豹の伝説

攻撃色@S二十三号

第1話 前編

1-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京の片隅に暮らす彼女は、無職だった。

「うちはフレンズいち不幸な少女やねん」

日本に在留するフレンズたちは、無料で居住できる寄宿施設、いわゆるフレンズ下宿に

住む者もいれば、手に職をつけて自立しているフレンズたちもいる。

その前者。パークから日本に来て以来、正職についたことのない彼女。ヒョウ。

無職の彼女にとって、毎日二つ支給される「フレンズまんじゅうサンドスター入り」は

いろんな意味で生命線とも言えるものだった。

「……。食ってしまうべきか、それとも今日よりも明日に賭けるか。難しいところやね」

古畳が、窓から降り注ぐ秋の日差しに埃くさく香る四畳半。

ヒョウはあぐらをかいて座り、目の前のフレンズまんじゅう二つをじっと、見る。

その様子を、開け放たれたドアの向こうから見ていたフレンズのカメレオンが、

「…ヒョウ殿。難しい顔して饅頭にガンつけして。どうしたでござるか」

「食べてまうのは簡単や。でも、売って現金化すれば…化けるねん」

「へっ? 売るって、ここの誰かにでござるか?」

「ちゃうねん。ネットオークションで、フレンズマニアに売りつけるんや」





1-2

「はあ。饅頭の転売でござるか」

「そうや。フレンズブームは過ぎたとは言え、今でも世間にはフレンズ好きのオタクが

 まだおるねん。やつら、フレンズと名のつくものなら何でもいい値をつけるんや」

「…ヒトがサンドスター食べるとどうなるんでござるか?」

「さあ。次の朝、けつがサンドスターでチクチクするだけなんとちゃうんかな」

話しているうちに、ヒョウの腹は決まった。

「よっしゃ。妹のところでパソコン借りて、さっそく出品や。いくらつくかな~」

「…転売はいいのでござるが。よしんばそれが落札されても、今日のヒョウ殿は何を

 食べるつもりでござるか? 先立つものがあるようには見えないのでござるが…」

「そう。問題は、それやねん」

まんじゅうを二つ手にしただけで、この世界すべてを背負ったような重いため息を付いた

ヒョウは。ねむいネコのような顔でしばらく考えたあと。

「しゃーない。また、先生の手伝いでもして…食べさせてもらうしかないか」

彼女の言う先生とは。フレンズの漫画家にして、大ヒット「ギロギロ」の作者である

にも関わらず、未だにこの下宿に住んでいる変わり者、タイリクオオカミ先生その人だ。





1-3

決断すると、ヒョウは動くのが早かった。

彼女にとって幸運なことに、オオカミ先生は部屋にいて、編集も誰も来ていなかった。

「やあ。ヒョウ君。…えっ、アシスタントの仕事? すまない、まだネーム中でね…」

「えええ… じゃあ。ペン入れとかのお手伝いは… うそやん…うそやん……」

「そんな絶滅したような目をしなくても。…じゃあ、少し手伝ってもらおうかな」

よろこんで! 快活に返事をして復活したヒョウに先生は笑い、

「実は、今朝から何も食べてないんだ。インスタントラーメンを作ってくれないかな」

「はいはいはい! よろこんで~。…えっと」

「二人前で。ラーメンは一度にたくさん作ると美味しい」「ゴチになりまっす!」

「気が早いが、夜食は…外に食べに行こうか」「うち先生の大ファンなんよー!」

小さな台所に向かって、美しい模様のしなやかな尻尾を振りながら料理をするヒョウ。

鍋の中で先に炒められたモヤシと豚こま肉が、いい音、いい匂いを立てはじめた…


今は無職のフレンズ、ヒョウ。だが、世界が滅亡の危機に晒される「セルリアン大壊嘯」

その乱世に、彼女が救世主として覇を唱え人類を救うまで――あと586日……





2-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいをする彼女は、無職だった。

「先輩。それで、どうなんです就職?」

…苦手なやつが来た。四畳半一間の下宿部屋で、ヒョウは古畳に視線を落とす。

あぐらをかき、自分の部屋なのに居心地悪げなヒョウの前にいるのは…

「まずはバイトとかでいいから初めてみましょうよ。仕事先なら私が紹介しますから」

チャイナ服を仕立て直したおしゃれなブラウスを着、サングラスを小粋に前髪に差す

その少女は…ワオキツネザルのフレンズだ。

ヒョウとはほぼ同期で、同じ船でパークから日本に来たため彼女はヒョウを「先輩」と

呼んで慕ってはいた、が…ワオキツネザルはその快活、勉強熱心な性格のおかげで

すぐヒトとの生活に馴染み、今は人気の整体師として働き、マンション暮らしである。

…それと比べ。

「こんな、お家賃タダの部屋で無料のまんじゅう食べてる暮らしが先輩を駄目に…」

後輩に、こんこんと諭されるヒョウ。時間はもう昼過ぎ…秋の日差し。

ヒョウは今朝から水しか飲んでいない空腹であったが、この後輩がいるあいだは身動きが

取れなかった。だが、動いたところでこの部屋に食料は…無い。





2-2

「先輩は本来、私たちが恐れる最強の肉食獣の一角。それがどうして日本に来たら…」

…ワオちゃんは悪い子じゃないんだけど、お小言とお節介が過ぎる。

ヒョウは万年着ているヤッケ型スウェットの前ポッケに両手を突っ込んで空腹に耐え、

いまこの腹に入れられそうなものを考える…

…支給されるフレンズまんじゅうは、昨日と今日のぶんはもうネットオークショに出して

しまった、手元にはない。

「先輩は元がいいんですから。しっかり働いて、おしゃれすれば素敵な男のヒトとも…」

…そうだ。同じ下宿住まいのカメレオン、彼女の部屋の冷蔵庫にこの前買いだめした

モヤシがまだ何袋かあるはず…あれを、虎の子のラーメンスープで炒めて食べれば。

…賢いヒョウは、最近インスタントラーメンを作るとき水も半分、使う粉スープも半分

にして、その粉スープをストックしていた。うちは出来るオンナやねん。

もし冷ご飯があったら、それでモヤシ炒めごはんもいい…ヒョウの口元が緩んだ。


――ただの貧乏性に見えるヒョウの知恵。だがこれは、このあと世界を襲う破滅の

乱世。食料、水、物資、全てが不足する世界で活躍する彼女の前哨戦でもあった。





2-3

「ちょっと先輩、ちゃんと聞いてるんですか?」

「う…うnうn。聞いてる。めっちゃ聞いてる」

適当にあいづちうったヒョウに、ワオキツネザルがきゅっと眉をひそめて。

「…先輩、いっそ警察のセルリアンハンターに志願してみます? 給料いいらしいですよ」

「えー。冗談はよしざきおにーさん。お金もらって命落としてたらなんにもならんやん」

「まあ、いまの先輩じゃバディにしてくれる男のヒトもいないでしょうけどね」

…あんたも独り身やん。だがヒョウの空腹は、ツッコミの気力すら奪っていた。そこに、

「話していたらお腹が空きましたね。先輩、駅前の日高屋でお昼にしませんか」

「えっ。それはええねんけど…うち、いまテッポウやで」

「私がおごりますから。…そのかわり、丸井で服の買い物、付き合ってくださいね」

「もちろんや! ワオちゃん、ええ子やねえ。きっといいカレシができるでえ」

やれやれとすくめたワオキツネザルの肩を、満面の笑顔でヒョウががっしと抱いた…


今はしがない無職のフレンズ、ヒョウ。だが世界を襲う「セルリアン大壊嘯」の破滅に

彼女が伝説の豹頭姫として立ち向かい、人類の希望となるまで――あと579日……





3-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいをする彼女は、無職だった。

(…やっぱ、うちはフレンズいち不幸な少女やねん…)

ヒョウは空腹の上、徹夜だった。同じ下宿に住む漫画家のタイリクオオカミ先生の手伝い

に入ったのが昨日の夕方…そして、一夜明けた昼過ぎ…不眠不休で見事、原稿を上げた

先生とヒョウの前には。

「先生! ギロギロの続編をファンのみんなが待ち望んでいるんです! そして私も!」

下宿の四畳半がさらに狭くなる、スラリとした長身のフレンズ。アミメキリン。

彼女は、タイリクオオカミ先生が連載をしている雑誌の編集者だった。

『その唇が、惑わせる』のキャッチコピーでフレンズのトラをモデルとして大成功させた

美人キリン三姉妹編集者。その一人がアミメ、彼女だ。

「先生なら! ちゃんとした仕事場でアシスタントを増やせば!

 なんだったら私、上に掛け合って新雑誌立ち上げますよ! その名もギロギロ∀!」

その熱い説得に、先生は気だるく手を振り、

「ムチャだよ、アミメ君。今の連載「共闘先生!」で私は手一杯。

 それに。ギロギロはもう完結したんだ。これ以上は何をしたって蛇足だよ」





3-2

「そんなことありませんよ先生! そうだ!新キャラを出してフレンズ対決の…」

…この話、これで何度目や? うんざりしたヒョウ。だが、アミメキリンの説得は続く。


空腹、そして反撃の出来ない相手に黙るヒョウ。だがこれは、このあと世界を襲う破滅

の乱世で活躍するヒョウの――相手には決して弱みを見せない処世術、その片鱗だった。


「先生はこんな四畳半に引きこもってる場末の漫画家じゃないはずです! もし先生が

 そのおつもりなら私! スタジオとアシスタントチームを用意しますからそこで…」

ギロギロが好きすぎて、女性誌からコミック誌へ自ら異動を願い出たアミメキリン。

その編集者の熱い説得に…だが、漫画家は。

「…違うんだ。私はお金やちやほやされるために漫画をかいているわけじゃない。

 私の漫画は…みんなに見て、笑ってもらうため。…私はね、群れを離れて孤独なんだ」

「…漫画を読んでもらうことで、私はファンのみんなと一緒に居られる…気分になる。

 そりゃ群れもファンも、多いほうが嬉しいさ。でも私にはこれくらいが丁度いい…」

「先生…そんなお気持ちで…」 アミメキリンが、ぐっと喉をつまらせた。





3-3

「…ふふ。格好をつけたを言ったけど。実のところは」

そう言ったタイリクオオカミ先生が…青い空を切り取って映す、四畳半のガラス窓の

向こうに、付き合いの長いヒョウですらドキっとするような…遠い目を向けた。

「私は漫画が好きなんだ。好きな漫画で、あまり苦労はしたくない。それだけさ」

「…わかりました。でも先生。私、あきらめませんからね…」

「そのかわり。前に聞いたギロギロの描き下ろしピンナップ。あれはやらせてもらうよ」

「本当ですか! あわわ、さっそくページ確保します!」

歓喜する編集者の横で、打ち捨てられた座布団のようになっていたヒョウが、

(…ああ。やっと終わった。…先生、どこか食べに連れてってくれるとええんやけど)

空腹で目の前が暗くなってきた彼女がぼんやり、考えたとき。

「じゃあ先生! 少し早いですけどお肉食べに行きませんか? 車呼びます!」

「ははは。聞いたかい、ヒョウ君。たぶん西麻布で焼肉だよ」「!! マジっすか!」


降ってわいた幸運に喜ぶ無職のヒョウ。そんな彼女が世界を襲う「セルリアン大壊嘯」

の破滅に立ち向かい、フレンズそして人類の希望となるまで――あと569日……





4-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいをする彼女は、無職だった。

「…今日は。すえて固くなったまんじゅうを食べるのには良い日やねん…」

日本に在住するフレンズたちには、最低限の住と食が支給されている。

住は、ヒョウやほかのフレンズが暮らすこの無料の四畳半部屋であり。

食は、1日に2つ支給されるフレンズまんじゅう・サンドスター配合。であった。

そのまんじゅうを、ネットオークションでマニアに転売することで小銭を稼いでいた

賢いヒョウであったが…最近は、ほかの転売屋が現れていた。

こうして…落札されなかった数日前のまんじゅうしか食べるものがないヒョウは、

夕暮れ迫る空の下、下宿の庭で今日初めての食事を取ろうと…

「…ん? なんやねん、あいつ…」

あからさまな不審者が下宿の門の前に、いた。ヒョウが本能的にまんじゅうを隠すと、

「ここがあの女のハウスね!?」

…その不審者は、フレンズだった。犬系?らしき耳、グレーと茶色の髪、服。そして…

うさんくさいサングラスで目を隠していたそのフレンズ、その手が。

「…えっ? なんやねん?」 ヒョウの肩を、ガシリコと捕らえていた。





4-2

「ちょっと! あの女を出しなさいよ! 先生でもいいわ! さあ、早く出して!」

…アカン、こいつヤバイやっちゃ。

ドン引きするヒョウに、だがその不審者フレンズ。イタリアオオカミは…

「先生ー! タイリクオオカミ先生! いえ、お姉さま! ここにいるんでしょう!?」

「え…? あんた、先生の…なんなん?」

「わかっているのよ! こんなあばら家に先生を閉じ込めて…独占している泥棒ねこが

 いるってことは! あの女許せない! せんせー! 私です!」

…やばい。本能的にヒョウは危機を、その 女 が自分だと察する。

「先生の、お姉さまのアシスタントにふさわしいのは私なの! なのに泥棒ねこが!

 編集部を騙し、もとい頼んでここを教えてもらったんだから! 今日こそ… ウウ 」

その不審者オオカミの身体が、ぐらっと揺れ…倒れそうになったのをヒョウが支える。

「ちょっと? あんた!」

「…ううう、お腹が… 一昨日から何も食べてなくって… 目の前が、暗い…」

シャリバテかい! あとサングラス! ヒョウはハラの中で突っ込み、そして…ため息。

「しゃあないなあ。ホレ、このまんじゅう。食べや」「…え! ホント?」





4-3

不審者オオカミは、ヒョウの差し出したまんじゅうをガツガツとむさぼる。

「…ふうう、助かったわ。…この恩は忘れないわよ」「…いや、忘れてええよ」


自分の貴重な食料を差し出すヒョウ。愚かな行為のようにも見えるが、だがそれは。

崩壊後の世界で何よりも貴重な仲間を得るためのヒョウの乱世処世術、その萌芽であった。


「…で。あんた、先生のアシスタントに…なりに、きたん? 漫画家なの、あんた」

「ええ! そうよ!」「連載とか持ってるん?」「…代原と、読み切りが1回づつ…」

…ため息付いたヒョウは。だが…

ヒョウにとって、タイリクオオカミ先生の原稿の手伝いによる報酬と食事ははある意味、

生命線と言っても過言ではない。ヒョウはそれを守るため、悪鬼になる決心をする。

「そっかー。あんた、先生に憧れてるんやなあ」「そうよ! そのために漫画家に…!」

「そっかー。でも、あんた。せっかく自分で漫画かけるやん? だったら手伝い、

 アシスタントなんかじゃなく…自分の漫画でドでかいヒットをとばしたら、どや?

 そうすれば…あのタイリクオオカミ先生と、同格。肩を並べられるで?」





4-4

「私がお姉さまと同格…!? そんな…! あ、でも、でも!

 私がお姉さまより売れたら! 逆にお姉さまをアシスタントにして監禁して… ウヒ 」

…ヒョウは聞かなかったことにした。

「ありがとう野良猫のフレンズ! 私、何かが見えたわ! フフ、描くわよおお!

 まんじゅうの転売なんかで稼いでる場合じゃないわ!」

…転売ライバル、あんたかい! 世間の狭さを空っぽの胃袋で感じたヒョウは、

「そーそー。食べるモンは毎日、きっちり食ってな。転売なんてもってのほかやで」

「うん! 私やるわ! じゃあね! …えっと。その。帰りの電車賃、貸して…?」

……。ヒョウは結局、まんじゅうと、虎の子の500円をその日、失った。

空きっ腹を抱えたヒョウの背後で。いつの間にかそこにいたカメレオンが。

「…不思議なものでござるな。貧乏人は一人だと餓え死にする、でも寄り集まると

 なぜか死なないで生き延びる…これが縁というやつでござるな」「イヤな縁やねえ…」


どん底まで薄皮一枚。そんな境遇に身を任せるヒョウ。だが世界を「セルリアン大海嘯」

の崩壊が襲う乱世で、彼女が人類最後の希望、救世主となるまで――あと564日……





5-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

「…気づくと食欲の秋も終わりやね」

てろっとした秋の日差しの中、フレンズのヒョウは部屋を出。

そこは、いわゆるフレンズ下宿と呼ばれるフレンズ専用の無料寄宿施設…というと

格好はつくが、実際は風呂なしトイレ共同四畳半という、昭和が香る古アパートだ。

…そこから。ヒョウはあくびと共に外へ。

フロントポッケ付きの灰のスウェット、色のそろってないジャージにゴムサンダル、

といういつもの怠惰スタイル。手にはドーナッツの景品でもらった小皿を手にして

ヒョウは中庭に出る。皿には、ごはんの残りに猫缶をまぶしたものが乗っていた。

「…おーい。今日はごはんあるでー。早う来へんと、ほかの野良に取られてまうでー」

ゆるい声でヒョウが呼びかけると。最初に応えて下宿から出てきたのは、同じ下宿に

住むパンサーカメレオンの顔だった。

「…ヒョウ殿も、野良猫に餌付けをするのはいいのでござるが。まずその前にご自分の

 口を養ったほうがいいと拙者は思うでござるよ」

「…うるさいなー。ほっといてえや」 ヒョウは口をとがらせ、猫飯を地面に置く。





5-2

そこに…表の街路から現れた別のねこが、下宿の方を、ヒョウたちを覗き込んだ。

小柄な、もふもふしたねこのフレンズ。その姿にヒョウの目が少し大きくなる。

「あれえ。マヌルやんか。おひさしやなあ。そっち、景気はどうや」

「どうもこうも。…飼い猫は性に合わねえが、まあしかたねえや」

やれやれと応えたマヌルネコは、少し前まで彼女も住んでいた下宿を見上げ…懐かし

そうな目でその建物を見ながらパッパと耳のあたりを掻く。

「…ここは変わらねえな。ヒョウ、あんたもまだプー太郎かい」

「太郎は失礼やねえ、女の子やで。てか…あんたシノギで怪我したって聞いたけど?」

「ああ、ちっとドジってな… まあ、大したことねえ。来週からは仕事に復帰…」

世間話をしていた二人の足元に。

…のそり、ぬるりと。いつの間にか、小さな本物のネコが。白っぽい縞の野良猫が現れ、

ヒョウのジャージに身を擦り付けながら猫飯の皿に向かっていた。

「…ハハ、猫がねこ飼ってやがる。元気か、白いの」 マヌルの目が細くなって、笑う。

ヒョウは、猫飯をカッカと歯を鳴らして食べる猫を見、

「元気じゃなきゃうちが困るー。この子は万が一の非常食やからね」





5-3

――食うや食わずの無職の彼女が行う、施し。一見無意味に見える行動だが、それは

非常食を手懐けるためという、乱世の英雄としての冷酷な才覚、その萌芽であった。


時刻は昼過ぎ。それでも、もう夕暮れの匂いがしている秋の日差しの中。ぼんやりと

ネコ科フレンズの二人は本物のねこが食事をするのを見、そして…その野良猫が満足し

ころころろ地面で転がるまで、黙って見つめていた。

「おーよしよし。たくさん食って、まるっと太っておくんやで。なあ、バイブ」

「ブッ…! な…なな、何だよその名前…!?」 マヌルは耳まで真っ赤になっていた。

「何だよって。この子の名前やん。…これ拾ったときにな、ちょうど雨が降ってて。

 ずっとプルプル震えててなあ、そんとき一緒にいたジョフロイが付けたんやで」

可愛い名前やろ? と。何の曇りも汚れもない目でヒョウが笑うと――

「…あいつ…!」 マヌルは拳を握りしめ、何処かへと超速で走って…消えた。


自ら選んだ、底辺の無職を満喫しつつ生きるヒョウ。だが世界を「セルリアン大壊嘯」

の崩壊が襲う乱世で、彼女が人類を絶望から救う豹頭姫となるまで――あと549日……





6-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

「…うー。さぶい。早よやってしまお、今日は労働日和やねん」

東京の片隅、彼女たちフレンズが暮らすそのアパート。通称、フレンズ下宿の中庭に

現れたヒョウは、いつものスウェットとジャージ姿。

手には廃品回収の手伝いでもらった軍手をし、髪とけも耳にはタオルを巻いて…

そのヒョウが満足げな目で見る、中庭のそこは。

去年までは花壇だったが、手入れをするサイたちのフレンズが下宿を出たため、荒れて

草ぼうぼうになっていたそこを、ヒョウが汗水たらして整地し、畑にした場所だ。

その畑の南側、数本の畝が伸びるそこには、寒さでしおれた何かの茶色い草。

ヒョウは、下宿の備品のスコップをざっくり、そこにつきたて、掘り起こす。

「……。うほっ、できてるやん! やっぱ、うちはフレンズいちデキル少女やねん」

その砂混じりの土の中からは…クリーム色をした大小のジャガイモがと掘り出され、

ヒョウの目を輝かせていた。

収穫と勤労の喜びにひたる彼女、その背後から。

「…何事かと思えば。芋でござるか」 いつの間にかカメレオンがのぞき込んでいた。





6-2

「そうや。梅雨前に植えといたのが、やっと収穫やねん。いやあ、たいへんやったわあ」

「…わざわざ、種芋を買って植えたのでござるか?」

ちゃうねん。得意げに答えたヒョウは… 数ヶ月前のこと。

タイリクオオカミ先生の部屋でカレーを作った時。ジャガイモの芽のところを厚めに

むいた皮を、賢いヒョウは大事に保管し、種芋代わりに畑に植えておいたのだ。

ジャガイモの皮は彼女の期待に応えて芽を出し、水やり、草むしり、盛り土などの

ヒョウの手厚い世話もあって見事、こうして豊穣と収穫の日を向かえていた。


――たとえ塵埃であろうとも無駄にはしない。それをこうして形にするヒョウの知恵と

献身。これは乱世で勝ち残る彼女の帝王学、そのほんの一角が現れているに過ぎない。


「つねづね思うのでござるが。この畑にかけた手間と時間でアルバイトでもすれば、

 ジャガイモなど抱えきれないほど買えると。拙者はそう思うんでござるよ」

「…ちゃうねん。そういうのじゃないねん。…バイトとかは、ちょっと違うんや」

ヒョウはぶつぶつ反論しながら、畝を掘りかえしジャガイモの収穫を続ける。





6-3

そして。掘り起こされ、晩秋の日差しで乾かされたジャガイモは。

小粒な芋が多いのは肥料が足りないせいか、それでもバケツに三杯ほどの収穫は

ヒョウを十分に満足させ、そして…夕方。

「…失礼しまーす、先生! じゃがいも! 新じゃが、採れたんですよ。いかがです?」

同じ下宿に住む漫画家のフレンズ、タイリクオオカミ先生の四畳半部屋へ意気揚々と

ヒョウは上がり込んでいた。

ネームに手間取っていた先生の疲れた顔は、ヒョウを見て。

「へえ。庭で何かやっているなあと思ったら。すごいね、ちゃんと出来るものなんだ」

よどんでいたオオカミの顔が、ままごとじみた陽気さで持ち込まれた芋の山を見て

ほっこり緩み、いつもの涼しげなやさしい笑みを浮かべる。

「せんせー、また朝から何も食べてないん? じゃあじゃあ、このお芋、食べましょ?」

「ああ、それは助かるな。どれ、私も少し休憩して…アミメくんには内緒だよ」

「モチですねん。ええと、バターとかないんでただのふかし芋やけど…」

先生の部屋には、小さいがキッチンがある。その洗い場でジャガイモを洗い出した

ヒョウの後ろ姿を、にっこり、見るともなく見ていたオオカミは、ふと。





6-4

「……。ああ、思い出した。早めのお歳暮をもらって、たしかここに…」

押し入れのふすまを開け、ゴソゴソしていた先生が。

そこから、デパートの熨斗紙に包まれたいくつもの箱を引っ張り出す。

バリバリと容赦なくその包みを先生が破り、箱を開くと…

それを見ていたヒョウの目が、顔が。マンガで簡単に描いたネコのようになって輝いた。

最初の箱は…チーズとバター、オイルの詰め合わせだった。

「お。おっおおお!? すげ、いや、すごいですやん先生! これ、みんな?」

「ああ。それは書店からの、こっちは仕事仲間…編集からもらったやつは、これかな」

バターとチーズ、油! 目の前のジャガイモが、がぜん、ご馳走としてのステージに

駆け上がる! キラキラのヒョウの前に、だが現実はさらに山盛りで。

「あったあった、このハムはトラからだ。海外の高級品らしいが、まあ。食べようか」

真空パックに包まれた、骨付きのいわゆる本物のハム、豚のもも肉の塩漬け。

他にも、アミメが送ってくれた高そうなワイン。

ほかにもデパートのお菓子の箱、ボディソープ、タオル…次から次へと。

「…すごいですやん! そっか、先生。売れっ子ですもんねえ」





6-5

「おだてても箱はこれで最後。…ギロギロやってた頃はこんなもんじゃなかったけどね」

最後は、缶ビールの2ダース箱、そして缶ジュースの詰め合わせ。

「…こんだけあれば、今月、いやひと冬…」

ホクホクが一周りして、後ろ暗いような顔になっているヒョウ。

その彼女に先生はハハハ、と小さいが愉快そうに笑って、

「それじゃあ、料理をお願いできるかな。それと…私たちだけじゃあ、さびしいね。

 下宿のみんなも呼んで、今夜は…じゃがいもパーティーと洒落込もうか」

まかせとき! パッと立ち上がったヒョウは、洗い場の金ダライを手に廊下へ。

 ガンガンガン 「おーい! はらぺこども、食器とハシ持って先生の部屋に集合やー!」

ヒョウのときの声に、下宿で空腹と無聊をかこつていたフレンズたちがぞろぞろと。

…10分もしないうちに、オオカミの部屋ではフレンズたちの宴会が始まり、

つぎの10分で宴はたけなわに、次の10分でどんちゃん騒ぎになっていた…


貧しくても、その中に喜びを見出し生きるヒョウ。だが世界を「セルリアン大壊嘯」の

崩壊が襲う絶望の乱世で、彼女が人類を導き世界を救うその日まで――あと542日……





7-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

「…もうすっかり冬やねえ。南国生まれには酷な季節や…」

ヒョウは、彼女の部屋。四畳半の割にはがらんとして見えるその部屋の中で、すすけた

窓ガラスの外の冬空を見上げる。

…寒い。鉛色の空からは、今にも雪でも落ちてきそうな暗さ、冷たさだった。

…はら減ったなあ。もう昼は過ぎていたが、ヒョウは今日、水以外口にしていない。

「…先生は今ごろ、パークのカコ博士のところやなあ。…何の用事なんやろ」

ヒョウがアシスタントをしている漫画家フレンズ、タイリクオオカミは、パークの

施設から呼び出しがあって泊まりで出かけていた…戻りは来週だと、いう。

…むごいやん。これがわかっていたら、毎日支給されるフレンズまんじゅうをネットの

オークションで転売などしなかったのに。

ヒョウはむなしい後悔をしつつ、貴重な食料をおさめた段ボール箱を、見る。

「白菜が半分、玉ねぎいっこ。小麦粉少し。…うちはフレンズいち、不幸な少女やねん」

暖房抜きの四畳半で、晩秋の寒さで苦手地形デバフをくらいながら。

ヒョウはアルマイトの鍋をごそごそ、取り出す。





7-2

白菜四半分と玉ねぎ半分を煮て…小麦粉でとろみを付けて…

あとは、気前のいい誰かがお味噌か醤油を炊事場に置きっぱなしにしてくれていると

嬉しいんやけど…ヒョウは鍋に野菜をいれ、もっそり立ち上がる。

彼女の部屋にはガスコンロはない。ヒョウは部屋を出、下宿にある共同炊事場へ…

廊下に出て、スウェットの前ポッケを片手で盲牌し10円玉の枚数を確かめたヒョウ。

共同炊事場は、水は無料だがガスは10円で10分間だけ使える無慈悲な機械がある。

…水を少なめにして10分でケリをつけてやるねん、ヒョウがうなずいたとき。

ん? とヒョウのけも耳、顔が。廊下をしなやかに進んでくる足音に気づいて動き、

そちらを向いた。そこには…

「ひさしぶりだね、ヒョウ。元気にしてた?」

ハーフコートを着たフレンズ、この寒いのに夏のヒマワリのような明るい髪と、

きらっとほほ笑むヒスイの色した瞳… 段ボール箱を抱えた、ジャガーだった。

「なんや。誰かと思うたらジャガーやん。そっち、景気はどないや」

「ぼちぼちでんな、だっけ? あはは、元気そうね。ここも…変わらないなあ」

以前、この下宿の住人だったジャガーが笑みに目を細めた。





7-3

懐かしい友人の来訪に、ヒョウはぴょこ、と小指を立てて…味のある笑みを浮かべる。

「それで、今日はどないしたん。ジャガー、あんた。たしか、コレが出来てえ…

 もちっといい部屋に引っ越したやん。まさか、もう男にフラれてしもたん?」

「もうっ、違うってば。そんなんじゃなくって… 今日はねぇ」

少し怒ったような、照れたような顔になったジャガーは。

持っていたダンボール箱の中身をヒョウに見せる。

「うほっ。なんやなんや、ご馳走詰め込んで、またまたぁ」

ヒョウの目がキラッと大きくなる。箱の中には、冬野菜と白ネギの束、血の滴るような

あばら肉のブロック。湯通しされた鶏ガラもごろごろとビニール袋に詰め込まれていた。

「ふふ。その様子だと…食べるもの、相変わらずでしょ? よかったらこれ使って」

一瞬、しなやかな尻尾をピンと立てて喜んだヒョウ、だったが…

その目が、じとっとジャガーに向いた。

「…ちょい。ちょい待ちや。いきなり来たと思ったら、どういう風の吹き回しやねん?

 タダほど高いものは無い、っちゅうしな。なんぞハラでもあるんか?」

「あはっ。バレちゃったか」 ジャガーが笑い、やさしく目を細めた。





7-4

――たとえ相手が旧知であろうと警戒は怠らない。飢えていようとも目の前の肉より

罠を警戒する。それは乱世の覇王となるヒョウ、彼女の天性ともいえる才覚だった。


ジト目の友人に、ジャガーはずいと箱を押し付けて。

「今夜からね、三日くらいかな…私、お台場のパーク振興会の本部に行くの。

 だからそのあいだお店が出来ないから。傷んじゃいそうな食材を持ってきたのよ」

「ジャガー、あんたがパーク本部に? アンタなんぞ悪いこと… …あっ」

そこまで言って。ヒョウは、この下宿のオオカミ先生も同じ日程でパーク本部へ行って

いたのを思い出し…不安げになったその顔と目を、箱の中と、友人に向ける。

「ちょっと…どういうことや? 先生といいアンタといい…」

「……。ごめん、別に隠すようなことじゃあないんだけど…」

箱をヒョウに預けたジャガーは。そのへんのヒトのオスが見たら間違いなくドキッと

する仕草で胸の前で腕を組み、片手の指で唇のあたりを撫で…言った。

「パーク、っていうかカコさんたちがね。政府とか警察の要望で…パークの島から

 新しいフレンズの子を連れてこい、って言われてるみたいなの」





7-5

「新しいフレンズ? また無職仲間が増え… って、そういうこっちゃ無さそうやね」

「…たぶん。ヒトは、セルリアンと戦えるフレンズを増やしたいんだと思う。

 カコさんたちは最初反対したみたいだけど、でも…仕方ないよね」

…なるほど。ヒョウはうなずいて貴重な箱を洗い場の上に置いた。

「それでね。在留フレンズからも意見を聞きたいってことで、私やほかの子たちが

 本部に呼ばれているの。…将来の戦力としての、可能性があるフレンズを。って」

――元の生態系でいうところの、食物連鎖の頂点にいたフレンズたちだ。

「あんたも大変やなあ。…あれっ。なんで、うちシカトされてんやろ?」

「サバンナの代表は、ライオンの誰かが来るからじゃないかな?」

…あーなーる。ヒョウの顔に再びうま味のある笑みが戻る。

「で? 冷蔵庫に入れときゃいいブツをうちにくれる。そのワケをハナシてみ?」

「うん。実はそっちのほうが大事な話」

ジャガーはチラと手首を返してチプカシの時間を見、

「…ねえ、ヒョウ。あなた… クリスマス。何か予定って、入ってたりする?」

「何かと思えば。酷なコトを言うオンナやでえ。んなもん、見ればわかろうもん」





7-6

「あはっ。…ごめん。実はね、来月のクリスマス、ちょうど週末なんだけど…

 私がいつも屋台を出している駅裏の通りがあるでしょう? その通りを貸し切りに

 して、イブに屋外パーティっていうか、がーでんをやることが決まったの」

「いいやん、いいやん」

「うん、そのがーでんね、主催がパーク振興会ってことになってるから。イブの夜は

 そこでね、フレンズは無料、一般のヒトは食費制で懇親会みたいにするんだって」

「…ハナシが見えたわ。うちにタダ飯食わせてくれるわけじゃないんやろ」

「そうなの。ねえ、ヒョウ。お願い、イブの夜…そのフェスの料理番、手伝って!」

ジャガーはねこ手になっていた手を合わせて、おがみこむ。

「白黒鶏飯のバクや、警備二課の子たちも来てくれるんだけど… ヒョウ、あなたが

 来てくれると心強いんだ。あなた、手際が良いし作るもの美味しいし」

「褒めても腹の虫しか鳴らんで。…まあ、どうせ予定も何もないし… ええよ。やる」

「…ほんと ?ありがとヒョウ!」

ジャガーがぴょんと跳んでヒョウの手を取った。

「助かるわ、ほんと。じゃあ、細かな予定とかは来週にでも…もちろんお給金出るわよ」





7-7

「そういうことは最初に言わなあかん。テンション上がってきたで」

二人のねこ科フレンズは手を取って、尻尾を立てて笑う。

「どうせそこ、ジャガー、あんたのコレも来るんやろ。いっぺん、顔拝んどこ」

「うん、あのひとは飲み物を手伝ってくれる予定だけど… なによー」

「あのひと、とキタでえ。すっかり雌の顔しおってからに」

「そんなことないよ、もー。…あっ、そういえばね… どうしよ、言っちゃおうかな。

 あのね…その夜、カコさんも来るんだけど… カコさん、彼氏連れてくるかもって!」

「えええ~? あのヒトがオトコ~? うそやん、うそやん…

 あんな、おぼこを煮詰めた汁を売ってタツキにしとるようなひとが、男?」

「うわさだけどね。…でも、見たいでしょ。ヒョウも? カコさんの彼氏」

「ヒグマは巨乳け? あたぼうや。しっかし…ナナちゃんもミライさんもまだやのに…」

イブの話題で笑いさざめくフレンズたちは、ヒトの少女と何も変わらなかった。


友と支え合い、沙漠のような都会を生きるヒョウ。だが世界を「セルリアン大壊嘯」の

崩壊が包む世界の闇を、彼女が勇気と牙で切り裂くその日まで――あと535日……





8-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

「…先週はマズったねん。まさか週末までジャガーの差し入れがもたんとは…」

ヒョウは下宿の四畳半を出て、いつものスウェットの上に綿入れを着て下宿の庭に出る。

冬の西陽でも、日が当たっていた庭のほうが部屋より温かい。

…先週、ヒョウをフレンズ友のジャガーが訪ねてきていた。

そのときクリスマスイブに開かれるパーティーの料理手伝いに雇われたヒョウは、

おみやげに食材を一箱、ジャガーからもらっていたが…飢えていた彼女は、うっかり

下宿の共同炊事場で肉に火を入れてしまった… うかつ、だった。

最初の10円玉で10分のガスが終わる前に、他の部屋で無聊をかこつていた他のフレンズ

たちがぞろぞろと集まってきて…頼まれたりすると嫌とは言えない性格のヒョウは、

差し入れの大半を無職仲間に食われてしまっていた。

「…貧乏人は一人だと飢え死にするけど、集まってると不思議と死なない。本当やね…」

ヒョウは、カメレオンから言われた言葉を思い出し…

無料の、ささやかな温かみの日差しの中。ため息ひとつ。

そこに。…そうっと歩く、足音が。





8-2

「…おはよう。おねいちゃん… そんな格好で外に出て、寒くないんか?」

ひっそり歩く足音と、ためらいがちに口を開いているようなその声に。ヒョウは、

「なんや。クロちゃんやないの。…おはよ」

下宿を訪れたフレンズ、彼女の妹のクロヒョウに手をひらひらさせながら立ち上がる。

「ほんま、毎日寒くてやんなるねん。そっち、景気はどうやクロちゃん」

クロヒョウは…黒いダウンのコートを着、頭をすっぽり包む黒いニット帽をかぶって

ブーツをはいているせいで、ぱっと見、フレンズには見えない。

内気そうな、ある意味童貞を殺す外見の美少女、クロヒョウは。

「…これ。先週のぶんの、フレンズまんじゅう売れた、おかね」

持っていたポシェットから、小銭と数枚の千円札が入った茶封筒を取り出して姉の

ヒョウに手渡す。ヒョウは、それをねこ手で拝んでから受け取って、ポケットへ。

「助かるわあ、クロちゃん。はあ、持つべきものはできのいい妹やねえ」

「中に、明細入ってるねん。…昔ほど自演で、値段、吊り上げられなくてごめん…」

ええねん。ヒョウはにっこり笑って妹の頬をねこ手で何度もさする。

クロヒョウは目を細くして小首をかしげた。





8-3

在留フレンズに、一日あたり二つ支給される丸型配合飼料サンドスター入り、通称、

フレンズまんじゅうをネットでオークション転売することで糊口をしのぐヒョウ。

…だが。パソコンもネット環境も、口座も持っていないヒョウは、その転売を、

自立自活している妹のクロヒョウに丸投げして…妹の世話になって、いた。

「…昔はひとつ、千円くらいでイケたんやけどなあ。最近、世知辛いわ」

「しゃあない。いつもありがとなあ。クロちゃん、上がってあったかい白湯でも…」

「ありがと。…それより、おねいちゃん。ちょい聞きたいんやけど」

なんや? 笑った姉の前で、クロヒョウは少しためらった様子で…

ポシェットからスマフォを取り出し、カレンダーらしきものを映した妹は。

「…おねいちゃん、クリスマス…イブ、って。予定入ってない、やろ?」

「な。なな… し、し。シッケイな子やなあ。なんでハナから予定無い前提やねん!」

うろたえたヒョウだったが。

すぐに、彼女は自分の予定を思い出し、綿入れの下で胸を張る。

「ふ。フフ。今年は姉ちゃん、クリスマスイブには予定、入ってるねん」

「え…? おねいちゃん。…悪いオトコにダマされて…」





8-4

「なんでやねん。ちゃうわ、姉ちゃんイブにはジャガーのことのパーティーで――」

「ああ。料理のお手伝い、おさんどんしに行くんやね。なら、安心や」

…事実ではあったが、姉の色恋沙汰だとはカケラも思わずコロコロ笑う妹の前で。

…ムカッとするけど何も言えへん、という顔のヒョウ。

「そっか、おねいちゃんイブは駄目かあ。うちだけでやる企画、考えなあかんな」

クロヒョウはスマフォの画面で何やらを確認しつつ…ちら、と姉の方を見る。

「なん、や? あ、まさかクロちゃん…」

「うん。またおねいちゃんに、うちの生放送出てもらおと思ったんやけど…そっかー」

「え、ええー? うち、ああいうのちょっと苦手や…」

ヒョウの妹、クロヒョウ。

無産の姉とは違い、マンションで一人暮らしする彼女には別の顔があった。

クロヒョウは姉と違い引っ込み思案で内気な性格、日本に来てからも人付き合いに難が

あり仕事が見つからずにいた、が…ネット社会は、彼女にとっては天性の狩場だった。

“フレンズコスプレ大好きな女の子”としてネットアイドルデビューした彼女は、

電子書籍の写真集やCDの販売、ゲーム実況や生放送などで荒稼ぎをして…いた。





8-5

「でも、リスナーさんのコメントとか見ると。おねいちゃんが出演したときに

 ファンになったヒトも多いんやで? そや、おねいちゃんもうちみたいデビュー…」

「それはかんにんや… ネット?だかでつらも見えへんヒトと話すとか、無理や…」

「じゃあじゃあ。えっとね、来週…週末、うち、またゲーム実況の生放送やるから。

 そんとき部屋に来て。21時から始めるから、なる早で」

「ええ… うち、ゲーム下手やし、うまく喋れへんし…」

「それがええ、ってオトコがぎょうさんおるから平気やよー」

――今、人気急上昇中の生主「クロちゃん」。

彼女が姉とコンビを組んだゲーム実況は「姉者妹者 ~流石姉妹」というチャンネルで

再生数をめきめき伸ばし、広告収入もヒョウが見たら卒倒するレベルで動いていた。

「おねがい、おねいちゃん! リスナーさんも姉者再登場を楽しみにしてはるし、

 それに…うち、今度こそランキングで裏PPPに勝ちたいねん…!」

――PPP いわゆるペパプ、ペンギンのフレンズたちからなるアイドルグループ。

だが…彼女たちは現状、海上保安庁に全員が抱え込まれてアイドル活動が休止状態に

あった。その裏で…





8-6

“ペンギンフレンズのコスプレイヤー”という名目でネットデビューした裏PPP。

水棲フレンズが喉から手が出るほど欲しい海上自衛隊や海運大手からの捜索から、

コスプレという名目で逃れている彼女たちは、謎の黒幕らしき力に守られつつ日々、

メタルバンド系ネットアイドルとして活躍していた。

「あんな毒殺テロリストのカバーしとるような連中に、うち負けたくないんや…」

「…姉ちゃん、ロックとかようわからんけど… しゃあないなあ、来週金曜やな?」

「おおきに、おねいちゃん! あ、もちろん時給出るから」


――それは先に言わなあかん。たとえ唯一の肉親相手であろうとも取るものは、取る。

その非情も、後に世界を襲う乱世の中でヒョウを覇者とさせる才覚、その一つだった。


「それじゃおねいちゃん、また来週~」 クロヒョウは満面の笑みで、手をふった…


妹とともに、奔流のような都会を生きるヒョウ。だが世界を「セルリアン大壊嘯」の

崩壊が襲う絶望の乱世で、彼女が人々を救い導くその日まで――あと528日……





9-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

(…はら減ったねん。この仕事終わったら、ラーメン作って先生と食べよ…)

