。あと電話をするときは、その場から

 すぐに逃げられる場所で。あんたの知り合いに電話した時点で人間に見つかるよ」

「…わ、わかった! ほんま、おおきに…!! この恩は忘れへん…」

そのヒョウを、オセロットの手が引いて――二人のねこは…路地裏に消える。

ほかのフレンズも、勝手知った裏道へと逃げ出し…

あと、そこに残っているのは――巨大なリムジンと、それを守る大きなオカピ。




あーけーど

74-8

そして…鉄板屋台にあった貴重品を入れた袋を、小銭を入れた常滑焼の壺をもった

フェネックとアライグマ。そして…まだ焼きおにをもさもさ食べているフレンズ、

「…ふーちゃん。さわがしいねー」「みーちゃん、タレつけた焼きおにもさいこ~」

地べたに座りこんでいる、ナマケモノのフレンズ、二人。そして…

「ど、どうするお、機動班の連中とはち合わせしちまうお…」

「…常識で考えれば。ここで機動班を誘導、不法残留フレンズを拘束するのが――

 正しい社会人、正しい公務員、正しい装安のあるべき姿だ。…だが」

――俺たちも逃げよう。

矢羅宇は、友人の尻をひっぱたいて走りだす。

「…機動班に見られるのはマズイ、あとで言い訳ができなくなる。どこか路地に…」

だが、そこに。アーケードの南北の入口から、退路を塞ぐようにして…

装備公安部のSUVがゆっくりと、先導するフル武装の装安機動班の男たちと

ともに、アライさんの屋台を、巨大なリムジンをはさみうちにしようとしていた。

「あ、ああ…オカピさん、やばいお! あのヤクザもこれ、逃げられないお…

 てか。ナマケモノさんたち、焼きおに食べてる場合じゃないお!?」




あらい

74-9

「えー。なーにー」「これ、おいしーの。……。でも、もう――」

 …食べられなくなっちゃったねえ。と、フタユビナマケモノが、ぼそり。言う。

そこに――リムジンの前方を塞いでいたSUV、その搭載スピーカーから、

『……その場を動くな! 不法在留フレンズの捜索、拘束を行う!!』

その耳障りな音とともに、黒尽くめの装備に身を固めた装安の機動隊員たちが

バラバラと散開し…屋台と、リムジンを遠巻きに取り囲んだ。

…危うく、路地裏のポリバケツの影に身を潜めた矢羅宇と矢琉央は…

「まずいな。蔓野さん、捕まっちまうか。…装安じゃ彼を起訴出来ないとは思うが」

「で、でも…! オカピさんが、あああ… ナマケモノさんたちも、ももも…」

『そこのアニマル! 手を上げて、地面に膝を付け! さっさとしろ!!』

スピーカーが、耳障りな怒声を撒き散らす、が…

「…………」 オカピは、仁王立ちのまま。声も発せず、微動だにせず。

その彼女が守るリムジン、後部座席の窓が小さく降りて。

「アライさん。私が話をつけておく、川崎の日進にひとまずお逃げなさい」

「助かるのだ! じゃあ、またそっちにも来てほしいのだ!」




おかぴ

74-10

ちんまい手を降って。貴重品を持ったアライグマとフェネックも路地裏に消える。

「…アニマルが逃げた! 第二班、追跡しろ!」

機動班の隊員たちは、逃げたフレンズたちを追おうと――だが。

「…………」 のし、のっしと。オカピの巨体が動いて。

その威容に、装安たちはギクッとして動きを止めてしまう。そして苛立たしそうに、

「このデカブツ! さっさとひざまずけ! 射殺されたいのか!!」

「構わん、こいつは反抗したと判断する!! スタンガンで撃て、やれ!!」

装安の隊員たちの、禍々しい形の銃器――本来は対セルリアン用の武器だが、

皮肉なことにフレンズへの制圧力も高い、スタンガン。

高電圧の放電バッテリーを射出するランチャーの銃口がいくつも、オカピを狙う。

…だが。リムジンを守護って立つオカピは、微動だにしない。

その彼女の、ヒトのそれを超えた迫力に…気迫負けした装安の男たちが…撃った。

…あっ!? と隠れていた矢琉央たちが思わず声を漏らす中。

高圧ガスで射出されたスタンガンの弾体が、いくつも、オカピを襲う。

――だが。その瞬間 「…………!!」 オカピの体が、動いた。




おかぴ

74-11

 ずん!! と…地震のような轟音、振動がアーケードを震わせた。

オカピの右足は、地面を、舗装を力強く震脚で踏みつけ――その衝撃で。

彼女の足元にあった、コンクリートで固められた巨大なマンホールの蓋が…

コイントスのように、くるくると宙に、オカピの前方に跳ね上がって――そして。

 バチバチッと。スタンガンの弾は、その円盤に弾かれて四散する。

「なっ!?」「ば、バカな!?」

装安の男たちが、何が起こったのか理解できずあっけにとられる中。

はっしと、中に跳ね上がっていたマンホールの蓋を軽々、片手で受け止めた

オカピが――すうっと、息をして。豊かな、巨きな両胸を揺らしてから…

 「――…………!!」 可憐な唇を震わせ、大きく口を開けて…吼えた。

だが。その咆哮は、何の音もしなかった。正確には、人間には聞こえなかった。

だが。オカピの咆哮、その前方にいた装安の男たち、そして車両は。

「…あ、が…」「……ゥ」「な……」

男たちは、ビクンと。軽い電気にしびれたようになって…スタンガンを、短機関銃を

取り落として…よろよろと、アーケードの路上に崩れ落ちた。




らーぜ

74-12

SUVも、ブルっと車体を震わせてエンストし、EVモーターも車輪も動きを止める。

オカピの放った咆哮、そのヒトの耳には聞こえない低周波は――

だが。凄まじいエネルギーの波動は、一瞬で装安機動隊の半数を失神させていた。

「…す、すげえ…」「うう…横にいたのに、体がビリビリするお…」

矢羅宇たちは、逃げ出すのも忘れて…オカピの威容に、声に…釘付けだった。

その低周波の波動が、少し遅れてアーケード街を、シャッターやアーチの構造材を

ビリビリ震わせる中… リムジンの後方から迫っていた装安の部隊が、

「う、撃て!! 射殺しろ!!」

その叫びと同時に、装安隊員たちが短機関銃、スタンガンの引き金を引いていた。

やけに軽い、短機関銃の銃声がアーケードに響く――

「…………!」 あの巨体からは信じられないほど、オカピは…速かった。

無数の9ミリ弾丸、そしてスタンガンの弾体が襲いかかるより速く…

オカピはリムジンの後ろに回り込み、その巨体と、マンホールの蓋を盾にして

主の乗る車を守護っていた。9ミリ弾がマンホール蓋で弾けて火花を散らし、

何発かがオカピの美しい四肢をかすめるが…彼女は微動だにしなかった。




おかぴ

74-13

その流れ弾が、我関せずと地べたに座り込んで焼きおにを食べていたナマケモノ、

彼女たちの周囲にも襲いかかって跳弾する。

「…わー。こわーい」「わたしたち、わるいフレンズじゃないよー」

ナマケモノたちは、子供の遊ぶボールが飛んできたような顔で――

襲い来るスタンガンの弾を、マンホールの蓋ではたき落としたオカピは。

「…………」 その大きな蓋をふわっと、彼女を撃つ装安たちに…投げる。

「う、うわ!?」「このバケモノ…!」

その蓋に、隊員が二人ほど下敷きになる。…どうやら、オカピには装安の男たちを

殺害する意志はないようだった。…だが。

「…………」 投げたマンホールの蓋を追うようにして、装安にのしのしと迫った

オカピは。男たちが慌てて銃口を向けたり、スタン警棒を構える、その前に。

 バコッ、と。装安の一人が、オカピの拳で殴られ…ヘルメットのシールドが

ひしゃげるほどの強打で飛ばされ、シャッターにぶち当たって動かなくなる。

装安の男たちの怒声、悲鳴、そして…鈍くて重い、オカピの大きな拳が人体を、

装甲の上から叩きのめす音がアーケードに響いた。




なまけ

74-14

…すっかり、逃げる機を失い、ゴミバケツの影に隠れたままの矢琉央と矢羅宇は。

「う、うう。DQNばっかりで仲が悪い機動班の奴らとはいえ…仲間がフルボッコ

 されてる光景は… オカピさん、もっとやれだお!」

「…ちゃんと手加減しているな、さすがに死体を出すのはまずい…あっ!?」

二人が顔を出す、そこに。SUV、増援のミニバンを合わせた三台の装安車両が

アーケードの中を迫り…そのサンルーフから、隊員が――容赦なく発砲していた。

「うわ、あぶっ!? あいつら、ここはシリアじゃねえんだお!」

そのメチャクチャな射撃を、オカピがしなやかに体を丸め、まだ生き残っている

装安隊員を盾にするようにして転がり、避けると。流れ弾が、また。

焼きおにを食べ終わり、名残惜しそうに指を舐めていたフレンズの周囲で跳ねる。

「んもー」「んもー」 二人のナマケモノは、気だるそうに…だが。

「…みーちゃん。自衛行動、しちゃう?」「しちゃおーか」

ゆらり、身を起こした。ぐんにゃりした感じの、だらけきったJKにしか見えない

彼女たちに…装安のSUVが、二人を轢く勢いで突進した。

…危い!! 矢琉央が飛び出しかけた、が――




なまけ

74-15

二人のフレンズ、フタユビナマケモノ、ミツユビナマケモノの姿が…消えた。

!? と。ヒトの目が見開かれたときには――

ナマケモノたちは、二人羽織のように肩に引っかけていた上着。そのだらんとした

袖を宙に振り上げ…緩慢な動作からは信じられない速度で、信じられない距離を

伸びたその袖、その先端の鋭い鉤爪が。カッと乾いた音を立てて、アーケードの

鉄柱に、街頭に、看板にかかって…両袖が二本のムチのように走っていた。

ナマケモノたちの体は、見る間にアーケードの天井、アーチへとへばりついていた。

「なんだあいつら!?」「アニマルだ!逃亡するぞ、撃て!!」

地上にいた装安、車から飛び出した装安たちが、オカピか、頭上のナマケモノか、

どちらを撃つか一瞬、迷った…その一瞬が終わると。

「…!? う、うわあ!?」「わ、わ!助け…」

…頭上のナマケモノが、落ちた――否、片袖の爪をアーチに引っ掛けたまま、

凄まじい速度の振り子のように体を揺らして、ナマケモノたちは。

地上の装安隊員たちをもう片方の袖の鉤爪でさらい取り、その体を自分では

降りられない街灯の上、看板の上、そしてアーチの隙間に置き去りにしてゆく。




なまけ

74-16

あっという間に、10名ほどの装安が無力化されて…高所で、落ちないよう必死に

しがみついて助けを乞うだけの存在に成り下がっていた。

残った隊員たちは、素早い振り子のようにアーチを行き交うナマケモノを狙って

撃ちまくり…弾を無駄にする。…そこに。

オカピと、リムジンを後方から追い詰めていたSUV、そしてミニバン、その真上に

ナマケモノたちが移動し…落ちた。――否。羽織っていた鉤爪の上着だけを落とし、

自分は少し遅れて、その上に着地していた。

「せーの」「せーの」

SUVとミニバンの上に落ちた上着は、ぶわっ!と膨れ上がって。

大型車両に抱きつくように回った、二本の袖が、鉤爪が…ゆっくりと、だが凄まじい

圧力で車を締め上げて…いった。すぐに二台の車は、電気系統とシャフトをやられて

動きを止め、窓ガラスが砕け散って…その窓から、悲鳴を上げながら装安の男たちが

ほうほうの体で逃げ出す。その数秒後には…

耳障りな破壊音を立てて。二台の装安大型車は、奇妙な形のスクラップにされて

しまっていた。生き残った一台は、慌ててバックで逃げ出す。





74-17

「おとといきやがれー」「ほんとうにくるなー」

スルリ、もとのサイズにもどった上着を羽織り直したナマケモノたちがやる気のない

凱歌をあげ、また気だるそうに地面に座っていた。

その頃には…仲間の大半と可動車両を失った装安隊員たちは我先に逃げ出し――

やる気のある数名は、路地の物陰に隠れてオカピたちを狙う、が…

その路地から、音もなく伸びた二本の太いしっぽ。キングコブラ、フォッサのそれが

男たちを路地裏に引きずり込んで…すぐに、何の物音もしなくなった。

「…………」 オカピは、低周波で廃車にされ、道を塞いでいたSUVを…空の木箱

でもひっくり返すようにして、両の手で転がして道を開ける。

そこを、蔓野のリムジンが音もなく滑ってゆくと――オカピも、しなやかな足で

その後を追って…超高級車も、オカピも、すぐに見えなくなってしまった。

…あとには。

「…すげえ。機動班の小隊が二つ、あっというまに壊滅しちまったぞ…」

「…やっぱりフレンズさん、可愛けどこわいお。でもそれがいい…結婚したいお」

二人の装安捜査員は、近づいてくる警察のパトカー、消防車の音に気づき…





74-18

「俺たちもずらかるお。…俺たちは今日ここに居なかったお。何も見ていないお」

「…ずらかるのはいいが。俺たちの端末のGPSデータは、本部に残ってるからな。

 今日のことは、いつか報告せにゃならんぜ。……。俺も腹を決めるか」

「えっ、えっえ? じゃあ、俺たちまた…鮫島に叱責されてボコられるのかお…」

泣きそうな相棒の声に、矢羅宇は何も答えず… 二人は、路地の暗がりに消えた。


…二人の装安が消えた路地、そのさらに先の、薄暗い路地裏を進む、影は――

ヒョウは、フェネックから渡されたビニール袋を胸にしっかりと両手で抱いたまま

走って、走って…ときおり、立ち止まって。その袋を、じっと見つめ…また走る。

「……! 本間くん…! これで、本間くんと話せる…また、また…会いたい……」

…公衆電話では、探知された場合、逃げ場がない上に包囲の輪を縮められてしまう。

…だが、これなら――ヒョウは、光の消えかけていた瞳から涙をこぼしていた。


忘れないで私のテレフォンナンバー 困ったときにはダイアルして いつだって…

「セルリアン大壊嘯」がヒトの世界もパークも。全てを消すまで――あと228日……





75―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 3回のチャンスをどう使うかで悩んでいる少女やねん」


