第3話 後編 1


49-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

フレンズの彼女が、ジャパリパークから内地こと日本へ連れてこられて、早数年。

しばらくは、フレンズ下宿の仲間たちと無職ぐらしを堪能していたヒョウだったが、

数ヶ月前、ヒトの少年と出会い、恋に落ちて…彼女は、変わった。

今は、知り合いフレンズのアミメキリンがいる編集スタジオで日々働き、おしゃれと

お化粧も覚え、手に入れた携帯で毎晩、恋人と話すのが楽しみな…ヒョウ。

…しかし。そんな日々にも、雨は降る。

「…うちはフレンズいち、立ち直りに時間のかかるめんどくさい少女やねん…」


先日“ひょん”なことから、セルリアンハンターこと警視庁の警備二課に所属する

フレンズたちとのいざこざに巻き込まれ、そこで――

フレンズ下宿の住人で、昔からのフレンズ友だったパンサーカメレオンと再会し、

そして…再び、カメレオンと別れることになっていたヒョウは。

…その別れの日の夜は、なんだか泣き出してしまいそうな気がして彼氏に、本間君に

電話することすら出来なかったヒョウは…





49-2

…だが。あっぱれなことに、ヒョウは翌日は朝から出勤して普通に仕事をして。

その夜、恋人と電話をしているうちにやっぱり、泣き出してしまったヒョウは。

その電話で、年下のヒトに…泣いて、甘えて、すねて、何度も何度も

「うちのこと、好きって言って」とねだって、また泣いたりして――

翌日のヒョウは、そのことを思い出して…

電車の窓に頭突きしたり、ひとりになると奇声をあげてしまったりして…いた。

…そして。そんなヒョウにも、金曜日はやってくる。

その金曜夜は、前から決まっていた、フレンズ下宿のパーティーがある夜だった。

めずらしく編集部には、残業するような案件もなく。

「じゃ、すんまへん。お先… アミメ、今日は来てくれるんやろ?」

「うん。私は少し、確認するものがあるから…私のぶん、残しておいてね」

今夜のパは、暑い夏のフレンズ下宿ではおなじみの“そうめんパーティー”。

ひさしぶりに、アミメキリンも顔を出すことになったそのパの支度のために、

ヒョウはまだ明るいうちに仕事場を出て…下宿のある駅、その商店街で買い物。

山ほどの乾麺は、下宿のオコジョたちが先に買ってくれている。





49-3

スーパーでもらったダンボール箱に、付け合わせの野菜、香味、肉のパックなどを

詰め込んで。夏の夕暮れ空の下、ヒョウは下宿に急ぐ。

「…今度、本間くんも来てくれるとええなあ。…また会いたいなあ」

タイリクオオカミ先生も行ってしまった、カメレオンも…もう帰ってこない。

…夕暮れ時は、どうしてもさびしい気分になる。

下宿のみんなと騒いで、手を動かして、みんなで腹いっぱい食べれば気も晴れる…

その経験則にしたがって、ヒョウは住処の下宿に――

正式名称は「みどり荘第四」なる、昭和が香る古アパートへと戻った。

「おかえり、ヒョウさん。こっちは予定通り…です」「ですですよ」

フレンズのタヌキと、四畳半同居人のハクビシンが手をふる。

アパートの中庭で、こまごまと準備をしていたフレンズ下宿の住人たちがヒョウを

出迎えた。最近は建築現場で働き、“かつぎ”の仕事で人気者のラクダ姉妹。

夜勤明けで、さっき起き出してきたばかりのヒクイドリ。

下宿の庭にある、無職だったころのヒョウたちが作った畑、そこで取れたばかりの

キュウリとナス、大葉を洗っているテンとクロテン。





49-4

「みんな、おつかれや。…大家のバアさんは…予定通りかいな?」

「うん。今日は孫夫婦の家にお泊りだって。昼過ぎにはもう出ていったよ」

タヌキの報告に、よっしゃとヒョウは耳をふるわせ。

キャンプ趣味のヒクイドリが、ガスや灯油のランプをセットする横で、

ダンボール箱を置いたヒョウも、ドラム缶をぶった切った大鍋用のコンロを

ふたつ、そして去年、物置から発掘した“はそり鍋”なる大鍋も出してくる。

そこに。大中小、といった感じのバラバラの大きさの影が中庭に入り、

「ちょっと遅くなっちまったか」「おそうめんは、もう部屋においてあるー」

「…タ、だいま。みんな」

オコジョとビントロング、オオカワウソも連れ立って帰ってきた。

建築現場の足場作業で働いているオコジョは、特注の小学生サイズのツナギを

着たままで。どこで何をしているかは不明のビントロングは、いつもの格好で。

コツメカワウソの紹介で、介護施設でアルバイトを始めたオオカワウソは、

通称おーちゃんは、区役所のバザーで買ったジーンズとTシャツ姿で――

これで、下宿の住人は全員、そろった。





49-5

ここと同じような古アパートの解体現場からもらってきた廃材。それを雨と日に

さらしておいた薪が、コンロの中でぷすぷすと煙を、茜色の炎をゆらすころに

なると…もう、太陽はすっかりと沈んで周囲は黄昏時のほの暗さに…浸る。

コンロの火に、たっぷりと水を張ったはそり鍋がかけられると。

ヒョウと、意外と女子力高いヒクイドリの二人が、台の上で包丁を使い――

薬味の野菜をきざみ、豚こま肉をカットし。ナスとキュウリをぶった切り。

その横で、おーちゃんが仕事先の冷凍庫で凍らせてもらっておいたタッパー入りの

氷の塊をごろごろと、やはり凍らせておいたペットボトルといっしょにタライへと

放り込んで“冷やし”の用意も、完了。

「たすかるわー、おーちゃん。下宿の冷蔵庫じゃ、氷なんぞほとんど作れへんし、

 氷って買うとけっこうなお値段するやん。そんなにたくさん、重かったやろ?」

「ウうん、へいき。…仕事場のヒトがやさしくて…冷凍庫、使わせてくれたから」

オオカワウソが、おーちゃんが氷で赤くなった指先をこすりながら…ほほ笑む。

…おーちゃんも、すっかり下宿に馴染んだ。

初めのころは怪獣のようだったその顔も…





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最初、オオカミ先生がオオカワウソを連れてきたときは、迷子の怪獣、といった

雰囲気で。ほとんど言葉も喋れず、牙を向いた口からいつも血の混じったような

唾液をぼたぼたこぼしていた、あの頃のオオカワウソと比べると――

「…コツメは今日、夜勤だから… コられなくて、ごめんねって」

今のおーちゃんは、別の生き物、フレンズに変わっていた。

(…違うわ。おーちゃん、元はこんな可愛い子やったんやなあ…)

少し少年っぽさのあるコツメカワウソと違い、凛とした雰囲気のある大きな目。

今でも笑うと、ギョッとするような牙が見えるが…ルージュが似合いそうな口元。

…そこに、ヒョウですらハッとするような生意気系の丸い巨乳、さらには

高身長で褐色肌とか…一部で、滅茶苦茶人気が出そうなフレンズ。

それが、おそらくは本来の姿を取り戻しつつある、おーちゃんだった。

(…ほんま、パークの島で何があったんやろ、おーちゃん)

そんなことを考えながら野菜をきざんでいるうちに、はそり鍋が煮立ってきて。

二つのはそり鍋、もう一つのお釜もすっかり煮えてグラグラ音を立てていた。

オコジョたちが部屋から、山のような乾麺の束を持ってくる。





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「こっちは冷や麦、こっちはそうめん…うどんもあるな、混ぜないようにな」

「…去年の秋の、特売で買ったやつだから熟成…済み。今年は、カビちゃって

 お線香になっちゃった冷や麦がないから上出来、上出来…」

オコジョとビントロングが、保存食の乾麺を全部、出してきて――

「ほな、はじめよかー。オコジョ、そっちの鍋がそうめん、そっちが冷や麦なー」

はそり鍋の中に、束をほどいた乾麺が次々投げ入れられる。

雑貨屋でヒョウが見つけてきた、パスタ用の串付きの長いお玉が活躍。

それを持ったタヌキが、二つの鍋をかき混ぜて回る。

「えーと、そうめんはすぐ煮えちゃいますよ、ざるの支度、おねがいですー」

これは、浅草かっぱ橋で買ってきた大口ののラーメン“てぼ”で、ハクビシンが

お湯の中で白い雲のようになって茹だっていたそうめんを、すくって。

「はいはい、熱いよー。テンちゃん、おねがいね」

テンとクロテンが、大きなザルで山盛りの煮えそうめんを受け取って、それに

砕いた氷を放り込んでから即座に流し場の流水で洗う。

手際よく、最初のそうめん、そして冷や麦が冷やされて器に盛られると。





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「よっしゃー、まずは…つるっと腹ごなししてから次、茹でよっか」

ヒョウの合図で、フレンズたちがめいめいの器とハシを手に、テーブルを囲む。

そこには、溶けかけの氷が乗った山盛りのそうめんと、冷や麦の器。

そして、ふつうのお出汁のつゆ、刻み大葉、ねぎ、ゴマ、すり生姜、きざみのり。

安定のセットの他にも、ヒョウがお釜で煮ていた特製の熱いつゆ。

豚こま肉を、たっぷりのショウガと醤油、砂糖で煮込んだつゆは、

このそうめんパには無くてはならない、夏の夜に食を進ませる一品だった。

 いただきまーす! ざわざわ、きゃわきゃわと。フレンズたちの食欲が、爆ぜる。

「おいしー!」「ショウガ、からい…おいしい!」

「いくらでも食えそうだな、これ」「…今度、流しそうめんやってみたよね、ね…」

「はあ~、冷たいおいしー。生き返るわあ」「あなたいつも生き返ってるわね」

まさに、あっというまに。最初のそうめんと冷や麦が消えると。

いち早く動いていたヒョウは、鍋に水を足し、コンロに薪をくべ。

オコジョが乾麺を放り込み、タヌキとハクビシンが混ぜて――

洗って、冷やして、盛って。食べて…この幸せなサイクルが何度も、続く。





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気づくと、黄昏は地面に染みるように消えて…暗くなった夜の庭に、ヒクイドリが

いくつものランプを灯して。麺はどんどん、茹でられ、消えてゆく。

汗まみれになって動き、食べていたヒョウが、ふと手首を返してチプカシの

液晶を見た、ちょうどそのとき。アパートの外壁の向こうで、車の音。

「…ごめんなさいね、少し遅くなっちゃった」

スーツ姿のアミメキリンが、近くに停めたタクシーを降り、キャリーカートを

ゴトゴト引いて…宴の輪に、小さく手を振りほほ笑む。

「おつかれー、アミメ。ようそこ、パに。まだ、冷や麦は山ほどあるで」

鼻から出るまで食ってってや、と笑うヒョウに――アミメは、ホッとしたような

顔でキャリーカートに積んでいた箱を渡す。その重さと、箱の冷たさに。

「うほっ、もしかしてこれ、アミメの差し入れ?」

「ええ。私もショバ代を出すんだから、遠慮なく食べさせてもらうわよ」

ダンボール買いの缶ビールと、色とりどりのジュースのペットボトルが詰まった

箱にフレンズたちが歓声を上げて…

立ち食いではなく、特等席のパイプ椅子にアミメキリンは通された。





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煮詰まってきたはそり鍋のお湯が入れ替えられ、コンロにがんがん火が焚かれる

そんな中。差し入れの飲み物が下宿フレンズたちのあいだに回り、

 かんぱい! ビールとジュースの泡が、彼女たちの喉を洗って…笑わせる。

「アミメ、最近なんかお疲れやったし。飲んで飲んで! あ、これつまむ?」

アミメの前に出てきた皿には――

…最初、もしゃもしゃの正体不明の茶色い何か、に見えたそれは。

口に運んでみると、ナスをきざんでから塩と大葉でもみこんだ浅漬けだとわかって。

いっしょに出てきた、ぶった切って叩いたキュウリを醤油漬けの唐辛子とあえた

一品は、小皿のごま油をつけて食べると… まさに、夏の前菜だった。

「…おいしい。私、こういう料理好きよ。…やっぱり、あなたやるじゃないヒョウ」

「デュフフ。ビールがすすむやろ? 今日は下宿に泊まってってもええんやで」

 上司酔わせてどうする気よ… ふうと、いいため息を付いて笑うキリン。

その前に、茹で上がり、冷やされたそうめんと冷や麦の山が置かれると。

「いただきます。…ふふ、先生が居たころを思い出すわね」

彼女は、意外なほどの食欲と健啖を見せて麺の山を減らし…





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それからも、はそり鍋と、つゆを煮るお釜はフル回転で。

あれだけあった乾麺も、残るは茹で時間のかかるうどんだけになっていた。

「ああ、食った…」「これ以上食べるとまた太るー」「あなたもう充分太いわよ」

下宿フレンズの中でも大食系の、ヒクイドリとラクダ姉妹もいったんハシを置く。

テンたちとタヌキは、残りのうどんを茹でて冷凍する相談をしながら、

庭で取れたミニトマトなどつまみ。ハクビシンとビントロングは、残っている

ジュースと缶ビールの数を野獣の眼光で数え…その残り数に満足し。

オオカワウソは、最後にうどんを茹でつつ、器を洗う支度を始める。

ヒョウは、自分よりも食べたアミメキリンの健啖、ふだんの編集部にいるときとは

雰囲気の違うその食いっぷりに舌を巻きつつ…

「……。はあ、なんか。ひさしぶりに、ぐんにゃり出来た感じや…ビールうまい」

「さっきの肉のおつゆ、美味しかったわね。…私も久しぶりに飲んだわ」

ビールとジュースの歓喜で、きゃわきゃわ盛り上がっているフレンズたちから

少し離れた場所で、ヒョウとアミメキリンはパイプ椅子に腰を下ろし。

…二人ともしばらく無言で、コンロの火を見つめていた。





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ヒョウが、新しい缶ビールをもってきてアミメキリンに渡すと。

「……。実はね」 アミメは、何かの腹が決まったように…言った。

「先生から。パークの、タイリクオオカミ先生から連絡があったわ――」

   その言葉に。3秒ほどのタイムラグののち、

「…!? な…!! 先生から、って…! じゃあ、じゃあ先生は!?」

ガタッと、ヒョウのお尻が乗ったパイプ椅子が鳴った。金色の目を見開き、

髪の毛をけも耳まで逆立てているヒョウに、アミメは指を立て しーっとしてから。

「状況が落ち着くまでは黙っていようかと思ったけど…でもね」

缶ビールを傾けたアミメの目は、なぜか。片付けを始めている大柄なフレンズ、

オオカワウソのほうを追っていて…そして、彼女は抑えた声で。

「今日は楽しかったわ。…でも、こんなふうに出来るのも今だけかも知れない。

 そのうち、ヒトが何か、しでかしそうだから。今のうちに話しておくわ」

「な…? 何かしでかす、って。なんやそれ…」

アミメは、それに答えず…また缶ビールを傾けてから。

持っていたハンドバッグから、何かの印刷されたコピー紙を取り出した。





49-13

わけがわからないまま、それを受け取ったヒョウは。…そこにあった、文字に。

「…え!? これ、先生の字やん…!」

その紙には、ハガキほどの大きさの模様が――何かを書き記したメモ用紙、

それを映した画像が印刷されていた。その文字の形、雰囲気、その温かさは…

「オオカミ先生…! よかった、無事…な、なあ? 無事なんやろ…?」

おろおろして、涙目になっているヒョウ。その手を、アミメキリンが押さえ。

「…ええ。ほんとうに、ついさっきね。編集部の方に、その画像データが届いたの。

 相手は新世紀警備保障…って、ヒョウ、あなたは知らないほうがいいわね。

 先生が同行した、調査チームの日米安保軍は厳重な情報管制を敷いているけど…

 同じく調査チームにいるその企業のフレンズは、特例が認められているの」

ゆっくりと。涙目のヒョウに言い聞かせるように、他のフレンズに聞かれないよう

アミメキリンは続ける。

「その、新世紀警備保障の通信に先生は“これ”を紛れ込ませたみたいね。

 新世紀とうちは、直接の関係はないけど…同じ穴のフレンズ、ね。

 政府の検閲をくぐり抜けたこれを、さっき新世紀がうちに届けてくれたのよ」





49-14

アミメキリンが話すあいだにも。ヒョウの目は、画像として印刷された文字を。

…まだオオカミ先生がこの下宿にいて、漫画家フレンズとして仕事をしていて。

…ヒョウが、そのアシスタントとしていっしょに紙に向かっていた、あのころ。

…その時、原稿に書かれていたセリフや指定の文字と、同じ…先生の字。


 アミメキリンくん、ヒョウくんへ――

 こちらは大丈夫、元気にやっている。チームのみんなも元気だ、上々だよ。

 私のことは心配しなくていいい。長いピクニックに来ているようなものだ。

 こちらで、セルリアン女王事件のときからの腐れ縁なフレンズにも会った。

 おかげで、調査任務は無事に終わりそうだ。チームも無事に帰れる。

 ただ、私はこちらで少しやることが出来た。ごめん。

 あと、オオカワウソくんが元に戻っているようだったら伝えてあげてほしい。

 オオカワウソくんの恋人たちを見つけた、連れてもどると それじゃ、また。


手紙は、ただそ入れだけ。タイリクオオカミのサインと、それだけだった。





49-15

「あ、ああ… 先生、元気なんやな…よかった、よかったあ…」

「ええ。先生の言う“こちらでやること”ってのが気になるけど…」

「…先生、いつ戻るんやろうか? …おーちゃんの恋人? 連れて戻る、って。

 どういうこっちゃ? おーちゃん、呼んで聞いてみようか」

「……。そうね、先生も伝えてって、書いているし」

アミメの言葉に、ヒョウが小声で洗い場にいたオオカワウソを呼ぶと――

「ドうしたの、ヒョウ」「う、うん…じつは……」

呼んだまではいいが。何から話したらいいか、ぜんぜんわからん、になったヒョウ。

彼女から紙をとったキリンが、それをオオカワウソに見せる。

「…いまね、パークに行っている先生から…こんな手紙が来たの。

 オオカワウソ、あなた。これの意味がわかる? あなたの恋人って――」

 ガシャン と。オオカワウソの手から、洗い物の器が滑り落ちた。

「……! としかき、が…ミつカた… 見つかった、んだ…あのヒトの…!

 私、忘れちゃってた…! それを…ミつけて、くれたんだ、としかきの…」

 ――オ墓を。 そこまで言って、おーちゃんは地にうずくまり…泣き崩れた。





49-16

――数日、時は遡る。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

パークの南端、キョウシュウ島に上陸した日米安保軍の第二次調査チームは

彼らの目的のひとつを、偶然にも発見することが出来ていた。

「…ここだよ」 島の現住フレンズ、ミナミコアリクイたちが案内した、そこは。

陽が沈み、黄昏のほの暗さの中に広がるその光景は…

「はちみつを探していたら迷っちゃって…いつも来ない森まで来たら、これが」

「……!! これは…花壇…? いや…」「……!? 見ろ、あそこに!」

森の合間の、草原は――いちめんの、純白の花に埋め尽くされていた。

兵士たちも、フレンズたちも、誰も見たことのない美しさと香りの、純白の花。

その花園の中に、ところどころ突き立っている枯れ木のようなものは――

兵士たちの自動小銃と、ヘルメット。何者かがそこに立てた、兵士たちの墓標。

「見つけたね…」 タイリクオオカミが、ため息のような声で…言った。


宴は終わり、火は消え、器は乾き。墓に供えられた花だけがかぐわしい香りを放つ。

「セルリアン大壊嘯」がヒトという種に宴の終わりを告げるまで――あと284日……





50-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前、テーマパーク「ジャパリパーク」から内地の日本へと連れてこられた

アニマルガールことフレンズたちの中に、ヒョウもいた。

しばらくは社会に馴染めず、政府の用意した安アパート、通称「フレンズ下宿」で

無職フレンズの仲間とともに無聊をかこつていた彼女だったが…

そんなヒョウに、ヒトの、年下の恋人が出来て――彼女は変わっていた。

知り合いのフレンズ、アミメキリンの編集スタジオでアルバイトをするようになり、

お化粧とおしゃれも覚えて。ヒトの恋人と釣り合う、いい女になろうと努力していた。

「うちはフレンズいち、七回転んでも七回起き上がるガッツあふれる少女やねん…」


前日、ヒョウは下宿のフレンズたちと夜のそうめんパーティーを開き。

そこに上司でもあるアミメキリンを招いて、ささやかでにぎやかな宴を開いた。

そのとき――アミメキリンから渡された一通の手紙。それは…数ヶ月前に下宿を

旅立ち、危険なパークへと戻ったタイリクオオカミからのものだった。





50-2

下宿住まいの漫画家フレンズ、タイリクオオカミは――

「セルリアン女王事件」ののちも、危険なセルリアンの出現が止まらずに放棄された

ジャパリパーク、そのキョウシュウ島へ…ヒトとともに、日米安保軍の調査隊に

同行する形で旅立ち。そして…先日、やっと。短い手紙が届けられていた。


「…先週はありがとうなー、アミメ。先生が元気だってわかって…よかったわ」

週明けの編集スタジオ、夕刻のコーヒータイム。

外回りから編集に戻ったヒョウは、アミメキリンと自販機前のテーブルで――

二人になる頃合いを見計らって、オオカミ先生の手紙、その礼を伝えていた。

「こちらこそ。ごちそうになっちゃって。…あの手紙は、処分してくれた?」

「…うん。ちゃんと燃やして粉々にしたわ。…本当は手紙とかヤバイんやろ」

「ええ。あのときも言ったけど…安保軍の調査隊は、厳重な情報統制下にあるから

 普通じゃ無理…。新世紀警備保障のフレンズが、内密に回してくれたのよ」

――新世紀警備保障。国内外の大手保険会社による合資企業である。

民間でセルリアン対策を行う、フレンズたちの部署がその企業には、あった。





50-3

「…新世界だか新世紀だかしらへんけど。そこのフレンズはともかく…アミメ。

 あんた、もしかしてけっこうヤバイ橋渡ったんと違うか?」

…先生の手紙を、うちに見せてくれたせいで? そのヒョウの不安げな顔に、

「これくらいのことで…ビビっていたら、編集の仕事なんてできないわ」

コーヒーの湯気で唇を濡らしてアミメキリンが目を細める。

「新世紀のフレンズに借りができちゃったけど、借金も資産のうちだしね。

 万が一、今度のことが漏れたとしても、もう証拠はなにもないし」

「…先生の手紙は、うちらの頭の中だけ…ちゅうことか」

「そう。ヒョウ、あなたはもう無関係。心配しなくていい。

 私は“こういうの”慣れてるから。ヒトの脅しなんてパップでもないわ」

フフ、と笑ったヒョウは。世話になりっぱなしの上司、フレンズ友に。

「うちが先生のアシ、やってたときは。アミメ、あんたがそういうキャラだとは

 思わんかったでー。キリン姉妹の中で、いちばんのカタブツだと思うとったわ」

「私は真面目よ。ただ、因縁や無理強いをされて、はいごめんなさい、って。

 言いなりになって――私、頭を下げるのが苦手なのよ。キリンだからね」





50-4

「誰うまー。フフ、なんていうか。フレンズはそういう、ヒトに逆らったり、

 ねじ込んだりするようなタイプは居ないって、うち思い込んでたわ」

アミメキリンは、ヒョウのカラになった紙カップを受け取って自分のカップに重ね、

「…私も、最初のころは漫画が好きなだけの“ねんね”だったわよ。

 でも…この“好き”を続けるためには、泣き虫のネンネじゃ居られなかったから」

……。ヒョウは。そのアミメキリンの言葉に、胸の奥をつかまれたような気がして。

ゾクッとしながら、大好きなヒトの恋人のことを思い出していた。

(…そっか… うちも、本間くんと会って…好きになって変わった、し…)

(…うちらフレンズはヒトと会って…好きになって変わってく、強くなるんかな…)

ふと、ヒョウは。先日、フレンズ友のカメレオンと再開したときにモメた、

警備二課のフレンズ…金色の猿猴、キンシコウも同じようなことを言っていたのを

思い出していた。

「うん? どうしたの、ヒョウ」「……。んにゃ、なんでもないねん」

ヒョウはひらひら、手をふってごまかす。…あの、警備二課ともめたときのことを

恩人のアミメに話す気にはなれなかった…。





50-5

「でもね、こんなフレンズは…性格悪いのは、私だけじゃないわよ」

自販機前のテーブルから離れ、休憩終わり、を無言で告げながらアミメキリンは。

「こっちの業界で…ヒトから嫌われてる、面倒くさくて性格の悪いフレンズが

 三体いる、ってよく言われるわ。一人は、もちろん私…」

「あとは? まさかロスっちとケープの姉御かい?」

「まさか。残りの二人は――モデル業界のクジャクと、アイドル芸能界のマーゲイ。

 …その二人と会ったことはあるけど… 私なんて、可愛いものだったわ」

「えー。こわいなー、そんな外道なフレンズがおるんか」

「…あの二人は、私と違ってお金と権力が、ね。…さて、おしゃべりは終わり。

 ヒョウ、暑い中悪いけど、またいろいろ回収に出てもらうからね」

「うん、やっぱりアミメは外道だわー」

二人のおしゃれフレンズは――連れ立って、雑多な編集オフィスへ戻っていった…


――数日、時は遡る。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

パークの南端、キョウシュウ島に上陸した日米安保軍の第二次調査チームは…





50-6

「…なんだ、ここは!? 花園、いや… それに、この花はいったいなんだ?」

「見たこともない花だ… !? おい、見ろ! あれは…M4カービン!?」

「あっちの銃は海兵隊のM27だ、あれは…自衛隊の、89式か…?」

「――そうか、ここは…」

パークの現住フレンズ、女王オオアリクイとその仲間に、この場へと案内された

調査チームの兵士たち、そしてフレンズは…その、純白の花弁が広がる花園で。

…否。ここは―― タイリクオオカミは、ため息つくように言った。

「…墓、だよ。ここに、第一次調査隊のみんなが眠っている…」

その言葉に、自衛隊、海兵隊の猛者たちがざわっと揺れ。調査隊のリーダーである、

陸自の渡嘉敷二尉は手近にあった墓標に…

自衛隊の89式小銃を地面に刺し、そこに装備ベストとヘルメットを乗せた墓標へ

震えの止められない手を伸ばしていた。

「…間違いない、この装備は―― …! 吉三尉、妹毛三曹、墓標の数を確認!

 その下を調べてくれ…! ムート曹長は、海兵隊の装備の、墓標を――」

わかった、と。兵士たちの軍歌が白い花弁を踏み散らし、その花園へ、墓地へと。





50-7

兵士たちが、墓標代わりに立てられた小銃と、その下にこんもりと盛り上がった

土饅頭の数を確認し、そこにスコップを入れてゆく中――

「嘘をついたり秘密にしていたわけじゃないぞ。…私も、こんな場所は知らなかった」

現場までやってきた、現地フレンズの女王オオアリクイが。軽く腕組みをして立つ

タイリクオオカミへと、苦いものでも食べたような口調で言う。

「それに、この花を見るのも初めてだ。…うちの者にも聞いたが、ここを見つけた

 ミナミコアリクイ以外は、誰もここを知らない――なんだ、ここは…」

「……。オオカワウソ、あの子か…」

「なんだって? オオカワウソ… すまん、わからん。この島のフレンズの全員が、

 私の配下というわけでもないからな。…なにか、マズイことでもあるのか」

「…いや。助かったよ。――私たちの任務のひとつが、これで終わる」

フレンズの戦友たちは、ヒトの兵士たちが戦友の墓をあらためる光景を見…

その嗅覚で、土に帰っている肉と骨の腐臭を感じて…いた。

「嗚呼。やっと…」「あ、あああ。まさか、これが」「そのまさか、ですわね」

その光景を同じく見守っていた、民間からのフレンズ。





50-8

新世紀警備保障から派遣されたオオウミガラスと、彼女のマスターの丸出は。

…少し離れたところから、この光景を見守り――小さく、何ごとかを話す。

「…ごめん、ごめん。やっぱり無理…だって、みんな…もう友だちじゃないか…」

「何をいまさら。…あの兵士どもとずっと一緒にこの島にいたら情でも移って?

 そんなだから、あなたは万年ヒラなんですわ。…これは、社命――」

ヨレヨレの作業着姿の男は半泣きでうろたえ…

絶滅フレンズのオオウミガラスは、濡れたガラスのような目で“墓”を見つめ…

――そこに。兵士たちの歓喜の、そして悲痛の声が響く。

「渡嘉敷、数はぴったりだ…! 第一次調査チームの、自衛隊、海兵隊…

 どちらの人数とも、この墓標は一致している。ここは、彼らの墓だ!」

「遺骨も埋められている、これならみんな…連れて帰れるぞ!!」

「そうか…! …トシアキ、すまない…待たせたな。日本に帰ろう…!」

渡嘉敷二尉は、見覚えのあるレミントンのショットガンを墓標にし、そこに

陸自のヘルメットとベストが掛けられている墓標の前で…がくり、ひざを折った。

「…しかし、誰がいったいこれを?」





50-9

――墓の数は、装備の数は。第一次調査チームのそれと一致していた。

ということは、調査チームは全滅… では、誰がこの弔いを、墓を…?

そして、男たちの目は…

「ムート曹長、あれも…?」「…ああ、墓…だが。あれは――」

同じ花園の、少し離れた場所にも同じような墓標がいくつも立てられていた。

そこに突き立てられた小銃の数は、第一次調査チームのそれよりも多く…

「オペレーション“メギド”、マウント・フジ攻撃のときの、海兵隊員か…?」

「いや、この銃。まさか…!?」

第一次調査チームとは別の、墓地。二十近いその墓標、その一本を引き抜いた

海兵隊、ムート曹長の目が険しく…そして、信じられない、というように細くなる。

「こいつは中共の、人民解放軍の95式自走歩槍じゃねえか…!?」

「なぜ、パークに中国軍の装備が――どういうことだ?」

「わからん、これも調査して報告せねば… ファック、聞いてないぞ、こんな…!」

男たちがざわめく中――タイリクオオカミは、ふと。墓標のひとつに、目をやる。

「……。これは、CCD…カメラユニット、か」





50-10

狼が見つけたそれは――墓標の中でも、いちばんの高台にあった、墓。

さっき渡嘉敷二尉が話しかけていた…おそらくは、第一次調査隊に参加し、

行方不明となっていた彼の実弟の自衛隊員、渡嘉敷利明三尉の…墓標。

レミントン・ショットガンのスリングに、ヘルメットに装着するタイプの

カメラがくくりつけられているのに狼は気づき…それを、手にとっていた。

そんな狼の背後で――兵士たちは仲間の墓を、骨をひとつづつ確かめ、渡嘉敷と

ムート曹長は、なぜかここにある中国軍装備の、兵士たちの墓の前で。

「…間違いない、解放軍の武装だ。手榴弾も、ランチャーもある」

「こちらも、同じように埋葬されているな…いったい、誰が? …あの、女王?」

オオアリクイは、男たちの問いかけに手を広げ、首を振り。

「だから、私たちもこれを見るのは初めて… …? ん、オオカミ。どうした?」

「――…………」

女王が声をかけた戦友、タイリクオオカミは。小型カメラを手にしたまま。

「…なんだろうね。すこし、嫌な風のニオイがするんだが。どういうことだい?」

狼は。少し離れた…花園と、草原の分水嶺に涼しい目を向けていた。…そこには。





50-11

「……。動かないで、オオカミさん。いちばん危険なのは、あなただから――」

そこには――兵士たち、そして女王と狼たちから離れた、そこには。

「やっと、見つけてくれましたのね。…これで、私たちのお仕事も終わり…」

濡れたスミレの花弁のような、紫色が。オオウミガラスの、何の感情も映していない

双眸と、仮面のように美しい顔が…口だけでわらう笑みが。

…その絶滅フレンズの足元には。ガタガタ震え、うずくまっている彼女のマスター、

丸出社員の姿が…人生オワタ、と無言で語る男の顔があった。

「…? あの、オオウミガラスさん?」 渡嘉敷の声に。

「…なるほど。新世紀が、あっさり手駒を出したのはそういうことか」 狼の声に。

「敏いのね、狼さん。でも、もう手遅れ…うふ。“お墓”を見つけて、見た…

 あなたたちは、ここで終わり。…さあ、あなた。仕事を始めましょうか」

…丸出が嗚咽を漏らすと。オオウミガラスの身体から、音もなく無数の包帯が…伸びた。


愛ゆえにヒトは苦しみ、フレンズは愛ゆえにヒトと同じ地獄への道を歩む。愛ゆえに…

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫の弔いのために参列者を選ぶまで――あと284日……





51-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…その彼女、ヒョウが日本で、東京で恋人のいる幸せに浸っている、頃――

ヒョウの暮らす「フレンズ下宿」の住人だった漫画家フレンズ、タイリクオオカミは

今、日本を離れ南溟の島々へ、かつて「ジャパリパーク」と呼ばれていた島へと――

…世界中でいちばん危険なその場所へと、ヒトとともに上陸していた。


――数日、時は遡る。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

かつては財団法人ジャパリパーク振興会が管理運営するテーマパークだったその島、

キョウシュウ島に上陸した、日米安保軍の第二次調査チームの兵士たちは…

自衛隊と米国海兵隊の兵士たち、そして護衛についたフレンズたちは…

島の現住フレンズがぐうぜん見つけてくれた、第一次調査チームの亡骸を。

彼らが葬られた墓地を発見することが出来ていた。

これは、第二次調査チームの任務のひとつ。そして。第二次調査チームのリーダー、

渡嘉敷二尉にとっては、消息を絶った第一次調査チームの一人、弟の渡嘉敷利明を

見つけ、仲間たちとともに内地の日本へ連れ戻す旅でも…あった。





51-2

その彼ら、第二次調査チームの兵士たちが――

ヒトも、フレンズも知らない未知の花に覆われたその墓で、仲間たちの遺体と墓標を

見つけたのは、もう夕刻を過ぎた時刻だった。

南洋に沈んだ太陽の残滓が、黄昏の色で島を、花園とを包んで照らしている…そんな

夜の入り口で――彼ら調査チームの兵士たちは。

「…うふふ。ありがとう、ね。貴方たちは“お墓”を見つけた、見てしまった…

 貴方たちは、ここで終わり。…さあ、仕事を始めましょうか。“あなた”」

墓地の花園のただ中で、スミレ色の瞳をした“死神”に見つめられて…いた。

その死神は――新世紀警備保障のフレンズ、オオウミガラス。

兵士たちと、彼らについてきたタイリクオオカミ、島の女王オオアリクイたちから

離れた…花園の終わる、その場所で。

「遊園地のハヤブサに気づかれると面倒だから…すぐ、終わらせるわ」

オオウミガラスは、長い髪をまとめていた包帯を指でもて遊びながら。口元だけで

わらい、濡れたガラスのような瞳をヒトの群れに向けていた。

…その足元では、彼女のマスター、新世紀社の丸出社員が絶望にうずくまり…





51-3

「…うぅう、やっぱりダメだ、僕にはできないよ…みんなを殺すなんてぇ、え…」

「この甲斐性なし。…私がやるから、いいの。あなたはそこにいれば…」

――調査チームの兵士たちも、豹変した仲間、オオウミガラスの異変に気づき、

「…? あの、オオウミガラスさん、いったい?」

渡嘉敷二尉が困惑の声と顔で、前に出ようとするが…

「…動かないで。あいつは、本気のようだ。…やれやれ、嫌な予感が当たったな」

その兵士の行先を、タイリクオオカミのしなやかな手が伸びて止めていた。

「オオカミさんも動かないで。いちばん危険なのはあなただから」

オオウミガラスの声、そして戦友だった狼の様子に、

「ん? んっ、ん? ん? おいオオカミ、これはどういうことだ説明しろ!」

島の女王、オオアリクイが美しい眉と瞳をキュっと吊り上げて声を上げる。

その女王に…オオウミガラスは、

「こんな島でごっこ遊びしていた貴方なんかに説明したって、どうせわからないわ」

唇だけが笑っている声で、言い捨てて。その瞳を狼に戻す。

「オオカミさん。あなたは…この島に残ってくれるのなら、殺さないわ」





51-4

オオカミは、その声に――手で弄んでいた小型カメラを、ぽい、と背後にいた

渡嘉敷二尉に投げ渡してから。ため息のような声で、言った。

「ということは。調査チームの兵士諸君は、ここで皆殺しにする、ということかい」

「それが、私たちのお仕事なの。…このお墓を破壊して、さら地にするのも…ね」

「な…!? 先生、いったい…?」「ファック、あいつは何を言ってる?」

兵士たちがざわめいた、そのときには…

…!? 最初に、海兵隊員たちが気づいた…が。そのときには、もう。

「…ふふふ。つかまえた。みんな…オオカミさんも、女王様もね」

オオウミガラスの身体、その足元から、何かの“ほころび”のように無数の包帯が

虫か触手のようにうごめき、伸びて――それは白い花の茎と葉の下を、地を伝って。

…水が染みるように、雲の影が動くように。“それ”は動いて。

その無数の包帯は花の下を伝って…兵士たちの脚を、ブーツに絡みつき昇り。

「な、な!? これは…!? 先生、これは――」

ほぼ一瞬で、屈強な兵士たちはヒザ下を白い包帯でガッチリと絡め取られ、身動きも

できなくなっていた。わけがわからない、という男たちの声、そして。





51-5

タイリクオオカミ、オオアリクイの脚にもその包帯は幾重にも絡みついていた。

…いつの間にか。花園の地表は、オオウミガラスの四肢から伸びた無数の包帯に

埋め尽くされ…兵士たちも、オオカミも女王もその白色に捕らえられていた。

「…わわ、ああ…! オオアリクイさぁん!?」

花園の外から様子をうかがっていた遊園地のフレンズ、ミナミコアリクイたちが

この惨劇の予感に泣き出しそうな声を出していた。だが女王は、

「おまえたちは先に戻っておれ。増援も手助けも不要。夕食の用意を頼むぞ」

堂々と、だが明日の天気の話でもするように配下に告げていた。

「…すまないね、オオアリクイ。面倒に巻き込んでしまったかな」

「今さら。…あのペンギンのようなやつは、このヒトたちを殺そうとしているのか?」

 どうやらそのようだ――これも、狼が黄昏の中で笑みをこぼすと。

「…!!」 オオウミガラスの目に、黒…否、暗色の怒りが揺れた。

兵士たちも、狼も女王も――オオウミガラスの“死”に捕らえられていた。

…だが、二人のフレンズは、怯えもしていないのがオオウミガラスを苛立たせる。

「余裕なのね。あなたちの強さは知っているけど…」





51-6

「私の仕事は“これ”を見つけて、見てしまったヒトを処分すること――

 うふふ、もう捕まえてあるのよ? もう、殺してしまったのも同じ…」

暗くなってゆく黄昏の中、オオウミガラスのスミレ色の瞳から黒い霧のような

ものが漏れ、流れ…その足元の、ヨレヨレの作業着を着た男が、マスターの丸出が

ひっ!と失禁したような声を漏らした。

「ヒトなんて、びっくりするくらい脆いもの。このまま、お空に…そうね。

 50メートルも放り上げれば、もうそれだけでみんな…死ぬわ」

オオウミガラスの声に、ファックを吐き捨てた海兵隊のムート曹長が、

「…ファック! 総員、対セルリアンチップ弾、装填。あのフレンズを…撃て」

「…待て、ムート! この位置で下手に撃つと先生に、味方に当たるぞ…!」

渡嘉敷二尉の声がそれを止めたとき。

「…なあ、新世紀警備保障の、オオウミガラスくん」

狼が、薄闇の中でスウッと。金色をした瞳を細めて…言った。

「せめて、私たちを裏切って…みんなを殺す理由くらいは教えてくれないか?

 …まあ想像はつくが。…あの、中国の人民解放軍のものらしいお墓が原因かい」





51-7

狼の言葉に、捕らえられた兵士はハッとして…

彼らが発見した、第一次調査チームのそれとは別の場所に作られていた、墓標。

人民解放軍装備の墓地に目を…やる。

オオウミガラスは、いつの間にか指に巻き付いていた包帯を弄びながら、

「…そう。私がさがしていたお墓は、そっちよ。…世間に、世界に知られるわけには

 いかないヒトたちの、お墓――あれが公(おおやけ)になると困るヒトがいる…」

「そのために、私たちに混じって…この墓地が見つかるのを待っていたわけか」

「ええ。だましてごめんなさい、でもこれもお仕事なの。ねえ、あなた…」

「…ぅうう、僕はこんな仕事、嫌だったんだ…いやだ、イヤだ…」

弱い虫のようにうずくまっている丸出社員が、ハッと顔を上げ。

「そもそも、こんなのは対策二課の仕事じゃない! こんなの絶対おかしいよ!

 …丸忠商事のハゲじじいどもが中共相手にやったポカの尻拭いなんて――」

その丸出の頭蓋に、オオウミガラスの手刀が落ちて黙らせる。

「…ほんと、この盆暗甲斐性なし。なにあっさり、クライアントをゲロってんの。

 ほら、これで――全員、フレンズも殺さなきゃならなくなったわ」





51-8

…丸忠。日本、アジア最大の総合商社、コングロマリット。新世紀の出資企業。

その名前に、渡嘉敷たちは !? という顔になり。

タイリクオオカミはため息を。女王は「それは食い物か?」という顔を狼に向ける。

「…なるほど。ありがとう、だいたいわかったよ」

その狼の言葉に、オオウミガラスは黒い霧をこぼす目を細め…

「まあ、そういうことですわ。日米安保軍の封鎖と管理下にあるジャパリパーク。

 でも…世界中でサンドスターが採掘できるのは、ここだけ。

 どんな手段を使っても、サンドスターを手に入れたいヒトは世界中にいる…」

「…日本の総合商社が手引きして、中国の調査採掘チームをパークに上陸させて

 いた、ということか。…渡嘉敷くんの弟さんたちは、それとハチ合わせしたかな」

「それはどうでもいいの。だって…このお墓は、私が破壊してさら地にするから。

 あとは…そこのヒトたちを肉片にしてしまえば――あとは…」

地面が。オオウミガラスの展開していた包帯の海が、ザワッと揺れた。

「ゆっくり遊びましょうか。…じゃあ、さようなら――」

兵士たちの足元で、それを縛めていた包帯が…じわっと、黒い色に染まった。





51-9

――瞬時に。タイリクオオカミの両の目から、金色と蒼の虹があふれ。

その、手袋をしていた手の爪先が鋭くなった…そこに。

「…待て、狼。ここは私の領土だ」 女王の、短く低い声が響いて…狼を止めていた。

その女王は、オオウミガラスに向き直ると。

「おい。そこのペンギンみたいなやつ。おまえ。さっきから好き勝手なことを――」

女王が、オオアリクイが。薄闇がビリっと震えるような、威厳ある声で言った。

「…このヒトたちを、殺す? この私の、女王の前で? おまえは何を言っている」

「…! さっき説明してあげましたのに。…イラつくわね、あなた」

ガラスの破片じみた声を吐いたオオウミガラスに、だが女王は。

「ここは女王である私の領土、そして彼らはそこを訪れた私の客人たちだ。

 私が、彼らへの狼藉を許すと思うか? …私は見た目より凶暴だぞ」

「ふふふ。アシも動かせない女王様が、何をしてくれるっていうの?」

嘲笑ったオオウミガラスの前で。女王は涼しい笑みを浮かべると…毛皮の隠しに

手を入れ…何かをつまみ出し、それを手のひらに乗せて――見せた。

…それは。キラキラした、小石。ビー玉や、おはじきの玉だった。






51-10

…? と不機嫌そうな目になったオオウミガラスに、女王は。

「これは、私の配下にときおり褒美として与える宝ものだ。どうだ、きれいだろう」

「…ふん。それが何だって言うんですの? 貴方のような田舎者にはお似合…――」

 バァアアン!! と。なんお前触れもなしに、空気が炸裂していた。

オオアリクイが、ゆるく握って腰だめにした右手。

「…!?」「なんだ、避けたのか。ピアスの穴をくれてやろうと思ったのに」

そこから、親指の剛力だけで発射されたビー玉は――いわゆる指弾は、音速を超えて

衝撃波を放ちながら…小首をかしげてそれを避けた、オオウミガラスの髪を千切って

薄闇のどこかへと飛び去り消えていた。

「…ふん。そんな子供だましに私が当たるとでも? なめないで」

「あと5発ある、試してみるか? …まあ、それよりも」

女王の顔が、その目が…ナイフの切れ目のように細くなって、笑っていた。

「そこにいる男は、おまえの亭主か。…私はヒトの男は知らん純潔の身だが――

 いいものだそうだな、男、伴侶というものは。…おい、ペンギンみたいなの」

女王のゆるく握った拳が…その親指が、地面にのびた男を、丸出を狙っていた。





51-11

「…!! な…そのひとになにかしたら、絶対に許さないわ…!!」

「ふふ、そう言うな。女王の私が、対等の場所まで降りてきてやったのだぞ。

 ――もし、おまえが私の客人に。この兵士たちにわずかでも危害を加えたら…

 その時は。そこでのびている男も、客人だが仕方がない。褒美をやろう」

「…ぃ、ぃいいい!! 許さないィイイイ!!」

「ペンギンみたいなの、おまえを未亡人にしてやるぞ」

オオウミガラスの絶叫と、オオアリクイの愉快そうな笑みが交差すると――同時に。

 ゾワ!!と地面の包帯が揺れて…荒れ狂う海のようになった。

「うわぁああ!?」 渡嘉敷たちの驚愕の声を、つんざくように。

「バラバラにしてやるぅううう!!」

…狂気に色や、形、音があるなら…それが、そこにあった。動いていた。

両の手指で、包帯の海を引き寄せ掻きむしったオオウミガラスの前で――

血の色に染まった包帯が、女王、オオアリクイの周囲で爆発のように膨れ上がった。

その血に汚れた波濤は、いくつもの牙と顎の形になって、女王を包み。

 バリン!とその顎が閉じる瞬間――





51-12

爆音と、地響きが同時に――走った。同時に炸裂したそれは。

「…ッリャアアア!」 地面を拳で打った、女王の気迫とその通撃が爆発していた。

その一撃で、女王の周囲の包帯はぽっかり、エグッたように粉砕されて消え。

――衝撃波の爆心地で、女王が涼しい笑みの顔を上げた。

「…!? ちぃいいい! この田舎者めえッ」

オオウミガラスは、血の臭いのする声を吐きながら…地面に手を突き刺す。

その瞬間、ゆっくり身を起こした女王の目の前に――

 ズン!!と、血で汚れた巨大な剣の切っ先が地面からせり上がって…いた。

包帯が血で固まったその剣は、地響きを立てながら次々と突出、走り…

次の刃で、女王はその脚の間を…恥部から髪の先まで切り裂かれる…その瞬間。

「…なるほど。器用なやつだ。だがッ!」

 ズン、と女王の足元で伸びたその刃を…切っ先を、女王の黒い手袋が、その

指先が鬼のような指力だけで捕まえ、押さえつけていた。

 めりめりィ…ッ、と。その包帯の刃が、切っ先が指力だけでむしり取られると。

「相変わらずの馬鹿力だな」 戦いを傍観していた狼が、呆れた声を出した。




未亡人

51-13

「クソっ! くそくそクソァアアア!」

サビた金属をこすったような、オオウミガラスの絶叫が響き――その中を、一歩、

踏み出した女王の周囲に、無数の蛇のような。先端が人の手になった包帯の群れが

押し寄せて…包み込もうとしていた。…女王は避けない、一瞬で飲み込まれ…

 …が。 ゴッ!! と鈍い音が響くと。

両の拳を打ち合わせた、その衝撃で包帯を吹き飛ばした女王は、無言でまた一歩。

「畜生ッ! 死ねぇええこン畜生ぅううう!!」

今度は――少し離れた場所で、木立ちのあいだで樹々の引き裂ける音が響くと。

地面から生えた、包帯の巨大な腕が…二本の、血で汚れた手が。

地面から引き抜いた二本の巨木を、その節くれだった幹をつかんで――蚊でも叩く

かのように、猛烈な勢いで…女王を狙い、叩きつけていた。

――落雷のような、爆発音のような轟音が響き…巨木の枝葉が吹き飛ぶと。

「可哀想に。ここまで大きくなるのに二百年は生きたろうにな」

その巨木の幹あいだに…門をこじ開けるように、両手でその樹を押さえつけた

女王の顔が。その目が…ゆっくり、細くなっていた。




うみ 包帯

51-14

「そろそろ。こちらもおまえの前に行って、頬のひとつも張らせてもらおうか」

巨大な包帯の手を引きちぎり、二本の巨木を巨大な棍棒にして…女王は、また一歩。

「…ひっ… クソが、虫食いの薄汚い畜生めぇええ!!」

目から、紫と黒の混じった粒子を噴出させながら――オオウミガラスは、だが、

憎悪にねじ曲がった口では、笑い… 片腕を、たかく暗い空に突き上げる。

…その周囲に…地面で揺れていた包帯の海が、泡立つように動いて…それは。

血で汚れた包帯は、そのままヒトの形に…何十人もの、無数のヒトの群れになると。

「おまえも、ヒトの形に犯され嬲り殺されろぉおおお!!」

オオウミガラスの絶叫に、血で汚れたヒト形は…女王へと群がり、嘲笑のような

音を撒き散らしながら囲んで、四方からその汚れた腕で襲いかかって…いた。

「…これは、さすがにマズイか――」

戦いを見守っていたタイリクオオカミが、拳をゆるく握った…そのとき。

「…ぅ、ぅわあああ!!」

いままで、この場のほぼ全員から石ころとして扱われていた男が、動いた。




背後から

51-15

「…海ちゃん! もう、もうやめてえ、ェェオエッ…!!」

目を覚ましたヨレヨレの作業着、新世紀の丸出社員が――絶叫で嘔吐しかけながら

オオウミガラスの背後から、彼女を両手で抱きしめて…いた。

「なっ…? あなた、こんなところで何をす… ……ァ……」

背後から、やわらかく膨らむ乳房を抱きすくめられ…オオウミガラスが止まっていた。

「…やめだ! もう俺、仕事辞める! 新世紀辞める対策二課なんかやめる!