東京の片隅、フレンズたちが暮らすその古アパート“フレンズ下宿”。

その一室、ガラス窓から冬の午後の日差しがしっとり差し込む四畳半は、ここの住人、

漫画家のタイリクオオカミ先生の部屋。そして仕事部屋だった。

同じ下宿住まいのヒョウは日々、先生の原稿を手伝い、日銭を頂戴して糊口をしのぎ…

…そして。その四畳半には。

年末進行も終わり、のんびり来年3月号のカラー扉に筆を入れている先生。

原稿に消しゴムをかけているヒョウ。…その背後。

「…すみません、先生。今日はアミメちゃんが別件の会議で席を外せなくって」

背の高い編集、派手めの美人が鈴の転がるような声で言い、笑う。

フレンズの彼女は、キリン三姉妹の一人、ロスチャイルドキリン。女性誌の編集、

コスメ業界の広報としても活躍している有名フレンズだった。

「その原稿ですけど。週末でも大丈夫ですよ、そのときはアミメちゃんが、またー」

ハデめキリンが、手首を傾げてブルガリの時計など見ながら。また笑う。





9-2

(…だったら週末に来ればええやん。…つか、こいつ話長っ尻もデカ…もとい、長っ)

ヒョウは、空腹が続きすぎて虫も泣かなくなった腹の奥でブツブツ独りごち、それでも

黙々と手を動かし原稿に消しゴムかけ…それが終わると、ベタの支度に取り掛かる。

先に寡黙な作業を終わらせたタイリクオオカミ先生が。

「…よし。あと1時間くらいでカラー原稿は乾くけど。先にそれだけ入稿するかい」

「うわあ、ありがとうございます! うふふ、アミメちゃんにおみやげが出来ました」

…うわあ。あと1時間、こいつ居座るの確定かい。

ヒョウは自分の不運を嘆き…渇いてきた口で小さくため息。

オオカミ先生は、原稿をするときは周囲に食べ物、飲み物は一切置かない。

それにならっているヒョウは、注意深くインクと筆をセットし、原稿を作業机に…

先生とヒョウが黙々と手を動かす、そこに。

「…あの。先生、ちょっとお話いいですか? いえ、お仕事じゃないんですけど」

「かまわないよ。ヒョウ君も、少し休憩してからにしよう」

…ありがたい。ヒョウがこわばった尻を動かし、しっぽをほぐすと。

彼女たちの前で、ロスチャイルドキリンが謎の笑みを浮かべた。





9-3

持ち込んだ、原稿用のトートバッグを開いたキリンは先生に、

「先生。前にお話した、弊社のクリスマスパーティーのお話なんですけど…」

「…ああ。そのことかい。すまない、まだ予定は決めていないんだ」

「でしたらぜひ! ほかの先生方もいらっしゃいますし、芸能人や有名フレンズも…」

「…困ったな。私はあんまりにぎやかなのは苦手でね」

(…先生はヘンなところでヒトがええからなー。ズバッと断わりゃええのに…)

ウスズミ用の墨汁を磨りながらヒョウはまた、腹の中で。

…先生、うちに気ぃ使わんでええのに。

ヒョウは先日、先生に来週のクリスマスに手伝いの予定が入ったコトを伝えたさい、

『…そうか。君をつれて出版のパーティーに行こうかと思ってたんだが。いや、いいさ』

…と言っていた。先生に、悪いことしてもうたかな。ヒョウが少し後悔した、そこに。

「…いろいろと余興やゲームもありますから~。もちろん、豪華景品つきですよ?」

自信たっぷりの笑みを見せたキリンは、

「実は今日、そのひとつを丸の内のティファニーから預かってきてるんですよ」

トートバッグから赤いシルクに包まれた何かの箱を取り出し、その包みをほどいた。





9-4

「私が提案した余興なんですけど…これ! ヴィンテージ・ティファニーですよ!」

キリンがうやうやしい手付きで持つ、ガラスケース付きの木箱の中には…ビロードの

ベッドに、蛍光灯の光を吸ってきらめく銀と、ジュエリーの輝きがあった。

「…ほう。高価な…時代物のようだね」

「ええ! 19世紀のブルーブックにのっている本物のヴィンテージ・リングなんです。

 あっ、これが景品じゃあなくって。景品は、今年のティファニーリングで…」

「その箱には、同じダイヤのリングが6つ、入っているが…まさか?」

「そうです! 6個のうち、5個はイミテーション。ひとつが本物のヴィンテージ。

 パーティのゲームでですね、みなさんにこの6つを見てもらって。

 この中にある、本物を当てる!っていうゲームなんです! どうです、先生」

「それはまた豪華だね。さすが、キリン三姉妹だ」

先生は、わざと驚いたふりをして笑う。

それが分かったヒョウも、付き合いでそれを見…顔がふうん、と。

「…うちには、夜店の輪投げの景品に見えますわ。あはは」「ハハハ、こやつめ」

オオカミと、ヒョウが笑うと。…キリンが、少し棘のある目でヒョウを見た。





9-5

「……。あなた、先生のアシスタントをしているのなら――もう少し、見る目、って

 いうものを身に着けたほうがよろしくてよ。…無理言っちゃったらごめんなさい」

なんやて。ヒョウが無言で、ピクリと片眉を動かす。そこに、

「まあ、まあ。実のところ、私も…どれが本物か、なんてさっぱりわからないよ」

先生が割って入る。ヒョウは耳をシュン、とさせる。…が。

キリンのほうは、そのヒョウの気配を誤解して…いた。草食的な誤解をしていた。

「またまた先生、ご謙遜を。…あっそうだ。先生、そういえばアミメちゃんのところに

 将来有望な新人フレンズの子が入ったんです。よかったらその子をアシスタントに!」

「いや、私にはもう手伝いのヒョウ君がいるから…新人には…」

「その子、イヌフレンズなんです。きっと先生とも、もっと気が合うはずですし」

…あかん、ケンカ。売られてしもうたな。

ヒョウは、目の前のキリンが悪意というより、もっと子供っぽい無邪気さで攻撃して

来ているのに気づき…ちら、と先生のほうを見る。…先生は、小さくため息。

…よっしゃ。かるくヘコましたろ。

ヒョウは座布団から尻を上げ、キリンの方に向き直った。





9-6

「…? なによ」 動いたヒョウに、キリンの長いまつげが険しく動く。

「なに、て。先生の、手伝いや。…あんた、さっき。うちに見る目がない、とか。

 ちょいオモロイこと、言うてくれたな。それを訂正させたろ、思うてなあ」

「は…? 何言ってるの。ヴィンテージ・ティファニーをつかまえて、夜店の玩具とか

 言ったのはアナタでしょ? …ふん、じゃあ。なにかしら?

 あなた、この中のどれが本物か…見分けがつく、当てられるっていうのかしら?」

…オーパ。釣れたでえ。ヒョウは腹の奥で舌なめずりし、

「見分け、っちゅうかな。目利き、っつーのは目だけじゃアカンねん。

 特に時代物はな…実際に手にとって、触って…時間と手沢を感じるのがキモや」

「ふうん。じゃあ…あなた、このケースからリングを出して、触ったら。

 本物がわかるっていうのね? 面白いじゃない。やってみせてよ…!?」

さすがに先生が、割って入ろうという顔をしたが…ヒョウはウィンクでそれを止める。

「ああ、やろか。…で、景品はなんや?」

「…! いいわ、もし一発で当てられたら…景品のリングを、あげる。そのかわり…」

「わかっとる」 ヒョウは笑い、





9-7

「うちが外したら。…うちは今日限りで先生のてつだいを、やめる。

 そうしたらあんたら、もっと先生を口説きやすくなるでえ? それで、どや」

「…いいわ。のってあげる。あとで泣き入れても聞かないわよ?」

「冗談はよしざきおにーさん。…ああ、うちが当てたら。リングなんぞ、いらへん。

 そのかわり…あんたの財布で宅配ピザ10枚とコーラ、ビール。頼んでもらうで」

…安く見られたものね!ロスチャイルドキリンは、木箱のガラス蓋を開いた。

「文化財レベルのヴィンテージよ。借り物なんだから、丁寧にね?」

「わかっとる」「…いいのかい、ヒョウ君?」「まかせてちょんまげ、っと」

ヒョウは、ポテチでもつまむように並ぶリングに指を伸ばし…端のひとつを、つまむ。

「…うほっ。これがダイヤ、っちゅうやつか」

「…本物のひとつ、はね。あとはジルコニアの偽物… あっ…!?」

ヒョウは、手にしたリングを手の中で転がし…ぽい、と軽く宙に投げ。それをつかみ。

「ちょっとお!? 丁寧にあつかってって…!」

「すまんすまん。じゃあ、つぎ… ホイつぎ、っと」

ヒョウは、二つめ、三つめの指輪も同じように手のひらで転がし…そして。





9-8

6つの指輪、全てを手にして、そしてケースに戻したヒョウは。

じりじりした顔のキリン、そして興味津々の顔になっているオオカミ先生の前で。

「――これや」「……!?」

並んでいるリングのひとつを、ヒョウの指がためらいなく、びしっとさした…


その夜。カラー原稿を預かったロスチャイルドキリンが下宿を出るのとほぼ同時に、

同じ町内にある宅配ピザのスクーターが下宿の庭先に到着していた。

それから10分経たないうちに…タイリクオオカミ先生の部屋は、下宿で無聊をかこち

空腹と寒さを友にしていたフレンズたちが集まって…その5分後には、廊下にまで

フレンズたちがあふれ、ピザパーティーの宴会が始まっていた。

「あれ? 先生、もう食べへんのです?」

「ああ。もうお腹いっぱいだよ。…フフフ、気の早いクリスマスみたいだ」

ヒョウは久々のカロリー満タンの食事とビール、そして勝利で浮かれていた。

そしてオオカミ先生は、缶ビールを手に…部屋で笑い、騒ぎ、がっつき飲み、そして

楽しんでいるフレンズたちにやさしい、静かな笑みを向けて…いた。





9-9

缶ビールを傾けた先生は、勝利の酒に頬を赤らめていたヒョウに、釘を刺す。

「――さっきのは。ヒョウ君、君が悪いからね。今度、ロスくんに謝るように」

「…すんません。つい、そのー。…わかりました」

「それと。そろそろさっきの、種明かししてくれないか? 確率は6分の1だが、

 あれは  勘。 じゃあないだろ? あのときヒョウ君は確信があった。

 どうやって本物がわかったんだい? それとも君にはそういう才能があったとか」

「ああ、あれですか。…あのキリンには黙っといてくださいよ?」

ヒョウはぼりぼり髪をかきながら。少し気恥ずかしそうに言った。

「あのキリン、デキルオンナスタイルやけど。オイチョカブは絶対下手ですわ。

 うち、指輪放り投げたときあいつの目、見といて…本物をつまんだだけであいつ、

 目の奥がギクゥってなってましたもん。そんな、しょうもないネタですわ」

「……。ハハハ、君は意外と…覇王のような大物…なのかもしれないね」


賭けるも失うも身一つ。渡世を一人生きるヒョウ。だが世界を「セルリアン大壊嘯」の

崩壊が襲う乱世で、彼女が絶望からヒトと世界を救うその日まで――あと535日……





10-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だった…が。今夜ばかりは、状況が違った。

「…うちはフレンズいち、忙しい少女やねん」


東京の片隅、とある駅の裏通り。夕刻の都会は薄闇と寒風に包まれて、なお。ざわつく。

――この裏通りを車両通行止めにし、貸し切りで行われる「フレンズがーでん」。

夕方5時の開場を前に、周囲には人々の行列、業者、警備誘導のスタッフの姿が

真っ黒な人だかりとなって通りの十字路に溜まり、そして別の路地に伸びていた。

本日のイベント会場「がーでん通り」には、すべての準備が整っていた。

会場を待つその路地。屋台や様々の売り子たち、簡易ステージ。そして…

「…えー。フレンズのミナ=サン、会場まであと15分です。準備はOK?おk?」

警備を担当する、警視庁警備二課。SAFTのハンター、矢張がハンドスピーカーで声を

かけると…屋台やステージでスタンバイしているフレンズたちが手をふった。

「…長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。お客様、間もなく会場です。

 …会場では、決して走らないよう…入り口ほか、数カ所でトークンへの交換を…」





10-2

同じく二課のハンター、伊達が行列の人々へと何度も繰り返した注意事項を

スピーカーで繰り返し、そして…その行列にかなりの数が混じっている、最初は

取材権限とやらで強引に会場に入ろうとしていたマスコミ、カメラマンたちを

元交機の伊達が違反車両を停車させたときと同じ目で見た、そこに。

「おう、おつかれ。伊達、会場の整理にもう少し人数、回そうか?」

少し焦りのにじむ声で言った矢張に、伊達がスピーカーのスイッチを切り、

「大丈夫です、これくらいなら。昔の、準備会の仲間たちに無理言って来てもらって

 ますんで。彼ら現役ですし、一週間後にはこんなもんじゃない実戦ですから」

「おk。マスコミの連中にも気をつけろ。今回は入れ替えなしだ、混雑するぞ」

矢張と伊達が話すそこに、もう一人、肩にちょこんとフレンズのジョフロイネコを

のせた双葉が声をかけ、消防、企業との連携も問題ないことを報告する。

「おkおけ。…あと10分だ」

矢張は時計を見、雨や雪の心配はしなくて良さそうな星空を、見…

「しっかし。えらい騒ぎになっちまったなあ。最初は身内の宴会だったのに…」

禁煙の会場で、矢張はヤニ恋しい口でつぶやいた。





10-3

…最初は、警備二課と、ジャパリパーク振興会の顔見知りとの宴会、屋外飲み会の

予定だった。ハンターとフレンズ、パークのスタッフだけのイブ。

…だが。念のため道路専有許可を取ったあたりから、雲行きが変わった。

警備二課の参事官の一人が逮捕され、ニュースになっていた警視庁警備部は、

セルリアンハンターである二課のイメージ向上のため、そのパーティーを

「フレンズがーでん」なるイベントにする、と強引に決定してしまった。

クリスマスまで10日ほどなのに、特設サイトが作られ広報が始まり…

そのイベントに、西之島迎撃戦で二課に借りのある航空自衛隊が協賛、つづいて

陸自も、そして…対アメフラシ討伐で二課と因縁のある海上自衛隊も――

「…あっちも、そろそろ始まるな」

「はい、あちらも5時から。久しぶりのPPPライブですからね、盛り上がるでしょ」

この「フレンズがーでん」と時を同じくして、クリスマスの週末には横浜港の

大さん橋に停泊した客船「飛鳥Ⅱ」にて、日本郵船と海上保安庁の合同イベント、

ペンギンフレンズのアイドルPPPのクリスマスコンサートが二月ほど前から告知、

開催が予定されていた。ここに至って…





10-4

セルリアン対策では海保に出し抜かれている海自も「がーでん」への協賛を渋々、

決めていた。そして三軍がそろい踏みすると…セルリアン対策の機材を納入していた

企業も「がーでん」に協賛…そして、気づけば。

「…ここにセルリアン出たら洒落にならんな」

「そのために僕たちや、ハニーも実戦装備でここにいるわけですし」

「陸自と空自のフレンズも来てくれてっから、大丈夫だとは思うが…」

「ですね。なんかもうパーティーというより、戦争ですよ。これ」

矢張と伊達は…会場のそこかしこにある、有名企業のブースをちら見する。

エアコンで有名なあそこ、アパレルのアレ、車作ってる例のトコ。その他…

一見無関係に見えるが、どこも日本の軍需産業…そして、セルリアン対策の爆薬や

装備を警視庁に、自衛隊に納入しているメーカーだ。

そして、通りの裏路地には…万が一のための消防車、そして陸自の1トン半救護車、

さらにどこから持ってきたのかと思うほどの、仮設トイレカーがずらり。

「誰だよ。フレンズブームは終わり、オワコンて言ったやつ。なんじゃこの行列…」

「がーでん二日間ですからね。今日は横浜、明日はここって連中も多いですよ」





10-5

『…こちら警備本部、若屋だ。こちらは異常なし。間もなく開場だが、問題は?』

ハンターたちの無線に、指揮車両からの通信が入る。

二課のトップの一人、元自衛隊の若屋参事官だった。応答ボタンを叩いた矢張が、

「今ンとこ問題ありません。上空のヒリやハシビロちゃんも問題なし、と」

『よろしい。…来賓の到着が遅れているが――開場は予定通り行う』

「了解。パークの博士。カコさん。やっぱ遅れてますか。週末で、道がなあ…」

「もうマスコミに嗅ぎつけられたんじゃないすか? 例のウワサ…」

矢張は、伊達に手のひらを向けてから無線を切り、

「アレか。カコさんが、彼氏といっしょにパーティー来るっていう」

…もともと、このパーティーは在留フレンズの大半がお世話になった

ジャパリパーク振興会のカコ博士を呼び、多忙な博士を労い、そして…

“あの”カコさんに、彼氏がいた!? という追求を根掘り葉掘り行う、そのための

女子力高めのパーティー、のはずだった。だがそれは…

気づけば、都と警視庁、自衛隊と企業が協賛する一大イベントと化し…その上。

カコ博士の秘密を“スキャンダル”にしたい連中に嗅ぎつけられてしまって、いた。





10-6

「…カコさん発案のセルリアン対策、省エネ政策はまあまあ、うまくいってる。…が。

 それが面白くねえ連中がごまんといやがるからな。政府とか、企業にも」

「…また原発動かして、昔みたいに電気とエネルギーバリバリ使って儲けたい連中が

 カコさんを貶めるネタを探すのに必死、ってワケですか。あー警棒で殴りたい」

「…日本本土で原発がセルリアンに食われてみろ、今度こそヒトは絶滅だわ――」

ハンターたちが、近づく開場時間の中で、そうっと吐き捨てるように言う。

…最初は、カコ博士はこのパーティをキャンセルするという話もあった。

だがそれは、マスコミやネットの格好のエサにされる危惧もあり、また、カコさんに

会いたいというフレンズたちの願いもあって――

カコ博士のパーティー来訪は、決定されていた。

「…それで、先輩。その…カコさんの男、彼氏ってのは実在してるんですか?」

「…らしいぜ。双葉んとこのねこが、ポロッと口を滑らせたが。そこそこ良い仲で…

 しかも、男は会場には一般客として入場。ここでランデヴーの予定。だとさ」

「…なるほど。まあ、任せてくださいよ先輩」

伊達が、固めた拳骨をバシバシ叩きながら…





10-7

「会場は取材、無断撮影ともに厳禁ですからね。違反しようとしやがったら…即です」

「暴力はいかんぞ、非社会的な。やるときはバレないようにやれ」

「大丈夫です。即、公妨とってPCに放り込みますから。僕、そういうの慣れてますんで」

「役職持ちフレンズの無断撮影はテロ等準備罪案件だって脅してやれ。死刑だ死刑」

元は一般警官のハンターたちが不穏な会話をする中…

~♪ 会場1分前を知らせる音楽がスピーカーから流れた。

「…探しものはなんですか、っと。頼むぞ、伊達」

「…見つけにくいものですか? 了解。先輩、会場の警備と販売、頼みます」

応、と二人のハンターが持ち場に動いてゆく中…


街路の上に、ずらり、テーブルと椅子が並べられ。ところどころに、暖を取るための

簡易ストーブと防柵が置かれた、その一角――年季の入った、屋台の姿があった。

その屋台のつけ台の前には、ある意味VIP席となる丸椅子が並び、そして ごはん の

赤い提灯がほの明るく、ゆるい夜風の中で揺れていた。

その明かりの下、会場を待つ遠い波濤のようなざわめきの中で、





10-8

~♪ 流れ出した音楽に、二人のねこ。フレンズが二人、その美しい模様を動かす。

「始まるでえ。ほんならジャガー、あんじょう頑張りや。うちも持ち場につくで」

「うん。今日はありがとう、ヒョウ。…ごめんね、なんだか大ごとになっちゃって…」

「かめへん。安請け合いしたら、あとでエライコッチャなのは、ようあるハナシや。

 けど。こんなお客だらけやと。ジャガー、あんたコレとしっぽりするヒマないでー」

小指を立てて、うま味のある笑みを見せたヒョウにジャガーが口を尖らせる。

「もうっ…! 今日は、あのひともここでお仕事だから… あっ、ゲート開いた!」

「おっと。…さあて。稼ぐでー。ジャガーには負けへんからな」

「うん。終わったら…トークンの数で勝負、するからね。ヒョウ、がんばって…!」

フレンズのヒョウは――

普段のデキル無職スタイルではなく、広報用にナチュラルな毛皮のスカート、

チョッキ姿で…そこにバサリと前掛けをつけ、彼女はジャガーの屋台を離れる。

肉食獣のしなやかな足でヒョウが向かったのは…

彼女の持ち場。遠赤外線の花園と化した、別の屋台だった。

「フフフ。ひさびさに、今日はちょっと本気出す」





10-9

大型ガスコンロ、その上で熱くなっている、使い込まれた鉄板たち。

その奥に入ったヒョウは、セットされていたテコを華麗な手さばきで両の手に取り、

それをガンマンのように回して…リズミカルに、焼けた鉄板の上で刃先を踊らせる。

「出そうと思えば。キッチリ本気出るところが、うちはひと味違うねん」

――ここまでがまた。エライコッチャだったねん…

最初、旧友のジャガーに「宴会の手伝い」を頼まれ、ヒョウが安請け合いしたのが

二週間ほど前。ちょうどその頃から、この宴会はパーティーへ、協賛が積み重なった

「フレンズがーでん」へと変化していたときだった。

最初は、イブの夜当日にちょろっとホットプレートを使うくらい、と思っていた

ヒョウは…今週の頭、区役所で食品衛生責任者の養成と実務の講習を受けさせられ。

…止めとこかな、と思った矢先。「がーでん」会場の設営で、“お好み焼き”と

銘打たれたその売場のなってなさにヒョウは憤慨し、気付けば。

…新品だった鉄板に、キャベツの青い葉っぱと豚骨を炒めまくって、数日がかりで

油と火を覚え込ませ…予想される大量の具材を用意し。

下宿から、ヒマしていたフレンズを引っ張って。





10-10

「…ヒョウ殿。キャベツはあとどれくらい刻めばいいのでござるか…」

人混みに引っ張り出された上、キャベツ刻みの労苦を強いられていたカメレオンが

泣きそうな声を出す。彼女も、下宿から徴集されたイブ予定なしフレンズだった。

ヒョウはたこ焼きの鉄板にも火を入れながら、

「とりあえずあと5玉やね。タコももうちっと切っといてもらったほうがええなあ」

「ひい… ヒョウ殿がこんなにフレンズ使いが荒いとは思わなかったでござる…

 というか時間があったんでござるから、お好み焼きもそばも作り置きしておけば…」

「冗談はヨシムラの集合管。あんな、うちには世間に許せんもんが三つ、あるねん。

 そのうちの一つが、作り置きしといた粉もんや。出来たて出さんでどうするんや」

「ひい… 下宿で明石家サンタ見てればよかったでござる…」

「泣き言なんぞ、茶漬けにしてササッと飲んでまうとええ。 ……来たで――」

ヒョウの目が…攻撃性の笑みを浮かべたその眼尻から、かすかに虹色をこぼす。


12月22日、17時―― 「フレンズがーでん」 第1回 会場。

開放されたゲートから、緩やかにヒトの波が。ヒトの大群が押し寄せてきていた……





11-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だった…が。今夜は、特別な夜。クリスマス目前、週末の夜。

「…うちはフレンズいち、デキル少女やねん」

前掛けをつけ、両の手に鉄板焼きのテコを持ち。そして仁王立ちするヒョウの前には、

大型のガスコンロ、そして熱を放って焼ける鉄板。いわゆる「粉もん」の屋台。

そのヒョウの屋台は…


東京の片隅にある駅裏の通り、ふだんはフレンズの屋台がぽつぽつと営業している

だけのその通りは、クリスマスを迎えた週末、その夜…

多数のフレンズたちとジャパリパーク振興会、そして警視庁のセルリアンハンター

こと警備二課、さらには自衛隊、企業各社が協賛したクリスマスパーティ、名付けて

「フレンズがーでん」が開催され――夕方五時、会場の時間を迎えていた。

…その会場となった通りには、たくさんのフレンズ屋台、露天が並び、その一つ。

ヒョウの準備は、万端であった。

ライトが照らす街路、会場へと、黒い奔流のようなヒトの群れが押し寄せて来る中…





11-2

鉄板の上に、ごま油その他をブレンドしたヒョウ特製のサラダ油がサッとひかれ、

そこに溶いてあったお好み焼きの生地が手早く、まるく、きれいに八つ並ぶ。

そこに刻んだ豚こま、イカ、揚げ玉が乗せられ…いつの間にか、もう一枚の鉄板の

上では焼きそばが四玉、その横の鉄板では焼そばの具のキャベツと肉がバチバチと

油を、空きっ腹にしみるいい匂いを放っていた。

「はいはい! どんどん来てやー! カメやん、たこ焼きの方あんじょう頼むでー」

焼きそばの麺を、お好み焼きのそれより熱く焼けた鉄板の上で手早く炒めていた

ヒョウが助手のフレンズ、パンサーカメレオンに声を投げる。

「…ひい。拙者、たこ焼きなんて食べたことしか無いでござるよ…?」

「その型の中に、生地を流し込んでくれればええ。タコ入れる頃合いはうちが言うで」

「…ひい。 …ひっ!? ヒョウ殿、なんかものすごいヒトの大群がこっちに…」

「そうでなきゃ困るー! さあて、客寄せるでえ!」

ヒョウは、炒めて水気を飛ばした焼きそばの麺に具を混ぜて、そこに…これも特製の

ブレンドソースをぶっかける。

その音と、独特の香ばしい甘い匂いは見えない爆発のようだった。





11-3

ヒョウの屋台の斜め向かい側。ほかのフレンズ屋台やフリースペースから少し距離を

置き、赤い提灯を揺らせるジャガーのフレンズ、その ごはん 屋台でも。

「お客さん、くるよ! マヌル、煮込みと焼台の方、よろしくね!」

「おう。こっちは付け焼き刃だがな。でも、そこらのなまくらよりは切れ味いいぜ」

ジャガーの屋台は、つけ台の奥のコンロと焼台の他にも、大型のバーナーコンロ、

ドラム缶を半切りにした焼台を増設してあった。

そこに向かったジャガーと、助手についたフレンズのマヌルネコは手はず通り、

最初は風味強めの料理から初めていた――

ヒョウの屋台と音でも張り合うように、ジャガーが使い込まれた中華鍋でマサラ風味の

焼き飯を炒め、香りとおたまの音を響かせると。

その横で、マヌルが焼台の網の下ででかんかんに熾きているオガ炭をチラ見し、そこに

串を打ったイカ、ワタと骨を抜き甘辛いタレに漬けた丸いかをずらり並べる。

新鮮なイカの身とゲソが熱でキュッと縮まり、炭火に落ちたタレがイカの焼きあがりを

予告するような香ばしさを広げる。

――それらの音と香りは、計算通り、集まってきたヒトの鼻と胃袋を鷲づかみにした。





11-4

ほかのフレンズ屋台にも料理に火が入ったり、ナベのふたが開いたり。

屋台以外の、フレンズの物販や、ただフレンズがいるだけのフリースペースからも。

活気のある掛け声、いらっしゃい!の声が会場となった通りを両側から囲む。

――その会場に、ヒトの行列がなだれ込む、が…

突進を警戒していた警備と誘導係が拍子抜けするほど…

入場客たちはゆっくりと、なかばおそるおそる。並ぶ屋台や出し物、企業スペースを

見物するようにしてヒトびとは「がーでん」会場の通りに進む。

だが確実に、数百の人数が会場に浸透していっていた。

「…入場客の皆様へ。入り口付近では立ち止まらないようお願いたします…」

「…会場の各所に、現金をトークンに交換する場所があります。会場内での飲食、

 お買い物にはそちらのトークンをお使いください。また交換の係はのぼりを持ち…」

「…会場内での無断撮影、取材行為は固くお断りさせていただきます。

 スタッフが注意しても聞き入れていただけない場合は退場して頂く場合も…」

警備担当、警備二課の伊達がスピーカーで注意事項を繰り返す。

彼の目は、入場客に混じった取材のカメラに猛禽の鋭さを向けていた。





11-5

開場から五分で、行列の半分が「がーでん」会場に入り…

整理のため、入場を一旦停止。それを再開して五分後、ようやく行列は消えて、あとは

普通に入場客が入り口をくぐり、案内役のフレンズ、航空自衛隊のタカとハヤブサの

手からパンフレットを受けとったり、許可ありの撮影が出来るほどになった。

――そして…会場は、主催の予想の倍以上のヒトたちで埋まって…いた。


「…えー。お手洗いは会場の各所に、専用のボックスカーが配置してあります。

 のぼりがたっておりますのでそれを目印に… 喫煙ブースは…」

混雑した会場、まだ入場客たちが物珍しさメインで通りを、並ぶ屋台や物販、そして

フレンズたちを見て回る中で、警備の矢張がハンドスピーカーで繰り返す。

「…えー。お買い物は交換したトークン「ジャパリコイン」でお願いいたします。

 トークンは一枚500円。会場内の料理、飲み物は1トークンになっております…」

矢張は雑踏を避け、ヒトびとが飲み物や料理の皿を持ってテーブルの方に動いて

ゆくのを見… その彼に、誘導をしていた伊達が声をかける。

「先輩、入場の方はだいぶ落ち着きました。あとは販売の混雑がどうなるか…」





11-6

「予想通り、飲み物のブースに行列が集中してるな… まあ、対策はしてある」

矢張が独り言のように言ったとき、

『…ただいま、ドリンク販売コーナーが大変込み合っております。

 ご迷惑をおかけしますが、会場内にはフレンズたちのドリンク移動販売も…』

矢張の相棒、バディ・フレンズのリカオンの声がスピーカーで響いていた。

その放送が終わるのを待ち構えていたように――

~~♪ 会場の入口近くから、オーケストラのチューニング、オーボエが響く。

そして。何かの始まりを感じさせる音階のあと、演奏が始まった。

~♪ そのオーケストラ演奏、ほとんどのヒトが知っているその音楽に雑踏の流れが

止まったり、その演奏の方に流れたりする。

「オ。フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン。……。やっぱ海自の音楽隊、すげえわ」

「綾波のイメージありますけど、本当はおやじのだみ声で歌うんでしたっけコレ」

警備二課の男たちは、雰囲気が盛り上がってゆくその会場を進み、人だかりができて

いるフレンズたちの販売ブースを見て回り…そして。

意外と行列の出来ていない、二人のフレンズが並ぶ販売ブースの方へ足を向ける。





11-7

そこだけ、夜なのに陽の光がさしているような。白く、清潔感のあるブース。

そこでは…白衣と、淡いピンクのエプロンに身を包んだ清楚な、美しい姿があった。

「…いらっしゃいませ。素敵な夜に、お花はいかがです? 紳士の方には一輪挿し。

 コサージュは意中の方や、フレンズたちへの送りものに…きっと喜ばれますわよ」

一輪挿しのバラやアスター、そして可愛らしく編まれたコサージュを売っている

花屋ブースに居るのは…

「よう。シロサイさん、おつかれー。…いいねえ、俺ももらおうか」

「あら、矢張さん。おひさしぶりです、いつも… …いえ、以前は主人がお世話に…」

警備二課のハンター、フレンズのシロサイ。

清楚可憐を型抜きしたような美人が矢張にお辞儀し、赤いバラの一輪挿しを

笑顔でトークンと交換する。伊達も、小さなヒマワリをもらい…

それを矢張がジャケットに差すと、それを見ていた男性客たちが「なるほど」という

顔でぞろぞろとシロサイの前に集まってきていた。

「おっと、仕事の邪魔になっちまうかな。…また今度、旦那さんの見舞いにいくよ」

「…ええ。主人も喜びますわ。最近はだいぶ良くなってきてるって、お医者様が…」





11-8

シロサイの相棒のヒト、マスターの惣田は警備二課の古株で、初期の対策も装備も

不十分だったハンターを支えた男だったが…

半年ほど前、マスターの惣田はセルリアン討伐のさいに機動隊の誤射を受け重傷、

今も入院し…バディのシロサイはハンターを休職、彼の介護を献身的に続けていた。

そのシロサイが、客のヒトたちに白百合のような笑顔で花を渡しながらその合間、

「…今日は、がんばらないといけませんわね。主人と、約束してきましたの」

「ありがたい。あなたがいると、会場の空気がそれだけで…」

美人相手だとイタ車のエンジンのように回る矢張の口がそこまで言ったとき、

「…! おい!この棒鱈、矢張! お嬢様の…いや、奥様の邪魔をしたら許さんぞ!」

シロサイの隣のブースから、けわしい声が飛ぶ。

振り返った矢張と伊達の目に…白衣に身を包んだ、黒髪のフレンズの姿。

「なんだ、クロいほうじゃねーか。そうか、おまえここのブースだったか。乙」

明らかに、シロサイとは対応が違う矢張に。

「奥様は今お忙しいのだ。まったく…本来なら、おまえなどが声をかけられるような…」

同じくハンターのフレンズ、クロサイが眉をつり上げる。





11-9

惣田とシロサイのチームとともに、初期のハンターを支えた功労者のクロサイ。

…だった、が。なぜか、クロサイと矢張は…いわゆる、水と油。

「あーはいはい。悪うござんした、って。クロいの、おまえは何、売って…」

矢張がクロサイのブースを見ると。そこには…

ケースの中に、隣の花屋で売っているコサージュにも似た、小さな可愛らしい

ケーキがずらりと並び…別のケースには、カットされるのを待つホールケーキ。

「これが見えないのか、盆暗め。会場でも食べやすい、ミニケーキをだな…」

「へえ。美味しそうですね、見た目もカワイイし。クロサイさんがこれを?」

伊達がお世辞抜きの顔を向けると、クロサイの顔が、ピク、と。

「も、もちろんだ。セルリアン撃滅の暁には、私はお嬢様…いや、奥様とご一緒に

 美しいお花と、美味しいケーキを売るお店を始めるのだ――フフッ」

「…花屋さんとケーキ屋さんって。あれか、おまえは女子か。小学生か。将来の夢か」

「先輩、最近の流行はユーチューバーらしいですよ」「逮捕だ」

「…や…やかましい! 商売のジャマだ、散れ!」

クロサイにシッシされ、シロサイにお辞儀され。二人の男がそこを離れる。





11-10

「…先輩、クロサイさんともう少し仲良くしたほうが…」

「アレのマスター、実把のほうはいいやつなんだけどなー。クロいのはどうもなー」

ハンターの男たちは、行列を避け、人混みをくぐり、テーブルの宴を横目で見、歩き。

そこに、小柄なフレンズの姿が駆け寄ってくる。

「トシさん、どこに行ってたんですか…! 私一人じゃ販売キツイですよ…」

いつもの任務スーツではなく、フレンズスタイルで、背中にビールサーバーを背負った

リカオンが彼女のマスター、矢張を見上げて訴えた。

「あー、すまんすまん。…って、もうタンク、カラ?」

「のんきなことを。あっというまですよ、だから…早くタンクを交換して下さい」

矢張はリカオンに引っ張られて…ビールとドリンクの移動販売のベースへ。

そこで、サーバーを背負ったままのリカオンからカラのビールタンクを抜き取り、

炭酸ガスのボンベとビールタンクを新しいものに積み替える。

「よっしゃ! いいぞ、光速エスパー出動! …なあ、あとで花買ってやろうか?」

「…なんですか、それ。…。今は任務に集中して下さい」

プイ、と顔を背けたリカオンが雑踏の戦場へと戻っていくのを、矢張は見守り…





11-11

「…クリスマス、かあ」 矢張はぼんやりつぶやき、腕時計を見る。

――まだ時刻は18時にもなっていない。宴は、パーティーはこれからだった。


ジャガーの屋台は、マサラの香りに引き寄せられたヒトたちが取り囲んでいた。

屋台が見えなくなるほどの人数を、だがジャガーの鉄鍋が次々さばいてゆく。

「…はい! 焼き飯5つ、出るよー! 焼麺(チャオミン)もすぐだから!」

立ち上るバーナーの炎に負けていない、ジャガーの活気と明るい笑み、その声。

料理の手際と、汗を輝かせるフレンズの手並みと美しさにヒトが見とれるその横で、

「焼きイカ、あがったよ! マルのまま、ぶつぎり! どっちも、どっちも!」

マヌルが香ばしく焼きあがったイカの身に包丁をいれ、食べごろの真っ白な身を

見せつけてゆくと…つばを飲んだ顔のヒトたちがそちらにゾロっと流れる。


「…ジャガー、景気良さそうやね。こっちも飛ばすで、カメやん!」「ひい…」

ヒョウは、彼女の屋台の行列に虹色の笑みを向け、焼けた鉄板を高らかに鳴らした……






12-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だが。クリスマスイブ、前日の週末。その夜。何も起こらないはずがなく…

