第2話 中編


27-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

都会の片隅、東京の下町にあるそのアパート。通称「フレンズ下宿」。

そこでは無聊をかこつ無職フレンズ、あるいはそれに近いフレンズたちが身を寄せ合い

つつましくも日々楽しく、にぎやかに暮らしていた。

そんな無職フレンズのひとり、下宿の古株のヒョウは――

「…うちは今、フレンズいち、耳年増でいやらしいスケベなおぼこやねん…」


3月のその日。ヒョウは下宿の住人“だった”人気漫画家のタイリクオオカミ先生が

使っていた部屋を掃除する。うっすら積もったホコリを拭いて、窓を開け。

水道を少し使って。いつ、先生が戻ってもいいようにしておく。

…だが。先生がいつ戻るのかは…わからない。

オオカミ先生は、ヒトと一緒に――ジャパリパークの本島へと調査の旅に出ていた。

日米安保軍が海上封鎖する、おそらく地上で一番危険な場所に先生は行って…いた。

「先生、めっちゃ強かったから… きっと大丈夫や、きっと戻る…」

ヒョウは自分に言い聞かせるようにして、自分の部屋より念入りに掃除して…





27-2

そして。先生の部屋の窓辺で、しっかりとした青い茎を伸ばしていた植木鉢にも

水をやる。この鉢には…先生がこの下宿に連れてきたフレンズ、オオカワウソの

おーちゃんの髪にくっついていた、見知らぬ何かの種を植えていた。

その種は、冬の寒さにも負けずに芽を出し、そして――

「…だいぶ、大きなったなあ。…アサガオみたいやけど、なんの花の種やろうな」

ヒョウが見るその若芽は、初夏の朝顔にも似ていたが…もっと葉はやわらかで細く、

そしてつる草独特の伸び方で幾重もの葉をつけ始めていた。

…先生が戻る頃には、花が咲くやろか?

ヒョウはそんな事を考え…そして。答えの出ない悲しさに首をふって、部屋を出る。

「…うち、こんなうじうじのヘタレ猫やったかなあ。…最近、だめやわ…」

春先のやわらかい日差し、暖かな風、草木の芽吹きすら…なぜか物悲しい。

胸の中がずっと切なくて、食欲もない。気づくと、自分の手のひらを見ている。

こんな気分が続くことがはじめてのヒョウは、戸惑い…そして。

部屋に戻って、もう昼間から寝てしまおうと思って…だが。首を振る。

「…あかん。横になったら、また… …うち、そんなオンナやない……」





27-3

…最初。ヒョウは自分の手指が、自分に“なにをしているのか”わからなかった。

…それは、寝付けない夜の布団の中で。毎夜、毎晩。

…いつのまにか。肉を見たら牙をむく、くらいの本能でヒョウを突き動かして。

…誰に教えられたわけでもないのに。ヒョウは、手淫を…オナニーを覚えて…いた。

「あかん、あかん… あんなの、誰かに見られたら… うち、おかしいで…」

――なぜ、そんなことをするようになってしまったか。

彼女には、胸の奥でわかっていたが…それを直視できなかった。

夜の闇の中で…寝られなくなると、つい手が動く。…いや、違う。

“あれ”をしないと寝られない… 認めたくない衝動に、ヒョウは毎夜、捕まり。

薄い夜具の中、いつもシャツとショーツだけで寝ていたヒョウは。

「…だめや、うち、オトコなんて要らへんのに、なんで…」

その指をしてしまう理由はわかっていた。ヒョウが欲しいのは、ただのオスではない。

夜毎、ためらいがちにシャツの下で丸くふくらみ、触ろうとしただけで先端の乳首が

痛いほどに尖っているのがわかる、大きな両胸を触って。

漏れる熱い息を噛み殺し…胸を触っているうちに、もう片方の手も動く。





27-4

最初は、おへその辺り…そして、はき古してゆるんだショーツの上へと手を滑らせ、

ざわつく陰毛の感覚を指でまさぐるうちに。

…彼女の口からは、せつないうめき声が漏れて。手は、もう止まらなくなる。

最初のときは、ひどくショーツを汚してしまった。

二度目からは、ショーツの下に手指をそうっと滑らせて。整って流れる陰毛の奥で、

こんなことを覚える前はあまり気にもしていなかった“部分”に、そっとふれる。

…最初は、乾いた指が触れただけで痛かった。

…何度目かからが、ギュッと固く閉じた目の下で…物欲しげに息を吐くその唇と舌で

舐め、唾液で湿らせた指で“そこ”を、小さく尖った肉の目を触るようになった。

「あ…! や、いやや… だめ、あ…」

今まで、感じたことのない感覚。ビリっと彼女の身体を、恥部から頭まで貫くような

感覚、快感。食欲とも、睡眠とも違う… 身体がバラバラになって、宙に浮くような

その快楽を彼女は指でむさぼって。その下にある恥部にも、指で触れ…

「あ、あ… あかん、あかん…! や、や… ……! …本間、くん……!」

とろけたヒョウの脳と、唇から… 彼女を別の生き物にした相手の名が、漏れる。





27-5

ぎこちないが、完全に彼女をとろかせてしまうその手淫の中…

セックスというものを知らないヒョウの固く閉じた目の奥では。その相手は――

「…本間クン… あかん、て… うち、うち……」

男が、そういうときにどうするのかも知らないまま。彼女の妄想の中で、男は。

背後から彼女のことを捉え、その力強い手で痛いほど抱き、爪を立て。

…最初は、怖い、と思った。だが。

怖い。そう思ったとたんに自分の恥部が、小水を漏らしたように濡れたのを感じ…

あとは、もう。男の腕の力を考え、そして噛みつかれるようなキスをされることを

思っただけで、もう駄目だった。怖いのに、それを欲して…濡れていた。

痛いのに、乳房を潰す手が止まらなかった。ビクッとするほど濡れた、クリトリスの

下の肉襞を指でこねるのが…これも痛いのに、止められなかった。

「…あ、ああっ…! うち、うち…あかん、あ…ッ も…だめぇ」

どうしても声が止められず…ヒョウは、乳房をなぶっていた手で自分の口をふさぎ。

ギクッと、気持ちのいいところを触れるたび足がこわばり、男のペニスをねだる

ように腰が、尻が持ち上がって…太腿をよじりながら、それを開いてしまい…





27-6

彼女の想いの中の男は、腕の中のメスを無理矢理に押し倒し、そして。

…まだ処女のヒョウの中では、ぼんやり形のわからないオスの猛りきったペニスが

彼女を犯すあたりで。ヒョウの妄想と、手淫は白い花火のような絶頂で…消える。

…そして。切ない悲しみが一時だけ薄れた多幸感の中、ヒョウは沈むように…

「……。あ、あれ?」

――ハッと。ヒョウは我に返った。ここは、まだ先生の部屋だった。

「あ、あかん。ボーッとして、スケベなこと考えとった…ダメダメや…」

こんなところを毒舌のカメレオンに見られたら、あのムカつく笑顔で何を言われるか。

そんなことを考えたヒョウだったが。そのカメレオンも、この下宿を出て姿を消して

から久しいのを思い出して… 陰鬱な気分が、淫猥な気分を上書きする。

「…決めた。もう、うちオナニーせえへん。もう、絶対や」

固く心に誓ったヒョウは、先生の部屋を見回してから。扉を閉めて、廊下に出る。

…まだ昼下がりの下宿は。みなが出かけているのか、しんと静まり返っていた。

オオカワウソのおーちゃんがここの暮らしに馴染み、最近は毎日のように区役所へ

みんなと出かけて、簡単なアルバイトをしていた。





27-7

あんな子でもしっかりしとるんやから、先輩のうちがこんなんやと、あかん。

意を決したヒョウが、あえて自分の部屋には戻らず。庭の掃除でもしようと、廊下を

ぬけて玄関から出た、そこに――黒い姿。

「…ああ、よかったあ。おねいちゃん、いたいたあ」

全身黒づくめだが、所々にピンクと白をちらした春ものコート姿の少女がそこにいて。

小柄な彼女はヒョウに手袋の手をふって、やわらかにほほ笑む。

下宿には似つかわしくない、少女誌グラビアから抜け出してきたようなその子は。

「クロちゃんやないの。おひさしー。元気やった? 景気はどない?」

「うん、私は元気。おねいちゃんも元気そうでよかったあ」

その少女は、ヒョウの実妹。クロヒョウのフレンズ。

彼女たちは、同じ船でパークから日本へ送ってこられたフレンズだった。

活気はあるがほぼ無産の姉とは違い、クロヒョウは…内気な性格を、ネット社会を

武器にすることで克服――現在は、ゲーム、トーク、有料放送の人気実況者として

荒稼ぎをするネットアイドル、生主の「クロちゃん」とは彼女のことである。

さらに、彼女が姉のヒョウとするゲーム実況「姉者妹者」はランキング常連だった。





27-8

「それでクロちゃん、今日はどないしたん。てか上がってく? 白湯しか無いけど」

「ううん。ありがと。…今日はちょっと、おねいちゃんに知らせなあかんことが」

それまで、春の花のつぼみのようだったクロヒョウの顔が…ふっと、曇る。

どうしたん? 妹の頬をヒョウのねこ手がなでると。妹は嬉しそうに目を閉じ、

「…あのね。いつもうち、おねいちゃんのフレンズまんじゅうの転売、してたやん」

…ああ、とヒョウがうなずく。

ネットどころか携帯も持っていないヒョウは、彼女たちフレンズに毎日支給される

フレンズまんじゅう(サンドスター配合)をネットでマニアに転売して小銭を稼いで

いたが…その実際の売り子が、ネット猛者のクロヒョウだった。

「どうしたん? またライバルが出て、売れへんようになった?」

「…ううん。あのね、警察から…サイバー犯罪対策課からメールがきたねん。

 今後は、フレンズまんじゅうの転売はあかん、ご法度やって。…サブ垢全部に来た」

「え。え? それ、どういうこっちゃ…犯罪になったんか? なんでナンデ」

「ううん、まだ犯罪じゃないんだけど。これからは駄目だって。…だからね」

クロヒョウは涙目で…





27-9

「おねいちゃん、ごめん… もう、まんじゅうで稼げなくなってもうたよ…」

「…ああ、かめへん。お上が言うんなら仕方ないわ、あーもう、泣かんでええんよ」

ヒョウは、手でクロヒョウの髪をなで、

「しっかし。訳わからんなあ、あんなのいっこ売れて500円とかやん?

 そんな、目くじら立てるようなもんやろか。まあ、しかたないなあ」

「…あのね。リスナーの、そういうの詳しいヒトたちに生で聞いてみたんや。

 そしたら、たぶんサンドスター、のせいやって。サンドスターが、たとえ微量でも

 市場に流通したらアカン、ってことみたいやけど…よう、わからへんかった」

「ヒトのすることは、謎やなあ。せやかて、うちらには毎日まんじゅうが配られて

 おるし、食ってるとちゃんとサンドスターの味がするで? 何があかんのやろ」

「リスナーのヒトが、調べてくれるって言ってたけど。…なんだか、最近――

 この世界、少し…空気に嫌な味がするねん。おねいちゃんも、気ぃつけて…」

「うちは大丈夫やって。クロちゃんこそ、そんな可愛いなりしてからに。

 悪いオトコにだまされんよう、気につけるんや… で……」

ヒョウは言ってしまってから。





28-10

(…あかん、本間くんのこと思い出してしもうたやん)

そして。可愛い妹の髪をなでいるその自分の手が、夜な夜な、彼女のはしたないほど

濡れた肉をなぶっている指だと気づいて…手を引っ込める。

ゴニョゴニョした姉の前で、クロヒョウは…少し悩んでから何かのカードを取り出し、

それを姉に差し出した。…どこかのお高め、クレジットカード。

「おねいちゃん、もしものときは…うちがいなくなったりしたら、これつこうて。

 誰が使っても大丈夫なカード、番号は…うちの好きな肉まん7こ、や」

「…!? ちょ、ちょー。待ちいや、なんでこんな。うち、こんなん使えへんで」

…でも、とうつむいた妹にヒョウはカードを返し、妹の手をぎゅっと握る。

「クロちゃん、平気や。なんか怖いことあっても…絶対、姉ちゃんが守ったる。

 ヒトでもセルリアンでも、世界でも。姉ちゃんがぶっ飛ばしてやるかんね!」

「……。ありがと、おねいちゃん……」 クロヒョウの目が、涙と笑みで揺れた…


言葉には気をつけねばならない。なぜならそれは、運命になるかもしれないから。

「セルリアン大壊嘯」の惨劇が世界と豹の運命を秤にかけるまで――あと407日……





29-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

大都会東京、下町にある築四十年のそのアパートは「フレンズ下宿」呼ばれていた。

無聊をかこつ無職、あるいはそれに近いアルバイト暮らしのフレンズたちが身を寄せ

あい暮らす、風呂なしトイレ炊事場共用、四畳半部屋が12室の古アパート。

その一室に住まう古株の無職フレンズ、ヒョウは――

「…うちは今、フレンズいち、将来のてんぼーがまるで見えていない少女やねん…」


春のうららかな日だった。くすんだ窓ガラス越しに差し込む3月の陽光で温められた

古畳の上で、いつもの無職スタイルのヒョウがゴロリ、横たわる。

彼女はときおり、ちゃぶ台の上にうず高く積まれたフレンズまんじゅうの山から

食いかけのそれを取って、なんの感情もない目と口でまんじゅうを…食む。

「…向こう一週間は、食い物はこれだけやな。痛む前に食うてしまわんと」

日本に在留するフレンズたちには、1日に2個、このフレンズまんじゅうと呼ばれる

サンドスター入り丸型配合飼料が無料支給されている。

つまり、理屈ではフレンズは何もせずともこれだけで生きていける計算である、が…





29-2

「まさか、転売がご法度になるとはなあ。うちの数少ない現金収入が…わややん」

賢いヒョウは、つい先日までフレンズまんじゅうをネットで転売――

フレンズマニアたちにオークションで売りつけることで、週に数千円を稼いでいた。

…が。そのネット転売を委託していた、彼女の妹クロヒョウから。

「…なんでお上、警察はこんなしょうもないこと取り締まるんやろ」

警察のサイバーポリスから、以後フレンズまんじゅうの転売は違法、というメールが

来たという話を聞いて。結果…部屋には、2週間分のまんじゅうが溜まっていた。

「まんじゅうばっかし食ってると、ほんま動物園の檻の中、気分や。出かけよ…」

などと独り言つしつつ…ヒョウは、四畳半の古畳の上で転がったままで。

「……。ジャガーんとこ行ってもなあ、またノロケられるだけやろうし」

…昨日は、さんざんだった。ジャガーの屋台に行って…

結局。一週間のヒョウは。…いつも、夜になって寝る頃になると彼女を蝕む淫猥な

気分に…抗えなかった。

うち、もう二度とオナニーせえへん。…という誓いはむなしく砕けて散っていた。

結局。毎晩のように、ヒョウは自分の指で、自分をなぶって…





29-3

毎晩、自分の恥部と身体を手指でいじって…そうしないと、眠られなかった。

「…うち、最低や… いっつも本間くんのこと考えて、こんなことばっかり…」

その名前。自分より小柄な少年のかわいい顔を思い出すと…昼間だというのに、

身体が背骨からジンと熱くなって…下着の奥が、切ないのが自分でわかる。

「……。あかんあかん、出かけよ…」

ヒョウは、手指で自分の顔をゴシゴシこすって。ふらり立ち上がり、四畳半の部屋

から出てゆく。…とくに、行くあてもない。

…昨日ヒョウは、夜半にジャガー屋台に行って。ひどい目にあっていた…

“あの男”が、ジャガーの彼氏がいないのを見計らい、他の客も居ない夜遅くに

わざわざ電車に乗ってジャガーの屋台に言ったヒョウは…フレンズ友のジャガーに、

ここしばらく彼女を悩ませている妄念のことを、思い切って聞いてみた。

「…えっ? なに、なによう…ヒョウったら、いきなりさあ。…オナニー、とか…」

ヒョウと店主のジャガーしか居ない屋台、ふたりとも発泡酒とフルーツサワーで

だいぶ出来上がった頃合いで、ヒョウは旧友のジャガーに…聞いていた。

「…あんた、オナニーとかするん?」と。





29-4

「そ、そんなの… しないよお…しないって、何言ってるの… ……いつもは」

電灯の明かりの下で、フレンズ友のジャガーの顔がボッと夜の火事のようになって、

そしてヒスイの瞳が虹をこぼしそうなほどうろたえているのが…ヒョウには見えた。

「…そんなの、したことないけど… としと、会うまえは…したことない…」

ほう、と。

何本目かの発泡酒といっしょにねめつけたヒョウの前で、ジャガーは。

「彼と会ってね、その…一緒になってからは。…その。たまに…」

「するんやな? あんたも、やっぱりするんやな。…んふー、やっぱりな」

「…なによう。…その、彼としばらく会えなかったりするときとか… 夜にね…

 がまんできなくなっちゃって、自分で、その… 彼のこと思い出しながら…

 って! ヒョウったら、なんでこんなコト聞くのよう… エッチだ」

「ンフフ。ええんやええんや。…やっぱり、あんたもするんやん…」

何かホッとしたように。発泡酒の缶をグビリと傾けたヒョウの前で。

「…ひとりで、する以外にもね。彼と、二人でいっしょにしたりもするかな…」

いつの間にか、新しいサワーの缶を開けていたジャガーが謎の笑みを浮かべる。





29-5

「…? な、なんや。それ。オナニーなのに、ふたりで、するって…」

「ん…その、しばらく、会えないときにね。彼が電話してきて…」

そう言ってヒョウは、ジーンズのポケットから小ぶりなガラケを取り出し。

「…電話で、話しながら… その、するよ」「なにを」「だから……」

ジャガーは、少し起こったような赤らんだ顔でサワーの缶をあおって。

「彼が、ね。としが… 電話で、声で…エッチなこと、言ってくるの。

 私、それ聞いて…本当にそうされちゃってるみたいに、自分で…するの…」

「……。え。なんやそれ。ちょちょ。…電話でって…」

「彼が、いつもより乱暴なこと言ったり、無理やりっぽいこと言うと、ね…

 私、もう言いなりっていうか…すごく、エッチな気分になって自分で…

 すごく、いやらしいこと電話で彼に言っちゃったりして… ヤダ、私…!」

「…………」「でも、私が自分でするのって…それくらいかな」

結局。ヒョウは電車代と飲食代を浪費して、本来は「あんたもしているんやろ?」

という言質をとって安心するつもりが。気づけば。男のいるフレンズ友のノロケを

たっぷり聞かされただけという… それが昨日のことだった。





29-6

「…なんやなんや。もう、あんなエロねこのことなんかしらん。のろけおって。

 今度から、ジャガーのことはエロメスのララァって呼んでやるねん…」

旧友を誹謗中傷しつつ、ジャガーはサンダルを足につっかけ下宿の玄関を出る。

…めちゃくちゃ、いい天気。風もさわやか。暖かな日差し。最高の春の、昼下がり。

「……。こんな日に、本間くんががいっしょだったらなあ…」

などと、叶わぬ願いが口をついて出てしまう。…ヒョウは自分を叱咤しつつ。

「…あかん。うちは、一人で強く生きるオンナやねん。ジャガーとは、違うねん」

今度はやせ我慢をしたヒョウが、下宿の庭を踏もうとした、そこに。

「ん? オコジョやん、あいつらどうしたんや…」

ぞろぞろ固まって、下宿住まいのフレンズたちが戻ってくるのがヒョウの目にうつる。

彼女たちのリーダー格の、いちばんちんまい身体のオコジョ。彼女に付き従う

黒い影のようなビントロング、そしてテンとクロテン、ラクダ姉妹、タヌキたち。

「あれ。あんたら、今日は区役所でバイトやなかったんかい?」

「それどころじゃねえよ。ナンバーテン、最低のクソッタレだ」

ヒョウを見たオコジョが、疲れた顔で。





29-7

「今日は参ったぜ、区役所に入ろうとしたらよお。例の… 真理融解派のやつらが

 ぞろぞろ集まっていやがってよ。俺たち見て、化け物とか政府の犬とか ボロクソ

 言いやがってよ… 区役所も、連中は放置していやがるし」

「え? なんやそれ。真理ユウカイ……って、ああ。ニュースでたまに見る…」

ヒョウがうなずくと。戻ったフレンズたちが今日一日をフイにされてしまった

ため息を付き、やり場なく周囲を見る。

「真理ナントカ、って。あれやろ? セルリアンに食われて、その後助けられたって

 いうやつが教祖になって…なんか、セルリアンと和平とか、融和とか言ってる…」

「ああ、それだよ! クソが、やつら勝手にやってりゃいいものを。なぜだか、

 俺らフレンズを目の敵にしてきやがってな。…税金でこんな連中を食わせるな!

 とか、フレンズを島に送り返せとか! ずーっと騒がれてシゴトにあぶれたぜ…」

「そいつは災難やったなあ… 連中、セルリアンは人類の救世主とか寝言…」

そこまで言ったヒョウは。

ラクダ姉妹の影にかくれていた大柄なフレンズ、オオカワウソのおーちゃんの

真っ白な牙と赤い目に気がついて、手を振った。





29-8

「おーちゃんも災難やったな。最近、ようやっとシャバにも慣れてきたのに」

…ウ…と、状況がわかっていなさそうな顔で、牙を見せたままの顔をかしげた

オオカワウソの背中を、彼女の娘のようなオコジョがポンポン叩く。

「まあ、シゴトは区役所のだけじゃないからな。今度は、知り合いの土建屋行くさ」

「しっかし、迷惑な話やな。…どうやったら、セルリアンが味方とか寝言を」

そのヒョウに、いままで置物のようなっだタヌキが…ぼそりと言った。

「…彼らは。真理融解派の教祖は…セルリアンに飲まれたときの体験を、臨死体験

 よりも尊いものだったと――自分と、それまで飲まれた“すべての”意識が

 セルリアンの中で、永遠に、平和に有り続けたと…主張し、信者を増やしている…」

急に喋りだした、早口になるよな、のタヌキに全員の目が集まる。

「…だから。セルリアンは味方だと。ヒトはみな、セルリアンの中でこそ永遠の安楽を

 得るって解いて回ってる…こんな時代だから、信者、めっちゃ増えてるって」

「…なんや、それ。死んだら絶対極楽、みたいな。そんなハナシ、信じるとか」

ヒョウの言葉に、みながうなずく。そしてオコジョは、






29-9

「パスカルだって手鼻かんで笑うぜ、そんなん。あの世のバクチにもなってねえ」

不味いものでも食ったかのように言って、歩く。

それについて歩いたヒョウは、ふと。自分の目の前が暗い穴かのように足を止めた。

「…。まさか、セルリアンにいっぺんでも飲まれて…運良く助けられたヒトって

 みんな、そんなようなこと、考えるんやろうか… そういや、カコ博士も――」

「アホか! カコさんが、博士がいっぺんでもそんな世迷言吐いたことがあるかよ!

 今度そんな寝言ぬかしたらヒョウ、お前でも前歯全部もらうぞ」

…すまん。ヒョウは、自分の半分くらいしか無いオコジョに謝って、歩き…

(…セルリアンに飲まれて、助かったヒトって…そういや、本間くんも…)

(…まさか、彼もそんな世迷言… そんなこと、絶対あらへん、よね…本間くん…)

…今日は、残りのお米でありったけごはん炊いて。みんなとおにぎりパでもしよう…

現実逃避というより、乙女の健気さでヒョウは考えていた…


信じる者は救われるという。パスカルは今際のときに、どちらに賭けたのだろう?

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫に全ての札を出させるまで――あと400日……





30-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京の片隅、下町でもめずらしくなってきた昭和生まれの木造2階建て築四十年の

古アパート。無聊をかこつブレンズたちが身を寄せ合って暮らすそのアパートは

通称「フレンズ下宿」と呼ばれていた。

その一室の四畳半でつつましく暮らすフレンズのヒョウは――

「…うちは今、フレンズいち心の弱い負けっぱなしのいやらしい少女やねん…」


川は底のほうからにごり出す、という。炊事場トイレ共同風呂なしアパートに住む

フレンズたちは、最近この街が、東京が、日本が…そして世界が、なにやらきな臭く

なっているのを感じ…

だが、それに抗う力もないままに日々を生きようと、あくせくと、そしてのんびり、

ときにはのんべんだらりと過ごしていた。

「…うちがここに来て、何年になるやろ。…もう3年は過ぎたかなあ」

ヒョウは、庭に出した大きな水ダライの中で大きさも形も様々の食器をざぶざぶ洗い

ながら…3月も終わる、薄い藍色の春の空を見上げる。





30-2

今日のフレンズ下宿はほぼ空っぽだった。いつもなら…

日中は区役所に行って仕事を探したり、その気も起こらず配給のまんじゅうだけを

かじって日がな一日過ごしたりの下宿フレンズだったが――

最近は、何やら空気がきな臭かった。

区役所に持ち込まれるフレンズ向けの仕事も日に日に、減り…それまでは黙って

いても下宿に届けられていたフレンズまんじゅうやチケットの配給が、最近は国から

出されたIDカードやら何やら提出しないと受け取れなくなっていた。

突然、地球上に現れてエネルギーとヒトを襲いはじめた謎の怪物、セルリアンの

跋扈は止まらず…それと戦うフレンズとヒト、ハンターの増強はそれに追いついて

いないのが現状だった。戦闘フレンズの数が、慢性的に不足していた。

そんな苦戦ムードの中、さらに追い打ちで…最近は。

「フレンズこそが人類の敵」「セルリアンは行き詰まった文明を正す真の世界」

などというお題目を唱えるヒトびとの集団まで現れ、日に日に勢力を増していた。

その宗教まがいの連中は『真理融解派』(エターナル・ブリス 永遠の喜び)と

名乗る…セルリアンに飲まれながらも生還したヒトの教祖に率いられていた。





30-3

フレンズたちが区役所や街に出ると、その融解派の信者たちに取り囲まれたり

暴言を吐かれることも増えて…基本、ヒトに対しては好意しか無いフレンズには

その迫害に悲しみ、耐えることしかできなかった。

…だが。いちばん、フレンズたちが苦しく、不安に思うのは――

 政府広報 遥香カコのWeeklyWorld!! TOKYO FM

毎週金曜日の夜、ラジオ放送されていたその番組。フレンズたちの故郷である

ジャパリパークの統轄を行っていた「財団法人ジャパリパーク振興会」の頭脳。

さらにはパーク外に移されることになったフレンズたちの世話を一手に引き受けた

フレンズたちの母、聖母でもあり、さらにはセルリアン対策を実践、世界に知らし

めることで人類を破滅のフチから救った文字通りの女神… カコ博士。

都会で、地方で、セルリアンとの戦いで寂しい夜を過ごすフレンズたちにとって

さらには一部のヒトびとにとって、週一回のその放送はまさに慈雨。

フレンズと人々の心の支えになっていたラジオ放送 ……だった。

それが、今年に入って…何の予告もなしに、番組表から消えたことだった。

同時に、カコ博士の消息も…消えていた。





30-4

最初は、何かの放送事故か、カコ博士の急用か?と思っていたフレンズとヒトの

ファンたちだったが…何週間経っても、カコ博士がラジオに戻って生放送をする

ことはないまま…だった。後番組はピクリとも笑えないお笑い芸人の枠だった。

「…カコ博士、どうしてしまったんやろ… もう2ヶ月近いで…」

ガタゴトと、庭にドラム缶をぶった切ったコンロを、そして最近は活躍の増えた

はそり鍋をセットしたヒョウがぼそり、こぼすと。

「…私たちは、待つしか無い。…でも――」

ヒョウと二人で、炊き出しの支度をしていたフレンズのビントロングも、ぼそり。

「…もし、カコさんが病気とかで大変なら。本部組のフレンズたちが、みんなに

 伝えて回るはず。もし…カコさんが、悪いヒトに何かされてしまったのなら――」

…なら? はそり鍋に水を入れたヒョウが、ゾッとした目をすると。

「――パーク本部のある、東京都港区が…地図から、消える。人類も、あとを追う」

それもそうやけど… ヒョウは手を動かしながら。

「カコ博士が何も言わへんで姿を消す、ちゅうのが解せんわ。…何ごとやろ…」

「…待つしか無い。おかずの支度するから、ごはん、お願い」





30-5

…そうやな。ヘコんでばかりいたって、ハラしか空かへんもんな。

気を取り直したヒョウは、並んだコンロに焚き付けの回収割り箸を入れて火をつけ

そこに廃材を切った薪を注意深く、焚べてゆく。廃材は、この近くで撤去されてゆく

フレンズ下宿のような古い建物の残骸からもらってきて、しばらく風雨にさらして

から、ひとつづつのこぎりで切った貴重品だ。

10分ほどで、並んだコンロの中できれいに燃えた薪がオレンジの炎を揺らし、

目にしみないほどうっすらした煙が春先の庭にただよい始める。

今日は、朝からそろってアルバイトに出ている下宿フレンズのための食事と弁当を

支度するのが、選抜されたヒョウと、ビントロングのやくめだった。

明け方、すでにこのコンロとはそりでごはんと味噌汁を作って、下宿のみんなと

助っ人に集まった仲間のフレンズたちに朝食をおさんどんしていた。

そして、もう昼前。

アルバイト先の建設現場、セルリアン騒ぎで人員スケジュールが破綻しかけていた

馴染みの現場のため、フレンズのオコジョがみんなを――ラクダ姉妹、ヒクイドリ、

テンとクロテン、タヌキとハクビシン、そしてオオカワウソを連れて行っていた。





30-6

「ヒトとも、うまくいってるところは前のまんまなんやけどなあ」

「…景気が悪いと、しわ寄せは下に行く… この街で一番下のボトムズ野郎は――」

うちらやな。ヒョウは、大たらいで研いであった2升の白米をちら見し…

「さて、昼めしぱぱっとつくって、夜食のおにぎりもしこたまこさえんとな」

ヒョウが手をゴシゴシこすって気合を入れた、そこに。

「ただいまあ。おなかすいたー」「やっぱり重いもの担ぐと、ねえ」

「ヒョウ。すまねえ、ちょっと予定より早くなっちまったが…」「つかれた…」

働きに出ていた下宿フレンズたちが、連れだってぞろぞろと庭に入ってくる。

「なんやなんや。もうクビになったんかい、オコジョ」

「こきやがれ。…くそ、現場のカントクによ。昼に、本社から視察が来るから…

 って平謝りされちまった。現場に、俺らフレンズがいると後がうるせえらしい」

「まあ、少し早い昼休みをもらっただけさ。食ったらまた出る…ああ、腹減った」

フレンズ集団の中では、背の高いヒクイドリが背伸びしながら言うと。

「…う、ウ… ヒ、けむり… だいじょうぶ?」

ヒクイドリの背後から、同じくらい長身のオオカワウソの顔ものぞいた。





30-7

「おーちゃんも、おつかれや。ああ、これは火事とかやないで。おさんどんや」

「…ん… いつモ、アリガト」「おーちゃん、みんな。さきに手、洗おうぜ」

ぎこちない声で言ったオオカワウソが、彼女の半分くらいしか無い大きさの、

だが姉貴分のオコジョに連れて行かれると。

「おーちゃん、最初ここに来たときと比べると。だいぶ…マシになったやん」

ヒョウは、沸騰したはそり鍋に目を細めて独り言。

…これも、もう2ヶ月ほどか。

最初、タイリクオオカミ先生がこの下宿にオオカワウソを連れてきたときは――

控えめに言っても、彼女は麻酔を打たれた怪獣のようだった。

言葉をほとんど話せず、顔は…控えめに言っても、子供が泣く有様。

血走って見開かれた目、ぽたぽた唾液を垂らしてむき出しの、牙と尖った歯。

…それが。ぎこちないが、自分から言葉を話し、日常会話と意思疎通が出来るまでに

オオカワウソは回復…なのだろうか、怪物からフレンズへと変化しつつあった。

「……。先生、どうや。うちらに任せて正解やろ」

ヒョウは、今はもういない相手へと…空の向こうに、ぼそり、言う。





30-8

フレンズたちが手を洗いに行き、現場の助っ人フレンズたちも来た、そこに――

「…あ、あのー。すみません、ここって“みどり荘第四”ですよね」

おもての通りを歩いてやってきたヒトの声がして…

フレンズみんなが、そちらを見る。と… その声の主、若いヒトの女は、ビクっと。

「わ…こんなに、いっぱいフレンズさん…! ええと…」

明るい髪をサイドテールにまとめ、長年着古した感のある緑のジャンパー、短パン。

そしてスニーカー姿の、その娘は…おどおどした顔で、下宿フレンズを見。

「あ、あの。私…えっと、パークの――」 あたふたした、そこに。

「ああ、ナナちゃんやないの。ひさしぶりやなー、元気やった? 景気はどない?」

最初に気づいたヒョウがぽん、と手を叩いて言うと。

ジャパリパーク振興会の研究部、つまりカコ博士の部下である彼女、通称ナナちゃん。

その彼女に、ぞろぞろとフレンズたちが集まる。

「あ…! ナナさん。こんにちは、おひさしぶりですわね…」

急にかしこまって、おしとやかで瀟洒な佇まいでお辞儀と、挨拶をするのは…

そんなオコジョを見て見ぬふりをする情けが、下宿フレンズたちにも存在した。




30-9

「ナナ、ひさしぶりじゃん! キョウシュウ島以来か?」 ヒクイドリが笑い、

「…ナナさん、その。こんにちは。…あれから、私の旦那さんを見ていません…?」

「…だからたぬぽん、もうあきらめなって…」 タヌキとハクビシンも。

「ナナちゃーん。今日もかわいい」「よかった、元気そう!」 ラクダ姉妹も。

「…テンちゃん、このひとだれ…?」「うん、パークのね…」 テンとクロテンも。

「――フフ、ついに動き出したか。“運命”よ」「クスクス…」 助っ人フレンズも。

「…その、みなさん。こんにちは、ありがとう!」

ナナ研究員が、おどおどしながらも…ぱっと、花のような笑みをみんなに見せる。

…と、その顔が。…ひとりのフレンズを見、

「…う、あ…ア…?」「あっ… そ、その。あなたが――本島から来た…」

ナナ研究員の顔が、オオカワウソの黒い長身を、そしてその顔を見て…ハッとし。

「カコ博士の、言ってた… 素体候補の…」 刃に触るような声で、言っていた…


神話に云う。神は、最初に出来た“出来損ない”の生き物は川に流して捨てた、と。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫を最後に独り笑わせるまで――あと393日……






31-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京下町、都会の片隅に残る、昭和の木造2階建てアパート“みどり荘第四”。

通称「フレンズ下宿」と呼ばれるそのアパートには、無聊をかこつ無職あるいは

それに近いフレンズたちが集まり、ひっそりと、だが慎ましくも楽しく暮らしていた。

そんな下宿の古参フレンズ、ヒョウは。その日…

「…うちは今、フレンズいち腹ペコの同居人たちを待ちぼうけさせている女やねん」


その日。下宿フレンズたちは、ほぼ総出で近くにある建築現場の助っ人に出ていた。

下宿に戻ってお昼ごはんを食べる彼女たちのため、そして残業用のお弁当をこさえる

ために、残ったヒョウとタヌキは薪コンロとはそり鍋をありったけ引っ張り出し――

そして。

少し早く戻ったフレンズのみんなとヒョウたちが昼食の支度をする下宿の庭に、

めずらしいヒトの客が…ジャパリパーク振興会の研究員、通称ナナちゃんがやって

きていた。ふだん、パークのスタッフがフレンズ下宿を訪れることはない。

そんな彼女、ナナ研究員は…





31-2

「…う、あ…ア…?」

「あっ… あなたが――本島から来た…オオカワウソの…」

2ヶ月ほど前から、この下宿に住んでいるいろいろ訳ありらしいフレンズ、

オオカワウソを見つけたナナ研究員の顔が、明らかに動揺していた。

「オオカワウソ… あなたが、カコ博士の言っていた… 素体候補の、子なのね」

自分で何かを思い出すように。そして、むき出しの刃に触れるような声で言った

ナナ研究員に… フレンズたちが、ガタッ、っと音を立てて動いていた。

「おい、そりゃいったい! …あ。 …その、ナナさん。今のは、いったい…

 ソタイ? 素体、候補って…このオオカワウソが、何だって言うのです!?」

思わずいつもの口調が出かけたオコジョがナナに詰め寄ると、ほかのフレンズも。

「ちょ、ちょ。ナナちゃん、あんたさっきカコ博士っていうたけど、ちょ」

「カコさん、どうしちゃったの? ラジオもずっとやってないし、まさか…」

「まさかカコ博士、お体の具合が悪くなったんじゃ…? 女王に食われたときの…」

「あ、あの。その、みなさん、一度に言われても私…」

「…私の夫の、トワがどこに行ったか…教えてよ」「だから、たぬぽんさあ…」





31-3

フレンズたちに囲まれ、口々に噛みつかれるような質問を浴びせられるナナ研究員。

彼女がパニック状態でアワワしている、中。

「…おっと。あかん、それどころじゃなかったわ」

コンロの上で、湯を沸騰させているはそり鍋に気づいたヒョウがその輪から離れて

大きなザルを手に――そこに山盛りもられていた、研いだばかりの洗い米ニ升を

はそり鍋の煮えたぎる湯の中に、ざあっと残らず流し込んだ。

「……」 その、お湯の音。ふわっと漂ったコメの匂いに…ナナ研究員を囲んで

いたフレンズたちは皆、自分の空腹を思い出して…数秒で、全員が静かになる。

「…ヒョウ。あとどれくらいでめし、でき… …その、食事の支度ができまして?」

「ん。30分ってとこやな。今から汁もこさえて。そのあと弁当も作らな」

オコジョとヒョウが話す中、はらぺこフレンズたちはフタをされた鍋から吹き出す

湯気に、目から虹色をチラチラさせながら火の回りに集まる。

「え、えっと… あの。…私、何か話したほうが…」

急に放置されてしまったナナ研究員が、迷子の子供のようになって言うと。

「う…ア」 オオカワウソのおーちゃんが、彼女をぎこちなく手招きしていた。





31-4

「えっ? その、わたし?」 呼ばれたナナ研究員が、腹ペコの輪にまざる。

いきなり、問い詰めの嵐から外されてきょとんとしていたナナは、はそり鍋から

吹き出している白い湯気と泡に目を向ける。

「こんなごはんの炊き方も、あるんだあ… 沸かしたお湯にお米を入れるなんて」

「ああ。それはこういうデカい鍋でめしを炊くときの、コツやな」

おかずを作るコンロと鍋のほうにタヌキと向かいながら、ヒョウが答えた。

「でかい鍋で、ふつうに研いで水から炊くとな。煮え切らないで芯が残ってまう。

 だから、煮えた湯の中に洗い米放り込んで、炊くというより煮しめるんや」

「へえ…。…あ、そうか。思い出した、このやり方…ミライ博士が言ってたやつ。

 標高の高いこうざんとかでごはんを炊くときのやり方と、いっしょなんだ…」

先輩の名前を思い出しながら、やっと顔に笑みを浮かべたナナに。ヒョウは、

「もうじきめしも炊けるからナナちゃんも食っていくと、ええ。その前に…

 ひとつづつ、聞いていってもええかな。さっきのこと?」

アッハイ、とビックリした目になったナナ研究員は…

「えっと、じゃあ。…なにから」 おどおどと、みなを見る。





31-5

「最初は、カコさん。…どうなってるんや」

「うん… その、遥博士――カコお姉ちゃん、のことは… ごめんなさい、私も」

そこまで言ってうつむいてしまったナナに、ヒョウたちは失意と不安の陰が曇らせた

目でお互いを見、そしてまた目をナナ研究員に戻す。

「研究所から、自宅からもカコお姉ちゃんが消えてから… もう二ヶ月近くになる

 けど、連絡も何もなくって… 研究所のひとも、振興会のえらい人たちも、なにも

 教えてくれないです。ただ、病気で入院中って…病院も、教えてくれなくって」

「…そうか。ナナさんも存じ上げないということなら、誰に聞いても無駄ですわね」

おすましモードで、だが顔には獰猛極まる肉食の険を浮かべてオコジョが言う。

「博士が居なくなってから、研究所も何かおかしくって…

 博士のポストには、フレンズのこと何も知らないおじさんがついてるし…」

「天下りがカコ博士の後釜かい。こりゃ、ろくでもないことになってるやん」

「私たちパークスタッフ以外の人たちが新しい部署をいくつも作って、そこで

 部外秘の研究をしてるみたいなんだけど、もう何がなんだか…」

涙目でしょんぼりしたナナだった…が。





31-6

「あっ、でも。博士は、カコお姉ちゃんは大丈夫だって…私、思うんです」

ぱっと顔を輝かせ、そして。謎の恥じらいというか顔に赤みを浮かべた彼女は、

「…あの。じつは。カコお姉ちゃんには、その。おなじ研究室で、おつきあいてた

 男のひと、がいて… その人も、お姉ちゃんと一緒に姿を消しているから――」

「なんや、博士にコレがいたってのはマジだったんか」

「…その色男も、一緒に消されちまったんじゃ…」

「いえ、その男のひと、お姉ちゃんの彼氏… なんていうのか、めちゃくちゃ。

 強いし、やさしいし、仲間もいるから――たぶん、お姉ちゃんがどこかに

 連れ去られていても…一緒にいて守っていてくれるんじゃないかなって…」

そこまで言って、しょんぼりうつむいたナナに… みなが、小さくため息をつく。

「…カコ博士のことは、わからないままですね。…ヒトは何を考えているのか」

オコジョがチッと真っ白い牙を鳴らすと、それが合図だったようにタヌキとヒョウが

おかずの鍋で煮えていた油に肉片と野菜を入れて爆発させる。

油と具材が、唐辛子と味噌で濃いめの味付けをされて煮られ鍋がおたまでカンカン、

いい音を立てる中。





31-7

「…だから私、博士に…お姉ちゃんに言われていたコト思い出して、このアパートに

 いるオオカワウソの子の、様子を見に来たんです」

ヒョウは、おかずの鍋をタヌキに預けると。

「それや。おーちゃん、オオカワウソは――タイリクオオカミ先生がここに連れて

 来た、そう思うてたんやけど… これは、カコさんの差し金、だったんか?」

「ナナさん、さっきあなたが仰ってたソタイ…素体候補って、なんですの?」

だいぶ、おすましモードがきつくなってきたオコジョに問い詰められ、ナナは、

「うん… さっき話した、よそから研究所に来て部外秘の研究をしている部署が

 あって――そこが、その… フレンズさんを、実験の素体に使っているって…

 カコお姉ちゃん、ずっと怒っててそれを止めさせようとしてた、んだけど…」

「なんやて? 実験って…」「ハッ、ヒトのやりそうなことだぜ」

限界が来たオコジョが唾吐くようにして笑う、その前で。

「オオカワウソ、さんは… その実験の、最初の材料…ごめんなさい…!