東京、調布市。改装され生まれ変わった調布駅と、昔ながらの西調布駅――

どちらを使ったほうが便利か、全然わからん。な位置にあるアパートに戻る道を。

「……。…もう、私もパーク辞めて田舎に戻ろうかなあ…」

12月の凍てつく夜空の下を、とぼとぼと歩く一人の若い女性のコート姿があった。

彼女は、北斗ナナ。財団法人ジャパリパーク振興会の研究セクションのスタッフ、

そしてパークの主業務“だった”フレンズ、アニマルガールたちとの交流と

彼女たちの生体研究を行っていた、新進気鋭の研究員だった。

…だが。パーク研究所、ラボの寮を出るはめになった有能な彼女は、いま。

「…このままずっと、ヒトミちゃんの部屋に居候しているわけにもいかないし。

 …かと言って、私までアメリカに行ったら―― …きっと博士たちに迷惑が…」

独り言が多いのは、彼女が精神的に疲れている証拠だった。





75-2

この半年ほどで…彼女のいたパーク振興会の研究所は――変わってしまっていた。

それまでは、フレンズ研究の第一人者にして、セルリアン対策の先駆者でもある

遥カコ博士、人類をセルリアン惨禍の絶滅からきわどいところで救った女神でもある

カコ博士がリーダーとなって研究に邁進していたパーク研究所、は…

1年ほど前から、カコ博士にマスコミがつきまとうようになり、それを追うように

して博士に、研究費用の流用と着服の疑惑が持ち上がった。

カコ博士は、それを否定していたが――

気づいたときには、研究所には博士の味方は、ほとんどいなくなっていた。

最大の理解者だった、遥ミライ博士はアメリカの要請で渡米してしまっていた。

残る味方は、博士との交際がうわさされていた工学博士が一人、あとは親戚の

北斗ナナ研究員。…それ以外は――いつの間にか、博士と距離を置いていた。

…外部には、高名なノーベル賞受賞者でもある、国立北海道生物化学研究所、

そのセルリアン対策専門室を指揮する雷沼教授とそのラボも、カコ博士の功績を

評価し、弁護していたが…いかんせん、距離が遠すぎた。

…そうして――孤立したカコ博士は。





75-3

…ある日突然、忽然と――日本から、消えた。恋人の機会工学博士とともに。

博士の行方はようとして知れず、うわさではアメリカに逃亡したとも言われて

いた、が…日本からは博士の出国記録が無く、行方は謎に包まれたままだった。

――そうして。パーク研究所の体制は、一新された。


とぼとぼと寒い夜道を歩くナナは、20号線の交差点を越え、調布ICを左手に

見ながら…世話になっている親友の部屋に…とぼとぼと。…夜風が乾いて冷たい。

「…昔は、フレンズさんたちとずっと仲良くやっていけると思っていたのに。

 …博士がいなくなっちゃったら、急に。…あんな、フレンズを武器にする研究

 ばっかりで―― …そんなコトしなくたって、フレンズさんたちはヒトのために

 セルリアンと戦ってくれているのに… どうして… 私じゃ何も出来ない…」

独り言は、彼女の迷い、無力感そのもので。

「…ミライ博士が、カコさんたちは無事だって、こっそり教えてくれたけど――

 …でも、どうやって博士たち日本を出たんだろう? …はあ。

 私、なんにも出来ない。…なんにも知らない。…やっぱり田舎に帰ろうかな」





75-4

道路の両側に、茂った街路樹が並ぶ武蔵境通りを、ナナはとぼとぼ進む。

ファミマで買い物をして、もう少しで公園が見えて――そうすれば、同居させて

もらっている友人の部屋まであと少し… の、ときだった。

 ……? …ふ、フッ、っと。

彼女の前に伸びる道路、そこを薄ぼんやり照らしていた街頭の明かりが…ひとつ、

またひとつと、何かスパークするような音を立てて…消えていっていた。

「…え、なに…? 真っ暗で――気味悪いなあ…」

ナナは、ためらって止めた足を…くるり、その街灯が消えた通りから、横手の

路地へと向けた。そちらの街頭はまだ点灯していて、民家からの明かりもあった。

気味が悪く、少し急ぎ足になったナナは…

――だが。眼の前の黒い影に気づいて、ギクッとして足を止める。

「…!? だ…だれ?」「――…………」

ナナの前方に、いつの間にか…小柄な、だが夜闇よりも黒く見えるなにかの影が、

彼女の行く手を塞ぐようにして…地面にうずくまっていた。

…ちかん? ナナが、逃げようとした…そこに。





75-5

「……。な、な…… ナナ、ちゃん。…ナナちゃんでしょう。…わたし…」

…!? その黒い影が発したのは―― 疲れ、かすれてはいるが、少女のそれで。

「えっ? あなた、まさか」「…ナナちゃん、探したよ」

北斗ナナ研究員、彼女をナナちゃんと呼ぶのは――

いま、部屋を貸してくれている伊集院、そしてカコ博士とミライ博士。そして…

 …フレンズさんなの? そのナナの声に、目の前の影は動いて。

「…ナナちゃん、ごめんね。…どうしても、ナナちゃんに…聞きたいことがあるの」

ずるり、足を引きずるようにして動いたフレンズは…

…最初、研究員のナナでも知らない未知のフレンズかと思った。

…それほどに、彼女は汚れ、くたびれ…けもプラズムで生成されているはずの毛皮、

分類衣服すら再生できておらず、ぼろぼろのフレンズが――ナナに、迫る。

「…!? ハクビシン、ちゃん…? …どうしてそんな? …どうしてこんな――」

 …あっ!? と。そこまで言ったナナの体と唇がこわばった。

「……。ニュース、知ってるよね。ナナちゃん。…私、ヒトを殺しちゃった…」

ハクビシンは。…真っ黒い、空っぽの笑いのような声で…そして。





75-6

「…私、もうどこにも戻れない… でも、ナナちゃん。私、どうしても……」

ようやく、探していた相手を見つけた。その、ぼろぼろのハクビシンに。

…がばっ!と。フレンズの反応速度でもビビる勢いで、ナナが詰め寄った。

「…ハクちゃん!! どうして、そんな… おなかすいてるの? どこか痛いの?」

ナナ研究員は、持っていたコンビニの袋をがさがさし、そこからチョコ菓子の

パックを出してハクビシンの手を取り、そこにギュッと押し付ける。

「…え…… ナナ、ちゃん…」

「もう! …いっつも、ラボの休憩室にあるお茶菓子を狙っていたずらしていた

 あなたが、元気なハクちゃんが… どうして、そんなボロボロに……」

「……。ナナちゃん、私… ヒトを――たくさん……」

だが。ナナは、ハクビシンの戸惑った声を聞いていなかった。

「食べて! そのお菓子も、このバナナも! ストゼロは…ああ、これは駄目。

 …ハクちゃん、無事だったんだね…! ニュース、見たけど、聞いたけど――

 …あんなのウソだよね? 何かの間違いだよね? ねえ、ハクちゃん……」

…ハクビシンは。半ば仇と思い探した相手のけんまくに。





75-7

「……。あり、がとう… ナナちゃん。…うれしい、うれしい…… 私……」

両手に、お菓子とバナナを押し付けられたハクビシンは。

そのまま、がっしとナナ研究員の両腕で、強く、深く抱きしめられたハクビシン。

…その身体から、濁っていた目から…かすかだが、虹色のきらめきがこぼれていた。

「え、えっと。ハクちゃん。……あ、まずいよ。私、最近ずっと公安のひとに

 つけられてるの、見つかったら…たいへん。 …えっと、どうしよう」

「……。ナナちゃん。ごめんね… いいの。…ひとつだけ、おしえて――」

ナナを見つけたハクビシンが、肚の底から吐くように言った。

「…たぬぽんが。…フレンズ下宿のみんなが、どこにいるのか… おしえて」

「えっ、たぬぽんって、タヌキ――あなたの友達の… 下宿の、って…」

だが…そこに。いつの間にか、三人目の影が街灯の下を滑ってきていた。

「……!?」 「…!! キャ!?」

その影に気づいたハクビシンが、ガバっとナナの腕の中から跳ねる。その跳躍が

残した静電気のような衝撃に、ナナが小さな悲鳴を漏らした、そこに。

「――ごめんね、ナナちゃん。…そっちも、動かないで。動かないで」





75-8

三人目の影が発したのは――これも、少女の声。緊張しきったフレンズの声だった。

「えっ、あなた…」「……!? いったい、おまえ――」

ナナとハクビシンの前に。黒っぽい、小柄なフレンズが。

「…動かないで。撃ちたくないから。…お話がしたいだけだから、うちのボスが」

小さな空き箱を抱えて、その中に片手を入れたフレンズは…

「…タビーちゃん!? どうしたの、こんな夜中に怖がりのあなたが…」

「…! デビル! タスマニアデビルって呼んでよう! タビーはやめてって」

フレンズのタスマニアデビルは、消音器代わりに持った空き箱の中で――カチ、と。

「…やっと来たわね、ハクビシン。ずっとあんたを探ってたんだよ。…そのうち、

 こうやってナナちゃんに接触しに来るってボスが言ってて…本当に来たよ」

「おまえ…? まさか、私を捕まえに!?」

「おっと、動いちゃ駄目だって! 撃つと動くよ! あー、まちがえた!」

空き箱の中で、対セルリアン、同時に対フレンズでもある硬質ケラチンチップの

9ミリ弾を装填したベレッタ、その安全装置を外したタスマニアデビルは。

「ボスが、ナナちゃんとあなたにハナシがある、ってさ」





75-9

タスマニアデビルは、二人に空き箱の狙いをつけたまま――

「――……。ボ… 社長、見つけました。ハクビシンです、ナナちゃんと接触。

 どうしましょう… えっ? すぐ近くにいる? あわわ、は、はい、では」

インカムで、どこかに、何かを通話したタビーは、急に慌てて。

「ボスの車がすぐ近くにいたよ。…まさか、私も尾行けられてた…? とにかく。

 ナナちゃん、ハクビシン。ちょっと…顔、貸してもらえるかな」

そのタスマニアデビルに、ナナは小首をかしげ。

「…タビーちゃん。あなた、たしかコワモテ系アイドルになる、って言って。

 …芸能事務所に入って「タスマニアデビルだぞー」って一言セリフのモブで

 出たっきり、音沙汰ない思ったら―― まさか、本当に悪いお仕事に手を…」

「ち、違うわい! ちゃんと私、芸能事務所のスタッフだよ! …ただ、ちょっと。

 社長が… …クッソ… 外道で… いろんな仕事させられてるだけで――」

何か自信なさげに、ぼそぼそ言ったタビーは、だが。

スキを見、飛びかかろうとしていたハクビシンに慣れた手付きで銃口を向け、

「ナナちゃん、ソイツを連れて…来てくれる? 撃ちたくないんだ」





75-10

…そうして――タスマニアデビルの見えない銃口に押されるようにして。

ナナとハクビシンは、ナナの着た道を戻る形で武蔵境通りまで連れて行かれる。

そこには… さっきまで居なかった、巨大な白い城壁、と言った大きさと威圧感の

あるSUVの外車が、真っ白いキャデラック・エスカレードが停車していた。

タビーがリモコンを操作すると…その城壁の一角、スライドドアが音もなく開き、

ぱあっと車内の明るさが路地を照らした。

「――ボス、こいつら載せちゃっていいんですか。…はい。あの、じゃあ私は。

 …えー、歩きで帰りですか? タクシー… …使っちゃ駄目ですよね、はい」

タビーは、空き箱をたたみベレッタと服のどこかにそれをしまい…

しょんぼりした顔と手で、ナナとハクビシンをエスカレードの中へぐいぐい押す。

「え、あの。ちょっと。タビーちゃん。社長って…」「…………」

ナナとハクビシンが、リムジンタイプの後部座席に押し込まれると――

今度も音もなく、スライドドアが閉じて。

ナナたちが入ったその空間は、車の中とは思えない、ラグジュアリーなソファが

並ぶ応接室のような…快適、瀟洒、そして豪華な場所だった。そして…





75-11

そのリムジンタイプの座席、ソファーの奥には… この空間の“主”が、いた。

「……。おひさしぶり、ナナちゃん。……ハクビシンを、暴れさせないでね」

その“主”は。美しい鈴が転がるような、ハッとするような声で――

「そちらに座って。ごめんなさい、こんな乱暴なやり方で。…でも、こうでも

 しないとナナちゃん、あなた…そしてそっちのと。ゆっくりお話出来ないから…」

その、声も、そして姿かたちも美しい“主”のフレンズに、ナナは。

「……クジャクさん。あなただったの… でも、どうして。…お話って?」

ナナの声に、フレンズのクジャクは謎の笑みだけで答えて――座席の横にあった、

社内通話の受話器をとって運転席に告げる。

「…としあきさん。車を出して。22号を適当に流して頂戴ね、おねがい」

クジャクは、部下へ…というより。おぼこのナナがハッとして思わず顔が赤らむ

ほどの艶のある、にゃあと甘えるような声で受話器に言っていた。

…エスカレードが、滑らかに動き出すと。

何かのモデルのような、粋なグレーのスーツを着ていたクジャクは足を組み替え、

スモークの窓を流れる夜に目を細め…言った。





75-12

「…ナナちゃん。あなたに、お話してほしいことがあるの。――今の“ここ”では

 いろんなことを、ウソがなく話せるのは… 話せるヒトは。

 もうあなたと、としあきさんくらいしか居ないから… ねえ、ナナちゃん」

本業はモデル、そして自ら芸能事務所を運営するクジャクの挙動、そして言葉に、

思わずもじもじしているナナ。

その彼女に目を細めたクジャクは、つい、と目を動かし。

「…………」 敵意に満ちた目のハクビシンを、突然、ゾッとするほど冷たい目で見、

「誰も“それ”を盗ったりしないわ。いいわよ、ここで食べても」

クジャクの言葉に、ナナからもらったチョコ菓子とバナナを抱えていたハクビシンは

まだトゲの消えない目のまま…隣のナナを、向かいに座るクジャクを交互に見る。

…ムシャ、と。そしてすぐに、ガツガツと、バナナを皮ごと食べるハクビシンの

咀嚼の音が車内に響いて… そのハクビシンの乱れた髪をナナの手がなでる。

「…ハクちゃん、かわいそう… あんなニュース、間違いだよね… なのに――

 ずっと警察と、あの…なんだっけ、装安とかに追われてたんでしょう…」

そのナナに――小さくため息ついたクジャクが。





75-13

「…最初に言っておいたほうがいいわね。…間違いじゃないわ――

 そいつは、ハクビシンは…フレンズ下宿の強制連行のときに、装安の隊員を

 五人、ちぎり殺しているわ。…ねえ、そうでしょう」

「……!! …私は――」「……!? え、うそ… ハクちゃん…うそ…」

バナナの束を、跡形もなく食らったハクビシンが…ナナを見、うつむいた。

「…私、あのとき… 撃たれて、気を失って…わけが分からなくって、でも…

 ヒョウと、ワオちゃんを守護らなきゃって、思って… ――そうしたら…」

「うそ…! ハクちゃん、そんな!? うそ、フレンズがヒトを殺すなんて…」

――そこまで言ったナナは、急に。固まり、言葉を失う。

…1年ほど前、彼女に預けられていたオオカワウソのデータ、パークの二次調査隊が

送ってきたデータを…

極秘の、だがなんとか閲覧できたそのデータ、動画をナナは思い出して…いた。

…フレンズがヒトに牙を向ける、ヒトを殺す。…ありえないが、皆無ではなかった。

「畜生堕ち、っていうのかしらね。ヒトを殺めたフレンズは、もう元に戻れない。

 …そのまま、セルリアンよりおぞましいバケモノになるって聞いてるけど」





75-14

…クジャクの冷たい言葉に。ナナの瞳が、絶滅種のように輝きを失う。

「…ウソ、ハクちゃんが… いつも、たぬぽんやアライさんと遊んでいた――」

「……。ごめん、ね… ナナちゃん… 私、もうもどれない… だから私……」

…そこに。破裂のような音が。クジャクの笑い声が弾けて。

「そんなに悲劇のヒロインぶらなくて大丈夫よ。…畜生堕ちなんて大したことない。

 だって――私だって、ここに来るまで…何人くらい、死なせたかしら。あはは」

空っぽの笑い声で言ったクジャクは――

「ハクビシン、あんたもナナちゃんにハナシがあったんでしょう?