「…うちは今、世界イチ稼いでいるかもしれんフレンズやねん」


東京の一角、とある駅の裏にある通りを一本、まるごと貸し切って行われている

色々と事情アリアリ協賛乗りまくりのクリスマス・パーティ、「フレンズがーでん」。

そこに並ぶ、自衛隊や警視庁、企業の物販や展示ブース、オーケストラ。

そしてフレンズたちの出店、屋台が数百メートルにわたって通りの両側に並び、

道路の白線のあたりにはテーブルと椅子、簡易ストーブが並べられた、そこには。

イベント主催である警視庁のセルリアン対策班、ハンターこと警備二課の予想を

はるかに越える、数百名の観客たちがみつしりと集まり、宴を楽しんでいた。

会場で現金をトークン「ジャパリコイン」に換金したヒトびとは、ビールやドリンク、

屋台のごはんを手に手に歓談したり、海上自衛隊横のオーケストラに聞き惚れたり、

生のフレンズたちの姿を見、声をかけてみたり…

まだ時計は19時前。宴はこれからだった。




12-2

立ち上る湯気と、煙。ソースと油、野菜と肉、海鮮のうま味がからみあったその爆発。

ヒョウは“粉もん屋台”の鉄板の奥、

「…あちゃー。しくった、焼きそばの麺が切れてもうた。機会損失や」

大テコで鉄板をこそいで新しい油を引き、それが熱くなる5秒間に『焼きそば』の

パネルをひっくり返し、次の2秒を考えてからそこに『五目いため おつまみに!』と

金釘文字で書いて、メニューを切り替える。

「しもうたなー。まさか、焼きそばがこんなに出るなんて。明日の分の玉も持ってきて

 おくべきやったなあ。東京もんはお好み焼きより焼きそばがええんかな?」

ヒョウは焼けた鉄板と油の上に、大量の豚こまとイカの切り身をバラっと散らして、

景気のいい音、匂いを破裂させて人目を引いてから、それを両のテコで踊らせる。

「ひい…。ヒョウ殿、たこ焼きの生地が次でおわりでござる…」

屋台の助手、パンサーカメレオンが目の回った声で言い、出来上がったたこ焼きの

パックを次々差し出されるトークンと交換してゆく中、

「ちょっと一息ついてええで、カメやん。どこかでなんか、飲んで来」

ヒョウはいい顔で牙を見せて笑い、炒めた具に塩コショウ。





12-3

「えっ、いいんでござるか? まだお客が… 拙者だけ休んでは…」

「同じ豹仲間やないか、水くさい。ああ、うちの飲みもんもよろしゅう、たのむわ」

ひょこっとうなずいたカメレオンが屋台の裏手に消えると、

「あー、うちはペプシな。氷マシマシ。ペプシやでペプシ、コーラはちゃうからな」

どうしても譲れない、と言うように伝え、鉄板とお客の列に向き直った。

…そのヒョウ屋台の、斜め向かい――

「…ジャガー、ジョフが裏手に来てる。なんか、足りなくなったんだってさ」

えっ?と、 相棒のフレンズ、マヌルネコの声に ごはん 屋台の中でジャガーが

振り返った、そこに。何かのバケツと帳面を持った小柄なねこフレンズが。

「会計部から緊急、でち。交換用のトークンが足りなくなったんで、各店舗から

 回収してこいって。さあ、でか乳ねこ。とっとと稼ぎを出すのでち」

「えー。そんなお客さん、来ちゃってるんだ? すごいね!」

ジャガーは料理の手を止め、料理代の足元においてあった常滑焼の壺をもって、

その中身のジャパリコインをジョフロイネコの持つバケツにぶちまけた。

「おねがいね! …えっと、あと1時間したらまた回収にきて!」





12-4

飲み物販売のブース、屋台、そしてビールサーバーを背負った売り子フレンズたちが

フル回転する、がーでん会場。その片隅で…

「…先輩。こちらはとくに異常ありません。取材の連中もおとなしいもんです」

「エクセレント。…連中の本番は、カコ博士が来場してからだろうしなァ」

警備担当、ハンターの矢張と伊達が、本部への定時連絡を交互に行いながら言葉を

交わし、盛況、そして歓談の声にオーケストラが、そしてフリースペースのカラオケ

ステージから流れてくるメートル上がった歌のほうに顔を向ける。

「まだ救護車の出番は無さそうですね、トラブルも起こってませんし」

「会場じゃ、あんまり福祉成分のつよい飲み物は出してねえしな」

男たちが小声で話すそこに。

ざわめく人混み、流れる雑踏がスウッと、割れ…そこを小柄なフレンズが進んでくる。

「…おたばこ、いかがですか? 禁煙席はこの奥… あら、矢張くん。伊達くん」

現れたのは、全身、黒。小柄だが、男好きのする豊満な肉つきの体を黒いドレスで

ぴったり包んだフレンズが…矢張たちに小さく手をふった。

「ああ、こりゃ。アイアイの姐御。おつかれさまです」 矢張がぺこぺこすると、





12-5

フレンズのアイアイ、警備二課のハンターチームの古参が煙草の入ったカゴを手に、

もう片方の手を小さくふってほほ笑む。

「最近の男の方は、あんまり煙草を喫まないのですね。まだ三つしか売れてません」

「そういう時流てっやつで。…お、ジタン。じゃあ、そいつを一箱…」

矢張は、刑事時代に彼を警備二課に引っ張ってくれた恩人、真坂の相棒であり、そして

セルリアンの撃破スコアこそトップのキンシコウたちには負けているが、黒白サイと

ともに初期のハンターを支えたアイアイに何度もお辞儀をし、煙草を買う。

…その矢張の目が、アイアイの中華ドレスの胸元、大胆に割れたスリットから覗く

真っ白な腿とタイツに誘導され…彼はあわてて首をふって目をそらした。

「先輩、ここで吸っちゃ駄目っすよ」

「わかってるっつーの。それより伊達、そろそろお前のヒリ、降ろしてやれ。休憩だ」

矢張は、上空警戒をしている伊達のバディ、フレンズのカワラバトを降ろすように

告げ、喫煙ブースの方へ目を…そこに、

…会場の通り、そこに交差するいくつもの路地の一つ。その奥で車のヘッドライトが

ビームのように揺れ、真っ黒なセダンが会場にゆっくり…迫る。





12-6

一瞬、ハンターたちの目が険しくなるが…その大型セダンの線、そして6気筒ターボの

静かな地響きめいた排気音に、矢張と伊達も目をホッとさせ、そして。

警戒線の三角ポール手前で停まったセダン、スカイラインから降りてきた大柄な男の

ほうへ二人は駆け寄って、敬礼をする。

「お疲れさまでっす、真坂の兄ぃ」「真坂さん、お疲れ様です…!」

「おう。矢張、伊達。景気が良さそうだな。…すまんな、警備の邪魔をしたか」

現れた、その男は…がーでんの、会場の空気の中では…異質だった。

白い粋な仕立てのスーツに黒シャツ、白ネクタイ。そして肩幅と胸板の厚さが目を引く

屈強な体、短く刈り込んだ髪、ナイフで刻んだような目と、口…

漫画ゴラクの表紙を飾ってそうなその男が、アイアイのマスター、真坂だった。

元は組織犯罪対策部、通称、マル暴出身の刑事に矢張と伊達は、

「兄ぃ、その。今日は一体…兄ぃ、非番ですよね…?」

「ああ、それが。若屋サンに呼ばれてな、例のパークの博士の件で」

…カコさんの? 矢張の顔に、ピクと険しさが浮かぶ。その男たちの横を…

「……」 無言で、アイアイがするりと抜け、真坂の太い腕にその指をからめた。





12-7

その艶っぽさ、あきらかにその男の味を知っているフレンズ、アイアイの仕草に。

矢張と伊達が、こらえきれなかった口の中でごくっとつばをのむ。

その二人の前で、真坂はアイアイの髪と背中を撫でながら言った。

「カコ博士は会場に向かっているんだが…道中で、マスコミの連中に捕まっていてな」

「あー… 会場じゃ俺たちがうるさいから、か… くそー」

「先輩、俺が行って散らしてきましょうか?」

「まあ、待て。博士もこれは予測していた。で、だ。伝言を預かってきたんだが…」

真坂は、甘えていたアイアイをそうっと突き放し「また後でな」と言い放つと。

「目印は、屋台の赤い提灯、 ごはん ……。ああ、あれだ」

目当ての物を見つけた真坂は、警戒線をまたいで会場に進む。

その姿に、観客のヒトびとは一様に「やべえ、ヤクザがきた」という顔になったが、

真坂は無言で皆にお辞儀し、片手で拝みながら…慣れた足つきで人混みを進む。

…あの、兄ぃ? その後をつけていった矢張たちは。

「え? ここ…双葉んトコのねこの、屋台…」 ジャガーの屋台の前で、止まる。

まだ何本もの行列が並ぶ、空腹の胃袋をねじるいい匂いをさせている、そこで。





12-8

「…申し訳ありません、観客の皆さん。少しだけ、場所の提供をお願いいたします」

真坂の声に、ジャガーの屋台の行列が脇に避け、詰めて…その奥から、ジャガーの?な

顔とマヌルの訝しげな顔がのぞく。

「どうしたんです? 誰か来るんですか?」 ジャガーの声に、

「どうも。ジャガーのお嬢さん。実はそうなんです。この赤提灯が目印で――」

…あ、これ笑ってるんだ、という目と口の真坂は、伊達のほうに顔を向け、

「伊達。誘導用の発煙筒かライト、持ってるか? ここで焚け。上空誘導だ」

えっ?という顔をした伊達が、それでもジャケットから赤く点滅するLEDを地面に

おいて、そして…ハッとしたように、上空の星空に目をやった。

「…まさか―― ……!? オーライ! 位置オッケー! そのまま、そのまま…!」

両手を広げ、動かして何かを誘導する伊達。それを??と見ていた矢張、そして人々の

目が…あっ!と、上を向いた。

そこから、夜風のような羽音が響き、ふわり、ばさりと…

頭から大きな羽を広げた猛禽の鳥フレンズ、そのシルエットが降下してきていた。

その美しいフレンズは、何かを。大きな“なにか”を抱きかかえ、そして。





12-9

二階の窓ほどの高さまで降りてきた猛禽フレンズ、彼女はその腕にヒトを、白い姿と

黒い髪の女性をしっかりと抱きかかえ…慎重に高度を降ろす。

そのフレンズ、パーク所属のトキイロコンドルの腕の中。その女性が、

「…えっと。こんな上からすみません、失礼します… みなさん、こんばんは」

猛禽に運ばれてきたその女性は、パンプスの足をギュッと閉じて、手で長いスカートを

押さえながら…少し困ったような、照れたような声で上空から挨拶する。

「……!? 博士! カコさん…!」

それを目に、耳にしたジャガーが屋台の中から駆け出してくる。

ヒトびとが えっ? となった、そこに。猛禽と、彼女が運んだ女性がゆっくりと

着地して――トキイロコンドルは彼女を抱えていた腕を離し、安全帯を外した。

「…到着。博士、帰りも私が運んだほうがいいかしら?」

「いえ、帰りは大丈夫よ。としくんが来てくれているから… あなたも楽しんでいって」

猛禽と女性が言葉をかわした、そこに。

「カコさん!」「博士!」「カコさーん!!」「カコ博士!うそみたい!」「あー!」

口々に歓喜、そして涙混じりの声を上げ…フレンズたちが押し寄せてきていた。





12-10

ジャガー、マヌルネコ、ジョフロイネコ。そしてほかの屋台や売り子をしていた

フレンズたちが、何か我慢ができなくなったように…押し寄せてきていた。

「うおっ!? な、な…? カコさん、えっとカコ博士、その」

フレンズたちの突進に気圧された矢張が、上空から現れたその女性に…

――夜の闇が顔を伏せそうな長い黒髪、星空もそれに続く黒い瞳の、美しいヒト。

白いブラウスに黒のタイトスカート、白のコート姿の、その女性は。

財団法人ジャパリパーク振興会の頭脳、そして人類をセルリアンと破滅から救いつつ

ある女神。そしてフレンズたちの大半が親として慕うカコ博士、その人だった。

「…お騒がせしてすみません。どうしても、車が進めなくって…」

矢張たちにお辞儀したカコさんは、我慢できず飛びつこう♪してきたフレンズたちを

抱いたり、頭をなでたりしながら…まわりの、がーでん会場に笑みを向ける。

「…素敵なパーティ、ですね。…こんな賑やかなの、ひさしぶり…」

「え、えっと。ど、ドーモ、カコ=博士。警備担当の、矢張デス」

「ど、ドーモ、伊達デス」

ガチガチになった男たちがお辞儀する中、彼らの無線に本部からの通信が入る。





12-11

「…はい、カコ博士ご来場です。博士は大丈夫ですが…問題が」

矢張は無線に、普段は規律正しいフレンズたち――それが、1ヶ月ぶりにご主人を

見つけた そのへんの犬 みたいになっていることを報告する…


「…! あわ。あー! いらっしゃーい! …あああ、カコさんがあ」

鉄板屋台の奥で、ヒョウがお好み焼きを返しながら…いわゆる、テンパっていた。

目をぐるぐるにさせながら、それでも仕事を続ける彼女に。

「…ヒョウ殿、カコ博士…会いに行かなくていいのでござるか? 他のみなは…」

「…そんなもん! 行きたい、けど…お客さんがおらはるのに持ち場、離れられんー」

「…ヒョウ殿は無職のくせにヘンなところで律儀でござるな」「やかましいわ」

そのヒョウとカメレオンの耳に、本部からの会場放送が飛び込む。

『…ご来場の皆様。誠に申し訳ありませんがただ今より、がーでんの催し物、物販は

 休憩に入らせて頂きます…20分後に再開の予定です、またこちらでお知らせを…』

本部の、若屋参事官の迅速な判断、そしてフレンズへの温情が放送で伝えられる。

…なんやて。ヒョウの耳が動くと、そこに行列していたヒトびともぞろぞろと散り。





12-12

…そして。ヒョウの目がきらり、虹色に輝いた。その虹が散って消える前に、

「…はかせーっ! 元気してはった!?」

お好み焼きのパックを両手に持ったヒョウは、けものの速さで会場を駆け…

「うふ、みんな…! 元気そうでよかった、みんな…ありがと!」

フレンズに取り囲まれ、小柄なフレンズたちに肩をよじ登られ、それでも鈴を転がす

ような声で笑い、フレンズたちの名を呼んでいるカコ博士にヒョウも突進する。

「…ヒョウ、あなたも元気そうね。ちゃんとフレンズまんじゅう食べなうとダメよ?」

「…え。え、えへ。て、転売なんてしてまへんし… そ、それより、これ!」

ヒョウがお好み焼きのパックを、ジャガーがビリヤニの器をカコ博士に差し出し…

それに負けじと、ほかのフレンズたちも自分たちの料理や、売っていた商品を

――これをカコさんに渡さないと 食べてもらわないと おまえをとってくう

という気迫でカコ博士を取り囲んでいた。

「…みんな、ありがとう! …こんな素敵なパーティ、初めて…」

小さな手指で、潤んだ眼尻をぬぐうカコ博士。それを取り囲むフレンズたち。

警備の矢張たちは、あっけにとられてそれを見守りつつ、も…





12-13

彼らにとっては、最重要人物の来訪である――矢張たち、そして警備のスタッフ、

自衛隊、消防に無線でそれが告げられ、会場は静かな厳戒態勢に入る。

「…道端でカコ博士かっさらわれたマスコミが動くかもしれん。状況送レ」

「観客たちも、カコ博士に気づきました。かなりの人数が動いています」

「入り口の準備会要因をまわせ、フレンズの輪の外で最終防衛線をはる」

無線、命令が飛び交う中…

フレンズ図鑑の様相をていした輪の中のカコ博士。その姿に、

「…見たか」「…何をですか」「生カコさん」「先輩、言い方がスケベくさいです」

矢張たちも、現物を見るのは初めてだった。ある意味、人類の最重要人物に…

「…なんじゃあの美人。…なんじゃあの乳。あの胸。あの乳」「凄いですよね…」

「…つーか、上玉すぎて現実味がねえな…つーか。あれに男、彼氏だと?

 …アレに声をかけられるとか。本物の勇者かバカか、あるいは本物のとしあきだぜ――」

「…そういえば、その男はもう会場に入ってるとか」

「オイオイオイ。ここで男とランデヴーしたら週刊誌の餌食だわ。どうする…」

――カコ博士とフレンズ。それを守る男たちの顔に焦燥が、走った……






13-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だが。クリスマスイブを迎えた週末、その夜。奇跡を起こす価値のある日。

「…うちは今、世界で一番さびしんぼうのフレンズやねん…」


真冬の大都会。東京の片隅にある、とある駅の裏通りを数百メートルにわたって

貸し切りにしたその場所は、フレンズそしてセルリアンハンターである警視庁のSAFT

こと警備二課、さらには自衛隊三軍と企業が協賛したクリスマス・イベントの会場。

…その名も「フレンズがーでん」。その初日入場客は主催の予想を遥かに超える

五百名近い観客が訪れ、盛況そのものの活気を見せていた。

会場となった道路の両端には、フレンズたちが腕を振るう料理の屋台、ドリンク販売の

ブース、フレンズ手作り物販、フリースペース、カラオケ舞台までが並び…

その合間に自衛隊と企業の広報ブース、オーケストラの演奏までがそろっていた。

観客のヒトびとは、酒食を楽しみ、フレンズたちの姿を見、会話をして交流。

夕方五時に開場した「フレンズがーでん」。

時計が、夜の8時を迎えたとき――目玉だった「イベント」が会場に出現していた。





13-2

「…みんなが元気そうで、本当によかったわ! この国ではいろいろ辛いことも

 あるでしょうけど…なにかあったら、いつでも私たちのところに来て。みんな…!」

「カコさん…! うちはぜんぜん平気やで。ツライことなん、鼻毛ほどもないわ」

「…カコ博士、お体の方は…? あまり無理しないでね、私たち頑張るから…!」

「ちょっと、おいイタチ。そこどけでち」「うるせえ!玉川上水に沈めるぞ糞猫!」

「なにかお困りのときはカコはかせ、アライさんにおまかなのだ!」「そうだねー」

「うふ… みんな、大丈夫よ。私はここにいるわ」「…カコさ~ん!」


――会場の一角。場所的には、盛況だったジャガーの ごはん 屋台の、前。

そこに上空から出現したカコ博士の姿に、ふだんは規律正しく、従順であるはずの

フレンズたちは、カセが外れたようにそこに押し寄せ…

フレンズたちの親にもあたるカコ博士、その周囲はフレンズ図鑑の様相をていしていた。

いつもの研究白衣でなく、清楚なブラウスにタイトスカート、コート姿のカコ博士は、

フレンズたちに囲まれ、彼女たちの差し出す料理や飲物、プレゼントに囲まれて…

素敵な笑みをふりまいていた。





13-3

フレンズを語る場合、切っても切れない関係にあるのが、彼女たちが出現した浮上大陸

通称「パーク」「ジャパリパーク」と呼ばれる、その群島。

そして、その諸島とフレンズを調査、管理する「財団法人ジャパリパーク振興会」。

その振興会の頭脳であり、中心人物の一人。さらには、セルリアン対策で人類を滅亡の

淵から救った救世の女神――それが、パークのカコ博士、その人だった。


…本来、この日のパーティはセルリアンハンターの警備二課とフレンズたちが、

奇跡的に年末の予定があいたカコ博士をねぎらうためのものだった、が…

いろいろな事情が交差し、積み重なって一大イベントとなった「フレンズがーでん」、

その会場に現れたカコ博士には――フレンズたちとは別の思惑が、付け狙っていた。


人類の救世主であるカコ博士だが…セルリアン対策によって損害を受けた財界や

企業、団体からは、逆に博士は「人類を衰退に導く毒婦」として忌み嫌われていた。

カコ博士の失脚、醜聞を狙う、その目が…この「フレンズがーでん」を狙っていた…






13-4

フレンズたちに囲まれ、きゃわきゃわとした彼女たち歓声のただ中にいるカコ博士。

本来は、このパーティーのメインであったその歓談を――

「…会場の観客も、博士に気づいて動き出しました。Gエリアに集中しています」

「…まずい。一般客にマスコミが混じって動いてる、排除は困難だ」

「…準備会の精鋭を観客に紛れさせました。最終防衛線、構築まであと2分」

「…1分でやれ。神は貴様らの無事など喜ばない。ただ、博士の無事のみを喜ぶ」

「…本部から通達! 一般客と博士の交流は…極力、許可せよ、だ! 状況送レ」

――がーでん会場の警備を行う二課のハンターたち、自衛隊の精鋭、消防の男たちの

あいだに無線、命令が飛び交う。


カコ博士には、他愛のないうわさ、いわゆる「恋バナ」が…あった。

それを嗅ぎつけたマスコミは、普段は研究所を出ないカコ博士を捉え、それを追求する

ハラでこの会場に「PRESS」の腕章をつけて、待ち構えている。

単に、有名人のカコ博士とフレンズたちのツーショットが取りたい一般客と、そこに

まじった悪意を選別し、排除するのは困難だったが…やるしか、なかった。





13-5

そんな男たちの焦燥と静かな怒りをよそに…

「そーいえば。カコはかせ~? うち、聞いてまったで。デュフ」「あっ私も!」

「えっ…? なにを、かしら?」

「…カコ博士、今日はここに…コレが。もう来てるんやろ? うちにも拝ませてえな」

フレンズの中で、ヒョウが――みなの気持ちを代弁し、みんなが気になっていたことを

うま味のある笑みを浮かべてカコ博士に聞いていた。それに、他のフレンズも続く。

「カコさん! 彼氏出来たんだって!? おめでとう!!」

「え、違うでちよ。オトコ自体はもっと前からいたんでち。…よね、カコさん?」

「ごんぼほってんじゃねえぞこの糞猫! …ねえ、カコさん。本当に素敵なヒトが?」

「…え、えっと…… あのね、みんな。その……」

興味津々、野生解放でもしたかのように目を輝かせたフレンズたちの包囲の中で…

「か、カレシ…その、いいひと、っていうか。…えっと、としくん、の…こと?」

少女のように顔を赤らめるカコ博士、そこに。

 …うわあ、本物のカコ博士だ! …博士、写メいいですか!? あ、俺も俺も!

一般の観客たちが、カコ博士とフレンズたちを取り囲んでワクテカな声を上げていた。





13-6

「…え、ええ。皆さん、今晩は。…その、遥、です。よろしくおねがいします…」

カコ博士がスッとたたずまいを直し、小さなポシェットを両の手で持ってお辞儀する。

その美しい仕草と、博士の言葉が終わると。

 バシャバシャ ピピピ 一斉に、観客たちの携帯やカメラが火蓋を切った。

「えー、会場でのフラッシュ撮影は禁止、禁止です! 十分な光量はあります…!」

警備のハンター、伊達がスピーカーで吠える。

そのあいだも、観客たちは有名人のカコ博士とフレンズの輪を写して。

 …博士! ジャガーさんとツーショットお願いします! あっ俺も!

 …シロサイさん、武装出して下さい! …ハシビロちゃん、博士の肩に、はい!

 …サーバルちゃんとツーショットで! …日本にはいなかったクソァ

観客たちの、悪意のない無数の要望に応えたり、無理だったり。

カコ博士とフレンズたちの撮影会場、の様相をていしてきたそこに――

「カコ博士! お付き合いしている男性がいるというのは本当ですか!?」

「今日はその密会するんですよね? その男性、お相手はどちらに!?」

…記者たちが、観客に混じって罵声じみた声を飛ばして…いた。





13-7

警備のスタッフ、ハンターたちは、その肉体でカコ博士とフレンズの周囲に警戒線を

つくって、必要以上に誰も近づけないようにはしていたが…

観客と博士の交流を認めてしまった以上、マスコミの完全遮断は不可能…だった。

「…この会場は、フレンズと皆さんの交流の場です! 取材行為はお断りしており…」

スピーカーで注意が、警告レベルで行われていたが…

「遥教授! その男性とはどういう関係で? 世界の危機をうたう博士が不謹慎な…」

「えっ…えっと、私は、そんな……」

あきらかにツッコミすぎた記者の一人が、伊達の1インチパンチで肝臓を痛撃され、

悲鳴も出せずに崩れ落ち…急病人として、救護車へ運ばれてゆく、が…

「やべえ、カコ博士を退避させねえと…!」

ハンターの矢張が、本部に通信を送ろうとしたとき…だった。

「…あっ、あの……! すみません、あのっ…」

先ほどの赤面とは別の色の、少し困り顔のカコ博士が…意外と通る、凛とした声で、

「…お化粧を、その…直し…」 ここは、急に消え入りそうな顔で赤面する。

その言葉に。コンマ4秒で矢張が動いた。





13-8

「……! えー、観客、取材のミナ=サン。博士が移動します、場所を開けて下さい」

スピーカーで言い放った矢張は、他の警備スタッフと目だけで会話し、そして。

「…リカオン!」「…! は、はい。トシさん!?」

矢張は彼のバディ・フレンズのリカオン、さっきまではカコ博士の足元でコロコロして

いた駄犬だった彼女、今は博士に触れるものがあったら食いちぎる!顔のリカオンに、

「…フレンズで、博士を囲んでお連れしろ。しんがりはお前だ」

「…! は、はい!! ――博士、トイレは… あ、アワワワ、その… こちらです」

警備スタッフが、慎重に観客たちの雑踏を誘導し、割り…

その空隙を、本気の目になったフレンズたちが囲むカコ博士が、ゆっくり進む。

「カコ博士! 熱愛のお相手のところに行くんですよね!? イブの夜はs ウ 」

「遥教授、ナントカ言ってくださいよ! あなたには説明責任が…!」

マスコミのカメラと声が、しつこくカコ博士に追いすがったが…

一人、また一人と、カコさんの護衛から離れたフレンズが「すてがまり」となって

立ちふさがり、記者たちを止めていた。

…カコ博士は、モーセのように観客の間を進み…





13-9

固唾をのみ、それを見守っていた矢張の目が… ん? と、細められる。

カコ博士が向かったのは、トイレカーの列では…なかった。

博士は、会場に交差する何本もの通り、今は封鎖されているその一本の方へと進み、

そして… …いつのまに? 警備の矢張が気づかないうちに、そこに出現していた

大型のキャンピングカーへと、博士は進んで…その客室へ、スルッと…消えた。

「…な。なんだ…? ――本部へ! 博士が未確認の車両に乗ったんですが…! え?

 そのままでいい? え、予定通り…って、若屋さん。そりゃどういう…」

矢張は、無線機から帰ってきた隊長の言葉に一瞬、唖然とする。

――そして…

カコ博士の一挙一動を見守っていた矢張たち、スタッフ、観客、記者たちの目に。

時間としては2分ほど。キャンピングカーの扉が開いて…

「…………」「――…………」

白いコート姿のカコ博士が、会場に戻る。その博士の傍らには、男の姿が…

警備二課、SAFTの装備スーツを身に着けた男が、博士をエスコートするように進む。

「…な!?」 その姿に…矢張の目が見開き。観客と記者たちがどよめいた。





13-10

真っ先に反応したのは、記者たちだった。

「カコ博士、その男性はいったい!? それが熱愛報道のお相手…!?」

「待って下さい遥教授! その男…その装備は、ハンターじゃないですか!?」

「まさか博士! お付き合いしているのは、その警備二課の…!? 癒着では!?」

罵声じみた声が飛ぶ中、だが…

「――……」 博士と、ハンターの男は無言で会場を…進む。その男は。

「…!? ど、どうなってんだ? おいィイ、双葉ァ…!?」

矢張がわななく目で見た、そのカコ博士のお相手は――

彼らハンターの一員、まだ新参ではあるが複数のフレンズを同時に駆使(リンク)

するという能力を持ったエースの双葉…その彼だった。

…まさか。カコ博士の男ってのは… まさか!? 矢張、そして伊達はわなわなと、

「おい双葉! おめー、あのジャガーとデキてんじゃ…? まさか、博士が本命…」

「双葉ァアア! 貴様というやつは! フレンズだけを愛する同志だと思っていたのに

 裏切ったのか!? 待て、なんとか言え! ジャガーさんを悲しませる気か!?」

だが。後輩の双葉は…無言のまま、博士と会場を進み…そして。





13-11

二人は、何かの行列のようなヒトびとを引き連れ――会場を進んで。

「――…………」「…………」

カコ博士と、ハンターの双葉が足を止めたのは、会場の一角にある喫煙ブース。

二人は、人気のなかったそのテーブルを挟んで…無言で、席についた。

そこに。記者たちが、そして博士たちを守ろうとする警備の伊達たちがもみ合う中。

「…ふう」 カコ博士が…急に、ため息を。ひとつ。

…なぜか、ひどく気だるく、そして艶っぽい吐息を…その赤い唇が吐いていた。

…!? ここに来て、ようやく――

記者たち。そして矢張と伊達たちも…違和感に、気づいた。

さっきまで、カコ博士を護衛していたフレンズ、その姿が消えていた。…そして。

カコ博士が、白いコートの前を開け、黒いしなやかな足を組む。

男なら視線誘導不可避のその足は、スカートではなく…黒い、レザーのパンツ…

…そして。博士、に見えていた「それ」が髪飾りを外すと。

「え」 矢張の見る前で、その女の黒髪がふわっと広がり、その末端に赤い模様が

浮かんで、その艶っぽい顔を牙のように美しく、飾った。





13-12

「こ…! この女、カコ博士じゃなか! こいつ、フレンズだ!」

記者の一人がうめき、さっきまでカコ博士だと思いこんでいたフレンズを指差す。

ハンターの双葉と差し向かいで座るのは…

「みなさん。こんばんわ。どうなさったの、そんなに血相変えて。お水、のむ?」

「…あっカバ」「…あ、あれ。カバさん、そのー……」

けものプラズムの偽装を解いたカバが、ヒトびとに聖母のほほ笑みで言った。

…しまった!! 記者たちが気づいたときには――

さっきカコ博士が乗ったキャンピングカーは、影も形もなくなっていた。

「…ありゃ。っていうことは。…ハハハ、そういうことかよ」

がっくり力の抜けた矢張が、カバと双葉の座る席の一つにどっかり、沈む。

そのときには、記者たちは携帯に何かをわめきながら散り、走り出し…がーでんの

歓楽など足蹴にするようにして夜の街に散って行って、いた。

「…あの、先輩。…おい、双葉。説明しろ」

「…敵を騙すにはまず味方から、だな? 双葉。さすが若屋さん、さすがカコ博士だ」

――すみません 双葉は小さく目だけで笑い、先輩ハンターたちに深々、頭を下げた…





13-13

そこに、狙いすましたように会場放送が流れる。

『ご来場の皆様、大変おまたせいたしました。休憩時間終了、がーでん、再開です』

いつのまにか持ち場に戻っていたフレンズ、屋台や物販に再び、観客が集まる。

ヒトびとが行き交う会場、その喫煙席で。伊達が??の顔のまま、

「えっと。つまり、最初から計画通りに動いていた、と」

「だな。博士は短い時間で残念だったが、フレンズとお話して、そうして…限界点で、

 待機していた車に入る。そこから変装したカバさんと、双葉が出る、以上。だろ」

「えっ。じゃあ…あのキャンピングカーを運転していたのは、いったい?」

「野暮なこと言いなさん、な。…ハハハ。カコさん。……メリー・クリスマス」

矢張がため息のように言うと。そこに、リカオンが人数分の水コップを運んできた。

「グッボーイ。リカオン、さっきはいい仕事だ」「どうも」

「でも…カバさんの変装に誰も気づかなかった、ですね。俺も」

その伊達に、白いコートをぬいで髪をかきあげたカバが、こともなげに。

「どうせあなたたち、博士=ムネしか見てなかったんでしょう。だからよ」

……。何も言えねえ、という顔で男たちはうつむいた。





13-14

海自のオーケストラ、その調べがやさしく響いてくる中。

「ふう… 矢張くん、たばこ、一本いただけるかしら。…いいでしょう、とし」

アッハイ、と矢張はアイアイから買ったばかりのジタンを封切り、叩いて一本を…

黒いボディスーツの前を開けてくつろいだカバに――

童貞魔法の使い手が魔改造フィギュアに魂を吹き込んだようなセクシーに、差し出す。

「ありがと」 矢張のデュポンで火をつけた紙巻きを、カバは唇にくわえ…

「…今夜は誰と踊ろかな…♪」 「……」「……っ」

歌う赤い唇から、独特の香りの紫煙がふうっと星空へ放たれ、消えてゆく。

…矢張と伊達は、また髪をかきあげたカバ…その腕と、開いた胸元に目を盗まれ…

そこに。不意にフレンズの可愛らしい声が響く。

「…ダーリン。なに、見てるのかな?」「……! は、ハニー!? ち、違うんだ」

伊達は、彼のバディ、カワラバトに背後から肩をガシリコ捕まれ。

「…ちょっと高いたかーい、しようか」「……ご、ごめんなさい! 高いのは嫌ぁあ」

伊達の身体がフレンズとともに夜空に飛び、昇り…情けない悲鳴が響く。

それを余興だと思った観客たちの歓声が会場を賑やかせていた……





14-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だが。クリスマスイブ前夜の週末。今夜もまた、特別な夜…何かが起こる、夜。

「…うちは今、フレンズいちラストスパートかけてる少女やねん」


クリスマス・イブを迎えた週末、大都会東京の夜。その片隅。

とある駅裏にある、一本の通りはその夜、東西の十字路を閉鎖し、貸し切りで

クリスマスパーティ「フレンズがーでん」の初日が開催されていた。

人類と世界を脅かす謎の怪物・セルリアンを討伐するための、ハンターと呼ばれる

警視庁の組織、そしてフレンズたちが開催したそのパーティには、自衛隊三軍や企業が

協賛し…最初は身内のパティーだったはずが、気づけば五百名以上の観客が詰めかけた

一大イベントへ様変わりしていた。

夕方5時の開場から、観客のヒトびとは「がーでん」会場に押し寄せ、時刻が

8時を越える頃には観客の数は減るどころか、700人近くを越え…

――そして。開催と警備スタッフが危惧していたVIP、カコ博士の来訪と帰還も

なんとか、滞りなく済んだ「がーでん」会場… 宴は、まだこれからだった。





14-2

会場となった通り、その道路を両側から挟むようにして連なるフレンズたちの屋台や

ドリンク販売ブース、フリースペース。そこには、開催側のフレンズの他にも当日に

飛び入りしたフレンズたちが店を出したり、ただそこにいてヒトびとと歓談したり。

…この夜は、フレンズブームが静かに熱く再燃していた。


「…っしゃあ。たこ焼きもカンバンや。カメやん、ほんまおつかれー」

「ひい… もう目が回って… こんなドタバタ動いたのは初めてでござる」

フレンズのヒョウ、助手のパンサーカメレオンが切り盛りしていた“粉もん”屋台で、

ヒョウが誇らしげに手を叩き たこ焼き のパネルをひっくり返す。

焼きそばに続き、たこ焼きも売り切れ。店主のヒョウにとっては計算外だったのは、

お好み焼きが意外と…最後まで、もちそうなことだった。

「明日は焼きそばの玉と具材、たこ焼き材料はありったけ用意せなアカンなあ」

「…明日のほうが人手は多いらしい、でござるな。…ひい、今から目が回るでござる」

「今日は横浜のPPPコンサート見にいった連中が、明日はこっち来るかんね。

 今日来てはるお客は、うちらに胃袋とハート鷲掴みでリピーターやしぃ」





14-3

ヒョウが肉食獣の笑みを見せて言い、焼けた鉄板を大テコでこそいでいた…そこに。

「あっ先輩! ここだったんですねえ、お店。おつかれさまです!」

屋台の店先に現れた、白黒のジャンパースカートにハーフの革ジャンのおしゃれ少女。

「ワオちゃん、がーでんに来てたんか。らっしゃーい、お好み焼きなら出来るで」

「あ、じゃあひとつ! …うふふ、先輩が働いてる。なんだか…ヘンな感じです」

やかましいわ ヒョウは、彼女の後輩のフレンズ、ワオキツネザルの見ている前で

今日数百回繰り返した鮮やかな手並みを、もう1回。

「でもワオちゃん、ええんか? クリスマスの夜にこんなとこでお好み食うとって?」

「……。いいじゃないですか。先輩だって、いいひといないくせにー」

…余計なお世話やー そのヒョウの屋台に、数人の観客が固まって近づいてきた。

いらっしゃい! ヒョウがスマイルを浮かべると…先頭にいたヒトの男が、言う。

「…あのー、すみません」 男のヒトたちは…ヒョウの顔を見、そしてうなずき合う。

「なんや? ナンパならオコトワリやで」

「いえ、その。…あなた、もしかして――クロちゃんサンところの姉者、さんです?」






14-4

…カチャ!! ヒョウの手とコテが。鉄板の上で固まった。

クロちゃん、さん。とは…ヒョウの実の妹、フレンズのクロヒョウ。

ネットのゲーム実況や生放送などで大人気の「フレンズのコスプレ大好き少女」として

名を馳せ、無職の姉が見たら卒倒するほどの荒稼ぎをしている生主だった。

…ヒョウはときおり、そのゲーム実況に参加させられていた過去が…あった。

…その番組はその名も「流石姉妹 姉者と妹者」。

ヒョウは、お好み焼きを作りながら…だが、首から上は挙動不審で、

「し…しらん! うちは、なんもしらへん… 姉者とか妹者とか、しらん…!」

「そうなんですかー。いや、ヒョウさん、あの姉者に似ているな~と」

「た、他人の空似や…! うちは何も知らへん、ゲームなんてやったことないわ…

 ドカポンやってて実の妹相手にマジギレなんて、そんなのうち知りまへん…!