 素体だったって、聞いてます。博士“たち”の猛反対で、それは中止になって――」

…先生や… ヒョウが、わななくようにつぶやく。





31-8

そして。それまで黙っていたビントロングが、静かに。

「…ナナ。その実験、私たちフレンズが材料って言うことは――フレンズの体を

 どうにかして、なにかに利用する…その実験、ってこと… 違う?」

静かに、だがざっくり切り込んできたその言葉に… この場で唯一のヒト、ナナは

身を縮めるようにして…うなずいた。

「…私、お姉ちゃんからもっと詳しく聞いておけばよかった… でも、怖くって…

 ――私が知っているのは、うわさなんですけど… セルリアン対策、だって」

ナナ研究員の唇から漏れた不吉な言葉に、腹ペコフレンズたちの目が動く。

「警察や自衛隊がやってる、バディ方式じゃなくって、もっと効率的な対策法を

 開発した…って、聞いてますけど。…それが何かは、わからないんです…」

沈んだ空気の中…それでも、上手くめしは炊け。おかずも汁も出来上がり。

「……。まあ、まあまあ。すまへんな、ナナちゃん。まずは、めし、食おか」

ヒョウははそり鍋のコンロから薪と熾火をかき出し、フタをとって。白い湯気を

立ち上らせるそこを、あちち、としゃもじでかき回してむらす。

「そうだな… めし食ったらすぐ昼の仕事だ、みんな」





31-9

オコジョの声に、フレンズたちがめいめい、自分の器と箸を持って鍋の前に並び、

ほかほかの大盛りごはん、味のぶち濃いおかず、味噌汁をもらって、庭のテーブルや

敷布の上にいそいそと向かう中、

「ほれ、ナナちゃんも食べや。今日はおごりやで」「えっ… ごはん、ですか?」

ナナの手にも、女の子には若干大盛りがすぎるアルマイトの茶碗とハシが渡される。

「…ごはんおいしー。ああ~生き返る~」「あなた、いつも生き返ってるわね」

「テンちゃん、おかず辛いけどおいしい…」「うん。お茶ももらってこようか」

「…新妻の手料理は、本当ならトワに…」「たぬぽんさあ…そろそろ違う男をさあ」

ラクダ姉妹、テンとクロテン、タヌキ、ハクビシン。オオカワウソたち。

腹ペコだった彼女たちの食欲が、ガッガと小気味よい音をたてる食卓で、

「…あの、じゃあいただき、ます」「…う、ン… おい、シ…ネ」

少しおっかなびっくり、大盛りのごはんをハシで口に運ぶナナに、オオカワウソが

白い牙を見せて、たぶん…いや、笑って、何かを言っていた。

「ん? おーちゃん。いまちょい、喋れたなあ」

ヒョウは、おにぎり用のごはんを炊いている鍋を見ながら、





31-10

「ハハ、最初ここに来たときは。まんじゅうに血相変えて噛み付いてたおーちゃんが

 うそみたいや。…よかったなあ」

今はもういない相手、オオカミ先生との約束を思い出し、ヒョウがさびしげに笑う。

そのかたわらで、食い終わった丼にお茶を注いでいたオコジョが。

「なあ、ナナ。知らねえかもしれんが、なんで――おーちゃん、オオカワウソが

 最初の実験の、素体とやらに選ばれた? フレンズなら他にもいただろう?

 現に、この下宿にゃこんなにも半分プーの俺らが溜まってるのに、なんで」

「…うん、それはたぶん… カコお姉ちゃんが言ってた――」

意外なことに、あの大盛りめしを短時間で完食していたナナが。

「そのセルリアン対策の実験は、フレンズの“野生解放”を利用するから、って。

 オオカワウソさんは、その…何度か、野生解放をした個体だから、発動が容易

 なはずだって言うことで選ばれたみたい… でも野生解放は危険だし…」

「野生開放、て。ウワサには聞くけど」「俺はそんなモン無くても戦えるがな」

「…でもナナ、どうしてオオカワウソが野生解放したって…わかるの?」

静かなビントロングの声に、ナナは小さくうなずき、





31-11

「うん、これもカコお姉ちゃんから聞かされただけなんだけど…

 今のパークは、私たちパーク振興会も研究スタッフも退避して、無人で――

 そこを日米安保軍の艦船が包囲、封鎖している、って… それが、去年…」

ナナ研究員は、そこまで言って… 自分が、研究所の機密事項を口にしている

のに気づいて不安そうな顔になる、が… 何かを決めたように、また語りだす。

「海上自衛隊の、たしか“あぶくま”っていう護衛艦が突然隆起した岩礁に

 乗り上げて座礁しちゃったときに、それを岩場から持ち上げて助けたのが…

 このオオカワウソさんだって。そのとき、自衛隊が彼女を保護してそのまま

 日本に連れてきたって、聞いてます」

「……。ちょい、ちょいちょい。話が見えんで、ナナちゃん。待ちいな。

 護衛艦って、けっこう大きい鉄のフネやろ? 公園池のスワンボートやないで」

「いくらおーちゃんが大柄だからって、鉄のフネをもちあげた? ヨタ話だぜ」

ヒョウとオコジョから突っ込まれてナナは、

…私はそう聞いただけです… という顔で、空の器に目を落としていた。

そして。いくつもの目が… おーちゃん。オオカワウソに、向く。





31-12

「なあ、おーちゃん。いまの話ほんまか? 自衛隊と一緒に、ここに来たって」

「…う、ン… ……。…アたし、トシかき、を…」

何かを、食堂に、気道に…胸につまらせたオオカワウソが、何ごとをかを言い、

そして悲しそうな顔で、じっと自分の鉤爪の両手のひらを見つめていた。

「としかき? なんや、男の名前? おーちゃん、たしか前もその名前…」

「ナナ、その男の名前、しってるか?」「…いえ、私は何も…」

フレンズたちが食事を終え、茶を飲み… 働き者のタヌキが、会話などどこ吹く風で

もう片方のはそり鍋で炊けていたごはんを蒸らし、弁当のおにぎりの支度をする中。


「……ウフフフ。見つけたわ、このあばら家が。そうなのね…! トワ…!!」

――闇よりも黒いドレス。それを飾る紫のフリル。二つの目が爛々と輝くフード。

着飾った一人のフレンズ。その靴が、ざりっと下宿の前の路地を踏みしめて、いた…


闇を恐れない車椅子が、謎には終わりがないと語った。一つ明かされれば、また次。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫の友にまで虹の涙を流させるまで――あと393日……





32-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京。都会の片隅に残る、木造モルタル2階建て風呂なしトイレ共同のそのアパートは

通称「フレンズ下宿」と呼ばれていた。

ジャパリパークから日本に連れてこられたのち、様々な理由で定職につけず、あるいは

つかずに無聊をかこつフレンズの少女たちが身を寄せ合い暮らす、この古アパート。

その四畳半をねぐらにする古参フレンズのヒョウは。その日…

「…うちは今、フレンズいち仲間の弁当のおにぎりを握るのが後ろめたい女やねん…」


今日のフレンズ下宿、その敷地の庭は大にぎわいだった。

建築現場の助っ人アルバイトに出かけていた、姉御肌フレンズのオコジョと仲間たちが

昼食をとりに戻ってきていて。残っていたヒョウとタヌキは、おさんどんで大量の

ご飯を炊き、おかずと汁を作って。残業弁当用のおにぎりの支度もして――

そして今日は、そこにめずらしいヒトの客が訪ねてきていた。

ジャパリパーク振興会、その研究員のナナ。彼女は、いとこであるカコ博士の残した

メッセージどおり、このフレンズ下宿を訪れ…そして。質問攻めにされた…のち。





32-2

「…でも、オオカワウソさんが、その。元気そうで、落ち着いていて、よかった…」

ナナ研究員は、フレンズたちと大盛りのめしをその小柄な体にかき込んだあと、

アルマイトの碗にお茶をもらい、その熱い手触りに困惑しつつもそれをすする。

――突然パーク研究所から、自宅からも行方不明になってしまったフレンズの聖母、

そして人類の救世主、文字通りの女神であるカコ博士。

ナナは、従姉妹でもある博士からの伝言で、

“素体候補だったオオカワウソの様子をこまめに見る、彼女の回復に努めること”

と言われていたナナは、ここフレンズたちから質問攻めにあい…ほとんど答えられ

ないままだったが…みんなと一緒に食事をし、お茶を飲んで…

「その、お姉ちゃん…カコ博士のことで、何かわかったらまたすぐ、来ますから」

「頼むぜ、ナナ。…私らフレンズは“ウソ”が苦手なんだ、言うのも吐かれるのも。

 だから、おまえみたいな正直なヒトが味方でいてくれると… 心強いぜ、なあ」

ナナと、猫をかぶるのに限界が来たオコジョが話し、それに周囲のフレンズたちも

うなずく。

ヒョウとタヌキは、ホッとしてはそり鍋いっぱいに炊かれているごはんに向かい…





32-3

「…? ヒョウ、どうしたの。手はもう洗ったでしょ」

「…う、うん、なんでもないねん…」

タヌキが、大きなしゃもじで鍋のごはんをざくざく混ぜて蒸らしながら手際よく

塩をふる横で、ヒョウは… おにぎりの具の、しぐれ煮と梅干しを準備し…だが。

(…さっき、おーちゃんの男のハナシしてたら… また、思い出してまったやん…)

――約束は、砕けて散る。大切なものは見失う。…歌にうたうまでもない。

先週、ヒョウはいつの間にか覚えてしまった手淫… 毎晩の日課になってしまい、

自分の指で、頭が真っ白になって身体がとろけるまでやらないと寝られなくなって

いたオナニーを…やめる、と。もう絶対せえへん、と先週、誓っていた。

…が。片思いのヒトの男の子、本間少年のことを想いながらの手淫は、彼女が誓った

その日の夜に再び、ヒョウを捉えて…約束は、守られる以前の問題で…消えた。

(…毎晩、あんなコトしてる手で…みんなのおにぎり握るとか、なんか…)

(…すっごい、裏切ってるというか… みんなに汚いことしてるみたいで…)

――みんな、すまん。…今日こそ、もうやめる…

ヒョウが心に固く誓った。 …ちょうど、そのとき――





32-4

 ざりっ …と。下宿の前の路地を、可憐な黒いパンプスが踏んでいた。

「…ウフフ。このあばら家が、そうね…! 見つけたわ、ここのトワが…!!」

闇よりも黒く、艷やかな黒のドレス。致死性の美しい毒花のごとき、黒いフリル。

いわゆる、黒ゴスに身を包んだ美しい少女が…否、妖艶なまでに可憐なその顔を

フードの下に隠したフレンズが、下宿“みどり荘第四”の前に立つ。

「今日こそが、運命の日…! 燃え盛る二人の愛が、再び一つになる…日よッ!」

そのフレンズは、下手な薬物よりも強烈な何かに陶酔した声でスミレ色のグロスが

飾る唇をふるわせて… 下宿の中庭へと――野太い尻尾をのたうたせ、進む。


「…トワ!! あなた、どこにいるの!? 私は…ここよ!!」


――突然。まさに、突然、突如。いきなり下宿の中庭にズカズカと入り込み、

お芝居のオーディションだったら「もう帰っていいよ」と言われるような大声を

張り上げた、見知らぬフレンズの姿に… 下宿フレンズは。

「な…なんや? 誰?」「なに、こいつ」「…!! あ、こいつは……!?」





32-5

下宿フレンズのみなが困惑したり、怪訝な目をしたりする中…

タヌキだけは、そのいつもはふんわりしている顔に、キッと白く小さな牙を向いて…

台の上に置いてあった四角い菜切り包丁を無言で握りしめていた。

だが、その闖入者はフレンズたちなどそこにいないかのように、

「…トワ! ここにいるんでしょう? 可哀想に、こんな汚くて不潔そうな所に…

 でも! もう大丈夫、私よ…! あなたのコモモは、ここよ! 返事して!」

「…え、ええと。フレンズさん、あなたも…ここの、住人さん?」

「ヘビか? トカゲか? おい、ヒクイドリ。この黒いのを踏み潰して食っちまえ」

ナナが困惑し、オコジョが不機嫌そうに吐き捨てる中。

「…あれえ、この子、たしか…」「…なんやら、うち、この黒いのに見覚えが…」

ヒクイドリ、そして編集のアミメキリンとの関係で女性雑誌に目を通すことが多い

ヒョウが、その侵入者の姿に数度、首をひねって…そして。

「ああ、あんた。誰かと思うたら、コモモちゃんやん。黒ゴス・モデルのKo-100」

ぽん、と手を打ったヒョウが言うと。

何かの熱で燃えていたその黒ドレス少女、フレンズの目が…ぬるり、動いた。





32-6

「ヒョウ、知っているのか?」 オコジョの怪訝そうな顔と声に、

「ああ。黒ゴスファッションの人気モデル、ファッションリーダーっちゅうやつや。

 バンギャとかゴスロリにも、もちろん男どもにも信者レベルのファンがおるわ。

 …コモモちゃん、コモドドラゴンのフレンズ、やったなあ」

――コモドドラゴンのフレンズ、通称、コモモ。

パークから日本に来たフレンズたちの中でも、上位三人に入る有名フレンズの一人。

一人は、ファッション、コスメ業界で知らぬものはいないモデルフレンズ、トラ。

彼女のキャッチコピー「その唇が、惑わせる」は一時期、流行語にもなった。

もう一人、というか集団は説明するまでもない、ペンギンアイドルユニット、PPP。

そして、残る一人がこの… コモドドラゴン。コモモだった。

「…ふん。あなた、少しは話が通じるようね――」

「…ヒョウ、おまえいつもバザーの無料カゴから拾ってきたような服着てるくせに

 ファッションとか詳しいのかよ… なんか意外だぜ、似合わねえ」

ほっといてんか。ヒョウが、おにぎりの手水と塩の手を拭いて。

「それで、コモモちゃん。今日はどうしたんや、こんな下宿なんぞに?」





32-7

「…用があるのは、貴女たちじゃないわ」

サッと、芝居がかった動きで片手を払ったコモモは…その夜空色の瞳で下宿の建物を

見上げ、洒落た黒いパンプスの足を踏み出す。

「トワ! ここにいるんでしょう!? 私よ、あなたのワイフ…コモモよ!」

「なんや、デジャビュというか… コモモちゃん、あかん、そのネタかぶってるで」

「うちには、トワなんてやついねえし。そもそも、ここには男なんていないぞ」

不機嫌、というよりだんだん気味悪くなってきた目つきのオコジョが言う。

そのオコジョに、フレンズたちに…コモモは、カッ!と鋭い、だが笑みの目を向け、

「隠しても無駄よ! 私にはもうわかっているの! …私は運命に導かれている――

 あの“オストリッチ”先生が占ってくれたんですもの! 今日の出会いを!!」

「…おすとりっち? …ああ、あんたと同じ雑誌で、占いコーナーもっとる…」

オストリッチ・さち江。有名占い師の、ダチョウのフレンズである。

ほぼコモモ専門誌と言っても過言ではないファッション誌“KERO”で占いの

連載ページを持つダチョウは、芸能人、政界にまで顧客を持つという売れっ子の

フレンズ占い師である。





32-8

その占い師が、コモモに告げた今日の運命…

「先生は予言してくれたわ…! 北緯、東経、この場所に間違いない! ここに…

 この廃屋に、『世界を再び救う力』が集まっているって!! それはつまり!」

「…おまえ、疲れてんだよ」「…そもそも廃屋ちゃう、うちら住んでるし」

「だまらっしゃい! 世界を救う力、よ!? しかも再び…ということは!

 あのとき、私たちと一緒に世界を救った私のハズバンド! 夫のトワが――」

「…………」「…? ちょ、たぬぽん。怖いよ! 包丁置こうよ!?」

その、世界を救う力、なるものが…それがどのような等式でか、ここにトワという

名の男がいると力説して、それを信じて疑わないコモモに。

「…そもそも、そのトワってなんだよ? そんな男、聞いたこともねえ」

「貴女、フレンズなのに知らないの!? 英雄、ジャパリパークの園長トワを!?」

「あー、あーあー。あのどイケメン園長、そんな名前やったんかー」

「とにかく! ここにトワがいるのはわかってるんだから! 出しなさいよ!」

「…コモモちゃん、あんたあのダチュウにダマサれてるで…」

「そんなはずない! 高いおかねだして頼んだのよ!」





32-9

食事を終え、茶も飲み終わったフレンズたち、そして事態の変転についていけずに

お地蔵さんになっているナナたちの前で、ココモは…

「トワ! あなたが…あなたが救ったパークから消えてしまって幾星霜…!

 ワイフの私を置いて消えたのは、浮気じゃないって…私わかってるから!!

 だって、もしそうだったら貴方を殺さなきゃならないの! 死なないでトワ…!」

何かに酔った声、そして瞳でコモモが訴えた、そこに――

 ざりっ と。黒タイツの下のローファーが庭の砂利を踏んで…進む。

「ちょ…!? 誰か、たぬぽんを止めて!」 ハクビシンが狼狽える、そこに。

「…ハクちゃん、どいて。そいつ殺せない! こいつ私の亭主の名前を気安く…!」

小柄なフレンズ、四角い菜切り包丁を持ったタヌキが…立っていた。

その彼女へ、コモモが…ツバ吐くように。

「ン? なに、あんた。…いま、聞き捨てならないコト、聞こえたんだけど」

「…耳まで悪いのかしら。私の亭主、旦那のトワを脱法ハーブ臭い口で呼ばないで」

「なんですってえ…!! このちんちくりんの星1ツ豆狸…!」

カッ!っと。コモモの目がナイフのようにつり上がりっていた。





32-10

…だが。ヒトの男でも震え上がりそうな、怒ったコモドドラゴンの剣幕にも。

「ここにトワは、私の夫はいないわ。今日は生かして帰してあげるから…消えて」

…普段の。おっとりしておどおどした、家庭的なほんわかタヌキの面影は…無い。

だが。相手は爬虫類タイプの中でも、最強最悪のコモドドラゴンである――

「ははあん。さては、この豆狸。…あんたが、私のトワをさらってここに隠して

 いるのね!? この私とトワに横恋慕とか! 鏡見たこと無いの、あんた?

 サンドスターが貧しさをさり気なく形にしてくれたような豆狸が!千年早いわ!」

…! タヌキが、握っていた菜切り包丁をゴトリ、机に置いた。

「あんたみたいな匹婦に表道具は使わないわ――その顔を、拳で整形してあげる」

「!! やってみなさいよ、この泥棒狸! セーラー服とか、マニア狙いの淫売!」

「…! いったわねえ!? この盗っトカゲ! 黒ゴスとか、トシ考えなさいよ!」

 なんですってえ!? いったわねえ!? こいつ! この! このお!

…激怒した二人の女は…

とっくみあい、というか。お互いを手で押し、つねり合う…

そんな、低レベルな争いを続けて…いた。





32-11

「…うわあん! あんたなんか、変態に脇毛刈られて筆の材料にされてなさいよ!」

「…うわあん! あんたなんか、間違えられてポンプ小屋に連れ込まれちゃえ…!」

「ハァ…」 ガチの喧嘩師であるオコジョが、しょうもな、と肩をすくめる。

ヒョウも、なかばホッとしつつ…ため息ひとつ。

「ナナちゃん、ちょっと昼めしぶん手伝ってえな。おにぎり、作ろ」

…結局。どっちも涙目で、終わりのない女のバトルを繰り広げるコモモとタヌキを

放置して、ヒョウとナナはみんなのお弁当のおにぎりを手早く、こさえる。

そこに… 下宿前の街路からこちらをうかがっていた、目が――

「ここがあの女のハウス…! 先生、タイリクオオカミ先生! わたしです!」

…わめきながら、庭に駆けこんできたのは…イタリアオオカミのフレンズ。

「いきなりギロギロの連載が終わって…! でも、ここにいるんでしょう先生!」

「…あっちゃー。デジャビュの元が来おった…」 ヒョウの苦悩は、続く…


未来を見誤る占い師はいない。だが、占い師は未来を確信できないまま、嘘をつく。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫を世界と伴侶の重さで惑わせるまで――あと393日……





33-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京の下町で彼女が、そして仲間のフレンズたちが暮らす「フレンズ下宿」。

正式名称は“みどり荘第四”なる、木造モルタル2階建て風呂なしトイレ共同の

そのアパートは、その庭は…めずらしくも、大にぎわいだった。

「…うちは今、フレンズいち、事情を説明するのがめっちゃしんどい女やねん…」


下宿のフレンズたちが、近くの建築現場にバイトの助っ人に出て。

そして昼食をとりに戻った、昼少し前。庭で薪コンロとはそり鍋をありったけだして

ごはんを炊き、汁を作っていたヒョウたちの前に――めずらしい客が、訪ねていた。

一人は、ジャパリパーク振興会のナナ研究員。

フレンズたちが、数ヶ月前から行方不明になったカコ博士の消息をナナに問い詰め、

そしてナナ研究員も何も知らないとわかって消沈していたそこに、もうひとりの客。

いわゆるファッションリーダー、ゴス系モデルのフレンズ、コモドドラゴンが――

通称、コモモちゃんが、客…というか闖入者として下宿の庭に乱入していた。

彼女いわく『ここに、彼女の夫である元園長のトワがいる』とのことで…





33-2

それはフレンズ占い師のオストリッチ・さち江先生こと、ダチョウがコモモに、

『ここに、世界を再び救う力が集まっている…』と告げたことが、どこをどうしてか

コモモに彼女の想い人がここ、フレンズ下宿に居るのだと曲解させて…そして。

下宿で、同じく元園長のトワを想い続けるタヌキとコモモが衝突し――そして。


「…うわああん! あんたなんかあんたなんか!」「うわああん! トワぁあ…!」


少女どうしの、お互いをつねりあうケンカは…お互いを罵倒する語彙、そして涙が

枯れたあたりで物別れになって…いた。

最初は、その戦いを止めようとしていたフレンズたちも…ヤレヤレな気分になって。

昼ごはんを終え、ヒョウとナナ研究員が大急ぎで握る夜勤用の弁当、おにぎり2個を

うけとって、それをホイルで包んでめいめいの手荷物にしまってゆく。

「ナナちゃん、おにぎり握るのうまいやん。どっかで習ったんか?」

「ミライ博士のところで、いつもやってたから。ラボって、意外と体育会系なの…」

ひとつが1合めしほどある大きなおにぎりが、ホイっ、ほい、と作られて。





33-3

種をぬいた梅干し、辛味噌で炒めた牛肉と竹の子のしぐれ煮、二つの具でおにぎりが

量産され、そのセットが弁当になってフレンズたちに配られる中――

3人目の、呼んでいない客が下宿に闖入してきていた。

「ちょっと、先生を出しなさいよ! タイリクオオカミ先生ここにいるんでしょ?」

「ひさしぶりやなあ。てか、先生はもうここにはおらへんで」

フレンズのイタリアオオカミ――少し前までこの下宿に住んでいた漫画家のフレンズ

タイリクオオカミ先生のファンというか、偏執的な追っかけというか、アレである。

その相手に、ヒョウはおにぎりをせっせと握りながら、

「先生はな…ほかの仕事があって、もういまごろこの国にも居らへん。本当やで」

「え、ウソ…!? そんな、先生が私に黙って…ありえないわ!」

「…だったら。編集部に行って、担当だったアミメキリンに聞いてみればええ」

「……えっ。……そんな、いきなり編集部とか… 担当編集とか、怖いし…」

「編集怖いって。あんたも漫画家やろ、持ち込みとかどうしてたんや」

「……持ち込み、したこと無いし…郵送と、ネット応募しかしたこと無いし…」

…こらアカン。ヒョウはため息ついて…





33-4

いきなり静かになってしまったイタリアオオカミに、ヒョウは出来たばかりの

大きなおにぎりを差し出し…きょとんとしている狼の手に、持たせた。

「なんなら、先生の部屋見てき。…だあれも、おらへん。それ食って、もう帰り」

…そんな… と漏らした狼は、だが。おにぎりを受け取って。

売れていない新人漫画家のご多分に漏れず、空腹だった彼女はカッカと牙を鳴らし

真っ白いおにぎりを食べていた。その狼に、おーちゃんがお茶のカップを差し出す。

…食ってるあいだは静かやろ――

ヒョウがナナ研究員とともに、おにぎり作りに戻ると。ナナが、何かを思い出し、

「あっそうだ。ヒョウさん、みなさん、ちょっとお願いしたいことが…」

なんや? ヒョウが答えたのと…そのヒョウの目が。

下宿の中庭を囲む塀、その門戸からこちらを伺っている相手に気づいた。

「ん? 誰や、またお客かいな」

「ちわー。いやー。客なんて、そんなごたいそうなもんじゃあないよう」

そこにいたのは…小柄な少女、いや、フレンズ。オコジョと同じくらいの背丈の、

髪の長い、くりっとした目の。ペンギンのフレンズの子のようだった。





33-5

そのペンギンは、ヒレ手を口のあたりにやって、にしし、と笑みを見せ、

「なんかにぎやかだなあ、と思って。いいじゃん、いいじゃん」

「うん? あんた、ペンギンの子かいな。めずらしいなー、ペンギンフレンズなんて

 アイドルにされるか、海自海保に引っ張られてこき使われてるもんやと思ってた」

「そうでもないよー? ちょっとジャマしても、いい?」

ヒョウが応える前に…その小柄なペンギンは、トコトコっと下宿の中庭に進んで。

…そして。“何か”が。ヌルリと。テケリリ、と。

ペンギンのあとを、小さくて黒い、リアル猫ほどの“何か”が――ついて進む。

転がるようにして動くたびに、テケリリ と音を立てるその黒い“何か”は…

身体に赤いスカーフを巻かた“何か”に。

「なんや、これ」 ヒョウがその“何か”に?な目を向けると、

「ああ。そいつね、私のペット。ほら、魔法少女にはマスコットがつきものじゃん」

「…誰がペットだよ! 誰が魔法少女だって? このデコッパチ… ぐえ!」

…しゃべった!? ヒョウたちが、黒い“何か”の発した声にぎょっとする。

ペンギン少女はにしし、笑いながら。足元の“何か”を靴で踏んでいた。





33-6

「いやー。にぎやかでいいねえ。私、こういう空気っていうか場所。大好き」

ペンギン少女は。フレンズたちでいっぱいの中庭を、そしてまだ炊きたてごはんと

煙の匂いの残る下宿の中庭をぐるり見る。

「嬢ちゃん、なんならこの下宿に住む? 今ならまだ部屋、あいてるで」

「えーマジで? ちょっと考えとくよー。南極の遺跡山脈も悪くはないんだけどさ」

せっせとおにぎりを握り続けるヒョウの誘いに、ペンギンは笑って答える。

そこに――さっき、話の腰を折られていたナナ研究員がハッとして。

「あ、そうそう。その、ここのフレンズのみなさんにお願いがあるんですよ」

おなじく、おにぎりを量産しながら、

「もし、街とかで野良のペンギンフレンズを見かけたら、私に連絡してほしいんです。

 具体的に言うと、ジャイアントペンギンのフレンズで… 名前だけはジャイアント

 ですけど、身体は小柄で…これくらいかな。髪は長め、おでこを出してて。

 少しおしゃまな感じのある…子です。ペンギンで小柄な子はめずらしいから――」

…ん? ん、んっ? 話を聞いていたヒョウたちは。

ナナ研究員と、そのすぐ横でけちょんとしているペンギンを…見る。





33-7

「……。えっと、ナナちゃん。そのペンギンって。えーと…」

「? どうしたんです、ヒョウさん。お願いしますね、みなさん。本当にもう…

 そのペンギンの子、いったいどうしてか…いっつも研究所から勝手に抜け出し

 ちゃうんです。IDも持ってないからゲートを出られないはずなのに…

 あの子は、カコ博士が最初に成功させた絶滅種の再生個体だから他所には…」

…ナナちゃん? ヒョウ、ほかのフレンズが気味悪そうに…

「なあ…オコジョ。ナナちゃんの言ってるのって…ここにおる…」「だよな…」

真横にいるペンギン、その捜索情報を口にするナナを見ていた。

気味悪くなってきたヒョウに、ヒクイドリがハッとした声を漏らす。

「…ナナちゃん、目を盗まれてる――このペンギン、ヒトの認識をハックして…」

ワケのわからないことを言われたヒョウの顔がフレーメンっぽくなった。

気まずい、ヒョウでさえツッコミを入れるタイミングを逸した、そこに。

「ごめーん、ちょっとお手洗い貸してー。美少女でも出るものは出てさあ」

にしし、笑いながらペンギン少女は。勝手知ったる他人の家、といったふうに歩き

下宿の中に…入って、いってしまった。





33-8

ペンギン少女の姿が消えるのと、はそり鍋いっぱいに炊かれていたごはんがすべて、

おにぎりに握られ形になったのが同時だった。

「さあて、みんな。そろそろ現場に戻るぜ。今日は夜勤だろうから、弁当忘れるな」

風呂敷包みを持ったオコジョが立ち上がると、食事とお茶休憩でまったりしていた

下宿フレンズたちもぞろぞろ動き出す。ヒョウとナナ研究員は、彼女たちに大きな

おにぎり2個の包みを手渡し、残りを数えながら… そして、ヒョウは。

「…。ぅ、うう… トワぁ…どうして、どうしてよう…」

すっかり忘れ去られ、庭の隅でべそべそ泣いていたコモドドラゴンのフレンズ、

コモモちゃんに余分のおにぎりひとつを、そっと差し出した。

「コモモちゃん、今日はなんや、ようわからんけど…これ食べて、気いつけて帰り」

「…うう、私…モデルなのよ。こんなおにぎりなんて… ぅう、塩っぱい…」

涙で塩分を失っていたコモモは、真っ白いおにぎりを両手で持ってぱくつく。

その逆側で、コモモと死闘を繰り広げたタヌキにも、ハクビシンが同じように

おにぎりを手渡していた。

「ほら、たぬぽん。私もう行くから…」「…ぐす… トワ… 会いたいよう…」





33-9

アルバイトの現場に向かうフレンズたち。その中で、

「じゃあ、みなさん。さっきのこと、よろしくおねがいします。ペンギンさんを…」

ナナ研究員も手を洗って、残っているおにぎりにラップを巻いて。

そのナナ研究員の目が、顔が。

“何か”の音に、?ときょろきょろ、した。

「…ちくしょう、ハラ減ったなあ。…クソ、あのデコッパチ、いつか分解してやる。

 いつもこき使いやがってよう、エサもほとんどくれないくせに… ハラヘッタ…」

 テケリリ と玩具のような音を立て、男の声で何か、恨み言を言っていた“何か”に。

「あのー。あなたも、フレンズさん? 言葉がわかるってことは…ですよね?」

ナナ研究員が、うごめく黒い“何か”に、かがみ込むようにして言葉をかける。

そのナナの声に、黒い“何か”は1秒遅れて。ギュルリ、と。

「…ん? え? おまえ、俺のこと見えてるのか? …あっちゃー、くそ。

 あのデコッパチ、俺へのカバーがハゲてんじゃねえか! なんてこった、おい…

 “古のもの”の食い残しなんぞに見られちまった―― …消さねえと…」

「? あの。よくわかんないけど… お腹、すいてるんですよね。はい、これ」





33-10

ナナは、ニッコリと。大きなおにぎりを地面の“何か”に差し出していた。

「な…? …マジかよ。おまえ、俺に… くれるのか、食い物を? おまえが食えば

 16時間分の熱量になるそれを、くれるのか? 狂ってるのか、おまえ?」

「? えっと。その、お腹すいてるみたいだったから。…おにぎり嫌いなら…」

「…! いや、もらう! くれ! 食っていいんだな? 本当にいいんだな!?」

その黒く小さな“何か”は テケリリ!! と音を立てポンポン飛び跳ねると、数本の

黒い触手を伸ばして――

ナナの手から、白いおにぎりを受け取って…いた。

「ひゃあ、銀シャリだ! ありがてえありがてえ… うめえ…うめえ!」

モッモ、ジュクジュク、と音がして…その“何か”の泡立つ体表に、白いおにぎりが

飲み込まれて消えてゆく。“何か”の小さく丸い目から、涙がこぼれていた。

「おいしいですか? よかったあ」

「ありがてえ… 俺、あのデコッパチにたまにしか食わせてもらってないからよう…

 ちくしょう、俺は名誉と***(人類には認識不能)ある第六胞槽から発芽した

 第一始祖のエリートだぞ、それがなんであんなデコッパチに…ちくしょう」





33-11

“何か”は、意味不明の泣き言をこぼしながら。だが空腹が癒えたのか、満足げに

黒い体をふくらませ テケリリ とコロコロ転がっていた。そして、

「ちくしょう。ヒトなんぞに恩義をうけちまったか。…なあ、あんた――」

声をかけられたナナが、えっ?と自分を指差す。

「この恩義は、必ず返す。我が胞槽の名誉にかけて、返すからな。忘れんなよ」

「?? えっと…その、ありがとう。あ、そうだ。じゃああなたも、ペンギンの

 フレンズを見つけることがあったら、私に教えてくださいね!」

「…ペンギン? おまえら、あのデコッパチが――あれが、ペンギンに見えるのか?

 ……。ああ、そうか。そういうことか。あの“色彩”はそうやって知性体を騙して

 寄生していやがるのか、えげつねえな、オイ。俺もあやかりてえぜ」

…ええと? ナナが、少し困ったような顔で小首をかしげる。それに“何か”は。

「わかラナイほうガいイ。何も知らないまま、その個体を使い切りなよ」

ぶっきらぼうに言うと テケリリ と丸くなる。

そこに、ペンギン少女がお手洗いをすませて下宿から出てきて――

「ありがとねー。じゃあ、みんな。またねー」 ヒレ手を降る。





33-12

ペンギン少女が、ぽんぽん跳ねる“何か”を連れて下宿の庭を出てゆき…

コモモちゃんもコンパクトとチークで泣いていた顔などなおしながら行ってしまい…

イタリアオオカミもおにぎりのお土産までもらってトボトボ、帰ってゆく。

「さあて。たぬぽん、いつまでも泣いてへんで。片付け、やってまうよ」

下宿フレンズたちが仕事先に向かい、ヒョウとタヌキがはそり鍋とコンロ、食器の

片付けを始める。…まだ、陽は高い。うららかな、のどかな、春の泊。

そんな、下宿の庭を…

「――……」 誰もいない、はずの下宿の部屋。オオカミ先生の部屋から、

窓ガラス越しにその庭の様子を、ずっと見つめていた目が…若い男の姿が、あった。

背の高い、そして。ハッとするほどに整った顔立ちの、物静かな美青年は――

「…みんな。すまない…」 その手には、レンズのようなお守りが浮いていた。

青年の声が消えると同時に、その姿もフッとぶれて…四畳半から、消えた。


機械仕掛けの神は、舞台に降ろされる。だが、神すらもこの劇の脚本を読んでいない。

「セルリアン大壊嘯」が絶望の王の妃として豹頭姫を選ぶまで――あと393日……





34-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京の下町、ヒョウのような無職や、あるいはそれに限りなく近い無聊をかこつ