 先にお話しなさいな。…たぶんそれ、私もちょっと聞きたいことだろうから――」

さっきの、運転席に頼んだときの、にゃあと甘えたようなあの声がウソのようだった。

ビシ、と冷たい鋼の板のようなそのクジャクの言葉に、

「……。ナナちゃん、おしえて。…下宿のみんなは、たぬぽんは… いま、どこ?」

先ほど、一度されたその問いかけに。…ナナは、きゅっと手を固く握って。

「……わからない。…ごめんなさい、でも本当に…今の私にはわからない…」

ナナは、涙色の瞳を小さな拳でぬぐって。





75-15

「今のパークは、カコ博士やミライさんがいたころとは、もう違うものになって

 しまっているの… 今はもう、聞いたこともない政府のお役所といっしょに、

 フレンズさんたちを駆り集めて、兵器として使用する研究ばかりしている…

 …私、ずっとそれには反対していたから―― ラボでも、ずっとつまはじきで。

 ごめんなさい、私もその研究に参加していれば、みんなの居場所が…」

陰の雨が振り滅の風が吹く。

そんな有り様で沈み込んだナナに、クジャクは。

「…そんなことだろうと思ったわ。…ごめんなさい、ナナちゃんのせいじゃないわ。

 “シリンダー計画”。フレンズを使い捨ての爆弾にして、野生解放させて

 セルリアンにぶつける、ってプロジェクトね。…ヒトのすることらしいわ」

「…そ、そんな!!」 ハクビシンが、手からチョコ菓子を落としかける。

「…ええ。シリンダー計画。…もう、フレンズさんを格納して、その…」

ナナはハクビシンのチョコ菓子の封を開けてやって、言う。

「…フレンズさんに、危機を――電撃や液体窒素の放射で、危機状態にさせて…

 フレンズを“野生解放”させる…その“シリンダー”はもう完成している…」





75-16

ナナは、何かを懺悔するように…続ける。

「そのシリンダーに、各地から連行したフレンズさんを使うって――

 …最初は、野生解放がさせやすい。非力な…小型種のフレンズさんたちから

 使うって、ラボの人たちが… だから、フレンズ下宿のみんなは、たぶん…」

「…ぐ…! たぬぽんたちが、そんな…」

「ふふ、ハンターを、警備二課を内ゲバで拘置しておいて、することがそれとは。

 ほとほと、この国のヒトというやつは絶滅したがっていると見えるわね」

クジャクは、座席の横にあったケースから瀟洒なグラスと、シャンパンのボトルを

出して――スイ、とナナに見せる。

…だが、ナナは首を振ると。何か、覚悟を決めるように、ガサガサと。

「…ごめんなさい、クジャクさん。飲み物なら――ごめんね、こんな場所で」

ナナは、コンビニ袋からロング缶を出すと、プシュ、と。ゴクゴクと。

「……ッ。はあ……。――ずっと、黙っておくつもりだったんですけど」

少しだけ、腹の、そして目の座ったナナが。

「これ、ミライさんにも伝えていません。…パーク研究所の極秘事項――」





75-17

ナナは、グビ、ともう一口飲んでから。

「…パーク研究所と、政府のどこか、あと現場の装安は“シリンダー計画”で

 セルリアン対策ができると確信して、計画を進めて予算を注ぎ込んで…

 フレンズさんを入れる“シリンダー”と、それを現場まで運搬、投下する

 専用のオスプレイ、車両まで準備しているんですけど―― …笑っちゃいます」

…少し、雰囲気の変わったナナの横で。ハクビシンは不安そうにチョコを頬張り。

…クジャクは、愉快そうな目になって。シャンパン、クリュッグを開けていた。

「…じつは。“シリンダー計画”自体が、デタラメ、捏造なんですよ」

ゴク、と飲んで言い放って、またゴク、と飲んだ――

一本198円の安酒が濡らしたナナの喉は… 世界を、日本を根本から震わせていた。

「それ、どういうことかしら。ナナちゃん」

「どうもこうも。シリンダー計画自体が、結果の、フレンズの野生解放を人間が制御、

 人為的に起こすことが出来るっていう“前提ありき”の研究だったんです…」

クジャクは、ニヤアと顔を笑ませ、二つのグラスに最高級シャンパンを注ぐ。

「…前にあったナントカ細胞と同じ。…成功が前提なんです」





75-18

「でも、いまさら引き返せない。とんでもない金額の税金が、そして…

 取り合えせないほどの時間が過ぎてしまった、手にあった有効なセルリアン対策を

 打ち捨ててまで、推し進めた計画… もう、今さら誰も――」

ナナは、飲み干した缶をコンビニ袋にしまい、クジャクから瀟洒なグラスを受け取る。

「…フレンズさんは、いくら痛めつけても野生解放なんてしない――

 フレンズさんが野生解放するのは、命に変えても守護りたいものがあるから…

 って、認められない所まで来てしまっている。研究所の誰も、わかっていても。

 だから…連れ去られたフレンズさんたちは、無意味に、シリンダーの中で

 苦しめられて、セルリアンの前に放り出される… そういうことなんです…」

「そんな… ひどい、やめさせてよお!」

「…ごめんね、私もう…なにも、できない。…ごめんね、みんな…」

エスカレードの中に、湿った、重い沈黙が―― …だが、それは一瞬で。

「…ハハハハハハ! …ごめんなさい、つい」

クジャクが、文字通り哄笑。嘲罵の果汁を滴らせる笑い声で沈黙を裂いて、

「さすがの私も、そこまでクソみたいなハナシだとは思ってなかったわ――」





75-19

ひとしきり笑ったクジャクは。ナナの持っていたグラスと乾杯し。

「話してくれてありがとう、ナナちゃん。…つらかったでしょうね、ずっと――」

「…ううん。こんな話、誰に言っても信じてもらえない。…なのに、私。

 最近、ずっと誰かに…公安に尾行されていた、から。たぶん私、そのうち…」

 …殺されちゃうね。 …ナナが、シャンパンのグラスを寂しい笑みで見つめる。

「――そんなこと、させないわ。ナナちゃん。大丈夫よ」

クジャクは、はっきりそう言ってのけると。今度はその目を、ハクビシンに。

「あなたの話は終わりね。もう行っていいわよ」

「…! どこに… たぬぽんたちの居場所がわからななくっちゃ…」

「ナナちゃんが言ってたでしょ。ヒトは、愚行を続けるわ。滅びるその日までね。

 今度、ドロタボウやカシャ、超大型セルリアンが出現したら――

 政府、装安はシリンダーを使うわ。…わかるでしょう。その現場が…勝負よ」

その、クジャクの言葉に――チョコ菓子のかけらがついた口をぽかんと開けていた

ハクビシンは… ハッとして、そして。力強くうなずいた。

クジャクは、美味くもなんともない顔でシャンパンを舐め、





75-20

「…本当に、クソみたいな国。クソみたいな連中、ヒトだらけ。絶滅推奨種ね。

 …私も、としあきさんが。ステキな彼がいなかったらとっく捨ててたわ。ふふ…」

その、突然のクジャクの嘲罵。そして突然すぎるのろけに。ナナは…

「……。…えっ。えっ、え、え? 彼氏、って…え、クジャクさんて、その…?」

…クジャクの秘密を知っているナナは――いろいろ連想し、アルコールが一気に

頭部に回って、顔を真っ赤にしてブンブン手を降っていた。そこに…

後部座席のインターホンが小さく鳴って、運転席から男の声が小さく響いた。

『――クジャクさん。尾行られてる。装安だ。SUVとセダン、三台いるぞ』

「ありがとう、としあきさん。…ふん、ナナちゃんの言うとおりだったわね」

その会話に、不安な瞳になったナナに。クジャクはにっこりと。

「大丈夫よ。――としあきさん、中央自動車道に乗って。手駒を呼ぶわ」

クジャクは、携帯を取り出すと別のどこかに電話を…始めた。


馬鹿にしないでよ そっちのせいよ 私もついつい大声になる …やってやるわ、と。

「セルリアン大壊嘯」が真実もウソもすべてを飲み込んで無を生むまで――あと221日……





76―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… チャンスの1回を無駄打ちして死にたい女やねん…」


東京、文京区音羽に立ち並ぶビル。そのひとつに入っている編集スタジオ――

そこには、少年コミック編集部、少女向け雑誌編集部、女性向け編集部が

それぞれのフロアに入り、そして。それらの編集部には、フレンズが。

在留フレンズの中でも有名で、少し前はテレビにもちょくちょくでていた三姉妹。

ケープキリン、ロスチャイルドキリン、そしてアミメキリンがディレクターと

してそれぞれの編集部に在籍、それぞれが雑誌を預かる立場にあった。

そんな音羽のビル、コミック編集部に…その日。来客が、あった。

コミック編集部に来客はめずらしくない。業界筋の人間、作家、印刷、流通など。

その他にも、現行の持ち込みに来る新人作家は毎日のように編集を訪れる。

…だが。その日、コミック編集部のアミメキリンを訪ねてきたのは――

都内の有名進学校、そのブレザーの制服をしっかりと着こなした少年…だった。





76-2

「…お忙しいところ、すみません。アミメキリンさん…ありがとうございます」

すすめられた椅子に座る前に、きちんとしたお辞儀でお礼をして――

良いのは学校の成績だけではなく、家柄や育ちも良いのだと無言で証明した

その少年は、アミメキリンがテーブルに置いたコーヒーの紙コップにお礼を

してから…少しだけ、疲れたような様子で椅子に腰を下ろす。

アミメキリンは、まだ幼さすら香るその少年の顔立ちに目を細めてから、

(…何度見ても。なるほど、ヒョウがのろけるはずだわ。…あの子……)

顔まで良い。その少年――

まだ高校生の彼、本間新二少年の隣の椅子にアミメキリンは腰を下ろす。

「いいのよ。…ちょっとゴタゴタがあってね。新年の企画がいくつもおじゃんに

 なっちゃったから…ちょっとヒマなくらいよ、私たち」

「…それは、もしかして。去年から、その。セルリアン惨禍からひどくなっている

 フレンズさんたちへの迫害とか、そういうのが…?」

「うちは、たいしたことないわ。嫌がらせされたって、今の私たちをクビにしたり

 したら…雑誌がいくつ消えることか。何人、路頭に迷うことか」





76-3

少年は、自分がなにか過ちでも犯したかのようにうつむき、

「…その、すみません… セルリアン惨禍の原因は、フレンズさんたちじゃない。

 それどころかフレンズさんたちは、ヒトをまもってくれているというのに――」

「ありがとう。そう言ってくれるヒトが、ひとりでも居るだけでホッとするわ。

 …でも。今日、あなたがここに来たのは――世間話をするためじゃないでしょう」

小さく笑ったアミメキリンの顔に。本間少年はハッとして…

「…はい。前回、お邪魔したのはもう1ヶ月近く前でしたが――」

この少年がアミメの編集部を訪れたのは、これが三度目だった。

1度めは、セルリアン災害の最中で出会ったフレンズ、ヒョウの足取りを探すため。

2度めは…もう恋人の関係になったヒョウ、彼女が公安の部隊に、装備保安部と

呼ばれる部隊に捉えられそうになり、逃げ出して――

この都会、東京の暗がりに隠れ潜んで逃げるヒョウを、公安より先に見つけるため、

手がかりを求めて、ヒョウのフレンズ友のアミメを頼ってきた…それが2度め。

…そして、今日のこの日。三度目の訪問は…

「…すみません。まだ…ヒョウさんの居場所は、つかめていません…」





76-4

「…あれから。知り合いのフレンズマニアたちと連絡を取り合ったり…

 警察マニアの友だちとやり取りして、情報を集めたり、フレンズさんたちが

 集まっているっていう場所に何度も行ってみたんですが――ヒョウさんは…」

…そう、と。アミメキリンは言葉を探す。

「…すみません。お忙しいアミメさんたちが、いろいろ手助けをしてくれている

 のに、ヒョウさんの足取りすら、まだ… ヒョウさんは、いったい…」

少年は、自分のスマフォをテーブルの上において。

「ヒョウさんは、頭のいいひとです。…僕はたぶん、いえ、絶対に公安に監視を

 されている。僕に連絡をとったら、その時点で居場所がバレてしまう――

 だから、僕にも連絡ができない、とは思うのですが… ……。

 …すみません、アミメさん。僕がここに来ることで、なにかご迷惑が…?」

「気にしなくっていいわ。私、昔からずっとマークされていたからね。

 出版とか、テレビ芸能関係のフレンズは影響力も大きいからって、ね。

 あなたがこのビルに入ったのも当然、マークされているけど… でも、大丈夫。

 ここには盗聴器なんか仕掛けられていない。…ね、お姉さんを信じなさい」





76-5

ほほ笑み、頭上のけも耳をピクピク動かすアミメに。

少年は少し顔を赤らめて…だが、笑みで答える。

「ありがとうございます。…でも、ヒョウさんが見つからないということは――

 政府も、公安の装備保安部もまだヒョウさんを見つけていない、と思います」

「そうね。…ヒョウが失踪したときには、装安の隊員が何人か死んでいるのは…

 知ってるわよね? もしヒョウが捕まったら、きっと連中はニュースにするわ」

「……。はい。その前に、僕は…ヒョウさんを見つけます。きっと、必ず…!」

アミメキリンは。眼の前で、固い決意を胸に――どれほど徒労と挫折を味わっても

決して折れない、若木のような少年に目を細めて。

…ヒョウを見つけてどうするの? …あなたに彼女を守れるの? どうやって?

…政府っていう、最悪の暴力団からヒョウを守りきれるの? ちっぽけなあなたが?

――などと。胸の中にあった“もの”を言葉にはせず…そして。

「…それじゃあ、本間くん。そろそろ、オトナのお話をしましょうか」

そう言ってアミメは。長くてしなやかな脚を組み替える。

健全な男子なら、しばらく目に焼き付いて離れなくなるそのしぐさのあと…





76-6

「本間くん。あなたがここに来たって言うことは――

 君はヒョウが見つからない、その泣き言を言うためだけにここに来るタマじゃない。

 …なにか、あったのでしょう? …こちらでも、いろいろとあったわ。

 …どうかしら。お互い、手持ちの札を切ってみない? 損な賭けにはしないわよ」

「……。ありがとうございます。と言っても、僕の札は…これだけ」

少年は小さくお辞儀し、言ってから。持っていたスマフォを操作し…テーブルに置く。

その画面は…通話履歴。数日前の、平日夜の…不在着信履歴だった。

その番号は、少年にも、アミメキリンにも覚えのないものだったが。だが――

「…ヒョウね。あの子、まだ無事なのね… ああ、いきなり太い札、出されたわ」

「…このとき、僕は疲れて眠っちゃってて… 出られなくって…失敗でした」

血を吐くような声で言った少年は、その画面を消し。

「…この番号にかけ直しても、もう電波は繋がりませんでした。おそらく…」

「…ヒョウは飛ばしの携帯を手に入れたのよ。それで、あなたに連絡をした…

 決死の覚悟だったでしょうね。でも繋がらなくて…その携帯は処分、したと」

少年は無言でうなずく。





76-7

「…じゃあ。今度は私が札をきる番ね。…少し前まで、ヒョウは山谷にいたのよ」

そのアミメの言葉に、少年の座る椅子がガタッと音を立てた。

「ごめんね、もう古い情報… 山谷のドヤ街で、あの子、フレンズの顔役やってる

 アライグマ、アライさんとフェネックの世話になっていたんだけどね――

 装安の機動隊が踏み込んで。フレンズは誰も捕まらなかったけど、ヒョウの居場所も

 そこから先は、またわからなくなっちゃったわ…」

「そう、でしたか。ありがとうございます。…ヒョウさん、そこで携帯を…」

「ええ。フェネックに聞いてもいいんだけど… あいつが正直に教えてくれるはずも

 ないし…あいつに借りをつくるとか、怖すぎてゾッとするからね… でも」

アミメは、少年の前に…すっと、テーブルに手指を伸ばして。

「山谷の現場にいた、フレンズ友のフォッサに聞いたわ。ヒョウは、フェネックから

 飛ばしの携帯を3つ、あと現金ももらって…逃亡中よ」

「…! では、もしかしたらまた連絡が――」

「ええ。でも、次からの連絡はもっと慎重になるでしょうね。…本来なら。

 今のヒョウには、あなたに連絡を取るのはリスクが多すぎるもの」





76-8

「……。はい、それでも…僕は。ヒョウさんと、あのひとと…! ヒョウさんを…」

「ふふ。いいのよ、それが恋人… でしょ? いいわよね。恋って」

アミメの言葉に、ボッと赤面した本間少年。

アミメはそれに目を細めつつ――

「まあ、お互いの札はこんなものかしら。さて、と…。 …姉さんたち!!」

急に、アミメがテーブルを拳で打って。パーテーションの向こうに鋭い声を投げる。

…と。そのパーテーションの陰から… 華やかな姿が…ふたり。

「んもー。ケープ=ネーサンが興奮しすぎて鼻息荒いから、バレちゃったじゃ~ん」

「ひどいわあ、ロスっち。身を乗り出して見ようとしてたの、貴方なのにい」

現れたのは。別のフロアの編集フレンズ、キリン三姉妹の残り二人。

…そこだけ照明があたっているような派手めキリンこと、ロスチャイルドキリン。

…まだ童貞の少年には、三姉妹の中では一番目に毒な爆乳美人、ケープキリン。

さすがにおどおどして、どうも…としか挨拶できない少年に、

「いいなあ、いいなあヒョウ! こんないい子、いい男予備軍をゲットしてずるい」

「ごめんねえ。私たち、ヒョウのことはよく知ってるから気になっちゃって…」





76-9

二人のキリンは、少年の前で姦しく盛り上がって、そして。

「アミメちゃん、おつかれー。じゃあそろそろ、私がいいトコ持ってちゃおうかな」

ロスチャイルドキリン、ロスっちは。スイ、と一枚の紙切れをテーブルに。

「これは…」 メールアドレスらしきものが書かれたそれに少年の目が動く。

同じものを見たアミメの目が…ハッとして。そして、キッとつり上がる。

「ロスっち! これは…!? 駄目だって、本間くんが危険だわ。駄目よ…!」

「え、えっと。アミメさん、これは…いったい誰の?」

いきなり勢揃いした、フレンズ美人姉妹の方位の中で、まだおどおどする少年。

その彼に…

とろけるような、少し涙ぐんでいるような瞳のケープが…身を寄せた。

「それはねえ。あなたも知っていると思うわ、大人気チューバー、生主の――

 フレンズ実況の有名人、クロちゃん。クロヒョウ… うふ、しってるわよね」

「…は、はい。クロちゃんさんなら――友だちにも、ファンが何人もいますし」

「駄目よ、姉さんったら! クロヒョウには私たちよりはるかにきつい監視が

 ついているのよ、そこにこの子を接触させたら危険だわ…!」





76-10

「この子、本間くんは…進学をひかえているのよ、こんなところで経歴に傷を…」

アミメはテーブルからその紙片をひったくろうと…

だが――

…あ、と。アミメの手が止まった。その手は、少年の力強い手に抑えられ…

「ありがとう、アミメさん。…でも、僕は…もう決めたんです」

本間少年は、アミメの手の下からアドレスの紙片を抜き取る。

「…駄目よ。クロヒョウは装安が監視しているのよ、あいつらは手段を選ばない…」

「…それは、僕も同じです。ありがとう、ロスっちさん、ケープさん。アミメさん」

…少年の目は。男の目は、フレンズたちがハッと、そしてゾッとするほど…

…この世界を席巻した、地上最強にして最悪の霊長類、そのオスの目になっていた。

…攻撃されたオス、そして。じぶんの連れ合いのメスを奪われたオスの目…だった。

「…このアドレスに連絡をすれば…クロちゃんさんと接触できるのですね?」

「……。え、ええ。そうよ。クロヒョウは臆病レベルで慎重だし、有名すぎるからね。

 ふつうのアカウントに連絡しても返事なんか無いわ。でも、そのアドレスなら――」

「私たちね、クロちゃん専門誌作ろうと思って何度もお話したのー」





76-11

「ほら。コモモちゃん、コモドドラゴンの黒ゴス甘ゴス専門誌があるじゃない?