 無職に戻るから、二課の課長になんてならないから! お願い、もう止めて…」

男の絞り出すような声に、その哀願に――

…よく聞けば、かなり情けないその声に…そして、その男の腕の力に。

「…ぁ、あああ… …なんて、こと……」

オオウミガラスの目が。いつの間にか黒い粒子の噴出が消え、ただのスミレ色に。

その身体が、がっくり、男とともにひざを折って地面に崩れると。

…周囲にあった邪悪な白い海、包帯は、まさに霧散するように消えてしまっていた。

兵士たちが、突然に縛めが消え、よろめいたり駆け出したりする中…

「……。ふう、やれやれ。――愛、か…」 狼が、ほっとした息を吐いた。





51-16

女王も、巨大な樹々の棍棒を静かに地面に下ろすと。

「…おい、狼。こういうときはどうすればいい?」「笑えばいいと思うよ」

そんな二人のフレンズ、そして――まだ、何が起こったかわからず呆然としている

兵士たちの前で… 地面にうずくまり、抱き合い、べそべそ泣く二人は。

「…みんな、ごめん…ごめんなさい、本当にごめんなさい… 悪いのは――」

「…全部、あなたが悪いのよ、この宿六。…この甲斐性なし、真正無職、としあき。

 ちゃんとこの仕事を済ませれば…ドードーのやつを追い落として、あなたと私が

 リーダーになれていたのに… でも、もうお終わり。…一緒に死にましょうね」

「えっ。死、死ぬの? それは嫌だ… 仕事ははやめるけど、死ぬのは嫌だぁ」

「ああ、もう。あれが嫌、これも嫌。そんなだから、あなたは――」

涙ながらに語り、そしていつの間にか、説教が始まる…夫婦、二人。

狼は、静かに笑いながら――星空を、その下の白い花園の墓地を、見た…


それは愛じゃない。愛はそれじゃない。…だけど二人は愛し合っている。

「セルリアン大壊嘯」がいくつもの愛に永遠という祝福を与えるまで――あとあと284日……





52-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…その彼女、ヒョウが日本で、東京で恋人のいる幸せに浸っている、頃……

――数日、時は遡る。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

かつては財団法人ジャパリパーク振興会が管理運営するテーマパークだったその島、

キョウシュウ島に上陸した、日米安保軍の第二次調査チームの兵士たちは――

彼ら、自衛隊と米国海兵隊の兵士たちの護衛についたフレンズは…


「…きのうは、すまなかったね。一時はどうなることかと思ったよ」

「…正直、久しぶりに冷や汗をかいた。…あれが、ヒトと結ばれたフレンズか…」

かつての「セルリアン女王事件」からの戦友、タイリクオオカミとオオアリクイは

ほがらかな天気、青空の下のテーマパーク。遊園地で仲間たちの帰りを待っていた。

調査チームは、その任務のひとつ――

前任であり、昨年の日米安保軍によるパーク、セルリアンとその根拠地と目されて

いた“マウント・フジ”への総攻撃「オペレーション・メギド」の発動時に

消息を絶った、第一次調査チームの消息を、その亡骸、全員の発見に成功していた。





52-2 とこしえ

何者かの手による、第一次調査チーム全員の埋葬。

そこに、誰も知らない花で作られていた“たむけ”の花園…そして。

同じく埋葬されていた、謎だらけの人民解放軍装備の兵士たちの墓――

発見はされても、いまだ謎だらけのその墓地。

そして、発見の翌日から…

「ありがとうございます、女王。フレンズたちの手伝いのおかげで、なんとか

 明日には、第一次調査チーム、全員の遺骨と装備の収容が終わりそうです」

「人民解放軍の遺骨と装備の回収も、明日には終わりそうだよ。

 …今度、人類がこの島に上陸できるのがいつになるか――わからんからな」

調査チームのリーダー、渡嘉敷二尉と海兵隊のムート曹長、二人は。

彼らより小柄な女王、オオアリクイにひざまずくようにして身をかがめて報告する。

「うむ。他に私たちが何か手伝えることがあったら、何でも言ってくれ」

オオアリクイ、彼女が守護るパーク遊園地、その敷地に天幕がいくつも張られ、

その下にはボディバッグと呼ばれる遺体袋に収納された兵士たちの遺骨が整然と

並べられていた。そこには、フレンズたちが集めてきた花が飾られ…





52―3 おおあり

「……。それで、トカシキ。君たちは…仲間の遺骨をすべて集めて送り出したら、

 それで“ニンム”は終わりなのか? もう、島を出て、家に帰ってしまうのか?」

安堵するような、だが寂しさと残念さを隠せない声で女王が言うと。

「そう…ですね。司令部からの指示待ち、ですが…オペレーション“メギド”の

 損害判定と、マウント・フジの変貌も記録できました。これと――

 第一次調査チームの回収で、我々の任務は完了。…いったん、母艦に戻ります」

「我々が損害ゼロ、戦傷者も出さずに任務を終わらせることが出来たのは、クィーン。

 あなたがたフレンズのおかげだ。海兵隊を、合衆国を代表して感謝する」

兵士たちの声に、女王はうなずき…

周囲でヒトの仕事を手伝ったり、補給艦から運ばれてきた物資に目をきらめかせて

いるフレンズたちを…見て回る。

そのオオアリクイの目が、補給物資の。冷凍の食品や缶詰の山に向いて。

「…宴はいつまでも続かぬものだ。ミライ博士がいたころもそうだったが――

 いつかは終わるから、宴…か。これでまた、ジャパリまんと草と魚の毎日、か」

独り言つぶやきながら、女王は遊園地の中を見て回り、そして。





52-4 おおかみ

「セルリアン女王事件」の頃からの戦友、調査チームの護衛のために

日本からここ、パークに里帰りしていたタイリクオオカミの姿を見つけた女王は、

「…狼、今日はなにを …ああ、例の“かめら”か」

女王が声をかけたタイリクオオカミは、兵士の一人と――海上自衛隊の特殊部隊、

“海坊主”から派遣されてきた妹毛三曹と、小型のノートパソコンを見ていた。

オオカミは、伸びをするようないい顔で笑い、

「ああ。渡嘉敷くんの弟さんの墓、そこにあったカメラとタブレットさ。

 その中のデータを復旧できるかどうか試してもらっているんだ。…それで?」

オオカミの声と戻った視線に、キーボードをリズミカルに打っていた妹毛三曹が、

「カメラのカードはまるごと生きていました。タブレットのメモリは水でやられて

 ましたが、まあ八割がたは復旧できますよ。…動画データが大半のようです」

「それは素晴らしいね。第一次調査チームに“なにがあったか”は、たぶんその

 データが教えてくれるだろうね。渡嘉敷くんにも報告を、おねがい」

兵士に礼を言って立ち上がったオオカミと、女王は…

目配せで小さくうなずきあうと、その場を二人で離れ、歩く。




うみがらす

52―5

ヒトびとから、天幕からも離れた二人は。女王が先に口を開いた。

「…あの二人は。…昨日の、オオウミガラス…だったか。あいつと男はどうしてる?」

「どうもこうも。ふつうに宿舎に泊まって、今日は遺骨の回収の手伝いに出ているさ」

「…やれやれ。あのときは久しぶりに嫌な汗が出たぞ。

 あのオオウミガラス… 内地の、男を知ったフレンズっていうのは――

 あんな化け物じみた連中ばかりなのか」

「いや、そういうわけじゃない。…彼女は――彼女たちは、特殊だ。

 本来ならサンドスターの奇跡でも再生することが“無かった”絶滅種フレンズ。

 それをあつめた新世紀警備保障のフレンズの中でも、彼女はとびきりの強者さ。

 …だからこそ、あんな汚れ仕事に抜擢されたんだろうけど、ね」

女王は、ポケットに入れていたガラス玉を手に取り、それをもて遊びながら。

「…きのうは、あいつが冷静に攻めてきてたら…潰されていたのは、私だったな。

 空から、矢継ぎ早に攻められたら終わっていた。…まさか――

 男のことで、あそこまで血迷って怒り狂うとは。……。男というのは、そんなに…」

ぼそぼそと、声を恥ずかしげに細くした女王に、狼は。




みらい

52―6

「言ったろう。彼女たちは、特殊なんだ。その伴侶の、男ともどもね」

…そうか、とだけ答えた女王は。…ふと。

「…そうか。あのときの――“園長”も、トワも男だったな。…ハハハ、そうか。

 トワにべったりのフレンズたちがいると思ったが、あれはそういう…」

「ミライ博士も園長のことが好きだったようだよ。…だが――トワはもう、いない」

…そうだな、と答えた女王は。数歩、歩いて。また何かを思い、狼に。

「なあ、狼。おまえ…男は、好きなヒトはいないのか? その、内地で…」

今度は、オオカミが何ごとか考え込んだように沈黙し、そして。

「……。…いや、今はいない。好きな相手はたくさんいる、けどね」

「…そうか。どんな気分なんだろうな、その…ヒトの、男を好きになるって。

 そんなに、心と体の芯から力が湧いてくるほどに嬉しくて、素敵なんだろうか」

「そう思うよ。…どうした今日は? 女王ともあろうものがオセンチじゃないか」

「…ふん。仕方なかろう、この島で無敗の私が、小手先を使わねば潰されそうに

 なったんだぞ? その原因というか、理由は気になって当然だ!」

照れたような顔の戦友に、狼は小さく笑って返す。




としょかん

52―7

いつの間にか――足を止めた女王の目が、はるか遠くへ。

島の中央にそびえる火山、マウント・フジの噴出孔へと向けられていた。

「…この仕事が済んだら、あの男たちはクニに帰る…そうだな。

 狼、おまえはどうするつもりだ? 本当に、火山の“結界”を戻すつもりか?」

「……。ああ。やるさ。それをせずに日本へ戻っても仕方がない。

 “結界”が崩れている今、このパーク…世界は、セーバルがたった一人で支えて

 いるようなものだ、すぐに限界が来る…その前に、なんとかしなければな」

「四神はトワとともに消えてしまったぞ。…どうやって“結界”を張り直す?」

「四神にもう一度、お出まし願うだけさ。その方法を知っていそうな相手の

 目星は付けてある。あとは火山山頂に突っ込める猛者をそろえ―― ……ッ?」

同時に――フレンズたちは“それ”を察知していた。

オオカミと女王の目が、固まってお互いを見、そしてその目は…火山へ。

同時に――その目が、体がぐらっとブレて。世界が、低く不気味に揺れる中、

「地震か…!? これはデカイぞ、狼…」

「…まずい、噴火が来る」 二人のフレンズは、次の瞬間には走り出していた。




かざん

52―8

震度は、3強ほどだったが…ふだん感じない、不気味な揺れの中。

遊具や大型施設、敷石がミシミシときしみ、フレンズたちが悲鳴や不安げな声を

湧き上がらせる中、狼と女王は走り――

「みんな! 屋根の下に! 何かの下に隠れろ! 噴火が来るぞ!!」

女王はフレンズたちに声を飛ばして、避難先を指示し…

「あ、わわ…わわ…!」「サンドスターはいいけど、大きい石ころは困りますー」

広場で、怯えて火山の方を威嚇…というか恐怖で固まっていたミナミコアリクイと

丸くなってたヒメアルマジロを、オオカミが両脇に抱きかかえて…走る。

その頃には…上空から、不気味な唸り声とともに…

 ブゥウウウン ゴッ!! ドガッ!! と…噴石が、否、握りこぶしほどのきらめき、

サンドスターの塊が降り注ぎ始めていた。

この距離だと、普通の噴石は飛んでこないが…サンドスターは、島全体に降り注ぐ

意思でもあるように、震えるマウント・フジから拡散していた。

オオカミと女王は、休憩所のベンチに駆け込み、その屋根の下に拾い集めてきた

逃げ遅れフレンズたちを置き――そして、その二人の目が。





52―9

「…!! まずい、調査チームが――みんな、どこに…!?」

「我々ならサンドスターが直撃しても痛いですむが…ヒトはまずい、怪我ですまん」

オオカミの嫌な予感が、焦燥が…現実になり、彼女の200メートル前方にあった。

「…トカシキ、地震だ…! 噴石がここまで!? ファック、遺体のテントが…!」

「やむおえん…! 総員、屋根のある場所へ! 走れ…!」

調査チームの兵士たちは、プロテクターとヘルメットを装備していたが…噴石と

化したサンドスターの直撃を受ければ、中身の体がただではすまない。

兵士たちが、売店や休憩所のほうへ、観覧車の下へと逃げ込む中――

「渡嘉敷くん!」「先生、これは…!? あ、危な…」

最後まで部下たちを誘導していた渡嘉敷二尉とムート曹長は、遺体を収めた天幕の

前で…周囲に、虹色の噴石が襲い始めていた。天幕の影で、パソコンを操作していた

妹毛三曹と吉三尉も逃げ遅れ…そこに。

――ぎりぎり、オオカミと女王たちが間に合った。

オオカミは、渡嘉敷二尉を襲って押し倒すようにして伏せた自分の下に。

ムート曹長も、体を丸くして防御態勢に入った女王の胸の下に押し込まれていた。





52―10

そこに、サンドスターの塊が空気を切り割く唸りとともに降り注いで。

「せ…先生…!? あ、あの!」「っ、ク… 大丈夫…まだ、動いちゃダメだ」

ヒトを守ったフレンズたちの背中に、サンドスターの噴石が当たり、鈍い音を立てて

砕け散って、光の粒子になって消えてゆく。

衝撃にかすんだオオカミの目に――

「ミドリちゃん…!」「…すき、好き…」 妹毛三曹は、必死の野生解放で甲羅を

大きくしたアカミミガメと、その楯の下で抱き合って難を逃れていた。

吉三尉も、際どいところで飛来したハゲワシが仁王立ちで展開した髪の翼の下で

呆然とへたり込み…だが、その顔にはやり遂げた男だけが持つ輝きが宿っていた。

兵士たちが、難を逃れた中。だが…

遺体を収めた天幕に、数発のサンドスター塊が直撃し…それだけで、天幕は鈍い音を

立ててひしゃげ、潰れかけ―― …だが。次の瞬間には。

…!? オオカミたちの目に、雲で陽の光が陰ったような影がさした。

「…うふふ。高濃度サンドスターがこんなに。…この島って、素敵。ねえ、あなた」

いい湯に浸かったような、オオウミガラスの声とともに噴石は…消えた。




ああー

52―11

天幕の上には、逃げ遅れた兵士たちとフレンズたちの上には――

真っ白い、巨大な翼型のものが展開して…その下にあるものを守護っていた。

白い包帯が形作った、その巨大な天使の羽根の下、その中心に立つオオウミガラスは

噴火で腰が抜けた彼女のマスター、丸出にすがりつかれながら。

「ああ、生き返るよう… 今なら、あのチビのあんちくしょうに勝てそう」

いい湯に浸かったように、オオウミガラスはうっとりと目を細める。

「た、助かったぞ。その…」 言いづらそうな、女王の声に。

「なんのこと? 私はサンドスター浴をしているだけよ。 …あら…もう終わり?」

その翼の下で、遺体の天幕とヒトたちが守られる中。

地震は、噴火は始まりと同じく、唐突に…終わっていた。

「…ねえ、あなた。この島、あなたのお仲間ですわよ。2回めはやく、やくめでしょ」

オオウミガラスが、しゅるしゅると冗談のような速さで翼を格納する。

無事だった兵士たち、フレンズたちがゆっくり立ち上がると。

「…今の噴火は大きかった、というか。なにか、嫌な感じだったな」

「サンドスター噴火は雨みたいなものだが。今のは、あのときの――」




ちべすな

52―12

女王が、敬礼しているムート軍曹に手指を振りながら。難しい顔で、言う。

「…ヒトの軍隊が山を攻撃したとき、あれと似ているな。嫌な感じだ」

オオカミも、赤面して言葉が出てこないでいる渡嘉敷二尉の肩を叩いて、

「…たしか、チベスナくんが火山のほうを偵察していたな。

 彼女の報告を待ってみよう、なにか起こったのかもしれないね――」

過ぎ去った災害の中で…

数組のヒトとフレンズが、手を取り合って見つめ合い、または足蹴にされたり

して恋の始まりを謳歌する中… タイリクオオカミの嫌な予感は、的中していた。


――翌日のこと。

女王たちと兵士たちがそろった遊園地の休憩所では、深刻な事態が明かされていた。

「…まずいですよ。“あいつ”が、火山から砂漠の方へ戻ってきちゃったんだよ」

「地下迷宮にも、セルリアンが再度、跋扈しています。おそらくは…

 あいつが、“ツチノコ”が掘ったトンネルを伝って湧いてきたものかと…」

偵察から戻ったチベットスナギツネと、彼女が連れてきたマダラスカンク。




マダラ

52-13

砂漠の奥にある、テーマパークのひとつ「地下迷宮」周辺を縄張りにしている

マダラスカンクが、地面に棒でがりがりと何数の地図、図形を描きながら。

「この島には、地下に“ばいぱす”っていう洞窟…みたいな道があるんだ。

 砂漠の、そこに住んでた子たちが内地に行っちゃったから。

 しばらくは誰も、“ツチノコ”がそこから動いたのに気づかなかったんだ」

スカンクの説明に、渡嘉敷たち兵士はジャパリパーク振興会から提供されていた

地図を、画像データに目をやる。

タイリクオオカミは、ふと小首をかしげ、

「その“ツチノコ”ってやつは特大型セルリアンかい? 私が聞いたことがない

 ということは、最近発生したやつかな」

「ええ。オオカミ先生が内地に行かれて…このパークをヒトが放棄して、撤退した

 のとほぼ同じ頃に発生した大型セルリアン、その一体です」

チベットスナギツネの説明に、兵士たちの顔に暗い影が落ちる。

このジャパリパークを、人類が放棄せざるを得なかったその理由のひとつ。

危険すぎる大型セルリアンの存在が、彼らの前に再び現れたのだ。




しーるど

52―14

バイパスの地図を見ていた妹毛三曹が、ペンを立て質問する。

「そのセルリアン…また、ツチノコとは。そういう形をしているのかい?」

スナギツネは毛皮の隠しから、一枚の古びた紙を取り出す。

「そのセルリアンに“ツチノコ”と名付けたのは、ミライ博士です。私たちは、

 ツチノコがどんなものかは知りませんが、ミライ博士はこれを…」

スナギツネが開いてテーブルに置いた印刷の紙には…

「川崎重工のパンフ?」「おい、これ…シールドマシンじゃないか?」

「はい、ミライ博士が仰っていたのは――“ばいぱす”建設工事に使われた

 その機械がセルリアンに飲まれた、と。それにツチノコと名付けたようです」

スナギツネの説明に、オオカミは唇に手を当て…少し考えてから、

「もとが、シールドマシン…では、ツチノコは自分で地下に穴を掘って移動を?」

「はい。その通路をほかのセルリアンも伝ってきて…地下迷宮は、それで放棄を。

 どうやら、ツチノコは…地下にセルリアンの巣窟をつくる気のようですね」

スナギツネの説明に、会議の席がざわっと揺れた。

「おいおい、シールドマシンて。直径15メートル、全長は…それが元の、怪物…」




まだら

52―15

ムート曹長の声に、スカンクが。

「いまは、もっと大きくなってるよ。しかもさあ、あいつ…火山の方に穴を掘って

 行ってしばらく姿を見なかったんだ、そうしたら昨日、迷宮に戻ってきて――」

「…ツチノコは火山で、溶岩とロウを食ってきたようです。体が変化して…

 あの巨体が、溶岩のように高熱で灼けていました。…近づくだけでも危険です」

スナギツネの報告に、女王のオオアリクイは――机の上で手を組み。

「…その、ツチノコが――平地に、こちらに向かっているというのだな?」

「はい、地下迷宮を巣穴にして、地下のトンネルを拡張しながら…こちらに」

…まずいな。オオカミも腕を組み、難しい顔をした。

「特大型と言うだけでも厄介なのに、地下のトンネルはツチノコのホームだ。

 地上に引きずり出さねば、われわれでもまともな攻撃はできないぞ」

「体が燃えてるせいかな、ツチノコめ。ボクの 瞬殺無音 も効かないんだよー」

…本当か。 スカンクの言葉に、女王の表情が険しくなった。

「このままでは、地下は危険なセルリアンの巣窟にされます。そして地上も…

 ヒトにつづき、我々フレンズにも安全な場所はなくなってしまいます」




つちのこ

52―16

あくまで、冷静なスナギツネの報告と推測に…会議の席の沈黙は重くなる。

その中、恐るおそる手を上げた吉三尉が、

「あの。まえに…B-2を食っていた大型飛行セルリアンを仕留めたように…

 オオウミガラスさんがそのツチノコを捕まえて、ボキッとやってしまえば?」

その発言に、会議の隅の席にいたオオウミガラスは指先から包帯を伸ばし、

「…私にも苦手なものはありますの。それが、火… 体に溶岩をまとっている、

 そんな相手では…包帯ごと、私自身も燃やされてしまいますわ」

…そうか、そうだな、と。かすかに見えた希望が潰えた…そこに――

ガタッ!と。一人の男が、よれよれの作業着姿の丸出が席を立っていた。

「…!! 海ちゃん、決めたよ…! 俺、本社に電話する! 今しかない…!」

――男が、人生をかけた顔と声で訴えた、そこに。

「とうとう、仕事に失敗したって電話しますの? 中国軍の証拠を抑えられたと」

「ぅ、ううう…その、そっちじゃなくて。…これを…!!」

丸出は、ヒーローの変身アイテムのごとく――少し大きな携帯電話を。

彼が後生大事に持ち歩いていた、イリジウム衛星システム電話を高く掲げた。





52―17

「これで本社に…新世紀警備保障に報告するんだ! 俺の出張先権限のひとつ、

 対策一課の出動を要請するよ! 一課の“アレ”なら――」

??という顔になった兵士たち、フレンズたちの前で。

「……。対策一課て。あんな予算ドロボーの、税金対策でブリキのおもちゃを

 転がしている連中を呼ぶとか。あなた、懲戒免職どころじゃ済まない…」

「いや! 対策一課の対セルリアン用直立型特殊車両なら…! あのロボなら、

 そのツチノコを地上に引っ張り出してしまえば、きっと…! 一課の初陣だ!」

興奮している丸出に、新世紀社の展示していた大型ロボットを思い出した狼が、

「それはいいが…あんな大きなものを、このパークに? どうやって」

「大丈夫です! “ビッグ・ガード”には分離、合体機能があるんです…!」

「…組み立てに6時間、自力での自走・稼働時間はたった5分のポンコツですわ」

絶望の中に見えた光は…ブリキのおもちゃ、その塗装の剥げた地肌…だったか…?


路地裏で夢を見ていた宇宙少年の心は、まだ燃えているか? 魂は荒ぶっているか?

「セルリアン大壊嘯」がこの星の敗者に死と消滅を宣告するまで――あとあと281日……





53-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…その彼女、ヒョウが日本で。東京で。恋人のいる幸せに浸っている、そのころ。

ヒョウが、アミメキリン経由で元下宿フレンズのタイリクオオカミからの手紙を。

今は危険な死地となったジャパリパークからの手紙を受け取っていた、ころ…


――数日、時は遡る。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

ほんの1年ほど前までは、島全体を財団法人ジャパリパーク振興会が管理運営する

テーマパークだった「パーク」のキョウシュウ島。

そこに上陸した、日米安保軍の第二次調査チームの兵士たちは――彼ら、自衛隊と

米国海兵隊の兵士たちの護衛についたフレンズたちは…

「…第一次調査チームの遺骨、全員で12人。装備とともにすべて、回収。

 地震とサンドスター噴火に耐えられる屋内に、全員、保管中だ」

「…例の、チャイナの――人民解放軍コマンドたちの遺骨は、おそらく20…

 こちらは損傷が激しいものも多く、実数が確定できなかったな。

 DNA検査をすればわかるだろうが…それは、俺たちの任務ではないな」




ゆうえんち

53-2

第二次調査チームのトップ、自衛隊の渡嘉敷二尉、そして米国海兵隊のムート曹長

たちが――遺骨を納めた宿舎を、入り口が花壇のように、現住フレンズたちが

集めてきた花で飾られた建物を見、話す。

その兵士たちに、ここ、キョウシュウ島「遊園地」を預かっているフレンズの女王

オオアリクイと、調査チーム護衛のタイリクオオカミがうなずいた。

「それで。彼らの遺骨を運び出す予定は? 君たちがここを退去する、その日は」

オオアリクイの言葉に、ムート曹長が小さく敬礼し、

「早ければ明日にでも、揚陸旗艦「ブルー・リッジ」からブローのフレンズが。

 マム・カンムリワシがコンテナで輸送する手立てになっています。クィーン」

「…明日か。君たちも、そのときに――この島を出るのか」

「いえ、我々はもう少しあとになります。迎えのオスプレイが来るのは、おそらく

 来週以降かと。…任務は全て終わっているのですが、あの人民解放軍の遺体が、

 少しハナシをややこしくしているようですな。当然ですが…」

話を聞いていたタイリクオオカミは、ふと、風の匂いをかぐように。

「中国軍兵士諸君の遺体も、いったんはアメリカに運ぶのかい?」




あーど

53-3

「…そうなりますね。中国政府がどう出るか、ステイツが判断し対応するかは…

 現場の我々にはわかりません。ただ、死んだ兵士には相手がどのような立場で

 あろうと、最大限の敬意を持ってあつかう。…ステイツは国際法を守りますよ」

…なるほど。ムート曹長の力強い言葉に、オオカミがうなずいた。

そこに。調査チームの世話係を命じられているアードウルフが駆け寄る。

「あのっ。あちらで、マルデさんたちがオオカミ先生をお呼びです」

「ありがとう。どうやら、通信の用意が整ったようだ。…ちょっと、失礼」

狼は兵士たち、女王たちに小さく手を上げてその場を離れると――

…ああ、あれか。と。

遊園地の敷地を進んだ狼は。売店脇の敷石の上で、売店から電源を取りながら

衛星通信用のパネルを、ノートパソコンを展開しているヨレヨレ作業着姿の男。

第二次調査チームの民間からの派遣、新世紀警備保障社の丸出に挨拶した。

「あら、オオカミさん。うちの宿六が、日本に通信をつないだところですわ」

丸出のバディ・フレンズ、オオウミガラスが指先で包帯をもて遊びながら笑う。

「なにか、私たちに“お願い”があるという話ですが…」




うみ

53-4

オオウミガラスの、何か探るようなスミレ色の瞳。その笑みにオオカミは。

「実は、そうなんだ。大したことじゃないんだが…」

狼は、毛皮の隠しから小さな紙切れを、何かの文字が書かれたメモを取り出した。

「こいつを画像データにして、なんとか日本に送ってもらえないかな。

 ――君たちの通信は、政府を通さずに…新世紀に直通、だろう?」

「……。政府にも、パーク振興会にも秘密で…内地に情報を? スパイの片棒を

 私と、このひとに担げと? 大層なことを仰るのね。その紙、見てもよくて?」

かまわないよ、と。狼が差し出したそのメモは――

タイリクオオカミから、内地のアミメキリン、そしてフレンズ下宿のヒョウに

送られる…ただ、安否を知らせるだけの、その走り書き。

「…ぼ、僕はかまわないけど。情報担当の阿久迄とは僕、友だちだからたぶん、

 内密の頼み事は出来る…と思うよ、思います、ええ」

有名漫画家フレンズのオオカミに、ニコニコと胸を張った丸出にオオウミガラスは。

「…このぼんくら亭主。阿久迄さんが黙っていてくれても、彼のバディが――

 防諜担当のニホンカワウソちゃんがそれを見たら、どうなると?」




どーどー

53-5

フレンズ嫁の容赦ない叱責に、丸出がウウウと小さくなる。

…が。オオウミガラスは、狼の手紙を亭主に投げると、

「…あなた。私の名で、あの“どちび”。ドードーあてにその画像を紛れ込ませて。

 そうすれば情報部はそのデータに触れないわ。カワウソちゃんもね」

「えっ。ドードー隊長に? やだなあ、あの子はいいけど…マスターの八剱が嫌…」

「いいから。これで…このオオカミに、ひとつ貸しができるんだから。

 それに…中国軍の墓のことで、私たちはもう任務にしくじっているのよ?

 どうせ帰国したら、私たち懲罰どころか――CIROの暗諜、内閣暗流諜報捜査室

 あたりの預かりになって、二人とも今度こそ地上から消されるかも。…うふふ」

オオウミガラスの、破滅を笑みにして話すようなその声に丸出は頭を抱えつつ、

それでも、オオカミの手紙を画像にして、処理に紛れ込ませる。

「ありがとう。すまない、面倒をかけるね。ああ、内地の宛先は…」

狼は、少しだけ考えてから。

「編集の仕事をしている、アミメキリン。彼女にその画像を、頼むよ」

――こうして。この画像は数日後、アミメキリンに、ヒョウの手に渡ることとなる。




おおかみ

53-6

手紙が、電子化されて衛星に送られるのを見て…狼がホッとしたように息を吐く。

今度は、そこに――いくつかの軍靴の音が、近づいた。

「…先生、すみません。妹毛が、例の映像の修復が終わった、とのことです」

「遺品のカメラとデータは、遺骨と一緒に送還するんですが。…ちょっと、内容が」

敬礼しながら言った渡嘉敷二尉、部下の吉三尉にオオカミは。

「ああ、渡嘉敷くんの弟さんのカメラ映像か。…わかった、少し見せてもらおう」

狼は新世紀警備保障のフレンズと社員に手紙を頼み、今度は…

――遺骨を納めている宿舎、そのかたわらにある東屋へ、兵士たちと向かう。

数日前の噴火以降、ヒトの兵士は極力、遮蔽物のある場所に退避できるように

していた。その東屋、バーベキューコーナーの一部だったそこには、

ノートパソコンに向かう妹毛三曹と、彼に寄り添うアカミミガメの姿があった。

「やあ、オオカミ先生。…やっぱり、先生の言うとおりでした。

 としかきのカメラデータのSSDには、任務以外のものもたっぷり入っていましたよ。

 あいつ、自分が死ぬとは思ってなかったんだろうな…死後のデータ消却、大事」

「トシカキ? それは…」




じゃんぐる

53-7

…なにか、聞き覚えのあるような名前に狼が目を細めると。

「…失礼、渡嘉敷、寿明三尉。二尉の弟さんのあだ名なんです」

「ええ。私と弟は、ほぼ同期だったので…みんなから間違わないように、あだ名を。

 私が、背が高いんで木偶、デク。弟は、トシカキってみんなに呼ばれてました」

「…そうだったのか。それで、修復できた映像は――」

狼は、妹毛三曹のモニターに写った映像に身を乗り出す。

その、ハッとするほど形の良い巨乳に妹毛は目をそらしつつ…テーブルの下で手を

握っていたアカミミガメに目配せして、彼女を少し後ろに下げさせる。

「修復できたデータのうち、作戦任務に関するものはこちらのフォルダ。

 …こっちが。としかきの私用というか、このパークの記録映像ですね」

「なるほど。…私の言った通りということは。…フレンズ、オオカワウソが――」

「ええ。たっぷりと。日付から換算すると、としかきたちが島に上陸して…

 ここで、オオカワウソと遭遇したのは去年の9月あたり、そこから1ヶ月で…」

妹毛は、修復できた画像を、映像をモニターに開いてゆく。

そこには… 最初は、川面や木陰に隠れる、黒い影だった“もの”が…




おお

53-8

「…オオカワウソくんだ。最初は、ヒトをかなり警戒している…」

「ええ。でも可愛いフレンズですね。背は高いですが、男好きするいい子ですわ」

古いほうから展開されるその映像では…

ジャングル地方に探査の足を伸ばした第一次調査チームが、現住フレンズの

オオカワウソと接触、最初は警戒していたカワウソが、しだいに好奇心に負けて。

ヒトの食料や、ペットボトルなどに興味津々になる様子が、そして。

「…どうも、としかきとは最初から相思相愛っぽいですね、これは」

妹毛が画像を展開すると、そこには…誰かに見られていないか、おどおどしながら

男のほうに近づくオオカワウソが――渡嘉敷弟のヘッドセットカメラの目線で映る、

初々しいフレンズの姿が、恋を知ったその可愛らしい顔と瞳が映っていた。

「……。ほう、オオカワウソくんは、本来こういう顔なのか…」

「かわいいですよね。…コツメちゃんも可愛いですけど、タイプが違うと言うか。

 オオカワウソちゃんのほうが、ヒロインちから、強めなかんじですね」

ベタ褒めする妹毛の背後で、アカミミガメがスネたような顔になって。

…そして、映像は日付が進んでゆく。




おお

53-9

「…最初は、チームが集まっている所にオオカワウソちゃんも来ていたよう

 ですが、そのうち――としかきが一人になったら、こっそり会いに来ています。

 まあ、出来てるってやつですわ。これは。じっさい、このあと…」

「トシカキ、あいつ…任務中に。…まあ、フレンズとの接触は禁止事項ではないが」

映像の中のオオカワウソは、明らかに男に甘えていた…

そして、顔がカメラいっぱいになって暗くなり…あ、キスしたなあ、と…

そして。最後のほうの映像になると――狼は、めずらしく顔を背けて手をふる。

「…あー。そこはいい、もうわかった。武士の情けだ、見ないでおこうか」

…映像の中で、オオカワウソは――

…あの、謎の白い花が咲き乱れるしとねの上で、月明かりの下…とろけたような顔で

横たわって、そして…男の手が、その大きな乳房をやさしく、乱暴にもてあそぶと

オオカワウソの顔が、苦しそうに赤らんで…毛皮が、ゆっくり脱がされて…

「…何を映してるんだ、あのバカ弟は…」

渡嘉敷二尉も手で顔をおおい、ため息をつく。妹毛の背後では、彼の恋人になった

アカミミガメが、耳どころか顔を真赤にして頭から蒸気をゆらゆらさせていた。




おお

53-10

「トシカキ、思い出づくりに映像を集めていたんでしょうね。原則として…

 閉鎖後のパークからは、フレンズを外に連れ出すことは厳禁ですから――

 この島で終わらせるしかない恋、ってやつです。……あー…」

説明する妹毛の背後で、さっきまで真っ赤になっていたアカミミガメが…その

話を聞いてしまい、今度は一瞬で…顔がこわばり、蒼白になっていた。

妹毛は、後ろ手でアカミミガメの手を握ってから。

「…で。問題はここからですわ。――真面目な方の、データです」

展開されたデータには、遠距離からの偵察映像や写真が並んで、動く。

その不鮮明な映像に…だが。一瞬で、渡嘉敷二尉と狼の目が鋭くなる。

「…人民解放軍のコマンドだ。第一次チームは、彼らを発見していたわけか」

「そのようです。遠距離から、共産コマンドの動向を偵察しています――

 それを、第一次チームも本国政府には報告していたようですが…」

「どこかで握りつぶされていた、か。クソッタレが隠れているのは日本だけじゃない、

 …失礼、アメリカにも中国と内通している連中がいたことになりますね」

兵士たち、狼が鋭い目でモニターを見つめる、そこに。




ばくげき

53-11

「…そして。データの日付は運命の日、『オペレーション・メギド』の日です」

妹毛が展開したそのデータは――

それまでの物と違い、ファイルが細切れで、明らかに修復に手間取ったものだった。

「この日、第一次調査隊は全滅、したんでしょうな。…としかきのHDケースと

 バックアップのSSDにも被弾と衝撃の跡があって――コレが限界でした」

…展開されたその映像は…暗闇の中、暗視装置の増幅した…光景。

…人類が、初めて目の辺りにした『地獄』が――そこには映っていた。

…米軍と自衛隊による、セルリアンの根拠地と目されていたサンドスター噴出孔。

…マウント・フジへの総攻撃、それを観測する任務の第一次調査チームを。

…総攻撃とともに、地獄の釜の蓋が開いたように湧き出したセルリアンの、群れ。

…その群れに襲われ、撤退もままならない第一次調査チーム――そこに……

「……? 銃声、が? 別の方から? まさか!?」

「…ええ。どうやら。第一次調査チームは、セルリアン群れに襲われたそのとき、

 運悪く、撤退中の中共コマンドと鉢合わせ、したみたいですね。これ」

妹毛は、断片のファイルを開いていき…




せるりあん

53-12

…暗視装置の映像は――不鮮明な中に、銃声と男たちの絶叫、怒声、そして

断末魔や悲鳴が混じって…日本語、英語、中国語が――地獄に飲み込まれていた。

「としかき、部下を逃がそうとして… ここで、撃たれてます。

 たぶんこれが致命傷でしょう。…問題なのは――ここから、ですわ」

…暗視装置がブレた、真っ暗に見えた映像に…なにかの、暗い影が写り込んだ。

…光源は、月明かり、そして。…遠くで爆発、噴火するマウント・フジの閃光。

…その灯りの中、映ったのは――

「…オオカワウソくんだ。まだ銃声がしてる、セルリアンの咆哮も…そうか。

 恋人のトシカキくんを助けに来て…間に合わなかった、のか」

ああ、と。狼が、つらそうな声と息を漏らす中。モニターの中では…

『……!! カキ…トシカキ…! シカリ…しっかりシテ…』

修復された音声データが、オオカワウソの声がブレる映像に合わせて、流れ。

『……。…おお、ちゃん…逃げ…… 僕たちはもう…逃……』

渡嘉敷三尉の声らしきものが、映像に入ったとき――そこに、大型セルリアンの

咆哮が、そして中国語の悲鳴と。発砲音。…その発砲音は。




さうんど

53-13

……!! びくっと、映像を見ていた兵士たちと狼の体がこわばった。

中国軍コマンドが発砲した銃弾の雨が…オオカワウソと、彼女が抱き上げる男、

渡嘉敷三尉の身体を引き裂いてゆく、ゾッとするほど軽い音が。そして…

『……!! ギャンッ!! ……!? あ、あああ…とし、かき……!!』

…もう、男は何も答えていなかった。そこに、容赦なく銃弾は降り注ぎ――

『…ガ、グ!! やめ…ヤメ… もう、としかきを…壊ス、ナァaアaAA!!』

…オオカワウソの悲鳴じみた――咆哮、そして。

…オオカワウソは、恋人の身体を起こして何かに背を持たれかけさせていた。

…そのせいで――この地獄が、全域が暗闇の中、暗視装置にはっきり…映る。

その映像に――再び、兵士たち、そして狼が…たじろいだ。

「?? な、なんですか、先生、コレは? …オオカワウソが…増えた?」

「――……。野生解放、じゃない。…暴走したんだ、あの子は……」

狼の、震えを飲み込んだような声の中。モニターの中、無機質に映される映像には。

…いつのまにか画面に、この惨劇の場に黒い霧のようなものが広がっていた。

…その黒い霧の中――“なにか”が。動いていた。




暴走

53-14

…暗闇の中。血よりも真っ赤な三つの形が、いくつもいくつも浮かぶ。

…ナイフの切れ目のような、真っ赤な目。そして牙をむいて裂けた、狂笑の口。

…オオカワウソの目と、牙が――

…無数に分裂したオオカワウソが、周囲の動くもの全てに襲いかかっていた。

…セルリアンは、引き裂かれ、食われて。大型も脚を千切られ、群がって食われ。

…オオカワウソは、錆色の銃火にも、ヒトの姿にも――群がり、襲いかかっていた。

「!! コマンドが…! あ、ああ。…バカな、フレンズが人を襲う…だと?」

「……。なるほど。中国軍コマンドの死体の損傷が激しかったのは…これか」

狼の言葉に、これを見ていた妹毛もゾッとしたように。

「中共コマンドも、これで全滅したようですね。…オオカワウソに食い殺されて…」

…映像の中の銃声は、次第に少なくなり――

…かわりに、中国語の絶叫や悲鳴が広がって――それも、じきに…消えた。

「このデータも、本国に、アメリカに送るわけですが…どうなることか。

 いっそ、あの墓をテルミットで焼いておいたほうが平和だったかも知れませんよ」

妹毛の言葉とともに、最後のファイルが再生を…終えた。




あははは

53-15

「……。し、しかし、先生――この、オオカワウソは確か…内地に、日本に送られて

 リハビリを、日常生活訓練を受けている、と…?」

「……ああ。私が、そう手配したんだ。…まさか、こんなことがあったとはね」

狼は、大きな胸の下で腕組みをし…そして。

「…だが。兵士たちを埋葬したのも、まちがいなくオオカワウソくんだ。

 おそらく、この野生暴走から正気に戻って…

 恋人と、仲間たち。同じヒトの、コマンドたちも埋葬したんだろうね」

ノートを閉じた妹毛も、怯えているアカミミガメの手を握りながら…言う。

「先生の推測どおりだと思いますわ。このあと、墓を作ってとしかきを弔った

 オオカワウソちゃんは――同じヒトの気配がある、海へ…

 沖合の封鎖艦隊を見つけた、ってところでしょうか」

「おそらく、ね。…そこで、水棲セルリアンとの戦闘で座礁していた海自の護衛艦

 『あぶくま』を見つけたオオカワウソくんは、今度は――

 彼女の“野生解放”、巨大化で『あぶくま』を救って、そのまま保護された。

 これは海自の記録にある。…最初は怪物に襲われたと思ったそうだよ」





53-16

兵士たちと、狼は――蓋を閉じられたノートパソコン。

おそろしい事実が詰まっているその機材の前で、しばらく無言で立ち尽くす。

「…オオカワウソくんが、二重能力の持ち主とは。…やはり、男を知ったフレンズは

 未知数だな、どんな力を発現するか――私にも、ぜんぜんわからん」

「こんな子を、日本で…大丈夫なんでしょうか?」

渡嘉敷二尉の言葉に、狼は1秒だけ考えてから――いい顔で、笑う。

「…大丈夫。いちばん信用できるフレンズたちにオオカワウソくんは預けてある。

 …ヒョウくんなら――彼女たちなら、きっと大丈夫だ。問題は、政府…だな」

自分に言い聞かせるよう、力強く言ったタイリクオオカミ。そこへ…

「…はあ、はあ! …ひい、先生! データ、送っておきましたあ~ あ、あと!