フレンズたちが暮らす安アパートは通称「フレンズ下宿」と呼ばれていた。

昭和に建てられ、すでに築五〇年をゆうに超えるこの木造モルタル2階建て風呂なし

トイレ共同のこの下宿――そこに並ぶ四畳半部屋、その一室に棲むヒョウ。

「…うちは今、フレンズいち、どスケベで耳年増なしょうもない女やねん…」


この下宿の新人、フレンズのオオカワウソ。通称、おーちゃん。

今はもういない、タイリクオオカミ先生からヒョウたちこの下宿のみんなに彼女が

預けられたのは今年の頭、まだ凍てつく風の吹く2月だった。

最初は、大柄な身体に、飢えた野生の獣のような顔で目も見開き、牙をい剥いていた

おーちゃんも… みんなと暮らし、同じものを食べ、眠り、同じ銭湯にかよっている

うちに、だいぶフレンズっぽく、少女っぽさを取り戻してきていた。

「…ウん、アたし、パークの島にイて、そこから… えっと」

だいぶ、言葉も話せるようになっていた。なにかから、回復しつつあった。





34-2

週に一度、掃除をして流しを使っている元タイリクオオカミ先生の部屋で。

ヒョウとオコジョ、そして掃除を手伝ってくれたおーちゃんは古畳の上に座布団で

車座になって。先生のお茶を拝借し、すすけた窓ガラスから差し込む春の日差しの

下で、のんびり、てろてろと他愛のない話をして時間を流していた。

「…そっか、おーちゃんもうちと同じキョウシュウ島の出身やったんやな」

「俺はゴコクの出だから、そっちのことはさっぱりだ。デカい火山があるんだろ」

ヒョウとオコジョに、おーちゃんはうなずいて。

「…ウん、としかき…たちは、パーク・フジって呼んでた、ヤマ…」

「うちらは、ただの山とか火山って呼んでたなあ。…ところで、おーちゃん」

茶碗の白湯をすすったヒョウは、片手の小指をピッとたて、

「あんたがときどき言うとる、としかき、っちゅーのは誰や? もしかして…」

うま味のある顔で、ずいとせり寄ってきたヒョウに、おーちゃんはきょとんとして

から…ヒョウの、「カレシなんか?」という声と笑みに、

「…ウん、としかき… アたしの、カレ…アたし、だいすき…としかき…すき…」

ため息のように、だか熱っぽく語ったおーちゃんに、





34-3

気だるそうに茶をすすっていたオコジョが、ブッと茶を噴きかける。

「か、彼氏って…おーちゃん、あんた… その、男…オトコが、いたのかよ?」

同じイタチ科として、おーちゃんの姉御として面倒を見ていたオコジョにとっては。

彼氏のいないガチ処女のオコジョにとっては、この報告はショックだった。

そしてそれは。同じく処女で、絶賛片思い中のヒョウも同じで――

「…そ、そっか。おーちゃん、そんな顔してー。やるやん。で…そのオトコとは。

 パークで会ったんか? もう…彼氏とエッチとかしとるん?」

「…おい、ヒョウ。昼間っからなに言ってやがる…」

話題にがっつくヒョウと、可憐な顔立ちを真っ赤にしたオコジョに、

「……。ウん、パークで、みンなと会って…としかき、アたしのこと、すき、って

 言ってくれて… アたしも、ダイ好きだったから、ふたりで… いつも……」

オオカワウソは、赤い瞳を柔らかく細め、うつむきながら…

その両の腕を、何か抱きしめるようにぎゅっと抱えたおーちゃんの顔と声、そして

腕の下で柔らかく形を崩した、水着の下の大きく柔らかな乳房に…その艶に。

…ゴクッと、二人の処女フレンズがつばを飲んだ。





34-4

「…そ、そっかー。おーちゃん、スミにおけんなあ。…は、ハハ」

…さり気なくショックを受けたヒョウは。

…いままで、ウブな後輩だと思いこんでいたおーちゃんから漂う色香のそれが。

ヒョウのフレンズ友で、どちらも彼氏持ちのジャガーやマレーバクがのろけるときの

それと、全く同じだったのが…ヒョウの心拍数をあげ、焦らせていた。

その横で、何度か咳払いして、だがまだ顔の赤いオコジョが、

「なあ、おーちゃん。そのとしかき、って野郎は…あれか。パークの職員か?」

「…ウうん、ちがうよ。…としかき、たち… ヒトが居なくなった、あとで来た――」

オオカワウソはそこまで言って、急に…記憶が途切れたように、声を飲んだ。

「え? 職員じゃなくて? ヒトが島から退去したのって…最近、やん?」

「…いま、パークの全島は無人で、軍隊が封鎖してるんじゃないのか? おい…

 なんだよ、そのとしかき、ってのは? しかも、みんなって… 仲間がいたのか」

ヒョウとオコジョが疑問を口にするが…だが、オオカワウソは。

「――…… ア、あ…あれ… アたし… わかラない…あれ…」

彼女は、自分の鉤爪の手のひらを見つめ…声を震わせる。





34-5

「…しまった。おーちゃん、無理しなくてええ、思い出したらでいいんや」

オオカワウソが、何らかの事件で意識と記憶が混濁している…オオカミ先生からの

言葉を思い出したオコジョとヒョウが、しまったと顔を見合わせる前で。

「…としかき、どこ…? アたし、なんで… ここ、どこ…ダったっけ…」

おーちゃんの目が、また丸く開かれ。血のように赤いそこから、何の表情もない

その目から、涙だけがポタポタと座布団の上にしたたっていた。

…しまった。ヒョウがうろたえ、動くより早く――

「……大丈夫、だいじょうぶだ…… ここには、怖いものなんてない」

ヌルっとイタチ科特有の動作で立ち上がった小柄なオコジョが…座り、うつむいて

いるオオカワウソの頭を抱き寄せ、自分の倍ぐらいある相手の髪を優しくなでる。

「…大丈夫、ここには彼氏はいないが…私たちがいる。みんな仲間だ。心配すんな」

「…ゥ、ウ… アたし… ゴメん、ね… 何がアったか、思い出せない…」

オオカワウソの声に、涙つきでも、温かみのある色が戻って――

ヒョウはほっとして、保温ポットの白湯を出がらしの急須へと。

…そこに。 ビィイイイ と。何かの音が響いた。





34-6

「…ん? なんやったかな、この音」「…あっ、玄関の呼び出しブザーだぜ、コレ」

ふだん、自分たちが使わないその機器の音に。

ヒョウとオコジョは立ち上がって、そして?な顔のオオカワウソもそれに続いて、

三人のフレンズはオオカミ先生の部屋を出、暗い廊下を渡って玄関に、進む。

開け放たれた玄関のむこう、春の日差しが差し込むそこに――

「ふん、相変わらず掃除をサボっているねえ。若い娘が、だらしない」

小柄な姿が。ヒトの女性だが、加齢と闘病で身体が縮んでしまったような、だが

品のいい和服を着た老婆が…いた。背も曲がらず、しゃんと立つその老婦人は――

「…!! 大家はん!」「…大家さん!?」「…?」

ヒョウとオコジョの声がハモる中、その老婦人は…シワの顔に、ニヤリと。

「ふん、甲斐性なしと鉄火がお出迎えかい。…ここは変わらないねえ」

その老婦人は、ここフレンズ下宿、正式名称“みどり荘第四”の大家であり、家主、

そしてこの辺り一帯の地主でもあるヒト、小五浦とし美女史であった。

その小さな老婆に、ヒョウたちは駆け寄って。

「ばーちゃん! どうしたんや急に?」「大家さん、ご入院なさってたんじゃ…」





34-7

下宿フレンズたちに、大家は年季の入った「やれやれ」で肩をすくめ、

「どうもこうも。ここは私のうちだよ。いつまでも病院なんかにいられるかい」

「そっか、退院したんかばーちゃん。ほんまや、ちゃんと足があるわ」

「…よかった、大家さん! お元気になられたんですね…」

ペルソナを付け替えたオコジョに、大家の老婆は「ムリすんな」という笑みでその

頭を、髪をなでてやる。その老婆の顔が、懐かしそうに建物を見…

「かわらないねえ、ホッとするよ。ほかの宿六娘たちも、元気かい」

「そりゃもち… あー、何人か、居なくなってるけど。その、みんな元気やで」

それよかった。老婆がうなずき、そして。

とし美女子の顔が、背後に――下宿の庭、外塀と門のあたりに向いて。

「…いつまでそんな所につっ立ってんだい。入っておいで、とし坊、お嬢ちゃん」

大家が声を掛けると、塀の影からゆらりと。人影が二つ現れる。

片方は、背が高く、痩せた…介護杖を持った背広姿の老人。もう片方は…

「…!! みんなー! わーい、ひさしぶりー! あ! おーちゃーん!」

小柄な、黒っぽい姿が…コツメカワウソが、マリのように跳ね、駆けてきていた。





34-8

「…ア、あ… コツメ…」「ひっさしぶりー! よかった、今日はいたんだね!」

いままで、ぽけっと立っていたオオカワウソに――背広の老紳士に付き添っていた、

看護師服の上に釣り用パーカーを着たコツメカワウソが駆け寄って、飛びつく。

「コツメやん。どうしたん、今日は。大家さんといいあんたといい、出戻りかい?」

親子ほどに体の大きさの違うオオカワウソに抱きついて、グルグル回っていた

コツメカワウソが。ヒョウたちに、くりっとした黒い目を向けて笑う。

「今日はね。矢那おじーちゃんのつきそいだよ! おじーちゃん、こっち!」

コツメが声をかけると、あの背広の老人が杖をつきながら庭を渡り…

大家の隣に進んで、そこでみんなにお辞儀をする。

「…矢那、と言う者だ。そちらの豹のお嬢さんとは、去年の年末に屋台で会ったね」

「…え。あ、ああ…その、おひさ…です」

「…えっと、ここの寮長、オコジョですわ」

ぶっちゃけ老人のことは覚えていなかったヒョウと、オコジョが挨拶を返すと。

「今日は、とし美さんと少しお話があってね。お邪魔させてもらうよ」

「…ふん。お互い、病院なんぞじゃくたばれないもんだねえ。こっちさ――」





34-9

大家は、スタスタと進み、慣れた手付きで履物を脱いで、板の間に上がる。

「ばーちゃん、自分の部屋でええんか?」「もちろん掃除はしてありますわ」

「ああ、今日からまたここの部屋で私は暮らすからね。…だから、あんたら。

 私が居ない間みたいな、だらけた宿六暮らししてたら追い出すからね」

ニヤリ、いい顔で渡った老婆に…ヒョウとオコジョが、顔を背ける。

「とし坊、こっちさ。…すまないね、すこし年寄りどおしで話をするよ」

「わかった。…コツメちゃん、すぐ終わるからみんなと遊んでいるといい」

「うん! わかった! おーちゃーん、みんな! 何して遊ぶ、なにする?」

老人たちが廊下を渡ってゆくと、今日何度目かの顔を見合わせたヒョウとオコジョも

二人のあとを、おそるおそる、ついて進み。

「…あの、お茶をお持ちしますわね」「ごはんでも炊こか? ラーメンでも…」

「かまうこっちゃないよ。すぐ済むさあね」

「…ハハハ、この下宿にお邪魔をするなんて何十年ぶりだろうね。でも…」

背広の紳士が立ち止まり、年季の入った天井、柱を、黒く光る廊下を見る。

「ここは、変わらないね。とし美さん」 ひどく柔らかな声で、言った。





34-10

「ふふ。あの時と変わらず、若い娘ばかりが暮らしているからねえ。建物も喜ぶさ」

その大家の声に、ヒョウたちが??という顔をすると。

「いまはねえ、宿六のあんたたちが暮らしているけど。昔は、この下宿は“晴風館”

 って名前でねえ。近くの女学院に通う良家のお嬢様たちが暮らす寮だったのさ」

「…知らんかった。てか、それ何百年前…」

「いまじゃ、風呂もない四畳半には堅気は住みゃしない。荒れるくらいならって、

 私が区役所に掛け合って、あんたたちあにまるがーるのヤサに貸し出したのさ」

「…知りませんでしたわ。そんな歴史が」「お嬢様が、こんなボロ屋にねえ」

大家、そしてヒョウたちが話す中。下宿の外の庭から、早速なにかの遊びを始めた

カワウソたちの声が響いてきていた。その花が舞うような空気の中、

「…私も、若い時分はここに住んでたもんさ。何度も改築、修理したけど…

 こうやって、誰かが住んでいるうちは建物は死なないんだ。あと百年だってね」

大家は、愛おしそうに手沢で黒く光る柱に手をおいて。

「…私が入院しているあいだに、出来の悪いバカ息子が勝手に話を勧めたけど…」

そのシワの顔が、痛むようにゆがむ。





34-11

「私はここを手放したりしないよ。あんたたちは、ずっとここに住んでいいんだ…」

「…? ナンの話や、ばーさん?」「…大家さん、まさかここが取り壊しに?」

だが。老婆はヒョウたちの声には応えず、老紳士を連れて廊下を行ってしまう。

暗い廊下に取り残された、ヒョウとオコジョは。

「…なんやろな。ばーさん、何の話を…あのじーさん、何者やろ」

「…もしかしたら。大家さんの、昔の彼氏かも…さっき、ここに来たのは、って」

アッ、とヒョウは声を漏らして。あたふたと周囲を見る。

「まさか、ばーさん。昔の男と逢引するために、ここに戻ったんかな?」

「どうかな…大家さんはこの地殻に、でかい屋敷があるのにな。なんでわざわざ、

 こんな狭い風呂もねえ四畳半に戻ったんだかな… 思い出ってやつかなあ」

「…死ぬ前に、懐かしの場所に戻りたくなったんと違うかな」「よせやい」

ヒョウたちが好き勝手言う廊下の向こうで、ドアが開き、閉まる音がししていた…


――パチ、と電灯のスイッチが音を立てると。

こじんまり片付いた四畳半の部屋に電球が温かな光を広げ、家具の影を落とす。





34-12

「…お互い歳だ。下手に座ると、立つのが億劫で。立ち話でいいかい」

「ああ。長居すると“やつら”がここに乗り込んでくる危険がある、手早く行こう」

「やっぱり尾行されていたかい」「気づかれるようなものを尾行とは言わんよ」

「で、とし坊。ろくでなしどもの尻尾はつかんだのかい」

「すまない、まだだ。だが、内閣府の奥深くにいるウジ虫どもなのは間違いない。

 総務省の友人が俺に警告してくれたくらいだからな――」

「ふん。役人だか代議士だか知らないが。けものの娘たちを使って、ろくでもない

 ことをしようとしているんだろう? 例の人食い怪物騒ぎにかこつけて?」

「ああ。俺のいた警備二課の遥か上のほうで事態は動いている…昔の部下たち、

 フレンズたちを助けたいが…まだ、味方が少なすぎるし、遠すぎる」

「弱音吐くんじゃないよ。…私はここに住民票を移してある、最後まで戦うさ」

「…すまない。俺はアメリカの博士とミライ連絡が取れたよ。そう、あちらにね…」


誰が敵かもわからない。誰が味方かもわからない。だが戦いはもう始まっていた。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫の手に追憶と涙だけを残すまで――あと386日……





35-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京の下町に今でも残る、昭和が香る木造2階建てアパート。風呂なしトイレ共同、

四畳半和室のその古アパートには、無職や、あるいはそれに近いフレンズの少女たち

が身を寄せ合うようにして暮らしていた。

通称「フレンズ下宿」。その一室に住む、下宿の古株で職なし彼氏なしのヒョウは…

「…うちは今、フレンズいち、自分の部屋でも居所のない不幸な少女やねん…」


そのフレンズ下宿、正式な登記名は「みどり荘第四」。建てられたころは晴風館なる

瀟洒な名前だったらしきそのアパートに、先週から大家の老婦人が戻ってきていた。

体調不良で、しばらく入院していた大家の帰還にフレンズたちは喜んだ、が…

「…うかうか、寝坊もできへんし夜更かしなんて見つかったらエライコッチャでえ」

「…仕事がないからって部屋でゴロゴロしてたら叱られたぜ…」

ヒョウと、同じく古株のオコジョが共同炊事場の片隅で顔を突き合わせ、ぼそぼそ

小声で苦境を声にする。彼女たち下宿フレンズは――

大家の小五浦女史、大家のばーさんは厳しいヒトだったと…思い出していた。





35-2

家賃と、最低限の食料とアメニティは区役所が支給してくれるこの下宿だったが…

それゆえに、ほかに行き場のない、そして極力働きたくないフレンズたちが

吹き溜まることとなった下宿だが…

はるか昔、この下宿が清風館と呼ばれていたころ。

近くの女学校に通う良家のお嬢様たちが下宿していたという時代、その気風を大家は

たとえ住人がフレンズであろうとも、守り残そうとしているようだった。

「…おーちゃんはああ見えて、外に出たがりだし働き者だからまだよかったけど…」

「ばーさん、うちらにも定職につけってか? …冗談はよしざきおにーさんや」

朝は5時過ぎから起き出し、小さな老体でパワフルに下宿と庭の掃除を始める大家、

そして7時には共同炊事場でめしを炊き汁を作っている…大家はその身をもって、

お金と食べ物があるうちは出来るだけ動きたくないヒョウたちにプレッシャーを

与え続けて…そして1週間が経過していた。

もとより働き者のタヌキとハクビシン、ヒクイドリは問題なかったが…

ヒョウと同じくらいののんびりだが、圧力に弱いラクダ姉妹とテンとクロテンは

三日目には折れて、顔なじみの職場へ働きに出てしまっていた。





35-3

残るは…極力働きたくないヒョウ、喧嘩っ早すぎてヒトづきあいが難しいオコジョ、

そしてオコジョの妹分のビントロングとなっていた。

「ビントロはどこに行ってるんや? 最近、昼間は下宿に居らへんみたいやけど」

「それは俺も知らねえんだ。あいつ、変なところで隠しごとが多いからなあ…」

時刻は、そろそろ10時。いつものヒョウだったら、まだ四畳半の古畳、布団の

上でゴロゴロしているはずの早朝に等しい時間であった。

オコジョは、黙っていれば可憐で可愛らしい顔と、手で…ビッ、と熟練の手付きで

手鼻をかみ、流しの排水口に鼻水を飛ばして水で流す。

「俺も、おーちゃんが行った区役所に顔だしてみるかな…」

「…うちも出かけるわ。あー、そうだオコジョ。今日が…5月の、3日やろ。

 6日のシノギ、忘れんよう頼むで。大田区の、イベント会場やからな」

「ああ、わかってる。売り子の手伝いだろ? ヒョウも支度でヘマすんなよ」

オコジョは、競馬場にたむろするオッサンの風格を背中に。行ってしまう。

「…出かける、ゆうても。…外に出ると無駄遣いしてまうしなあ」

外は、中庭は、街路は。東京は、素晴らしい上天気だった。





35-4

スン、とヒョウの鼻が下宿の空気を吸って。…どの部屋も静まり返っていた。

1階のどん詰まり、大家の部屋からも物音がしない。

その隣が自室のヒョウは、自分の部屋に戻る気にならず…かといって、他の部屋。

「…空き部屋、増えてもうたなあ。カメやんも全然、戻らんし…」

前にハシビロコウが住んでいた部屋は完全に空室、最近音信不通のカメレオンの部屋

そして…旅立ってしまったタイリクオオカミ先生の、部屋。

…カメレオンの部屋にはテレビがある。が…そこでつまらない昼の番組を見る気にも

なれなかったヒョウは――最近、掃除にかこつけてちょくちょく入り浸っている

オオカミ先生の四畳半部屋に、こっそりと入り込む。

「…先生が居たの、めっちゃ昔みたいに感じるわ…」

ヒョウは、窓辺においてある鉢植え。オオカワウソの髪についていた種を植えたら

発芽し、今はアサガオのようなつるを伸ばしている謎の草に水をやって。

…この、先生の匂いがまだ残る部屋で…干し草っぽい、かすかな甘みのあるその

匂いの中で昼寝でもしてしまおうかと思った、が。ヒョウは首を振る。

「…あかん。いま昼寝したら、夜またぐだぐだしてまうやん…あかん…」





35-5

大家のばーさんが下宿に戻ってから…ヒョウの隣の部屋に戻ってから。

彼女は、ダメだ、もう絶対にせえへん、と毎日誓いながらも毎晩それを砕いていた

悪癖…手淫が、オナニーが前よりやりづらくなって、いた。欲求がくすぶっていた。

…毎晩、一度会っただけのヒトの男、少年のことを思いながら指で自分の恥部と

胸をなぶってしまうヒョウだったが…

隣に、あの堅物のバーサンがいると思うと気が乗り切らず。

しかも最近は…

「…本間くん、うちのことなんて…もう忘れてるやろうし、うちだけ…あほみたい」

一度会っただけで、ヒョウがはじめての恋におちてしまったその少年とは――

名前と学校を知っているだけのその少年とは、それから何かあるはずもなく。

ヒョウは、彼の妄想で自分の身体を慰め続けるのが…次第に、むなしさと切なさが

身を溶かす快感をにごらせるようになってきていて…でも、毎夜の指を止められず。

「先生は、がんばれ言うてくれたけど… うちみたいなスケベな女、あかん…」

泣きたい気分になってきたヒョウは、先生のタンスからまた衣服を借りて。

ジーンズとスウェット、いつもの無職スタイルの上に黒のボレロを羽織った。





35-6

毛糸の帽子をかぶってけも耳を隠したヒョウは、下宿を出て…市街を、駅の方へ。

支給される公共機関チケットで電車に乗って。…最初は行くあても目的もなかった

ヒョウだったが、いつの間にか、何回か乗り換えて文京区方面へ――

新大塚、護国寺あたりにある、総合出版大手の編集ビルへと向かっていた。

…そこは。

ヒョウと縁、というか因縁のあるアミメキリンと姉妹のいるコミック編集部だった。

「なに、ヒョウじゃないの。来るときはアポ入れなさいって、公衆電話でいいから」

いつもはお洒落で、凛々としているアミメキリン。その彼女には似つかわしくない、

書類や封筒、何かの箱、いくつものタブレットが雑多に積まれたデスクの前で。

「…他の作家さんのところのアシスタントの仕事はどう、続けられそう?」

「…あ、あー。うん、オオカミ先生が紹介してくれた、アレ、なあ」

少しおつかれ気味だったアミメが、自販機からヒョウのぶんのコーヒーも持ってきて

くれて…出払っている外のスタッフの椅子にヒョウを座らせる。

ヒョウは、言い出すかどうか少し迷った後で、

「…すまん、あのアシスタントの仕事、うちにはちょっと、合わんと思うて…」





35-7

コーヒーをひと口すすったアミメキリンが、小首をかしげて長い髪を流す。

「合わないって。とくに先生方のほうからクレームは来てないわよ。それどころか。

 あんたみたいなアナログ専門のアシスタントは貴重だから、これからも…って」

「…うん、それなんやけど」

ヒョウは、オオカミ先生が旅立ったあと――

先生の紹介で、今でもアナログ作画をしているヒトの漫画家先生のところに何度か

アシの手伝いに行っていた。

「…先生がた、ほかのアシさんもみんな、ええひとなんやけど。…そこだとな…

 なんかうち、お客さんっていうか。フレンズだからなんかな、あんまり無理させん

 よう、みんな気ぃ使ってくれてて…それが、逆に苦しくってな… つらいわ…」

ぼそぼそと、ヒョウが弱音を吐くと。それを黙って聞いていたアミメは、

「そう」と、とくに不機嫌も失意もなく、最初からわかっていたような顔で、

「だったら仕方がないわ。あちらの先生には、あんたは自分の作品に取り掛かった、

 とか適当に言っておくからいいわよ。…まあ、それ本当でもいいんだけど――」

「…えっ。う、うち、自分の漫画なんて無理や。…その、アミメ…サン…ごめん」





35-8

「やめてよ、さんづけとか。気味悪いし、それに私、謝られる覚えもないわ」

「…正直すまん。……。な、なあ、アミメ。…あれから、オオカミ先生は何か?」

「……。何も。…というか、先生は観光に行ってるんじゃないわ。わかるでしょ」

「…そうやった。その、今日はさっきのこと、謝りにきただけやから…」

…茶、ごっそさん。ヒョウが紙カップを手に席を立った、そこに。

「あれ? 誰かと思ったらあんた、オオカミ先生のとこの――」

アミメと声が似ている、だが若干トーンが高くキラッとした棘のある声が響く。

そちらに振り返ったヒョウの目に、もうひとりのキリンが…

コミック編集のアミメと比べると身につけているものが明らかに違う、コスメも

はっきりとした派手めキリン。女性誌編集のロスチャイルドキリンがヒールの音も

高らかに歩いてくる。

「ヒョウ、だっけ。ネコ科はみんな似ているから間違っていたらゴメンね」

「どんぐりの背比べならキリンには負けるわ。…元気そうやないの、ロスっち」

ヒョウに愛称を呼ばれたハデメキリン、ロスチャイルドがふん、と腕を組む。

「相変わらずね。ティファニーのときはあんたに一杯食わされたけど…」





35-9

ロスっちの今風コスメされた目が、ちらり、ヒョウを見…そして。

「今度は、仕返ししてやるんだからね。…あのときは先生の前だから我慢したけど」

ロスっちは、別の空いていたデスクの椅子を引いて、そこに見せつけるようにして

モデル座りをして足を組む。細かいデニールのタイツと、ハイヒールが艶っと光り、

ヒョウのボロいスニーカー、アミメのパンプスを無言で威圧した。

そのロスチャイルドキリンが。物憂げに髪を手指でくしけずり、

「……。あー、もう。どーしよっかな、黙っててやろうと思ったけど…」

アミメの?という顔。ヒョウの、なんや?という目に、ロスっちは。

「先週ね、ヒョウ。うちの編集部に、あんたを探してるっていう男が来たのよ」

…え? とヒョウの顔が傾ぐ。

「ロスっちの女性誌編集部に、男? しかも探す相手がヒョウって…」

アミメもいぶかしげに姉妹を、そしてヒョウを見る。

「私だってわけがわからないわよー。最初はお引取り願おうと思ったんだけどね…

 その男のコ、けっこう可愛かったし、駒場高かなあれ?いい進学校の制服着てた

 から話だけ聞いたのよ。…そしたらその子、探しているフレンズがいる、って」





35-10

…!! 男の子…進学校…!? …うちを、探してる…!?

――ヒョウの心臓が、体の奥を貫く意識が、どくん!と波打った。

「それが、ヒョウ。あんたみたいでさあ、その子も猫科フレンズってことまでしか

 わからなかったみたいなんだけど、どうやってかうちの編集部に来ちゃってさあ」

彼女のことが好きらしいヒトの編集から差し出された飲み物を受け取ったロスっち

が…ヒョウの体奥の鼓動などお構いなしに続ける。

「ヒョウ。前に、赤坂でセルリアンが暴れたとき、あんたそこにいたでしょ?」

「…! う、うん… な、なあ、ロス…ちー、その子って…」

「ええ、そこに居合わせて。そこで助けてもらったフレンズにどうしても会いたい、

 お礼が言いたいって――うちに来たのよ。見た目は可愛いけど根性ある子よね」

「…!! ちょ…な、な… ホンマくん、ど…そうして……」

「なんだ、ヒョウ。あんた、その子の名前知ってるの。だったら話は早いわ」

「まって、ロスっち。その子、どうしてヒョウがここの編集に出入りしてるって

 わかったのかしら? ヒョウ、あんたが何か言ったの?」

疑問を口にしたアミメに、ロスっちの余裕の笑みが向いた。





35-11

「それが。その本間くんって子ねえ、ヒョウがそのとき着ていたダウンコートの

 ことをしっかり覚えてたのよ。それでうちにたどり着いたってわけ」

そこまで聞いても??のヒョウに、ロスっちは。

「あんた、あの日。赤坂の編集に原稿届けたあの日、モンクレールのダウンコート

 着てたでしょ? どうせオオカミ先生のを勝手に借りたんだろうけど」

「う、うn… でも、なんでそれでホンマくん…」

「あの子、けっこう育ちがいいっていうかお金持ちの家の子でしょ。モンクレール

 のデザインを覚えていて、それをネットの海から探し出して――しかもそれが

 日本では売られなかった限定モデル、ってことになれば、ねえ」

「なるほどね。そんなものを着ているのはファッション関係者… しかもフレンズ、

 となれば私たちのスタジオにヒントがあると思って、その子、来ちゃったのね」

キリン姉妹がパズルを解くように話す、その横で…ヒョウは。

(……!! ホンマくんだ…! 本間くんが、うちのことを…探してる…!?)

ヒョウは、汗がにじんできて止まらない顔、そして涙がこぼれそうになっている

顔を両手でこすって、隠しながら…席を立つ。





35-12

「? どうしたの、ヒョウ」「…ご、ごめんな、ちょっとトイレ…」

ヒョウは逃げ出すように、キリン姉妹の前を離れて。よろよろと、勝手知ったる

編集スタジオを横切って洗面所の方へ、女子トイレに駆け込む。

「…! ッ、はあ、はあ… あ、あ…!」

ヒョウは、鏡に写っている自分の顔を観るのすら気恥ずかしく、そのまま大の

個室に駆け込み…両手で顔を覆い、胸の中で熱く濁っていた息を吐く。

「…うそ、うそ…うそやん… 本間くん、うちのこと探しててくれた…!」

涙が止まらなかった。すっぴんのヒョウだから大惨事にならず、本能のままに

感涙を溢れさせ続け、嗚咽して…両手で、大きな両胸がひしゃげて痛いくらいに

自分を抱きしめて… 片思いしている男の名前を繰り返していた。

「本間くん…! うち、うれしい…うれしいよお… 会いたい、会いたい…」

時間にして、3分ほど。それまで、自分の胸の奥、そして毎晩うずく体の中で

よどんでいた男への思いが、嗚咽と涙になってあふれて…そして。

「…………」 ヒョウは、洗面台の鏡でしばらく自分をじっと見ていた。

彼女は先生から拝借していたレネルのボレロを脱ぐと…編集に、戻る。





35-13

ボレロを手にして戻った、無職スタイルのヒョウにロスっちが、

「なに、あんた泣いてたの? ちょっとお… どういうこと、あの子って

 あんたのなんなの? まさか無職で下宿住まいのあんたと金持ちの…」

容赦なくつっこむロスっちに、アミメが よしなよ という顔を向ける、が。

そのキリン姉妹の前で、ヒョウは…ガバっと、頭を下げる。

「アミメ、ロスっち…! すまん、いままで迷惑かけたりおちょくったり…

 こんなこと、言える義理やあらへんけど…おねがい、頼みが――」

「え? ちょっと、あんた? なに言ってるのいきなり…」

困惑し、いらだった口調のロスっちをアミメが止めて、言った。

「頼みって、なに。あんたのことは先生から頼まれてるの、言うだけ言って」

「…その。うち、このままじゃあかん、と思うて。…だから、おねがい!

 なんでもいい、仕事が欲しい…! うち、ちゃんとした女になりたいんや…

 本間君の前に出ても、恥ずかしくない… そんなふうに… なりたい…」

そこまで聞いた、聞いてしまったアミメが…3秒ほど、窓の外の遠くを見て

から、内線電話を鳴らして 「姉さんをお願い」 と、誰かを呼んでいた。





35-14

ヒョウが、ロスっちから渡されたちり紙で鼻をかんで、しばらくして。

「…なあに、アミメちゃん。あら、ロスっちも。どうしたのどうしたの」

やってきたのは、もうひとりのキリン。

背は三人の中では低いが、ロスっち以上のパンと張り詰めた爆乳をスーツの

下で揺らせながら歩く…おっとり顔で、男好きのしそうな美人のフレンズ。

姉妹の中では一番上の役職、メディア事業部のケープキリンが現れていた。

「姉さん、いきなりごめんなさい。ちょっとお願いがあって」

アミメはため息つくように言ってから。おどおどしていたヒョウに、

「ヒョウ、あんたは今日からうちの編集部の進行見習い、アシスタントよ」

「えっ…? そ、そんな。もっと木っ端の仕事でも、うち、ええんやけど…」

「惚れた男に釣り合うオンナになりたいんでしょ? 違うんならもう帰って」

「…! いや、頼むわ…ううん、おねがいします、アミメ! おおきに…!」

「明日から、8時出社ね。交通費諸々は支給するわ、いいわね姉さん?」

「私は大歓迎~、ネコの子ってキレイで、私大好きよ!」

「…ちょっと、知らないわよ私、もう…」 キリンたちが話す中、ヒョウは。





35-15

「ありがと、アミメ、ロスっち…そちらのアネサン…! おおきに!」

ぎこちなく頭を下げて、だが。その目には、虹色の火花が燃えていた。

「…アッ。いきなりですまへんけど、6日は先にシノギが…そのー」

「大田区PIOのイベントでしょ。私たちも参加するから、平気よ」

イベント担当のロスっちが、余裕綽々できれいな両手指を組む横で、

「それと。ヒョウ。私のところはコミック編集だからまあ、いいけど。

 ロスっちやケープ姉さんのところにはそんな格好じゃ出入り禁止よ」

「えっ… じゃ、じゃあ、その…」

弱り顔になったヒョウに、アミメがにっこりと。初めて見る笑みを浮かべ、

「明日から、仕事は私がみっちり仕込む。ロスっち、もう着なくなった服が

 山ほどあるでしょ、少しヒョウに貸してあげて。体型ほとんど同じでしょ」

「えー。まあ、いいけど。服貸すってことは、着方も教えてあげなきゃじゃん」

「そういうこと。ケープ姉さん、時間のあいてるときでいいから…このねこに、

 お化粧をイチから叩き込んであげて。コスメなら試供品が腐るほどあるし」

「えーいいの? ネコさんをお化粧して遊べるなんてーすてき」





35-16

キリン姉妹が、いろいろな思惑で笑いさざめく中。ヒョウは涙目の奥で、

(明日からは、うちずっと本気出すねん… …本間君に、本当に会う…ため…)

覚悟を決めていたヒョウに、ロスっちが「ああ、そうそう」と。

「あんたが急にお手洗いいったりするから、忘れてたわ。はい、これ――」

キリンの手が差し出したのは… 何かの数字、文字が書かれたカードだった。

「…! え、これ…」「その男の子が置いていった連絡先よ、ほら」

…何という奇跡か。今までヒョウが、決して届かない星の向こうの相手だと

思っていた愛しい相手の連絡先が、携帯番号と住所が、いまは彼女の手の内に

あった。ヒョウはそれを必死に読み繰り返して脳に刻み、紙を財布にしまう。

「ありがとう、ロスっち…! 前は、インチキ仕掛けてほんと、ごめん…」

「古い話蒸し返さないで。…フフ、懐かしいな。あのときは楽しかったね」

ヒョウが、別の生き方を選び…他のフレンズたちが祝福の笑みを送っていた。


東京の夜は7時。ウソみたいに輝く街。絶望も後悔も、奇跡も希望も…等しく。

「セルリアン大壊嘯」が妃となった豹頭姫に接吻するまで――あと379日……





36-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だが。そんな彼女も、時には本気出して働くことも…ある。

そのひとつが、フレンズ漫画家タイリクオオカミ先生のアシスタント。

そしてもうひとつが…

「…うちは今、フレンズいち、なんかソワソワしておちつかん少女やねん…」


ゴールデンウィーク最終日、5月6日。東京大田区、産業プラザPIO。

その日、PIOでは『フレンズ・フェスティバル』と題された、フレンズとヒトとの

さらなる交流を推進する民間企業主催のイベントが大々的に行われていた。

その企業は、いわゆる第三セクターとして設立された“新世紀警備保障”。

元は、セルリアン災害による大規模な補償で経営が悪化した国内の保険会社各社が

国外の保険会社に対抗するために合資会社を作り、そこに国からの支援が入る形で

作られた巨大企業、それが新世紀警備保障だった。

新世紀社は、セルリアン災害への保険補償にあわせ、独自ルートで採用したフレンズ

たちと社員をペアにして、セルリアン撃滅をも行う――そんな注目株の企業だった。





36-2

そんな新世紀社が開催した『フレンズ・フェスティバル』は…

昨年年末に、警視庁と自衛隊、そして協賛企業が開催した『フレンズ・がーでん』を

参考に、会場には有名フレンズたちをイベント・アイドルとして配置。

さらに、会社の虎の子、セルリアン撃滅のフレンズたち。“スイーパー”と名された

彼女たちを会場の警備として配置し、お披露目をすることも忘れていなかった。

さらに。半分国営企業だけあって、新世紀社は警視庁のセルリアン・ハンター、

警備二課、そして自衛隊のフレンズたちまで招集、会場に配置――

これだけ大規模なフレンズ・イベントは国内でも初めてで、フェスティバルは1日

だけだったが、それでも午前中の入場者だけで去年の『がーでん』の三倍の来客を

記録。 第二次フレンズブームは民間から! と新世紀社は気勢を上げていた。

そんな大盛況のイベント会場…

会場の様々なフレンズ・イベント、撮影会、ミニコンサートなどの他にも。

会場の東側、歩道と街路を使った『がーでん』でも大盛況だったフレンズたちによる

物品販売、屋台、露天が開かれ…

――この日。ヒョウは、その屋台の一角で仲間とともに腕をふるっていた。





36-3

イベント『フレンズ・フェスティバル』は、ぎりぎり晴天にも恵まれていた。

5月の青空の下、屋台通りに改造されたその街路には、花束のような色とりどりの

屋台の天幕、看板、そしてのぼりが並び、風に揺れ…

そのさわやかな風に、ヒトびとを誘う料理の煙と匂いがまじる。

「お腹が空いているのなら、アライさんのお店にお任せなのだ!」

「…はいよー。焼きおにぎり、焼きそば、ウィンナー炒め、いろいろあるよー」

「どう、いい匂いでしょ? 焼き魚なら私のお店におまかせ! 欧州屋でーす」

「…ウフフ。チョコバナナ…お客さん、いまいやらしい目で見てたね? クスクス」

「いらっしゃーい! ポップコーン、甘いの辛いのふつーの。 …むぐ、おいしー」

時刻は、昼の1時を少し回ったころ。

フレンズたちの声と、ヒトびとのざわめきに、胃袋をねじるいい匂いが混じる中。

「…いらっしゃい! ごめんね、行列になっちゃって。前の人から注文どうぞ!」

「…いらっしゃーい。お弁当、おつまみのお肉はこっちだよー」

「……。…えっと、あっ、ごめん。うん、お好み焼きはこんに並んでやー」

ヒョウたちの屋台の前にも、行列がずらりと伸びていた。





36-4

ヒョウのいる屋台は、屋台通りのいちばん南の端。街路樹とベンチが並ぶ、小さな

公園のようになっている場所。いわゆる、アタリのお誕生日席。

“白黒鶏飯”ののぼりが風に揺れるその屋台には、フレンズが三人。

中央、いちばん人目を引くところにはコンロからからロケットのような火炎を

立ち上らせ、大きな中華鍋を操っている…

「いらっしゃい! 焼き飯は5つ、いっぺんに出るよ! うん、500円ね!」

白い前掛けを付けた、ジャガー。去年のがーでんでも大人気だったごはん屋台を、

「はいはい、常連はあとだよ。お弁当はこっちに並んで。おつまみは言ってね」

巨大な中華包丁で、ばんばんと豚肉と鳥の丸焼きをぶった切る光景でも人目を引いて

いる、マレーバク。

ジャガーはそのマレーバクの屋台の一角で次々と料理を作る。

「ごめん、今日はたこ焼きやってへんの、でもお好み焼きも焼きそばもおまかせや」

ヒョウも、ジャガーの横で大きな鉄板を二枚、並べて。両手のコテを持ち替えながら

ズラリ並んだお好み焼き、そして山盛りの焼きそばから、空腹にはたまらない

ソースの煙と蒸気、音を立ち上らせて、会場から出てきた観客たちを引き寄せる。





36-5

ヒトびとの行列、雑踏、ざわめき、そしてフレンズたちを撮影するシャッターの

音が途切れず、続いてゆくその会場で…

「…ふう。さすがに1時、回ったら少し落ち着いてきたね。おつかれさま」

首にかけていたタオルで顔の汗を拭きながら、ジャガーがマレーバクとヒョウに

こっそり声を掛ける。行列はまばらになり、食事のお客より、おつまみを求める

ビールのお客がメインになりつつあった。

「ふいー、さすがに目が回ったわ。うち2時間くらい、記憶ないカンジやわ」

「ふたりとも、今日はありがとねー。この調子なら、今日はけっこう稼げそう。

 お店の改装資金、頭金になるかも。たすかるよー」

「バクのお店も、古いからね。今日、旦那さんにも手伝ってもらえばよかったのに」

「あーあいつはだめ。人前に出たがらないし、忙しくなるとテンパる宿六だもん」

「…旦那と言えば。ジャガーの“コレ”は、今日は会場には居らへんの?」

「うん。あのひとはねえ、今日は都内の警備だから…こっちにはね」

「あのひと、ときたでえ。……。…なんだろ、なんか――気になるわ…」

「ヒョウ、あんただけ独り身だからってスネないの」「やかましいわ。…ふ、フフ」





36-6

「どうしたの、ヒョウ?」「い、いや…なんでも、ないんや…」

「それならいいけど… あなた、ソワソワしてるから。どうしたのかなって」

少し心配そうに、だがハッとするほどいい笑顔で言ったジャガーがペットボトルの

水を傾け、唇と喉を濡らすと…

周囲から、ため息めいたヒトの男たちの声が、そしてシャッターの音があふれた。

それに気づいたジャガーが、にこっといい顔でヒトびとのほうを見、ねこ手を

つくってポーズをとると――さっきよりも大きな歓声、シャッター音がはじけた。

(…ジャガーはええなあ。明るいっていうか、愛嬌あるから…うちは、なあ…)

撮影した観客たちが、ぞろぞろとまた屋台に行列を作る中でヒョウは。

(…うち、ちゃんと出来るやろうか… 本間くんの連絡先ももらったのに…)

観客から隠れるように、背を向けて水筒のお茶を飲んだヒョウは…ため息。

数日前、ヒョウが片思いしていたヒトの少年、本間くんとの関係が劇的に発展――

彼の連絡先を手に入れ、そして奮起し、アミメキリンの編集スタジオで通いの

仕事をすることに決めていたヒョウ、だったが。

…金曜、土曜は、ヒョウの編集部初仕事に問題はなかった。





36-7

初日、金曜日にはキリン姉妹たちからお古の、だがいつものヒョウからすると

引くぐらいの高価な服と靴、バッグをいくつも貸してもらい、それを着合わせ…

キリン姉妹の長女、ケープキリンから化粧の基礎の基礎を叩き込まれ…

土曜日には、鏡の自分をみると「誰やねん」という感じに、文字通り豹変した自分に

とまどいつつも、ヒョウは他の編集部や作家さん宅に駆け回り…

そして日曜日の、今日。大田区のイベント会場。

いつもどおりの服装で、すっぴんの顔で、先週から準備していた資材と食材の山を

前に格闘する料理人のヒョウは――

「…なんか、毎日いろんな事がありすぎて… なんやら、不安っていうか怖いわ…」

…しまった、と思ったときには。ヒョウの不安は、唇から言葉になって出ていた。

そしてそれは、同じ屋台にいた二人のフレンズ友に聞かれ、

「…ヒョウ、新しい通いの仕事始めたんだっけ? 大丈夫だって、あなたなら」

「あんた、性根がグータラだから。少し厳しい職場で鍛え直すいいチャンスだねー」

「やかましいわ。…すまん、ついグチがね。あー、暑いからけっこうビール売れてる

 みたいや、ちょっと焼き物のほうにうち移ろか?」





36-8

屋台の中で、ヒョウたちがごそごそ動いて、焼台を出し。

昼前から熾こされていた炭火に炭が足されて、そこに焼き網がかけられる。

「ジャガー、あんたは少し休んでてや。腕、ぱんぱんやろ」

「大丈夫だけど…ありがと。…ちょっと、手を洗ってくるね」

屋台から出たジャガーが、観客たちに手を振り、ナチュラルな愛想を振りまきながら

行ってしまうと――

「さて、閉館は3時?5時だっけ? それまでに、もうちょっと…がんばるよー」

マレーバクが“串焼き ビールのおつまみ”と金釘文字で書かれたのぼりを立てる

のと同時に。火にかけられた串焼きからこぼれた肉汁がボウっと煙を、酒が進んだ

口と鼻では抗いがたい肉と塩の焼ける匂いを放って、また客を呼ぶ。

「いらっしゃーい。お兄さん、サテどうや? 牛串、1本100円。安いやろ?

 あじは塩コショウ、タレ、カレー、タマリンド…すっぱいの、好きなの言ってや」

ヒョウは歌うように声をかけながら、焼台の上にずらりと。細い串に打った牛肉を

並べて炭火であぶる。焼き鳥のそれと違い、どう猛さすらある煙と匂いに観客の

あいだから歓声があがり、ニヤッと笑ったヒョウにカメラが向けられる。





36-9

ヒョウは、ぎこちない笑みと、両手のピースでヒトびとに答えつつ…

(…なんやろ。なんで、今日はこんなソワソワ、っていうか胸騒ぎするんや…)

…ジャガーのときより、カメラの音が少ない。

さりげなく、深く静かにしょんぼりしたヒョウは、それでも胸の中でそこだけ温かい

ような本間少年のことを思い出して。顔に小さな花を咲かせて、また焼台に戻る。

(…本間くん、この会場来てへんかな… 彼、真面目だからこういうの来ないか…)

次々と焼けてゆく牛串のサテに、ヒョウは行列から飛んでくる注文に合わせて

塩を振り、タレにつけ、それをまた炭火の上に戻して香ばしい脂と肉汁の匂いを

周囲に振りまいて。…ここにはいない、片思い、否…

(…もしかしたら本間くんも… うちのこと… だって、苦労して探してくれて…)

ヒョウの顔に、炭火の熱ではない紅みがさして、瞳の金色に蜜のような艶が浮かぶ。

そこに、観客たちの歓声を引き連れながらジャガーも戻り、

「会場の中、さっきイベントひとつが終わったみたい。お客さん、また来るよ」

「そりゃえらいこっちゃ。身体がふたつ三つ欲しいわー」

「ヒョウ、鉄板に戻りなよ。焼台は私がやるから」





36-10

そこに、会場から最初はまばらに、そして次第に波のように観客たちがあふれ出して

ここ、屋台通りの方へ静かな波濤となって押し寄せてきていた。

「…うほっ! きたきたあ。焼きそば、去年の倍持ってきておいて正解や」

「がんばるよ、ヒョウ、バク! マヌルも任務じゃなければなあ…」

ヒョウとジャガーが、小さくハイタッチをした―― 二人の猛獣フレンズの目が。

…!? ヒョウの金色、ジャガーのヒスイの色。その二つの目に、険が浮かんだ。

――それまで、屋台通りの雑踏の中にそれとなく混じって警備についていた、

対策装備ジャケット姿の男たち、警備二課の男たちが急に無線機に手をやって、

急ぎ足で仲間のもとに緊迫した顔で駆け寄っていた。

そして。屋台通りで、観客たちの撮影や握手会、サインにもにこやかに応じていた

新世紀社のスイーパー、フレンズたちも首筋の毛を逆立て、その目を鋭くする。

「な、なに…まだ、放送もなにもかかってないけど?」「…!! まさか」

そこに。大田区の市街、そして産業会館の拡声器から、低い警報音が鳴り響いた。


――14時5分。東京都世田谷区および大田区にセルリアン特別警報が発令された。





37-1

5月6日14時5分。東京都世田谷区および大田区にセルリアン特別警報、発令。

――特別警報。これは、首都圏に危険度の極めて高い大型セルリアン、もしくは

群体が出現したことを意味する。

特別警報の区域内である大田区、ちょうどその日『フレンズ・フェスティバル』が

行われていた、大田区産業プラザPIO館内にも、拡声器から警報が鳴り響いた。

その警報は、観客のヒトびとが持つスマフォや形態からも鳴り響き、その音は…

“警戒レベル3”を、PIO館内、そして屋台通りに集う観客たちに告げていた。


「…やばいやん、警報レベル3ってことは、ええと…? どれくらいやばい?」

「すぐ近くじゃないけど、接近してくる危険があるってことかな。これは…」

「今は下手に動かないほうがいいね。…ヒトさんたちがパニクらなきゃいいけど」

屋台通りの一角、白黒鶏飯出張屋台の中でヒョウ、ジャガー、マレーバクたちが

料理の手を止めて素早く火を消し、わずかに髪の毛を逆立てながら周囲をうかがう。

屋台村の雑踏、そして館内から出かけていたヒトびとの群れは…

ざわめきは不安げで大きくなっていたが、意外と落ち着き…みんな足を止めていた。





37-2

さすがセルリアン災害なれしてしまっている東京都民、そしてフレンズイベントに

来る面々は、こういう“状況”がよくわかっているということか――

 …どうするよ、レベル3ってことは電車もバスも止まってるぜ?

