第26話

「お前、さっきなにやってたんだよ」


 増田道夫は自分の下僕たる幽霊にそんな質問をした。


『おや、気づいていたのか』


 やつはさも意外そうな声を増田の頭の中に響かせる。本当に生意気なやつだ。自分の立場をわかっているのか。なんでこんなことを何度も言わなければならないのか。いくぶん使えるかと思っていたが、やはりグズはグズでしかないようだ。


「なんだと! お前俺をなんだと思ってるんだ! 気づいてるに決まってるだろ! 本当にむかつくやつだな! 俺のことを舐めるのも大概にしろ!」

『おや、そのように感じておったか。それはすまなかった。だが、ただの幽霊にすぎない私がなにをしたところで偉大なおぬしをどうにかできるとも思えないが。それとも、私ごときに自由にやらせるのは心配かね?』

「うるさい黙れ! なにをやったか言えっつってんだよ! もしかして俺に言えないようなことを勝手にやってたんじゃないだろうな!」


 増田はいつも通りヒステリックに声を荒らげて喚き散らす。


『まさか。おぬしに言えないようなことなどいまの私にできるはずもなかろう。それほど私は無謀ではないよ。それとも、おぬしは私に驚異でも感じているのかね?』


 おやおやというような生意気な声を増田の中に響かせる。


「そんなわけあるか! 俺からしてみればお前ごときどうにでもなるんだよ! ただ俺の知らないところで勝手なことをしてるのが気に入らないだけだ! 俺になにか訊かれたらお前はそれに答えればいいんだよ! そんなこともわからないのかよさっさと答えろゴミ!」


 どうなってるんだ。増田とやつの順位は間違いなく増田のほうが上のはずだ。自分はあらゆるものの頂点に立つ存在である。である以上、やつのほうが下なのは明らかなのだ。百人が百人そう答える常識である。


 なのに、何故こいつはこんなにも自分の立場を弁えずに好き勝手やりまくっているんだ。それも何度も。


『そう急かさんでくれよ。言わないなどとは言ってないだろう。少し他の〈足〉を借りて話をしにっていただけだ』

「話だと?」


『足』というのは増田が力を使って、いつでも自由に扱うことができる駒のことである。人体消失をやっていたときに事件の目撃者を自演するために結構な量を作っていたのだ。いまこの街に数百人おり、それはこの街を見渡す目にも兵隊にもなっている。支配者たる増田に相応しい力だ。


「ふん。自由にしていいと言ったのは俺だからな。『足』を勝手に使ったことは許してやる。で、誰と話をしたんだよ?」

『決まっているだろう。我々が狙っているあの男だ。指針刃というらしいぞ。もう一度、直接見ておきたかったのでな』

「な……!」


 増田は驚愕した。

 やつはあの撃滅すべき相手のところにのこのこ姿を現したのいうのか? なにをやっているんだ。自由にしていいと言ったがそんなことをしていいわけがない。


「なんでそんなこと勝手にやってんだよ! 見つかったらどうするんだ! それすらもわからないのかよ!」

『安心しろよ。大丈夫だったから私はいまもこうしているのだ。〈足〉を通じて私になにか影響を及ぼせたのならとっくに消滅しているよ。あの男はそれくらいしているだろうよ。できるのであればな』

「だ、だからって……」


 あの野蛮な獣の前に姿を現すなど愚かにもほどがあるとしか思えない。それに無事だったからといって許していい道理など通らないのは当然だ。増田の出す命令は至上命令に他ならないのだから、それを無視するのはあらゆるものを凌駕する最上級の不敬といっていい。命を百個差し出しても許されないことである。


『しかし、おぬしの言う通り少しばかり羽目を外しすぎたな。失うのが取るに足らない〈足〉の一つであったとしても、それが損失であることに変わりない。それに身体を持たぬ私にしてみれば小さくない痛手だ。興味本位で軽率なことをしたようだ。すまなかった』


 やつは珍しく普段の他人を舐めくさった口調を捨て去って謝罪した。


「……まあいい。どうせ暴れる以外なにもできない獣だからな。俺が本気になれば、あの男なんぞ簡単に捻り殺せる」


『勝者の呪い』だがなんだか知らんが、そんなものすべてを超えた増田には通用するはずもない。


 いや、それは増田が持っているものであり、あの男はその劣化品を持っているだけだ。劣化品が真物にかなうわけがない。どこまで身のほどを弁えなければ気が済むのか。


「それで、なにを話したんだ?」

『残念ながら口を開いてくれなくてなあ。私が一方的に話しただけだった』

「そのわりには嬉しそうだな」

『収穫がまったくなかったわけではないからな』


 すべてをあざ笑うような声を響かせる。


「お前がどうしてそんなクズどものことを楽しそうに見ていられるのか理解に苦しむ」


 やつがクズどもを見て楽しいとはやつのレベルが低いからだ。程度の低い輩は程度の低いもの以外理解しようとしないし、できるはずもない。そんな連中のことが理解できないのは増田にとって当然のことである。