 通信成功です! 内地から、日本からこの島に――対策一課が、増援に来ます!」

新世紀警備保障の丸出社員が、息を切らせながら走り…朗報?を知らせていた…


古代には、ヒトの愚行を裁く女神がいたという。その名は、復讐の女神ネメシス。

「セルリアン大壊嘯」の破滅がヒトとフレンズの絆を試すまで――あと278日……





54-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

――数年前。まだ「ジャパリパーク」が放棄、封鎖されていなかったころ。

パークに住むフレンズたちが、アイドル扱いでパークの島から日本へ、世界中へと

旅立ち、連れて行かれていたころ。フレンズとヒトが、出会ったばかりだったころ。

ヒョウは、仲間のフレンズたちとともに、ここ日本へと連れてこられ。そして…

――1年前。ヒョウたちが日本に来たころには「フレンズブーム」はもう下火で。

何名かの有名フレンズ以外は、職業訓練で手に職をつけ、市井のヒトと同じく

日本の街で、都会の片隅でひっそり、だがしたたかに暮らしていたころ。

――ヒョウのように、料理の腕前は確かでも…どうしても毎日の勤めや仕事に

なじめず、無職のまま…無料の古アパート、通称「フレンズ下宿」で無聊をかこつ

フレンズたちも、それなりの数がいた。


だが、そんなヒョウも数ヶ月前。ぐうぜん出会ったヒトの少年と恋に落ち、

相思相愛になってからは――ヒト、否、フレンズが変わったようになっていた。

「…うちはフレンズいち、セルリアンを憎んで滅ぼしたい気分の少女やねん…」




ひょう

54-2

フレンズ下宿を旅立ち、今はセルリアンが跋扈する死地となったジャパリパークへ、

ヒトの調査チームの護衛としておもむいた、漫画家フレンズのタイリクオオカミ。

オオカミの縁で、コミック編集部のアミメキリンのもとで働くようになった彼女、

ヒョウは――変わっていた。

それまでは食うや食わずの無職ぐらし、着たきりスタイルだったヒョウが。

今は毎日、早朝から出勤し編集アシスタントとして働き…そして。

「……。うん、よし。最近、だいぶ化粧っちゅうもんがわかってきた気がするねん」

最初は、キリン姉妹から服や靴を借りていたヒョウだったが、今は。

自分で稼いだ給金で、安いものながら服や靴を買い、ファッション編集部に出入りが

自然とできる程度には、ヒョウはお洒落と化粧に慣れていた。

(…今思うと。初めの頃のうちの顔、おてもやん、みたいやったろうな…)

近頃は、出勤前の10分で顔を作れるようになったヒョウ。

どちらかというと、寝る前の洗顔のほうが手間だと思うようになってきたヒョウ。

…そんな、まさに豹変したヒョウ。彼女の原動力は――

「…また、本間くんと会えへんかったなあ。デート、邪魔されたのこれ何度目や!」




ひょう ハリセン

54-3

ヒョウの恋人、ヒトの本間少年。まだ高校一年生の彼に、釣り合う女になるため。

ヒョウは、住まいこそ家賃無料のフレンズ下宿だったが、別のフレンズのように

なって日々、働き…アシスタントの薄給ではあるが、貯金まで始めていた。

(…本間くん、両親もおらへんひとりぼっちや。なのに、一番いい大学行くって…)

(…いーや。うちがおるから、本間くんは一人ぼっちや、ない。うちが支えるんや…)

――などと。処女特有の想像で、ぼんやりな未来計画を逞しくしていたヒョウ。

…だが。

二人の仲は、いわゆる好きスキの告白から進展が…なかった。

毎晩のように電話で話し、他愛もない話題のあとは…お互いの名前に、スキ、を

混ぜてささやきあうだけで満たされていた、ウブな恋人たちだったが――

…だが。回りが男持ちの嫁フレンズだらけで、ノロケ聞かされまくりのヒョウ。

そして16歳の健康な男子が、それだけで満足できるはずもなく…

二人の恋人は、何度か時間を作って会おうと、デートしようとしていた、が。

「セルリアンめえ…うちと本間くんの仲を邪魔しおって。…四回目や、これで…」

そのたびに、当日。直前で――邪魔が入って、いた。




下宿

54-5

週末のその日。ヒョウはお流れになったデートにしょんぼり、そして憤って。

「…うちが本間くんと会おうとするときに限って、セルリアンのやろー。

 街とか駅に湧き出して、電車止めおってからに。んもー、絶対許せへん」

…自分が、オオカミ先生や警備二課のハンターのフレンズのように強かったら。

…そうしたら、邪魔するセルリアンを自分でぱっかーん!して。

…走ってでも本間くんに会いに行けるのに――

ヒョウは、何度繰り返したかわからない自責と、むなしい妄想にため息、ひとつ。

「…っと。こうしちゃおれんかった。今日はいろいろ、忙しいでー」

デートが流れたせいで、昼過ぎには戻ったフレンズ下宿で。

自室の四畳半で、ヒョウはちょっと気合い入れたお出かけ着からいつものジーンズ、

…万が一のために気合を入れたアンダーはそのまま、シャツとデニムのチョッキを

羽織って、部屋を出る。下宿の玄関で、パンプスをしまってサンダルに。

デートがおじゃんになったのとほぼ同時に、フレンズ友のワオキツネザル。

ワオちゃんから下宿の公衆電話に、そこから下宿フレンズのタヌキ経由で久々の

連絡が、ヒョウの携帯に入っていた。




おこじょ

54-6

ヒョウが下宿の庭に出ると――小さな、愛くるしい白い姿が。

フレンズ下宿の古株、そしてここのフレンズたちの姉御分であるオコジョがいた。

「よう。聞いたぜ、ヒョウ。おまえんとこの妹分が来るんだってな」

「そうや。つか、いっしょの船でパークから来た同輩で、訓練所の後輩やな」

今日は仕事が休みのオコジョは、風通しの良い日陰で、手には発泡酒、ギョニソで。

相棒のビントロングとともにささやかな宴を、休日を満喫していた。

「…ワオキツネザル、ちゃんだっけ。マンションからココとか、都落ちすぎ~」

ビントロングが、けぷ、と虹色のおくびをして言うと、

「そうなんや。なんか急な話で、ここに引っ越しえくるかもー、ちゅうてな」

…などと、下宿フレンズたちが話しているそこに。

ごろごろと、路地をカートの車輪が転がる音が、軽い足音が近づいてきて…

「…あっ、せんぱ~い! お久しぶりです! ごめんなさい、急な電話で――」

下宿の庭に、トランクを乗せたカートを引きながら入ってきたフレンズ。

ワオキツネザル、ワオちゃんがヒョウに笑顔で手をふる。

彼女は、古株のオコジョたちにもペコリ、とお辞儀して。




わお

54-7

「…ココに来るのも、ひっさしぶりです。……。あれ。あれえ? あれ、ちょ」

ワオちゃんは、ヒョウに何か話そうとして――

「…な。なんですか、先輩! ちょっとお、もー。なに、なんです?」

「なんやなんや、急に。なんですって、なんや。…ひとをオモロイもんみたいに」

「だってえ! 先輩、それ…うっわー。いえ、うわさには聞いてたんですけど!」

ヒョウの後輩は、目をキラキラさせながら。

「先輩、めっちゃオシャレじゃないですか! なんかフレンズ違い?って感じ」

「…失敬やなあ。…うちはもう無職やないし、人前にも出るんやから…」

ワオちゃんは、半年前のクリスマスがーでんの屋台で働いていた頃のヒョウ、

ダメージと言うかただのボロジーンズに、くたびれたシャツ、古着屋の100円箱

から持ってきたようなジャンパー姿のヒョウとは、別の生き物になった先輩に。

「ごめんなさい! でもめっちゃイイじゃないですか先輩! わー!」

「…こそばゆい。…うちおだてても、何も出へんで」

「ねー? 私、前から言ってたじゃないですか。先輩は元がいいんだから、

 オシャレしてお化粧すれば、絶対イケるって。…うん、うんうん! わ~」




わお

54-8

テンション上がりまくってる後輩の前で、ヒョウはため息、

「はいはい。ワオちゃんが正しい正しい。…うちだって、なあ。本気…」

「やっぱり彼氏ができると違いますねえ! あっ先輩、彼氏の写真見せて下さいよ」

…ブッ、と。ヒョウは漫画のように吹き出して。

「な、ななな…。なっ…ワオちゃん、なんでそれ…!?」

「えー。言ったじゃないですか、うわさは聞いてたって。やっぱり本当だったんだ」

ヒョウは。真っ赤になった顔で――だが、ハッとして。

涼しい木陰の方をキッとヒョウがにらんだ頃には、そこにいたオコジョたちの姿は

消え失せていて…ヒョウは、まだ赤い顔で…

「…ま、まあ。彼氏っちゅうか、な。…彼氏だけど… うちだってそれくらい…」

「先輩! スマフォに彼氏の写真入れてるんでしょ? ねーねー、見せて下さいよ」

後輩が、こういう恋バナになると、グイグイ来るタイプだったとヒョウが悟った

そのときには…ヒョウは勢いに負け…半分、誇らしいような気分で――

スマフォの奥に、宝物のように大事に入れていた、本間くんからメールで送られて

きた、彼の自撮り画像を…恥ずかしげな、でもキリッとした少年の画像を…見せる。




わお

54-9

「えー! かわいいー! なんですかなんですか、年下彼氏!? 先輩~!」

「…い、いや、本間くん16だからうちらより年上やけど… うん……」

「センパ~イ、んもー。ちゃっかりこんな可愛い彼氏作るとか。いいなあいいなあ」

「…ん。ワオちゃん、まだ彼氏おらへんの?」

「いませんよー。フレンズと付き合ってくれるヒトってまだ少ないじゃないですか」

先輩の恋人の画像に、ぴょんぴょん跳ねながら楽しんでいたワオちゃんは。

…ふう、と。あー楽しんだ、というように髪を手指でくしけずって。

「…先輩も頑張ってるなあ。私も、こんなことでヘコんでいないで頑張ろ」

急に、リアルな現世の話題に戻った後輩の前で、ヒョウは疲れたため息ひとつ。

「伝言で聞いたけど。ワオちゃん、今のマンションにもう住めへん、のやて?」

「そうなんですよー。まあ、仕方ないんですけどね」

ワオちゃんは、ヒョウといっしょに下宿の玄関先、日陰へ進み、

「今住んでるマンション、更新の時期なんですけど。何だか急に、管理組合の

 ほうから…次の更新は出来ないって、リフォームのためとか言ってるんですけど」

「急なハナシやな。そら困るやろ。ああ、だから…」




先生の部屋

54-10

「そうなんですよー。他にもお部屋、探してるんですけど。マンション出るまでに

 次のお部屋見つからなかったら、ココにしばらくお世話になろうかなって」

「大丈夫やろ。大家のオバアが戻ってきたら、頼んでみるわ」

「助かります! だから今日、いつでもココに泊まれるようにって着替えを~」

カートに乗っていたトランクを、笑顔で叩いた後輩にヒョウは、

「ワオちゃん、仕事は…整体のお仕事は?」

「そっちは大丈夫です、ここから駅で三つですし。…あっ、でもでも。

 下宿、お部屋って空いてるんですか? …まさか、先輩と四畳半同居とか…」

「なに、そんな嫌そうな顔なのワオちゃん。ここには四畳半で同居している連中、

 ばっかりやで。オコジョとビン公、テンちゃんたち、ラクダ姉妹、タヌキと…」

「えー。狭いでしょ、プライバシーどうなるんですか? で、お部屋の空きは?」

…ヒョウは。一時、自分が遠い目をしていたのに気づいて――

「空き部屋ならまだまだあるで。…家財道具そろってる部屋のほうがいいやろ?

 だったら二部屋、あるー。今から中、見ておく?」

ヒョウの言った二部屋。そこにはどちらも…痛みのある思い出。




カメ

54-11

片方は、旅立った、そしていつ戻るかわからないタイリクオオカミ先生の部屋。

もう片方は…ヒョウのフレンズ友。おなじ豹の縁でいつもつるんでいた、

パンサーカメレオン。ひどく不吉な別れ方をしてしまった、ヒョウの親友。

カメやんの部屋も…彼女がいたとき、そのまま残してあった。

「他人の使った家具がイヤだったら、カラッポの空き部屋もあるで」

「どうしようかなあ。いっそ、マンショの家具をもうココに…」

…暑い。日陰でも、8月の暑さにヒョウは熱で濁った息を吐く。

…その隣で、ヒョウより暑さに強いワオちゃんは涼しい顔で、

「なんだか私の友だち…フレンズ友たちの間でも、賃貸のトラブルが起きている

 みたいなんですよー。いきなり出てけ、とか更新してくれなかったりとか」

「……。なんやろうなー。なんか最近、うちらに風当たり、きついんかなあ」

「仕事場とかではそんなことなんですけどね。…あー、私も彼氏欲しいなー。

 彼氏がいたら、こんなところじゃなくて彼氏の部屋にあがりこんじゃうのにな」

「こんなトコロとはご挨拶やな。…ああ、ちょうどええところに」

日差しに目を細めたヒョウの視界に、見慣れた姿が、ふたつ。




たぬ

54-12

「ヒョウさん、ただいまです。…あっ、お客さん」「どもー。いらっしゃい」

買い物に出ていたタヌキと、同居人のハクビシンが戻ってきていた。

「うちの後輩の、ワオちゃんや。もしかしたら、ここの仲間になるかも知れへん。

 たぬぽん、ハクちゃん、ちょっと下宿の中、案内してやってくれへん?」

「は、はい。それは構いませんけど…」「おー。お仲間、お仲間?」

「この眼鏡のおさる、四畳半に二人暮らしとかしんじられん! とかヌルイことを

 ぬかしおる。ちょっと、二人の愛の巣を見せてやたって」

ヒョウの頼みに、タヌキはもじもじしながらワオキツネザルにお辞儀し。

「じゃあ、こちらへ。…あっ、先に冷たいものでも…」

「おせわになりまっす~。…あれ、先輩は?」

「あんたといるとテンション高すぎて疲れるねん。ちょっと、うちも買い出し…

 ワオちゃん、今夜はここで晩ごはん、食べていきーな。手巻き寿司パ、やろ」

「えー、いいんですか。…先輩がおごってくれるなんて。彼氏パワーすごい…」

やかましいわ。ヒョウが笑いながらシッシと手をふって――

ワオちゃんたちが、カートの音が下宿の玄関の奥に消えた。




クロ

54-13

「…ここも、部屋が一杯になったりする日が来るんかなあ。にぎやかでええかもな」

さて、と…ヒョウが、灼熱の日差しの下へと出ようとした…とき。

…ん? ヒョウの目が、細くなって――照りつける日差しの下を…見た。

そこには…黒い、影が。

…否。“それ”が太陽にあぶられて落とす影よりも黒い、小柄で細い姿が…いた。

「……。おねいちゃん。ひさしぶり……」

「…! クロちゃん! クロちゃんやないの。おひさしやねー、どうしたの」

ヒョウは灼熱の下に駆け出し、影よりも黒いその姿に。

ヒョウの妹、フレンズのクロヒョウの前に駆けて、その手をガシリコ捉えて。

「そんな格好で、暑ぅないの? やー、ごめんねえ。最近、姉ちゃん連絡してなくて」

「ううん、私は平気。…よかった、おねいちゃん、元気そう。…よかった」

黒く染めた小ぶりな麦わら帽子、そこから風に揺れる黒いレース。ワンポイントの

ピンクラインが目を引く、漆黒のブラウス。プリーツスカート、ブーツ。

…なにも悪いことをしていない童貞でも容赦なく殺すような、その美少女フレンズ。

クロヒョウは、小首をかしげてほほ笑み、姉の手にそっと手を重ねる。




ひょう

54-14

「あー! そうやった、ごめんクロちゃん! うちな、姉ちゃん携帯もって…」

「…うん。知ってるよ。…おめでとう、おねいちゃん。素敵な彼氏、できて…」

!? ヒョウは、その不意打ちに2秒、固まって…また、真っ赤になる。

「な、ななな…クロちゃん、どうしてそれ…だれから、聞いたん…」

クロヒョウは、その姉の問いに――問いで、答える。

「おねいちゃん、今…ワオさん、来てるでしょ? あの子もここに住むの?」

えっ…? ヒョウは、とつぜんの問いかけに??な顔で。そのヒョウの前で、

「……。やっぱり、集めようとしている――そうか…一括処理する気なんだ…」

クロヒョウは、爪を噛むようにして。何かを独りごちていた。

「えっ、なんやのクロちゃん? ワオちゃんがここに住むことまで、知ってるん?」

「…うん。ごめんね、おねいちゃん…こそこそ、調べたみたいで私…」

「謝ることあらへん。…あー、こんな暑いところで立ち話はあかんて。

 クロちゃんも、部屋にあがって。たぬぽんに麦茶でも出してもらうから」

「…ありがと。でも、いいの。今日は、おねいちゃんに…お願いがあって来たの」

クロヒョウは、低く…ぼそり、言うと。




クロ

54-15

「…前に、おねいちゃんにお金…カード持ってきたとき、おねいちゃん、

 受け取ってくれなかったけど――おねがい、これだけは…もって、いてほしいの」

クロヒョウは、小さなポシェットから…小さな、黒っぽいカードを取り出す。

「な…。なんやなんや、クロちゃん。お金の心配なら、大丈夫やで?

 ねえちゃん、なんたってもう働いてるんやから。貯金だってしてるー…」

――違うの。それだけ言ったクロヒョウは、姉の手にそのカードを。

部屋番号とコード以外が削り取られたカードを。どこかの、マンションのカードキー

らしきものを、姉がハッとするほどの力でぎゅっと握らせる。

「な…? クロちゃん、なんや…これは?」

…再び。姉の問いかけに、クロヒョウは問いで答える。

「…おねいちゃん、彼氏さんとはうまくいってる? そのひと、おねいちゃんを

 幸せにしてくれる…ひと? おねいちゃん、そのひとを信じてる…?」

「さ…さっきから、なんやの…クロちゃん。…本間くんのことなら、うちは――」

「そのカード、マンションのキーなの。おねいちゃん、頭いいから…

 いまからマンションの名前と住所言うから、覚えてね」




カードキー

54-16

…!? ヒョウがハッとしたときには。クロヒョウは、姉に口づけするように。

その滑らかな白いバラの色をした頬を寄せて…ぼそり、と。

「…世田谷区若林… …コート・アクシード1102… そこの鍵だからね」

「…? ちょ、クロちゃん? なんで、そんなところの…何なの、その部屋は?」

――いつの間にか。

灼熱の日差しの下、全ての生き物が、無機物すら焼き付いて停止したようなそこで。

クロヒョウは、姉に…ヒョウに、子供がするように抱きついて…いた。

「…クロちゃん…?」「…おねいちゃん……」

数呼吸、二人のフレンズは呼吸も鼓動も共にするように抱き合って、離れ。

「…おねいちゃん。こんなコト言って、ごめん。…もう、ヒトは信用しないで」

「な…。どうしたん、クロちゃん。なんか、あったんか…ひどいことされたんか?」

「…ちがうの。うちは、おねいちゃんのことだけが心配で――

 もし、何かあったらここ出て、逃げて。…そのお部屋なら、しばらくは安全…」

「何かって。…セルリアン騒ぎのこと? そりゃたしかに、最近は多い…」

――違うの。クロヒョウは首を振って、そして。




ハイヤー

54-17

「…もう、世界は。ヒトは、変わっちゃったの。…仕方がないの。誰も悪くないの。

 …でも、おねいちゃんが“あんなもの”に巻き込まれるなんて、絶対ダメ…」

「クロちゃん…。…大丈夫…大丈夫、やよ! 姉ちゃん、ついとるからな!

 なんか怖いこととかあったら…クロちゃんもここにくればええよ」

「ありがとう…。おねいちゃん。だいすき……」

クロヒョウは、もう一度、姉の手を両手でつかんで…あのカードキーをしっかりと

握らせると。そのまま、すうっと背後に倒れるようにして離れた。

「ちょっと、クロちゃん?」 妹を追おうとした姉に。妹は…

「あのね、おねいちゃん…」「な、なんや…?」

「――私ね。去年から…フレンズまんじゅう、食べてないの。サンドスター剤も

 使っていないよ。…私、気づいてた。…世界は、もう変わってたの」

「な…!? ちょ、クロちゃん、なんでそんなことを!? フレンズ化が…え?」

「他にも、気づいてる子はいるよ。…おねいちゃん、ありがとう……」

ヒョウが、妹を追おうとしたとき――クロヒョウがそこに立つのを待ち構えていた

かのように滑ってきた、真っ黒なハイヤー停車し…ドアを開けていた。





54-18

…クロちゃん! ヒョウが声を張り上げたときには。

妹の姿は、そのハイヤーの中に消えて…車は、黒い影のように滑り走り去っていた…


住宅街を、市街地を抜けて首都高に乗ったハイヤーの後部座席で――

特注ハイヤー、運転席とのあいだに遮蔽板が張られて密室になった、そこで。

「……。おねいちゃん…パークの島…なつかしいね。…あの頃は、よかったなあ…」

少し涙のにじんだ瞳を細め、自分にしか聞こえない声でささやいたクロヒョウは。

――スウッと、意を決した顔で。。濡れた紫水晶のような、艶の消えた目で。

携帯を取り出した彼女は、その連絡先リストを開き…

…これまで、登録はしても決して接触しようとはしなかった“危険”な相手に。

 マーゲイ とだけ書かれていたリストを指で押し、通話した。

「――……。……わかってるわ。ビズ(business)の話よ。あなたの大嫌いな、ね…」


地獄への道は善意で舗装されているという。破滅への道に敷き詰められているのは…

「セルリアン大壊嘯」が穢れを知らないフレンズすらも汚すまで……あとあと271日……





55-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前のフレンズブームのさい、巨大テーマパークとして運営が予定されていた

「ジャパリパーク」から、多数のフレンズが日本に連れてこられていた。

ヒョウも、その一人。日本に住んで日の長いヒョウだったが――

そんな彼女も、半年ほど前まではどこに出しても恥ずかしい無職フレンズ。

家賃無料の安アパート、通称「フレンズ下宿」で無聊をかこつ日々を、区役所から

支給されるフレンズ向けサンドスター配合飼料のフレンズまんじゅうをネットで

転売して小銭を稼ぐような日々を送っていた。

――だが。そんな彼女にも「恋」が。ヒトの少年との恋愛が訪れ、全てを変えていた。

「…うちはフレンズいち、泊まりに来た友だちが早よ帰らんかなと思ってる少女やねん」


ヒョウの暮らす「フレンズ下宿」に、新顔のフレンズがやってきた。

それは、ヒョウの職業訓練所の後輩だったワオキツネザルこと、ワオちゃん。

人気整体師として働くワオちゃんだったが――なぜか、住んでいたマンションの

更新契約をしてもらえず、ここフレンズ下宿に当分、住むことになった彼女は…




わお

55-2

「…せんぱ~い。私にもー。彼氏、紹介してくださいよー。合コンしましょうよー」

ワオちゃんが下宿の下見に来たその日。

下宿フレンズとヒョウたちは、歓迎会も兼ねてありったけのごはんを炊いて、

海苔とお刺身、ツナ缶に卵焼き、野菜を買いだしてきて、手巻き寿司パを開いた。

「いいなあ、彼氏いいなあ…。先輩、その彼氏の同級生でいいですからあ、紹介…」

「飲みすぎや、ワオちゃん。…てか、本間くん真面目やから合コンとか――」

「…私、本当は年上の頼れるひとがいいんですけど。でも、この際、年下でも…」

「ワオちゃん、職場にいい人、いないんか?」

「うちの整体院、女の人とフレンズばっかりですよー。…いいなあ、彼氏…」

缶ビール一本で、すっかりくたくたに酔っ払った後輩、ワオキツネザルは。

…結局、パのあとはヒョウの部屋、四畳半に上がり込んで、くだを巻いていた。

ヒョウは。いつもの真面目さが溶けてしまった後輩に苦笑しながら、

(…ワオちゃんたちとごはん食べたら、だいぶ気が晴れたなあ。…いったい――)

ヒョウは、自分の財布に押し込んだカードキーのことを思い出し。

…実妹フレンズ、クロヒョウのことを思い出して…




くろ

55-3

『…もう、世界は。ヒトは、変わっちゃったの。…仕方がないの。誰も悪くないの。

 …でも、おねいちゃんが“あんなもの”に巻き込まれるなんて、絶対ダメ…』


ヒョウは、まだ耳にこびりついている妹の言葉を思い出し…

…ヒョウは。ワオちゃんとほぼ同時に、下宿を訪れたヒョウの妹、クロヒョウに、

何か不吉な香りのする言葉を、そしてどこかのマンションのカードキーを渡されて。

不安と、そして石でも飲んだような黒い予感に沈んでいたヒョウは。

「…クロちゃん、しばらくフレンズまんじゅう食べてへんとか、言ってたけど。

 …うそやろ、そんなんフレンズ化が解けるやん…どういうこと、クロちゃん…」

「ん? 先輩、どうしたんですか? なんか、ぶつぶつ… …彼氏…」

…なんでもないわ。ヒョウが缶ビールを飲んでごまかすと、もうその時には。

ワオちゃんは、古畳の上に並べた座布団の上に、くたっと突っ伏して。いた。

「ワオちゃん、酔ったんか。もう、眠いん? だったら…うちの布団で」

「んー…。大丈夫、れすよ… ちょっと、ふわふわしてぇ…。……」

…眠ってしまった。




部屋

55-4

ヒョウはため息ひとつ。熱帯仕様で暑さには強いが、寒いのはてんでだめな後輩に

タオルケットを掛けてやって――ふと。

(…あ、そろそろ本間くんから電話、かかってくるやん。…どうしよ、ここだと…)

今さら、ワオちゃんを起こして他の部屋にやるのも気が引けたヒョウは――

…こっそり、自分の部屋を出て。ヒョウは、隣の四畳半部屋へ。

そこは、漫画家フレンズ、タイリクオオカミ先生が使っていた部屋だった。

今は、死地となった、地上で最も危険な場所。ジャパリパークのキョウシュウ島へ

旅立ってしまったオオカミ先生の部屋、先生が居たころそのままでおいてあるその

部屋へ、ヒョウはこっそり入って――掃除が行き届いているその部屋で。

「…すんません、先生。…ちょっとここで、彼から電話を…」

 Riririri Ririririr…

ヒョウが独りごとを言ったそのタイミングで、彼女の手の中のスマフォが震えた。

ドキン!!と。ヒョウは、毎日のことなのに胸を高鳴らせて…画面に、触れる。

――相手は。一人しかいない。この呼び出し音を鳴らすのは、ただ一人。

「……。もしもし。…ホンマくん…」 ヒョウの声が、喉の奥でとろけた。




ひょう

55-5

『…もしもし。ヒョウ、さん。あの、いま電話大丈夫ですか?』

「…うん。ええよ。…うれしい、本間くんが電話してきてくれて、声が聞けて…」

うち、うれしい。毎夜のように、恋人にささやくヒョウの声に、

『…僕も、ヒョウさんとお話しでして…好きです、ヒョウさん。僕の、彼女』

…へたっと、ヒョウは先生の部屋の畳の上に、崩れてへたりこんでしまう。

…男に、大好きな彼氏に、その言葉をかけられるだけで――もう、立っていられない。

「…恥ずかしい。…でも、うれしいよぉ。本間くん、好き、すき…うちも、大好き」

…しばらくのあいだ。ヒトの男とヒョウは、その言葉だけをお互いにささやき、

それだけで抱きしめあっているように、満足して…そして。

『この前はごめんなさい、せっかくヒョウさんと会えると思ったのに…』

「…うん。うちも本間くんとデート、したかった… でも、セルリアンが出ちゃって

 電車、停まってまったから仕方ない… うち、頑張ってオシャレしていったんよ」

『…………』

「…? 本間くん、どうしたん。なんか、あったん…?」

『いえ、その、なんでも―― …オシャレしたヒョウさん、見てみたかった、です』




ひょう

55-6

「…そ、そんな大したモン、ちゃうよ? お化粧はしたけど、服は仕事着の…」

『……。会いたい、ヒョウさん… ものすごく、ヒョウさん…会いたい』

「…うちも、会いたい。…本間くんに会って、その… ……」

思わず、ヒョウはごくん、と喉を鳴らしてしまう。

…会って、抱きしめて欲しい、という言葉は処女のヒョウには荷が重かった。

『…お化粧した、キレイなヒョウさん。美人な、誰よりもキレイなヒョウさん…』

「…ん、もぉ。そんなん、ちゃうよぉ… でも、うれしい…本間くん」

『…見たい。ヒョウさんを、見たい。…ごめんなさい、わがまま言っていいですか』

「…えっ、なあに」

『…今のヒョウさん、見たい。…自撮りして、写真で送って…もらえますか』

…!! ヒョウは、びくんと尻尾を太くして立たせ――

男の言葉を、その意味を、2秒後に理解してから…涙目声で、男にすねる。

「え、うちの…? 今、部屋着やし…恥ずかしいよぉ。…それでも、ええなら…」

『うれしいです。ヒョウさん、ありがとう! …見たい、可愛いヒョウさん見たい』

ヒョウは、完全に脳をフットーさせられて…




ほんき

55-7

――ちょい、待っててえな。と、男に告げて、いったん電話を切り。

(…ああ、どうしよ。勢いで言っちゃったけど、めっちゃ恥ずかしいわ…)

ヒョウは、スマフォのカメラアプリで自撮りモードにして…画面を見。

「……。あかん、手巻き寿司パして顔洗って、いまうち、すっぴんやんか…」

ヒョウは。3秒だけ迷ってから。急いで自分の部屋に戻って――

「…くかー…。すぅ………… ん、ん…先輩、合コ…んむ……」

熟睡し、寝言をつぶやくワオちゃんをそのままに。

ヒョウは、コンパクトといくつかの化粧品を選ぶと、パフに染み込ませた化粧水で

顔を拭ってなじませ、そこにリキッドファンデーションを伸ばして…

3分ほどで、クリームチークで頬を、唇にグロスを。眼尻にアイラインを入れて

ヒョウの気にしている子供っぽい目つきをごまかすと…

(よっしゃ。…あんまり気合い入れると、かえって変やし、あくまですっぴん風…)

ヒョウは、先生の部屋に戻って――

そこで、自撮りアプリを使って…少し上の方から、鼻のラインを隠すようにして

自撮りを一枚。…画像を確認してみると。




さうんど

55-8

「…誰や、このオンナ。…あかん、補正強すぎや。リトルグレイみたいやんか」

ヒョウは、意を決して普通のカメラで、同じ角度で自分を撮影し――

…心臓がバクバク、高鳴っていた。その画像を、本間くんのアドレスに添付して、

震える指先で送信、して…。……して。5秒。10秒。1分。…2分。

「…あれ?」 ヒョウは、沈黙しているスマフォに目を。

…こっちからかけ直すべきやろうか?

…もしかして、本間くん…うちの画像見て、おてもやんみたいって笑ってる?

…もしかして、こんなブサイクなフレンズもういらへん、って…………

ヒョウが、疑心暗鬼の重みに背骨を折られかけたそこに――着信音が鳴る。

「…! あ、あ…本間くん、その… さっき、メール…」

『……。ありがとう、ヒョウさん。…すっごく、きれい。美人、です。ヒョウさん』

スマフォから、ため息っぽく、だが熱い声になって聞こえる恋人のささやきに。

…ヒョウは、また。ぺたんと畳の上にへたりこんで、くたっと横たわって。

「…え、うそ… うち、そんなんじゃあ… …! うれしい、うれしい…」

音を立てないよう、ヒョウはゴロゴロと畳の上で身悶えしていた。




さうんど

55-9

『…本当です、ヒョウさん、可愛い、きれい。…どんなフレンズより、きれいです…』

「もぉ… 本間くん、やさしいから… でも、うち…うれしい…!」

『…ぁ、ああ。はあ… ――その、ヒョウさんの画像…ありがとう、その…』

…? と思ったひょう、その耳の奥に。…恋人が、熱い息を吐いて。

『…ヒョウさん、部屋着のシャツ、で… その、胸が、胸の形がはっきり見えて…』

…!? 男の声に、ヒョウはハッとしてさっきの自撮りを見直す。そこに、

『…ヒョウさん、胸…大きくて、かっこよくて… そ、その、エッチで…好きです』

…!! しもおおたああ! ヒョウは頭の中で絶叫し、真っ赤になる。

…化粧した顔にばかり気を取られて、少し上から撮り下ろした自撮りは――

…ブラすらしていない油断しまくったシャツの胸元は、谷間ではなく盆地といった

感じの両胸の空隙が…重力に任せてくつろいでいる乳房の形がハッキリ。

…ヒョウは、乳首が立っていたのにも気づいて…死にたくなる。

「そ、その…! こ、これは…違う、ちゃうねん、いつもは… ああああああ」

『ヒョウさんの胸、大きくって… エッチで… 好き、大好きです』





しろくろ

55-10

…電話の向こうの少年お声は、明らかにいつもより興奮……うわずっていて。

『ありがとう、ヒョウさん、その… すっごく嬉しい、この写真。…すごく…』

「う、うん… ご、ごめんね、こんどは仕事着で、もっとちゃんとしたやつ――」

『もっとヒョウさん、見たい… いろんなヒョウさん、見たい。僕のヒョウさん』

「本間くん…! うちも、うれしい…! そ、その。さっきの画像は消してね…」

『えっ』 「……。じゃあ、絶対、他に見せたらアカンよ…?」

『うん… はい、絶対見せないです。ヒョウさん、僕だけのヒョウさん…』

…あかん、今日はアカン… こんなん、絶対電話終わったらオナニーしてまう…

ヒョウは、先生の部屋の畳の上でごろごろと… メスの歓びに身を焦がして…いた。


――その頃、同時刻。東京、新木場。警察本部。警備二課の別フロアでは。

「…こちらからの報告は以上ですわ。ローザ、皆様にお飲み物をお配りして」

「はい、姫さ…いえ、奥様」

警備二課のセルリアン対策フレンズ、そのうちで現場勤務からもどった者たちが

集まり、定例の報告会を行っていた。シロサイとクロサイが報告を終え…




めがね

55-11

真面目そうにメモをとる、新人のメガネカイマン。夜はテンション下がって

眠そうなカワラバト。こういう場所が苦手なマヌルネコとジョフロイネコ。

彼女たちが座る長椅子には、だが。半分以上の空きがあった。

「では、次は私…遊撃チームの報告だったかな」

先ほど、この会議室に戻った新人フレンズ。だが、セルリアン撃破スコアは

警備二課どころか日本でトップ――すなわち世界一位のヒグマが席を立つ。

「今月に入ってから、首都圏近郊では特大型セルリアンの出現は報告されてない。

 出現したのは中小型か、あるいは過去の特大型の弱小体、ジェネリックだ。

 これらも全て対策、撃破―― …遊撃チームからは、以上だ」

何か、不機嫌そうな…思うところがありそうな声と顔のヒグマに、同期の新人、

同じ遊撃チームのメガネカイマンがやれやれといった笑みを浮かべ、

「みなさん、補足よろしいですか? 私たち遊撃チーム、そして区域警備チームの

 対策により、首都圏のセルリアン発生はあきらかに下火になっています、ね。

 やつら、都市発生型のセルリアンの性質として…」

メガネカイマンは、ホワイトボードにいくつかの記号と文字を書き、




ひぐま

55-12

「都市での侵攻、そしてヒトやインフラを捕食するために特大型のセルリアンは

 色んな形質を試行しつつ進化、そしてさらに大型化していきます。

 過去の“アメフラシ”“サルモネラ”“ザトウムシ”“ゴードン”“エイヒレ”。

 これらは生存期間が長いほど、捕食したヒトや熱量が多いほど、やつらに

 とっては「成功個体」と思われ…撃破されたあとも、ジェネリックが発生します」

「…そのジェネリックも叩き潰しまくると――」

つまらなさそうに言ったヒグマに、メガネカイマンはにっこりと。

「ジェネリックも、発生しなくなります。つまり、この個体の形質はもうダメだ、

 とセルリアンは学習するのでしょう」

クロサイが配った紅茶とお菓子で唇を濡らしたマヌルネコが、

「ヒグマの姉御がいた札幌じゃ、北海道の都市じゃあ。怪物が湧くたびに姉御が

 パッカンしまくったから…もう今じゃ、セルリアン発生がほとんど無いってな」

「…そうしたら、トッシーといっしょに東京に飛ばされたよ」

まだ苦い顔で言ったヒグマに、シロサイが。つい先日、負傷から回復したマスターの

惣田とともに前線復帰したシロサイが柔らかな笑みを浮かべる。




じょふ

55-13

「ヒグマさんも激務で大変でしょうけれど…素晴らしいですわ。

 ここ東京でも、そして世界中でも――セルリアンをこうして撃滅し続けて、

 札幌のようにもう怪物どもが出現しないようになれば…それが理想ですもの。

 そうすれば今度こそ、ヒトとフレンズは本当の友として共に生きられるはず…」

「…奥様! 心、洗われました…! この黒騎士、死すともお側を離れません!」

 白い貴婦人と、多少やかましい自己陶酔型の黒い従者に。

「ちょっと夢見がちすぎでちよ。実際は、もっとヤバい状況だとジョフは思うでち」

 ジョフロイネコが、言う。

「カコ博士も言ってたでちが、セルリアンどもは、えっと、そう。

 経験を共有化してるでち。前は、銃で撃ったセルリアンしか飛び道具を撃っては

 来なかったでちが、今は湧いたら初手からブッパしてきて物騒この上ねえ、でち」

「たしかにな。そうでなきゃジェネリックなんて出るわけもねえ。

 やつら、個体に見えるが…根っこは、ひとつ。それを潰さねえと勝負は終わらない」

「ねーちゃんの言うとおりでち。そこの白いのとクロいのは頭お花畑でち」

なんだとッ! と立ったクロサイをなだめたシロサイは、




かぐや

55-14

「ジョフちゃんの言うとおりかもね。でも…わたくしたちに出来ることは。

 セルリアンを見敵必殺、殲滅すること。セルリアンに怯え、悲しむヒトたちが

 誰もいない世界を作るため――そのために私たちの力は、ある。

 そのために、私たちはこの世界に生まれた。私はそう、信じていますわ」

「姫、いえ奥様…! 奥様こそは、フレンズの魂が形になったようなお方です!

 セルリアンどもを我らの槍で失血死させてやりましょうぞ!」

相変わらずやかましいクロサイに、皆が肩をすくめる中。

 Knock Knock 会議室の扉がノックされ、スウと開かれる。

「――本日は定例報告会のはず。妾(わらわ)が来たのに、出迎えもなしとは。

 ずいぶんなご挨拶でございますこと~」

会議室に入ってきたのは…警備二課のフレンズたちが地味に見えるような、

鮮やかな色合の衣を重ね着にした、いわゆる十二単のような外装をのフレンズ。

艷やかな黒髪と、コウモリの羽を持つ彼女に、シロサイが優雅にお辞儀する。

「ああ、カグヤさん。ごめんなさい、気づきませんでしたわ」

現れたのは、陸上自衛隊所属のフレンズ、カグヤコウモリ。





55-15

軍隊ならば、参謀部と呼ばれる組織が自衛隊にもある。陸自のそれが陸幕、

「陸上幕僚監部」と呼ばれる部署で、カグヤコウモリはそこに所属するフレンズ。

彼女は、セルリアン対策で協力する自衛隊の対策部隊と、警視庁の警備二課との

連絡を担当する陸自連絡官でもあった。

カグヤコウモリは。いつもより頭数の少ない会議室を見、

「欠席者、多すぎ問題? まあ、いいのですけど。あなた方のマスターたちは?」

「フレンズの数が少ないのは、まだ現場で警備についているメンツがいるからさ」

「としあきたちは、現場か、あとは非番で休憩中でちよ」

ねこたちの言葉に、カグヤは、ふぅ…とアンニュイなため息。

「警察は、げにのんびり。…では、若屋参事官どのは。どちらに」

「若屋隊長でしたら、事務室ですわ。ご用件なら、わたくしが伺いますが?」

「…結構。ではそちらの事務室に、私が出向いて…二人で内密なお話など~」

「待て。隊長はご多忙の身だ。陸幕からの連絡事項なら、私たちでいいだろう」

白と黒のサイに、カグヤコウモリは、手にした扇子で口元を隠し、ふん、と。

「小娘たちは引っ込んでおれ。…これは妾と若屋どのの話…」




まぬる

55-16

「あんた、まだ若屋隊長に粘着してたのか」「ストーカーでちね」

マヌルとジョフの容赦ない言葉が――カグヤコウモリを傷つけた。

「失敬な…! 言うに事欠いてストーカーとか。おまえらげにええかげんにせえよ。

 妾は、若屋どのが市ヶ谷の情報保全隊にいたころから、密かに懸想を…」

「ストーカーしてたんでちか。モテる男はたいへんでち」

「糞猫粛清不可避…! 否(ロウ)! 妾と若屋どのは、もう契っているも

 同じ…! 毎週妾が出す懸想文に、若屋どのは必ず返事をくださるこの律儀…!

 …返事の内容が毎週同じなのは、若屋どのの初心な照れ。いと可愛らし…」

「それは。呆れられて毎週同じプリントアウトの返事送ってるだけだろ」

「…あの、カグヤさん。こんなことはお伝えしたくないのですが…」

一種即発のコウモリとねこたちのあいだに、シロサイが割って入った。

「若屋隊長には、確かにバディのフレンズはおりませんけど。隊長には、その…

 固く心に決めた、愛するフレンズがいる、というお話ですわ。

 カグヤさんは、新しい恋をお探しになったほうが…」

「げに!? 妾というものがありながら…! どこの泥棒猫が彼をッ!?」




リカオン

55-17

「若屋隊長は、サーバルが大好きなんでちよ」「ああ、そう聞いてるなあ」

「なっ? さぁ、ばる…? 聞かない名前の野良猫…」

「サーバルキャットさんは、最後までパークの島からは出ませんでしたから…」

昔のことを、懐かしそうに話すシロサイに。

それまで木彫りのように押し黙っていたヒグマが、何か思い出したように言う。

「サーバルは…むこうに“友だち”を一人では残してはおけないって…

 そう、言ってたな。…パークのセルリアン事件…ひどく昔に感じるよ」

それを聞いたカグヤコウモリの顔に、破顔(ニヤリ)と不敵な笑みが。

「…ふ、フフ。パークにいるねこなら、もはや現実存在しない二次元相手も同じ。

 風雅優美の極みな妾の魅力で若屋どのと、マスターとバディのブッ契りを…」

――そこに。突然、会議室の扉が開かれると。

「…みんな!! 大変だ、緊急出動―― 総員起こしって、若屋隊長が…!!」

二課のハンター、フレンズのリカオンが扉を開けるなり、声を張り上げた。

その声と様子に、ハンターたちの間に、ビリっと警戒と緊張が走った…とき。

 Jiririririri!! 警報ベルが、本部全体を震わせ鳴り響いた。





55-18

「なにっ!? こんな深夜に? バカな、セルリアンが…夜中に出たって?」

熊手をつかんで立ち上がったヒグマに、色々あったが今は関係修復したリカオンが、

「わからない…! でも、二課は総員出動と――トシさんたちもこっちに来る」

ハンターたちが、ザワっと揺れて。顔を見合わせ。

「総員出撃なんて“アメフラシ”以来ですわね。しかし…夜に、セルリアンが?」

「奥様の仰るとおり、セルリアンは太陽光があるときしか出現しないはずでは…」

「…ジョフ。倉庫からありったけ、破砕装置出してこい。爆導索もだ」

「……。ねーちゃん。なんだか、来るモンが来た、って空気の味がするでちね」

「…困るなー。夜だと、上手く上空からの支援誘導、できないかもー」

フレンズたちが動き出したそこに――

装備ジャケットを身に着けたハンター、二課の矢張がショットガンを手に入ってくる。

「トシさん! …いったい、何が?」

「おう、リカオン。二課は総員出動、現場で警備中の双葉たちと合流するぞ。

 …セルリアンだ。しかも…今度は、やべえ。夜に出られただけでもクッソやべえが」

矢張は、バディのリカオンに情報端末のタブレットを渡し、




うぇぶ

55-19

「…畜生。最近、特大型の出現がないんで、金玉のシワ伸ばしてたらこれだ。

 お嬢さん方、ここでマスターと合流、装備換装が済みしだい現場に…」

その矢張の前で、持っていた携帯でどこかと通話していたカグヤコウモリが。

「――げに? その報告は正確… 特大型、否、目測で50メートル…!?

 もう一体は? 首都高、高架上… そっちは… Fuck。…いと、超大型…とは」

どこかからの報告を受けたカグヤは。

「矢張どの。首都圏に最大レベルの特別警戒警報を発令するよう、陸幕から

 政府に通達しましたわ。…されど、深夜ゆえ、住民の避難は困難を極めるかと」

「ええ。警察と消防も動いてますが… 今度はヤバそうですぜ。お姫様」

「内閣と総理が、一時でも早く妾たちに“防衛出動”を発動してくれれば――」

――防衛出動。自衛隊最高レベルの出動を意味するその言葉に、矢張がうなずく。

そこに、装備を整えた二課の男たちが駆けつけ、フレンズとともに出動していった…


東京を恐怖の底に落とし込む超大型セルリアン“ドロタボウ”“カシャ”出現。

「セルリアン大壊嘯」が王と、后となる女王のための祝祭を始めるまで――あと270日……





56-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前。いわゆる「第一次フレンズブーム」華やかなりしころ、ジャパリパークから

日本へと連れてこられた多数のアニマルガール、フレンズたち。

――そのうちの一人である、ヒョウは。

社会に馴染めないまま、東京の片隅で家賃無料の安アパート、通称「フレンズ下宿」で

無職の、無聊をかこつ日々をのんびり過ごしていた。

だが。そんな彼女は、ヒトの少年との恋を知って…変わっていた。本気を出していた。

「…うちはフレンズいち、走ってでも男のところに会いに行きたい少女やねん…」


…夜。いつものように恋人の少年と電話で話す、至福のひとときのヒョウは。だが…

『…さっきの写真、画像。すごくうれしい、です…ヒョウさん、キレイで…胸が…』

「…やだあ。うち、すっぴんやし、普段着みたいなシャツで…恥ずかしいよぉ」

『ヒョウさんの胸、すっごく大きい… ごめんなさい、その。エッチで、うれしい』

…その夜。男にねだられて、自撮り画像をメールで送ったヒョウは。

…ブラをし忘れ、重力で形が崩れ、乳首まで浮かんでたシャツ画像を送った彼女は。





56-2

(…あかん、めっちゃ恥ずかしい…顔から火ぃ出る… でも、うれしい…!

 ホンマくん、うちで…喜んでる、興奮してくれてるの? …うれしい…!)

ヒョウは、電話ではすねたり、画像はよそで見せたら駄目、などと言ったりしつつ。

『ヒョウさん、僕だけのヒョウさん… ごめんなさい、僕… なんだか、もう…』

「ん…ホンマくんが、嬉しいなら…うち、ええよ。…なにしても…」

『ありがとう、ヒョウさん…! もっと、ヒョウさんが見たい… 抱きしめたい』

「ん…っ、う…うちも。…うちのこと、すき? もっと…みたいの…?」

すっかり、男の言いなり状態で――

…ヒョウは内心、男が強引にでも、もっと画像を送ってこい、と言うのを心待ちに

しつつ…電話の向こうの、男の興奮に気づいて、自分も。

(…あかん、こんなん… 電話しながら、オナニーしてまう…)

ヒョウは、シャツの上から自分の胸を触って。…乳首の敏感さに、っ、と声を漏らす。

…たぶん、電話の向こうでは…男も、同じことをしている。

ヒョウはぼうっとする頭の中で、ばくぜんとした…男のペニスを想像し…

愛しい男が、固くそそり立たせている処女の妄想に…骨盤が震える。





56-3

(…会いたい。…愛しい男に、恋人に会いたい…! 今すぐにでも、会って二人で…!)

(…抱きしめてほしい! 興奮している男に…メチャクチャにされたい、してほしい!)

ヒョウは、自分でも気づかないうちに瞳に虹を散らしながら…熱い息を吐き。

…頭の奥底、冷静なそこで。

ヒョウは財布に現金、そして使ってないタクシーチケットが数枚あるのを思い出して…

ごくっと、つばを飲み。

「…本間くん。…会いたい、会いたいよぉ。…話してるだけだと、うち、うち…

 さびしくって、泣いちゃいそうや… 本間くん、会いたい… さみしいよぉ」

…自分にこんな手管があったのか、とヒョウが自分で思うほど。

彼女は、少し涙ぐんだ声で電話の向こうの男にすねて、甘えた声で――

『…ヒョウ、さん。僕も… ヒョウさんが泣いちゃうのは、駄目です、僕…』

「…ねえ、ちょっと遅いけど…今から、そっち行ってええ…? うん、本間くんの家。

 電車だと時間かかるから、タクシーで… …まかせて。おねーさん仕事してるも!」

多少噛みつつ、ヒョウが思い切って言った、そこに。

『じゃ、じゃあ。…近くのコンビニで、待ち合わせ…しましょうか、場所は……』





56-4

電話の向こうで、少年が興奮でかすれた声を出し。ヒョウがガッツポーズ、した。

――その、恋人たちの耳に…同時に。

 Uuuwuuu…! Qwuuuuuuu!!

なんや!? ヒョウのけも耳がビクッと動き、髪の毛が逆立つ。これは、この音は…

『!? 警報が…! まさか、ヒョウさんそっちでも!? この警報は――』

電話の向こう、世田谷区の、下北沢の本間少年のほうでも。

ヒョウのいるフレンズ下宿、大田区のあたりでも同じ警報が…街路のスピーカー、

近くの公共施設、駅などから同時に発せられる警報が――東京の夜を震わせていた。

「あ、ああ…! ほ、ホンマくん!? そ、そっちは…逃げないと…!!」

『――大丈夫です、近くの区分室からは…避難指示が出ていない、です。これ…

 セルリアンの出た特別警戒警報ですが… この近くじゃない… ヒョウさん!?』

「だ、だいじょうぶ… こっちでも無さそう… …? …!! ホンマくん!?」

……いつの間にか、恋人との通話は切れていた。

ヒョウは、一瞬で敵を見た肉食獣の顔になって…だが、数度、深呼吸して。

「…よくある、いつものことや。こうなると、電話が通じへんくなる…」





56-7

ヒョウは、夜の市街で鳴り響く不気味な警報にけも耳を動かし。

《…東京都全域に、セルリアン特別警戒警報が発令されました。繰り返します…》

《…区民の皆さんは、ご自宅、あるいは安全な場所に避難ししてください…》

駅から聞こえる放送が、怪物が出現したのがこの近くではないと告げいていた。

…さっきの電話からすると、恋人のいる世田谷の辺りでも…無さそうだった。

「でも、こんな夜中に… 東京全部に、警報って…どんなゴジラが出やがったねん」

ヒョウが…やっと、ハラの中で…

恋人との逢瀬、その熱情がしぼんだのを感じながら、腹立たしく言ったそこに。

下宿のフレンズたちが警報で起き出し、不安げに廊下に出てきている物音と声が

聞こえてきていた。

「ど、どうしよう、逃げたほうが…」「たぬぽん、待ちなって。場所がまだ…」

「クソ、ラジオのニュースがまだ入らねえな。うかつにごけないぜ、こりゃ」

タヌキやハクビシン、オコジョの声がするそこに。

「…! 先輩! ど、どこですか?」 ワオキツネザルの声がヒョウを探し、

「いま、池袋の友だちから電話が! 池袋に、めっちゃデカイ怪物がいるって!」





56-8

ワオキツネザル、ワオちゃんの声に。ヒョウはオオカミ先生の部屋から出、

「えっ? 池袋? 池袋のどのへんかわかる、ワオちゃん?」

「それが、その。池袋警察の辺りらしいんですが電話が切れちゃって…」

…池袋。豊島区。…とりあえず、恋人のいる世田谷からは、距離はある。

…ヒョウは、自分でも嫌悪感のある安堵を感じた――そこに。

《…日本道路交通情報センターです。首都高は現在、全面封鎖、通行止めと

 なっており、すべての出入り口が使えません。繰り返します…》

廊下に出ていた、ヒクイドリの持つ防災ラジオから…不吉な予言が流れる。

《…現在、西新宿JCT付近にセルリアンが出現したとの情報が入りました。

 セルリアンは大橋方面に南下しているとの情報も入っており…》

そのラジオの警報に…ヒョウの、フレンズたちの目が…不安に揺れた。

「な…首都高にも、セルリアン?? 池袋にも…? どういう……」

「まさか、こんな夜中に…やばいセルリアンが、二体…同時に出たんか?」

「オイオイオイ、こりゃただごとじゃないぜ。…どうする――」

…フレンズ下宿の暗い廊下に、重苦しい沈黙と警報音が…流れ、満ちた……





56-9

――同時刻。豊島区、池袋駅周辺は…人々の恐怖と悲鳴、警報満ちていた。

時刻は、まだ22時にもなっていない。平日とはいえ、通勤帰りの人々や

飲食や遊興を楽しむ人々でごった返す池袋駅、メトロポリタン口付近に…

“それ”は、突発性の局地地震とともに…大地から、出現していた。


 …化物だ! …なんでセルリアンが夜中に!? …こっちに来るぞ!!