 あんな感じでねー。何度か打ち合わせしたんだけど。流れちゃって」

「その時のアドレスよ。うふふ、それならクロちゃんも… あ、えっとお。

 …たしか、合言葉とか符丁を決めていたいたわよね、何だったかしら…」

ケープキリンが、たゆんと揺れる爆乳の下で腕組みし、首をひねると。

「――…ヤギ。メールの差出人を 白ヤギ にしなさい。

 そうしたら、向こうから 黒ヤギ で返信があるはずよ。…はあ、まったく」

クロヒョウとの符丁を、言葉にした…言ってしまったアミメがため息つく。

「…まあ、ここまで来ちゃったら。どっちも後戻りはできないわよね。

 クロヒョウと連絡がついたら、うちからの紹介って言えばいいわ」

「…ありがとうございます、アミメさん! ロスっちさん、ケープさん!」

少年は、紙片を刃じみた目でしばらく注視してから…それをテーブルに戻した。

「…もう大丈夫です、記憶しました。…これ、持ち歩かないほうが良いですよね」

「うふふ。いいわあ、伊達に進学校の制服着てないわね。デキル子って好きよ」

ロスっちが髪をかきあげ、笑い。





76-12

ケープはきらきらの瞳で両手指を組み。アミメは、またため息ひとつ。

「…こんなときに、先生が――タイリクオオカミ先生がいてくれれば…」

「そういえばアミメちゃん、オオカミ先生、いつ戻るのー?」

「そんなの私が知りたいわ。パークに行った先生からの連絡は、しばらく…」

そこまで言ったアミメは、ハッと。本間少年の視線に気づき…

「…ここの話は、聞かなかったことにしてね」「……はい」

「パークへ、第二次調査隊の日米安保軍の護衛、道案内に行った先生からは…

 ここ一ヶ月、連絡がないわ。そのかわりにね――新世紀警備保障社、あそこの

 ブリキのおもちゃが、自立歩行戦車がね…本社からどこかへ、移送されたわ」

「へー。東京に出る超巨大セルリアンにぶつければいいのにー。ねー」

「…行き先は、海外。そんなの、もうパークしか無いじゃない。はあ…」

向こうでは、パークでは何が起こっているのか… アミメの目が、遠くを…見た。


いつでも探しているよ どこかに君の姿を 薄汚れた街でも 世田谷でも…

「セルリアン大壊嘯」が破滅と虚無の王に戴冠し、后を選ぶまで――あと214日……





77―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 彼氏に会うためなら何でもする気の女やねん…」


東京、港区台場。通称「お台場」と呼ばれるそのエリアにはテレビ局、公園、

巨大企業のビルが建ち並ぶ。その一角、造成されて間もない地区に、燦然と

そびえるビルが――

第三セクター企業『新世紀警備保障社』のビルがあった。

謎の怪物、セルリアンの跋扈により重大な被害を受けていた日本経済と市民、

その裏側では…政府主導で、国内外の大手保険保障会社が合弁、天文学的な

金額になるセルリアン災害への保障に行う企業を作っていた。

それがこの『新世紀警備保障社』であり、そしてこの会社にはもう一つ。

“特殊”なフレンズたちを一手に集め、その未知数の能力を持って世界を

脅かす怪物、セルリアンに対抗する…そんな職務をも、行っていた。

新世紀警備保障の本社ビル、その奥の一角では…





77-2

 ドォオオン …と。フロアの一番奥にあるデスクが撲られ、轟音を立てた。

「納得がいかん! なんの説明にもなっておらんぞ、おい!? ドードー!」

デスクの天板を手袋の拳で打ったのは…フレンズ。

濃紺のブレザー、スカート。霊峰の頂の氷雪のような、美しく豊かな髪を

けも耳とともに揺らす彼女は…絶滅種フレンズの、ダイアウルフ。

ここ新世紀社のセルリアン対策部門、「対策2課フレンズ室」のフレンズ。

そして対策フレンズたちの中ではナンバー3の実力者である、猛者の狼。

「われわれの使命は、セルリアンを撃滅すること! 他に何があると!?」

ダイアウルフが食って掛かっているのは…

ここ、対策二課フレンズ室の室長デスクにおさまっている相手――

「…ダイア。私たちは、新世紀社の“しもべ”なのですよ。わかりますね」

「わからん! こうなったら… あの人に、多聞に…直に聞いてくる!」

「…お待ちなさい。私たちスイーパーは、社命には絶対服従――」

ダイアウルフと比べると、狼の前にちょこんとうずくまるヒヨコ、といった

風情の、小柄な鳥のフレンズ。やはり絶滅種のドードーだった。





77-3

「その、会社の命令が納得できんと!私は言っているのだ! ドードー!

 いまも、東京の市街にはセルリアンが湧き出して…犠牲者が出ている!

 なのに…なぜわれわれは出撃できん!? ここに居るのが社命だと!?」

 ふざけるな! ダイアウルフが、今度は両の手をドードーのデスクに。

「警察のハンター、警備二課の連中はいまも拘束中だと言うではないか!

 自衛隊も、出動許可が出て現場に来たときには…いつも手遅れだ!

 破壊された街と死傷者を、指をくわえて見ているのがわれわれの使命か!」

焦燥し、怒りに満ちたダイアウルフの剣幕は――

どんな人間も、猛獣すらもひるませてしまうほどに激しい…が。

彼女の抗議を、小さな体を微動もせずに受け止めているドードーは。

「…私たち新世紀のフレンズと、マスターたちは。社命でのみ、動きます。

 いま、私たちに与えられている命令は――

 新世紀社と契約状態にある企業の施設と敷地、資産を守ること…です。

 …カワウソ。現在、首都圏でセルリアンが出現しているのは?」

ドードーの声に、別のデスクでひかえていた絶滅種フレンズ、ニホンカワウソが。





77-4

「…現在、新宿区西新宿に特大型セルリアン、2体。ジェネリックです。

 これらには警察の機動隊、装備保安部の機動班が対応中です――」

冷静な、動きのない株価でも読み上げるようなニホンカワウソの声に…

再び、ダイアウルフは――激怒した。

「シンジュクだぞ!? あんな人口密集地で特大型が暴れている!

 機動隊の水鉄砲、装安のチンピラどもなんぞに止められるものか!

 …もういい! 私が出る!! 止めても無駄だぞ!!」

ダイアウルフが、燃えている氷、というような目でドードーを…

新世紀警備保障、対策二課フレンズ室のリーダー。絶滅フレンズたちの中でも

ナンバーワンの実力を持つ…そのドードーをにらむ。だが。

「ダイア。そこにいなさい。私は、あなたを止める職務があるのです――」

その、鈴を転がすような可愛い声…だが、なんの感情も無いその声に。

ソファに座って、大袋のポテチをむさぼっていた絶滅種、サーベルタイガーが。

「…ダイア。落ち着いて。…ドードーの言う通り、ここは様子を見ましょう」

「ベルまで…! これが落ち着いていられるか! 私は多聞と出撃するぞ!」





77-5

ダイアウルフは、彼女たちフレンズと行動をともにする、ヒトの男。

新世紀の社員でもあり、彼女たちのマスター、飼い主、恋人でもある男の

名を口にして… ぐるん、ドードーに背を向けた。

その様子を、なんの感情もないニホンカワウソの目。そして、心配そうな

フレンズ友のサーベルタイガーの瞳、さらにこの部屋にいた絶滅種たち、

おろおろしているダイアウルフの妹分のニホンオオカミ、そして。

「ダイアー。だめだよう。ね。こっちおいで、ちゃんして、ちゃん」

…初見だと、目の遠近感が狂う。この広いフロアの中でも、そこだけ空間が

おかしくなっている?と思うような、大柄な絶滅種フレンズ、心配性のモアが

甘い声でダイアウルフを呼び、狭くなったソファの片隅を手でぽんぽんと。

「やかましい!誰が飼い犬か!? ドードー、始末書ならあとで…」

振り向きもせず吐き捨てたダイアウルフが、数歩…進んだ、

――そこに。

「…ダイア。…ダイアウルフ」 ドードーの、ゾッとするほど冷たい声が。

…なぜか。凛々としたダイアウルフの体躯は、その声にギクッと固まる。





77-6

「……! な… ドードー……」

ダイアウルフの体は。なにか、コマ撮りアニメのようにぎこちなく…振り返る。

いつの間にか。一瞬で、油汗じみたもので濡れていたダイアウルフの顔、そして

こわばっていた目が――引き寄せられるように、小さなドードーを…

彼女の目を、凝視して……しまう。

「ダイア。こちらを見なさい。…いい子。私の目を――」

ドードーの、柔らかにほほ笑んでいた瞳が…細くなり、そして。見開かれる。

――何か、音が。光が、放たれたようだったが。それは幻覚だった。

 あッ! …と。何かに気づいたダイア以外のフレンズたちが、慌てて目を伏せる。

…ただ。ドードーの瞳を、真正面から見つめてしまった…見つめさせられてしまった

ダイアウルフの目が…ビクッと見開かれ、そして。

「……ぁ、ああ… あ…」

怒りで爆発しそうだったダイアウルフの体から、急に…色んなものが、抜けた。

力を失ったダイアウルフの体、そして瞳、顔が…ぼんやりと。

「…わたし。……ああ、そうだ… ぼーっとしてたな…」





77-6

ダイアウルフは、ふらふらと…何かに酔ったように足をよろめかせ…窓辺へ。

「…! あ、あ…! お姉さま… お願い、ドードー…! もう、やめて!」

「――…………」

その様子を、彼女の妹分のニホンオオカミが見、泣き出しそうな声でドードーに

何かを懇願していたが…ドードーは、机の上に両手の指を組んで。じっと。

その彼女たちの前を、よろよろとダイアウルフは進み…

「…なんだか、疲れたな。…狩りで、走って…殺して、ころして…くって、食って。

 ……。ああ、そうだ。私は、のどが…喉が渇いていたんだったな、死ぬほど」

ダイアウルフは、その手で窓を。盲牌するように窓を触れていき、そして。

唯一、内側から開く緊急避難用の窓、そのロックに彼女の手がかかる。

「…のどが、かわいた。…みず、水がのみたい。……。ああ、良い水場だ。

 こんな沼の、泥炭の香りがする…沼の水だ、ああ…なつかしい…なんだろう……」

「…お姉さま!! …あ、あああ… やめて、止めてよう!!」

ニホンオオカミの悲鳴がほとばしるのと、ダイアウルフの手が窓のロックを外すのが

ほぼ、同時―― 彼女の手が押し開いた窓から、どうっと。





77-7

上空100メートル以上。三十階建てのビルの、開かれた窓の隙間からごうごうと

氷のような突風が部屋に吹き込んできていた。だが…

「…こんな沼に、体まで浸かって水をのむんだ…そうしないと、この渇きは……」

うなされたように、何かをつぶやきながら。

ダイアウルフは、窓の隙間に手を、その豊かな髪の頭を――外の、奈落へと…

そこに。吹き込む突風をつんざくように、だが静かな声が。一声。

「――ダイア」

ドードーの声と同時に。…急に、この空間に張り詰めていた何かが、消えた。

「……。……ん。……ん、んっ? ……!? な……!?」

ダイアウルフは。突然、居眠りから覚めたようになって。

自分が、押し広げた窓から外に出ようと、身投げを、自殺をしようとしていたのに

気がついて――ギクッとあとずさり、窓を強く閉める。

「……く!! ドォドぉおおーーー……!! 私を、瞳術に…………ッ」

「こんなことはしたくなかったのですよ。ダイア。少しは落ち着きましたか」

可愛らしいが、だが。なんの感情もない。深い穴のようなドードーの声。





77-8

その声の響く中、ダイアウルフは…体が冷え切ったかのように、自分の体を、

豊かな両の胸を抱くようにして腕を回し、そして…がっくり、床にうずくまる。

そこに、泣きそうな目のニホンオオカミが駆け寄る…が。

「…くぉ、くそっ……! また、思い出させた、な……! おのれ……」

血を吐くような声を漏らしながら、ダイアウルフはただ震えていた。

ため息を付いたサーベルタイガーが、ポテチを感触した彼女は、ダイアが

開いた非常用の窓を再び固く締め、ロックを掛け…

 …… 窓の下、100メートルの奈落をぞっとした目で、見る。

いくら彼女たちフレンズとはいえ、なんの構えもなく、夢想状態でここから

落ちて地面に叩きつけられたら…ただでは済まない。分解して、サンドスターの

結晶と、もとの動物の…太古の化石、骨片に戻ってしまっていたはずだった。

部下を、開放した力の“一部”を使って足止めしたドードーは。

「…聞きなさい。ダイア。他のみんなも。

 私たちは、社命でのみ動く…道具です。しかし、ヒトに寄り添い、ヒトを愛し、

 ヒトを守る私たちの本能は不変です。――それは“上”も理解しています」





77-9

「いま、私たちが出動しないのには。契約以外にも、理由があるのです。

 …ダイア。ひどいことをしてしまってごめんなさいね。でも。

 あなたも、きっとわかってくれるはず… “私たち”は機を待っている。

 その時が来たら――私たちは、シメイを果たしましょう」

ようやく。死と消滅の恐怖と、その記憶から自我を取り戻したダイアウルフが、

「く…! 機、だと? ヒトが苦しみ、死んでいるのだぞ!?

