第2話 バンドの作り方(その1)
来るライブ当日。
僕は前日にライブでの衣装を考えようと、再び近所の怪しげな古着屋に来ていた。
外見から入るタイプの僕はベースをめいいっぱい低く構えて、ラモーンズみたいな服を着ればいいか、と思い、スキニーと大きめの白いTシャツを買った。
マッシュルームヘアにしようか迷ったが、主義に反するのでやめて、代わりに茶髪にした。
メンバーは緊張していて、僕も緊張はしていたが、スタジオで何度も合わせていたし、まぁぶっちゃけあおいちゃんにかっこいいと思ってもらえればいいところもあったので気楽だった。
入場SEはブラックサバスに決定していて、我ながらいいチョイスだったと思う、少しもめたけど。
ライブが始まって、まずびっくりしたのは照明の熱さだった。
あの照明、何気なくささやかに輝いていると思ってたら、ステージに立って気付けば灼熱。
マジで汗が止まらず、びしゃびしゃの前髪が目に入りまくって痛かったし、何なら革ジャンを着ていたので最悪だった。
一曲目が終わって脱いだら、革ジャンの背中の色がTシャツにうつってしまっていて、その時点で僕はライブへのモチベーションが下がった。
次にびっくりしたのがボーカルの下手さだった。
長渕剛と井上陽水が好きだ、と言っていて、スタジオではまぁまぁ歌えていたから感心していたが、ライブで聴くと酷さが三割り増しだった。
「腹から声出せや!」と何度か怒鳴りそうになったが、ぐっとこらえた、そんなことよりもあおいちゃんを探さなくてはいけない。
目線を客がスカスカなフロアに這わせるも見当たらない。
僕は演奏もしつつ、「あおいちゃん!あおいちゃん!」と心で叫んでいた、当時馬鹿にしていた銀杏BOYZの歌詞が染みまくっていた、半分泣いていたと思う、照明熱いし。
結局あおいちゃんは見当たらず、ライブ後に楽屋でラインを確認したら場所がわからずに結局来なかったらしい。
僕はブチ切れて、結局あおいちゃんとは喧嘩別れになってしまった。
余談だが、あおいちゃんはその後、僕とのラインをツイッターに晒しあげたり、今黒人と付き合っていたり、色々とやばい女だった。
しかし、ショックだったので、翌日には坊主頭にした、顔以外、KAT-TUNの田中だった。
ライブ後、ライブハウスのおっさんからいやに上から目線のアドバイスを受けて、イライラしながらみんなで帰った。
ライブ一回を共にすると妙な結束が生まれるもので、帰り道の途中にあったミニストップで弁当とおにぎりをバカ買いして、川の土手で食った、美味しかった。
僕は夕日を見つめながら、あおいちゃんへのイライラとか、結局夏も歯医者に行かなかったこととか、センチメンタルになって泣きそうだった。
みんなと別れた後、銀杏BOYZを改めて聴き直してみると、普通にキモいけど、普通にかっこよくて、家でずっと歌ってた。
急展開を迎えたのは夏休みが終わってからだった。
バンドは一回きりのものだと思っていた僕は、あおいちゃんのことを若干引きずりながらも、友達に誘われて高校で応援団をやったり、ゲイの友達が陸上部員にマワされているのを聞きつけて精神的ショックで寝込んだり、女に振られた友達を慰めたりして、高校一年生なのにそこそこ大変だった。
そんな時、また携帯に電話があった。
今度はギタリストの男からだった。
呼び出されたファミレスで俺たち二人は、あの日から時間が経っていることもあってぎこちなく会話しながら飯を食っていた。
しばらくして、家で進めていたドラゴンクエストをやりたくなった僕が帰ろうと席を立ったところ、男、まっさんは真剣な顔で一言。
「ボーカルが辞めた」
は?あの粘土やめたのか、まじか、大変じゃん、で、どうして俺?と思っていたら「ドラムもやめた、今メンバーは俺しかいない」と低い声で言った。
話を聞けば大惨事で、ボーカルが「フォークシンガーになりたい、ロックはやらない」とやめてしまい、ドラムはもともと折り合いが悪くてすぐにやめてしまった、と。
結局、バンドを続けるために、頼れるのは僕しかいなかったみたいで、割と真剣に頼みに来たらしい。
ちょっとドラゴンクエストのボスが倒せずに寝不足でイライラしていた僕は「二人でバンドができるわけねぇだろ!寝言も大概にしろよ!」と口汚く罵ってしまい、いつもならプライドの塊みたいな彼は反撃してくるのだが、この時だけは「頼む」しか言わない機械とかしてしまっていた、人としてどうなのか。