 …で、でけえ!? …あ、ああ…こっちを見てr …ぎゃあああああ


《豊島区全域にセルリアン特別警戒警報、発令… 池袋駅付近のみなさん!

 警察と消防、自治体の避難指示に従ってください! 繰り返し…》

警報のサイレン、避難指示の放送とスピーカー、人々の悲鳴と絶叫、怒声が

混じり、そこに上空のヘリの爆音がかぶさる、都会のきらびやかな夜――

 ドグシャァ!! と。地面を震わせる轟音が…ひびく。

その轟音は… 巨大な“それ”の動く音、足音だった。

夜闇の中、都会の照明を吸い取って真っ黒くそびえる、“それ”は…





56-10

 ぶぅはああああああ ――泥沼が煮え立つような、轟音の鳴き声を発する。

“それ”は、池袋ルミネの西、警察署あたりの十字路を這いずって、どす黒い

巨体を…長い腕で、警察署のビルを掴み、押しつぶしながら…立ち上がる。

…その巨大なセルリアンは… ヒト型、だった。

…下半身は、地面から湧き出した泥のような不定形だったが…

…その上の胴体、二本の長い腕は… その上の、ギラギラ光る単眼を埋めた

頭は…人間の形、そのままの… ヒト型セルリアンだった。

――その規格外の巨体、怪物セルリアンのから人々が逃げ惑う中。


「…こちら対策04、矢張だ! リカオンと現場に到着…って。うげええ!

 な、なんじゃありゃあ… マジか、ビルよりでけえ…!?」

「トシさん…! 増援を待ちましょう、池袋なら陸自の部隊が間に合う!」

「…こちら対策11、メガネカイマンと吉都です! 現場には急行中!

 ですが、神田川から陸路で北上なので…まだ、かかります!」

警視庁のセルリア・ンハンター、警備二課のフレンズも到着していた、が…





56-11

441号線、交差点で車を停めたハンター、矢張とリカオンの目に――

 ぬぅはあああああ …巨大な、どす黒いヒト型が吠え。

ドグシャ!と雪崩のような音を立てながら、巨大なセルリアンは警察署を

その巨体で崩壊させながら、直立して街路を進み…巨大な単眼を動かす。

「…目測で――全高、50メートルほど…! いや、もっとあるかも」

リカオンが、その目から虹色をこぼしながら険しい声で言う。

車からショットガンと、セルリアン用の振動地雷を降ろした矢張は…

眼の前、100メートル足らずの距離を進む巨大なヒト型に、

「あ、あんなの…どうすんだよ、冗談じゃねえぞ…」

歴戦のセルリアンハンターの声も、隠せない狼狽、恐怖で震えていた。

…だが。その恐怖を、ベッとツバを吐いてふり捨てた矢張は。

胸にある通信装置のスイッチを叩き、耳元のヘッドホンを抑えながら…

「こちら現場! セルリアンは全高50メートル、繰り返す50メートル!

 本部へ! 他のハンターは…どこだ!? 全力出動だろ、これ!?」

「な…? キンシコさんとセンちゃんは動かせねえって…!? 嘘でしょ!」





56-12

無線機に怒鳴るうち、矢張の胸の中にまっ黒い絶望が広がってゆく。

「まずい…! このままあのデカイのが動くと…駅に入られちまう!」

「…トシさん、振動地雷で足だけでも…出来るかどうか、効くかどうかは…」

リカオンが、振動地雷のひとつを矢張から受け取って…低く、言う。

その周囲では、警察と間に合った機動隊が、逃げ惑う人々を誘導する怒声と

サイレン、スピーカーの音が混ざりあう。

…まだ、避難は終わっていない。まったく、終わっていない――

 んぅはああああああ …巨大なヒト型セルリアンの咆哮が響く中。

 ぎゃああああ! ひいい…! 助け… 人々の悲鳴がほとばしる中。

矢張は、2秒だけ迷ってから自分のアルファロメオのほうに向かう。

「……行くぞ、リカオン。車で、あいつの足の間を抜けて前に出る…」

「……はい。トシさん。私は足の間で飛び降りて、地雷を仕掛けます」

「…おっし。――すまねえな。リカオン。これ、だめかもしれねえ」

車のドアを開けようとしたやはり、その耳に…着信のノイズが走った。

「…!? 誰だ、間に合ったか…!? ……双葉!!」





56-13

矢張が、無線機に叫んだその時――

巨大なヒト型セルリアンは、街路を泥沼のような体液で満たしながら進み、

そのビルのような足を動かして… 狙いを定めて、動き出していた。

…それは。ホテルメトロポリタンの高層ビル。

…まだ、宿泊客の避難がほとんど終わっていない、窓の明かりが並ぶビル。

 ぬぅはあああああ 巨大セルリアンが、巨大な単眼でそのビルを見、進む…

――そこに。矢張とは逆方向、北側から、西口駅前の方から弾丸のように

疾走してきたSUV車、パジェロが巨大セルリアンに突っ込む。

「…双葉! あぶねえ…! クソ、行くぜリカオン!!」

矢張は、まったく恐怖という感情が欠落しているような同僚、対策09の

双葉の突撃を目に…自分たちも車に乗り込み、急発進させる。

…とろけた巨木か、ビルのような巨大セルリアンの足…

そこに向かって突っ込んだ矢張、そしてリカオンの目に――

「……!!」「ひ、ひどい……」

その巨大セルリアンの、捕食が…貪られる人々の姿が、映ってしまう。





56-14

逃げ遅れた人々、怪物の足の下で衝撃に身動きできなくなっていた人々に、

怪物の足から溢れた泥沼…そこから、別のヒト型が湧き出して…

それが、大小の泥人形が、悲鳴を上げたり気を失ったりしている人々を追い、

捉えては…足元の泥沼の中にその体を、悲鳴ごと引きずり込んで埋めていた。

「…!! くっ、そがあああ!!」

恐怖よりも、激憤が勝った矢張は――アルファのギアを落とし、タイヤを軋ませ

加速させて…向かってきていた泥人形を跳ね、轢き潰しながら突進する。

「畜生、ちくしょう! ふざけやがって!」「…トシさん、行きます!」

3メートルほどある泥人形を跳ね、真っ二つにしたアルファロメオの助手席、

その窓から振動地雷を抱えたリカオンが飛び降りた。

矢張は、声にならない絶叫を上げながら泥人形を轢き殺して、突っ込み――

…ゴスッ! と。アルファはホテルメトロポリタンの入り口付近の縁石にぶつかり

止まる。ショットガンと、振動地雷をひっつかんで降りた矢張の目に…

ホテルのエントランス、そのガラスの向こうで…恐怖に凍りついた無数の目が、

避難民と宿泊客の目が、こちらを見ているのに気づいて。腹を決めた。





56-15

「…絶対にそこから出ないで…!! …リカオン、どこだ…!! …ッ!」

 ズシャアアア! と。巨大セルリアンの足、その一歩がホテルの目前を、踏む。

その衝撃、地面の揺れで矢張がよろめく、そこに…

どろどろと、快音を立てながら――小さいのは、子供ほど。大きなものは人の倍ほど

もある泥人形どもが…矢張りの方へ、エントランスへと押し寄せていた。

「クソッタレが! 上等だオラア!」

矢張の手の中で、レミントンのショットガンが火を噴き――対セルリアン用の散弾、

ケラチンのチップが泥人形を吹き飛ばす。ポンプし、装填した矢張、そこに…

「…! ク、くそっ! リカオン、どこ…どこだ!? まさか……」

その矢張にも、数体の泥人形がケロイドのようにとろけた腕を伸ばして迫り…

「し、しまった…! くそっ……」

…ショットガンが、弾切れでポンプが止まった、矢張の目が凍りついた、そこに……

 ズボッ!!と――鈍い音が響いて、矢張を捉えようとしていた泥人形が崩れ、

真っ二つにされて…周囲の真っ黒な泥人形が、まとめて吹き飛ばされていた。

「……!! ふ、双葉…」 ――先輩、大丈夫ですか。 男たちの声が交差し、





56-16

死を覚悟していた矢張の横で――対策班のスーツを着た男が、矢張の後輩、

複数のフレンズを駆使できるという特能持ちの男、双葉が。

…ブウン!と。人の背丈くらいある、巨大な…船のオールのような木刀、

鮫の歯を板の両側に埋めた“舵木”とよばれる得物を振り回す。

泥人形たちは、その一撃で両断され、砕かれて…矢張も、エントランスに迫って

いた泥人形を散弾で吹き飛ばす。…だが。奮戦する勇者たちの頭上で。

 んはあああああ 巨大な怪物が吠え、轟音が響き…巨大セルリアンの両手が、

ホテルメトロポリタンのビル、その中腹をつかんで震わせていた。

「やべえ! とりつかれた…! 双葉…!!」

 ――彼女たちが、やります 大型の泥人形を真っ二つにし、双葉が言ったとき。

ぽん、ぽん! と。二つの、マリのようなものがこの惨劇のあいだを走り、跳ね。

「やるぞ、ジョフ!」 「あい、ねーちゃん! ジョフは…右足でち!」

フレンズ用の装備スーツに身を固めた、二人のねこ科フレンズが。

マヌルネコとジョフロイネコが、体中に対セルリアン用の爆薬、19式破砕装置を

くくりつけた決死装備で――どす黒い、巨大セルリアンの足を駆け上る。





56-17

「うっわ、無茶だ! おまえんのとこのねこ、死んじまうぞ!」

 ――大丈夫です。あの子たちなら…

双葉が答えたとき。セルリアンの巨体に爪を立て、垂直に駆け上る二人のねこ、

マヌルとジョフの前に… ボコボコっと。腫れ物のように、泥人形の姿が湧き、

その行く手を塞ぐ…が。

…ぶわっと、夜の中で風が渦巻くと――泥人形はバラバラと、土塊になって落ちる。

「はっしー、ナイスでち!」 ねこ姉妹が駆け上るそのわずかに上空を――

「――ヒトとともに来たり、ヒトとともに滅ぶべし……」

何かを、呪文のように歌いながら。フレンズのハシビロコウが手にした真紅の槍で

泥人形をなぎ払い、ねこたちの活路を切り開いていた。そのハシビロが、

「…マヌル、ジョフ、こいつの腕を…爆破して。そこからホテルに、侵入される」

「わかった!」「ねーちゃん、じゃあトドメは?」

ジョフが、瞳から涙のように虹色を吹きこぼしながら言った、そこに……

 パリン! と。ホテルの中層、そこにあった客室の窓が、内側から砕け散った。

…その場所は。ちょうど、怪物の巨大な頭蓋、単眼のすぐ上…そこで。





56―18

「……ひさしぶりに階段、登っちゃった。“これ”がエレベーターに入らないから」

怪物の、巨大な単眼が動いたそこに…砕けた窓、そこに足をかけた黒と赤の人影は。

――フレンズにはどれだけ盛っても良い。その法則を我が身で体現したフレンズ。

男の夢と理想をそのまま形にした豊満な体。神の恩寵で、その上に凛々しくも母性が

あふれる美貌と豊かな黒髪まで盛った、フレンズのカバが。

ぬうっと、“これ”を――野太い丸太を、肩に抱え、夜空に。

「…あらやだ。思ったより大きいのね、あなた」

らんらんと光る、巨大なセルリアンの単眼に向けって…ガッシと、構えた。

「…でも。私好きよ、大きいのって。…潰しがいがあるからね……!!」


――そのころ、同時刻。新宿区、中央環状線、西新宿JCT付近では。

「…こちら上空。対策07、カワラバトでえす。現在、中央環状線…上空。

 真下に、特大型…いえ、もっとでっかいです、アレ…セルリアン、移動中」

「…こちら対策03、真逆だ! 本部へ、若屋さん! どうしてだ!?

 はやく環状線上で振動地雷を使う許可を! セルリアンが動いちまうぞ!!」





56―19

その特大型、否、超大型せリリアンは突然…深夜の首都高に、中央環状線上に

現れた。最初は、ジェネリックかと思われたそのセルリアンだったが――

…高速の高架上で、避難し遅れたり事故を起こして動けなくなっていた車を、

トラックを次々に飲み込んで大型化したそのセルリアンは…

 ビヤアアアアア!! 車のクラクションを数万、合わせたような咆哮。

真っ黒く、長い…甲虫のようなその巨体は、環状線の高架の上、片側の車線に

その巨体を埋めるようにしながら… 足元を確かめるように、のそり、動く。

…その巨大セルリアンが向かうのは、南側…

大橋JCT、そしてその先にある…避難で、大渋滞が起き、車列が全く動けずに

いる山手トンネルの方へと…足のない甲虫のような巨体を、滑らせてゆく。

…その怪物の前方で――

「頼む! はやく振動地雷の許可を! …いま、ここで高架を落とさないと

 あの怪物が大橋から山手トンネルに入っちまう! そうしたら地獄だぞ!」

ベテランのハンター、真逆は車の無線機で本部に吠えるが…

『…こちら本部、若屋だ。…すまない、総監からの許可がまだ出てない…!』





56―20

「…バカな! 首都高の高架が落ちたら、その経済被害がウン百億なのは

 わかってる! だが山手トンネルに入られたら…千人単位で死ぬぞ!」

真逆は、後方からのそりと迫ってくるセルリアン、そのゾっするほどの巨体を

スカイラインのバックミラーに写しながら…血を吐くように、うめく。

「…アイアイ、もしものときは――俺の独断で、高架を落とす。お前は関係ない。

 車から降りて、あの怪物の偵察に貼り付け。…降りろ!!」

助手席のフレンズ、ハンターのアイアイは…その目に、真っ黒い涙を浮かべ。

「トシさん…! 駄目です、だったら地雷は私が――」

「黙れ、降りろ…! …頼む、もう大橋に入っちまう…やるしかねえ、んだ」

「…私は、こんな猿ですが…トシさん、あなたの妻です…! おねがい……」

男と、オンナの関係――ヒトのオスと、フレンズがその手を…今生の別れのように

取り合って、疾走する車の中で…数秒、体温を交わしあった。

その二人の目の前に、そして無線機に――

『こちら対策01、惣田だ。…真逆、ここは俺たちが食い止める。行け』

『こちら対策06、実把。ローザたちも配置についた。足止めならお任せよ』





56―21

真逆の車の無線から、二人のハンターの声が響いて――同時に、

「…! 惣田! まさか奥さんをあれにぶつける気か!? やめろ、潰されるぞ!」

スカイラインが、急ブレーキでタイヤから白煙を吹き、高架の上で尻を振って

急停止する。そのフロントガラスの向こうに…

ガッシと。大型のバンから降りた、二つの人影が…

「…来ますわ。ローザ、槍の準備はよろしくて」

「…はい、姫、いえ奥様。この黒騎士、奥様とともに轡を並べられるのなら――」

白と、黒の。同じ形の、色の違う影のような。二人の美しいフレンズの姿。

夜霧を吸った白バラのような、純白の鎧。純白の、角型の槍。

夜闇の中で佇む泉水のような、漆黒の鎧。漆黒の、三日月型の槍。

フレンズのシロサイとクロサイ。セルリアンハンターの警備二課を、発足当時時から

その槍で支え続けた猛者二人が――夜の環状線、そのアスファルトの上に並び立つ。

「奥さん! 惣田、ムチャだ! あのセルリアンはデカすぎる、無理だ!」

車から降りて叫ぶ真逆に…シロサイだけが、小さく振り返ってお辞儀をし。

「…おまかせを。 ――うちの夫(ひと)を、おねがいしますね。真逆さん」





56―22

それだけ、言葉を残したシロサイは。従者のクロサイを連れて進み。

――そこに。道路の上に乗り捨てられたり、事故で置き去られた車を踏み潰し、

飲み込んでゆくセルリアン、それが立てる不気味な轟音が響いてくる。

……チャキ、と。二人のフレンズは、足並みを揃えて…並び、立った。

「…奥様。旦那様と、うちの下僕は予定通り、山手トンネルの避難誘導に入りました」

無線機を耳に当てていたクロサイの声に、シロサイは白い花のように笑み、

「では。私たちはここでお仕事をいたしましょう。――いつもどおりに。ローザ」

「ええ! 奥様と私の槍、並び立つならば…! ここを通れるものは、皆無!」

その二人のフレンズの前に――

 ビギャアアアアアア …セルリアンのどす黒い巨体が、闇から迫る。

…その速度は60キロを、もはや超えていた。

…セルリアンと、サイたちの距離は…もう、200メートルもなかった。

「きますわ…! ローザ、全力開放!」「了解です、奥様!!」

ずん!!ズン!! と。サイたちの足元で、アスファルトが踏ん張りの衝撃で揺れた。

その美しい瞳から、全身から虹色の粒子が芳香のように飛び散る、そこに――





56―23

 ピギャアアアアアア!! セルリアンが、獲物を見つけたを見つけた歓喜の絶叫を

ほとばしらせながら…巨体、その前方に突き出した、衝角のような鋭い角を振り立てた。

その前方で、まったくたじろがない二人のフレンズ、その槍は――

「来なさい! すり潰してさしあげますわ!!」

セルリアンの角が、その数百トンにも膨れ上がった巨体、100キロ近い速度で――

か弱く見える、美しいフレンズたちの槍に……もろに、ぶち当たった。

…首都高の高架上に、落雷のような衝突の轟音が響き渡り…

「…くっ!! …これ、ほど…とは…!」「奥様…!」

サイたちは――任務を、果たした。

貴重な20秒間、セルリアンを足止めし、そして。

 ガギャアアアアア …セルリアンが、先端が砕けた角を振り回すと。

シロサイは、打ち捨てられた人形のように…高架上から、真っ暗な虚空へ弾き飛ばされ。

そのシロサイを抱いてかばい、一緒に奈落に落ちたクロサイが、最後の力で…

「南無三…!!」 渾身の力で投げた黒い槍が、セルリアンの横腹に深々と突き刺さった。

 ギアアア! …セルリアンの絶叫が夜の環状線に響き渡った……     つづく





57-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

彼女たちフレンズが、パークの島々からここ日本に連れてこられてから早、数年。

社会に進出し、人気者として活躍するフレンズたちがいる一方――

ヒョウのように、いまいち現代社会に馴染めなかったフレンズたちは、家賃無料の

安アパート、通称「フレンズ下宿」で、無聊をかこつ日々を送っていた。

…だが。そんなヒョウにも、ヒトの少年の恋人が出来て。すべてが変わっていた。

「…うちはフレンズいち、離れて暮らす恋人のことを心配している少女やねん…」


――同日。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

パークの南端、キョウシュウ島に上陸した日米安保軍の第二次調査チームは、

行方不明だった第一次調査隊の遺体を全員、発見して状況証拠とともにそれを回収。

昨年、キョウシュウ島中央の火山“マウント・フジ”への日米安保軍の総攻撃、

『オペレーション・メギド』後の、島内の観測も終了させた、第二次調査チームは。

在留フレンズたちの親密な支援を受けられたこともあり、彼らは奇跡的に損害ゼロの

まま、すべての任務を完了させていた。




ゆうえんち

57-2

パークの、キョウシュウ島。そこに住む在留フレンズたちの一大拠点である、

“ジャパリテーマ・パーク”、通称「遊園地」の敷地と、そこにある各種施設を

基地とし、フレンズたちの支援を受けつつ――交流を深めつつ…

第二次調査チームは、あとは帰還の命令を待つだけとなっていた。

…だが。すぐに来ると思われていた帰還の命令、その指示は――

…第一調査チームと、謎の多い中国軍コマンドの遺体遺品の全てを、海上で島を

海上封鎖している日米安保軍の艦隊に送り届けてから、早、二週間…

…外の世界からは、調査チームの母艦、揚陸指揮艦“ブルー・リッジ”からは、

なんの命令も無いまま…だった。

調査チームの兵士たち、日本の自衛隊と米国海兵隊の猛者たちは、オスプレイの

発着場を遊園地の敷地内に整備、いつでも撤退できるようにしていたが…

何の命令も与えられず、ただ週に一度の補給だけは海兵隊のフレンズ、

オウギワシが運んでくる物資を受け取って待つだけの日々を過ごしていた、彼ら。

――そんな彼らの焦燥が、二十日目を数えようとしていた、その日。

「……!! おい、あれは…マムだ! 着陸信号…こっちに来る!」




女王

あおそらゆうえんち

57-3

見張りについていた海兵隊員の一人が、双眼鏡を握りしめて報告する。

その声に、海兵隊員たちがざわめき、いっせいに東の方角の空、目に染みるような

青空を滑ってくる小さな影に目をやり、歓声を上げる。

「…マム! 間違いない、だが…今日は補給の日じゃあないぞ。あと三日ある…」

「…彼女は手ぶらだ。でも…着陸信号だ、間違いない! ここに来る!」

マム、米軍の女性士官をさす敬称で呼ばれるフレンズ、米海兵隊のオウギワシが

白と黒の美しい姿で空を切り、翼をはためかせ…遊園地の上空を旋回する。

海兵隊員、そして自衛隊の隊員たちが集まり、信号を焚くそこに、

「…諸君らへの補給――と思いきや、違うようだな」

いつのまにか、この遊園地を預かるフレンズの女王、オオアリクイがその姿を現し、

その堂々とした美しい姿を、凛とした美しい顔を空に向けていた。

「…これは、クィーン。おはようございます。…ええ、補給は三日後の予定です」

敬礼し、応えた海兵隊の指揮官、ムート曹長に女王は、

「もしかすると、諸君らが待っていたという。ここから、外の世界へと戻る――

 その命令を彼女は運んできたんじゃないか? そんな気配だ」




おうぎ

57-4

女王、オオアリクイの言葉に海兵隊員たちは、不安げな顔でお互いを見…

…そして。上空からぶわっと風を巻きながら、オウギワシが敷地に着地する。

その彼女に、ムート曹長、そして知らせを聞いて駆けつけた自衛隊員たち、

彼らのリーダーである渡嘉敷二尉、彼らが揃って敬礼をし、

「サー・マム! 今日はいったい――」

ムート曹長の声に、オウギワシは凛々しい顔で敬礼を返しながら、だが。

「…“ブルー・リッジ”の司令部から、第二次調査チームあての指令をもってきた。

 現在、艦隊は無線封鎖中につき…この、書面での…指令になる」

ふだんは、明るく、猛者ぞろいの海兵隊員たち相手に涼しい笑顔で渡り合う彼女、

オウギワシの顔に、その周囲の空気に…明らかに、苦い何かの匂いが…あった。

封筒に入ったその書類を受け取ったムート曹長は、渡嘉敷二尉のほうを見、

「デク、おまえも見てくれ。おそらく自衛隊への命令も入ってるはずだ」

…わかった、と。二人のリーダーが見るその前で、書類は開かれる。

…ぱらり、と紙が音を立てて――沈黙。数秒、それが十秒、三十秒。

…その頃には、周囲を遊園地のフレンズたちが不安げに取り囲み始めていた。




あかみみ

57-5

「…なんだろ。みんな、帰っちゃうのかな? それともまだ…」

「…えー、兵隊さんたち行っちゃうの? やだーーー」

「…でも、みんなきっと。お家に帰りたいよね… 家族に会いたいよね…」

フレンズたちが不安げにざわめく、中…

長い任務のあいだに、ここ遊園地でを基地とした調査活動のあいだに、ひっそりと

心を通じ合わせ、淡い恋を育んでいた兵士とフレンズ。その数組の恋人たちは…

「…としあきさん…もしかしたら、あのお手紙って。…やだ、いや…」

皆から少し離れたところで、東屋のベンチで並んで座り、お互いの手を握りしめて

いた男と、アカミミガメ。アカミミガメが、涙の浮かんだ目で男を…海上自衛隊の

猛者、特別警備隊の“海坊主”から派遣された妹毛三曹を見つめていた。

妹毛は何も言わず、ただ恋に落ちたフレンズの手を握り、そっと彼女の髪をなで…

…だが。“海坊主”の目は、水の中のナイフのように――

遊園地の敷地、公衆トイレの裏手にひっそりと置かれていたいくつものコンテナに。

“SGT 特別警備隊” “火気及び開放厳禁” “Exo-skele-suits Y301”

と記された軍用コンテナにむけられて、いた。




あおぞら

57-6

……そして。命令の書類に向けられていた、長い沈黙が――

…Fuck かつて無いほど険しい顔の、ムート曹長の吐き捨てた言葉で、破られた。

「どういうことだ!? 俺たちだけ…海兵隊だけ、撤収だと!?」

書類をわしづかみにして激昂するムート曹長の肩を、渡嘉敷二尉が抑える。

「…俺も見せてもらったよ。落ち着け、ムート。…こんな予感はしていたさ」

渡嘉敷二尉は、控えていた吉三尉に手空きの自衛隊員を集めるように伝え――

…そして。10分後。兵士たちに、命令が伝えられた。

「海兵隊チームは、本日12:00時点をもってキョウシュウ島から撤収。

 オスプレイの上空支援はオウギワシ、および空自のハヤブサ、可能ならば

 在留の飛行可能フレンズが行うこと。そして……」

「自衛隊派遣団は、本日12:00をもって次の任務に当たるべし。

 即時、現在の居留地より移動。キョウシュウ島西部、パーク振興会施設の

 アトラクション・テーマパーク“ラビリンス”に急行、現地に駐留せよ」

…そこまで、渡嘉敷二尉が言った時点で――自衛隊員にも動揺が走る。

だが、渡嘉敷二尉は…わかっていたことだ、という顔で。続ける。




しょるい

57-7

「自衛隊派遣団は、“ラビリンス”近辺に存在するセルリアンを、在留フレンズの

 協力の下に殲滅せよ。

 ――地下型特大型セルリアン“ツチノコ”撃破任務のため、新世紀警備保障社の

 対セルリアン直立型特殊車両“BIGガード”の到着、および組み立て敷地の確保、

 およびその後の対セルリアン戦闘を支援せよ。――以上 日本国防衛大臣」

…しばらく、声はなかった。数呼吸後、ようやく。

「つまりは。ここで死ね、ということか」

空自の隊員、ハヤブサのマスター、香成が他人事のように言い捨てていた。

…自衛隊員たちが揺れ。海兵隊員たちも騒ぎ出す。

「…くそ! どういうことだよ!? …まさか、あの中共コマンドの墓のせいか?」

「…だろうよ。“アレ”をみた連中に、日本に戻ってきてほしくないんだろうさ」

「…ハハ! アメリカさんには圧力はかけられなかったか。らしいじゃないか!」

「Fuck! おい、冗談じゃないぞ。俺たちはもう兄弟だ、兄弟を置いていけるか!」

「俺たち海兵隊は、最初に来て最後に引き上げるんだ! こんな命令ありえん!」

「司令部にかけ合おう、自衛隊だけ置いていくのは見殺しと同じだ! 俺たちも…」





57-8

「…黙れ、貴様ら静かにしろ!!」「しかし、曹長…!!」

自衛隊員たちよリも荒れている海兵隊員たち、それを抑えようとしているムートに。

「…ブロー。海兵隊のゴリラ、兄弟。…みんな、ありがとう。聞いてくれ」

渡嘉敷二尉は、きれいな英語で。だがビリっと震えるような声で…言う。

「――これは命令だ。そして今はもう10:45、正午のオスプレイ到着まで、

 もう時間がない。総員で、撤退の用意をしよう」

「…しかし、デク。トカシキ… お前たちは――」

「大丈夫。俺たちも、君たち海兵隊員と同じ…命令に従うさ。

 それに俺たちは、ハラキリ、バンザイアタックしろと言われたわけじゃないさ」

「いや、カミカゼも同じだろう…! 自衛隊だけでは、あの距離を移動するだけで

 壊滅するぞ! お前たち日本人という連中は…!! …すまない。だが…」

…ありがとう。渡嘉敷は、戦友ムートの太い腕をばんばん叩き、

「総員! 海兵隊の撤収を支援するぞ、急げ!! すぐにオスプレイが来る!

 戦友たちを無事、ステイツに帰してややるんだ! 任務、開始! はじめ!」

隊長の声に…一時は荒れていた男たちも、兵士として動き出す。





57-9

遊園地の敷地内に作られた発着場、その周囲に置かれていたコンテナや雑貨が

急いで片付けられ、飛行フレンズたちが空に舞い上がって飛行セルリアンへの

警戒を開始する。

海兵隊員たちは、険しい顔で…だが、装備をまとめ、置いてゆく装備と物資の

処理を自衛隊に頼み、焼却用のテルミット爆薬の譲渡を急いで進める中――

「…そうか。これで諸君らの半分とは、お別れか。名残惜しいが…」

配下のフレンズを引き連れた女王が、ゆっくりと発着場の方へ進み、歩む。

その女王に、ムート曹長が敬礼し、女王も柔らかな笑みを送る。

「君たちには世話になった。たくさん、美味なものを教えてもらって感謝している」

「…クィーン。こんな形での撤収になるとは思いませんでした。恥ずかしい…」

「なにを恥じることがあろう。君たちは務めを果たして、故郷に戻るのだ。

 ――胸を張れ。諸君らには凱旋がふさわしい。…トカシキたちのことは任せろ」

…そういって、ふわっとした毛皮の腕を広げた女王に。

「イエス、マム…サンキュー、サー… …我々は、俺は。ヒトは必ず、ここに戻る」

ムート曹長は、ひざを折り、女王と深く抱き合って…別れを告げていた。





57-10

…その発着場から、少し離れた場所で。

海兵隊の撤収支援、そしてここ基地からの即時移動のために慌ただしく動いていた

自衛隊員たちは――


…武士の情けで、女王とハグ…にしては切ない甘さすら感じる抱擁をしていた

ムート曹長を見ないふりをしていた渡嘉敷二尉は、小さくため息を。

「…先生は。オオカミ先生はご無事だろうか… いまはもう、森林地方か…」

つい出てしまったその声に。対セルリアン用軽MATを運んでいた吉三尉が、

「……。あああ。僕の女神、ハゲワシちゃあああん! ベリショホットパンツ!」

「うるさいぞ吉三尉。…オオカミ先生には、ハゲワシさんがついているんだったな。

 難所なら、空を飛んで超えられるだろうし… 先生なら、きっと」

――彼ら、第二次調査チームの護衛として派遣されていたフレンズ、その一人。

有名漫画家のタイリクオオカミは、調査チームが指令待ちをしているあいだに、

『森の賢者と話をしてくる』と言い残して、遊園地から旅立って…いた。

道案内と、飛行ショートカットのための在留フレンズ、ハゲワシと二人で。





57-11

渡嘉敷には、その『森の賢者』が何を意味するのかはわからなかったが…

どうやら、フレンズのオオカミ先生には…彼らヒトとは別の目的、別の使命がある

様子で…だが、それは何度聞いても、やわらかくはぐらかされて…いた。

「…先生。 ――またお会いしたい、です。…この任務、誰も死なせるわけには…」

渡嘉敷二尉は、はるか北の空に…憧憬と、切ない甘さの混じった目を向けて、いた。


「…ねえ、としあきさん… どうしても、行かなきゃならないの…?」

遊園地の敷地、公衆トイレの脇にあるレンガ張りの空き地で――

海自の妹毛三曹は、あぐらをかいて座り。…その背には、恋人のアカミミガメが

すがりついて…男の背中に、涙のしずくでしみを作っていた。

…ものの解らないフレンズでも――自分の男が、仲間たちとともに死地に向かおうと

しているのがアカミミガメには、メスの本能でわかってしまっていた。

…しかもその死地は、女王ですらその存在に戦慄した危険な特大型地中セルリアン、

“ツチノコ”が支配する西の砂漠、そのただ中にある白骨の迷宮。

…無力な涙を流す恋人の嘆きを背に、だが…男は。妹毛三曹は。





57-12

無言で愛用のノートパソコンのキーを叩き続け――そのノートから伸びたケーブルが

然るべきコネクターに刺さった、三つの軍用コンテナに目をやっていた。

「…コード、よし。バッテリー、84%。エラーなし。…衛星及び戦術リンク…

 ……。よし。つながった。…ありがとうよ、クソッタレ防衛大臣閣下…!」

ッターン! と妹毛がキーを叩くと――

 グラッ と。三つのコンテナが同時に揺れた。周囲で、不安げにフレンズ友を、

アカミミガメの恋路を見守っていたフレンズたちが、悲鳴を上げて後ずさる。

その、フレンズたちの動揺の中で…

「――コンタクト。…さあ、仕事の時間だぜ。俺の…つるしの、一張羅ァ!」

妹毛がキーを叩くと、コンテナの“中身”が生きているかのように動いて…

コンテナの外装が、内側からロックを外されてバラバラと、倒れる。…と。

 ユラリ …小さな電動部品の唸り、油圧でメッシュの軋むささやきを漏らし。

「う、わあああ! おばけ!」「なんかこわいの、でてきたですー!」

…周囲のフレンズたちが、突如、現れた真っ白い人形の巨体、その姿に逃げ惑う。

怯えるアカミミガメ、そして。不敵に笑う妹毛の目の前で――





57-13

電磁シリンダーの筋力、油圧の腱で、身長3メートルほどの巨人が立ち上がる。

――海上自衛隊、特別警備隊。通称“海坊主”の最新装備、試301式強化外骨格。

その前面にある、胸郭に当たる部分が貝殻のように開いて…あるじを、待つ。

他のコンテナも開き、そこには強化外骨格、エクソ・スケル・スーツの武装が

ぞろりと、対セルリアン用に試作された火器が並べられていた。

「…! と、としあきさん…! あれ、いったい… まさか――」

「…ごめんね、ミドリちゃん。…ここで、お別れだ。…大好きだよ、愛してる…」

瞳の凍りついたフレンズの前で、男は…

その目に、暗い情念の炎を燃やしていた。

「…やっとだ。やっと、こいつで――あのときの“借り”をかえせるぞ…

 …“アメフラシ”追撃戦のときは…こいつがまだ間に合ってなかったのと。

 阿呆な海幕のせいで大恥をかかされちまったからな。…恥はそそがねばならん。

 俺はここで死ぬだろうが…待ってろ海坊主、俺の戦術データ、受け取れよ!」

男の目には、狂気すら浮かんでいた。死を待ちわびていたような、その男に。

「…! いや、絶対嫌…! 私もとしあきさんといっしょに行く…!」





57-14

「私も、さばくに、迷宮にいく…! お願い…おいていかないで…」

男の決死に、少女の覚悟が寄り添い…いつの間にか、二人は固く抱き合っていた…


「……ぅわああああ…! やっちまったあ、みんな僕のせいだあああ…」

「そうよ。みんなあなたが悪いのよ、この盆暗亭主。甲斐性なし、極まれりね」

遊園地の敷地、その外れで…

兵士ではない、ヨレヨレの作業着を着た民間人。新世紀警備保障社から調査チームに

派遣された丸出社員、そして彼がマスターのフレンズ、オオウミガラスが。

「…僕が、僕があんな申請をしたばっかりに… 自衛隊のみんなが撤退できなく

 なっちゃったんだ…! みんな、みんな死んじゃうよ…」

「そして。あなたがダメ男なのと同じくらい当然に。私たちも撤収しろっ、て言う

 業務命令は来ませんでしたわね。…はあ、あのブリキのポンコツの道連れ…

 たぶん、早くても対策一課の連中とポンコツロボットがこの島に到着するのは

 来月でしょうね。…それまでに、砂漠の迷宮、とやらに行きませんとねえ」

「…ううう、よく考えたら。無理だぁああ、対策一課を呼ぶんじゃなかった…」





57-15

「いまさらですわ。あなたはいっつも、そう。…はあ、私は運の無い女…」

オオウミガラスは、星空の夜、その下の泉のような瞳で…兵士たちを見、

「…あなた。さっきのことは、絶対に彼らには言っては駄目。わかったかしら」

「…え。さっきのことって…なんだっけ」

「自分で、5分前に会社の同僚と衛星通信でした話をもう忘れてますの?

 ……昨夜、東京で未曾有のセルリアン惨禍があったと――

 死者行方不明者だけで200人を超えてる事件があったことは…秘密にね」

「…え。どうして? もしかしたら東京に知り合いのいる隊員も」

「…彼らはこれから死地に向かうの。…彼らが進めるのは、背後にある故郷が

 しっかり守られているからという安心が、覚悟があるからよ。

 …それを崩すような残酷なことを、するつもり? まあ、人間はするわよね」

「……。あわわ、そうか、そうか… ありがとう海ちゃん、そうだね…」

男は、丸出はホッとしたように。だが、すぐにまた頭を抱え。

「あああ。僕のせいだ…僕が、対策一課をこの島に呼んだりしたばっかりに――

 東京に出た、超大型セルリアンにビッグガードを使えなくなっちゃったんだ…!」





57-16

「…今度、池袋に出た超大型は全高50メートル…ビッグガードなら対抗できて、

 あんなに死者を出さずにすんだも知れないのに… ああああ。僕のせいだあああ」

「…日本で、市街にあのブリキロボットをそうそう、出せると思って?

 法整備もまだぜんぜんなのに。仮申請、仮認可のはんこだらけの書類が1メートル

 積もって、やっと市街に出撃できるのは1週間後でしょうね」

「…だよね。……。あれ、なんでじゃあ。この島への、対策一課の出向は…

 ビッグガードの輸送は、あんなにあっさり認可されたんだろ? 平の僕の申請で…」

オオウミガラスは、それに答えず。

東の空から近づいてくる爆音に、海兵隊を収容するオスプレイの機影に目を細める。

「――たぶん。内地は、日本はこれからこっち以上の地獄ですわよ」

「えっ? 今なんて言ったの、海ちゃん。聞こえなかった」

…オオウミガラスは。自分の中の予想、否、確信を再びは口にしなかった…


――その日。キョウシュウ島の遊園地から、海兵隊だけが撤収した、その日の夜。

島の北部、森林地方の一角に…漫画家フレンズ、タイリクオオカミは…いた。





57-17

夜闇の中、黒よりも暗い煤色の闇の中をフレンズの影が…走って、疾る。

…もとは、人類も鉄の刃も火も知らない原生林だった、その森は――

耳障りな轟音、セルリアンどもの咆哮、歓喜のような喚き声が充満していた。

…地面を埋め尽くすようなセルリアンの大群は、命あるものを、樹々を飲み込み、

砕いて吸い取りながら。豊穣の森を、無機質な荒野へと変えてゆく。

その無残な惨劇のただ中に… タイリクオオカミと、ハゲワシは…いた。

「…くそっ!! 真夜中だってのに、セルリアンどもが停まらないぞ!?」

「…ああ。あんな小型まで、動きを止めないとは。…ロウの濃度が上がったのか…」

――波濤のように押し寄せたセルリアンの群れを。

なぎ払い、何十体もまとめて潰して。だが、それすらも無力で二人のフレンズが

飲み込まれる瞬間…オオカミは宙に跳び、空中でハゲワシがその腕を捕らえて

低空をかすめ、巨大なあごのように閉じられたセルリアンの群れを、かわす。

「…くっ! キリがない、大型に見つかったら…終わりだぜ」

「…すまないね。ハゲワシくん。まさか、こんな事になっているとは――」

岩場の陰、その隙間に逃げ込んだフレンズたちは。





57-18

…その森林地方へと“森の賢者”に会うために遊園地からやってきたオオカミ。

だが。その森林は、オオカミとハゲワシが到着したちょうどその時から、無数の

セルリアンによって飲み尽くされようと…していた。

「まずいね。…火山の結界どころじゃなくなった、そろそろ私も…バッドエンドか」

「…! 来るぞ、オオカミ! …デカいのも、いる!!」

オオカミとハゲワシが潜んだ岩陰にも、生命のきらめきを嗅ぎつけたセルリアンが

本流のようになって押し寄せる。オオカミの爪と、ハゲワシの蹴爪がそれをまとめて

蹴散らすが…その攻撃は、大型のセルリアンをひきつけただけだった。

「…くっ! ハゲワシくん、君だけでも飛んで逃げてくれ。…もうここは――」

「いまさら! …もう周囲10キロ、全部セルリアンだぜ…!」

…ハゲワシが歪んだ笑みを向けた夜空、そこにも…星空を埋め尽くすような黒色が。

矢じりのような形の飛行セルリアンの大群が渦巻いて、そして降下を始めていた…


「ギロギロ2」がまぼろしの続編企画となってしまうまで――あと13秒……

「セルリアン大壊嘯」が全ての輝きを飲み込んで星を眠りにつかせるまで――あと269日……




58-1

――漫画家フレンズ、タイリクオオカミはその生涯で最大の危機に直面していた。


「サンドスター」「フレンズ」そして…「セルリアン」。

突如としてこの地球に出現した、それら未知の存在に対する人類の愚行。その中でも

最大のものが…当時はまだ“ジャパリパーク”と呼ばれていた島々、そのひとつの

キョウシュウ島のサンドスター火山“マウント・フジ”への軍事行動――

作戦名“オペレーション・メギド”。火山への爆撃、そして戦術核の使用。それは…

――人類の滅亡、来るべき『セルリアン大壊嘯』の引き金、そのひとつだった。


キョウシュウ島での軍事行動ののち、セルリアンの侵食に為す術なく島を、そして

“ジャパリパーク”を放棄した人類だったが…その島に、再び日米安保軍の兵士、

調査チームが上陸したそこには、フレンズたちの護衛がついていた。

その護衛のひとり、タイリクオオカミは…

「…これは…まずいね。火山の封印、どころではなくなったな…」

オオカミは、自分の予測の甘さに…胸の奥で、かすかに真っ黒い絶望を感じて。




かざん

58-2

――調査任務を遂行した、日米安保軍の兵士たちが待機しているあいだに。

オオカミは、ヒトの攻撃で破壊されてしまった“マウント・フジ”火口にあった

サンドスター火山の封印、結界を再び張り直すために…動き始めていた。

…その策のひとつが。

…火山に結界を張った“四神”。いまはもうこの地上からは霊圧すら消え失せた

神性たちのかわりに、“別の世界に旅立った男”をもう一度、この地に呼ぶ。

…その術を知っているであろう『森の賢者』に、オオカミは会いに来ていた。

――だが。


夜の森林地方、その一角には…耳障りな轟音、軋み、そしてセルリアンたちの

生命を喰らい破壊する無機質の歓喜。それらが地鳴りのように響いていた。

「…ちくしょう! セルリアンどもが夜になっても停まってない、なんでだ!」

「…ロウの濃度が、予想以上に上がっているのかもしれないね。…まずいな」

オオカミと、彼女を道案内していた在住フレンズのハゲワシ。

彼女たちは、セルリアンの大群に取り囲まれ、退路を完全に失って…いた。




せるうぇぶ

58-3

…夜は、ヒトの機械を呑んで中にエネルギーを持つセルリアン以外は動かない、

というフレンズの常識、それへの過信が完全に裏目に出ていた。

ハゲワシの翼で雪山地方を乗り越え、少しでも早く森林地方に入ろうとしていた

オオカミたちは、気づいたときには…すべてが、遅かった。

彼女たちが、セルリアンに囲まれてる? と気づき、押し寄せてきたセルリアンの

一派を拳と鉤爪、蹴爪で蹴散らしていたときには…

もう、二人は完全に、かつて無いほどのセルリアンの大群に飲み込まれて…いた。

オオカミとハゲワシは、岩陰に身をひそめ、そして…

「…ハゲワシくん、君だけでも飛んで逃げたまえ。…もう、ここは――」

「…いまさら! 上を見てみろ、もう…周囲10キロ、全部セルリアンだぜ!」

ハゲワシが苦い笑みで見上げた暗い上空には。

夜の星空、そこに雲がかかるように…ザアアアッと暴風のような音を立てながら、

矢じり型の飛行セルリアンの大群が渦をまいて飛び、空を覆い尽くしていた。

…そして。地面には――ハゲワシが吐き捨てたように、森の樹々を呑み、喰らって

砕き、無機質の荒野に還しているセルリアンの群れが…包囲の輪を、縮めていた。




白面

58-4

…いかに肉食頂点のフレンズ、その中でも上から数えたほうが早い猛者のオオカミ

であろうとも。この死の陥穽の前では…きりがない、いつかは呑まれる。

「…つーかよ! なんで、森林にこんなにセルリアンが集まってやがるんだ?」

「……。もしかしたら、私たちと“目的”が同じかもね。…甘かったか…」

「…こんなことなら。…吉の野郎に、おっぱいくらい揉ませてやればよかったなあ」

「…すまない。せめて、君だけでも無事に逃がしてあげたか…… ――ッ!?」


   …キィエエエェェェ……    …キェアアアアァァァ……


あと数秒で、波濤のようなセルリアンの大群に呑まれる。

それを爪と牙で食い破っても、彼女たちを見つけた大型セルリアン。ヒトの軍隊が

残していった戦車や車両を呑んだ、何体もの大型セルリアンも迫る…

――その中。オオカミの目が。…その蒼碧と金色の瞳が、ギク、と凍りついた。

「…? どうしたんだ、オオカミ。なんか、面白い漫画のネタでも今ごろ…」

ヤケクソの軽口を吐いたハゲワシ、その肩を、腕を…狼の手が、ガシと捉えた。





58-5

「…な!? なんだよ、なにすん…」「――!! まずい!! 伏せろ!!」

何か言いかけたハゲワシ、その身体は。

オオカミの剛力で引き倒され、地面にうつ伏せに押し倒されていた。

そして…ハゲワシがもがくのを、犯すかのように力づくでねじ伏せたオオカミの

手が、なぜか――ハゲワシの顔、その両目を。オオカミの両手が、固く押さえて。

「…!! いいか、絶対に目を開けるな、何も見るな!! …しぬぞ――」

「…な、な?? 何言ってんだ、あんた!? セルリアンが来ちま… ……!?」

――オオカミの体の下でもがくハゲワシも…ようやく気づいた。

   …キィエエエェェェ…!!    …キェアアアアァァァ…!!

セルリアンどもが立てる、破壊の騒音、轟音と無機質の咆哮。その向こうから。

「な、なんだ… なんか、くるぞ…? …だから、離せって!」

「…駄目だ!! 絶対に見るな、目を開けるな…たのむ――」

もがいたハゲワシ、その…自分の目を覆うオオカミの手の隙間から見えたのは。

自分をかばうように覆いかぶさるオオカミ、その凛々しい美貌の顔…その両目と、

鼻、口から…ぼたぼたとあふれている、どす黒い血だった。





58-6

「…ぐ!? な、な…オオカミ、おま…! 血、なんで……」

「大丈…夫、だ… ――さっき、少し見てしまった。…知ってはいたんだが…」

再び、オオカミの両手がハゲワシの両目を固く覆う。

…その、二人のフレンズの頭上。彼女たちが隠れ潜んだ、岩の裂け目の上で。

   …キィエエエエエエ!!    …キェアアアアアア!!