 マリカーやらされたあとバナナ見るだけでビク!ってなんて、してまへん…」

「…先輩… なにやってるんですか…」

お好み焼きの匂いが流れるヒョウの屋台に、再び観客が集まり始めていた…

そのヒョウの屋台の、斜め向かいには… ジャガーの ごはん 屋台があった。





14-5

「…ジャガー、イカに続いてトリ串もこれで最後だ。もう氷しか残ってないぜ」

「わかった、ありがとうマヌル! おつかれ~ あとは私にまかせて」

ジャガーの屋台も、盛況だった。念のため、ジャガーは2日目の素材も持ち込んで

いたが…その彼女の慧眼も、押し寄せる観客の波の前には無力で。

夜9時の、第一次閉場を前に、マヌルネコの預かる焼き台は完全に売り切れ。

ジャガーのほうも、焼麺、焼き飯ともに売り切れて…あとは、残った具材をこまごま、

炒め物や串焼きにして「おつまみ一皿 1ジャパリコイン」のパネルだけを出して

訪れるお客に提供していた。

そんなジャガーの屋台に… 老人の手を引く孫、といった雰囲気の二人が――

「…ジャガー!! あそびにきたよー!! 今日はねえ、矢那おじいちゃんも一緒!」

「コツメ! 来てくれたんだ、ありがと。ごめん、あんまり料理が残ってないや」

「だいじょうぶ! これから、おじいちゃんと屋台回ってくるから!」

屋台を訪れたのは、ジャガーの親友のフレンズ、コツメカワウソ。

そして彼女が働く介護施設の入居者、近日退院予定の矢那老人だった。






14-6

「今日はねえ、アクシスジカたちも来てるよ~! …たのしいね、がーでん!!」

「昔の下宿の知り合いもたくさんいるよ。ねえ、マヌル、コツメが…」

久しぶりにフレンズ友と会い、そこに花がさくような歓談を続けるフレンズたち。

…その光景を、杖をつきながらじっと見守っていた老人の前に――

彼に気づいた、警備のハンター。矢張たちが小走りで駆け寄り、敬礼する。

「…矢那さん! お疲れ様です。退院ってホントだったんですね!」

「ああ、矢張巡査部長。退院は来年だが…やっと、自分の体が動くようになったよ」

ゆっくり、自分の手を持ち上げてそれを見る老人に、若い伊達も敬礼する。

「参事官、お疲れ様です! …こんなお元気になられるとは。…もしや。

 警備二課に復帰、なさるのですか?」

「もう私は参事官でも警官でもないよ。ただの痴呆老人…それが――」

矢那老人は、屋台の丸椅子の上で、たーのしーが我慢できないように座ったまま跳ねる

コツメカワウソの笑顔を、じっと見つめ…

「ここまで戻ってこれたのは、あの子のおかげだ。私の残りの人生は、あの子のため、

 フレンズたちのために使う――それが私に出来る、唯一の恩返しだ」





14-7

矢張と伊達は、敬礼の腕を降ろし… 1年前、この老人が現役で彼らの上司だった

時代には、間違っても口にしなかったことをあっさり言ったことに二人は驚いていた。

「君たちの上司は無理だが…来年、私は二課の顧問として戻る予定だ。

 若屋くんひとりでは荷が重すぎるだろう。…セルリアン危機は、日々悪化している」

「そうでしたか。比留守参事官が汚職やらかして湯河監察官に開示されちまってから、

 若屋さん、ずっと寝る時間無いくらいのオーバーワークでしたから…助かります」

「…あっ、しまった。すぐ、本部の若屋参事官に報告を…」

本部に無線を送ろうとした伊達を、矢那老人は手を伸ばして止め、

「今日は、無礼講みたいなものだ。若屋くんにはまた今度、挨拶をしよう…」

フレンズとともに人類を守る男たちが、無言で敬礼し――

「ねー! おじいちゃん、今度はあっち見に行こー! のど、かわいてない?」

「…ああ。少し疲れたから、何処かに座らせてもらおうか」

矢那老人が、孫のようなフレンズに引っ張られて雑踏の中に消えてゆくと。

「…閉会まであと1時間ちょい。行くか」「はい、先輩」

ハンターたちも警備のため、動き出した。





14-8

時刻は、夜の8時半をまわり…だが、がーでんの人手はまだ、衰えていなかった。

屋台などは売り切れ閉店になってしまった店も出てきたが…

それでも飲み物のブース、ビールサーバーを背負ったフレンズの移動販売のまわりには

開場のときと変わらない人だかりが出来ていた。

その屋台の並びを過ぎ… 道路に白いテープで仕切られたフリースペースの中で、

フレンズたちが物販したり、ヒトびとと歓談しているのを矢張は、見…

「……。ん?」 矢張の足、目がそこで止まる。

そのスペースには、戸板のような木の板が置かれ… そこに、フレンズとおぼしき

少女が、ひざを抱えて座っていた。…客も誰もいない、異質な雰囲気。

…なんだ? 矢張がその戸板と、フレンズの方に近寄ったとき。

「にっしっし。さすがお客さん、お目が高い。おひとつ、どうです~?」

矢張に声をかけたのは、その迷子のように座るフレンズではなく…

小柄な少女。ペンギン?のコスプレ?をしている、快活そうな顔立ちの女の子だった。

「どうです、って。…ここは君のスペース? なんの、お店なんだ」

小柄なペンギン?少女は、にししと笑い。木の板に筆で書かれた看板を、手で指す。





14-9

――その看板には かわうそすくい …と。達筆で書いてあった。

「……。かわうそすくい、て。…あの戸板の上の子は… カワウソのフレンズか?」

「さすがお目が高い。ニホンカワウソのフレンズだよ。1かい、1コインで」

「1回、て。…つーか、金魚すくいじゃなくて…カワウソをどうやって掬うんだ?」

「それはもう。ヒトのあなたが、あの子の近くに行ってあげて下さい。そうして…

 声をかけるんですよ。ヒトの手で絶滅してしまって、仲間のいないあの子に――

 もう大丈夫だって、やさしい言葉をかけてすくってあげてくださいよ~」

「……。カワウソ救いか」「1かい、1ジャパリコイン」

矢張は無言で、 かわうそすくい の看板に「販売停止」の札を貼り付ける。

「えー」「えーじゃないし。ダメだダメだ! 他の、もっと楽しいのにしなさい!」

わかったよ、んもー そのペンギン?の少女は、看板の板を裏返すと、そこに。

何処かから出した狸毛の特上和筆で、一息に書ききった。

 おおうみがらすすくい

「あーーー」「停止! 販売停止だばかやろう!」

その子のでこっぱちの額に、矢張は販売停止札を貼り付けた。





14-10

警備の伊達は、喫煙ブースを、そして潰れている観客がいないかどうか、トイレの

あたりも確認して見回り…時計を見る。もうすぐ、9時。閉会の時間が近づく。

開場には、まだ多くの観客が残って、思い思いに歩いたり、歓談したり。

そして、ヒト以外の、会場スタッフではない観客側のフレンズたちの姿も増えて

きていた。フレンズと話したり、写真をとったり、飲み物をおごるヒトびと。

「…明日の入場客は千人いきそうだな。…気合入れていかないと――」

その伊達の目が、カラオケ舞台の上で動いているフレンズたちの姿に、止まる。

…めずらしい。ペンギンのフレンズ…いや、コスプレか。

本物のペンギンのフレンズ、しかも無所属の子が歩いていたりしたら会場にいる

海自の広報官たちが黙っているわけがない。…ヒトの女の子の、コスプレだな。

…いちおう、何の出し物か確認するか。

カラオケ舞台へ進んだ伊達の目に、ドラムセットと、アンプ、大型のスピーカーが

映る。どこから持ち込んだのか…明日の会場の出し物か?

近づいた伊達の目に、三人のペンギン?の女の子が――

ギター、ベースのチューニングを、ドラムのセッティングしているのが映った。





14-11

そのペンギンバンドを、念のため確認しに行こうとした伊達の背中に ぱふっ と。

「ダーリン! さっきはごめんよぅ。もう泣いてなあい?」

伊達のバディ、カワラバトが背後から抱きついて、甘え顔で見あげてきていた。

そのかたわらにビールサーバーを売り切ったリカオンと、彼のマスターの矢張もいた。

「おつかれさまです」「伊達、そろそろ第一閉会だ。入り口の方に戻ってくれ」

「了解です。ハニー、いこうか」「うん、私も上から見張るねー」

「…なんとか、無事に終わりそうだな」

「そうですね… 明日が本番ですけど。頑張りましょう、先輩!」

ああ、と矢張は答え…カラオケ舞台の方を怪訝な顔で見ているリカオンの頭を撫でる。

「さて。最後に屋台、みまわるか」「…ええ、トシさん」

セルリアンと、生命を賭して戦うハンターと、フレンズたちは――

彼らの、もう一つの戦いを終わらせるためにヒトびとの雑踏の中を進んでいった…


会場で獅子奮迅の働きを見せたヒョウ。だが彼女の、本当の戦場はここでは…ない。

…平和の対極は、虚無。世界を襲う「セルリアン大壊嘯」まで――あと527日……





14-だそくてき

「フレンズがーでん」初日が無事、大盛況のうちに終わったその夜。深夜――

がーでんの開催責任者であり、そして警備のセルリアンハンター、警備二課トップで

ある、若屋参事官。

彼が一人で暮らす自宅に戻ったのは、日付が変わった深夜のことだった。

元自衛隊の二佐、情報保全隊のエリートだった彼は、幕僚への昇進も、エリート一族と

なる結婚も全て投げ打ち、セルリアンから人々を守るため、戦い…

そして…セルリアンと戦う武器でもあるフレンズを守るため、日々戦っていた。

――その若屋は、冷え切り静まりかえった部屋に戻ると…風呂を浴び、着替え。

そして…

テレビモニターの前のテーブルに、用意してあった小さなケーキを。チキンを。

玩具のツリーやプレゼントの箱を並べ…そして、満足そうにうなずき、ソファに沈む。

それらは、みな… モニターの中の「なにか」に捧げるように置かれていた。

…菊水ふなくちの封を開けた若屋が、モニター、レコーダーの電源を入れると。

画面には、ジャパリパーク。キョウシュウ島のサバンナちほーが映り、そして。

「…私はサーバル!」 若屋の顔が、決して部下には見せられない笑みを浮かべた……





15-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――先週、クリスマスの週末には「フレンズがーでん」で獅子奮迅の働きをした彼女。

一度回ったジャガノートの車輪は、止まるまでに数日を要し、そして…

「…うちは今、フレンズいち燃え尽き症候群の少女やねん…」


クリスマスの過ぎた、今年最後の週。「がーでん」の後片付け、そして売上の集計が

終わり、粉もん屋台を切り盛りしたヒョウにも、それなりの報酬が支払われた。

そのお金を、手伝ってくれたフレンズ、パンサーカメレオンと山分けしたヒョウは、

「…え、え? 拙者は手伝っただけなのに…山分け、ヒョウ殿と同額を取っては…」

「かめへん。無理言ったのはうちやしな。ほんま、先週は助かったで。ありがとなー」

…それでも、ヒョウの懐には、普段とはケタが二つほど違う現金が残った。

懐の温かいヒョウは、正月の餅を買いに行くのを先延ばしに、数日ごろごろ。

そして。大晦日も迫る、28日。

ヒョウたちの暮らす安アパート、通称「フレンズ下宿」の大掃除が例年通り行われた

その日、アパートの物置小屋から意外な“もの”が発見された。





15-2

小柄なフレンズなら、すっぽり入れそうな大きな鉄の深鍋。それが二つ。

それといっしょに、その鍋を据えるものらしいドラム缶を切ったコンロもあった。

陽の下に引っ張り出したそれを、ヒョウ、他のフレンズが囲み…

「なんやろね、このでかい鍋。さては大家の婆さん、正体は人食いの鬼婆か」

「…ヒョウ殿、またそんな…大家殿にもし聞かれたら大変でござるよ」

「聞かれたら、やな。…大家の婆さん、秋口からずっと入院してるやろ…」

「そうでござった… 正月に家に戻れないのはつらいでござるな」

「そもそも、婆さん。絵に書いたよな独居老人や。見舞いも、うちらしか来んしな…」


このアパート、「フレンズ下宿」の正式名称は「みどり荘第四」。

もとはこのあたりの地主の老婦人が経営するアパートであったが、建物の老朽化、

そして風呂なしトイレ炊事場共用の物件には昨今、入るヒトも少なくなっていた。

そのアパートを、区役所がレンタルする形で整備し、行き場のないフレンズ…というか

現代社会にいまいち馴染めず、定職につけずいるフレンズを住まわせることにした――

それが、このフレンズ下宿だった。大家の老婦人もここに住んでいた、が…





15-3

ヒョウの言うように、老婦人は秋から体調を崩し、今は都内の病院に入院している。

…夫に先立たれた彼女だが、子供や孫も多くいるはずなのに…

「…むなしいでござるな。資産家も、病床に身内一人見舞いに来てくれぬとは」

「…たぶん。婆さんが往生したら…そのときは業突く張りの餓鬼どもが押し寄せるわ」

「…もし、そうなったら。この下宿は…拙者たちは、どうなるんでござろうな…」

――しらん。ヒョウが言い切ったときだった。

「ん? なんだなんだ。 …ああ、懐かしいな。はそり鍋じゃねえか、それ」

屋根の点検を終えたフレンズ、真っ白で小柄な、可愛い、というか愛くるしい姿形の

イタチ科フレンズ、オコジョがあごを撫でながら笑う。

以前は河原に住んでいたオコジョと仲間たちも、今はこの下宿の住人だった。

「知っているんか、あんた?」

「しらいでか。こいつでな、いっぺんに百人前くらいのめしを炊いたりするんだぜ。

 …ああ、たぶん。大家の婆さん、町内会の顔だったからな。こりゃ防災用だ」

オコジョが言うには…災害時の炊き出し用に、町内の何箇所かに防災用品として

配置されているのが、この鍋、そしてコンロということだった。





15-4

「…でも、米も水も保管してねえ。最近は防災訓練でも、もう使わねえのさ」

「なるほどなー。ヒトに忘れられてもうた道具かあ」

その鍋、サビだらけのコンロを見ていたヒョウが。はた、と。

「…まだ、時間は早いな。――決めた。あんたら、今からこいつで宴会、せえへんか」

「え? この鍋で、で…ござるか?」

「そや。…はいハイ! いまからここで芋煮会、やるやつ! この指、とーまれ」

「…………」 「びっくりしたわ」

「なんやなんや。ノリ悪いなあ。大掃除も終わったし…あったかい、うまいもん食うて

 年の瀬をやね… つか。コイツで芋煮て、大家の婆さんの見舞いにするんや!」

そこまでヒョウが言うと、数名のフレンズが顔を合わせてうなずき…あとは、まさしく

芋づるで。下宿のフレンズ全員が、急造の芋煮会メンバーとして整列していた。

「よっしゃ。仕切るでー。…じゃあ、カメやんには数人連れて買い出し行ってもらお」

「かしこまりでござる。…で、芋煮会には何が要るのでござる?」

「そりゃ、芋と…たしか里芋だけど、うちの作ったジャガイモも入れたる。あとは…」

…野菜、肉。調理料は下宿にあるものを使う。ここまで決まった。





15-5

懐の温かいヒョウとカメレオンが、とりあえずの予算を出して――

カメレオンが、フレンズのラクダたちを連れて買い出しに出る。そのあいだに、

「よーし。この芋煮会、タダやないで。参加したい子は、部屋から何か食材を

 もってくる、米でもええで。何もないなら、あとで芋の皮、むいてもらおか」

「米なら正月用のがあったな。まあいい、食っちまおう。来年は来年の風が吹く、だ」

オコジョ、そして彼女を姐御と慕うイタチのフレンズたちが食材を吟味しに

部屋に戻ってゆくあいだ、ヒョウは表の洗い場ではそり鍋と木蓋を洗い…

…恐らく部屋には何もなさそうな、手持ち無沙汰のタヌキとハクビシンのフレンズに、

「そや、あんたらちょいと走ってくれへんか? このあたりに住んでヒマこいとる

 フレンズたちを呼んできたってや。こういうの。人数は多いほうがええしな」

タヌキたちが走り出すと。ヒョウはドラム缶コンロを中庭において…

「…先生、今日も出かけてるんやったな。最近、よう出かけるなあ」

ひとり、つぶやいてから。ヒョウはコンロに鍋を置き、水を張り…

「米は一升あればいいか?」

「上出来や」 オコジョとヒョウがニヤリ、笑う。





15-6

並べられたコンロは、三つ。はそり鍋の水が煮えているところに、同じく小屋に

あったお釜で米をといできたビントロングが重そうによろよろ戻り、

「…オコジョさん、これでいい? …手が冷たい、落っことしたら大変…」

「もう私が受け取ったっての! よし、いいぞ」

二つのはそり鍋、そしてお釜が木蓋をされ、薪の火がじっくり焼いてゆく。

少しして、買い出しチームのカメレオンとラクダたちが戻り、

「…おまたせでござる。商店街で少し騒ぎがあって…セルリアンかと思ったら

 ただのボヤで一安心してたら…ちょっと、知った顔と会って――」

「話はあとや、湯がわいてまう。ソッコーで芋むいて、ぶちこむでー」

中庭に出された食台に、炊事場のまな板と包丁がありったけ持ち出されていた。

そこに、力自慢のフタコブラクダがダンボールごと買ってきた里芋が出され、ヒョウ、

イタチ仲間、そして戻ったタヌキたちが先を競って芋を剥いて、刻み。鍋へ入れ。

「…ヒョウ殿、どうやら芋煮は地方によって具材が牛、豚、鶏と異なり、味付けも

 味噌の地方と醤油… …あーっ!」

豚肉と鶏肉の刻んだのを、ヒョウが混ぜて、どぼどぼと片方の鍋に入れていた。





15-7

「…ご、後生でござるから。鍋が二つあるのですし、片方は醤油、片方は味噌で…」

どうやら全部同じ味にするつもりだったらヒョウも、カメレオンの懇願に負けて、

一つはミックス味噌風味、もう一つの鍋は牛肉と醤油と醤油風味で煮られる。

芋と肉、人参、玉ねぎが刻んで鍋に入れられ、夕暮れの色が忍び込んできた中庭に

薄っすらと煙、もうもうと湯気、そして腹にしみる煮物の匂いが漂いだした。

…そこに。包丁仕事が一息ついて、ヒョウに言われた具材の持ち寄りを部屋から

出してきたフレンズたち、そしてタヌキたちが呼んできたフレンズたちも、湯気を

上げる大鍋の珍しい光景に目を輝かせ、手にしたブツを鍋奉行のヒョウに見せる。

「…ネギ、上出来や。…カブ、うんうん。…煮干し?うん、あとで入れよ。

 …梅干し? おにぎり作ろ。…パン? うちがもらって明日の朝飯や。

 …シール付きチョコ? 闇鍋やないんやから…まあよし。…酒? 気が利くやん」

なんかんだで、フレンズが集まってのけものがいるはずもなく――

味噌、そして醤油でフツフツと煮える二つのはそり鍋。

お釜もプーッといい匂いのごはん湯気を吐き…ヒョウが火を小さくする。






15-8

そこに…静かな地響き、といったエンジンの音が表の通りから響き…

フレンズたちが??と顔を上げたそこに、一台の真っ黒なセダン、スカイラインが

スモールライトを点灯させ、下宿の中庭に左折でゆっくり…入ってくる。

なんや? ヒョウの顔いぶかしく傾ぎ、その目に。

開いたセダンのドアから、白いスーツ姿のいかつい男が。そして黒いドレス姿の

フレンズ、アイアイが姿を表し――スーツの男が、フレンズたちに手を振る。

「…ああ、あんた。クリスマスのときの。地回りのヤクザが来たかと思うたわ」

「いきなりすまないな。警備二課の、真坂だ。…アイアイ、荷物を降ろしてくれ」

漫画ゴラクの表紙に載ってそうな厳つい風貌の男は、不器用な笑みを浮かべる。

この男は、警視庁セルリアン・ハンターチームの警察官だった。

男の使役するバディ・フレンズ、アイアイがトランクからダンボールを降ろす中、

「セルリアン警報かと思って急行したら、ただのボヤでな。

 戻ろうと思ったところに、カメレオンに会ってね。話を聞いたんだ」

「なんや。カメやん引きこもりのくせに意外と顔、広いなあ。…で。

 桜田門=サンが、うちらの芋煮に何の用や?」





15-9

まだいぶかしそうなヒョウの前で。真坂は湯気を立てる鍋に目を細める。

「俺は山形、庄内の出でね。…最近、クニには帰れていないが――

 芋煮と聞いて我慢できずに駆けつけたよ。差し入れするから、混ぜてくれないか」

「追加の里芋と、豚バラ、鶏もも肉5キロづつ。味噌と長ネギ。お収めください」

突然の客、真坂とアイアイ。彼らの差し出したダンボールに、

「そういうことは先に言わなあかん。ええで、VIP席はあらへんけどなー」

ヒョウは親指を立て、二人を奥に通し…

オコジョとビントロングが、お釜をコンロから下ろして。パーフェクトなタイミングの

湯気をあげる炊きたてのごはんにしゃもじを入れる。

ヒョウも、両方のはそり鍋の頃合いを見、よっしゃ、と。

刻んであった大量のネギ、青菜を鍋にぶち込んで、かき混ぜ…小皿で味を見。

「……。よっしゃ、両方あがりや。カメやんの言う通り、二種類作ってよかったわ」

そこに、イタチ仲間とタヌキが、下宿あったありったけの器とハシ、匙を出してきて。

庭に、ゴザやビニールシートが敷かれて。椅子も持ち出され。

「そんじゃあ… みんな、おまっとさん! いてまえー!」 ヒョウが牙を向いた。





15-10

わっ! っとフレンズたちが鍋に群がり…大きなお玉で、自分たちの器に汁と具を

たっぷりよそって。その湯気と風味に、みんなが目を細め。

「ああ、うめえ」「…あんまり急いで食べると、口を火傷するよ…?」

「クロちゃん、おいしいね!」「うん、おにぎりも…おいしい」

「…トワにも食べさせてあげたい…」「…もう忘れなって。…ごめん、そうだね」

客人の真坂とアイアイも、渡された器とハシを手に席につき、

「…うまい。懐かしくて涙がでるな。…ガキの頃は美味いと思わなかったが――」

「…めずらしい。俊さんが昔のことを話してくれるなんて」「――……」

鍋二つに煮て正解。そんな盛況、食欲の宴会が夕暮れの色の中で続き、

「…おっと、忘れたらあかん。煮詰まる前に、と」

ヒョウは、保温ポットに牛肉醤油風味のほうの芋煮をたっぷり入れてフタをし、

「…あんまり遅ならんうちに、大家んとこに見舞いに行ってやらなあかんな」

「あ、それなら拙者が。…急いで食べすぎたせいで、お腹がもう…」

カメレオンが、芋煮会の理由を手にして下宿の庭を抜けてゆく。

「…はあ、あったかい。…やってよかった」 ヒョウがしみじみ、夕日につぶやく。





15-11

差し入れの肉も野菜も芋も、容赦なくぶった切られて両方の鍋に放り込まれ、片方は

残りのごはんまで入れられて、雑炊風味でぐつぐつ、フツフツ煮える。

みんなが、久しぶりに腹いっぱい食べ、まだ食べる気でいるそこに、

「…なんだなんだ、これ。下宿で炊き出しでも始めたのか?」

また別のフレンズが、顔を出す。ネコ科の、美しい模様の毛皮。小柄なフレンズが二人。

「いよう。マヌル、ジョフやんか。ちょうどいいわ、食っていき」

ヒョウが満腹の肉食獣独特の鷹揚さで。顔見知りフレンズを手招きすると。

警備二課のフレンズ、ハンター双葉のバディであるマヌルネコとジョフロイネコが

手土産の缶ビールの箱、ジュースのペットボトルをぶら下げて庭に入った。

その姿に……イタチ科の姐御、オコジョがジョフにくってかかる。

「この糞猫!delして銭瓶橋に沈めるぞ」「猫死すべし…」「臭い襟巻きがいるでちね」

仲の悪いオコジョたちとジョフの口喧嘩を、みんなが笑い、そして止め…


年の瀬に、たとえ思いつきでも満たされ、そして絆を固くするフレンズたち。だが…

「セルリアン大壊嘯」の破滅が起こす末世で、豹頭姫が啼くまで――あと520日……





大晦日 1

今年最後の夜が更けてゆく。いわゆる大晦日、賑わう夜の駅裏に ごはん 提灯。

夕方まで降っていた雨がいつの間にか消え、湿った夜気が凍てついてゆく深夜。

…だが、市街や歓楽街にはまだ人通りがあり、神社に二年参りをする人々の雑踏、

ざわめきが続く中… 駅裏の通りにも、その活気があふれ出していた。

クリスマスにここで行われた「がーでん」の熱気がまだ残っているような…

二年参り、そして夜更かしの人々。そして彼らを誘う、屋台の灯りと食べ物の匂い。

…そこに。付台の向こうから、ひょこっと。

「…あっ、とし。来てくれたの? えっと、いらっしゃい」

太陽の色の髪と、先端の黒いかわいいけも耳。ヒスイ色の瞳がこちらをのぞく。

…ああ、なんど見てもホッとする。

赤いごはん提灯を下げた屋台、周りにマサラと揚げ物、オガ炭の焼ける匂いを放つ

その屋台は、フレンズ、ジャガーさんの屋台。そして彼女は俺の……

装備スーツの上にコートを着たままの格好で、俺は屋台の丸いすに腰を下ろす。

ジャガーさんはつけ台の上を拭いて、そして俺の装備と顔を見、

「…まだお仕事なんだよね、おつかれさま」 少し、さびしそうに笑う。





大晦日 2

ジャガーさんは俺の前に、いつもの瓶ビールとグラスではなく、ポットから注いだ

熱いお茶を特大湯呑みで出してくれる。

…もうもうと揺れる湯気、少し香ばしい香り…口をヤケドしないよう、気をつけて

すすると…ジャガーさんのもう一つの故郷、南米のマテ茶だとわかる。

「お仕事だからお酒、だめだけど。ごはんはいっぱい、食べていって」

お茶を注ぎ足してくれたジャガーさんが、そうっと俺の手の甲に柔らかなねこ手を

置いて、ふわっと俺の耳に頬ずりしてくれて…また離れた。

…おいしい、冷たい水みたいなジャガーさんの体臭。…身体の下のほうが熱くなる。

「ハンターのみんなも、年末年始はお休み無いんでしょう? たいへん…

ジャガーさんが、コンロに火を入れ、先にお通しのような皿を出してくれる。

ふわっとしたせんべいのような揚げ物。かじってみると、ラードで揚げたおモチに

甘辛いソースをかけたものだとわかる。空きっ腹には抵抗できない味だ。

「私もね、年始までずっとお店出そうかな、って…」

それとマテ茶でハラを温めているあいだに、鉄鍋が景気のいい音を立てて働き、

1分もしないうちに、大盛りの焼麺の皿が俺の前に滑ってくる。





大晦日 3

うま味の爆発というか、熱い湯気とうまそうな香りが夜風に負けじと広がる。

まさに屋台料理、外で食べる醍醐味。といった風のその焼麺にハシをさすと…

ドライカレーっぽいマサラの風味、さっと炒められた麺の上には唐揚げのぶつ切り

そして酢漬けの玉ねぎスライスが山ほど盛ってあった。

…うまい。

無尽蔵に食えそうな気がするカレー風味の麺、そこにサクサクの唐揚げが混じって

肉の旨味と食感で口を喜ばせて。意外なほど酸っぱく辛いタマネギがいい仕事を

して、水なしでも大盛りの麺がもりもり食える。あっという間になくなってゆく。

「…うふ。おなか、すいてた? おつまみみたいなものでいいんなら、ねえ…」

ジャガーさんは楽しそうに、炭火であぶった何かの串の皿を出してくれる。

緑色のそれは…キャベツを丸めて、中ににんにくを忍ばせた野菜団子を串に打って

油と、塩をふってサッとあぶっただけのもの。

…これも熱くてホクホク。食いでがあって、野菜のうま味が口からこぼれそうだ。

マテ茶を飲み、ジャガーさんの料理を次々、胃袋におさめて… …そして俺は。

「……。そう…もう、行かなきゃならないんだ」 ジャガーさんが顔を伏せる…





大晦日 4

…この年末年始は、セルリアン特別警戒期間、そして俺たちセルリアンハンターで

ある警視庁警備二課、そして俺たちのバディ・フレンズにとっては正念場だった。

――1年ほど前から、この地上に突如出現し、人々やインフラを押そうようになった

謎の怪物、セルリアン。

人類はその怪物と戦うため、フレンズを駆使し、専用の装備で対抗し…

人類はセルリアンに拮抗、この文明生活を維持できて…いた。

だが、その均衡が崩れるのはおそらく…一瞬だ。…なぜか、俺には予感がする。

それを防ぐためにも、俺たちは…

屋台を立ち、財布を出した俺にジャガーさんはさびしそうな笑みを浮かべ首を振る。

「…お仕事、がんばって。マヌルたちにもよろしくね。…気をつけて、とし…」

最後に、俺たちは…屋台の陰で子供の戯れにように手指を絡めあって…離れる。

俺はそのジャガーさんに、三日からは休みが取れそうだ、とだけ伝える。

「…うん、わかった。私もね…お正月は、友達のお店や屋台手伝ったりして働く

 ことにしたんだ。…一人であの部屋に戻っても、かえってさびしいから…」

「じゃあ。良いお年を、とし!」 ジャガーさんは笑って、手を振ってくれた……





16-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――クリスマスと年末の多忙を経て、新年元旦。あけましておめでとうございます。

そしてヒョウは再び、どこに出しても恥ずかしい無職処女へと返り咲いて…いた。

「…うちは今、フレンズいち働きたくないでござるな気分の少女やねん…」


東京の片隅、昭和の香る古アパート。通称「フレンズ下宿」にも、正月はやってくる。

派手に祝ったり出かけたりする、そんな気力もおアシもない無職のフレンズたちが

午後の日だまりのように溜まって暮らす、その四畳半部屋下宿も元日を迎えていた。


「…芋煮のときに米ぜんぶ、食っちまってたからな。こいつは助かるぜ」

「礼なら、オオカミ先生が戻ってから言ってあげてや。…まだモチ、山ほどあるなあ」

「…オコジョさん、気をつけないとおもち、喉に詰まる…そうしたら大変…」

「んな、爺じゃねえんだから」「…私たち、じじいになっても友達…」「ああ。…おい」

「クロちゃん、これ半分っこしようか」「うん。ありがと… あまくて、おいし…」

台所のある、タイリクオオカミ先生の部屋を借りてのモチパーティが開かれていた。





16-2

四畳半に広がる、正月を彩るしあわせの匂い。餅の焼ける匂い。

砂糖醤油が焦げて、そこにノリが巻かれたと…見なくてもわかるうまそうな匂い。

焼き網の上で次々、モチがふくらんで…

ときおり、何もつけずにそのまま食べて、モチのうま味と熱さに口をハフハフさせ。

別の鍋では、切り餅がたっぷり煮られて、とろける。

それを思い思いにハシでとって、器の中にたっぷりの大根おろしと醤油にまぶして

ツルン、と食べる。モチの甘さとうま味、大根の辛味とみずみずしさでいくらでも

食べられる。それでも口が辛くなったら、重湯でといた小豆あんの器に煮モチを

いれて、おしるこ風に食べて… 辛いと甘いで、無限に食べられる気がしてくる。

十名近いフレンズが食欲を爆発させても。まだモチの山は健在だった。

「いいお正月ですねえ。先生に感謝ですわ」

食べすぎて眠そうな声のフレンズ、フタコブラクダがうっとり言って。

区役所から支給された「おせち」とお菓子、見たこともないメーカーの缶コーラを

みんなで、飲み… 一息ついて、またおモチを食べる。そんな、フレンズの正月。

「先生も、ここに居ったらよかったのに」 ヒョウがため息つき、言った。





16-3

下宿に溜まっていたフレンズたちのもとに、大晦日、タイリクオオカミ先生からの

付け届けが、正月の餅と御節御重のプレゼントが届けられていた。

――この下宿の古株であり、そして有職者・漫画家のフレンズ、タイリクオオカミは

クリスマス明けから、ジャパリパーク振興会東京支部へ出かけていて、そして…

「…先生、お正月も戻らへんなんて、なあ。向こうで何してはるんやろ…」

オオカミ先生のアシスタントでもあるヒョウが、今日何度目かの心配を口にして、

ため息をつく。

「モチについてた手紙で、心配ない、会議が少し長引いてるだけだって。さ。

 松の内が終わる頃には戻るって書いてあったし… 心配するこっちゃねえよ」

黙っていれば…小柄で、愛くるしい姿形のフレンズ、オコジョが焼き網の上で

ふくらむモチを返しながら、きつい口調で言う。

「…ヒョウ、おまえも先生と同じ頂点の肉食だろ。ごんぼほってるタマかよ」

「…うちは繊細なハンターやねん。…ああ、フタコブはん。うちにもコーラ…」

ヒョウは、元日から胸を重くする心配事、不安を炭酸で流し込む。

「せっかくの正月や。…そういやカメレオンまで、元日からどこ行ったねん」




16-4

ヒョウ。そしてオコジョと親友のビントロング。彼女たちが率いるイタチ軍団の

ホンドテン、クロテン、そしてラクダたちが正月を楽しむ、餅の宴。

先生から届けられた餅は五臼もあり、全員で食べても三が日はもちそうだった。

それといっしょに届いた豪華な御節の重箱は、フレンズ協議の結果、念のために

明日以降に食い延ばすことにして…

今日は、モチと、あとは在留フレンズたちに支給されるまんじゅうと同じく、

正月に支給される「フレンズおせち」をめいめいで、食べてしまう。

「フレンズおせち」はサンドスターが白米ピラフに配合されている以外は、どこか

見覚えのある内容…某刑務所マンガで描写されたものと、瓜二つ。だった。

「クロやん、うちのたいねりあげるわ」「ありがと、じゃあテンちゃんと半分こ…」

「お姉ちゃん。もっとおモチ、煮る?」「そうねえ…切ったぶん、食べちゃおうか」

ヒョウは、窓の外のおだやかな午後の陽射しを見… また先生のことを考えていた…


この平和は一瞬のうたかた。誰かが言っていた気がする。独り言だったのかもしれない。

「セルリアン大壊嘯」の破滅に慟哭のヒョウが牙をむくまで――あと516日……






17-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――だが去年の年末に本気出したおかげで、ヒョウは懐が温かかった。…だが。