 いまがその機ではないのか!? ヒトの政治などの道具はごめんだぞ!」

「…ダイア。ヒトの“政治”は、あなたの大好きな戦闘、しかもそのもっとも

 激しいものですよ。…その決着のひとつが、もうすぐに付きます。

 私たち新世紀社とマスターたちは、そして…“始祖”は――

 今の流れとは、別の方に掛け金をおいている。…待つのです、ダイア。みんな。

 …賭けの出目は、もうすぐ出ます。…そのときには。……。たのしみですね」

静かに、歌うようにドードーがみなを諭すと。

 コンコンコン と。この機を待っていたようなノックの音が響いて。

「失礼しまーす。…ちょっと、お取り込み中でしたあ?」





77-10

部屋に入ってきたのは、やはり対策二課の絶滅種フレンズ、リョコウバトだった。

彼女は、フレンズ友のモアに小さく手を振りながら――

ドードーの前に、小さなメモリカードのケースを滑らせた。

「おつかれさま、リョーコちゃん。これは?」

「公安委員会と、東京地検の吐き捨てたガムですわ。…どっちも他人の幸せの味が。

 例の、内務省再建派の連中。警備二課のハンターたちの起訴は、あきらめる…

 ってネタです。まあ、もとから無理筋。初手から、しくじってましたしねえ」

外務と諜報担当のリョコウバトは、なにか上機嫌でさえずるように報告。

「二課のサボタージュをでっち上げるにしても、現場であの子たちが戦っている

 映像がネットに上げられまくってますしねえ。サイコンビの動画とか、素材に

 されまくって動画サイト、めっちゃ盛り上がってますし。泣けますよ、あれ」

「…なるほど。警備二課…ハンターは、前線に復帰しますか」

「勾留は解かれるでしょうけど、職務復帰はどうでしょうねえ。

 ほら、新手の装備保安部と縄張り争いになるんじゃないですか? その中で…

 うちら、新世紀がどうするかは――ヒラの私には、あいどんのー」





77-11

そこに、ポテチを食べたあとの指をなめていたサーベルタイガーが、

「…警備二課には、警視庁のOBが天下り…自衛隊の市ヶ谷組も、いる。

 タダでは潰されないと思っていたけど。この先はどうだろうね…」

「うちの会社、マスターたちはどっち側なんだろうねえ。…ねえ。

 ドードーさんは? 個人的には、どっちが生き残ると思います?」

「それは、警備二課と装備保安部、ということかしら。それとも……」

声は笑っていたが、その目は深い井戸のようで…ドードーは。

「ヒトと私たちと、セルリアン? …どちらにせよ、私はマスターのとし様と――」

少しだけ、ドードーの声に温かみが。恋する乙女の色香が混じった。

そこに。モニターを注視していた、情報処理担当のニホンカワウソが、

「…ドードー。広報二課、機動機材班のVTOL機「アルバトロス」四機。

 嘉手納での整備給油後、ジャパリパーク・キョウシュウ湾でに米安保軍の

 封鎖艦隊と合流――その後、キョウシュウ島に四機とも無事、到着…」

その報告に、ドードーが小さくうなずく。

「ありがとう。あのブリキ、直立歩行特殊車両は、無事にパークへ?」





77-12

「…はい。現地でアセンブリ・トレーラーと機材、人員を降ろしたようです。

 現地で、対策二課の…オオウミガラスと、マスターの丸出とも合流のもよう」

…よろしい。小さく言ったドードーは。

「あちらでも始まりますね。パークの支配者がどちらか、ひいては…

 この世界の支配者が、我々かセルリアンかを決める戦いが――

 超大型セルリアン“ツチノコ”撃滅作戦… アレが使い物になるといいのですが」

「…現地の、第二次調査隊の自衛隊員たち。これが最後の“任務”ですね」

「海自は“試301式”の戦術データが取れるからそれだけで損はしないでしょう」

他人事のように…事実、他人事ではあったが…話す彼女たちは。

「現地フレンズも応戦するって話ですけど。勝てますかね、ツチノコどもに」

「…タイリクオオカミが、あそこにはいる…! 若輩だが、あいつならきっと――」

「…ドードーさん。やっぱり、オオウミガラスさんをパークに送ったのは…」

「底意なんかなにもないわ。ナンバー2のあの子なら、きっとうまくやってくれる」

やはり、可愛い声で言ったドードーは、だが。

組んだ両手指の下のその口は細く釣り上がって、わらっていた…





77-13

同日。深夜。お台場からすると、東京の反対側――墨田区、押上。

冬の寒空の下、ライトアップされたスカイツリー。そのふもとでは…

平日の深夜、この厳寒の中ではライトアップに集まるカップルたちの姿も

ほとんど、みあたらない… 人影なく、無機質にがらんとした、そこに。

――あれはもう1年ほど前になるか。

特大型セルリアン“アメフラシ”を警備二課のハンター、そして市井の

フレンズ、コツメカワウソが追い詰めてとどめを刺したのが、ここ…

「おしなり船着き場」。そこに、男たちの黒い影が、あった。


「…ぅ、うう。いきなり殴られたお…」「…落ち着け、いつものことだ」

二人の男は。コートを着た長身の男。作業ジャンパーを着た小太りの男。

彼らは、総務省付き警備保安部の捜査班、矢羅宇と矢琉央は――

「クソが。アニマルどものネタ拾いにいつまでかけてんだ、ああ?」

二人の前には、革のジャンパーを着た体育会系の体格、風貌、そして…

体育会系の悪いところだけ煮詰めたような男が、一人。





77-14

その革ジャンは、装備保安部の機動班、その分隊長の谷岡だった。

矢羅宇たちの上役に当たるその男は…呼び出した捜査班の二人を、いきなり

殴りつけ…最近、すべてが上手く行かずに部下に当たり散らす機動班の隊長、

鮫島からのヤキ入れ、そのうっぷんをぶつけた、その男は。

「クソが。アニマル殴ってるだけで国家公務員の、楽な仕事だって言うから

 鮫島についてくりゃあ…もう装安の死者だけで10人以上だ、クソが。

 しかも、田所たちを殺したアニマルどもには逃げられるしよ…!」

谷岡は、苛立たしそうにツバを。わざと矢羅宇の靴にかかるように吐き、

また、涙目の矢琉央の頭を殴って。

「それで? てめえらが内偵していたアニマルどもはどうなんだ?