…何かが。何者たちかが。暗闇をつんざくような怪音で吼えていた。

その音に。地面を覆い尽くし、空で渦巻いていたセルリアンの大群が――

…夜空の一角に、セルリアンどもが単眼を向けた、その瞬間。

 ぐしゃあ …と。セルリアンの大群が、溶けた。

“何か”を見た、その単眼に“何か”を映したセルリアンは、その全てが…

巨大なほうきで掃かれたように、潰れ、形を失っていっていた。

“それ”を見たセルリアンは、地上型も飛行型も、その単眼からタールのように

どす黒い液体をあふれさせ、塩をふられたナメクジのようにのたうって、そして。

 ぐしゃあ パッパパパパ! と。連鎖するように潰れ、破裂して。

夜を埋め尽くしていたセルリアンの群れに、ごっそり空隙がえぐられる。





58-7

「…!? な、なんだ…何が起こっている…」「…動くな、絶対に見るな……」

地面に伏せ、固く目を塞いだフレンズたちの頭上で――

文字通りの『死』が、殺戮を謳歌しながら飛翔して、猛毒を撒き散らしていた。

“それ”は。“それら”は。小柄な、二つの飛翔体で――

片方は白く、片方は茶色く。“それら”はセルリアンの群れを突っ切り、飛んで。

 キィエエエエエエ!! 白いほうが羽ばたき、月と星を背に…浮かぶ。

姿と、顔立ちは子供の、可愛らしい幼女のようだった。だが――

その顔、その見開かれた両目からはどんな闇よりも黒い、真っ黒な瘴気があふれ、

血涙のように飛び散っていた。…それを見たものは。…セルリアンの大群は。

…目から入るその猛毒にやられて、ぐしゃり潰れ、破裂し。

誇張抜きに、数キロの範囲で大地を埋め尽くしていたセルリアンの大海原は、

幼児が砂を叩いたかのように、すでにその半数以上が潰されていた。

その白い『死』に、飛行型セルリアンの群れが切っ先を立てて突っ込む、が…

瘴気の視線を向けられただけで、突撃はお茶に沈めた角砂糖のように砕け消える。

…セルリアンの大群は。自分たちを襲う『死』に…





58-8

ぐしゃぐしゃと潰されながら、セルリアンの大群は大型セルリアンの周囲に集まり、

火山の方向へと逃げ散ろうと…していた。

その大型セルリアンも、瘴気の余波を受けてその単眼からぼたぼたどす黒い体液を

こぼし、何体もが途中で崩れて落ち、ただのヒトの兵器の残骸に…帰す。

…それでも。十体ちかい大型セルリアンは、小型をひきいて、それらを吸収して

瘴気の毒に耐えながら森の残骸から後退を、火山のほうへと逃げ――

 キェアアアアアア!! 暗闇の中、哄笑のような咆哮がつんざくと。

1体の大型セルリアン、装甲車を飲んでいた巨大な怪物が…

 グシャ と上から押しつぶされて、中身の装甲車ごとセルリアンは砕け散る。

中に残っていたガソリンと弾薬が爆発し、バチバチと暗い炎を闇に昇らせる中…

 ぬうっ、と。“それ”の足が、大型セルリアンを踏み潰した猛禽の鉤爪の足が、

夜空に持ち上げられ…闇の中に消えると。

 バキッ と。歩兵支援の四足歩行ユニットを呑んでいた大型セルリアンが、

夜闇の中から伸びてきた、やはり巨大な茶色の鉤爪に握りつぶされる。

そこに白い“それ”が、死の凱歌を咆哮しながら飛翔し…瘴気を『死』撒き散らす。





58-9

「…!? な…何が起こってるんだ…」「……。見るな。知ラなイほウガいイ…」

この夜闇の中、岩陰でかろうじて生きている二人のフレンズは。

オオカミは、吐き出した黒い血で咳き込みながら、固く目を閉じながら。

「…奴め。私たちがいるのを知っていて―― …大食いを連れてこなくてよかった」

…自分で来てよかったと。…そして。この先の交渉の困難を感じて……いた。

そのあいだにも――

闇の中から、何の前触れもなく、唐突に出現する巨大な猛禽の鉤爪、そして。

 ずど! と。巨大だが、幼女の手の“それ”が大型セルリアンを虫けらの

ように叩き潰して、中の戦車ごと誘爆させてゆく。

白い“それ”が円を書くように飛翔し、黒い瘴気を振りまくその下では――

   ……………… 動くものは、すでに皆、死に絶えていた。

ただ、岩陰に潜み目を覆う二人のフレンズ以外は。

あれだけいた、世界を覆い尽くすようなセルリアンの大群は、全て…潰されていた。

『――……』『…………』

白い姿と、茶色い姿。小柄な二人の鳥フレンズは、夜空に並ぶように浮かび――




おおかみ

58-10

…そして。幼いその二人は、あそびに飽きた幼子のように――

無言で、羽ばたきの音すらたてずに夜闇の中を、いずこかへと飛び去って…いた。

…そして――

「……。お、おい…オオカミ。…セルリアンの気配が、消えた…消えちまったぞ」

「……。ああ。そのようだが…ダメだ、まだ動かないほうがいい」

オオカミと、ハゲワシは。完全な死の静寂が支配する闇の中で、お互いの呼吸だけが

やけに大きく聞こえる闇の中で…なんかに怯えるように、声を漏らす。

「…な、なあ。さっきは…何が起こったんだ、何が来やがったんだ…?」

「……。まだ外に出ないほうがいい、瘴気が残っている。…朝まで、ここで待とう」

オオカミは、質問には答えず…

「…朝になったら、ここを抜けてもう少しで…目的の場所だ、そうしたら。

 ハゲワシくん、すまない。世話になった、君はそこで戻って構わないが…」

「バカ言うな。…ここまで来たんだ。オレも行くぜ、その…『図書館』によ」

「…助かるよ。大丈夫、昼間なら――“あの二人”は、だいぶマシさ…」

狼はがふっと、喉に残っていた、明らかに毒の味のする自分の喀血を吐き捨てた…



かっとりんご


58-11

――翌朝。セルリアンの呑んでいた残骸だけがまだ残り、くすぶる荒野を抜け。

オオカミとハゲワシは、森林を抜ける迷路のような未知を、進んで…

「……。これが、図書館?」「……。ああ、ヒトがパークに残したもののひとつさ」

そこは――

森の中に作られた、整備された公園だった。草原のように見えるのは芝草で、

子供向けの様々の遊具が並ぶ、その奥に…その建物、『図書館』はあった。

果物の、リンゴ。そのリンゴをカットした意匠の建物は、本来はパークやってきた

ヒトの子どもたちがすごす施設、そのひとつだった。


「…ひさしぶりだね。コノハ…いや。『博士』そして『助手』。女王事件以来かな」

図書館の中に迎え入れられたオオカミが、小さな笑みを浮かべて言うと。

…その前で、オオカミの半分ほどしかない大きさの鳥フレンズ、幼子のような二人は。

「…タイリクオオカミ。おまえは外の世界に行ったはず。なぜまた、この島に」

「…おまえが来たということは、ろくでもない要件のはず。博士、殺しましょう」

その外見に似合わず、辛辣な言葉を口にしたのは。



としょかn


58-12

――この図書館を預かる、フクロウのフレンズ。

博士こと、アフリカオオコノハズク。助手こと、ワシミミズク。その二人だった。

オオカミがその二人と話すあいだ、ハゲワシは関わりたくない、といった顔で

図書館の壁を埋め尽くす本棚を、床に並ぶ本棚と、本を。そしてそこかしこにある

テーブル、子供用のおもちゃや標本を物珍しそうに見ていた。

…わかっていたけどね。オオカミは、少し疲れたため息一つ。

「私が来た要件をさっしているとは。さすが森の賢者、話が早い…」

そのオオカミに。片方のフクロウ、若干大柄な、茶色い美しい毛並みのフクロウ。

その可愛らしい顔の両目を、包帯でぐるぐる巻きにして塞いでいる助手が。

「おおかた。ヒトが愚かにも崩した、あの山の結界のこと…だろう。

 …去ね。もはや、全ては手遅れ。あとはサンドスターがその飢えを満たすまで

 このまま見守るしか無い。…何か、出来るなどと増長せぬことだな、狼」

ずいと、奇妙な形の杖をオオカミに突き出し、言う。

「…なるほど。図書館としては――“ここ”を守りきれれば、それで良いと。

 フレンズやヒトがどれほど餌食になろうとも、ここさえ残っていれば…かい」





58-13

今度は、それに白い幼子、博士のほうが小首をかしげ。

「ヒトはもはや滅ぶ。それは避けようがないのです。そしてヒトが滅びれば、

 その“想い”が消えてしまえば、私たちフレンズも消える。…運命なのです」

「…だろうね。私たちのこの姿、このフレンズ力(ちから)も――

 すべて、ヒトの想いが形になったものだ。だから、こそ。抗うべきじゃないか?

 ヒトと共に…この運命に抗って、共に生き、そして滅びるときはともに…」

「無駄なのです。我々の力など、焼けた鉄球の上に落ちた、水のひとしずくも同じ。

 私は、私たちは。ヒトが消えた後も、ここに在るべく有るために…

 そのために、この図書館を守るのです。ここさえあれば――」

「博士の仰る通り。ここの、ヒトが残した想いのカタチさえ残れば、私たちはまた

 このカタチに、フレンズとして何度でもよみがえる、何度でも……」

「…だが、それも永遠じゃないだろう。いつかは想いも薄れるぞ。

 …いつかは。そこらの雑魚セルリアン相手に、私たちが本気を出しても…

 拳で打って、精一杯の勢いで体当りするぐらいが関の山になる。それでもいいと?」

オオカミが問いかけると。





58-14

「そうならぬよう、私と博士はここを守るのだ。ここにあるのはヒトの思いだけ

 ではない、トワが残していってくれた“道標”が―― …ッ」

「ほう」 オオカミが、目の奥だけで小さく笑った。

「…助手。あなたはもう黙りなさい」

「…申し訳ありません、博士… この狼に知られました。やはり、殺しますか」

いらだった口調の助手を、博士はちんまい可愛い手で制し。

「…狼。おまえは昨夜、あの場所にいましたね。ならばわかるでしょう。

 セルリアンは、ここにあるヒトの想いを、そして――“道標”を狙っている。

 私たちはここを守らねばならない。つまり私たちは…」

「…ここを動けない。結界の張り直しには協力できない、そういうことかな」

「そういうことです。もし、おまえが“道標”を使いたいのだとしても――

 こちらには、それを許す理由がないのです。…わかるでしょう、狼。

 トワは“この道”を見捨てたのです。でも、私たちには“道標”をくれた。

 それはヒトが滅びても、トワが愛してくれた私たちが永久に消えないためなのです」

「――私はそうは思わないな」 狼は…煽るように、鼻を鳴らして。





58-15

「ヒトはこの世界でも滅びはしない。…私たちフレンズは、そのために在るのだ。

 たとえ、一人でも…ヒトがいてくれれば、残ってくれば私たちは……!」

まっこうから、賢者たちにオオカミが言ってのけた、その時。

 ガシャン! と何かがひっくり返る音がして――

「…あっ、ごめん。さわってたら、中身が…」

それまで、賢者たちと狼の視界の外で、関わりにならないようこっそり遊んでいた

ハゲワシが。なにかのビンをひっくり返し、あたふたそれを戻していた。

…そのビンは。中に木の実が詰められていたオブジェ、で。

…そこからこぼれた一粒の木の実が、ころころと狼の足元まで転がっていた。

その木の実、どんぐりをつまみ上げたオオカミは、ふうと上を見上げ――

そこには、吹き抜けになった図書館の内部、そして高い天井にあるガラスの天窓が

見えて…ふと、オオカミは床の一角にある小さな緑の空間に気づく。

オオカミは無言で…図書館の床、その一角に作られた小さなビオトープのほとりに

立つと。くるり、博士と助手の方を向いた。






58-16

「博士と助手が正しいか、私が正しいかはわからない。だが…予言しようか」

オオカミは。ビオトープの土に、さっき拾ったどんぐりを…ポトリ、落とした。

「…ヒトは、必ずここに戻るよ。いつか、必ず。決して、滅びはしない。

 それは、この実が芽吹いて若葉を見せる頃か、あるいは……」

「この図書館よりも高い大樹になるころ? ヒトがまだ生きて、ここに戻ると?」

「たわごとです、博士。殺しましょう。…狼、私は自ら目は塞いでいるが、見える。

 それでもヒトがこの星でサンドスターに抵抗出来る未来は見えぬ」

「まあ予言なんて、そんなものさ。…邪魔したね。もう行くよ。

 …結界は私たちが張り直してみせる。それを伝えに来ただけさ――」

「……。待つのです、狼。助手、赤い星の書かれた御札、あれを出してくるのです」

「……!? 博士、まさか」「私の言ったことが聞こえませんでしたか、助手」

助手が、ギクリとして何処かヘ向かうと。…ほう、と狼がため息を、ついた。


ジャパリパークで最も清楚で気高く最も美しいフレンズがアップをはじめました。

「セルリアン大壊嘯」がこの星に残った最後の輝きを曇らすまで――あと268日……





59-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前、南溟の海上に突如として浮上した謎の諸島――

さらに、その島々で生まれた「アニマルガール」と呼ばれる謎の動物少女たち――

その島は「ジャパリパーク」としてヒトによって管理、開発、運営され――

ヒト型の動物少女たちは「フレンズ」として、アイドルとして人々の人気を集めた。

…だが。ヒトの世界は移ろいやすく、「第一次フレンズブーム」終局から早、1年。

パークから連れてこられたフレンズたちは、手に職をつけて現代社会に馴染む者も

あれば…労働と社会にいまいちなじめず、家賃無料の施設、通称「フレンズ下宿」

なる安アパートで無聊をかこつ日々を過ごすフレンズたちも、いた。

…半年ほど前までは、どこに出しても恥ずかしい無職フレンズだったヒョウ。

…だが。そんな彼女は、ヒトの少年との恋を知って――変わっていた。

「…うちはフレンズいち、失礼な後輩の面倒をよくみる働き者の少女やねん」


ヒョウの、そして無職フレンズ仲間の暮らす「フレンズ下宿」に新しい住人が、

ワオキツネザルがやってきてから早、一週間がたっていた。




わお

59-2

「…いやー。最初は。こんなボッコい四畳半の部屋で、お風呂もキッチンも無い、

 オートロックどころか部屋の鍵すらあやしい、こんなヘンピなところで――

 私、暮らせるかなあ? って思ってましたけど。慣れちゃうもんですよねー」

「…よかったやん。どうせワオちゃん、自分じゃ料理とかせえへんやろ」

「料理は覚えてますよう、今。…彼氏、出来てからじゃ遅いじゃないですか。

 …お風呂は。…朝入れないのはまだキツイですけど、銭湯もイイもんですよねえ」

「…そうやろ。だからな、ワオちゃん。風呂くらいは、一人でも行きいや」

「えー。一人で銭湯はつまらないじゃないですかー。先輩、一緒に行きましょうよ」

その夜。

ワオキツネザル、通称ワオちゃんは。彼女のフレンズ先輩であり、この下宿の

古株でもあるヒョウの部屋に、仕事帰りのまま、上がり込んで…いた。

同じく仕事帰りで、着替えたばかりのヒョウは…頭上にこんがらがった線を出し、

「…子供やないんやから。ワオちゃん、もう銭湯のアリツさんとは顔なじみやろ。

 ちゃちゃっといって、ちゃちゃっと湯ぅ浸かって。ちゃちゃっと寝れ。な?」

「えー。だって、まだ9時前ですよ?」




おこ

59-3

…だから、うちは9時過ぎから、大事なだいじな用事があるねん。

…うちは、9時になったら彼氏から電話かかってくるんや。知っとるくせに…

ヒョウは部屋の中で駄々をこねる後輩に…だが、ズバッと言えないまま。

(…ワオちゃん、マンションの更新できへんで追い出されて、いきなりここやもん。

 …明るくしとるけど、まだ不安なんやろな。…だからうちのとこ、来て…)

「せんぱーい、銭湯いっしょに行きましょうよ! ねっ? …あっそうだ。

 帰りに冷たいビール買って来て、風呂上がりに呑みましょうよー」

「……。そらええけど…でもな、うちはこれから――」

そこに。ヒョウの部屋の外、四畳半部屋のドアが並ぶガタピシの廊下を、

「お風呂、お風呂ー。早く髪洗いたーい」「今日の“担ぎ”はきつかったわよねえ」

「おーちゃん、石鹸まだあるかい」「…ウん、まだあるよ。いっしょに使オうか」

ぞろぞろと、下宿フレンズたちが行進する足音、声が響いて。

「うん? ヒョウ、帰ってんのか? 竜骨湯いこーぜ、今日は券があまってんだ」

…廊下から、下宿の古株、オコジョの声が聞こえて。

ヒョウはため息ついて、抵抗をあきらめる。




ひくい

59-4

「しゃーないなあ。じゃあ、ワオちゃん。みんなもいるし…お風呂、いこっか」

「やった。じゃあ、すぐに桶とタオルと、えっと。準備してきますね!」

ワオちゃんが喜々として廊下に出、そこで。一週間ですっかりなじんだ下宿の

フレンズに… ラクダ姉妹、オコジョにビントロング、タヌキにハクビシン、

オオカワウソ、テンとクロテンたちときゃわきゃわ、合間合間にビールとお菓子、

という単語がはさまる女子会話を続ける――

そんな中。

…自分もお風呂セットを。…以前と違い、化粧の道具が増えたそれを持ったヒョウが

(…本間くんに電話するのは、銭湯からでええか。みんなが入ってるあいだに…)

彼氏に、いつものラブ電話をするタイミングを図っていた、そこに。

「ヒョウ。すまないな、ちょっといいか?」

みんなのキャワキャワが進んでいった廊下から、のそりと。

迷彩のジャージを着た、背の高いフレンズ。下宿古株の一人、ヒクイドリが

ヒョウの部屋に顔をのぞかせていた。ヒョウは手をひらひらさせて、

「かめへんよ。なんや、なんぞ… …他のメンツにはできへん話か?」




りか

59-5

「…まあ、そんなところだ。…ヒョウ、おまえニュース、見てるか」

お風呂セットのかご、そして使い込んだガラケーを手にしたヒクイドリ。

ヒョウはなんとなく、自分もスマフォを手に…部屋の奥に、ヒクイドリを入れる。

「ニュースて。……。あれか、先週のセルリアン騒動、池袋と首都高の…」

「ああ。…テレビとかのマスコミのニュースと、ネットの反応が…どうも、な」

警備員のバイトをしつつ、サバイバルゲームとネット徘徊を趣味にしている

ヒクイドリが…ガラケーの小さな画面をヒョウに見せるようにしながら、

「先週から…テレビと新聞は、やたらと警察と自衛隊を叩いてる、だろ?」

「…まあ、そうやろ。ハンター、だったか? フレンズ使ってセルリアン退治、

 しとるっちゅう… ほとんど役に立たんかったって、ニュースじゃ、なあ」

…以前。フレンズ友、そして下宿の相棒だったカメレオンの一件で、ハンターこと

警視庁の警備二課、セルリアンハンターのフレンズたちにいい印象のない

ヒョウの口調には、その声にはトゲがあった。

「…それなんだが。どうも…あの夜、現場にいたヒトどもの反応が違うんだ」

ヒクイドリの声が、低くなる。




さいさい

59-6

「…あの夜だけで、200人以上の死者と行方不明、被害はウン千億円規模。

 警察のハンターがヘマこいたせいだって、自衛隊が連絡ミスって出撃すら

 せえへんから、ってニュースじゃめっちゃ叩いとる、けど?」

「…うん。だがな。ネット見ると…池袋じゃ、あの巨大ロボみてーな大きさの

 超大型セルリアン“ドロタボウ”に、警備二課の警官とフレンズたちが、

 特攻みたいな無茶な攻撃して、やっとセルリアンを蹴散らしたって…

 そういう意見が、書き込みが結構あるんだよ…

 もう少しでセルリアンに呑まれそうだったホテルの泊り客の書き込みが多い」

「……。どういうこっちゃ。ニュースとネット、どっちかがフカシこいてるんか」

「池袋じゃ、フレンズたちもやられて負傷した、って書いてある。

 中央環状線のほうでも、フレンズがやられたって――けっこう書き込みがあった。

 二課のハンターたちは、命がけで戦った…って、あったんだけどな」

「…なんで過去形やねん。そのネットの書き込みが…なんかあったん?」

「…ああ。どこの大手掲示板でも、その話題は即削除でアク禁らしくって、な。

 まとめサイトも、いくつも閉鎖喰らってる…」




きんしこ

59-7

「掲示板だけじゃない、ツイッターやほかのSNSでも似たような空気だ。

 あのときのこと語ると、凍結か、めちゃくちゃ叩かれて黙り込むか、だ」

…どういうこっちゃ? ヒトは、何を…

ヒョウにはわからない単語が交じるそのヒクイドリの言葉は、だが…ヒョウの

胸の奥に、何か汚いものを流したような悪寒を走らせる。

「どっちが正しいかはわからねえけど。…でも、私はあのときバイトでな、

 五反田のあたりにいたんだ。そうしたら、環状線にあの超大型“カシャ”がな。

 …私、とりあえず駆けつけたんだけど…行ったら、全部終わってたんだ。

 警察の、二課の警官とフレンズが地雷使って高架を二箇所、落として、な。

 …あれがなきゃ、セルリアンは渋滞してた山手トンネルに突っ込んでた…」

「……。警察、仕事してたっちゅうことか? じゃあ、なんでニュースは…」

「わからん。…警察を、ハンターを叩きたい連中がいるのかも…な。

 ヒョウ、おまえならわかるだろ。…ハンターが叩かれるってことは――」

ヒョウは、胸の中の悪寒が…吐き気っぽいそれに変わるのを感じ、

「…うちら、フレンズが叩かれるってか? …なんでや、なんで今ごろ」





59-8

「…わからん。でも、私らも用心しておいたほうがいいんじゃないかな、ってさ。

 あと――ヒョウ、おまえたしか。…屋台やってるジャガーのツレだろ」

「? そ、そうやけど。ジャガーがなんか、したん… ……あっ」

「ジャガーのカレ、たしか警察の、二課のハンターだろ? もしかすると。

 …ジャガーもなんかヒトとかマスコミに嫌がらせされたり… 最悪… な?

 だから、ちょっと様子見に行ったり、忠告したほうがいいんじゃないかってさ」

「そんな… ……。うん、そうする。ありがとうな――」

ヒョウが、スマフォの通話履歴のジャガーを探した、そこに。

「せんぱーい? どうしたんです、早く行きましょーよ!」

廊下の向こうから、ワオちゃん、そして他のフレンズの急かす声が飛んできて。

「…すまんな。とりあえず…風呂、行こうか。…ジャガーにはあとで電話するわ」

「ああ。…下宿のみんなにも、それとなく言っておくか」

「…しっかし。ヤバいセルリアンが出たのに… なんで、仲違いしとるんやろな」

「…ヒトのすることだからな。私たちにはわからん」

ヒョウとヒクイドリは。暗い面持ちで、黙り込み…部屋をあとにした…




ばあちゃん

59-9

――翌朝。最近のフレンズ下宿は、朝が慌ただしい。

とくに、ヒョウが恋を知って、本気を出してから。アミメキリンの編集スタジオで

アシスタントとして毎日、朝早くからつとめに出るようになってから。

他の下宿フレンズたちも、いちばんのグウタラだったヒョウが働くようになって、

自然と、それにつられて仕事を探し、働きに出るようになっていた。

そして。下宿フレンズで、いちばんの早起きは近くのスーパーで働くタヌキである。

「おはようございます、大家さん」

「はい、おはよう。今日は雨が降りそうだねえ、洗濯は明日にしようかねえ」

だが、そのタヌキよりもはるかに早起き、暗いうちから起きて動き出すのが、

このフレンズ下宿、正式名称「みどり荘第四」の大家、小五浦のお婆さんだった。

小柄なタヌキよりもさらに小さい、しぼんだように小柄な大家の老婆は、だが。

「台所にごはんが炊けているからねえ。汁もある、朝ごはん食べてから行きなよ」

「…ありがとうございます、大家さん! じゃあ、みんなを起こして…」

病み上がりかと思えぬほど、パワフルに動く大家の老婆、小五浦女子は、

孫娘たちのようなフレンズたちを、今日も世話して…




だいどころ

59-10

「…ふあああ。おバアはん、おはよ。…なんか、めしの匂いする」

ヒョウも、寝巻き代わりのシャツとジャージの下姿であくびしながら、廊下に出た。

時間は、まだ6時半ほど。廊下にズラリ並ぶ四畳半部屋のドアの奥では、

まだ眠っているフレンズたちのほうが多い。

「おはようございます、ヒョウさん。大家さんが、ご飯を炊いてくれていて」

「ほー、そらありがたい。…何合炊き、って。おお、一升炊きのお釜やん」

共同炊事場で、ヒョウが一番大きなガス炊き釜から立ち上る湯気に目を細める。

こまごま働くタヌキは、大きな鍋の味噌汁の具合を確かめ、ガスコンロで海苔を

あぶって。残りの火で、どこからか出してきた魚のみりん干しを焼いてゆく。

…もはや、過去のものになりつつある…日本の、朝の豊穣、食卓の香り。

そこに、建築現場に通っているオコジョとビントロング。ビル建築で“担ぎ”を

しているラクダ姉妹、オオカワウソ、テンたちも起きてきて。

「…んー。おお、朝めしか。こりゃありがたい」

「朝を茶碗いっぱいでガマンしとけば、弁当持っていけるでー」

フレンズたちが、盆に、めいめいの器にごはん、汁、おかずをもらって行く中。




ほんき

59-11

「…だから、私ゃあ、いつもあんたらに口を酸っぱくしていってただろう。

 いい若いもんが無職で昼まで寝てるもんじゃない、って。早起きは得だろう?」

大家のおばあさんも、自分のちゃわんにご飯をよそって。ヒョウに、

「…しかしまあ。でっかいドラ猫みたいだったあんたが毎朝、勤めに出るとはねえ」

「昔の話や。言ってたやろ、うちは本気だすとすごいんやでって」

ヒョウは、お釜に残っていたごはんにチラと、目を。

手を洗って、そのごはんに塩をして。ヒョウは、弁当用のおにぎりを手早く握り、

種をぬいた梅干しを詰め、タヌキからもらったのりを巻いてゆく。

夜勤待機でまだ寝ているヒクイドリの昼食、そしてオコジョたちのお弁当だ。

走行しているうちに、時計の針はそろそろ7時。

「ごめんな、たぬぽん。後片付け、お願いな」「うん、大丈夫…私は8時出だから」

ヒョウは、部屋に戻って。新しく買った縦長の鏡を、見る。

お化粧で5分、服を選んで着て、5分。

…今日は雨が降りそうだから、デニムはやめとこ。チノパン、上はチュニックで…

ヒョウは、すっかり習慣になった化粧の用意を…




下宿

59-12

「…明日は花金や。…もし仕事が定時で終わったら―― …うん、そうしたら。

 …すぐに世田谷まで電車で行って。…本間くんの家の近くで、電話してみよ…」

ヒョウは、自分の大胆な思い切りに、今からテンションが上りながら。

…そのヒョウの耳に。

下宿の表の通りに、ふだんは通ることもない大型のトラックが通る音、振動が

響いて、それに数台の車の音も連なって…それが――下宿の前で停まった、音。

…?? なんや、こんなボロアパートの前に?

引っ越しがあるとは聞いていない。それに、ワオちゃんの引っ越しはとっくに

終わっていて…あんな大きなトラックが、ここ下宿の前に停まる理由が…

「…!! …まさか――」

ヒョウの頭に、記憶の中に。もう半年近く前の光景が…音とともに、よみがえる。

それは。まだタイリクオオカミ先生がこの下宿にいたころ。そして。

オオカミ先生が、初めてこの下宿にオオカワウソの、おーちゃんを連れてきた…

…あのときの、パーク振興会の大型トレーラーの音、だった。

オオカワウソを護送してきたあのトレーラーが、また…下宿の前に。




たいべっくす

59-13

「…!? …おーちゃん!! …まさか…」

化粧も着替えも放り出して、廊下に駆け出したヒョウは。そのまま玄関で

サンダルをつっかけて、外に。下宿の中庭へ…走った。

そこには、出勤しようとしていたオコジョとタヌキたち、そして…

「…おい、なんだあんたらは? ここは私らの家だぞ、勝手に入んな!」

何人もの男たちと、下宿の門を挟んで向かい合っているフレンズの姿があった。

「――私たちはねえ、区役所の… このアパートは老朽化がひどくて…」

「ごんぼほってんじゃねえ! ここを出てけって、いきなり何だよ!?」

「…オコジョさん、おちついて…」「…大家の婆さん、呼んでくる」

…男たちは。背広姿の見覚えのない男たち、そして…

なぜか、ヒョウをギクッとさせたのは。パーク振興会のスタッフ、作業ツナギを

着た男たち、何故か防護マスクを付けたその姿…だった。

下宿の前の路地には、あのときオオカワウソを連れてきた防護装甲トレーラー、

そして区役所のミニバンが2台。男たちは、背広が四人。スタッフが四人…

その男たちと、真っ向から向かっていたオコジョが、




おこじょ

59-14

「こんな朝っぱらから! じゃまだ、私らはこれからつとめがあるんだぞ!」

ちんまい体と、白い花のような顔で。男たちに…真っ黒な目と、牙をむいていた。

ヒョウもそちらに走って、気の短いオコジョを抑えようとする…が。

…ギクッと、ヒョウの足が止まってしまう。

パーク振興会のスタッフたちは、その全員が――その手に、万が一フレンズが

暴れたときに拘束するための、電撃ロッド。そして高圧電撃のシェルを打ち出す

邪悪な形のスタンガンが、握られていた。

「…ちょ、あんたら。…いったい。…うちらを、いったい…」

「おう、ヒョウ! こいつら、いきなり雁首そろえやがってよ! 何を抜かすかと

 おもったら… 今すぐ、この下宿を出ていけって! なめやがって」

オコジョがつばを吐くように言うと。

男たちの一人、だらしなく腹の出た中年の背広姿が…何かの書類を出し、

「この下宿はねえ、もう住めないんだよ。老朽化がひどくて、防火設備もない。

 私はねえ、君たちのためを思ってだねえ… ちゃんと代替えの施設もある…」

「うるせえ! だいたい、おめーは何だ? なん権利があって、えらそうに!」




わお

59-15

オコジョが言葉で噛み付くと、その中年男はギクッとたじろぎ。そしてすぐに、

いらだった顔を隠そうともせずに、

「…私はねえ、ここの権利者だよ! 土地と建物の。地主だよ。わかるか?

 やさしくしてやればツケあがりやがって。…これだから畜生は――」

「な…地主、って。どういうこっちゃ、ここは大家の婆さんが…」

ヒョウがうろたえると。中年男といっしょにいた、若いほうの背広男が、

「スタッフの皆さん、もう連れて行っちゃってくれ。あとの処理はしておく」

粗大ごみでもだすような声で言って、パークスタッフたちに手をふった。

「おい、ちょ…! わけわからん! …あんまりうちら舐めてると…」

「ああ、心配しなくていい。このボロ屋を撤去する代わりに、君たちフレンズには

 別の住居を用意してある。はるかに近代的で、快適な… なあ、そうだろう?」

その若い男がパークスタッフに言い、笑うと。

下宿から、騒ぎに気づいた他のフレンズたちもぞろぞろと中庭に並ぶ。

「ちょ、ちょっと先輩、これどういうことですか、私聞いてない…

 先週引っ越してきたばっかりなのに、もうここに住めなくなっちゃうんです?」




スーツ

59-16

ワオちゃんが不安そうにヒョウの手をつかんで言う。

ヒョウは、それに答えられず…代わりに、ずいと前に出たヒクイドリが。

「……。あんた、区役所の役人さんたちか。…えらく雑なやり口で来たじゃないか」

胸に下げているIDカードを見ていったヒクイドリに、中年の背広姿は、

「ふん、本来はもう私たちの職分じゃないんだがねえ。まあ、明日にもニュースで

 流れるだろうがねえ。おまえたち、フレンズの管理が変わったんだよ。

 今までは地方自治体、うちの区役所で面倒を見ていたが――

 これからは法務局がフレンズの戸籍と身の上を一括管理することになった」

「そういうことだ。我々は、最後の仕事でね。パーク振興会の協力のもと…

 この敷地を接収して、君たちを法務局の施設に移す、それだけだ」

区役所の職員、中年と若い男のその言葉に…

ほとんどの下宿フレンズは、何を言われているかもわからないまま…

「ちょっと、おねえちゃん。どういうこと…」「私だってわかんないわよう…」

「たぬぽん、なんか雰囲気やばいよ…」「で、でも…お役所の人が言うことだし…」

フレンズたちは、ヒトの言葉に気圧され…じわ、と中庭を下がる。




ばあちゃん

59-17

そのフレンズタチの背後で。…スタスタと、小さい草履の足音が…して。

「…朝から何ごとかと思えば――なんだい、大の男がぞろぞろと、みっともない」

「大家さん!!」 フレンズたちの、涙の混じった声がわっとわきあがった。

下宿フレンズたちのあいだをぬって、前に出た…小柄な老婆は、

「ここにはもう住めない? この子たちをどこかに連れていくだって?

 馬鹿言ってんじゃないよ。私の目が黒いうちに、そんなことはさせないよ」

きっぱり、ハッキリ。…大家の小五浦女史は、老婆はビシッと。

…眼の前に立つ、だらしない体型の中年男に向かって…きっぱり、言い切った。

「…情けない。ウソだけはつくなと、お天道さまに顔向けできない生き方だけは

 するんじゃないよと子供の頃から言っておいたのに。…このバカ息子…」

「…で、でも母さん! これは仕事なんだよ、上の…政府の決めたことなんだ。

 邪魔しないでくれ、そもそも母さん、なんで勝手にホームを出てこんな所に…」

「…ふん。あんなところでくたばってたまるかい。私の居場所はね、ここだよ。

 父さんが残してくれた、大切な思い出の場所さあね」

老婆は、しみじみと言い…




げしゅく

59-18

老婆と、その中年男の会話に。…フレンズたちの頭上に ?? が出て。

「あ、あの。大家さん、この区役所の、お役人さんって…?」

「…私の息子の、ひとりだよ。…まさか、こんなに出来が悪いとはねえ」

フレンズたちが…困惑の顔で老婆と、目の前の役人を見る中。

「こっちも時間がないんだ、悪いけど執行させてもらうよ、母さん!

 このアパートは老朽化していて危険なんだ、もしここから火事が出たりしたら

 この地区一体が火災に見舞われるんだよ? そういう都の方針なんだ」

「…火の元はしっかりしてるし、防火の工事もしてあるさあね。

 ……。とし、おまえ。ウソはつくなって言ってるだろう。

 この娘さんたちをどうする気だい? 最初からそれが目当てなんだろう?」

そ、そんなことは… 母親に名前で呼ばれた、背広の中年男がうろたえる。

だが、男はすぐに苛立ちを隠そうともしていない顔で、

「邪魔しないでくれよ、母さん! こいつらは…ヒトじゃないんだよ、動物だ!

 こんな畜生たちを政府がどうしようが、構わないじゃないか!」

「……。情けないねえ… 私ゃ、本当に情けないよ」




あまくだり

59-19

「頼むから邪魔しないでくれよ、母さん! 俺だってもうギリギリなんだよ!

 …同期のやつらはみんな、早期退職でいい会社や団体に再就職してるんだ、

 俺だけ満期で定年までとか…冗談じゃない、俺に恥をかかせないでくれよ!」

「…ハハハ、職員さん。落ち着いて。そういうお話はもっと内密に」

若い背広姿が、余裕の笑みで。明らかに見下す笑みで、中年に言う。

「とにかく! ここは閉鎖だから! フレンズどもは総務省の彼に…」

だが。その男の声を、老婆の深い、重いため息がさえぎって。

「……。…情けない。私にの息子が、ここまで出来が悪いとは、ねえ。

 天下りしたくって、こんな娘さんたちを身売りさせるとか。

 …私ゃ、情けなくって。天国の父さんに合わせる顔がないよ…」

「……! う、うるさい! 母さんもホームに戻ってもらうから! …おい!」

背広の中年は、屈辱で髪の薄い頭まで赤くしながら。背後のパークスタッフたちへ

うなずいて、持っていたカバンから閉鎖用のテープを――

…だが。そこに。いままで、みなが忘れていた下宿のほうから…声が。

「…マって。みンなは、関係ない―― …ワたしが戻れば、いいんでしょう」




おおかわ

59-20

…ゆっくりと、だが。誰にも止められない決意を、その顔と目に浮かべて――

下宿では新顔のフレンズ、オオカワウソが…中庭をゆっくり、進む。

「…ワたしが戻って――ジっけんに協力すれば、それでいいンでしょう…?」

「…!? おーちゃん、おま…なにを?」

オオカワウソの言葉に、姉御分のオコジョが訳がわからない、と首を振る。

「…コのヒトたちは。…実験の、素体にするフレンズがホしいだけ…でしょう?」

フレンズたちのいちばん前に進み出たオオカワウソが…

はいていた、作業用のカーゴパンツの裾を持ち上げて――そこにあった「部品」を、

彼女がここに来たときからずっと付けてあった、GPS端末の足輪をみせる。

「…イつか、私はアそこに戻るって…わかってた。でも――オねがい。

 私は戻るから、なンでもするかラ… みんなのことは、つれていかないで」

そのオオカワウソの言葉に、パークの職員たちは防護マスクの下の顔を見合わせ、

「…おい、どうするよ」「…たしかに、最重要の回収はオオカワウソだが…」

その、男たちの声がマスクの下から漏れ、聞こえると。

「…!! ちょ、おーちゃん! あかんて、行ったらあかん!」




ひょう

59-21

ヒョウは、おーちゃんの肩を、手を捕まえて。

「絶対にあかん! おーちゃんのことは、先生からうちらが預かったんや!

 連れて行かせたりとか… 絶対にさせへん!! どうしてもって言うなら――」

「…ふん。言うなら、なんだ? ヒトに逆らえるのか、手をあげられるのか?」

若い背広男のほうが、本当にぺっとつばを吐いてからヒョウを嘲笑った。

「…ぐ…! そ、それは…でも、そんなの絶対にあかん! 許さへん…」

「保健所が出すまんじゅうで食いつないで、無料の小屋に住まわせてもらってる

 畜生が。――許さん? ほう、何をするのか言ってみろよ」

その人の男の痛罵に、ヒョウがぐっと言葉を、怒りを飲むと…

そのかたわらで。オコジョが…逆に、無表情になって。みし、と筋の軋む音を立てて

小さな手を鉤爪の形にし、ヒトのほうを黒い目で見上げて…いた。

「…ヤめて、オコジョさん。ヒトに逆らっても、どうにモ、ならナイから…」

「…!! でも、おーちゃん! この野郎ども、好き勝手…!

 てか、実験ってなんだよ? おーちゃん、あんたコイツラに何されてたんだ?」

「……。…ごめン、ね。…ありがとう、みんな――」




おおかわ

59-22

オオカワウソは、その顔に――健康的に日焼けした、南国の花のような笑顔に。

「…さようナら……」

…最初、ここに来たときは牙を向いたままの口から血混じりの唾液をぼたぼた

垂らし、血走った目を閉じることも出来なかった、あの凶相が、いまは…

フレンズらしく、愛らしい顔立ちを取り戻したオオカワウソが、悲しく笑い。

そして。パーク職員たちに、両の手を揃えて差し出した。

「……連れテいって。私、あの“シリンダー”に入ル、なンでもする…」

「おーちゃん! あかん! …待って、だったらうちが――」

ヒョウが、他のフレンズたちが動こうとしたそこに…

ズイ、と。電撃ロットの切っ先と、スタンガンの銃口が向けられる。

スタッフの一人が、おっかなびっくり、だが…有機セラミックでできた手枷を

オオカワウソのはめて、ロックしてしまう。

…その光景に。パークスタッフたちは、ホッとしたように武装を下げた。

官僚らしい、若い背広姿の男も…なにか、ひと仕事終わった、というような顔で。

「…ふん。危険な対象と聞かされていたが。拍子抜けだな、オイ」




いるさ

59-23

その男は、オオカワウソの顔と。…その下の、作業着を着ていても隠せない、

豊穣がそのまま形になったような大きさと、ヒトのグラビアでもめったにない

レベルの巨乳に…目を歪ませて、笑うように言う。

「オオカワウソ、パークから日本に移送された危険レベル5、だったか。

 …おまえ。むこうで、パークで――可愛がってくれた男を食い殺したんだって?

 そんなかわいいツラして、なあ。ヒト様に牙をむくとか、メス畜生が」

「……! ……ワたし、は――としかき……ォ……」

その男の声に。それまで耐えていたオオカワウソの目が、瞳が…光を失った。

「な…! てめえ、おーちゃんがそんなことするか! ふざけんな!!」

「ふん。やかましいメスどもが。こっちはな、お前らなんてどうにだってできる。

 もう日本には、お偉方には、お前たちの味方なんぞ誰も居な――」

『 いるさ。ここに一人な 』

――突然に、あまりに唐突に。男の声が響いて。

誰もが見ていなかった方向からのその声に、ヒトの男たちも、フレンズたちも

ハッとしてそちらを…見る。そこには…




こつめ

59-24

パークの大型トレーラー、その前方に…真っ黒なハイヤーが一台、いつのまにか

停まっていて――その後部ドアから、人影が現れて…いた。

「……やっと来たかい。遅いよ、いつもいつも…」

大家の小五浦女史が、ホッとしたように地面に言葉を漏らすと。

そのハイヤーから降り立ったのは…仕立てのいいスーツ姿の、痩せた老人。

「いるさ、ここに一人な――」

そう言ってのけた老人は、杖を突きながら。そしてかたわらに控える小柄な

フレンズに、真っ白い介護服を着たコツメカワウソに支えられながら…進む。

「……? あ、ア… コツメ、ドウして…?」

「おーちゃーん!! ひっさしぶりー! 今日はねえ、おじいちゃんの付き人!」

オオカワウソ、そしてコツメカワウソが同族間のあいさつを交わすと。

「…く!? な、なんだお前は、この…爺…」

口の悪い、若い背広姿のほうが――罵倒の途中で、その老人のスーツ、そして

雰囲気から、いわゆる彼のいる社会の『格上』を悟って、声が消えてゆく。

老人は――元警視庁、警視正参事官の矢那俊彰は。




こぶら

59-25

「その子たちをどうするつもりかはしらんが。今日はこのまま帰ってもらおうか。

 …おおかた、功を焦って、法務局へのフレンズ戸籍管理移行前にこの子たちを

 連れいていこうとしたんだろうが。残念だったな――」

「な、な…! あんた、いったい…」「お、おい、君ぃ? 誰だね、こいつは…」

背広の男、中年がうろたえているそこに。矢那老人は、朗読でもするように。

「そっちの若いの。おまえは総務省あたりの小僧か、そうだろう。

 “お仲間”の準備がまだ出来ていないのに先走って、このミスは――高くつくぞ。

 今日のうちに依頼退職しておけ。それがいちばんマシだぞ。坊や」

「な…なん、だと…じじい……」

「しくじった先輩や同僚たちの末路を見てないのか。――忠告はここまでだ。

 もし、この子たちを無理に連れて行くなら… 略取・誘拐罪の現行犯だ。

 フレンズの戸籍は未成年として扱われる、初犯でも実刑、懲役10年だな」

若い方の男が、完全に沈黙し…そして、見る間に顔が青くなってゆくと。

「ま、待て…! いきなり、何もんだこのじじい! 君もなんとか言え!」

区役所の、哀れな中年の男が…矢那老人にわめく。




スーツ

59-26

「…法務局は関係ない! このアパートは…条例に違反しているんだ!