オオカミ先生はまだ戻らない。…不安と、もやもやした気持ちを流すため、彼女は…


いつものスウエットにジャージ、そこにジャンパーだけを羽織ったヒョウは、電車で

数駅の、初詣客でごった返す都内の神社へと向かう。

正月らしい縁起物の露天、酒を出す屋台が参道の両側にずらりと並ぶ、その間を…

「ひゃあ。ヒトもこんだけ集まると、おっかないわあ。神サンも大変やなあ」

流れない奔流、と言った感じの雑踏。その合間から屋台の垂れ幕が、そして…

「いよう。バクの姉御、景気はどないや」

ソースに鉄板油、醤油、煮込みのフレーバーが主流の屋台で、そこだけコリアンダーと

八角の匂いを放っている南アジア料理の屋台、フレンズのバクにヒョウは声をかけた。

店主のバクは、いつも少し眠そうな顔でヒョウをちら見して、

「なんだ無職の冷やかしか。…だめだね、クリスマスのがーでんで荒稼ぎしすぎたよ。

 あれとくらべると…しょっぱいね。家でうちの宿六とコタツ入ってりゃよかった」





17-2

「そりゃそーよ姉御。がーでんのときはウチラが主役みたいなもんやったし。

 今日の主役は神サンやもん。そのかすりを頂戴せんと」

「がーでんはショバ代もタダ、食材の援助もあったからねえ。あたしらは丸儲けした

 けど主催は大赤字だったろうさ。お上が税金でやってなきゃ大ごとよ」

ヒマそうなため息ついたバクは、ヒョウが無言で滑らせてきた500円玉をちら見し、

「さすが正月だね。あんたが白い色のお金出すのひさびさに見たよ」

「いつもは10円玉に5円があって。って、やかましいわ」

バクは炭火にかかっていた、牛肉とタマネギをコショウたっぷりであぶった焼串を

おまけで3本、厚紙の皿に包んでヒョウに差し出した。

「おおきに。 …そういや、ジャガーはどのへんで店だしとるん?」

「ああ。あの子、今日はピューマの店の手伝いさ。もっと奥のほうだよ」

「ふうん。よっしゃ、あとで冷やかしたろ。…姉御、ここ飲み物は売ってないんか」

「縁日で酒売っていいのは地元と地回りのコネ持ちだけさね」

「正月からヒトらしい話やね。…あ、これめっちゃウマ…」

ヒョウは手をひらひらさせてバクの屋台を離れ、雑踏に溶け込んで…消えた。





17-3

元日の東京は、近年まれに見るおだやかな上天気、晴れ日和に恵まれていた。

風もなく、暖かな日和に誘われて各地では初詣や観光、買い物の人々で各所が混雑し、

首都高や幹線道路も所々で渋滞していた。

その首都東京を、セルリアン災害から守るハンターたち。

警視庁警備二課、SAFTのハンターとバディ・フレンズたちのチームはほぼ全員が、

東京都全域に第一警戒態勢で配備され、セルリアンの出現に備えていた。

クリスマス開けの週、そして大晦日、元日へと続く中…

幸運なことに、大規模なセルリアン出現は首都圏、そして日本全域でも発生して

いなかった。出現、被害なしのままに迎えた新年、元日…

人々がおだやかな正月を楽しむ中…警備二課、そして自衛隊の対セルリアン部隊は

休むことなく警戒を続け、そして… 穏やかな日が続く、今日。

ハンターたちは、静けさのあとに来る大嵐を警戒し…人々が初詣に集まる神社や仏閣、

繁華街を、人々に混じって行動、監視の目を緩めない。

――そんなSAFTのハンターたちのチーム。矢張巡査部長とリカオンのペア、そして

伊達巡査とカワラバトの二組は、予定通り午後から港区の氷川神社へと移動した…





17-4

初詣客で混雑し、行き交う人々が途切れないその神社の大鳥居前で、矢張と伊達は

合流。カワラバトは上空50メートルほどで監視を行っていた。

「…あけおめ。定時連絡じゃあ、どこも異常無しだ。ここも、そう行きたいねえ」

「…そうですね。三が日を乗り切れば、ひと安心だと思うんですが…」

コート姿の矢張と伊達は、一般の参拝客を装い…だがそのコートの下には対セルリアン

装備が一式、そして肩に駆けた大型バッグには虎の子の振動地雷。

「…神社の周囲を見てきます。トシさんたちは参道の方をお願いします」

「おう。リカオン、それが終わったら俺のところに戻ってくれよ」

大きな帽子をかぶって、非フレンズに変装したリカオンがマスターの矢張に告げ、

小走りで行ってしまう。彼女の、ブカブカの上着の下にはフル装備、セルリアンに

とどめを刺す爆薬、破砕装置を四つ携帯しているはずだった。

「…ここは港区だ。万が一、やべえ大型が出現してもキンシコさんがすぐ近くにいる。

 緊急時には市民の退避が最優先、いいな」

「わかってます。先輩、定時連絡忘れないでくださいよ」

二人のハンターは、無言でうなずき合い、雑踏の中に紛れて…進む。





17-5

「…氷川神社かあ。ガキのときに聖地巡礼したっけ。…レイちゃんシコれたなあ」

ぶつぶつ意味不明のことを言いながら、矢張は参拝客に紛れ、セルリアン以外の

トラブルが起きていないかも見て回り、参道の両側にずらりと並ぶ屋台を、見る。

…参拝客の中にも、ちらほらフレンズの姿が、特徴的なけも耳や髪型が目の入る。

客が並んでいるあの屋台は…

「ああ。アライさん、ここにも店出してんのか。働きもんだなあ」

クリスマスの「がーでん」にも出店していたフレンズ、アライグマの鉄板焼屋台が

磯辺焼きらしきいい匂いを周囲に振りまき、人の足を止めさせていた。

「どーも。いらっしゃーせー。ボスのぬいぐるみ、あるよー」

アライさんの屋台の隣は、お面とオモチャの露天だ。中にいるのは…アライさんの

相棒、ピンク色の可憐なフレンズ、フェネックが気だるそうな声で呼び売りしていた。

…一時期は、セルリアン出現がフレンズのせいにされていた風潮、流言もあった。

だが今は、そんなデマも影を潜め…こうやって、フレンズが日常に溶け込み、人々と

同じ時間、同じ場所、同じハレを楽しんでいる。

「いいこっ、た…」 つぶやいた矢張。その目に、ふと…





17-6

「……。ん。…んっ? ん?」

ひとつの縁日屋台が、目にとまる。ほとんど客が足を止めていないその屋台は、

ぱっと見、射的か何かの店に見えた。赤い敷物の台、少し離れた景品の棚。

…だが。矢張の目を、まずいものでも食ったかのようにしかめさせた、それは。

 しゃてき 1回 500えん

木の板に筆書きされた、その文字。そして店主らしき、ペンギン?のフレンズコスを

した、見覚えのある髪の長い…でこっぱちの、少女。

「…おい」 思わず声が出た矢張に、そのペンギン?の少女は。にしし、と笑う。

「ありゃー。こりゃ旦那、おつとめごくろうさんですー。どうです、1回」

「ここは俺の管轄じゃねーし、俺は地回りでもねえよ。…てか、射的?」

「射てき。そんじょそこらの射的とは違うよー。みてよ、これ」

その少女はペンギンのヒレ手をひょこひょこさせ、矢張に…台の上の、玩具の銃を、

そして…アルマイトの小皿に乗った、金平糖のようなものをみせる。

そのタマ?は、キラキラ虹色に輝く小さな粒で…矢張には見覚えのある、虹の…

「まさか」「イエス。サンドスターを打ち出してえ。狙うのは… アレ!」





17-7

そのペンギン?少女がヒレ手で指した台の上には…

何かの石ころ、アンモナイトのような化石。そして古びた骨のようなもの、さらに

コハクのような宝石から、見たこともない毛皮の切れ端まで…

およそ、縁日の射的とは思えない…いわゆる、ガラクタがずらり、並んでいた。

「……。つまり、どういうことだってばよ。このでこっぱち」

「ルールはかんたん。この銃でぇ、サンドスターの弾を撃ってぇ。見事、狙った的に

 当たって、落とせたら今はもう地上にいないレア物の痕跡遺物ゲット!」

「…ただの石とか、ラーメン屋の裏で拾った骨だろ、あれ」

「しかも! 大当たりだとサンドスターの力で新しいフレンズが生まれるかも。かも。

 出会えたこの奇跡に感謝しましょうってことで、フレンズお持ち帰り!」

「…カラーひよこじゃねえんだから。つか、パーク以外でフレンズが派生するかよ」

「というわけで、1回500えん。どうです、おにいさん」

…あほくさい。矢張はガックリしつつも…前回の「がーでん」のときにこの少女が

やっていた かわうそすくい よりはマシだな、などと思いつつ。

矢張は、ポケットからタバコ代の500円玉をつかんで少女に渡す。





17-8

「まいどありー。じゃあ、好きなマトを選んで5発、撃っちゃってねえ」

…アホくさい。矢張は、よく出来ているサンドスター…のイミテーションの弾を

まじまじ見ながら、それを玩具の銃に装填する。

…そもそもサンドスターは、ジャパリパーク本島でしか採掘できない上に、その

採掘権はパーク振興会と日本、アメリカ両政府ががっちり抑えている希少鉱石だ。

こんなテキ屋のでこっぱちが本物のサンドスターを持っているわけもない…

 パスッ 1発目はずれ パス! 2発目もはずれ パス!ビス! 3発目あたり。

…だが。矢張が狙ったアンモナイトは、直撃を受けてもびくともしない。

 ビシ! 四発目も直撃、だが石と化した巻き貝は微動だにせず… 5発目ハズレ。

「……」「いやー、おしかったですねぇ旦那。もうちょっとで落とせるかもー」

…だが。矢張の目は。景品?が並んだ台、その端のほうにちょこんと置かれている

モノに向く。…黄色い、ペンぐらいの筒…

「おい。なんであんなところにアロンアルフアが置いてある」

「…おっと。イヤ、これも景品でして… にしし」

でこっぱちのヒレ手が、ぬるっとアロンアルフアをさらってどこかに隠した。





17-9

「…今日は、販売停止は見逃してやる。…まあ、射的ってこんなもんだよな」

「そんなことないですよー。あ。じゃあおまけでシール、一枚あげるね」

矢張は、ペンギン?少女から小さなキラキラシールを受け取り、それを見…

 ペシ 「あーーー」「おまえのシールじゃねーか、このでこっぱち!」

シールをそのまま、少女のおでこに貼り付けて「しゃてき」の屋台をあとにした。

「まいどありー。またきてねー」

「もう来ねえよ!ウワアアン ……。…ん?」

悪びれず手を振る、ペンギンコスプレの少女を見た矢張は…おもわず、目をこする。

少女の足元に、何かが… いた。最初は黒い猫かと思った。違う。…黒い、何か…

…猫ほどの大きさの、動くたびに形を変える… 真っ黒い、何か。

…最初、黒い小型セルリアンかと思ったが、違う… テケリリ と、転がるたびに音を

出す玩具のようなそれには赤いスカーフが巻きつけられ、ペンギン?少女の足元で…

それは声を、男のヒトの声をだす。

「…おめーな。いっくらヒトの目を盗んでてもそのうち見つ…ぐえ!」「うるさい」

少女の足が、その黒い何かを踏んで黙らせる。…矢張は、そっとその場を後にした…





17-10

…その頃。参拝客たちの行列を監視していた伊達は、

「…? あれ、あの子は」 見覚えのある少女の顔を見つけ、声をかける。

「あの、すみません… がーでんでお会いした。たしか君はパークの…ナナさん?」

その相手は…パーク研究員のジャケット姿、髪をサイドテールにした女性だった。

「あっ、あなたは二課の…その、こんにちは、あけまして…えっと。ああ…いけない、

 すみません、その… 私、脱走したフレンズを探していて…」

「脱走? それって、どんなフレンズです? よかったら僕も…」

「あ、ありがとうございます! その…ペンギン目の子なんですけど、ペンギンに

 しては小柄で、えっと、あとは…」

「ペンギン、ですか。仲間にも無線で知らせます」

「すみません… あの子、カコ博士が合成を成功させた最初の絶滅種サンプルで…」

…え? 絶滅種って、フレンズにはならないはず…? 首を傾げる伊達の前で、

「あの子、いつも勝手に外に出ちゃうんです。電磁ロックをどうやって…

 他の組織や国に見つかると大変なんです… あの子には触媒としての可能性――」

…しまった、と… パーク研究員、ナナはハッとして口を手で抑えた…





17-11

…正月。彼はただのとしあきであった。

…金もなければ彼女もいない。正しいとしあきである彼は、初詣の日。

「ちょっと。そこのとしあきみたいな顔した君、運試ししていかない?」

彼は、玩具のサンドスターを撃つ射的で、ガラクタにしか見えない何かを撃つと

いう散財をして、そして…5発のうち、4発まで全部、ハズレた。

…こんなもんだよ…わかってたよ… 彼は、最後の一発を狙いもせずに、撃つ。

…終わった。彼が立ち去ろうとした…そのとき。

――宇宙からの色が。すべての色彩を集めたような虹のきらめきが溢れた。

!? な…? 彼がその眩しさにつぶってしまった目を、開いた…そこに。

「…ここは…どこ? 貴方が、私を呼んだの? 私を…目覚めさせてくれたの?」

虹色の残滓をまとって立つのは…剣を持った、凛々しくも美しい古代獣のフレンズ。

「…お腹がすいたわ。何か食べないと… 貴方をとって食う してしまいそう…」

としあきは慌てて、そのフレンズの手を引き、別の屋台へと向かった…

彼の名は多田野敏明。のちに民間初のセルリアン対策企業「新世紀警備保障」の

中核ハンターとして名を轟かせることになるとしあきだった――





18-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――慌ただしい年末年始もすぎ、ただただ冷え込む無味乾燥な冬が戻ったと同時に。

ヒョウもまた、無為徒食の日々を四畳半部屋で繰り返す無職フレンズに戻っていた。


「…オオカミ先生、ほんま、いつになったら戻ってくるんやろ…」

陰鬱な色の分厚い雲が空を転がってゆく、冬空の下。ヒョウは彼女が暮らす安アパート

通称「フレンズ下宿」の庭先に出て…風の寒さに、羽織った綿入れの前で腕を組む。

この下宿の住人の一人、有職者そして人気漫画家のフレンズ、タイリクオオカミ先生。

彼女は去年の年末からジャパリパーク振興会の東京支部へと泊まり込みで出かけ…

そのまま、何かの会議が立て込んでいるとかで年末年始も戻らなかった。

そして…先生不在が2週間になろうとしている下宿。その庭で。

「カメやんも、どこ行っちゃったんやろ。正月のモチ、とっといたのになあ」

下宿の同居人、パンサーカメレオンもしばらく不在のままだった。

ヒョウは中庭の落ち葉を熊手でかいて畑にまき…また空を見る。

…何か。予感めいたものが彼女のけも耳を小刻みに動かしていた。





18-2

「…あかん。へんな寒気がする。こういうときは、ロクなことが起きへんで…」

もう部屋に戻ろうか。ヒョウがきびすを返そうとしたとき。

…? 下宿の前で、車が減速する音がして。緑色のタクシーが停まった。

「ん? …なん、や…… !? 先生!!」

最初に降りてきたのは見覚えのあるフレンズ、長身のアミメキリンが街路に降り…

そして、彼女が手を引くようにしてタクシーから降ろしたのは。

駆け寄ったヒョウの目に、白と黒のスーツ、髪とけも耳。金と青の瞳。その色が映る。

「…オオカミせんせえ! …あれ、キリン…?」

アミメキリンに支えられるようにして、なぜか少しよろめくようにして下宿の中庭に

進んだタイリクオオカミの顔が、目が。ヒョウを見てホッとしたように笑う。

「…ただいま。ヒョウ君。…すまないね、だいぶ長く留守にしてしまって」

「先生! あっちで何かあったんです!? あ、いえ、その。おかえり、なさい…」

オオカミ先生は、何か…ハードな締め切り徹夜明けのような顔で。

だが涼し気な笑みの目をヒョウに向け、そして…かたわらで、なぜか難しい顔をして

黙り込んでいるアミメキリンを見、その肩に手を置いた。




18-3

「…アミメ君。世話になった、本当にありがとう。…おかげで戻ってこれたよ」

「…いえ、私は何も」 あのおしゃべりなキリンが、沈んだ顔で言葉を切る。

「ここは寒いな。ヒョウ君、アミメ君。私の部屋へ――風ぐらいはしのげるさ」

オオカミ先生が、二人のフレンズの肩をたたいた。

 …そして。タイリクオオカミ先生の部屋で。

最初に口を開いたのは、黙りこくるアミメの不安が伝染した…ヒョウだった。

「その、先生。…パークのほうで、なんかあったんです?」

「…ああ。正月のお餅に手紙を付けたと思うが。あちらで、セルリアン対策の会議が

 いろいろ長引いてね。私も頂点肉食のはしくれだ――」

先生はホッとしたように自分の仕事机を、畳を手で撫でながら。

「いろいろパークの研究者と、あとは政府…いろんなメンバーにアドバイスをね。

 ああ、そんな物騒な話じゃあ、ない。無関係のヒョウ君が徴集されたりはしないよ」

「…そう、やったんですか。…でも先生、なんか疲れて、いえ…やつれてません?」

「……。ああ、うん。パークの宿舎のベッドが合わなくてね。寝られなかったよ」

…やっぱりここは落ち着く。オオカミ先生は目を閉じ、言うと。





18-4

「…何から話そうか。…いや、その前に。ヒョウ君、ちょっと頼まれてくれるかい」

「は、はい! なんでも! よろこんでー」

「ありがとう。実は、このあと編集会議があってアミメくんと出かけなきゃならない。

 その前に…ははは、ひどくひさしぶりな気がするよ。ラーメンを作ってくれないか」

「え。…あ、ああ。ラーメン! はい、作ります作ります!」

ヒョウが、しっぽをピンと伸ばし立ち上がると。

「…アミメ君もどうだい? 彼女のラーメンはなかなかだよ」

「…いえ、私は。…あ、じゃあ。私もお願いします」

…アミメキリンの沈みっぷりに、ヒョウは「どうしたんや?」とツッコミを入れたく

なった、が…空気を読むことに関してはフレンズいちだと自負する彼女は、黙って

先生の部屋のキッチンへ向かい、残っているインスタントラーメンの袋の数を確かめ

冷蔵庫…そこがカラなのを開ける前に察したヒョウは、いつも施錠してない

カメレオンの部屋へ。そこから自前の野菜と肉のパックを持ってくる。

「キリン、あんた肉とかあかんクチやったか? だったら…」

「…別に。私ヴィーガンじゃないし」 アミメキリンが少しだけ、笑って。言った。





18-5

そこからの手際の速さは、さすがのヒョウだった。

二つの大鍋をコンロの火にかけ、片方で湯を沸かし、もう片方で刻んだ玉ねぎを、

もやしと葉野菜、豚こまを炒めだす。

オオカミ先生の四畳半部屋に、塩を振られた炒め物の匂いが漂い出すと。

「……」 こっそり開けられた部屋のドアの向こうから、先生の帰還に気づいた

他の下宿フレンズたちの顔がみつしり、そういうセルリアン群体のように部屋の中を

うかがっていた。オオカミ先生は、そちらにほほ笑みを向けると。

「やあ、みんな。…遅れたが、あけましておめでとう。ええと、すまない――

 ヒョウ君、袋ラーメンはあといくつあるかな?」

「うちの部屋に買いだめしといたぶんがありますんで、全員におかわり余裕ですわ」

「じゃあ、手間を掛けさせて悪いが…みんなにも、順番で作ってあげてほしいな」

 よろこんでー ヒョウは応えて、炒めた具材に湯を足して、スープと具を作り。

「おーい腹ペコども。素ラーメンが嫌なやつは、自分の部屋から具になりそーなもん、

 もってくるんやでー」 ヒョウは麺を湯の鍋に入れ、手を動かしながら。

…そうしていると彼女は一瞬でも不安を忘れられて…いた。





18-6

最初に、オオカミ先生とアミメキリンの前にたっぷりの具が乗ったラーメン、

元はどこにでも売っている醤油味の袋ラーメンが変身したどんぶりが置かれる。

「…ふふ。パークに泊まり込んでいるとき、これの夢を見たよ。…いただきます」

「具が山盛りなのね。残したら、ごめんなさい。いただきます…」

オオカミ先生が、レンゲでスープを数口楽しんでから。肉食の本能が爆発したかの

ように、ズゾズゾ麺をすすり、ざくざくと野菜たっぷりの具を口から、喉、胃袋へ。

アミメキリンも、最初は髪を気にするようにしてすすっていたどんぶりに…

気づくと、先生と同じくらいの勢いでハシと口を動かしていた。

「……。やるじゃないの」

…ふむ、と誇らしげな顔になったヒョウはまた鍋に向かい。

「ほーれ、腹ペコども。持ってきた具ぅ、見せてみーや。…ネギ、上等。カブ、おk。

 …ギョニソ、よし。…うどん玉?まあミックスで。…シール付きチョコ?まあよし。

 手ぶらのやつは、あとで洗い物してもらうでー」

下宿で無聊をかこち、そしてオオカミ先生を心配して集まった――

部屋からめいめいの器とハシを持ってきたフレンズたちにヒョウがラーメンを奢り、





18-7

「…ごちそうさま、ヒョウ君。フフ、途中で食べてこなくてよかった」

オオカミ先生が、いわゆる完食のどんぶりとハシを盆の上に戻し、息を吐いた。

その先生は、部屋の中、そして廊下まであふれて熱いラーメンに目を細めている、

そしてどんぶりを持って順番待ちをしている下宿の仲間たち――

このヒトの世界、大都会の中で吹き溜まっててしまったような無職フレンズたちを

やさしい瞳でしばらく、見つめてから。ヒョウに言った。

「ヒョウ君。すまない、料理しなからでいいから聞いてほしい」

「は、はい! 大丈夫です、聞こえてますやんか」

「…突然ですまないが。いま君に手伝ってもらっている連載“共闘先生!”は今年の

 3月でいったん休載、第一部完…だ。あと2ヶ月、よろしくたのむ」

「…え。えええ? 連載、打ち切り!? …おいキリン、そんな…」

驚き、うろたえ、そしてカッと牙を見せたヒョウに、だがアミメキリンは。

「打ち切りとか冗談じゃない。アンケートは毎月上位、このご時世に単行本も増刷よ。

 “共闘先生!”休載は私たちの判断じゃあ、ない…! これは――」

そこまで言ったアミメが、先生の視線に気づいて口をつぐんだ。





18-8

「…実を言うとね、ヒョウ君。ついに私も、アミメ君たちに口説き落とされてね。

 今年、頃合いを見て…“ギロギロ”第二部、連載開始だ」

「えっ? マジですか! ふえー、ついにギロギロ復活! おめでとうございまっす」

「もっとも、私にも色々準備とか充電が必要だけど。連載はそのあとさ」

気づけば、自分も完食していたキリンがどんぶりをお盆に戻す。

「…ごちそうさま。ヒョウ。私、アナタのこと正直、嫌いだったけど…見直したわ」

「なんやなんや急に。こそばゆいわ。まあ、もう。同じ鍋のラーメン食った仲やで」

「…というわけでヒョウ君。来月号の原稿の締切は…来週だ」

「ひえええ」「…大丈夫、パークにいる間にネームは切っておいたよ」

小さなメモ帳を取り出して笑ったオオカミ先生は。

「それで、もう一つの話なんだが… オコジョ君、いいかな」

「…!? はァ? い、いえっ…! その、先生。私に何か…」

突然、声をかけられた下宿フレンズ、小柄で真っ白、愛くるしい姿形のオコジョが

歯をほっていた爪楊枝をあわてて隠し、先生の前に正座する。その彼女に、

「君は、ここの…イタチフレンズたちの姐御ぶん、だったね」





18-9

「ええ。イタチとテン、ビントロングは猫でも私の妹ですわ」「お兄ちゃん…」「おい」

オオカミ先生に、オコジョは凛とした声で行儀よく答える。

――普段は不倶戴天の猫フレンズ相手に出入りを繰り返す鉄火な口っぷりのオコジョ。

その彼女が、先生の前ではいちファン少女のようになるのを、見て見ぬふりをする

情けがヒョウたち下宿フレンズにも存在した。

「近いうちにね、この下宿に新しい住人が…フレンズが、来る。

 その子の面倒を見てあげてほしい。オコジョ君、ヒョウ君、みんな。お願いだ」

「そりゃあ。先生が言わへんでも、うちら新入りの面倒は見ますけど…」

「…私に話してくれたということは。その子はイタチ科なのです?」

「ああ。イタチ科…だけど。その子は、カワウソ属なんだ」

そこまで言った先生は、少し言いよどんで。

「その子は去年、パークのキョウシュウ島で“保護”された。そのまま日本に連れて

 来られたんだが…彼女は、パークで何か…あったらしくてね」

「えっ? パークの島って。あの事件以降、職員のヒトも立入禁止なんじゃ?」

「…そう。彼女を保護したのは、パークを包囲している日米安保軍の潜入チームだ」





18-10

ざわっと。四畳半の空気が揺れた。この空間にはそぐわない、不穏な単語。

「…ようその子、メリケン異人サンに連れてかれませんでしたね」

「その子は… 怪我、というか…心になにか、傷があるようなんだ。人間で言うと

 PTSDだったか。そのせいで、うまくしゃべれない。うまく動けない」

「傷物のフレンズ、ということですか。…パークのサンドスター濃度でも治らない…」

難しい顔をして考え込んだオコジョだったが。すぐ、まっすぐな瞳をあげた。

「わかりました。任せてください、先生。SPTだかPKAだか知りませんが。

 ここまで聞いちまったら、もうその子は私の妹分も同じ。まかせてください!」

気合を入れすぎて、少々いつもの口調が出てしまったオコジョに。

「ありがとう。…きっとその子も、みんなとここで一緒に暮らせば…

 きっと。いい影響があるはずだ」

そう言って、みんなに頭を下げたオオカミ先生は…沈黙のアミメキリンの方をチラと

見、二人が座布団から腰を上げる。

「…その子は今月中に、パーク支部からここに送られてくる予定だからね。

 それじゃあ…みんな、よろしく。…ありがとう、いつもごちそうさま。ヒョウ君」





18-11

「…! あ…先生、その」「言ったろ? これから編集会議だよ。明日には戻るさ」

ヒョウが言葉を探すうちに、オオカミ先生とキリンは…部屋を、下宿を出てゆく。

…先生! そのあとを追ったヒョウの目に、まだ待っていたタクシーのドアが開く

のが映って。そこに、キリンが先生を先に乗せ、自分も後部座席に。ドアが閉まる。

…先生! ヒョウは、胃を吐いてしまいそうな不安を胸に、数歩を駆け…

だが。タクシーはするり、夕暮れの街路に走り出してすぐに見えなくなってしまう。

「…あ、ああ…! ――先生、なんで…」

「おいおい、どうしたんだヒョウ? 泣きそうなつら、しやがって。なんだってんだ」

「…オコジョさん。…ヒョウさんは、そっとしておく。それがいい…」「な…?」

背後に立つ、オコジョとビントロングに心配されたヒョウは。

「…先生、ウソついてはる… うちに、なにか黙っとる…」

ヒョウが光の消えた瞳でつぶやいた。 ――フレンズは基本的に、嘘をつけない。


フレンズ下宿前の路地を出て、幹線道路に出たタクシーの後部座席。

「…アミメ君。正月はありがとう。本当に助かる。…それに君のおかげで命拾いした」





18-12

――フレンズ、タイリクオオカミは…去年の年末、パーク支部で聞かされた計画、

ある決定を耳にして。それに、文字通り身一つで抵抗した。

フレンズは“基本”ヒトを攻撃、反抗できない。彼女が取った手段は、水すらも

拒否するハンガーストライキ。それは10日以上におよび…

最終的に、有力な頂点肉食、そして有名な漫画家フレンズが政府施設内で

消滅するというスキャンダルを恐れたパークと、政府関係者の判断により。

「…私に何かあったらアミメ君たち、出版が黙っていない。この脅しは効いたね。

 おかげで…あのカワウソの子を、外道どもの実験からすくいだす事ができた…」

「でも…こんなこと、もう二度としないでください! 私が毎日どれほど心配を…」

「…すまない。…今度もカコ博士にも心労をかけてしまったな。…君とヒョウ君にも。

 さて。次、会う相手のヒトが…どんな外道なのか逆に楽しみになってきたよ」

タクシーは次の目的地、港区の三田にある老人介護施設へと向かった…


正しい予言者の運命は常に、来るべき不可避の未来、その一歩前を進む。

「セルリアン大壊嘯」の破滅が、豹頭姫にその手を汚させるまで――あと506日……






19-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

――そして。春の訪れとともに、ほぼ唯一の現金収入であったマンガのアシスタントの

仕事まで無くなり、本物の無為徒食となることが確定していた彼女は。

「…うちは今、フレンズいち将来の展望が見えない少女やねん…」


大都会、東京の片隅に立つ古アパート。通称「フレンズ下宿」。

先週、2週間ぶりに下宿の四畳半部屋に戻ったタイリクオオカミ先生は…

ヒョウの手作りラーメンを食べ、そして連載が3月で終わることを告げ、その日の

うちに編集のアミメキリンとまた出かけ――そして。

翌日、先生はまた下宿に戻り。そして来月の原稿執筆に急ピッチで取りかかった。

その日のうちに、アシスタントのヒョウも消しゴムとベタ作業につきっきりとなり、

ときおり先生の食事を作って二人で食べ…また作業に戻り。そして4日後。

いつもどおり、原稿を上げた先生はなぜか自分で原稿を持って編集部に向かった。

…残されたヒョウは、その四日間の修羅場のあいだ。

オオカミ先生とほとんど会話をしなかったのを思い出し、戻った自室で沈んでいた…





19-2

「…先生、うちにウソついてはる… なんでや、あの先生がすぐバレるようなウソ…」

四日前、編集会議だと言って出かけたオオカミ先生が戻ったとき。

ヒョウは先生の衣服と髪に染み込んだ嗅ぎなれない匂いに気づいていた。

…先生からは、消毒薬、そしてヒトの糞便の臭い。老人の臭い。

そしてフレンズの…半年ほど前まで、この下宿でヒョウたちと一緒に暮らしていた

コツメカワウソの匂いが残っていた。

…それは先生が、コツメの働く介護施設に行ってきたことを物語っていて。

…だが、先生はヒョウに何も話してくれないまま。

「…いったい、どうしてまったんやろ。先生、もう。ここが嫌になったんかな…」

ヒョウが空腹を満たす気分にもなれないまま沈んでいる間にも。

廊下の向こうでは、他のフレンズ住人たちがバタバタと動き回っている音が聞こえて

きていた。先生の言っていた、新しい住人を迎え入れる準備だ。

イタチフレンズの姐御分、オコジョが張りきって、今まで使っていなかった四畳半を

掃除して、あまっていた布団やわずかな家具を運び込んでいるようだった。

「…そうやった。イタチだかカワウソだかの、新入りがくるんやったな…」





19-3

…カワウソは寒いのが苦手だ。綿入れの半纏をひとつ、持っていってやろうか。

冷え切った古畳の上でヒョウがのそり、その身を起こしたときだった。

ん? ヒョウの耳が、聞きなれない物音にピクと動き。目がガラス窓に向いた。

下宿の前の路地を、見慣れない大型のトレーラーがゆっくりと進み、停まる。

「…!? パークの車両やないか。なんで… !! まさか」

綿入れを抱えたままのヒョウは、部屋を出、廊下を走りサンダルをつま先にかけ…

彼女が中庭に出たときには、部屋の支度をしていたオコジョと仲間たち、そして

重量物担当の力持ち、ラクダ姉妹をもそこに居並んで…新人の到着を待ちわびていた。

そのヒョウに、小柄で白い、愛くるしい姿形のフレンズ、オコジョが。

「よう、ヒョウ。やっと徹夜仕事のダメージが抜けたか… って、おい」

声をかけるが、ヒョウはサンダルをパタパタ鳴らして中庭を駆け抜けて。

――パークのマークが入ったトレーラー。分厚い装甲じみた後部ハッチが開いていた。

ヒョウが注視するそこから…

白いタイベック防護服にガスマスクを付けたパークの職員たちがぞろぞろと、何かを

恐れるようにして降り立ち、そして。





19-4

その職員たちは、手に何か邪悪な装置を…フレンズを制圧、そしてセルリアンにも

効果がある高圧電極を発射するランチャーを、拘束ネット投射銃も装備していた。

…なんや?? ヒョウが、初めて見るその物々しさにたじろぐ。

その、緊張したフル装備の職員たちがランチャーの銃口を向ける方向、トレーラーの

中から…ゆっくりと歩く、フレンズの姿が…ヒョウの目に映った。

「…!! 先生!? あっ、あの?」

トレーラーから、何かの犯罪者のように降ろされたのはタイリクオオカミ先生と。

そして…先生が上着をかけ、かばうようにして連れて歩くもう一人のフレンズ。

「やあ、ヒョウ君。みんな、出迎えありがとう。職員の諸君、ここまでで結構だよ」

先生は、そのフレンズをかばい、重厚の間を抜けて…フレンズ下宿の中庭へ入る。

そこで、職員の一人がそのフレンズの両手にはめられていた電磁ロックを外し、

そして差し出したパネルにオオカミ先生が何かをサインすると。

ものものしい武装と防御の職員たちは、もうあとは逃げるようにしてトレーラーに

乗り込み、巨大なパークの車両は街路を進んで行って…しまった。

あとの残された、フレンズたちは――





19-5

「え、えっと。あの、先生?」

アタフタしているヒョウ、そして興味津々のフレンズたちの前でオオカミ先生は。

「ふう、パークの職員たちは怯えすぎだ。カコ博士を見習ってほしいものだね」

守るように抱えていたフレンズの方を、ぽんと叩く。

「…ウ ァあ… あ…?」「もう大丈夫。ここが今日から君の家。君の仲間たちだ」

優しく、そして力強く言った先生がそのフレンズの頭から肩にかぶせてあった上着を

はらりと、取ると… その下から、水着のようなフレンズ服、長い、太い尾が。

「え…? コツメ、出戻りしたん… え? 違… あんた、いったい」

ヒョウは、そして他のフレンズたちも最初はコツメカワウソと見間違えた。

…だが違う。大きい。長身のオオカミ先生の肩ほどもある背丈の、ヒョウと同じ

くらいの背丈の大型フレンズ。カワウソ属の、水着姿の…浅黒い肌、短い黒髪。

「ァ… コ、コ… い、ンナ…」

その黒髪の下に… フレンズたち、そしてさすがのヒョウもぎくっとした。

ボウっと残像を引くほどに赤い、瞳孔も白目も全て血の色をした…大きく見開いた

両目が、そして言葉とも呼吸ともつかない音を出す、牙を向いたままの唇。





19-6

「この子は…オオカワウソ、だよ。前に話した、パークで保護された子…だ。

 ちょっと、まだ色いろ慣れていないんで戸惑うことがあるかもしれないが――

 みんな、彼女と仲良くしてあげてほしい。オコジョ君、ヒョウ君」

先生のその言葉に、2秒ほど遅れて…フレンズたちがハッと、二人の方を見た。

「オオカワウソ、でしたか。任せてください、先生。

 …よろしく。私はオコジョ。ここの、みんなのお姉さんみたいなものだから」

最初にオコジョがお辞儀を挨拶をして。そしてヒョウも、

「…おいでやす、その。オオカワウソ、はん。ええと…」

ぎこちない挨拶をし、それに他の下宿フレンズたちも続く。

「ラクダです」「ですです」「私はホンドテン、こっちはクロテンちゃん」「ども…」

「ハクビシンです」「…トワの奥さんです」「ちょ」「…たぬきです…」

「トリはわたしだけ。ヒクイドリだ」「…ロバート・デ・ニーロです…」「おい」

「…ウ お、オ… ……。こ、コ… とし、カ…き、ハ……」

みんなが挨拶をすると、大きな体に似合わずおどおど、キョロキョロしながら何かを

言おうとしたオオカワウソ、その肩をぽんとオオカミ先生が叩いた。





19-7

「さて。立ち話は悪党のすることだ。中に入ろう、部屋の支度はもう?」

「まかせてください、先生。コツメの使っていた部屋をピカピカにしておきましたわ」

小さな体で胸を張ったオコジョを先頭に、フレンズたちがぞろぞろと下宿の中へと

入ってゆく。みなに囲まれ、まだ戸惑いながらもオオカワウソの姿も消え…

「……」「…………」

なにとなく。足を止めていたヒョウの横に先生も立ち止まり…みなを見送った顔を

二人は冬空の下、ただただ暗くなってゆくだけの夕暮れの中…見合わせていた。

…先に、沈黙に耐えられなくなったのは先生の方だった。

「…すまない。騙したりするつもりはなかったが…君に、いくつもウソをついたよ」

「…ええんです。…先生、たぶん…あのカワウソとか、うちたちのことを守ろうと

 してくれて…いつもは締切ギリでもやらん、ウソをついたんやないですか…?