 …ハシゴの最後をPIOにしておいて正解だったぜ、さすが俺だ

 …やっべ、このあと名古屋行くんだぜ俺…俺さんもだろ? 連絡しとくか…

観客たちのざわめき、意外と落ち着いた声が、それでも不安げに広がる中。

警報サイレンを流していたスピーカーが、沈黙。そして、

『――ご来場の皆様、ご歓談中のところ大変申し訳ありません。

 イベント主催、および会場の警備を担当しております新世紀警備保障です』

『――現在、セルリアン特別警報が発令されております。大変申し訳ありませんが

 皆様にはご安全のため、この会場内にお留まり頂けますようお願い申し上げます』

『――現在、出現したセルリアンには警視庁のハンター、および弊社のスイーパーが

 対策に急行しております。皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、どうか……』

館内放送が、ヒトびとの頭上に流れる。

可愛らしい声だが、どこかしっとり落ち着いた…少女の声だった。





37-3

『――重ねて、皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありません。ここ産業プラザには

 近隣住民の方が緊急避難してまいります。どうか、皆様には場所、スペースの

 譲り合い、お子様やお年寄り、お体の不自由な方への配慮をお願いいたします…』

『――皆様、この会場の警備は… ヒトびとの安心と未来を守る新世紀警備保障、

 弊社が責任を持って行っております。交通機関が停止している現在、会場の外は

 大変危険です、どうか会場内にてお静かにお待ちいただけますよう、お願いを…』

その放送に、観客たちはしばらく聞き入り、そして。

 …なあこの声知ってる? 新人の声優さん? 俺好き…

 …フレンズの声かな、俺氏知ってる? …いや、聞き覚えがないな俺

 …放送の言うとおりだぞ俺。今ここにはハンターや自衛隊のフレンズが集まってる、

 …たぶん東京どころか世界一、セルリアンからは安全な場所だぞココ。

観客たちの不安なざわめきが、次第に雑談めいたものになってゆく。

そこに、警察と消防、自治体に誘導された近隣の住民が避難――

屋台通りも会場も、人混みが真っ黒に見えるほど人が集まっていた。

フレンズたちはその光景を見守り…





37-4

「…まあ、ハンターが向かってるなら大丈夫やろ。…たぶん」

ヒョウは緊張でかわいてきた唇を水筒の茶で湿らせ…もう1ヶ月以上前の、赤坂で

出くわしてしまった特大型セルリアン“アメフラシ”の恐怖と、そして。

…あの怪物を、あっさりと叩き潰した…逆にそれが恐ろしく感じる、ハンターの

フレンズたちのことを思い出す。そして、同時に…

(…本間くんは…まさか、また巻き込まれたりしてないやろな…)

…あの少年、シンジ君のことを思い出してしまって。頬に隠せない紅みが浮かぶ。

そのヒョウの横で、ジャガーが手首のチプカシを見ながら。

「…どうしよう。避難が長引くようなら、食事の提供、したほうがよくない?」

そのジャガーの声に、うn…という顔のヒョウとジャガーが何か言おうとしたとき、

「……!! 初陣だァっ!! やったるぞおおお!!」

「待てアカギ! 出動命令は出ていないだろ、今度勝手したら懲戒じゃ…」

「アカギくん! 今日の特車は展示用だから武装も何も… ちょっとお!」

会場の中から、ドタバタと――銀色の耐圧スーツを着た男女三人が…突っ走る

先頭の男を、残りの男女が抑えるようにして…行ってしまった。





37-5

…なんや、あれ? ヒョウがフレーメン顔になった、そこに。

雑踏をぬうようにして、一組の男女が白黒鶏飯の屋台の方へと進んできていた。

「…あれ、あの子フレンズ… だけど。見たことない子ね」

その二人に会釈したジャガーが、ぼそっと小さな声でヒョウとバクに言う。

その二人は。男の方は、IDパスを首から下げた真面目そうなスーツ姿の青年。

…その男が連れる、否、その男を連れて歩くのは、男の腰くらいまでの背丈しか

ない、小柄な鳥のフレンズ。ヒョウたちも、完全に見覚えのない相手だった。

カーディガンかハーフコートのようなものを羽織り、髪にカチューシャをした

その小柄な鳥フレンズは、何の邪気もなさそうな笑みでニッコリと。

「こんにちはぁ。はじめましてー、私… ダーリン、名刺おねがいねぇ」

「アッハイ。はじめまして、自分は新世紀警備保障、対策二課課長代理の八劔です。

 彼女は、自分のペア、スイーパーの…」

連れの男が、ジャガーを屋台の主と誤解して新人らしい手付きで名刺を出すと。

「わたし、ドードーですぅ。対策二課、セルリアンスイーパーのリーダをつとめ

 させてもらってます、みなさん。どうかよろしくー」





37-6

挨拶をしたドードーの姿に、ヒョウたちが え? と顔を見合わせた。

「…この子、この声。さっきの館内放送の声やん。…えっ、お偉いさんなん?」

「…ドードーのフレンズって居たっけ? あれ、絶滅種の子っていないんじゃ…?」

「…私に聞かれても困るよー。…じっさい、目の前にいるし…」

おどおどしている屋台の三フレンズに、だがドードーは変わらぬ笑みで。

「のちほど、館内放送もかけますが――屋台通りのフレンズ、皆さんにお願いが。

 出現した特大型セルリアンは、現在世田谷方面から蒲田へと侵攻しておりますが…」

「…!? ちょ、蒲田っってすぐそこやん! ヤバイやん、ちょ」

「――ご安心を。警備二課のハンターも向かっていますが…」

慌てた、そしてはっとして口をつぐんだヒョウに…

ドードーは、にっこりと。…だが、なぜか――

それを見るものが、真っ暗な破孔か断崖絶壁の下を見てしまったような気分にさせる、

そんな笑みを浮かべて…ヒョウたちに言った。

「弊社の、わたしの部下が二名、急行しています。14時30分までには対策対象を

 必ず撃破、消滅させます。わたしたち、実戦経験は少ないですが…おまかせを」





37-7

ヒョウたちは、その小さなフレンズの語気に…すっかり飲まれていた。

「…じゃ、じゃあ。うちらに、お願い…頼みって、なんや」

「はい。セルリアンを撃破しても、すぐには警報は解除されません。それまでの

 あいだ、会場にいるミナサンが体調を崩さないよう… 只今より、屋台通りの

 各店舗には、商品を無料で観客、避難の方々に配給してください」

「えっ、無料って。ちょっとー、勝手に決められても困る…」

「もちろん、その分の代金は弊社が充分な保証金とともにお支払いします」

…ああ、それなら。とバクが腕を組むと。

ドードーはスッと手に小型のマイクを取って、そこに何ごとかを静かな声で命令する。

それは、各屋台の店舗に備え付けられていた連絡用のスピーカーから流れ…

そして。1分経たないうちに、いままで火を落としてシンとしていた屋台が再び、

賑やかな音、煙と匂いを立てはじめる。フレンズたちの呼び売りの声も、弾け。

「…じゃあ、ジャガー。バクの姉御。うちらも、おっぱじめよか」「そうだねー」

いつのまにか、ドードーとそのペアの男は姿を消していた。

それに変わって、会場のスピーカーからはドードーの声で、





37-8

『――皆様、会場が大変混雑してしまい申し訳ありません。…只今より、屋台通りの

 各店舗は無料で、飲食を皆様にご提供させて頂きますのでご利用ください…』

『――また。緊急事態で恐縮ではありますが…』

ドードーの放送に合わせて。スタッフが、大型の液晶パネルをどこからか運んできて

屋台通りのそこかしこに設置し、電源を入れ、どこかからの回線と同期させる。

『――弊社のセルリアン対策、スイーパーが現在、セルリアン対策のため現場に

 急行しております。皆様、ご飲食と歓談をお楽しみいただきつつ…

 もしよろしければ、弊社スイーパーの対策作業などご観覧頂ければ幸いです…』

「…な。あのヒリ、ってかナントカ会社… めっちゃ余裕ぶっこいてるやん…」

「セルリアン対策をネットか何かで中継するつもり? 失敗したらどうするの…?」

ヒョウたちが、再び料理の手を動かしながら… 液晶モニターに目を向ける。

…それまで、新世紀警備保障のロゴが写っていたその大型モニターに。

数度、画面が乱れたあと。どこかの町並み、茶色い道路のようなものが…


――否、街中を走る鉄道線路、そこからの映像が動画で映し出されていた。





37-9

14時21分。セルリアン特別警報発令から16分後――

東急東横線と目黒線の合流点、国道311号線付近で発生した特大型セルリアンは

停車中の7700系車両を飲み込み、東急東横線を蒲田方面に侵攻していた。

“ゴードン”と命名されたその怪物は、電車と同じ速度で線路を南下。

田園調布、多摩川駅を通過し、多摩川沿いに進み… このままでは、あと20分も

しないうちに人口密集地、蒲田にセルリアンが突入する惨事と…なる。

セルリアン“ゴードン”が丸子橋踏切を通過したとき――


…バウン! と坂道で跳ねたランクル、赤い回転灯をはためかせた警備二課の

パジェロが猛スピードで11号線に右折、侵攻する“ゴードン”に追いついていた。

『…対策09より本部、各対策へ! 目標発見、追いついた!! 現在地は…』

パジェロの運転席で、ハンターの双葉が無線機に吠える。助手席にちょこんと座って

いたマヌルネコが、ジャケットに付けた対セルリアン用の爆薬、受話器のような

19式破砕装置に信管を差し込んで…キッと窓の外に目を向ける。

「みえた…! とし、セルリアンだ…! うえ、毎度のことだがキモチわるっ」





37-10

運転席の双葉、そしてフレンズのマヌルが目視したその怪物は…

東横線の鉄路を、蒲田方面に向かって進む、1両編成の電車…を飲み込んだ、

青黒い巨大なナマコのような怪物、パンタグラフの代わりに図太い触手を何本も

宙に、前方に伸ばし、いくつもの複眼をギョロつかせながら侵攻していた。

線路脇の道路を疾走し、怪物に並走するパジェロ。

そのサンルーフには、サーフボードならぬ野太い丸太が積まれ、それを持つのは…

「…とし! やつの前に出られる? 串刺しにして足を止めないと!」

フレンズのカバが、丸太を抱え、その豊かで美しい髪を疾風の中ではためかせる。

運転席のハンターは、 …沼部駅前の交差点で仕掛けよう! と言い放ち、車を

加速させて、避難指示で交通の途絶えた街路を走ってゆく。

その車内で、歴戦のマヌルネコがカッカと爪と爪をこすりあわせて研ぎ、

「イベント会場にジョフとハシビロは行っちまってるが…大丈夫、やれるさ」

マヌルは開いた窓の向こう、すっ飛んでゆく風の中でセルリアン“ゴードン”の

姿を目で追いながら、だが。

「しっかし、あの化物…わけがわからねえや。なんで――」





37-11

「…電車に張り付いたんなら、あのまま都心にでも向かえたはずなのに。なんで、

 海の方へ…蒲田なんぞに突っ走ってるんだ? 人を食いたいなら逆方向だろ」

双葉は、無線機に現在地を送信しながら… マヌルに無言で首を振る。

そして――セルリアンを追い越したパジェロが、いったん建物で怪物を見失い、

そして…交差点付近で開けた視界の中で、再び青黒い姿を捉えたとき、だった。

「…!? とし!! 何か来る! 前から…蒲田のほうから… 電車!?」

サンフールの外から、カバが車体を叩きながらお大きな声で言う。

そのときには… 交差点で急停止した車内から、双葉、そしてマヌルの目にも

“それ”が映っていた。…それは――

「なんだ、ありゃ? 黄色い電車…? 電車はみんな通行止めじゃないのか?」

――それは。こぢんまりした、保線用のモーターカーだった。

蒲田方面から疾走してくるそれは、セルリアン“ゴードン”が疾走する複線を

黄色い作業灯を転回させながら… だが、おそらく最高速度で突っ込んできていた。

「そし、なにあれ!? まさか民間の避難が…」

「…!! いや、何か乗ってる! …車体の上…! まさか……!?」





37-12

マヌルとカバが、同時に“それ”を見、困惑の声を上げた。

――セルリアン“ゴードン”に突っ込むように走ってくるモーターカーの上には。

「……。…ダイア、あいつ。きもい…」

「フフフ、先にやっていいぞ。ベル」

二人のフレンズが、乗って…疾走と疾風に、その髪と服をなびかせていた。

片方は、大型の猫科。トラか何かのフレンズ。もう片方は、大柄で豊満な身体で、

たてがみのように豊かで美しい髪を風になびかせる… オオカミ科のフレンズ。

「ちょっと、なにあいつら? 聞いてないわよ、とし!?」

サンルーフから身を乗り出したカバが言った、それが合図のように…

 Gusyu…Boooooo!! セルリアンが、粘質の汚れた蒸気と怪音を撒き散らした。

――だが。モーターカーは、その上のフレンズ二人は全くひるまず。

モーターカー、そしてセルリアン“ゴードン”が踏切交差点に向かって突進し…

その片方、モーターカーの上で。

「…………」 無言で、トラのようなフレンズが腰のサーベルに手を置く。

バチッ、とサーベルの鞘から白銀の刃が、わずかに抜かれ――





37-13

…ぶつかる!? ハンターとカバ、マヌルが息を飲んだ。

複線の線路を、相対速度100キロ超えで…セルリアンとモーターカーが激突、

すれ違う、その瞬間。…否、セルリアンの野太い触手がモーターカーに伸びたとき。

     音はしなかった。ただ、白銀が光線のように走って――

片膝つき、腰だめで剣を抜き放ったサーベルタイガーの刃が。

 Biii…Booooo…!! セルリアンの悲鳴じみた鳴き声、そして金属、粘質の組織が

引き裂かれる音が、列車の鉄輪が衝撃でレールを噛む轟音が響いた。

「!?」 ハンターたちが息を呑んだ、その眼前で。

交差した体側を、そして何本もの触手を、ただの一閃で深々と斬り裂かれた怪物が

足元の車輪から轟音と火花を散らして…減速、そして苦悶に身を震わせていた。

 …あれが、新世紀のスイーパーか…!? 双葉がごく、とつばを飲むと。

「ベル、でかした!! あとはこの私が――仕留める!!」

急ブレーキをかけたモーターカーから黒い影が跳び…

オオカミの遠吠えじみた、歓喜の声を唸りながら飛んだフレンズ、ダイアウルフは

その残酷に笑った目から、鉤爪の手から虹色を撒き散らしながら――





37-14

ゴッ!と。セルリアンの巨体が震え、青黒い組織と金属がバラバラと吹き飛んだ。

ダイアウルフの鉤爪の一撃で、加速して逃げようとしていた“ゴードン”は完全に

停止、残っていた触手で空中から襲ってきたオオカミを捉えようとしたが…

「メガテリウムのほうがまだ素早いわ! これで…飛び散れェ!!」

セルリアンの巨体の上で仁王立ちになったダイアウルフ、その鉤爪が再び振り下ろ

され、怪物の触手が残らず吹き飛ばされた。

蒸気の漏れるような悲鳴を上げたセルリアンが、車体をバックさせて逃げようと…

――そこに。 別の痛撃が襲って“ゴードン”の巨体を貫いていた。

「ちょっと、あなたたち!? 無線に応答しなさいって!! どこの誰よ?」

セルリアンに、上空から丸太とカバの剛力が襲いかかって――線路の赤錆の砕石に

その巨体を串刺しにしていた。

「なんだおまえ!? 邪魔するな、こいつは私の獲物…!」

「おばちゃん、どきな!! そこ危ねえぞ!!」「な…!? お、おば…ば…!?」

手も使ってネコ走りしたマヌルが、跳び――カバの一撃で露出していた怪物のコア、

不気味で巨大な宝石じみた“石”に取り付き、爆薬を貼り付けていた。





37-15

「設置! 退避しろ!」「クッ、破砕装置か…! 余計なことを――」

だが、マヌルもカバも一瞬でセルリアンの巨体から離れ、ダイアウルフの黒い影も

かき消すように跳んで消える。そのきっかり、5秒後…

 ズン!! と鈍い爆音が響くと。弱点の石を、破砕装置が噴射したケラチン粒の

奔流で叩かれ、砕かれたセルリアン“ゴードン”は。

 Biiiiii…!! と、粘質の蒸気音を撒き散らしながら…青黒い身体がバラバラに

なり、それが空気中に霧散するようにして…消えていった。

…あとには、無残に破壊された電車の車両だけが残り――

 14時24分、特大型セルリアン“ゴードン”撃破。


「…おい! そこのねこ! 誰がおばちゃんだ、誰が!? おねーさんだろ!」

「…んぐ、むぐ… ダイア、会場に戻ろ。さっき、綿菓子食べそこねた…」

本部に、セルリアン撃破を報告する双葉のパジェロの横で。

「あなたたちが民間のスイーパー? ホウ・レン・ソウって知ってる? あのねー」

「なー、とし。ジョフに電話しちゃってもいいか?」





37-16

あまり平和的、とは言えないファーストインプレッションをした二組の狩人たち。

警視庁警備二課のハンターと、新世紀社の対策二課のスイーパー、フレンズたちは

警察と消防のサイレンが近づいてくる中で、お互い好き放題言いあって…いた。

そこに、モーターカーから走ってくる背広姿、ダイアウルフとサーベルタイガーの

マスターである男たちが、どーもどーも、と双葉にお辞儀し、名刺を出し…


――大田区産業プラザPIOで、大型モニターに向かっていたヒトびとが。

どおおっ、っと歓声を上げた。歓喜の声、興奮した声、安堵の声が入り交じる。

『――皆様、ご視聴ありがとうございます。弊社スタッフと、警備二課のハンター

 との綿密な連携、共同攻撃によりセルリアンは撃破されました』

『――ご心配をおかけしました。ですが、警報の解除と交通機関の復旧まではまだ、

 しばらくお時間がかかります。それまでは会場のイベントでお楽しみ頂ければ…』

アナウンスが響く中、フェスティバルの観客は…

予期せぬイベント、セルリアン撃破の光景を目の当たりにした興奮で、先刻よりも

にぎやかに活気あふれ、会場のフレンズたちに声をかけ、写真を撮る。





37-17

再び、大忙しになった屋台、白黒鶏飯の中で。

「…声とかよく聞こえんかったけど、あいつらなんかケンカしてへんかった?」

「…そうだよね。でも、うまくいってよかった、ホント… …とし…よかった…」

「あそこに映ってたの、ジャガーの彼氏だよねえ。ふふ、行ってあげたら?」

ヒョウ、ジャガー、マレーバクたちが忙しい中、ほがらかに話しながら。

時刻は午後二時半。会場には、まだ満員の観客が揺れ動いていた。

新世紀社のスタッフが、追加の食材をどこかから仕入れて屋台に運び入れる中…

「…今日、うちがずっとソワソワしてたんはセルリアンのせいかな…」

彼氏の、男のハナシを小声でキャッキャとしているジャガーとバクの横で、ヒョウは

…それでも好きな男のことを思い出して。さびしげだが紅色の笑みを浮かべていた。


――その会場の片隅。蒲田駅の方から、警報で人気の少ない街並みを歩いてPIOに

ようやくたどり着いた、一人の少年は…

「…また、セルリアンが… イベント、まだやってるのかな…? …いるかな…」

本間シンジ。16歳は息を切らせて、会場の中へ小走りで進んでいた……





38-1

5月6日、午後2時30分。東京世田谷区と大田区に出ていたセルリアン特別警報は

解除、注意報となって、近隣住民の避難指示も解除、交通機関も復旧しだした。

世田谷区で発生した特大型セルリアン“ゴードン”は、東急東横線、沼部駅前にて

警備二課のハンター、そして新世紀警備保障のスタッフによって撃破――

路線上にセルリアン、列車の残骸が残る東急東横線は運転休止が続いていたが、

首都圏は急速に、日常の機能と生活を取り戻しつつあった。


『フレンズ・フェスティバル』が行われていた大田区産業プラザPIOでも警報が

解除されたのに合わせ、名残惜しそうに会場を後にして駅に向かう観客たち、

閉場のギリギリまで楽しむ観客たち、そして会場に避難していた付近住民が帰宅する

ヒトの波が入り混じり、ざわめきが5月の晴天の下で揺れ続けていた。

そのヒトびとの流れを誘導する、会場スタッフ。そこに混じっている警備二課の

装備ジャケットを付けた男たちが無線で何事か話し、そして。

「…俺たちはココ、離れられなかったからな。一時はどうなることかと思ったが」

「…双葉がやってくれましたね。新世紀のスイーパーもいいシゴトでしたよ」





38-2

警備二課のハンター、矢張と伊達はざわめきの中でぼそぼそ話しながら。それでも…

今回のセルリアン出現では、人的被害がほぼゼロ、避難中の事故以外はセルリアンに

食われた被害者がいない――ハンターたちの顔には安堵が浮かんでいた。

「最近のアオ(セルリアンの隠語)は、たまにわけわからん動きをするよな。

 “アメフラシ”とかはスカイツリーに向かってたが… 今回の“ゴードン”とか

 何がしたかったんだべ? ヒト食うんなら蒲田より都心がお得だろうに」

「まあ、いいじゃないですか先輩。そのほうが人的被害は少ないですし」

そこに、ふわりと。

上空から柔らかく風を巻きながら鳥フレンズ、カワラバトが舞い降りる。

「あっちの会場、小学校の校庭は撤収はじめてるよー。ロボット、ばーらばら」

マスターの伊達の肩に、かわいらしいおしりと尾羽根をちょこんと乗せたハトは、

「セルリアンも、線路の上でバーラバラ。今日はよかったね、ダーリン」

「哨戒おつかれ、ハニー。少し休憩して… 屋台で何か食べようか」

伊達がハトの太ももを撫でてキャッキャと喜ばせているのを、上司の矢張はため息、

ものすごくタバコが吸いたい顔になって――





38-3

そこに。警官特有の彼らの目が“流れ”の中で浮いて動く、一人の少年を見つけた。

「…おい、伊達。あのボウズ、迷子か?」

「…いま、会場についたみたいですが…」

二人のハンターが同時に見つけた、その少年は。仕立てのいいブレザーの制服を着た

男の子、といった感じの小柄なその少年は、カバンを抱えたまま雑踏の中を小走り…

…そして。その少年の目と、彼を注視していたハンターたちの目が合うと。

その高校生らしき少年は、少し迷いながらも矢張と伊達の前に進んできた。

「あの、すみません。…失礼ですが、その装備は…あなた方は、警備二課の…?」

おどおどしているが、意外とはっきりしゃべるその少年に矢張は、

「ああ、SAFTだよ。君、くわしいな。…それで、どうした。落とし物でもした?」

「い、いえ。その… この会場のことで、お伺いしたいことが…」

少年は、汗ばんだ顔を手ではなく胸ポケットから出したハンカチでさっと拭って

さりげない育ちのよさを見せると、意を決したように。

「僕、探しているフレンズさんがいるんです。この会場なら、居るかも、って…」

少年の声に、カワラバトを手乗りさせた伊達がいい顔でニッと笑い、





38-4

「ああ、なんだ。君もフレンズが好きなのか、仲間だな。よろしく」

「フレンズが嫌いな男は性根が腐ってるかちんちんが小さいか、どっちかだしな」

…それで? 探しているフレンズってのは? 矢張たちが少年にたずねると。

「……。あ、あ、それが…その… たぶん…」

少年の顔が真っ赤になって、うつむいていた。何ごとか察した伊達が、

「そうか、もう閉場間際だから入場料のパンフレットは売ってないんだな――」

伊達は、ジャケットのベルトに挟んであった『フレンズ・フェスティバル』の

パンフレットを少年のほうに差し出した。

えっ、っという顔になった少年に…伊達は、白い歯を見せてキラッと。

「もうコンサートやミニイベは終わってるけど… そのパンフに、催しものと、

 屋台通りの店にどのフレンズが居るか、全部書いてある。それを見て探すといい」

「…! あ、ありがとうございます、ハンターさん!」

「お礼なんぞいい、急げ少年。早くしないとフレンズが帰っちまうぞ!」

その少年は、ハンターたちにていねいなお辞儀をすると。パンフレットを手に

屋台通りの方へ、まだ雑踏とのぼりが揺れるほうへと走って…行ってしまった。





38-5

「…フレンズマニアはおっさんばっかりだと思ってましたが。

 あんな真面目そうな若い子も―― 日本の将来は明るいですね、先輩」

「それはどうかな。 ……。…なんか、あのボウズ、見覚えがあるんだよなあ…」

少年が消えた方向を、矢張が無精ひげのあごを捻りながらうなった。

そこに。雑踏の中から縞の迷彩をした手が振られ、

「トシさん、会場はもう少し警備が必要です。アンコールが止まらなくって…」

小柄で、大きなけも耳。いつもの装備ではなく、イベント用におなじみのフレンズ

スタイルで現れた、矢張のバディ。リカオン。

彼女は何か、いぶかしげな顔で矢張と、屋台通りの雑踏の方を見る。

「おう、リカオン。グッボーイ。会場はまだ大変だろうが、頼むわ。こっちは…」

「……。トシさん、さっきの男の子。元気になったんですね――」

「ん? って、知ってるのかリカオン。あのボウズ、どっかで見たような…」

「…警官がヒトの顔忘れるのは職務上どうかと思いますよ。…あの子、去年…」

リカオンは、彼女にしては…なにか腑に落ちないところがあるような顔で、

爪を噛みながら雑踏に目を細め…





38-6

「去年の10月、この近くの…多摩川の橋緑地から上陸した大型セルリアンを

 トシさんと私で撃破したとき――飲まれていたミニバンの中にいた、家族の…」

「…ああ! 思い出した、あのときのガイシャの。家族連れの中にいた…」

やっと思い出した矢張が手を打って、少年の消えた雑踏を見た。

「あのとき意識不明だった家族は…子供の、あの子だけ回復したって聞いてました。

 両親はダメだったと―― …フレンズイベントに、あの子が来た…」

リカオンは、何か納得いかない、というような顔で独り言のように言う。

「…あのときは仕方ねえよ、リカオン。俺たちはやれるだけやった、さ。

 親御さんがダメだったのは気の毒だけど、ボウズだけでも元気になったンなら…」

「アレですかね、先輩。セルリアンから助けてくれたフレンズに興味が出て…

 っていう。あの年頃だと、初恋ってやつじゃないですか。青春だなあ」

そのハンターたちの傍らで、リカオンは… ハッと顔をあげ、

「…! トシさん、タブレットを貸してください! 捜査用の… ありがとう!」

矢張が?顔で差し出した、各種データが入っているタブレットを受け取った

リカオンは――





38-7

「…救助された、世田谷区下北沢の…本間氏の家族… さっきのあの子は、

 長男の本間新二くん、これだ…! 病院で、一人だけ意識を回復…」

「なんか気になることでもあるのか、リカオン」

リカオンは、それに応えず… 少年の名前をデータベース検索する。

その顔はすぐに、セルリアンを見つけたときのように…キッと、鋭くなった。

「…! 2月に赤坂で出現したセルリアン“サルモネラ”事件のときに、この子も

 消防に救助されている…! あの子、今日…世田谷から会場に来て――まさか…」

「まあ、ツイてないやつってのはいるからなあ。俺とか」

相棒のリカオンが、何を警戒しているのか…わからない矢張の横で、伊達も自分の

タブレットを操作し、検索。そして、

「あっ… 先輩、あの少年。うちらの管轄じゃないですけど、ストーカー被害者の

 保護対象リストに入ってますよ、これ。エタブリの奴らがつきまとってます」

「あーカルト宗教のアレか、真理融解派…エターナルブリスとかいう、

 みんなでセルリアンに飲まれて一つになれば世界は平和、って。キチガイだな」

「連中、セルリアン被害の生還者を引き込んで宣伝に使いますからねえ」





38-8

「あいつら次の衆議院選挙に出るんだって? 破防法適用して死刑にしねえと」

ハンターたちがダベるその横で…

「…考えすぎかな。…でも、もし“そう”だとしたら、あの子いったい――」

リカオンは、爪を噛んで…本間少年の消えた屋台通りのほうに鋭い目を向けていた…


午後2時45分。屋台通りに集まる観客の波は、まだ揺れ続け。

あと少しで閉会とは、誰も思っていないような、このままがーでんのように深夜まで

宴が続くような雰囲気とざわめきが、屋台通りと会場に満ち溢れていた。

「バク、ごはんが炊けたら教えて! それ全部ビリヤニにしちゃおう」

「こっち、焼きそばは全滅~。お好み焼きも、次の鉄板で終わりや」

「もっと鶏を焼いてくればよかったよー。…ああ、欧州屋は店じまいしてるねえ」

屋台通りのお誕生日席、白黒鶏飯の屋台の中でフレンズ三人が。

マレーバク、ジャガー、そしてヒョウがさすがに疲れの見えてきた顔に汗を浮かべ、

それでも途切れない行列に笑顔と、ごはん、おつまみ、粉もんをさばき続ける。

全商品無料になったせいか、昼間よりも客足は続き…





38-9

カ、カン!と、ヒョウはいい音で鉄板とコテを鳴らし。

具材がほぼ無くなったボウルとクーラーボックス、ダンボールを見、

「…あかん、ちょっとバテてきたで。…すまんジャガー。ちょい、うち休憩…」

「うん、おつかれさまヒョウ。こっちもビリヤニ出したら少し…」

ガッガ!と、こちらもいい音で大きな中華鍋でビリヤニの汁と具を炒めていた

ジャガーがヒョウにウィンクすると。ヒョウはモソモソと、後ろに下がり。

「…あーハラ減ったねん。朝、おにぎり食ったきりやったからなあ…」

ひと目のない屋台の後ろ、木陰でヤンキー座りというかンコ座りしたヒョウは、

クーラーボックスから弁当の包みを出し…そこには、太めの海苔巻きが2本。

暑さで傷まないよう、酢と塩多めの酢飯に、具は種を抜いた梅干しだけという

その海苔巻きをヒョウは手づかみで… カッと牙を向いて、かぶりつく。

「…ン、んむ、ム…っと、お茶、お茶… お疲れに塩がしみる~」

ヒョウは、野太い海苔巻きをくわえたまま。ごそごそと這って、下宿から持って

きた水筒を引っ張って、そのフタをあいた手で回し… 回し……

――そのヒョウの手、そして目、次には身体が…凍りついた。





38-10

「…… ……!!」 「…………。……んが、んぐ……!?」

――運命とは、引き合い、惹かれ合う。それは、恋人たちの視線も同じだった。

屋台に並ぶ行列、流れてゆく雑踏の中… その少年は、いた。

ぽつんと、そこだけ世界が違うように立つ一人の少年の姿に――

「…! あ…! おねえ、さん…!!」

ヒョウには、それが誰なのか。もちろん一瞬でわかった。

…だが。口に海苔巻きをくわえたままのヒョウは、凍りついたまま。

(…うあ、あああ。…に、逃げな… …ちゃう、違う… ええとええと…)

毎日、ひっそりと想い、気分を浮き沈みさせていた相手。

片思いだと想いあきらめ、だがあきらめられずにいた…好きになった、男。

…今度こそやめよう、と思っても毎晩、オナニーのオカズにしていた、男

――それが。いま、ヒョウの5メートル前に立って、そして。

(…あわ、わ… 本間くん? 本間くん… ホンマや、本間くんが…)

ヒョウの口から、ぽろっと海苔巻きが落ち…だがそれは地面に付く前、地面を

 テケリリ と怪音をたて走ってきた黒い影がかっさらっていって、いた。





38-11

…気づけば。ゆっくり進んできていた少年は、とまどうクマのように立った

ヒョウのすぐ前に…いた。

カバンと、イベントのパンフレットを持ち、見覚えのあるブレザー制服を

着た少年は――頭の中がフットーし、マンガのように目が回って視界が定まら

ないヒョウの前で…彼女を見上げて、そして… 少年の目も、泳いでいた。

「あ、あの。おねえさん… フレンズの、ヒョウ…さん、ですよね」

「…え、えっと。その。…本間、くん… どうして、ここに……」

女に、自分の名を呼ばれた少年がハッとして。

「えっ、僕の名前…? あっ、キリンさんの編集部に行ってくれたんですね」

「…う、うん… そ、その… ど、どどど、どう… したんや、今日は…?」

言葉を絞り出すヒョウは、だが胸の奥と頭の中では。

(…あほーう! うちの、あほーう! …そんなの、どうでもいいんや…!

 本間くん、彼が来てくれた… きっと、うちに会いに来てくれた…!)

ヒョウは、その場で喝采をあげ飛び跳ねたいような歓喜に身を焼かれつつ、

…だが。口は、どうでもいいことを、この現実から逃げようとするように…





38-12

「り…りん、編集部キリン、美人やったやろ…? おねーさんが紹介したろか?」

「……。いえ、その、僕は… おねえさん、に… …その、ごめんなさい」

…ああああああ! うちは何を言っとるんやあああ!?

ヒョウは、サンドスターが抜けて獣に戻ってしまいそうな焦燥と、おぼこにしても

不甲斐なさすぎる自分への憤怒に、顔を真赤にし、汗をぼたぼたと…

 ぽん! …と。ふいに背後から。

ヒョウの肩を――いい笑顔の、美人!という目のジャガー。その手が叩いていた。

「ヒョウ、その子が…あなたの彼氏なの? へー、かわいい子じゃん」

「…え。じゃ、じゃがあ、その… べ、べべ、べつに… か、カレシって…」

「違うの?」 まっすぐ、いい顔のジャガーに言われると、ヒョウは。

「…ち、ちがわない… けど…」 蚊の鳴くような声で、顔を赤くする。

「そっかー、ヒョウにも彼氏かー。最近あなた、なんだか様子がおかしかったしね」

ジャガーは、何かの意趣返しのようにヒョウをいじったあと。

「…ねえ、君。ヒョウの彼氏くん、こんにちは。…えっと、彼氏なんだよね?」

ジャガーの誘い水、男ならほぼ確定で釣られる誘導に。本間少年は、ハッと。





38-13

「は、はい…!」 答えてから、また顔を赤くして…うつむき。その顔を上げ。

「その… 僕、前に会ったときからずっと、ヒョウさんのこと…」

「そうなんだ、じゃあお互い、好きなんだね。…ねっ、ヒョウ」

「…! え、えっと… うちは、その… スキ やけど…」

コウモリ科のフレンズでも、可聴域ギリギリで言ったヒョウ。その背を、今度は…

 どん! …と。今度はじれったそうなバクの頭突きが襲っていた。

「わ、わ…っ!?」「あ……!!」

二人の距離は、一瞬でゼロになった。

ヒョウは、ぶつかりそうになった少年の体に腕を…少年も、よろめいたヒョウの

ほうに手を――二人は。腕を交差させ、チークダンスのように…身をを寄せる。

「……!!」「…ヒョウ、さん」

ヒョウの心臓は、どんな全力ダッシュよりも高鳴り。眼の前の好きな男を――

(…本間くん、うちより背が低い… うちの肩の上くらいなんやね…)

(…本間くん、体…手が…温かい、熱いくらい… きもちいい、ずっと…)

(…本間くん、すき、好き、スキ… かわいい、大好き、すき、すき、好き…)





38-14

二人は、お互いにゆるく身を寄せ、腕をそうっと重ねて…

だが離れもせず、そのまま強く抱き合うこともなく、見つめ合い――そして。

…ぷしゅう、と。スキが頭のてっぺんで臨界に達したヒョウが、赤い顔で。

「…本間くん。…すき…」

「…僕もです。…よかった…よかったあ…」

「…うちの、彼氏になって。…うちのこと、カノジョにして…」

「…はい! そ、その、僕こういうの初めてで…ヘンだったら、ごめんなさい」

二人の手、ヒトの雄とヒョウのフレンズの手が、お互い無意識で動いて。

両手でお互いの手の温かさを確かめるように触って、離れ、また抱き合い。

…そこに、不意に。

いつのまにか、この二人をぐるりと取り囲むように輪を作っていた観客が。

誰かが始めた拍手を皮切りに、拍手が次第に増え…そこに歓声も混じって。

「わ、わわ… や、わやや…はずかし…」

だが、ヒョウは愛しい男から離れず、遠い火事のように赤らんだ顔、涙目の

瞳からぽろっと涙、虹をこぼしながら… それでも、くすぐったそうに笑う。





38-15

「…本間くん、うち… うれしい… 探してくれて、会いに来てくれて…」

「…僕も、です。あ、ヒョウさん…僕の連絡先、キリンさんから?」

「う、うん。もう覚えてまった… あ、うちの連絡先は、あ… えっと」

ヒョウは宙に浮きそうなフワフワした体と気持ちの中で、ふと。

…あの下宿で無職ぐらしをしている自分と、おそらくヒトの中でもそれなり

金持ちで、成績も優秀そうな本間少年を比べてしまい… しゅん、と。

「う、うちね…まだ、携帯もってへん… 今度、買うから、電話するから…」

…だが。ジャガーの反撃は、一度では終わらない。のだった。

スイと、住所と番号が書かれたメモ紙が、ジャガーの手が伸びてきていた。

「これ、この子の住んでるアパートとそこの公衆電話の番号ね。ほかの子や

 大家さんも住んでいるから、お電話は節度を持って、ね。キミ」

「は、はい! ありがとうございます、そのヒョウさん、じゃあ…」

「……う、うん。そこに、電話…してや… …夜は、いるから…」

「ウフフ。ヒョウ、あなた昔、私がその電話で彼と電話するたびにちょっかい

 かけに来てたから。仕返しよ、今度はみんなにおちょくられてね」





38-15 

「…外道がおるねん。……その、ジャガー、ありがとな… バクの姉御も…」

だが、そのときには。バクはもう屋台の焼台に戻って、待たせていた行列に

手早くお弁当のパックを手渡し… しっぽだけ振って、ヒョウに返事する。

「…えっと、じゃ、じゃあ…本間くん。その… よろしく、ね」

「はい! …ごめんなさい、今日はヒョウさんに会えて… 本当によかった」

本間少年は、スイとヒョウから離れると。たったそれだけで、世界が終わった

ような顔をしているヒョウに、

「…今日、セルリアン騒ぎで電車が遅れちゃったから…もう行かなきゃ。

 ごめんなさい、僕これから塾なんです。…あの、夜また電話します!」

「う、うん。…待ってる… その気をつけて… がんばってーな!」

ヒョウが手をふると、少年はニコっと笑い。そのまま、走っていってしまった。

(…本間くん! うれしい、うち、うれしい… まだ本間くんの匂いがする…)


探しものはなんですか?見つけにくいものですか? それは、小さな恋の始まり。

「セルリアン大壊嘯」が王と豹頭姫に洗礼を施すまで――あと320日……





39-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

五月の連休が終わった東京は、長雨だったり猛暑だったりで、もう夏の気配の中。

ヒョウが暮らす四畳半アパート、通称「フレンズ下宿」にも、湿気と暑さは

容赦なく訪れて…暑いのが苦手な下宿フレンズたちは試練の季節が始まっていた。

極端な寒さと湿気以外は、まあなんとかなる猫科の勝ち組、ヒョウは。

「…うちは今、フレンズいち、悪因悪果を思い知っている少女やねん…」


5月のその日。昼下がりの、「フレンズ下宿」の一室。

今は長期で国外に出ている、漫画家フレンズのタイリクオオカミ先生が使っていた

その部屋に、ヒョウと、この一帯のイタチの元締め、オコジョはいた。

なんのことはない、もう暑いので家電製品のあるオオカミ先生の部屋を、掃除を

口実にヒョウたちが使っているだけのことであった。

「…それで。ヒョウ、あらたまってハナシってなんだよ」

「…イタチの元締め、オコジョのあんたに折り入って、大事な頼みがあるんや」

ヒョウと、イタチはちゃぶ台を挟んで向き合い…





39-2

気の早い扇風機が、けだるい音を立ててゆっくり回る中――

オコジョは、この暑さの中でさっそく夏服に…といっても、下着のシュミーズと

子供ぱんつだけの格好で…汗で濡れた下着を、イカっ腹に貼り付け、

「頼み、ねえ。…まあ、ハナシだけ聞こうか」「おおきに! あのな…」

ヒョウから、明らかな贈賄として渡されていた飲み物――コンビニのロックアイスの

袋にストローを刺して、そこにコーラを流し込んだ…通称、ドカコーラ。

それを抱え込んで涼をとるオコジョに、いつもの無職スタイルのヒョウは。

「…見ない、聞かないふりを…してほしいんや」「…なにを?」

ヒョウの顔に数秒、にへらっとした笑みと赤みが浮いて。ヒョウはそれを無理やり、

顔を手のひらでこすって消すと…どん、とちゃぶ台にヒジをつき。

「…これからな、夜に――下宿の公衆電話に、電話、かかってくるねん。

 …オコジョ、あんたの仁義を見込んで…頼む、たのんます!