 防火設備もろくにない、こんな昭和の木造ボロ屋なんぞ、誰も守って――」

『 いますわ。ここに一人 』

――突然に。先ほどのハイヤー、その前部座席のドアをお開けお、降りてきたのは。

黒い、シックなスーツ姿の若い女性…だった。

だが、そのタイトなスカートの後ろからは鮮やかな尾羽根が見え。丸い眼鏡をした

理知的な顔、その上には同じく鮮やかな翼の、髪。フレンズだった。

「こんにちは。私、こちらのアパート『みどり荘第四』の防火管理者を任されて

 おります、アリツカゲラと申します。先ほどのお話しですが…」

そのフレンズ、アリツカゲラは…

あまりの突然、その連続にキョトンとしている下宿フレンズたちに手を振り――

ふだんは、フレンズ銭湯こと「竜骨湯」で、和服を着て番台をしている彼女は。

一部の隙もないスーツ姿で、眼鏡を指で押し上げながら、

「たしかに、このアパートは築50年の木造建築。いわゆる既存不適格であり

 現在の建築基準法のもとでは――」




ありつ

59-27

よどみなく、歌うように何ごとかを説明するフレンズに。

この下宿の大家、その息子の役人が。何ごとかを思い出したようにわめく。

「そ、そうだ! 現行法に違反しているだろう、このボロ屋は! だから…」

「――いえ。違反などしてはいませんわ。それにここはボロ屋ではありません。

 ここ、みどり荘第四は、過去二度の改修で防火設備、耐火瓦への吹き替えを

 すませており、三度目の改修で火災報知器とスプリンクラーも設置済みですわ」

「な…なん、だと…この畜生……でたらめを!」

「その三度目の改修に、私、アリツカゲラが立ち会いをしました。

 それに私、畜生ではございませんし。…これをデタラメと申されるなら――」

アリツカゲラは、持っていた小さなハンドバッグから、カードを数枚。

それは、甲種防火管理者、そして宅地建物取引士、いわゆる宅建の証明書だった。

「うちの不動産会社の事務所で、じっくり“難しいお話し”をしましょうか」

…もう、哀れな中年男は完全に、言葉も、立場も失っていた。

こうして――まっさきにその場を退散したのは…

職務の失敗を悟り、面倒に巻き込まれたくなかったパークのトレーラーだった。




こつめ

59-28

区役所の男、そして若い背広の男も、部下に連れられるようにしてミニバンに

乗せられ、どこかに消えてしまうと――

「…おととい来やがれ! …おーちゃん! くそ、あいつらこんなもの…!」

下宿フレンズたちが、わっとオオカワウソを取り囲み。オコジョが飛びつくように

して、オオカワウソの手にはめられていた手枷を指力だけで引きちぎる。

「……。あ、ア… みんな、コツメ… ワたし、ここにいたラ――」

「おーちゃん! だいじょうぶだった? よかったー!」

…フッと、わずかに瞳に光が戻ったオオカワウソの前で、コツメがぴょんぴょん

跳ねながら矢継ぎ早に言葉を、おひさまのような笑顔を向けていた。

「……。な、なんや知らんけど…今日のところは、助かった…んかな」

「……。意外と早く、ヒトのけつに火がつき始めてるのかもな」

ホッとしたヒョウと、さっきよりも重い声で話すヒクイドリ。そこに、

「ほら。面倒はあったけど、あんたら! さっさと行かないと遅刻するよ!」

大家の老婆、小五浦女史の発破に。フレンズたちはハッとして。

「あ! やばいやん、電車が…!」「やべえ、走らないと遅刻だ!」




たちこま

59-29

下宿フレンズたちは、30分ほどの時間が過ぎていったのに気づいて。

あわてて中庭から街路へと、駅のほうへと走り去ってゆく。

勤めのあるフレンズたちが行ってしまうと――カワウソふたり、ビントロング、

そして夜勤待機で眠そうなヒクイドリと…アリツカゲラ。そして老人たち。

「…とし坊。今日はすまないねえ。…あんた、まだ表に立っちゃマズイんだろ」

「…かまわんさ。“連中”が足並みをそろえる前に、俺のほうから打って出る。

 先週のセルリアン惨禍、キョウシュウ島からの調査報告で――

 いろいろ事態が動いている。今日のは、俺から“連中”への宣戦布告だよ」

「…せっかく老人ホームから這い上がれた命、もう少し大事にしちゃどうだい?」

「……。俺は、あの子に…命だけじゃない、全てを救われたんだ。だから…

 今度は俺があの子を、あの子たちを――フレンズたちを、救う。それだけだ」

矢那老人と小五浦女子は…60年前と同じように…互いを見、苦笑した。


振り向くな、振り向くな、振り向くな。狙われている君、その後ろには夢がない。

「セルリアン大壊嘯」が生きとし生けるもの全ての瞳から輝きを奪うまで――あと260日……





60-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前、南溟の海上に突如として浮上した謎の諸島――

その島々は「ジャパリパーク」と、そこに生まれた、動物のヒトの少女の姿を模した

生き物「アニマルガール」、のちに「フレンズ」と呼ばれるようになった。

日本に連れてこられた彼女たちフレンズは、最初こそアイドル的存在だった、が…

第一次フレンズブームが終わると、彼女たちは市井のヒトびとと同じように、

手に職をつけ、ヒトびとと同じように町中に居を構え、そこに住んだ。

…だが。フレンズの中には、どうしても現代社会になじめず、自治体が用意した

アパートなど、通称「フレンズ下宿」で無職ぐらしを過ごす者たちも、いた。

フレンズのヒョウも、そんな無職フレンズのひとり…だった。

だが。今の彼女は…

「…うちはフレンズいち、住所不定無職の汚名をかぶらんよう働く少女やねん」


少し前までは、ヒトサイズのぐうたら猫そのものだったヒョウ。そんな彼女は、

ヒトの少年との恋を知って、変わった。本気を出して…有職フレンズと、なった。




げしゅく

60―2

そんなヒョウ、そして彼女に触発されて勤めに出ることが多くなったフレンズたちが

暮らす「フレンズ下宿」、正式名称は「みどり荘第四」は…だが。


「…え? しばらく下宿から出たほうがええ? って。簡単に言うてくれるけど」

その日。夜半のフレンズ下宿には、来客が――

顔見知りのフレンズが、スーツ姿のアリツカゲラが来ていた。

「ええ。先週、あんなことがありましたし…あのときは、相手が“しろうと”で

 したから事なきを得ましたが。もっと上のほうから攻められると…

 大家の小五浦さん、私どもの事務所でも対処できないおそれがある、かと」

ふだんは、仕事上がりの夕刻から下宿近くの銭湯「竜骨湯」で小粋な和服などを

着て番台をしているアリツカゲラ。彼女は、大手不動産会社の従業員でもあった。

「このアパート、みどり荘第四の法令上の問題は…ただの、方便に、言いがかりに

 しかすぎなかったと、小五浦さんも、私も思います。矢那氏もそれには同感だと。

 …あなたがたフレンズに、次の危害が及ぶ前に、ここからの移動をですね…」

下宿の大家、小五浦女史の四畳半で、アリツカゲラは住人フレンズの代表に、




おおかわ

60―3

ヒョウ、オコジョを前に、いつもの番台の柔らかなにこやかさとは別の声で

説明するアリツカゲラに、

「ちょ、待った。…うちらに危害って。ヒトが? お役所が? な、なんで」

「……。ヒョウ、あいつら、おーちゃんをまっさきに連れて行こうとしてた。

 少なくとも、私らをパークに戻してくれたり、かわいがるためじゃねえだろ」

ヒョウとオコジョは、お互いの顔を見…

まだ、ワケがわからない、と首を振るヒョウに。オコジョは嫌そうに片目を閉じ、

「…あのあと、おーちゃんに聞いてみたんだ。…おーちゃん、ここに来る前にな。

 パークの施設で何をさせられてたかを… 今まで、聞きづらかったんで、な。

 だけど、思い切って聞いてみた―― そうしたらよ… くそったれ」

オコジョは、あ然としているヒョウ、複雑そうなかおで目を伏せるアリツを見、

「おーちゃん、あの子な。…パークで、野生解放ぶちかまして。その力を、な。

 …ヒトが、ええと…そう。人為的に、野生解放をおこす実験に使われてたんだ」

「な、なんや、それ。…野生解放て。…聞いたことはあるけど。人為的…?」

「おーちゃんだけじゃない、ほかのフレンズもいたらしいが…」




てがきおおかみ

60―4

「…“シリンダー”っていう装置に、おーちゃん、フレンズが入れられてな。

 そこに、電気を流したり、ヤケドさせるような薬を流し込む、んだってよ…

 ヒトや、ほかのフレンズの悲鳴を機械で聞かせたり――クソッ…!」

「な…!? そ、そ…そんなことして、なんになるんや…」

ヒョウが、血の気の失せた顔で首を振ると。アリツカゲラが、

「…うわさで聞いたことはありますわ。そういう“装置”でフレンズに肉体的、

 精神的な脅威を与えて… ヒトの力で、野生解放させると――

 本来、野生解放はパークでその才覚を持っていた天性の発現、または…

 訓練をして、制御下で野生解放をする…ハンターのみなさんがそうですね。

 その、どちらかなのですが… ヒトは、第三の方法を模索していると…」

「おーちゃんたちは、その実験台にされてたんだよ…! パークの研究所でな。

 おーちゃんは、オオカミ先生がなんとか連れ出してくれたから――

 でも、パークの連中は… また、おーちゃんを連れて行こうとしていやがる」

…ヒョウは。完全に言葉を失って。そして。

…現実とは思えない、だが自分たちを取り巻く「悪意」の前で…無力、だった。




ありつ

60―5

――先週。区役所、そして政府の役人がパーク研究所のスタッフを引き連れ、

この下宿の撤去と、下宿フレンズたちの連行をしようとして…

そして、ギリギリでそれが阻止されたばかりだった。

アリツカゲラは。さっきから部屋の隅で…両掌に乗ってしまいそうになって

いる、小柄な老婆。無力感にうつむいている大家の小五浦女史に、

「…大家さん。あなたの責任ではありませんし…それに、このアパートを

 廃屋にさせるつもりは私どもにもございません。ご安心を。いったん…

 フレンズの皆さんには…別の物件に引っ越して、一次避難をですね」

「…。すまないねえ。私ゃ、あんたたちをずっと守るつもりでいたんだが。

 情けない… まさか、私の息子があそこまで馬鹿だったとはねえ…」

「…大丈夫です、小五浦さん。物件は、急いで手配しております。

 うちのマンションで一室、あとは――先ほど、協力してくださるフレンズが」

アリツカゲラは、小さな眼鏡の奥で目をほほ笑ませ、ヒョウを見る。

「…一部界隈の有名フレンズ、クロヒョウさんが取り急ぎ、二部屋ほどを」

「……。…え。えっ? く、クロちゃんが? 部屋をって… …あ…」




くろ

60―6

フレンズのクロヒョウ。ネットの実況界隈では「クロちゃん」として絶大な

人気を誇る実況者、フレンズチューバーの彼女は、ヒョウの実妹だった。

…ヒョウは、妹が先日自分に預けた、下北沢のマンションのカードキーの

存在を思い出し… ごくっと、寒気のするツバを、のんでいた。

「うちの事務所が一部屋、クロヒョウさんが二部屋。取り急ぎ、来週には

 どちらにもみなさんが入居できるようにしておきます。

 三部屋ですが、どれも3LDK、みなさんには同居して頂くことに

 なりますが、とりあえずは。急ぎ、ほかのお部屋も準備しますので」

「そ、それはええけど。…そんな、マンションの家賃なんて、うちらじゃ」

「それはご心配なく。私どもの部屋は、デモルームですし。クロヒョウさんの

 お部屋は、もう購入手続きをしてあるそうなので… お家賃は、ゼロです」

「…すまねえな、アリツさん。…ここはおとなしく、世話にならせてもらう」

オコジョが、ちょこんと正座したままアリツカゲラに、そして大家にむかって

深々とお頭を下げる。…下宿の姉御、オコジョのそれで――話は決まった。

「それでは。皆さんにも、お話を。来週には転居を…」




そこなし

60―7

…そして。話が決まると。アリツカゲラは、小さくしぼんでいた大家を

なぐさめながら、このアパートの第四次改装の書類を取り出す。

ヒョウは、無言のまま…オコジョに、下宿の廊下に引っ張られ、

「…しっかりしねえか、ヒョウ。おまえもここの古株だろうが」

「……。う、うん。わかっとる… でも、ごめん… まだ、頭がぐるぐるして

 パンクしそうや… なんで、ヒトがうちらに、そんな… ひどい、こと…」

「…だいたい、予想はつくけどな」

オコジョは、ヒョウの半分ほどしか無いちんまい体に、だが険しい顔で。

「フレンズを、人間の手で好きなときに野生解放させて…武器にするんだろ」

「武器、って…。うちらが…?」

「相手はセルリアンだろうけどな。…でも、ヒトのすることだからな。

 それだけじゃ絶対に済まないだろうな。私のカシオミニを賭けたっていいぜ」

「そんな、それじゃあ…。待って、それじゃあ――」

――うちらには、フレンズには逃げ場なんて無いんじゃ?

ヒトと暮らして、ヒトの世界に連れてこられているフレンズたちに、逃げ場は…




うそやん

60―8

ヒョウは、電球が照らす下宿の暗い廊下で…気づくと。

ズボンのポケットの中で、汗ばんだ手で…携帯を握りしめて、いた。

…もうそろそろ、恋人の本間少年からいつもの電話がかかってくるころ、そして

待ちきれずにヒョウから電話そする時間、だった。…だが。

(…本間くん… うち、こわい… 怖くって、本間くんに電話するのも、こわい…)

(…もしかしたら、本間くんをうちらの厄介に巻き込んでしまう… こわいよ…)

ヒョウは、薄暗がりの中で――自分が、無力な…何も出来ない、動物なのだと。

…本気を出したところで、ヒトの悪意ひとつで全て、吹き飛ばされる…

ヒョウは、真っ黒な穴のフチに自分が立っているのを感じて… 何も出来ずに、いた。


そのころ、同時刻――

東京、港区ベイエリアの巨大施設。『財団法人ジャパリパーク振興会』研究所。

その一角にある、フレンズ専門の研究治療施設、通称クリニックの病室で。

「……。トシさん、もう8時すぎです。帰って…いいですよ…」

ヒトの病室と同じ、白いその病室のベッドで。フレンズのリカオンがうなだれた。




さいさい

60―9

この専用クリニックには、2週間前の池袋、大橋JCTの超巨大セルリアン戦闘で

負傷した、警視庁の警備二課、通称ハンターのフレンズたちが加療入院していた。

超巨大セルリアン“カシャ”を環状高速高架上で食い止め、大惨劇を未然に防ぎ…

そして重傷を追ったフレンズ、シロサイとクロサイ。

そして、池袋駅に出現、メトロポリタンホテルを満員の宿泊客ごと飲み込もうと

していた超巨大セルリアン“ドロタボウ”に対し、自爆同然の特攻攻撃をしかけ、

セルリアンの巨体を分断、逃避させたハンターチームも無傷ではなかった。

対策04の矢張巡査部長、対策09の双葉巡査は無事だったが…

カバは高所からの墜落で軽傷、マヌルネコとジョフロイネコは対セルリアン爆薬の

至近爆発で破片を浴び、こちらも軽傷。そして…

「…私はしばらくここで寝てるしか、できないんですから。…トシさんは――」

対セルリアン用の足止め装置、振動地雷を地面ではなく、超巨大セルリアンの

脚部に突き刺してその巨体を崩したリカオンだったが…セルリアンの群体に捕まり、

セルリアンに飲まれ、輝きを奪われる寸前で…救助されていた。

その戦いで重傷を追ったリカオンは…





60―10

「…私が復帰できなかったら、トシさんは…ほかのフレンズの子と、対応試験を

 うけて、他の子とペアを組んでいいですよ…」

右腕をギプスで固定され、点滴のチューブを付けられた病院着のリカオンは…

彼女のマスター、矢張にボソボソ、力なく言う。

「そうしたら、トシさん。今度は、私みたいな、男みたいなフレンズじゃなくって

 胸の…おっぱいの大きい、ヒグマみたいなフレンズとペアになれるかも…」

「――馬鹿言ってんじゃねーぞ。もう寝ちまえ。…ここに居てやるから、な」

そのリカオンに、丸椅子に座った矢張が笑って言って。ベッドを叩く。

「…あれから2週間、あのクソでけえバケモンセルリアンどもは出現してねえ。

 だが、ドロタボウもカシャも、消えただけだ… また、絶対に…出る。

 それまでに、お互い気合い入れ直して。…また一緒に出撃しねーとな」

「……。でも、私はもう。二課の中では、役に立たない…です。ロートルです。

 駆け回って、爆弾を置くくらいしか出来ない… ヒグマたちがいれば――」

「だから。ヒグマさんがいっくらガンダムでもよ。

 あのおっぱい一人で首都圏全部カバーは出来ねえ、実際、あのときも、な」





60―11

「ヒグマさんと政仁の野郎は江戸川の方にいたんで、現場に間に合わなかった。

 …俺たちがお役御免になるなんて、悲しいかな、とうぶんねえからよ」

矢張は、ポケットに手を入れ…病室は禁煙だと思い出し、

「…あとな。俺のバディは、おまえだ。リカオン。…だからもう、馬鹿言うな」

「……。でも。私じゃ、もう。現場で、トシさんを守れるかどうかも…」

リカオンの目には、透き通った涙がうかび…それがこぼれそうになっていた。

…矢張は。無言で、口と目だけで笑い。煙草を探った手をのばして。

「…あ、っ…… トシ、さん…」

髪を、けも耳を撫でられたリカオンが声を漏らす。

「…俺な。リカオン、おまえに会う前…本庁の捜査一課の2係、エリートでな。

 …そいつがよ。マル暴の真坂の兄貴たちと組んでやってた捜査でヘマこいち

 まってな。一課はクビ、また交番勤務とか最悪だー、って思ってたときにな」

「…当時は“アオ”って呼ばれてた、首都圏出現セルリアンの対策班が作られる

 って、そこは前歴不問でまた本庁に戻れるって聞いてよ。即、志願したわ。

 …まあ、半分くらいはフレンズとペアになれるって聞いてたから、だけど」





60―12

…リカオンは、マスターの男に髪を、頭をなでられながら。じっと、無言で。

「そんでな。…リカオン、覚えてるだろ。容疑者の顔事件するときの、鏡張りの

 部屋に俺たち志願者の巡査どもが並んで…マジックミラーの向こうに」

「うん…いえ、はい… 私、一人で不安で…どんなヒトが来るんだろうって」

「…そうしたら、リカオン。おまえが俺を選んでくれてよ――

 おかげで俺は、また本庁勤務で巡査部長で、刑事待遇で。肩で風切って歩ける。

 みんな、おまえのおかげだ。…リカオン、おまえ以外がバディとか。な。

 ありえねーんだ、だから、もう馬鹿言うんじゃねーぞ」

「…トシさん…」

「俺はな。乗るモンはイタリア、着るモンはイギリス、飲むモンはフランス、

 抱くのはフレンズ、って決めてんだ。…まあ、巨乳が好きなのは病気だな…

 でもな、リカオン。おまえを部屋に連れ込まなかったのは、嫌だからじゃねえ」

「…私は。トシさんが、私みたいな貧弱な体に興味がないからだっ、て…」

「…なんというかな。おまえは俺の恩人だし、大事な相棒だし、なんというか――

 ずっと一緒に出動して、セルリアンとやりあってたら、な」





60―13

「兄弟っていうか、デキル可愛い妹っていうか、なんかそんな感じでな…。

 リカオン、おまえに手を出したら、いろいろぶっ壊れちまいそうで…」

「…うれしい、です、トシさん… 私、は…わたしなら、いい…です」

「なにが」「……壊れ、ちゃっても…」

男は、矢張は…自分の手が、可愛いフレンズの頬をなでているのに気づいて。

「…ま、まあな。それもこれも。なんもかんも。リカオン、おまえが元気に

 なってからだ。…そうしたら――また、非番のときに話をしようや。

 今度は、酒とかある、もうちっと色気のあるところで…な。」

「…はい。トシさん…! パークのドクターは、退院はあと2週間ほどだと」

「ああ。シロサイさんたちは二ヶ月は動けねえ。…忙しくなるぜ、ちくしょう」

矢張は、まだ涙目だが…笑みが戻った相棒にホッとしながら。

「…しかし、よう。さっきの話で思い出したが――リカオン、おまえなんで。

 あの顔合わせ、対応試験のときに俺を選んでくれたんだ? ほかにも…

 もっと若いイケメンが何人も居ただろ? あれか、雨に濡れた子犬か俺は」

リカオンは、嬉しそうに涙目を細くすると…男の手に、自分の手を重ねた。




60―14

「……。ひみつです。…だって、恥ずかしいから…」

「なんだよー。そりゃ。気になるじゃねえか。まあいい、そのうち、な」

矢張の手は、再びリカオンの髪をなで…その温かさに、リカオンが目を閉じ。

 ……。…ん? んっ? と。リカオンの目が開く。

オトコの、髪を撫でる手…その中指だけが、髪の奥をまさぐるように…

ちょうど。リカオンの髪、額の上の黒いすじの中を“何か”を愛撫するように…

「……!! ばかーっ! 最低だトシさん! ヘンタイ、すけべ…!!」


――そのパーク施設。クリニックの建物。手前にある駐車場に…

真っ黒く塗装された、SUVと数台のミニバンが。警察でも、パークでも、

そして民間でもない所属の車両が何台も、ゆっくりと進み…そして停車しする。

それと同じ車両の群れは――警備二課の本拠、新木場の警察署にも蝟集していた。


青い地球を守るため 君がやるこの大使命。…だが君たちは、なぜか殺し合う。

「セルリアン大壊嘯」が恋も友情も、底なしの悪意も全て呑むまで――あと253日……





61-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…だが。

東京の片隅、昭和が香る安アパート「みどり荘第四」、通称「フレンズ下宿」に

暮らすヒョウと、仲間のフレンズたち。彼女たちの、貧しくても…のんびり楽しく。

さながらパークの島にいたときのような暮らしを、ここ東京で送っていた彼女たち

下宿フレンズに、ヒトの世界の動乱そして正体の見えない悪意が迫っていた、頃。

フレンズ下宿から、ヒョウたちフレンズが逃げるようにして急いで引っ越しの支度を

進めていた…そして引っ越しの日は1週間後、と決まった…その夜。


――東京、江東区の新木場警察署。セルリアンハンターこと警備二課の本拠地。

――港区ベイエリアにあるジャパリパーク振興会のフレンズ専門クリニック。

その夜。同時刻。その両方の施設の駐車場に、警察でも、民間でも、パークの

それでもない、黒塗りのSUVとミニバンが何台も…静かに、ゆっくりと。

警察署、そしてクリニックの駐車場に集まり、停車していた。その車内から…

黒尽くめの装備に身を固めた、兵士のような出で立ちの男たちが降りたった。




かいぎ

61-2

――新木場警察署の本館、警備二課のフロア、その一角にある会議室。

そこには、この夜…首都圏を守るハンターたち、マスターの男、そしてバディの

フレンズたちが集められていた。

対策02の井伊とキンシコウ。対策05の神野とオオセンザンコウ。

対策07の伊達とカワラバト。対策09の双葉とマヌルネコたち。

対策10の政仁とヒグマ。対策11の吉都とメガネカイマン。

そして、彼らを統括する二課の隊長。若屋参事官。

陸上自衛隊の陸幕、幕僚監部からの連絡官フレンズ、カグヤコウモリ。

男たち、そしてフレンズたちは会議室に集められ、若屋隊長の説明に顔を向ける。

…今夜、ここにいないハンターたちは。

国会議事堂、そして皇居のある区域の警備担当のため、持ち場を離れられない

対策05の神野とオオセンザンコウ。そしてあとは…

二週間前の、池袋・大橋JCTでの超巨大セルリアン迎撃出動で負傷し、パークの

クリニックに入院しているシロサイとクロサイ、リカオンと、そのマスターたち。

…そして。対策03の真坂とアイアイは別件の捜査のため、不在だった。




かぐや

61-3

「…あれから、超巨大セルリアン。“ドロタボウ”“カシャ”は出現していない」

ハンターたちの視線を集めていた若屋隊長が、プロジェクターの画面を操作し、

二週間前の迎撃出動のさいのデータを映す。

「…死者245名、行方不明者59名。負傷者は500名をこえる被害が、出た。

 だが現場の諸君たちの対策により、両セルリアンは撃退された」

「まさか――あの巨体のセルリアンが、ダメージを受けるとバラバラに分離して

 地面に消えてしまうとは想定外でしたわね、若屋参事官どの」

陸幕のフレンズ、カグヤコウモリが。

全身を黒の、冬セーラー服を模したスーツを着たカグヤコウモリが若屋の説明に

補足。そして堅苦しい空気の中…ちらと、若屋のほうを少女の眼差しで見つめる。

「ああ。カグヤくん。“ドロタボウ”は、対策09チームの肉薄攻撃で両腕を

 落とされ、単眼を潰されて…撃破されたかと思いきや、ヒトサイズのセルリアンに

 分裂して、消えてしまった… “カシャ”は、サイくんたちが貴重な時間を

 稼いでくれたその間に、高架を振動地雷で落として――クロサイくんの槍を

 受けた“カシャ”も、同じように消えてしまった…」




ひぐま

61-4

その説明が終わると、当日は現場に間に合わなかったヒグマが挙手をし、

「…では。隊長。そのドロタボウとカシャを捕捉し、撃破するには…えーと。

 生半可なダメージを与えると、散り散りになって逃げられる、から。

 一気に畳み掛けて、大ダメージで分裂前のコアを叩くしか無い、と?」

「そうなる、だろう。…だが――」

三名のフレンズが、その迎撃で負傷し戦線離脱している。言葉を濁した若屋に、

「現実には、難しいでしょうね。私たちの攻撃力では、あんな超大型に対して

 有効打を与えるのは難しい。…セルリアンは、進化を続けています。

 セルリアンが私たちとの戦いで編み出したのが、あの巨大化進化なのでしょう」

キンシコウが、やはり当日は持ち場の赤坂、各国の大使館が集まる地区を離れ

られなかった彼女が冷静に、だが重い現実を言葉にして…言う。

「カグヤ連絡官。あの夜は自衛隊も出撃してくださいましたが――

 現地への到着が遅れて、実際には何も出来なかった…あれは、いったい?」

「……。弁解の言葉も無いですわ。習志野からウンピョウと特殊作戦群の

 対セルリアン部隊を急行させるはず、だったのですが」




かぐや

61-5

カグヤコウモリは、赤い飾りが除く袖で口元を隠すようにして続ける。

「あの夜は、結局…総理府からは「防衛出動」が発令されませんでした。

 われわれ陸自はそれでも、災害出動のかたちで出撃しようとしたのです、でも。

 …“上”のほうからストップが。…結果、あの有り様でしたわ」

「自衛隊は、われわれ警察よりも身動きが重くなるのは仕方がないことです。

 ですが、次の超巨大セルリアン災害のさいには――お願いします、連絡官」

小さく頭を下げた若屋に、カグヤはぽっと頬を赤らめ、

「も…もちろんですわ。先回は、防衛出動が出ると思い込んでいた私たちのミス。

 次は、最初から災害出動として部隊を向かわせます。次こそは…」

憧れのヒト、若屋参事官を前に。女学生のようなカグヤコウモリがその手を組む。

…と。その姿に…まだ、頭や腕に包帯を巻いているマヌルとジョフが。

「こいつ。ぶりっ子でちよ、ねーちゃん。いつもの百人一首みたいなのはー?」

「よせよ。今日は着替えてきたってことは、アレ恥ずかしいってわかってんだろ」

言いたい放題のねこ二人に、カグヤは

「げに、ええかげんにせえよ」という目はしつつも。フン、と。




セン

61-6

「…私語は慎むように。それと――そこの駄猫、あんたたちのマスターは?

 ええと、対策09の双葉君は? どこに。姿が見えないようだけど」

「ああ。トシなら、さっきカバ追っかけて行っちまった。もう戻るんじゃないか」

「カバが、スネてどっか行ったんで追っかけてったんでち。カバもお年頃でちね」

マルルとジョフの言葉に、それまで置物のように沈黙していたハシビロコウが、

「…としあきさんは、優しすぎる。…カバは、勝手すぎる、と思う…な。

 としあきさんには、ジャガーっていう…その、恋人が、もういるのに……」

…わかっているのに。という言葉を、消え入るようにハシビロが漏らす。

そこに、いままでメモをとるだけで沈黙していたオオセンザンコウが挙手。

「先ほどのお話しですが――

 超巨大セルリアンは、一撃でコアにダメージを与えるだけの痛撃を与えねば

 分裂し、逃亡されてしまうということでしたね。実際、映像を見ましたが…

 あのサイズ、とくにドロタボウのような頭頂高のある相手には、私でも

 コアに届くダメージを与えるのは難しいかと… 以上です」

二課最強の打撃手、センちゃんの言葉に会議室の空気が重くなる。




はと ぶりき

61-7

「自衛隊の、対セルリアン用の携帯ミサイル、軽MATでは?」

「海上自衛隊では、米軍と共同で新型弾頭ミサイルの開発が進んでいるとか」

キンシコウ、そして若屋の質問にカグヤは、答えづらそうに。

「…効果的、ではあるでしょう。ですが首都圏で飛翔体を発射するには、先ほどの

 防衛出動が出ていないと自衛隊には不可能です」

そこに。いままで椅子の上でちょこんと座っていたカワラバトが、

「あとは、ねー。あー、私、お空から見たことあるんだあ。…あのロボット!

 新世紀警備保障のね、なんとかガードっていうでっかいロボットなら、どう?」

「…ハニー、あれはただのハリボテだよ。税金対策のね。実戦は…ムリかなあ」

バディに諭す伊達と、えーと答えるハトの二人。

そこに。メガネカイマンと何かを話していたヒグマが…ガタッと席を立つ。

「やってやるさ。相手が超巨大だろうが…こっちは、全長20メールルクラスの

 特大型やジェネリックをこの手で叩き潰してきたんだ。

 こんど、ドロタボウとカシャが出やがったら…今度こそ、逃さないさ」

政仁と見つめあったヒグマが、ぐっと拳を握りしめたとき――だった。




そうび

61-8

――……!? と。会議室にいたフレンズたち全員が、ほぼ同時に反応した。

彼女たち、フレンズの目と、そして険しくなったいくつもの顔が会議室の外へ、

ドアと通路の方に向くと。カワラバトが、目をくるっとさせて、

「ねえねえ、ダーリン。みんなー。…なんか、知らないおじさんたち、いっぱい

 こっちにくるよー。みんな、この新木場署のヒトじゃないよう?」

「…!? 若屋隊長、これは…」「若屋参事官どの…相手は銃を!」

「い、いや。私も聞いていない。――まさか… くっ、もう動くのか連中…!」

キンシコウ、そして若屋隊長が言い、そして若屋の顔に焦燥と、そして。

…ついに来たか、という覚悟が浮かんだ、そこに。

「全員、動くな! 警視庁監察だ! 巡査どもも、フレンズもだ!!」

会議室のドアを蹴破るようにして、全身黒尽くめのプロテクターにヘルメット、

そこに短機関銃を持った、兵士のような…だが自衛隊でも機動隊特殊班でもない

装備の男たちが十数名、一個分隊が会議室になだれ込んできた。

その男たちの銃口がハンターたちを、隊長の若屋も容赦なく狙う中――

今度は背広組の男たちが何人も、会議室の中へと…ゆっくり進む。




かんさつ

61-9

「な、なんだ、なんだよいったい!?」「…監察って、おい…どういうことだ!?」

フレンズたちの数名は、彼女たち、そしてマスターを狙う銃口を前にして

その目から憤怒の虹色をこぼし、首筋の毛を逆立てる…が。

「ママ、ダメだ…! 座ってくれ、頼む」「…センちゃん、大丈夫。大丈夫…」

マスターの男に諭され、獣の怒りをハラに飲み込み、動きを止めた。

銃口を向けられていても、全く意に介さない険しい表情の若屋隊長は、

「これはどういうことだ? 監察室が、なぜわれわれ警備二課に――」

続けて入ってきた背広組の、壮年の男たち。明らかに警官と言うよりは、どこかの

省の官僚というその雰囲気と、そしてハンターの巡査たちを見るその蔑視の目は

彼らが監察室のエリート、キャリア組だと物語っていた。

――監察。それは、公安委員会とともに警察の犯罪、汚職などを取り締まる

警察の警察とも呼べる組織だった。

だが…この黒尽くめの、完全装備の部隊は…若屋にも全く見覚えのない連中だった。

その背広組に、そして黒尽くめの兵士たちに。元自衛官の若屋隊長は、

「説明してもらおう、われわれ警備二課は、監察を受けるような謂れは全く無い」




こうあん

61-10

若屋隊長の声に、背広組の男たちは面倒そうに、ツバ吐くような目をして。

そして――その背広組の背後から、下手な役者のようにもう一人の男が現れた。

「…ふっふっふ。相変わらず動物園臭い小屋だ。久しぶりだねえ、若屋くん」

小柄な体をスーツに包んだその男は。その赤らんだ顔を歪ませ、

「こちらは、警視庁監察室の方々だ。そして私は…公安委員会の――」

「比留守参事官…!? いや、もと参事官…なぜここに? 公安委員会、だと」

若屋隊長は、去年の特大型セルリアン“アメフラシ”災害のときに二課の解体を

進めようとしていた、そして…

海外からの贈賄の疑いで監査を受け、全てを開示され警視庁を追われたかつての

同僚、比留守元警視正に信じられない、という目を若屋は向ける。

その若屋に、比留守は勝ち誇った赤ら顔で。

「あー。君たち、警備第二課、装備第四係には…悪意ある怠業(サボタージュ)、

 そして東京都の資産を無意味に破壊した、区民を死傷させた被疑が…あーる」

…もしや、そしてハンターたちはその男が何を言っているのか、最初わからず…

「…な!? バカな! 俺たちが怠業だと!? 命がけで出動した俺たちが!?」




すたん

61-11

伊達巡査が声を荒げる、が…彼らを包囲する兵士たちの銃口は微動だにせず、

それどころか――黒尽くめの兵士たちの半数は、その手に邪悪な形の

スタンガンを、対セルリアン用ではあるが、フレンズに対しても制圧力のある

高圧放電端子を発射する銃をかまえ、フレンズに狙いをつけていた。

若屋隊長は、焦燥が浮かぶ目で黒尽くめの兵士たちを見、

「…彼らは、いったい何だ? 機動隊じゃないな、どこの部署の――」

「あせるなよ。これからたっぷり、耳にすることになるさあ!

 役立たずの警備二課の代わりにこの首都をセルリアンから守る!

 待望の新組織! ヒトの手によるヒトのための災害対策…フフ、その名も!!」

「…装備公安部。通称、装安(そうあん)か。セルリアン対策部隊の…

 警察庁の外局として配備が計画されているとは聞いていたが…早かったな」

憎きライバルの若屋に、セリフをとられた比留守の顔が更に赤くなり。

「ふん…! まあ、そういうことだ。装備公安部は、われわれ内閣府の公安委員会

 とも共同で対策、そして「捜査」を行う権限があるからな!

 …まずは。きさまら警備二課、全員…被疑者だ! 犯罪者だよぉお!」




かぐや

61-12

気の早い比留守があざ笑いながら、奇声を発して若屋を指差す。

その横で、今まで沈黙をまもっていたカグヤコウモリが――若屋の手を、取る。

「若屋どの…! ご心配なく、私は何があろうとあなたの味方…! 弁護士を…」

「おぉっと。そこのコウモリ、陸幕の使いっ走り、だったか?

 残念だねえ、警察の監査には、捜査が終わるまで弁護士は介入できないんだ」

「…く! つか。げにおまえら。ハーブでもやっておられる? 頭不健全すぎ。

 今にも、首都圏にセルリアン災害が起きそうなときに――

 こんな内ゲバに等しい吊し上げをやってる場合かえ。げにええかげんにせえよ」

愛しい若屋の前で、うっかり素が出てしまったカグヤコウモリが比留守たちに

食って掛かるが…

比留守の合図で、兵士たちが動き出す。ハンターたちは…

「おとなしくしておけよ、動物と…飼育員サンたちよお! これは監察だからな、

 手錠はかけないが…抵抗したら、然るべき対処をする権限がこちらにはあるぞ」

ケラケラ笑うような比留守の声が響く中、銃口とスタンガンでハンターたちは、

マスターの男と、バディのフレンズたちは引き離され…別々に取り囲まれる。




でち

61-13

「…あ、あ… ダーリン、やだあ…!」「あなた、私は大丈夫ですから…!」

カワラバトの悲鳴、キンシコウの悲痛な声が会議室に響く。そこに、

「……。比留守委員、リストと人数が合いません! ふたりほど、巡査が不在です」

装安の隊長格が、パネルを見ながら報告すると。

「な、なにい!? 巡査どもは、こことパークの病院に居るはずでは……」

巡査たちの数、その顔を見ていた比留守の顔、その赤みがさっと薄くなる。

「…げっ! まさか…真坂はどこだ? それにあの新米の双葉も…おらん!?」

取り乱す比留守を見た、フレンズたち。ねこたちと、ハシビロコウが。

「…としあきさん…! にげて…逃げて、おねがい…」

「…カバ、うまいことトシを逃がせよ…」「やっぱりあの男、もってるでち」

低く、小さくフレンズたちが話す中。

背広姿の一人、監察室の男がヤレヤレ、といった顔で比留守の肩を叩く。

「比留守委員、落ち着いて。真坂巡査部長は、公安のほうが対処中ですから」

「…ソ、そうか。なら安心…あいつは逃がすとヤバイんだ。では、あとは…

 おい若屋! 双葉とかいう新米巡査は、どこにいる!?」




はしびろ

61-14

その比留守には、若屋も、ハンターもフレンズたちも、何も答えなかった。

…だが。装安の隊員の一人が、レシバーに無線報告を受け、

「委員、この警察署の1階駐車場で、被疑者とアニマルを発見したそうです」

「おお! よくやった、ふふふ。よし、これで全員だな」

その報告に、マヌルネコとジョフロイネコがキッと牙を剥くが――

「……。大丈夫、としあきさんなら… カバなら、きっと…」

ハシビロコウが、仲間のねこたちの髪と耳をそっと撫で、静かに言った…


――その頃。新木場警察署、1階の駐車場では。

カッカ、と。ブーツの踵を鳴らしながら、一人のフレンズが薄暗がりを進む。

黒にボディスーツに、赤のライン。そして…

…最初は峰不二子のフレンズかと思った――彼女のマスターの第一印象である。

そんな二次元を立体化させたような、豊満豊潤をそのまま人の形にしたフレンズ、

カバが、ゆるい巻きの黒髪をなびかせながら…進んでゆく。

それを。背後から同じ速度で追いかけていた男は。ハンターの双葉は。





61-15

…カバに声を掛けるが。

彼女は、駐車された車が並ぶコンクリの上を進んで、そして――

双葉の車、彼とそのチームが使うパジェロの前で、止まる。

「…とし。もう私のことは放っておいて。…私、いまイラついているの」

「どうして、って? ――いまのあなたにやさしくされても、つらいだけなのよ」

「……! だったら。とし、前もお願いしたわよね。…一度、でいいの」

「一度だけでいい、一晩だけでいい… 私のことを抱いて。…ねえ、できる?」

「…ふふ、ごめんね。としは、そういう男だもの。…褒めてるのよ? ふふ…」

「ジャガーがうらやましいわ。……。やめて、なぐさめられても、つらいのよ私…」

「こんな体で、おぼことか。…私、お笑いぐさよね。…そのうち――

 …あはっ、としが私を抱いてくれないなら、私はキレイな体のまま消えるのね」

「……。ごめんなさい、あなたを困らせたかっただけなのかも、私…」

「ねえ、とし。たばこ、持ってる? …うふ、ありがと。あなたは喫わないのにね」

 ――すまない。カバさん… 俺には彼女を裏切るなんて出来ないよ。

「…わかってる。とし…… …はあ、どこかにいい男、落ちてないかしら」





61-16

男と、女が。車が投げる影の中、話し…暗がりの中に、パチっとタバコの火が弾け

カバの髪から香る匂いにタバコの煙が混じって…香りだけが、抱き合う。

「…ごめんね、とし。これを吸ったら、会議室に戻るわ」

「…でも、今度あの超巨大セルリアンが出たらどうしましょうね。あのときは…

 地の利があったのと、ジョフたちが自爆覚悟でやってくれたからなんとかなった

 けれど…次は、無いでしょうね。…次は――私も、次は……」

「あのドロタボウ、カシャにこれ以上暴れられて。これが正解だと学習されると

 だいぶまずいことになるわ。セルリアンが軒並み巨大化したら、私たちじゃ……」

カバが、吸い終えたセブンスターを指でねじって消し、それをポケットに――

…入れようとした、時だった。

カバの小さなけも耳が、ぴくと動き。

「…とし。誰か…何か、来る。5、いえ6人…全員、重装備よ」

カバが、かすかな音だけでそれを察し、男を、双葉を守るよう前に出たそこに。

…ドカドカと、コンクリを軍用ブーツの群れが踏み鳴らす音が響いて。

「…動くな!! 男とアニマル! ――確保、巡査一名とアニマル確保」





61-17

首都圏で、警察署の中で――黒尽くめのフル装備、兵士たちのような一団が。

装備公安部の別働隊が、双葉とカバを銃口、スタンガンで包囲していた。

その一人が、無線で報告をする中…

 ――しまった…! マヌル、ジョフ…ハシビロが… 若屋隊長…

「……。どういうことかしら。街を守る正義の味方が、ヒトに殺されそうよ?」

カバは、なにかこうなるのがわかっていたような口ぶりで、笑うように言い、

「…とし。これは――上のみんな、病院のみんなも捕まってるわね…」

カバの言葉に、双葉が小さくうなずく。

「…たぶんこれ。私たち警備二課だけじゃないわよ。…街のフレンズも――」

 ――……ジャガーさんが…… まさか……

「……。行ってあげてね、とし。――正義の味方ごっこ、楽しかったね…」

カバは、双葉にしか聞こえない小さな声でささやき、最後は笑うように言い…

「ちょっとお? これ、どういうことかしら? 聞いてないんだけど」

…カバは、黒尽くめの兵士たちの前に、一歩出て気だるそう。そして…

両手で髪をかきあげ――その仕草と、体のラインだけで男たちの視線を奪う。





61-18

「私は関係ないわよねえ? 怖いわあ、こんなオトコのヒトたちに捕まっちゃったら

 私、いったいどうされちゃうのかしらね。…ねえ?」

「……。……!? お、おい、そこのアニマル、動くな…!!」

男たちの視線を誘導し、数秒間、ぬか勃起するだけのオスに変えていたカバは。

装安の制止を無視して、歩いて…数歩。

双葉から距離をとったカバは、駐車してあった白いマークXのルーフに片手をつく。

「ねえ、あなたたち」 カバの、甘く、そしてほほ笑むような声。

「フレンズはヒトに対して危害を加えられない、ってよく言うじゃない?

 でもね、あれね… ――ウソよ」

カバが、どうでも良さげに言い放った瞬間。彼女のブーツ、片足のつま先が

セダンの車体下部、ジャッキポイントにかかって――そして。

 ぐわん!!と。セダンの車体が、カバの脚力だけで持ち上がり、車体が軋む

音が響く中…白い車体が、まるでつっかけていたスリッパでも蹴飛ばすようにして

宙に浮き、装安の男たちのほうへと吹っ飛んでいった。

 う、うわあああ!? 男たちの絶叫が、走って…そして。




きんおう

61-19

自動車事故のような轟音を轟かせて、セダンの車体が転がり、駐車場を滑る。

「ぎゃあああ!!」「う、わあ、うわ!?」「…く、くそがああ!」

二人ほど、その自動車の下敷きにされていた。その悲鳴、体の骨が砕ける音が

響く中…カバは、邪悪なほどに美しいその顔に涼しい笑みを浮かべ。

「こっちにおいで、ボウヤたち――遊んであげるわ」

カバは。黒い髪をなびかせて…駐車場の片隅へと走り出す。

「…く! クソ、追え! スタンガンで足を止めろ、撃ち殺しても構わん!」

「――本隊へ! アニマルが逃亡した! こちらに負傷者が…」

まだ動ける三人の男たちがカバを追い…そのうちの一人は、双葉に気づいて

もどかしそうに手錠をかけようとする。

…黙って両腕を出した双葉の耳に――駐車場の向こう側から。

 ドロドロドドド……!! 聞き覚えのある大型バイク、スズキのB-Kingの

排気音の咆哮が建物を震わせるのが、聞こえる。カバのバイクだった。

その轟音に、双葉に手錠をしようとしていた男がビクッとした瞬間。

「…!? …ぐっ、ブッ…! あ、ああ!」 男は、双葉の手に顔面を捕まれ。




ジャガーさん

61-20

カバのバイクが、エンジンの咆哮とタイヤの悲鳴を撒き散らしながら走り去るのと、

双葉の手が装安の男の身体を顔面からコンクリに叩きつけたのが、同時だった。

 ――カバさん… すまない…!

双葉は、一瞬だけ会議室のある方向に目をやったが。そしてまた一瞬、自分の

パジェロに目をやったが――その両方を無視した双葉は。

…駐車場の暗がりを、身を低くして走り…その場から、逃げ去る。

――ここで逃げる、ということは。

それは、セルリアンハンターとして、警官としての自分の人生が終わる、砕け散る

のも同じだと双葉にはわかっていた。だが、彼には――

そんなものよりも、自分より大切なものが『この世界』に、まだあった。

――彼は、それを守護らねばならなかった。

『……ジャガーさん……!!』  双葉は、暗闇の中を獣のように走った。


乾いた心で駆け抜ける。ごめんね、何も出来なくって――恋人たちは運命を、走る。

「セルリアン大壊嘯」がヒトびとの邪悪も勇気も全てを無に帰すまで――あと253日……





62-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…だが。

ヒトの恋人が出来たことで、長かった無職ぐらしに終止符を打ったヒョウ。

本気を出して、第二のフレンズ人生を始めた彼女、そして同じく都会の片隅の

安アパート「フレンズ下宿」に暮らすフレンズたちには…“不安”がつきまとっていた。

彼女たちが暮らすフレンズ下宿が、ヒトからの、区役所からの一方的な通達でもう

住めなくなってしまうこと。引っ越しはもう1週間後に迫っていたこと。

…それら以外にも――なにか、正体の見えない…真っ黒い悪意のようなものが、

それまで平和に、まったり、貧しくとも楽しく暮らしていた彼女たちに爪をかけていた。

――引っ越しまであと1週間にせまった、その夜。


同時刻。東京、江東区の新木場警察署。セルリアンハンターこと警備二課、本拠地。

同じく。東京、港区ベイアリア。ジャパリパーク振興会のフレンズ専門クリニック。

その両方に、21時30分。『警察庁の』外局である新組織『装備公安部』実働隊が、

通称、装安が、警視庁監査部、公安委員会とともに突入。二課メンバーを拘束していた。




りか

62-2

拘束の容疑は、2週間前の首都災害、池袋及び大橋JCTでの超巨大セルリアン惨禍に

おいて、出撃の拒否と怠業のあった疑い。及び、建造物への無為な破壊にによる損害。

それらの容疑で、ハンターの警備二課は隊長の若屋参事官以下、“ほとんど”の

メンバー、マスターの巡査たちも、バディのフレンズも拘束、連行されてしまっていた。


――ジャパリパーク振興会のフレンズ・クリニック。その一室では…

「…!? トシさん、こいつらは…!!」

ベッドに横たわっていた病院着のリカオンが身を起こし、髪の毛とけも耳を逆立たせ。

うなるような声で、突然、この病室へとなだれ込んできた黒尽くめの装備の集団に

鋭い目を向けていた。リカオンの小さな唇から犬歯、牙が… だが。

「まて、リカオン。動くな… ステイ。いい子だ…」

リカオンを看病に来ていた、彼女のマスター。ハンターの矢張巡査部長は、丸椅子に

腰掛けたまま手を伸ばし、バディを制して――ポケットの中で、手を動かす。

彼と、彼のフレンズを拘束した集団を…黒い野戦服、黒いプロテクターとヘルメット。

そして都内なのに短機関銃、スタンガンで武装したその集団を…じろり、見上げる。




機動

62-3

「動くな…! 装備公安部だ! 貴様たち警備二課の巡査と備品には被疑がかかって

 いる! 拘束、連行に抵抗する場合は…制圧する!」

シールド付きヘルメットの奥で、まだ若造の歳の男が興奮しながら喚き立てる。

「こいつは… 指示にあったアニマル、リカオンだ。こっちの男は…」

「――警備二課、矢張巡査部長だ。こいつは俺のバディ、リカオン。…つか、てめえ」

まったく怯えても、戸惑ってもいない。肝の座った矢張の声が、

「アニマル、ってなんだあ? 新しい現代用語か。フレンズだろフレンズ、JK」

黒い装備の男たちは、装備公安部、と。聞き慣れない部署の名前を名乗った男たちは

ツバを吐くような目で、無言で矢張とリカオンを見下ろし、

「…こちら504号室、被疑者とアニマル確保。繰り返す、確保」

…その無線の報告で――

(…こりゃ。シロサイさんとクロいの、惣田さんと実把も捕まっちまったか…)

(…新木場の本部もやられたか、こいつは。…誰か、無事なやつは――)

胸の奥に黒いものをにじませ、それでも矢張は…牙を見せ、低く唸っているリカオン、

その太ももをシーツの上からぽんぽん、手のひらで叩いてやって。




しりんだー

62―4

「何の容疑か知らねえが。…弁護士くらいは呼ばせても… …?」

その矢張の目に。装安の背後にいる背広の男たち、そして年配の女性が映る。

その雰囲気、そして…女がこれ見よがしに持っていた、公安委員会の名前の入った

角封筒を見て――ほかの背広が、警察の中の警察、と呼ばれる監査部の男たちだと

気づいた矢張は… ふう、とため息をついて肩をすくめた。

「…準備良すぎんだろ、おまえら。ずっと仕込んでた、ってことか。ご苦労さん」

その矢張に。装安の隊長らしき男が、せせら笑う声、そして顔で。

「ご苦労さん? そりゃこっちのセリフだ、ロートル野郎が。

 フレンズとごっこ遊びしてた、てめえら二課のお役目は…もう終わりだ、ボケが」

…警察にしては、要らないことを言い過ぎる。その男に、矢張の目が向き。

「じゃあ、あれか。今度から、セルリアン対策はお前らがしてくれるのけ? おつ」

「…ッ、くそが。…てめえの飼い犬も、“シリンダー”に入れてやるからな」

…“シリンダー”――その単語に、矢張の眉がビク、と動いた。

それは…日本政府、内閣府とパーク振興会が極秘で進めていた、セルリアン対策…

フレンズを使う“爆弾”。




野生

62―5

フレンズを拘束、そこに人為的な方法で“野生解放”を引き起こさせてセルリアンに

ぶつけるための装置――

それが“シリンダー”と呼ばれる装置だった。

「…そうか。おまえ、“シリンダー”知ってるってことは。それなりに、今度の糞山の

 真ん中にいるメンツってことだな。つか、口軽すぎんだろ。ぼうづ。…ん?」

「…! うるせえ、クソが! …おい、こいつと飼い犬に手錠をかけろ!」

苛立たしそうに部下に吠えた装安の隊長、そのまだ若さの残る顔に… 矢張は。

「…ああ。おまえ。どっかでみたツラだと思ったら。おボッチャンくんじゃねえか!」

「…!? て…てめえ、なんでそれを…?」

…相手が誰かを思い出した、矢張の。明らかに格下をあざ笑うその声は。

「余の顔を見忘れたか。つれねえなあ、おボッチャンくん、あー。鮫島君だったか。

 埼玉の警察学校で、実技の教官やってた俺の顔忘れるとは。ぶちさみしいのー」

「…! て、てめえ… あの学校の… くそ、やめ…」

急に。どこか、トラウマレベルの痛いところを疲れた装安の隊長がうろたえるが。

「まあ、おめーは学校中退だからな。怒りゃしねえよ、おボッチャンくん、鮫島よう」




政治

62―6

きょとん、としているリカオンに。矢張はニッと笑って。

「ハハハ、てことは。おまえら、警察… 装備はそれっぽいけど機動隊じゃねえな?

