第27話
「やあ、こんにちは! きみに話があるんだけとちょっといいかな?」
そう言ってきたのは自分と同じ年頃の少年だった。名前は知らない。どこかで見たような気がするが、知り合いではなかったのは確かだ。だが、彼は自分を含めた他の同年代の少年とはまったく異質なものを放っている。
異質であるのは確かだったが、それ以上に自分にとって彼は眩しく感じられた。
眩しい。
それが彼と相対したときの第一印象。
いきなりなれなれしい口調で話しかけてきたことなどより、こちらのほうがよほど印象的だった。
なんといえばいいのだろう。彼の内面からにじみ出しているオーラなどと言われるものが目を逸らしたくなってしまうほど光り輝いていたのだ。彼に比べれば、世界にあるどのような宝石も霞んでしまうほどの輝きを持っている。
ほぼすべての人間には一生かかっても持ちえないモノ。ある種の才能だ。過去に英雄といわれた人たちはこういうものをもっていたのだろうか――そんなことを考えた。こんなものいままで一度も見たことがなかった。こんな人間がいるのかと思ったくらいだ。
そんなものがあったから、自分は彼の話を聞いたわけではなかった。
何故、彼のような輝かしい者が自分のようなどうでもいい地面を這いずっている者に話しかけてきたのか興味を持っていたのだ。
だから彼の呼びかけに応じ、こうして二人で近くの喫茶店に足を踏み入れた。自分にはなにもない。あるのは――
「それだよ。僕が求めているのはそれだ。きみの持つ、きみしか持ちえないモノを僕は求めている。おいおい。どうしたんだその顔は。きみの話しかけたんだから、きみの過去のことを調べているのは当たり前だろう」
……それもそうだ。
彼は自分のことを知っているからこのように話しかけてきた。自分の秘密を知っていなかったのなら自分はただの無職のクソガキ以外の何者でもない。自分が美人の女性だったのなら別のことが理由と考えられただろう。
が、自分はあいにく男だ。あれだけの眩しさを持っている者が無職のクソガキに話しかける動機などどこを探しても見つかりはしまい。
自分は普通の人間にはないものがあった。
あらゆる身体能力に優れ、人体を含めあらゆるものを容易に破壊することができ、その体重は通常の十倍以上ある。
かつて、それを使えば誰かを救えると思っていた。それは間違いではなかったのだろう。正しいことができるとも考えていた。それほど的外れではなかったはずだ。
だが、それは間違っていた。
甘すぎる幻想以外の何物でもなかった。
他人にはない圧倒的な力を持つ者は、多くの人たちにとって自分は恐怖の対象でしかなく、受け入れがたい異物にすぎなかったのだ。
それを図らずも知ってしまった自分は早々の心が折れてしまった。
それは熱せられた飴細工のごとく、あまりにも簡単に。
正しいことをしていると思っていた自分が恐怖の対象でしかなかったという事実は、多感な思春期の少年の心を折るのには充分なものだった。
情けないと思うかもしれない。
まったくもってその通りだと思う。
もし、自分がもっと強かったなら、こんなことにはならなかっただろう。
恐怖の対象であろうがなんだろうが、自分を肯定できる強さがあったのなら、あんなにも簡単に折れてしまわなかったはずだ。
しかし――
「いやいや、挫折というのはなかなか重要な経験だよ。一度、早い時期に経験しておいて損はないさ。特に力を持っている場合はね。それがとてもショックなのはわかるけれど」
などと、いままでは当然、これから続く何十年の人生でも挫折などせず天寿を全うするような彼にそんなことを言われてもまったく納得できなかった。
「はっはっは。まったくもってその通りだ。僕はいままで十八年の人生で多くの人が思うような挫折なんて一度もしたことがない。留学すればそれも経験できるかと思ったけれど、それも無残な結果だった。僕もね、一度くらい経験してみたいんだよ。自分の心を根幹から砕かれるような挫折というものを」
なんというマゾヒズムかと思った。大抵の人間は挫折など味わいたくないと思うだろう。それでもなんらかの形で大なり小なり経験してしまうのが挫折というものだ。それを経て人は成長していく――そういうものだろう。
それに一度も挫折をしたことがないなどとこれほどまでに堂々と言えてしまうことにも果てしなく驚いた。そんなことが言えるのは自分が世界で一番優れていると思い込んでいるイカレ野郎だけだ。目の前にいる彼のようなごく少数以外は。