 クソが、もうちょっとでジャガーには逃げられたが…他は引っ張れそうか」

うつむいて、じっとしている矢羅宇は、谷岡のフレンズ違いを正すことも

せず、だが…もっていたタブレットに電源を入れ――

「内偵したフレンズさんたちは、四名。いずれも…シロですよ」

フレンズ、という単語、そしてシロ、に…谷岡が露骨に嫌な顔をし、





77-15

「はあ? シロ、だと? てめえら、ふざけてんのかクソが。殺すぞクソが。

 こっちはな、ハンターどもとくっついてたフレンズを引っ張る口実探しに

 てめえらを使ったんだぞ。アニマルどもの白黒なんて関係ねえ。

 引っ張る理由を探してこいって言ったんだぞ、聞こえてんのかクソオタが!」

今度は、矢羅宇が殴られ…矢琉央は、自分が殴られたときより涙目になる。

…だが。矢羅宇捜査員は――

「フレンズの、ジャガーさんは…警備二課の双葉とは接触している様子、無し。

 アルパカさんも、若屋参事官と連絡を取り合っていた形跡、無し。

 小料理屋「さど」のトキさん、「欧州屋」のユーラシアカワウソさんも無し。

 どのフレンズさんも…装備保安部が連行するに足る、容疑なし…ですよ」

ゆっくりと、だが。ここ1ヶ月ほどの彼らの調査。

矢羅宇と矢琉央、二人の捜査員の、フレンズ料理食べまくりの幾夜。

その結果を、毅然と話した矢羅宇に… 谷岡は、わかりやすく――キレた。

「てめえ…! ぶっ殺されてえのか、クソが! 話聞いてんのか、ああ!」

谷岡が、矢羅宇の胸ぐらをつかんだ、そこに。





77-16

「ま、まってくれお…! じ、じつは…田所たちを殺した…フレンズさんの!」

矢琉央が、すがりつくようにして。一封の角封筒を谷岡に差し出していた。

「ヒョウさん…! あの子の足取りは、隠れ家は突き止めたんだお…!」

「…矢琉央――」「矢羅宇は黙ってろお!」

谷岡は、ほう、と。その角封筒を受け取ろうと手を伸ばす。

封筒を開き、それを渡そうとした矢琉央は… オット、と手を滑らせ。

船着き場の乗り場、その床に中身の書類と写真をばらまいてしまう。

「馬鹿野郎、何してんだクソが。…こいつが、田所たちを殺しやがった……」

谷岡が、その書類と写真を拾おうと…矢羅宇たちに背を向け、しゃがみこんだ。

――その一瞬。

「…………!」「…………!!」

矢琉央と矢羅宇、二人の男たちの間に――視線が交差し、それは瞬時に一本の線に。

…そして。 ドガッ と二人のヤクザキックが谷岡の尻をこれでもかと蹴飛ばした。

「…っ、う、うわ!? わあああ……!!」

深夜の川面に、一瞬だけ白い飛沫がはじけて…谷岡は、暗い水面に飲み込まれた。





77-17

「…やった! やった、やってやったお!」「…ああ。やっちまったな。最高だろ」

二人の男が、人生最高の笑み、どんな射精よりもスッキリした顔をしているそこに…

「……! ぶ、ぶふ…あぶ、く、くそ…! なにしやがる、てめえらあああ!」

この船着き場のある十間川、その暗い川面でもがいて…

憤怒の形相の谷岡が、船着き場の床板にしがみつく。そこにはちょうど、矢琉央が

ばらまいたコピーのミス紙と、矢琉央と矢羅宇が プギャー しているプリクラの

プリントが、あった。

「ぶっ殺してやる…! クソが、このクソオタども…! ……ぐぶ!!」

だが。谷岡が這い上がろうとしたそこに。いわゆる、ユニゾン――

完全にシンクロした、矢羅宇と矢琉央の、二人のキックが。二人の靴底が最強の

攻撃となって、谷岡の顔面にクリーンヒットし…再び、男の体は暗い川面へ。

「…ぐ、が… ぶ、ぶぅ、ふ…! て、て、め…ぇえ……」

痛撃で這い上がる力を奪われた谷岡の体は、ゆっくりと冷たい、暗い川面を流れて…

そして…見えなくなって…いった。

船着き場の、二人の男は。ずっと溜まっていたような息を、吐いて。





77-18

「…やっぱりフレンズさんたちをいじめるなんて、俺たちにはできっこないんだお」

「…ああ、常識で考えて装安に入る前に気づくべきだったな。だが、これで――

 俺たちはそろってクビ、また二人そろって無職に逆戻りだ。常識で考えて、ヤバイ。

 かといって蔓野の所は、なあ」

二人は。そういう恋人たちのようにスカイツリーの下を歩き…

「…このままだと、人類全部セルリアンに呑まれちまうかもなあ。フレンズさんも…」

「そんなの嫌だお…俺、フレンズさんのためなら命をかけて戦うお」

「……なあ。矢琉央、おまえ。死んで…生まれ変わったら何になりたい?」

「……。俺は。もう、セルリアンでもいいからパークに生まれて、フレンズさんを

 見ながらキャッキャウフフしていたいお。…矢羅宇は?」

「……それ、良いな。俺も乗るぜその来世。…まあ、その前に次の職探しだな」

二人の男の後ろ姿は、東京の薄暗がりの中に、ゆっくり溶けて…消えていった。


生まれ変わることはできないよ だけど変わってはいけたなら…それでいいかなって。

「セルリアン大壊嘯」が全ての輪廻を断ち切って静寂をもたらすまで――あとあと207日……





78―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 彼氏にも妹に迷惑はかけたくない女やねん…」


厳冬の雪に閉ざされた北の大地、北海道、札幌。

市の郊外にある「国立北海道生物科学研究所」――もとは、北海道大学の

部外研究所として設立されたその研究所には、現在、新設された施設、

「セルリアン対策専門室」が…ある。

日本の南溟にとつじょとして出現したジャパリパーク、そしてフレンズたち。

そしてほぼ同時に世界を襲うようになった謎の怪物、セルリアン。

日本政府、そして学会は遥カコ教授の指揮のもと、フレンズたちと共同での

セルリアン対策を推進、際どいところで日本は、人類はセルリアン惨禍による

破滅を免れることが出来ていた。…そんな中――

ここ生物科学研究所の「セルリアン対策専門室」では、ノーベル賞受賞者でも

ある雷沼教授の指揮のもと、セルリアンの研究が続いていた。





78-2

「な……なんだってーーー!!」「やかましいぞ、基林くん」

セルリアン対策専門室で――いつもの。な会話が行き交い、そして。

「…カコ博士、ミライ博士たちの意見が聞いてみたいが…それは叶わんな」

「おふたりとも、現在はアメリカ。しかもカコ博士は、ある意味、日本を密出国

 してアメリカに渡っていますからね。しばらく、公には動けないでしょう」

研究所のトップ、雷沼教授。そして助手の基林研究員は…

二人は、高電圧のシールドで保護されたガラス管の奥を――セルリアンの正体を

突き止めるべく行われていた研究、その一つの結論を前にして…戦慄していた。

そのガラス管の中では…

下の方には、黒よりも黒い、闇色とでも言った雰囲気の漆黒の物質が滞留し…

その漆黒の粒子が、ガラス管の中で磁力と電磁波の放射を受けると、それは…

励起された黒い粒子は、舞い上がりながら黒から、しだいに輝く虹色に変化し…

そして。ガラス管の頂点で漂った輝く虹色は、出口を求めるように渦巻いたあと

次第に輝きを失って、ガラス管の別の部分を降下し…再び、漆黒の闇色へと…

――それを見つめる雷沼教授の目は… 絶望と、だが強い決意に満ちていた。





78-3

「なんということだ。…サンドスターを磁力と電磁波で励起すると、変性して

 サンドスター・ロウになるのは、実験で証明できていた。が…

 だが、この黒い物体はサンドスター・ロウなどと名付けるべきではなかった。

 これはセルリアンそのものだ…。サンドスターと、セルリリウムは同じ物質だ…」

「教授。つまりそれは――」

先ほどの興奮状態から一変して、冷製で理性的な風貌の基林研究員は、

「セルリアンと、フレンズは同じものということですね。同じ物質から…

 教授が命名した物質“セルリウム”の、基底状態の「黒」が変性させるのが

 セルリアン、励起状態の「虹」が編成させるのがフレンズ、ですね」

…言いにくいことを、ズバリ言ってのけた助手に。雷沼教授は、

「…ああ。しかもその“黒”と“虹”は、物質を酸化させる酸素のように

 変性させる“もの”を別々に、選んでいる。

 “黒”は無機物に…あまり使いたくない言葉だが「憑依」して、変性。

 それがセルリアンとなって、エネルギーを食い増殖、さらにはヒトを襲う。

 “虹”は、生命体や「意識」に憑依、それがフレンズになる…」





78-4

「…“黒”が憑依し生み出したセルリアンは、化学変化のように――

 エネルギーを求め、増殖します。ヒトやフレンズを襲うのは、その意識と記憶を

 奪うため、というのが…これまでの研究と犠牲者の臨床例から、明らかですね」

「…ああ。“黒”の行う化学変化は、明快で…だからこそ、対策もできる。

 …だが。“虹”の目的、変化の方向性はまだ…わからんな。

 フレンズたちが、ヒトに対して好意を抱き、滅私無償の奉仕を行う理由が――」

そこまで、悪夢を思い出すようにつぶやいていた雷沼教授は。ふと。

「……。ああ、君たちのいる前で、こんな話を…すまないね」

教授は、研究室の片隅、ソファのある方にいた二人の、小柄な人影に頭を下げる。

「いえ、おれっちたちのことならお気になさらずにー」

「ビーバー殿と自分は、ここでお茶とお菓子でくつろいでいるところであります」

その二人は、フレンズ。厚手のヤッケを、ダウンジャケットを来た彼女たちは、

北海道大学からここ、生物化学研究所から出向してきたフレンズ研究員、

アメリカビーバーとオグロプレーリードッグの二人であった。

彼女たちは、ちらと顔を見合わせ、うなずいたあと。





78-5

ビーバーとプレーリードッグは、教授たちの方へ進み、

「おれっちたちのフィールドワーク、ビーバーさんと採集してきた“それ”…

 お役に立てたみたいで、何よりっす。でも…

 あんまり、明るい…いい内容の結果じゃ、なかったみたいっすけど…」

ビーバーが、不安そうに…部屋の鍵をかけてきたか、ガスは止めてきたかを心配

しているような顔で、言葉を細くすると…その横で。

「自分たちが生け捕りにしてきた、有珠山火口にいた小型セルリアン、あいつは

 大丈夫でありましたか? “石”を潰さないようにするのが大変で…」

プレーリードッグが、ビーバーの腰にそっと手をおいて。励ますように言っていた。

その二人のフレンズに。雷沼教授は、孫でも見るような笑みで答える。

「ああ、ビーバーくんのいう通り… 人類、ヒトにとっては非常に悪い未来が

 見つかってしまったよ。…だが――このさい、ウミは出さねばならん」

「……。おれっちたち、フレンズとセルリアンが… 同じもの、ってことですか」

「うむ。だが、これは隠しておいてはならない、と私は信ずる。

 君たちフレンズは、世界が、あるいは神が…人に与えてくれた最後の希望だ」





78-6

教授は、1年ほど前の自分が――フレンズ否定派、排斥派だった自分が聞いたら

正気を疑うだろう言葉を、だが、まっすぐに言い放った。

「フレンズがセルリアンに対抗できるのは、もとが同じものだからだ。

 私はこれを全世界に公表し、そして…セルリアン対策のため、今こそ――

 ヒトとフレンズは、正式に手を取り合い、公平な立場で…そう。

 同盟者として、朋友として、この世界で共に生きるべきなのだと…

 君たちフレンズとその友愛は、我々に残された最後の希望なのだと宣言する…!」

力説する雷沼教授が、檻の中のオオカミのように行き来する、その横で。

ビーバーとプレーリーは、小さく、その手指を絡み合わせてつないでいた。

「…我々人類をセルリアン惨禍から救ってくれた、そしてこの私の目を塞いでいた

 黒い蒙昧の霧を晴らしてくれた女神、カコ博士。

 今は、身動きできない彼女に変わって…私は、やってみせるぞ。君たち。

 私は真実を公表して、弾圧を受けようとしているフレンズたちを、必ず…!」

その熱弁する教授の横で。冷静な基林研究員は、

「しかし教授。教授のその意志は…今の政府方針とは真っ向から衝突するのでは?」





78-7

「政府は、フレンズたちを法務省、そして総務省外局の完全な管理下に――

 つまり強制収容して、一種の武器として“資源化”する方針ですよ。

 教授の宣言、ヒトとフレンズの同盟、共生は… 受け入れられないどころか、

 弾圧すら受ける可能性が。ノーベル賞受賞の経歴にも傷がつくかもしれません」

「そんなことはわかっとる。実際、脅迫まがいの連絡など何度来たかしれん。

 だが、私はやるぞ。基林くん。ビーバーくん、プレーリーくん。

 カコ博士のかわりに、私が殉教者となってでも、この真実を公開する!」

その雷沼教授のかたわらで。小さく、だが不敵な笑みを浮かべた助手は。

「わかりました。お供しますよ、教授。…隠されていた、真実――

 きっとこの裏には、“あの男”の存在がある…! ノストラダムス…!」

「……。それはいいから。だが、基林くん。問題は――」

「ええ、問題は…どの“真実”から公開してゆくか、ですね」

二人の研究者は――

“セルリウム”と、それから編成した“サンドスター”が渦巻く実験装置を、

そして…別の装置を、見る。そこには…





78-8

「…それが、自分たちが生け捕りにしてきたセルリアンでありますか」

プレーリーたちの目が、ガラスケースの中、硬化ケラチンのビスで固定された

黒い物体に…どこか、藍を思わせる、虹の青の部分だけをそこに染めたような

物体が…あった。それは、時おり蠢いて…そして。

「うむ。小型とはいえ、セルリアンを捕獲できたのは僥倖だった。しかし…

 まさか、日本の活火山の火口から“セルリウム”を採集できてしまうとは。

 …汚染されていたのはパークだけでなく、この地球全体なのか――」

教授は、ケースの中でうごめくセルリアンに…不気味な、何の感情も映していない

単眼と、そして“石”、いわゆるコアを露出させている怪物に…

そのコアに幾本もの電極が、光センサーが向けられているセルリアンに目を向ける。

「…この飢えしか知らぬ怪物ども。セルリアンの、目的か――」

「ええ、教授。現状、仮説でしかありませんが…しかし、他に考えようがない」

基林は、ボード、モニターを見ながら…

「セルリアンは、熱源、地場、電磁波などのエネルギーに誘引され、同化、

 捕食行動をして巨大化、分裂、変性してゆく…ここまでは、わかっていました」





78-9

基林が、装置の一部を操作すると…捕獲されているセルリアンの“石”が、

ここだけは生き物のように…ブルっと、震えた。

「セルリアンが、エネルギー源の他に、ヒトやフレンズ、生物を襲う理由――

 それは、セルリアン、いえ、“セルリウム”自体の性質にあったのです」

基林の冷静な声に、ぶるっと唇を震わせ…ビーバーが、

「セルリアンが、ヒトや、おれっちたちを食う理由?」

「ええ。ヒトがセルリアンに襲われると… 最近は、肉体まで侵食、融解されて

 物理的に殺傷されますが… 基本、意識と記憶を奪われて――抜けがらの

 ようにされて、植物人間…たいていは、そのまま死亡します。

 フレンズの場合は、サンドスターと意識を奪われ…元の動物に、もどされる」

「…つまり。フレンズたちは、自分たちの想いや思い出を食うのでありますね」

「そう。このセルリアンで実験したが――

 熱源と、音声データをもとにした電磁波を同時に照射した場合は、音声データの

 方に強く引き付けられることが判明したよ、しかも、だ…」

基林は、ボードのプリントを二人のフレンズに見せる。





78-10

「熱源などのエネルギーを食ったセルリアンは、肥大化するだけだが――

 音声などのデータや、そしてこれは実験できないが…ヒトの記憶を食った

 セルリアンは… そのデータ、記憶を…このコアに蓄積している、ようだ。

 しかも、計測すると… そのデータを、このコアの中で…

 なんというのかな。デフラグして、繰り返し再生してる…

 ――そうとしか思えない、微細電流の流れが計測されているんだ」

…つまり。それまで沈黙していた教授が、重い声で言った。

「セルリアンの目的は、人類や生物を滅ぼすことではなく――

 もしかしたら、この地球の生きとし生けるもの、そして生み出された様々の

 環境、ヒトが作り出したモノ、文明…

 その全てを「保存」しようとしているのでは、ないか…」

「その過程で、保存された我々は抜け殻になって絶滅する…!! わけですが」

「……。えっ、ちょっと待ってください、それって、もしかしたら」

ビーバーが、不安そうに指をかみながら…言った。

「セルリアンに食われたら。…それ以降は、セルリアンの中で生き続ける…?」





78-11

「…!! そんな、バカな! 自分はそんなの、まっぴらごめんであります!!」

「まあ、現状それを確かめるには、セルリアンに食われてみるしか無いね。

 それを論ずるのは、死後の世界を…天国や地獄を論ずるのと同じ、だね。

 だが、セルリアンの存在のせいで…「あの世」のようなものがあると――

 SFで語られていた、データ化されて生きる永遠、の実在が現実味を帯びてきた。

 …セルリアンの中が、天国か地獄かは―― わからないけどね」

そこまで語って、肩をすくめた基林は。

「それで博士。どこから公表なさるおつもりです?

 “セルリウム”の存在と、セルリアンとフレンズの関係か、それとも。

 セルリアンの行動原理と、あるかもしれない「永遠の世界」――

 後者の場合は、例のカルト集団。…そろそろ破防法適応すべきな。

 「真理融解派」…エターナルブリスとかいう、あの連中…」

「…セルリアンは、破滅に向かう世界に現れた救世主、っていうアレっすね。

 セルリアンに呑まれると、初めて永遠の、何の苦しみもない世界にいけるって」

「…自分も聞いたことがあります。生還したセルリアン犠牲者が、教祖の」





78-12

「うん。そのカルト集団さ。次の参議院選挙に、候補をごっそり送り込む、ね。

 ――教授、我々の発表は… あのカルト教団に武器を与えかねませんよ」

「わかっておる。公表は段階的に行う、べきだが… 問題は、だ。

 それまで、政府が私を放っておいてくれるとも――」

雷沼教授が、そこまで言ったときだった。

 リロリロリロ… と。ラボの、内線電話が呼び出し音を立てて、そして。

 ?? 三度、呼び出し音が鳴って。それを取ろうと基林が振り向いたところで、

内線電話は沈黙してしまった。…ミスを詫びる、折返しもなかった。

「……。教授――」「……。うむ、思ったよりも早かったな」

二人の男が、頷きあい、そして。すばやく、動き出す。

――まるで、何かが起きるのをわかっていて、予め用意していたように。

雷沼教授と、基林助手は動いて、何かの持ち出し用のトランクを引っ張り出し。

基林はパソコンに「不慮の死.exe」なるものを起動させ、そして。

「ビーバーさん、プレーリーさん! その実験用セルリアンの破砕を!」

基林の鋭い声に、ビーバーはビクッと固まったが…





78-13

「…御免!であります!!」

プレールードッグの拳が、ガラスのケースの天板ごと固定されていたセルリアンの

“石”を打ち砕いて――セルリアンは瞬時に、虹色に、粒子になって消失した。

教授と基林がデータの詰まったトランク、ノートケースを持った…そこに。

 ドカッ、と。ラボの扉が蹴倒すようにして開かれ、

「…動くな!! 全員、動くな!! 装備保安部だ!」

「…! 容疑のアニマル二体、発見!確保! ロックをもってこい、急げ!」

黒尽くめの装備に身を固めた、見慣れない男たちの集団が――

ポリカボネートの楯、黒のプロテクトアーマー、ヘルメット。

そして、日本国内なのにむき出しの短機関銃の銃口、さらには対セルリアン用の

スタンガン――フレンズ制圧用にも使われる、放電銃を持った…戦闘部隊。

「総務省、装備保安部だ! アニマルども、動くな! 発砲許可は出ている!」

その黒尽くめの男たちに… ビーバーは紙のように青くなって震え、そして。

「なんでありますか、おまえたちは!? ごんぼ掘ってると許さんであります!」

怒りで髪の毛を逆立てたプレーリーが、真っ白い牙を向いていた。





78-14

…逃亡の意志なし、と。あきらめたようにトランクを起き、小さく手を動かし

プレーリーを抑えた雷沼教授が…だが、毅然とした声で。

「装備保安部? わざわざ東京から、札幌まで来たのかね、君たち。

 …それで? うちの研究員たちを連行する、だと? 礼状はあるのかね」

「やかましい、じじい! アニマル相手に礼状なんぞいるかよ!」

罵声を吐き捨てた装安の男たち、その中央にいた分隊長らしき男が。

「雷沼教授ですね。…あなたには、北海道大学から逃亡していたアニマルを

 隠匿…法令に違反した容疑があります。任意でのご同行、お願いします」

青くなって震えていたビーバーが、涙のにじむ声で、

「そんな、逃亡だなんて…! おれっちたちは、教授の依頼で…

 有珠山と大雪山の火口で、フィールドワークをしてただけっすよ…」

「…ビーバーくん。すまない。どうやら、君たちは――私を連行するための

 だしにされてしまったようだね。…ふん、そういうことか」

教授は、彼らを狙う銃口にも全くひるまず…前に、出る。

「任意同行か、笑わせるな。どこの差金か…おおかた、学会の腐肉どもか」





78-15

その教授に、装安の分隊長は薄ら笑いを浮かべ…

「あなたに危害を加えるつもりは、我々にも“上”にもありませんよ。

 ただ…学者は学者らしく、毒にも薬にもならない事をわめいていればいい。

 いまさら――排斥派のあなたに、アニマルの味方をされては困るんですよ」

「…ふん。今は、つまらん政争や派閥争いなどしている場合ではないぞ。

 せっかく、カコ博士が救ってくれた絶滅のフチへ――

 自分たちから飛び込むつもりか、この痴れ者どもが」

全く気圧されてない雷沼教授の言葉に、装安の男たちは苛立たしそうに銃口を

うごめかせ…ヒソヒソ、何事かを相談していた。そして、

「…教授。あなた方には違法行為アニマルを隠匿した容疑がある――

 われわれ装安は、アニマル犯罪に関しての逮捕権がありますからねえ。

 …おとなしくしておけば、ワッパかけられずに済んだものを。…おい」

分隊長の合図で、人間用の手錠を持った隊員、そしてフレンズ拘束用の

禍々しい手かせをもった隊員たちが前に出る…と。

 カアッ! と。プレーリードッグが瞳から虹をこぼし、爪と牙をむく。





78-16

「何をするでありますか! ビーバー殿に、教授たちに指一本でも触れたら――

 お前ら全員、坑(あなうめ)にしてやるであります!!」

憤怒したフレンズの形相に、装安の男たちは一瞬、気圧されてしまい。

そして、怒りでそれを押しのけて…スタンガンの銃口がいくつも、ビーバーと

プレーリードッグを狙っていた。

「…クソメスどもが! かまわん、発砲して半殺しにしろ。ワッパはそれからだ」

ツバ吐くようにして分隊長が部下に指示を飛ばす。

…その、即発の危機の中で――

…はあああ…… と。雷沼教授が天を仰ぐような、苦悩のため息を吐いて。

「…しかたがない。もはや、これまで。…これだけは、したくなかったが――」

教授は、それまで沈黙して事態を見守っていた助手、基林研究員を見…

「…基林くん。実はな……」「……。はい、教授?」

「……人類は―― 絶滅する!!」 雷沼教授の、突然の宣言に。

「…… な……なんだってーーー!!」

基林研究員の周囲に、とつじょ…白と黒の雷鳴が、走った。





78-17

「…おのれ、ノストラダムス!! いったいあなたは…何度、俺たちの前に

 たちふさがるというのかーーーーーーッ!!」

基林研究員は、突然…別人のようになって咆哮し、その体も、髪も膨れ上がった。

「!? な、な…? なんだ、こいつ!? お、おい、勝手に動くな…!」

装安の隊員たちは、半ばこわごわと警棒を基林に突き出す、が…

 ぶわっ! と。基林の手が打ち払われると。

「わ、わあああ!?」 数人の装安隊員が、重装備ごと吹き飛ばされていた。

「な、なんだこいつ!?」「き… ○○○か…! う、うぎゃ!」

基林を抑えようとした隊員たちは、基林の振るう手に触れただけで飛ばされ…

「教授!! こうしてはいられません! 人類を救うチャンスは――

 いますぐ、NASAに向かいましょう!!」

「なんで? …まあ、いい…」

助手の性格、というか性質を知っていて…そしてそれを利用してしまった教授は。

「基林くん! いま、公安の手に落ちるわけにはいかんぞ! 真実を…!」

「はい!! おのれ、さてはお前たちイルミナティ陰謀派の刺客だな!?」





78-19

 …は?? 装安の隊員たちが、見に覚えのない、意味不明の誹謗に…

たじろぎ、頭上に ?? を出してしまった、そこに――

「俺たちの欲しいのは正義じゃない、真実だ!! ……それを邪魔する輩は!!」

――男が、人生を渡ってゆくのに心強い武器となる…「勢い」。

それを、常人の数百倍のパワーで放射し活動する基林は…

「…!? う、うわ、わ…!? わああああああ…………!!」

十人ほどいたいた装安の隊員たちを、まとめて。ホコリゴミか何かのようにまとめ、

ラボの窓際に勢いで押し込め、そして。開いた窓から――

 うわあああ!? …と。5階の窓から、下の雪溜まりにまとめて捨てられた

装安の男たちの悲鳴がふくれあがって…消えた。

…突然。本当にとつぜん、突如として――

ガランとしてしまったラボの中、押し込んできた悪意の男たちが一掃された部屋で。

「……。基林くん、よくやった。さて……」

「急ぎましょう、教授! ビーバーくんたちも、早く! ここにいては危ない!」

まだ、勢いが余っている基林に連れられ…一同は、この場を逃げ出した。





78-20

冷たい暗闇が染める夕刻の駐車場に、教授と助手、二人のフレンズが急ぐ。

「…研究データは持ち出せた、機材とパソコンの処分は…大丈夫かね、基林くん」

「はい。こんな事もあろうと。マシン、nas、クラウド、全データは処分しました」

基林は、完全な冬装備のプジョーの5008へみなを連れてゆく。

「…基林くん。さっきはすまん。…本当に、君をラボに置いておいてよかった」

「なんのことです? さあ、プレーリーくんたちは後ろへ。すぐに暖房がきくから」

「…それはそうと。研究所まで、東京の公安が来たということは…

 下手に駅、空港などにいったりすると連中の手に落ちる、か。さて…」

「それでしたらご安心を。日本政府の手が出しづらい、私の古い友人に助けてもらいます」

「古い友人? まさか…外国の?」

「ええ、在札幌フランス名誉領事館に。僕は、彼の国の騎士勲章を授与されていて――」

基林は、携帯を操作してから。車のエンジンを始動させた…


街を歩けば 心も軽く 誰かに会える気がするよ この道で… すてきなあなたに。

「セルリアン大壊嘯」が欺瞞も真実も、虚栄も友愛も、すべて呑むまで――あと200日……





79―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 都内の一見でも入れるネカフェに詳しい女やねん…」


アメリカ、マサチューセッツ州ケンブリッジ。其処には合衆国の誇る学府、

MTIことマサチューセッツ工科大学が、その広大なキャンパスがある。

アメリカ、そして世界的なフレンズそしてセルリアンの研究機関がある

MITの学部施設、その一角では、その日…

「…貴女にお会いできて光栄です、プロフェッサー。ミス・ハルカ」

フレンズ研究のラボ、明るい、そして歴史ある図書室のようなその一角には、

筋肉質で凛々しい体躯をカーキ色の軍装、海兵隊勤務服を着こなしたその男、

アメリカ軍海兵隊、ムート曹長は少し緊張しながらも…

眼の前の小柄な、アジア人の若い女性に――握手の手を差し出し、その手を取る。

その女性、研究用の白衣、年のわりには地味なセーターとスラックス姿の彼女は、

だが…フレンズマニアのムート曹長すら、ギクッとさせるほどのその大美人は――




MIt

79-2

「こちらこそ。パークからお戻りになったばかりの、海兵隊の方に…

 今の、あの危険なパークで犠牲者を一人も出さず無事に帰還なさった

 第二次調査チーム、その海兵隊のリーダーの方と会えて光栄です」

たぶん、大きな白いユリの花が言葉を話したら、こんな声のはずだろう。

見事な英語でムート曹長に挨拶し、小さな手ながら海兵隊員とガシリコと握手した

その女性、日本人の遥カコ。カコ博士といったほうが世間、世界ではよく通じる。

フレンズ研究の第一人者で、同時にセルリアン研究、セルリアン対策の

先鋭であり、ヒトの文明とその武器が全く通用しなかった怪物、セルリアンの

惨禍から際どいところで世界を、人類を救った、文字通りの女神である。

…だが、その彼女は――

昨年、日本での立場が急速に悪化。研究資金の流用や着服の疑惑をかけられ、

もちろんそれは全て誹謗中傷、謂れなき罪であったが…日本政府は、学会は

カコ博士を守ろうとはしなかった。それどころか、日本政府の深く黒い場所で

動いていた“何か”の生贄に、カコ博士を差し出そうとすら、していた。

そんなカコ博士が囚われる寸前に…博士は、忽然と日本から姿を、消していた。




かこ

79-3

東京地検、そして日本政府、さらには総務省が新設した装備保安部の魔手も

カコ博士を探しまわったが…博士の行方は、ようとして知れなかった。

――そのカコ博士は。日本から姿を消した博士は…

どのようにしてか。どんな手段を使ったのか。日本からの出国記録もないまま、

アメリカ、マサチューセッツ州のMITに。居た。

カコ博士の同志で、親戚でもあるフレンズ研究の第一人者、遥ミライ博士が

ちょうど研究に参加していたMITのラボに、カコ博士は…

 ――その日、とつぜん。本当に忽然と、現れて…いた。

それから、1年近くが経とうとしていたその日。

カコ博士のラボに、死地のパークから生還したムート曹長が訪ねてきていた。


「…私たちがパークから撤退するときも、セルリアンの凶暴化と増大は止まる

 気配がありませんでした。…あんな危険な場所から、よくご無事で――」

「部下たちがよくやってくれました。それに、私たちが無事で戻れたのは…」

ムート曹長は、カコ博士に進められた椅子に腰掛け…思い出すように、ため息。




ゆうえんち

79-4

「海兵隊チームが無事だったのは、全員生還できたのは日本の自衛隊チームの、

 トカシキたちの協力があったから、そして…

 フレンズたちが、神よりも深い慈愛とその力で我々を守ってくれたからです」

ムート曹長は、彼の前にコーヒーのマグカップを運んできてくれた研究員の男に

お礼を…して。その研究員の巨躯と、海兵隊員の彼を唸らせるほどの筋骨逞しい

その体にハッとする。…それをごまかすように、コーヒーを啜り…

「…日本から来てくれた、タイリクオオカミさんにはどれほど助けられたか。

 そして、キョウシュウのテーマパークを守護っていた、あの美しい女王――

 オオアリクイ、あのクィーンとその仲間たちは…私たちの恩人です」

パークの「ゆうえんち」を、ヒトが去ってからも守り続けていたフレンズの女王、

オオアリクイの名前を口にしたムートの目に、かすかな憧憬と憂いが揺れた。

その彼に、巨漢の研究員から愛用のカップを手渡されたカコ博士が。

…その、研究者とは思えない戦士の体格をした男に、カコ博士が向けた甘い瞳と、

小さなお礼の言葉、そして微かに触れ合った手が…

この二人が、もはや他人ではないと物語って、いた。





79-5

(…デカイな。2メートル超えてるぞ、この男…しかも、たしかこのマッチョ――

 カコ博士と同じ元パークの研究者、機械工学の專門で合衆国の計画にも…)