 中退野郎が機動隊に入れるわけねえし。おまいら全員、体つきがナルすぎるし」

「…っ! うる、せえ! 黙れ、畜生…」

「鮫島ぁ、たしかおまえん家。親父が大臣とかやってて、兄貴が官僚、姉貴が代議士

 とかのエリート一家、そこのミソッカスだったよなあ? 警察大学校行けなくって、

 キャリアから落っこちて。しかも警察学校中退で――

 それが、そんな立派なおべべ着て、子分引き連れて。親の七光りすげー」

そこまで矢張が笑いながら言ったとき…

激怒のあまり、怪鳥のような声をがなりたてながら。装安の隊長が、鮫島と呼ばれた

男が丸椅子ごと矢張の腹を蹴飛ばし、後ろに倒した。

「…トシさん!! ……!」「――……駄目だ、リカオン。いい子だ、ステイ……」

矢張は。よっこらしょ、と。ノーダメージの声で立ち上がると。

「おい、手下ども。面白い話してやる。親分のこいつは、鮫島はな。埼玉の警察学校で。

 入学してすぐに、寮で、それまでのクセで親分風フカシてふんぞり返ろうとしてな…」




りか

62―7

「同室の学生たちに、ああ。あンときの室長の伊達、今俺の後輩でな。

 鮫島君、伊達と学生たちにみっちりヤキ入れられて。教官室に泣きつきに来たもんな」

「…!! う、うるさい… てめえ、黙らねえと!!」

「そんで、親の方から教官がお小言食らってさ。ついたあだ名が、おボッチャンくん。

 その後、真面目にやってりゃ良かったんだけどなー。駄目だったよなあ、おまえ」

「…トシさん?」

制されていたリカオンは、彼のマスターがなぜ――

この危険な状況で、相手のリーダーを煽りまくっているのか理解できず…

「ちょっとシゴイたらすぐへばるし、グラウンド回りきれねえし。柔道で泣き入るし。

 …んで。2ヶ月目、いやもっと早いか。学校まで、ママが迎えに来てくれたよなあ。

 あんなの、前代未聞だったわ。いま思い出しても笑える。伊達にも教えてやろ」

ヘラヘラ笑いながら話す矢張の前で…

生き恥を、部下の前でさらされた体調が怒りのあまり無言で、震え。

装安の男たち、そして観察と公安委員会の面々は、面倒臭そうな顔で。

「…そんな男が。なに? 装備公安部? 隊長? ふうん。すごいね、七光り」




そうむ

62―8

「まさか、できの悪い末っ子のために。部署ひとつ、新しく作ったのかよ鮫島家。

 つーことは、あれか。お前の親父と、兄貴、姉貴も一枚噛んで…」

やはりがそこまで言ったとき…

ドガっ!と。鮫島の持った短機関銃のグリップが、矢張の顎を殴り飛ばしていた。

…リカオンには、ギリギリ、彼のマスターが腕で顎をカバーしたのが見え――

矢張は、がっくりと床にうずくまり、崩れ落ちた。

「…てめえ!! ぶち殺してやる! クソ、クソがぁああ!!」

狂ったように吠えながら、鮫島は矢張の体を装甲ブーツで何度も、蹴飛ばし。

「…ふざけやがって、何が教官だ!! ぶっ殺してやる、くそ、くそ!!」

ぐえ、と。矢張がゲロを吐いてのたうち回ると。ようやく装安の部下たちが隊長を

止め…面倒臭そうな監査の男たちもホッとした顔になる。

「…はあ、はあ…! クソ、てめえ…あとで、生き地獄見せてやる…矢張、てめえ。

 …フ、ハハ! なめやがって。警視庁ごときが…こっちは、総務省のお墨付きだ」

また、鮫島が矢張を蹴り…リカオンが身を浮かすが。

「…駄目だ、リカオン―― …そうか、おボッチャンくん。そっかー」




りん

62―9

矢張は、嘔吐で咳き込みながら。手でリカオンを制し…それでも。

「…いまの政府のテッペンが…俺たち二課じゃなくて――おまえらを。

 萱野政権は、そういう舵取りしたってことか… セルリアン対策なんぞは」

  ――二の次、か。

そう言って矢張は、血の混じったツバをベッと、鮫島の前に吐き捨てて…わらう。

「安心しろよ、ロートル野郎。これからの日本は、東京は俺たち装安が守護ってやる。

 おまえらの飼い犬、使い捨てにしてな! てめえは東京拘置所で…括られてろ!」

「すげえな、総務省のお役人。…こんなチンカス坊やを、こんな大事なお役目に…」

また、矢張は殴られて。リカオンのベッドのほうまでよろめく。

「けっ、ジジイがイキりゃがって! …ハハハ、総務省の兄貴なんぞ、クソだ!

 俺はな… 親父と、もっとでっかい… 新しい、内務――」

鮫島がそこまで言ったとき、ハッとした公安委員会の中年女がそれを止めて言う。

「今のは、抵抗した被疑者の制圧行為、ですね。鮫島隊長。…連行を」

「…! ふん、命拾いしたなジジイ。…おい、その犬ころも。手錠かけて連れて行け」

鮫島が忌々しそうに吐き捨て。矢張たちに背を向けた。




カス

62―10

「……。トシ、トシさん…」「…大丈夫、大丈夫だ。リカオン。心配すんな」

手錠をされた矢張、そして罹患もベッドから引きずり出されて…歩かされる。

銃口とスタンガンで囲まれ、連行される矢張は、装安の隊員にボディチェック

され、拳銃と身分証明、財布、無線機、そしてスマフォも全て没取される。

…だが。黒画面のスマフォを、そのまま証拠品の袋に無造作に入れた隊員を見、

「……。ド素人、が… チェック甘いんだよ…」

リカオンにしか聞こえない、小さな声で。ゲロと血で汚れた矢張の口が笑う。

――装備公安部が突入してきた、そのとき。

矢張の手はポケットの中で、スマートキーを押して。専用の録音共有化アプリを。

二課と関係者のスマートフォン全てに、今の会話をそのまま拡散、共有化する

実把巡査謹製のアプリを立ち上げ…そして。

まんまと、幸運なことに顔見知りだった装安の男を煽りまくって。

本来は、言ってはいけないことをべらべらと喋らせ、仲間に拡散させていた。

…ボタンを押さねば、アプリは10分で自動的にシャットアウトする。

「…カスは何やってもカスだ」 連行される矢張が、また小さく…笑った。




62―11

――同時刻。東京、霞が関の高層ビル群。深夜の東京、その夜空を突き刺すように

そびえ立つ高層ビル群、そのふもとにある高級マンション群。

その片隅で…マンションの屋外駐車場を照らす街灯の光芒、その下で。

「…鹿島。おまえには世話になるな。…あの時からずっとだ。…世話になる」

「水臭いぞ、真坂。俺とお前の仲じゃないか。…立場は変わってしまったが――」

片方は。いかつく凛々しい壮年の体躯をスーツで包んだ、漫画ゴラクの表紙を

飾っていそうな男。警備二課のハンター、真坂巡査部長。

それと対するのは、同じく壮年の、だがスマートに痩せた体を良い仕立てのスーツと

コートで着飾った、眼鏡の男。警察庁警備部公安科のキャリア、鹿島警部。

…この時間、東京の夜、そこを吹く風は冷たい。

その風の中、神社の神木のように立つ真坂は、

「…池袋大橋の惨禍から、俺たち二課への風当たりは強くなる一方だ。

 とくに俺は、あのとき独断で環状高速の高架を地雷で落としたからな――

 数百億の損害らしいが… あれをせねば、大橋トンネルで二千人は死んでた」

「わかってるさ。真坂。お前は…そういう男さ、昔から。だが、俺はお前の味方だ」




階級

62―12

鹿島警部は、眼鏡の奥で目を細めて柔らかく笑い。真坂は照れくさそうに、

「…コーヒ、すまんな。ありがとう、ごちそうさま」

真坂は、鹿島と一緒に飲んでいた缶コーヒー。大昔の、現場での一夜を思い出し

ながらのコーヒー、その空き缶を、手袋の手を差し出した鹿島に渡す。

「…真坂、お前だからこんなことを話すんだ。二課には、おそらく監査が入る。

 お前も、公安委員会の審問会に引っ張り出される。…だが、大丈夫だ――

 お前たちは、正しいことをした。都民を守ったんだ、味方はいるさ」

「…ありがとう。お前がそう言ってくれれば、それだけでも…俺は救われる」

「俺は言葉だけの男じゃないぜ。それは…知ってるだろ、真坂?」

「…ああ。千代田署で、いっしょに事件を担当したあのころ。懐かしいな」

「俺とお前は、キャリアとノンキャリアだが…警官以前に、友だちだからな。

 もちろん、お前の仲間、警備二課も俺の友人と同じだ。審問会では…」

「…すまない。…俺が、二年前に――ヘマをしたときも、お前が…」

「…あれは、お前の責任じゃないさ。しかも、真坂。あのときお前は…」

鹿島警部は…咳払いして、真坂の前で言葉を探し。




クソゲ

62―13

「…家の火事で、奥さんと娘さんをいっぺんに失って。放っておけなかった」

「……。すまない。…あのとき、俺は…マル暴で、土建利権とつるんでいた

 政治家と暴力団を上げるのに必死で…周りが、見えていなかった…な」

…昔の話を。なにか、思い出すように話す真坂に…鹿島は。

「安い言い方だが…困ったときはお互い様だ。…フフ、この貸しは高いぜ?」

――わかってる。真坂は、ナイフの切れ目のような目と、唇で笑うと。

…何かにハッとした真坂は、ポケットからスマフォを取り出す。

鹿島の目が、一瞬、小さく訝しそうになったが。

照れくさそうな真坂は、立ち上げた画面を。何かのソシャゲの画面を見せ、

「…いや、時間でな。スタミナが回復したかと思ってな。…うん――」

「ハハハ。おまえ、そんなガキっぽいものをやるんだな」

男たちは寒風の中、笑うと… 真坂の目の奥、他人には見えないその奥が…

安っぽい、だれも知らないようなマイナーソシャゲのギルド画面を見。

「……。すまん、鹿島。ちょっと俺の車をとってくる」

「あ、ああ。構わんよ、俺も部下に電話をしないとな」




マーチ

62―14

街灯の明かりの下から、真坂が小走りに離れ、駐車場の方へ向かうと――

……。独りになった鹿島警部は、コートから何かを取り出して、またしまい。

…そして。少しして、鹿島の前に車が。

…真坂のスカイラインとは違う、くたびれた日産マーチが滑ってきて、停まる。

そのマーチから降りた真坂に、鹿島は訝しそうに。

「…真坂、おまえ。R32は?」「…ああ。ちょっと修理にな。代車さ」

また、照れくさそうに笑った真坂は。そのぎこちない笑顔のまま、

「鹿島、おまえこれから本庁に戻るんだろう。乗れよ、送ってやる」

その友人の笑顔と申し出に、だが。鹿島警部は、ギクとしたように。

「…い、いや。俺なら構わんでくれ、タクシーを使うから。ああ、大丈夫」

笑みを浮かべたままの真坂は、だが――

「税金を無駄にするのはよそうぜ、お互い、公僕だ。乗れよ、鹿島」

…鹿島警部が気づいたときには。真坂の手には、どこかから出した薄汚れた

トカレフ拳銃、その鈍い黒の銃口が握られ…鹿島の腹を狙っていた。

「…!? ま、真坂!? おまえ、いったい…」




アイアイ

62―14

「こいつは押収品だ。足がつくもクソもない。…乗れよ、鹿島」

その銃口と、豹変した友人の声、顔に…顔面が蒼白になった鹿島は、震える

手でマーチの助手席を開け…その助手席に、こわごわと座る。

運転席に、真坂の体が狭そうに収まり――ドアがロックされると。

「…! ま、真坂! これはどういうつもりだ!? 俺はお前の味方――」

鹿島がそこまで言ったとき。後部座席で、ぬるりと黒い影が動き…

「お静かに。大きな声をお出しになりますと…声帯だけ、切ります」

…!? 鹿島警部の背後から伸びてきた白い女の細腕、否、フレンズの細腕。

真坂のバディ、アイアイの手が握った苦無の刃が、男の喉をそうっと撫でる。

恐怖で凍った鹿島警部、そのコートのポケットに真坂の手が伸びて。

そこから。鑑識用のビニール袋に入れられた缶コーヒーの空き缶。

…それを見つけた真坂の目が、一瞬だけ苦渋に閉じられ、そしてまた開いた。

「…そ、それは。まて、待ってくれ真坂」

「…親友の指紋と唾液、DNAがついた空き缶を証拠品にして、どうする気だ」

真坂は、車を発進させ…東京を、走る。




えた

62―15

「まだホシが上がってない殺人現場の証拠品に、そいつをまぎれさせる気か。

 ――おかしいとは思ったんだ。鹿島、お前がいきなり話をしたいだなんて」

「…ち、違うんだ。真坂、それは…お前を弁護するときの…」

喉に刃を当てられたまま、蒼白な顔で声を漏らす鹿島に。

真坂は運転しながら、自分のスマフォ、そこに立ち上がっているソシャゲ、

『エターナルフォース verブリザード』のギルド画面を見せる。

「…このクソアプリはな。うちが、二課が開発して運営している。

 ログインしているのは、二課のメンバーだけでな――全員、非番の時以外は

 スタミナ回復の3時間毎にログイン、挨拶する。それが…クソ」

…恐怖で汗が、涙が浮かんだ鹿島の目がその画面を見ると。

「こんちはー」「おいーす」「井伊たんインしたお」「おつだにゃあ」

…と。各メンバーの定形挨拶がずらりと――だが、全員が22時のログインを

しないままの画面が、そこにあった。

…その意味に、ようやく気づいた鹿島が…ヒッ、と声を漏らした、その時。

後部座席から、アイアイの苦無ではなく…小さな利鎌が伸び、そして。




あいあい

62―16

「…う、うわあ!? な、な…やめろ、やめ……」

アイアイの鎌は、鹿島警部の着ているコートを、仕立ての良いスーツを紙の

ように切り裂いて、男を裸にしていき…その間もマーチは走って、首都高の

入り口を駆け上る。

アイアイが、半分だけ後部座席の窓を開き…そこから。剥ぎ取った鹿島の服、

その残骸、無線機、携帯電話、そして盗聴器。それらを、首都高を疾走する

車の窓から夜風の中に、首都高の路肩に、ひとつ、ひとつと落としてゆく。

「――これで。鹿島、お前のお仲間はもう助けに来られない。…アイアイ」

真逆が運転しながら命じると。

…ぎゃあああ! と鹿島の悲鳴が社内に響いて…フレンズの剛力で固められた

全裸の鹿島は、尻の穴の奥までアイアイの指でほじられて――

「トシさん、やっぱり」 アイアイが鼻で笑い、コンドームに包まれていた

小さなスティック型携帯を…これは、狙いすまして。マーチと並走していた

トラックの荷台へと放り投げた。

…鹿島の顔は。もうキャリアの威厳も何も消え、涙と恐怖に崩れていた。




ひょう

62―17

「…や、やめてくれ真坂… お、俺をどうする気だ… 友だち、だろ…」

「――あのとき、三年前。馬路経産省大臣のしっぽつかんでいた俺を脅すのに

 …嫁と娘を… 寿絵たちを焼き殺したのはまずかったな。なあ、鹿島。

 …俺を殺せばよかったものを。…お前はそれに無関係か? なあ鹿島」

「……! ち、違…! お、俺は関係ない、あれは――」

「俺はな、鹿島。寿絵たちを殺したやつをあぶり出すために…警視庁に

 残るために、こんな猿回しになって…! それで、やっとだ。やっと…!」

  ――ここにも。セルリアン惨禍が、二の次の男が…いた。

「すまんな鹿島。あの事件のこと、今度のこと。いろいろ、話そうや」

「…場所はいつののところで? あなた」「…ああ。頼む、アイアイ」

「自分でするのは久しぶり…キンシコウは駄目、あの子は少し遊びすぎる…」

アイアイは、女の髪で編んだ細縄の束を…そして。錆びた針金を手にしていた。


生き残りたい。崖っぷちでいい。だが許されざる命は、ゆっくりと死へ向かう。

「セルリアン大壊嘯」がヒトの積み重ねてきた全てをあざ笑うまで――あと253日……





63―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、悩んでいた。

――数年前。

南冥の海洋に、突如として浮上した謎の諸島。その島々は日本政府、および諸島を

管理運営する財団法人により“ジャパリパーク”と名付けられ、開発が進められていた。

そして。

その島々に充満する謎の未知物質“サンドスター”の影響で、島々に生息していた

野生動物は、ヒトの少女の形を模した謎の生き物「アニマルガール」へと変化。

のちに「フレンズ」と呼ばれることになる彼女たちは、生まれ持つその美しさ

可愛らしさ、そして人付き合いの良さから、アイドルとしてもてはやされていた。

――だが。そのブームが沈静化した頃には、パークから日本に、世界各地に連れ出さ

れたフレンズたちは、その地で自活して生きる道を選ばされて…いた。

ほとんどのフレンズは、手に職をつけたりブームの頃の人気を利用して芸能界に

残ったりと、たくましく現代社会で生活し…

中には、社会に馴染めず無職ぐらしのフレンズも――自治体が提供する、家賃無料の

安アパート、通称「フレンズ下宿」で無聊をかこつフレンズたちも、それなりにいた。




わお

63―2

ヒョウも、しばらく前までは無職フレンズだった、が。

ヒトの少年との出会い、そして恋がヒョウを変えていた。本気を出していた。

「…うちは今、フレンズいち、住み慣れた我が家に別れを告げるのがつらい少女やねん」


その週の土曜日。フレンズ下宿には在住フレンズの、全員がそろっていた。

「…けっきょく。私、ここに10日くらいしか住んでないですよ、先輩」

「まあまあ。ワオちゃんには災難やったけど。でも次の部屋は、マンションやで」

「でも、みんなと同居ですよねえ? いえ、いいんですけどー」

下宿の古株、ヒョウと。彼女と同じ船でパークからここ日本に来たワオキツネザル、

通称ワオちゃんは。秋の日の午後、てろっとした暖かな日差しの下で――

「引っ越し、連続で2回やったらだいぶ断捨離出来ましたよー、私。

 断舎離すると、運が向くっていうじゃないですか。あー、私も彼氏、欲しいなあ」

「ワオちゃん、ええ子やから男がほっとかんやろ。整体院の客で、いいのおらんの?」

「んー。声かけてくるヒトはいたんですけど、イマイチっていうか。セフレ狙い?で。

 私は、ステキな、みんなに自慢できるような彼氏が欲しいんですー」




ふなぼり

63―3

ワオちゃんとヒョウは。一日がかりのつもりが、あっさり終わってしまった下宿の

みんなの引っ越し支度、それを終えた下宿の中庭で。

「…今度住むマンションも、みんなと同居だと彼氏、出来ても連れてこれないしー。

 …あっ、先輩も。例の年下カレシ、連れ込めないじゃないですか。どうするんです」

「……。う、うちは、その。オトコ、連れ込んだりとかそんな…」

「…まさか先輩。そのカレシと…まだ、なんにもしていないんじゃ?」

「……。そ、そそそ、そんなことあら…へんよ。うちは、本間くんとラブラブやし…」

午後の日差しの下で。ヒョウの顔は真っ赤で――

ワオちゃんにも、おぼこの先輩を見て見ぬふりをする情けがあった。

そこに。部屋の掃除をすませたオコジョと、ビントロングが窓から顔をのぞかせる。

「おーい、ヒョウ。さっき、大家さんからアリツさんに電話があったぜ。

 区役所の用事すませたから、これからもどるってさ」

オコジョの声に、ヒョウが親指を立てて答えると。

「…すみません、私はもう事務所の方に戻らないといけませんので…失礼を――」

下宿の玄関から、スーツ姿のアリツカゲラが出てきてヒョウにお辞儀する。




ありつ

63―4

「いーえ。アリツさん、今回はホンマ、お世話になりっぱなしで。明日も、その」

「はい、午前中にマイクロバスで皆さんをお迎えに上がりますね。…あ、あと。

 今日は事務所で仕事が長引くので… お風呂の方は、ごめんなさい、お休みです」


――先週、突然に。この貧しくとも、狭くとも、平和でまったりしていたフレンズ下宿

その日常が終わろうと…その予告がされてしまっていた。

…おそらく、人間社会を襲う凶悪なセルリアンの出現が、その“契機”だったのだろうか。

区役所、そしてジャパリパーク振興会の研究所は、なぜか…下宿に住むフレンズたちを

強制的に連行し、いずこかへ連れ去ろうと…していた。

ヒョウたち下宿フレンズは、その難を避けるため、下宿の大家、そして不動産業を営む

アリツカゲラの手引きで、もっとしっかりとした住居へ、マンションへの引っ越しを

決めていた。マンションの費用は、一部の有志フレンズが融資、そしてフレンズたちの

在留カード、住民票の書き換えはアリツカゲラが責任を持って進め、終わらせて…いた。

――引っ越しは、明日。

何年も住んだ、麗しの木造モルタル古アパート、四畳半とも、しばしのお別れだった。




たぬ

63―5

…また、ここに戻れるかどうかは…それは、誰にもわからなかった。

「……。オオカミ先生も、カメやんも出ていったまんま、やったな。

 ふたりとも、連絡も取れへんし… このシャバは、ほんま、サヨナラばっかりや」

ヒョウが独り言をつぶやくと。

下宿の玄関から、何かを相談しながら出てきたタヌキとハクビシンが、ヒョウに、

「ヒョウさん、あの。…さっき、ラクダさんたちやテンちゃんと話したんですけど。

 今日で、しばらくここをお別れになるんなら…その、お礼の気持で――」

「そうなんだよ。今夜はさ、晩ごはんはさ。ぱーっと。お別れのありがとうパーティー

 ここでやらないか? って、たぬぽんやみんなと話してたんだ」

ヒョウは、少し沈んでいた気分を振り払うようにけも耳を、目をくりっと動かし。

「おお、そりゃええなあ。…じゃあ、そうと決まれば――買い出し、行かな」

ヒョウの言葉に、タヌキはもじもじと恥ずかしそうに、だが嬉しそうな笑みで、

「…うん、この下宿にはずっとお世話になったし、ここに残る大家さんにもお礼を…

 じゃあ、ヒョウさん。私、オコジョさんたちと、ごはん、炊いておきますね」

話は決まった。




テン

63―6

「よっしゃ。じゃあ…もう秋やし、ぱーっと芋煮パしよっか。ん、じゃあ…」

話が決まると、早かった。設営班と、買い出し班に分かれる。

オコジョたちが物置から、使い込まれたドラム缶のコンロと薪束を出してきた。

「やったー。今夜は、芋煮たくさん食べれるー。お別れさみしーけど、うれしー」

「あなたいつもたくさん食べるじゃない。…でも、ふふ。いいわね」

ラクダ姉妹が、ありったけのお米を出してきて、大きなザルでそれを、とぐ。

「テンちゃん、パーティーだって」

「うん、このお部屋にありがとう、お別れパーティーだね」

テンとクロテンの二人は、庭にテーブルを出して、まだ梱包してなかった食器を

そこに並べて、うれしそうにコロコロ笑いあっていた。

ヒョウは、部屋に戻って…習い性で、数分で化粧を直して髪を整え。

下はジーンズとパンプスで良しとして、シャツの上にお出かけ用のショールを。

財布と携帯が入ったクラッチバックを持って…中庭に戻る。

その頃には、にぎやかさで部屋から出てきたヒクイドリ、そしてオオカワウソの

おーちゃんも、中庭でコンロやテーブルを囲んでいた。




おおかわ

63―7

「…ワたしも、なにか手伝おうカ…?」「ああ、おーちゃん。だったら…」

仕事用のツナギを着ていたおーちゃんは、芋煮用のハソリ鍋にたっぷりの水を

入れて、小柄なビントロングといっしょにそれを運ぶ。

「よっしゃ。んじゃあ、買い出しはうちと、あとワオちゃんも行くでー」

「……。えっ、私もですか? まあ、いいですけどー。先輩、その。お金は…」

「なめたらあかん。うちは、前までのうちやないで。大丈夫、うち有職者やで」

「ふふふ、知ってますよう。じゃあ、飲み物は私が買いますね」

ヒョウと、後輩のワオちゃんが出かけるそこに、

「あー、まって。私も買い出し班に志願するよー。ちょっと、デザートも欲しいし」

ハクビシンも、親友で同居人のタヌキに手をふって、ヒョウたちに合流した。

「んじゃあ、オコジョ。んー、小一時間で戻るから。そのタイミングで、よろ」

「おう。明日の朝めしと弁当用のごはんも炊いておくからな」

ヒョウとワオちゃん、ハクビシンの三人が連れ立って下宿を出てゆくと。

コンロに火がくべられ、たっぷりの水を満たしたハソリ鍋が、このパーティーの

主役のように、どん、どんと、二つ、どっしりと置かれる。




公衆

63―8

――そのころ。同時刻。フレンズ下宿のある街の、駅前通りで。

今ではだいぶめずらしくなった公衆電話ボックス、そこでの通話をすませた

一人の小柄な老婆が。フレンズ下宿こと「みどり荘第四」の大家であり権利者で

ある、小五浦女史が巾着袋にメモ帳を戻し…街路に、出る。

「…さあて。これで、よし。明日から、さみしくなっちまうねえ」

独り言をした老婆は――だが、彼女の打てる手をすべて打って、自分の孫娘たち

のような下宿フレンズを守るための、女の戰いをやりきった彼女は。

「…トシ坊、アンタのほうも上手くやるんだよ…」

下宿への帰路を、まだ達者な脚で進む。

タクシーを使おうとも思ったが、運動のためにはこれくらいの距離は歩いたほうが

いい、と思い直して――小五浦女史は、夕暮れが染まり始めた空の下を、歩く。

商店街の人混みから、歩道のある街路に彼女が出ようと、角を曲がった。

…そこに。

ゆっくりと、EV駆動で音もなく…路駐していた真っ黒なSUVが滑り出し。

…そして。急加速し、そのバンパーで歩道に入ろうとしていた老婆を。




現場

63―9

「……!?」 小五浦女史が、それに気づいたときには――

 ドン と。夕暮れ前の街路に、商店街に鈍い音が響いて、そして…消えた。

老婆を跳ねたSUVは、そのまま…何事もなかったように、車道を流れる車の

群の中にまぎれて、何処かへ走り去ってしまっていた。

…事故だ!! …ひき逃げだぞ!!

車道まで跳ね飛ばされ、微動だにしなくなった老婆の周囲に人々が集まる。

その中のひとり、リクルートスーツのような黒服を着ていた女が、

「…119番と警察には私が連絡しました、大丈夫!! 救急車が来ます!!

 どなたか、AEDを! お願いします、おねがいします…!」

その声に、数人の男が区役所、そして交番のほうに走り出す。

声を張り上げていた女は、跳ねられた老婆の体を仰向けに寝かせると、

「もうすぐ救急車が来ますからね! しっかり…! 大丈夫、大丈夫…」

――そして、事故の周囲に人だかりができるころ。

…その黒服の女の姿は、現場から消え失せていた。そして…

“誰も通報をしなかった”せいで…救急車が到着したのは30分後、だった…




下宿

63―10

――同時刻。大家、小五浦の事故を知らない、フレンズ下宿のフレンズたちは…


「……!? お、おい、てめえらは…なんだなんだ、いったい!?」

フレンズ下宿の前には――その外塀と、門を塞ぐようにして何台もの真っ黒な

SUVが、アメリカ製の機動車が、そして…

数週間前、彼女たちを怯えさせた、ジャパリパーク振興会、その研究所が

フレンズを移送するのに使う巨大なトレーラーが…停車していた。

…数週間前の、背広姿の男たちとは違う。

この日は、サブマシンが、そして対セルリアン・対フレンズ用のスタンガンで

武装した、全身黒尽くめの装備、プロテクターとヘルメット姿の兵士たちの

ような男たちが…十数名、下宿の庭に、無造作になだれ込んできていた。

男たちの靴、銃把がテーブルを引き倒し、コンロに掛けられていたハソリ鍋を

邪魔そうに蹴飛ばしてひっくり返した男たちの暴挙に、

「ああ…! ごはんが……」「なんてこと…ひどいよー」

地面に真っ白な米がぶちまかれ…フレンズたちの口から、悲鳴じみた声が漏れる。




機動

63―11

…だが重武装の黒い男たちは、その湯気を立てるお米を踏みにじりながら進み、

「全員、動くな!! 装備公安部だ、貴様らを全員、連行する――」

その男の声に、そしてまだ生煮えだった鍋をひっくり返され、大切なごはんを

踏みにじられて…オコジョが、その小さな体に憤怒をたぎらせ、前に出る。

「てめえら…! 許さねえ! なんだか知らねえが、ふざけやがって…!」

「…まって、オコジョさん… この連中、やばい…この前と、違う…」

ビントロングが、必死にオコジョを止める、そこに。

黒い装備の男たち、装安の隊員たちの背後から――こちらは、別の生き物の

ように真っ白な、全身をタイベックス防護服で包んだ男たちが。

パーク研究所のスタッフたちが、フレンズ用の拘束手錠を、スタンガンの棒を

持って…ぞろぞろ、無言で進む。

…もう、その頃には。ほとんどのフレンズは、ラクダ姉妹、テンたち、そして

エプロンをしていたタヌキも…恐怖で、言葉を失って立ち尽くしていた。

そこに――なんとなく事態を察した、ヒクイドリが。

「…アリツさんたちの、先手を打たれちまったか」 …ぼそり、つぶやいた。





63―12

さらに、そこへ――パーク研究員に同行していた、スーツ姿の化粧のキツイ

中年女が面倒臭そうな顔丸出しで、進んで。なにかの書類を突きつける。

「あなたたち、みどり荘第四に不法在留するフレンズたちに対して、法務省、

 および入国管理局から強制連行の令状が出ています。速やかに、同行を。

 万が一、反抗する場合は…強制連行の意味、わかるわよね。お嬢ちゃんたち」

「不法在留…? まって、私たちは手続きを、もう――」

だが。必死に言ったテンの言葉を、ヒトは誰も聞いていなかった。

面倒臭そうに、これで私の仕事は終わり、とでも言うように中年女は車のほうへ

戻っていった。それが済むと、黒服の装安たちは。

「…おい、アニマルども! このままおとなしく、トレーラーに乗るんなら

 手荒なマネはしないし、手錠の拘束もしない。まあ、こっちは…」

 どっちだっていいんだぜ? と。その男が電磁ロッドで手のひらをパシパシ

叩きながら、薄黒いシールドの奥でニヤニヤ笑っていた。

「…おもしれえ。手荒なマネ、だと? やってみろよ、伊達にしてやらあ」

オコジョが、ビントロングの手を振り払って前に、出た…ときだった。




おお

63―13

「……!! マッて! 待って…! やめテ……」

今まで、悲痛な顔で成り行きを見守っていたオオカワウソが――

オコジョをかばうようにして、その大柄で、少女の美しさと艶やかさがそのまま

形になったような体を…ツナギ服でも隠せない、その体で前に出る。

「…やめろ、おーちゃん! おまえはひっこんでろ!」

オコジョが、ハッとした声でオオカワウソに言ったが…彼女は首を振り、

「…アのとき、私だけ行ってオけば…研究所に戻れば、こンなことには――」

オオカワウソは、白いパーク研究員たちの前に進んで…揃えた両腕を出す。

「…ワたし、行く、カラ。実験でも、開放でも何でもする、だからみンなは…」

「だ、だめだよーおーちゃん!」「…うう、大家さん…」

オオカワウソ、フレンズたちの涙声が交差すると。

フン、と面倒臭そうに。装安の男が、背後のパーク研究員にあごをシャクった。

その合図で、パーク職員が…何かの端末を操作すると。

「…ギ!! ァ、あああ…あ……!」

オオカワウソの体が、急によろめきつんのめって…左足を抱えて、のたうつ。




おこじょ

63―14

「……!? おーちゃん!? …て、てめえら…!!」

オオカワウソの片足、そこにつけられていたGPS端末――その装置の、

もう一つの機能が…高電圧の電撃で、オオカワウソを悶絶させていた。

ヒトが、自分の妹分に何をしたかを悟ったオコジョが…キレた。

「…畜生め、てめえら…! つらの皮剥がしてや… ……ガッ!!」

オコジョの、ちんまい可愛い手が鉤爪の形になった、そこに…

装安の隊員が発射したスタンガン、高電圧を放射する単一電池ほどの

大きさのバッテリー弾体が…その先端の鈎をオコジョの脇腹に食い込ませ。

電撃で、一瞬で…オコジョの体を地面に打ち倒して、いた。

「ぐ…… ぁ、ああ… ち、く…しょ……」

「ふん、畜生はてめえだろ。この…!」

フレンズたちの悲鳴が、夕暮れの空気をつんざく中で…男のブーツが、

小柄なオコジョの腹を蹴飛ばした。血と胃液を吐いたオコジョの口に…

 バチッ!と。スタンロッドの先端がねじ込まれて、放電した。

ヒクヒク痙攣するだけのオコジョ、その白い服に、失禁のシミが広がって…いた。




びんとろ

63-15

「…! やめて、もうやめて… 言うことを、聞く…から… オコジョさん……」

ビントロングが、自分も感電するのも構わず、オコジョの体に覆いかぶさって

守りながら…何度も、その言葉を繰り返していた。

…もう、下宿フレンズたちは――恐怖で、身動きもできなかった。

電撃で気絶させられたオオカワウソ、オコジョが拘束具をつけられ、引きずられる

ようにしてパークのトレーラーに連れて行かれると。

ラクダ姉妹、テンとクロテン、ヒクイドリ、そしてタヌキも…全員、銃口で囲まれ

ながらトレーラーに連行され、そして全員が――トレーラーのカーゴへ。

分厚い装甲がされたその、外界から完全に遮断された檻の中へと押し込まれて…

パークのトレーラーが、ひと気のない夕暮れの路地をゆっくり進んでゆく。

…だが、黒尽くめの武装の、装備公安部の男たちは。

「…おい、リストと数が合わないぞ。どういうことだ、今日はここに全部――

 あのアニマルどもがそろっているんじゃなかったのか?」

「ああ、さっきあの中にの一匹を脅して吐かせた、出かけているヤツラがいる」

装安の男たちは、データタブレットと書類を見ながら――





63―16

「抜け出していたのは、三体。ヒョウと、ワオキツネザル、ハクビシンか」

「…頂点肉食のヒョウは、逃がすとまずいな。鮫島のやつにどやされるぞ、クソ」

「ああ、問題ない。三匹で買い物に行ったそうだ。やつら、じきに戻るさ」

装安の男たちは、不安げに苛立っていた顔から一変、ニヤニヤ笑うと。

「よし。5人、ここに残れ。三匹を確保、拘束したら…連絡しろ」

「なあ、俺残るぜ。そのワオキツネザル、田町の整体院にいたやつだろ。

 あのメス畜生、俺が声かけたのにシカトしやがって。…へへ、ちょうどいい」

「じゃあ俺も残るか。一度、本物のフレンズ犯ってみたかったんだよなあ」

「よし、殺さないんなら好きにしろ。…フフ、金玉軽くするのに夢中で逃がすなよ」

下卑た、邪悪な笑みが男たちを一巡し…

装備公安部は、任務を終えてSUV1台を残して撤収する。そして…

ヒョウたちを捕獲する装安の男たちが、下宿の建物の中に潜んだ。


俺もお前も、名もない花を踏みつけられない、そんな男になる。あれは嘘だ。

「セルリアン大壊嘯」を待たずとも、ヒトが全てを失うまで――あと246日……





64―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――それに、気づいていなかった…

東京の片隅、家賃無料の安アパート「みどり荘第四」。

いわゆる無職や、それに近いフレンズたちが貧しくとも身を寄せ合い、楽しく

慎ましく暮らしていたそのアパート、通称「フレンズ下宿」は…


「よし、本隊はこのまま撤収。アニマルを乗せたトレーラーをパークの施設まで

 護衛しろ。ここに残る、五名は……遊んでもいいが、しくじるなよ」

「わかってる。さっき居なかった、ヒョウとかいう猫を抑えりゃいいんだろ」

「いちおう、頂点肉食だ。さっさとスタンガンで眠らせろ」

「ワオキツネザルもいるんだろ? そいつは、俺の獲物だからな。ハハハ」

「残りはヒョウ、あとは…お前がお熱なそのサルと、あとはハクビシン、か」

「やっとだぜ。俺、フレンズ犯りたくて装安入ったようなもんだからなァ」


…住人のフレンズたちが、強制的に拉致されてしまったフレンズ下宿で――





64―2

全身黒尽くめの、プロテクターにシールド付きヘルメット。短機関銃、そして

対セルリアン用のスタンガン。これはフレンズに対しても制圧力がある、を

装備しているその兵士のような男たちは――

新設されたばかりの対セルリアン部隊、そして不法滞在やヒトに対して不逞を

はたらくフレンズを制圧する任務もおびたその部隊は…総務省、装備公安部。

通称、装安の隊員たちは…

ちょうどフレンズ下宿からでかけていた、ヒョウたち残りのフレンズを捕らえる

別働隊を下宿に残し、やはり黒塗りのSUV一台を残して撤収する。

残った、五人の男たちは…

「ああ、くそ。さっき連れて行かれた、ラクダ…だったか。あの乳のでかい。

 あいつらを輪姦したかったぜ、畜生」

「ハハハ、“シリンダー”の爆弾にする前に使わせろってんだよなあ、パークめ」

「……。おい、そろそろアニマルどもが戻るぜ。あのボロ屋に隠れるか」

隊員の一人が、持っていたタブレットの画面を仲間たちに見せる。そこには…

地図データーと、そこを進む、GPSが補足した“マーク”が光って、いた。





64―3

「…あと10分くらいか。このマークが、そうか?」

「ああ。そのヒョウとかいうアニマルの持ってる、携帯の位置信号だ」

「こっちの光点は…ああ、あのサルか。もう一匹は携帯持ってないんだな」

「よし、始めるぞ」

男たちは、下宿に突入したとき…ちょうど、この下宿へのお別れパーティーの

支度でごはんが炊かれていた、大きなハソリ鍋とコンロ。それをひっくり返した、

真っ白いお米を泥靴で踏みながら、ばらばらと下宿の中に身を…潜める。


――それから、20分もしないうちに。

「……やー。すっかり日が短くなったねえ。もう暗くなってきちゃったよ」

「ごはんももう炊けてる頃合いやろ。…はあ、あの下宿ともお別れかあ」

「先輩、ビールもうちょっと買っといたほうがよくなかったですかー」

夕暮れの街路を連れ立って進む、三人の下宿フレンズたち。

買い物袋を両手に下げた、ヒョウ。缶ビールの箱を乗せたカートをコロコロと

ひっぱるワオキツネザル。そ果物とお菓子でいっぱいの袋を抱えたハクビシン。





64―4

彼女たちは、フレンズ下宿の庭を囲む生け垣と外壁、そこに長い影を落として

きゃわきゃわ笑いさざめきながら歩いて―― ……だが。

……。ギク、とヒョウの足が…止まった。その首筋と頭髪が、じわと逆立つ。

「え? どうしたんです、先輩?」

「…! な、なんか…ヘンや、知らん人間の臭いがいっぱいする…」

あまり鼻の効かないワオちゃんとハクビシンがキョトン、としていると。

「…!? まさか…? …みんな…!! オコジョ、おーちゃん…!!」

袋を下げたまま、ヒョウは跳ねるように…走った。そしてその足は下宿に、

「……!! あ、あああ… な、なんや、これ――」

ヒョウに続いて、下宿の中庭に駆け込んだワオちゃんもハクビシンも。

「…え、えっ? な、なにこれ…」「…ひ、ひどい。…! みんなは…!?」

ヒョウたちの目に、蹴飛ばされ、踏みにじられたパーティーの会場が。

ひっくり返されたハソリ鍋、焼けぼっくいになって煙を燻らせている薪、

そして踏みにじられた真っ白いお米、ひっくり返されたテーブル…

それらの光景が、ヒョウたちを絶句させ…逃げ出す貴重なチャンスを、奪う。





64―5

「せ、センパイ…こ、これ、いったい… みんな、どこに――」

「…ま、まさか。この前来た、パークの連中が…また…?」

ぼとっと、ヒョウの手から買い物の袋が落ちると。ハッとしたハクビシンが。

「…!! たぬぽん!? たぬぽん、どこ…! ねえ、たぬぽん…!」

お菓子の袋を抱えたまま、血の気を失った顔で。

ハクビシンは、荒らされた庭をきょろきょろと見、そして…電気のついて

いない、真っ暗な洞穴のように見える下宿の入り口へ、玄関へと駆け込んで

いった。その後を追おうとした、ヒョウは…ふと、その鼻に。

「…? 知らん男の臭い…と… これ…オコジョの、おしっこの臭い…?」

戸惑ったヒョウが、2秒を無駄にして。そして…ギクッと。

「…! ハクちゃん、あかん!! 入ったら、アカン、危な……」

――そのヒョウの声が、玄関の暗がりの中でとつぜん走った閃光に、青白い

放電の閃光、そして「ギャッ」と…ハクビシンの短い悲鳴で、さえぎられた。

「…!? な、な…」「せ、せんぱい…これ、いったい」

そのヒョウ、そそてワオキツネザルに…玄関の暗がり、その奥から。





64―6

 バシュ!と。圧搾空気が、何かを打ち出した音がヒョウの耳に響いて。

「…!! あかん、ワオちゃん逃げぇ… ――……!? がっ、ガハ!!」

玄関の暗がりから飛翔してきた“それ”を、一瞬でその瞳から虹色を迸らせた

ヒョウの目が捉え、それを片手で払い、叩き落とそうとした…が。

…それが、失敗だった。

打ち出されたスタンガンの弾体、先端に銛のそれのような鉤爪のついた弾丸は

ヒョウの左腕に食い込んで…そこで、高圧放電を炸裂させていた。

「が、ッ…あ、ああ…」「せ、せんぱい…!? あ、ああ…!!」

ヒョウが、自分の体の制御ができなくなり…がくん、とヒザが崩れると、今度は

彼女のブラウス、そのお腹に弾体が打ち込まれ、ブラウスを黒く焦がしながら

ヒョウを完全に、昏倒させ…汚れた地面に突っ伏させる。

悲鳴を上げたワオキツネザルが、ヒョウに駆け寄ろうとしたそこに…

玄関の暗がりから、真っ黒い姿形の男たちがドカドカと走り出して、

「あ、あ…! や、やだ… いやあああ…! ……ゥあ…!」

男たちの持った、スタンロッドがワオキツネザルを撲って…電撃で気絶させた。





64―7

……フレンズたちの悲鳴は、一瞬で途絶えた。

5人の装安の男たちは、この騒ぎを外に聞かれていないか…少しだけ警戒して。

「…ふん、あっけねえな。なにが猛獣だよ。パークの連中はビビり過ぎだっての」

五人の隊長格が、装甲ブーツの先で、突っ伏して昏倒しているヒョウの肩を蹴り、

そのまま足で…ゴロン、とその体を仰向けにひっくり返す。

…泥と、踏まれたお米で汚れたヒョウのブラウス…

仰向けで横たわっても、まだ丸く張っているその大きな胸に男たちが熱く濁った

目でニヤニヤと笑い、タブレットのカメラでヒョウ、ワオキツネザル、そして

ハクビシンの目を無理やり開いて、瞳孔のパターンを撮影してゆく。

「よし。こいつら三匹で、間違いない。お仕事、終わりだ。…さあて」

「おいおい、ほんとにやるのかよ? フレンズにちんぽ入れると病気になるぜ」

「じゃあお前は見てろよ。…ハハ、脱がせちまえば人間のオンナと変わらねえって」

男たちは、ヒョウ、そしてワオキツネザルの腕、服を引きずって…

「…ぅ、うう… ……く、ぅ」 ヒョウが、牙を向いてうめく、が。

すぐに電撃棒の放電がそれを黙らせ…彼女たちは下宿の玄関、その奥へ…





64―8

――……。…あ、あか、ん… いったい、なにが… うち、いったい…

…ヒョウは。すさまじい頭痛、そして真っ暗な中で… 恐怖と、困惑を…

…自分の体が、どうなっているのかわからなかった。何が起こったのか…も。

「…………! …ぃ… いやあーっ…! やだ、やだ… …ああー…ッ」

…悲鳴が、聞こえていた。その音で、頭痛がひどくなって。

…ヒョウは、また気絶に落ちて全てを忘れてしまおうと… …だが。

「やだーっ…! あ、あ…こんなの、嫌… やだ、やだ… あーっ…!」

…!? ギクン、とヒョウの目が動いた。何も映らない、だが。

…ワオちゃんの悲鳴や… いったい、なにが――

…自分の後輩、フレンズ友のワオキツネザル。その悲鳴に、ヒョウは。

「…!? あ、ぅ…ぐ… ……!? な、あ、ぁ…あ……」

ヒョウは、やっと自分の体がどうなっているかに…気づいた。

痺れて、全身に力が入らない。そして…背中にあたっているのは、固い…

下宿の玄関の上がり口、板の間…目に映るのは、玄関の暗い天井。

…そして。暗がりの中を動く、どす黒い男たちの…影が見えて、いた。





64―9

「…いやーっ! こんなのやだあああ! 絶対、いやあああ…!」

「うるせえ、あンとき。おとなしくヤラせてりゃ痛い目見ずに住んだんだよ!」

ワオちゃんの悲鳴、絶叫が…顔を殴る、鈍い音。そしてスタンガンの放電で

途切れると…ヒョウは、自分の体が何者かに抑えられているのに、気づく。

「…う、ぅう、ぐ…? や、やめ……」

ヒョウは、痺れて言うことを聞かない自分の両腕が…仰向けにされた、頭上で

男の腕に抑えられているのに気づいて… 初めて感じる恐怖に、体がこわばる。

もがいたヒョウの目に…

玄関のタタキで、同じように腕を抑えられているワオちゃんが…

スカートを剥ぎ取られたワオちゃんの白い足がバタバタ暴れて、その間に…

「うは、まんこつるつるじゃんコイツ。たまんねえな、おい。処女? なあオイ」

黒い装備のズボンを、ヒザまで下ろして汚い尻を見せていた男がワオちゃんの

体にのしかかって、もどかしそうにヘルメットを脱ぎ捨てていた。

…や、やめ…!! 叫ぼうと、吠えようとしたが…声の出ない、ヒョウ。

彼女は、ハッと…自分にも男たちの手が伸びているのに、気づく。





64―10

ビイィイッ、っと、ヒョウのブラウスが男の手で引き裂かれ、ヒマワリ色の

ブラジャー、それが包んでいる、真っ白い、丸く張り詰めた乳房が晒される。

「…!! あ、ああ…や、やめ…! やだ、ああ…」

ヒョウは、ようやく。男たちが何をしようとしているのか――

ワオちゃんが、そして自分が。ヒトのオスたちに何をされるのかを…悟って。

…嫌だ!! 全身の力で暴れようとした、が…体が痺れて、動けなかった。

そのヒョウに、ヘルメットを脱いだ男たちの顔が…上下から、笑いながら迫り、

「俺はこっちの猫がいいな。…すっげ、美人。乳でけえし…マジでいいのか?」

「殺さなきゃ何だっていいさ。このヒョウだけパークに連れていけば――」

恐怖と、気を失いそうな恥辱と…無力感と、怒りと。

ヒョウは、悪い夢の中のように動かない体でもがく、が。

その体から、引きちぎるようにしてブラがもぎ取られ…まだ、恋人にも見せた

ことのない、柔らかで芯のある巨乳が男たちの欲望の前でむき出しにされる。

「…すっげ、AVでもこんないい乳見たことねえ」

興奮しきった男の声といっしょに、ヒョウのはいていたジーンズも脱がされる。





64―12

「…や、やだ…! いや、ああ…や、やめ……」

力ない悲鳴しか吐けないヒョウは、自分の足が、下半身が…ブラとおそろいの

ショーツが、ジーンズごと引きずり降ろされてしまったのを感じて…そして。

「…あ、あー…! あんたなんか絶対いやああ…! ……ぐ、ぐプ、ゥウ…」

悲鳴を、涙をまき散らしていたワオちゃんがまた殴られ、その口に引き裂いた

スカートの切れ端をねじ込まれてしまったのを見て…

…ヒョウは。暴れることも、逃げることも出来ない彼女は――

ギュッと固く目を閉じて。その目の端から、ぽろぽろ恥辱の涙をこぼして…

(…いやだ、こんなの…嫌や… 本間くん…! たすけて、助け……)

…男の手が、あざ笑いながら。恋人の本間くんが、触れたことも見たこともない、

ヒョウの下腹、ウズラがうずくまったような陰毛をざわざわ撫で、指で…犯す。

「へ、へへ…! 俺、装安入ってよかったあ」

…ヒョウは、自分に馬乗りになった男がベルトを緩め、ズボンを下ろそうとして

いるのを、薄目で見てしまい…また、ギュッと目を閉じる。

(…本間くん…! 本間くん、ごめん…ね… ごめん、ごめんね……)