 その電話、かかってきてうちが出ても…しらんふり、してほしいんや…!」

「夜の、電話ねえ。…ふうん。まあ、野暮天なことは聞かねえよ」

オコジョは、ストローを鋭い犬歯で弄びながら…わらう。





39-3

「すまん、オコジョ! …それでな、この下宿の連中もあんたの言うことなら、

 きくやろ? みんなにもな、うちが電話してても部屋の外に出てきて…

 聞き耳立てたり、ちゃかしたりせえへんよう、言いふくめておいてほしいんや」

「…なるほど。…フフッ、そういうことか。――春、っていうか夏だなあ」

 ガリガリと、コーラあじの氷をかじって目を細めた幼女フレンズは。

「わかった。下宿の連中には、俺から言っておく。…が。

 いまは大家の婆さんもいる。叱られねえよう、節度ってやつをもって頼むぜ」

「おおきに! ありがとー、オコジョ! じゃあ、さっそく今夜から頼むわー」

ヒョウは、ちゃぶ台に両手をついてオコジョに何度も頭を下げた。


――1週間ほど前のこと。偶然、なのか。何かの導きなのか、運命なのか。

大田区の産業プラザで開かれたフレンズ・イベントの屋台に、助っ人として参加

していたヒョウは、その会場で片思いの相手、ヒトの少年と再開していた。

その場でヒトの少年、本間君にヒョウは告白し…お互い好きだったと、わかって。

連絡先も交換したヒョウは、しばらく夢見心地の毎日を送っていた。





39-4

ヒョウは、彼氏の本間くん――有名進学校に通う、お金持ちの高校生につりあう

オンナになるべく、アミメキリンの編集部で働き始めていた。

編集の仕事は朝早く、忙しく、都内を駆け回って汗まみれになり…そして、

キリン姉妹から譲渡された服と化粧の扱いも覚えさせられ。

目の回るような忙しさだったが、ヒョウは片思いではなく、両思いの素敵な恋人が

出来たことによる幸せ効果で、サンドスターよりもきらめく日々の中に、いた。

…そして。

ヒョウがオコジョに頼み込んだ、その日。

今夜あたり、本間少年からヒョウに電話がかかってくる頃合いだった。

――ヒョウには、懸念があった。それは、自分の行い、記憶の中からやってきて…

(…そういや、去年…ジャガーがまだこの下宿におったころ。

 ジャガーに今のオトコができて、夜、電話してきたとき…うちら、そういえば…)

(…ジャガーが電話にでるたびに、公衆電話のまわりに全員で集まって、聞き耳

 たてて、はしゃいでたなあ。…ということは。…本間くんから電話があったら…)

…あかん! 絶対にアカン!! ――ヒョウは悪因悪果というものを、知った。





39-5

――かくして。ヒョウは下宿の古株であるオコジョに頼み込むはめになって、いた。

「…携帯、だっけ? ヒョウも早くそれ買えばいいじゃねえか」

「…うん、そうなんやけど。…買おうと思ったら、うちらフレンズが携帯買うのって

 めっちゃ手続き面倒で…目が回ったわ」

「わかったわかった。…まあ、そうなってくると、ヒョウ。

 おまえもジャガーみたいに、ここを出てその男と暮らすのがいいのかもな」

ドカコーラを脇に置いて言ったオコジョの前で、ヒョウの顔が真っ赤に染まる。

「…え、えええ。で、でも、本間くんまだ学生やし、勉強と塾と、試験があるし…

 …いっしょに住むとか、そんなまだ早い… まだうちら、その、なんも…」

「へー、ホンマっていうのか。ヒョウのコレは」

「……みんなには内緒やで…… 年下っていうか、まだ高校1年やねん…」

「ヒトなんてみんな俺たちフレンズより年上だろ。なんだ、まだ寝てないのかよ」

「ね、ねねね…! 寝るなんて、そんなやらしい… うち、逮捕されてまう…」

「毎晩オナニーしてたくせに、何言ってやがる」「…………!?」

…バレてたん!? ヒョウの顔が、再び火事のように真っ赤になった…





39-6

――そして、その夜。

下宿の部屋で、布団もしかずにうろうろ、立って歩いては、寝転んで。また立って。

編集の仕事から帰って、そのままのお洒落デニム、夏っぽいブラウスを着たままの

ヒョウは“その時”を待ち、部屋の扉も開いたまま…悶々とする。

「…今日あたり、電話かかってくるかな… ラクダに聞いたら、今日はまだ電話、

 鳴ってないって言うてたし… たぶん、今夜…あれ、もう9時過ぎてるやん…」

ヒョウは、胃袋のあたりで熾き火みたいに温かくなっている焦燥とも多幸感とも

つかない気分にせかされ、5分おきに、公衆電話の置かれた暗い廊下を見…

「……。今日は、電話…かかって来へんかな…ホンマくん、勉強大変やもんな…」

じわっと、ヒョウの両目が金色に潤んだ。

…うち、こんな泣き虫やったかな…

…本間くんと会ってから、うち別の生き物になってまったたみたいや…

しょぼん、としたヒョウが部屋の扉を閉めようとした…とき。

 ジリリリ… 薄暗い廊下で、古びた公衆電話がベルをかき鳴らした。

「…!!」 ビクッとしたヒョウ、その立った尻尾が倍くらいにふくれ上がった。





39-7

…本間くん!? ヒョウは、足音もしないほどのダッシュで廊下に出て。

 ジリリリリ… ――だが。ピンクの公衆電話の前で、固まる。

(…ああ、これ本間くんやわ…電話で話すの、初めてや…なに話せばええんやろ…)

(…えっと、いきなり出ると…ずっと待ってたみたいで恥ずかしいわ…

 ここはお姉さんらしく、数回待ったほうが…あああ、でもそれで切れてまったら…)

 ジリリリリ… ――結局、3回目でヒョウは受話器を…とった。

「……。っ…その、うち…」 ほとんど、言葉を出せないでいるヒョウのひと耳に、

『――もしもし。あの、みどり荘第四ですか? ……ヒョウさん?』

古びた受話器の向こうから、間違えようのない少年の声がこぼれてきていた。

「…!! う、う…うん、うちや。…本間くん…」

『――ヒョウさん…! ごめんなさい、夜遅くに電話して。大丈夫でしたか?』

「…う、うん。へいき、大丈夫やよ。…うー、う…うち、めっちゃうれしい…」

『――えっ、なにかあったんですか?』

「…本間くんが、電話してくれて… 声が聞けて、めっちゃうれしい…」

『――はい… 僕もです。ヒョウさんの声、僕、すごく好きです』





39-8

ヒョウは、受話器からミシッと音がするほど握りしめ…

「…ほんと? うちもね、好き…すごく、すき… ううー、恥ずかしい……」

そのヒョウの声に、受話器の向こうのヒトの少年は。

『――ヒョウさんに会えて、見つけられて良かった。…あの時から、大好きです』

何のひねりもない、だが言葉だけで、どんな手淫の指よりもヒョウの身体をとろかす

言葉をヒトの少年は流し続け… 二人の恋人は、同じことをただ繰り返すような、

だがそれだけでお互いを幸せにする言葉を、交わして…

――交わして… ヒョウの双眸が、やっと“それ”に気づいて。

「……!? な、なな… な…!?」

薄暗い廊下には、いつの間にか…肉食頂点のヒョウが、発情で目が曇っているうちに。

「…うふふ」「気にしないで続けて」「ヒョウもそんな顔するのね」「いいなー」

下宿フレンズたち、ほぼ全員の顔が…屋台のお面のように鈴なりになって。

受話器を抱きしめるように持つヒョウを…フレンズたちがニヤニヤと見ていた。

「な…! お、おまいら…!」『――? ヒョウさん、どうしたんです?』

「……! なんでも…ない…」 …悪因悪果。実った果実が…地に落ちていた。





39-9

ヒョウは、受話器の口を手で抑え。キシャー!!っと。

「…お、おまいらあ! オコジョに因果含められてたんと違うんかあああ…!?」

そのヒョウに、口の端だけで笑ったビントロングが。いい顔のほかのフレンズが。

「…ジャガーがカレシと電話してたとき。一番はしゃいでたのがヒョウだしー」

「オコジョさんがね、電話がかかってきたらみんなで取り囲めって、言ってた」

「こうすればね、今度は私たちにも彼氏が出来るって、そういうおまじないだって」

「…!! あ、あの外道~~!! あの腹黒ちび! 裏切ったあああ…!?」

眼の前が真っ黒、そして顔が真っ赤なヒョウの手の内で。

「――…もしもし、ヒョウさん?」

不安げな声が、ヒョウの手のひらの下で響いていた。ヒョウは、

「……。…そ、その。本間くん、ごめん…ちょっと、かけなおして…いい?」

――ヒョウの脳裏に、1年ほど前の、ここでの光景がほぼ完璧に再生される。

…彼氏から電話があると、みんなに茶化されたジャガーが…

怒りながらも、なぜか無敵感のある勝者のオーラを身にまといながらみんなに愚痴り、

そして下宿の外にある公衆電話に、いそいそと向かっていたあの光景――





39-10

「…ごめん、すぐかけなおすね…」 …ヒョウは、受話器を置いた。

「えー、もう終わり?」「私たちのことは気にしなくていいよ」「相手どんな子?」

ニヤニヤと、1年近く前のヒョウのようにはしゃぐ下宿フレンズたち。

…ヒョウは。その時のジャガーのような勝ち誇りオーラをまとえず、

「…ちょっと公園行ってくる」

それだけ言い残して、廊下を…そしてハッと気づいて、部屋に小銭入れのサイフを

取りに戻って――ヒョウはこそこそと、小さくなって下宿から走り去る。

「…ちくしょー、あいつら、オコジョ… ……。…でも――」

(…ジャガーに、悪いことしてもうたな。今度、謝らなあかん…)

ヒョウは今さら、当時のことを後悔しつつ…この近くにある公衆電話の場所を

思い出しながら生ぬるい5月の夜の中を、走って…そして。

まだ公衆電話があるコンビニのことを思い出し、ヒョウはその店先へ急いだ。


幸せって何だっけ?なんだっけ? ヒトにもフレンズにも等しく問いかけられる歌。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫に昔の歌さえ忘れさせるまで――あと315日……






40-1

大都会、東京。夏のような暑さに揺れた5月。その夜の片隅に ごはん の提灯。

駅裏にあるその通りと歓楽街に、日曜日夜のまばらな人通りが行き交う。

さらに、その奥。高架沿いの薄暗い路地に、赤い提灯をゆらす屋台が出ていた。


ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、現在の

ところ一時的に無職ではなく、編集部見習いのアシスタントとして働いていた。

そんな彼女、ヒョウは… いくつもの理由があって――

「…うちには手があいたら、なんかてきとうに出してくれればええよ」

「うん。ごめんねヒョウ。…今日、日曜なのにけっこうお客さんが…」

フレンズ友、ジャガーのごはん屋台にやってきたヒョウは。

ヒトの先客が四人ほどいた屋台のつけ台、そのいちばん端っこの丸椅子に座って。

若い女の客、ヒョウが来て静かになったり、盛り上がったり。ジャガーに常連ぽく

いつものを注文して笑ったりしている男たちは、10時がすぎる頃には…

一人、二人と消え。屋台の客は、氷を詰めたジョッキに缶サワーを注いで呑んでいた

ヒョウ一人に、なった。ヒョウとジャガーは、お互い頃合いをはかる顔で…





40-2

「ごめんねー、ヒョウ。ごはん、もう食べた? 今日はもう麺が終わっちゃって」

頭にタオルを巻いていたジャガーがにっこり笑い、それを外して首に巻く。

同じように、長めのターバンニットを髪に巻きけも耳を隠していたヒョウも、

「めしは食ってきたねん、といっても夕めしだから5時間前やけどねー」

そのターバンを外して、くるくると。

「ジャガー、ちょっと飲ませてーな。…さすがに毎日勤労すると、疲れるわあ」

「それはいいけど。…そっか、あなたキリンたちのところに行ってるんだっけ」

二人のフレンズに戻った、ネコ科肉食頂点のふたりは小さく笑い。

ヒョウは客の皿とグラスを裏に運んで、そこの水バケツで流し、沈めて手伝う。

「仕事は、まあそこらじゅう駆け回るだけなんやけど…朝、早いのがつらいわ」

「…ふふ、ヒョウが毎日、毎朝早起きするとか。…すごいわよね」

「なーにが」「――恋の力」「…………」「…あなたもそんな顔するんだ」

上機嫌でころころと笑い、瞳のヒスイ色をきらめかせたジャガーは、

「この前、会場でヒョウと抱き合ってた… あの子でしょ?」

「…だ、だだだ、抱き… あれは、ちがう…そういうのじゃないねん…」





40-3

焼き台の熾き火のように顔が赤くなったヒョウの前に、氷を追加したジョッキと

新しい缶サワーが滑ってくる。ジャガーは、昔の歌謡曲を鼻歌で鳴らしながら、

「それで、ヒョウ。今日はどうしたの? あの子のノロケでも聞かせてくれるの」

「い、いや… ノロケとか違くてな… 今日はその…」

最近、夜も蒸すせいか…数ヶ月前の冬よりも、ジャガーが肉食系だった。

ジャガーは揚げ物の鍋をコンロにかけ、焼き台にもオガ炭を足して、

「…でも、ステキじゃない。ヒョウ」「…? なにが」

「仕事とは言えあなたが、そんなお洒落して出歩くなんて。最初、誰かと思った」

「キリンたちがうるさいねん。アシスタントでも編集の顔だから、とか…」

最近、ようやく慣れてきた…軽めの化粧と、少し子供っぽい目つきをシャドウで

飾っているヒョウがため息ついて。缶サワーをあけて氷にぶち込む。

「……。その、な。ジャガー。あんたにハナシ、っていうか。

 …ちょい、謝りたいことがあって、その。…いや、大したことやないんやけど」

「いいわよ、聞いてるから。…最初に揚げ物、出すね」

ジャガーはやさしげに目を細め… 揚げ物の鍋が、バチバチとはじける。





40-4

ジャガーは、電球の下で夏を思わせる鮮やかな緑色の野菜を洗い…

大きな土佐甘とう、長いピーマンのようなそれにさっと包丁で切れ目を入れると

クリームのような揚げ衣をたっぷりつけて、次々と熱い油で揚げてゆく。

バチバチ、ぷちぷちといい音が広がる中。

「…なあ、ジャガー。その、あんたカレシと電話する携帯…それ、どうしたん?

 うちも買おうかとお思ったんやけど… めっちゃ手続き面倒でなあ」

「ああ、私たちフレンズが携帯とか不動産買おうとすると、大変よね…

 …うん、私の携帯もね。彼に、としに用意してもらってるんだ」

…そっかあ。ヒョウは、三本目の缶サワーを開けてジョッキに流し込む。

そこに、焼き台の向こうからジャガーの手と皿が伸びて。

大きな甘とうを丸揚げにしたものが五本。そしてマサラ塩、大根おろしの出汁。

「うほっ、うまそうやん。…なんやったっけ、これ。名前忘れてもうた」

「ミルチ・バジ。マハッタヤさんのところで習ったやつね」

…そうやった。ヒョウは一本にマサラ塩をふって… ハフハフいいながら食す。

野菜の甘味、天ぷらとは違う風味のふっくら衣が冷たい酒によく合う。





40-5

(…パコラ粉やな、ヒヨコ豆の粉にコリアンダー、クミン、あと…わからん)

ヒヨコ豆の粉を溶いた衣で揚げた野菜は、昼間の暑さが残る夜風の中で食べて

いると――パークから日本に来たばかりのヒョウとジャガー、マレーバクに

料理を教えてくれた職業訓練所のおじさんと、アジアの街を連想させる。

ヒョウにすすめられ、自分もジョッキに氷と発泡酒を注いだジャガーが。

「かんぱーい。…初彼氏、おめでとう。ヒョウ」「…う…うn……」

「可愛い彼氏じゃない。年下っていうか、あなたより背が低いけど…ステキね」

「…ん、うん… 本間くん、まだ高校1年やし… でもすっごい真面目で…」

ぼそぼそと、馴れないノロケで顔を赤くしているヒョウの前に。

「はい、次はお肉ね。レモン、もっといる?」

さっきから、焼き台でジリジリ焼けて、腹と胃袋をねじるいい匂いの煙を揺ら

せていた串焼きが皿に盛られ、つけ台に出てきた。

「鶏ひき肉のケバブね。にんにく入ってるけど…今日デートじゃないでしょ」

たっぷりの玉ねぎのスライスとレモンに、ツバのわいたヒョウがうま味のある

顔になって。厚切りのレモンの汁を串焼きの肉にかけてゆく。





40-6

ひき肉をスパイスでこね、串に巻きつけて焼いたそれは。口に運ぶとホロッと

身が崩れて、レモンと塩気と、うま味のある肉汁を口の中いっぱいに広げる。

「…んまー。…やっぱ、うちよりジャガーのほうが料理、上手いなあ」

「そんなことないでしょ。得意なものが違うだけで…」

ササッと手早く、あぶったエビの身と水菜、大葉を生春巻きで巻いたサラダを

こさえたジャガーが、また古い歌謡曲を口ずさみながらそれを出してくれる。

「とりあえず、これで。まだ食べたかったら、あとで焼き飯つくるからね」

「いや、これでええよ。…なあ、ジャガー。あんたもこっち来て、飲も」

ヒョウはつけ台の上で料理の皿を動かし、ジャガーの席を作ると。

「ありがと。…今夜は、もう電車も終わるからお客さん、来ないかな」

二人のフレンズは、美しいねこたちは――丸椅子の上、お尻と太い尻尾を並べ。

電球の灯りの下、びっしり汗をかいた氷のジョッキをぶつけて乾杯し。

「あのな、ジャガー。古い話やけど… あのときは、ごめんなあ」

「なに? 古い話で、あなたに謝られるようなことって?」

「その、昔… あんたに今のカレシができたとき。うち、からかって…」





40-7

「…ジャガーが下宿の電話で彼と話してるとき…うち、横で茶化してたやん。

 …あれ、ごめんな。…おとな気なかったわ、うち…うちら…」

ジャガーは、え?そんな古い話をなぜ今? という顔をしたが。その顔が、

「…あっ、そっか。ヒョウ、あなたも彼と…その本間くんと、下宿の公衆電話で

 話してたらみんなにからかわれたんだ? あはは…! 変わらないなあ」

「…まさか、我が身のコトとなるとは思ってもみんかったわ…」

「じゃあ、ヒョウ。あなた彼と電話するとき、どうしてるの」

「うん。夜にな、2回だけ電話が鳴って切れるんや。そうしたらそれが本間君の

 合図やから、うち公衆電話のあるコンビニまで行って… かけ直すんや」

だいぶアルコールが回ってきたヒョウが、話しながら。

…ときおり、何かを思い出して体の奥がくすぐったそうにヒョウは顔を赤らめ、

「だから、うちも携帯欲しいなーって。…でも、本間くんに頼むのはあかん…」

「キリンたちに頼んでみたら? あとはクロちゃん、妹さんとか…」

「…うん、あんまり借りばっかり作るのもアレやけど、そうしようかな…」

ヒョウとジャガーが、お互い新しい缶を開けたころあいで。





40-8

「ねえ、ヒョウって。カレシと電話でどんなこと話してるの?」

瞳のヒスイ色が、黒に近い艶を浮かべて…ジャガーが肘で、ヒョウをつっつく。

「え、話すことって… それは――」

酒だかノロケだか、どちらかわからんものでずっと顔の赤いヒョウは。ジョッキの

氷をガッと鳴らしながら、溶けた水まじりの酒を一息で飲み…

「…ふふ。…本間くん、うちのこと… 好きって、ゆうてくれる…なんべんでも…

 うち、彼に好きって言われるだけで、めっちゃうれしい… 体がとろける…

 でね、うちも好きっていうとな… 本間くんも、好きだ、って…うれしい……」

……!? ヒョウは、はっとして我に返ると。ジャガーの目が。

「そっかー。良かったじゃない、ヒョウ。ステキな彼氏、いい子でさあ」

「…うん。うち…パーク出て、こっち来て本当によかった… すっごく幸せやねん。

 …まえは、ジャガーとバクが男の話してると居場所無かったけど…今は平気や」

「そっかー。…ねえ、もうキスくらいした?」

「…!! そ、そそそ、そんな… 本間くん、真面目やし、勉強忙しいし……」

そっかー。ジャガーはやわらかな笑みのまま、二人のジョッキに氷を足し、





40-9

「…これでヒョウと私、バク。全員、彼氏持ちね。バクは…うん」

「姉御なんか言うてたんか?」「あなたがおぼこすぎて、見ててじれったいって」

…しらんがな。ヒョウとジャガーは、もう何本目かの缶酒で乾杯して。

「…ヒョウとその本間くんって彼氏も…早く一緒に暮らせるようになるといいね」

「…うん… でも、本間くん大学受験があるから…」

「…じゃ、さきにセックスだけしちゃいなよー。…カレシ若い子だから…」

「…ジャガー酔ってるんか? その、セックスって…そんなに、ええんかな…?」

「…うん。いいわよお。もう…最高」「そんなに」

「…カバがね。たまにお店に来て言うんだけど――欲しいものは、欲しいと言えって」

酔って熱くなったのか、髪を手でかきあげて艶っぽいため息をしたジャガーが、

「…私はもう手に入れちゃった… でも、本当に欲しいものは… 駄目なのかなあ…」

「…なに。ジャガーが本当にほしい、駄目なものって」「……彼の、赤ちゃん…」


現在、パーク振興会研究所でもフレンズとヒトの受胎実験は成功例が皆無である。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫とその友に石を抱かせるまで――あと312日……





41-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

運命なのか、偶然なのか、あるいは奇跡なのか――

それをひっくるめる便利な言葉“ひょんなことから”、ヒョウはヒトの少年と

出会い、そして恋に落ちて…二人は初恋どうしで、お互いに好きあって…いた。

恋を知ってから、それまでのフレンズ下宿での無為無策な無職ぐらしをきっぱりと

止めたヒョウは、知り合いのフレンズ、キリン姉妹の編集部で地道な下働きから

日々の労働を始めて、そしてそれももう半月ほど。

「…うちは今、フレンズいち、幸せすぎて怖いくらいの少女やねん…」


東京、文京区にあるキリン姉妹たちが務める編集が入っているビル。そのフロア。

「…! おおきに、ありがとうアミメ! いやー、こんなすぐに手に入るなんて」

ひと月前のヒョウとは、別人のように…

安物ながら、ブランドのジーンズに靴はストラップパンプス。初夏らしい空色の

ティアードが入ったシャツを着、少し子供っぽい印象の目元にアイライナーを引いて

化粧したヒョウが… だが。子供のようにはしゃいで、何度もお辞儀する。





41-2

そのヒョウの手には…少し古い型の、ガラケー。携帯電話。

そして、ヒョウがぺこぺことお辞儀している相手は、椅子に物憂げに沈んだままの

フレンズ、コミック編集部のアミメキリン。

「いやー、さすがアミメやわ。携帯なんとかならへん?っておねがいしてから、

 即日やもん。やっぱりデキルフレンズは違うわー、ほんま、ありがと!」

「…まあ、フレンズが個人で契約事するのは面倒よね。というか、アシスタントの

 仕事させてるんだから、携帯くらい初日に渡しておくべきだったわ」

アミメキリンは、目の前ではしゃぎ喜ぶヒョウのお礼をくすぐったそうに聞き流し

ながら…机の上にあった、プリントアウトの紙をヒョウに突き出す。

「これ、仕事用の連絡先ね。いちおうその携帯にもコピーしてあるはずだけど。

 間違いがないか確認して。あと操作ミスででCC誤爆とかされると赤っ恥だから、

 携帯のマニュアルよく読んで。あなた、そういう機械は初めてでしょう?」

「うn …ちょっとこわいけど… 大丈夫、しっかり覚えるわー」

「その端末の支払はうちだけど。彼氏との電話は、節度を持ってね」

「……。う、うn …やっぱりバレとったん…?」





42-3

「バレるもなにも。例の本間くんって男の子の連絡先をあなたに渡したのは

 ロスっちだし。…私たちも、大田区のイベントには顔出してたし」

なにも言えない、という表情で赤面したヒョウに、

「…別に怒ってないわよ。…私、ちょっと安心してるくらいだもの」

赤らんだ顔のまま、?という目のヒョウに。無言で席を立ったアミメは、フロアの

隅にある自販機からコーヒーのカップを二つ持って戻り、片方をヒョウに。

「…タイリクオオカミ先生から、私。あなたのことを頼まれていたから――

 あなたが毎日真面目に仕事して、真面目な年下の彼氏が出来たって。

 …伝えられるもんなら、パークにいるはずの先生に教えてあげたいくらい」

「…うん。…オオカミ先生、どうしとるやろ…」

舞い上がったり、赤くなったり、しょんぼりしたり。そんなヒョウの前で、

ずいぶん年上に見えるアミメキリンはコーヒーの湯気で濡らした唇で…ちいさく。

「…他で言っちゃダメよ。…近いうちに、先生から手紙みたいなものが届くわ」

「…!! マジ? えっえっえ!? 先生がパークの島から、こっちへ…」

「安保軍の通信に紛れ込ませるから、短いものだと思うけど…」





41-4

「そ、そっかー。オオカミ先生、元気だとええなあ。…戻ってこられるとええな」

「戻るわよ。じゃないと困る…『ギロギロ』第二部の枠はもうとってあるんだから。

 そうしたらヒョウ、あなたもうちの業務から、先生のアシスタントに戻るのよ」

「うん、わかっとる。…先生に会いたいなあ、色んなこと、お話しするんや…」

「先生からの手紙が届いたら… そのときは口頭で伝えるわ」

二人のフレンズのあいだに、やさしい沈黙が流れて――

ヒョウは手の中の素敵な機械、携帯をそうっと握りしめた。

(…今夜、下宿の公衆電話に本間くんから電話かかってきたら…これで、かけ直そ…)

(…もう、コンビニに走ったりしなくてもええ。…好きなときに本間くんと話せる…)

(…あ、でも本間くん勉強で大変なんやし…うちもガマンせな。…でも…)

…本間くんと、お話したい…また会いたい…また、会って今度は…

アミメキリンは、内線でかかってきた電話に出ていた。その前でヒョウは。

魔法のような機械、ガラケーを手にして。その目からときめきの虹をこぼしていた…


――そのころ。同時刻。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。





41-5

 VaVa!! Vaaaaaa!! ――その怪物の唸り声が、周囲の空気を震わせた。

ジャパリパークの島、そのひとつキョウシュウ島にある海岸沿いの森で、しばらく

絶えていたヒトの声が… 怒声、そして悲鳴に近いかけ声が響いていた。

そのヒト。男たちの声は英語、そして日本語が入り混じって――

「Fuck! あの黒いモンスターは…!? まずい、撃ってくる!」

「…ダメだ、あの黒いのには…撃つな、中止! 射撃中止! 各自、自衛を…!」

小銃、機関銃の乾いた音が響く中。

迷彩服と装備を身に着けた男たちは、森の木々をなぎ倒し、踏み潰して進んでくる

黒い異形に、大型セルリアンに血走った目を向けて…いた。

大型トラックほどの大きさがあるそれは、履帯の接地面から無数の蟲の足を

生やし、それをうごめかして進み…巨体の真正面に開いた巨大な単眼で、

パークに上陸した日米安保軍の潜入チームを、ギロリ見据えていた。

「あの形…! アムトラック(AAV7)を食いやがったのか、化物め!」

米海兵隊のムート曹長が吐き捨て、対戦車弾のAT-4を部下から受け取っていた。

その海兵隊員を、陸上自衛隊の装備をつけた男が制止し、





41-6

「ダメだ、先生を巻き込む! こちらは…! 来るぞ!!」

陸上自衛隊、渡嘉敷二尉は小銃をショットガンに持ち替え――彼ら潜入チームを

包囲するように転がってきていた、中型セルリアンの群れを…撃つ。

硬質ケラチンの散弾が、目玉のあるバランスボールのようなセルリアンを引き裂き

破裂させてゆく中、ほかの隊員たちも専用弾の拳銃でセルリアンを撃ちまくる。

「う、うわ! アッ、あああ…」

一人の海兵隊員が、紫色のセルリアンにのしかかられて飲み込まれる…その寸前、

渡嘉敷二尉のショットガンの木の銃把がセルリアンの石を砕いて蹴散らしていた。

「すまん、デク!」「メディックを彼に! 黒いのは“彼女たち”に任せよう!」

その日本人が、ショットガンに実包を詰めながら言ったとき――

彼らを狙っていた黒セルリアン、強襲輸送車を飲みこんでいた怪物。

その砲塔じみた触手が…“何か”に気づいて、唸り声を上げ旋回した。

「――遅い」 その“何か”は、疾風のようなその影は。

黒セルリアンが発射した、真っ黒な毒液と弾丸の雨を残像の中に残して、跳んだ。

彼女は、安保軍第二次パーク調査隊のメンバー、フレンズ。タイリクオオカミ。





41-7

フル装備の兵士たちの前では、別の生き物に見える。制服姿を模したスタイルの

タイリクオオカミは、残像を曳いて跳び、

 ゴウン!! と、重大交通事故のような轟音で黒セルリアンが揺れた。

 Vaaa! 怪物がエンジンの咆哮じみた音で、吠え――怪物に飛び蹴りを食らわせ

踏みつけていった狼のフレンズに砲塔を向ける。

「…固いな。日本に出るヤツらより栄養がいいのか? この黒さ、まさか…」

タイリクオオカミは、着地し、色のついた氷のような双眸で黒い怪物を見据える。

その彼女に、砲塔が放った毒液が、先端がヒトの骸骨の手になっている無数の触手が

伸びて襲いかかる、が…それらが森の腐葉土をえぐったときには、

 ゴン!! 再び宙を飛んだ狼の拳が、黒セルリアンの上部にあった砲塔を殴り潰し、

「…節約している場合でも…ないか!」

タイリクオオカミの両目から、ゾワッと青と金色の虹色が吹き出して…

 ゴ!! 両手を組んで、ハンマーのように振り下ろされたタイリクオオカミの拳が

黒い大型セルリアンの上部を一撃すると――その衝撃と轟音が消えるのと同時に、

怪物の身体中から真っ黒い液体が吹き出して…セルリアンは砕け散った。





41-8

あとには… 朽ち果てた残骸となった、海兵隊の車両が残されているだけだった。

「…先生!!」「渡嘉敷くん、そちらは大丈夫かい。ムート曹長たちは…」

中型セルリアンをあらかた吹き飛ばした潜入チームの兵士たちが、黒い怪物を

叩き潰した美しい生き物に、何度見ても見惚れるほどの美人…タイリクオオカミに

小さく敬礼し、そして…黒いセルリアンの残骸に、ゾッとした目を向ける。

「あれは…去年の上陸作戦で全滅した連隊の車両です、曹長…」

「…くそ。あとで、中を確認し…タグとDNAだけでも回収するぞ」

潜入チームの主力、海兵隊の猛者たちが苦々しく吐き捨てたとき、だった。

 Kiyyyyyyeee!!

森の梢の彼方、はるか上空から、血も凍るような轟きが落雷のように男たちの

上へ降り注いでいた。…青い空に浮かぶ、影…

「…! デク、あれは…!?」「畜生、米軍の爆撃機も食われてたのか…」

通信手である海上自衛隊特殊部隊、通称“海坊主”の妹毛三曹が、

「渡嘉敷、まずいぞ! あの怪物が海上の包囲艦隊のほうに向かったら――」

男たちが、ざわっと焦燥に揺れた、そこに。狼が小さく笑って、言った。





41-9

「大丈夫。あちらには私の仲間が向かっている。…無理言って空自から虎の子を

 借りてきておいて、本当によかった。カコさんには頭が上がらないな」

あっさり、天気の話でもするように言ったタイリクオオカミ。そのはるか上空――


ヒトの生み出した意匠の中でも、おぞましさではかなり上位に入るであろう。

“それ”は、矢羽のような、三角の刃のような形をした巨大な黒い飛翔体だった。

B-2爆撃機と呼ばれていた“それ”が、いまでは…

 Kiyyyyyyeee!! その黒い巨大な怪物、空の黒セルリアンが絶叫していた。

その刃じみた鋭い、黒い巨体にかっと見開いた単眼が動き、空の一角に浮いている

ちっぽけな黒い点を見据える。黒セルリアンが巨体を傾け、そちらに機首を向けると

随伴していた、ジェネリックと呼ばれる強個体を真似た小ぶりな飛行セルリアンの

一群も、それに続いた。

飛行セルリアンの目に捉えられた、小さな影は…

航空自衛隊のフレンズ、ハヤブサ。そして彼女が背に乗せて運ぶのも、フレンズ。

時速にして数百キロ、爆風のような空気の奔流の中で…だが二人の鳥フレンズは。





41-10

「…さすがに奇襲は無理だったか。しかし…デカイな。…大丈夫か、あんた?」

「運んでくださってありがとう。私、トリなのに空も飛べないし夢の翼も無くて…」

「最近流行ってるペンギンの歌か。…あと10秒で接敵。どうする」

鋭い目を細めたハヤブサの声に、彼女の背の上にいたフレンズは、

「あの大きいやつは私が墜とします。あと五ツ数えたら、私を降ろしてくださいな」

「本気か? まあ、いい! わかった。尻拭い、取り巻きは私がやるが…」

ハヤブサの声に、にっこりと――

第二次パーク調査隊の、民間枠。新世紀警備保障社から派遣されたフレンズの

オオウミガラスは、スミレ色の瞳を爆風の中でにっこり、細くする。

「…サン、ヨン… 5!! 行くぞ!!」

ハヤブサが体を横転させると、その背にいたオオウミガラス。翼のない、飛べない

フレンズは…ふわり、高度三千メートルから落下してゆく。

 Kiyyyyyyeee!! B-2爆撃機を飲んだ飛行セルリアンの単眼が、それを捉え。

「…うふふ。いらっしゃい。私はね…落ちていくだけ… 女って、そういうもの…」

ゴウゴウと鳴る風の中、笑うオオウミガラスに…セルリアンが突進する。





41-11

飛行セルリアンは蒼空を、その鋭い先端でオオウミガラスを引き裂くコースを

突進してゆく。狙われたフレンズは、ただ、落下していきながら。だが、

「…でもね。あなたも、墜ちるのよ。いっしょに、ね…」

オオウミガラスの目が。その輝きのない目から、黒い霧のような粒子がほとばしる。

と、同時に――瞬時に、彼女の体が爆発した。

…否。彼女の両腕、足、そして背中から。真っ白い、幾筋ものビームがほとばしり

青空を放射線状に切り裂いていって、いた。

飛行セルリアンの単眼が、その白い閃光を捉え…そしてそれが、自分を狙って

空を裂き、凄まじい速度で伸びてくるのを見、巨体がぐうん!と動く。

「逃さないわ。…うふふ、いっしょに落ちましょう。とっても、苦しいから――」

セルリアンを狙って、超高速で伸び、誘導してゆくその白いビームは。

オオウミガラスから放たれた無数の包帯、その触手は回避運動をとった亜音速の

飛翔体を、それよりも速い速度で追い、伸びて…数十キロメートル先で、捕らえた。

 Kiyyyyyyeee!! セルリアンが吼えるが、その怪物に奇怪な包帯は無数に絡み、

黒い巨体を白色が分断して巻き付けて…ゆく。





41-12

飛行セルリアンの巨体は、白いリボンのような包帯に絡みつかれ、そして。

はるかに小さいオオウミガラスの身体に引かれるようにして、高度を落として

いっていた。

黒いセルリアンが吼えると、ジェネリックの飛行型セルリアンがオオウミガラスの

ほうへと群がろうとするが――音速を超えたハヤブサの降下がその群れの真中を

突っ切ると、それだけでジェネリックが何体も砕け散って群れはバラバラになる。

 Kiyyyye…!! セルリアンが、明らかに推力を奪われ…そして。

いつの間にか、巻き付いた包帯の所々が赤く、血で汚れたように染まり…

セルリアンの巨体が、凄まじい力で締め付けられ、ゆがみ始めていた。

「…うふふ。苦しいでしょう? それがね、生、なの。…でも、もう…おわりよ」

オオウミガラスが、その目から黒い粒子を暴風の中に散らしながら…唇だけで笑う。

そして。彼女の両手が、伸びていた包帯をつかんで…抱き寄せるように引くと。

 Kiyyyyyy!! と、セルリアンの断末魔の轟音が蒼空を震わせ――

真っ黒い巨体は、ボキリと…手の形をした包帯でへし折られて…宙に、捨てられる。

セルリアンが粉砕されると、あとには…





41-13

数十億ドルの爆撃機、その残骸がバラバラになりながら地面へと落ちてゆく。

その破片のひとつのように、オオウミガラスも重力のままに落ちながら――

「…ああ。あの憎いあんちくしょうさえいなければ、私も墜ちてばらばらに…」

地面まで、あと数百メートル…のところで。

オオウミガラスの背中で、真っ白い翼が。包帯が形作った巨大な翼が展開して。

彼女の身体を、仲間の潜入チームと…オオウミガラスのマスターであるヒトの男、

新入社員の丸出の元へと、ゆっくり、天使のように降下させていっていた。

「……。すごい、あれが絶滅種フレンズの力、ですか…」

「私も間近に見たのは初めてだよ。…どちらが怪物だか、わからないなこれは…」

タイリクオオカミは、潜入チームの渡嘉敷二尉たちを連れ、オオウミガラスが

降り立つ草原の方へと、手を振りながら走っていった。


「…先生。この森を越えるとサバンナ地方に出ます。そうすれば…」

「うん。目的地が目視できるかもしれない。第一次チームの捜索も… ――行こう」

潜入チームとフレンズたちは、深い森を。ジャングルを抜けて進み…





41-14

――その日の午後。14時、潜入チームは…

この土地がまだ、財団法人ジャパリパーク振興会のテーマパークだったころは

サバンナちほー、と呼ばれていたエリアに進入していた。

天気のいいその日は、ジャングルでは見えなかったこの島のはるか遠くまでを

一望することが、出来て。 …そして――

潜入チームのヒトたち、フレンズたちの目に“それ”は禍々しくも、否応なしに

飛び込んできて…彼ら、文明社会からやってきたものたちを威圧していた。

「…!? あ、あれがマウント・フジ? なんて、形だ…あれはいったい…」

「…サンドスターの、結晶…? 火口が崩れて、噴出したのか…?」

「先生…」「…これは。予想の千倍くらい、厄介なことになっているね」

彼らの前には。米軍の爆撃で崩壊した火口から、禍々しい鉤爪のように虹色を

噴出させている奇怪な火山の姿が、遠く…そびえ立ち、人類に何かを宣言していた。


誰かが、不思議の謎を解かねばならぬ。誰かが、向かっていかねばならぬ。誰かが…

「セルリアン大壊嘯」の破滅は一人の少女が食い止めている。――だが、308日後……





42-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

それまで、家賃無料の安アパート「フレンズ下宿」で無為無職の日々を過ごして

いたヒョウだったが、数ヶ月前、恋に落ちてしまってから――

その恋は、まさに魔法だった。

ヒトの少年、本間新二と出会い、初恋同士で恋人となったヒョウと少年は。

「…うちは今、フレンズいち、幸せがイキすぎて逆に不安な気分の少女やねん…」


ヒョウは、ひと月ほど前から知り合いのフレンズ、アミメキリンの編集部で

アシスタントとして働くようになっていた。毎日、朝が早く残業も日常ごはんの

日々だったが…ヒョウは、かつて無いほど満ち足りていた。

恋人の少年、都内在住のお金持ちで進学校の優等生、だがセルリアン災害によって

両親を失い、自分もセルリアンに飲まれて奇跡的に生還した、少年。

彼と少しでも“釣り合い”の取れるオンナになりたい、と…

ヒョウは仕事に精勤し、お洒落と化粧も覚えて。携帯電話も手に入れて。

そして毎夜、彼と電話で話すのを日々の楽しみに… フレンズの彼女は幸せだった。





42-2

…その日は。ハードな夜勤明けで昼ごろ、ヒョウは下宿に戻ってきていた。

とはいえ、少し前までこの下宿にいた漫画家フレンズ、タイリクオオカミ先生の

アシスタントで徹夜慣れしていたヒョウにとっては、その日は休日のようなもので。

「…どないしよ。ひさびさに、みんなと買い物に行って…」

今夜はパーッと、手巻き寿司パでもしよっか、ヒョウは考えながら。…だが。

(…本間くんとごはん、食べてみたい… 会いたいなあ)

最近は、何をしていても、何を考えていても彼のことに収束してしまう。

ヒョウは幸せと、さびしさがごっちゃになった胸を自分の腕でギュッと抱いて、

(…今夜、うち。電話で言ってみようかな…でも彼、勉強大変やからなあ…)

彼の方から誘ってくれたらなあ… ヒョウは甘い言葉を夢想しながら。

天気のいい日中、少し汗ばむような陽気の四畳半部屋でぼーっとしているのにも

あきて…出勤服の、キリン姉妹から借りたと言うかもらったようになって

しまっているジーンズとシャツを脱ぎ、いつものダブついた自分の服に着替える。

「次の出勤は明日の朝やし。畑でも見て… そうやった」

ヒョウは部屋を出て、となりの空き部屋屋と。





42-3

隣の部屋は、いまは旅に出ている漫画家フレンズ、タイリクオオカミ先生の部屋。

ヒョウはその部屋を、先生がいつ戻ってもいいように掃除し水道を使っていた。

彼女が鍵のかけてない扉を開き、先生の部屋に入ると…

「…あ、ウ… ヒょう?」「ありゃ、おーちゃん」

部屋には先客が、いた。健康な小麦色の肌に水着のような服、そこにシャツだけ

はおった少し大柄なフレンズ。オオカワウソのおーちゃん。

彼女は今年の冬に、タイリクオオカミ先生と入れ替わるようにこの下宿に預けられた

少しワケありのフレンズだった。その彼女は、手に雑巾とバケツを持って。

「おーちゃん。掃除してくれてたんか、ありがと。今日、仕事は?」

「ウん。…シフト?が変わって、週末出る代わりに…今日が、おやすみ」

そっかー。ヒョウは、イタチ科フレンズの中では背の高い、そして女のヒョウが

ハッとするほど豊かな、キレイに張り詰めた胸を見…咳払い。

「おーちゃん、介護の仕事始めたんだっけ。そっちも大変そうやな」

「ウうん、フレンズのみんなが教えてくれるし、オジイサンたちもやさしい…」

そっかー。手持ち無沙汰になったヒョウは、キレイに掃除された部屋を見、





42-4

…最初ここに来たときは、まともに言葉もしゃべれず、いつも牙を向いてそこから

血のまじったような唾液をこぼしていた、言ってはなんだが、怪獣のようだった

おーちゃんが、数ヶ月たった今は――

まだ、口元から牙がのぞいていたり見開かれた目の紅さにぎょっとすることも

あるが、オオカワウソはふつうの、愛らしいフレンズの姿に戻りつつ…あった。

(いったい、パークで何があったんやろうな…うちがいた頃は、ぬるかったのに…

 セルリアンも園長たちがふっ飛ばしたのに、そのあといったい、なにが…)

「…? ヒょう、どうしたの」「…いや、なんでもないねん。…あっ」

ごまかし笑いをしたヒョウの目が。窓辺においてあった小さな鉢に、気づく。

ヒョウたちが手入れをし、水をやっているその鉢からは…

みずみずしいつる草が何枚もの葉をつけ。いくつかの白い花のツボミがならび。

そして…真っ先に咲いた、一輪の純白の花がガラス越しの日差しの中にあった。

「きれいやなー、この花。…なんて花かわからんけど。おーちゃん、知っとる?」

そのヒョウの前で、オオカワウソは。彼女も、その花に気づいて。

「…アあ。この花、は…咲いた、ンだ…!」





42-5

オオカワウソの爪のある両手が伸びて。その花を手指が愛おしそうに包んでいた。

「? それな、おーちゃんの髪にくっついてた種から生えてきたんやで。

 うち、パークでそんな花が咲いてるの見たことないけど… 日本の花でもないし」

ヒョウがしゃべるうち、オオカワウソはその一輪の花を、フッと手で摘み。

「…コの花…! パークで、みんなと見てた… としかきが、いつもくれた…」

オオカワウソは、その小さな白い花を豊かな両胸の前で抱きしめるように持って…

「としかき? …ああ、おーちゃんの彼氏、だっけ? …ええと」

…何から話せばええんや。迷っていたヒョウの鼻に、ふと。

…甘い、花の蜜の香りが。どこか香辛料のような芳香がまじった、その香り。

オオカワウソは、その花を…自分の髪に、左のけも耳のあたりに挿し、そして。

「…としかき、イつも…こうしてくれた。…私のこと、キレイ、かわいい…って。

 …スき、って言ってくれて。…いつも、やさしかった… この花……」

「……。なあ、おーちゃん。その、としかき、って。 …まさか…」

「…ウん。シんじゃった…」「な……」

「私、としかきも、ミんなも守れなかった…」





42-6

「…!? な、なにがあったんや、おーちゃん…」

「……。…アの夜、おっきな黒い鳥たちが、火山に雷を落とした…

 海の方から、火の玉がたくさんオ山の方に飛んでった… そうしたら…」

…!? オオカワウソの声を聞いていたヒョウは、ギクッと身動ぎした。

…気のせいか。おーちゃんの身体が、ブレて二人に見えたような、大きくなった

ような気がして。ヒョウは目をこすって…目の錯覚だっただろうか。

「…そうしたら?」

「…としかきたちは、その黒い鳥と火の玉をミる、お仕事…してた。そしたら…」

――ふと、オオカワウソの声が途切れた、と思うと。

彼女の見開かれた紅い両目から、ぽろぽろと涙の粒がこぼれ落ちていた。

声もなく、凍りついた顔で。ただ涙だけをこぼして泣くオオカワウソを前にヒョウは。

「わ、わっ… ごめん、おーちゃん、もうええんや、すまんかった変なこと聞いて。

 …そっか、彼氏が、なあ… …つらいやろ、なあ…… ごめんなあ…」

ヒョウは、自分ももらい泣きして。…胸の奥で。

(…うち、本間くんに何かあったら… もし、死んでまったりしたら… ……!!)