 さっきの、パークの連中のドヘタレぶり見て…ようやっと、うち気づいた…」

「…ウソをついたこと、つき続けていることは謝る。本当に、ごめん。

 でも、今はまだ君には話せないことのほうが多いんだ―― 本当に…」

そう言ったオオカミ先生の顔が…ハッとする。





19-8

うつむいたヒョウ、その開いたままの目から涙が流れ、落ち…

「…ええんです。先生、きっとうちなんかじゃわからんくらい、大変なんやなって…

 うちは、その先生に…なんも、してあげられへんのが… すみません、ほんま…」

そこまで、絞り出すように言って。ヒョウはその両手で顔をおおう。

「そんなことはない――」

めずらしく、少し焦った声のオオカミはヒョウの肩に手を置き、

「…すまない、そろそろ私のウソも限界だ。私は…今の連載が3月に終わったら、

 パークに行くんだ。職員のスタッフと一緒に、ね」

「えっ…? パーク、って…先生、まさか」 顔を上げたヒョウに、

「…今、パークのキョウシュウ本島で何かが起こっている。危険な、なにかが。

 日米安保軍の精鋭レンジャーチームが消息不明になるぐらいのね。

 その調査隊の同行に、私は志願したんだ。…3月で、みんなとはしばらくお別れだ」

「…!! そんな…危険な…! なんで先生が…だったら、無職のうちが!」

「いや、駄目だ。調査の主目的は、高山のマウント・フジ火口。いわゆる極地だ。

 サバンナのフレンズでは…無理だ。その点、私は氷点下40度でも寝られるからね」





19-9

「でも…でも! なんで先生が…そんなの、ヒトに行かせておけば…!」

「もうヒトだけには任せておけないからさ」

急に、先生の声が凍てついた風のようになって…気づくと、いつの間にかオオカミの

腕に、その胸に抱き寄せられていたヒョウの胸がドキッと高鳴った。

「…このままだとヒトは、マウント・フジの噴出口に核兵器でも使いかねない。

 核のせいで西之島や中国の原発がどんな有様になって、どんな犠牲を払ったか…

 ヒトはもう忘れてしまったらしい。だから、私たちが行って――調べてくる」

「そんな…! あのヤマの周囲なんてセルリアンの巣ですやん…」

オオカミ先生は、ヒョウを両手ですいと押し離し、その目を見て…いつものように笑う。

「大丈夫。心配しなくていい。新しいヒトの味方もできた…」

そう言った先生は、ヒョウの肩を押して下宿の方に歩き出す。

「調査隊のフレンズは私だけじゃない、陸自と空自からも来てくれる。

 …それと。私は絶対、帰ってくるつもりだからね。この下宿に…」

「だからヒョウ君。君にお願いがある。私が戻るまで…君はここでみんなと元気で

 いてほしい。あのオオカワウソ君も一緒にね。頼めるかい」





19-10

「…そりゃ、もう。うち、ほかに行くようなところも…」

「ありがとう。ここが私の帰る場所、私の群れ…だ。ありがとう、ヒョウ君」

次第に、暗いだけの冬の夕暮れが迫る中。二人のフレンズは、

「…あと3月以降、私が戻るまでのヒョウ君のことはアミメ君にお願いしておいた。

 君の腕なら他の所でも大丈夫、アナログ専門のアシスタントは貴重だからね」

「先生… でも…あの、いつくらいに先生はこっちに戻るんです?」

「…わからない。だけど、私はここに戻って…また漫画を描くよ。…それと。

 おせっかいかもしれないが、ヒョウ君。君は…君も、ジャガー君たちのように

 いいヒトを、伴侶を見つけるべきだ。恋をして…その男としあわせに、ね」

「…! そんな…うち、ヒトの男とか…どうしたらいいか…好き、とかわからへん…」

「その時がくれば分かるさ。さて。…下宿のみんなと、スーパーに行こう。

 今夜はオオカワウソ君の歓迎会、なんてのはどうだい?」「は、はい…!」


永遠に抗うかのように、はかない約束、小さな夢にすがって生きるフレンズたち。

「セルリアン大壊嘯」の暗黒と破滅に豹頭姫が剣をとるまで――あと499日……





19-11

東京都の海側を警護する警視庁の第七方面本部、新木場官舎。

その官舎の最奥…警備二課の使う区画。トップである若屋参事官の事務室。

そこで彼は、大きな事務机に座り…デスクの上で両肘をつき、手指を組み。そして。

無言で…“なにか”を待っていたような若屋の背後、耳元で。 ――突然。

「…先週。元二課の参事官、矢那俊彰氏のいる老人ホームにタイリクオオカミが

 会いに行ったようでござるが…あれは貴殿の、二課の根回しでござるか」

何もない、否、何もなかったはずの空間から少女の声が、ふわっと生温かい吐息が

流れて若屋の耳をくすぐっていた。元自衛官の猛者もギクリとしたが。

若屋は“それ”が来るのがわかっていた口調で答える。

「…いや。我々はパーク調査計画には完全に無関係だ。その報告は受けていたがね」

「なるほど。まあ、いいでござる。お互い、裏切り者同志。仲良くやるでござるよ」

…スウッと。若屋の背後に緑色の影が。パンサーカメレオンの姿が浮かぶ。

「例のものを持ってきたでござる。そちらは」

「…映像はメモリーカードで渡す」

内閣情報調査室「CIRO」所属のフレンズ、カメレオンが小さな笑みを浮かべた……





20-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

松の内も終わり、1月も末。冷え込みが厳しくなってゆく都会の片隅。

フレンズたちが暮らす古アパート、通称「フレンズ下宿」に新顔が…何やら訳ありの

新入りフレンズ、オオカワウソがやってきた、その週。

「うちは今、フレンズいち世話焼きおばさんになりつつある少女やねん」


ジャパリパーク振興会の研究所と“何らかの”取引をし、再びパークの本島へ、

キョウシュウへと旅立つことになった有名漫画家フレンズ、タイリクオオカミ先生。

その先生と入れ替わるようにしてやってきたオオカワウソは…

「…ウ… あ、ァ…これ、食べ… ぼす?」「ボス? 何のことだ、そりゃ」

「うーん。何言ってんのか、いまいちわからんなあ。まあええ、食べよたべよ」

下宿のフレンズ、みんなが世話をする新入りのオオカワウソ。中~大型フレンズで、

ある種の頂点捕食タイプである彼女は、だが…うまく言葉が、喋れなかった。

言ったことは通じるし、乱暴なわけでも愚昧なわけでもない、が。

「…たしかに、このご面相だとパークのヘタレ職員もびびるかもなあ」





20-2

…オオカワウソの顔は、なぜか。

憤怒か、あるいは嘲笑か、絶望か――なんらかの激情がそのまま顔に、仮面のように

へばりついて、いて…赤い目は白目のところまで血走って見開かれ、口からは…

フレンズの歯は本来、ヒトのものと同じ並びになるはずが、その歯は獣の牙になった

まま、その口から真っ白くのぞいていた。

「…まあ、気にするない。俺だって、出入りのあとはしばらくそんな顔だしな」

下宿に住む、イタチ一家の姐御ぶん。オコジョが飴細工のようなちんまい手で持った

濡れタオルでオオカワウソの顔をぬぐう。開いたままの口から溢れかけていた泡の

ような唾液を拭き、背伸びしてオオカワウソの髪もなでる。

「…パークで、なんかつらいことがあったんだろ。でもな…もう、平気だからな」

「…ウ、ぅ… ぱーく… とし、カキ…ハ…」

自分の体が痛むような顔で、オオカワウソの髪を撫でるオコジョに。赤い目がギロ、と

動いて口が何かの言葉を言った。…だが。誰も、その意味はわからない。

ヒョウは、肉食頂点の彼女と同じくらいの体つきのオオカワウソを、オコジョを見、

「オコジョの言うとおりや。あんたはもう、ここの仲間やからな」





20-3

四畳半部屋に詰めかけていたフレンズのラクダ姉妹、テンたち、たぬき組がヒョウの

言葉にニコニコしながらうなずき、オコジョの相棒のビントロングが。

「…では。さっそくですが…下宿の住人に、区役所のヒトから…配給、です」

ビントロングは、ビニールの袋に入っていた丸型配合飼料、フレンズまんじゅうを

オオカワウソの前へと滑らせ、それとは別の封筒も置く。

「ええか、オオカワウソはん。うちらフレンズには、1日にこのまんじゅうが二つ、

 支給されるで。ほかに、都内の銭湯で使える無料券が週に二枚。バスとか電車の

 無料券がこれも週二枚。あとゴミ袋が一枚もらえる」

「…あ…! じゃぱり、マ…!」

「ヒトはシブチンか太っ腹かようわからんね。まあ… ちょ!?」

ヒョウが話す間に…オオカワウソは、自分の前に置かれたまんじゅうの包みに目を

輝かせると、そこに鉤爪の手を伸ばしてビニールごとまんじゅうにかぶり付いていた。

「あっ、アカンて! 落ち着き、誰も盗ったりせえへえん…」「グ、が!」

だが、オオカワウソはヒョウの制止が耳に入らないように、それに牙を…

「…やめろ!」 そこに、オコジョのビリっと響く声が刺さり、





20-4

オオカワウソが、その声にギクリと首を傾げたときには。オコジョの手が、牙で

引き裂かれていたフレンズまんじゅうの包みをひったくっていた。

「グあ…!」 オオカワウソの目に、赤い炎をこぼすような色が浮かぶ…が。

オコジョは全く臆すること無く、その憤怒の目をまっすぐに見据え――バリバリと

ビニールの包みを裂いて、中身のまんじゅうをオオカワウソに差し出した。

「……。ゥ…?」「いいか、見ろ。こっちは食える、コレは…」

オコジョは、あっけにとられるオオカワウソの前で。裂いたビニールの包みを自分の

小さな口に押し込んで、もしゃもしゃ咀嚼して…そして。

「ゲッ、ぺっ、ぺ! 食えたもんじゃねえ。…な、わかったか?」

「うぅ… ウ… じゃ、コレ…」「ああ、食っていい。だけど今度から皮は、な?」

オオカワウソが、ガツガツと。文字通りまんじゅうを貪る。

不味そうにビニールを吐き出したオコジョに…いろいろ止める機会を逸していた

ヒョウがため息を付き、ぺたんと古畳の上に座り直した。

「…はあ。肝が冷えたわ、さすが…河原組の姐御やねえ見直したわ」

「先生から頼まれちまったからな。こんなことでビビってられねえよ」





20-5

オオカワウソが、二つ目のまんじゅうに爪を立て…今度は、自分で包みを剥いて

それを口に押し込むと。固唾を呑んでいたほかのフレンズたちもホッとしたように、

「お姉ちゃん、夕ごはんどうする?」「まんじゅうしかないけど…」

「買い物に行こうか、クロちゃん」「うん…まだ半額セールには早いかな」

「…トワが帰るまでに晩の支度しないと…」「やめなよたぬぽん、イマジナリー夫」

「…オコジョさん。さっきね、戸棚にお線香の束が入ってた…ふしぎふしぎ」

「はあ? って、保存食のそうめんカビちまってたか。畜生、食いそびれたな」

「ふー、掃除終わり…っと。もう紙がないぜー」

ラクダ姉妹、テンとクロテン、たぬきにハクビシン、ビントロング、オコジョ。

そこに当番のトイレ掃除から戻ったヒクイドリも顔を出し…

いきなり賑やかになった四畳半の中で、ヒョウは。

「よっしゃ。久しぶりに…みんなで風呂、銭湯行こか。んで、行く前にめしだけ、

 ありったけ炊いといて。今夜はみんなで手巻き寿司パといこうやないか」

ヒョウのニヤリ笑いとその声に、フレンズたちがわっと沸き立ち。

「…ウ、あ…?」 オオカワウソがきょとんと目を丸くした。





20-6

そして。痛いほどに冷えた冬の風が吹く夕暮の中。

下宿に住むフレンズたちの一団は、ありったけの冬着を着、新入りのオオカワウソは

ヒョウから渡された綿入れを羽織り…みんなの真ん中で守られるようにして。進む。

「オオカワウソはん…ああ、ええと。おーちゃん、でええかな」「ウ… おー?」

「そや。おーちゃんの服、工面せんとなあ。しばらく寒いでえ」

「区役所のバザーコーナー、見にいってみようぜ。私も靴、ほしいしな」

フレンズたちは、下宿から街の丁目が変わるほどの距離にある銭湯へ。

コンクリ製の煙突が夕闇にぽつんと伸び、ゆらゆら白煙を揺らす、その下に。

「竜骨湯」――昭和の残り香ただよう古びた銭湯があった。

フレンズに支給される無料入浴券は、本来、都内すべての公衆浴場、健康ランドの

仕様が可能であったが…実際には、フレンズの入浴は入れ墨客と同じくらいやんわり

しっかりお断りされる浴場がほとんどだった。

その点、この竜骨湯は…そんな心配もなく、フレンズが気兼ねなく入れる銭湯だった。

「どもー。団体やけど、ええかなあ。って、今日ガラガラやないか」

皆を連れてのれんをくぐり、番台に声をかけたヒョウに、





20-7

「あら。ヒョウさん、みなさん。いらっしゃい、ませ。今日はヒマだったんですよ~」

番台で、明るいヒマワリ色、つややかな黒髪、縞の羽根がそういう和菓子のように

集まった髪型のフレンズがお辞儀をして、笑う。

「じじばばは昼に来て、夕方には帰ってまうもんな。アリツカさん、世話んなります」

「どうぞどうそ。ご亭主も、お客さんがきてくれると張り切りますから」

ホッとするように柔らかな声のその番台フレンズは、アリツカゲラ。

冬空に残された柿のような茜色の着物に渋染の帯をした和装の彼女は、おばあちゃんが

するような小さな眼鏡の下の目をニッコリさせ、

「あら。そちらの方は…下宿の、新しい方ですか?」

「そうや。オオカワウソのおーちゃんや、あんじょう頼んますわ」「ウ、ぅ…」

「もちろんです。いらっしゃい、おーちゃんさん。ではみなさん、チケットを…」

アリツカゲラは、フレンズたちから入浴券を受け取り、そしてオコジョから渡された

入浴券を??な顔で持っていたオオカワウソからも、その手を包むようにして

アリツカゲラはにっこり券を受け取って。

「入浴券は週に二枚ですけど…でも、もっと来てくれても大丈夫ですよ?」





20-8

「おっと。アリツカさんの裏技が早くも公開や。ついてるで、おーちゃん」

「うふふ。この銭湯だけですけど…ね。働きに出て自立して、お風呂のある部屋に

 住んでいるフレンズの皆さんが、うちに余った入浴券を持ってきてくれるんですよ。

 ですから、お風呂に入りたいときは遠慮なさらず、いつでもいらしてくださいね」

「…ア、ぁ… お、フロ…?」

「さすがアリツカさんやで。じっとしてるだけで、何かあげたくなってまうオーラが

 ダダ漏れになってるイイ女だけのことはあるでー」

「そんなことないですよー」

アリツカゲラは、本来この街に残っていた個人営業の不動産屋で働いていたが…

老齢の地主や貸主が多いこの地区で、人当たりのいい彼女はいつの間にか老人たちの

資産を、アパート運営などを任されるようになり…この銭湯も、老齢で店番が

できなくなった店主夫婦、その老婦人から番台を任されている彼女だった。

ヒョウの言うとおり、不動産と運用をまるっとまかされ、そして。婦人は自分が

若い頃に着ていた着物をあげたくなってしまう、善の魔性を持ったフレンズ――

それが「竜骨湯」の番台フレンズ、アリツカゲラだ。





20-9

「ヒョウさん、去年のクリスマスは大忙しだったんですって?」「ぼちぼちやな」

「…うわあ、この中暖かい」「ふいー、生き返るなあ」「さぶいさぶい…」

世間話をしながら、フレンズたちは脱衣場に上がり。籐の籠をひっぱってきたり、

松竹錠のロッカーを開けてさっそく服を脱いで…笑いさざめきながら。

「……。ア……」 オオカワウソが、キョトンした顔で。

周囲で、次々に裸になり…いわゆる、毛皮すら脱いだ髪と尻尾だけの裸体をさらして

浴場へと進んでゆくフレンズたちを見…そこにヒョウとオコジョが、

「そっか。おーちゃん、これ脱げること教わってないんか」

「パークの連中、何してやがったんだ。…よく見たら結構汚れてるな、くそ」

オコジョがいっぱいに背伸びして、オオカワウソの背中…水着のような彼女の服を

脱がす解き口を探して、服を脱がしてゆく。

最初は驚き、抵抗しかけていたオオカワウソも。目の前でちっちゃなオコジョが、

同じようにして服を脱いでゆくのを見…おとなしくなると、ヒョウの手でその水着服を

あっさり脱がされてしまう。

「…うっわ。でっか…つか、乳。これ。ジャガーよりでかいやん。うち傷ついたわー」





20-10

自分も服を脱いだヒョウは、つんと固く、丸く張った乳房を片手で隠しながら…

いきなり丸裸にされ、ぼうっとしているオオカワウソをまじまじ見る。

水着で締め付けられていた…ウソっぽい作り物一歩手前の、見事な艶と豊穣。

男なら一度は夢に見る、崩れる寸前の巨い乳房と引き締まった腹と、腰からの丸み。

「おんなじカワウソでも、コツメは子供みたいやったのに。さすが、オオってつく

 だけのことはあるでえ。…こんな身体、好きもんの男ならほっとかんやろうな」

「アホなこと言ってんな。さあ、こっちだ。あったまろうぜ」

小柄なオコジョが、幼いイカっ腹を叩き、オオカワウソを浴場に引っ張ってゆく。

ガラスの引き戸が開いたその向こうには、身体を流した気の早い少女の姿が賑やかな

笑いと、おやじくさい歓喜の息を吐きながら湯船につかっていた。

「……。また、先生とここに来られるかなあ」

ヒョウは、気づくとタオルをギュッと握りしめて…首をふって、湯気の奥へと進んだ。


すべては一期一会。人生はサヨナラばかり。だが笑顔の花は色あせず、咲き続ける。

「セルリアン大壊嘯」が世界とヒトを憎悪と絶望に染めるまで――あと492日……





21-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

彼女たちが暮らす安アパート「フレンズ下宿」にやってきた、いろいろ訳ありらしい

新顔フレンズ、オオカワウソ。

彼女を連れて銭湯へやってきたヒョウたち下宿のフレンズは…


「ふー、こんだけ毎日寒いと、うちみたいなサバンナ育ちにはデバフ続きやからなあ」

いつもの正しい無職スタイル、くたびれジーンズもスウェットも、下着も脱ぎ捨てた

ヒョウはタオルでしなやかな腹と下を隠して、呼吸すら心地よい湯気の奥へと進む。

「ふえええ、体がとろける~」「テンちゃん、今日は頭洗おっか」「ああああああ」

「お姉ちゃん、シャンプー持ってる?」「あるけど…あんた、いつも使いすぎ!」

「男湯…トワ、のぼせてないかなあ」「だから。たぬぽん、あんた最近怖い」

テンとクロテン、ラクダ姉妹、タヌキとハクビシンたち。ビントロング。

みんなは湯船につかったり、髪をほどいて洗ったり。電気風呂にはまったり。

ヒョウは満足げにその同居フレンズたちの悦楽を見、そして。目がピク、と。

「今ごろ気づいたわ。みんな、おっぱいボインボインなのもつるぺたもおるけど…」





21-2

「…あそこの毛があるのうちだけやん。ちょっとショックやわー。

 頂点肉食は生えるんかな… あれ、先生どうやったかなあ…?」

ヒョウは恥ずかしいような、誇らしいような気分半々で…黄色い湯桶と椅子をとって

洗い場の方へとペタシぺたしと素足で進む。そこに、

「あ、ウ…」「…? あっれえ、なんだあこりゃあ。取れねえぞ、これ?」

洗い場に入ってきた二人の素っ裸フレンズ。オオカワウソと、オコジョ。

ぱっと見、母子のように見える体格差、ボディ差のその二人は洗い場で――

オコジョは、オオカワウソの左足首についてた“何か”を手で引っ張ったりして

舌打ちをしていた。それは、バンドで固定された何かの装置…だった。

「オコジョ、どしたんや」「いや、これな。風呂にはいるんで取ろうと思ったら…」

取れねえ…! オコジョは苦々しく言って…そのバンドに、飴細工みたいなちんまい

手の爪を立てる。…ヒョウは、何か嫌な予感がして、

「待った、それ…取るとやばいやつ、なん違うか? パークの職員が付けた…」

「な…? どういうこった?」「…ぅ、ウウ……」

オオカワウソ本人も、その装置には覚えがなさそうだった。





21-3

「こういうのは… ぅおーい、ヒーちゃん。ちょい、ちょいちょい」

ヒョウは、早速サウナに入ろうとしていたフレンズ、ヒクイドリを呼ぶ。

「なんだ? 見てくれって…」「これや、この足首の…」

首にかけたタオルで、きわどく巨乳の乳首を隠したヒクイドリは…

靭やかな筋肉のカットが若い柔肌を飾った、士郎正宗にハマった世代のとしあきなら

ヨダレを流しそうな裸体でヒョウと、オオカワウソの方に近づき。

「あんた、警備のバイトとかしとるからこういうのくわしいんちゃう?」

「……。んー、よくわかんねえけど」

ひょい、とオオカワウソの片足をとって、何か蹴るように上げさせたヒクイドリは。

「…GPS、て書いてあるな。あとは高電圧の注意ラベル。…付け外しのバックルが

 ねえから、たぶんこれハメ殺しだ。外すときは切るしかねえ、が…」

が? 不審そうな顔になったヒョウとオコジョの前で、

「たぶん無理やり外したり、切ったりしようとしたら高電圧がバチン!だぜ。

 それと一緒に、GPSで警報もとんで…やべえ連中が駆けつけるんじゃないかな」

「なんで!? そんなもんがこの子に…!」 オコジョの顔に怒りの切っ先が浮かぶ。





21-4

「……。ワケアリって。そういうことかい…」

ヒョウがボソリ、言うと。??な顔のままのオオカワウソ、ビキィと音がしそうな

顔のオコジョ、まだその装置を見ていたヒクイドリの視線が…からみ、

「いちおう、防水の装置みたいだから風呂は入っても大丈夫だと思うけどね」

「まあ、カワウソに水気アウトなもんはつけてこんか」

「…つーかよ。GPSってことは…パークの連中は、この子をずっと監視してるって

 ことか? なんで…この子がなんかしたのかよ!?」

幼い裸体で、小さな足で忌々しそうにタイルの床を踏んだオコジョが。

自分がつらそうな顔になって、オオカワウソの手をぎゅっとつかむ。

「…ウ ぁあ…」「すまねえな。でも…大丈夫だ、あんたはもう私の妹分だからな」

オコジョは、オオカワウソを洗い場のシャワーの方に連れて行って…

ヒョウは、サウナの方へ戻ろうとしていたヒクイドリに礼を言う。

「あんがとな、ヒーちゃん。邪魔してもうた、いい汗流してきーや」

「…あのな」 ヒクイドリは、声を低くし…シャワーでオオカワウソを洗うオコジョを

ちら見してから話しだした。





21-5

「私も昔、ケンカしちまったときにパークのGPS付けられたことがある。

 でも、それは首にかけるやつで…あんなゴツい、外せない足枷じゃなかったぜ」

「…どういうこっちゃ。…あれ、つけたの…パークの職員じゃない、っちゅう?」

「かもしれない。あの子は“何か”見張られてる… つまり、私たちもだぜ。ヒョウ」

…マジかいな。ヒョウは、本当の母子連れのように湯船につかるオオカワウソと

オコジョの笑顔を見ながら片手で顔を覆う。

「…先生、なんでそんな――なんで、あの子をうちらに…」

答えの帰ってこない問いを、独り言でぼそり漏らしたヒョウは。

「…あかん、さぶくなてきたわ」

自分も、湯桶に洗い場のお湯をくんでその裸体にかけ流す。ヒョウは数度、流した湯で

その身体を洗い、温めてから…ため息ついて、洗い場の椅子に腰を下ろす。

カランから出したお湯でタオルを洗い、石鹸をといて…肉食獣独特の、しなやかだが

たっぷりした肉付きとくびれの身体を洗い…ヒョウは目の前の曇った鏡を見る。

「…先生が、うちらに任せてくれたんや。矢でもセルリアンでももってこいや」

ざぶり、ヒョウは両手ですくったお湯で顔を洗った。そこに、





21-6

ガラガラ、っと。浴場のガラス戸が動く音がして。それに続いたのは、

「…! やったー! やっぱりみんな、ここだったんだね!」

浴場で反響するその声。鈴を転がしたような、閉じている眼の前も明るくなるような

その少女の声には、洗顔中のヒョウ、そして下宿のフレンズ全員、聞き覚えがあった。

「…? なんや、コツメカワウソやんか。どうしたん今日は、あんたまで銭湯とか」

顔を上げたヒョウに、

「下宿に新しい子が来たっていうから! あそびにきたんだよー」

服を脱ぎ捨て、洗いタオルだけを持ったフレンズ、コツメカワウソが…

まだ幼さの残る、だが柔らかくふくらんだ胸を惜しげもなくさらしてみんなに手を振る。

東京都浄化運動推進委員会でさえもアウトかセーフか、判断に苦しむその裸体が

ぺたん、とヒョウの隣に腰を下ろしてトンビ座りをする。

「ひさしぶりだねえ、ヒョウ! 元気だった? そうそうクリスマスはありがと!」

「落ち着きーや。で、どうして今日はこっちに?」

「うん。下宿の方に行ったらね、だーれもいなかったから。きっとお風呂だ!って」

「…いや、そうやなくて。仕事も部屋もあるあんたが、なんでフレンズ風呂に」





21-7

「言ったじゃなーい。新しい子が来たって、聞いたから!」

コツメはカランから出したお湯を黄色い桶にくみ、それで髪と体を流して笑う。

「…やっぱり、大きいお風呂きもちいーい!!」

ヒョウは、全く変わらない陽気で快活なその友に…言いにくそうに、だが。

「…新顔が来たって。あんた、誰に聞いたんや」

「うん。おじいちゃん! 施設の矢那おじいちゃんに聞いてね! 非番だから今日は

 会ってきていいって! 下宿に泊まって来ていいって言ってくれたんだー」

コツメは、好きな男にはたまらないふくらみかけの胸となめらかなお腹をお湯で流し

その下の果物みたいな股も洗う。…その横で、ヒョウは暗くなった顔を背け、

「…先生の体から臭てた、病院とジジイの臭い――先生、その爺に話したんか…」

「うん? どうしたのヒョウ? それよりそれより! ねえねえ、新入りの子は!?

 おじいちゃんから聞いたよ、そのこもカワウソ… …あっ!?」

コツメは、湯船から大きな乳の上半分と形、首を出しているオオカワウソに気づく。

「あの子!? ホントだ、カワウソだーっ!」

コツメは前も隠さず、湯船の方へと走り出し…そして。





21-8

「…あつ、この馬鹿! 湯船に飛び込むんじゃねえ!」

オオカワウソの保護者のように、だが半分以下の小さな体と小さなお尻で湯船のヘリに

座っていたオコジョがコツメを叱る…が。

ざぶん!と。キュキュイ、と鳴くような声もしてコツメは湯船に飛び込み。

「…ア、ぁ…? ウ…… アナ、あ…?」

「こんにちは!! わたしコツメカワウソ!! ねえねえ、あなたもカワウソ――」

オオカワウソに抱きつくようにして、そこまで言ったコツメの声が…小さくなり、

そして彼女の喉の奥に消えてしまった。それが再び出たときには、涙の匂いがする…

「…あなた――」「…ウ……」

「コツメ、落ち着けよ。そいつはな…」「…膝に矢を受けてしまって」「何だそれ」

ぼりぼりと、きれいな純白の毛並みをかきながらオコジョが説明しようとする前で…

コツメの顔は、オオカワウソの見開かれたような赤い目を…黙って、じっと見る。

オオカワウソは、突然現れた近類属のフレンズに…呻くような声を牙の合間から

漏らし、鉤爪が伸びたままのその手を湯から…出す。そこにヒョウも、

「おいおい、おーちゃん。やめーや、そいつはケンカしに来たんじゃあ…」





21-9

…だが。その、大のヒトの雄が見てもぎょっとする鉤爪の手を。小さなコツメの手が、

両手でギュッと、つかんでいた。オオカワウソが戸惑い、コツメを見ると。

「…怖かったんだよね、怒っちゃったんだよね… わかる、わかるよ――」

ざばり、湯が揺れて。立ち上がったコツメは、

「…私も、そうだったから…… でも、大丈夫。ぜったい…もとに戻れるから」

「…ぅ、ウ…? ぅうう」「…コツメ、あんた?」

コツメカワウソは…湯船の中で、座ったままのオオカワウソの前に立ち、その髪に

手をまわして。母親が子供にするよう、そのなめらかなお腹にオオカワウソの頭を、

抱きよせ…静かに、何度も濡れた髪を手でなでて…いた。

「どういうこったよ、コツメ。…私もそう、って。もとに戻るって…」

「……。ううん、なんでもない。ごめんね、みんな」

コツメカワウソは、もう一度オオカワウソの髪をなでると…自分も湯船に沈む。

「ねえ、ヒョウ。この子は…」「ん、あ、ああ。オオカワウソの…おーちゃん、や」

「うん! よろしくね。 …大丈夫、みんなが、友だちがいるから…

 あなたにもきっと大事なヒトがいるから…きっと、元に、もどれるから…」





21-10

二人のカワウソが、親子ほどに大きさの違うフレンズが並んで湯船につかる。

そこに体と髪を洗ったラクダ姉妹やテンたちも湯船に入り…

「あー生き返るわー」「あなたいつも生き返ってるわね」

「ヒクイドリは?」「あの子はずっとサウナ、水風呂。たまに電気」

フレンズたちがゆったりすると…会話が途切れ、いわゆる神様が、通る。

ヒョウは、湯の中でオオカワウソの手を握っているコツメを見、

「なあ、コツメ」「うん、なあにヒョウ?」

「…あんたのいうその施設の爺ちゃんのとこ。…まえ、オオカミ先生が来はったん?」

「先生? あ、うん! 先週かな、カッコいいオオカミさんと。キリンも来たよー」

「…そのとき、あんたいたんか? …爺さんと先生、どんな話しとった?」

…聞かないほうがよかったか、聞くべきではなかったか。迷うヒョウに、だが。

いつもの朗らかな、陰一つない笑みのコツメの顔。そのマユがきゅっと固くなり。

「えっとね、お互い…ウラギリモノ?だって。だけど、絶対に許せない…

 未来は味方?だとか。難しい話してて…わかんなかった!」

ヒョウは目を閉じる。 …裏切り? 許せない? 未来? 先生…何のことや……





22-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

そんな無職フレンズたちが肩を寄せあい暮らす古アパート、通称「フレンズ下宿」。

そこにやってきた、いろいろ訳ありの新顔「オオカワウソ」。

彼女を連れて銭湯を満喫したヒョウと下宿のフレンズたちは、温まった身体をなぶる

無慈悲な2月の夜風の中、湯冷めせぬよう急ぎ足で下宿の部屋に戻り…


「おーし。めしもバッチリ炊けとるね。そんじゃ、物置からタライとしゃもじ、あと

 誰か扇風機、持っとったな。みんな持ち出して、この部屋に集合やー」

今宵の宴を仕切ったヒョウが、フカフカする匂いを立ち上らせている三つの炊飯器を

横目にみんなを動かす。ガスがきている先生の部屋を間借りして、昔懐かしのガスを

使う炊飯器を見事に使いこなしたヒョウは、

「……。ゥ、あ… コレ、ゴはん…」「なんや、おーちゃん。めしの味、知っとるんか」

立ち上る湯気に、ぎこちなく牙と唇を動かしていた今日の主賓、オオカワウソに

ヒョウはニコニコしながら、びしっとしゃもじを突き出し、

「てっきり、あんたはまだパークのまんじゅうしか知らんと思ってたわ」 笑う。





22-2

「最初、パークから内地に来て米の飯食ったときは。…なんだ、この白い泥みたいな!

 ッて思ったもんだけど。慣れるもんだな、今はもうこの匂いだけで腹が鳴るぜ」

まだ濡れているオオカワウソの髪をふくため、タオルとクシを持ってきたオコジョも

昔を懐かしむように笑う。

「じゃあ、私。おーちゃんの爪、きれいにしてあげるねー」

銭湯で合流した昔馴染み、コツメカワウソもオオカワウソの前に陣取り、オコジョと

前後から、大きな人形のようにおとなしいオオカワウソの髪を拭き、爪をきる。

「タライもってきたよー」「扇風機はカメレオンの部屋にあったから、借りてきた」

「すし酢は…お酢と砂糖、塩でいいんだっけ」「具はもう切ってきちゃっていい?」

フレンズたちが、どやどやと部屋の中に入ってきて…狭くなる。

「おっしゃ、扇風機の風こっち。たぬぽんたちは、うちわでせっせと仰いでな」

大タライに、炊けた一升のごはんを入れたヒョウは。それをしゃもじで切り、すし酢と

風をからめながらせっせとかき混ぜ…湯気が出なくなったあたりで、おひつに入れる。

「ホイ、次」「ヒョウは無職のくせに手際いいなあ」

「やかましいわ」





22-3

おひつの中でツヤっと白い酢飯に、みんなの目が輝き、のどが鳴ったころ。

共同台所から、海苔と、カットされた具が大きなタッパーで持ち込まれる。手を洗う

洗面器、缶ビールと様々なコップも持ってこられると…準備完了だった。

「そんじゃ、おーちゃんの歓迎会。手巻きパ、はじめるでー」

ヒョウの声に、フレンズたちがわっとおひつの酢飯に、しゃもじに手を伸ばす。

ラクダ姉妹、テンとクロテン、タヌキとハクビシン。ヒクイドリ。そして…

「ああ、先にやっといてくれ。こいつの髪を溶かしたら…俺のぶん、巻いといてくれ」

「…オコジョさん、具は…マヨネーズ?」「なんでベルムス巻なんだよ!?」

オコジョとビントロング。そして、

「…うん! おーちゃんの手、きれいになったよ! 少し丸くしといた!」

自分の手の倍ほどもあるオオカワウソの爪をきれいにしたコツメカワウソも

満足気に笑い、手巻きパの輪の中に入ってゆく。

「すまんな、コツメ。今日は買い物までしてきてもらって。おかげで豪華になったわ」

「ううん! みんなでごはん食べるの、ひさしぶりでたのしいもん!」

有職のコツメのお陰で、今日のパにはお刺身とツナ缶が足されていた。





22-4

最初は、カイワレと玉子焼き、ギョニソだけだった具に、マグロにイカ、サーモンの

刺し身が、ツナマヨも混じったおかげで…

「クロちゃん、今度はなんにする?」「うん、卵焼きとツナマヨ…ありがと」

「ああ、うまい。風呂もつかった、うまいもんも食った。死ぬなら今!って気分だな」

「ヒクイドリは大げさやなあ。ああ、ビールはあんまりないから。エンリョしーや」

「…トワにも」「だから。たぬぽんはもういいかげんあきらめて。未来に生きようよ」

…その、ハクビシンの声に。新しい酢飯を混ぜる準備をしていたヒョウは。

(そういや… コツメが言うとった爺さんの 未来は味方 って、どういう…)

また、考えても仕方のないことに囚われ…首を振り、手を動かす。

その横で、小さいが器用な手でコツメカワウソが、

「手巻きすし、たーのしー。…ツナマヨおにぎりになっちゃった。はい、おーちゃん」

「…ア、う…」「いいよ、それおーちゃんのだから! 食べて!」

コツメから、やけに丸い手巻きすしを渡されたオオカワウソは、

「……。…ァ、あ…! グァツ、がっ…!」

1秒、手の中のそれを見つめ…そして、牙を立てて。文字通りむさぼりついた。





22-5

「あ、あー。おーちゃん、そんなにあわてなくってもいいよー。誰もとらないよ」

「…ふう。めしの食い方も教えてやらねえとな。 …ん?」

座ったオオカワウソの背後で、ぴょこ、ぴょんと背伸びしながらクシで髪をといて

いたオコジョが。その手のクシに??な目を向け、そこから何かをつまむ。

「どしたん。ノミでもおったんか?」「んな訳あるか。…これ、なんだろ?」

オコジョの、飴細工のようなちんまい手指には…小さなピーナッツほどの、何かの

種子がつままれていた。それに、ヒョウたちの目が向けられる。

「髪の奥にまぎれてた。…見たことがないタネだ、内地でも…いい香りの、種だな…」

「うん? なんやろな、パークでも見たことないで。でも…何かの、草か花の種や」

それはほかのフレンズたちも同じで。

ヒョウはオコジョから種を受け取ると、夜闇が染めた部屋の窓辺を見て。

「そうや。ここ、先生の部屋…冬でも日当たりええからな。適当な鉢に畑の土入れて、

 この種、埋めといてみるわ。…先生が戻るころ、なんか花が咲くと…ええなあ」

オコジョも小さくうなずき、そして。

タライで新しい酢飯が混ぜられ、みんなの食欲が爆発する中…





22-6

ヒョウは、追加のギョニソを切り、ツナ缶をあけるため一人で席を立って廊下へ、

そして薄暗く、薄寒く感じるひと気のない共同台所へパタパタ歩き…

…そのヒョウの足が、ギク、と止まった。

「――ヒョウ殿。おひさしぶりでござるな…」

いつから、そこにいたのか…いや、瞬時にそこに現れたのか。台所の入り口に、

一人の小柄なフレンズの姿が。パンサーカメレオンの、緑色の影と瞳が…あった。

「…なんや、カメやん。びっくりしたあ、あんた影が薄いんやから、ちゃんと来たら

 大きい声出してくれんと。…なんか、ひっさしぶりやなあ。おかえり」

ヒョウは、ビックリしてしまった照れ隠しに早口で言うと…ニコリ、笑う。

「どうしてたんや? 正月前からずっと、留守やったやないか。ひと月以上やで?

 どっかいい泊まり込みバイトでもあったんか? まさかタコ部屋に――」

「…申し訳ないのでござる。…たしかに、仕事だったのでござるが、なんだか…

 ここに、ヒョウ殿たちの前に…戻りづらく、なって… でも今日は、お別……」

「あー! そうやった、いまちょうど手巻きパ、やってるねん」

「…え、えっと。あの、ヒョウ殿… 拙者は、その…」





22-7

カメレオンは、言いづらそうに何かを伝えようとしていたが。

久しぶりに会った下宿仲間、フレンズ友を前に、ニコニコ早口でまくし立てるヒョウに

気圧されたまま…だが、少し笑う。

カメレオンの顔に、その目にじわっと涙が浮かんでいた。

「…ここは。…ヒョウ殿は、かわらないでござる…な」

「何を言うとんのや、無職のうちがそうそう変われるかいな。あーそうそう。

 カメやんの冷蔵庫と扇風機、勝手に使ってまってな。だから今日のパは食い放題~」

「…申し訳ないでござる。…拙者は、もう…みなに合わせる顔が、ないのでござる…」

「……。どうしたんや。トイレの紙、余計に使うくらいはうちも常習犯やよ」

「…ありがとう、でござる。ヒョウ殿。…拙者の部屋のものは好きに使ってくだされ」

…無理におどけていたヒョウも。

そのまま、空気に溶けて消えてしまいそうなカメレオンを前に、次第に静かになり。

「…そっか。まあ、無理してもええことない。みんなには、また今度。会えばええ。

 仕事かなんか、キツイんやったら…いつでも逃げて、ここに戻りいや?

 ここには、あんたの部屋はずっとある。うちも、ずっとここでグータラしとるから」





22-8

「…ヒョウ殿… …ありがとう…」

カメレオンがうつむき、消え入りそうな声で答えると。ヒョウはチラと背後を見、

「あー。ちょっと、ちょい。30秒だけ、ここで待ってて。な? 消えたらアカンで」

パタパタたと、ヒョウは宴のにぎやかさの方へ走り去り…そして。

きっかり30秒で、スーパーのビニール袋の包みを持ってカメレオンの前に戻った。

「はい、これ。ちゃちゃっと、手巻きこさえてきたわ。帰りにたべると、ええ」

「…おすし、でござるか。…いいので、ござるか」

「あんた、刺し身とか苦手やったろ。具は卵焼きとツナだけや、安心しー」

「…! 覚えててくれたんでござる、か… 拙者は、みんなに嘘をついていたのに…」

うつむいたカメレオンの言葉が、消えるようにして細くなり、そして。

「――拙者は行かなくては。…ありがとう、ヒョウ殿。この恩は忘れないでござる…」

「大げさやな。じゃあ遠慮なく、あんたの部屋の冷蔵庫使わせてもらうで」

ひらひら手をふって笑うヒョウに。カメレオンは一呼吸、迷ってから…言った。

「…ヒョウ殿、みんなにも伝えてほしいでござる」「何を、や?」

「…もし。ヒトが…政府、パークの人間が――」





22-9

「――“素体”の研究に協力してほしい、とか言ってどこかに連れて行こうとしたら。

 その時は、そのヒトを殺してでも逃げてくだされ。絶対、ついていっては駄目…」

「な…? なんやなんや、急に物騒な。…研究って…」

「とくに、テンたちやオコジョ殿、小型フレンズが危険でござる。…それと。

 無職のヒョウ殿には、政府からいろいろ誘いがくるはず…全部、断ってくだされ」

「……。カメやん、あんた。いったい…」

「もう、ヒトは詰み、でござる。フレンズがその道連れになる必要は無い…」

…あんた? ヒョウが声をかけ、手を伸ばしたときには…カメレオンの姿は、風で

吹き消されるようにその場でスウッと消え。後には、体温すらも消え失せていた。

「…カメやん…あんた、いったい…?」 ヒョウが薄暗がりで唇を震わせると、

 …ありがとう…  何処かから。

――内閣情報調査室「CIRO」所属のフレンズ、カメレオンの声が漏れ、それも消えた…


その門には“ここをくぐる者は一切の希望を捨てよ”と記されていると誰かが言った。

「セルリアン大壊嘯」がヒトのために戦う豹頭姫から光を奪うまで――あと492日……





22-10

東京都の海側を警護する警視庁の第七方面本部、新木場官舎。

その官舎にはSAFT、セルリアンハンターと呼ばれる警視庁警備二課の本部となる

区画があった。

その最奥、警備二課の隊長である若屋参事官の事務室に…

「…すまない、真坂君。こんなことに君を巻き込んでしまって…」

「いや。正しい判断ですよ若屋さん。…こんな地獄の釜の蓋を開けて、クソより汚い

 亡者どもとご対面するのはロートルの俺がふさわしい。若い奴らには荷が重いです」

…すまない。再び、溜息つくように言った元自衛隊、市ヶ谷の猛者。情報保全隊の

エリートから警備二課へ転属した若屋は…

彼の部下のハンター。警備二課立ち上げの頃からともにセルリアンと戦ってきた

古株の真坂と、デスクをはさんで向かい合い、テーブルの上に角封筒を滑らせた。

「…このなかに、例のリーク情報が?」

「……。そうだ。これが露見したら、私のクビどころか二課が消し飛ばされてしまう」

「上の連中が俺たち二課を煙たがっているのはいつものことでしょう。失礼――」

厳つい体格をスーツで包んだ真坂の手が、その角封筒に伸び…





22-11

「…失礼ですが。これを手に入れるのに、何を代償に… …げる、したんです」

「先日、君たちに見てもらった映像だよ。アメリカの、セルリアン対策――

 パークのミライ博士とあちらのフレンズが行っている戦術戦闘の映像さ」

「例の、スリーマイル島原子力発電所のセルリアン撃破の?

