第3話 夏祭り 弐

「ん」

「で、その手なに」

「……引っ張ってやるから手を伸ばせよ。周りの人に迷惑だろ?」

 紫音はしばらく考えてから急に驚いたような顔をした。

「……賢斗が……優しい……」

「あのな」

 そりゃ転んでいたら心配するだろ。俺は悪魔や鬼じゃない。そんなに冷徹な性格でないはずだ。

「も、もしや貴様、賢斗でないな!? 正体を表せ、この偽物め!」

「……ずっと尻餅ついたままでいれば?」

「ごめんなさい! 賢斗くん、ありがとうございますっ!」

 紫音は俺が伸ばした手を握り、立ち上がる。月夜に照らされ見てみると、紫音の浴衣は裾が茶色く変色しており、肘にも土が付いていた。擦りむいた肘は薄っすら赤い。

「水道に行って、落とさなきゃダメだな」

「ごめん」

「いいって。行こうぜ」

 水道――、この辺りだとお手洗いにある物が丁度いい。

 俺は辺りを見渡しそれを見つける。

「ほら、落として来いよ」

 俺は赤いマークを指す。

「ごめんね! ちょっと行ってくる!」

 赤いマーク。男の俺が入れない女子トイレだ。

「おう」

 そんな声をかけて俺は辺りを見渡した。今なら行けるかもしれない。浴衣の泥を落とすのに数分、俺の用事も数分ってところだろう。

「……すまない、紫音」

 俺は近くの茂みに入り辺りを見渡した。まだ紫音が出てくる気配はしない。そのまま茂みを駆け抜けて、奥へ奥へと入っていく。

 言い忘れていたが、ここは神社の境内の中なのだ。だから奥というのはこの神社の社の辺りってことになる。

 俺はその付近で動くモノをみた。

「分かってるって」

 耳元で騒ぐ音はなにもイヤホンをしているからではない。

「うるさい、ちゃんとシゴトはするから」

 イヤホンから聞こえている言葉に返事をするほど、俺は頭が狂っているわけではない。俺は背中にかけていた竹刀ケースから中のものを取り出して手に握った。

「そんなものじゃなくて、真剣とか使ったらどうにゃ」

 俺の肩の上から声が聞こえた。変な語尾で話す、黄色い毛皮が温かそうな子狐。そいつは呆れたようにため息を吐く。

「……竹刀ケースに入れることはできても、重量でバレるんだよ。竹刀の方が軽いし、使いやすい」

 俺が持っている竹刀は三尺八寸程度。今の数え方で百十七センチ。大人用が三尺九寸で百二十センチだから、高校生用ってことになる。竹刀の重量は真剣の半分と言われているから、中身が見えなくても重さで分かってしまう。

 それに分かっているのだろうか。本物の刃物なんて持っているのが気づかれたら、逮捕されるのは俺だけ。警察に説明してもこの不思議生物のことなんか信じてもらえないだろう。

「とりあえず殺るよ」

 そいつは神社の奥、社の前にいるのだから草陰に隠れながら徐々に近づいていく。気づかれぬよう、慎重に。慎重に。

 振り下ろし、相手の隙をつく。

 黒い影は飛び上がり、また社の奥へと逃げていく。俺は舌打ちをして手に持っていた竹刀をしまう。

「逃げたんだけど」

「そりゃいきなり振り下ろすからにゃ」

「そう言ったってな」

 竹刀は振り下ろすものなのだから、どうしようもない。

「お前、狐憑きの癖になんで語尾が『にゃ』なんだよ」

「……そんなこと言われたってにゃ」

 惚け顔をするこいつに、俺が文句を言おうとした時だった。

「賢斗? どこにいるのー?」

 紫音の声だった。

「巻かなかったのかにゃ」

 さも巻くのが当然と言いたげなこいつの言葉に、俺はため息をつく。巻けるわけがないだろうが。幼馴染とはいえ、女子一人を置いていけるほど俺は薄情なやつではない。

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