42-7

(…あかん… 考えただけで… そんなんなら、うちが死んだほうがましやん…)

明るい日差しが温める、四畳半部屋で。二人のフレンズ少女が、涙をこぼし。

「…ごめんな、おーちゃん。…で、でも。いまはうちらが、みんながおるから…」

「…ウん。私、としかき…スき。ヒトも、好き。…ミんなも、大好き…」

ヒョウは、オオカワウソの髪を、その頭を抱くようにして…なぐさめる。

「…そっか、好きなヒトが出来たら…それを失うこともあるんやもんな…」

「今度は、私…コわがらない、迷わない。…ミんなのために――」

いつの間にか、涙は消えていた。そのオオカワウソの髪をなでていたヒョウは、

そこに挿さる一輪挿しの白さと、甘い香りに…

「…いい香りやなあ、この花。…なんか、不思議な気分になる… なんて花やろ」

「ウん。としかきたちは、これ… トコシエコウ、って呼んでた…」

形も、香りも、その名前も、すべてが初めて知るその花の名前。

二人のフレンズは、その香りの中でお互いをなぐさめるようによりそっていた…


――そのころ。同時刻。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。





42-8

現在は全島が放棄され、日米安保軍の艦船が封鎖しているその島々。

1年ほど前はジャパリパークと呼ばれていたテーマパーク、その南端の島である

キョウシュウに上陸した安保軍第二次パーク調査隊のメンバーは――


「…妹毛三曹、あれから本隊の方からは、なにか?」

「いや、何も。あの忌々しい火山、マウント・フジの有様も転送したが…

 命令の変更も何も、無しだ。…ムート曹長。海兵隊のほうは何か?」

「Fuck。海軍の揚陸指揮艦“ブルー・リッジ”にも通信はしてあるんだがな。

 そっちと同じさ。現状の任務を続行、情報を収集せよ。上陸時から変わらん」

調査隊の兵士たち、自衛隊と米軍海兵隊から選抜された十名ほどの猛者たちは

通信手を囲んで、焦燥を隠せない顔を…彼方に見える、この島の中央に。

…かつては、マウント・フジと呼ばれていたパーク名物の山に向ける。

その火山は――米空軍の爆撃と海軍の砲火にさらされたその山は、頂上が吹き飛び、

だがそのかわりに…そこから、禍々しい虹色をした鉤爪のようなサンドスターの

結晶が天にむかって伸びて…いた。青い空を掴み、引き裂くように。





42-9

自衛隊の指揮官、そしてこのチームのリーダーである渡嘉敷二尉は、

「我々の任務は、マウント・フジの現状を…去年の、米軍による火山への攻撃

“オペレーション・メギド”の戦果確認――セルリアンの巣窟となっていた、

 あの山の火口が現在、どうなっているかを確かめること…だ」

「噴煙とサンドスターの虹彩が邪魔して、偵察衛星でも、偵察機の望遠でも

 確認できなかったからな。こうやって…上陸し、肉眼で見るしかない」

海兵隊の指揮官、ムート曹長は忌々しそうに火山を見、ファックを吐き捨てる。

「もっと接近して火口まで偵察に行くべきなんだろうが…

 海岸近くの森で、もうあの黒いセルリアンに俺たちはお手上げの有様だからな。

 おそらく、山に近づいたらそれどころじゃないぞ」

「第一次調査隊も、護衛のフレンズを連れていれば全滅せずにすんだかもな」

「あの頃はフレンズの有用性が軍に理解されていなかった、仕方がない…」

「それで? トカシキ、どうする。指令が来るまで、ここでボーイスカウトか?」

「…いや。もうひとつの任務がある。第一次調査隊の消息が絶えた地点から…」

渡嘉敷二尉が言ったとき、そのキャンプ地に。





42-10

「半径10キロ以内に、危険度のあるセルリアンの姿はない。異常なしだ」

上空から、ふわりと。航空自衛隊のフレンズ、ハヤブサがゆっくりと舞い降りて

男たち敬礼をする。

渡嘉敷たちがそれに敬礼を返すと、ハヤブサのマスターである空自の香成三尉が

彼女を迎えて、小さくその髪の翼をなでていた。

ハヤブサが戻ると、それに続いて偵察に出ていたフレンズも、戻る。

「…みなさん、おまたせです。この先にある河には、セルリアンは一匹もおりません

 でしたわ。そのかわり、フレンズさんたちもいませんでしたけど」

先に戻ったフレンズ、オオウミガラスが…行軍でへばっていた彼女のマスター、

民間人の丸出を引きずるように歩いてきて、にっこり報告する。

「ありがとう。では、あとは先生が戻ったら出発を――」

渡嘉敷二尉の言葉が止まって、彼は別の方向から近づいてきた黒い影に敬礼する。

サバンナの終わり、鬱蒼としたジャングルのほうから進んできたそのフレンズは、

「昨日の騒ぎがウソのように静かだね。この先はセルリアンは居ても、踏み潰せる

 ような小物だけ。…あの黒いのは、乗っ取る“機械”がないと生まれないのかもね」





42-11

タイリクオオカミ先生が戻り、にこやかに言う。男たちはホッとしながらも、

「…なるほど。日本で発生する特大型セルリアンと同じ、ですか。ということは」

「うん。去年、米軍が侵攻したルートに近づくのは危険だろうね。

 …それと。パーク振興会が撤退したとき、運搬機材を置いていった場所も危険だ」

狼が静かに言い、男たちがそれにうなずく…が。渡嘉敷たちの目は。

「…? 先生、それは――」

男たちは、タイリクオオカミの胸…片腕で抱くように持たれた、枕ほどの大きさの

見たこのもない物体に、青いマスコットのようなものに目を引かれていた。

「ああ、これかい。私も現物を見たのは初めてだが…」

狼が“それ”を地面に下ろすと、レンズ型のタブレットをつけた青いマスコットは、

けも耳を動かし、二本足で器用にぴょこぴょこ動く。

「こいつはラッキービースト。パーク振興会、ミライ博士たちの置き土産だよ。

 本来は、パークの来訪客をガイドするサポート・ロボットだが――実際は、ね。

 半恒久的に、フレンズの支援を…衣食住の世話をする、フレンズの世話係さ」

「へえ…しかし、そんな小さなロボットが一体… …? うわ?」





42-12

男たちが気づいたときには――このキャンプ地に、何体もの青いマスコットが。

中には、黄色や赤の個体もいる。“ラッキービースト”が集まってきていた。

「フフフ。ひさしぶりに私たちフレンズを見つけて張り切ってるね」

先生が笑うと。ラッキービーストの何体かは、その耳で器用にバスケットを運び、

そこに乗っていた丸い飼料をオオカミ、オオウミガラス、ハヤブサたちに配ろうと

していた。…そして。

男たち、チームの兵士は、ラッキービーストからは完全に無視されて…いた。

「まあ、そのまんじゅうをくださるの? うれしい、タダほど高いものはないのに」

「…なあ、トッシー。これ、もらって食べてもいいのかな…」

フレンズたちが、そして男たちが戸惑う中。ラッキービーストたちは動き回る。

「……。は、ははは。見慣れると、可愛いものですね。俺たちは無視されてますが」

「おそらく、観客だけをガイドするプログラムなんだろうね。君たちはただのヒト、

 違法入園者かな? 攻撃されなくてよかったよ」

「…しかし、このまんじゅうはどこから? スタッフが撤退してもう1年近く…」

「ああ、それもミライ博士から聞いた話なんだが――」





42-13

狼はラッキービーストを撫でながら、

「この飼料、フレンズまんじゅう…現地版はジャパリまんかな。

 これを作るプラントも、ラッキービーストといっしょに残されたらしいよ」

「さすが博士たち、用意周到ですな。…しかし、こいつらはロボットとすると――

 危険、なのでは? セルリアンに飲まれた場合、敵対する存在に…」

…ああ、それなら。オオカミ先生は、ラッキービーストの一体を抱き上げる。

「さっきロボットと言ったけど。この子たちは、全身が機械じゃないんだ。

 …機械だと、そのうち壊れて停まる。言ったろう、半恒久的な支援、世話と」

まさか? という目になった男たちに狼は、ラッキービーストの胸にあるレンズ型の

モニターを…本体に“拘束”された形のその“コア”を指でなでた。

「こいつは、人造セルリアンだよ。ミライ博士のチームが極秘開発した…

 表向きには公表されていない。ヒトがセルリアンを作ったなんてバレたら、ね」

「!? セ…! 危険はなさそうですが… なんという」

「…フフフ。まるで研究所は、カコ博士、ミライ博士たちは――

 ここからヒトが居なくなるのがわかっていたみたいじゃないか、ねえ。キミ」





42-14

狼の言葉に、ヒトの男たちは…深淵に呑まれたように声を失っていた。

“ここから”というのは、パークのことなのか、それとも……

ヒトの輪の中、一人だけあっけらかんとしていた新世紀警備保障の丸出が、

「なるほどなー。セルリアンならサンドスター濃度があれば半恒久的に可動する、

 しかもセルリアンからは仲間なんで攻撃されない、うまいこと考えますねえ」

「私が選ばなかったら無職のままだった、どこかの駄目男とは出来が違いますわね」

バディのオオウミガラスに、にっこり痛烈な言葉を投げかけられていた。

男たちが、なにかから逃避するように笑う中。狼は、ラッキービーストを下ろし、

「さっき、東の方向にパークの施設が見えた。観覧車があったから、遊園地かな」

「…それはいい。第一次調査隊の捜索もあります、そこに向かいましょうか」

渡嘉敷二尉はそう言い、ムート曹長たちとうなずきあう。狼はそこに、

「…渡嘉敷くん、早く弟さんを見つけてあげたいね」「…ありがとうございます」


虹色が蘇らせた太古の花。そのかぐわしさは、人類への挽歌か、それとも…

「セルリアン大壊嘯」と言う名のピリオドが打たれるまで――あと301日……





43-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

2年ほど前、当時はまだテーマパークそして研究施設だったジャパリパークから

ここ日本へ、他のフレンズたちといっしょに連れてこられたヒョウ。

しばらく彼女は、家賃無料の安アパート、通称「フレンズ下宿」で無為無職の日々を

過ごしていたが… 数ヶ月前。ヒトの少年と出会ってから――

「うちは今、フレンズいち、恋に思い悩んでいる少女やねん…」


恋がヒョウを、彼女を変えていた。

知り合いのフレンズ、アミメキリンの編集部で見習いとして毎日務め、働き、

そして服をそろえてお化粧も覚えて…ヒョウは、恋人のヒト、本間少年とつりあいの

取れたいい女になろうと、日々、本気を出して…そして、幸せだった。

毎晩、仕事から戻ったヒョウは宝物のように大事にしている携帯電話で、恋人の

少年と短い時間だが、電話をして。お互い、好き、としか言わないような他愛のない

会話をし、子供の夢のような約束をいくつもして… それだけで彼女は幸せだった。

…気づけば、ヒョウは毎晩のようにしていた手淫も、その回数は減っていた。





43-2

(…自分であそこ触ってるより、本間くんがスキって言ってくれるほうが幸せや…)

夜のせんべい布団の上でも、恋人の声を、顔を思い出して身を丸めるだけで…

ヒョウは、体の奥がじんじんして温かくなるような気分になれて。

…ときおり、我慢ができなくなって自分の体をなぶって慰める夜もあったが…

それでも、好きあっている相手が、男がいるという安堵、余裕のようなものが

ヒョウの自慰を、以前より短く、だがもっと幸せなものにしていた。

(…いつか、本間くん…うちのこと抱いてくれる… うちと、エッチしてくれる…)

夜の眠りに落ちる前、その安堵感を胸に抱いているだけで彼女は幸せだった。

…だが、ときおり。

ヒョウより先に彼氏が、男がいたフレンズ友のジャガーやバクたちの言葉が――

“フレンズとヒトのあいだには子供が、赤ちゃんができない”という暗い現実が

ヒョウを沈ませていたが… 処女は、根拠のない無敵感でそれをはね退けていた。

「…本間くんとうちが、最初のヒトとフレンズのパパとママになってみせたるわ…」


――そのころ。同時刻。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。





43-3

1年ほど前は、諸島全てがテーマパークそして研究所として活用されていたそこは

“ジャパリパーク”と呼ばれていた。

現在は、諸島の管理をしていたジャパリパーク振興会が撤退、無人となった島々。

そのひとつのキョウシュウ島。島の中央にそびえる、サンドスターの鉱床、そして

セルリアンの発生源とされていた山“マウント・フジ”を、米軍を主体とした

日米安保軍が爆撃してから半年以上…セルリアンの出現、跳梁は止まることなく。

島に研究所スタッフが、観光客が、ヒトが戻ることは…未だ不可能だった。

そのキョウシュウに上陸した、日米安保軍と護衛のフレンズ、民間ボランティア

からなる第二次パーク調査隊は――


チームより20メートルほど先行して進み、斥候をしていたフレンズが、

「…待って。上空偵察のハヤブサが戻ってくる。…? 他の子を連れているね」

漫画家のフレンズ、タイリクオオカミ先生が手を上げてチームを停止させる。

潜入装備の重武装をした兵士たち、自衛隊と米軍海兵隊の猛者たちが緊張した

面持ちで止まり、周辺に展開。指揮官が双眼鏡で前方、上空を注視する。





43-4

「…見えました、先生。ハヤブサが…戻りますが、飛行フレンズが一人、

ついてますね。追われたりしている様子ではないですが…」

チームのリーダー、自衛隊の渡嘉敷二尉が双眼鏡に目を当てたまま言う。

他の兵士たちも――草原に展開した彼ら、その数キロ前方に見えている建物に、

久しぶりに見るヒトの痕跡。遊園地の遠景に、小さくざわめきながら。

「…研究所の施設ビルがいくつか。破壊はされていない、あと、あれは――」

「観覧車だ、先生の言っていた遊園地…マジだぜ。こんな地獄のど真ん中に…」

男たちが戸惑うそこに、遊園地の偵察に行っていた空自のフレンズ、ハヤブサが

戻り着地すると。少し遅れて、ハヤブサより大柄な黒い翼のフレンズも降り立つ。

「ご苦労、ハヤブサくん。…そちらのフレンズは?」

オオカミの言葉に、ハヤブサが少し言葉を探して。

「現地の子、です。あの遊園地を縄張りにしているグループがあって、そこの…」

黒い翼のフレンズが、前に進み出て。静かな、自信に満ちた声で言った。

「…ハゲワシだ。あの遊園地を縄張りにしている――“女王”の手の者さ」

調査チームが初めて遭遇する現地フレンズ、ハゲワシの言葉に、





43-5

「…女王?」「それが、君たちのグループのリーダーなのか?」

兵士たちが現地フレンズに挨拶をしたり、質問を投げる中。

一人だけ、怪訝そうな顔をしていたタイリクオオカミが。

「セルリアン女王はサーバルとトワたちが撃滅したはずだが… フレンズの女王?」

そのオオカミに、ハゲワシはその疑問を想定していたような笑みを浮かべる。

「ああ、あんな化物の女王じゃない。オオアリクイのことだよ。

 彼女は遊園地を、ヒトが立ち去るときに…ミライさんたちから預かったんだ。

 だから、みんなあいつのことをクィーンとか、女王とか呼んでいる」

「なるほど。オオアリクイのことだったのか。…彼女、元気にしているようだね」

「あの食いしん坊は相変わらずだよ。…だが――」

ハゲワシは肩をすくめながら。だが、久しぶりに見るヒトたちに目をやる。

「去年だったか、ヒトが大きな黒い鳥と火の玉で火山を滅茶苦茶にして――

 あのときから、危険な黒いセルリアンがうじゃうじゃ出るようになっちまった。

 他のエリアに逃げたフレンズもいるけど、オオアリクイは逃げられなかった

 弱い子たちをあの遊園地に集めて、守っている。…だから女王なのさ」





43-6

…そうだったか。オオカミは納得したようにうなずくと。

「私たちはパークの調査をしに来たんだ。もちろん、フレンズに敵意はない。

 その遊園地に、私たちも入らせてもらっていいだろうか?」

「ああ。もちろん。ハヤブサを見つけたオオアリクイが、たぶんヒトもいっしょに

 来ているだろうからと――丁重に案内しろと、オレを飛ばしたんだ」

助かる。オオカミがうなずいて背後のヒトを、兵士たちを見ると。

「…まずは、ひと安心ですね。先生」「久しぶりに人間らしくベッドで寝られるか」

男たちはホッとして、散開していた仲間を集めて行軍体制に戻る。

渡嘉敷二尉の部下たち、海兵隊員がオオカミと、先導するハゲワシの後に続く。

その中で、ハゲワシを見た陸自の隊員がひとり興奮し、

「…! うわあああ!ベリショ!ベリショ! ホットパンツだあああ!」

「やかましいぞ、吉三尉」 またか、という渡嘉敷に注意される。

民間から、新世紀警備保障から出向している社員の丸出とオオウミガラスも、

「ああ…やっと、やっとヒトの建物だ…風呂に入りたい、牛丼食べたい…」

「設備が生きていたら、の話ですわね」 ヨロヨロの男を引っ張って歩き出す。





43-7

――その草原から遊園地までは、数キロの距離があったが。

途中、まだ生きている舗装路に調査チームは出て、30分足らずで彼らは遊園地の

ゲートに、テーマパークの施設入り口に到着していた。

そこには… 見知らぬ、現地のフレンズがぞろぞろと集まっていた。

臆病そうに物陰からうかがう子、興味津々でゲートにたむろする子、そして。

「…この遊園地を預かっている、オオアリクイだ」

ゲートの中央で、チェスの黒い駒のように堂々と立つフレンズが――それだけで、

全てを説明するように言い放つ。そのオオアリクイの周囲、背後には、彼女の

腹心のフレンズたちが居並び、久しぶりに現れたヒトと出戻りフレンズを見ていた。

そのオオアリクイの前に進み出た渡嘉敷二尉が、ひざまずいて胸に手を当て、

「我々は日米安保軍の、第二次パーク調査隊の者です。自分がリーダーのトカシキ、

 こちらは護衛のフレンズ、タイリクオオカミ先生、ハヤブサさんに…」

言葉通り“女王”の風格があるフレンズにうやうやしく、渡嘉敷が挨拶すると。

「…なんだ、タイリクオオカミ。おまえがパークに戻ってくるとはな」

どうやら顔見知りだったらしく、女王はニヤリ。





43-8

「フフフ。どうした、日本では――漫画家では売れなかったのか?」

「…まあ、そんなところだ」 オオカミは涼しい顔で笑うと、

「このチームを、ヒトたちをこの施設に入れてやってくれないか? 施設の現状を

 調査したいし、それにみんな、行軍と野営、戦闘で疲れ切っている」

「……。言ったろう、私はここを預かっている」

女王は静かに、だが大きな岩を音もなくそこに置くように…続ける。

「去年、ミライ博士たちは命をかけて戦って、私たちを…施設を守った。

 それなのにヒトはあの火山を攻撃して、せっかくの“結界”を壊してしまった――」

…? 何の話だ? という顔の兵士たちの陰で、オオカミがめずらしく曇らせた顔を

うつむかせ、だまって女王の言葉を聞いていた。

「…“あの子は”ヒトを、世界を守ろうとしたのに。ヒトがそれを壊してしまった。

 だが、それも仕方のないことだ。私は、ミライ博士から託されたものを守るだけ」

その言葉に、暗い表情になっていた渡嘉敷二尉。その彼らに。

オオアリクイの美しい顔が…ふっと、花が咲くようにほころぶ。

「私たちは。いつか戻るヒトのために、この遊園地を守っていたのだ。ようこそ――」





43-9

調査チームの一行が遊園地に、ゲートをくぐってその敷地に迎え入れられると。

それまで、遠巻きに様子をうかがっていたフレンズたちがわっと押し寄せた。

「いらっしゃーい! ジャパリ遊園地へようこそ!」

「ヒトだあ! ねえねえ、日本に行ったみんなって元気なのー?」

フレンズたちが笑いさざめき、例のラッキービーストが運んできたまんじゅうの

カゴをヒトのほうに差し出し、何人かの子はそれがなにかもわからないまま、

 アイスクリーム フリーパス つめたーい ビール ポップコーン

…などと描かれた、売店ののぼりを得意げに振りかざしながら集まっていた。

強面の兵士たちも、戸惑いから次第に笑顔になってフレンズたちの歓待を受ける。

 ♪ 彼らが、ふと気づくと…

「…!? 渡嘉敷、音楽だ!場内放送…! LEDが点灯している!いつのまに…」

フレンズたちがスイッチを入れたのか、場内のスピーカーからはパークのテーマ曲が

流れ、遊具を飾るライトがきらびやかに輝きを放ちだしていた。

「ソーラパネルと電装がまだ生きてるのか、こいつはありがたい…」

「インフラがセルリアンに食われてないのか、予想外だったな」





43-10

「言っただろう、私たちはここを守っていたと」

誇らしげに言った女王の背後に、偶蹄目のフレンズたちが大きな器を捧げ持って、

「ヒトが戻ったら、これを渡すようにって…ミライさんが」

その器には、ピカピカのメダルが。パークの刻印がされたジャパリコインが山と

積まれていた。女王はそれをひとつ、手に取り。

「ヒトがこれを使うことで、ここの機械は動く…はずだ。試してみてくれ」

「えーっとですね、かんらんしゃ、ジェットコースター、めりーごーらうんど。

 あとはあとは… あっ、じはんき! も動くってミライさんが!」

「…ありがたい。ここを守ってくださって…ヒトを代表して、あなた方にお礼を」

渡嘉敷二尉が、男たちが女王に、フレンズたちに礼を言うと。

フフ、とこそばゆそうな顔になった女王が合図して、フレンズを呼ぶ。

「アード! 宿舎は、部屋のほうはどうなってる?」

女王に呼ばれたフレンズが、白黒縞の少女がおずおずと現れてお辞儀する。

「はい、どのお部屋も掃除してあります… パチってすると、明るくなるし

 お水も、熱いお水も出ます… その、たまにベッドを使っちゃってごめんなさい…」





43-11

――宿舎が、ホテルの部屋が生きている。男たちが歓喜の声を上げる中、

「…すまないな、オオくい。世話になるよ」「その呼び方はやめろ、三流作家」

オオカミと、オオアリクイが歓喜のざわめきの中、声をひそめて。

「…姫は。ヒメアリクイは日本でどうしている? 騙されてパークから連れて

 行かれてしまって――みんな心配しているんだ、元気なのか」

…ああ、とオオカミは言いづらそうにしてから。

「最初は彼女、悪い男に連れて行かれてな…酷いビデオに映されそうになった」

…オオカミは、フレンズによる大量殺人事件のことを誤魔化しながら、

「その悪い男たちは全員、切り身にされて。…姫ちゃんは、いまは陸上自衛隊の

 特殊作戦群で守られて…働いているよ。大丈夫、元気でやっているらしい」

「らしい、とは… ふん。向こうで仕事があるなら、仕方がないか…」

「…陸自のフレンズ最強は、表向きにはユキヒョウとウンピョウのタッグ、と

 いうことになっているが――実際は、極秘事項なんで私も噂しかしらないが。

 陸自の真の切り札は、ヒメアリクイと、デグー、だとは聞いているな」

「…まあ、姫は私の右腕だからな。なるほど、フフ」





43-12

チームの男たちがフレンズに囲まれ、宿舎の建物のほうへと連れて行かれるのを

見送ったオオカミ、そしてオオアリクイは。

「…それで。あのヒトたちはここで何をする気だ? というか、オオカミおまえ。

 “結界”のことをヒトびとに話してないのか?」

「それはもうミライさんがしたさ。全く相手にされなかったようだがね――」

狼は、この島に上陸して初めて、疲れ切ったようなため息をついた。

「…もっとも、トワがいない今。あの結界をヒトが張り直すのは不可能だ…

 もちろん私たちフレンズたちだけでもダメだ、そのためには…」

「…四神たちは化身を置いて眠りについたぞ。その化身を壊したのが、人間だ。

 正直、これはもうだめ――ヒトはもう、詰んでいる、と私は見ているが」

言いにくいことを言うやつだ。狼は、疲れた笑みを浮かべ、

「…だが、やるしかない。あの子に、セーバルだけに背負わせる訳にはいかない」

「…火山と、ヒトの軍隊が通ったあとは黒い化物セルリアンだらけだ。…死ぬぞ」

「…だが、やるしかない。私だけでも、やるさ。…彼らは、置いていくしかないな」

「…なぜ、そこまでする。おまえはもっと利口だと思っていたが」





43-14

「…私はフレンズも、ヒトのことも大好きだ。この世界が好きだからな」

狼は、その胸のうちを――昔ともに戦った友にはうちあけ、ゆっくりと…語る。

「…それにヒトがいなければ、私たちフレンズは地面を駆け回る動物と変わらない。

 私たちの外見、意識、知能を形作っているのはヒトの“想い”だからな」

「…変わったな、おまえは」 女王も、ため息つくように言い、

「私の為すべきことは変わらない。ミライ博士から託されたこの遊園地、この島を…

 再びヒトが戻るその日のために、守る… そのための右手、そのための爪だ」

二人のフレンズ強者は、夕暮れが染め始めたパークでがし、と手を取り合う。

「…ありがとう。まずは、あのチームのヒトたちを休ませてやってくれ」

「もちろん。ここの子たちには初めてのお客さんだからな」

「火山と結界の話は、またしよう。…その前に、私たちは探すものがあるんだ」


「…どうぞ、こちらですー。ええと、人数は…」

宿舎の掃除を任されていたアードウルフが、おどおどしながらも張り切ってチームの

男たちを、ヒトびととフレンズを案内してゆく。その輪の中、





43-15

「…ん?」 部下たちの背後を守り進んでいた渡嘉敷二尉が、夕暮れの中。

何かの小さな建物に気づいて、足を止めた。同じしんがりにいたムート曹長も、

「どうしたトカシキ。…? なんだ、そのミニチュアの家みたいなのは」

「…ほこらだ。ああ、お狐さまの石像が… パークの、お稲荷様の祠だな」

渡嘉敷は、地震か何かで倒れていた二柱の石像を、お狐さまの像を起こして並べ、

少し傾いでいた小さな祠も持ち上げ…思ったよりしっかりしていて、重い。

「ムート、少し手伝ってくれ」「ジャパンの神の座か。俺はキリスト者だから…」

「この祠は… いなりだぞ、こんこんだぞ? うか様の神殿だぞ」

「そういう重要なことは早く言ってもらわんと困る――」

二人の男は力を合わせ、傾いでいた祠をもとに戻すと。渡嘉敷が戦闘糧食の羊羹を

そこにそ供え、ムート曹長は白い器を自分の水で洗って、たっぷりと注ぐ。

「これでいい。さあ、行こう」 渡嘉敷二尉は、お賽銭の百円玉をお供えし…

軽く手を合わせて拝んだ二人の兵士は、部下たちの後を追って立ち去った。


――宿舎の窓に、電灯の明かりが暖かく並びだした…そんな日暮れどき。





43-16

ひょう、と。冷たいほどの風がパークを、遊園地の敷地を吹きすさんでゆく。

…その風で。 ぎいいい と。

先ほどの祠、パークが分霊を勧進した稲荷社の祠の扉が、開き…風に揺れていた。

パークからヒトが退去し、忘れ去られてしまっていたその祠の奥で――

「……」 ぬうっと、開かれた扉の奥から白い手のようなものが伸びて。

渡嘉敷二尉の供えた羊羹をつかみ、するり、ひっこんだ。

…祠の奥、暗がりの中で むっちゃむっちゃ と美味しそうに羊羹に舌鼓を打つ

音が響いて、しばらく…今度は伸びた手が、器の水をごくごく飲み。

「……」 伸びた白い両の手が、祠の扉を内側から押し広げていた。

 …… オン キリカク ソワカ ナウマク サマンダ ……

ぬるり、と。小さな祠の中から白い両腕が、白く美しい長い髪が、けも耳が。

耳の内側とリボンだけが紅い、純白のブレザーのような衣装を着たフレンズの姿が

祠の中から現れて、パークの敷地にゆらり、降り立っていた。

そのフレンズの、金色に揺らぐ瞳が夕闇に染まるパークを、見据える。

「……。やれ、久々の信仰であった。やっとこの姿で次元に突出できたわ」





43-17

その白いフレンズは――フレンズの“オイナリサマ”は。

陽炎のごとく、その輪郭は夜風の中で定まらずに揺れていた。

「…まだ信仰が足りぬな。とは言え…誰ぞ彼が、また私を呼んでおるようだな…」

オイナリサマは夜風の中で金の瞳を細め、灯りのついた宿舎を、そして。

その瞳が、星空が降りつつあるサンドスターの火山を、惨状を映す。

「――なに。ちょ、なに。…えー。どういうことなの、結界があ。トワぁー、ねえ」

ワヤですやん。オイナリサマはぼそっと漏らすと、

「…どうしてこうなった。しかもトワの霊圧が…無い。…ちょっとー、もー。

 …あのヨウカン、食べるんじゃなかったわ。…結界… ああ、でも――」

オイナリサマは、どこかから取り出したいなり寿司をもぐもぐと頬張り。

「…あの酒浸りと駄眼鏡まで目覚めると面倒ね。ここは私たちだけで…

 ヒトがこれ以上の愚かを働く前に―― おまえたち…!」

オイナリサマが一歩踏み出し、鋭く号令をかけると。…再び、びょうと風が吹き。

その風が巻き起こした砂塵が、夕闇の中、渦を巻きながらいくつかの影になる。

「闇の中、無知の中、怖れの中、伝え語りの中。…お前たちの影は…在る!」




43-18

オイナリサマの声に、風の中の影たちはスウッと伸び上がり…何人もの少女、否、

「さあ、始めるざますよ」「行くでガンスだ!」「ふんがー、だよん」

「まともに出てきなさいよ!」

イタチのような三姉妹フレンズ、カマイタチにオイナリサマがツッコミを入れる。

その傍らでは…昔の童女のような和服を着た二人のフレンズが砂塵から現れ、

「…主さま、お腹が空きましたぁ」「オイナリサマ、天罰ですか天罰ですね!?」

黒髪をぱっつんにした内気そうな野槌、右手に角ばった木材の筒をかまえた

野鉄砲のフレンズがきゃわきゃわと、オイナリサマになついていた。

「……。おのれサンドスター。我が眷属をこんなぽんこつぞろいにしおって…」

そんな祠の傍らで…小さなひょうたん池の暗い水面が、ぽかり、揺れて…そこから。

白黒の模様の浴衣を着、髪に面をかぶったフレンズが――ぬうっと浮かび上がる。

「…再び、時が来たのですね」「…ああ! やっとまともな子キター!」


戦士たちはそろった。だが、豹頭姫はまだ己の為すべきことを、知らない…

「セルリアン大壊嘯」の破滅に人類が為す術なく絶望するまで――あと300日……






44-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前、仲間のフレンズたちといっしょに――当時は「ジャパリパーク」と

呼ばれていた巨大テーマパークの島からこの日本に連れてこられた、ヒョウは。

つい最近まで、いまいち日本の社会というか労働に馴染めないまま…

家賃無料の古アパート、通称「フレンズ下宿」で仲間たちと無聊をかこつて…

つまり、無職暮らしをだらだらと続けていた。…それが、数ヶ月前。

彼女がヒトの少年と出会い、恋に落ちて――全てが、変わっていた。

「うちは今、フレンズいち、生理でもないのにイラツイている少女やねん…」


前日の夕刻。ヒョウは恋人のヒト、本間少年と毎晩電話で他愛のない話をして、

それでも十分幸せだったが――その日は、ちょうど話題が…

『――僕、明日は塾も何もなくって。その、ヒョウさんもしよかったら夕方…』

「えっ? 下北沢って…? ホンマくんの家のあるところ!? うん!行く行く!」

…と。降ってわいた翌日、夕方デートの約束に。ヒョウは空も飛べそうな気分で。

そして、約束の次の日、午後3時――ヒョウは…





44-2

キリン姉妹の編集スタジオの仕事を、理由を話して頼み込み、定時前あがりさせて

もらったヒョウは、女子トイレで気合い入れてお化粧をなおし…そして、

なんや派手すぎると、それを直すこと数度。時間ギリギリで編集ビルを出て――

…都営新宿線で、新宿から京王線笹塚まで行ってそこからは…

…笹塚についたら、本間くんにメールして… どこかでお茶かな、ごはんかな…

…えっ、もしかして本間くんの家に? え、えええ? そんな、まだ早…くな…

などと。舞い上がり、胸の鼓動止められず、ヒョウは…地下鉄に揺られていた。

そして――彼女が午後2時半、新宿についたときだった。


『首都圏全域にセルリアン特別警戒、発令。渋谷区、世田谷区に緊急避難警報…』


「…なんやあああ、そりゃあああ!?」

ヒョウは。当区別警報ですべての電車が最寄り駅で緊急停止した東京で。新宿駅で。

だいぶ避難と特別警報慣れした都民たちの雑踏とざわめきの中で…吼えて、いた。

「なんで、ナンデ!? デートの日だっちゅうのに! なんでやあああ…」





44-3

ヒョウは駅を出、振り替え輸送のバス待ちでごった返す東口を抜けて。

…何度も、本間少年に携帯で連絡を入れてみたが――やはり回線はパンクしていて

つながらなかった。避難してくる人々の喧騒だけが、続く。

駅の電光掲示板、そして機動隊の警備車両からの放送では、セルリアンが出たのは

新宿中央公園付近とのことで…ヒョウからはすぐ近くだが、逆に言えば本間くんは

無事、安全だと。ヒョウはそれを胸の中でぐるぐる繰り返して…

そしてこんなときでも平気でナンパしてきたり、声掛けするキャッチの連中に

ヒョウはガチで牙を向いて威嚇すること、5回ほど――

「…なま皮剥いで木にさらしてから、ぶっちーにおすそ分けするで、ほんまに…」

ぷりぷり起こったヒョウが、今日数十度目の、スマフォの画面を見たとき。

 ♪ チョットイイコト イタシm その着メロに、速攻でヒョウは反応する。

「…!! 本間くんのメールや…!」

ようやく、ヒョウのスマフォがメールを受信する。それは、本当なら時間的には

もう逢っているはずの相手、本間少年からのSMSで。

“ヒョウさん、大丈夫ですか? 僕は笹塚駅に居ます 心配しないでください”





44-4

そのメッセージに、ヒョウはがっくり座り込みそうなほどホッとする。

そして、あわてて自分も無事だと、いま新宿にいるけど電車が動かない…と。

ヒョウが返信すると、少しして返事が来て――

…結局。今日は危ないので、デートはお流れと…なってしまっていた。

“ごめんなさい…また夜、電話します。僕はいつも運が悪くって…”

“いつも出かけると、セルリアン騒ぎに出くわしちゃって…本当にごめんなさい”

ヒョウは本間少年とメールをやり取りしつつ、彼が安全なのと、夜に電話を

もらえることにホッとして――ふと、空を見る。

…そこには、上空に小さく。警察か自衛隊の、トリフレンズの誰かが旋回していた。

「…うちが、オオカミ先生みたいに強かったらなあ… セルリアンなんぞ出たら、

 自分で行ってぱっかーんしたるのに… そうすれば、本間くんと会えたのに…」

ヒョウは、無力感のため息を付いて。

セルリアンが出現した中央公園の方向から離れ、振替輸送のバスの行列を探した…


――同時刻、14時35分。警備二課のフレンズ、カワラバトが新宿駅上空に到着。





44-5

カワラバトは対策本部と、現場に急行するハンターたちに状況を報告する。

「――こちら新宿中央公園上空、対策07でえす。セルリアンは…大型、三体。

 種別は“アメフラシ”型2体、“サルモネラ”型1体、3体ともジェネリック」

セルリアンは特大型と呼ばれる巨大タイプが生まれると、その生態をコピーした、

ジェネリックと呼ばれる近似大型個体が連続して発生することがあった。

今日、新宿中央公園に出現したセルリアンは、全てそのジェネリック。

…とはいえ、その危険性は特大型の本体と変わることはない。

現場に急行するハンターたちの無線が交差する。

「…こちら対策04、矢張! 俺とリカオンは首都高速4号に入った!」

「…対策07、伊達です。先輩、現場の避難は実行中、機動隊は渋滞に捕まって

 遅れています、俺たち二課で現場に向かえるのは…」

「伊達、おまえのヒリをアオの真上につけとけ。こっちはあと20…いや10分!」

「双葉も向かっていますが、あいつ今、江戸川の方です。ちょっと遠い…」

ハンターの男たちの焦燥した声が交差する無線に、

「――上空でえす。…あっ、めっちゃ早いの来た。あれは…対策10かな」





44-6

上空のカワラバトが、一般道を凄まじい速度で急行する“それ”を目視した――


怪物の群れ…ジェネリックのアメフラシ、サルモネラが眷属のセルリアンを

引き連れて都会のど真ん中、新宿中央公園横のビル街、幹線道路を蠢いて進む。

人々の避難はぎりぎり、間に合っていたが…

道路には乗り捨てられた車が路肩に、交差点に散乱していて、ヒトへの障害物と

なってしまっていた。それらの車を踏み潰しながら、巨大なセルリアンは触手を

うごめかせ、右手に都庁のビルを見ながら…何かを探すように、動く。

機動隊、ハンターたちの到着が遅れている、と思われたそこに…

 Zhu!! syaaaaaa…!!