 …状況前に高濃度のサンドスター粒子を現場に散布、そこに開放訓練を施した

 フレンズのチームを投入した…ライオンと、ウシ科フレンズたちでしたか」

「そう、あの映像だ。サンドスターが希少な日本では到底、真似出来ない戦術だが…

 原発に取り付こうとしていた特大型セルリアンが、ものの2分で撃滅…あれさ」

ああ、と納得したように答えた真坂は、封筒から紙を取り出し、それに目を…

…その顔に、けわしいシワが刻まれる。

ヤクザでも逃げ出すような、憤怒の顔になった真坂は、

「……! な……なんですか、これは…!? 出処は、いったい――」

「…今は、内閣府のいずれかの部署、ということしかわからない。

 だが、もう動き出しているプランだ。…最初の“実験”は、なんとか阻止したが…」

…ふざけている! 真坂の怒声と、テーブルを殴る音が響いた。





22-12

真坂がテーブルに叩きつけたその紙、何かのファックスの複写らしきそれには――


“擬人素体、通称「フレンズ」の野生開放を人為的に制御発生させる計画案第…”

“セルリアン対策 フレンズとの対消滅によるセルリアンの撃滅と排除”

“野生開放は弱小の小型動物フレンズが適任。弱小個体は生存のために野生開放への

 制限が低く、人為的に発生させる場合に省コストで使用が可能と判断された…”

“特大型セルリアン「アメフラシ」撃滅時に民間の小型フレンズが無許可の野生開放を

 行った事例 野生開放を行った場合、弱小個体フレンズでも十分に戦力となり…”

“セルリアンと野生開放フレンズの戦闘後、セルリアン現存の場合には追加投入…

 撃滅後は、該当フレンズを処分する。だが望ましいのは対消滅であるので計画では…”

“国内のフレンズの招集、およびパークからの輸入を前提にしたこの計画は法案を…”

“野生開放誘発装置、通称「シリンダー」の開発はパーク振興会と共同…”

“擬人素体 オオカワウソを「シリンダー」試験機の素体として使用 仮処分の…”


…その、オオカワウソの部分だけは二重線で消されて 猶予 の判が押してあった。





22-13

――気づくと。汗ばんでいた真坂と若屋の顔が、憤怒と焦燥にギラついた目が、

その書類からお互いの顔へと向かっていた。

「…フレンズを…“使い捨て”にして、セルリアン対策をする気か…!?」

「…そのようだ。しかも、政府のかなり深いところで…この計画はもう動いている」

「馬鹿な!! 俺たち二課とフレンズが…! 自衛隊のフレンズたちも命がけで

 セルリアンを撃滅しているのに…! 成果は上げている! なぜ今さらこんな――」

そこまで言った真坂の声と、顔が、自分の中に浮かび上がった“答え”に固まる。

「――成果を上げすぎた… そういうことですか。若屋さん」

「…おそらくは。…政府の、内閣府と野党のかなり高位の議員たちが…動いている。

 その目的はまだわからんが、そのためのお題目、連中の掲げる綺麗事が…

 政府主導の、セルリアン対策の一本化…それがこの紙にあるリーク情報だ…」

…馬鹿げている! 真坂が再び机を殴り、

「俺たちをお払い箱にして…フレンズを爆弾代わりにセルリアンを撃滅だと?

 これは、我々ヒトを無条件で好いて、信頼してくれる彼女たちへの裏切りだ!」

その部下に若屋参事官は深くうなずき、





22-14

「…最悪なのは、パーク振興会がこの計画に賛同していることだよ」

「…まさか、では――」

「カコ博士に連絡を取ってみたが…駄目だった。振興会は、博士は病気療養で入院中、

 としか答えなかったが…がーでんのときにあれだけ元気だった博士が、入院とは」

「…たぶんどこかに幽閉されていますね。…まずいです、な」

「…二課が解散させられるのは、最悪仕方がない。が…君たちと一緒に戦ってくれた

 フレンズを爆弾の中身に供出する気は、私にはない。…最後まで抵抗してみせる」

「それは俺も同じです。…二度も家族を奪われるのはごめんですからね」

二人の男は、お互いの腹の奥を確かめ合う。

「…こんなことをしていたら。私たち人類は今度こそ絶滅してしまうな」

「…いっそ、そのほうがいいのかもしれませんよ。地上にはフレンズたちだけがいて

 ずっと、たーのしーしてくれるなら… すみません、冗談です」

真坂と若屋は、デスクに散らばったリーク文書に苦い目を落とす。そこには…

“…野生開放誘発装置「シリンダー」 高電圧と液体窒素の放射により素体に危機…

 …生存本能により誘発…” と、邪悪な文字列が踊っていた……





23-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

そのヒョウと似たような境遇のフレンズが暮らす古アパート、通称「フレンズ下宿」。

2月のその日、ヒョウは…

その下宿の住人の一人で有職者、売れっ子漫画家フレンズのタイリクオオカミ先生の

原稿の手伝いで、3日ほど多忙なアシスタント生活をしたのち。

「…うちは今、フレンズいち孤独な少女やねん…」


東京、港区の赤坂。ヒトびとの一部と業界がバレンタインで浮かれているその日、

ヒョウは先生から借りたダウンジャケット、ハーフブーツ。そして毛糸の帽子という

出で立ちで都会のただ中、赤坂のプラザビルあたりをぶらついていた。

ふだんのヒョウなら、間違っても電車代を使ってまで来る場所ではない。今日は…

オオカミ先生のカラー原稿、連載の「共闘先生!」とは別のイラスト生原稿を先生の

代わりに入稿するため、赤坂の編集部に来たところだった。

けも耳を隠す毛糸帽子のおかげで、ぱっと見フレンズには見えないヒョウは、平日の

午後だというのにもう休日気分で浮かれた雑踏の中を流れ、歩き…





23-2

昼過ぎには編集部に原稿を預けてしまったヒョウは、ひさびさに訪れた都心の街並みを

ぼんやりと見…駅通路を使って、ぶらぶらと小春日和の空の下を…さまよう。

「…ほんま、都会っちゅうのは。ちょっと時間潰すにもひと休みするにも。大仰やな」

どこかで時間を潰そうかと思ったヒョウだったが。

チラと見た喫茶店のパネルメニュー、その値段を見てヒョウの喉がゲッとうめく。

公園のベンチやバス停のベンチも、どこも背広姿やカップルたちで埋まっていて…

「ここじゃあ、しり降ろすだけでもゼニかかるっちゅうことかー」

…今日は、ヒョウには夕方から用事があった。

バレンタインの今夜は、フレンズ友のジャガーの屋台の手伝いに出ることになっていた

ヒョウは、街角の時計を見…潰すにも手こずりそうな時間が――

どうやら3時間ほど、自分にあるのを思い知り、駅前をブラブラしながら。

…そんなことをしていると、ナンパ男とキャッチ、悪党のニオイプンプンのスカウトが

ヒョウに声をかけてきた、が…そのたびに彼女は、毛皮の帽子をとって。

「なんや、にいちゃん?」

…と。けも耳を、牙を見せてヒョウがみん味のある顔で笑うと。男は逃げ散った…





23-3

ふん、とヒョウはまた帽子をかぶって。そして…ため息。

「…もう、ジャガーんとこ、行ってまお。…もう仕込み、始まってるやろからな」

約束より早いが、タダより高貴な友情でジャガーの店の仕込みを手伝うことに決めた

ヒョウは、赤坂駅で切符を買って…そして、自分のがま口の中に…

去年の年末、がーでんの稼ぎがあったころはホクホクに太っていたその財布が、今は

見る陰もなくやせ細っているのに気づいて、ヒョウは首筋に吹く風を感じる。

「…ジャガーの手伝い、ナイスタイミングすぎるわ。…今月、ゼイタクしたもんなあ」

新年に下宿のみんなと飽食したり、新入りのオオカワウソのおーちゃんが来て、

調子に乗っていろいろパーティーしたりで…

…やっぱ、あぶく銭は消えるの早いわあ。ヒョウは駅の改札をくぐってホームの方へ。

その彼女の目、足が。ピク、と止まる。

「……。なんや、あのボウヤ。まさか迷子かいな」

――なぜか。ヒョウは、その男のヒトに向けた目を…離せなかった。

いつもの彼女なら、雑踏の中の一人のヒトなど、ぶっ倒れているかお金でもまいている

のでなければ、目の端にもとめず通り過ぎていたはずだった。…だが。






23-4

「……。どうしたん、キミぃ」

思わず。本当に自分でも思わず、ヒョウはその男のヒトに、少年に声をかけて…いた。

…えっ? と。ヒョウに声をかけられた少年が…

まだ背丈はヒョウよりも低い、中学生? だが、それなりの学校のブレザー制服を着た

その少年は、少し驚き、そして少し怯えた顔で…目の前のヒョウを。

知らなければ、ラフっぽいファッションのきれいなすっぴんネーチャン、の彼女に、

「…えっと、その…ごめんなさい、あの。おねえさん…は?」

「通りすがりのおひと好しや。キミ、なんで改札の前でウロウロして、泣きそーな

 つらしてボーッとしてるねん? 道に迷ったようにも見えんし、さては…」

財布でも落としたか? ニヤッと笑って言ったヒョウに、その少年は目を伏せ、

「いえ、落として…ないです。でも、PASMOを落としちゃったみたいで。

 どうやって、駅から出よう、って…駅員さんに言って、信じてもらえなかったら…」

「そんなん、ちゃんと言えばいいんや。んで、紛失届けしてな。…って、ちょ?」

ヒョウがぎょっとする前で…その少年は泣き出しそうな顔になって、いた。

「…ごめんなさい、ぼく…どうしていいか…」





23-5

「ちょ。男のコがこんなところで泣くもんやないでー。うちが虐めてるみたいやん」

あたふたしたヒョウは…周囲を無関心に流れてゆく雑踏の中で――

なんだか、その少年と二人だけ濁流の中の小島に流れ着いてしまったような気分で。

(…あかん。…なんでうち、こんな泣き虫ボウヤに声かけちゃってんのや…)

…だが。ヒョウは――ああ、もう! とすっぴん唇を小さく噛んで。

たぶん、少年の態度に少し苛立っていたのもあるだろう。彼女は少年の手をつかむと、

??と驚く少年を、そのまま改札の駅員窓口までヒョウは引っ張ってゆく。

「あっ、あの…っ、あの! おねえさん…?」

「駅員さーん! ちょ、ちょい。このコがさあ、PASMO落としたんや。手続き頼むわ」


…そして。

その気弱な少年は手続きを済ませて無事、駅の外に。ヒョウは、持っていた切符を一度

払い戻して…なぜか、いっしょに駅の東口に出てしまっていた。

「その…おねえさん、すみません…」

「なー? 駅員だって鬼外道やない、ふつうに手続きすりゃええんや。うじうじせんと」





23-6

ひと仕事終えたヒョウがぱんぱん手をたたくと。冬空はさらに暗く、夕暮れの色が

混ざり始めていた。…いい時間だ。

ヒョウは、そんじゃな、と言い手をふって。また駅に戻ろうとしたが…だが。

(…いっくら、ヒマやって。うち、なにしとるんや…)

…ヒョウは、駅前の流れる雑踏の中で――そこだけ別の空間のように、二人だけで

立って向き合っている少年の前を、何故か離れられず…声を、かけてしまっていた。

…さっき。駅員が紛失手続きしているとき、少年の学生証をヒョウはチラ見して…

…この少年が高校生、しかもチャキチャキ有名進学校の一年生だと見てしまっていた。

「……。キミ、住まい、このへんやないやろ。塾かなんかか?」

「…え、ええ。はい、そうです。おかげで遅刻しないですんだみたいです」

ようやく、少年の顔に笑顔が浮かんでいた。

…ヒョウは。ギクウッ、っと背筋が、ダウンジャケットの下の尻尾がピンと強ばった。

…正確には ドキッ で…あった。だが、ヒョウはこの感情には経験がなかった。

「……。な、なんや。ちゃんと笑えるやないか」

…女のコみたいな可愛い顔、しよって。ヒョウは、自分の頬が赤くなってくるの感じ…





23-7

「すみません、その…ありがとう、おねえさん。…えっと――」

「……。あ、あんな、男が泣いてええのは、親が死んだときと喧嘩に負けた時だけや。

 もっとシャンとせんと。…じゃあ、うちは行くから…」 ヒョウが言うと、

「その、僕の両親は…先日のセルリアン襲撃で… いえ…なんでもないです」

少年はなぜかまた、沈んでうつむいた…だが、すぐに。

「あの…おねえさん、このあたりでお仕事、なさってるんですか?」

(…なんや、このボウヤ。急に押しが強くなりおって…)

「いや、今日は届け物があっただけや。ほら、塾! 遅刻したら台無しや」

「あっ… ごめんなさい。…その! 僕、本間、って言います! じゃあ…」

!? とヒョウが驚く間もなく――

その少年は、ニコッと笑い、ヒョウに自分の名前を告げると…行ってしまった。

「……。なんや、なんや、もう… …ほんま、クンか…ハハハ」

ヒョウは。冬の寒風の中、自分の頬が赤くなっているのが気恥ずかしくて…プイ、と。

「あいつ。うちが、フレンズだって気づかへんかったな。気づいたら、あんなに…」

小さくため息ついたヒョウは、火照った顔と頭を冷やすため毛糸の帽子を脱いで。





23-8

…気持ええ。冬風に髪と、けも耳を揺らせ、彼女は再び切符を買って。

駅の時計を見、計算すれば。今からジャガーの屋台がある駅まで行っても、数時間は

余裕があるはずだった。…少しキャベツを多めに刻んで…串も多めに…

ヒョウが、自動改札に向かった――その時だった。

 Biririririririri……!!

「なっ!? なんや!! なんや、ちょ、ちょい!?」

突然、都会の空気を震わせる警報が鳴り響いた。それは、駅から、周囲のビルから、

そして駅の片隅に止まっていた警備の機動隊車両から鳴り響き…

 ++セルリアン警報++ ++港区全域にセルリアン特別警報 発令++

一瞬で、雑踏の流れは凍りつき…そしてすぐ、パニック寸前になって逃げ惑った。

「せ…セルリアンて! 特別警報て!? ちょ…」

――港区、檜町公園付近で新種の特大型セルリアン“サルモネラ”が出現していた。


最も残酷なるもの、汝の名は運命。最も慈悲深きもの、汝の名はやはり、運命。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫の運命を賽子にして弄ぶまで――あと478日……




24-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

彼女と同じ下宿、通称「フレンズ下宿」に住む人気漫画家フレンズ、タイリクオオカミ

先生のおつかいで、都内赤坂の編集部に原稿を届けに来たヒョウは…

久しぶりに出た都心で、一人の少年と出会い、そして――そのあと、すぐ。

 Biririririririri……!!

夕暮れの迫る都会に、警報が響く。港区全域にセルリアン特別警報が発令されていた。

特別警報、すなわち人口密集地に危険度の高い大型セルリアンが出現したことを意味

するその警報の真っ只中に、ヒョウは…

「な…!? なんや、なんや! ちょ、セルリアンって…すぐ近くやん、これ?」

すぐに駆けつけた警官、そして警戒ボランティアの誘導で人々はざわざわと、バラバラ

走り、街路を西に、東に避難してゆく。

セルリアンが、被災地や火山だけではなく都心部にも出現し、人々を襲うように

なってから、もう1年近く。避難などの対策はだいぶ周到されてはいたが…

それでも、赤坂駅周辺はパニック寸前の騒乱の中にあった。

到着した機動隊の対策車両が、エンジンを唸らせながらゆっくり進んでゆく。





24-2

警報が鳴り続ける駅前からヒトびとが逃げ散ると…呆然としていたヒョウは、ハッと。

「…あ、あかん。電車、止まっとる。うちも…逃げ、な…逃げな…」

彼女は、避難し逃げ惑うヒトびとを見、自分もそのあとを追おうとして。

…ヒョウは、駅前広場で、南へ伸びる通りの方を見…

…逃げていなかった。彼女は、怖くてガクガク震えそうな足、身体で。

「…あ、あのボウヤ、大丈夫やろか? ちゃんと避難、したんかな…?」

機動隊の、戦車のような対策車両が進んでいったその通りに、ヒョウの目は向けられた

ままで。逃げ遅れたヒトびとがまだばらばらと、その街路を走ってくるのが見える。

『…道路に出ないでください! 建物の中に入って、決して外に出ないよう…!』

対策車両のスピーカーが吠え、周囲の空気をバリバリと震わせていた。

その音にビクッとし、ヒョウはもう一度…逃げようとした…だが。

「…あかん! あのボウヤ、きっと…また迷子みたいになっとるやん、こんなん…」

野生の本能は、彼女に力を開放してでも逃げろと叫んでいたが。

ヒョウは、対策車両がゆっくり進んでいくあとを追うように…数歩、よろめき。

そして意を決して走り出す。





24-3

…どうしても、駅で会ったあの“少年”、本間と名乗ったあの子のことが気になって

ヒョウはこの場を離れられなかった。

…もし、怪物、セルリアンと鉢合わせしてしまったら…? これまで口喧嘩なら

何度も修羅場をくぐってきたヒョウだったが、拳を握って戦っとことは…無い。

…だが、ヒョウは。街路を塞ぐようにして進む、巨大な対策車両のあとを追うように

走った。どうしても、彼のことが…あの少年のことが心配で――

「…! あいつ、塾の建物の中に隠れてればええんやけど。まさか…」

駅で落とし物をして泣きそうになっていた顔、ヒョウを前に赤くなって慌てていた顔、

そしてニコニコ笑っていた可愛げのある顔…

恐怖で息の詰まりそうなヒョウの頭、胸の中でそれだけがグルグルと巡っていた。

対策車両が一ツ木公園を越え、交差点に差し掛かったとき…だった。

 Pikyuiiiiii!! と、甲高い何かの音が響き、赤坂の市街と空気を震わせた。

ヒョウの身体も、ビクッと固まる。…見なくても、彼女の本能が訴えていた。

セルリアンだ。しかもこの音量を放つサイズは…特大型と言われる、怪物だと。

「あ、あ…! あかん、シャレんならん」





24-4

…おそらく、あの黒い墓石じみた対策車両の向こうに…怪物が、セルリアンがいる。

ヒョウとの距離は、20メートルもないとさっきの咆哮が彼女に教えていた。

…やっぱ、逃げるしかないやん――彼女の肝がまた揺れた。…が、その目に。

「……。あ…あわ…」「……!? な…おま!? ホンマくん!!」

交差点の角に、ブレザー制服姿の小柄な少年が。いた。

絵に描いたような、腰が抜けた、有様で…その少年は、10分ほど前にはヒョウを

困惑させていたあの少年が、街路に取り残されていた。

「ちょ、あんた!? なにしてンの! はよ逃げな…!」

「あ、あ…? !! おねえさん…!」

ヒョウが駆け寄ったのと、本間少年がその顔を上げて彼女を見つけ、恐怖に強ばって

いたその顔に輝きを取り戻したのと――対策車両の攻撃開始が、ほぼ同時だった。

「このばか! …ああ、よかった…!」 ヒョウが少年の傍らにしゃがんだとき、

ゴオオウ!と対策車両のエンジンが吠え。その車体に格納されていた、巨大な腕が。

先端に杭打機のような装置をつけた油圧式アームを伸ばし、サソリの毒針と尾の

ように振り立て――その先端を、前方の街路に突き刺していた。





24-5

そして、次の1秒後には…対策車両の武装、油圧アーム式振動地雷が起動していた。

「…うっ、わ!?」「な…なんや、これ…」 …瞬時に。

地面が例のマッサージ機のように微振動し、建物も、空気もビリビリ震えてきしむ。

地面を超振動で震わせるこの装置は、今年になって機動隊にも配備された新兵器。

地上型セルリアンは、この装置の超振動が震わせる地表の上を進むのを避ける性質が

ある。交差点に陣取った対策車両のアームは、南に伸びる街路を超振動で封鎖――

そして、車体上部の放水銃から前方のセルリアンに対して放水も開始していた。

この攻撃でセルリアンの足を止め、対策班であるハンターチームや自衛隊の到着まで

怪物を足止めするのが、最近確立された基本戦術だった。

…だが。その対策車両が気づいていなかったヒトの少年と、ヒョウは。

「…! おね…さん…!」

「…ク…何や、これ、立てへん…!?」

その超振動の余波で、周囲に乗り捨てられた車が紙相撲の力士のようにうごめく中、

少年とヒョウも、地面のブレに足を取られて立ち上がれないで…いた。

振動の巻き添えをくって、紙くずのように体を揺すられるヒョウは…気づくと。





24-6

彼女はその腕の中にしっかり、少年の身体を抱いて守ろうとして…いた。

そのヒョウの目に…

 Pikyuiiiiiii!! 怪物の咆哮とともに、その姿が映る。

対策車両の前方、放水銃からの高圧水流が薙ぎ払う前方で…ムクリと異形が小山の

ようなその巨体を膨れ上がらせていた。緑の汚泥の色をした、怪物。

それは…識別名“サルモネラ”と呼ばれる特大型セルリアン。

巨体の中央に、何の感情も映さない単眼。そして体表からは無数の触手が伸びて鞭の

ようにのたうって…いた。対策車両の放水を、怪物はその触手で切り裂いて散らし、

その身体を膨れ上がらせ…そして。巨きな単眼が、ギョロリ動いた。

ヒュ!ビュッ!と空気が切り裂ける音が響くと。サルモネラの腕に当たる、二本の

長くて太い触手が…超振動を乗り越えて対策車両の油圧アームに絡みついていた。

…次の瞬間には。巨大な車両が、鋼鉄がきしみ潰れる音をたてたかと思うと――

「…わっ、うわあ!?」「…! ひえええっ」

対策車両は、軽々と車体を持ち上げられそのまま。十字路の信号に叩きつけられる

ようににしてなぎ倒されてしまっていた。油圧アームの先端が虚しく空気を震わせる。





24-7

…退避ーッ! 対策車両後部のハッチから、装備スーツの機動隊員たちがバラバラと

逃げ出し、建物の陰へと散ってゆく中。

怪物、サルモネラは二本の触腕を勝ち誇ったように宙にくねらせながら…振動の消えた

十字路を進んでくる。…それが。その絶望がヒョウの目を凍りつかせた。

「…あかん、逃げな…ッ、あ、あ…? く、足が…ッ」

…おねえさん! 少年の声がヒョウの耳を震わせるが。ヒョウの健脚、そして自慢の

まるい腰も…しびれたように、動かない。立ち上がれなかった。

振動地雷の余波――軍事兵器だった振動地雷の、本来の効果。

範囲内の車両、兵士を一定時間、行動不能にするその振動にヒョウはやられていた。

…そこに。汚泥が泡立つような音を立てて巨大なセルリアンが滑ってくる。

「…く! 本間くん、逃げえ…! はよ、にげて…!」「…お、おねえさん…!」

だが、振動から守られていた少年も…逃げなかった。

迫りくる怪物の方へ、恐怖で震える目を向けたまま。だが、その細腕でヒョウの肩を

抱くようにして…二人で、無力なお互いを守るようにして…少年は逃げなかった。

「あ…あほーう! な、なにしてるんや…はやく…!」





24-8

ヒョウが涙声で叫ぶが…少年は、その顔を――恐怖でこわばった顔と目を、前方の

巨大な怪物に向けたまま…だった。ゆらり、何かに憑かれたように少年が立ち上がる。

…ドロドロっと。少年を単眼で見据えたサルモネラが巨体を震わせると。

その、巨大な二本の触腕がスルスルと…ヒョウ、そして少年に伸びてきていた。

「う…う、うわあああ…っ! 駄目やあああ!」

恐怖のあまり目を閉じてしまったヒョウが、叫んで…その眼尻から、虹色のきらめきが

こぼれ落ちた…その滴が、アスファルトで散る瞬間。

「……!? ゥ、わ!!」 風切り音とともに、ヒョウの身体が衝撃で揺さぶられた。

…やられた…本間クンを守れへんかった…

ヒョウが真っ黒になった意識の中で絶望した…とき。

「…? へっ?」 すとん、と。ヒョウは自分のお尻が地面についたのを感じ…

――な、なんや? おそるおそる、目を開けたヒョウの視界に。

自分の横で、同じようにへたり込んでいる本間少年。そして…彼女たちを捉えようと

していたセルリアンの触手は、数十メートル離れた街路の上で…うごめく。

そして。…ハッとしたヒョウの背後に――背の高いフレンズの姿が…あった。





24-9

黒い上着、格子模様のスカートと、同じ柄のネクタイ。流れる艷やか黒髪、けも耳。

「…やれやれ。危機一髪、じゃないか。こういうのは漫画の中だけで頼むよ」

「……!? な、な…!? センセ、い…!」

間一髪で、ヒョウと少年の身体を触手から奪い取り後方に跳ねて退避させたのは――

タイリクオオカミのフレンズ。ヒョウと同じ下宿住まいの、漫画家…先生。

「せ、先生…! な、な、どうしてここ、ここに…」

「なに、こちらの編集部にもしばらく留守にする挨拶をしようと思ってね」

明日の天気の話でもするように、飄々と話したオオカミは…すい、と、ヒョウたちの

前に進み出て、こちらに滑ってくる巨大な怪物と対峙する。

「途中でタクシーが動かなくなってね。ひさしぶりに走ったかいがあったよ。

 ――大丈夫かい、ヒョウくん。…ん、その子はいったい」

「…は、はい…! その、うちは… あ、あ!! 先生も逃げて、バケモンが…!」

まだうまく腰が立たないヒョウが訴えるが、オオカミは迫りくる怪物の姿を前に

微動だにせず、そして…ヒョウが消しゴムでミスをした時のような声で。

「…そうか、ヒョウくんは…戦った経験は、なかったか」





24-10

溜息つくように言ったオオカミ、あぜんとするヒョウ、そしてヒトの少年。

その前方に、ドロドロと巨体を滑らせながらセルリアン“サルモネラ”が迫る。

怪物の醜怪な二本の触腕が、虫の触覚のように伸びて…そして。

バチィ!と、その触腕の先端は音速を超えて破裂音を鳴らしながらオオカミを威嚇する

ように空間を薙ぎ払う。その間も、怪物の巨体は迫り…

「…! 先生、にげ…!」 ヒョウがなんとか立ち上がれた、そこに。

「――前に、ヒョウくんに言ったね。私は大丈夫、だと」

その言葉が終わる前に…セルリアンの触腕が二本、上空からオオカミに襲いかかった、

…先生!! その叫びが出るよりも早く、周囲のビルを、車を薙ぎ払って潰し、刻んで

いた触腕の先端がオオカミの身体に襲いかかって――だが。

…バアアン! と、別種の衝撃音が空気を揺らして…オオカミは微動だにしていない。

セルリアンは…怪物は、よろめいて…いた。

その野太い触腕が裏切って、自分の身体を強打されていた。

「…ふん。音速程度で。私の目を欺くつもりなら第一宇宙速度は出しなよ」

怪物の触腕、強靭な二本の鞭の先端は…いつの間にか、固く結び締められて…いた。





24-11

…え? ええ? 何が起こったか、理解できないでいるヒョウ。その背後で。

「……。先生、お久しぶりです。まさか、お手を煩わせてしまうとは…不覚」

!? 心臓が飛び出るほど驚いたヒョウの背後から――

いつの間にか現れた小柄なフレンズが…スッスと靭やかに歩み出て、オオカミと並ぶ。

…固い鱗鎧のようなスカート、装甲された長い尻尾。

…凛とした美少年のような顔、金の髪からはけも耳と、可愛らしい帽子…

「やあ。ギロギロくん。…そうか、国会議事堂。このあたりは君の持ち場だったね」

「ええ。なかなか持ち場を離れさせてくれなくて…すみません、出遅れました」

オオカミと旧知の仲のように話すのは…オオセンザンコウのフレンズ。そして。

警察のセルリアンハンター、警備二課のフレンズの中でも最強とうわさされる戦士。

大ヒット漫画「ホラー探偵ギロギロ」のモデルになったフレンズだった。

「では。あとの始末は任せてもいいかな、センくん」 オオカミが笑うと。

「ええ。ここで、お待ちを――」

いまだに??なヒョウと少年の前で、オオセンザンコウは。歩を、進める。

再びこちらに進みだした巨大な怪物のほうへ…まっすぐに、歩く。





24-12

「…!? ちょ、あの子…先生!?」

武器も何も持たず、ただ真っすぐ進んでゆくハンターの姿にヒョウが悲鳴じみた声を

あげる、が…オオセンザンコウは、止まりも、急ぎもせず進む。

「彼女なら大丈夫。あの程度のセルリアンなら、絶招は出番がないだろうね」

オオカミ先生が、やはり天気の話でもするように謎の言葉を言う中。

 Pikyiiiiii!! と絶叫したセルリアンが無数の触手をうごめかせてフレンズを、

進んでくるオオセンザンコウを襲う、が…センザンコウは――真っ直ぐ進む。

その両手を、すい、スイと流しながら…車さえバラバラにする触手の攻撃を、その

威力を何もない空間に流して捨て、時おり歩法で体軸をずらし…進んで。

!? ヒョウの目が、怪物の目前まで進んだその小柄な姿に見開かれたとき。

「…イッ!!」 オオセンザンコウの喉から小さな爆発の呼吸が漏れ――

ドン、と。地面が震え、セルリアンの巨体が固まって…そして震える。

怪物、サルモネラの泡立つ体表に…ハンターは右の中段突き、崩拳を靭やかに

打ち込んでいた。その発勁で…

サルモネラの無数の触手は、一瞬で硬直し、力を失い。だらりと垂れ…





24-13

セルリアンの巨体が、その一撃で動きを止めていた。…いや。それだけではない。

怪物の体表のそこかしこから、青黒い体液が噴出し、そして…ボコッ、と。

怪物の背中から、膿んだニキビの芯そっくりに大きな青い石が押し出され露出し、

 パカァアアアン!! と、その石が大気中で砕け散るのと同時に。怪物の巨体は立方体に

刻まれ、バラバラと崩れ落ちて…いた。――特大型セルリアン“サルモネラ”、撃破。

「…ハ…。…よかった、誰も飲まれていなかった…」

スッと拳を引き、オオセンザンコウは巨大なセルリアンが大気中に散ってゆくのを

見つめていた。その光景に、ヒョウは言葉を失ったまま…

「相変わらずいい動きをしているね。さすが、国会と皇居を守護るハンターだ」

ぱふぱふと手袋の手でオオカミが拍手をして笑う。その足元で…

「あ、あの…えっと、うちら…助かった?」「…おねえさん、その…」

ヒョウと少年は、いつの間にかお互いの手を取り合って…いた。


サンドスターはヒトを選ばなかった。だがセルリアンはフレンズもヒトも、選ばない。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫の手に剣を取らせ、汚すまで――あと428日……





25-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

無聊をかこつフレンズたちが暮らす安アパート、通称「フレンズ下宿」に暮らす

ヒョウは、有職者にして人気漫画家フレンズ、タイリクオオカミ先生の原稿を手伝い

糊口をしのぐことがまれによくあった。…しかし。

オオカミ先生の連載「共闘先生!」は次回で第一部、完結――

連載を終えたオオカミ先生は、もう今月のうちにこのアパートを出ていってしまう。

先生は、ジャパリパーク振興会の研究員たち、そして日米安保軍のチームに同行して

今は海上封鎖されて無人のジャパリパークへの調査に向かうことになって…いた。

…これが、もしかすると最後のオオカミ先生の原稿、その手伝い。

…ヒョウにとっては、アシスタント料が入らなくなることよりも…

…先生ともう会えなくなるかもしれない、それがつらく、寂しくて、不安で…

「…うちは今、フレンズいちヘタレでクソザコナメクジな少女やねん…」


…だが。ヒョウを落ち込ませている一番の原因は、オオカミ先生のことではなく――

先週、ぐうぜんに出会ってしまったヒトの少年のこと。その言葉、だった…





25-2

先週、原稿を届けるため久々に都心の赤坂に出かけたヒョウは、そこで本間という

少年と出会い、そして…セルリアン襲撃に巻き込まれ、危うくふたりとも怪物の餌食

となりかけていた。

その場に駆けつけたオオカミ先生と、警備二課のハンターにヒョウと少年は助けられ

特大型セルリアン“サルモネラ”も撃破されていたが…

現場に駆けつけた警官、そしてハンターチーム、救急隊によって現場に残されていた

かたちの少年は即座に救急車に乗せられ、連れて行かれてしまった。

その少年、本間という名のヒトは…彼を守っていたヒョウの腕から引き離されたとき、


「おねえさん… フレンズ、だったんだ…… まさか、そんな…」


帽子をどこかに無くてしていたヒョウのけも耳、そしてしまい忘れてジーンズから出て

しまっていた太い尻尾を見、ぼうぜんとして…そう言い残し、連れて行かれてしまった。

「…なんでうち、最初からフレンズだって言わんかったんやろ… こんなことなら…」

ヒョウは、身体がばらばらになるような陰鬱な気分で…その週を過ごし。





25-3

フレンズ下宿に戻ったあとも、ヒョウは最後に彼女を見た少年の目、そして言葉が

頭から離れないままで… その夜はめずらしく、何も食べないで横になり…

そして次の日も食欲がまったく出ないまま、2月の空気で冷え切った四畳半の古畳の

上で、ただ転がって悶々とし…どうしようもない後悔に内臓を重くしていた。

…そしてさらに次の日。さすがに空腹で胃がキリキリしていたが食欲はなく。

だが、下宿の他の住人たちが共同炊事場でぱたぱた動いたり、出かけたりする音。

さらに、下宿の新顔で先生から世話を頼まれていたオオカワウソのおーちゃんが、

小柄なかーちゃんとでもいう気遣いを見せるオコジョ、他のフレンズに連れられて

区役所に行って…そこで、簡単なアルバイトをすませて戻ってきたのを窓から見…

「……。あかん、こんなことしとったら動物に戻ってまうわ…」

ようやく、ヒョウは動き出して。

冷えてカチカチになっていた三日前のめしを粉末だしで煮て粥を作って、それを

食べていた。…なんだか、味がしなかった。

それでも、その夜はおーちゃんたちを連れて近くの銭湯“竜骨湯”へ行って。

その次の日、オオカミ先生が下宿に戻って…きた。





25-4

「先日は独りで戻らせてすまなかったね。…さあ、仕事にかかろうか」

先生はいつもどおりだった。涼しげな顔で、余裕があって、それでいて自分の上げて

きたネームにまだ納得がいかないようで下書きのときにずっと難しい顔で、何度も

最終回の展開に手直しを入れて…そして。先日の、あの怪物。

セルリアンと戦ったことなどもう忘れてしまったかのように、先生は原稿に集中して。

ヒョウは、あのとき自分が何もできなかったことが、不甲斐ないというか悔しいと

いうか…そんな気分で、だがそのことを先生に切り出せないまま――

「…余裕のあるスケジュールのつもりだったんだが。毎回すまないね、ヒョウくん」

オオカミ先生はいつもどおり。

増ページの原稿すべてに下書きを入れ、主線をペン入れするといったんそれを全部、

ヒョウに渡して。彼女が消しゴムとベタ、カキアミやトーン貼りをしているあいだ、

手描きのカラー原稿に取り掛かる。

月刊誌の記念カラー表紙、中表紙カラー、そして単行本の表紙。ときおり水入れが

カチャカチャ鳴る以外は、先生は机に向かったきり…無言で、仕事を続ける。

ヒョウもそれに釣られ、いつのまにか無心で手を動かし…





25-4

初日は、夜にヒョウがラーメンを二人前作ってそれを先生と食べて早めに寝て。

二日目はおつかいに言ってくれたテンとクロテンの買ってきてくれたパンとお弁当を

食べて深夜まで仕事をして…先生はカラー原稿を完成させ、中身に戻る。

三日目は、下宿住人のヒクイドリがおにぎりをたくさん作ってくれて。ヒョウと先生は

それを食べ、薬缶のお茶を飲んで深夜まで仕事をして。

四日目は、先生のペン入れを待つあいだ…ヒョウは気分転換で外に出て。

去年の年末、フレンズ芋煮会で使ったはそり鍋をひっぱりだして買い物に行き、肉を

しこたま買ってきて…米も二升炊いて。そこに下宿フレンズも集まって。

ヒョウは、フレンズ友のジャガーの得意料理のビリヤニを夕食に合わせて作る。

はそり鍋にフレンズ総出で切った玉ねぎを炒め、そこに刻んだ肉を放り込んで香草や

スパイスといっしょに煮てから水とカレールーを足し、鍋いっぱいのカレー汁にする。

もう片方のはそり鍋で炊けていたごはんに、そのカレー汁を具ごと乗せて蒸らして

からかき混ぜると…下宿の庭どころか、表の通りまで匂いが漂うビリヤニの鍋が

出来上がった。

その頃には、もう日も暮れ…





25-5

「…何かいい匂いがするとおもっったよ。もらおうかな」

オオカミ先生も庭に出てきていた。下宿のフレンズ、そして呼んでいないけどいつの

まにかいる近所のフレンズたちも集まって、めいめいの器にビリヤニを大盛りにして

部屋に戻ったり、炊事場や廊下でほかほかのめしで舌と空腹を癒やしてゆく。

「あの、先生。どちらで…食べはります?」

「うん。部屋はまだ原稿が干してあるからね、火のあるうちにここで頂こうか」

ヒョウとオオカミは、あっというまに日が暮れて暗くなった庭で、はそりを炊いた

残り火にゆらゆら照らされながら…同じごはんを、食べる。

(…もう原稿も出来る…もしかしたらこれ、先生と最後に食べる、めし…)

