永久に抱かれた姫君

鳴海ゆり乃

永久に抱かれた姫君.


 僕の腕の中にいる君は、どんな表情をしているだろうか。



 君は、わがままで傲慢で尊大で不遜で、僕をいつも振り回した。僕は、君にとって遜色ない身分なのに、いつも上から目線で命令口調だった。

 けれど時折見せた、しおらしい表情。

君のお父様が身罷られた時、お母様が病に臥してしまった時。僕は、君のことを支えられただろうか?君は、笑顔の方がずっとずっと素敵だから。君が、沈んでいる時、僕はそのたびに決心した。君の笑顔を、守ろうと。君と一緒にいようと。

 君は、本当はヒラヒラした華美なドレスも、美しい装飾がほどこされた城も、仕える召使やメイドたちも必要としてなかった。だって、外の世界に出て色んな新しいものを見るのが夢だったから。

「ねえ、わたし、世界中を旅してみたいの」

 君は、口癖のようにそう言ったね。僕は困ったけれど。

「いつか、行こう」

 そう言うと、君は笑ってくれなかった。僕も君も分かっていたからだ。それは、叶わぬ夢だと。


 君が十六になると、その美しさは増し、僕はいつもそわそわしていた。尊大な微笑みも、女王様のように見えて(あながち間違ってはいない)、僕は、不安になった。君が遠い人になってしまうのではないか、と。

 いよいよ、婚礼の話が本格的になり、僕はフィアンセの位置付けからとうとう、君の夫になることに決まった。

そうなってくると、今まで普通に接していたのが急に分からなくなって、空回りもした。君は、ムスッと、不満気に口を尖らせていたね。


 執り行われた結婚式。それは、国民に祝福され壮大なものとなった。

君は、思わず涙を流してた。とっても、綺麗だったよ。

 そして、夜。初めて愛しい君と結ばれたあの夜。顔を真っ赤にして身をよじる君は、極上に美しくて。いつか失ってしまうかもしれないという不吉なことが過って、怖くなった。だから、必死に君を手繰り寄せて抱きしめた。

「君を離したくない」

 そんな風に漏らしてしまった。…ああ、ちょっとばかり独占欲が強かったかもしれない。

 翌朝、君は、眠たそうに目を擦り、抱きしめ過ぎだと照れていたね。


 君のお母様が亡くなった。それは、結婚式からたった一月後のことだった。

 結婚式の時、お母様はお元気そうに出席されて笑顔も見せていた。それなのに、事態が急変し、息を引き取ったと言う。遺書には、これからの国のことが書いてあった。お母様は、この国を心より愛されていた。お母様の亡き夫が築かれたこの国を。

 当然、君は悲しみに暮れた。ふさぎ込んで、僕とも会いたくないと言った。

 __君を支えなくては、君の笑顔を守らなくては。

 彼女の哀しみは、深かった。僕を拒絶し、食事も喉を通らなくなった。

 医者の診断を受けたら、病だった。お母様と同じ、病になってしまった。

 ようやく君に会うと、床に臥す君の目は、光を失い、わがままで傲慢な姿ではなくなっていた。体も痩せこけていて、僕は思わず泣いてしまった。

「どうして、泣くの」

 君は、渇いた声で尋ねた。

 だって、まだ結婚したばかりじゃないか。これから、新しい生活が始まり、一緒に暮らしていく未来を、思い描いていたのに。けど、そんなこと言えなかった。

 病に臥しているというのに、絶望的までに美しい君。消えてしまいそうだった。たった数ヶ月前に、ようやく結ばれたのに、あんまりだと思った。

 それからまた、ひと月が経ち、衰弱していく君を見るのが辛くなった。お母様が亡くなって、精神も身体も弱って、今、死の淵にいる。

 どうして、こんなに早いのだろう。刹那のような幸せ。結ばれたはずの僕らは、どうして引き離されなければならないの。僕は、どうして君を守れないの。


 それは昼下がりのことだった。

「ねえ、わたし、世界中を旅してみたいの」

 絶望する僕を見て、君は言った。眉尻を下げて、口をほころばせていた。__笑っていた。

「いかないで…いかないで」

 僕は、涙で顔がぐちゃぐちゃになって言った。君は行ってしまうのだろうか。僕を置いて、今生の別れの、旅に出てしまうのだろうか。

 窓から差し込むおひさまの光が、君の顔を照らした。天からの使いの光に見えて恐ろしく怖かった。

「わたしは、行かないわ」

 君は、首を横に振った。そして、悪戯っぽく笑う。

「だって、わたしのこと、離してくれないのよね」

 堰を切ったように、追憶が溢れ出す。

 幼いあの日、お城に招待された僕が、初めて君と出会った時。果敢で、美しいと、子ども心に思った。

 異性として意識し始めたのは、それから数年後のこと。君のお父様が病気で亡くなった時。いつもの強気な君が、ひどく悲しんでいて、どうしても守らなきゃと思った。

 年を追うごとに、気持ちは募った。君と通じ合えたのは君のお母様が病に倒れた時。お父様の時のことを思い出して怯えていた君を、僕は静かに抱き締めた。大丈夫。大丈夫だから、と。僕が傍にいるから、と。君は、眉尻を下げて、僕にしがみついて泣いた。泣き疲れて眠った君は、とても綺麗だった。

 その翌朝、お母様の容体が安定したと聞き、君は安堵したように再び涙を流した。そして僕を見て、照れながらも微笑み小さく、ありがと、と言った。

 それから僕らは二人で、城の庭園で話すようになった。庭園には、旬の花々が華やかに咲いていて綺麗だったけど、君の方がずっと美しくて、めまいがしそうだった。

 人目が無い時は、キスもした。触れるだけの、優しいキス。瞳を潤ませて真っ赤なる君に、僕も照れてしまった。


 婚礼を経て、共に夜も過ごし、何もかも“これから”だったのに__今、君は、弱々しく床に臥している。

「ねえ、わたし、あなたのこと好きよ」

 君は、ゆっくり語り出す。

「あなたがいてくれたから、わたし、幸せだったわ」

 そんなこと、言わないで。

「わたしを守ってくれてありがとう。…泣かないで、男は泣いちゃダメ。それに、なにも泣くことはないのよ。

だって__わたしを離さないんでしょう、傍にいてくれるんでしょう?」

 君は、冗談のつもりで言ったのかも知れない。けれど、僕は、その時、誓った。

 僕は、君を抱きしめた。

 窓から差し込む光。空は曇り始め、君の頬を照らしていたそれが、消えていく。君は尊大に微笑み、目を閉じた。光が、消えた。


 『君を離したくない』と、

結婚式の夜、ふと零したその言葉は、現実のものとなった。


 僕は、君を抱き締め続ける。


 死して、その体から異臭が放たれようとも。

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永久に抱かれた姫君 鳴海ゆり乃 @yuririman92

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