「でも、きみはよかったと思うよ。もしもきみがあの日、挫折をしていなかったのなら、きみは裸の王様になっていてもおかしくないんだから。あのとき折れてしまったことで、きみは自身を見つめ直すことになり、裸の王様になってしまうことを回避できたわけだ。それも決定的にね。
「きみの挫折は、きみにしてみればなかなか耐えがたいものだったかもしれないが、それは必要なことだったんだよ。最後に勝利を得るきみにとってはね。それに裸の王様になっていたのなら僕はきみに興味を持つことはなかっただろう」
ま、一度も挫折をしたことがないような僕が言えることじゃないけどね、と冗談めかすように彼はつけ足した。
「では、本題に入ろうか。僕の所属している組織ではきみのような人々をだいぶ前から集めていてね。当然、営利企業だし、それが利益になるからというのが一番の理由ではあるのだけれど――それと同じくらいきみのような人たちをなんとかしたいという気持ちがあってね。僕らにはきみのような人たちをなんとかできる環境を持っている。
「どうだい。悪くない話だろ。要は僕らの組織がきみのことをヘッドハンティングしたいというわけさ。盛り場で用心棒みたいなことをやって日銭を稼ぐよりよっぽどいい暮らしをさせてあげられるよ。うちは外資系と同じくらい福利厚生も給与もちゃんとしてるホワイト企業だからね。それになにより、きみにその力を有効的に扱う場を提供することもできる」
それは――
ほかのなによりも自分にとって魅力的な提案だった。
自分の力を有効的に使える場とは一体なんだろうという興味も持った。
もうこの力を使えるような場などこの世のどこにもないと思っていた。
この力は多くにとって異物でしかないのだとずっと思っていた。
もし、自分が異物ではなく、この力を有効的に使えるというのなら――
「まあ、少し待ってほしい。これはとても危険なことも含まれている。当然、命にだって係わるし、その数は決して少なくない。きみに頼むのはそういうことなんだと認識をしてくれ。
「無論、できる限りのサポートはするが保証はできない。きみには自分を大切にしてほしい。僕はそう思っている。そのことについてよく考えてから答えてくれないか」
即答しようとした自分を彼はそう言って引き留めた。
「というわけだ。答えはあとで聞かせてくれ。時間がかかっても構わない。重大な決断だからね。それにいま契約書の類も持ってないしね。それに、僕らにとってきみにはそれくらい待つ価値がある。名刺を置いておくから、しっかり考えてからそこに連絡してくれ。きみとはいい付き合いができそうな気がするから。また会おう」
彼はそう言って伝票を持って店を出て行った。彼が歩いていた場所に煌めきの欠片が残っているような気がする。
自分は一人席に座ったまま、冷めたコーヒーを口にしながら、置かれた名刺に目線を向けた。
そこには日本では知らぬ者はいない巨大警備会社の名が記されていた。それに書かれていた名前にも憶えがある。
いま自分が話していたのは、少し前にネットニュースで取り上げられて話題になった、十八歳でイギリスの大学で博士号を取ったという天才少年の名前だった。
つい先ほどまでその人物が自分の目の前にいて、彼と会話と交わし、自分のことを勧誘していた――なんだか現実のこととは思えないな――たっぷりとミルクと砂糖を入れたコーヒーを啜りながら、まだ少年だった指針刃は他人事のようにそんなことを考えていた。
夢を見ていた気がする。
どんな夢だったのか忘れてしまったけれど、昔のことだったと思う。
「おはようございます。ずいぶんと深く眠っているようでした」
声が聞こえてきたほうには加奈子の姿があった。自分の部屋に彼女がいるのにもいつの間にかすっかり慣れてしまっている。本当に人間というのは順応できる生物らしい。そこにずっといたのか、刃が起きる少し前にこちらに来たのかは不明だが、なんだか待ち構えているように感じられた。
「えっと……いま何時?」
「一時です」
加奈子は時計など見ていないのに、すぐさま答えた。こんなところで嘘をついても仕方がないから、間違いなく一時なのだろう。
確かこちらに帰ってきたのが七時前のはずだから、結構寝ていたようだ。刃はベッドから身体を起こす。
「それではなにかお食べになりますか? 昼の残りならすぐに用意できますが」