セルリアンの群れが、熊野神社の木々と鳥居の前に到達したときだった。

乗り捨てられた車で塞がれていた幹線道路を――なにか、風か、衝撃波じみた

“何か”が、障害物を縫い、さらに加速しながら疾って来て――いた。

それは――

「…シャあああ!! ……!! 見えた、セルリアンどもだ!!」





44-7

道路を、そして障害を避け歩道を弾丸のように疾走するそれは。

「こちら対策10、ヒグマ! セルリアンを目視、接敵する!」

GIANTのMTBをカスタムした特殊車両、そのバイクのペダルを猛烈な脚力で

漕ぎ、自転車ではありえない速度で走るフレンズ。

警備二課のホープ、札幌の消防レスキューから出向してきたフレンズのヒグマは、

「――こちら上空、対策10へ。ヒグマさん待ってー、もうすぐ増援が…」

「建物の中に避難していないヒトがいる! 待っていられない。やるぞトッシー!」

インカムの無線に吠えたヒグマは、後方から追ってくるマスター、政仁消防士長の

バイク、アフリカツインの排気音にピクと耳を動かし。

「…対策、開始!」

ヒグマのMTBが、セルリアンたちの単眼に写り込んだ瞬間――

ヒグマはカッティーズで後輪をスライドさせ、急制動。特注のソリッドタイヤに

悲鳴と白煙を上げさせながらバイクを急停止させる。

セルリアンの群れまでは、わずか20メートルほど。バイクを置いたヒグマは。

「……」 うっすら汗のにじんだ、だが涼しい顔で背中の得物、熊手をとる。





44-8

突然、現れたそのフレンズ。たった一人の姿に。アメフラシ、そしてサルモネラの

巨体に浮かぶ眼球が、ギロッと動いて…いた。

その怪物たちが触手をうごめかすと。周囲の車に張り付き、飲み込もうとしていた

中小の、セルリアンの群体が先に雪崩をうって――ヒグマに襲いかかる。

数十、いや、百近いセルリアンの群れが押し寄せる、その前で。

――ハッとするほどいい形の巨乳を隠しきれない、スポーティーな白い服。そして

黒いスパッツという、ハンター装備に見えないヒグマは、だが、まったく動じず。

――セルリアンの群れが、ヒグマの直前まで迫った…その瞬間。

 ハッ!! と。ヒグマの気合が空気を震わせると。

彼女の両手がもった武器、熊手が…ヒトの目では見えないほどの速度、勢いで、

フレンズの剛力で振り下ろされ。セルリアンが蝟集する道路を打つ。

その轟音が響くより早く――衝撃波がセルリアンの群れを飲み込んだ。

 パ! Pa! パパパ!! パカァアアアン!

セルリアンの群れが、巨大なハンマーで上から叩き潰されたように…一瞬ではじけ、

虹のきらめきを撒き散らして…群体の大半が、その一撃で消し飛ばされていた。





44-9

一瞬で、眷属のほとんどを消し飛ばされた三体の大型セルリアンは。

 Bu!! Buoooooo!! 巨体を震わせて轟音を発し、動き出す。

アメフラシの1体が、そのどす黒い巨体から粘質の音をあふれさせながら何本もの

触手を伸ばして…その先端のコブから、ぼたぼた毒液を垂らしてヒグマを狙う。

 ビュ、ビュ! と、毒液のビームが幾筋もほとばしって――

だが。その毒液がアスファルトを溶かしたときには。

「…うぉおおお!! 必殺――」

技名はまだ無い。もとが大型獣とは思えない身のこなしで跳ね、高々と宙を飛んだ

ヒグマは。アメフラシの眼球がそれを映すよりも速く、振り上げた熊手で。

 ゴ!! 黒いアメフラシの形状が、グシャ!と一発でひしゃげた。

熊手で、頭頂を一撃されたアメフラシはその衝撃で半分ほどの高さまで圧縮。

その体を弱点の“石”ごと、問答無用のパワーで叩き潰され、ジェネリックの1体は

悲鳴すら上げずにバラバラに砕け散って消えてゆく。

その光景に…残るジェネリックの二体の眼球に、明らかに動揺が映り、そして。

ヒグマが着地したときには、怪物たちは“逃げ”に入っていた。





44-10

「…! こちら上空。セルリアン、北方向に逃走。現在、熊野神社前交差点!」

カワラバトからの報告が終わるより速く――

ジェネリックのアメフラシ、そしてサルモネラは、ヒグマから逃げだしていた。

怪物どもの巨体は交差点を越え、そしてヒグマはそれを追う。彼女は、

「トッシー、残っている取り巻きを警戒して! まだ建物の中にヒトがいる!」

追いついてきたマスターの男に、インカムの無線で告げて…走る。

真っ黒いアメフラシは、車や信号を蹴倒し、転がるように幹線道路を北へ。

そして。汚泥色をしたサルモネラは、道路にあったマンホールの鉄蓋を触手で

引き剥がすと――その穴の中へ、巨大なミミズのように変形させた身体でヌルリ、

滑り込んで逃げようと… …した、そこに。

「逃がすか!」 ヒグマの豪腕が、手が。サルモネラの触手を捕らえていた。

 PiYaaaaaa!! マンホールの竪穴から甲高いセルリアンの咆哮が響く。

ヒグマは、巨体を変形させマンホールの穴にもぐりん混んだセルリアン、その尾に

あたる触手を片手で捕らえ、両足で道路を踏ん張り――

 ぬん!! ヒグマの豪腕が、巨乳の下の胸筋がバキと盛り上がると。





44-11

 …PiYaaaaaa!! マンホールの竪穴から、鉄枠とコンクリの破片ごと引きずり

出されたサルモネラの巨体が、市バスほどあるその軟体の怪物は…

「う…おおおッ!!」

 ズン、と地面から引き剥がされ――ヒグマの腕で、そのまま宙へ。

サルモネラは、その巨体をヒグマの渾身の力で放り上げられ、雑居ビルの屋上に

届くほどの高さまで投げ飛ばされていた。

その巨体の打ち上げを。ダッと地面を蹴って跳んだヒグマが追う。

怪物の身体が、落下してくるそこに――白いロケットのようにとんだヒグマ、

その昇り蹴りが深々と、突き刺さった。

サルモネラも、弱点などお構いなしの痛撃で体殻と石を粉砕され…砕け散る。

分解したセルリアンの破片と虹色が降り注ぐ中、

「…あとは――」 スタ、と着地したヒグマの横に。

大型バイク、マスターの政仁のアフリカツインがタイヤを軋ませて停止した。

「トッシー、取り巻きのセルリアンは?」

「大丈夫。数匹潰したら残りは溶けて消えちまったよ、ママ」





44-12

ハンターの政仁とヒグマは、小さくうなずきあうと――逃走した残り一体、

ジェネリックのアメフラシの方向へ…そろって、走ろうとしたとき。

「――こちら上空。逃げたアメフラシは神田川に向かうもよー。ええと、川は…」

上空のカワラバトからの無線に、ヒグマもペアの男も。

…ふう、と何か安心したように――二人は、セルリアンを追うのを止めていた。

ヒグマは、周囲の状況を確認しながらインカムの無線に、落ち着いた口調で。

「…こちら対策10だ。対策11、聞こえてるか……」


逃走したジェネリック、アメフラシは幹線道路を北上し、一方通行の道を逆走して

新宿市街を抜けて… 小さな相生橋の欄干をなぎ倒すようにして神田川の川面に

落下し、そのまま水中を下流へと闘争する。

セルリアンに共有されている過去の戦闘では、水中に逃げれば追撃は無い場合が

多いという学習があった。アメフラシは川面を蹴立てて、進み…

――そのセルリアンの眼球が… 川の下流にいる“何か”を映した。

それは、こちらに進んでくる小型のモーターボート。……否。





44-13

そのボートよりも手前、川面で…ぽかり、水が揺れると。

「――……」

そこから、人影が一つ。碧色のボディスーツ、緑の長い髪。レンズの奥の瞳。

それは。警備二課のホープの一人、対策11。フレンズのメガネカイマン。

ハンターの吉都とメガネカイマンは、逃走中のセルリアンを水中で捕捉した――


セルリアンハンター、警備二課の対策チームの無線が一時的に、混乱した。

「こちら対策04… って、終わり? えっ三体とも撃破? えっ、もう?」

「こちら上空でえす。2体はヒグマさんがぱっかーんして、川に逃げた1体は

 メガネカイマンさんがガブッてして。今、終わりましたー」

「対策07、伊達です。…あの二人、破砕装置も振動地雷も使わないのか…」

「さすが警備二課のガンダム。 …ん? 現地に避難してない市民がいるだと?」

「最近、セルリアンが出ても逃げずに録画、実況するのが流行ってますからね…」

――ハンターの対策04、矢張は首都高から降りたアルファロメオを路肩に停め、

「新宿のど真ん中でアオに湧かれたんで冷汗かいたが… やれやれだ」





44-14

無線機をおいて、タバコとライターをごそごそ探った矢張に、助手席から。

「私たちは現場入りしなくていいですね。…下北沢に戻りましょう、トシさん」

捜査用のタブレットを注視していたリカオンが、そこから目を離さず言う。

「…例の坊やの家か? 監視しか出来ねえぞ…何がそんなに気になるんだよ?」

「…わからない、でも… このセルリアン出現が“偶然”でないとしたら…」

リカオンの目に…液晶に並ぶ過去の事件。カルト集団のリストが暗く、写っていた。


14時42分。セルリアンの撃滅により、首都圏の特別警報は解除された。


「…なんやなんや。こんなに早く終わるんなら下北沢、行けたやん…」

ヒョウは、満員の振替輸送バスの中でその告知を見て舌打ちする。

「…でも今夜、本間くん電話してくれるもん。…来週なら、会えるやろか…」


戦士たちに休息はない。彼ら、彼女たちの敵は“敵”だけでは無いがゆえに。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫の覚悟と純潔を嘲笑うまで――あと293日……





45-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。


南洋に突如として浮上した島嶼、のちにジャパリパークと呼ばれるテーマパーク

となったその不思議な島から、ヒョウたちフレンズが日本に連れてこられたのは

数年前のこと――

ジャパリパークを崩壊寸前まで追い詰めた災害「セルリアン惨禍」はヒョウたちが

島にいるころ、パークスタッフとフレンズたちの手によって沈静化されて…いた。

…だが。ジャパリパークが再び営業を再開するころ、今度は、世界中の都市で

セルリアン災害が頻発するようになって…人類文明は崩壊の瀬戸際に立たされた。

…しかし。その人類を救ったのは、パーク事件の被害者、そしてフレンズ研究の

中心人物でもあったカコ博士たちと、フレンズたちの人類愛とその力…だった。


人類は、セルリアン対策でもいくつもの致命的なミスを重ねながらも――

フレンズとともに、際どいところでセルリアン惨禍を食い止め続けていた。

…そして。ヒョウが東京の片隅で、恋人を想う幸せな日々を過ごす…





45-2

――そのころ。同時刻。日本から南方に数千キロの海上、そこに隆起した島嶼で。

パークスタッフが、すべてのヒトが退去し、放棄されたジャパリパーク。

その島のひとつ、キョウシュウに上陸した第二次パーク調査隊は――

自衛隊と米軍海兵隊の精鋭、そして民間から選抜されたフレンズたちからなる

その調査隊は、凶暴な黒いセルリアンの攻撃にさらされたのち、島の南部にある

パーク施設、遊園地と到達し…そこで、現地フレンズたちとの合流に成功していた。

彼ら調査隊が、遊園地施設のホテルを使い、休養し、そして周辺の調査を再開して

から2週間ほどの月日が流れていた…


その日も、キョウシュウ上空は晴天で――だが、上空を飛ぶ飛行機の姿はもはや

1年ほど…この青空からは絶えていた。

その青空に、矢尻のように小さく鋭い、飛行フレンズの姿が旋回して。そこに、

遠く南方の会場の方から、別の飛行フレンズの姿が接近してきていた。

ふたりの飛行フレンズは、上空で接触、しばらくは高速のハヤブサが螺旋状に

旋回して周辺警戒をしつつ…その中を、白くて大柄な飛行フレンズが降下する。





45-3

その白い飛行フレンズ、米軍海兵隊所属フレンズ、オウギワシは洋上に展開した

日米安保軍の艦隊、揚陸指揮艦“ブルー・リッジ”から飛来していた。

遊園地の広場で、海兵隊員がライトを使って誘導する中――

「やあ。ブロー、いい子にしてたかい。今週分のプレゼントを持ってきたよ」

アメリカのフレンズ、オウギワシは、中型トラックの荷台ほどもあるコンテナを

吊り下げて広場に着地。その周囲に、調査チームの海兵隊員たちが集まる。

「イエス、マム! 待ちわびたぜ、いつも助かる」

海兵隊のムート曹長が敬礼し、笑みで顔を崩すと。

「なんの。補給は軍隊の最重要事項だ。それに、最前線で戦う君たちのためさ」

オウギワシは、ヒトの女性でも惚れそうな凛とした顔で答えると、

「下手に、ヘリやドローンを輸送に使ってセルリアンに食われると大変だからね。

 …去年の作戦のときも、私たちが参加できていれば――」

「次は、いっしょにやろうぜ。マム。疲れたろう、あちらに飲み物が…」

オウギワシは、海兵隊員たちと談笑しながら売店の方へ。

それを見送ったムート曹長。自衛隊、そして調査チームリーダーの渡嘉敷二尉は、





45-4

「…安全な補給ポイントを確保できて幸運だったな。おかげで調査を続けられる」

「ああ。ここを守ってくれていたオオアリクイには、感謝しかない」

主計担当の海兵隊員が、運ばれてきたコンテナをチェック…

…している間にも、興味津々の現地フレンズたちがにぎやかな輪を作っていた。

「わあ、いろんなもの、いっぱい! なあに、それなあに?」

「ねえねえ、またお菓子、持ってきてくれたの!? わあ、それなに?」

見るものすべてがめずらしいフレンズたちが軍用の補給物資、食料と水のタンク、

衣服や、梱包された武器と弾薬、そして…チームからの要請で、フレンズに

振る舞われる食料とお菓子、アクセサリーにキラキラした目を向けていた。

「……。おい、おまえたち。あんまりはしゃいで、邪魔をしてはならんぞ――」

そこに、この輪に入る頃合いを…威厳を守りつつ、そわそわと待っていた遊園地の

女王、オオアリクイが進んできて。

「……。なあ、トカシキ。…そのカンヅメ、中身はなんだ?」

「ああ、これはスパムという肉の缶詰です。ムート、今日の夕食会で焼こうか」

「…おにくの! …ほ、ほう。…ふふ、アードが、そういうのが好きでな…」





45-5

「こちらのパックは、アスパラガスの冷凍ですね。今日中に食べてしまわないと」

「ほう、ほほう…! うむ、しょうか…」

つばが口にたまりすぎて、言葉を少し噛み気味の、実はここでも一番の食いしん坊

オオアリクイに気づかないふりをするだけの情けが調査チームの男たちにはあった。

「ふふ、夕食が楽しみだな…! そろそろ、漁にいっている者も戻る…」

オオアリクイが明後日の方を見、つばをぬぐうのを待ってから――

「そうですね、今日は問題がなければ… この地方に展開、調査している部隊も

 ここに戻るでしょうから。今後の話も含めて、夕食会を…」

「ああ。私の、生え抜きの部下をつけたんだ、大丈夫さ。あの子たちは地形にも

 くわしいし、何より…セルリアン相手に遅れなど、決して取らぬ」

オオアリクイは、本当は私が出たかったのだがな、と…胸を張って言う。

今回、1組が3人の兵士からなる分遣隊には、各2人づつの現地フレンズをガイド、

そして護衛としてつけてあった。そのおかげか、どの分遣隊の定時連絡も途絶える

ことなく…彼ら、第二次調査チームの“目的”を達しつつ、あった。

――そして、その日の太陽が茜色になるころ。





45-6

遊園地の一角、本来は宿泊客たちがバーベキューやキャンプを楽しむそこで。

「わー! なにこれ、なにこれ」「えっ、これもらっていいの!」「おいしー!」

現地フレンズたちの歓声、嬌声がきらきらと照明に混ざって揺れる。

数カ所でバーベキューの火が焚かれ、そこに兵士たちが輪を作り…

どうやら火が怖いらしい現地フレンズたちに、今日運ばれてきたばかりの料理を。

文明地から持ってきたお菓子を、アクセサリーを配っていた。

…オオアリクイの言ったとおり――

最初は、危険で無謀かと思われていた分遣隊の調査は無事に、戦傷者一人も出す

ことなく無事に完了、兵士もフレンズも民間のヒトも、全員が無事に帰還していた。

「オオカミ先生、お疲れ様でした…!」

「いや、私のところはガイドに付いてくれたハゲワシ君が優秀だったからね。

 火山のふもとにキャンプをしに行ったようなものさ」

「オオウミガラスさん、新世紀警備保障の丸出君。二人ともよく、ご無事で」

「私たちが行ったのは開けた砂漠の方でしたし、案内のチベットスナギツネさんの

 言う通り歩いてきただけですわ。…この宿六が、なんどもネを上げた以外は」





45-7

派遣隊で出ていた民間のフレンズ、タイリクオオカミとオオウミガラスのチームも

無事で――渡嘉敷二尉は、ほっとした様子で宴の様子に目を戻す。

「今日は補給も届きました、ゆっくり休んで骨休めをしてください」

その言葉に、何日も野宿で強行軍を続けたとは思えない凛々とした風貌の狼が、

「そうさせてもらうよ。…報告は書面にしたほうがいいかい」

「…ええ、そうしてもらえると助かりますが――先に、口頭でお願いできれば…」

渡嘉敷二尉はちらと、主計担当の海兵隊員が獅子奮迅の働きで次々と料理を

してゆく光景、それを遠巻きにキラキラとした目で見守るフレンズを…その輪に

混じっている女王、オオアリクイを見てから。

「女王の言っていたことは、やはり…?」

「ああ、正しかった。去年の米軍の攻撃、オペレーション・メギドの――上陸部隊の

 進攻したあと、そして壊滅した周辺には黒いセルリアンだらけだったよ」

「…やはり、セルリアンは…人類の機材、高エネルギーの内燃機関や炸薬などに

 取り付いて同化、凶暴化するというのは間違いなさそうですね」

「ああ。セルリアンが熱源、高エネルギーに引き寄せられいているのは見てきた」





45-8

オオカミは、鮮やかなオレンジ色に染まっている西の空、沈みかけの太陽へと

スイと指を動かして、

「黒いセルリアンどもほど、エネルギーには敏感だ。ヤツラは太陽が登ると、

 その光と熱で動き出して…最大の光量を浴びるためか、ずっと太陽を追って動く。

 そうして夜になると、動きを止めて…また、次の日の朝動き出す」

「…では、セルリアンはあの火山の周囲をぐるぐる回っていると?」

「そうなるね。そのあいだにフレンズやヒトを見つけるとそちらに襲いかかって

 くる。乗っ取った機械が燃料満タンなのか、太陽を追わない個体も多くいた」

「…上陸部隊の… …では。そのセルリアンの動きを計算すれば――」

「…ああ。あのサンドスター火山、山頂まで行けるかもしれない…ね」

渡嘉敷二尉とオオカミは、声をひそめ…ちらと、夜に沈むマウント・フジを見る。

…噴出したサンドスターの巨大なビスマスのような結晶、その鉤爪を空に向かって

伸ばしている邪悪なその影に…ヒトの渡嘉敷は、思わず身震いする。

「わかりました。そのことは本隊に連絡を――」

「よろしくたのむ。…さて、私も少し食事をさせてもらおうかな」





45-9

オオカミは、渡嘉敷に小さく手を振ってその場を離れ…バーベキュの火が、

美味しそうな煙と匂いを立ち上らせている方へと歩いてゆく。

途中、海兵隊員から缶ビールを二つもらったオオカミは――現地フレンズたちが、

彼女たちのとってきた魚や果物、それがヒトの手で料理された皿にむかって

歓声と旺盛な食欲をわかせているほうへと、進んで。

「オオクイ。どうだ、ヒトの世界の料理は」「…! んが、んぐ…」

ソテーしたアスパラガスに新鮮な目玉焼きをのせた皿。に目を輝かせていた女王、

オオアリクイはオオカミの言葉に、かじっていたジャパリまんでむせながら。

「…無事だったか、三流作家」「おかげさまでね。…少しだけ、良い知らせだ」

オオアリクイは、アメジストを濡らしたような髪飾りと栗色の瞳で狼を見、

「ほう。良い知らせか、では…聞こうか、どうせあるんだろう。悪いやつも?」

「察しが良いな。まあ、飲めよ」

オオカミは、缶ビールのプルタブをふたつ、開いて片方を戦友に渡す。

初めて缶ビールを舐めたオオアリクイが、びっくりしたような目をくりくりさせ。

その冷たい飲み物を両手で持ち…おそるおそる、そしてキラキラと飲む前で、





45-10

「…火山にできるだけ接近してみたが…やはり、四神の気配は、霊圧は無かった。

 “あのとき”張られた“黒い死”への封印は働いてない…」

「…! で、では――」 ビールにむせたオオアリクイは、だが。

「待て。“黒い死”があふれているのなら、なぜ私たちはまだここで生きている?」

「……。おそらく、あの子が一人で守護っている、な――私たちを、世界全てを…」

「……! そんな、セーバルが…一人で!! …なんてことだ…」

…しばらく、二人のフレンズは。パークセルリアン事件の戦友たちは、沈黙し…

「では、良い話をしようか。セルリアンの行動パターンが、読めた。

 やつらの裏をかけば、火山に接近できるかもしれないぞ――」

「…! 本当か。だが…よしんば、火山に近づけても四神が居なければ…」

「ああ。私たちは無力だ、だが…“園長”がこの世界から旅立ったということは。

 四神とそれに近しい旧神が力を貸したはず――彼らが“門”を開いたはず。

 その“門”の開き方を知っていそうな連中を、森林地方で見つけてきた」

オオカミは久しぶりの缶ビールで喉を鳴らす。その戦友に、女王は険しい顔で、

「…森林? まさか――」





45-11

「そんなに、あからさまに嫌な顔をするな。…気持ちはわかるが、ね」

「あの鳥どもが…! 図書館に引きこもって出てくるものか、賢者ぶった臆病者が」

「…大丈夫、彼女たちとの話は私がするさ。女王、あんたには…」

オオカミがそこまで言ったとき、遊園地の門のほうで何かの歓声が、わいた。

「こあー! どうしたの、こんなに遅くなって…」「心配したよ、もー」

その歓声に、オオアリクイが立ち上がっていた。

「おお、コアが、ミナミコアリクイが戻ったようだな。どうしたんだこんな遅く…」

女王、そしてオオカミもその完成の広がる門のほうへ進むと…

「…えと、その…ごめん、ね、遅くなっちゃった…」

小柄なフレンズ、ミナミコアリクイがみんなに囲まれて小さくなっていた。

「心配したぞ、コア。はちみつを取りに行くと言って出て、遅いものだから…」

疲れた様子の彼女に、女王が手を伸ばした…その手と、目が。

「うん? コア、それはいったい…」

「う、うん。セルリアンに追いかけられて…道に迷ったら、知らない場所で…」

――そのフレンズの腕には。誰も見たことのない、白い花の束が抱えられていた……





45-12

――そのころ。同時刻。パークから北東に数千キロ、日本の北海道某所で。


「…な、なんだってーーー!!」「…やかましいぞ、基林くん」

国立北海道生物化学研究所、そのセルリアン対策専門ラボで――

ノーベル賞受賞者、日本の誇る生物化学研究者の雷沼教授は…助手の基林氏と共に

行った実験、その結果を前にして――言葉を失っていた。だが、助手の方は。

「教授! このままでは人類は滅亡します!!」

「君はそればっかりだな。…だが、今回ばかりは――そうかもしれんな…」

雷沼教授の前の実験装置、そのシリンダーの中では…高電圧のシールドがなされた

ガラス管の中では、黒よりも黒い、闇色といってもいい黒さの粒子が舞っていた。

「カコ博士の残したノートで、予測はされていたが。これを目の当たりにすると…」

「教授。まさか――サンドスターを高電圧、磁力で励起させるとこんな反応が

 起こるだなんて…! この黒い物質は、エネルギー体を食って分裂しています!」

「…ああ、これはセルリアンだ――私たちが作り出した、な…

 予測はされていた…だが、サンドスターとセルリアンが同じ物質の陽陰とは…」





45-13

「ということは教授! セルリアンもフレンズも、同じものだったと!?」

…言いにくいことを言うやつだ。雷沼教授は苦い顔をしながら、だが。

「このことは、一刻も早くデータをまとめて世界に知らしめねばならん。

 ――非常に恐ろしいことだが。このさい、恐怖は陽の下にさらさねばならん」

「つまり人類が滅びると!? おのれノストラダムス!」

「……このまま、放っておけばな――この“セルリウム”の正体を隠蔽すれば…」

教授は、すでに暗闇に包まれた窓の外、東の空に目をやり。

「我々、人類を救うのはもはやフレンズのみ。…カコ博士、あなたは正しかった。

 …必ずや、ご無事でいてください――あなたは、まさしく人類の女神…」

齢七十を前にして、目の前の闇を払われた雷沼教授。その後ろで基林助手が、

「あっそうだ。タナカたちがウワサしてました。カコ博士、今はアメリカだと」

「…なっ、なんだとおおおーーー!?」


神はサイコロを振らないという。だが人類は、死者の骨の骰子を振り続ける…

「セルリアン大壊嘯」が先か、人類の決断が先か。その決着まで――あと286日……





46-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前、他のフレンズ仲間たちといっしょにテーマパークの「ジャパリパーク」から

内地こと、日本に連れてこられた彼女、ヒョウは。

つい最近まで、ヒョウはいまいち文明社会や労働に馴染めず、無職ぐらしをしていた。

東京の片隅にある、昭和の古アパート「フレンズ下宿」で無聊をかこつていた

彼女だったが――数ヶ月前の、ヒトの少年との出会いが彼女を変えていた。

ヒトの、本間新二少年とヒョウは最初はセルリアン襲撃の騒動の中で出会い、そこで

二人とも初恋の渦に捕まり、飲み込まれて…奇跡のように、初恋は実って。

今は、ほとんど会えないままでも相思相愛のヒョウと少年は、幸せだった。

「うちは今、フレンズいち、ケータイ電話を大切にしている少女やねん…」


ヒョウは、その恋が始まってから無職ぐらしを止めていた。

今の彼女は、昔の下宿同居人タイリクオオカミ先生との縁があったアミメキリンの

コミック編集スタジオに通い、編集アシとして日々、忙しい日々を送っていた。

そんなヒョウの楽しみは…毎晩、彼氏からかかってくる電話だった。





46-2

その日のヒョウは、梅雨の合間の晴れで、熱帯のフレンズでも音を上げそうな

東京の酷暑の中を朝から、印刷所、他のスタジオ、ヒト漫画家、撮影スタジオへと

かけまわって――環境適応力の高さにものを言わせて奮闘していた。

「うちにデバフ食らわせたかったら雪山にスタジオでも作ってみい、ちゅーの」

最近仕事にも慣れてきた。見習いのそれだが、昔のヒョウからするとびっくりする

くらいの月給も数度、初めて持った口座に振り込まれた。

「……雪山。…先生、パークで平気にしてるやろか、お腹空いてへんやろか…」

今は、パークスタッフのヒトが退去してしまい無人となった、パーク。

日米安保軍の艦隊が封鎖しているパークの死地へと旅立った、オオカミ先生の

ことを思い出して、ヒョウの顔が曇り…そして。気づけば、もう日は暮れていて。

「…………」

外回りから戻ったヒョウは、編集スタジオのビルで、そのエントランスにある

大きな鏡に映った自分を、ふと…見ていた。

…最近は、だいぶ。ロスチャイルドキリンたちから借りたり、自分で買ったりして

いるおしゃれな古着が“さま”になってきた気がする。





46-3

ケープキリンに教えてもらっている化粧にも、だいぶ慣れた。

最初はゴテゴテやりすぎか、どこか足りない子供じみた化粧だったが。いまは、もう

あの頃の半分以下の時間で顔は仕上がる。

すっぴんだと子供っぽい目も、ちょっとフレンズ友のジャガーを意識してシャドウを

入れ、チークを目元に置いて丸顔を隠して。唇は仕事柄、あくまでも控えめ。

そんな、数ヶ月前の自分とは違う生き物のようになった自分を、ヒョウは見…

(…本間くんと会いたいなあ。…前あったときは屋台仕事のすっぴんやったもんなあ)

(…今、会ったら。きれいって、かわいいって言ってくれるやろうか…)

ヒョウが、春先の風に匂う沈丁花の花の香のような。恋の甘さと切なさに浸って…

…いると。そこに――

「ああ、ヒョウ。ちょうどよかったわ、戻ったばかりで…残業になって悪いんだけど」

エレベータホールのほうから、アミメキリンが声をかけていた。

「残業? ああ、かまへんよ。届け物かいな」

「ええ、他の部署の子がミスをしちゃって。資料の返却を忘れていたのよ」

アミメは、手にしていた大きな角封筒をヒョウに差し出した。





46-4

「フレンズ特集をしたときに、警察から借りた写真とかなんだけどね」

その角封筒には、マジックで「警備部警備二課 要返却」と金釘文字が書かれていた。

ヒョウはその角封筒を受け取り、ちらとスマフォ画面の時計を見る。

「この時間で、都内なら余裕やん。…で、どこの警察よ?」

「うん、警備二課…知ってる? セルリアン対策のフレンズ、ハンターチームの」

ヒョウがうなずくと、アミメキリンは疲れたようなため息を吐き、

「ハンターのフレンズは、イベント以外では無断で撮影するのも禁止。

 雑誌やネットで顔画像を使うときは、警視庁が指定した画像以外は禁止、とかでね。

 それで警備二課から写真を借りたのよ。…まったく、お役所はアナログで困るわ」

アミメキリンは、自分の携帯を操作してヒョウに地図データを送信。

「警視庁の第七方面隊、新木場本部の中に警備二課のオフィスがあるわ。

 そこに、この封筒を返却してきて。今日が期限だからお願いね」

「おっけーや。……。アミメ、なんか。いつもよりお疲れ、ちゃうか?」

「…そんなことないわよ。ただね、最近どうも…空気に嫌な味がするわ」

アミメキリンの声が、次第に低くなり…





46-5

「最近、都の委員会がやかましくって。…フレンズやセルリアンを、雑誌媒体で

 扱うときは検閲を入れるとか、馬鹿なこといい出してるし…

 警察も、なんだかピリピリしているし―― …ごめんなさい、疲れてるわね、私」

「やっぱ息抜きしたほうがええで。…どや、たまにはうちらの下宿に…来る?

 …先生が居たときみたいにさ。またラーメンこさえたり、芋煮パでもしよ」

「……。いいかもね、それ。じゃあヒョウ、お願いね」

キリンは、封筒をヒョウに預けて…またエレベーターのほうへ行ってしまった。

(…やっぱりアミメ、疲れとるわ。…真面目すぎるからなあ…)

ヒョウは、小さな石を飲んだような無力感を感じながら――編集ビルを出る。

夕刻から宵の口、帰宅ラッシュで混雑している電車を乗り継いで…

ヒョウが新木場についたころには、もう夜の7時を回っていた。

アミメからもらった地図をアプリで見ながら…ヒョウは、生ぬるい海風と夜の中を

急ぎ足で…信号三つ、越えたあたりで。

「なんや。ここか。駅チカやなあ警察本部、さすがお役所や」

さっそく、警察本部の建物を見つけたヒョウはそちらへ急いで――





46-6

受付には、どうやらアミメキリンから連絡が行っていたようで。

ヒョウは意外とあっさり、警察署の中に通される。身分証明とか出すのかな?と

思ったが…受付は、ヒョウのけも耳、体を見ると「ああ」といった顔で彼女を通す。

(…そっか、ハンターのフレンズがここ、おるんやった。慣れてるんやなあ)

表は案内通りに、本部建物と宿舎の間にある警備部のフロアへ。

そして。「警備二課」というプレートをしばらく探したヒョウは、

「……? あれ、これかいな… 長い名前やなあ」

――警視庁警備部 装備第二課 警備装備第四係という呪文めいた部署名のプレート、

その上に、最近新しく貼られた「フレンズ装備セルリアン対策室」 SAFT という

プレートがあって、ヒョウはここがお目当ての場所だと気づいた。

そのフロアに進んだヒョウの足が…ふと。一瞬だけ止まった。

「……」 空気の中に、かすかだが――間違えようのない、フレンズの臭い。

知らないフレンズの体臭。イヌ科、クマ…ねこのものがいくつか。トカゲもいる…

その中のいくつかには、フレンズイベントで嗅ぎ覚えがあった。ヒトの匂いも。

「…ここに、ジャガーの彼氏おるんかな」





46-7

ヒョウが廊下を通り、ドアが開け放たれている会議室?の前まで来たときだった。

「…私たちの任務はセルリアン撃滅だ。だが、君のやり方は…看過できない」

ピリッとするような、鋭い声。フレンズの、少女の声だった。

思わず、その声の方をのぞいたヒョウの目に。

「……。しかし、リカオン先輩。私は私のやり方で結果を…これまでも――」

「その君の“やり方”が間違っている、と言っているんだ。ヒグマ君。聞いて」

…そこに居たのは。ヒョウの初めて見る、ヒグマのフレンズ。そして…

シュンとうなだれたヒグマを叱責しているのは、小柄なイヌ科フレンズで。

「ヒグマ君、君の力量とこれまでの実績は、撃破スコアは評価しているよ。

 だが…君は。そう…少しスタンドプレーがすぎる。

 なぜいつも、増援や支援が来る前に、たった一人で対策を初めてしまうんだ?

 ヒグマ君の力量がそれをさせているのかもしれないが――」

「…しかし! セルリアンは一刻も早く撃滅しなければ、付近への被害は広がる

 一方ですし、民間人の避難がうまくいっていない場合はなおさら…」

「私は、聞いて、と言ったよ」「……。すみません」





46-8

(……。あっちゃー、お小言の真っ最中に来てまったわ。めんどうやなあ…)

かと言って、帰るわけにもいかない。そんなヒョウの前で、

「私は、ヒグマ君には本隊からの指示通りに動いて、対策をしてほしいと前から

 言っている。君の独断専行では、いつか仲間にも被害が出かねない。

 私たちの任務は、セルリアン対策でいちばん大事なものはチームワークだ」

ヒグマの半分くらいしかない、小柄なリカオンは。だが、厳しい言葉を投げ続け、

「君に単独で動いてほしいときは、そういう指示が出るだろう。

 それまでは…現場に到着する対策班との連携を、これからは厳守してほしい」

「……。すみません、先輩」

「私も、北海道の特大型セルリアンをたった一人で殲滅しきって。そこから

 二課への増援としてきてくれたエースの君に苦言など呈したくない。頼むよ」

リカオンは、熊手を持ってうつむくヒグマに、ふうとため息をつき。

「君は、首都に来てから半年足らずで特大型を4体、ジェネリックを9体。

 しかも厄介な水中型まで単独で殲滅している。文字通りうちのエースだ。

 対策規則を守ってくれれば、君はさらなる活躍が出来ると、私は思って――」





46-9

そこまで言ったリカオンが――ようやく、扉の陰で迷子のように立っている

ヒョウに気づいて、言葉を切っていた。その目が、いぶかしそうに動き、

「…君は?」「あ、ああ。ええと。音羽の編集スタジオの、使いっ走りや」

ヒョウは、この面倒そうな場所から早々に立ち去ろうと…持っていた角封筒を

リカオンのほうにずいと突き出して。

「これ、返却の写真資料や。ええと、受領の書類かなんか、あるやろ。ちょう」

「…ああ。雑誌の」 リカオンは、やれやれと封筒を受け取ると。

「こんなもの、編集で処分してもらっていいんだけど。最近はうるさくってね」

リカオンは小さく笑うと、ポケットに入っていた内線器でどこかに通話、

「――失礼します、リカオンです。すみません、編集の方が資料の返却に…

 …ええ。受領の書類を出して頂けませんか。…ありがとうございます、では」

リカオンは、ちらと暗くなった窓の外を見。先にヒグマのほうへ、

「もう、下がっていいよ。…厳しいことを言うけど、これは後輩の君のためだ」

「……。すみません。ありがとうございました」

棒を転がすような声で、ヒグマが頭を下げ。行ってしまうと…





46-10

「もう少し待っていてくれないか。双葉さんが書類を持ってきてくれるそうだから」

リカオンが角封筒の中身を確認しながら、言った。 ――とき、だった。

「……!!」 「……!? な……」

二人のフレンズ、リカオンとヒョウの髪が、けも耳が…ザワ、と逆だった。

 ピシ、と夜を映した窓ガラスが小さく、揺れて…

リカオンも、ヒョウも。野獣の嗅覚が感じ取った“殺気”に、じわと足を動かす。

「…な、なんや…? セルリアン、いや…違う… なんや? 外に、なんか…」

ヒョウが、緊張そして恐怖が消せない声で低く言うと。

「…ふん。やっとあのゴキブリのしっぽを捕まえたか…」

リカオンが、肉食獣のそれが消せない笑みを口元に浮かべて…笑って、いた。


――警視庁第七方面隊 新木場本部 …夜闇に包まれた、その建物の影の中で。


幾重にも張り巡らされていた罠に――どんな闇よりも黒い影が、落ちようとしていた。

その黒い影は、追うもの。追われるもの。二つ。罠に落ちるものと、落とすもの。





46-11

「…破ッ!!」 闇の中、ビョウビョウと吹く海風の中で気合が破裂した。

警備二課のフレンズ、アイアイの黒い影が跳ね、その身体が弓のように…しなる。

その身体が、黒いドレスの下から伸びた真っ白な太ももが避けたそこを、虚無を、

 ゴッ!ゴ!! と。

銃弾を凌ぐ速度で放たれた暗器、苦無が引き裂いて、コンクリを穿って消える。

「先に仕掛けるなんて。かわいいお嬢ちゃん…ね!」

ギュウっと丸くなったアイアイの身体が、その腕が瞬時に走ると――そこから

放たれた幾筋もの銀光が、合計八本の十字手裏剣が闇の中に軌跡を引きながら飛ぶ。

「……!」 それぞれが別の弾道で曲がり、目標をホーミングするように飛翔する

手裏剣は…獲物の柔肌を捕らえて切り裂く瞬間、

 寸ッ! 鈍ッ! と。

いつの間にかそこにあった、工事用の看板に着弾して引き裂き、火花を散らす。

「…くッ、変わり身か。しかし…これは避けられまい!」

羽ッと、暗い夜空を指すように跳ね上げたアイアイの手からジャアアアと邪悪な

音を立てて小さな鎖鎌の刃が、真っ黒い鎖が伸び…鎌首もたげて降りてゆく。





46-12

必殺の鎖鎌を放ったアイアイの周囲に、小さな火花を散らしながら竹輪のような

炸薬が襲うが…それが爆裂したときには、すでにアイアイはそこに居なかった。

「……!?」 追われていたものは、爆発の閃光を瞳に映し――

消え去った相手を探すが、その一瞬は陥穽であった。

毒蛇のような鎖鎌の軌跡を避け、消えた追手を探して走った黒い影、その目前に。

 寸ッ! と。鎖の先の分銅が槍のように走り、地面に突き刺さっていた。

「ここだ、痴れ者!」 足を止められた黒い影に、アイアイが嘲笑う。

この新木場本部が城である彼女は。

宿舎と木立の間、そこに、フレンズの視力でも見えぬほどに張り巡らされた

蜘蛛の巣のような腸線の糸を指力だけで伝って――鎖鎌を振るう。

 渡ッ! 怒ッ! と。分銅が、達人の槍のように黒い影の足を狙う。

「殺しはしませんわ。たっぷり…おしゃべりしてもらいませんと、ね!」

アイアイの手の鎖に、分銅が相手の柔肌をえぐった感触が、あった。

勝利を、獲物の捕獲を――これまで何度も、この第七本部、警備二課の牙城を

探っていた不審フレンズを、乱破を、アイアイは追い詰め…





46-13

「…!? 逃しませんわ!」 黒い影は、その尻尾を木立に巻き付け、宙に跳ね。

それを追い、鎖鎌から捕縛用の得物、邪悪な形の手鉤に持ち替えたアイアイが

夜闇を走って、木立の間を逃げる忍者フレンズを…追い詰めた、とき。

「…ッ!? ぬッ」

がくん!とアイアイの身体が闇の中、見えない車に跳ねられたように震え…停まる。

「なっ…な…? し、しくじッた…!」

アイアイの身体は。小柄ながら、男の目を引く黒いドレスの下の豊満な身体に、

豊かな乳房に、白い腕と太ももの肌に…見えない無数の鉤爪が食い込んで、いた。

それは――木々の間に張り巡らされた、罠。追われるもの、罠に落とされたものが

仕掛けていた、罠の中の罠であった。

目に見えないほど細く、だが強靭な絹糸の網は…アイアイがもがくほど、その身体に

柔肌に食い込んで…アイアイの喉、食いしばった唇から苦悶が漏れる。

「ぐ…! ぬ、ぅうう… 私としたことがァっ……」

――そこに。スッと。黒い影が。

苦悶するアイアイを見下ろすように…パンサーカメレオンの姿が、立っていた。





46-14

「…警備二課の忍びも、この程度――まあ、苦戦したと言っておくでござる」

「…ぅ、くぅう! ぅ…貴様、いったいどこの… クソっ…っ、痛い…!」

「ふふふ。もがけばもがくほど締めるのが、拙者の糸、縛でござる。

 ネメアーの獅子のようにもがくがいいでござるよ。

 …もし、ここでタダのサルに戻りたくなかったら。逆に、拙者に話すでござる。

 警備二課のOB、矢那氏は一体何をたくらんで…」

「な…舐めないで! そんなこと…っ、痛ぅう」

「ほら。サンドスターが切れてサルに戻ったら、愛しい男に抱いてもらえなく…」

 ――しまった。カメレオンが“それ”に気づいたときには…

「…疾い!? 軽身功か…!」

カメレオンが、殺気も気配もない“それ”に気づいて、アイアイの苦悶の前から

跳ね、闇に見をひるがえした…そこに。

 厳!! と。伸びてきた棒、棍の石突が――カメレオンの眉間に刺さっていた。

回避不能のその一撃に、カメレオンが頭蓋を強撃され…その小さな体が倒れると。

「…先輩。なんですか、そのざまは。師に顔向けできませんよ」





46-15

 飛ッ! と空気が鳴ると、棍が一閃したカメレオンの糸が切り裂かれ。

「ぐ…! がはっ、かは…! はっ、はあ、ああ……」

アイアイは、彼女を助け、そして…侵入者を倒したフレンズ、キンシコウの足元で

息を荒げ、弱々しくうずくまっていた。

「でも、こいつの足止めは感謝します。さあ…」

キンシコウは、死体のようなカメレオンの身体をコンに引っ掛けて担ぐと。

よろよろ歩くアイアイとともに、本部の建物の中へと…戻った。


――窓の外の殺気と、明らかな戦闘の気合、轟音が消えた…その5分後、だった。

「な……!? カメやん?? な。なんで……」

「…………。ぅ… ヒョウ殿… なぜ、こんなところに…」

警備二課の縄張りで、ヒョウは、久しぶりに旧友の下宿仲間と再会…して、いた。


敵の敵は味方という。では味方の味方は、やはり…それとも? 答えは身体に訊く。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が豹頭姫に友情の価値を問うまで――あと286日……