ヒョウは、何も喉を通らない…そんな気分だったが。

「…うまい。カレーライスとは違うね。味わいが…米が主役だけど、肉も美味しい」

先生は、疲れてはいるが上機嫌な笑みで。野生に火がついたように、皿の上のめしを

カッカと歯を鳴らす勢いで先生の口がかきこむ。

その先生の前で沈んでいるわけにもいかず、ヒョウも無理やり一皿かきこんで。

先生といっしょにおかわりをして、二杯目はお茶と一緒にゆっくり食べて――





25-6

…結局。食事中、ヒョウは先生に何も言えなかった。先生も、ほぼ無言で…

二人はオオカミ先生の部屋、仕事場に戻って…原稿に取り掛かる。

(…ああ、でも。仕事してると、あのヒトのボウヤのこと忘れてたわ、うち…)

(……。また思い出してもうたやん… あの子、ホンマくん、悪いことしたなあ…)

庭の方で、ご相伴に預かったフレンズたちが後片付けをしてくれている音がする中、

ヒョウは先生が仕上げのペンを入れた原稿を前にして…

――だめや、集中せな。 首をふって、ウスズミを磨ってベタのスミも用意する。

四畳半に、呼吸よりも静かで繊細なペンと筆の音が響く中…

(…あかん、もうそろそろ原稿終わるかと思ったら…涙、出てきてもうた…)

ヒョウは一人、部屋の流しで顔を洗って。それを乾かすあいだ…無言で原稿に向かう

先生の背中を見…そして、我慢ができなくなって…言った。

「その、先生。…出発は、パークの島に行くのはいつ…なんですか」

オオカミ先生は、しばらく答えなかったが。ファサリ、仕上げた原稿をヒョウの机に

滑らせてから…静かに言った。

「…3月中だと思う。スタッフの用意と、訓練もあるからね。でも、今月中だよ」





25-7

…やっぱり。ヒョウは、聞くんじゃなかったという気分で…自分の席に戻る。

ウスズミの筆を濡らし、尖らせたヒョウにオオカミ先生が言った。

「前も言ったけど。ヒョウくんのことはアミメくんたちに頼んでおいたからね。

 君は、こっちで元気に――あと、オオカワウソくんのことを頼むよ」

「ええ、それはもちろん… 先生、どうしてもパークには行かなあかんのですか…」

「ああ。あの島で、マウント・フジで何かが起こっている。人工衛星で噴火らしき

 ものは観測しているが…何が起こっているのか、確かめに行く必要があるんだ。

 …私、というかフレンズのお人好しには困ったものだ。ヒトを放っておけない」

ヒョウが気づくと、先生は彼女を見て…小さな、涼しげな笑みを浮かべていた。

「大丈夫。私はここに戻ってくるさ。なんてったって…君も気づいているだろう?」

先生が、もう少しで仕上がる原稿に目をやるとヒョウもうなずく。

共闘先生!の最終回には、唐突に新キャラが出て――

それは大ヒットの前作ギロギロのキーマンで。あきらかに、二つの世界のリンクと

新展開を匂わせる最終回だった。

そのヒョウの肩を、先生の手が、ぽんとたたいた。





25-8

「私は必ず、ここに戻るよ。そうして第二部を描く。だから、安心してくれたまえ」

その手の温かさと、手加減した力強さが…死地に向かうも、物怖じしない美しい瞳が。

ヒョウに先日の、あの怪物セルリアンを前に一歩も引かず、小手先だけで攻撃を封じて

いた先生の姿を思い起こさせて…うつむかせていた。

…そして。しばらく、無言の作業が続いたあと。

原稿に、最終回に出てくるフレンズのキーマン、オルマーとその相棒の少年を見た

ヒョウは、またあのヒトを…本間少年のことを思い出して…いた。

(…なんでうち、あの子の学生証なんか盗み見しちゃったんやろ… あほや…)

(…会いに行こうと思ったら、高校まで行けば…でも、もう嫌われてまったやん…)

あやうく、ヒョウは原稿に涙を落としそうになった。

なんで自分がこんなく苦しく、悲しいのかわからなかった。そんな彼女に先生は、

「…何か気になることがあるのなら、今のうちに言っておいたほうがいいよ」

「……。その、先生って――」

ヒョウは、自分の胸の中のものを吐き出す言葉が見つからないまま…だが。

「先生って、誰かを好きになったこととか…あったり、するんですか?」





25-9

「……。あるよ」 オオカミ先生は、沈黙のあと答え、

「私はヒョウくんや、下宿のみんなのことが大好きだし。もちろんアミメくんや彼女の

 姉妹たちも大好きだし、フレンズ友、読者のみんな、ヒトのことも大好きだよ…」

ガラス窓の外、夜空を見て歌うように言った先生にヒョウは、

(…ずるい。そういうのやなくて…先生、うちに話してくれんことばっかりや)

「……。ごめん、わかっていて、はぐらかしてしまった」

むくれていたヒョウに、オオカミは言って。

「私たちフレンズにはメスしかいない。そのせいか、ヒトの男に惚れる子も多いね。

 でも…私はまだ、そういう経験はない。残念ながら。まあ、このご面相では…」

「んな。先生、めっちゃ美人ですやん」 …ヒョウは言ってから赤面する。

「あはは。お互い、色気のない生活を続けていたからね」

そう言った先生は、再び原稿に向かいながら…だがヒョウに、

「…いいことだよ。すごく、いいことだと思う。…ヒョウくん、いいことだよ」

…!? 先生、うちがモヤモヤしてる理由がわかってる…? ハットしたヒョウに、

「誰かを好きになる… とてもいいことだ、そう思うよ」 先生が続けた。





25-10

「先生、その… うち…もしかしたら… でも、その。もう嫌われてまって…」

ヒョウは自分の顔が火事のように赤くなっているのに気づく。

「…相手は。もしかして、あの時いっしょにいた男の子かい?」

「……!? え、えええ? 先生、なんで、ナンデ… って、バレバレっすか…」

「あの子の名前とか、住んでいるところは知っているのかい?」

「は、はい… その、本間…新二くん…高校一年で、ガッコはいいとこの――

 で、でも…うち、フレンズやし…あの子より背ぇ高いし、年上みたいやし…」

「相手は高校生だろう。ほとんどのフレンズより年上じゃないか」「あっ」

「悪いけど、あの場は私も見ていたが…別に、ヒョウくんが嫌われたようには

 見えなかったが? あの少年は命の危険のあとで、ショックだっただけさ」

そう言ったオオカミが…ふと、窓際に置かれた小さな鉢植えに気づいた。

「…? おや。この鉢植え…なにか芽が出ているよ」「ああ、それ。おーちゃんの…」


その花の香りは永久に香り、美しい白さはすべてを包み眠らせるという。古代の、花。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫のしとねにたむけの花を飾るまで――あと421日……





26-1

ネコ目ネコ科ヒョウ属、フレンズのヒョウ。東京で下宿住まいの彼女は、無職だった。

東京の片隅に、無聊をかこつフレンズたちが身を寄せ合い暮らす安アパートがある。

通称「フレンズ下宿」の住人のヒョウは――

「…うちは今、フレンズいち、さびしんぼうで行き場のない少女やねん…」


下宿の同居人、人気漫画家のタイリクオオカミ先生は、3月号で1部完結となる連載

“共闘先生!”の原稿をアシスタントのヒョウとともに仕上げて、そして今週あたま。

「じゃあ、行ってくるよ。ヒョウくん、みんなのことをよろしく――」 そして。

「またね」

オオカミ先生はそれだけ言い残し、タクシーで迎えに来た編集のアミメキリンとともに

下宿を出ていって…しまっていた。

…先生は、このあとジャパリパーク振興会のスタッフといっしょに、今は日米安保軍が

封鎖しているパーク本島へと、危険な調査任務に向かうことになっていた。

…先生は、その任務に――地球レベル発生するセルリアン惨禍の最中、その中心部たる

パークの島で何が起きているかを調べるために…下宿を出て、行ってしまった。





26-2

「…なんか、あっさりしすぎてて。先生、今夜にでも戻ってきそうな気がするわ…」

ヒョウは、掃除だけをすませたタイリクオオカミの部屋でぼそり、独り言。

その部屋は、いつ先生が戻ってもいいように家具も台所もそのままにしてあった。

…だが。…それは、いつ?

それは、先生に聞いても解らなかった。

ヒョウは、窓辺で小さな芽をふいていた植木鉢に水をやってから…部屋を出る。

3月に入って、陽射しもだいぶ暖かくなっていた。下宿のみんなも友達と遊びに

いったり、アルバイトに出たりで。昼下がりの下宿は、しんと静まり返っていた。

…その静けさがヒョウの寂しさを深くして、昼寝もさせないほど悲しくさせる。

「…あかん。散財してもええから、ちょっとおもて、出よ」

ヒョウはいつもの無職スタイルの上に先生から借りているハーフコートを着、そして

なんとなく…けも耳を隠す毛糸の帽子をかぶって、素足サンダルで下宿を出る。

暖かな日差しの下、駅前までぶらぶら歩いたヒョウは。

小腹がすいた気がしたが、カフェやレストランの値段をみるたびに気が引けて。

結局、コンビニで小さな菓子パンの袋を買って。それをもさもさ食べながら…さ迷う。





26-3

「…知り合いは、まだみんな仕事やなあ。ワオちゃんも…クロちゃんはまだ寝てるか」

妹のクロヒョウの部屋に転がり込もうかとも思ったが。ネットの生放送?とやらで

稼ぐ妹は、日中は寝ていることが多かった。

ヒョウは駅前から少し歩いて、近場にはここにしか無い大型の書店に入る。

時間的に学校帰りの学生が多い店内をぶらついて…ヒョウのけもの部分が、客の中から

鋭く飛んて、時おり彼女を指す万引き監視スタッフの視線を感じつつ。

「…本屋も、出版も、漫画家もアシスタントも。せちがらい時代やなあ」

独り言を言ったヒョウは、ふらりとコミック誌売り場に向かう。

…まだ、オオカミ先生の「共闘先生!」最終回が表紙の月刊誌は出ていなかった、

だがその号の告知のポスターが貼ってあるあたりで――数人の高校生らしき男子が。

「共闘、最終回だってよ」「アンケート悪かったんじゃねえの、バトル少なかったし」

「今度はアニメ化もしなかったよな、やっぱギロギロだけの一発屋か」

「オオカミもなぁ」

(…もなぁ、って! なんやねん!? その先言わんか、しばくでボウズ…!)

イラッ☆ときたヒョウだったが…その場に背を向けて、本屋を出る。





26-4

…あの坊主たちを見ていたら、また――あの少年を思い出してしまっていた…

(本間くん… マンガとか読むんやろか、いいとこの学校だから読まへんかな…)

(…先生は、本間くんがうちのこと嫌ってないって、言ってくれたけど…そやろか)

(…フレンズ好きなんておっさんばっかやし、本間くん高校生やからキモがるわな)

(…本間くん、勉強できるだろうし顔も可愛いから…彼女とかおるんやろうなあ…)

そんなことを考えてヒョウがさ迷ううち。

泣きそうになっていた顔をコンビニの洗面で洗ったり、鏡を見て自信をなくしたり、

すっかり夕暮れ、暗くなってきた街路で。彼女は気づく。

「…。独りで散財するのって、ムズカシイわ。みんなとならあっちゅーまやのに」

結局、どこかで酒食をおごって自分をなぐさめることもしなかったヒョウは。

「…そうや。ジャガーんとこ、行こ…」

電車に乗って、フレンズ友のジャガーが屋台を出している駅まで向かう。

おなじネコ科、肉食頂点のジャガー相手なら気兼ねなく話せるし、酒と料理で散財

しても友達相手なら許せるし、ジャガーならおまけしてくれるかもしれへんし…

ヒョウの顔に今日初めての笑みが浮かんだ。





26-5

その駅で下りたヒョウは、帰宅客でごったがえす改札を抜け、裏口の通りに向かう。

すっかり夜になっていた都会の片隅、電車の音が響くそこには… ごはん の提灯。

「うほっ。やっとるやっとる。…客も、あんまりおらへんな」

好都合や。ヒョウは、客がいないのか物静かなジャガーの屋台へと向かう。

「…あ、いらっしゃい。…って、ヒョウ? え、えっと。どうしたの今日は」

「いよう。ええやないか、たまにはうちが飲みに来… ん…?」

…今日のジャガーは様子が違っていた。戸惑っているような、目が泳ぐような。

そして――屋台には、先客の男が一人いた。

…どうも、と。その男が、似合わないスーツ姿の、見覚えのある男が席を立って

ぎこちない笑みを浮かべて…ヒョウに挨拶をする。

「う、うん。今日ね、その。彼が…としが、明日まで非番だから、その…」

ヒョウは屋台の丸椅子に座ってしまってから、色々と気づく。

…この朴念仁そうな男は、ジャガーのオトコ。警察のセルリアンハンターをしている

巡査で、去年のクリスマスがーでんのときに見たことがある、ジャガーの恋人だった。

(…あかん。…思いつく限り最悪のタイミングできてもうた…)





26-6

思わず顔が赤くなってしまったヒョウがうつむくと。

「そ、その。来てくれて、ありがとねヒョウ! よかった、今日はヒマだから…」

ジャガーがにこやかな顔で笑ってくれて。今日のおすすめを見せてくれて、注文も

していない瓶ビールとグラスをつけ台においてくれて。ジャガーの、笑顔。

双葉とかいう名前のジャガーのコレも、何ごとか話しながらヒョウにお酌して、笑う。

…なにか、隠そうとするような。無理に明るい旧友とオトコの笑顔に、ヒョウは。

「そ、そのー。今日はたまたま、近くによっただけやし。うち今日テッポウやし」

いたたまれず逃げようとしたヒョウに、ジャガーと男が、

「い…いいのよ、気にしなくたって」 ――今夜は俺がおごりますよ? などと。

ヒョウが味のしないビールのグラスを舐めていると、その向こうでジャガーと男が

こっそり、視線を交わしながら…その目で何ごとか、語っていた。

…そして。

「…あっそうだ。ねえヒョウ、せっかくだから…今夜はもうお店締めて、これから

 三人でどこか遊びに行かない? なにか美味しいものでも…カラオケでもいいよ!」

ジャガーと彼氏の、屈託のない笑み。…ヒョウは限界だった。





26-7

「…い、いやあ、残念やなあ。うち、今日これから行かなアカンところがあるねん」

「あっ… そ、そうなんだ。残念だね、じゃあその…また」

さっきのテンションが、ヒョウにつられてしぼんだジャガーが困り顔で笑う。

その横で…男は、――車で送りましょうか? などと。やはり朴念仁…

「…ごっそさん。じゃあ…ああ、そうや。GWの、大田区のシゴトの話はまた、な」

恥ずかしさをごまかすため、早口になったヒョウはつけ台にビール代の500円玉を

すべらせ、逃げるようにして…実際、屋台の前から小走りで…逃げた。

ジャガーが、何か言ってくれていたが…もう耳も塞ぎたい恥ずかしさで。ヒョウは

裏通りを抜け、酔客で賑わう繁華街を走り抜けて…暗がりの片隅で、やっと止まる。

「…はあ。…なんでうちが逃げなあかんねん、リア充め爆ぜればええねん」

…親友と、その彼氏が。あの二人きりの場で何を話していたのか。

…あの二人が、部屋に戻って二人きりになって… 何をするのか。

考えただけで、ヒョウはけも耳まで真っ赤になる。

ふだんは、ヒトの男と付き合うジャガーを、おっさんくさい言葉とうま味のある顔で

からかっていたヒョウだったが…





26-8

生で、あの二人を見てしまったら…駄目だった。

経験のないヒョウでもわかる。お互いの身体でむさぼりあって満足することを知った

オスとメスの匂い、あの表情、見つめ合う目は…処女のヒョウには荷が重すぎた。

(…ジャガー、うちらで一番真面目やったのに。…セックスとか、するんやなあ…)

なかなか赤みが消えない顔を、ヒョウは夜風で冷やしながら歩く。その目が、

「……。あ、ここ。あの看板… そっか、姉御の店。ここやったやん」

ヒョウの目に。繁華街から外れた暗がりの中に浮かぶ“白黒鶏飯”の電飾看板が、

そして街路に並べられた白テーブルと椅子、そこにたむろする胡散臭そうな客たちが

映っていた。

白黒鶏飯。これもヒョウの旧知、マレーバクのフレンズが切り盛りする食堂だった。

(…バクの姉御の店なら、愚痴もこぼせるやろ。…姉御も男、おったはずやけど)

ヒョウの記憶では、この店のボンクラ二代目オーナーがバクの男のはずだったが。

バクがその男でのろけたりするのは聞いたことがなかった。

…よっしゃ。ヒョウは空いているテーブルに向かう。そこに、

「…誰かと思ったら。めずらしい」 眠そうな声が店の奥から飛んでくる。





26-9

白と黒の服、エプロン姿のバクが、電話帳くらいある中華包丁を持ったまま現れた。

「景気はどないや姉御。ああ、今日はうち冷やかしやないで。なんか食わせてえな」

まださっきの興奮が残って、早口のヒョウにバクは。

「それはいいけど…ヒョウ、あんたさ。聞いてないと思うけど…師匠がね」

「師匠? って、まさか。マハッタヤさん? なんか、あったんか…」

「うん。なんか、最近さあ。この国、余裕が無くってギスギスしてるじゃん。

 マハッタヤ師匠、就労ビザの更新が難しそうだからって…

 もうスリランカに戻って、こっちで稼いだお金でお店やるんだってさ」

えええ… あまりに突然の近況報告に、ヒョウの顔が 知らなかった…になる。

もう何年前か。フレンズブームの最中、パークの島からこの日本に連れてこられた

フレンズたち――だがアイドル的な人気が出たのはごく一部で、大半のフレンズは

この国で仕事を覚えたり、あるいは無職で無聊をかこつ日々を送っていた。

ヒョウ、そしてジャガーとバクは、その職業訓練の同期で。

彼女たちにエスニック料理を教え、得意料理を伸ばしてくれた訓練校の講師が師匠

こと、マハッタヤ氏その人だった。





26-10

「師匠、今月末にスリランカに戻るからさ。その前にみんなで挨拶に行かないとね…」

「もちろんや。でも…あんないいヒトが居られへんだなんて、おかしいわこの国…」

「そのうち、私らも他人事じゃないかもねえ。…ジャガーにも電話しておかないと」

「…あ、ああ。うん、その。電話は明日の夜がええと思う、よよ」「??」

重い気分になってしまったヒョウは、ぼそり。

「…世の中、さよなら、ばっかりやねえ。…どっちむいても、きついわあ」

気づくと、ヒョウの前にメコンウイスキーを入れたグラスが置かれていた。

「ヒョウ、あんた一人モンだからね。こういうとき、つらいわよねえ」

「……。ほっといてんか。…姉御、いつも、その。この店の主人の、男のコト…

 甲斐性なしとか、盆暗とか13点とか馬鹿にしてますやんか?」

「うん。実際そうだし。働かないし、店のカネでゲームはするし。あの猪頭」

「…でも、なんで姉御、その駄目男と一緒に居るんです? 惚れてんです…?」

「何よ、いきなり」 バクは、包丁の代わりに自分のグラスを持ってくると。

「惚れてる、のかなあ。…まあともかく。夜はすごいから。あいつ」

「え。…よ、夜、って」





26-11

「あんな男だけど、やるときはやるのよ。あいつのデカいので、こう…ね。

 がっしり掴まれて奥の方まで愛されちゃうとね…なんていうか、駄目だよねえ」

「……。そ、その、大きいって。どれくらい…」

また顔が赤くなってしまったヒョウの前で…バクは、隣のテーブルに客が置き捨てて

いた500mlのペットボトルを手にして… もうちょっとかな、と首を傾げる。

…えええ。…ヒョウは気がつくと。

さっきのワイ談とウイスキーで真っ赤になった顔で、もと来た薄暗がりを歩いていた。

「…なんや、なんや。どいつもこつも。…サカリよってからにい…」

ヒョウは帰りの電車の中で…時間的に満員電車の中で揉まれながら、下宿のある駅へ

戻る。その間も、ずっと彼女の頭の中では…ぐるぐると。

(…セックスってどんな感じなんやろ… …うちも… 本間…ああ、あかんあかん…)

ガチンコの処女であるヒョウには荷の重い妄念が渦になって…いた……


片思いだけが本当の恋だと、誰かが言った。別れだけが永遠の愛だと、誰かが言った。

「セルリアン大壊嘯」が豹頭姫のバージンロードを白骨で敷くまで――あと414日……







26-12

そのころ。同時刻――都心、赤坂にある進学塾。その指導室では面談が行われていた。

「…本間、新二君。ようやく志望が決まったということだけど」

「はい。すみません、ずっと悩んでいたんですが――決めました。僕、獣医学課程に。

 都内の公立に入りたいと思っています」

「となると東大の農学部か農工大だね…君の学力なら、どちらも充分狙えるが…

 …君は去年のセルリアン襲撃でご両親を亡くしている。たしか君も怪物に食われて

 その後、救出…君だけが目を覚ましたんだったかな。ご両親は残念だったが…

 ご家庭の支援無しで国立入試に挑むのは…大変だよ。親類の手助けが…」

「…はい。でも僕、どうしても獣医学を学んで――ジャパリパーク振興会の研究職に

 つきたいんです! 僕…どうしても会いたいフレンズさんが…いるんです」

「パーク振興会、か… まあ君の第一志望と言うなら仕方がない。カリキュラムを…」

ありがとうございます! お辞儀をした少年の目が決意に輝く。

…ヒョウさん。本間少年は、彼が生まれて初めての恋をした相手の名前を――

弱気な彼を別の生き物のようにした、美しい豹のフレンズを胸に思い起こしていた……
























バレンタイン-1

真冬の2月。夜。寒風は都会の繁華街に、その駅裏にも吹き ごはん 提灯を揺らす。

凍てつく冬の夜風は、時間の流れのように絶え間なく都会の片隅にまで吹いて――

駅裏通りで店を出していたフレンズの屋台、通称“ジャガーのごはん屋”の周囲に

漂い、残っていた料理の匂いと活気の残滓を吹き流してゆく。

今日のジャガー屋台は、フレンズ好きの男客で繁盛していた。

路肩にはいつもより余分に丸椅子とテーブルが出され、追加の鉄板焼きの台も増設され。

その夜は、ジャガーのフレンズ友、ヒョウも料理の手伝いに出て…

それでも、夕刻から店じまいの深夜まで、屋台の周囲には客足が絶えなかった。

…鉄鍋で焦がされたマサラの香り。オガ炭の熾火にしたたったタレの甘い煙。

鍋で煮えていた酸辣湯の胃をねじる刺激的な匂い。焼きたての麺と油の匂い。

鉄板の上で弾けるソース。こんがり焼かれた鶏肉と野菜の香ばしさ。

そこにビールと、温めた老酒、ウイスキーのお湯割り、ワインの酒気が混じって…

それらを楽しむ酔客たちの歓声と、熱気。かすかな、甘いチョコレートの香り。

…それらが。

――冬の夜風に流され、暗闇の中に溶けて消えてゆく…その中、





バレンタイン-2

「…! とし、っ…駄目だって、こんな…、やだ…」

彼女は、フレンズのジャガーは…

その狭苦しい場所、空間で。背後からいきなり襲いかかってきた男に抱きすくめられ、

上着を脱がされ、白いハイネックセーターの上から両胸を鷲づかみにされて…いた。

「…ね、ちょっと…だめ……! まだ、外にひとが… …っ、あ…!」

男の両手はセーターの生地、ブラジャーの上からジャガーのまるく張った乳房を

乱暴に、だが痛くしないぎりぎりの力でつかんで揉んで、なぶる。

「…やだぁ…も、う… あ、あ…! 声、出ちゃうからもう…」

薄いセーターの下でブラがずらされ、男の指は柔らかな質量の乳房の先端にあった

ふっくらした乳首をほじり出して…いた。その感触にジャガーの背筋が震える。

「いやあ、ぁ… ひどい、どうして… っ、くう…! だめ、だめ…」

彼女のジーンズの尻、野太い模様のしっぽが伸びだしたそこに。

柔らかな尻に、男のズボン越しにもわかる固く熱いペニスが押し当てられていた。

ゆっくり腰を使って、尻肉のやわらかさを犯すようなその固さに、

「は、ああ…」 ジャガーの尻尾が男の脚に、蛇のように巻き付いていた。





バレンタイン-3

――その日はバレンタインの夜。フレンズ好きの男客で繁盛していたジャガーの屋台

では、酒食といっしょに小さな包みに入ったチョコレートが振る舞われていた。

手伝いのヒョウといっしょに注文をこなし、お客と歓談しながら…

ジャガーは、彼女の恋人の男、警視庁のセルリアンハンター、SAFTこと警備二課の

双葉が遠目から、店の邪魔をしないようにこちらを見…ときおり、ジャガーと目を

あわせて手を振っているのに気づいていた。

だが、彼は屋台の客になることはなく…夜は更け、屋台を閉める時刻。

お客がみんな帰路につき、片付けをすませたヒョウが今日の助っ人の日当をもらって

ほくほく顔で帰ったころ…ようやく、ジャガーの恋人は屋台にやって、きた。

…小さく抱き合っても、だが。お互い話しづらい気まずい空気の中。

…ジャガーは、彼の“男”が多忙なことを。警備二課は再び首都に跋扈しだした

新種の特大型セルリアンへの対処に追われているのを思い出して。

…彼とは、今夜はいっしょにいられないのを思い出してしまって。

…すねて、泣き出したいような気分になってしまって。

ジャガーは屋台に戸板を立てて鍵をかけ、売上と食材を車へ…





バレンタイン-4

最近、車の免許をとって、警察の払い下げ捜査車両を格安で手に入れたジャガーは、

その車で買い出しに出てここに通い、屋台の商売を少し手広くすることが出来ていた。

彼女のその車、白いミニバンのボンゴは一度だけ、二課の真坂が乗る黒いセダンに

ぶつけてしまった以外は事故もなく、ジャガーの新しい相棒として働いていた。

そのミニバンには、仕入れた食材や調理用具、お酒が積まれ、後部座席を外して

フラットにしたそこには、忙しくて部屋に帰れない時用に車内泊用の小さなベッドも

しつらえてあった。ふだんは、ジャガー、彼女しか横たわらないそこに…

彼女が乗り、荷物を置いたそこに…男はスライドドアを締め、襲いかかっていた。


「あ、あ…! とし、とし… ごめん、ね…今日、わたし… んっ、は……」

ジャガーは、背後でけものじみた熱い息を吐きながら彼女の身体を両手で、鼻と口、

髪と首筋に降り続けるキスで襲い続ける男に声を吐いたが…

「んっ…! あ、やっ… だめ…って、だめ… おねがい…」

彼女のセーターの下から男の手が滑って、なめらかなお腹、脇腹をなでて…






バレンタイン-5

もう片方の男の手が、いつの間にかジャガーの履いていたジーンズの前ホックを外し

ファスナーの音を立てさせ…その下に、大きなクモじみた男の手が、這う。

「…あ…! ま、まって…や…やだあ! ね…お部屋で、ね…ね…」

今日は、男が夜は泊まりにこれないと思いこんでいたジャガーは、自分が普段着の

黄ばんでしまったようなショーツを履いているのを思い出して…一瞬で、ひと耳と

顔が、カァっと赤くなって首を振り、涙ぐんだ目でイヤイヤをする。

「は、ぁあ…! だめえ、だめ、だめ……」

だが、背後の男は耳のついていないけもののように。彼女を嬲りつづける。

セータの下に入れられた手で、ブラの上から胸を好きにされ、乳房の先端で恥ずかしく

尖ってしまっていた乳首をこねられて…

もう片方の手は、彼女のショーツの上から、固くまるく、熱い恥丘の感触を楽しんで

から。容赦なくショーツの下に入った男の指が、熱く湿っていた恥毛をなでた。

「ふっ、ぅう…ぅうーっ、だめ…! や、や…恥ずかし、い…」

男の指に触られ、ジャガーは自分が…ハッとするほどはしたなく、熱く濡れて

しまっているのを感じて、赤くなった頬で首を振る。…だが。





バレンタイン-6

「…ぁ! はっ、ああ…! ん、くぅ! それ、だめ…はあぁ…」

割れたガラスに触るようにそうっと、彼女の恥毛の奥、恥ずかしいくらい濡れていた

肉ヒダを男の手がさわり、愛撫し、ヌチ、と小さな音を立てて男の指が彼女に埋まる。

ビクン、と体をこわばらせ…そして弛緩したジャガーは。

背後の男の腕で狭いベットの上に中腰で支えられ、肌を快感に溶かされていた。

「んっ、ん、あ…! い…いや、いや…そこ、あ……」

恥毛の下で、恥ずかしく尖ってしまっていた小さなクリトリス。そこを彼女の愛液で

濡れた男の指が探り、中指と薬指の先端で挟むようにして愛撫すると…

「…っ、くうぅ…! い…いい、い… とし、とし……!」

ジャガーは、彼女の胸を弄ぶ男の手にしがみつき、キスをねだるように背後へと

首をねじ曲げ…また、尖った肉芽を手淫されて。彼女の白い喉がのけ反った。

「はあっ、ああ…! あ、ああ…ね、ね… とし、あき… もう……」

…気づくと。彼女は車中泊用の狭い寝床に押し倒され。

彼の男は、恋人というより、彼女を襲って犯す男のようにジャガーのゆるんでいた

ジーンズを引き剥がして脱がす。そして、彼女の靴も…





バレンタイン-7

いつも履きの、穴の空きかけた自分のスニーカーも脱がされ、その下が靴下も履いて

いない生足なのに気づいて…ジャガーは、油断しすぎている今日の自分に気づき。

「…いやあ… こんな、やだあ…」

彼女は両手で、赤くなった顔を両の手で隠す。そのあいだも、脱がされてしまった

ジャガーの脚、薄桃色に紅潮した太ももに男の手が伸びていた。

するり、いつも履きのショーツが剥ぎ取られた感覚に、彼女は涙目で男を見つめながら

首をふって、両手で股間の、雛がうずくまっているような恥部を隠す。

…その彼女の前で。 ごめん… と。低く、男はうめくように言うと。

カチャカチャと、狭い車内にベルトのバックルを外す音、ファスナーを下ろす音が

響いて…背中を丸め、中腰になっていた男は自分のズボンを脱ぎ捨てていた。

「…あ、あ…とし… ……。ごめん、ね。今日…ごめんね…」

ジャガーが涙声でささやく中、男は上着も脱ぎ捨てて…そのまま。

「…ん、ふ…っ、ぅ… はあっ…! あ、ん……」

ジャガーの上に、ゆっくり倒れ込んだ男は。彼女と見つめ合いながら、惹かれ合う

ようにして…唇をふれさせ、そしてお互いが噛み付くようなキスを交わす。





バレンタイン-8

「は、あ…ッ、あふ、あ…っ、あ…いいっ…!」

深いキスで酸欠になったジャガーは、男の手がセーターの下のブラジャーを

ずり上げた、固いバンドでこすられた乳首の痛みにすら甘い声を漏らしてしまい…

…気づくと、男の腕で抱きかかえられ、身体を起こされていたジャガーの顔、

その前に…中腰になった男の腰が、ハッとするほど大きく怒張し反りをうった勃起が

突きつけられ、脈打っていた。彼女はとろけたヒスイの瞳でそれを見る。

男の手が、ジャガーの髪を、けも耳を撫でると。彼女は言葉もないまま、目を閉じて。

「ん……んっ、ぬ… ぅ……んッ…」

男に、道具のように引き寄せられて。その唇と舌、口蓋を男の怒張で犯される。

…冬とはいえ、入浴前の…もしかしたら、数日間蒸れていた股間の臭気と、味に…

(…! ああ、とし… とし、の…匂い……)

ジャガーは男の尻と太腿に腕を絡め、湧き出してきた唾液ではしたない音を立てながら

口いっぱいの怒張にむしゃぶりついた。男のうめき声が愛おしくて…上を見る。

髪を撫でられながら、口で男の勃起を愛して…溢れそうになる、男の汗の臭いまじりの

唾液を、喉を鳴らして飲み込んで…





バレンタイン-9

…彼女は。自分がさっき、愛しい男の前で拗ねてしまっていた理由を思い出す。

さっき、待機所から駆けつけてくれた彼、双葉の身体には。

ほかの女、フレンズの匂いが様々に絡みついていて…ジャガーを不快にさせていた。

…見なくても、わかった。おそらく…

ハンターの双葉といっしょに戦うフレンズたち、カバたちが…バレンタインだから

だろうか、彼をからかって抱きついたりしたのだろう。

男の首筋、うなじにはカバの汗の臭いと、口紅がうっすら残り…その上に、たぶん

ジョフロイネコがよじ登って肩車をして。マヌルネコはずっと足元、ズボンにくっつき

身体をすりつけ…そして彼の左手には、ハシビロコウの頭を、髪をなでたその匂いが

亡霊のようにしがみついて、いた。

…双葉のバディ、彼女たちフレンズは…この日だから、妬いていたのだろうか。

警察の二課や、自衛隊のセルリアンハンターは、ヒトのマスターとフレンズのバディが

一部の例外を除いて恋人、肉体関係を持っている。それが絆、力の源だと…

そのごく一部の例外が、ジャガーの恋人、双葉とフレンズたち。あとは同じ二課の

リカオンが、まだ処女といううわさ話をジャガーは聞いていた。





バレンタイン-10

(…私、ずるい女なのかな… みんなみたいに戦ってもいないのに、としのことを…)

(…ひとりじめ、しちゃってる… でも……)

…うぷ、と。喉奥まで怒張を突かれたジャガーがえずくように息を漏らし、

(…でも、このヒトは…としは、私の……!)

彼女は、ほかの女のニオイがしない男の身体…汗と、乾いた精液の混じったむせそうな

臭いと、それを放ついつもより熱くて固い陰茎にうっとり、目をうるませる。

…気づくと。彼女はフェラチオから開放され、そのかわりに再び、男に抱きすくめられ

熱いキスで半分意識を飛ばされて…狭いしとねに、横たえられていた。

「…とし、とし…… ね、ね…? きて、きて」

自分から脚を広げて、ねだってしまったジャガーの顔がまた赤くなる。

男は、彼女のセーターとブラを大きな果物のようにまるく揺れる乳房の上にすり上げ

ると…汗ばんだ裸体の上に、その身体をうずめて…彼女の体の一番奥、いちばん熱い

肉のヒダに、はち切れて血を吹きそうな勃起を、その先端をねじ当てた。

「っ、ん…! は、あ…ぁあ、あ…!」

音もなく、熱く濡れた膣肉を裂くほどに広げながら男が犯し、突き刺してゆく。





バレンタイン-11

「…ふ、ぅっ…ん、ん! とし、とし… すごい…ッ」

最初は、男も待ちきれなかったように最奥まで、彼女の子宮を押し上げるようにして

突き刺してきた。その痛みにジャガーがうめき、男の背中に両手でしがみついて爪を

立て…固い陰茎が引かれると、だが、彼女はその痛みをねだるように腰を動かす。

「ね、ね… いいよ、いい…めちゃくちゃ、して……いいよ、ね、ね」

男はその愛しい、可愛い女の声にキスで答え…ゆっくり、腰を使う。

「はあ、っああ…! いい、とし…! ぅ、ううーっ」

自分の内臓が、男の反り返った固い肉でえぐられる…痛みと快楽がいっしょに来る。

そのセックスの波にジャガーはもう、声を押さえられなくなり…

「とし、とし…! すき、好き…っ、もっと、ね、ね… ! あーっ…!」

男の口が、自分の乳房にむしゃぶりついたのを感じて。

彼女は男を抱いていた手が離れて、自分の髪とけも耳をかきむしっているのを感じ。

…自分の体が、もう自分のものでないような快感。

男のペニスの熱さに溶かされるような快楽。彼女は子供のように乳首を舌で

転がす男の首、髪をギュッと抱きしめて…もっと深く、とねだるように尻をよじる。





バレンタイン-12

…そして。最後は、あっけなく訪れる。

もう愛の言葉も、ねだるささやきも出せなくなった、熱い息を吐くだけのジャガーの

口に男がキスをし、その男の口が…彼女の耳元に、何度も同じことをうめいた。

「…! ん、っう…いい、いいよ、い…いっ… ねっ、ね…」

「ちょうだい、ね…っ? としの… あ… 子供、子ども…! くぅ…!」

彼女が、強く男を抱きしめると。限界が来た雄は、彼女の膣奥まで勃起を突き上げ、

快感でふっくら膨らんでいたジャガーの胎の肉に…溜めていたものを吐き出した。

「…あっ…! ああ、あ…! っ、くぅう…! ……」

自分の中で、男が脈打つその感覚に…ジャガーは、フツっと何かが切れたように

どこかへ落ちて…息すらしなくなって、体だけをがくがく揺らしていた。

…そして。 ――出動の時間が迫る男が、チラと腕時計を見。

ジャガーが荒い呼吸で、犯されたようにむき出しで、つばで汚された乳房の胸を上下

させているその傍らで。男は、そうっと、やさしく何度も彼女にキスをし、

「……。うん…私も… だいすき、すごく……すき…」

子どもの戯れのように、二人は同じ言葉を繰り返し…別れのキスを、していた…





バレンタイン-13

男は、横たわったままのジャガーと言葉短く…数言、話しながら急いで服を着直し。

…そして。今度、休みが取れそうになったら連絡すると。

それだけ言い残して、ミニバンのスライドドアを開け、夜闇の中を行ってしまった。

「…… チョコ、渡しそびれちゃったな…」

犯され、打ち捨てられたようなジャガーはしばらく、そのまま。二人の人いきれで

すっかり内側から曇ったミニバンの窓、暗い室内灯をぼんやり見上げてから。

「…としの、ばか……」 ぼそり、呟いて服を着始める。

一瞬迷ったが、二人の体液で汚れたままの恥部の上にショーツを履いて、ジーンズに

足を通して。セーターの下で、ブラを付けなおして。

「…また、言っちゃった。…フレンズは子どもなんて出来ないのに……」

ジャガーは、じわっと浮き出てきた涙を手指で拭って。履きなれたスニーカーを履く。

…彼は、困っているだろうか。…出来もしないことをねだられて。

…としあきも、迷惑だろうか。 …また彼女は泣きそうになる。

「…神さまでも、サンドスターでも…なんでもいい…」 ――そう、魔法で。

としあきとの子どもが出来たらいいのに。ジャガーは、胸の奥で小さく願った……


                     ―― 豹の伝説 前編 完 つづく

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