「じゃあ、お願い」
刃のその言葉を聞くと、加奈子は冷蔵庫に入れてあった昼の残りを電子レンジに入れて温める。二分ほど過熱したものがちゃぶ台の上に置かれた。昨日の残りを使って作ったチャーハンだった。
「いまの状況での外出は危険だと判断したので、たいしたものでないのはご了承ください」
「そんなことないよ。ありがとう」
刃はそうお礼を言って、チャーハンを一気に食べた。相当空腹だったらしい。残りものの冷や飯で作ったとは思えないほど美味に感じられた。
空になった皿と蓮華を流しに置いて、水につけてから再びちゃぶ台の横に腰を下ろした。それを確認した加奈子は、
「睡眠も食事も摂ったのでお話しください。昨日の夜、死体を目撃した以外にもなにかあったのでしょう?」
と、いつも通りの無表情でぶっきらぼうな口調で言った。
相変わらず話が早いな、と思いながらも、眠りにつく前に起こったことを整理する。
「そういえば、殺人事件に関してなにか報道はあった?」
「いえ。指針さんから話を聞いてニュース番組などを確認しましたが、いまのところそれらしい報道はありません」
「……そうか」
「もしかして、殺されたかたに面識が?」
「いや、そういうわけじゃない。というか、あまりにもひどい殺されかたをしていたから、面識があってもなくてもそれほど変わらないよ」
「……そう言うということはよほどの酷かったのでしょうね。詳しくは訊かないことにします」
「ありがとう」
あの死体の惨状を思い出すだけで嫌悪感とともに強い怒りが湧き起こってくる。
あまりにも尊厳のなさすぎる死。
どこまでも生命を侮辱した殺害。
なにがあったってあれを許していいはずがない。
「それで、まだなにかあるのでしょう? 遠慮なく言ってください」
加奈子は急かすように刃を促した。それが彼女なりの気遣いなのだというのは考えるまでもなくわかった。
「その酷い死体の発見の少し前に星野わかば――ほら隣に住んでる大学生の女の子を見かけたんだ」
「――ああ」
というように頷いてから、いつしか指針さんがしっぽり決めていた子ですねと言った。それについて刃はなにも触れなかった。加奈子のことだから元気づけるために言ったのだとだろう――たぶん。
「そういえば昨日の夕方お見かけしたとき、少し様子がおかしかったですね」
「やっぱりそう思う」
「ええ。そのときしか彼女と顔を合わせていませんが、あのとき見た率直な感想を言うと、なにかに追い詰められているように感じられました」
「追い詰められている?」
「はい。なにを原因としているのかわかりませんが、彼女の様子を見ればそれがとても重大なものであることはわかりました」
はじめて顔を合わせた相手にもそれが察知できてしまうくらいだから相当のものなんだろう。あの夜、わかばが刃の身体の秘密を知ってしまったことに関係があるのだろうか。
いや、それなら刃と顔を合わすのが気まずくなるだけで、一人であんな風にはならないように思う。
それに『邪神の本』はなにかわかばのことについてなにか意味深なことをほのめかしていたことも思い出す。
星野わかばについて、刃がまだ知らないことがあるのだろうか。
……そんなものあって当然だ。
だが、誰にでもあって当然のものしかなかったのなら『邪神の本』はあのようなことを言うわけがない。刃を撹乱するために適当なことを言っただけというのもあり得る。が、それは違うような気がしてならない。
「それになにか無理をしているようにも見えました」
「無理……」
「追い詰められて無理をしているのか、はじめから無理をしていたところに追い詰められるようなにかが起こったのか――指針さんにはなに違和感はありましたか?」
「うーん。なんというか最初に顔を合わせたときからちょっとおかしな感じだったんだよね、彼女。そのときは無理をしているというより、変になにかを演じようとしてるような……」
「演じている……」
その言葉をかみ締めるように加奈子は押し黙って考え始めた。
演じている――それが星野わかばをはじめて見たとき刃が感じた印象だった。
それははじめて会う人間だから表面を取り繕うというのとはまったく違う。
あれは一体なんだったんだろう。
「いったんそれについては保留しておきましょう。すぐには解決しそうにありません。指針さんが死体を発見する前に彼女を見かけてからもなにかありましたか?」