『覇道を歩むおぬしには私を含めた下賤な下々を理解する必要などあるまい。それが支配者というものだ』

「当たり前だ」


 そんなこと言われるまでもない。増田はゴミどものことなど理解するつもりはまったくない。理解したところでなに一つとして得にもならないのだ。なに一つとして得にならないものとは不要の存在である。不要な存在に価値などありはしない。そしてこの世界は無価値な不要物が溢れすぎている。どいつもこいつもそんなこと理解しようともしていないのがいまの社会なのだ。


「それで、お前これからどうするつもりだよ? あいつに適当な兵隊を送り込んだってどうにもならないだろ。車を突っ込ませても駄目だったじゃないか。もしかしてあいつが疲弊するまでひたすら耐久戦でもやるつもり?」


 そんな無能のゴミが好みそうなクソ以外のなにものでもない戦法に付き合わされるのはたまったものではない。

 増田にはそんな悠長なことをしている時間などないのだ。


『まさか。おぬしはそれを望んでおらんだろう。仮にそれが効果的だからといっても、おぬしがそれを望んでおらんのなら取るべきではない。私の立場ではね。その程度は理解しているよ。おぬしが構わないのならいいが』

「当然だ。そんなのは力のないゴミクズがやることだ。俺みたいなすべての頂点に立つ存在がやることじゃない。支配者には支配者らしい戦法がある。それができてやっと二流。手段を選ばないなんてのは三流の小物が言うことなんだよ」

『さすが。わかっておるではないか』


 相変わらず勘に障る言いかただが、増田は流した。所詮はこいつもゴミと同類。多少はマシとはいえ、まともな価値もない存在である。その低レベルさにいちいち気を荒らげるなど、あらゆる頂点に立つ支配者とは言えない。


「そんなこと言うからにはちゃんとあるんだろうな?」

『当たり前であろう。私は準備には事欠かないタイプなのだ』

「…………」


 どうせちまちまとした二流の小細工をしているのだろう。愉快な劇を見せてくれるのであれば増田としてはそれでいい。


 いや、それ以外やつには求めていないし、そもそも価値など皆無なのだ。そうでなかったら増田は幽霊ごときとっくに処分している。そうなっていないのは、まだこいつにはゴミとはいえわずかでも価値があるからだ。


「俺はそれなりに楽しめるものを見せてくれればいい。それが取るに足らない茶番でもな」

『それは重畳』


 やつは相変わらずこちらを皮肉るような調子を続けている。


 が、これもあと少しの辛抱だ。これが済んでしまえば、ゴミみたいな付き合いをする必要がなくなる。そうなったのなら真っ先にこいつを滅ぼしてやろう。そうなったら阿呆のように恐怖に震えて、なにもできなくなるに違いない。


 しばらくは生かしてやろうと思っていたが、気が変わった。そちらのほうが面白そうではないか。この程度のことすらできないのが、いまこの世に溢れるほどいるクズどもだ。増田はそのクズとは圧倒的に違う。


「あの弟の同級生の女を使うのか? あいつが壊れるのにはまだ少しあるんだろ?」

『いや、少し見誤っていたようだ。あと二、三回押してやるつもりだったが、その必要はなさそうだ。私が思っている以上にあの娘は限界だったらしい』

「ほう」


 増田は思わず感心した。

 あの女が一体どのような姿を見せてくれるのかとても興味深い。

 程度は低いかもしれないが、それなりに愉快なものになる確信が増田にはあった。


『あの娘を使うことに変わりないのだが――もっとよさそうな餌を見つけてね。それを使おうと思っているのだ』

「どういうことだ?」

『昨日の夕方、〈足〉を通じて見たのだが、あの男には協力者がいるようでな。私の予想以上にことが早く進んだのはそいつが原因らしい。あの娘とそいつを使えばさらに有益にことを進められると思ったのだ。多少の変更になるがどうだろうか?』

「構わん。いいプランが他にあるのに修正をしないなんてのは典型的な無能の行動だからな。それはいいとして、あいつに協力者がいるっていうのはどういうことだ? はじめて聞いたぞそんなの」

『実はおぬしと接触する少し前くらいから私を追っている者がいたのだ。誰か、と問わないでもらいたい。なにぶん動けるようになってから色々と怨みを買っているから心当たりがありすぎてな。特定できん。


『いままで私を追う者は何人もいたが、その中に飛びぬけて執念深い奴がおったのだよ。そいつがどれだけ頑張ったところで私に対抗できるわけではないからずっと無視していたが、あの男と協力しているとあれば無視はできん。ならば協力してもらおうというわけだ』

「…………」


 ということは、その協力者とやらはあの男のようにこちらに対抗できる力は持っていないということか。確かにそれならばそいつ単体であれば脅威にすらならない。どれだけそいつが使えるものであったとしてもだ。力がないという事実は簡単には覆らない。それがこの現実というものなのだ。


「具体的になにをするつもりなんだ?」

『三文劇であることは否めないが――悪くはない。こちらが上手く立ち回ればいいだけだ。聞きたいかね?』

「当たり前だ。さっさと話せ」

『では、手早く済ませるとしよう。いくつかやらねばならんこともある。話し終わったら迅速に行動に移したいからな』

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