具体てきに何を頼まれたのかサッパリだったが、早く帰ってドルマゲスを倒さなくてはいけなかったので、僕らはとりあえず次に会う日にちを決めて別れた。
後で聞いた話だが、まっさんのギターは県内のライブハウスでも高く評価されていて、将来を渇望された存在だった。
まっさん自身もバンドを真剣にやろうとしていたようで、ようやく組んだバンドもうまく機能せずに終わるのが悔しかったのだろう、だから何の関わりも信頼もない僕にすがってきたのだと思う。
確かに、まっさんだけはギターの音がなんだかメタリカみたいだったし、「あ、こいつはすごい」と思ったのも事実だったが。
そんなことより、ドラゴンクエスト、という感じだった僕も約束にはしっかり行くところがあって、まっさんと合流して話し合いという形になった。
バンドは最低でも、ボーカルとドラムがいないと始まらない、後曲も作らなくては。
前のライブではまっさんが曲を作ってきていたのでその辺は心配いらないだろうが、メンバーがいないことには何もできないのだ。
困り果てた僕たちは、まずはメンバー探しをすることに決めた。
まっさんはライブハウスに顔がきくので、ライブハウスで働いて、その過程で見つけてみようと思う、と言っていた。
僕は、ベースがひどいものだったので、最低限弾けるようになってくれ、とのことで、教則本と、まっさんが持っていたお古のベースを渡された。
学校もそこそこに僕はベースを真剣に練習しだした。
当時はスラップという概念を知らず、ピックでレッチリの音を出そうとしてやめたり、syrup16gのベースラインのコピーに挫折したりして、結局はラモーンズとかセックスピストルズとか、その辺の「心意気」重視のバンドに隔たって練習していた。
それから程なくして、まっさんから電話があった。
ドラムの候補が見つかったらしいが、少し問題がある、と。
僕は次の日、まっさんがバイトをしているライブハウスにやってきて話を聞いた。
その男はまっさんが通っていたジャズ教室で一緒だったようで、久々に再会したらドラムが次元違いのうまさで、是非とも欲しい、ということだった。
ライブ映像を見せてもらうと、確かに、凄まじいテクニックで、「いやいや、俺なんてベース始めたてなんだから、俺たちは高望みしたらダメだろ」と言いたくなった、怒られるから言わなかったけど。
すでに他のバンドに所属しているらしくて、まっさんはどうにか引き抜けないかなぁとずっと言っていた。
真剣に考えるまっさんを尻目に、あおいちゃんというモチベーションを失った僕は冷ややかだった、まるでjoy divisionのリフだった。
そもそも、音楽で食って行こうなどというのは正気ではないし、かといって真面目に働く気は僕にはなかったけど、それにしても自らそんな道を選ぶのはアホじゃないか、と心の中で思うほどだった。
解散した後、年齢確認がガバガバで知られるタバコ屋でタバコを買って吸いながら帰った。
秋、文化祭の準備が面倒くさくて校舎裏で女の先輩とイチャイチャしてサボっていたらそれがクラスの友達にバレた。
おまけに僕が「文化祭にマジになるなんて、どんだけ〜」と、IKKOのような陰口を叩いていたのもバレて、クラスの友達にめちゃくちゃ嫌われてしまい、このころから学校を4日に一回くらい休みがちになった。
休んだ日は近所のカードゲームショップで遊戯王の大会に出たり、クラブに行ったり、好きなラッパーがツアーに来た時は見に行ったりしていた。
このころから心がハチャメチャに荒み出して、音楽でいうと、メジャーコードがなっているとむかつくようになっていた。
モンゴル800とかスカパンクとかが大嫌いになって、代わりにsonic youthとかキュアーとかradioheadを聴き狂っていた。
バンドのことを若干忘れていた時、まっさんから連絡が来た。
どうやらドラムは揺さぶりにも屈せず、説得は困難を極めているらしかった。
この頃くらいから、同級生たちのようにへらへらと日々を過ごすのではなくて、真剣に音楽に向かうまっさんがかっこよく思い出したのもあって、僕は協力したいなぁと思うようになっていた。
とりあえず、今度は僕も、ドラムの彼に会ってみよう、と思った。
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