47-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

数年前。日本海の南溟、海上に突如として浮上した謎の島々。

当時はまだ、完全に謎の物質だった「サンドスター」の鉱床とともに現れた島には

またたく間に――極地から赤道のジャングル、砂漠までの自然環境が発し、そして…

そこには地球上の野生動物が、さらには――

「アニマルガール」と呼ばれる、動物がヒトの少女の姿を模して変形した生き物が

数多く生まれ、島に生息しているのが確認されていた。

その島嶼の調査と開発のために設立された、「財団法人ジャパリパーク振興会」は

その島々を開発するかたわら、島を巨大なテーマパークとして整備。

また、島にいたアニマルガール「フレンズ」たちを島から内地に、日本に、海外へ

連れ出し、一種のアイドルとして活用しジャパリパークの広報活動に用いた。

…だが――

サンドスターの奇跡が生み出していたのは、人類には無条件で有効的なフレンズ、

彼女たちだけではなかった。初期には「未確認物体・青」と呼ばれた現象。

通称「セルリアン」と呼ばれる怪物が、島々に、世界各地に発生を始めていた…





47-2

そんな、日本に連れてこられたフレンズの一人、ヒョウは。

彼女が日本に来た頃には、熱狂的ですらあった第一次フレンズブームは下火に

なっており、また…テーマパーク「ジャパリパーク」も、セルリアン対策や各種の

問題が解決できないまま、投入された天文学的な資金、税金を回収するめども

たたないまま、施設は島ごと放棄され…

――来日したフレンズたちは、“看板”としての存在理由を失いつつ…あった。

フレンズたちは手に職をつけて働き、活躍する者もいた、が…中には、現代社会に

なじめず、政府が用意した無料の宿泊所、通称「フレンズ下宿」で無聊をかこつ

者たちも、それなりに居て… ヒョウもその一人、だった。

「…うちは今、フレンズいち、久しぶりに会った友だちが大ピンチな女やねん…」


昭和が香る木造モルタル2階建て、四畳半風呂なし炊事場トイレ共同の安アパート、

「みどり荘第四」なるフレンズ下宿に住んでいたヒョウ――少し前までの彼女は、

どこに出しても恥ずかしい無職フレンズだったが、今は違った。

ヒトの少年の恋人も出来、毎日務めに出て働いている… そんなヒョウは。





47-3

――その日の夜。編集部の雑用で新木場にある、警察の“セルリアンハンター”

通称、警備二課の本部施設を訪れていたヒョウは…そこで、

「…な? な…ちょ、なんで? カメやん… なんで、こんなところに――」

「……。ぅ…? ぅう、ヒョウ殿…!? ど、どうして、ここに…」

彼女はそこで、フレンズ友でありフレンズ下宿の仲間だったパンサーカメレオンと

再開していた。数ヶ月前に、急に下宿から姿を消した友人は…

「ちょ…! カメやん、血ぃ… ケガしてるやん!? え…縛られ…え…」

「……。…まさか、こんなところを…ヒョウ殿に…」

カメレオンは。警備二課のフレンズたちとのとの交戦後、捕縛されて…いた。


「ちょ、あんたら…!? これいったい、どういう…」

その、がらんとした会議室にはフレンズばかりが…6名、いた。

最初からここにいた、ヒグマとリカオン。そして届け物をしに来た、ヒョウ。

そこに現れたのは――黒い細縄で後ろ手と足首を縛られた、ヒョウの旧友にして

フレンズ下宿の住人だった、パンサーカメレオン。彼女は、負傷していた。





47-4

そして、カメレオンを。通称カメやんを、引きずるようにしてこの部屋に連行して

来たのは、棍を持った金の髪とスーツも美しいキンシコウ。そしてもうひとり、

こちらは体中にカミソリで撫でたようなケガをし、ぐったりしているアイアイ。

…この中で、ヒョウは完全な民間フレンズ。…カメレオンもそのはず…

そして、ヒグマ、リカオン、キンシコウ、アイアイは、四人ともが警備二課の

セルリアンハンターのフレンズ。

――そして、ここは警備二課の本部、彼らの縄張り…だった。

…ヒョウが気づいたときには、背後で会議室の扉が固く閉じられていた。

「ちょ、あんたら…! こら、どういうこっちゃ? …なんとか言いーや!?」

ヒョウは、シャドウで大人っぽくした両の目をキッと吊り上げて警備二課の

フレンズたちに語気を強くする…が。

「……」「――こいつは?」「雑誌の…早く帰せばよかった」「見られましたよ」

ハンターたちは、ヒョウのことなど窓に止まったハエのようにあしらい、小声で

何事かを話し…ヒョウを苛立たせ、そして。…腹の奥をゾッとさせる。

(…こいつら… 警察のフレンズ、やろ…? なんや、ヤクザよりヤバいで…)





47-5

そんなヒョウに…縛られ、床にうずくまっていたカメレオンが、

「…申し、訳ないでござる…ヒョウ殿… まさか、ヒョウ殿がここにいるとは」

始めて、顔を上げ…悲しみしか無い瞳でヒョウを見、うめいていた。

その二人を見ていた、ハンターたちは。

「…この猫、ヒョウか。こいつ、この間者と顔見知りの様子――」

「…まさか。内通者か、この猫? 内側に入り込んで…このスパイを誘導…」

「ありえますね。両方から、話を聞いたほうが良さそう…」

無機質な敵意しかない、そんな声を交わし…じわっと、ヒョウとカメレオンを

取り囲んでいた。ただ一人、ヒグマだけが心底嫌そうな顔、声で。

「待てよ。こんなのハンターの任務じゃないだろう? 拷問…でもする気か」

そのヒグマに、ガラスの造花のような笑みを浮かべたキンシコウが、

「今まで、ここから持ち出された情報を聞き出すだけですよ。あと…」

 ズム!と重い音がし、キンシコウの棍がカメレオンの腹を撲っていた。

「ぐ、はッ……」「あ、あ…カメやん! き、きさっ、おま…! ええかげんに!」

「――このトカゲの、所属だけは聞いておきましょうか」 キンシコウが言い、





47-6

「もちろん、“普通”に話した情報には価値などありませんから。ヒグマさん、

 録画機材を用意してきてください。あと、どなたかのマスターを探して、ここへ。

 残念ながら私たちフレンズには、証拠、証言、どちらの能力もありませんので」

濡れた石がしゃべるようなキンシコウの声に、ヒグマはムッとしたまま。

…だが、この場から離れられるのにホッとしたような顔で会議室から出ていって

しまう。再び、固く閉ざされた扉の内側で…

「…キンシコウさん。このヒョウは…尋問するとまずいのでは? 誰か、マスターの

 許可をもらって礼状を取らないと後が厄介かも――マスコミ関係ですし」

リカオンが、やはり無機質の敵意がにじむ声と目を…ヒョウに向ける。

(…な、なんや、こいつら。ホンマにフレンズなんか… こんな、なんか…)

ヒョウは、苦悶に呻くカメレオンをかばうように身をかがめながら。…だが…

自分が、これまで無いほどの危機の中に、特大型セルリアンに食われそうになった

あのときよりもヤバい、動くロードローラーのような連中の前に自分が置かれて

しまったことに…気づいていた。

…ヒョウは、冷や汗をじっとり顔ににじませながら。





47-7

…!! そうや! ヒョウは、ポケットからスマフォをつかみ、登録の二番目に

ある編集部、アミメキリンの電話番号を――アミメは、ヒョウがここに来ている

のを知っている、彼女なら、この理不尽にきっとなにか… か…?

「……。もしも…! あ、あれ? なんで…」

「電話なら無駄だよ。ここは特定の電波以外は遮断されてるんだ」

アンテナの出ていない、通話ボタンが反応しないスマフォに目を凍りつかせて

いるヒョウに、ため息つくような声でリカオンが言っていた。

いきなり、頼りだった一番太い綱を断ち切られたヒョウ。その彼女に、

「…ヒョウ殿、無駄でござる… こいつら、聞く耳などもっていない畜生で…」

カメレオンが、すまなさそうな声で呻く。その二人の前に、

 ゴト、と嫌な重量感のある南京袋が…キンシコウの手が、それを下ろす。

「ヒョウさん、だったかしら。あなたのお話はあとで伺いますね。

 あなた少し面倒そうな立場の人ですから――でも、そのトカゲとお知り合い、

 なんでしょう? …それが本当なら、こちらも楽ができますわ」

キンシコウはズタ袋の中から…何か、重く、四角いものを取り出して床に置く。





47-8

…それは。年季が入った、使われている形跡のある車のバッテリーだった。

そしてその横に、ボンベのついたガスバーナーが。

そして赤と青の電線の束、サビの浮いたむき出しの銅の針金が置かれて…

ヒョウは、理由もわからないまま背骨が震えるほど、ゾッとする。

「ま…まさか、あんたら… そ、それ、ゴーモン…拷問、する気なんか…」

「ご安心を、ヒョウさん。使うのはあなたにではないわ」

花のようなキンシコウの笑みが、ヒョウを脂汗すら引かせるほど震えさせた。

…あかん!! ヒョウは、今までガチのケンカもしたことのない拳を握り、

「ま…待てや! おまいら…! カメやんになんかしたら、うちが許るさんで!」

怒りと恐怖のあまり、うわずって少し噛んだヒョウに、

「…! ヒョウ殿…! ――…二課のハンター、頼む…ヒョウ殿は関係ない…」

カメレオンが必死の声を振り絞るが――ハンターたちは、止まらなかった。

「リカオン、そのトカゲをおさえて。アイアイさんは、その猫を」

キンシコウの言葉に、リカオンはカメレオンの体を引きずり、踏んで抑え。

ヒョウが、ハッとしたときには…背後に、アイアイが…いた。





47-9

…ぐ…!? いつの間にか、ヒョウの首に腸線を撚った細縄が巻き付けられていた。

「……。ごめんなさいねえ、猫さん。あなたには恨みがあるかどうかは、まだ…

 わからないけれど。私たち、あのトカゲにはお礼をしないといけないの」

「な…? カメやんが、なにしたっちゅーねん!?」

「うちの警備二課は、ずっとあいつに付きまとわれて。どれくらいの内部情報が

 盗まれたか、わからないわ。…やっと、捕まえたの…」

アイアイはヒョウの目に…牛骨で作った対セルリアン、対フレンズ用の手鉤を見せる。

「…あのトカゲは、まずキンシコウが可愛がるわ。…あなた、私たちと一緒に

 それを見て頂戴ね… もし、見るのがつらくなったら――…うふ、ふ…」

…どれくらいの憎悪が、ハンターの彼女たちの中で渦巻いていたのか。

――30分前までのヒョウのいた世界とは、まったく別の…世界だった。

言葉を失っているヒョウの前で、“尋問”は始まっていた。

バッテリーの+と-にクリップのついた電線をつなげたキンシコウは、火花で

通電を確かめながら… 歌うように、言う。

「…私たち、ヒトより頑丈ですからね。撲ったりでは、らちが明きませんわ」





47-10

「でも、セルリアンも私たちフレンズも…不思議ですわね、この電気ってやつには

 弱いですから。あと…火の熱も、使いようによっては苦しいですわよ」

キンシコウは、サビた銅の針金をほどきながら、

「リカオン。そのトカゲの脚を開かせて。そのまま抑えておいて」

何の感情もないその声に、リカオンは仲間ながらゾッとしたような、え、私が?と

言うような顔で…だがカメレオンの片足を、自分のブーツの底で踏みつける。

「な…! 何する気や!? やめ…おおい! …グ!!」

ヒョウはもがいて吐き散らすが…背後から縄で首を絞められる。

…後ろ手と、足を縛られていたカメレオン。…違う、足は、両方の足の親指だけを

少女の黒髪を編んだ細紐で縛られて、いた。

その足を踏まれ、腕力で無理やり…脚をひし形にこじ開けられたカメレオンが、

「…! あ、あ… くっ… …わかった、でござる…! 何でも話す、から…

 ヒョウ殿を開放してくれたら、何でも話す…から! だから――」

だが。ハンターたちは、動じず。キンシコウが…わらう。

「そんなふうに怯えてペラペラ話す情報に、価値などないの。もちろん…」





47-11

「拷問されて、苦し紛れに、助かりたくて吐き散らす情報も。ただのゴミです。

 ――安心して。しばらく私は、何も聞かないわ。あなたも、何を言って無駄。

 あなたが苦痛と絶望で壊れてから…そうしたら、ゆっくりお話しましょうね」

キンシコウは、その足で。短靴で。広げられていたカメレオンの脚、白い肌色の

太ももの奥を隠していた衣の裾を、蹴り上げる。

…あっ! とカメレオンが小さな悲鳴をあげると。衣の下から、彼女の股間が、

真っ白い褌の薄布で隠されている恥部が、さらされた。

ツバを吐くような目でそこを見下ろしたキンシコウが、ほどいた銅の針金を

棒状に伸ばして…カメレオンの股ぐらに、身をかがめた。

「あなた、男は知っている? でも安心して。黒焦げにするのは“そこ”じゃない」

キンシコウの指が、カメレオンの恥部を守っていた薄布にかかって…

…ひっ! と小さな悲鳴を漏らしたカメレオンの、うぶ毛もない、果物のような

割れ目だけがある“そこ”に…

サビた針金が、その切っ先で湿った尿道口を探り…探り当てた、その激痛に、

 …ぅあああ!! カメレオンがここに来ての、はじめての悲鳴を叫んだ。





47-12

その悲鳴が消えないうちに――

 グガァアアアッ!! …と。爆音のような、肉食獣の憤怒が吼えて、いた。

「…!! やめえ! ええかげんにせえ、アンタら…!!」

抑えられていたヒョウ、その口がヒトのそれではなく、獣のそれになって吼え。

そして透き通った憤怒が満ちた両目から、虹色が眼尻にそって飛び散っていた。

…その、頂点肉食の咆哮、憤怒に。さすがのハンターたちも…止まっていた。

「な…なにをやっとるんや!? あんたら、フレンズやろ? ウチらと同じ――

 それがなんで? 仲間に、フレンズに…そんなことができるんや!?」

「…ふん。民間フレンズかと思ったら。…どこで開放訓練をやっ」

「やかましい!! ワケワカランことを抜かすなや! …そりゃあ、な。

 フレンズも狩りごっこしたり、ナワバリでケンカすることもあるわい、でもな!

 こんな…血が出るまで、怪我するまでやりあったり、ヒドイことするとか…

 あんたら、それでもフレンズかい!! その耳と尻尾は、飾りかああ!?」

リカオンは、気まずそうに…一瞬でも臆してしまった自分に舌打ちしながら

キンシコウのほうを見る。ここでは、一番格上の金色の猿猴は、





47-13

「…そう。フレンズよ、私たち。あなたと、そして…このトカゲと同じ、ね」

邪悪な針金を持ったまま立ち上がり…頂点肉食のヒョウと向かい合う。

「…ヒョウさん、あなた。大阪に、関西に行って暮らしたことはあるの?」

「!? な…なんや急に。そんなん…あらへん、うちはパークで生まれて、

 そのまま内地の東京に連れてこられて――それが、なんやっちゅうねん?」

「…あなたのこと、クリスマスのがーでんで見たわ。屋台でお好み焼き、焼いて。

 大阪弁で喋って… ――それは、誰に教わったの?」

…なっ!? …っと。今度は、ヒョウが固まる番だった。

「どうしてあなた、行ったこともない街の言葉で話しているの? どうして、

 もとは火の怖いフレンズなのに、お好み焼きなんかが得意料理なの?」

――それはね。 …と。キンシコウが針金の先でヒョウの顔を指し、

「私たちは、元は獣の畜生。それがサンドスターの奇跡で、この姿になって。

 この姿と、私たちの中身はね…みんな、ヒトが想うイメージなのよ」

…こいつ、いったい何を? ヒョウは、何も言えないまま。

「ヒトの想いが、私たちを作っている。だから、私たちフレンズは…」





47-14

「ヒトの想うように、ヒトに寄り添って。ヒトが喜ぶように、ヒトを好きになって。

 ヒトが怯えていれば、セルリアンと戦う力を手に入れて。ヒトが望めば…愛して。

 私たちは、どんなことでもする。…それだけのことよ、猫さん」

「な、な…? う、うちは…ヒトが、望めば…って」

いつの間にか。キンシコウはガスバーナーを手にし、ボッと点火していた。

「ヒトが望めば、仲間のフレンズとだって戦うわ。もし、ヒトが望めば――

 …もし、うちの“ひと”がそう望めば。私はヒトだって、狩って殺すわ」

「…!! あ…あんた、あんたら…アタマおかしいで。どうかしてる…」

「わかったかしら、野良猫さん。…これ以上、さわいで邪魔をすると」

 シュー! と、火力の安定したバーナーをもったキンシコウは、

「先に、あなたから可愛がるわよ。このトカゲのこと、お互い知ってるみたいだし」

「…! やれるもんならやってみい! うちと、このカメやんはなあ…!

 マブだちやで! おんなじ下宿に住んで、同じ釜のめし食ったフレンズや!」

「……。ヒョウ、殿… そんな、拙者を……」

それまで、死体のようだったカメレオンの瞳が…揺れていた。





47-15

「その友だちが、エライ目にあってるのに黙ってられるか、っちゅーの!

 ハンターだかフンターだか知らへんが、これ以上やったらマジで許さへん!

 その頬ゲタ張り飛ばして、おてもやんみたいな顔にしたる!」

…いつの間にか。ヒョウは無意識のうちに、自分の首を縛めていた細縄を

両手の指で引きちぎっていた。その背後で、今回はいいところなし、暗器を

あっさり、ティッシュのように千切られたアイアイがへたりこむ。

…だが。バーナーを置いたキンシコウの手からは、するりと。

先端に錘をくくった紐が…流星錘と呼ばれる武器が、伸び降りて…いた。

「やかましい雌猫。…私の顔を撲る? うちのひとにだって打たれたことないのに。

 ――いいわ。先に、あなたをブチのめして…あそこに針金、入れてあげる」

「…! まずいですよキンシコウさん! そいつはマスコミの…」

 煩い! キンシコウの声が鋭く吐かれると… ヒュ!と流星錘が残像になった。

ギリ、と。いつの間にか、ネイルが全て吹き飛んでいたヒョウの爪が鉤爪になって。

ヒョウの金色の瞳が、憎悪と…そして。その目で初めて燃える色に…

戦いと血の匂いの歓喜、虹色に燃えて――





47-16

キンシコウとヒョウ、その両方が動いた、その瞬間を。

「――CIRO(サイロ)。内調、内閣情報捜査室…」

ぼそっと、だが。この場を凍りつかせる声で、カメレオンの唇が動いていた。

「……!?」「な…!!」「まさか…」 「…? え、なに、カメやん」

フレンズたちの動きが、そういうゲームのように凍りついたそこに、

「CIRO防諜部、CIC(カウンターインテリジェンスセンター)所属…

 …パンサーカメレオン。在留フレンズIDは、ヌヘ-00145…」

何かの呪文のように。いつの間にか身を起こし、うつむいて。カメレオンは続ける。

「…何を黙っているでござる。貴殿らが捕らえたのは、内調、CIROのフレンズ。

 貴殿らは、味方だと思っていた、雲の上の組織から探られていたのでござ…」

「…だまりなさい!! な、な… 内調!? まさか…」

「…ブラフ、です、キンシコウさん。そんな馬鹿な――」

…だが。キンシコウもリカオンも、カメレオンの言葉に…完全に、呑まれていた。

「嘘だと思うなら結構、気の済むまで拷問すればいいでござる。だが…

 拙者からの定時連絡はもう1時間、途絶えている…意味は、わかるでござるな」





47-17

いつの間にか――この空間を支配しているのは、非力なカメレオンの言葉だった。

「…拙者を助けに来るのではござらん。“回収処分”するために内調がここに来る。

 フフ、その前に訊きたいことがあったら。何でも喋るでござるよ」

「…! バカな、ウソ…よ。内調がどうして、私たち警備二課を…」

「CIROには、警視庁からの出向組がたくさんいるはずなのに…どうして!?」

予想外すぎる組織の名前に、キンシコウもリカオンも取り乱して、いた。

そこに…フッと、手と足指を縛めていた縄を抜けたカメレオンが…立ち、

「拙者のような木っ端に、理由を聞いても無駄でござるよ。ただ、拙者は…

 ここ、警備二課の動向を探り報告していただけ… まあ、拙者が思うに。

 貴殿らは、働きすぎたんでござるな。警視庁の下っ端、警備装備課などが――

 人類の敵のセルリアン対策を一手に引き受け、正義のミカタとして……」

…嘘だッ! 目が完全にブレているキンシコウが、

「東京を、ヒトを守ってきたのは私たちなのに! なぜ、それなのに…嘘だッ!」

カメレオンに掴みかかろうとしたキンシコウを、ヒョウが際どいところで止め…

もみ合いになっていた。





47-18

「はっ…離せえ!」「ちょ、落ち着け! なあ、カメやん…あんた、いったい」

――そこに。会議室の扉が、突然に開かれた。

ビクッと、動きを止めてそちらを見たキンシコウたちの目に…

「やめろ! なにをやってる…!」「――…………」

入ってきたのは、ヒグマ。そして…仕立ての良いスーツを着た、屈強な体つきの男。

神社の樹のような長身の壮年が、悲痛な面持ちで――会議室へと進む。

「…! あ、あ…? 若屋隊長!」

リカオンがハッとし、敬礼をすると。キンシコウは、信じられない!という顔で。

「な、な… ヒグマ! 私はマスターの誰かを連れてこいと…なぜ隊長を!?」

「…すまない、キンシコウ君。ヒグマ君から、話は聞かせてもらった」

現れたその男。ここ警備二課、ハンターの指揮系統の頂点である、若屋参事官。

その静かな声に…張り詰め、そして淀んでいた部屋の空気が震えると。

ヒグマが、ずいと足を進めて…そして、リカオンとキンシコウを睨めつけた。

「言わせてもらうぞ! 先輩だからと黙っていたが…今のお前たちは、何事だ!

 勝手に捕虜を取り、拷問など…自分たちで、おかしいとは思わないのか!」





47-19

そのヒグマの叱咤に。リカオンが少々、イラッとした目で。

「君は新人だからわかるまい、私たちはこのスパイにどれほど…」

「ゴンボ掘ってんじゃねえ! 先輩も後輩もあるか! 馬鹿野郎この野郎!

 おまえら、これが終わったら表に出ろ! 全員、その性根を叩き直してやる」

空気をビリビリ震わせるヒグマの叱咤を――

若屋参事官の手がスッと動き、止めさせた。フレンズたちの目が集まると。

「…先に、君たちみんなに謝らなくてはいけない。…私は、君たちを騙していた」

「ど…どういう、ことですか。若屋隊長? 私たちを、ダマす…?」

リカオンの声に、若屋は答えず…だが、まっすぐ歩を進め…

「すまない、うちの部下が手荒な真似を… もう、打ち明けておくべきだった」

若屋は、持っていた小さなメモリースティックを…カメレオンに差し出していた。

「これが最後の情報交換になるだろう。…最新の、セルリアン解析データだ」

…カメレオンは無言でそれを受け取ると。髪の奥から、小さな紙片を取り出していた。

「内閣府の“シリンダー”計画派、リストでござる」

凍りつくハンターたちの目前――二人の二重スパイが、そこにいた。   …つづく





48-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は今、幸せだった。

…だが。

その日、その夜は。かつて無いほどの危機的状況の中に、ヒョウはいた。

「…うちはフレンズいち、何も悪いことしてへんのに警察とモメてる少女やねん…」


編集部の仕事で、新木場にある警視庁第七方面隊本部を――

セルリアンハンターこと警備二課の本拠地を訪れていたヒョウは、そこで二課を

探っていたスパイとハンターたちの戦いに巻き込まれて…いた。

…しかも。捕らえられたそのスパイは、ヒョウのフレンズ友にして、彼女と同じ

フレンズ下宿に住んでいたパンサーカメレオン、だった。

拷問と陵辱の寸前、怒りに身を任せてしまったヒョウと、ハンターのキンシコウが

激突する寸前――その場に現れた、警備二課のトップ、若屋参事官。彼は…

 「これが最後の情報交換になるだろう。…最新の、セルリアン解析データだ」

 「内閣府の“シリンダー”計画派、リストでござる」

スパイのはずのカメレオンと、部下の前で“取り引き”を…して、見せた。





48-2

カメレオンへの拷問を止めさせただけではなく、そのスパイと取り引きをして

いたと話す組織のトップ、ヒトの男に。

「…た、隊長!? これは一体、どういうことなのです? …こいつは」

ふだんは、どんな凶暴なセルリアン相手でも消して取り乱さず、戦い――

断崖に咲く金色な花のようだったキンシコウが…完全にうろたえ、取り乱していた。

「そのトカゲは、私たちハンターを探っていた間諜…! な、なのに…

 若屋隊長が、どうしてそいつと…!? うそ、嘘ッ…」

「若屋隊長、説明してください…! まさか隊長はそいつと、ずっと…?」

ヒトの男は。若屋参事官は…鋭い刃でも飲んだように、つらそうに息を吐き。

「…すまない。私は、君たちハンターのフレンズみんなを…マスターの彼らも、

 みんなを騙して、ウソを付き続けていた。…この子は、カメレオン君は――」

「……。いいんでござるか、若屋殿。それを明かしても、貴殿はなにも」

カメレオンの言葉に、若屋は「いいんだ」と一言。そして、

「カメレオン君は、CIRO、内閣情報調査室のフレンズだ。私は独自に彼女と

 接触し…お互いに情報をやり取りしていた。君たちに秘密でね…」





48-3

――自分たちの上司が、ダブルエージェント、二重スパイだった…と聞かされ。

古株のアイアイ、キンシコウとリカオンは、完全に言葉を失っていた。

だが、新入りハンターのヒグマだけが、若屋に問い詰める。

「…わからないな。それを私たちに打ち明ける理由も、わからないけれど。

 どうして、二課のトップのあなたがそんなことを?」

「何から話せばいいか。…いつか、君たちには全て打ち明けようと思っていたが」

「……。え、うち?」

ワケワカラン、状態で置き捨てられていたヒョウ、だったが――彼女は、ふと。

モシヤ、と呼ばれるこのヒトの男が、ハンターたちのトップが、自分のことを

悲しそうな笑みで見つめているのに気づいて…ますます ?? となっていた。

「――われわれ、警備二課の“敵”は…セルリアンだけではなくなりつつある」

若屋は、おそらく彼が抱える無数の問題、そのうちの最悪のひとつを言葉にして。

「…君たちハンターには、何の問題も落ち度もない。君たちは、これ以上はない

 ほどに働き、任務を遂行し、首都と人々をセルリアンから守ってきてくれた。

 君たちの力がなければ…東京は、とうに怪物の巣窟になっていた…」





48-4

若屋は…毒を飲んでしまい、そしてそれを吐くような声で続ける。

「…その君たちの力が、目を引きすぎてしまった。有名になりすぎた――

 最初の警備二課は、人員も装備も予算もほとんど無く、セルリアン対策も

 初期メンバーのアイアイ君やサイ君たちが体当たりも同然で戦ってくれていた」

「そのうち、メンバーも増え、装備も体制も整い…今ではもう、自衛隊との連携で

 人的被害が出る前にセルリアンを撃破できることも多くなった。

 これは全て、ハンターの君たちの力、その滅私の任務遂行があったからこそ…

 …だが。そこに目をつけられて――しまった。…本当に、ヒトは愚かだ…」

「…なにが、あったのですか…」

ようやく、冷静さを取り戻したキンシコウに…若屋は続ける。

「われわれ警備二課は…警視庁では下部組織だ、警視庁警備部の装備第二課、

 その警備装備第四係(三係が警察犬担当)がわれわれの立ち位置だ。

 その下部組織が、東京の、人々の救世主になった現状が…問題だった」

「その、我々の戦果と栄光が妬ましい、それを自分たちのものにしたい連中がいる。

 …セルリアン対策とフレンズすら、政争の踏み台にする連中だ…!」





48-5

ふだんの若屋からはありえない、激昂と無念をにじませたその声に。

…そしてその言葉は――

さきほど、カメレオンが予言していた言葉の内容と、ほとんど同じ…だった。

「…まさか、隊長。うちのヒト、トシさんが最近、仕事以外で動いているのは…?」

古株の戦友、アイアイの震える声に…若屋はうなずき、

「――警備二課を解体し、新しいセクションでセルリアン対策を行う計画が動いて

 いる、しかもそれは警察よりももっと上の…政府の上層部の、思惑だ。

 しかも連中は、フレンズとともに戦うのではなく…

 フレンズを爆弾のように使い捨てにする腹づもりの、くそったれどもだ…!」

激昂のあまり、教養ある若屋がつい罵倒の言葉を吐くと。

「…拙者からも補足させていただくでござる。…どうせ、もうこれで拙者も終わり」

カメレオンが、ちらとヒョウを見…なぜか、やさしい笑みを浮かべ。

「CIRO、内調はいずこからかの司令で警備二課の内情を探って、ござった。

 その指の一本が、拙者。…そして、若屋どのに口説かれて…この有様でござる。

 貴殿らハンターの敵は、内調をあごで使うような連中でござるよ」





48-6

「…そういうことだ。連中は警備二課を解散させ、セルリアン対策を錦の御旗に

 して…手柄を横取りし、新しい組織を作る腹づもりなのだろう。

 そしておそらく、連中は…カコ博士の行方不明にも関与している。

 …こんなことをしていたら、今度こそ人類は滅びてしまうのに…!」

「……。わ、若屋さん… 私たちは、いったいどうすれば――」

セルリアン相手ならば、決して臆することがない猛者のハンターが、キンシコウが。

寄る辺ない迷子のような声で…言った。

「その、組織は…私たちをどうするのでしょう? うちのひとは、大丈夫…」

「私はこの身と生命、職責があるうちはなんとしてでも君たちと部下を守る――

 残念ながら、こちらから打って出られる状況ではないが…味方も、いる。

 陸自の幕僚監部は、二課と同じ危機感を持っているし、矢那さんも復帰した。

 カメレオン君のおかげで、“シリンダー計画”の正体もわかってきた…」

シリンダー? その不吉な言葉に、リカオンが不安げにけも耳を動かす。

「…フレンズをセルリアンにぶつける“爆弾”にする計画だよ…

 連中は、市井の罪もないフレンズたちを使い捨てにする腹づもりだ…!」





48-7

…!! …ゾワッと。それまでぼーっと話を聞いていたヒョウの首筋が…凍った。

…シリンダー…市井のフレンズ…爆弾…?? それらの単語が――

ヒョウの記憶の中で、それまで半ば忘れられていたフレンズ友たちの言葉と…

(…ちょ、なんやこれ。まさかこれ、カメやんが前に下宿で言ってた…

 役場のヒトに連れて行かれそうになったら、相手を殺してでも逃げろっちゅう…)

(そういや、オコジョもなんか、最近は空気が変…ああ、アミメキリンも言うてた…

 って、クロちゃんもそんなこと言って、うちにお金渡そうとしてたやん…??)

ヒョウは、生まれて初めて――

…それまで、悪いやつやムカつくやつはいても基本、大好きだっったヒトたちが。

…ヒョウが大好きな恋人、本間くんと同じ、その“ヒト”の。

人間の、底なしの悪意の渦のど真ん中に自分がいるのを感じて…困惑していた。

飼い犬が、大好きな飼い主にいきなり殴られたような…感覚だった。

(…う、うち…どうすりゃいいんや? …本間くん、うち…どうすれば…)

ここにいるフレンズの中では、唯一の部外者、民間フレンズのヒョウ。

…その前で。ヒトの若屋は、部下のフレンズたちに…頭を下げる。





48-9

「…すまない、みんな。全ては私が、皆をあざむいていた…そのせいだ。

 普通の方法で探れば、間違いなく“連中”に感づかれてしまっていた――

 だから…味方を騙してでも、敵の手先を利用するしか方法がなかったんだ…」

「…このことは、トシさんたちは…マスターたちは知っているのですか」

すっかり、捨てられた犬のようになっていたリカオンの声に。

「いや。話してない――このことを知っているのはただ一人、真逆君だけだ。

 彼は一番の古参だ、このヒト同士の愚行に付き合ってくれると約束してくれた」

その言葉に、真逆のバディであるアイアイは「私聞いてない」という絶望顔で。

「…だが、こうなっては。すぐにでも、皆に状況を話さねばならない。

 ――こちらの動きを、CIROに感づかれた。何か動きがある前に…先手を打つ」

「……。では、このトカゲは…カメレオンは。どうするのです」

「すまない、キンシコウ君、みんな。彼女は…カメレオン君は何の罪も、無い。

 このまま、開放してやってもらえないか。…頼む」

命令ではなく、ヒトの上官に頭を下げられ――

無言のまま、ヒグマが。この惨劇寸前の密室、会議室の扉を開いて…いた。





48-10

…ハッとしたヒョウは、カメレオンの細腕をつかんで。

「…行こう、カメやん。…こいつらの気が変わらんうちに、早う」

ヒョウに引かれたカメレオンは、その二人に――否、ヒョウに。 ぽん、と。

若屋参事官が、大きな温かい手を。ヒョウの肩におき、悲しげな笑みを見せていた。

「君まで巻き込んでしまって、本当にすまない。彼には、私から謝っておくよ」

 へ? となったヒョウに、若屋は。

「…君は二課のエース、双葉君の恋人…妻のようなものだ。…この先も――

 彼を、双葉君を支えてあげてほしい。ジャガーくん、どうか…」

「……。えっと。うち、ジャガーちゃうで。…ヒョウ、やねんけど」

 今度は、若屋が え? という顔をした。

…あちゃー、という顔になったリカオンが、若屋の袖を引き、

「隊長、そいつはジャガーと同じ頂点肉食の猫ですが… ヒョウ、です…」

「……。えっ、でも。…これ、ジャガー君じゃ…ないの? 双葉君とこの…」

「…若屋隊長は――本当に、サーバル以外の猫の見分けがつかないんですね…」

リカオンは、上司の唯一と言っていい欠点に深くため息をつく。





48-11

…すごく、くだらない理由で二課の秘密を部外者に聞かれてしまった…

ぐだぐだになった会議室から――ヒョウは、チャンスと。カメレオンを連れ出した…


――本部の外に、出て。ぬるい海風の中を北に、駅に向かい、カメレオンに肩を

貸して引っ張るように進んでいたヒョウは…ようやく、足を止めた。

「…はあ、はあッ… もう、ええやろ。…奴ら、追ってこんな」

ヒョウは左手首を返し、チプカシで時間を見る。…まだ夜の10時前だった。

「…ふん、エライ目にあったわ。…カメやん、大丈夫か? 歩けるか?」

それまで、息すらしていないように黙り込んでいたカメレオンが。

「…本当に、申し訳ないでござる… ヒョウ殿を、巻き込んで…しまうとは」

「気にせんでええ。フレンズ同士の喧嘩で、空気読めへんおさるがいたから――

 ちょっとゴロまいただけや。…ふふ、ウチもビビってチビリそうだったやで」

「……。ヒョウ殿は、ほんとうに…いいやつで、ござるな…」

ヒョウが、気づくと。

カメレオンは、ヒョウの肩と腕から…するり、離れて。暗い街路に立っていた。





48-12

「…え。ちょ、カメやん。どうしたん」

「ヒョウ殿は、あの下宿に――お帰りくだされ。…ふふ、懐かしいでござるな」

気づくと。カメレオンは、足も動かさず…だが、わずかに遠ざかっていた。

「ちょ、何言ってるんやカメやん… あんたも、下宿に戻ればええやん?

 あんたの部屋は、そのままやで? 家電とかちょい、うち使うてるけど…」

「…懐かしい、でござる。…思い出すと、泣けてきそうでござるな…」

…気づくと。ヒョウの手の届かない位置に、カメレオンは立っていた。

「ちょ? 何を…カメやん、あんたどこ行く気や? な、なあ。帰ろやないか。

 そ、そうや。あんたが居なくなってから… 大家の婆さんも退院してきたんや。

 あと新入りの子も入ったし… オオカミ先生は居なくなっちゃって――」

…気づくと。カメレオンの姿が、その影が…足のあたりで、暗闇に溶けて…いた。

「ちょ!? カメやん、あかん消えたら!」

「…みんな、懐かしくて。この思い出があるだけで、拙者は幸せでござる…

 ヒョウ殿や、下宿のみんなと腹ペコだったり、ちょっといいことがあると

 みんなで集まって騒いで…大きな釜でご飯を炊いたり… 懐かしい…」





48-13

…ヒョウが、手を伸ばしたときには――カメレオンの姿は、数歩先で闇に…溶け。

「カメやん、待ちいって! …せっかくまた会えたのに…なんで…!」

「…ありがとう、ヒョウ殿。拙者と、友だちでいてくれて」

 いいものでござるな… と。暗い海風の中に、カメレオンの声が響く。

「…半額のお弁当、鍋いっぱいの芋煮、ヒョウ殿のラーメン…がーでんの屋台。

 みんな、この世界の素敵な思い出でござる。…ありがとう…」

「ちょ! あかん! どこか行ったら…うち、怒るで! なあ…カメやん!」

「――本来なら、拙者とヒョウ殿は出会うことがなかった…

 ジャングルの木の上で虫を食うトカゲと、サバンナで狩りをする肉食獣。

 それを、こうして会わせてくれたサンドスターの奇跡と、ヒトの世界は――

 ほんとうに、素敵でござる… 願わくば、この世、この身が潰えても…再び…」

…ヒョウは。暗闇を声のするほうに走って。

「…あかん! 消えたらあかん! カメ…!!」

 ありがとう …最後に、耳元で聞き慣れたやわらかな声が、して。

……! ヒョウは、走って。手を伸ばして…友だちの名前を、叫んで。だが…





48-14

「……! …あ、ああ… ああ…………」

もう、空気の中にはカメレオンの気配も、その匂いすらも残っていなかった――

「…なんでや、なんで… スパイとか、世界とか…どうでもええやんか…」

ぬるい空気の中に、ぽつ、ぽつと…雨が降り出していた。

フレンズ友のジャガーと違い、濡れるのが大嫌いなヒョウだったが。この雨から

逃れるでもなく、ひと気のない、真っ暗な街路にうずくまったまま…だった。

「……。あっ、そうや…携帯、電話が…」

ポケットから出した電話には、さっき電波が遮断されていたときにかかってきた

らしい着信履歴がいくつも、受話器の形で並んでいた。

…本間くんかな… …会いたい、あいたい… 会って…抱きしめてほしい…

返信する気力すら無いヒョウ、そこに――戻りが遅く、連絡をしてこない部下を

心配したアミメキリン。彼女を乗せたタクシーが、ライトを光らせ走ってきていた…


狡兎死して走狗烹らる。…セルリアンという獣はまだ死んでいない。鍋だけが煮える。

「セルリアン大壊嘯」がヒトの負債を豹頭姫から取り立てるまで――あと286日……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る