64―13

…恋人と、ヒトの少年、恋人の本間少年と――本当なら…

処女と童貞どうし、初めてお互いの体を相手に捧げて…愛し合う、はずだったのに。

それを妄想して、幾夜も、酒飲して自分の指で…していたのに。

…ヒョウは、自分の脚が無理やり押し広げられ、そこに息の荒い、臭い男の体が。

そのヒョウの胸、乳房に…男の手が、噛み付くうような男の口がむしゃぶりついた、

そのおぞましさに…ヒョウは、おもわず、

「…ッ、ぅう…! い、いややあああーーー……ッ」

真っ黒い色の悲鳴を、無力な声を…オスを喜ばせるだけの声で、叫んでしまった。

――その、声に。

「……。――…ウン… …ライク…セイ… …電……」

もぞり、と。陵辱の悲惨が行われる下宿の玄関、その片隅で黒い“なにか”が動く。

それは…最初にスタンガンで昏倒させられた、弱小フレンズ、さらにはその

子供体型のせいで、男たちの獣欲から完全に無視されていた…ハクビシンだった。

…その白い服は、くすんだように黒ずみ…体と同じくらいあるフレンズしっぽは、

音もなく、フワフワの毛が濡れたようにしぼんで…いっていた。





64―14

「…いや、いやや…! やだ、や…」

装安の男たちの背後で――ヒョウの足の間で、男根をしごきながらまだ処女の

肉襞を見てニヤついている男の背後で… ハクビシンの、仮面のような顔が動く。

…その目には…黒目も、白目もなく。…眼球をえぐられたような、漆黒だけが…

…ハクビシンの体に、ビリビリっと。スタンガンの放電がまだ残っているかのような

小さな蛇のような電流の閃光が、幾筋も走る。

「…ラ… ラバ…ワク…… ワク…ラバ… ――ゴウリ…超…… …たぬぽん…」

ゆらり、ハクビシンの体が。小柄な体にまとう放電の蛇に支えられるようにして、立つ。

…やっと。ヒョウの腕を抑えている男が、それに気づいた。

「ん? おい、クソッタレ。あのタヌキみたいなやつ、動くぞ。逃がすなよ、おい」

その声に、涙を流して嫌がるワオキツネザルの顔を舐めながら、その恥部に握った

男根をねじ当てようとしていた男が。忌々しそうに身を起こした。

「…くそ、ジャマしやがって! 誰も犯らねえんならぶっ殺――」

その男が、男根を握っていた手でスタンガンを握って。体を捻じ曲げ、幽霊のように

立っているハクビシンを撃った…とき、だった。





64―15

ピシッ!と。小さな落雷、放電の音が。スタンガンの着弾よりも早く、空気を揺らし。

…!? 狙っていたアニマルが、消えた?? と、装安の男が驚愕したときには。

 ゴキン、と。スタンガンを無駄撃ちした男の首が、鈍い骨折の音を立てた。

「……ゥ……」 その男の顔が、キレイに背中側を向き。そして体ごとぶっ倒れる。

…最初、装安の男たちは何が起こったかわからなかった。

「…!? あ、ああ!! し、死んでる…!」「ち、畜生!! いったい――」

残った男たちは、あわてて陵辱の宴から。

もう少しで、その純血と処女を奪えるところだったヒョウとワオキツネザルから離れる。

…!! あ、あそこだ!! ――男の一人が、玄関の天井を銃口で狙う。

「――……たぬぽん……」

そこには、黒い瘴気がわだかまったような影が。天井の梁にへばりついたハクビシンの

体と、真っ黒い穴のような両目が…あった。

装安の男たちが引き金を引くより、早く…その黒い影は、梁を蹴るようにして飛び、

「…ブッ、ぐ」 一人の男が、首をひねられて、体ごとくるくる回って…即死する。

残った男たちが絶叫し、銃口で畜生と叫ぶ相手を狙う…が。…無駄、だった。





64―16

黒い影は、地面を走って。ヒョウを犯そうとしていた男、そのズボンを下ろしたままの

股ぐらのあいだを駈けて…その男の睾丸を、袋ごともぎ取っていた。

「ぎ…!! ぎ、ぎゃああああ」

男が、絶叫を迸らせながらぶっ倒れ、股間を抑えてのたうつ。

残った二人は、悲鳴を上げて逃げかけたところを…

背後から、後頭部が背中につくように…アジやサバの魚をシメたように、首を折られ…

「…ヒッ、ひいいい! た、たす…お、俺は何もして―― ヒッ、ひああああ」

這いずって逃げようとした男は、そのまま玄関の暗がりに引きずられて…そして。

…ミチミチっと。ひどく、嫌な肉質の音が数回、絶叫とともに響いて。

――惨劇の下宿は。…不気味な沈黙に包まれた。

「――…たぬぽん… どこ……」

ビリビリ、パシッと。放電をまとったハクビシンの影が、黒く揺れ……その目が、動いた。


「……。……ヒョウ、しっかり…しっかりして…!」

ヒョウは、ブルブル震える体を抱き起こされて…うつろな目で、首を振る。





64―15

「しっかりして、ヒョウ…!! ここから逃げないと…!! ねえ、ヒョウ!」

数度、小さな手がヒョウの顔をペシペシ叩いて。そしてようやく。

「……。…あ、ああ… う、うち… ぅ、うう… ハク、ちゃん…?」

ヒョウは、自分を抱き起こしたのがハクビシンだと気づいて…そして。

「……!! な、なんや…これ… ゥ、うう… うげ、えええ」

猛烈な血の臭い、そして断末魔の脱糞の悪臭。その臭いに、思わず吐いてしまった

ヒョウは…数秒後、ギクッとして自分で身を起こす。

「…ワオちゃん!! ワオちゃん…!! だ、大丈夫……」

「……ぅ、ぅえ…えっ、ええ… ぅ、う、嫌だ…いや、いやあ……」

仰向けに倒されたまま、手で顔を隠して泣いているワオキツネザル。

ヒョウは、ほとんど全裸にされてしまった自分の体にも構わず、後輩のワオちゃんに

駆け寄り、その体を抱き起こす。

「…大丈夫、もう大丈夫や……」「…ひっ…ひ、いい…うう、先輩……」

ヒョウは、まだ自分が犯されていると思って暴れるワオちゃんを抱きしめ、そして。

「……。は、ハクちゃん… こ、これ、いったい――」





64―16

ヒョウの言葉に、まだ両の目の輝きが黒く潰れてしまっているハクビシンは。

「…わ、わから…ない… で、でも、たぶん…私が、これを…これ…」

彼女は、血にまみれていた自分の手を見つめながら…首を振り。

「…に、逃げなきゃ…! ヒョウ、逃げないと…こいつらの仲間が、来ちゃうよ」

「…う、うう… で、でも、死体が…こ、殺さなくっても… うう…」

(…!! こいつら、うちとワオちゃんを…!! でも…どうすれば、いいねん…)

だが。まだ頭の中が恐怖と恥辱で塗りつぶされ…体がしびれて言うことを聞かない

ヒョウでも、ハクビシンの言っていることが正解なのは…わかっていた。

「…と、とにかく…逃げな… ああ、でもヒトが死んどる…うちら、うちら…」

ハクビシンが、そのヒョウ、そしてワオキツネザルの手を引いて。

「部屋から服を…! 逃げよう…! …それに私は、たぬぽんを探さないと…!」

同居人を、フレンズ友を奪われたハクビシンの叫びが。血の臭いの夕闇を…走った。


あの子たちが どこへ行ったか あなたわかる? そう、きっと…

「セルリアン大壊嘯」がヒトもフレンズもない完全な平等を創るまで――あと246日……






65―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…もしもし。こんばんは、はじめましてー。…うち、シゲミ、っていうねん」


東京の片隅、無職や日雇いの仕事などでつつましくも楽しく暮らすフレンズたちが

住んでいた「フレンズ下宿」は、政府の執行に、装備保安部と名乗る部隊により

住人フレンズの大半が、強制連行されてしまっていた。

…その同じ悪意の罠に落ち、ヒトの雄たちの獣欲で犯されかけていたヒョウ、

そして後輩のワオキツネザル、ハクビシンだったが…

野生解放とは違う、何か別要因の力を発揮したハクビシンのおかげで、その危機を

脱したヒョウたちだったが…

彼女たちは、変わらずヒトの悪意が充満した社会の中、大都会の中に囚われている

のと同じ、だった。しかも…ハクビシンが仲間たちを助けるとき、その力で――

彼女たちを捕らえ犯そうとしていた装安の男たち5人を皆殺しにした、そのせいで…





65-2

彼女たちは、装安だけではなく警察からも追われる身となってしまって…いた。

――だが、彼女たちにとって幸運だったのは。

そして、ヒト、東京の住人にとって災厄だったのは。

ヒョウたちがフレンズ下宿を逃げ出した次の日の夜、再び東京に超巨大セルリアン

“ドロタボウ”“カシャ”が出現、その怪物は週末の東京を恐怖の只中に落とした。

2度めのその出現は、上野駅の東口にドロタボウ、首都高環状線の葛西JCTに

カシャが出現。週末の雑踏、渋滞に怪物は襲いかかって…

…この夜は、死者500名以上、負傷者は二千人をこえ、一週間が経とうとしている

のに正確な死者と行方不明者の数が判明していないほどの大惨劇と…なった。

――しかも。この夜は、1回目の超巨大セルリアンのときに出動し、ほぼ自殺に

等しい攻撃でセルリアンを撃退し、食い止めていたハンターたちが…居なかった。

通称、警備二課。警視庁のセルリアンハンターチームのフレンズとマスターたちは

この夜、出動だにせず…自衛隊の到着も遅れ、対策はほとんど…なされなかった。

最後は、市井のフレンズたちが駆けつけて、やはり多大な出血を強いられながら

セルリアンを撃退…否。




特殊

65-3

朝になって、セルリアンが消えるまでその怪物を食い止めて…いた。

第二次超巨大セルリアン災害――

膨大な犠牲者を出した都民、人々の怒りは、何の対策もできなかった政府と、

ハンターである警備二課、警視庁に向けられ…マスコミ、ネットでは、これは

人災だとする、警察のハンターを糾弾する声が日に日に大きくなっていた。

昨年のセルリアン災害“アメフラシ”事件のさいに、解体をまぬがれた警備二課は

槍玉に挙げられ、隊員たちと責任者の告訴すら行われる流れだった。

――そんな、マスコミとネットの論調の中で。

じわじわと、だが意図的に。第二次災害のその夜、人々を守って避難誘導し、

最新の装備で超巨大セルリアンに立ち向かっていたという、謎の部隊のウワサが。

“装備保安部”と呼ばれる、全身黒尽くめの、ヒトだけで編成された部隊の活躍、

そのうわさ、その画像がテレビ、ネットに流れるようになっていっていた。

失墜した警備二課の代わりに、装備保安部の名は次第に有名になり――

総務省はついに、その部隊の存在を記者会見で公表。

装備保安部、その名は一気に、人々の救世主として。いわゆるトレンド入りした。




応接

65-4

そして…。その騒動が、惨劇があったからこそ――

ヒョウたち、ワオキツネザルとハクビシンも、ヒトの追及をかわしてそれぞれ、

離れ離れになりながらも…なんとか、身を潜めることに成功して…いた。


「…とつぜん、お邪魔しちゃってすみません。アリツカゲラさん」

東京、港区にある商業ビル。“楠木不動産興行”のビル、その最上階にある

特殊なお客人用の応接室で――フレンズたちが、初対面の挨拶をする。

「いえ。クロヒョウさん。あなたとお会いするのは初めてですけれど――

 おうわさは、かねがね。ヒョウさんの妹さんで、あの有名な…クロちゃんさん」

「クロヒョウです。…有名というのもお恥ずかしい、木っ端の実況屋ですねん」

片方は、このどヤクザもとい不動産屋のフロント企業もとい子会社である、

“アリツカ創建”のオーナーフレンズ、スーツ姿のアリツカゲラ。

その彼女と名刺を交換し、深々とお辞儀をした来訪者は…

黒いワンピースに、鮮やかなピンクの縁取りが入ったエプロンコーデ、

その下から生足と純白のソックス、黒パンプス。目深にかぶったボンネット帽子。




くろ

65-5

無実の童貞すらも容赦なく殺す服装、そして憂いを帯びた正統派美少女の瞳。

ヒョウの妹、クロヒョウは――アリツカゲラの準備した、その場所で。

「…その。ワオキツネザル、さん。…いきなり、不躾で…すんまへん」

クロヒョウは… 応接のソファで小さくうずくまっていた、病院着のような

ガウンを羽織っったフレンズに…ワオキツネザルに、お辞儀をする。

「…………」

目がうつろで、だが今にも泣き出しそうなワオキツネザルは…ワオちゃんは。

まだ顔に、青あざを隠す絆創膏が貼られていて。…クロヒョウの目も、曇った。

そうっと進み、やさしい手をワオちゃんの肩に置き、髪を撫でたアリツさんが、

「クロヒョウさん。本日の御用は――こちらの、ワオキツネザルさんに…

 彼女に、姉のヒョウさんがどこに行ったかをお聞きするとのことでしたが…

 この子、ワオちゃん。…あのとき、ひどい目にあって――

 …わかってもらえますか。その時のことを話せる状態では、ないんです…」

「……。わかってます、ただうちは…おねいちゃんが、無事かどうか、を」

クロヒョウの、飴細工のような白く小さい手指が、ぎゅっと握られた。




ありつ

65-6

「クロヒョウさん。…私が、この子を――ワオちゃんを保護したときなんですが」

アリツカゲラは、お茶を出す機会を逸したまま…語りだす。

「もう、そのときにはヒョウさんは、居ませんでした。ここに駆け込んできたのは、

 このワオちゃんと、あとハクビシンさんだけでした」

「…? おねいちゃんは…じゃあ、いったい。…ひとりだけ、別のところに?」

「ワオちゃんの手当をしているときに、ハクビシンさんから聞いたのですが。

 …ここに、私どもの事務所に逃げろと言ってくれたのは、ヒョウさんのようです。

 ハクビシンさんに、後輩のワオちゃんのことを頼んで…そうして。

 ヒョウさんは、ヒトが狙っているのは自分だから、と。

 自分がいるとみんなに 迷惑がかかるから、と言って…

 ひとりで、どこかに行ってしまったそうです」

「……。おねいちゃん……。…あの、おねいちゃんの携帯、繋がらないのは…」

「はい、ワオちゃんの持っていたスマフォですけど。たぶんスタンガンでやられた

 ときの電流で焼けてしまっていました。おそらく、ヒョウさんの携帯も…」

「…そう、ですか。…なんでおねいちゃん、うちに電話もくれへんの…」




ありつ

65-7

「それはたぶん――あなたに迷惑をかけたくない、から…じゃないでしょうか」

アリツさんの言葉に、クロヒョウは。一瞬だけイラだったような目になって

しまうが…すぐに、それをアリツさんに謝ったクロヒョウは。

「…そう、でしたか。おねいちゃん、うちにも連絡くれへんし、うちが渡して

 おいた下北沢のお部屋にも入っていないみたいで… どうしてるんやろ…」

「…ご心配も、わかります。きっとヒョウさん、銀行口座も住民サービスも全部、

 凍結されて…持っている現金もそんなに無いでしょうし。

 お知り合いのフレンズに迷惑をかけるような子でもないし…いったい、どこへ…」

「…すんません、アリツさん。フレンズ下宿にいた、他のみんなは……」

「…それに関しては…ごめんなさい、私のミスです。私が甘かった…

 まさか相手に先手を打たれるとは。…法的処置に気を取られ過ぎた私のミスです。

 しょせん、この世界はヒトの暴力による統治がなされた世界でしたわ…

 ――すみません。下宿のみんなは… パーク研究所のトレーラーでどこかに

 連れて行かれてしまった、ということしか…」

アリツカゲラは、口惜しそうに…頭を下げる。





かこ

65-8

「そうでしたか… すみません、うちも嫌なことばっかり聞いてしもて」

同じく、頭を下げたクロヒョウに。アリツカゲラはデスクにあった新聞を取り、

「あなたならもうご存知でしょうけれど。…あまり、良くない風向きですわ。

 先週末の第二次超巨大セルリアン惨禍、あれ以降…

 警備二課のハンター、警察、自衛隊だけではなく――私たち在留フレンズにまで

 非難の矛先が向けられています。…去年の今ごろだったかしら。

 セルリアンと私たちフレンズは同じものだって、セルリアンは私たちの仲間だと…

 フレンズがいるから、セルリアンが出現してヒトを襲うっていう流言飛語…」

「はい、ありましたね。あのときは風当たりが強かったけど…

 カコ博士が、まだお体も本調子じゃなくってお忙しいのに…うちたちフレンズを

 弁護してくれて、研究結果でそれを証明してくれて、ラジオまでしてくれて」

「…そうでしたね。あのときはカコ博士が、味方についてくれましたけど――」

クロヒョウは、新聞の紙面にこれ以下はないというくらい冷たい目を向け、

「…カコ博士も、行方不明。…今のパーク研究所は、うちらの…敵ですわ」




くろ

65-9

「…まさか、こんなことになるなんて――

 クロヒョウさん、あなたも気をつけてくださいね。今の、この世間の論調だと…

 フレンズ好きから多大な支持を集めている、発言力もあるあなたはきっと、

 ヒトの中の敵から目をつけられている… もし、あなたさえ良ければ。

 ワオさんのように、あなたもうちの事務所でお守りすることも…」

その、心配そうなアリツカゲラの言葉、顔に。クロヒョウはほほ笑んで首を振る。

「ありがと、アリツさん。でも…うちなら、平気ですわ。…ありがと」

お辞儀したクロヒョウは、ちらと、無言でうずくまるワオちゃんを見、

「…その、ハクビシンさんも…どこかに、行ってしもうたんですか」

そのクロヒョウに、アリツカゲラが腕組みしてため息ついた、ときだった。

「――……。…おね、がい… みんなを、みんなも… たすけて、あげて…」

うずくまり、輝きの消えた瞳で…だが、ワオキツネザルが言った。

「…先輩も、ハクちゃんも…私を助けようと、してくれ…て… …っ…!

 …先輩には、彼氏…素敵な彼氏、いるのに… あんな、あんな……!」

「いいの、ワオちゃん。もう大丈夫、大丈夫だから――」




わお

65-10

アリツカゲラが身をかがめ、ワオちゃんの肩を抱く…が。ワオちゃんは、

「…ハクちゃん、悪くない…!! あの子、私と先輩を助けてくれて――

 でも、自分はもうヒトを殺しちゃったから…

 自分は、もうフレンズじゃない、バケモノになっちゃった、っていって…!」

「……。ヒトを、殺し―― …で、でも。バケモノ、って…」

「…ハクちゃん、どこかいっちゃった…! おねがい、あの子も探してあげて…!

 …あの子、ハクちゃん。…ヒトをもっと殺してでも、たぬぽんを、友だちの

 タヌキを探して助けるって、下宿のみんなを助けるって…行っちゃって。

 …たすけてあげて…! 先輩も、ハクちゃんも、みんな… …っ…ぁ、ああ……」

堰を切ったように、まくしたてて。何も映していない目からボロボロ涙を流し

ながら言ったワオちゃんは――何か思い出してしまったように、声の出ない

鳴き声でうつむき、小刻みに肩を震わせ…アリツさんが、そっとそれを抱く。

「…ごめんなさいね、クロヒョウさん。あまりお役に立てなくって」

「いえ。こちらこそ、すんまへん。…でも、することがひとつ、増えましたねん」

クロヒョウは、お辞儀し…




しろ

65-11

人形じみたその美貌、その琥珀色の瞳に何かの光を浮かべて、揺らした彼女は。

「…おねいちゃんを助けてくれた、ハクビシンさんも。うち、探します。

 ――ハクビシンさんより先に、下宿のみんなも見つけて、助けへんと…

 ハクビシンさん、またヒトを殺めたりしたら…今度こそ…」

 ――本物のバケモノになってしまいますやんか。フレンズでなくなってまう。

何かにい聞かせるように言って、クロヒョウは目を細めた。

その言葉に、すすり泣くワオちゃんを抱いていたアリツカゲラもうなずいた。

「…じゃあ。うち、これで失礼します。…今日はごめんなさい」

「いえ。お姉さんヒョウさんのこと、下宿のみんなのことで何かわかったら、

 すぐにクロヒョウさんにもお知らせしますね。あと…

 あなたも、危なくなったらここに避難してくださっていいんですよ?

 ここには――普通の執行令状程度じゃ、官憲は踏み込めませんからね」

「ありがとう、アリツカゲラさん。…その、お礼が遅れました…」

クロヒョウは…童貞絶対殺すガールの風貌に戻り、おずおず、お辞儀をした。

「…いつも。おねいちゃんたちのお部屋とお風呂、ありがとうございました…」




くろ

65-12

――その日の、夜。時刻は23時、深夜。夜11時のその時間は…

『…こんばんは。テレホマンも起き出すこの時間、いつものチャンネルに来て

 くれて、みんな、おおきにー。今日もやります、クロちゃんの生放送~』

東京、世田谷区にある高級マンション群。その一角にあるマンション、

「マンション伊東」の一室では…そこに住まうフレンズ、クロヒョウの

インターネットラジオの定時生放送がオンエアされて、いた。

『えー、第521回、クロちゃんの… おまいもフレンズにしてやろうか!?

 のお時間ですねん。…えーと、9時から見ていた一般のお客さんはすんまへん。

 ここからは有料放送枠になりますねん、また明日~』

とは言いつつ。閲覧の人数自体にほとんど変動は、無い。

大手実況サイトの有名人、フレンズコスプレ大好き少女、という設定のクロちゃん。

彼女の固定ファンは、その大半が重課金者の精鋭であった。

『みんなー、いつもありがとーですねん。…ええとね、始める前に…ごめんねえ』

…クロヒョウがカメラに、ぺこん、頭を下げると。

《うおおおお》《クロちゃんさん!!》《今!クロちゃんさんのツムジ見えた!》




AA

65-13

《今のペコンは、俺のプロポーズへの返事だ!よし死のう!》《逝ってよし》

《オマエモナー》《ここは加齢臭が酷いインターネットでつね》《壺に帰れ》

…どっばあああ、と。視聴者たちのコメントが洪水となって流れる。

『はい、はいはい。みんな、もちちゅけー。…ええとねえ。

 今日は、ゲームとかアニメの実況じゃないんですわ。今日はちょっと重め…

 えっと。いま、登録してくれてるヒトに、臨時のメルマガ、送りましてん。

 …見られる? そう…うん。あのね…ミナ=サンに、お願いがありますん…』

再び、どっばあああとコメント。

《見た!》《携帯ハングった氏ね》《先週のアレで基地局だいぶ逝ったしなあ》

《みたよークロちゃんさん!えっ!?これって》《まさか、あの伝説の》

《姉者!?姉者が行方不明ってマジっすか》《えーーー姉者ぁあああ》

『…そうなんや。別番組、レトロアングラゲーム発掘実況の“流石姉妹”。

 あれでうち、妹者と番組盛り上げてくれた、うちのおねいちゃん…

 姉者がね…先週の事件以降、音信不通…で… ぅう、ごめんね、みんな…』

クロヒョウは、カメラから目を背けた涙顔を、きゃしゃな手で…




ひょう

65-14

《……》《――……》《クロちゃんさん、泣かないで》《マジか、まじなのか》

《こんなときどういう顔していいかわからないの》《おまえもか》《わかる》

 ――泣かないで、クロちゃんさん。

それが、インターネットで繋がった視聴者たちの、たったひとつの願いとなった。

『…ごめんね、ありがと…ありがとうね…みんな。だいすきだよ…』

今度は、無制限でコメントが爆発。

回線の細い視聴者は叩き出され、怨嗟の声をあげながら再接続する中。

『…もし、姉者を…おねいちゃんを見かけた、何か知っている人がいたら、

 この放送のコメントでもいいし、直メでもツイッターの方でも何でもええねん、

 うちに知らせて、おねがい… おねいちゃんを探したいの、たすけたいの…』

カメラの前で、クロヒョウが。水晶がこぼれた用になっていた目元を指でぬぐい、

無理に作ったような笑みを…浮かべた。しおれていたけも耳が、ぴんと立つ。

…カメラの向こう、ネットの向こうの視聴者たちは…わかっていた。

…彼女、クロちゃんさんがコスプレなどではなく、本物のフレンズだと。





AA

65-15

そして――彼女が浮かべた涙は、まごうことなき宝石、本物であると。

百戦錬磨のネット世代の彼ら、視聴者。

たとえ、その涙がまがい物であろうと…クロちゃんさんの流した涙なら、それは

本物よりも遥かに尊いのだと。彼らは共有化されたかのように、心に誓う。

しかも。ほかの生放送主や実況者と違い…

クロちゃんさんが、視聴者に何かをお願いするなど――これが初めてのことだった。

《まかせろー!仕事サボって姉者を探すぜ》《死ぬなよ》《俺も仕事やめりゅ》

《逝くのか》《仕事など何度クビになったかしれないよ》《このアホども俺もだ》

『…みんな、ほんとにありがとー! うち、めっちゃ勇気づけられたねん…

 …先週の事件でたくさんのヒトが亡くなって、行方不明で…

 …それなのに、うちだけこんなお願いしちゃって。…ほんと、ごめんねえ…』

『えっと。じゃあ、ちょっと気分を変えて。いつもの始めまーす』

再び、コメントが爆発。クロヒョウは、表示画面を操作し…

ティーン向け女性誌、アミメキリンの務める編集部、そこでロスチャイルドキリンが

編集している雑誌の新着コーデのページをみんなに見せる。




くろ

65-16

『今月号も気合入ってますやんか。…じゃあ、みんな投票スイッチ、おk?

 ブーツのほうから行くよー。クロちゃんの自腹着せ替えごっこー』

クロちゃんさんの、大人気コーナー。最新コーデの中から、これ!!と思うものを

視聴者がクリック。その結果、トップのものをクロちゃんさんが自腹買いして

(ギフトにせず自腹なのが流石妹者である)翌週、その姿を番組で披露する…

という人気コーナーを始めたとき…だった。

 ピロリン 放送主のクロちゃんさんにしかわからないサインが、画面に灯った。

「…………」 クロヒョウは、番組を続けながら――

めずらしい。放送主への、直コメが飛んできていた。

よく訓練されたクロちゃんさんの視聴者たちは、滅多なことでは直コメなどは

送らない。たまに送る猛者がいたとしても、その恋は丁重にオコトワリされる。

…だが。その直コメは…昔からの、コテハンレベルの古株視聴者からだった。

【失礼します。突然すみませんクロちゃんさん。先程の、姉者さんのお話し…

 自分、もしかしたら。…手がかりがあるかもです。まさかこのタイミングとは】

…クロヒョウのにこやかな目の奥で、肉食獣の色が揺れた。




高収入

65-17

クロヒョウは、中古市場で掘ってきたレトロゲームで雑談などしながら。

「…MS-06さん、こんにちは。おねいちゃんのことで、なにかあったんでしょうか」

直コメに返信すると…すぐに、

【はい。…恥ずかしながら、自分、いわゆるネット風俗の…フレンズの子とお話し

 出来るチャット、みたいなお店をよく使っていまして。まあ、本物なんていない

 のはわかりきってるんですが、ああ、すみません】

【…昨日ですが。そこにつないで音声チャットしたら、店の新人の女の子で――

 健全枠のシゲミ、っていう子がついたんです。それが…その声が自分には…】

「…!! まさか、おねいちゃんが……!? えっと、それお店は」

【新宿三丁目の、ええ。…はい、その声、どうしても自分には、これ姉者じゃね?

 としか思えなくって。いえ、音声チャットではそのことは突っ込まずに…

 シゲミさんがフレンズ、っていう設定でいろいろ健全なおしゃべりして】

【…本当は禁止なんですが。そのシゲミさんとの音声チャットを、自分、

 録音して、そうして―― ああ、データ見てもらったほうが早いですね】

MS-06は直コメの添付で…何かの音声データと…




刺すぞ

65-18

何かの音声加工ソフトの画面を、クロヒョウに送ってきていた。

…その音声データを再生したクロヒョウのヘッドホン。そのの奥から…

 ……うち、フレンズいちかわいそうな少女やねん。…え、うち?

 ……うん、うちはねえ。タイリク…いや、普通のアミメキリン、やねん。

「……!! おねいちゃん…!! …なに、やってんの… …ああ、そうか…」

思わず、クロヒョウの口から言葉が漏れて。そして、歓喜の涙もひとしずく。

【さっきの画像は、シゲミさんと姉者の音声パターンです。…ね?同じです。

 そのお店、けっこうザルっていうか。雇う女の子に細かいこと言わないんで、

 家出の子とかが小遣い稼ぎにいたりするんです。ネカフェ代わりに夜明かし

 したりもして。…もしかしたら姉者も…そうしていたのかも、って】

「…そうや…! きっと、おねいちゃん…誰にも頼らんようにして、ひとりで…」

【あと、残念な話ですが。今日、その店につないでみたらシゲミさんは、もう…】

「…ありがとう、ありがとう…! みんな、ありがとう…!!」

カメラに映らないようにして…クロヒョウが涙で潤んだ瞳をそっと、閉じた…

――ヒョウは…生きていた。





65-19

――その日。同時刻。…東京の片隅にある下町、住宅街のはずれにいある、そこ。

一週間前までは、フレンズ下宿と呼ばれていたその…閉鎖された古アパートに。

「……!! あ、ああ… ヒョウさん……」

夜の闇にまぎれながら…そのヒトの少年は。本間新ニ少年は。

昼間は、警戒線が貼られ警官とパトカーが取り囲み、路地にブルーシートが

貼られて、中が見えないようにされていた「みどり荘第四」。フレンズ下宿。

黄色いテープが張り巡らされた外壁、中庭の奥は…建物は闇に包まれ…

本間少年が初めて見る、彼の愛しい恋人フレンズ、ヒョウが住んでいたはずの建物。

…今は何かの腐臭が漂う、気味悪いほどに真っ暗なその前で…少年は立ち尽くす。

…ヒョウとは、先週から電話も通じなかった。なんの連絡もなかった。

無垢な少年にも…この光景は、恋人に何があったかを…残酷に教える。…だが。

 ――ヒョウさん …彼の目には、つがいを奪われたオスの決意が燃えていた。


壊れた世界でさまよって私は 引き寄せられるように…たどり着く。ここは…

「セルリアン大壊嘯」が真実も茶番もすべて埋葬してしまうまで――あとあと239日……





66―1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今…

かつてない危機に陥って、そして――いまだ、それから逃れ続けて…いた。

「…うちは今、フレンズいち…大好きな彼氏に会いたい、でも会えない女やねん」


大都会、東京の片隅で…つつましくも楽しく暮らすフレンズたちが住んでいた

「フレンズ下宿」。そのささやかな楽園は、だが。突然に…終わりを告げた。

政府の執行で、装備保安部と名乗る部隊による“捜査”で、住人フレンズの大半が

いずこかへと強制連行されてしまって…いた。

そのヒトの悪意の爪から、かろうじて逃れることが出来たフレンズ下宿の住人、

ヒョウ、ワオキツネザル、そしてハクビシンは…いまだ、危機のただ中に…いた。

世話人のフレンズ、アリツカゲラに保護されたワオキツネザルにも、入管と

装備保安部の捜査、強制連行の手が伸び始めていた。

…そして。都会の闇に身を潜めたヒョウ。ヒト殺しで自らの手を汚して友だちを

救ったハクビシンも、その行方は誰にも、わからなくなっていた。

…それ以外の、在留フレンズにも次第に危機が迫る――そんな世界の、どこかで。




くらぶ

66-2

――東京都港区。六本木ヒルズ、森ビルを望む日比谷線沿いの歓楽街にあるビル。

その最上階のクラブ「マハラーニー」。いわゆる六本木の“クラブ”である

その店内は、深夜0時を回っても客足が全く絶えず…

店内に流行の音楽、若い酔客たちの歓声が入り交じるその高級クラブの一角、

いわゆるVIP席のボックス、そのひとつで。

「……」「…すんませんでした…!」「……。クソが」

上着を脱がされた、シャツだけになった男たち。全員が同じように髪を短く

刈った、その若い男たちは10人ほど。それが、ボックス席前のフロアと通路に

全員が正座させられ、全員が土下座のように頭を下げ…

その大半の男は、顔に殴られたアザが、中にはまだ鼻血を流している男もいた。

その男たちが頭を下げるその先で。ボックス席のソファにだらしなく座った

これも若い男が――イラだたしそうに、テキーラのボトルをテーブルに叩きつける。

「…どうなってんだよ、おい。てめえら、やる気あんのか? ああ」

強い酒で耳まで真っ赤になったその男が。総務省の装備保安部、機動部隊の隊長、

鮫島勝生がまたテキーラをあおって。正座させた装安の部下たちに吐き捨てる。




えび

66-3

「俺の足、引っ張ってんじゃねえぞ、このカスどもが。ったく、使えねえ」

鮫島は、殴った部下たちの血がまだ粘っているガラスの灰皿にほとんど吸って

ないメンソールの煙草をねじ当てて、

「新木場の警察署じゃ、巡査一匹とそいつのアニマルをあっさり逃がしゃがって。

 おまけに、例の下宿を抑えにいった…てめえ、オイ。聞いてんのか」

ぶん投げられたガラスの灰皿が、土下座のように頭を下げていた男たちの前に

叩きつけられて転がる。…正座した男たちは、顔をうつむかせたままだった。

「パークの連中の手前で恥かかせやがって。三匹もアニマル逃しちまって、

 おまけにそいつらの足取りもつかめてねえ。それで給料もらってよ、オイ。

 いいご身分だなあ、てめえら。…てめえらも、死んで恩給もらっとくか?」

「……。で、でも、鮫島さん。…俺たち、あんなの聞いてねえっす」

一人の隊員が、わずかに顔を上げ。顔には恐怖を浮かべているが、その目の

奥には…親の七光りで、装安機動部隊のトップでふんぞり返っている鮫島への

嘲罵が、油汚れのようにギラついていた。

「…フレンズ、いや、アニマルは人間に攻撃できない、んじゃあ…?」




くらぶ

66-4

「…そ、そうです…よ。あのアパート、みどり荘に残った田代たちは…あいつら、

 皆殺しにされちまってた! 新木場の警察署でも2人、潰されて、他にも…」

「隊長、アニマルのやつらは女の形したバケモノだ…! 俺たちの装備じゃ…」

正座していた部下たちが、腹にわだかまっていた恐怖や、理不尽をつぎつぎ口に

すると――鮫島は、ぐらり立ち上がって。

そのうちの一人の顎を、酒でよろめく足で、だがしたたかに蹴飛ばした。

「ヘタレどもが! だったら装安やめちまえ。つか、よう。俺ンとこの舞台は

 パークの病院で、きっちり巡査どももアニマルも、全員とっ捕まえたぜ?

 なんでてめえらはそれが出来ねえ? …クソが! また“チーム”に戻るか?」

鮫島に暴行され、さんざん詰られながらも…装安の男たちは。

このご時世に、いきなり夢のような国家公務員一般職への就職と高給を手に入れた

男たちは…鮫島の“ツレ”や“ツテ”で集められたり、機動隊や自衛隊から

待遇につられてやってきた男たちは… じっと、頭を下げて耐える。

…鮫島が、いちばん安全なクリニックに自ら行っていたのは全員がわかっていたが、

それも全員が口にしない。




錠剤

66-5

そんな、クラブのすえた空気の中で。またソファに戻って…ズボンのポケットから

出したピルケースから出した、何かの“錠剤”を奥歯で噛んだ鮫島は。

「…ッ、ふうー。…まあ、な。おまえら。ダチがいきなり殺されて腹も立つわな」

急に、声が若返ったように。そして温厚になった鮫島は。

「…いきなり装安から殉職が10人も出ちまっちゃな。俺も親父から小言いわれて

 なあ、まあ…大丈夫だ、カタキはすぐにうてるから、よう。

 …今は、俺らもクソ兄貴の総務省の下っぱ、だがな――見てろよ、みてろ。

 すぐに俺も、お前らも…官僚サマ、だぜ、ハハハ! もうクソ兄貴の言いなり

 なんかにゃならねえ、こっちはなんてったってなあ…!!」

鮫島が、酒と、先ほどの“錠剤”でハイになっている声を張り上げた、そこに。

早足で、スーツ姿の若い女がVIP席に進む。

その女は、装備保安部の総務、鮫島のカキタレでもあるその女は。

「…鮫島隊長、捜査部から報告が。逃走中の、元警備二課のハンター、ええと。

 双葉巡査…の足取り、その有力情報です」

その報告に、鮫島の目がトロンとして…うなずく。




じゃがー

66-6

「よし。その巡査野郎のヤサでもみつけたか?」

「…いえ。双葉巡査の…女、です。双葉は、その女の店に通っていたようです」

オンナ、という単語に鮫島の目がニヤリと。正座していた隊員たちの顔も動く。

「その双葉の女は――フレンズ、いえアニマルです」

総務の女は、持っていたケースから書類を。フレンズの顔写真や在留戸籍データが

ならんだファイルをテーブルに置いた。

「そのアニマルは、猫科のジャガー。いま日本に在留しているジャガーはその個体

 だけです。そのジャガーは、双葉の愛人だったようで――現在も接触の可能性が」

「ふん。女にモテなくて、動物にシコシコしてもらってるクソ野郎が」

「ジャガーは、前は恵比寿駅の裏通りで小料理の屋台をやっていました。

 そのあと、代官山、目黒でも――現在も、営業中のはずです」

「…屋台か。アニマルが触ったようなモン食って、その穴使ってるマヌケ野郎だ、

 間違いなく、その屋台にノコノコやってくるぜ。ハハハ、楽させてもらうか」

鮫島は、総務の女の身体を触って…まだ正座している男たちに。

「捜査部に手柄くれてやることはねえ。おい、谷岡、西岡、おまえら」




ナナ

66-7

「その、ジャガーとかいうアニマルの屋台を“任意聴取”してこい。

 双葉とかいう巡査のことでしらばっくれたら、連行しちまえ。いいな?」

鮫島は、ジャガーの情報と写真ののったファイルに目を細め、

「…ふん。畜生耳さえなきゃ、いい美人(タマ)じゃねえの。楽しみだ…なあ?」

男たちが体育会系の返事をすると。上機嫌の鮫島の耳元に、

「…鮫島隊長。もうひとつ情報が――パーク振興会、研究所スタッフの一人…

 現在休職中の、要注意人物。北斗ナナですが…居場所が、わかりました」

「ほう。クソが、捜査部と総務はいい仕事しやがる。それで?」

「北斗は、知り合いのフレンズの居住を転々として、います。…どうやら――

 現在は、芸能プロモーターで自分もモデルのアニマル、クジャクの部屋に。

 他にも多数のフレンズと接触がある模様です」

「…ふん。それだけでも引っ張るには充分な容疑だな。…だが人間は面倒くせえ」

「はい。ですので…他の、要注意フレンズと会っている現場を抑えて。

 そこを連行するのがよろしいかと。…北斗ナナ、彼女を抑えられれば。

 アメリカに逃げた遥カコ、遥ミライ、両者の足取りもつかめますかと…」




みらい

66-8

「やっとツキがまわってきやがった。…パーク振興会の連中に先手が打てるぜ」

上機嫌の鮫島は、また先ほどの“錠剤”を口に放り込んで。

「…政府の支援でアメリカに行ったミライ博士のほうはいいとしても――

 カコ教授は外務省にも出国記録がねえ、どうやって米国に渡ったんだかなあ。

 まあ、いい。その…ナナちゃんに、ゆっくりおハナシをきかせてもらうか」

「北斗が接触しているアニマルのリストは、こちらに…」

鮫島が愛人の女の耳元に何かを言い、合図をすると。

それまでこの空間を見えないふりをしていた、彼らの取り巻きの客たちが。

若い女客たちが乾いた歓声を上げながらVIP席に戻ってきていた。

「おい、お前ら。いつまで土下座してんだ。シケてんじゃねえ、飲め」

部下たちも土下座から開放され…けたたましい音楽が鳴り響く中。

「…みてろ、クソ兄貴が。なにが総務省だ、こっちはもっと上だ…!」

鮫島の若い野望が、野心がけたたましい音楽の中でふくれあがる。

…セルリアン惨禍に怯える世界、首都東京の夜。それでも…

六本木のクラブ「マーハラーニー」の熱気は、全く陰ること無く続いた。




料亭

66-9

――同時刻、深夜。東京、赤坂。

赤坂見附駅の西、ビル街の閑静な一角にある料亭「つる姫」。その奥座敷では。

スーツ姿の数人の壮年が、和装の老人を囲んで。深夜の会食が行われていた。

「…先週のセルリアン惨禍、あれはひどかったねえ。死者が…500?」

「それぐらいでしたかな。マスコミもしばらくは前の大震災のときのようで。

 …世間では、すっかりあれは人災だという雰囲気ですな。警視庁の…」

「警備部の、飼い犬どもですなあ。アニマルをつかってセルリアンの

 対策を。警備二課でしたか。あれらには最後の仕事をしてもらいませんと」

「そうそう。民衆の、都民の非難と悪意を背負ってもらう…追儺の鬼ですな」

男たちは、いわゆる代議士。政治家と、よばれる種類のヒトだった。

男たちの前には、早採りの旬のカニ、贅を尽くした料理の皿が運ばれるが…

そのほとんどは、ろくに箸もつけられないまま下げられ、次の皿が、料理が並ぶ。

「…いま、人類は危機に…セルリアン惨禍の危機に、直面しております。

 それを、桜田門の小僧っ子とアニマル風情に任せて――連中を、民衆の英雄に

 しておくのはよろしくありませんからな。もっと…」





66-10

「そう。セルリアン対策はもっと抜本的に、早急に。警察ではなく、政府主導で

 行わなければなりません。…だが総務省だけでは、ちと荷が重い」

「…なるほど。そのお話しですな。この件…萱野総理はご存知で?」

「先日のゴルフコンペで、お話しはしましたが。まだ言質は頂いておりませんな。

 なにせ…1府12省庁に、総務省なみの規模の新省をつくるわけですから」

「そうそう。慎重に動かなくてはなりません。財務省と外務省には、賛同者が

 おりますが…法務省は反対に回りますかと。そこで、先生にお声を…」

「われわれ、萱野グループは先生あってこそ。この度もお願いいたしますよ」

箸でつついただけで、ほとんど食べられていない皿があらかた下げられ――

中居たちが奥に下がったあたりで。

「…幹事長グループは。米軍のいいなりですからな、核武装の方を先行させた

 がっているようですが…それに、セルリアン惨禍を出汁にされると、まずい」

「あの惨禍は、われわれが先に使わせてもらいませんとな。

 ただ日本の核武装も、もはや秒読み。馬路幹事長は、セルリアン対策に核を

 使う方向で調整しているそうですが… どうなんでしょうね」




光の巨人

66-11

「…中国では。例の原発にわいたセルリアンの駆除にロケット軍の核を使って、

 ご存知の有り様。毛沢東でも青くなるほどに、人口が減ってしまいましたからな」

「…日本の、西之島のセルリアン巣に米軍が戦術核を使ったときも…

 たちのわるい超大型が生まれただけでしたからなあ。あのときは、アニマルの

 滅私奉公で二度とも、事なきを得ましたが。…次はどうでしょうな」

「世論では、ウワサのレベルに留まっているハナシですな。実際には…

 セルリアンに火器、そして核兵器は逆効果だ。凶暴化、大型化させるだけ」

「だからこそ。私の、われわれの出番なのです。我々は、日本を救うのです」

「大きく出たねえ、鮫島くん。…だが、そのいきだ」

 ――与党最大派閥、総理を戴く萱野グループの中核メンバーたち。

その一人、鮫島与党議員代議士は…

「ありがとうございます。…強い日本を取り戻すのです。その牽引役が…

 新設される、いえ、復活する新省“内務省”と、われわれなのです」

「…内務省という名前は、しばらく秘しておいたほうがいいね。戦前を思い出す

 連中がヒステリーを起こす。…だが――素晴らしい」





66-12

「内務省主導で、セルリアン惨禍への対策を行い、法務省からアニマルどもの

 管轄をぶんどって。あのバケモノ女共を使って、セルリアンを駆除する――」

「“シリンダー”計画と、装備保安部だったかな。そちらの準備は?」

「順調ですよ。装備保安部はマスコミへの根回しが効いて、今じゃあネットでも

 ヒーロですわ。…まあ、ブツクサいう連中は黙らせますよ」

「内務省の復活。同時に、セルリアン対策費として消費税の5%アップと、

 災害対策税の新設をエサにすれば、財務省はもういいなりですわ」

「話が早くて助かる。セルリアンさま様だねえ」

「国家公安委員会は? 子飼いの警察にケチを付けられて根に持ってるんでは」

「それは大丈夫。外様だらけだった、例の警備二課を潰してもらって喜んでますわ。

 自衛隊も、陸幕がまだうるさいですが… そちらにもエサはまいてあります」

「…2007年に、庁から防衛省にしてやったばかりなのに。今度は…」

「そう、国防省、ですよ。GDPの枷も外してやれば…飼い犬再びですわ」

「おめでとう。鮫島内務省大臣閣下」

政治家という種類のヒトたちは、彼らの思い通りに進む世界で…ほくそ笑んだ。





69-13

――同時刻。東京、田町にある老人保養施設「ともだち苑」。その深夜の屋上で。

…夜の海から吹き付ける11月の凍風。そこにはもう、冬の冷たさと匂いが

何かの刃のように混じって、風邪の中に立つ建物を、そしてヒトを…容赦なく

吹きさらしてゆく。その風が吹きすさぶ中…

 ふわり と。風とは違う空気の動きが、柔らかく「ともだち苑」の屋上で揺れ、

その風と、風邪を巻くその主は数度、屋上の夜空を旋回したあと…

「…こんばんは。ごきげんよ~ アテンションプリーズ、着陸しま~す」

――フレンズだった。

小柄な身体。夏の夜空のような、目の覚める青色の長い髪と、髪の翼。そこに、

赤いアテンダントスーツを着た飛行フレンズが…屋上に、ゆっくり着地する。

そのフレンズに、赤い瞳でにこやかにほほ笑むリョコウバトに。

…分厚いコートを着ていた長身の男が、一人の老人がリョコウバトの前に進んだ。

「…来てくれたか。ありがとう。…実は、来てくれるか半信半疑だった」

すまない、と頭を下げた老人。元警視庁、警備二課の元トップだった矢那俊彰老人。

今は、介護なし。一人で立つその老人に…リョコウバトは。





69-14

「…うふふ。たしかに、社命ではありますけど~。私は好きで飛んできたのです。

 ああ、久々の長距離、故郷のアメリカ…ステキでしたわ~」

リョコウバトは、目のさめるような白い手袋の手指を組んで。

…星の光を映す、大きな瞳に…だが、光をすべて吸い込む暗さのあるその目で。

「…では。お仕事のお話しをいたしますね。…私ども、新世紀警備保障社は――」

リョコウバトは、肩から下げていたバックを開け、中から靴箱ほどの大きさの

箱を取り出し、矢那老人に差し出した。

「…遥ミライ博士の依頼で“これ”を。日本の指定場所に運ぶよう依頼を受け~

 空港も港も税関も通さず、政府の目に触れること無く、という依頼を全うし~

 …あっ、大事なこと。“あなた”の依頼ではありませんからね~??

 新世紀のフレンズは、警備二課とは何の関わりもございませんので」

「……わかっているよ。わざわざ、アメリカとの往復飛行…ありがとう」

「いーえ。空自のフレンズに捕捉されるかも?って、ドキドキ楽しみだったんです

 けど。日本の空はすっからかんで。シスコ上空で、ゴマバラちゃんたちと

 ちょっと遊びましたけど。余裕のぶっちぎり勝ち~」





69-15

老人に“箱”を手渡したリョコウバトは、小さく息を吐いて。

「…では。これで新世紀とあなたは、警備二課とは、何の関係もなくなります」

「…ああ。ありがとう、あとは私の戦いだ。…いや、違うな――」

矢那老人は箱を開けると。…そこには。

「…素晴らしい。赤いのが、あの子。青いのが… そうか、助け出さねば」

赤色と、青色。金属でも樹脂でもない、不思議な質感の“もの”が。いわゆる、

小ぶりなブレスレットが二つ、何かの捧げ物のように並べられていた。

「…また、あの子を巻き込んでしまうな。…だが、あの子たちを守るには…

 …俺にしてやれることは。これで、最後だ。…いや、まだもうひとつ――」

アメリカの要請で、対セルリアン対策のフレンズ戦術支援と研究に向かった

ミライ博士。その博士は、矢那老人の注文を…予定通り、完璧に仕上げていた。

そのブレスレットの内径は。コツメカワウソ、オオカワウソの手首のそれ、だった。


ほんとに大事なものはなんだろう 輝く目、輝かない目が…それを探している。

「セルリアン大壊嘯」がヒトの夢も、フレンズの想いも黒で染めるまで――あと237日……

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