(…超巨大セルリアンに対抗する巨大兵器、イェーガーの開発と試作機の完成が

 5年早まったのは、2020年には実用化できるのはこの男が来たからと聞く…)

ムートは、天から二物どころかピラミッドの頂上石くらいあるモノを与えられて

いる、そのカップルを見ながら…少女のようにも見えるカコ博士の美貌、その下の…

昔のプレイガールでもめったにいない、メロンをふたつ隠しているような美爆乳に

視線誘導されそうになってしまい…窓の外に遠い目をやって。

「女王は、オオアリクイと仲間のフレンズさんたちはみな、博士に会いたがって

 いましたよ。また博士に、スタッフのみんなに、ヒトに会える日を――」

カコ博士は、少しさびしげな笑みをうかべ、

「ええ、今の私の願いの一つ、ですね。…再び、あのパークに…

 そして今度こそ、ヒトとフレンズ、そして可能ならば……」

ふと、言葉を飲んだカコ博士は。傍らで彼女を守護るように立つ巨漢と小さく

ほほ笑みあってから…ムートに言った。





79-6

「ヒトとフレンズ、そして。セルリアンが、ともに生きられる世界を作れれば…と。

 すみません、今のは…これは、ここだけのお話にしてくださいね」

「……。ええ、少し驚きましたが。はい、お約束します。

 しかし、セルリアンと…あの怪物と、共生?ですか。そんなことが…」

「もちろん、現状では夢物語、不可能です。現にセルリアンは日々凶暴化、そして

 狡猾になって…ヒトと、この世界を飲み込もうとしています。でも…」

カコ博士は、テーブルにあったボードを、何かの書類が数枚挟まれたそれを見、

「…セルリアンの“目的”がわかれば。そしてサンドスターの“正体”と“意思”

 そして、フレンズとセルリアンの共通点が、もっと判明すれば――

 セルリアンとの対話、共生も不可能ではないと…私は信じています」

…ムート曹長は。眼の前で、歌うように話すその美しい女に。

…だが。ハッとして我を取り戻す。

…あの危険な、おぞましい人食いの怪物と、対話? しかもフレンズのように共生?

カコ博士は、狂気の沙汰を口にしていたが、だが…なぜだろう。

彼女の口から出ると、それは素晴らしい、たったひとつの冴えたやりかたのようで――





79-7

「…日本の、北海道で研究していたProf.ライヌマが、研究データを私に送って

 くれました。…それをもとに――私は、次の研究に取り掛かるつもりです。

 もちろん、私をこうして匿ってくれている、合衆国からの依頼が先ですが」

やはり少女のように笑ったカコ博士は、ムートと同じように窓の外を見る。

…こんな美人と同じ空を見ている、そして真横にはゴリラを子供扱いしそうな

男がいる―― …気まずくなったムート曹長は、

「…そういえば、カコ博士。もし差し支えなければ。

 どのようにして、日本からこの合衆国へ、MITのラボへ突然、ワープしたのか?

 そのヒミツをお聞かせ願えませんか? 私に話して問題ないことでしたら…」

カコ博士はその問いかけに、困ったような笑みを。そしてまたあの巨漢と視線を

交わしてから…恥ずかしげに、

「…ええ。実は…私も、よくわかってないのですけれど――

 合衆国政府と捜査局の方、MITの皆さんには、もうお話したのですが…」

カコ博士は、手に持ったボードの紙、その余白にペンでスラスラと何かを…

簡単な、だが特徴をはっきり捉えたフレンズの絵を、描いて見せて。





79-8

「…? 可愛らしい。博士、そのフレンズは…ペンギン、ですか」

ええ、と答えたカコ博士は。何かを思い出すようにしながら…

「あの日、私は彼と研究室にいて。…東京地検の、特捜部の方々が任意でお話を

 聞きに来るということで――データの整理と、いろいろ身支度をしていたんです。

 …彼は、逃げるべきだって言ってくれたんですが。

 でも、私はなにも悪事などしていません。身の潔白をきっとわかってもらえると…」

そのカコ博士の横で、やれやれ、というふうにあの巨漢が肩をすくめていた。

「そうしたら。地検の方が来る直前に、ずっと研究所から居なくなっていた…

 脱走していたフレンズの子が、ひょっこり現れたんです。それが、この…

 ――私の研究していた、絶滅種フレンズの再生。その、成功第一号…

 ジャイアントペンギンさんが、どこからかひょこり、研究室に現れたんです」

カコ博士は、慈愛あふれる目を細めて、自分の描いたフレンズ。

遥か太古の時代に滅び、化石の骨片しかなかったジャイアントペンギン、

そのフレンズの絵に触れ。

「…あの子。いっつも、研究所を抜け出すクセがあって。どうやってか…」





79-9

「IDが無いと出られない電磁ロックも抜け出して、いつもどこかへ――

 その子がいきなり戻ってきて、にししって笑って。言ったんです。

 『まだ博士には生きててもらわないと。ちょっとミドリさんとこ、いこーか』

 って。私が訳がわからないでいると、あの子…」

カコ博士は、ペンギンの絵の周囲に小さな花丸をいくつも書き足しながら、

「あの子、ジャイアントペンギンさんが、毛皮の下から何か銀色をした鍵みたいな

 ものを出した、と思ったら。…いきなり、研究室の中にピンク色をした大きな…

 …ドア、ですね。扉だけが、ぽん!って出現して。…ごめんなさい…

 …冗談みたいですけど、私と彼、それを通って…日本から、このMITのラボ、に」

「……。い、いえ、大丈夫です。聞いています、信じています。し、しかし…

 そ、それは。いわゆる、フレンズの能力、サンドスターの奇跡とか…?」

「いえ、そんな能力、観測されていませんでした。でも…

 ジャイアントさんが、そのドアを開けたら――」

そこまで言った博士は、急になにか思い出したように肩を小さく震わせた。

その細い肩に、巨漢の大きな手がそっと置かれる。





79-10

…だが。その巨漢の目にも、何か…動揺じみた色が揺れているのを、ムートは見て。

「…そのピンクのドアの向こうに、その…宇宙、っていうか…暗闇というか…

 虹色をした銀河みたいな、泡みたいな、何かが見えていて――

 そうしたらジャイアントさんが、毛皮の下からガラスの瓶を出したんです。

 『博士たちはこれ飲んだほうがいいね。せっかくの脳みそがSAN値ピンチだよう』

 …って。わけが分からなかったけど、私は金色をしたそれを飲んで――

 …甘い、はちみつのお酒だったと思います。…そうしたら、ふわっとして。

 …気づいたら、彼といっしょにこのMITのラボに居て。

 …ちょうど、ミライがそこに居て。ものすごく驚かれましたけど…お話して。

 …あ…、たしか。ねえ、Darling……」

最後は、小さくこっそり言って男に問いかけたカコ博士は、

「あなたは、ワケワカランもの飲めるか! ってあのお酒飲まなかったでしょう?

 あのピンクのドア、何だったの? 扉の向こうのあれは、いったい……」

 ――シラなイほうがイい……

巨漢は、だが。何かの感情に耐えている顔の男は、ぎこちなく…言った。





79-11

カコ博士は、もう何度もしたその話を。相手も、自分も信じられないその内容を

語り終えると…先ほど、自分の描いたジャイアントペンギンの絵、その傍らに

“触媒-catalyst”と書いた。

「…? カコ博士、それは? そのペンギンのフレンズが、触媒…ですか?」

「ええ。ジャイアントペンギンさんは、絶滅種フレンズの再生第一号、なんです。

 …それでは、いくら実験しても――絶滅種は、もう滅びていて地球上に個体が

 いない動物は、フレンズ化しなかった…

 それが、ある日突然。ジャイアントペンギンの実験が成功したんです。

 そうしたら… ――ごめんなさい、たとえ話っていうか。

 オカルトですけど、百匹目の猿、とか、グリセリンの結晶化、のお話みたいに」

カコ博士は、ペンギンの絵の横に…オオカミ、ドードー、剣歯虎。それらの

絶滅種の簡単な絵を描き、ならべてゆく。

「ジャイアントさんのフレンズ化が成功したら、それからは――

 他の絶滅種の子も、次々と再生に成功したんです。それは今も続いています。

 だから、私はあのジャンアントさんを“触媒”だと思っているんです」





79-12

ムート曹長はうなずきながら、あの日々を――

パークに上陸した、危険な任務の日々を…思い出す。その記憶の中でも鮮烈な、

日本企業の絶滅種フレンズ、オオウミガラスの凄まじい能力を、あの光のない

すみれ色の瞳を思い出して、そして。

「……。なるほど、そうだったのですか。日本では、企業が絶滅種フレンズを

 抱えているという話ですね。このアメリカにも…対セルリアンの主力、

 ビッグマム、ライオンのチームに先日、絶滅種フレンズを二人、増援に…」

「ええ、オーロックスさんとアラビアオリックスさんですね。

 あのお二人、ライオンさんと気も合うようですし、きっといいチームに――」

「…しかし、フレンズとは不思議なものですね。

 それまでダメだったのが、一人が成功するとその後は普通に続く、とは…」

「フレンズには、そういう側面…“触媒”的な子がいるのも、確かです。

 …実は、パークの島々が出現して。私たちヒトが最初に上陸したときは…

 フレンズの子たちは、ヒトを怖がって、逃げてしまっっていたんですよ」

「ほう。そうだったのですか。……それが今は――と、いうことは」





79-13

「ええ。今日はちょうど、席を外してしまっていますけど…

 このラボのチーフ、Dr.ミライ。ミライ、あの子が最初に、フレンズの一人、

 サーバルキャットさんと接触、意思の疎通に成功したんです。

 彼女がサーバルと友だちになったら、そのあとはすぐにフレンズさんたちは

 友好的になって――あのサーバルも“触媒”だったのだと思います…」

「なるほど。ミライ博士が居なかったら、失敗していたら…

 われわれ人類はフレンズの援護を得られず、もうセルリアンに滅ぼされて――」

ムートがそこまで言ったときだった。

研究所のドアがノックされると、ドアが開いて。部屋の中に、活気あるブーツの

足音が小走りに進んできていた。その足音は、陽気な声に取って代わる。

「こんにちはー! カコ博士! 待ちきれなくって来ちゃった、めんごメンゴ」

部屋に入ってきたのは、一人のフレンズ。豊かな、たてがみの髪の毛を揺らし、

その下の、米国の青少年たちを日々、精通させ夢に見せている美しくも豊満な胸、

引き締まった体が…米陸軍の野戦服では隠せない、そのオンナそのものの体が。

フレンズ、ライオンが眩しいほどの笑みといっしょに現れていた。





79-14

ライオンは、子供のようにブンブン手を降って――

だが、客人のムート曹長とその軍服に気づくと、一瞬で雰囲気を凛々しくさせ、

ブーツのかかとを合わせ、ムートに敬礼を送る。

ムートも立ち上がり、それに敬礼を返す。

…アメリカ人なら誰でも知っている、子どもたちのヒーロー。

アメリカの危機、セルリアン災害を何度もその拳、その爪、その牙で打ち砕いた

米国陸軍のフレンズ、ライオン…だった。

そのライオンは…敬礼を戻すと、ニッと眩しい笑みに戻り、

「カコ博士、ジャマじゃあない? ねえ、昨日の検査結果…それだけ聞かせて、ね」

そのライオンに、にっこりほほ笑んだカコ博士は…だが。

さびしそうな目になって、デスクにあった別の書類を取って…ライオンに言った。

「…ごめんなさい。判定は…残念だったけど、今度も…」

「……えー。そっか、そっかあ。そっかー、今度こそ出来たと思ったんだけどなあ」

ライオンは、その大きな胸を両腕で持ち上げるようにしながら、失意の声を漏らす。

ムート曹長は、気まずく咳払いをして…





79-15

「…その。自分は、もう席を外したほうが…?」

そのムート曹長に、ライオンは。

「あ、だいじょーぶ大丈夫。ねえ、カコ博士。プライベートだけど、ま。イナフ」

「…ええ、ごめんなさい曹長。毎月、任意でフレンズさんたちの…

 お相手の、その…彼氏、の、旦那様がいるフレンズさんの、妊娠検査をしていて…」

「なるほど。失礼を―― …そうでしたか、ヒトとフレンズの、ベイビーの…」

言葉を濁したムートに、あっさり元気を取り戻したライオンが明るく言う。

「そうなんだよー。私、ダーリンとの赤ちゃん、欲しいんだー。すっごく欲しい。

 で、毎晩頑張って。今週は排卵だったし、今度こそ!って思ったんだけどなー」

あっけらかんとしたライオンに、赤くなったカコ博士が、

「…尿検査は陽性だったの。だから、その…受精と、着床は…しているはずなの。

 それは研究でもわかっている、けど――その先が、進まないようなのよ…」

「そっかー。あれかな、オーロックスやオリックスが言うみたく、もっと野菜を

 食べないとダメなのかなー。あー、気が進まない。でも、赤ちゃんのためかー」

「ええ、また来月頑張りましょうね。きっといつかは…」





79-16

ライオンは、嬉しそうに何度もうなずくと。その手を、まだ見ぬ赤子を抱くような形に

して…優しく目を閉じた。

「…あのひとの、赤ちゃん欲しい。ダーリンそっくりの、赤ちゃん…きっと同じ黒髪で、

 やんちゃで、だらしないけどやさしくって… あの人の赤ちゃん、私産むんだ。

 …みんなより先に、他のフレンズより先に… 私が最初に、ヒトの赤ちゃんを……」

「きっと、大丈夫。…うふふ、あなたが妊娠したらアメリカ中で大ニュースね」

「あー、でもそうしたらセルリアン任務できなくなっちゃうかなー、大変だねえ」

ライオンがコロコロ笑う横で、ムート曹長は、ふと…

「…博士、すみません。もしかしたら―― フレンズの妊娠にも“触媒”が…?」

その言葉に、カコ博士は。また、あの背高の恋人と視線を交わしてから…言った。

「ええ。私も、そう思います。…世界のどこかで――

 フレンズとヒトの恋人が愛し合って、その結晶が身ごもる日が来たら、それが……」


いつでも誰かがきっとそばにいる 思い出しておくれ…きっと誰かがいたはず…

「セルリアン大壊嘯」が愛の歴史の始まりを許さず、全てを無に帰すまで――あと193日……





80-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今フレンズいち… 街中が甘ったるい雰囲気の夜に、一人でカサコソ

 隠れて逃げ回ってるうちになんかもうイヤになってきてしもうて… でも。

 絶対、本間くんに…大好きな彼氏に、もう一度会うんや!ってハラを決めて、

 この東京の寒空の下で今夜寝泊まりするネカフェの目星をつけていたら、

 どうやって調べたのか、妹のクロちゃんから、うちの虎の子のガラケのいっこに

 電話が入って、えらいビックリしたけど、久しぶりにクロちゃんと話して…

 お互い無事なのを確かめあってから、うち、うれしくって。

 クロちゃんはうちを迎えに来てくれる、匿ってくれるって言うてくれたけど、

 可愛い妹のクロちゃんまで、これ以上危険な目にはあわせられへんから――

 大丈夫や、うちは一人でもこの東京の日陰で、庭石の下に居る虫さんみたいに

 しぶとく生き抜いて、そうして…! 絶対、彼に会うねん…!