「ああ。僕のことに気づいたと思ったら、逃げたんだ。
「夜だったから知らない男だと思ったのかもしれないけれど。虚ろな目をしてまわりなんてなにも見えていないかのように歩いているかと思ったら、僕のことを見て確認すると、いきなり走り出したんだ。
「どこかおかしくなった状態で外を出歩いているときに近くを通りかかった誰かを変質者だと思って逃げるのは変じゃないか? 僕を見たそのときに正気に戻ったという可能性もあるけれど」
「ふむ……様子がおかしくなっているときに特定の誰かを見たからといって正気を取り戻すとは思えませんね。そして逃げた彼女を追った先にはその死体があった、ということでよろしいですか?」
「そうだね」
「そしてこうも思っている。もしかして星野わかばは『邪神の本』となにか関係があるのではないか、とも」
「……うん」
刃は弱々しく言葉を発して頷いた。
しばらく重力が増したかのような重い沈黙が続く。
「さらに言うと、指針さんは彼女は『邪神の本』の操られているだけの被害者ではないのかもしれないという疑念も抱いている?」
射貫くような鋭さを持った声で加奈子はそうつけ加えた。
「…………うん」
刃はさらに重々しい口調で肯定する。
「ところで、星野さんが越してきたのはいつごろでしょうか?」
「引っ越してきたって挨拶に来たのは三月の中ごろだったと思う。人間消失事件が起こり始めたのは三月の頭だったよね?」
「ええ。進学したなら四年は住むことになる街ですし、入試が終わってから頻繁にこちらに足を運んでいてもおかしくないですね。
「そのときに事件を起こしていたとも考えられなくはないですが――彼女と指針さんがこの前接触した『邪神の本』の足になっているのは男だったのでしょう? 私にはそれと彼女は違っているように思えます。無論、そのように見せかけていたとなったらそれまでですが」
「『邪神の本』に操られたことをきっかけにして、人格が分裂してしまうなんてことはあるかな?」
「それは……」
「それが僕らが感じた彼女のおかしさの原因だったということは?」
「あり得なくはないでしょう。『邪神の本』に操られることで起こる精神的な影響は不明なところが多いですから。そのストレスをきっかけにして人格の分裂、あるいは変質が起こってもおかしくありません」
重々しい神妙な口調で加奈子は言う。
「……どうするべきだと思う?」
「一刻も早く保護すべきでしょう。なんらかの精神的な変調が起きているのだとしたら、『邪神の本』を所有していようがいまいが関係ありません。それによってなにか起こしてしまう、あるいはもうすでに起こしてしまってもおかしくない」
「……なら。これから隣に行ってみる」
刃は焦ってはいけないと思いつつ立ちあがった。
「星野さんのことを調べることってできる?」
「できますよ。簡単に個人のことを調べられるのがいまの社会ですから」
当然のように加奈子はそう言った。
「じゃあ、できる限りでいいからお願い」
「わかりました。隣を訪ねると言うならやっておくべきことがあります」
「なに?」
「連絡先を交換しましょう。どちらかになにか起こらないとも限りませんから」
「そうだね。すっかり忘れていた」
刃と加奈子は手早く電話番号とメールアドレス、通話アプリのIDを交換した。
「こちらは常に出れるようにしておきます。なにかあれば通話アプリで通話をかけて、通話状態のままにしておくべきでしょう」
「……わかった。じゃあ行ってくる」
刃は靴を履いて扉を開ける。
外はまだ明るい。今日は平日だ。通常なら大学に行っているだろう。わかばは家にいるだろうか?
なにもなければいい、そんなことを思いながら隣の部屋のインターフォンを鳴らす。
しばらく待っても反応がない。
そこで――
なにか、とてつもなく嫌なものが感じられた。
この部屋になにかよくないものの気配が残っている。
やはり――
もう一度インターフォンを押してみる。やはりしばらく待ってみても反応は返ってこない。
嫌な、予感がする。
やはり学校に行っているのか、と思いながら扉に手をかけてみると、鍵がかかっていなかった。
これは――
腐った臓物のような異臭を放つ嫌な予感が足もとから急速に駆けあがってくる。
ごくり、と一度唾を飲み込んだ。
恐る恐る扉を開ける。
そこには――
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