 本間くんに会って、大好きって伝えて… もう一度、彼を抱きしめたい女やねん…」






80-2

その日は、いわゆるバレンタインデー。あいにくの平日ではあったが、週末を

ひかえたイベント感が満ち溢れた、その夜。

東京の地下鉄駅のひとつ、その改札を出た先にある高架を越えた坂道の手前に、

この夜も冬の寒風の中、帰路を急ぐ人々の無事を祈り、そして疲れて冷えた人々を

手招きするような… そんな、やさしい赤い灯りが ごはん の赤ちょうちんが、

風よけのビニールシートで包まれた、昔ながらの屋台がひとつ、出ていた。

「…いらっしゃい。今夜も寒いねー。駅からここまででも、冷えちゃうよねえ」

その屋台には、つけ台の前に並ぶ数脚の丸椅子には、馴染み客らしい男たちの

背中が数人、互いに遠慮するように座っていた。

その客たちに、焼台の向こうの屋台の店主は――

「…そうそう。今夜はねえ… はい、これ。うふふ、バレンタインだからー」

少しほつれのあるジーンズ、古びた軍用ジャケットを羽織ったその店主、彼女は。

「お客さんたちに、いっこづつあげてるんだー。…うん、すきなの。つまんでね」

開けたジャケットの前から、常連の男たちでも…何度見ても、ハッとするほど

形の良い、大きな胸が白いシャツをふくらませている。





80-3

そのシャツの膨らみを、首からかけたタオルが際立たせる…その上に。

「ん、それにする? …えっ、お返しなんていいよー。じゃあ、来月また来てよね」

真夏の空の下の、ヒマワリのようだった。

明るい笑顔、そのおかげで少しきつめの美人顔が少女のそれのように見えている。

肩でそろえた髪には、独特の模様、そして…彼女の機嫌の良さがそのまま動きに

なって現れる、先端の黒いけも耳。笑うと見える、真っ白い八重歯…否、牙。

この屋台の主は、フレンズのジャガー。

ここは彼女の、ごはん屋台だった。

「飲み物はどうする? ビール? 温かいのだったらホットウイスキーか熱燗かな」

「うん、じゃあ。おつまみ? もうごはん? 今日のお肉はねえ…」

焼台の片隅で、熾き火に暖められ湯気をくゆらしている大薬缶から、ジャガーは

大きなマグカップにお湯を、そして目分量でだばだばとニッカのウイスキーを注ぐ。

「はい。熱いからゆっくりねー。お肉は豚の軟骨の煮たのと、唐揚げがあるよ」

彼女が、ジャガーが焼台から身を乗り出し、マグカップをつけ台に置くと…

別の席の客が、いいもの見た、という顔でその腕と胸の線に見入っていた。





80-4

客たちが、熱い酒で喉と胃袋を心地よく焼いて。年季の入った黒板に書かれた

今日のおすすめを注文し。すぐに出てくるおつまみに舌を鳴らして…

「うん、もうシメにする? じゃあ…焼麺でいいの? 具は海鮮? おっけー」

やはりこれも使い込まれた鉄鍋が、威勢のいい炎を揺らすコンロに掛けられる。

すぐに、バチバチと油の煮える音。そこに香味野菜の放り込まれる音、そして

だいぶ酔った男たちの鼻と胃袋を再び、ギュッとつかむ匂いが立ち上った。

「あっ、おかわりね。次はビールにする? ちょっとまってねー」

焼けた鉄鍋に、切ったイカとエビのむき身、お酒をたっぷり入れたジャガーは、

テキパキと動いて、別の客のつけ台の前にキリンの瓶ビールとグラスを置く。

そして、戻り際にそのグラスの一杯目にお酌をしていくのも忘れない。

「焼麺は辛めがいい? うん、じゃあ涙出ちゃうくらい辛くするよ」

具と麺が入れられ、そこを熟練の手並みで鉄のお玉がかき混ぜる。

騒がしいが、心地よいその音。それがなにかのリズムになった頃には、

「焼麺おまたせー。ああ、ビールも一緒にね。まっててねー。…はいはーい」

ジャガーの声が客たちをなごませる。





80-5

飲んで、食って。美人のフレンズと話して、その笑顔に癒やされて。

小さなチョコレートの温かみをポケットに、あるいは胃袋に収めて客たちが

ばらばらと帰ってゆく。時刻はもう、夜の9時を回っていた。

…ふう、と。客が全員帰って、とつぜん静かになった屋台でジャガーがひと息つく。

つけ台から皿と箸、グラスとカップ、空き瓶を回収して。

それらを、洗い場代わりの水を張ったポリタンクにジャガーは沈める。

「…………」 客がいなくなった、急にすきま風を感じるようになった屋台で。

……。さっきまで、ジャガーのヒスイ色の瞳の奥底に隠れていた色が。

……。さっきまで、夏の花のような明るさで客の男たちを魅了していた瞳に。

……。知らずに覗き込んだら、ぎょっとするような… 深く、暗い色が…あった。

「……とし………… …今、どこにいるの……」

小さく、小さく。彼女にしか聞こえない声で、ジャガーはグロスだけを塗った

桜色の小さな唇を震わせて、愛しい男の名前を…小さく、呼んでいた。

何か、大きな声でそれを呼んだら――もう二度と、彼と会えなくなるような。

それを怯えているような、ジャガーの声、そして瞳だった。





80-6

彼女の、ジャガーの恋人は―― 訳あり、いわゆる指名手配中の逃亡犯だった。

“犯”というのには、若干語弊があるかもしれない。

彼女の恋人は、警視庁のセルリアンハンター。SAFTこと警備二課の巡査だった。

数ヶ月前、あの“ドロタボウ”“カシャ”の超大型セルリアン惨禍のあと――

とつぜん、警備二課に被せられた、怠業と予算着服の疑い。

…それは、総務省の外局として設立された『装備保安部』の華々しいデビューの

陰で行われ、意図的にマスコミがほとんど報じず、強力なネット規制も行われていた

ため…警備二課のハンター隊員と、フレンズたちはそのほとんどが闇に葬られるに

等しい形で、東京拘置所の特別棟に送られ…そこで拘束されていた。

…だが、その拘束を逃れた隊員の巡査とフレンズたちが、数名…いた。

その一人が、ジャガーの恋人の双葉俊彰巡査…だった。

――ジャガーは、頂点肉食にふさわしい、慎重で賢いフレンズだった。

彼女は、自分も公安の監視対象にあるのはわかっていた。そして…

急いて連絡をとろうとすれば、彼を危険に陥れることを。

ジャガーはただ、彼からの連絡を――慎重に、だがその身を焦がして待って…いた。





80-7

…次は、いつ会えるだろう。…前に会ったのは、もう二ヶ月近く前――

…彼は、まだ捕まっていない。装安の手からも、仲間の警察の手からも逃げている。

…彼は逃げながら、機を待っている。同じく逃げ延びた仲間と連絡を取り合い…

…警備二課の無実を晴らす機会を、再びセルリアンと戦う日を待っている…

ジャガーは、洗い物をしながら…また、ため息を。

…今度は――腹の奥から、下腹のあたりの重い熱さが押し出したような、ため息。

彼氏の、ヒトの男の腕と、その抱擁を…熱い身体、彼女を犯し、そしてフレンズでは

なくメスの獣にしてくれる、熱くて固いオスの肉を思い出してしまって…

「……。っ、あ! ごめんねー」

ジャガーはハッとして。自分が、屋台に近づいてきていた客の気配にすら気づかない

ほど、深く、思い出に耽溺してしまっていたのに気づいて…少し赤らんだ顔で。

「いらっしゃ… い、って。あれ、ひさしぶりー!」

ジャガーは手を洗い、手ぬぐいで拭きながら。無理やり、笑顔を浮かべて手を振る。

「…うふー。今日も風が強いわねえ」「…あ、すっごくいいお肉の匂いする」

二人連れの女客が、風よけのビニールをくぐって入ってきた。





80-8

…否、女客ではない。二人連れの、フレンズの客だった。

片方は、粋な黒のロングコート姿に、黒のロシア帽。それを脱いで…けも耳を出す。

連れの方は、明るいオレンジのダウンジャケット、けも耳を隠していない。

「あー、ここ。すっごく温かいわあ」「…ボク、お酒いらない。コーラがいいな」

上着を着たたまま、ちょい飲みの客風に二人のフレンズは丸椅子に座る。

「去年ぶりじゃない? ギンキタ、いらっしゃい。ちょっとまってね」

久しぶりに会ったフレンズたちに、ジャガーはさっきまでの暗い気持ちを飲み込んで、

台ふきんでつけ台を拭き清める。

風よけの内側、屋台の席で… 二人のフレンズ、キツネたちは。

「久しぶり、ジャガー。お店、繁盛してるみたいじゃない」

「…フレンズバッシングとか。ブームのときと一緒で騒いでるのはマスコミだけだよ」

おそろいの、毛糸の襟巻きを外した彼女たち。

『るなーる法律事務所』を切り盛りする有名フレンズ、ギンギツネとキタキツネ。

彼女たちは、ジャガーと他愛もない世間話をしながら――

だがギンギツネは端末のGPS画面を、キタキツネはなにかの携帯ゲームを注視する。





80-9

「ゴメンね、ジャガー。ちょっと、尾行されてて。まいては来たんだけどね…」

「…装安の連中でしょ。キツネのあとを付けるとか、身の程知らずだよねー」

「そう、なんだ。あなたたちも大変よね。…えっと、飲み物はどうする」

「熱燗もらえるかしら。今日のお酒、なあに?」「…ボクはコーラ。瓶コーラだよね」

「今日はねえ、真野鶴。二合半でいい? もち、瓶コーラだよ」

フレンズたちは、コロコロと鈴の転がるような声で話し、そして――

少しして客のキツネたち、彼女たちの前に飲み物が出る。

ギンギツネの前には、大ぶりの、使い込まれたアルマイトのちろりで温められた

燗酒がぐい呑みと並べて置かれる。

寒そうに縮こまっているキタキツネの前には、これも年季の入った、擦れてガラスが

白くなった瓶のコーラが置かれて。そのシュワシュワいう音に、キタキツネの目が

糸のように細くなって満足気につり上がる。

「どーぞ。お料理はどうする? ふたりとも、ごはんはまだ?」

「…うーん。微妙な感じ、かな。おまかせでいい?」「…ボク、揚げ物食べたい」

「おっけー。じゃあ…順番に出すから、ちょっとまってね」





80-10

焼台に戻ったジャガーが、オガ炭を熾き火の中に食わせてうちわで扇ぎ。

それがパチパチ跳ね出すと、コンロに火を入れて揚げ物用の油鍋をかける。

揚げ油が温まってきて匂いを揺らせだすと、何かの画面を見ていたキツネたち、

その耳が…無意識のうちにぴくぴく、うれしそうに動き出していた。

それを目の端でこっそり見、可笑しそうに唇を結びながら…

ジャガーは、氷を詰めたトロ箱から魚の切り身を出して、洗ったまな板と包丁を。

しばらく、やさしい無言と小さな包丁仕事の音が屋台に流れ――

「…はい。先にお造りね、今日はサヨリのいいのが安かったから」

そう行って、ジャガーがキツネたちの間に置いた小鉢には…くるり、リボンのように

畳まれた青魚の刺し身がずらり、大葉とすり生姜の薬味と一緒に並んでいた。

「いいわねえ。じゃあ、いただきまーす」「…ねえジャガー、唐揚げできる?」

「いま、つくってるわよー」

「キタキツネ、このお刺身美味しいわよ」「…じゃあ、お醤油いっぱいつけて」

キツネたちが、刺し身と飲み物で一息ついているその奥、焼台では。

鶏肉に仕込みを終えたジャガーが、それを揚げ油にくぐらせていた。





80-11

鶏肉が揚げあがるあいだに。焼台の熾き火で、ジャガーは串に打ったアスパラと

しいたけをさっとあぶって。胡麻油と塩で味をつけてキツネたちに出す。

「…ボク、しいたけいらない」「んもー。じゃあ、私のアスパラ食べなさいよ」

キタキツネが、二本目の瓶コーラを直飲みし、その泡と甘さにうっとりするころ。

「はい、唐揚げお待ち。こっちのお皿が、マサラの。こっちが、いつものね」

ギンとキタの好みに合わせて、二皿の鶏唐揚がつけ台に並ぶ。

片方は、鶏胸肉を薄くそいで、それにマサラをまぶしてさっと上げたもの。

お酒のおつまみに合う、ギンギツネの好物。

もう片方は、鶏もも肉を甘辛の出汁に漬けて。から揚げ粉に、細かく砕いた

海苔塩味のポテトチップスを混ぜて、それをじっくり揚げたキタキツネの好物。

「…ああ、おいしい! 尻尾が出ちゃいそうになるわ。熱燗、もう一つね」

「…ボク、これ好き。ねえジャガー、ウインナー炒めたのもおねがい。タコさん」

「はいはーい。お魚も焼こうか? あとキャベツの漬物も出すからね」

フレンズの客、フレンズの店主。

どこか、遠いパークの島々のどこかのような光景…そんな、屋台の一夜だった。





80-12

ギンキツネが、二杯目の熱燗のちろりに少し酔いでとろけた目を向け…

キタキツネが、携帯ゲーム機をときおりいじりながら、唐揚げと、最初はうえーと

いう目を向けていた漬け物、塩とキャベツだけで作った自然な酸っぱさのそれと

唐揚げの、無限に食べられるような交互のうま味にうっとりし…

「ふたりとも、イカ大丈夫だよね?」「ええ」「…イカ焼き大好き」

生醤油だけでさっと炙られた、新鮮なイカ。それをぶつ切りにして一味をふった皿。

油揚げを焦げ目がつくまで鉄板で焼き、それを刻んだ生ネギと出汁醤油であえた皿。

キツネたちが、フレンズ界隈でも有名な美形顔をすっかりほころばせ、どちらも

化粧した目をすっかり、糸のように細くしたまま料理と、飲み物を楽しんで…

「……。ふう。ジャガーのお店に来ると食べ過ぎちゃうなあ」

「…ボク、おみやげで唐揚げ欲しい」「あなたまだ食べるの?」「…寝る前に」

満足したキツネたちの前に、白湯の湯呑が置かれて――

ふと気づいたジャガーが、おつまみ代わりにと、今日の客たちの出していた

箱詰めのチョコレートを、キツネたちの前にも差し出した。

「……。そっか、今日は…バレンタイン…か」





80-13

白湯で喉を洗ったギンキツネが、何か昔のことを思い出すように言って。

その横で、キタキツネが少し残念そうな顔でちら、と。袖をまくって腕時計を見る。

「…ギンギツネ。そろそろ」「……。そうね、いきましょうか」

お勘定、とニッコリ言ったギンギツネに、ジャガーもニッコリと。

「はいはい、おあいそは… いつもみたいに、ふたりとも別々で?」

このキツネたちは、仲良しだったが…不思議と、飲み食いのときはきっちりと

勘定を分けるクセがあった。その二人に、ジャガーが暗算をしていると――

…そこに。ニッと小さく笑ったキツネたちが。

「ゴメンね、ジャガー。さっき久々にお買い物したら、カード使えないお店でさ」

「…お釣りで、小銭出ちゃった。チャラチャラして、楽しいね。…ね、これ」

二人のキツネは、バックから、ポケットから…数枚の札と、小銭をつかみだすと

それを、きれいな二つの山にして――並べた。

「ジャガー、えっと…お釣りはチップ、よ。美味しかったわ」「…また、来る」

「えー。そんな、ふたりとも2500円づつでいいのに」






80-14

「いいのいいの。とっておいてよ、ジャガー。だって、今夜は…ねえ」

「…バレンタイン。チョコ、ありがと。…あ、ギンキツネの方から先に数えてね」

二人のキツネは、マフラーを巻き直し…席を立つ。

「んもー。余計にもらっちゃうと、悪いじゃない。…どうしたのよ、今夜は――」

……。その、千円札と小銭の、二つの山を見たジャガーの目が、フッと止まる。

それに気づいたキツネたちは、またニッと笑うと。……行ってしまった。

「……。――あっ… あ、あ……」

ジャガーは、ギンギツネの置いていった…3507円…そして、キタキツネが

置いた、明らかに高すぎる千円札の数と小銭に… その数字に、気づいて。

「…!! まさか… あ、ああ…! これ、あのひとの番号…!?」

唇に両の手を当てたジャガーの目から、そのヒスイの瞳が…宝石を濡らしたように。

ジャガーは、その電話番号の意味を悟って。ガラケを持って、屋台の陰に隠れた…


眠れぬ夜はあの店で酒を飲み 夜明けの街を 誰かを探して歩くのも…

「セルリアン大壊嘯」が恋人たつのつなぐ手すら砕いて消し去るその日まで――あと186日……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る